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『「挫折」の昭和史』山口昌男(020810)
ここ2か月ぐらい,出張などでバタバタしている間,読書は低調。山口昌男先生の『「挫折」の昭和史』を1か月以上抱えて読んでおりました。やっと読了。
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■『「挫折」の昭和史』(山口昌男/岩波書店/本体4,200円)
本書のカバーのそで(カバーの折り返しの部分)には「大正・昭和初頭の都市モダニズムは満州で開花し,戦時下の文化・スポーツ活動に結実した。その担い手は林達夫,小泉信三,岡部平太,竹中栄太郎ら「挫折」を経験した人々であり,石原寛爾を中心とする知的水準と共鳴した彼らの開かれた精神から日本人の生き方のもう一つの可能性を探り出す,近代日本の歴史人類学という課題に挑む記念碑的労作」と書かれています。何だ?
「人々であり,」の後に「本書は」とか入ってないとすっとわからんじゃないですかね。好みでいえば,その後「労作」の後には「である。」と付けたい。格好いいカバーだけに,コピーもビシッと決めてほしかった…。
いきなり余計な話から入ってしまいましたが,本書は確かに労作です。資料に当たること,それを紡ぐことが大好きな山口先生ならではの大著です。四六判・約440ページ。厚さ35ミリ。本文は二段組。歴史人類学って何なのだか,結局よくわかりませんでしたが,エライ方々のつながりやそのダイナミズム,かなり有力な知の地下水脈のようなものが近代日本の成立に大きな役割を果たしたことは,例によって朧気に理解しました。そして,それらは太平洋戦争という大きな歴史のうねりの中で,封じ込められあるいは自己崩壊していった…。そんな風に読みました。
「おわりに」(338ページ)で山口先生は「時代の挫折した部分の検討を通して,はじめて昭和が何であったのかということが少しずつ明らかになってくるのである。さらに言い換えれば,幕藩体制の呪縛を払いのける可能性の在りどころが見えてくるのである」とおっしゃっています。この本で,先生は「あの時代にもいい芽はあったんだ…」ということを,再三取り上げておられます。先生は権力の作る歴史でなく別の庶民の歴史(民俗・文化・伝統など)に関する著作も多数あり,世界(歴史を含む)を先生なりの方法で丸ごと再評価してやろうという取組には頭が下がります。今回は権力側の歴史のお話でした。おそらくこれは見果てぬ夢であることを先生は自覚していらっしゃると思いますが,こうした営みの中から,我々が得る「生きるヒント」を少しでも多く拾い集めておこうとされているように見えます。法制史や行政史・戦史という学問分野からはみ出す部分をどう捉え再評価・再構築するか,残念ですが,知の塊の山口先生をもってしても,今回は鋭く決めることができなかったように思います。どうもすっきりしない。個人の資質や経歴,人間的連関に焦点が当たりすぎていて,行政組織や立法過程,民衆のマスの意思表示や時代の雰囲気に関する記述が少ないからかな…とも思いますが,よくわかりません。例によって私の知識不足がこうした消化不良の最大の要因でしょうが,どうもなあ…というのが素直な読後感でした。
これで『内田魯庵山脈』(近頃の読書(2001.11.18)),『「敗者」の精神史』,本書という,近年の山口先生の三部作のうち2冊を読んだことになります。『「敗者」の精神史』にはいつ頃巡り会えるかな? 楽しみです。
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