■夜のひまわり (2000/10/01 No.10)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
今はもう私の背丈を越した娘が、7歳の頃のことである。
夜中の1時頃、「眠れない」と言って私の布団を揺する。
「眠れない。ごめんなさい、眠れない」と繰り返し言う。
起こしてごめんなさいのつもりなのだろう。大丈夫、私は起きていた。
私も眠れずにいたのだ。娘が眠れない理由も、聞く必要などなかった。
私は娘の手を引いて、近くの公園に行った。
昼間の喧噪が嘘のように静かな夜だった。
バケツやシャベル、三輪車や縄跳びが雑然ところがっていた。
それは昼の残像だ。残像は私達を暖かく迎えた。
おいてけぼりだなあ。
三輪車も、私も娘も、幸せのおいてけぼりをくったみたい。
なんだか笑えた。
娘とぶらんこに乗った。すると夜空が見えた。
夏の夜空は深い藍色で、きらきらと星が賑やかだった。
地上の寂しさを笑うみたいに輝いていた。
娘は何も言わずに、きいきいと揺れた。
その頃、私達はふたりでいるのに慣れていなかった。
3人がふたりになる。それだけのことだが、勝手が違った。
当時娘は泣きもせず、何も言わず、ただ、眠れないと言って、少し痩せた。
突然娘はぶらんこを降り、たたた…と花壇に駆け寄った。
そこにひまわりが咲いていた。
「夜もいたんだね」
ちいさな発見だった。
昼間見かけたひまわりが、夜もそこにいる。
そんな当たり前のことが、私達にはひどく新鮮だった。
ひまわりは楽天的だ。昼も夜も関係ないさと、まっすぐに立っている。
太陽も似合うけど、夜の闇もよく似合う。
太陽がないのなら、太陽になってやる。そんなつもりなのだろう。
ぴかぴかしていた。
このようにありたい。私の心は方向性を見つけた。
それから毎日のように夜のひまわりを見に行った。
ふたりの公園通いは案外楽しいものだった。
秋になり、ひまわりも枯れて、娘は熟睡するようになった。
■風に乗る (2001/7/10 No.40)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
推定年齢タラちゃんくらい。
雨の振る日に傘をさし、すべり台の上から落っこちた。
遠くで見ていた母の目には、幼い私が転落するように見えたらしい。
事実は少し違う。
私は落ちたのではなく、飛んだのである。
当初の目的はすべって降りるというコンサバチブなものだった。
雨の中、傘をさし、ハシゴ式の階段を昇った。
昇りきった時、ふわりといい風が吹いた。
傘に抵抗感を感じる程度の、強くて優しい風だった。
ふと、風に乗れる気がした。その瞬間、風に身を任せ飛び下りたのだ。
夢は一瞬にして破れ、私は地面に叩き付けられた。
背中をしたたか打ち、激痛が走った。
半狂乱で駆け付けた母親に「風に乗った」とは言えない。
痛い。傘は折れた。けど涙は出ない。
夢からさめる時、人は不思議な、きょとんとした気分になる。
その性格は治らない。
私の人生は、ふとその気になって、夢からさめるの繰り返しである。
さめた時のきょとんとした感じも同じで、
悲しいくせに最初からわかっていたような気もする。
あの時折れたのは傘だったが、大人になるにつれしばしば骨も折った。
ただその、風に乗る瞬間の躍動感はすばらしく、凝りもせず身を任せてし
まう。その時の思い切りの良さは格別で、普段の優柔不断な私ではない。
風に乗る。
その一瞬の為に生きているような気もする。
■しゃべらない友人 (2000/10/11 No.11)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
中学時代、しゃべらない友人がいた。
いつも笑顔だったから、暗い印象はない。話しかければ頷く、もしくは首
を横に振るかで返事をするから、学校生活に支障はない。スッとした綺麗
な顔をしていた。だからだろうか、いじめられることもなかった。
ある日私は5人の女子グループに呼び出された。
5人は私を取り囲み、決して手は出さず、外見の特徴をあげつらって、げ
らげら笑った。
「ブス」、「平面顔」、「でこっぱち」、「鼻ぺちゃ」、「寸足らず」。
