●遠くの友人 (2000/7/1 No.1)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
引越しをする。
百平米の家から25平米のアパートへ移る。
ピアノもソファもベッドもタンスも置いていく。
入らないから置いていく。
十年間生活を共にした家具である。思い入れがある。
急に引越すのが嫌になった。
遠くに住む友人に電話した。
失うのは嫌だ。とても悲しいと電話した。すると友人はこともなげに言う。
「私の家に送りなさい。全て預かってあげる。いつかあなたが広い家に移
る時、送り返してあげるから」
すぐ送れという。ひと部屋空けて待ってるという。
私は突然安心し、すべてを諦めた。翌日家具を置いて家を出た。
小さなアパートに越して、小さな幸せからやり直した。
家具や過去がなくても、もっと大切なものを持っていると確認できたのだ。
5年も前の話である。
現在、少しは広い家に移り、ピアノもソファもベッドもタンスもないけれ
ど欲しいとも思っていない。
スペースを持っていたいからかもしれない。
友人の家具や過去を引き受けるような、心のスペースである。


●美観と成長 (2000/8/1 No.4)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
平べったいレトロな植木鉢に焼き鳥の串が3本刺さっている。
そのようなものをプレゼントされた。
盆栽だという。
串ではなく挿し木だと言う。
ちゃんと水をやってくれと言って、押し付けられた。
全く美しくないそれは、しばらくすると双葉を覗かせた。
若葉がどんどん生まれて、気が付けばそれは銀杏の木になっている。
小さいけど一人前に紅葉などもし、落ち葉にもなり、春になるとまた双葉
を覗かせる。かわいいのでせっせと水をやったら、それに答えるように、
せっせと生い茂った。青々と、うっそうと、元気一杯だ。

くれた人が来たので、自慢げにそれを見せた。
「ちゃんと里親をやってる」という自負があった。ところが彼は言う。
「いかんいかん。こんなに生い茂っては盆栽ではなくなる」
数枚の葉を残して切れと言い残して去った。
ああ、そう。
釈然としないけど、私はマンション住まい。木を育てるわけにはいかない。
「ごめんね。こんなに育ったのに」胸に痛みを覚えつつ、切り落とした。
盆栽は美観を優先するためにこうやって剪定する。
見栄えをよくすることは成長を止めることなのだ。

そういうことをしてきたと思う。
きちんと挨拶のできる子供。
失敗したら謝る子供。ものをもらったら即お礼。
ほとんど「お手、わん」の類いである。条件反射である。感情を待たずし
てさせる社交辞令なのだ。
さらに、乱暴しない。散らかさない。騒がない。
そういう見栄えのよい子供を持てば、世間が納得する。親の評価が上がる。
世間を気にして、知らず知らずに、そのように子供を育ててしまう。
しつけという名のもとに、剪定し格好をつける。

私もそのように育てられたし、育てていたような気がして、ふと寂しい気
持ちになった。
子供の成長を止めてしまったのではないかと。
私も成長できなかったのではないかと。
切り落とした枝を花瓶にさしながら、そんなことを考えている。


●椅子 (2001/6/6 No.35)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
専業主婦が離婚に向かう時、まず着手することは何だろう。
財産分与? 子どもの親権争い? 慰謝料? 
私は「職探し」であった。
夜、短期の専門学校に通い、学びながら仕事を探した。
編集の学校で、編集とライターの実習をした。
そこではアルバイトも紹介してくれる。
データを集めるデータマン、アンケートの入力作業、企画書作り。
いろいろやった。同時に「定職」を探した。 

仕事は「書く」ことを条件に、あちこちアタった。
なかなかうまくいかなかった。書きたい人はいっぱいいるのだ。
若くてフットワークの軽い人はスグに決まる。
明日から大阪、ということも可能だから。
私には娘がいるので、そういうことは難しい。
そこで条件を広げた。
プロのライターの家で、ベビーシッターをするという仕事に手を挙げた。
大勢が手を挙げる中、私に即決。若さより年の功が優先された唯一のアル
バイトだ。初日の朝、自分の娘が熱を出し、結局行けずにクビになった。

