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最近、セルグループを教会に導入しはじめた教会が出てきました。中には、伝道のために良いので、セルを入れようという教会もあります。また、救われた人たちのフォローアップや交わりにも良いということで導入する教会もあります。どれも間違ってはいないと思いますが、多くの場合、既存の教会にセルのプログラムを1つ加えるというやり方になっています。しかし、それでは最初は良さそうに見えても、数年後には命のないものになってしまいます。今朝は、本当のセル教会とは何かについて3つのポイントでお話させていただきます。
1.教会の本質
腕時計の本質とは何でしょう。腕時計には様々な種類があります。セイコーとかシチズン、カシオ、オメガ、ロレックス製などの時計があります。電池や手巻き、あるいはソーラー式もあります。文字盤がデジタルや針のものがあります。丸いものや四角いもの、バンドが皮製のものや金属製もあります。中にはアクセサリーか宝石のような時計もあります。でも、腕時計の本質的な事柄は何でしょうか。時計は、正しい時刻を知らせることが本質的なことです。たとえ宝石が文字盤に組み込まれていても、正しい時刻を知らせてくれなければ、時計としては役に立ちません。千円であっても、正しい時刻を知らせてくれるなら立派な腕時計です。それでは、教会の本質とは何でしょうか。何があれば教会で、何がなければ教会ではないのでしょうか。教会堂という建物がなければ教会ではないでしょうか。初代教会は家でしたし、ローマ時代は地下で礼拝を守っていました。では、牧師がいなければ教会でないのでしょうか。中国の地下教会の多くは牧師がいません。なのに爆発的に増え続けています。教義だ、制度だ、組織だとか言う人もいるかもしれませんが、ヨーロッパの教会はそういうものがあっても、半分以上の教会は命がありません。では、教会の本質は何でしょう。イエス様と複数のクリスチャンがいれば教会は成り立ちます。なぜなら、教会の本質は神の共同体だからです。イエス様は「二人または三人が、私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」とおっしゃいました。教会の本質とは共同体、コミュニティーであります。
では、真の共同体はどこにあるのでしょうか。ヨイド純福音教会でしょうか。初代教会でしょうか。イエス様の周りにいた12人の弟子たちでしょうか。それとも、モーセが導いた12部族でしょうか。いいえ、それは創世記1章にあります。創世記1:26神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。27「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」。ここからも分かりますように、父、子、聖霊なる神様が共同体であることがわかります。三位の神様がまるでお一方のように、愛し合い、一致しておられます。これほど完全な共同体は他に見ることができません。その共同体なる神様が人間をご自分のかたちに似せて造られました。神様は人間が共同体として生きるように造られたのです。男と女を作り、家庭を与えました。ところが、サタンに誘惑され罪が入ってから、共同体が破壊されてしまったのです。夫と妻の間に軋轢が生じるようになりました。兄弟同士が憎むようになりました。やがて、民族と民族、国どうしが争い合うようになりました。人々は互いに争い合い、真の共同体はどこにも見出すことができません。神様は一体どこに、真の共同体のモデルを造ろうとされたのでしょうか。「教会」です。使徒行伝の初代教会こそ、真の共同体のモデルであります。しかし、教会がローマ国教になってから、だんだん変質してしまいました。聖職者だけの教会、制度だけの教会、建物だけの教会…真の共同体がなくなってしまったのです。
神様はご自分と同じかたちをした共同体に住みたいと願っておられます。神様はどんな教会に住みたいと願っておられるでしょうか。ヨハネ3章に「風は思いのまま吹く」とあります。風とは聖霊のことであり、聖霊はご人格を持っておられます。ですから、聖霊の好む教会とそうでない教会があるということです。どういう教会に聖霊様は住みたいと願っておられるでしょうか。そうです。互いに愛し合っているところ、一致を保っている教会であります。聖霊は「ああ、私はここに住みたい」と入って来られます。すると教会は、祝福され、すばらしい神のみわざが起こることでしょう。神様ご自身が人々を救い、神様ご自身が人々を成長させてくださるのです。ハレルヤ!では、逆に、兄弟姉妹が互いに争い合い、仲たがいしているとどうでしょうか。この共同体はだれのかたちでしょうか。そうです。サタンのかたちです。聖霊様はそういうところに住みたくありませんから、去って行かれます。その代わりにサタンがやってきて、そこに住み着きます。「さあ、セルグループを作り、増殖しようぜ!」と、言います。では、どうしたらサタンを追い出し、聖霊様を迎えることができるでしょうか。ただ、「サタンよ、出て行け!」と命じてもダメです。罪を悔い改め、互いに赦し、互いに愛し合います。その後だったら、サタンは簡単に出て行きます。そして、今度は聖霊様を迎えます。すると、神様の共同体が教会の中に復活し、増殖していくことでしょう。これがセル教会です。神の共同体を作ることがセル教会です。コロサイ1:27「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です」と書いてあります。あなたがたは、複数形です。キリストは個人だけの中にいるのではありません。「あなたがたの内に」です。英語の聖書は「内に」はamongとなっていますので、正確には「間に」「ただ中に」という意味になります。つまり、イエス様はクリスチャンの共同体の中におられるのです。イエス様がおられるなら、そこには栄光の希望、栄光の望みがあるということです。共同体の中にイエス様がおられるならば、人々が救われ、人々が癒され、人々が祝福されます。ついでに、教会という建物も与えられるでしょう。一番重要なことは、神様が住まわれる共同体、教会を目指すということであります。ちなみに、ベテルとは「神の家」「神の御住まい」ですね。ハレルヤ!
