「セルの増殖」   Tヨハネ2:12-14 

2003/11/23 鈴木靖尋牧師
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 5月から連続してきました、主題説教が本日で最後です。24週にわたり、「キリストによる救い」から、「セル教会」まで学んできたわけです。今後は、この内容を本にして、クリスチャンになられた方々のテキストにしたいと願っています。これが私の伝道牧会の集大成と言っても過言ではありません。後代にわたって宣べ伝えられることでしょう(なんちゃって…)。

1.セルの構成人員

 セルとは、キリストのからだなる教会の最小単位であります。信仰生活は、神様と自分だけの関係ではなりたちません。家族のような小グループに属しながら、互いに助け、互いに励まし、互いに祈り合いながら成長していくのです。「教会が大きくなると、交わりが乏しくなるからイヤだ」という人がたまにいらっしゃいます。でも、すべての人が救われることが神様の願いです。教会は魂の救い・伝道を第一に考えるところです。でも、その受け皿がなければ、ポロポロ、こぼれてしまうでしょう。そのために、初代教会のような、5-12名くらいのセルがいくつもあれば、一人一人をケアーできます。牧師一人では絶対に限界があります。ある先生は、牧師とは消防士みたいに、いつ何時でも出動できるようにしていなければならないと言いました。そのため、教会の電話は牧師か牧師夫人がいつでも電話を取れるようにしているということです。確かに、燈台守りみたいにかっこいいような気がしますが、悲壮感もありますね。でも、牧師が問題の火をいつでも消していたらどうなるでしょう。きょうはあの兄弟、きょうはあの姉妹のところと出かけて行ったのでは、神様の導きを求める時間がありません。牧師がやるべきことは、問題が起こる前に、神のみことばを与えておくということです。そして、問題を自分たちで祈って解決できる小グループを作るということではないでしょうか。問題が大きくなる前に、兄弟姉妹に分かち合って、共に祈るとき、そこに主がおられて、主ご自身が解決してくださいます。これが、セル教会の目指す伝道牧会です。

 ところで、セルという神の家族にはどういう人たちがいるでしょうか。Tヨハネ2章12節には、まず、「子どもたち」が登場します。12節「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです」。つまり、子どもたちというのは、イエス様を信じて新しい人生をスタートしたばかりの人たちのことです。人間の赤ちゃんを考えますと、おっぱいを飲み、お世話を受けながら成長する大事なときです。Tペテロ2:2には「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」と書いてあります。この段階では、みことばから「自分は罪赦されているんだ。救われているんだ」という確信を持たなければなりません。赤ちゃんがだんだんと成長し、自分でご飯が食べられ、おトイレができたり、洋服も着替えられていきます。ちょうど家の有悟みたいにですね。でも、かなりわがままです。自分のことしか考えていません。すぐ怒るし、すぐ泣きます。霊的な子どもも、最初はかなり不安定です。でも、この段階で大切なのは、過去の罪を悔い改めて、罪から解放されていくことです。心の傷を持ったままでいますと、なかなか成長しません。解放と癒しをいただきますと、ギューンと成長します。さらに子どもが成長すると、会話ができるようになります。14節「小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです」と書かれています。赤ちゃんが成長すると、ことばを使って人格的に交わることができます。これは、神様を「アバ父よ。お父さん」と呼んで、祈ることができる段階です。しかし、まだまだ、霊的分別力が不十分なので、異端とか間違った教えに惑わされやすい時でもあります。ですから、教会という真理の家でケアーを受け、バランスのとれた聖書の学びが必要であります。

 第二段階は「若者たち」です。2:13の半ばに「若い者たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです」とあります。飛んで、14節後半、「若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです」。ラルフ・ネイバーという人が、このように解説しています。「若者たち」とは、悪しきものに打ち勝ったというのが特性です。それは悪しきものに打ち勝ちつつあるというのではなく、すでに悪しきものに打ち勝っているという書き方に注目して下さい。信者はイエス・キリストの十字架により、クリスチャンになったその時、古い時代の色んなものを自分の中に持ち込んで引きずってきています。古い価値体系を新しい神の国の中に、まるでゴミを持ち込んでいるようです。私たちの生涯は戦うべき多くの要害があります。この新しい回心者にサタンは告訴する者として攻撃をしかけてくるのです。古いしきたりを通して、悪しき霊が容易に新しいクリスチャンの生涯に入ってきます。こうしたサタンの攻撃に対して、どのように立ち向かっていくかを新しい信者は学ぶ必要があります。このことを理解するようになると、「子ども」と言われていた新しい信者も、若者と呼ばれるようになります。実は、内側にある戦いに勝つ術(すべ)を知るまでは、その人は外に出て行って戦うことはできないのです。