子持ち女は使いづらい。採用側の気持ちはよくわかる。
約束を果たせない申し訳なさと、高熱でハアハア苦しむ娘との狭間で
私は幾度両手を挙げただろう。「お手上げ」だ。
核家族で子育てをすれば、気の遠くなる程のアキラメを強いられる。
ひとり親家庭は尚更だ。
自分のツモリや期待はすぐ捨てる。気持ちは切り替えればいいの。
代わりのきかないところに居よう。それが選択基準だ。
私は子持ちだし、自ら選んだ現実だし、いたしかたない。

ゴーストライターの話もあった。
芸能人の著書の実質執筆者であるゴーストは、名前は表に出ないが評価は
される。某芸能人の母親の子育て記という仕事だった。
もう私で決まりという段になって、有頂天で行ってみると
マンションの細長い1室にオジイサンが独り背中を丸めて、
「君の文はどーでもいい。クライアントを紹介してくれ」と言う。
「もといた会社にコネはないか」と言う。走って逃げた。

ある日事務職のクチを紹介された。ワープロが打てればいいらしい。
面接に行くと「もうその話はナシ」と言われた。
ビルを出ると有楽町の空は晴れていた。

紹介してくれた人に電話をいれた。
「せっかく紹介していただいたのに駄目でした。ごめんなさい」と。
「残念だったね。今からこっちへ来ない? お茶でも飲んで、少し休んで
行きなヨ」と言ってくれた。地下鉄に乗りその人の会社へ行った。
会うのは十年ぶりで、その会社を訪問するのは初めてだ。
以前職場が一緒だったことがあり、賀状をヤリトリする程度の知り合いだ。
オフィスに通されて、冷たいお茶をいただいた。
世間話をした後、唐突に「明日からウチに来てみる?」と言われた。
そのヒトは部屋のスミの椅子をひとつかかえて
「もしそうなったら、これがJUNちゃんの椅子」と言う。

「ここがデスク、ここが荷物を置く所、これが鍵…」と次々言うのだが
あとはもう、よく聞こえなかった。
私はその時、気付いたのだ。
さっきまでの自分が「かわいそうだったな」と。
今この瞬間の私には「JUNちゃんの椅子」がある。
1分前の私には、どこにも椅子がない。家庭にも社会にも椅子がないのだ。
不幸だと感じたのは、不幸が終わった直後だった。

あくる日からその椅子は私の椅子になり、2年間座り続けた。
後に新しい椅子を求めてそこを巣立つが、その椅子は私の中に存在し、
なくなることはない。相変わらず仕事につまずき、挫折を繰り返す毎日だ
が、それでも私は絶望しない。
この十年、私には様々なことが起こり、再婚もしたが、
「JUNちゃんの椅子」という言葉より嬉しかったことはない。

探し回って疲れた人に、さっと差し出せる椅子を
いつか私も持てるだろうか。
今はせめて私の文章が誰かの椅子になってくれればと願う。


●郵便受けいっぱいのニンジン (2001/11/3 No59)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
小さなアパートで娘とふたりで暮らしていた頃。
それは心細くて、明るくて、可笑しい日々だった。

広い家から移ったため始めは狭く感じたが、狭い分だけ寂しくはない。
2階の南東の角部屋で、壁より窓の面積が広いようなツクリで、
眩しいほどの明るさ。入居した日に「そばかすが増えるぞ」と覚悟した。
トイレにも風呂にも窓がある。入浴中、月が見える。
大雨の日は室内にも雨が降る。天気密着型住居だ。
角部屋と言っても、全室角部屋のアパートである。
中央に階段があり、左右に1軒ずつの2階建て。4軒しかない。

娘は転入してすぐに友達を連れてきた。
もともと私は、子供達を家に招き、お泊まり会なんてやってしまう、
そういうのが好きなタイプの専業主婦だった。
失業中の母子家庭という状況下で、コチラとしてはチト受け入れ体勢が
変わったワケだが、娘は意に介さず連れてくる。無邪気である。
対し今どきの小学4年生の少女たちはマセている。
床がコの字型にえぐれてる、形ばかりの玄関を見て、
「オトウサンの靴はどれ?」と言ったりする。

