人間回復の橋


↑長島より対岸を観る
 国立療養所長島愛生園は、岡山県瀬戸内市邑久町虫明に属し、対岸とは瀬溝(海峡名)を挟んで僅か22メートル(現在は架橋に伴う漁業補償で44メートル)しか離れない長島にある。

 昭和5(1930)年の開園以来では実に58年、「架橋運動」を始めてからでも17年、島との行き来は虫明港よりの機帆船(ポンポン蒸気船)を利用するか、対岸より手漕ぎの舟に頼るしか法はなく、非常に不便かつ不自由であった。

その間はまさに強制隔離を象徴する存在であった。

↓対岸より長島を観る
 長島大橋 
 昭和63(1988)年5月9日、悲願17年にして遂に全長135mの橋が架かり、「邑久長島大橋」と名付けられて盛大に開通式が行われた。

 人々は「人間回復の橋」とその喜びを表した。

 現在、国内で新しくハンセン病と診断される人は、年間4、5人程度となっている。そして、新患のほとんどの人は一般病院で投薬治療を受けている。従って、日本でのハンセン病の流行はもう無いといえるのだが、発病早期に有効な治療をうけられなかったため、治癒後に手、足、眼などに強い後遺障害が残った入所者も多い。こうした障害のある人たちへの介護と介助、後遺症の治療、そして高齢化に伴う老人性疾患の治療、生涯にわたり健康で快適な生活を提供することが今日の長島愛生園の任務となってる。

 平成17年12月1日現在の入所者数は
 
入所者数 433名 249名 184名
平均年齢 78.19歳 77.46歳 79.17歳
平均在園年数 52.00年 49.14年 55.87年

 はじめての入園者は昭和6(1931)年3月、東京・多摩全生病院(初代院長:光田健輔氏、長島愛生園初代園長)より開拓患者81名、さらに途中で4名を加え、大阪港より密かに海路を経て長島へ至り上陸をした(案内図A点)。これらの人々は「開拓」と冠せられていることから、開園初期の使役につく使命を負わされての転園であったことが察せられる。

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