 若者の段階を神学的に言いますと、「聖化」された人のことであります。「聖化って何?」と思うかもしれまんが、この主題説教では9〜12回目の時に学んだ内容です。「古い自分が十字架かにつけられ、生きているのは自分ではなく、キリストが私のうちにおられる。これから私はイエス様を主人として従って行くんだ」という信仰であります。そのためには、洋服ダンスにしまいこんでした古い洋服を捨てて、新しい洋服に入れ替える必要があります。古い洋服とは、「肉の欲」「目の欲」「暮し向きの自慢」というこの世の価値観です。10代ではなく、30代、40代以上に救われた方は、自分の思想というものがしっかりありますから、これを砕いて新しくするということは容易ではありません。私たちは、道路拡張に伴い、古い建物を壊して、ビルを建てている現場を見るときがあります。古い建物を壊しただけではだめなのです。下に古い基礎がありますので、それを掘り起こしてから、杭を地中に打ち込みます。これをしないで、さら地の上にビルを建てようとすると、あとで倒壊してしまいます。こういう内なる変革がなされて、はじめて敵である悪魔と戦うことができるのです。悪魔は私たちの古い自我や悔い改めていない罪、癒されていない傷をつかまえて振り回そうとします。これを要塞もしくは足場と言います。

卞先生は『母なる教会』という本でこのように教えておられます。「悪魔はクリスチャンを全面的に支配することは無理かもしれないが、要塞の部分に力を振るい、その人を苦しめることができます。そうなってしまった人は、その要塞のゆえに、なかなか聖霊の下さる力を発揮できなくなります。そのときは悔い改めてひれ伏して祈り、その部分の主権をキリストにもう一度明け渡す必要があります。その上でみことばによる訓練と、周囲の人々の助けを得て、その弱い部分を強めてもらう必要があります。そうすればその人は、その弱さのゆえにかえって強められ、謙遜になり、霊的成熟を遂げて同じ弱さの中にいる人々をも助けることができるようになるのです。私たちが強められ、サタンに打ち勝つ者になるためには、日々すべきことがあります。それは神のみことばが、私たちの内に生きて働くようになることです。あなたは神のみことばを日々黙想し、適用し、従っていますか」。おおー、ものすごい、チャレンジですね。若者とは神のことばによって、罪と悪魔に打ち勝った人です。いつまでも古いおもちゃにしがみついていないで、御霊の剣と大盾を取りましょう。ギデオンやダビデのような勇者になるのです。ハレルヤ!

 第三段階は父親です。Tヨハネ2:13「父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです」。14節にも同じことが繰り返されています。「初めからおられる方」とはだれのことでしょう?そうです。父なる神様のことです。先ほど引用しました、卞先生の『母なる教会』で、どんな人が「父たち」なのかを教えています。@天地創造の時から聖なるご意志とご聖定をもって働いておられる創造主と、そのひとり子イエス・キリスト、御霊の働きと計画とをよく知り、深く理解している人々。A神の摂理や義の教えに通じ、悪魔の策略と天の御父のみこころを見分ける感覚を訓練された「霊的おとな」。B聖霊に満たされ、魂を救い、神の群れ、神の子どもたちを牧する者。…となっています。簡単に言いますと、父の心を持っている人が、父親です。これは、男女関係なく、霊的な親という意味です。子どもがだんだん大きくなると、親の気持ちが分かるようになります。今までさんざん、わがまま言って来たのに、「親のすねをかじってごめんよ」なんて言ったりします。親としては、自分のふところを心配されると、寂しい感じがします。「オヤジ、やりくり大変なんだろう。俺バイトするよ」と言われるよりも、「金くれ!」と端的に言われた方が気楽ですね。私たちも霊的に成長していくと、「父なる神様はどんなことをお考えになっておられるのだろう。神様がいだいている計画は何だろう」と思ったりしますね。「聖定」とか「摂理」などと難しいことばを使っていますが、そういうことであります。

