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クリスマスおめでとうございます。クリスマスとは、イエス様がこの地上に来られたことをお祝いする日であります。しかし、この世は、そのことを喜んだでしょうか。ヨハネ1:10を見ますと、この世はキリストのことを「知らなかった」と言っております。無知、あるいは無関心を表しています。日本人は、この手の人たちがほとんどであります。それでは、神の民として選ばれたイスラエルはどうだったのでしょうか。11節「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」と書いてあります。こちらの方が、もっとひどいように思われます。キリストとはだれか知っていたのに、拒絶したのです。きょうは、「拒絶されたイエス」と題して、クリスマスのメッセージをお届けいたします。
1.拒絶の傷
最近、日本に「エリヤハウス・ミニストリー」という心の癒しを指導してくれる方々が来られています。今年の秋も、ロバートとキャッシーご夫妻がいろんなところで、講演してくださいました。先生方は、拒絶の傷を持っている日本人がとても多いとおっしゃっていました。言い換えると、日本人は、拒絶に対してとても弱いということです。考えてみますと、人から拒絶されることからくる傷は、私たち人間が経験する中でも、最も深く、辛い痛みかもしれません。私たちの心の中心、存在の根底まで貫き通すような傷だからです。その傷が心に入ると、神様を見る目、自分自身を見つめる目、まわりの人に対する目まで、ゆがめられてしまいます。拒絶の痛みを経験すると、今度は自分自身を拒絶し、また回りの人をも拒絶するようになります。エリヤハウスで、お腹の中にいる赤ちゃん、胎児も拒絶の傷を受けるということを学びました。「あ、予定していなかったのに、できちゃった。どうしよう?」という場合があります。また、婚外妊娠をした場合、親は「生もうかしら、それとも…」と迷ったりします。母親の恥意識や恐れの心が赤ちゃんに伝わっていくのです。また、よくあるケースですが、「男の子を望んでいたのに、女の子であった」。あるいは、「女の子を望んでいたのに、男の子であった」という場合があります。お腹の中にいる胎児は、言葉は分かりませんが、霊的に「私は拒絶されている。私には価値がない」と察知するそうであります。そのようにして生まれた子どもはどうなるでしょうか。親に対して怒りを持ちます。生まれてからとても反抗的で、親の言うことを聞こうとしません。また、拒絶された子どもは、霊的にとても弱くて、病気になったり、ケガや事故を拾ったりします。自分でも理由はわからないのですが、「私は生まれなければ良かったんだ。私はいない方がよいんだ」という声が心の中にあります。ひどい場合は、自殺願望が生まれます。
また、育っていく過程において、拒絶を受ける場合が多々あります。親から、一方の「きょうだい」ばかり可愛がられ、自分は大事にされないと感じるときがあります。遊んでもらいたいのに、親から「今、忙しい」とか「うるさいからあっちへ行け」と追いやられるときがあります。親には親の正当な理由があるかもしれません。しかし、子どもであっても、アダムの罪を受け継いでいますので、それをゆがめて捕えてしまうのです。また、幼稚園で、小学校で、先生や友達から拒絶される場合もあります。「馬鹿だ」とか、「能無し」とののしられたかもしれません。もちろん、たいしたことのないときもありますが、問題は、怒りや憎しみをもって、心の中にしまいこんだ場合です。「もう、絶対に赦さないから。きっと仕返ししてやるから」と心の中で誓ったりします。そうなると、心の中に苦い根が生えます。そういう人が大人になると、他の人をやたら批判する人になります。自分がさばかれたことがあるので、その分、さばかないと帳尻が合わないのです。人を批判するのですが、反面、人の批判にものすごく弱い。一度、批判されると、もうその人と口をきこうとしません。また拒絶されるかもしれないので、人と親しい関係を持つことが出来ません。ある程度、親しくなるのですが、拒絶される前に、こちらから拒絶したりします。「どうせ、私は一人ぼっちなんだ。だれも、私のことなんか、分かってくれないんだ」。親しい関係を壊して、結局は、そういうところに、落ち着くわけです。皆さんは、そういう拒絶の傷はないでしょうか?