2.教会の組織
この世の組織は一言で言うならピラミッド型です。上には取締役社長がいて、その下に専務や常務、さらに部長、課長、係長。そして平社員です。一番下には顧客がきています。命令系統は、トップダウン式で、上で決めたことを下の人たちが一生懸命行なうというものです。平社員は顧客に仕え、さらに上司に仕えます。また、この世のリーダー・シップはどういうものでしょうか。指導者は下の者たちを支配し、下の者たちは仕えるということになります。もし、下の者が文句を言ったり、逆らったりすれば左遷されるか即クビです。では、聖書が教える教会の組織はどういうものでしょうか。エペソやTヨハネでは、教会は家族のようなものであると述べています。父や母、若者、子供、赤ちゃんがいます。父や母は身分というよりも機能であります。また、教会はからだにたとえられています。かしらはキリストであり、クリスチャン一人ひとりは体の器官です。すべての器官は平等です。心臓は確かに重要な器官ではありますが、体から離れてしまったなら役に立たないばかりか死んでしまいます。しかし、教会は聖書から学ばないでこの世の組織を取り入れてしまいました。ローマ・カトリック教会は、教皇を頂点として、見事なピラミッド型の組織になっています。プロテスタント教会もこの世の組織や制度をある程度、取り入れています。たとえば、役員会で決めたことを信徒が実行するというトップダウン式になっています。しかし、イエス様が十字架におかかりになるとき会議を開いたでしょうか。もし、弟子たちと会議をしたなら、弟子たち全員が反対したでしょう。社員が上司に仕えるように、信徒が牧師に仕えるということが当たり前になっています。
イエス様はマタイ20:25-28でこのように言われました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆のしもべになりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たと同じように。」イエス様ご自身が弟子たちの足を洗い、あなたがたも互いに洗い合うようにと模範を示されたのです。それなのに、教会はこの世のリーダー・シップを真似てしまいました。そして、ある人たちは強いリーダー・シップを目指しています。自分を偶像化して、なんでもかんでもコントロールしようとします。日本にも、カリスマ的な牧師がおります。だれとは申しませんが、本人だけではなく、取り巻きも問題なんです。周りが持ち上げて、教祖のようにしてしまうのです。そういう教会では、「牧師の声は神の声」として、指導者に絶対服従です。信徒も、「はいかいいえ」「白か黒」しか判断できません。もう洗脳されちゃっているんです。こうなると、カルトです。本来はイエス・キリストが主権者なのですが、牧師や一部の人たちが、イエス様の権威を横取りしているのです。しかし、中にはそういう組織の方が居心地良いという人もいるのです。「自分で考え、自分で判断しなさい」と言われると、もう怖くなるのです。それよりも、リーダーからちゃんと目標設定されて、与えられたノルマを果すことに生き甲斐を感じるのです。異端と言われる宗教は、まさしくそれであります。共依存のベルトをかけ、ベルトをかけられている人は「ノー」と言えない。共依存の傾向がある人は、そういう教会が合っているかもしれません。
しかし、セル教会が目指すリーダー・シップは平べったいリーダー・シップです。エペソ4章に教会の五役者が記されています。「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕に適したものとされ、キリストの体を作り上げてゆき…」となっています。五役者は聖徒が奉仕ができるように整える人たちです。スポーツで言いますと、コーチ陣です。選手はだれかというと、クリスチャン一人ひとりです。牧師や教師は身分というよりも機能であります。決して他のクリスチャンよりも偉いわけではありません。三位一体の神様は、父、子、聖霊という順番になっています。父が御子よりも偉いのでしょうか。御子は聖霊よりも偉いのでしょうか。そうではありません。そこには機能の違いがあるだけです。では、牧師や指導者はどのようにして権威が与えられるのでしょうか。教団や教会が任命したからでしょうか。そうではありません。イエス様のように人々に仕えることによって、だんだんと権威が与えられるのです。