「見てるだけで不愉快」、「みっともない」、「ちび」、…えとせとら。
すべて心当たりがあることだからひとことも言い返せない。
ショックで言葉を失った。
私の顔から血の気が失せたので、やばいと思ったのだろう。
「あんたは一生もてないけど、ひとりくらい好きになってくれる男がいて
結婚できると思う」と締めくくって攻撃は終わった。
今思えば笑える。
当時イジメという言葉はなかった。
いじめられた認識などなかったし、今もそうは思っていない。
「ハッキリものを言われた」という強烈な印象が残っている。
自分が醜女だということを私はこの時初めて知った。
未成熟だった私はそれまで自分の容姿に何の感慨も持っていなかった。
癌告知には及ばないが、ブス告知も相当にコタエる。思春期だから尚更だ。
ふらふらと教室に戻った。放心状態だったと記憶する。
放課後の教室にはしゃべらない友人がひとり本を読んでいた。
「そんなにブスかなあ、私って」と話しかけてみた。他に誰もいなかった
もので。
「人が不愉快になるくらい、変な顔かなあ」独り言のつもりだった。しゃ
べらない友人だから。すると彼女は突然私の目を見据え、
「そんなことないよ。そんなこと言う奴こそいじわるでブスだ」と言った。
大きな声だった。そして私を呼びつけた5人のことをひどく悪く、罵った。
本気で怒って、まくしたてていた。
しゃべらない友人がしゃべるのを見るのは、それが初めてだった。彼女の
イキオイにびっくりした私は、先程の告知などモウすっかり忘れていた。
私達はにっこり笑って、親友になった。
今でもつき合っている。
相変わらず無口だけど、話は面白い。
■ふたりという孤独 (2001/4/11 No.29)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
25歳で娘を産んだ。病院で、医者も看護婦もいたが孤独だった。
夫も両親もいたが、そういうことは意味を持たない。病室の天井を見つめ
ながら感じた。これからはふたりきりだと。娘を産んで、ひとりがふたり
になって、ふたりという孤独を抱えたような気がした。
不幸ではない。ただ、それまでの、単体でいながら大勢に包まれた人生か
ら、ふたりという静寂に変化したのだ。
もしそれを不幸と感じる女がいたら、孤独に耐えられず、実子への虐待へ
走るかもしれない。そのあたりに虐待事件の解釈の糸口があるのかもしれ
ない。子供は増えれば増える程、理屈として賑やかになる。一方で母子の
孤独は深まる。母親は内へ内へと追い込まれる。
2月15日に、『ショコラ』を観た。文字通りチョコレートの映画だ。
バレンタインの翌日だから奇妙な感じ。一般公開はGWになる。
バレンタイン商戦に便乗しないところが、この映画を深く理解している上
でのプロモーションだと思う。日本のお子ちゃま行事に乗せず、キチンと
観て欲しいのだ。
舞台はフランスの小さな村。戒律に支配されたその村に赤いコートを来た
母娘がやってくる。母娘はチョコレート・ショップを開き、村びとにチョ
コレートのおいしさを伝えていく。チョコレートは甘い誘惑であり、人生
の喜びである。ひとりひとりの心を開き、ひとりひとりの人生を変えてゆ
く。…というおとぎ話だ。
アメリカ映画には珍しく、受け取り方に余裕のある作品である。快楽の必
要を感じる人もいれば、女の強さを知る人もいる。男女の愛を思う人、
チョコレートを食べたくなった人。感銘を限定されず、自由に持ち帰るこ
とができる。そういう意味で極めてヨーロッパ的な作品である。
監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』、『ギルバート・グレイプ』、
『サイダーハウス・ルール』など、定型に捕われず、万人の心に響く作品
を作るラッセ・ハルストムだ。
私は私の解釈で、この映画を今年1番と決めた(早すぎ?)。
母娘関係に気持ちを絞って観る。自由で、博愛主義の母ヴィアンヌは一見
人格者に見える。強く優しく、自由で魅惑的な女。娘アヌークをひとりで
育てる賢母でもある。その実、娘に支えられ、やっと立っているのが、透
けて見える。博愛主義の仮面の下はエゴイストなのだ。自分の流儀が破綻
をきたすと、パニックを起こす。百か一なのだ。
