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本日から「誕生」に関するメッセージを7回にわたってお届けします。「誕生」と言いますのは、イエス・キリストを信じて新しく生まれ変わるということです。かなり前に、24回に渡って、クリスチャンの成長に関するメッセージをしたことがあり、テキストにもなっています。しかし、最初の段階のクリスチャンとしての誕生のことが未完成でしたので、これから7回にわたってお話させていただきます。第一週は「神とは」であります。私たちが信じ、仰ぐべき神様とは一体どういうお方でしょうか。
1.神は創造者
聖書の最初のページ、創世記1:1に「初めに、神が天と地を創造した」とあります。同志社大学の創始者、新島襄は、若い頃、中国に行きたいと思って中国語を勉強していました。20才のとき、彼は中国語の聖書で、この創世記1:1を読んで本当に驚きました。そのときまで、彼が知っている神様は、人間の住む家よりもみすぼらしい小さな箱に入れられていたり、祠にまつられているものでした。彼は心の中で自問自答しました。「神は天と地を創造された、という。それでは、私をつくったのは、だれか?私の両親?」。「そうではない。母親は私をつくったのではなく、うんだのだ。私をつくられたのは、神だ。天と地をつくられた神が、私の両親をつくり、そして両親をとおして、私をつくられたのだ」。「神様は、木も花も草も、空も水も、そして鳥や獣もみなつくられたのだ。そうすると、私は、神について、なんと間違った考えと態度をとっていたことだろう。いつも何かお願いばかりしてきた。いや、今までの神様は、本当の神様ではない。私は、この本当の神様を無視してきたのだ。本当は、心からお礼を申し上げなければいけなかったのだ。感謝しなければいけなかったのだ」。青年、新島譲は、真夜中でありましたが、興奮と喜びに満たされながら、生まれてはじめてお祈りをしました。「神様。この天と地とをおつくりくださったことを、感謝します。私の両親をつくられたことを感謝いたします。そして、私をもおつくりくださったことを感謝します。今まで知らなかったとはいえ、お礼をも申しあげなかったことを、お赦しください」と祈りました。この創世記1:1だけで、神様を信じられたというのは、なんと幸いでしょうか。
私は教育で最も大切なことは、創造者を知るということであると確信します。箴言1:7「主を恐れることは知識の初めである」と書かれています。また、伝道者の書12:1「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また何の喜びもないと言う年月が近づく前に」。アーメン。日本の教育水準、および経済はアジアで一番でしょう。しかし、自殺率も一番です。聞くところによると、カンボジアは最も貧しい国の1つですが、自殺する人はいないそうです。日本はずっと豊かで、教育もあるのに犯罪率が高く、自らの命を絶つ人も大勢います。いろんな理由があると思いますが、その1つは神様を恐れていないからです。創造者なる神様を知らないので、自分の人生がどこへ行くのか分からず、無目的に生きているのです。日本の教育は創造論ではなく、進化論を教えます。フランス革命以降に、理神論という新しい神学がおこりました。理神論とは、神様と世界とを分け、世界はそれ自体で動いているという考えです。人々は神様とこの自然を分離して考え、あげくのはて神は死んだという者さえ出てきました。神がいないとなると、世界はどこから来たことになるでしょうか。そのとき暁のように出てきたのが、ダーウィンの進化論であります。「この自然も生物も人間も、神様なしでできたんだ。原始の地球で生命が誕生し、アメーバーから進化を繰り返し、下等な生物からやがて高等な生物になったんだ」。それを聞いた世の指導者や知識人は「やっとこれで神から自由になれる!」と、大喜びしました。この進化論を絶賛したのが、ヒトラーであります。ヒトラーは「アーリア人こそ最も優れた民族だ」とユダヤ民族撲滅策を打ち立てました。その手始めに、知能の遅れた人たちをガス室に入れて安楽死させたのであります。ヒトラーこそは「優れた者、強い者だけが生き残る」ということを地で行った人であります。進化論は科学と考えられていますが、そうではなく、むしろ社会学の1つであります。何よりも、富国強兵を求めていた日本が取り入れたのが、このダーウィンの進化論であります。今だに、文部省は進化論がどれだけ弊害を生むかということを考えてもいません。