私も8人兄弟の7番目なので、自分の父、自分の母という感じがしませんでした。「兄や姉の親かもしれない。しかし、私の親ではない」と思っていました。だから、よく日本海を眺めては、海や空の太陽に、親の愛を求めていました。母が、7番目の私を宿したとき、「あー、大変だ」とため息をついたのではないかと思います。私の拒絶に対する解決は、自己主張でありました。はじめから、自分の存在価値を知っている人は幸せです。しかし、私の場合は、しかたなく生まれた。だから、自分の価値をなんとか認めてもらいたいと頑張っていました。私も拒絶の傷のある人と同じように、他の人を批判し、こき下ろして生きてきました。しかし、25才でイエス様と出会いました。イエス様は「ありのままの私を愛している」とおっしゃいました。「まだ、だめだ。まだ、だめだ」と頑張って生きていたわけですから、こんなに驚いたことはありません。イザヤ書43章にありますように、「神様が私を創造し、私をあがない、私の名を呼んでくださっている」と知りました。そして、だれがどう評価しようと関係ありません。イエス様は「私の目ではあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とおっしゃってくださいました。そのときから、かなり楽になりましたね。拒絶の反対は何でしょうか。それは無条件の愛と受容であります。「自分の存在には意味がある。生まれてきて良かったんだ」と魂の奥底から納得することであります。拒絶の傷に対しては癒しが必要です。だれか、私の拒絶を本当に理解してくれるでしょうか。だれが、私が受けた拒絶の苦い記憶を癒してくれるでしょうか。それは、人となられたイエス・キリスト様であります。
2.拒絶を受けられたイエス
マタイ1:18,19「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」当時は、女性が、結婚外で子どもを宿すなら、人々の前に引き出され、石打の刑によって殺されなければなりませんでした。「聖霊によって身ごもったのです」と言っても、果たしてだれが信じるでしょうか。福音書を見ますと、イエス様は「マリヤの子」と呼ばれています。ということは、私生児と考えられていたのかもしれません。エリヤハウスで教えられたことを少し引用したいと思います。「ヨセフはベツレヘムに登録のために、行かなければならなかった。でも、実は登録しに行かなければならなかったのは、男性だけで、女性は一緒に行く必要はなかった。しかし、ヨセフはマリヤを連れて行った。90マイルも旅して。彼女が妊娠8ヶ月だったときに、たぶん、ロバも馬も持っていなかっただろう。二人は貧しかったからである。ということは、マリヤは歩いてそれだけの旅をしたのである。どうしてヨセフはそんなことをしたのだろうか。ヨセフはおそらく、マリヤを一人残して行ったら、石打ちにされて、殺されてしまうかもしれないという不安があったからだろう。というのは、婚前に関係を結ぶことは、あるいは姦淫に対する罰がそうだったから。ベツレヘムに着いたときも、先に行っていた親戚がいたはずである。おじさんとか、いとこたちとか、たくさんの親戚が先に着いていたはずである。それなのに、ヨセフとマリヤのために泊まるところをだれも用意してくれていなかった。もし、みなさんの兄弟の奥さんが妊娠8ヶ月だったら、そのような人に部屋を与えないというようなことをするだろうか。けれども、聖書には、二人のための部屋がなかったと書かれている。二人は人から完全に拒絶されていた。イエス様はそのような拒絶をマリヤのお腹の中にいるときから体験されていたのである。」もし、そうであるなら、イエス様は、この世に望まれないで生まれた人を思いやり、そして癒すことがおできになります。
また、イエス様はその生涯においても、何度も拒絶を味わわれました。イエス様は、30歳になってから洗礼を受け公生涯をスタートされました。ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大勢の群集がイエス様につき従いました(マタイ4:25)。人々はイエス様の権威ある教えと力あるわざに驚嘆したのであります。ところが、郷里のナザレに帰ったらどうでしょうか。「この人は大工の息子ではないか。母も知っているし、兄弟も知っている」と人々はイエス様につまずきました。そして、イエス様は「彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった」とあります。