自転車ツーリング再生計画/ツーリングレポート

ツーリングレポート山刀伐峠,十部一峠

前半は芭蕉が歩いた奥の細道です。同じ道を芭蕉は元禄2年(1689年)6月30日から7月19日にかけて歩いています。十部一峠からは月山を望みます。(港サイクリングクラブ1992/11/21〜23)

■ 1992/11/21(土)
東京駅 806⇒1026古川駅1104⇒1154鳴子駅(昼食)→尿前の関→堺田/旧有路家(封人の家)→山刀伐峠→銀山温泉(泊)旅館古山閣0237-28-2039

晴れ。昨日までの東京の大雨が嘘のよう。鳴子駅で予定の列車から降りたK氏、Y氏、H氏、N氏、そして担当の私。古川から走ってきたパパ氏。ともあれ新装なった鳴子駅でお昼。尿前の関より封人の家(堺田/旧有路家)へ。封人の家は現存する唯一の芭蕉が泊まった宿です。

「なるご(鳴子)の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。大山をのぼって日既に暮れければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」

蚤虱 馬の尿する 枕もと

「(山刀伐峠)高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分々、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。尾花沢に清風と云者を尋ぬ。日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」

山刀伐峠,昔は難所だったでしょうねえ。芭蕉さんの苦労を偲んでトンネルの上の旧道を行きましょう。芭蕉さんは苦労したろうナア。暗くなって銀山温泉に到着。A夫妻は既に到着している。玄関前に自転車を積み上げていると、Mちゃんより電話。那須から大峠越えの予定を風雪のため三斗小屋に避難としたが、会津に下りてみれば捜索願いが出ていて、てんやわんやとのこと。みなさん気をつけましょう。Iくんはと電話してみれば、頭部負傷につき絶対安静とのこと。みなさん気をつけましょう。いつのもように一升瓶が空いて、A夫妻は別棟の蔵座敷でおやすみさい。

■ 1992/11/22(日)
銀山温泉→尾花沢→大石田→古口→肘折温泉(泊)若松屋別館六助0233-76-2031

今日も晴れ。銀山温泉は狭い川の両側にぎっしりと木造三階建ての宿が軒を連ねる。奥には銀山鉱山の跡も。川にはマス?も元気泳ぐ。A夫妻と別れて尾花沢で鈴木清風邸跡、養泉寺と芭蕉宿泊の地を尋ねる。雪をかぶった月山と鳥海山が稲株のたんぼの彼方に見晴らせる。

「最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入。左右山覆い、茂みの中に船を下す。白糸の滝は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎって舟あやふし。」

五月雨を あつめて早し 最上川

大石田からは,五月雨を集めて早かった最上川沿いに。最上川は日本三急流の一つというけど、ゆったり堂々と流れている。道が川に沿っていないので二度ほど坂を登る。大蔵の食堂で昼食ののち古口へ。古口からは川下りの舟が出ている,ニギヤカ。その最上下りの舟番所でひと休みし、肘折温泉への道に入る。一部ダートの細道、交通量もさほどなく、のんびりと登る。一山越えれば、眼下にいまでも湯治場の肘折温泉。お土産と並んで自炊用の野菜や肉も売っている。朝は朝市が並ぶそうです,いつも二日酔いなので,見たことはないのですが。A夫妻は大蔵から直接来る道から登場。Mちゃんも奥さんに離婚されることもなく列車6本を乗り継いで古口駅から元気に登場。

■ 199211/23(月)
肘折温泉→大師峠→十部一峠→尾花沢駅⇒山形駅⇒東京駅

朝は晴れ。十部一峠はたぶん通れるだろうと行ってしまう。まあ,雪なら戻ってくればいいか・・。道は舗装とダートが半ばづつ。一度下って、急勾配を一気に上ると大師峠。月山が目前に大きく広がる。頂上に雲はかかってはいるが、まずは絶景かな。十部一峠までは先日の雪も路面に残って上がったり、下がったり。十部一峠は一割を通行税に取ったのでこの名前だそうです。本当は十部一峠にこんな時期に行ってはいけません。いつ雪に閉じこめられるか・・・。

Aさんは峠でお別れ、肘折温泉に残してきた奥さんを迎えに引き返す。残りの面々はダンプが泥にした道を走って尾花沢へ。走り終えて蕎麦屋で昼にしていると、どさっと雨。パパ氏はこれから関山峠を越えるとのこと。本隊は輪行して、山形からは山形新幹線。


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