科学というものはある仮説をたてて、それを客観的な実験や事実によって証明するものであります。しかしながら、進化論は、今だ、証明されていない仮説なのであります。なぜ、仮説なのか、大きく4つあげることができます。@生物の偶然的な発生は全く不可能。アミノ酸から生命が誕生する確立は地球の年齢が45億年あっても足りないということです。A種と種の間を埋める移行的な化石が発見されていません。魚類から爬虫類、爬虫類から鳥類や哺乳類に移行したと考えるなら、中間の化石がいっぱいあっても良さそうなのですが、ほとんどありません。突然、爬虫類や鳥類が地層から出ているのです。昔の系統樹はつながっていましたが、現在のものは点線になっています。完全なごまかしです。B進化論者は突然変異を進化の原因とします。が、しかし、突然変異のものは環境に合わないので、例外なしに絶滅します。突然変異は、適者生存と反するのです。C自然界は秩序あるものから無秩序に向かっており、その逆ではありません。これをエントロピー第二の法則と言います。しかし、進化論はこれに逆らって、より下等なものから高等なものへ、単純なものから複雑なものへと進むという考えです。しかし、良心的な生物学者であるなら、生命は進化しているのではなく、最初に組み込まれた遺伝子情報をできるだけ正しく伝えようとしていることが分かっているでしょう。進化ではなく、保持であります。つまり、生物は、神様が創造したものを保持しようとしているのであります。
もし、人間がサルから進化したのなら、盗みを犯しただけでどうして罪になるのでしょうか。それよりも、「ああー、あの人は進化が遅いんだ。上野動物園にもう少し入れておこう」となるんじゃないでしょうか。もし、強い者が生き残るんだったら、老人やハンデを持っている人たちは価値がないことになります。福祉が大切だと言うのは、進化論と矛盾しています。そうではなく、人間は神の像に似せて創られたから価値があるのです。何ができるとかできないかではなく、神様から創られたという存在そのものに価値があるのです。神様が私を造られたと信じるなら、あなたの人生に目的と意義は与えられます。逆に、自然に、偶然に生まれたんだと信じているなら、あなたの人生には目的も意義もありません。進化論を信じていても、クリスチャンにはなれます。人は、十字架の贖いを信じたら救われるからです。でも、進化論が無神論者、つまり神を信じたくない人たちから誕生したということを忘れてはいけません。この世の人たちがなぜ、創造論を認めないのか。それは、創造主なる神様を認めたなら、信じて従わなければならないからです。双子の赤ちゃんがお母さんのおなかの中で言い争っていました。「ぼくはお母さんはいないと思うなー。だって目に見えないもん」。「いや、ぼくはお母さんがいると思うなー。こうやって、生きていられるのはお母さんがいるからじゃないかなー」。使徒パウロがアテネの人たちに言いました。「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒17:28)。
2.神は愛
神様は愛です。しかし、どうして神様が愛であることが分かるでしょうか。この自然、月、星、太陽を見ても、神が愛であることはわかりません。やはり、特別な啓示である聖書を見なければなりません。聖書は神様から人類に対するラブレターです。聖書を開くと、神様がどれだけ私たちを愛しているかがわかります。イザヤ書43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」「わたしはあなたを愛している」。I love you.と言われてだれも悪い気はしないですね。なぜ、神様が愛しているかと言いますと、43:1から「あなたを造ったから、あなたを形造ったから」だということがわかります。これは、神様が「あなたをユニークな存在として造ったから愛しているよ」ということなのです。ユニークと聞くと、なんか人と変わっているとか、面白い人みたいな感じがしますが、そうではありません。ユニークというのは、「比類なき」という意味なんです。他のものと比べることができない、無二の存在だということです。私たちの顔を1つとってもそうですね。似ている人はいますが、全く同じ顔の人はいません。指紋も声門も、そして目のこう彩も一人ひとり違っているそうです。