私たちがもろもろのはからいをまじえた自力の修行をすべて投げ捨てて、
一心に阿弥陀如来に帰依してゆくならば、
私たちの思いを超えた如来の本願力によって、清浄・真実の世界に生まれることが確約されるからなのです。
この境地について曇鸞大師は、
「一念発起、入正定之聚」=(真の信心がが起こるとき、次生に必ず悟りを開く身に確定した人々の仲間に入る)
と解釈しておられます。
このように、信心を得たのちにおいて「南無阿弥陀仏」と称えることは、
「阿弥陀如来が私の浄土往生を定めて下さったご恩」 に感謝する念仏
と考えて、
一生の間、称えさせていただくものと心得るべきでありましょう。