娘は近所の子供達と、よく泥遊びをした。
中学に入る前まで土で遊んでいた。のどかな風景である。
大家さんが空いた土地30坪を「好きなように使って」と提供してくれた。
そこで子供達は蟻の巣を探し、私は花壇を作った。

再就職がうまくゆかず、かからぬ電話を待つのが辛くなると、
外へ出て草むしりをし、土をこねた。
「今、電話がかかってるかもしれない。でも私は土いじりで忙しいから
出られないの。留守電に入れておいてくださらない?」
なんてつぶやきながら、雑草を抜く。
背後にいつのまにやら大家さんが立っており、「これでも植える?」と
ニラの苗をくれた。
まつばぎくの横にニラ。もちろん夏にはひまわり。それが私の花壇だ。

アパートの周囲はニンジン畑で、ふさふさと柔らかい黄緑をゆらしている。
ある朝早く、我が家の玄関の前に、まだ小さくて細いニンジンが、
畑から抜かれた状態で2〜3本、落ちていた。
ゾクッとした。夜中に誰かがここに来たんだ。
そこは通り道ではない。我が家へ用のある人のみ入る場所だ。

夜中に玄関前にニンジン。それがたび重なって、私は怯えた。
薄いドアに鍵1本のセキュリティーである。
おんなこどもで住んでいる。
変態男の仕業ではないか。突然襲われたらどうしよう。

その日の朝も、ニンジンが2本、くたっと落ちていた。
嫌な予感がした。
一階へ降り、郵便受けを開けると、中からザザッと土があふれた。
郵便受いっぱいに、泥だらけのニンジンが詰まっている。
唖然とした。
誰が、どういうつもりでこんなことをする? しかも夜中に。
土はぎゅうぎゅうに詰まっており、その状態で郵便受けの扉を閉めるのは
至難の技に思われ、ここまでするエネルギーは尋常ではないと感じる。

世間を騒がす恐ろしい事件の数々が脳裏をよぎる。
膝ががくがくした。すぐに交番に走った。
警察官は、夜間の見回りを強化すると請け合ってくれた。

帰ってきて大家さんに報告すると、心当たりがあると言う。
「それは隣のアパートの女の子の仕業だと思うわ」
そこも大家さんのアパートなのだが、契約時は日本人男性名だったのに、
実際にはフィリピンパブで働く女性が小6の女の子と暮らしていると言う。

その親子には見覚えがあった。おかあさんはカタコトの日本語で挨拶する。
女の子は娘と同じ小学校に通い、日本語が流暢だ。

近所の人の情報で、夜中にその女の子が我が家の玄関先を
うろうろしていたことが判明した。

大家さんは言う。
「あそこは、おかあさんが夜働いて、夜中に男の人と帰ってくる。
男の人がいる間、あの子は畑でぶらぶら時間を潰しているの。
夜一緒におかあさんといられるあなたの娘さんがうらやましいのよ。
洗濯した清潔な服で毎日学校に行く娘さんが、うらやましかったのよ」

はっとした。
ニンジン畑から我が家の窓はよく見える。
外が暗い夜には、ふたりで笑いながら食事する様子が見えただろう。

私達はオトウサンのいる家庭がうらやましかった。
女の子は私達のことがうらやましい。
私は自分の価値観がひどく一辺倒で小さなものだと実感した。
幸不幸なんて、ふわふわした、実体のない、気分みたいなものだ。

交番へは「ただの子どものイタズラでした」とだけ報告した。
あれこれ考えた挙げ句、小学校の先生に相談してみた。
「6年生の女の子が夜中にひとりで外にいるので心配だ」と。

ニンジンは見かけなくなった。
おかあさんと一緒に過ごせるようになったのだろうか。
おかあさんは困ったかもしれない。

郵便受けいっぱいのニンジン。
無気味で恐ろしかった光景が、今では頼りなく、愛しいものに思える


●連絡乞う。マイ・チャリ (2002/2/9 No.86)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
去年のクリスマス・イヴに私の自転車は消えた。
自宅マンションの駐輪場で、鍵もかけてあった。
あんまりアッサリとなくなってしまったので
「私ったらどこかに置いてきちゃったんだっけ」
なんてアレコレ考えたけど、鍵は自宅にちゃんとある。
鍵がかかったまま、こつ然と自転車は消えた。
紛失ではなく、盗難である。