それなのに、それなのに日本人は人と比較して生きているんじゃないでしょうか。「人と違うとおかしい」「人と違うと恥ずかしい」。そんな価値観を子どものときから植え込まれています。日本の文化はまるで盆栽のようです。「こっちの枝が伸びすぎている。チョキン」「これは目立ちすぎ。チョキン」「ここはみんなと違う。チョキン」。最後には盆栽のように小さくまとまってしまいます。スマップが「世界に一つだけの花」という歌を歌いましたが、山形の田中信生先生は、25年くらい前にから「No.1の人生ではなく、Only1の人生を」と言っておられます。あなたは神様の作品であり、製品ではありません。製品は工場で同じ規格で生産されるけど、作品は手作りであり一つ一つ違います。だから、人と比べないで、Only1の人生を!を送れば良いんです。神様はあなたを傑作品、比類なき存在として造ったら愛しているよということなのです。ハレルヤ!
では、神様はどれくらい私たちのことを愛しているのでしょうか?イザヤ書43:4節の後半には、「だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ」とあります。また、43:3には「わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする」と書いてあります。文脈からわかることは、「イスラエルを買い戻すために、他の国々を身代金にする」ということです。このことを新約聖書で言うならば、イエス・キリストの贖いであります。なぜ、私たちは買い戻される必要があったのでしょう。それは、長い話を短くしますと、私たち人類は神様から創られたのは良いのですが、その後、堕落してしまったのです。「神なんかいらない。自分の力で生きてゆける。いや、自分が神になる」とやってきたのです。これが罪であります。神様から離れた私たちは、霊的に死んでいる状態です。霊的に死んでいる人は、罪を罪と思わないし、神を求めたいとも思いません。やがては死んで、裁かれ、永遠の滅びに行く運命でありました。ところが、愛なる神様は御子イエスをお与えになりました。私たちの身代金とするためです。ムーディという伝道者がこう言いました。地球上の木を全部集めて筆にし、海をインクにして、あの大空に書いて、全世界の人に知らせてあげたい言葉がある。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。「神がひとり子を与えた」という意味は、私たちを贖うために、十字架につけたということです。高価で尊い、私たちを買い戻すために、御子イエスの命を支払ったということです。ある人たちは誤解しています。「私たちが救われクリスチャンになったから、高価で尊いんだ」と。そうではありません。罪と汚れの中にいたその私たちを、高価で尊いと考えたから、御子イエスを与えたのです。だから、私たちは「自分は御子イエスの命をかけるくらい大切な存在なんだ」と思って間違いないのです。私たちはデパートに行って買い物をします。宝石コーナーに行きますと、○の数を数えたりします。一十百千万…え?100万円?それでも、ある人はお金を出して買います。なぜ、そんな大枚を払うのですか?それだけの価値があるからです。みなさん一人ひとり、「ああ、自分はイエス・キリスト様が命を支払うくらい価値があるんだ」と額面どおり思ってください。だって、その通りなのですから。
私たちは神様から造られた存在ですが、罪の中に失われていました。しかし、イエス様が代価を払って買い戻して下さったのです。ある少年が一生懸命、模型のヨットを作りました。木材を削り、形を整え、ペーパーをかけました。そしてライト・ブルーのペンキを塗りました。帆柱を立て、自分のイニシャルを縫い付けた、帆を取り付けました。1ケ月もかかり、やっと完成しました。いよいよ、進水式です。少年の町は湖に面していましたので、そこに浮かべました。風に乗ってヨットは滑り出すように進みました。少年はまるで自分がヨットに乗っているかのように思いました。ところが、ヨットは風に流され、みるみる、遠くに行ってしまい、最後には見失ってしまいました。少年はがっかりしました。1ヶ月もたったでしょうか、学校の帰り、おもちゃ屋さんショーウインドーを覗くと、なんと、あのヨットが飾られているではありませんか。帆にはちゃんと、自分のイニシャルも入っています。しかも、値段までついている。「おじさん、これどうしたの」「ぼうや、これはある人から買ったんだよ。」「おじさん、ぼくこれ買うよ。だれにも売らないでとっておいてね」。少年は急いで帰って、お家の貯金箱から、お金をもってきました。「はい、これ」。おじさんは高い所からヨットを下ろして少年に手渡しました。少年はヨットをだきかかえて、言いました。「おお、ヨットよ。おまえは二重の意味でぼくのものになったんだよ。1つはぼくが作ったから。そして、もう1つは、ぼくが君を買い戻したからだよ。」と語りかけだそうです。あなたも二重の意味で神様のものなのです。神様があなたを創造し、神様があなたを買い戻してくれたのです。
