埼玉苗字辞典
フ〜ホ

風沢 フウサワ 浦和、和光等に存す。

冨宿 フウシュク 春日部に存す。

風袋 フウタイ 川越に存す。

風田川 フウタガワ 入間に存す。

風布 フウプ 秩父郡風布村(寄居町、一部は長瀞町)あり、永禄十一年井上文書に「金尾、風夫、鉢形、西之入相定候」と見ゆ。

笛 フエ 春日部に存す。

武衛 ブエ 北本に存す。

笛木 フエキ ○群馬県利根郡新治村百三十六戸、沼田市四十五戸。○新潟県南魚沼郡塩沢町百八戸あり。

一 横見郡吉見村南組 明治九年副戸長笛木佐十郎・天保七年生あり。七戸現存す。

二 比企郡上伊草村(川島町) 金乗院延宝元年庚申塔に笛木八郎。下伊草村天保三年馬頭尊に上伊草宿笛木喜太郎。明治九年戸長笛木善吉・天保二年生、副戸長笛木福太郎・嘉永六年生。松山町箭弓神社明治三十一年碑に伊草村笛木福太郎。昭和三年興信録・所得税に「伊草村・笛木又吉・百六円、笛木友吉・十三円」あり。十六戸現存す。

三 同郡松山町 明治三十五年旅人宿笛木源十郎あり。

四 同郡石橋村(東松山市) 定宗寺宝暦四年碑に笛木与兵次。唐子神社忠魂碑に笛木浜吉あり。四戸現存す。

五 児玉郡入浅見村(児玉町) 弁天池明治二年弁財天碑に笛木七五郎、年不詳二十三夜塔に笛木伴治郎あり。一戸現存す。

殖木 フエキ 埼玉郡弥勒村(羽生市)に此氏の旧家あり。二戸現存す。

殖栗 フエグリ 川口に存す。

笛田 フエタ 各市町村に存す。○群馬県利根郡利根村二十戸。○茨城県真壁郡協和町九戸。○新潟県南魚沼郡湯沢町四十六戸あり。

殖田 フエタ 越谷に存す。

笛場 フエバ 松伏に存す。

深 フカ 秦(しん)の佳字に深(しん)と書き、フカと読まれた。慶尚南道金海の伽耶国より渡来した秦(はた)族なり。ハタ条参照。二字の制度により深井・深谷(ふかい)と記し、深谷(ふかや)と称す。

冨賀 フカ 庄和に存す。

富賀 フカ 草加に存す。

婦賀 フカ 比企郡戸守村字婦賀あり。

深谷 フカイ 秦族の集落なり。フカ、フカヤ参照。紀州那智山米良文書に「応仁二年、旦那在所注文、ふかい一円」と見ゆ。榛沢郡深谷なり。

深井 フカイ 秦族の集落なり。フカ参照。足立郡深井村(北本市)あり、元は鴻巣の内で鴻巣郷深井庄を唱へる。葛飾郡深井新田(吉川市)は六社神社正徳四年碑に西深井村と見ゆ。千葉県流山市西深井の新田なり。また、高麗郡阿須村字深井、秩父郡品沢村字深井あり。此氏は武蔵国葛飾・埼玉・足立の三郡に多く存し、古代以来の居住者なり。○群馬県吾妻郡嬬恋村十四戸。○長野県小県郡東部町四十戸、丸子町四十戸、松本市七十戸。○新潟県柏崎市二十九戸。○秋田県河辺郡雄和町十二戸。○島根県簸川郡佐田町十三戸、湖陵町八戸あり。

一 長尾意玄の重臣深井氏 上野国白井城主長尾景春入道伊玄の重臣にて、足立郡鴻巣郷深井庄出身の出稼衆なり。秩父風土記・上田野村条に「武甲山には、上杉の時、深井対馬守居」。上小鹿野村条に「元御陣屋跡あり、吉田境の山に深井対馬守假居の地あり」。贄川村条に「猪狩山、長尾四郎左衛門入道意玄・塩沢落の時、石上の切所にて深井対馬守相支、其間に意玄落去。深井・深手数ヶ所、猪狩山に登て生害、今に此山の明神に武器少残る」と見ゆ。長尾条参照。

二 小田原城士の深井氏 永禄二年小田原所領役帳に「深井某。六十七貫六十八文・中郡平間郷(伊勢原市)、二貫文・入東仙波内八本木(川越市)、以上六十九貫六十八文」。大住郡平間村附近に深井氏は無し。六項参照。

三 岩附城士の深井氏 岩槻巷談に「太田氏房の臣深井七郎は、岩槻二ノ丸に籠城し、深井与左衛門は小田原にて討死す」。足立郡針ヶ谷村(浦和市)条に「廓信寺の開山を光誉満霊と云ふ。武州岩槻の人なり。姓は深井氏、正保三年三月二十五日示寂す」と見ゆ。

四 長尾氏族深井氏 鴻巣辺を領し、鴻巣に住すとあり。当時の鴻巣とは本鴻巣村と呼ばれた本宿村(北本市本宿)である。深井村出生説は地名附会にて無関係なり。深井氏は古代以来の本鴻巣附近居住者にて苗字なり。深井村に現存無し。白井長尾氏の名跡を継承して長尾氏を名乗り、本名に復姓して本鴻巣村に土着す。深井家系図(深井村寿命院所蔵)に「長尾左衛門尉景春入道伊玄―長尾小四郎景行(初景忠、上杉憲政に仕て、武州大宮鴻巣辺を領知し、鴻巣に住す)―深井六郎次郎景孝(本名長尾六郎次郎なるを鴻巣深井村に而出生、故以て地名を云ふ、深井と改む。武州岩槻大戸の合戦下谷堤にて討死す、時に二十一歳、天文二年四月三日卒、金蔵院殿性水理道大居士)―対馬守景吉入道道意(初六郎次郎、深井庄堀之内に生る、長なるに及び所々軍功あり、天正度太田氏を助け三船山合戦の砌り氏資陣中に卒去、終に利あらず道意・思慮する処あり、故郷帰り原野を開拓す。慶長十六年二月十一日卒、瑞真院殿岩洞道意大居士、七十八歳)―藤右衛門好秀、弟修理亮資元(先は景長と号す、慶長八年卒)、其の弟源左衛門資勝、其の弟淳海(寿命院中興開山)、其の弟勘右衛門尉正家」と見ゆ。景吉は父景孝討死の天文二年生であり、信用できず。氏資は永禄九年三船合戦討死で、天正度は年代あわず。また、藤右衛門好秀の兄弟五人は別家の人々であろう。紀州高野山清浄心院供養帳に「逆修道感禅定門・武州カウノス深井対馬守立之・天正十二甲申四月十日」。「霊位妙春禅定尼・武州鴻巣深井対馬息女・天正十四年□月□日」。「岌円禅定尼・武州鴻巣深井対馬守家中自分立之・天正十四年正月二十九日」あり。法名道感は系図に見えず。当時は本鴻巣村に居住す。以下各項参照。

五 川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 深井景孝―正繁―資正の惣領家にて、次男筋は主膳吉親であろう。生出塚村深井源右衛門家所蔵文書に「天正十六年八月十四日、太田氏房は、自分の分以外の竹木伐採を禁止す。深井対馬守殿、同藤右衛門殿」。「天正十七年八月十六日、深井植立候山共之儀、預置候、毎年栗之実を取、苗木植立、御用立之候間、父子之者、山に少も横合有間敷候、深井対馬守殿、同藤右衛門殿」と見ゆ。藤右衛門は源右衛門家(源左衛門が正確か)の出身であろう。深井家系図(寿命院所蔵)に「深井藤右衛門好秀(松平伊豆守信綱に仕ふ、子孫代々同所に相続す。寿命院并に勝願寺両所墓碑あり。同郡小松原村受法院開基、舎弟修理亮二男円長法印以て開山とす。慶長九年十一月十六日卒、明元院殿宝誉欣心受法居士。又、由緒書に対馬惣領深井藤右衛門は市宿町にて病死、明元院殿傾心受法居士、藤右衛門息女大河内金兵衛様奥方とあり)」。大河内家譜に「大河内金兵衛久綱(妻は深谷藤右衛門好秀・或は資正が女、慶長元年に信綱を生む)」。代々御家老を勤め、川越町商人榎本弥左衛門覚書に「慶安五年七八月時分に、深井藤右衛門様川越藩御家老に御着被成候、年二十六歳にて也」。万治元年川越藩分限帳に「千五百石・深井藤右衛門・三十二歳」。好秀の孫か。新座郡野火留宿平林寺大河内廟所燈籠に「寛文四年、深井藤右衛門吉成。天明元年、深谷友之助平陽寧。寛政十二年、深井茂兵衛平良資。文化十五年、深谷藤右衛門平資敬。文政八年、深井次郎左衛門平資俊・深井甚兵衛資尚。天保十年、深井友之助平資弘・深井次郎左衛門平資俊」あり。