ナザレの人たちは、人間的な目でしか、イエス様を見ることができませんでした。また、イエス様は奇跡を行なったあと、「私はいのちのパンです。私の肉を食べ、またその血を飲む者は永遠に生きる」とおっしゃいました。すると弟子たちのうちの多く者がこれを聞いて、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか」とつぶやきました。そして、弟子たちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスと共に歩かなかったと、ヨハネ6章に書いてあります。エルサレムの町の人たちは、最初「ダビデの子に、ホサナ。祝福あれ!」とイエス様を歓迎しました。ところが1週間もたたないうちに、長老や律法学者たちに扇動され、今度は狂ったように叫びました。「十字架につけろ!そんなキリストはいらない。殺せ!」と拒絶したのであります。イエス様は良いことしかしたことがないのに、人々から、つばきをかけられ、嘲笑され、平手で打たれました。神様が選ばれたはずのユダヤ人たちは、救い主イエスをはっきりと拒絶したのです。まさしく、ヨハネ1:11のごとく、「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」のであります。
しかし、それだけではありません。イエス様は父なる神様からも拒絶されました。イエス様にとっては、ローマの鞭や、十字架刑よりも、こちらの方がもっともっと恐ろしくて苦しかったのです。なぜなら、御子は父なる神様と永遠の昔から一緒でありました。これまで一瞬たりとも離れたことがないのです。ところが、御子イエスが全人類の罪を負ったため、神様から別たれ、捨てられることになったのです。全地は、昼の12時なのに太陽は光を失いました。父が御顔を隠されたのです。イエス様は、真っ暗な中から、「エロイ、エロイ、サバクタニ。わが神、わが神、どうして私をお見捨てになられたのですか!」と叫ばれました。イエス様は完全に拒絶され、地獄に叩き落されたのです。イエス様が受けられた拒絶と孤独は、私たち人間にはとうてい、わかりっこありません。なぜ、イエス様はそんなふうになったのですか?それは私たちの罪を贖うためです。さらに、拒絶と孤独の中にある人たちを癒し、解放するためであります。だれがわからなくても、イエス様はあなたの拒絶と孤独をご存知なのです。イザヤ53:3、4「彼はさげすまれ、人からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人がかおをそむけるほどさげすまされ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの傷みを担った」と書いてあります。イエス様ご自身が拒絶を経験されたので、私たちが拒絶を経験するときに、よくわかってくださり、あわれんでくださいます。そして、私たちの拒絶の傷を癒してくださるのです。
3.拒絶の癒し
だれも知らなくても、神様はあなたが受けた拒絶の傷を知っておられます。あるときエディ・レオの奥さんが、美容室に行って、髪の毛を整えてもらっていました。奥さんは鏡を眺めながら、自分の髪の毛を整えている女の子を見ていました。そして、奥さんはこう考えました。「主よ、私はこの子のために、祝福となりたいです。主よ、私を通して彼女を祝福してください。」奥さんはそうやって心の中で礼拝をし始めました。突然、神様は奥さんに語られました。「拒絶」という、たった1つの言葉を与えました。奥さんはその女の子を見て、神様に言いました。「神様、これはどういう意味ですか?」神様は、「彼女の人生は、拒絶の人生でした」と言われました。奥さんが彼女を見ると、とても幸せそうに見えました。とてもニコニコして幸せそうでした。しかし、神様は「神の賜物を用いるときに、あなたの肉体的な目を頼らないように、それは間違いです」と言われました。「わかりました。神様、あなたに従います。」。奥様は、彼女にこう言いました。「すみません、ちょっと話をしても良いですか。あなたは人生においていくつかの拒絶を味わったことがありませんか」。奥さんが「拒絶」という言った瞬間に、もっと多くの言葉が出てきました。「12歳」という言葉です。「あなたは12歳のとき、あなたのお父さんは亡くなりました。それから、あなたは非常に孤独を感じていましたね。多くの男性たちから拒絶されました。あなたは人間関係においていろいろな失敗があります。あなたは何度も結婚したいと思いながらうまくいかなかったですね。