それは、わらわらと現れる女の正体であり、私の正体でもある。
だから、この映画は私にとり衝撃的だった。
夫がいてもいなくても、私の人生はずっとふたりという孤独の中にあり、
今も変わらない。そして私の娘への愛はヴィアンヌのように自分勝手なも
のだ。ふたりきり、という意識は私だけがもつ、私の見る風景であって、
娘には娘の世界があり、父がいて母(私)がいて、友がいて、環境があり、
暖かく賑やかな風景に違いない。そうあってほしい。
孤独は、母特有の感情なのかもしれない。もしくは私特有の感情であり、
この映画はそういうことを言うものではないのかもしれない。
が、私はこの映画に母親の孤独とエゴイズムを観て、胸が熱くなった。
その感動をそのまま持ち帰ることができた。それを邪魔するような、押し
付けがましい示唆はいっさいない。そこがこの映画のすばらしさだと思う。
試写を観た後、エレベーターの中で誰かの腹の虫がグウ!と鳴った。
「きゃあ、私かしら?」と老婦人が言うと、「イエ僕です」と背の高い青
年が自首した。「お腹すいたなあ」と別の若者が言う。奇妙な連帯感がそ
こにあった。観た人をナゴヤカにし、お腹が空いてくる映画だ。そういう
観方もできる。孤独と対面した気分の私も、ほほえましい気持ちになった。
『ポネット』で注目を浴びた少女が「変ちくりんな天才子役」になってお
らず、母の孤独を埋める柔らかで透明な少女を好演している。
ショコラ 全国松竹系 4月28日〜
監督/ラッセ・ハルストム(スウェーデン)
出演/ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップほか
■ワンダフル・フォーティ (2001/7/17 No.41)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
子どもが、いっぱい。
1歳児から小学校高学年まで、うじゃうじゃ、
泣いたり笑ったりしながら飛び回っている。
公民館の食堂での話。
私は友人と珈琲を飲みながらしゃべっていた。
すると7歳くらいの女の子がひとり、テーブルの周囲をかけまわり、
ふざけてころんだり、大騒ぎしている。
親は見当たらない。
珈琲がこぼれて、火傷でもしたらどうしよう、と思う。
女の子と目が合った。チャンス到来だ。
「おばちゃんを見てごらん、首が動くんだよ」と言って、
ユラユラ揺らして見せた。
ドリカムの美和ちゃんが歌う時、よくやるでしょう。
頭部を左右にスライドさせる技である。
女の子はピタッと固まる。
「動いてる!」とつぶやき、目を見張った。
大騒ぎは沈下し、やれやれである。珈琲はおいしいねえ。
女の子の感心する様があまりに真剣で、かわいらしく、
私は得意になり、調子に乗った。
「実はね、耳も動くんだよ…」
すると女の子はいきなり私のオカッパ頭に手を伸ばす。
耳がよく見えるように、私のサイドの髪を耳にひっかけたのだ。
なれなれしい。くすぐったいぞ。ま、いいけど。
さあ見せてもらうぞ、という体勢で、腕組みをして待つ女の子に、
チカラいっぱい耳を動かしてみせた。
「ホントだ! すごい! おばちゃんすごいね」女の子は手を叩く。
芸は身を助く。私はその昔、転校続きの人生を
「初日。首ユラユラ」「翌日。耳ぴくぴく」で乗り切ってきた。
そのイキオイで転校1ヶ月後には学級委員にまで昇りつめたものさ。ふっ。
「鬼太郎の父の声マネ」は秘密兵器だ。
仲間はずれされたときのために、とってある隠し技である。
周囲が静かになり、再び友人とおいしく珈琲を飲んでいた。
するとトントンと肩を叩かれる。
振り返るとさっきの女の子が、仲間をずらり引き連れており、
「この人、首が動くんだよ」と指を差したりしている。
まあ、いいんだけどね。
女の子の顔をたてるべく、首ユラユラ、耳ぴくぴく、をやってみせた。
歓声があがる。悪い気はしない。
女の子も誇らし気である。よかったね。
「どうして動くの?」 女の子が聞く。
「40歳になったからだよ」 神妙な顔で答える。
「30歳では動かなかったの?」
「そう。40歳になったら、急に動くようになったの」
うそうそ。7歳から動いてた。
ま、いいじゃん。40歳でひとつくらいイイコトあったって。