交番へ行った。
自転車泥棒は2パタンあるそうだ。
パタン1 高価格の自転車を狙って盗み、売る。
パタン2 ちょっと便利に乗って、乗り捨てる。

私のは明らかにパタン2である。
もう十年乗っており、車体はゆがんでいる。
磨耗したタイヤと、アシンメトリーな前カゴが貧相この上ない。

警察官は被害届を作成するため、あれこれ質問する。
「その自転車、価格にするとどれくらい?」
ウーンと考えた末、「五千円」と答える。
五百円でも売れないボロ自転車だけどね。花を持たせてあげたいの。

「名前書いてある?」と聞かれ、言葉に詰まる。
自転車を購入してからの十年間、私の人生は急変した。
離婚し、再婚し、名前がくるくる変わった。
そのたびマジックで斜線を引いて、新しい名前を書き込んだ。
考えてみると既に盗難自転車っぽかったワケである。

自転車の車体の極端なゆがみには原因がある。

結婚生活が破綻し、家を出る時のことだ。
3人の家から2人分の家具を持ち出す引越しというのは、単純ではない。
前日までに「運び出す」家具と「そのまま置いておく」家具に分別し、
それを明日来る引越屋さんが一目でわかるようにしなければならない。

たくさんの白い紙を用意した。
それに太マジックで「運ぶ」と「そのまま」と書き分け、
それぞれをすべての家具に貼りつけた。
びらびらと紙が貼られた家具に囲まれて一夜を明かした。
奇妙な高揚感のある夜だった。

当日は、見積り通りの小さなトラックが来て、次々作業は進み、
「運ぶ」家具をすべて積み終え、最後に自転車が残った。
迷ったが、持って行くことにする。

トラックはすでにいっぱいである。
「自転車は無理ですよね?」と遠慮勝ちに言うと、
「いやいや、大丈夫。やってみるよ」と職人気質の引越屋のボスは
快く胸をたたいてくれた。

自転車はトラックの運転席の上にくくりつけられた。
するとね。
まるでトラックがサングラスしてるみたいに見える。
いェい! ハジケてるゼ。
その引越はせつないものだったが、ココだけ、まぶしいほど明るい光景だ。

千葉から東京横断の旅で、自転車はゆるやかに歪んだ。
風圧を全身で受け止めたのだ。
ごくろうさん。涙ぐましい気持ちで迎えた。
それから私の足として、目一杯活躍してくれていた。

一度、駐輪禁止の場所に置いてしまい、撤去されたことがある。
集積所に取りに行くと、鎖につながれて、うなだれていた。
撤去料を支払い、受け取って乗って帰る時、アレッと思った。
車輪の回転が軽快で調子がいいのだ。
…気のせいかしらん。
主人のもとに戻って嬉しいという感情が、自転車にもあるのだろうか。

今回もひょっとして集積所に届いてないかな、と思い、行ってみた。
たくさんの撤去自転車の中に、私のものは見当たらない。
あきらめて帰ろうとした時、ふと目に入った光景に思わず足が止まる。

集積所の隅に、撤去自転車を磨いている老所員の姿があった。
ルール違反で撤去された自転車を黙々と丁寧に磨いている。
油染みたボロ雑巾を手に、時々、車輪をカラカラ回して、
ゆっくり、しっかり、調子を見ている。

気のせいじゃないんだ。
あの時、手入れされて乗りやすくなった自転車を受け取っていたんだ。

胸が熱くなる。

撤去自転車は引き取り手がないものが多いと聞く。
一方で、ただ黙々と手入れして、受け取りを待ってくれている人がいる。

大袈裟だけどね。
私はこんなときに、生きてて良かった、と思う。
自分もガンバラナクッチャ、と力がみなぎるんだ。

こんなシーンに遭遇できたのも、イヴに自転車が消えたおかげね。

ボロだけど、愛着がある。
ボロだから、他の人には価値のないものだ。
…いったい、どこにいっちゃったのかしらん。
ひょっとして、家出? 連絡乞う。


●ノンくるくる宣言。 〜お仕着せの効用〜 (2002/5/21 No.107)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
回転寿司が好きだ。