六 藤堂和泉守高虎家臣 前項と同じ系統にて、深井景孝の男正繁、その男資正、その次男主膳吉親は藤堂高虎に仕へ三千石を領し、藤堂氏を賜ふ。大阪の役に功あり加奉千石なり。武蔵志に「足立郡深井邑寿命・文明比草創、天正中・長尾意玄が孫深井対馬中興。対馬元小田原の臣なり。鴻巣深井勘助、是は深井対馬が孫葉なり。天正中に対馬浪人して近隣荒地を開き、民を置の功に依て公儀除地一町五畝を給う。対馬・松平薩摩守忠義朝臣に仕、後に藤堂和泉に仕ると雖、除地今に存せり」と見ゆ。忍城主松平忠吉の家臣深井源左衛門資勝は対馬守景吉の三男とあり。また、対馬守景政の子源左衛門ともあり。資正(或は景吉、又は景政)の子主膳吉親と源左衛門は同人か。

七 石戸領牧野氏家臣 幕臣牧野家文書に「初代竹内成純は牧野定成に仕ふ。二代元成は牧野康成(慶長十四年卒)に仕ふ。三代頼成の母は深井氏で、頼成は深井家で生まれ鴻巣宿に住む。頼成は嫡子に深井家を継がせ、自分は牧野信成(慶安三年卒)に仕へた。四代某は鴻巣に住し深井安右衛門と称す」と見ゆ。

八 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御老体・百五十石・越前大野取立・深井九左衛門、御馬廻代番・九左衛門倅深井清記」。万延二年川越藩分限帳に「御鑓奉行・百五十石・深井徳兵衛、永詰雇・五人扶持・深井鎮平」あり。

九 久喜藩米津氏家臣 嘉永元年分限帳に「御吟味席・十石四人扶持・深井八郎左衛門、御児小姓格・五両二人扶持・深井真之丞」あり。

一〇 足立郡鴻巣宿 天文二十年頃に小池長門守が原野を開発して市宿新田と名付け、慶長七年に本宿村(北本市)の宿場を移して鴻巣宿と改称し、本宿村は元鴻巣村と称した。深井氏は本宿村より市宿新田字宮地(鴻巣宿)へ移住す。風土記稿鴻巣宿条に「旧家勘右衛門、深井氏なり。元は長尾氏なりしが、先祖深井六郎次郎景高・郡内深井村にて生れし故に深井を氏とせり。其の子深井対馬守・当国岩槻の城主太田源六郎氏資に仕へ、故有りて再び本郷深井に引籠り、当所の内、宮地及び生出塚、深井等の内にて、三百丁余の地を開発し、永禄年中鴻巣市宿村を往還の駅場に取立てし由、これらのこと小池三太夫が家に伝はれど、年代合ざることは前条に弁ぜり。文書二通を蔵せり」と見ゆ。深井家系図(寿命院所蔵)に「深井対馬守景吉(深井村字堀之内に生る。慶長十六年卒、七十八歳)―五男勘右衛門尉正家(宗家相続宮地頂戴。寛永十八年四月七日卒、冷台院殿源覚道清大禅定門)―勘右衛門景次(光意と号す、綱吉公御目見、延宝三年卒)―勘助景之(元禄六年卒。弟助右衛門景成は松平右京亮に仕へ上州高崎に住す)―勘助景治(正徳五年卒)―勘助景平(享保十九年卒)―勘右衛門景珍(宝暦十一年卒)―養子勘助景友(天明八年卒。弟養子景周)―勘助景寿(天保九年卒)―勘右衛門成富(明治三十一年卒)―勘右衛門(明治三十三年に深井家系図を書記す)」。景珍の養子勘右衛門景周(三河国宝飯郡長草村片岡孫三郎の子。景友の跡を継いで、其子景寿の継父となる)は起倒流柔術家にて無敵斎と号し、邸内に道場を設け、三千余名の門弟を擁す。その後裔六代にわたり受け継ぐ。四項の高野山清浄心院供養帳に「霊位道善禅定門・武州足立郡鴻巣町深井□□□□・寛永十三年卯月十七日(供養日)」。系図に法名道善は見えず。鴻巣宿鴻神社延宝五年棟札に大旦那当町庄屋深井勘助・深井佐五兵衛。日出谷村知足院宝永六年観音利生記助縁に宮地村深井勘右衛門。大間村久保寺明治十四年筆子碑に鴻巣深井珍助。明治二十一年皇国武術英名録に起倒流柔術鴻巣宿字宮地・剣六代深井勘右衛門あり。子孫は春日部市に移住す。宮地に一戸現存す。

一一 同郡生出塚村(鴻巣市) 風土記稿生出塚村条に「旧家源右衛門(源左衛門が正確か)、深井氏にて先祖は深井対馬守と云ふ。岩槻太田氏に属せしが、没落の後深井村に来り住居し、御入国以後鴻巣の内宮地に屋敷を賜はりと。今も深井勘右衛門とて宮地に残れり。此源右衛門は則其分家なり」と見ゆ。深井家系図に「深井対馬守景吉―三男源左衛門資勝(公儀召出され尾州侯へ被為付、五百石を賜り、長男弥吉御小姓役二百石賜る、後故あり父一同浪人し生根塚村に引込む)。子孫深井源六景命なり」。道祖土氏伝記に「天正十八年五月十八日岩付落城之節、武州忍の城を薩摩中将様御請取御在城に付、深井源左衛門箕田村陣屋之此程引越居住之由聞及て由緒有之故に道祖土満兼夫婦共に深井源左衛門を尋行候ひて源左衛門方にしのび居候。源左衛門父深井対馬守平景政は岩付の家臣也しが後、家康公の上意をうけて鴻巣町を取立、町うら宮地に居住其功により居屋敷一万坪対馬守に被下也。源左衛門は対馬守次男也、岩付落城せざる以前より忠吉公被召出三百石被下置、尾張へ御国替以後、清洲にて御加増二百石合五百石給之也。対馬守登戸村荒地を再発し文禄三年迄の内対馬守仕付る也」。道祖土系図に「忍城主松平忠吉の家臣深井源左衛門尉重景は足立郡箕田郷陣屋に居住す。登戸村は勝願寺一寺を残して、土民は退散して荒地なり、忠吉は其子深井対馬守平景政に命じて、文禄元年より登戸村を再発す」。紀州高野山清浄心院過去帳に「霊位妙永禅定尼・武州上足立箕田郷深井勘七郎立之・寛永五年六月一日」。当家の人か。深井村寿命院寛政九年寄附帳に上生出塚村深井清六・深井蔵之助あり。二戸現存す。

一二 同郡荒井村(北本市) 対馬守は当村出身の出稼衆にて本宿村に居住するか。四項の供養帳に「武州カウノス深井対馬守・天正十二年」とあり、当時の鴻巣とは荒井村の近村本宿村(北本市)を指し、今の鴻巣宿は慶長七年迄市宿新田と称していた。松山城岩室観音堂寛政十二年頃碑に足立郡荒井南村深井友右衛門。加納村天神社嘉永二年御神燈に荒井村深井幸蔵あり。十八戸現存す。

一三 同郡下石戸村(北本市) 川田谷村泉福寺天保五年供養塔に下石戸上村深井惣助。上日出谷村氷川社明治二十年水鉢に下石戸上村深井久右衛門。原馬室村観音堂明治三十四年馬頭観音碑に下石戸下・深井小右衛門。明治三十九年三峰山講に下石戸下組深井初五郎あり。二戸現存す。

一四 同郡川田谷村(桶川市) 明治八年騎西釜屋文書に川田谷村酒造業深井栄助あり。二戸現存す。

一五 同郡深作村(大宮市) 当村元禄五年碑に深井太郎兵衛。氷川社嘉永五年水鉢に深井金太郎・深井岩治郎あり。三戸現存す。

一六 同郡中小村田村(大宮市) 薬師堂正徳三年供養塔に深井孫右衛門・深井佐左衛門あり。三戸現存す。

一七 同郡植田谷本村新田(大宮市) 字円城寺八雲社明治三十一年碑に深井権蔵あり。現存無し。

一八 同郡町谷村(浦和市) 与野町一山神社明治三十五年碑に町谷深井金蔵あり。一戸現存す。

一九 同郡田島村(浦和市) 当村に此氏多く存す。氷川社文化十一年水鉢に深井次左衛門・深井定八・深井宗治郎・深井権太郎・深井清右衛門・深井多右衛門・深井宇之八。観音堂天保十三年幟碑に深井庄之助・深井善八.。氷川社弘化二年阿夫利碑に深井善八、嘉永五年敷石碑に深井忠右衛門・深井善八・深井小兵衛。岩槻町芳林寺安政三年水鉢に田島村深井善八.。明治九年戸長深井豊蔵・弘化四年生。氷川社明治十一年石橋碑に深井善八・深井次左衛門・深井梅蔵・深井民三郎・深井幸次郎・深井豊造・深井忠右衛門。四ツ谷観音堂明治十三年門人碑に深井治郎吉。明治二十年柴山伏越改造碑に田島村深井豊造あり。

