企業崩壊とは、自己過信と嫉妬が招いている

 企業寿命30年説が巷間云われている。
日経新聞が、上場企業の平均を調べたらこうなったのだそうだ。
ちなみに上場企業で100年存続しているところは、片手で数えられるほどの数だらう。
 
 川柳にも、「売り家と唐様で書く三代目」とは有名である。
初代が、運もあったろうが苦労して立ち上げ、先代の苦労を見ていた二代目が家業を伸ばす、だがしかし、苦労知らずの三代目が道楽で潰した有り様である。京都あたりの老舗だと、家訓が継続の要諦を記している場合が多い。
十五代、二十代と続いているところも珍しくはない。
その要諦を括ると、慢心と嫉妬を買うことを戒めているものが多い。

 人間の営みは、文字が発明され、印刷が可能になり、3000年以上のデータが記録として残っている。それは、まさに人間の本質の記録であり、人間の至らなさと、変わらない愚かさを記している。
古代に端を発した「易経」は、「盈(満)ちれば虧(欠)け、虧くれば盈ちるのが自然の摂理、そして足るを知れ」と示し、「その何故ならば」を教える。
「老荘」はその対処を語り、そして「プルターク英雄伝」「史記列伝」「ローマ帝国衰亡史」等は、個人、事業、国の栄枯盛衰、盛者必滅の事実を明らかにし、近くは、大企業と謳われた企業が一転倒産の危機に瀕し、栄光の頂点にいた著名人がその舞台から消えることを、我々は身近に見ている。
このような事例を見ながら、一向に人間は変わらず賢くはなっていない。
であれば、それを前提に対処するしかないではないか。

 すべては、人間の至らなさを悟らぬ行動が自己過信となり、油断、慢心となり、それが他からの嫉妬を誘い崩壊した記録である。
運と時流に乗った成功を、自身の能力への過信から唯我独尊と振るまい、足らざるを補う謙虚さと、立場を変えたなら理解可能な筈の配慮を欠いた傍若無人な振るまいが他の嫉妬を呼び、気が付いたときには手遅れとなっているのである。
特に、指導的立場の人のそれへの配慮のなさが致命的な結果を招く。
我々は、近視眼的対策論よりも過去のデータに学ぶべきである。
遠くは古代から現代の身近な事例に至る貴重なデータより、自然の摂理、大局感を悟ってのち初めて、事に対処が出来るのではなかろうか。

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