人物往来、発車オーライ


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  上記の表題にしようかと思ったのだけれど、、、?

 染色を始めてから様々な方々との出逢いがあつた。忘れないうちに書き留めておこうと思う。

 多少自慢事になったり、売名行為的に成ることがあるかも知れないけれど悪しからず。
 
      
  4月4日(木)

  
京都より田中直染料店の田中直一会長と田中直輔社長にお会い出来た。
 鳥取県を回られているとかでわざわざ我が家にも立ち寄られたみたいです。
 お二人とも気さくな方々でした。


 2002年 3月20日(水)〜26日(火)

  日韓美術交流展のオープンセレモニーに招かれて、奈良、神戸へ。

 奈良県橿原市の図書館へ、韓国代表の金先生が絵画を寄贈されるため橿原市の市長さん
 ご臨席のもとセレモニーがあり万葉の里へ行って参りました。
 
  韓国からも金先生他美人の女性画家Kさん、Cさん,Oさんと京都芸大博士過程在学中の
 Мさん、大阪芸大のK教授、大原寺チベット仏教美術博物館学芸員のKさん日本代表のTさん
 そんな方々に混じり、何故か私も・・・・万葉ホール、万葉文化館を案内していただき,その後
 KANAYOが知り合いの伊勢さんが宮司をして おられる橿原神宮を参拝させて頂く。

  前日は橿原神宮で秘書の方と3人で夕食をご馳走になる・・・・
 その時のお酒の美味しかった事・・とっても楽しいひとときでした。

  橿原神宮の帰り大阪で途中下車を・・・・大阪城の近くのOBPツインタワー38Fのサントリーの
 お店へ・・・ガラス張りなので もう 景色は最高 お料理もカクテルも最高で韓国の方も大喜び
 でした。KANAYOの点数もぐーんとUPです。対応して下さったK店長さん、スタッフの方々感謝
 です。 
  そしてお料理、飲み物もサービスして下さったO社長 本当にありがとう ♪
 23日はオープニングセレモニー、パーティがあり韓国総領事館の領事も出席されお友達になり
 ました。 金先生は大山にも是非行きたいと言うことで25日〜26日に来鳥、とっても気に入られ
 今度は家族を連れて是非もう一度来たいとの事。

  何となく慌ただしい一週間でしたが素晴らしい交流を深める事が出来とっても嬉しく思っていま
 す。
  来年の交流展は韓国で・・・翌年は・・・大山かも? そのうちニューヨークでもとの事?
     kanayo


 1982年〜

  私達つまりeijiとkanayoが鳥取に帰ってきたのは,1982年,昭和57年の4月
である。帰ってきたと書いたのは、kanayoの故郷がこの地なのである。私達が住ん
でいる岸本町は、鳥取県西部に位置し、米子市に隣接する風光明媚な処で、東に
大山,北西に日本海が見渡せる高台にある。

  帰って来た当初は知り合いもほとんど無く、これからこの地で仕事をするために
は近郊の都市である米子市のことを知らなければと、米子市のことが書かれた本を
読んだり、催し,イベント、美術館巡りをしたものである。米子市について書かれた
本で参考にさせていただいたのは、松田勝三さんの書かれた「米子もん」「米子ぶら
り放談」など米子人物誌的な本で、これは大いに参考になった。
  帰って来た当初何も分からずに顔を出していたものに、写真家の越野さんが主催
されていた「小さな講演会」、今井書店の永井さんが中心になって開催されていた
「米子をおもしろくしよう会」などである。「小さな講演会」では前述の松田勝三
さん、陶芸家の安藤釉三さん、「おもしろくしよう会」では永井さんをはじめ、当時
美術館館長であった友松さん、朝日新聞の堀江さん、船越源四郎さん,その他米子を
代表するであろう文化人と言われる方々と会う機会を得た。

  また、自分達の存在をアピールする意味で米子で作品展を年に一度はするように
心がけた。その作品展では、あの大写真家の植田正治さん、建築設計の樋野さん、
歯医者さんの平林さん、ニューハンザワの半沢喜八郎さんなどが思い出に残っている。     
 to be continued