最近『サーバント・リーダーシップ』という本を読みました。この本の副題は「命令型マネジメント」から「奉仕型リーダー・シップ」となっています。この世の組織はピラミッド型です。しかし、サーバント・リーダーシップは逆三角形です。代表取締役社長が一番下にいます。それから専務や常務、中間管理職、そして従業員がいます。一番上に顧客がいます。従業員は顧客に仕えます。その従業員を中間管理職がサポートします。中間管理職を代表取締役社長がサポートするわけです。これをセル教会に言うなら、クリスチャンはこの世の人たちに仕えます。そのクリスチャンをセルリーダーが支えます。セルリーダーをスパーバイザーが支えます。スパーバイザーを牧師が支えます。その本の中に、リーダー・シップとは何かについてこのように書かれていました。「リーダーが奉仕し、犠牲的行為を行なっているとき、権威、影響力が与えられるのである。奉仕するとは、全力を尽くして人の必要を見つけ、それに応える行為である。真のリーダーの特徴は何か。親切、信用できる。良い模範。思いやりがある。献身的。聞き上手。人に責任を持たせるようにする。敬意をもって人に接する。人を励ます。前向き。人に感謝する。」イエス・キリストこそが理想的なリーダー・シップを持っておられました。
教会は宗教法人の規約により、代表役員とか代表がどうしても必要です。ですから、私も教会に役員会が存在することを否定はしません。しかし、セル教会においては、役員が集まって何かを決めるのではありません。各セルがやりたいということを、役員会が予算的にサポートするのです。従来の教会は役員会や委員会で長い時間かけてあることを決めたとしても、実際にやる人がいないんです。そうではなく、セルグループの人たちが「こうしたい」と言ったら、やらせれば良いのです。ただし、牧師は指導者として神様からビジョンをいただく必要があります。もう一つ指導者がすることは、最終的な決断をするということです。しかし、平素は、牧師の権威をセルリーダーに委譲し、任せて行く。一人で牧会するのではなく、チーム牧会こそが、本当のセル教会の姿であろうと思います。新約聖書が教える教会の組織は、家族であり、キリストのからだであります。
3.教会の使命
教会の使命は何でしょうか。創世記1:28「神は彼らを祝福された。『産めよ、増えよ、地に満ちて従わせよ』」。神様はご自分のかたちである、真の共同体を増殖させたいと願っておられます。同じことが、マタイ28:19でも言われています。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」私はあるとき、再生産できる弟子を作ることが、この大宣教命令を果すことができると悟りました。そうすると、1が2になり、2が4になり、4が8になり、8が16になると、ものすごい速さで増え広がります。これを半年の割合で増えるとするなら、14年で1億2千4百万になります。これが倍加の法則、ねずみ算の法則です。しかし、現実はなかなかこうはならないのであります。このやり方は、1人が1人を救いに導いて弟子にするようになっています。実際、教会では個人伝道できる人ってあまりいないですね。しかし、これをチームで、セルで行なったらどうでしょうか。自然界の生物は、どのように増えるのでしょうか。生物は細胞分裂によって増えて行きます。だから、1人で1人を導くのではなく、細胞、つまりセルで導き、セルの中に加えるのです。ある程度、セルが大きくなったら細胞分裂するのです。
セルは伝道において最も効果的な戦略法です。なぜなら、セルは地域や職場、学校、どこにでも入り込んでいくことができます。マルドナルドも教会になります。主婦同士が助け合って、ご主人を導くこともできます。当教会は最初3年間はゴスペルで多くの若者たちが救われました。そして、4年目、5年目は未信者のご主人が救われるようになりました。彼らはときどき家に集まって食事をします。そのとき、いろんな証を交換します。少しずつ感化されていくわけです。また、セルは育成も奉仕も同時に行ないます。未信者のときから、祈らされたりします。ですから、クリスチャンになる頃は普通に祈れるようになっています。病の癒しも、自分がされたとおり、人にも行なうようになります。イエス様はヨハネ14章でこのようにおっしゃいました。