深い教養なくして本歌取りは存在せず
ほんかどり【本歌取】
和歌、連歌などを作る際に、すぐれた古歌や詩の語句、
発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。
新古今集の時代に最も隆盛した。
誤った思い込み
最近の若い皆さんは本歌取りという言葉を知らないことが多いようだ。
今風の言葉でいうと「パクリ」という言葉がイメージに近いものがあり
漢字に直してみると「盗作、剽窃」などのように思われて大変に印象が悪い
ちなみに「剽窃」の正確な意味を述べてみると
他人の作品を自分の作品として発表すること。とあり
「他人の学説を剽窃する」のように、考え方を盗むという場合にも
用いられる。
しかしこれは誤解の最たるものであるように思われる。
この言葉の意味合いを現代的に正確に表現するなら「アレンジ」「リミックス」
がしっくりくるし、いいのではないだろうか?
もともとの作品をしっかり踏まえて、それを土台に作品を作るという事は
簡単なようで実は意外に大変な作業であり、才能が必要とされるものです。
平安時代のことを語る学者が
「本歌取りは独自の作品を作る活力や才能が無くなって堕落したものです」
などと、どこかの市民教養講座でありがたくも語っていて
「そういうあんたは才能があるのか?」などとここの管理者に
つっこまれていたのは、今思い出してもそうとうに笑えます。
膨大な量の本歌を正確に記憶していてないとこれは作れませんし
それを聞いている人にも同じ事が求められるわけですから
これは大変な文化的教養ということがいえます。
簡単な例を一つあげましょうか。
式子内親王が作られた歌に
「しるべせよ 跡なき浪に 漕ぐ舟の 行方も知らぬ 八重の潮風」
という歌があります。
こういう風に「好きだ」「愛している」などと表現していなくても
こう語られれば、せつなくもはかない恋心がうかがえます。
そしてこの情景が一枚の風景としてあなたの心にイメージとして
浮かび上がったはずです。こういうのを芸術と呼ばずしてなんとする。
しかも、これを作ったのは千年以上も前の我がご先祖様たちなのだから、すごい!
こういうのは世界中に自慢しても別にえらそうにとは思われないでしょうね。
この歌の本歌は古今集にあります、見つかりましたか?
「白浪の 跡なき方に 行く舟は 風ぞたよりの しるべなりけり」
がそうです、まあ簡単ですよね。
これだけ洗練された芸術がけして一部の人間のみのものでなかったことも
世界中に自慢していいものであることだと思います。
平安時代に編纂された勅撰和歌集を見てみると
超一流に身分が高く、書も歌も一流であった藤原忠通の作品よりも
そうとうに身分が低く、しかも女性(!)の和泉式部の歌が3.5倍も
入っているのには驚きを通り越して不思議な気持ちになります。
これこそ才能の前にはまったく差別が無いという明確な証拠と言えます。
近代国家ならともかく、こんなことはわずか百年位前までは
世界中探してもありえない事であったことは言うまでもありません。
芸術がすべての価値観を超越するような変な(素晴らしい)国
おもろいね、日本って。