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ハレルヤ!主の御名を心から賛美します。
このような言葉が自分の口から出てくるなんて、思いもしなかった。「神様なんているわけがない!!」「いたって、私とは何の関係もない!」神様に救われる前の私は、そう思っていました。でも、今は、そうじゃない。「神様だけは、いつも私を愛してくださっている。いつも守ってくださっている」と自信をもって、誇ることが出来ます。あの出会いをきっかけに、私の人生は、180度変えられたのです。
心の困惑
私は、自他共に認める超マザコン。母が大好きで、母の前ではいつも母にほめられることを望み、母が喜んでくれることを、選んでしてきたようにに思います。裏でしてきたことを除けばですが・・・。
というのも、私には兄が一人いて、その兄は小さいころから体が弱く、病院通いが多かったこともあって、母はいつも兄を心配する時間をより多く取り、また、兄も心配されることをいいことに、わがままし放題。「アレが欲しい。ドコソコに連れて行って。コレ嫌い」などと言っては、母をよく困らせていました。
私は幼心に「ワガママを言って兄のように母を困らせてはダメだ」と自分に言い聞かせていたんです。当時を振り返って母は「ともちゃんは、本当に物欲の無い子供だったわねぇ」とよく言うのですが、物欲がなかったんじゃなくて、「欲しい、買って」の一言が言えなかったんです。「心配をかけちゃいけない。困らせちゃいけない」と思っていたから・・・。でも私の本心は、それとはまったく逆で「お兄ちゃんみたいに心配してもらいたい!」と願っていました。
そんな私の心が、困惑し始めたのが、小学生の頃でした。欲しいと思っても「買って!」と言えない私は、盗むことを覚えました。友達の可愛い文房具を盗んだり、従姉妹の洋服を盗んだり、あるいは万引きしたり・・・。あるとき、それがバレて母が謝りにきた時に、自分に対して、叱責の思いをぶつけたことを今でも、はっきりと覚えています。「なんて私はバカでダメな子供なんだ。母を困らせたりして」と・・・。
そんな思いをしてから、盗みグセは直りましたが、相変わらず「欲しい」の一言は言えず、中学生になった頃から、年をごまかし、アルバイトをするようになりました。自分が大人になった気分でした。大人と一緒に仕事をし、たくさんのお金を稼ぐようになり、そのうち大人と遊ぶのが楽しくなり、同年代の友達とは、まったく遊ばなくなり、バイト帰りに飲みに行き、渋谷界隈を出歩いたり、昔で言うチーマーたちとつるんでクラブに遊びに行ったり、高校生になっても、相変わらず、そんな生活を続けていました。それでも母の前では、良い子でいたいと望み、母の手伝いをしたり、ご飯を作ったり、掃除をしたり、母のご機嫌をとるようなマネばかりして・・・。
クスリ・・・摂食障害・・・
そんな生活をしていくうちに私の心は荒れ果て、グチャグチャに困惑していきました。クスリに手を出し始めたのもその頃でした。初めてやったのは、当時「ガンジャ」という愛称(?)で流行っていたマリファナでした。初めて吸った時、まるで自分の見ているすべてのものが映画のワンシーンのコマ送りのようで、別世界に入ったようでした。それから私は、クスリにどっぷり浸かり込んでいきました。ありとあらゆるクスリを使い、最終的には覚醒剤にまで手を出しました。覚醒剤を入れているときの私は、まるで自分が大物にでもなった気分で、「自分は一人で何でもできる」みたいな、いろんな思いをすべて忘れることが出来たんです。クスリが切れたときは、最低な気分でしたが・・・。そんな時、ゲッソリやつれた私を見て、母が言いました。「ともちゃん。ずいぶん痩せちゃったけど大丈夫?体調でも悪いの?」私にとってすごくうれしい言葉でした。母が「私だけを見て、私だけを心配してくれてる」そう思いました。そして私は「痩せてさえいれば、母が心配してくれる」と思い込み、食べないことを選びました。友達からは「よくクスリやめられたねぇ」なんて言われるけど、今思うと、クスリに依存していたんじゃなくて、母に依存していたんじゃないかなぁって思います。