もともと寿司が好きだが、注文して握ってもらうような
本格的なやり方は気疲れする。
私は子どもっぽい味嗜好だ。本格的寿司屋で
「玉子、それとサラダ巻き、あなご」なんて注文するものだから、
「ちっとはナマもの食いねえっ」と職人に注意されたりする。

すると桶での注文になるが、それではお仕着せの内容になる。
イカや貝は苦手だ。
カッパ巻きよりかんぴょう巻きがいい。
そんなワガママな気持ちを誰にも迷惑かけずに解消できる。
それが回転寿司のメリットである。

最近ふと気付いたんだけど。
ここ何年、赤貝を食べてない。
ホタテもイカもタコも、寿司ネタとして口にしていないのだ。

『並にぎり』の場合、イカもタコも食べた。
『上にぎり』の場合、ウニもイクラも食べた。
そこ(桶)にカッパがある限り。胃の腑に納める。
そう好きではなくても、あればなんとなしに食べ、
それなりにおいしいと感じたものだ。
「大好きな玉子の伏線として、まずカッパを食べて」というような
普通とお楽しみのメリハリ、みたいなものも味わえた。

回転寿司では、常に好きなものを食べる。
好き好き好き、オール好き。私好みに終始する。
少しでも気に沿わなければ、手を伸ばさず、口にもしない。

…排他的である。
現代人の生活は今、すべてがこういう具合になっている。
選べる時代の幕開けだ。…遺伝子だって選ぶのだ。

「選べる」ということは、21世紀的には、正しいことであるようだ。
意志的な感じがして、自由民主主義的で、進歩的である。

でも、それが人生を良くするとは、私には思えない。

「選べない」という状態を正当化する論法は、ちょっと難しい。
私の思考力、文章力では無理かも…。うまく説明できるかな。

あくまでも「感覚として」そう思うのだけど。
お仕着せを受け入れる経験は、無駄にはならないと思うの。
こだわらないで、いったん引き受ける。
その精神は、豊かで柔らかい。
お仕着せを受け入れ、経験した先に、
真に「選ぶ」力が備わってくるような気がするの。

初めから用意された自由は薄っぺらい。
努力して、「選ぶ自由」を少しずつ獲得してゆく。
それがオトナになるってことじゃないのかな。

「選ぶ」という贅沢は、「ここだけは譲れない」という、
自分にとり大切な何か、にこそ必要だ。

チョイスしたものばかりで埋め尽くされる人生って、怖い。
食べ物、音楽、家族、友人、学校、髪の色から鼻の高さまで、
全部自分好み。気に入らないものは触れもせず、切り捨てる。

それは人生バイキングシステムだ。
「嗜好の引きこもり」であり、ひいては「思考の引きこもり」へと向かう。

食わず嫌いで口にせず、いつかフト好きになる瞬間を逃し、
不快感も、驚きもない、当たり障りのないシンプルライフは、
まるで盆栽だ。…私は盆栽より雑草でいたいな。

イカ、食べてみようっと。


●言語を獲得しよう (2002/6/11 No.110)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
4つ年上の兄が小学校に入学した時、字が書けなかったのは
クラスで兄ひとりだった。
「字は学校で習うもの」と思っていた母は、入学準備にランドセルを買い、
準備万端の晴れがましさで、息子を学校へ送り出した。
素直で正しい認識の持ち主である。

初めて息子が持ち帰った国語のテストが5点。
これはショックだったらしい。母の認識は、若干のゆがみをきたす。
このテストは我が家における重大ニュースのひとつだ。

問題は「反対ことばを書きましょう」というもので、
(問1)うえ → (答)した
と答えるべきところを、兄は、
    うえ → えう
と書いた。母が素直なら、兄も素直である。
    みぎ → ぎみ
   あつい → いつあ
  みあげる → るげあみ
すべてこう答えた。最後に一つ、漢字の書き取り問題があって、
なんとか5点を獲得したわけだ。

95点ぶんの×をつける時、教師はどんな気持ちだったろう。
返されたテストを見て、兄はどう感じたかしら。
「ハメられた」ような「膝カックンされた」ような、
世間に対する猜疑心が生まれたのではないかと思う。

