「イエス様は私の救い主、私にしてくださった恵み 」 

林 伊佐夫

 ▲リストへ
 

 私の家はクリスチャンホームでしたので、私も子供の頃は教会へ行っていました。
しかし成長するにつれて、クリスチャンである両親を痛烈に批判して教会から離れてしまいました。やがて、田舎から大阪へ出てフレッシュマンとして社会人デビュー、順風満風・結婚もして自信満々の生活でありました。しかし、若い時のそんな生活は長く続くずはなく、身のほど知らずのバカ息子は結局離婚する事となりました。壮絶な夫婦間やり取りの末小さな子供2人は私が引き取って育てる事になりました。
そして、4年半に渡る「父子家庭生活」が始まりました。今まで自分で何でもできると思っていた自信過剰はすっかり奪い取られ「なんで!なんで?オレがこんな目に?」という原因追求の疑問と絶望感でしかありませんでした。

 しかしある朝、車を運転している最中、突然神様は私に小声でささやいてくれました【ただ信ぜよ!】その小声は昔、説教の中で老牧師が独特な口調でいつも語っていた御言葉でした。なんという事でしょう!御言葉は長い間私の心の中に生きていて、決して死んではいなかったのです!弱りはて絶望の中に神様の恵みが隠されていた事をのちに知る事となりました。

【すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます】へブル12−11。

【あなた方のあった試練はみな人(イエス様)の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから。あなたがたを耐える事の出来ないような試練に合わせることはありません。むしろ耐えることの
出来るように、試練と共に、脱出の道(イエス様)も備えてくださいます】コリント10−13


 つぎの日曜日、初めて「自分の意志で」2人の子供と共に教会の門をくぐりました。すると何という事でしょう、 その日のメッセージは【わたしはあなたの為に立てている計画を良く知っているからだ。それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与える為のものだ。あなたがわたしを呼び求めて歩き、私に祈るなら私はあなた方に聞こう。もし、あなたがたが心を尽くして私を探し求めるなら、私をみつけるであろう。】エレミヤ29−11〜13。私のことをすべて見透かしたようなメッセージで激しい衝撃と、後悔の念が襲ってきました。そうか、神様は私にちょっと痛い試練を与えて、この日戻ってくる事をずっと待っていて下さったのか。それならもう屁理屈は止めて、神様にギブアップしてしまおう。「神様、放蕩息子の私はもう降参しました、良く解りませんが、今日の御言葉を信じたいですから御言葉のとおりにして下さい」。神様から逃れ住んだ所が、教会のすぐ近くで、チイロバの榎本保朗先生直系の、無牧の家の教会でした。神様は(絶望の中にいた父子家庭)をまさしくピンポイントで一番ふさわしい場所に置いていて下さったのでした。私は知らなくてもイエス様はすべてご存知で、先回りしてちゃんと備えて下さっていたのです。やがて、私の為に(とりなしの祈り)をしていて下さっていた人が沢山いたことを知ることとなりました。こうして心からの悔い改めと神様の救い業を感謝しました。そして御言葉から勇気と希望を頂きました。

 その後、問題は解決されたわけではありませんが、お言葉の通り希望を与えられましたのでもう絶望に追い込まれることはありませんでした。又、教会の皆様にどんなに助けられてきたか分かりません、感謝しています。
そして、多くの人の熱心なとりなしの祈りにより、教会も聖書も始めてというという人でありましたが、不思議な出会いの中、祈っていた通りの人と再婚する事になりました。彼女には一人の女の子がいました。私には、男の子と年子の妹がいましたその年子の真ん中に彼女の女子が入り、誕生日の関係で女子2人は同級生という難しい構成になりました。

 結婚式のつぎの日には大阪を立って、新天地に出発して新生活が始まりました。
しかし、月日が流れるにつれ、あれほど涙を流し悔い改めをして彼女と家族を愛し幸せにしょう決心したものでありますが、何と高慢な者でしょう。しばらくすると当然起きてくる子供や家庭の問題には真剣に関わろうとはせず、ストレスを与え続けてきました。
私は外から見ると優しい、何でも出来るマメな良いご主人ですねと言われます。自分は多少調子のいいところはあるものの、まあ良き夫としてやってきたと思っていました・・・・ところが本当に彼女が理解して欲しいことや助けて欲しいこと、話しを聞いて欲しい事などは全く出来ていませんでした。すべては的外れで(罪)でひとりよがりでした。
今、口先の上面だけでなくもう一度こころから悔い改めます。何度悔い改めても喉元過ぎれば直ぐ元に戻る弱い自分があります。私の中には、それを実行したくてもそれを成し遂げる力がありません、どうしても聖霊様の助けが必要です。

【私は自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています】ローマ7−19【御霊も同じようにして、弱い私達を助けて下さいます。私達は、どのように祈ったらよいのかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私達の為にとりなしてくださいます】ローマ8−26

神様は様々なことを通して悔い改めに導き、少しずつ不必要なものは取り除いていてくださいました。こんな私の罪の為に身代わりとなって、十字架の上で肉を割き、血を流して、罪を赦して下さいました。

振り返ると、こうした問題だらけの家庭でありましたが、今、気がつけば子供たち全員クリスチャンホームを築いていました。これは何という祝福でしょう。

神様は真実なお方です目には見えませんし、聖書のお言葉を信じ告白して進む時、イエス様は時にかなって遅れることなく最善に導いてくださることを様々なことを通して体験させてくださいました。
失敗してもても復元力を与えて下さいました。問題があっても乗り越える力を与えて下さいました。そして、多くの祈りによって与えられた彼女は、困難の中でもイエス様に従い続け支えて下さいました。彼女を与えて下さったイエス様と、イエス様に従い続け支えてくれた彼女に心から感謝しています。
「今あるは神の恵み」。主であるイエス様に明け渡して歩んで行きたいと思います。

このサイトに記載されている内容について無断複製・改造・転載等の行為を禁じます
Copyright (C) 2003 Kameari Church. All Rights Reserved.