 でも、霊的な父親・母親の段階で、もっとも顕著なのは、霊の子どもたちを養うということです。いつも自分のことしか考えていないクリスチャンは、まだ子どもか若者の段階です。しかし、成長し、成熟していくと、かつて自分が養育されたように、新しいクリスチャンを育てるべきだという思いが起こります。イエス様は昇天される前にペテロにこう言われました。「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛しますか」。ペテロは「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です」と言いました。すると、イエス様は「私の小羊を飼いなさい」あるいは「私の羊を牧しなさい」とお命じになられました(ヨハネ21:15-17)。これはペテロに対してだけ言われたことではなく、信仰の先輩達にむけられたことばです。さきほど、セルは小さな神の家族だと申し上げました。家族には、子どもがおり、若者がおります。そして、父や母がおります。親は子どもに霊の食物を与え、養育する責任があります。また、若者に対しては、自ら良い模範となるだけではなく、助けとアドバイスを与える必要があります。そして、霊的な父母となる最大の喜びは、霊的な子どもを生むということです。もちろん、聖霊が人を霊的に誕生させるのですが、大人のクリスチャンはそれを見届けることができます。ま、お産婆さんのような役割もします。生命を与えるのは神様ですが、育てるのは親の務めです。

 私は8人兄弟の7番目に生まれたものですから、親の気持ちがほとんどわかりませんでした。自分は「投げわらし(こども)」、放っておかれて一人で生きてきたみたいな思いがありました。だから、牧師になっても、いなくなった羊を追いかける熱心さに欠けました。ルカ福音書15章に書かれていますが、100匹の羊を持っていた羊飼いの一匹がいなくなりました。「彼は野山をかきわけ、見つけるまで捜し歩かないでしょうか」と言っています。しかし、私は「あの一匹は弱いくせに一丁前の口をきいて、生意気なんだよな」と言って、少しは捜しますが、「見つけるまでは」という根性がありませんでした。それは、私が親からそういう世話を受けた経験がなかったからです。しかし、自分が4児の父になり、父のこころが分かってきました。特に4番目の子どもが、突然生まれたときです。すぐ上の子と11歳も違うんですね。「いやー。これから子育てか!」とお互い思いました。じゃ、4番目がお荷物で可愛くないか、というと親はそうではないのです。私も7番目で生まれましたが、両親はおそらく「大変だなー」と一時は思ったかもしれませんが、やっぱり可愛かったに違いありません。男の子は、体が弱くで、すぐ熱出したりします。私もこうやって健康で育ったのは、そういう保護があったからなんだろうなーと今更思うのであります。私も50歳になりましたが、この年ではじめて、「父の心」を持ったのですから遅蒔きであります。どうぞ、先輩のクリスチャンは、自分の家庭もあるかもしれませんが、神の家族の中において、霊的な父、もしくは霊的な母として召されていることをお忘れなく。

 神の家族には、子どもがおり、若者がおり、そして親がいます。彼らは主にあって、お互いに助け合っているのです。親は子どもの世話をしながら、「ああ、父なる神様は、愛なる方、善なる方なんだなー」って分かるんです。家庭が崩壊している時代です。私たちは神の家族の中において、癒しを体験しましょう。神の家族の中において、本当の人間関係を学び、世の人々に和解をもたらす人になりましょう。

2.セルの増殖

 前半は、「子ども、若者、親」と言うように、「キリストにある成熟を目指すんだ」という内容でした。後半は、短い時間ですが、セルが増殖することによって、伝道目的を果すということをお話ししたいと思います。神様はセルが愛し合い、愛し合い、愛し合い、そのまま肥え太ることを望んではいらっしゃいません。1つの細胞だけが巨大化したらどうなるでしょうか。自然界では、細胞分裂という法則があります。目には見えませんが、私たちの体も、数え切れないほどの細胞が死んでは生まれ変わり、死んでは生まれ変わりという作業をしています。細胞・セルがそのままじっとしていたのでは、必ず、死んでしまいます。命あるものは死ぬというのが、この自然界の法則です。教会も伝統とか、自己保身という守りに入りますと、成長がストップし、建物だけが残ります。教会は建物ではありません。私たち自身です。イエス様が弟子たち、そして教会に残した、最大の使命があります。それはマタイ28:18以降です。イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。伝道と弟子作りこそが、教会の最大の使命です。