二〇 同郡上野田村(浦和市) 大門宿大興寺文化十四年念仏供養塔に上野田村深井源右衛門。多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡上野田村深井源右衛門。信州善光寺山門東安政三年常夜燈に足立郡上野田村深井源右衛門。代山村成田不動尊安政三年普門品に上野田村深井三治郎。万延元年武術英名録に柳剛流日光御成道上野田村深井源次郎。明治九年戸長深井半次郎・嘉永二年生。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流北足立郡上野田村深井源次郎・男深井半次郎あり。七戸現存す。

二一 同郡草加町 市神祠官筆学門人控に文久四年・札場惣家友五郎三男深井熊蔵。明治三十五年理髪店足立屋深井常三郎あり。

二二 埼玉郡青柳村(草加市) 当村に此氏多く存す。槐戸村観音寺跡年不詳塔に青柳村深井甚五兵衛。当村宝暦六年碑に深井茂兵衛、文政十三年供養塔に深井兵太郎あり。

二三 同郡柿木村(草加市) 明治二年戸籍簿に深井勘五・深井植左衛門・深井元右衛門・深井いと・深井初右衛門あり。二戸現存す。

二四 同郡立野堀村(草加市) 慈尊院天保十三年供養塔に深井庄右衛門あり。二戸現存す。

二五 同郡伊原村(越谷市) 当村に此氏多く存す。恩間村渡辺家譜に「渡辺左介直吉(宝暦十四年没)―女子(伊原村長深井宇内定元妻)」。久伊豆社文政十三年御神燈に深井寅蔵・深井八五郎・深井文蔵・深井治左衛門・深井鉄五郎・深井長五郎・深井勘蔵・深井直吉・深井仙治郎・深井喜太郎・深井周蔵・深井平六・深井治右衛門・深井伊左衛門・深井七右衛門・深井桂治郎・深井竹治郎・深井喜三郎・深井伊之助・深井平四郎・深井金治郎・深井金五郎・深井藤吉・深井与七.。明治九年副戸長深井七郎兵衛・安政四年生、副戸長深井新右衛門・天保三年生、副戸長深井金蔵・文政元年生、副戸長深井与七・文政九年生。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流伊原村深井広六・深井広吉。明治三十年所得税下調査簿に川柳村深井七郎兵衛・安政四年生・反別十三町六反歩・地租百八十二円(県会議員)。県会議員農業深井哲三郎・明治二十二年生あり。

二六 同郡別府村(越谷市) 中島村稲荷社明治十三年御嶽碑に別府村深井伝八・深井弥五郎・深井元治郎、明治二十五年御嶽碑に別府村深井伝八・深井弥五右衛門・深井庄次郎あり。十戸現存す。

二七 同郡小林村(越谷市) 香取社明治十八年敷石碑に深井伝三郎あり。三戸現存す。

二八 同郡小曽川村(越谷市) 久伊豆社明治二十九年碑に深井時三郎・深井伊助あり。現存無し。

二九 同郡平野村(岩槻市) 文政九年光山文書に平野村名主深井七郎右衛門。稲荷社嘉永四年石尊碑に深井俊九郎、元治元年御神燈に深井志知郎。明治六年戸長深井景行。明治九年戸長深井登代・嘉永二年生あり。二戸現存す。

三〇 同郡古ヶ場村(岩槻市) 当村文政十一年供養塔に深井富五郎。慈恩寺村慈恩寺弘化四年水鉢に古ヶ場村深井久五郎。明治三十年人名録に深井松蔵・嘉永六年生・地租六十円あり。二戸現存す。

三一 同郡慈恩寺村(岩槻市) 慈恩寺元禄九年阿弥陀如来に大門深井三五兵衛、弘化四年水鉢に当所深井長右衛門。月読神社天保六年碑に深井長蔵・深井万蔵・深井政五郎、嘉永三年幟碑に深井権右衛門・深井平八・深井弥五右衛門・深井藤五郎・深井万蔵・深井政五郎・深井忠吉・深井熊治郎。毘沙門堂嘉永四年庚申塔に大門小路・深井弥五左衛門・深井権右衛門・深井惣助。万延元年武術英名録に岡安柳剛流武州慈恩寺深井伝内。明治三十年人名録に深井伝四郎・天保十年生あり。四戸存す。

三二 同郡裏慈恩寺村(岩槻市) 慈恩寺元禄九年阿弥陀如来に裏慈恩寺村深井四平・深井久右衛門、弘化四年水鉢に裏村深井長蔵。阿弥陀堂元禄十六年地蔵尊に深井四平妻・深井久衛門妻・深井勘衛門妻・深井弥兵衛妻。当村宝永元年庚申塔に深井久右衛門・深井勘右衛門・深井弥兵衛、宝暦三年庚申塔に深井九兵衛、天明八年庚申塔に深井久右衛門、天保三年庚申塔に深井長蔵。子之神社安永三年供養塔に深井佐右衛門・深井九兵衛、寛政五年御神燈に深井与右衛門・深井久右衛門、文化九年碑に深井伝次郎・深井弥五左衛門。小溝村長命寺慶応二年供養塔に裏慈恩寺村深井福松あり。六戸現存す。

三三 同郡小溝村(岩槻市) 長命寺慶応二年供養塔に小溝村深井石松あり。一戸現存す。

三四 同郡末田村(岩槻市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に末田村深井文次郎あり。現存無し。

三五 同郡粕壁町明治三十五年足袋商深井要蔵。春日部稲荷社明治四十三年鳥居碑に深井栄次郎あり。

三六 同郡百間村(宮代町) 当村に此氏多く存す。字内野正福坊天保十五年六地蔵に松木島深井喜三郎、嘉永七年成田山碑に深井伝次郎。西原組浅間社文久元年小御嶽碑にナカス深井林平貞行・深井惣次郎宗行・深井九左衛門真行・深井治右衛門明行・深井卯之助豊行。明治九年蓮谷村副戸長深井林平・天保十四年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に中島村深井林平。清地村近津神社明治二十二年伊勢講碑に百間中島村深井源左衛門・深井林平。明治三十年人名録に百間中島村深井林平・天保十四年生・地租百二十五円、同村深井清吉・安政六年生。西原組浅間社明治三十年碑に川島・深井伝蔵・深井弥平次・深井弥八・深井五右衛門・深井弥伝次。清地村近津神社明治三十四年伊勢講碑に字川島・深井弥平次・深井弥伝次・深井庄五郎・深井五右衛門・深井伝蔵・深井弥八・深井友右衛門・深井清吉・深井庄蔵あり。

三七 同郡須賀村(宮代町) 身代神社文政十年庚申塔に深井勇蔵あり。一戸現存す。

三八 同郡江面村(久喜市) 天保十一年百姓連名帳に深井文太郎あり。現存無し。

三九 同郡郷地村(鴻巣市) 久伊豆社明治三十九年碑に深井倉太郎・深井林蔵あり。一戸現存す。

四〇 同郡弥勒村(羽生市) 明治十二年酒造業山江屋深井幸兵衛あり。現存無し。

四一 同郡町屋村(羽生市) 西福寺明和四年供養塔に深井惣七郎あり。現存無し。

四二 同郡今泉村(羽生市) 荻島村天満宮明治二十年碑に今泉深井新兵衛(酒造業)あり。現存無し。

四三 葛飾郡上彦川戸村(三郷市) 彦倉村延命院宝暦九年勧進帳に上彦川戸村深井吉兵衛。足立区花畑大鷲神社天保四年算額に彦川戸深井平五郎宗階。香取社明治十三年算額に上彦川戸村深井伊兵衛宗階八十一歳(明治二十三年没)。明治九年副戸長深井半太郎・天保十一年生。明治三十年人名録に上彦川戸村深井治助・慶応二年生・地租八十円、深井甚蔵・嘉永二年生・地租二十六円あり。十四戸現存す。