だから、あなたは今、全く拒絶されていると思っていますね。そしてあなたは自分が価値がないと思っています。もう、人生には意味がないと思っています。男性たちと関係を持つことが失敗したと思っています。」彼女は「ああー、どうしてそんなことがわかるのですか?私はあなたに告げたことがないのに!」「だれがこのことを語ったか知りたいですか?」「どうぞ話してください」「一人の方がいらっしゃいます。その方の名はイエス様です。あなたのために十字架で死にました。あなたのことを愛していらっしゃるので、あなたの人生のすべてのことをご存知です。イエス様が私に示してくださったのです。あなたはイエス様を受け入れたいですか。」彼女は泣きながら、「はい」と答えました。そして、その日、彼女はイエス様を受け入れました。彼女はクリスチャンになり、熱心に教会に通っているそうです。
ここに集まっておられる皆さんは、外見上は、立派な大人かもしれません。しかし、私たちは心の中では、まだ小さな子どものように感じている部分があります。イエス様が、今朝、この場に来られて、私たちの心の中の小さな子どもの部分に触れてくださるようにお願いしましょう。あなたの心の中に住んでいる、子どもはどのような顔をしているでしょうか。涙でくちゃくちゃになり、「なんでだよ。なんでなんだよー」と泣いてはいないでしょうか。片方の手では涙をぬぐい、片方の手は小さな握りこぶしを作っていないでしょうか。イエス様はお腹に宿った時から、既に拒絶を感じていました。だから、胎児のときうけた拒絶の傷をも癒してくださいます。たとえ、お父さん、お母さんが望んでいなかったとしても、父なる神様のご計画だったのです。父なる神様はあなたを抱いて、「よく生まれてきたね。あなたには価値がある。世界がお前が大きくなるのを待っているよ!」と声をかけてくださいます。生まれて成長していく中で、たくさんの拒絶を経験しました。でも、そんなことは思い出したくないので、心の深いところに隠して、鍵をかけていたかもしれません。しかし、癒されていない傷は、ときどき、害をもたらします。あなたの人生に、悪い実を結んでしまいます。行動やことば使いを直して、悪い実だけを取ってもダメです。原因は、根っこにあるのです。イエス様はあなたのところに来てくださいます。あなたの癒されていない拒絶の傷はだれからのものでしょうか。父からの拒絶でしょうか。母からの拒絶でしょうか。きょうだいからの拒絶でしょうか。もっと大きくなって、友達とか先生からの拒絶でしょうか。異性からの拒絶を受けて痛んでいる方もおられるかもしれません。
インドネシヤのサミトンという牧師は、使徒的な能力がありましたが、とても怒りっぽい人でした。サミトンが乗っている車の音を聞くと、みんなはそれまで楽しくおしゃべりをしていたのにやめるんです。教会員はサミトンを独裁者のように恐ろしい人と思っていたのです。エディ・レオもサミトンからきついことを言われ、とても傷ついていました。ある日、教会に女預言者が来ました。彼女がサミトンを見てこのように預言しました。「サミトン、あなたは若いときから教会の奉仕をしました。ある時、あなたは、ある団体の人たちから非難されました。そのとき、あなたは深い拒絶の傷を負いました。あなたがその人たちを赦し、悔い改めなければ、50歳になったらあなたの心はもっと頑なになり、もう二度と癒されることはないでしょう。」そのように、言った。サミトン牧師は、そのとき傷つけた人たちを赦し、悔い改めました。それから、彼の心の中から怒りがなくなり、とっても優しい人になったということです。あなたは拒絶を受けた被害者かもしれません。でも、その人たちを赦す必要があります。「いや、そんなことはできない!」と言うかもしれません。しかし、イエス様は「私に免じて、赦してあげて欲しい」とおっしゃっています。過去にも未来に支配されないイエス様は、あなたのあの辛いところに、来てくださいます。暗いところで泣いていたあなたのところに来てくださいます。そして「あなたが拒絶されたとき、私も残念に思ったよ。だけど、私はあなたを愛しているよ。私にはあなたの本当の価値がわかっているよ」と頭をなでてくださいます。最後にヨハネ1:12,13をお読みして終えたいと思います。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」イエス様がくださる特権に心から感謝しましょう。
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