14:21「はっきり言っておく、私を信じる者は、私が行う業を行い、また、もっと大きな業を行なうようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」とあります。イエス様が行った業とは何でしょう。十字架の贖いでしょうか。いいえ。十字架の贖いはイエス様が完成されたので、私たちは行なう必要はありません。イエス様がなされた業とは、ルカ4章にあります。ルカ4:18「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。イエス様の業とは、福音宣教、病の癒し、心の癒し、悪霊からの解放であります。これらのことをだれがするのでしょうか。牧師でしょうか。そうではありません。牧師が、聖徒たちが奉仕できるようにコーチするのであります。最初は自分がやって模範を示します。次に一緒にやります。次に「あなたがやりなさい」と任せていくのであります。悪霊の追い出しの専門家などいません。昨日、今日、クリスチャンになった人でもそれは可能です。なぜなら、イエス様から権威が与えられているからです。亀有教会では、10名くらいの人たちが、病の癒しをしたり、悪霊を追い出したりしています。彼らの多くはもと悪霊を多数宿していた人たちでした。心が癒され、悪霊から解放され、聖霊に満たされ、今度は自分がやる側に回るんです。このミニストリーも一人でやるよりは、セルで行なう方が効果的です。二人もしくは三人が集まるところに、イエス様が働いてくださるからです。たとえ、ベニー・ヒンのような巨人がいなくても、聖霊はセルの中で働いてくださいます。ペンテコステやカリスマ教会は、特別な人にしかそのようなことはできないと言いました。しかし、それはウソです。マルコ16章には「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し…」とあります。福音書には70人の弟子たちが、それを行なったと書かれています。彼らは直属の12弟子ではありませんでした。
影響力のあるセルメンバーをどのように育てるのでしょうか。まず、救われたら心の傷を癒し、悪霊を押し出します。私はJCMN主催のチェンジング・キャンプに10数名送りました。彼らは本当に変えられて熱いキリストの弟子になって帰ってきます。先週は私の家内が牧師チェンジングに出席しました。鉄は熱いうちに打てとは真理であります。また、セルの中で伝道と奉仕と育成が同時に行なうようにしていきます。従来の教会は聖書を勉強して訓練を受け、生活のあかしがたたなければダメだ、ということで一人前になるまでは10年くらいかかりました。ところが、10年も経つと、未信者の友人が一人もいなくなります。知識は確かに増えたかもしれませんが、逆に恐れが増して、思い切ったことができなくなります。しかし、救われたら、即伝道し、即奉仕するように仕向けるのです。失敗をするかもしれませんが、そこから体験的に多くを学ぶことができます。セルリーダーも人々を牧会していきながら、訓練を受け、成長していきます。リーダーは悩みが多いんです。本当にイヤになることもあるんです。しかし、イエス様が一緒に働いていることも体験します。神様は使命だけで与えるのではありません。その能力も下さるんです。聖霊様は背後におられて必要な場合は、「知恵、知識、信仰、癒し、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力」を与えてくださいます。御霊の賜物は牧師や一部の人だけではありません。聖霊の満たしを受けたクリスチャンになら、だれにでも与えられる神の能力であります。私たちは神からの能力によって、人々に仕えていくことができるのです。使徒2章にあるとおり、今は終わりの時代です。息子、娘、しもべ、はしためも預言をすることができるのです。イエス様は「収穫は多きが働き人が少ない」とおっしゃいました。リバイバルはすでに始まっています。私たちが主の恵みによって立ち上がり、貧しい人に福音を宣べ伝え、病を癒し、悪霊を追い出し、キリストにある弟子を次々と作っていきましょう。決して、「○○しなければ」と律法的にならないで、「主の助けがあれば○○しましょう」「恵みによって○○しましょう」と肯定的に進みましょう。
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