『文化と両義性』山口昌男(030201)
 これは大事な読書でございました。

  

■『文化と両義性』(山口昌男/岩波書店/本体2,400円)
 またまた懲りもせず,山口先生の本を拝読。普段物事を見ている視点からずれたところで物事を見,考える練習をした感じ。哲学叢書といういかめしいシリーズに分類されているだけに,実のところはよくわからなかった部分が多かったです。ただ,それでもいくつかの収穫はあり,「周縁」と「中心」なる「ものの捉え方」には慣れた気がします。たとえば村八分―いじめられっ子と言ってもいいかもしれませんが―は,共同体の「掟」(=中心)のようなものを際立たせ,徹底するための「周縁」と考えてみれば,それは共同体にあって必要なものなのではないかと言えるなど。周縁がなければ中心もない。私たちの社会において,平等は大事だし,誰にも人身の自由があるということになっているけれども,私たちの社会は一方で逸脱を必要としており,時としてそれを魔女裁判のような形で自ら作ってしまう。こんな話が出てきます。
 
現在あるもの,残っている制度やパラダイムの外にあるもの,そういうものを観察することによって逆に現実の持っている意味がより明示的に浮かび上がってくる…そういうことを考えているが故に,山口先生は『挫折の昭和史』(近頃の読書(2002.8.10))ですとか『敗者の精神史』といった周縁部を歩き回られたのかな,と納得しました。全然見当はずれかもしれませんが。
 書名にもなっている「両義性」というのも面白い考え方でして,作用=反作用的に物事を見ていくと,いろいろなことが浮かび上がってくるという実例がたくさん挙げられています。例えば「誕生―死」「讃美―罵倒」「肯定―否定」。カーニバルには,こうした相反する要素が内包されているとのこと。カーニバルと同様,社会にももちろんこうしたことは内包されており,私流に理解したところでは,一個人ですら「男である」「女でない」「老年に近づいている」「青年には戻れない」と考えてみる(構造を考えてみる)ことによって,現実にさらに深く新しい意味づけがなされ,解釈されるということなのだろうと思います。「当たり前」としてきたことの構造をもう1度考えてみる。自分の中で解決済みと思われていたことを再検討してみる…こういう営みは,アンデンティティの危機を招いてしまうかもしれませんが,逆に,いろいろな方面から社会や自分を観察することによって,より自分たちや自分がいまある位置を確実に知る手がかりになるのではないかとも思います。
 ちょっと賢くなった気分。

 ついでに。本日,日本経済新聞朝刊を読んでいたら経済アナリストの森永卓郎さんが『ラテン度指数』という話をされていました。この『ラテン度指数』なるものは「経済が不況でも明るく生きている指数」といったもので,イタリア人やアルゼンチン人は,経済が悪くてもそのうち何とかなると思い,自殺などしないとのこと。日本における『ラテン度指数』1位は沖縄県だそうです。赤瀬川原平さんの『老人力』もそうですが,「モノサシを変えてみる,評価の単位を変えてみる」というのは面白いですよね。


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