イイコトってほどでもないか。
ホントは首が回るようになって、ローンを完済したいところだ。
友人が横から「40になると、あちこち体が動かなくなってくる変わりに、
耳が動き始めるんだよね」と、ちゃちゃを入れる。39歳はいい気なモンだ。
足で蹴飛ばし、黙らせる。
他の子はとっくにいなくなったのに、女の子はひとりじっと考えている。
考えているように見えたけど、動かす努力をしているらしい。
そしてぽつりと言った。「早く40歳になりたいな」
見所ある子だ。そう、40歳はすばらしいんだよ。
■愛しのサンドイッチマン (2000/09/11 No.8)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「結婚したいです」
初めて求婚されたのは小学1年生の時だ。
こう言っちゃうともてるみたいだけど、その後はさっぱりである。
なので、そういう具合に成長したということだ。
その男の子のルックスは絵に描けるくらいはっきり覚えている。
色白でぽっちゃりした体つき、髪はうす茶でくるくる渦をまいており、
キューピー人形そっくりだ。
名前もフルネームでしっかり覚えている。数少ない女の栄誉だもんね。
ここでは仮にトシくんと言っておこう。
私は転校生だった。初日の放課後、所在なく座っていると前の席のトシく
んが振り返った。ニコニコ笑って「家まで送るね」と言う。
一緒に帰ろう、ではなく、家まで送るというのだ。
言葉の真意はすぐわかった。
彼は私のランドセルを指差し、「僕が持つ」と言うのだ。女の子の荷物を
持つ。「送る」という表現がぴったりである。
彼はまず自分のランドセルを通常通り背負い、次に私の赤いランドセルを
反対側、つまりお腹に抱え、背負いベルトを両肩に引っ掛けた。
サンドイッチマンスタイルだ。そうしてテクテクと私の横を歩いた。
おしゃべりするわけではなく、石ころを蹴ったり、草を引っこ抜いたりし
ながら、付かず離れず一緒に帰った。
私の家に着くと母親はびっくりして「わざわざありがとう」と言い、縁側
で麦茶を一杯ふるまった。トシくんはそれを素直に飲むと「また明日」と
言って帰る。翌朝「おはよう」と迎えに来る。毎日続いた。
国語の時間に文集作りのため作文を書かされた。
私はその頃から書くことが好きで、何よりも楽しい時間だった。
お題は「好きな人」で、皆1年生らしく、オトウサンや王貞治、鉄腕アト
ムやひみつのアッコちゃんなどについて書いた。私はちょっと背伸びして、
かくありたい、という理想を書いた。
文集ができ、配られたそれを読んで、びっくりした。
「ぼくの好きな人はじゅうんこさんです」というトシくんの作文。
1番好きです、結婚したいです、と書いてあった。
びっくりしたのは、内容ではない。「じゅうんこ」という表記だ。
1年生だし、字を学んで間が無いし、これから勉強するために学校に来て
るのだから、仕方のないことである。そういう表記ミスをされたのは、初
めてではない。が、文集って残るし、よりによってトシくんだし、情けな
い気持ちになった。
その日の放課後、私はトシくんに「ひとりで持てるから」と言って、さっ
さと帰ってしまった。ランドセルがカタカタ、話し掛けるみたいに背中で
鳴った。こんなに重かったのだ。甘やかされた肩が痛かった。
トシくんは特に勉強ができるわけでも、かけっこが早いわけでもない。
その年頃の子どもたちにとっては、それが評価の全てみたいな感覚がある。
彼はただ、筆箱を落とした子の鉛筆を拾ったり、休んだ子への届けものを
引き受けたりした。ささいな、目立たない、普通のことを普通にできる少
年だった。
私のランドセルを持ってくれたのも、好きだからではなく、ちびで痩せ細
った転校生の女の子が、非力で心もとなく見えたからだろう。
今頃になってそう気付く。
セピア色の写真に残る当時の私は、小さくてしかめっ面で気難しい、栄養
失調の猿だ。かっこよさや、すかっとするもの、スマートな行動に憧れる、
東京からきた子どもだった。
ゆるゆるほわほわした暖かいものを心地よく思えるのに30年もかかってし
まった。