四四 同郡彦沢村(三郷市) 草加宿市神祠官筆学門人控に「明治四年、彦沢村勘兵衛倅深井喜利蔵。明治十五年、彦沢村勘兵衛倅深井七五郎」あり。現存無し。

四五 同郡駒形村(三郷市) 明治七年深井文書に深井源治郎・深井佐太郎・深井紋蔵・深井弥治右衛門。明治九年副戸長深井市蔵・嘉永三年生。延寿院明治二十六年銅鉢銘に深井森之助。明治三十年人名録に早稲田村助役深井市蔵・嘉永三年生・地租九十二円あり。七戸現存す。

四六 同郡幸房村(三郷市) 幸房村開発人書上に「慶長十年より延宝元年迄六十九年に成、此節御縄請、高久村密厳院旦那深井藤助」あり。一戸現存す。

四七 同郡大川戸村(三郷市) 彦倉村延命院宝暦九年勧進帳に大川戸村深井平兵衛あり。一戸現存す。

四八 同郡蓮沼村(三郷市) 明治七年駒形村深井文書に深井伊右衛門・深井箭次郎あり。三戸現存す。

四九 同郡道庭村(吉川市) 中曽根村香取社明治四十年碑に道庭深井卯之助あり。五戸現存す。

五〇 同郡中曽根村(吉川市) 彦倉村延命院宝暦九年勧進帳に中曽根村深井惣左衛門。観音寺明和九年棟札に深井惣左衛門・深井長兵衛。香取社文政七年普門品に深井清蔵・深井米蔵・深井常右衛門、文久四年狛犬に深井丑太郎・深井茂助。彦成村共同墓地明治四年筆子碑に中曽根村深井惣右衛門。香取社明治三十六年碑に深井鎔郎・深井芳太郎、明治四十年碑に深井トラ・深井清蔵。県会議員農業深井誠一・明治三十一年生あり。十戸現存す。

五一 同郡木売村(吉川市) 西光院跡寛政十年地蔵尊に深井弥七あり。五戸現存す。

五二 同郡平沼村(吉川市) 小松川村正福寺跡文政四年成田山碑に平沼上町深井又四郎あり。現存無し。

五三 同郡高久村(吉川市) 鴻巣深井氏とは無関係なり。当地方に多く存し古代以来の居住者なり。密厳院深井家墓地に天文二年銘あり。風土記稿高久村条に「旧家者友之助、世々里正にて深井を氏とす。祖先は山内上杉氏の老臣長尾左衛門尉景春入道意玄の男小四郎景忠の子六郎次郎景孝、足立郡深井村に出生して在名を氏とす。其の子深井対馬守景吉は岩槻城主太田源五郎氏資に属し、後深井に土着して所々に田畑を多く開く。景春が六男を深井左衛門尉景広と云ふ、天正十八年、当所に移り新田を開き、其の子長右衛門も慶長年中開墾の地多しと云ふ。かの景広より今の友之助まで十一代に及べり」。彦倉村延命院宝暦九年勧進帳に高久村深井太郎右衛門・深井武右衛門、天保五年勧進帳に高久村深井友之助。蕎高神社文政三年庚申塔に深井鉄次郎。足立区花畑大鷲神社天保四年算額に高久村深井友之助盈高。中山筆学帳に弘化四年・高久村深井関太郎、安政七年・高久村深井機嫌次。明治九年副戸長深井機嫌次・弘化四年生、副戸長深井定吉・安政二年生。中曽根村香取社明治四十年碑に高久深井寅蔵あり。七戸現存す。

五四 同郡上赤岩村(松伏町) 明治三十二年文書に深井春蔵。現存無し。

五五 同郡杉戸町 河原町稲荷社明治三十九年幟碑に深井末次郎あり。

五六 同郡清地村(杉戸町) 百間村青林寺寛政十年文書に清地村深井浅右衛門。近津神社元治元年狛犬に深井浅右衛門。明治八年騎西町釜屋文書に清地村酒造業深井喜治。明治九年戸長深井伊一郎・文政十二年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に清地村深井伊一郎。近津神社明治十六年御神燈に深井喜重郎、明治二十二年伊勢講碑に深井兵次。明治三十年人名録に荒物商梅鉢屋深井礼助・安政三年生・地租三十円、杉戸町助役荒物商深井兵司・安政元年生・地租八円あり。六戸現存す。

五七 同郡堤根村(杉戸町) 香取社寛延三年御神燈に深井吉兵衛あり。一戸現存す。

五八 同郡惣新田村(幸手市) 戸隠神社天明三年庚申塔に深井平治郎、文政十四年庚申塔に杉山組深井文左衛門。正福院天保九年真言塔に当所深井武右衛門。明治二十年選挙権者深井熊蔵・嘉永五年生。一戸現存す。

五九 新座郡下新倉村(和光市) 吹上観音嘉永元年庚申塔に当所谷戸深井藤助。富士嶽社明治八年鳥居碑に深井友治郎・深井忠蔵・深井清七.。明治二十五年青年会深井喜平次・深井七郎兵衛・深井平五郎。明治三十一年演劇寄附深井作次郎あり。十三戸現存す。

六〇 入間郡所沢町 薬王寺享保元年地蔵尊に深井七郎右衛門。神明社安政六年御神燈に深井伝右衛門。慶応二年穀屋井坂深井弁蔵・油屋赤坂深井伝右衛門は打毀しにあう。明治七年議定書に深井悌次郎・深井鶴吉・深井保平・深井平七・深井梅五郎・立会人深井弁蔵。明治十一年第八十五国立銀行株主所沢町深井弁蔵・八十株八千円所有。明治二十一年幼稚園名簿に深井賢三・明治十六年生、深井盈吉・明治十八年生、深井清七・同年生。明治三十一年所沢貯蓄銀行発起人深井保平・七十株三千五百円、深井盈吉・三十株千五百円所有。明治三十五年呉服商深井直吉・足袋商深井岩吉・煙草店深井直次郎・醤油製造深井保平あり。

六一 同郡川越町 連雀町熊野社文化二年水鉢に御門前深井定蔵あり。

六二 同郡鶴馬村(富士見市) 当村に此氏の旧家あり。羽沢に九戸現存す。

六三 比企郡伊草村(川島町) 釘無村明治十九年馬頭尊に伊草村深井繁造あり。三戸現存す。

六四 同郡出丸下郷(川島町) 明治九年副戸長深井義助・弘化三年生(組頭)。明治二十九年馬頭尊に深井亀五郎。松山町箭弓神社明治三十一年碑に出丸村深井義助あり。三戸存す。

六五 横見郡大和田村(吉見町) 平沼村天保六年馬頭尊に大和田村深井彦助。久米田村慶応元年馬頭尊に大和田村深井兵蔵あり。五戸現存す。

六六 幡羅郡弥藤吾村(妻沼町) 聖天旧記に「弥藤吾村草分農民にして、延宝年間・深井茂左衛門」と見ゆ。一戸現存す。

六七 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「土合村(浦和市)・深井保太郎・四十三円、深井貞亮・十一円、野田村(浦和市)・深井源次郎・十三円・十一円、鴻巣町・深井勘右衛門・十五円、彦成村(三郷市)・深井重太郎・十二円、吉川町・深井直蔵・三十七円・三十円、深井芳太郎・十四円、早稲田村(吉川市)・深井覚之丞・八十一円、川柳村(越谷市)・深井哲三郎・百五十四円、深井宇之助・十八円、慈恩寺村(岩槻市)・深井祐之助・九円、百間村(宮代町)・深井宗三・二十五円、三田ヶ谷村(羽生市)・深井政之助・三十円・三十九円、所沢町・深井保平・六千七百十三円・千百七十四円、深井伝右衛門・千百十五円、深井浅右衛門・三百九円・三十円、深井琴・二百五円、深井ふく・百二十八円、深井芳平・十三円、深井庄作・九円」あり。

深井沢 フカイザワ 岩槻に存す。

深石 フカイシ 浦和、川口、草加、越谷、吉川、入間、川越、富士見等に存す。神奈川県平塚市二十二戸、新潟県新井市四十五戸、島根県飯石郡頓原町十戸あり。

深海 フカウミ 浦和、川口、上尾、草加、越谷、春日部、杉戸、坂戸、東松山、深谷等に存す。新潟県燕市四十七戸あり。

深浦 フカウラ 各市町村に存す。秋田県仙北郡西仙北町十八戸あり。

深江 フカエ 各市町村に存す。

深尾 フカオ 各市町村に存す。

一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百五十石・深尾弥五右衛門・是は忍にて罷出・三州之者」あり。

二 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「坊主・三両二人扶持・深尾喜悦」あり。

三 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「百五十石・本国近江生国山城・深尾佐右衛門・六十五歳、銀二百目二人扶持・本国近江生国武蔵・深尾兵吉・十五歳」。野火止宿平林寺大河内廟所燈籠に「元禄六年・深尾万右衛門助、宝暦七年・深尾又右衛門助久、天明元年・深尾万治郎源助宣」あり。

