鯨教(狂)狂想曲〜その1〜

 

 平成14年1月22日、大浦町に14頭ものマッコウクジラが漂着したのを覚えている
人もいると思いますが。

 ニュースで大体的に報道されていたのを見て、どのような感想を持ったでしょうか?
 
時化の中の救出活動、どう見ましたか?


 可哀想?      確かにそうですね。
 感動した?     そうですか??


 まず、なぜマッコウクジラが砂浜に生きたまま漂着してしまったのでしょうか?

寄生虫で方向感覚が狂ったとか、砂が(鯨が周りの状況を知る為に使う)エコーを

吸収してしまったとか、色々な説があると思います。それが判らないのに、そのまま

海に返してしまって良いの?次に起こったときに対応できるの?現にオーストラリア

等で生きたまま砂浜に上がってしまった鯨を、海に戻してもやっぱり砂浜に乗り上げて

死んでしまったと言う例を教訓にしないのでしょうか??


 もっと、声を大きくしたいのは(結果的に被害はなかったけど)、嵐の収まりきっていない

海で20トンから40トンもある鯨相手に無謀な救出活動を行って、人が下敷きになって死

亡しちゃったりしたらどうするつもりだったのでしょう?
誰が責任取るの?あの海で40トン

の鯨の下敷きになった人をどうやって救助するかのバックアップ体性はとってあったの

でしょうか?  何も助かる確立が高い鯨なら、私もここまでの疑問形は言葉にしません。

しかし、映像 を見る限り、コンクリートブロックに打ちつけられ、呼吸孔からかなりの

海水が浸入している ように見えました。この場合、肺などに炎症を起こし、死亡する確立は

かなり高いと 予想できます。抗生物質の投与や手当てもしないで海に放すのは、死なせるのと

同義です。それなのに、他の生物(この場合は人ですが)の命をかける意義はどこに

あるのでしょうか?  私が思うに、報道やその映像を見た人の世論が悪いのではないでしょうか?

ただ、この状況で生きているから可哀想だ、だけでなく、助かる可能性の低いこと や、

以前にあった同じ事例の紹介などは、ちょっと調べれば判るはずです。 そのような突っ込んだ

報道を行わない為、知識のない人たちも騒いでしまったのでしょう。

 もちろん、治る可能性の低い人が一縷の望みをかけて手術するように、助かる

可能性だってあったわけです。しかし、あまりにも分の悪い可能性に命をかける

意義はあったのでしょうか?  動物が災難にあったときの報道を見ると、

とにかく「可哀想」という感情を巻き起こす ことだけに終始して、その背景や原因

の追求などは追及されない傾向にあるような 気がします。本来ならその隠れた部分を

もっと掘り下げたほうが良いと思うのですが。

 特に、以前にも書きましたが、
マスコミは「餌付け系の放送」は自然破壊を助長して

いるのだ
と言うことをいい加減に理解してもらいたいものです。


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