■タクシードライバー物語 (2001/10/16 No.54)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
タクシードライバー、という言葉には暖かい響きがある。
初めてひとりで乗ったのは高校生の時だ。しかもただ乗りである。
その日は学校の帰り、中央線で新宿に出て、本屋巡りをしていた。
気が付くと嵐になっていた。気が付くと中央線は止まっていた。
夜もふけ、駅西口のロータリーで私は呆然と立ち尽くす。
タクシー乗り場は行列で、しかも私には数百円しかない。
思考が固まり、ただ豪雨を見つめていた。
すると目の前にタクシーが止まり、運転手が「乗れ」と合図する。
吸い込まれるように乗った。
「中学生かい?」と聞かれる。
中学の時は小学生に間違えられた。大学では高校生に、産後娘をだっこ
しているとベビーシッターに間違えられる私。
「高校生です」と言うと、運転手はふうん、と車を勝手に走らせた。
「あんなところに立っていても、タクシーには乗れないよ」と言う。
キュッと止まり、ドアを開くと
「ここの地下鉄は動いている。早く家に帰りなさい」と言った。
降りると地下鉄の入口だった。タクシーは行ってしまった。
娘が2歳の頃、前の夫は大病をし、完治するまで2年間、
入院、手術を繰り返した。
私は幼い娘の手を引き、1時間半かかる病院へ週に4〜5回通った。
娘をあやしながら電車を乗り継ぎ、病院につくと身の回りの世話をし、
帰りは袋いっぱいの洗濯物を抱えて家路につく。
夫が元気で会社へ行くより、病院に行けば会える、という生活は
時間を共有できる分、それなりに幸せだった。
でも疲れた。疲れ切ってたびたび病院前からタクシーに乗った。
3700円の贅沢なひとときだ。
タクシーに乗ると、たいてい「ご主人病気?」と聞かれる。
病院前で乗った女が、青い顔をして、大荷物で、娘を連れているから、
事情はだいたいわかるのだろう。
私より先に娘が答える。「うん! パパはこしのほねが、ないんだよ」
話したがりの年頃だ。聞きかじったことをつたない日本語で話す。
いったいどんな病気と思うだろう? こしのほねがない。
運転手は「たいへんだねえ」と相槌をうつ。いよいよ娘は話し続ける。
「しゅじゅつで、ほねをくっつけたから、もうじきだいじょうぶなんだ」
「でもだっこはいけないから、だっこ、ってゆわないんだよ、わたし」
自慢げである。
運転手は「そうか、そうか」と言いながらバックミラーで私と目を合わせ
「たいへんだね」と言ってくれる。
タクシーの中で、娘は字を覚えた。貼紙の「ご協力ください」を見て
「ごりらのごだ」と得意になった。
運転手の後ろ頭に向かって夢中で話す娘の横で、私は流れる風景を
ただ眺めていた。
降りる時、「ケーキでも買ってくれ」と言って700円とか、千円とか、
まけてくれる。不思議なのだが、私は病院の帰り、何度もタクシー代を
まけてもらった。もちろん毎回違う人だ。
こういうことは珍しいことだと思う。
私は本当にケーキを買って、食べて、明日への元気を作っていた。
申し訳ないことだが、辞退はしなかった。
好意を無にしない、というご立派な理由ではない。
好意に甘えたかったの。ただもう嬉しかったんだ。
同情ってありがたい。あたたかい気持ちにくるまれることだから。
ある日、今度は私自身が車を運転していると、左後方から追いこした車が、
ガツン、とこちらのドアにお尻をぶつけて、左折した。
ハッとして、車を止め、降りた。
保険のことなど話し合わなきゃいけない、と思った。
が、車は止まらずそのまま行ってしまった。
唖然とした。私の車は見事にへこんでいた。
ただ呆然と立っていると、ププッとクラクションが鳴った。
タクシーが道路の向こう側にずらりと並び、運転手たちがこちらを見てい
る。近くにタクシー乗り場があるらしく、待機しているのだ。
ひとりが降りて来て、私にメモを渡した。
「これ、ぶつけた車のナンバー」と言う。
渡されたメモをじっと見て、まだぼうっとしていると
「警察に電話。通報しなさい、すぐ。そしたら捕まるから」と言う。
私はようやく事態が飲み込めて、通報した。
車はすぐに見つかり、本人が家族と謝りに来て、修理代を払ってくれた。
「気が付かなくって」と言うので、それを信じることにした。