3.神の計画
エレミヤ29:11「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」神様があなたに抱いている計画は決して災いではありません。平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものです。私たちは子どものときに、「将来のために頑張れ」とか「将来こういうことができるように頑張れ」と努力させられてきました。私は、中学を卒業したとき、「ああ、自分の将来って結構、先細りだなー」と思いました。日本は、どこの学校を出たかで決まってしまうようなところがあります。「とにかく、食べていかなければ」と仕事をします。遊んだり、飲みに行ったり、旅行したりしますが、「こういう毎日で良いのかなー」と空しくなります。「将来」「将来」とは言うけれど、結局は、死んで終わりなんだなーと思わなかったでしょうか。私は幸い、25才のときイエス様を信じて、人生の意味を発見しました。イエス様が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と語りかけてくださったからです。このみことばは、必ずしも将来を教えている内容ではありません。でも、「私が道、真理、命だ」という方に従って行けば間違いないなーと思いました。マタイという取税人もたったひとこと「私について来なさい」と言われて、立ち上がって、イエス様に従いました。イエス様はマタイに対して、給料どのくらいやるとか、待遇はどうだとか一言もおっしゃっていません。ただ、「私について来なさい」の一言です。私は確信します。イエス様に従って行くなら、希望があり将来があります。途中、嵐とか苦難はあるかもしれないけど、イエス様のうちには平安があります。
イエス様に従う人生を一言で言うなら、「万事が益になる人生」だと思います。この世においては、良いことは良いこと、悪いことは悪いことです。消し去りたい過去もあるものです。しかし、イエス様が一緒の人生だと、良くないことも、消し去りたいようなことも益になるのです。パウロがローマ8:28で言っています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」。クリスチャンになると、少しずつ分かってきます。悪い境遇で育ったこと、自分が受けた傷や恥、犯した罪や失敗…これが神様の栄光に変えられて行くのです。劣等感で苦しんだ人は、同じ悩みを持っている人を慰め、励ますことができます。子どもを失った人は、同じ痛みをもっている人を慰め、希望を与えることができます。長年、依存症に苦しんできた人は、解放者イエスを紹介することができます。昔は、真珠はとても珍重されました。あれは、貝が無理矢理、傷つけられ、異物を混入されます。貝は「痛い、痛い」とある成分を流しながら、異物を覆っていきます。そして、やがて美しい真珠になります。私たちの生まれや育ちが、「希望ある将来」と似ても似つかない、傷ついて、醜くて、真っ暗だったかもしれません。しかし、神様は、ご自分を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを働かせて益としてくださるのです。取り返しのつかないようなマイナスをもプラスにしてくださるところに、神様の大能があります。Rome8:28は、神様の計画をコンデンス、凝縮しているみことばです。こういうわけで、創造者なる神様は失われていたあなたを、キリストによって買い戻し、再創造してくださるのです「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)。
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