当時住んでいた団地では、子供達の間で「サカサマ言葉」が流行っていた。
自分の名前を下から読んだり、「遊ぼう」を「うぼそあ」と言ったり。
兄がそう書いてしまう動機付けは十分である。
普通、やらないけどね。

妹の私から見ても、兄はなんとも不器用なところがあった。
舌足らずで誤解されたり、普通の行動ができなかったり、
社会適応能力に欠けている。

病院で注射される直前、診察室の机をひっくり返す、
なんてこともやった。「イヤだ」と泣けばいいのに、妙な子どもだ。
医者が「すごいチカラだ。風邪はもう大丈夫だ」と感心したと言う。

生まれてからずっと一緒にいた私は、そんな兄に妙な底力を感じていた。
積み木遊びをする時の発想力、気の遠くなるような持続力。
すぐに飽きて、別の遊びを始める私には、
ひとりで黙々と積み木を重ねる兄が無気味に思え、
目に見えない不思議な力を感じていた。

兄は勉強ができない、体育も苦手な、ぱっとしない子どもで、
転校すると1週間は布団から出られず、馴染むのに時間がかかった。

そんな兄が変化したのは中学に入ってからだ。
英語と出会って、人が変わった。

学校から帰ると教科書を放さず、ブツブツ英文をとなえる。
ウロウロ部屋を歩きながら、ブツブツ(ペラペラとは聞こえない)。
そのうち寝言までが英語になった。

兄の勉強法は、参考書も問題集も買わず、教科書を買う。
支給された教科書と同じものを買い、1冊は綺麗なまま、もう1冊は書き
込みをして、その2冊を大事そうに持ち歩いた。

それからの兄は、どの教科もできるようになり、明るく、よく笑い、
社会適応能力の高い人間になった。
英語の弁論大会でトロフィーを貰い、大学のESSで幹事を務め、
就職すると海外へ赴任し、現在はアトランタに住んでいる。

ひとり淡々と積み木を重ねていた幼い兄の横顔を思い出す。
思いはたくさんあるのに、うまく言語化できず、周囲に理解されず、
自分で自分の考えすらよくわからない、じれったい少年期。

英語と出会って、英語でものを考えた時、
初めて世の中のしくみが、はっきりと飲み込めたのだ。
兄の脳には、日本語が馴染まなかった。
英語が彼の言語であり、英語を通して思考すると、
するすると物事が明確に見えてくるのだ。

英語を修得してから日本語が流暢になった。
青年期以降、兄は冗談をトバしながら周囲と溶け込んでいる。
私には奇跡のように思える。

日本にいる「できない子」の中には、
日本語が脳の働きの邪魔をしてる場合があるのではないか。
その子の脳に合った言語を与えると、するするっと理解でき、
潜在能力がワーッと発揮されるのではないだろうか。

「自分の言語」というのは、英語だったり、広東語だったり、
音楽だったり、絵だったり、粘土だったり、走ることだったりする。
人それぞれ、自分と外界を結ぶ媒体は、違っているのだ。
「なーんか私って、ナカズトバズだわ」と思ってる人は
まだ自分の言語に出会っていないだけかもしれない。

人が自分の言語を獲得した時の、解放感はすばらしい。

ちなみに私の言語は日本語であり、書き言葉である。
書くことで解放される。
…出会ってるのにナカズトバズなのは、能力の限界ってことかな。

私は英語を通すと途端に自閉する。手足がうまく動かないような、
妙ちきりんな気分になるから、残念だ


●ヒーロー。なりたい人がなれる人。 (2002/7/1 No.113)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
以前書いた文章を、読み返すことがある。
紹介記事や、コラムやレポート、エッセイ。
発信したものもあれば、お蔵入りのものもある。

ふと読み始めたらスッと入り込み、吾に返ると半日過ぎている。
「シマッタ。仕事してないぞ」とアセるが、
そういう時間はあったほうがいいみたい。

自分が書いたものを、何故飽かずに読めるかというと、
それ(作品)は私であって私ではないからだ。
「えっこんなふうに思っていたの? 私って」とびっくりする。

例えば今お読みの「ぶんぶん便」。
これ嘘イツワリ無しのノンフィクションだ。
自分の経験なのに、スッカリ読者の気分で、
「言い過ぎとちゃうか?」とハラハラしたり、
「ふーむ。なるほどね。元気をアリガトウ」なんて思う。
シアワセなヒトである。

