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●自殺について(2000.7.3)
厚生省が6月29日に『平成11年人口動態統計月報年計(概数)の概況』を発表しました。新聞やテレビなどでも出生や死亡,婚姻・離婚などいろいろな側面から報道がなされました。
死因のうち「肝炎」や悪性新生物(癌と理解してよいと思いますが…)の部位別の「肝」の状況も当然見ましたが,今回は中年の自殺について強調した見出しが目に入り,私もその年齢ですので,大いに気になりました。
1999年に自殺した人(31,385人)のうち中年層(40歳〜54歳)は8,853人。交通事故で死亡した人の総数が13,047人ですので,確かにこの8,853人というのは驚くべき数字です。25歳〜39歳でも5,412人が自殺しており,何と25歳〜54歳層で全世代の交通事故死を上回る(8,853+5,412=14,265)人たちが自殺という選択をしております。
元プロレスラーのジャンボ鶴田さんが肝移植手術の事故で亡くなられたというニュースがあり,本当にお気の毒でした。私もインターフェロンが効かなかったら,人の肝臓が無理なら,豚の肝臓でも猿の肝臓でもいいから,とにかく移植が可能なら移植してもらいたいと思ったことがあります(そのときはいまよりもっと不勉強で,インターフェロンが効かなかったら,かなり重大な事態になってしまうと思い込んでいたのです)。こんな若造で死んだらまずツマに申し訳が立たないですし,子どもの成長ももっと見ていたいし,親より先に逝きたくもないと考えていました。
生きていれば先に楽しみもあり,また生きていかねばならない責任もあると思います。自殺する人にはそれぞれ事情があるでしょうから,そう簡単に言ってはいけないのでしょうが,死亡という最終手段で自分だけ債務を免れるような所業を安易に容認する気にはなれません。「社会的動物」として「個人」というものを考えると,家庭や社会とかなり曖昧ではあります(どういう関係と明確に言葉で言えないという意味で)が,深く連携しているように思います。自分の捉えられる肉体だけが自分ではないと言ってよく,例えば,子を持つ親なら,子ども抜きで自分の現在や将来を考えるということはないのではないでしょうか。子も同様で,幼ければ幼いほど自分の存在の大きな前提として親の存在があるでしょう。家庭だけでなく友人や職場のことなども考えると,簡単にこれらの連携を一方的に断ち切るというのはいかがなものでしょうか。自殺する人は,こうした関係性に鈍感であったり,また不誠実なところがあるのではないでしょうか。不誠実であるがゆえに,好もしい関係性が築けずに「孤独」な状態になってしまい,自殺という選択に追い込まれてしまうとも言えるかもしれません。しかし「死ぬ気になって」もう一度新たな関係性を築いていく努力を2年も続ければ,たいていのことは光明が見いだせるのではないでしょうか。
ポジティブに考えるとよく言います。それも一応姿勢としてはよいと思いますが,その根底には,過去の自分の過失や行き届かなかった部分に対する反省,怒りや悲しみといった生きていく上でどうしても背負っていくものについての備えが必要であると考えます。いつでも現状を現状として素直に受け入れて,その上で明日を信じて希望を持って行動していくことが肝要ではないでしょうか。
頑張りましょう。希望を持って!
時が来れば必ずこの世とはおさらばできます。生きていける間は生まれてきた奇跡と生き続けられてきた奇跡を大事にしましょうよ。
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