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昭和5(1930)年の開園以来では実に58年、「架橋運動」を始めてからでも17年、島との行き来は虫明港よりの機帆船(ポンポン蒸気船)を利用するか、対岸より手漕ぎの舟に頼るしか法はなく、非常に不便かつ不自由であった。

人々は「人間回復の橋」とその喜びを表した。
平成17年12月1日現在の入所者数は
現在、国内で新しくハンセン病と診断される人は、年間4、5人程度となっている。そして、新患のほとんどの人は一般病院で投薬治療を受けている。従って、日本でのハンセン病の流行はもう無いといえるのだが、発病早期に有効な治療をうけられなかったため、治癒後に手、足、眼などに強い後遺障害が残った入所者も多い。こうした障害のある人たちへの介護と介助、後遺症の治療、そして高齢化に伴う老人性疾患の治療、生涯にわたり健康で快適な生活を提供することが今日の長島愛生園の任務となってる。
計
男
女
入所者数
433名
249名
184名
平均年齢
78.19歳
77.46歳
79.17歳
平均在園年数
52.00年
49.14年
55.87年
はじめての入園者は昭和6(1931)年3月、東京・多摩全生病院(初代院長:光田健輔氏、長島愛生園初代園長)より開拓患者81名、さらに途中で4名を加え、大阪港より密かに海路を経て長島へ至り上陸をした(案内図A点)。これらの人々は「開拓」と冠せられていることから、開園初期の使役につく使命を負わされての転園であったことが察せられる。