私はこうして、何度もタクシードライバーに助けられている。
だからタクシードライバーは私にとって暖かい言葉だ。
ある日、タクシーに乗ると、運転手が「今日が初仕事なんです」と言う。
50歳くらいに見えたから、転職したのだろう。
「よかったら、もらってよ」と言って、さつまいもをくれた。
ゆでた輪切りのさつまいもを、助手席に山盛り積んであり、
それをビニル袋にふた切れ入れて、手渡してくれた。
転職は、おめでたいことのようだった。
さつまいもは冷えていたけど、心はほかほかした。
奥さんが茹でたのかしら、自分で用意したのかしら。
そんなことを想像するのも楽しい。
タクシーは私にとってお楽しみ袋だ。滅多に乗らないけど、
乗る時は何か楽しいことがあるようで、わくわくする。
■ごめんなさいは90円 (2001/10/23 No.56)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
先日不思議な光景を見た。
パン屋の前で若い女性が老紳士に向かって大声を発している。
女性は首の据わらぬ赤ちゃんをだっこ紐にくくって胸に抱き、
側には幼い少年が不安げに母であろうその女性を見上げていた。
所謂ヤンママである。
黄色い髪にミニスカートを履き大柄で、
塩爺に似た背の高い老人に食ってかかっている。
「アンタ今私のおなかを手で押しただろう。
私がココに立ってるのは、立つ必要があるからだ。
邪魔なら邪魔、って言えばいいだろう!」
塩爺は真っ赤になって店に入り、トレイにパンをのせ始めた。
ナカットコトにするつもりだ。
ヤンママは追い掛けて店に入ると、お腹を突き出して叫ぶ。
「アンタここを押しただろう。赤ん坊を押したんだ。謝れ!」
塩爺はいよいよ真っ赤になった。血管切れそうである。
どうやら店の入口にヤンママが立っており、
パンを買いに来た老人が、邪魔なので彼女を手で押しのけたらしい。
「若いモンが邪魔なところに立ちおって」という老人の無言の抗議が、
押した手を通じて伝わったのだろう。
ヤンママは「入口をふさいで立っていたのは必要があったから」であり
「自分に非がないのに、いきなり責められた」のであり、
「謝ってほしい」のだろう。
店員は口を出さない。
ヤンママは「同じことしてやろうか、なぐってやろうか、おい」
と詰め寄る。老人は何も言わず、ますます赤くなる。
道行く人はみなかたずを飲んでいる。
声をかけようと思った。取り合えずヤンママに対して
「目上の人だから、口のききかたをどうにかしなさい」とでも言うか。
しかし待てよ。
この男性は私にとっても目上だ。大人だ。子どもじゃないんだ。
そういうことは自分で言えるはずだ。私が口を出すのは差し出がましい。
で、口を出さず通り過ぎた。これでよかったと思っている。
彼女の言い分や、やり方は美しくないが、
自分の考えをちゃんと声にして相手に伝えているのは事実だ。
それに対し、老人はきちんと答えるべきだ。
「失礼な。黙りなさい」でもいい。
「入口に立ったら邪魔だよ、馬鹿もん」でもいい。
不愉快を口に出さずに態度で見せつけるのは、よくないと思う。
私は自分がママだった頃を思い出した。
だっこ紐に娘を結わえ、お腹を突き出して歩いた。
階段ではゆっくりだし、お店では場所をとる。
あちこちで邪魔になっている自分を感じた。
娘が泣く。周囲はうるさいだろうと思う。
バスに乗る。昇降に時間がかかって申し訳なく思う。
私はすぐに謝った「ごめんなさい」。なんでもかんでも謝った。
悪いと思っていなくても、発作的に謝った。
その頃の「ごめんなさい」は安い。きっと100円もしないだろう。
私はわが子を守りたかったのだ。
謝ることによって、娘が世間から邪魔物扱いされるのを防ぎたかった。
世間にわが子を「無害なもの」と思わせたかった。
あわよくば「かわいいもの」と認知されたかった。
あのヤンママはそういう方法をとらない。
自分を肯定し、赤ん坊を肯定し、世間に立ち向かってゆく。
そういう母性の形なのだ。
あの口汚いセリフと光景を見れば、十人が十人、彼女を悪く思う。
でもね。よく見て。彼女はひとりでこびもせず戦っているんだ。
私もヤンママもわが子がかわいい。
わが子を守ろうとすることに変わりはないんだ。