魂の叫び おゝ、愛する同胞よ 愛するアイヌよ!!!

 七月十二日 晴 終日涼、
奥様が、来年の春までいて頂戴と仰る。勿体ないこと。
岡村千秋さまが、「私が東京へ出て黙ってみれば其の儘アイヌであることを知られずに済むものを、アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば世間の人に見さげられるようで、私がそれを好まぬかも知れぬ」と云ふ懸念を持って居られるといふ。さう思っていたゞくのは私には不思議だ。私はアイヌだ。何処までもアイヌだ。何処にシサムのやうなところがある。たとへ、自分でシサムですと口で言い得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだからそれで人間でないという事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知ってゐる。神の試練の鞭を、愛の鞭を受けてゐる。それは感謝すべき事である。
アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私ひとりぽつりと見あげられたって、それが何になる、多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ。
それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるひは、それ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる。それはちっともいとふべきことではない。
ただ私の拙ない故に、アイヌ全体がかうだとみなされて見さげられることは、私にとって忍びない苦痛なのだ。
おゝ愛する同胞よ。愛するアイヌよ!!!