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『あ○す』しりあがり寿(030303)
知人がしりあがり寿さんのことを絶賛しており,それを家で話したら,高校3年生の娘が持っていました。話のタネに一読。
■『あ○す』(しりあがり寿/ソフトマジック/本体1,600円)
しりあがり寿(ことぶき)さんのお名前は,チラっチラっと目にしており,時折拝見する漫画は何やらインパクトがあるなあと,よく感じておりました。先月の『広告批評』の特集で扱ったらしく,知人がそれを読んで「そういえばしりあがり寿って面白いけど,読んだことある?」と私に問いかけてきたのでした。私は,チラチラ目にはしていると思うけど…と,上記のようなことを答えたわけですが,そういえばマトモに1冊読んだこともないので,家にあるという本をちなみに読んでみました。
どうしてこういうの「つかんじゃうかな〜」というのが最初の感想。つまり何やら難しい話なんです。解説を精神科医の春日武彦さんという方が書いており「裸のナミオは,錯乱状態で真空を漂っている。切ない漫画である」と言っています(主人公はナオミと呼ばれる若い女性なのですが,解説のこの部分でナミオとなっているのは明らかに誤植です。はは。キメの文章で誤植ってのは悪くない。著者にはお気の毒としか言いようがありませんが)。
ナオミは通常,人々がやり過ごしているようなことに引っかかり,どうやら精神的に病んでいます。その彼女の日常というか,日常への普通の方とは違う関わりというか,を描いた作品。彼女は最後は脳の手術を受け,こちらの世界に帰ってきます。でも…というのがオチ(表紙の裏まで漫画が描き込まれています)。
昔,カミュの『異邦人』の翻訳を文庫で読んだときに「なんじゃこりゃ〜」と思った,あの感覚が蘇るような作品です。こういう作品が生まれる背景には,私たちは自分や社会をマトモだと思うことにしているけれど,“本当は何かしっくりこない”という抜きがたい“漠とした不安”があるように思います。この作品は噂に聞く『カッコーの巣の上で』の裏返しのような作品と言えるのかもしれません。山口昌男先生風に言えば,周縁から中心を見るといった趣。疲れているときに読んだ漫画で,こういうところに揺さぶりをかけられるとちょっと辛い。いま,私は,「衆愚」としか思えないような社会的常識やら効率第一という言語の中にどっぶりつかって,判断停止状態で働いているところでして,「いまはそれについては考えたくないんだよ」という気分なのでした。
漫画はわざと雑に書いた風。不安な雰囲気をうまく醸し出しています。造本・装幀も格好いいし,凝っています(装幀=祖父江慎+阿部聡)。これだけ見ても楽しいです。ただし,文字に〈〉が重なったりしても平気といった作りは嫌い。“不安の演出”なのかもしれませんが,生理的に受け付けません。解説ぐらいは綺麗に組んでほしかったなあ〜。
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