| 心の変革を追って |
| 全同教副会長(1978年当時)の林 力先生から、こんなお話を聞いた。姫路市同和教育中央講座でのことである。 | |
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| と。 私たちは、小さいときに学校で、まちがいもなく、そう教えられたし、疑うこともなく、そう覚えてきたのである。いま、改めて、別の立場から問い詰められると、「言葉」の持つ不思議さに気づくのである。 世の中には、ある人にとって「わかりきっている=アタリマエ」のことでも、他の人には全く反対のことが「わかりきった=アタリマエ」とおもわれている、ということがある。 これは、相手の立場に立って考えない、全く身勝手な考えである。差別を無くすためには、現に差別を受けている側に立って考えてゆかねばならない。人間のもつ意識というものには、その人の住む社会の体制や、その人の受けた教育歴、その人の生きざまなどが織り込まれている、といわれている。 私たちは、まず、このような自分自身をしっかりと見すえて、同和教育というものの重要さを認識しなければならないと思う。 一つの事実の中には、現象と背景がある。現象を観るだけで全体の真実を見誤る愚かさは避けねばならない。しかし、本質を把握するならば「一事が万事」ということもある。たとえそれが事実の一部にすぎなくても、全体を洞察することはできるであろう。 「差別」とは何か。「差別を許さない」とは、どういうことなのか。それは多数決で決めたり、だれかが判定をしたり、さらには差別をしている側と差別を受けている側とで話し合うようなものではない。 自分自身が、人間としての立場、自覚に立って、人間らしくどう生きるのか、生きようとしているのか、自分の生活を自分たちで確かめ、自分自身の意志で、生活で、取り組む問題である。 |