 '01/6/30
 ここまで書いてふと考えた。どのあたりの人まで実名を出していいものか?
それなりの有名人は有名税として使わせて戴くとして、一般の人には迷惑をかけては
いけないし!
 ただ こちらとしては悪意が有る訳でもないし、読まれる方も分かりやすいだろう
し、いちいち許可を取るのも大変なので適当にさせて頂くことにした。

 初めて染色を自宅で教えた時に、鳥大医学部の脳外科教授夫人の斎藤さんや産婦人
科教授夫人の前田さんが来られていた。、斎藤さんには来られる度に夕食のオカズを
戴き、稼ぎの少なかった私達は大いに助かったことを憶えている。

 初めてこちらで作品展をした時も、日本海新聞の篠原さん、山陰中央新報の矢田貝
さん、朝日新聞の堀江さんにはお世話になった。山陰放送では、ピンちゃんこと荒井
さん、浜田さん、角谷さん、渡部さん、中村さん、和田さんなどの各アナウンサーの
方々、中岡瑞恵さんとも知り合えることが出来た。日本会新聞の佐伯さんとは根雨
の近藤はやこさんを通じて知り合いになったように思う。NHKの米子支局長であった
川崎さんともその頃出会った。

 テレビにも全国ネットの番組へ何度か出して頂き、司洋子さん、浜美枝さん、大和
田獏さんと知り合う機会を得、その他の芸能人としては、森本レオさん、料理の鉄人
坂井さん、道場さん、陳さんとも知り合う機会を得た。料理と言えば、帝国ホテルの
村上信夫料理長にもお会いできた。

 また 飯田深雪アートフラワーの飯田倫子さんが大山ロイヤルホテルに来られた時
に、私どもの染色品を見られ、とても気に入って戴き、東京の深雪アートスタジオに
是非来る様に誘われ、東京の中野区まで出かけたことを思い出す。そして 40年ぶり
かに改定される教習本の専修科の教科書に私達が染めたテーブルセンターを何点も使
って戴いたのであった。この頃kanayoは京都の人形作家の森小夜子さん、そのお友
達で絵本作家の永田萌さんとお友達になっていた。

 初めて鳥取市で作品展をした時は、米子の松田勝三さんに鳥取ガスの会長であった
児嶋さんを紹介して戴き、児嶋さんは私達をすぐに車で鳥取大丸の会長であった米原
穣さんの所へ連れていってくださり紹介して頂いた。その時は鳥取画廊で作品展をし
たのだが、画廊のオーナーであった今川直兵衛さんともこの時に知り合えた。

 こちらに帰ってきて4〜5年経った頃、鳥取県の西部で手仕事をしている人達で研
鑚と親睦を兼ねた組織を作ろうと言う動きがあり、竹内医院の事務長であった中林さ
んを中心にして米子工芸会というものを作ることになった。その設立準備の段階から
参加することになり、設立と同時に、常任理事をする事になった。
 会長は、高橋巌さん、幹事に中林さん、常任理事に、陶芸の安藤さん、刀研の森井
さん、革工芸の本池さん、そしてガラス工芸の方と染色の私だったように記憶してい
る。
 この会では様々な分野の方々と知り合える機会を得た。みんなを憶えてはいない
が、木彫の糠谷さん、成瀬さん、人形作家の櫃田さん、安部さん、ガラス工芸の大谷
さん、革工芸の池田さん等々。

 こちらに帰ってきた当初は、eijiが色々な会に出ていたのであるが、eijiが高校
に教えに行くようになった頃から、kanayoが出て行く事が多くなり、誰とでもすぐ
に親しくなれる彼女の性格により、ますます知り合いが増えた様に思う。eijiも人
と会うことがそれほど嫌いではないのだけれど、kanayoの方がより人と関わる事に
向いているようなので、最近では外交関係はほとんど彼女の分野となっている。

 
 
 

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