ベトナムの子供たちを考える(柏倉 実) 今回のベトナム研修ツアーで、親に捨てられたストリートチルドレンが身を寄せる施設や、学校がなくて家で働く子供たちがいる山岳地帯・道以外がすべて水の中のメコンデルタ地帯をみてきました。子供たちへの学校の必要性を感じると同時に子供を放っておく親に少々憤りも感じていました。
研修ツアーの最終日、ホーチミンの【戦争犯罪博物館】に入りました。入り口には戦争で使われた『戦車』『飛行機』などが外に展示されており、その迫力に「凄いなぁ」なんて脳天気に驚いていました。しかし、館内の展示物を見た瞬間からその驚きは『悲しく、悲惨な驚き』へと一変しました。
荒廃した大地で血を流し折り重なる死体の山
武器を突きつけられ手を合わせて命乞いする農民
爆撃で下半身がなくなった死体を拾い上げる兵士
農民の首を並べ自慢する兵士
枯葉剤により奇形となり生まれた赤ちゃんのホルマリン漬け
熱で焼焦げ墨のようになっている死体
当時を再現した拷問部屋と斬首刑台
殺された母親の脇で泣いている子供たち悲惨な展示物はまだまだ数多くありました。私のこころにずしりと何かが圧し掛かったようです。そういえば、家でベトナムの資料をみていたときにこんな一文がありました。
「いまの人はみんな人間の命を食べて生きている。戦争で死んだ人の命を食べて生きている。戦争に反対して殺された人の命を生きて食べている。平気で命を食べている人がいる。苦しそうに食べている人もいる。」(灰谷 健次郎・作「兎の目」)
わたしは、平気で命を食べていた人だったんですね。
そして、この街の親から捨てられたストリートチルドレンやメコンデルタ地帯や山岳地で学校に行かずに働いている子供が浮かんできました。親は好きで子供を捨てたわけじゃない、好きで子供を学校にやらないわけじゃないです。だって、この子達の親は30年前の悲劇を目の前で見てきた人たち、苦しみながら人間の命を食べている人たちなんです。なのに、苦しんで立ち上がり一生懸命に働いても働いても・・子供を満足に育てることができません。このままでは、その子供たちもまた同じ道を辿るでしょう。わたしは、この子供たちを助けてあげたい。支えてあげたい。いま、ベトナムに必要なものは教育です。学校です。
学校を作るということは、つくった学校で勉強すれば街に就職ができる⇒お金が稼げる・生活が楽になる⇒そしてその子供も学校で勉強させることができる⇒街へ就職ができる、あるいは技術を身に付け村に戻る、先生になって戻ってくる。 こんな好循環を作ることができます。貧富の差も徐々に縮まると思います。
私たちみんなが行なった募金で学校を作るということはとても意義があることと感じます。苦しみながら命を食べる人々・子供たちを支えてあげることができるのですから。
みなさんは平気で人の命を食べていますか?それとも苦しみながら食べていますか?