食べないことを選んだ私は、完璧な拒食症になり、どんどん痩せていきました。拒食症の頃は、痩せている自分に満足していたので、そんなに辛いと感じたことはなかったのですが、やがて過食症が私を襲ってきました。「食べたい!食べたい!」一日中、頭の中は、食べ物のことでいっぱい。自分では抑えることの出来ない食欲に私は、吐くことを覚え、毎日、毎日凄まじい量の食べ物を買いに走り、それを一気に食べ、それを一気に吐きつくす。それを繰り返すうちに、吐くこと自体に快感を覚え、「食べたい!」というよりも、吐くために食べる、と言う状態にまでなっていきました。夜は眠れないから睡眠薬、いつも誰かに追い立てられているような気持ちから逃げるために精神安定剤、排泄がうまく出来ないために利尿剤や下剤、結局、薬漬の毎日でした。いつも「死にたい。すべてを終わりにしたい。生きてて何の意味があるんだろう」私の心は、そんな思いで埋め尽くされていました。それでも母に心配をかけることを恐れ、仕事に行きつづけ、仕事上でのストレスも重なり身も心もボロボロ。私の体は、160センチ、28キロのガイコツのような体になり、いつ死んでもおかしくない状態でした。でも私はまだ、見捨てられていなかった。ある食事法に出会い、44キロまでもどることが出来たんです。クスリもやめることができ、摂食障害も治り、体調も良くなってきた頃、出会ったのが「ゴスペルクワイヤー募集」のポスターでした。
ゴスペルとの出会い
これも本当に神様の導きでした。なぜかその日はいつもの会社の帰り道とは別の道を走っていたときに、ポスターを発見したんです。私は「コレだ!」と直感し、ポスターをビリッと破り、さっそく入会しました。本当にゴスペルの時間は楽しくて、周りのクリスチャン達も自分の想像していたクリスチャンとは、かけ離れていて(良い意味で・・・)、全然普通の人たちでした。でも自分にはない何かを感じました。ゴスペルを続けていくうちに、また、不思議とある日曜日「礼拝に行ってみようかな」という思いが湧き、意を決し、礼拝に顔を出しました。その日の礼拝は、ケニー・ジョセフ宣教師の特別礼拝で、OHPを使い、分かりやすくメッセージを説き、とても楽しく礼拝に参加していたのですが、「最後の五分間」というOHPを見た時、涙が溢れて止まりませんでした。それは、ゴルゴダの丘で、他の罪人の二人と共に十字架につけられているイエス様の姿でした。そしてケニー先生は、こう言いました。「イエス・キリストを受け入れることに中間はない。イエスかノーしかない。イエス・キリストの救いを受け入れたい人はイエス(はい)と言いなさい」と・・・。
そのときの私は、決断できないまま家に帰ったのですが、時間がたつほどに胸が苦しくて、苦しくて仕方がないのです。一杯一杯考えて「もう、こんな苦しい思いはしたくない!」と思い、ちょうどその夜、母と二人だけで話す機会が与えられ、今まで母に対して持っていた思い、今までしてきたすべての悪事を話した後、「クリスチャンになってもいい?」と母に言ったんです。母は「それはともちゃんに縁があったのだから、私が止める権利はなにもない。ともちゃんが楽になるのならそうしなさい」といってくれました。
そして次の日のゴスペルリハーサルで、教会員の方に告白し、教会の鈴木牧師に祈っていただき、救いを受けたのが一昨年の九月のことです。そして同じ年の11月に晴れて洗礼を受けることが出来ました。
喜びが充満して
イエス様は、迷ってしまった、たった一匹の羊である私を、罪あるままの私を、ただ救われるために教会の門を開けて待っていてくれました。今まで一人だと思っていたあの時も、いつの時にも、イエス様はずっと私と共にいてくださり、私を守り、愛してくださっていたんだと気づきました。今まで、点でしかなかったすべてのことが、一本の線になった瞬間でした。本当に神様の深い愛に感謝、感謝で、心が、魂が熱くなり、目に涙が溢れます。すべては神様の御手の中にあったんだと。
今年は献身という決断も与えられました。神様は、何の特技もなかった私を、ご自身の栄光をあらわす者として、力を与えてくださり、賛美リーダーとしての役割も与えてくださいました。だからこそ私は賛美する時、どんなに周りの人に白い目で見られようと、神様への感謝、喜びを抑えることが出来ないのです。そうダビデのように・・・。
これからどんなことがあるか、明日はどんな日なのか分かりませんが、主がこのことばを言ってくださるから、私は主に従い、主に依り頼み、主が備えてくださった道を、歩むことで、日々、心に喜びが充満するのです。
「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 イザヤ 43:4
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