深岡 フカオカ 昭和三年興信録に「浦和町・深岡昌・所得税十五円」あり。現存無し。

深貝 フカガイ 青森県三戸郡福地村十二戸あり。

深谷 フカガイ 深谷に存す。

深川 フカガワ 各市町村に存す。青森県八戸市七十戸あり。フガワ参照。

一 葛飾郡の深川氏 太田道灌書状に「武州平沼郷(吉川市)云々、深川太郎左衛門尉及違乱候」と。東京深川より起るか。金子条十五項参照。

二 忍城士の深川氏 成田分限帳に「十貫文・深川重次郎」あり。

三 埼玉郡羽生町 正覚院文政四年庚申塔にナカハシ深川新蔵。現存無し。

四 足立郡東間村(北本市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に東間新田深川平右衛門・深川吉右衛門あり。現存無し。

五 新座郡上新倉村(和光市) 明治十九年魚商深川春吉あり。現存無し。

六 入間郡今市村(越生町) 天保十一年法恩寺文書に頼母子講深川喜八.。明治三十五年飲食店深川平造あり。二戸現存す。

七 同郡大谷村(越生町) 平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に大谷深川喜造あり。一戸現存す。

八 幡羅郡妻沼町 信州木曽御嶽山清滝新道端昭和五年碑に妻沼町講深川堅吉あり。現存無し。

深木 フカキ 所沢に存す。

深喜 フカキ 浦和に存す。

深城 フカキ 川越、所沢等に存す。

深草 フカクサ 浦和、大宮、川口、蓮田、新座、川越、富士見、三郷等に存す。長野県上田市十五戸あり。

深口 フカグチ 朝霞に存す。

風影 フカゲ 高麗郡長沢村字風影(飯能市)は古の村名にて、当村享保九年供養塔に高麗郡下我野内深影村、天保十三年馬頭尊に高麗郡風影村と見ゆ。

武笠 ブカサ 久喜、深谷等に存す。

深坂 フカサカ 浦和、上尾等に存す。

深崎 フカザキ 川越藩松平大和守家臣にて、天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・二十石四人扶持・川越取立・深崎新」。万延二年川越藩分限帳に「御馬廻・二十石四人扶持・深崎太郎左衛門、同代勤・深崎鉄之助、御馬廻・五人扶持・深崎村尾、次男深崎錬太、永詰雇・同高・深崎政吉、同役同高・深崎金三郎」あり。

深作 フカサク 足立郡深作村(大宮市)光明寺あり、日光輪王寺応永三年大般若経に足立郡南部七郷内深佐古村光明寺と見ゆ。○茨城県東茨城郡美野里町十四戸、大洗町六十八戸、ひたちなか市四十八戸、日立市三十八戸、水戸市四十戸あり。

一 葛飾郡松石村(幸手市) 香取社明治二十九年碑に深作弁二郎あり。二戸現存す。

二 同郡円藤内村(幸手市) 千塚村宝蔵寺慶応二年筆子碑に円藤内村深作久松。香取社明治二十六年碑に深作初蔵あり。現存無し。

三 埼玉郡久喜町 鷲宮村鷲宮神社文政十二年金燈籠に古久喜村深作幸太郎。明治四年久喜新町五人組帳に深作庄七.。古久喜村太田神社明治二十年浅間碑に深作佐吉・深作鈎五郎・深作喜太郎。明治三十五年果物商深作藤吉あり。十五戸現存す。

四 同郡下忍村(行田市) 遍照院天保九年二十三夜塔に当所深作弥十郎。琴平社明治八年御神燈に深作佐十・深作徳太郎あり。二戸現存す。

五 大里郡万吉村(熊谷市) 昭和三年興信録に「吉岡村・深作弥三郎・所得税十一円・営業税二十八円」あり。一戸現存す。

六 同郡中恩田村(大里町) 野原村文殊寺嘉永元年大銀講碑に中恩田村深作助右衛門。三峰社安政五年庚申塔に中恩田村深作加藤次・深作礒五郎。榛沢郡高畑村明治二十八年馬頭尊に中恩田深作重五郎。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に中恩田深作三九郎・深作重五郎、上恩田深作亀造あり。十一戸現存す。

深迫 フカサコ 川越、三芳等に存す。

深沢 フカザワ 沢は慶尚南道にあった匝羅(さわら)にて、秦族の集落を称す。フカ、サワ参照。秩父郡大河原郷御堂村字深沢(東秩父村)は古の村名にて、日光輪王寺応永三年大般若経に武州秩父郡大河原郷善光寺深沢住人と見ゆ。金崎村字深沢(皆野町)は平村慈光寺元禄八年棟札に「皆野村・深沢村・黒谷村」と記し、ミサワと註す。高麗郡白子村字深沢(飯能市)は古の村名にて、横手村天正七年山口文書に白子村・深沢共と見え、深沢川の辺に深沢集落あり。此氏は甲斐国に多く存す。○群馬県勢多郡宮城村三十戸、黒保根村三十五戸、新里村二十八戸、山田郡大間々町七十戸、新田郡笠懸町三十四戸、高崎市百七十戸、前橋市百十戸。○栃木県那須郡那須町七十四戸、湯津上村三十四戸、馬頭町四十七戸。○茨城県行方郡麻生町三十八戸。○山梨県西八代郡市川大門町四十九戸、下部町二十九戸、六郷町二十九戸、東八代郡石和町四十五戸、北巨摩郡須玉町二十八戸、高根町六十戸、明野村四十三戸、中巨摩郡櫛形町八十三戸、甲西町二百戸、敷島町二十八戸、昭和町九十戸、白根町九十五戸、田富町七十戸、玉穂町三十三戸、竜王町百七十戸、若草町八十六戸、南巨摩郡鰍沢町九十八戸、中富町百戸、早川町百二戸、増穂町二百九十戸、身延町五十六戸、山梨市百二十戸、甲府市五百五十戸。○長野県東筑摩郡波田町九十六戸、北安曇郡小谷村三十戸、南安曇郡穂高町二十七戸、松本市百十五戸。○新潟県西蒲原郡吉田町六十二戸。○秋田県仙北郡千畑町五十戸。○岩手県和賀郡沢内村四十六戸あり。

一 深谷・川越藩酒井讃岐守忠勝家臣 寛永十四年小浜藩分限帳に「二百二十石・深沢三郎兵衛」あり。

二 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五十石・本国相模生国武蔵・深沢伝兵衛・四十四歳」あり。

三 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「兵部様御広式番・七両三人扶持・深沢八郎兵衛」あり。

四 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御番頭・四百石・越前大野取立・深沢孫三郎、御馬廻・二百五十石・山形取立・深沢右仲」。万延二年川越藩分限帳に「御寄合・四百石・深沢鉄助、寄合隠居・深沢閉園、御目付代番・深沢雄象、永詰雇・五人扶持・深沢庄作、同役同高・深沢鉱二郎」。明治四年前橋藩職員録に「少参事・勧農用度聴断掛・深沢雄象」あり。

五 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「百石・深沢伝兵衛、銀十枚二人扶持・深沢安之丞」あり。

六 埼玉郡新宿村(蓮田市) 久伊豆社明治二十三年幟碑に深沢惣八あり。四戸現存す。

七 足立郡川口町 川口神社明治三十九年碑に深沢亀太郎(酒商)あり。

八 同郡浦和町 昭和三年興信録に「深沢正一・所得税十二円」あり。

九 同郡坂田村(桶川市) 明治八年騎西町釜屋文書に坂田村酒造業深沢常吉あり。一戸現存す。

一〇 入間郡川越町 明治三十五年待合所上野屋深沢茂平あり。

一一 比企郡松山町 箭弓稲荷社天保六年棟札に下町深沢嘉兵衛(名主)。埼玉郡佐間村天神社天保六年御神燈に松山宿深沢嘉兵衛。下松本町天保十一年廻国塔に元宿深沢武左衛門。明治三十五年醤油醸造深沢静四郎・深沢良助あり。