文章の私は、強い。
割り切りが早いし、ものをズバズバ言うし、公明正大、
正義の味方っぽい。攻撃的ですらある。

別の媒体ではペンネームで書いているが、情報誌なのに
「我」が出てしまって、暴走する。
で、反感たっぷりのお便りをいただいたりする。
一瞬へこむが、形状記憶ですぐ元通り。暴走は続く。

私の文章を読んだ人と、後に顔合わせ、という場合、
相手は拍子抜けの顔で「小柄ですねえ」なんて言う。
文章から、骨太な女丈夫を想像するらしい。
実際の私は小さめで、声も小さめ、態度も小さめ、
ふわふわほよほよ、ぼんやりしている。

「JUNKOの頭」とかけて「観覧車」と解く。そのココロは?
「回転がゆっくりすぎて止まって見える」…なんてね。
ぶんぶん便のキャッチ「ぶんぶん頭をフル回転」なんてまあ、
嘘ばっかし、って言われそう。

「JUNKOの頭」とかけて「コマ」と解く。そのココロは?
「回転が早すぎて止まって見える」
あ、それそれ。そう思ってください。

ぶんぶんズバズバ書く私と、ふわふわほよほよ存在する私。
どちらが本質かというと、…どちらもだ。

私は打たれ弱い女。迷ったり泣いたり、へこんだりする。
しかし、いやそれだけに、強い自分が好き。
自分の中のかすかな強さを最大限に引き出し、つっぱってみる。
正義の味方が好きだから。正義の味方になりたいと思う。

理想は思想である。文章に表れる。

理想を掲げたら、それはもうその人の本質である。
ヒーローに助けてもらう「姫」ではなく、「ヒーロー」になるんダ。
そう思った途端、もうヒーローなのダ。

世の中はヒーローとヒーローを待ち望む人で構成される。
5歳の子どもの世界にも、広いオトナの世界にも、
ヒーローはいるし、待つ人はいる。
強い人がヒーローになるんじゃない。
ヒーローになりたい人がヒーローになる。
待つ人の期待に答え、自分の理想に答え、ヒーローに「なる」んだ。

そういうコトが描かれている映画『ピンポン』。
夏公開のスポーツ青春映画だ。

ワクワク、時々ゲラゲラ、ところによりジン、とくる。
降涙(こうるい)確率は10%。ハンカチは必要ありません。

「恋愛」の味付け無し。そんなもの要らないからね。
ヒーローと待ち人。これをテーマに真っ向勝負だ。

…おそらく作り手の意図は別にあるんだろうけどね。
一回観たくらいじゃ、ワカランからね。
私はソウ解釈したのだからソウ言い切っちゃう。

観てね! もれなくJUNKOの太鼓判付き。
ヒーローも、待つ人も、観ると救われる。
どっちにしよっか。自分のこれからを迷うのも楽しい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
       ★ JUNKOの シネマ de ぶんぶん ★
――――――――――――――――――――――――――――――――― 
『ピンポン』ビデオ・DVDともに販売、レンタル中
原作/松本大洋『ピンポン』ビッグコミックスピリッツ
監督/曽利文彦
脚本/宮藤官九郎
出演/窪塚洋介、ARATA、サム・リー

●感想ぶん
漫画チックな卓球シーンはスカッと劇的に愉快!
SF映画のCGにはウンザリの私も「こういう使い方もアリね」と
映像技術のチカラに脱帽だ。
「誰が本当のヒーローか」
話は二転三転し、予想を上回る超ホットなラストへ突入する。
CGに負けない丁寧なストーリー展開だ。
脚本家宮藤氏のセリフは21世紀の青春哲学!
要注目は、脱力系好男子、ARATAクン。人気沸騰の予感です。

超お薦め写真(いい男並び)を観たい方はコチラ
        ↓
http://homepage1.nifty.com/jyk/js12.html