 私はこのことが大切であることをクリスチャンになって、7年目、知りました。アラバマの教会が日本人6人を招いてくれて、大学生と一緒に、2ヶ月間、弟子訓練をしてくれました。あの当時、旅費と滞在費を含め一人当り、60万円はかかったと思われます。その教会は、一人の宣教師をアメリカから遣わすよりも、日本人を招いて、訓練してから送り返すのが効率が良いと考えたようです。だから、私の中には、彼らに対して、負い目があるんです。一人を救いに導き、さらにその人を弟子とすれば、その弟子が弟子を作り、ねずみ算に増えていくというものでした。1、2、4、8、16、32、64、128、356…最初は遅いんですが、これが6ヶ月のサイクルでなされると、13年で1億3千400万人に達するんです。これが倍加の法則の威力です。しかし、現実はこうはならないんです。亀有教会も3年で、28名から100名になる予定した。28+28=56、56+56=122。申し訳ないけれど、私は挫折しました。なぜでしょう。一人が一人の弟子を作るというところに問題があったのです。そうではなく、セルという小グループの細胞分裂によって、それは可能だということです。細胞の中にはご存知のように、核があります。細胞は分裂するとき、核も2つに分裂します。片方には核があるけれど、片方にはないということはありません。核とはリーダーの人です。細胞分裂することを予期して、サブリーダーを最初から持っている必要があります。サブリーダーは単なるリーダーの助け手ではなく、リーダーの見習いです。やがて、新しいリーダーになる人です。このように、セルグループが、2つに分かれ、増殖していくのです。ですから、セル教会においては、リーダー養成がとっても大切です。

神様は伝道牧会を一人でやれとはおっしゃいませんでした。神の家族というセルの中で行ないなさいということが分かったのです。その模範が初代教会にあります。一遍に3000人の人が救われました。120人の弟子たちは3000人という大群衆を20人くらいに分けて、家々で交わりをもち弟子訓練を行なったのです。ここにすばらしい答えがあります。ですから、セル教会は伝道を2つに分けます。Aタイプ伝道と、Bタイプ伝道です。Aタイプの人というのは、心を開いて教会の集会やセルに参加している人たちです。これは、セルの中にいる若者が共に助け合いながら伝道できます。互いに証しをしたり、祈ってあげたりできます。その愛の雰囲気の中で、人々は心を開き、福音を受け入れます。一人でできなくても、それぞれの賜物を出し合ったら、なんとかなります。家に招く人、ごはんを作る人、教える人、賛美する人、癒しの祈りをする人、慰める人、助ける人…様々です。一人で全部できなくても良いです。霊的に生まれたら、父たちが世話をします。神の家族の中で癒され、成長していくわけです。もう1つは、Bタイプ伝道です。Bタイプの未信者は、ちょっとツワモノなんです。誘われても教会にも来ません。聖書の話にも無関心。宗教はみんな同じだ!と考えている人たちです。ツワモノには、霊的子どもや若者が行ってもたちうちできません。父たちが、霊的親たちがチームを組んで出て行くのです。新しい人たちを得るために、今いるセルから出て行くのです。これも、イエス様が弟子たちに2人1組で行くように教えられました。その家に平安の子がいるはずです。平安の子を中心とした人間関係を芋ずる式に導いていけば良いのです。これも簡単にはいきませんが、楽しいですね。冒険です。セル教会は一ヶ所に留まっていないで、聖霊に導かれるまま、冒険をしたいですね。「世界中に、あなたの霊が動いている」という賛美のごとく、神の霊が人々の心の中を見て、「この人のところに行け!この人が平安の子だ」とおしゃって下さるのです。私たちは、出て行くことを恐れてはいけません。なぜなら、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と、イエス様が約束されたからです。

1つのセルで留まり続けるならば、その細胞は死んでしまいます。しかし、たえず新しい人を加え、セルが増殖していくならば、新しい命が与えられます。その結果、キリストのからだなる教会が成長して、再び来られる、栄光のイエス様を仰ぐことができるのです。アーメン。

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