一二 同郡上唐子村(東松山市) 浄空院寛文七年地蔵尊に深沢杢右衛門。唐子神社忠魂碑に深沢峰吉あり。二戸現存す。

一三 同郡志賀村(嵐山町) 中尾村慶徳寺元禄十六年七福神奉納に志ヶ村深沢権兵衛。野原村文殊寺嘉永元年大銀講碑に志賀村深沢伊兵衛あり。七戸現存す。

一四 幡羅郡妻沼町 明治三十五年糸商深沢順太郎。信州木曽御嶽山清滝新道端昭和五年碑に妻沼町講深沢為三郎あり。

一五 那賀郡木部村(美里町) 当村に此氏の旧家あり。十四戸現存す。

一六 秩父郡御堂村(東秩父村) 小名深沢住人にて苗字にあらず。日蓮宗浄蓮寺過去帳に「妙暁・フカサワ新左衛門内・慶長五年九月。妙秀・深沢吉衛門母・乙巳年十月二十八日。常秀・深沢采女・乙酉年十月。妙常・深沢宗三郎母・己丑年十一月。蓮秀・深沢三左衛門・承応三年三月二十八日。正光・深沢源右衛門・明暦元年九月」あり。現存無し。

深澤 フカザワ 各市町村に存す。

深芝 フカシバ 本庄に存す。

深代 フカシロ 川口、上尾、三郷、新座、所沢に存す。群馬県利根郡新治村十八戸、吾妻郡高山村十三戸、富岡市三十八戸、沼田市五十五戸あり。

深須 フカス 大宮に存す。群馬県新田郡新田町十六戸あり。

深栖 フカス 草加、三郷、所沢、飯能、富士見等に存す。

一 深谷・川越藩酒井讃岐守忠勝家臣 寛永十四年小浜藩分限帳に「二千石・深栖九郎右衛門」あり。

二 葛飾郡高野村の源姓深栖氏 陵(みささき)条参照。

冨加須 フカス 上尾に存す。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御小姓共・九両二人扶持・冨加須十之丞」。享保八年忍藩軍役帳に「六百石・冨加須理右衛門、五百石・冨加須庄兵衛」。文化四年分限帳に「御馬廻・三百石・冨加須藤右衛門」あり。

深瀬 フカセ 各市町村に存す。○神奈川県南足柄市二十七戸。○山形県天童市二十三戸、東根市九十七戸、山形市二百七十戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「十人扶持・深瀬三穂二」あり。

深田 フカダ 田は郡県・村の意味。秦族の集落を称す。フカ参照、田のことは太田条参照。○島根県簸川郡斐川町十四戸、大原郡加茂町十三戸、木次町二十戸、八束郡東出雲町二十九戸、松江市三十戸。○鳥取県米子市七十戸、倉吉市二十六戸あり。

一 鉢形城士の深田氏 鉢形分限帳に「本国阿波石浜・深田市五郎、本国備後安那・深田宮内」。徳島県に石浜の地名は無し。安那郡は広島県深安郡神辺町・福山市附近にて此氏現存無し。分限帳の本国は信用できず。此氏は秩父郡出身なり。秩父案内記に「深田市五郎・大宮郷土着、深田宮内・白久村土着」と見ゆ。

二 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「家老小河原斎宮の家臣深田代右衛門」あり。

三 足立郡与野町 一山神社明治三十五年碑に当町深田栄治郎あり。

四 入間郡川越町 明治三十五年理髪店深田猪之吉・太物商深田房吉あり。

五 同郡下赤坂村(川越市) 亀久保村寛政十一年宝篋印塔に下赤坂村深田市右衛門あり。十七戸現存す。

六 同郡大谷村(越生町) 和田村石井家手習帳に弘化四年・大谷村深田平吉、嘉永四年・大谷村深田浦二郎・深田駒吉。文久三年上野村大宮聖天宮棟札(森村文書)に大谷村大工棟梁肝煎深田定蔵藤原理徳・大谷村大工深田浦五郎・同深田駒吉。成瀬村見正寺明治初年碑に大谷村深田万助・深田駒吉・深田平吉・深田浦治郎。明治九年副戸長深田半五郎・嘉永五年生。津久根村八幡社明治二十五年碑に大谷深田半五郎。平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に大谷深田定五郎。摩多利神社明治四十一年碑に大谷深田吾作・深田浦次郎・深田重平。昭和三年興信録に「越生町・深田喜一郎・所得税二十八円」あり。十二戸現存す。

七 同郡田和目村(坂戸市) 明治二十五年開墾台帳に深田うら・深田勘輔。明治四十四年織物製造深田熊吉あり。八戸現存す。

八 比企郡小川町 明治三十五年合羽職深田新三郎あり。

九 同郡竹沢郷(小川町) ふるさとめぐり(山田稔著)に「竹沢郷の名産水のうは、慶長年間に鉢形城の見張所であった吉野砦から落城と共に落ちてきた深田杢兵衛によって考案された」と見ゆ。現存無し。

一〇 榛沢郡桜沢村(寄居町) 当村に此氏多く存し、一族の集落を深田谷と称す。用土村明治十三年仙元碑に桜沢村深田島五郎・深田安五郎・深田忠五郎あり。猪俣条十八項参照。

一一 児玉郡小茂田村(美里町) 明治十三年小池文書に東・深田藤太郎あり。二戸現存す。

一二 那賀郡甘粕村(美里町) 用土村明治十三年仙元碑に甘粕村深田磯吉。甘粕神社明治二十五年富士碑に当所深田辰五郎・深田嘉吉・深田留吉・深田磯吉あり。一戸現存す。

一三 秩父郡大宮郷 小名日野田に此氏多く存す。一項参照。明治三年髪結職深田藤次郎・六十一歳、深田七兵衛・田畑一町八反歩、深田寅吉・田畑一町二反歩、深田弥市・田畑一町歩。宝登山神社明治七年棟札に大宮郷世話役深田馬吉。明治八年醸造業深田喜助・納税三円。昭和三年興信録に「秩父町・深田きよ・所得税十三円・営業税三十九円、深田喜三郎・所得税十八円」あり。

一四 同郡下影森村(秩父市) 当村に此氏の旧家あり。十六戸現存す。

一五 同郡別所村(秩父市) 紀州高野山清浄心院供養帳に「逆修道金・武州秩父別所村深田掃部立之・寛永十二年八月二日」あり。一戸現存す。

一六 同郡白久村(荒川村) 一項参照。明治九年副戸長酒造業深田長九郎・天保七年生。明治三十三年気楽流柔術加藤門弟に白久・深田準作・三十歳、深田敏・二十六歳、深田勲助・二十歳あり。五戸現存す。

一七 同郡小野原村(荒川村) 明治四年番札帳に深田繁十郎・深田清吉あり。一戸現存す。

深代 フカダイ 岩槻、所沢等に存す。群馬県沼田市八戸。フカシロ参照。

深滝 フカタキ 浦和、大宮、上尾に存す。新潟県三島郡寺泊町十五戸あり。

深谷 フカタニ 蕨、上尾、和光、越谷等に存す。フカヤ参照。

深民 フカタミ 草加、坂戸等に存す。

深津 フカツ ○群馬県利根郡月夜野町二十九戸、勢多郡宮城村二十戸、沼田市六十戸。○栃木県下都賀郡岩舟町三十七戸、大平町十一戸、鹿沼市二十二戸。○茨城県岩井市三十四戸。○島根県簸川郡斐川町二十四戸、大原郡大東町十戸あり。

一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百石・深津右衛門七・是は忍にて罷出・三河之者」あり。

二 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御者頭・三百石・深津八兵衛、御小姓共・九両二人扶持・深津権之丞」あり。

三 川口町 明治三十五年理髪店深津忠太郎あり。

四 埼玉郡西新井村(越谷市) 笹久保村地蔵院嘉永四年供養塔に西新井村深津太郎右衛門あり。現存無し。

五 同郡笹久保新田(岩槻市) 地蔵堂貞享四年供養塔に笹窪新田村深津八兵衛。明治四年宗門改帳に「○深津寅蔵・三十六歳、父彦右衛門・六十四歳、倅彦太郎・十九歳、倅梅五郎・九歳、倅宇吉・八歳。○組頭深津雄助・四十二歳(埼玉郡谷下村高橋次郎右衛門二男)、父恒次郎・六十七歳、倅国太郎・十歳。○深津常吉・死失、倅松太郎・十七歳、倅宇三郎・六歳」あり。五戸現存す。

冨加津 フカツ 高崎市二十戸あり。

深戸 フカト 埼玉郡国納村字深戸及び西久米原村(宮代町)は古の村名なり。越谷に存す。

深利 フカトシ 春日部、越谷等に存す。

一 豊島氏流深利氏 吾妻鑑巻三十四に「仁治二年四月二十九日、毛呂五郎入道蓮光は紀伊国三上庄の狼藉人政所二郎高氏を預かっていて逃亡させてしまった。これは孫の深利五郎為経の落度であると云う」。蓮光の外孫で豊島紀伊五郎左衛門為経なり。紀伊条参照。

深沼 フカヌマ 浦和、上尾、草加、宮代、所沢、深谷等に存す。宮城県亘理郡山元町十二戸あり。

府金 フカネ 浦和、上尾、白岡、岩槻、三郷、狭山、鶴ヶ島等に存す。岩手県岩手郡岩手町四十戸あり。

深野 フカノ 秦族の集落を称す。フカ参照。足利市六十八戸あり。

一 埼玉郡大沢町(越谷市) 平安時代以来の旧家なり。大沢町古馬筥(江沢文書)に「仙元宮旧記略伝、長元三庚午六月勧請深野源七郎建立、其後永久二年午正月右源三郎の孫武兵衛といふ者より真蔵院に寄附す」。関東郡代伊奈忠次配下の代官杉浦五郎右衛門は、大沢町造成にあたり古来からの大沢在地人深野・内藤両氏に対して、その功により名主の次に位置する町人役の身分を与える。大沢猫の爪(福井文書)に「中宿百姓深野弥市は中古深野所左衛門分地、木香屋之末之由、天明年中より百姓に成、木香屋本子孫は山屋と申、深野百次郎也。下組町人深野所左衛門屋敷、元禄度孫右衛門名所、所左衛門義は元亀天正之頃より代々所持罷在候旧家に而深野党之本家也、所左衛門寛永十三年死去、其後深野彦右衛門先祖半軒に而分地致、大屋敷一軒両人に而代々居住仕候、年寄深野彦右衛門先祖は承応之頃分地致申候由、一度衰微之所元禄後追々持立、本家よりは大株に相成申候。元禄八年検地、町人深野所左衛門屋敷。宝暦七年大沢町百姓、深野所左衛門。明和五年帳面表、深野彦兵衛、深野所左衛門。安永十年、脇本陣深野彦右衛門」と見ゆ。香取社安永九年狛犬に当町深野所左衛門、寛政元年御神燈に深野久次郎・深野所左衛門、寛政三年水鉢に深野弥市、文化三年鳥居碑に大沢町上組深野弥市。明治七年製糸会社人名録に深野弥逸。明治三十年所得税下調査簿に深野勝三・反別五町六反歩・地租八十円。明治三十五年煙草商深野勝三・鋳掛屋深野勝蔵・鳶頭深野和吉・芸者屋深野直吉あり。三戸現存す。

二 同郡大里村(越谷市) 明治三十年人名録に桜井村長及郡会議員深野恒三郎、深野岩次郎・弘化二年生・地租三十七円。昭和三年興信録に「桜井村・深野庫之助・所得税十七円」あり。九戸現存す。

三 同郡大間野村(越谷市) 明治三十年人名録に深野要蔵・安政六年生・地租十六円あり。二戸現存す。

四 同郡大林村(越谷市) 香取社天保六年庚申塔に深野又四郎。現存無し。

五 同郡今泉村(羽生市) 長光寺嘉永三年常夜燈に今泉村深野治左衛門・深野新五左衛門あり。三戸存す。

六 足立郡上尾町 昭和三年興信録に「深野藤一郎・所得税二十一円」。

七 新座郡志木宿 伽耶国の秦族は新羅人と称す。宝幢寺安永七年常夜燈に引又町深野弥吉、嘉永二年地蔵尊に引又町深野喜八.。敷島社文政八年水鉢に引又町深野喜八、明治九年住吉碑に当町深野米蔵。御嶽社天保二年水鉢に深野藤七.。立善講寺明治十九年題目塔に当宿深野為助あり。一戸現存す。

八 同郡下新倉村(和光市) 当村に此氏多く存す。元禄三年庚申塔に深野太郎兵衛。吹上観音嘉永二年庚申塔に当村島・深野孫市、年不詳に当村島深野藤次郎・当金山深野紋右衛門。明治二十五年青年会深野忠吉・深野忠蔵あり。

九 入間郡上南畑村(富士見市) 南畑村之沿革史に「上南畑村の深野宇右衛門は元和四年の石碑墓所にあるゆえ、古く前々より土着民ならんか。この分家平蔵は宝暦年中に組頭を勤めたり」と見ゆ。六戸現存す。

一〇 熊谷町 宝暦十年本町北屋敷持主深野治助。賢勝院明治十四年妙法講碑に当駅深野伴二郎。明治三十五年飲食店深野かね・左官職深野伝吉・旅人宿深野伴次郎あり。

一一 本庄町 明治三十五年菓子商深野台三郎あり。

一二 秩父郡皆野村 寛保三年香具仲間連名帳に深野民之丞。現存無し。

深野木 フカノギ 鳩山に存す。

深畑 フカハタ 大宮に存す。青森県三戸郡五戸町十一戸あり。

深原 フカハラ 新座、草加等に存す。

深堀 フカボリ 各市町村に存す。群馬県高崎市三十戸、千葉県旭市三十戸、長野県飯山市十九戸、宮城県桃生郡矢本町十七戸、青森県上北郡十和田湖町十二戸あり。

深間内 フカマウチ 浦和、与野に存す。

深町 フカマチ 摩乳(まち、つち)は椎・槌・鎚(つち)のことで、鍛冶道具のトンカチのこと。町は佳字なり。フカ、マチ参照。秦族鍛冶師の集落を称し、砂鉄の採取できる川岸に土着す。小名深町は、葛飾郡松伏村、埼玉郡平野村、鈎上村、尾ヶ崎新田、内牧村、青柳村、弥勒村、皿尾村、白川戸村、下池守村、足立郡里村、小貝戸村、曲本村、宿村、新座郡田島村、入間郡小仙波村、高島村、八ツ島村、志垂村、下南畑村、並木村、鴨田村、小久保村、片柳新田、宗岡村、横見郡上砂村、比企郡下小見野村、虫塚村、柏崎村、上押垂村、田木村、桃木村、榛沢郡岡村、末野村、幡羅郡西別府村、大里郡手島村、小八ツ林村等にあり。此氏は利根川流域の上武両国に存す。○群馬県佐波郡境町二十二戸、玉村町十八戸、伊勢崎市八十五戸あり。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御歩行目付・二十五俵二人扶持・深町所左衛門」。享保八年忍藩軍役帳に「八両二人扶持・深町所左衛門」あり。

二 埼玉郡鴻茎村(騎西町) 寿昌寺宝永三年庚申塔に深町半兵衛、安政五年馬頭尊に鴻茎村深町牛太郎あり。四戸現存す。

三 同郡斎条村(行田市) 酒巻村八幡社慶応三年八海山碑に斎条村深町捨五郎あり。一戸現存す。

四 同郡馬見塚村(南河原村) 西善院享保十七年供養塔に深町瀬兵衛・深町藤七・深町五右衛門・深町平六・深町弥市。和田村宝珠院宝暦二年供養塔に深町弥市、天明五年碑に馬見塚村深町秀五郎。西善院享和元年供養塔に深町弥市あり。七戸現存す。

五 熊谷町 嘉永元年文書に深町又兵衛あり。

六 榛沢郡中瀬村(深谷市) 当村元禄八年庚申塔に深町伊右衛門。中瀬神社明治四十一年碑に深町藤蔵・深町音八・深町義一郎・深町初五郎・深町島次郎・深町半平・深町彦太郎・深町清之助・深町マツ・深町安司。向島不動堂明治四十四年従軍馬匹碑に中瀬深町島次郎・深町音八.。中瀬村会議員に深町藤蔵・明治十二年生、深町大蔵・明治三十年生あり。十二戸現存す。

深松 フカマツ 浦和、川越等に存す。

深水 フカミ 越谷、熊谷等に存す。

深美 フカミ 蕨、与野、越谷に存す。

深味 フカミ 川越に存す。

深海 フカミ 北本、戸田、草加、和光、入間、狭山、坂戸等に存す。

深見 フカミ 各市町村に存す。茨城県真壁郡明野町十四戸、下館市十七戸、山梨県北巨摩郡双葉町十戸あり。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御中小姓・四十俵二人扶持・深見甚五兵衛」あり。

二 足立郡東間村(北本市) 浅間社明治四十年碑に深見松五郎あり。一戸現存す。

富加見 フカミ 春日部に存す。

深溝 フカミゾ 戸田、坂戸等に存す。

深道 フカミチ 浦和、三郷、川越、三芳、東松山、寄居等に存す。

深水 フカミヅ 各市町村に存す。

深港 フカミナト 川口に存す。

深村 フカムラ 蓮田、春日部に存す。

深屋 フカヤ 深谷条二十項参照。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五両二人扶持・本国陸奥生国同・深屋角左衛門・三十四歳」あり。

二 小川町 明治三十五年紙商深屋市太郎あり。現存無し。

深谷 フカヤ 秦(しん)を深(しん)と書き、深(ふか、ふかい)と読まれ、二字の制度により深井と記す。秦族の集落を深井・深谷(ふかい)と称し、フカヤに転訛す。○栃木県芳賀郡二宮町十八戸。○茨城県久慈郡里美村十四戸、大子町十八戸、那珂郡東海村十九戸、東茨城郡内原町四十二戸、西茨城郡岩瀬町百三戸、友部町五十戸、真壁郡協和町五十戸、真壁町十六戸、大和村五十戸、ひたちなか市九十三戸、水戸市九十戸。○福島県石川郡石川町十八戸、東白川郡塙町三十七戸、西白河郡表郷村三十五戸、大信村二十九戸、西郷村十七戸、岩瀬郡長沼町二十三戸、岩瀬村二十三戸、伊達郡保原町十七戸、双葉郡富岡町二十四戸、白河市百三十八戸、須賀川市七十八戸あり。

一 武蔵国の地名深谷について ○上総国夷隅郡荻原村行元寺文書(千葉県夷隅町)に「秘密灌頂私記、延文元丙申八月五日(一三五六)於世良田山長楽寺以大聖寺御本為、書写了、深谷安養寺住僧尊賢」と見え、世良田村の対岸榛沢郡深谷に比定する説があるが誤りなり。上総国夷隅郡深谷村安養寺(夷隅町)の尊賢が、同郡中魚落村大聖寺の奥書を長楽寺に於て書写す。但し尊賢は江戸末期に寺子屋を開いており、此の古文書は偽作である。また、長享二年(一四八八)秩父札所番付に「十番深谷寺、本尊如意輪観音」とあるを榛沢郡深谷に比定するが誤りなり。秩父郡白久村字深谷(ふかたに)の深谷寺(今の三十番法雲寺)なり。さて本文に移る。○足利市小俣町鶏足寺世代血脈に「第二十七祖師尊慶法印、武州深谷杉別処薬師堂良慶法印に遇ふて西院流を伝ふ、文和四年乙未六月六日(一三五五)入滅八十五才。第二十九祖師尊誉法印、応安六年癸丑(一三七三)於武州深谷杉別所薬師寺汀在之、至徳四年丁卯九月十八日(一三八七)入滅。永享元年己酉暮春(一四二九)書始、五月比書終也、慈宥生歳五十七」と。日光輪王寺応永三年(一三九六)大般若経奥書に「武州幡羅郡新開郷別所霊光寺」とあり。幡羅郡新開郷杉別所は東方村字杉町(深谷市)で、現在の熊野神社・弥勒院・杉町公民館附近なり。薬師寺及び霊光寺は弥勒院附近にあった。血脈は永享元年に記したもので、文和・応安より応永初年頃迄は庁鼻和郷及び北側の新開郷杉別所一帯は深谷庄を唱えていなかった。○鎌倉円覚寺文書に「至徳元年十二月二十日(一三八四)、足利氏満は、上椙左近蔵人憲英の申請を容れ、常陸国真壁郡竹来郷の中根村(大和村大字高久字中根)を円覚寺に寄進す」と見ゆ。風土記稿幡羅郡国済寺村条に「康応二年(一三九〇)上杉憲英新建の時共に鋳し鐘なりしか。寛文十一年再鋳せしことを彫れり」。庁鼻和郷国済寺鐘銘に「大日本国関東道武州路幡羅郡深谷庄常興山国済禅寺洪鐘之銘記、応永年中、大檀那藤原朝臣上椙蔵人憲英」とあり。憲英(応永十一年逝去説あり)は常陸国真壁郡出身の本名深谷氏にて、真壁郡を本拠地としていた上杉憲顕の名跡を継承して上杉氏を名乗り、武州庁鼻和郷に移住し、自己の苗字深谷を名付けて深谷一家を興し、所領地は私称深谷庄を唱えた。但し、国済寺村及び東方村は江戸時代まで永井庄を称していた。○憲英の子は庁鼻和左馬助憲光にて、大里郡広瀬村(熊谷市)出身の本名高橋氏が憲光の名跡を継承して上杉蔵人憲長と名乗り、憲長は広瀬村に帰農して居住地を深谷庄と唱え、子孫は高橋氏を称して現存す。○憲長の弟(組織上の兄弟分)庁鼻和上杉武蔵守憲信法名性順、其の子右馬助房憲父子は深谷庄庁鼻和郷に居住して深谷氏或は庁鼻和氏を称す。憲信の弟上杉七郎憲明は多摩郡青梅三田領柚木村出身の本名市川氏なり。憲明の墓は子孫市川家にあり。憲信は深谷憲光の実子で深谷氏を称す。長倉追罰記に「永享七年六月下旬(一四三五)、常州佐竹の郡・長倉遠江守追罰として、鎌倉殿御勢、其次に大将岩松殿、左は山内殿、右は扇谷殿、江戸、品川、河越、松山、ふかやをはじめとして、武州一揆も打続云々」と。鎌倉大草紙に「康正二年(一四五六)、武蔵国には上杉武蔵入道性順息男右馬助房憲は、武蔵の人見へ打て出、上州の味方と引合、深谷の城を取立ける。足利成氏是を聞て、同十月十七日、二百騎の勢を指遣はし、上杉方岡部原へ出合、火出る程に戦ひける」と見ゆ。大草紙は後世の作品であり当時は「深谷の城」とは称していない。康正頃は榛沢郡藤田庄田谷村(深谷市)にあった蓮沼城で城主河田氏を追放して、深谷房憲が入城し深谷城と名付けた。秋元家藩臣秘録に「太陽寺四郎左衛門。御譜代深谷衆之内、今深谷一ノ坂と云所先祖旧跡有り、此の一ノ坂の脇に蓮沼と云城跡あり」と見ゆ。○深谷上杉氏は幡羅郡庁鼻和郷(後の国済寺村)より榛沢郡田谷村蓮沼城に移り、深谷城と改称して此の城下附近を深谷と称した。後に徳川氏入国により東山道(城の北側の福川堤)を廃止して、南方の榛沢郡西島村を通過する中仙道が開通したために、西島村の内に深谷宿が新設された。是が明治初年の深谷町であり、四方は大字西島となっている。深谷の地名は深谷上杉氏の移住地を唱えてきた。○紀州那智山米良文書に「応仁二年三月五日(一四六八)、旦那在所注文、みかしり一円、ます田一円、西ちゃうのはな一円、東ちゃうのはな一円、ふかい一円、大沼一円、おかのや一円」と。ふかい一円は深谷城主上杉氏及び深谷城下の家臣なり。旅宿問答に「長享年中(一四八七)、別府郷の神主彦右衛門は、庁ノ鼻和・深谷薬師堂を透りて、岡ノ谷ノ原を過れば、白井に着けり」と。別府村から庁鼻和郷を通り、深谷城下の薬師堂(西島村稲荷町北)を経て、福川堤(東山道)を行けば岡ノ谷(曲田村、谷ノ村)の原を過ぎて上州白井に着く。薬師堂の目ノ前にあった深谷城を記していないのは、堂以下の目立たない粗末な城であったか。

二 庁鼻和上杉氏流深谷氏 上杉家系譜(長野県大豆島の久保田氏所蔵)に「上杉憲英―上杉固庁鼻和左馬助憲光―右馬助憲信(固庁鼻和入道性順)―三郎右馬助房憲―三郎憲清―次郎憲賢(永禄三年卒)―三郎憲盛(元亀四年北条氏政と和睦、天正三年卒)―三郎氏憲(小田原落城後浪々信濃住居、寛永十四年卒)―太郎憲俊(深谷太郎。母北条氏女。天正七年深谷城生、同十八年深谷城潰父子浪々至信濃更級郡笹井庄、元和二年播州池田輝興に仕へ岡山住、慶安元年卒)―雄七郎憲昌(母蒲生臣小山小四郎氏行女。池田政輝に仕へ、君命に因り木村茂左衛門と改る。寛文五年卒)、弟鹿左衛門憲知(母久保田氏女、元和四年妾腹。寛永十三年信州更級郡笹井庄来、氏憲同居、依母姓改久保田氏、延宝五年卒)」。憲昌の子孫は深谷氏を名乗り北海道に現存す。永禄三年関東幕注文に「深谷御幕・竹に雀」。風土記稿男衾郡本田村(川本町)条に「字上本田の内に陣屋跡あり、広二町四方許の地にて、廻に小土手あり、深谷城主上杉氏憲の陣屋跡なりと云ふ」。本田村教念寺文書に「天正元年卯月九日、奉寄進本田教念寺事、右上本田郷之内田十町・畑六町寄進、深谷氏憲花押」あり。天正元年の改元は七月二十八日で、卯月は元亀四年四月である。此の文書は信用できず。

三 関東管領上杉氏家臣の深谷氏 加沢記に「天文十四年、管領上杉憲政は上野国平井へ参られける。座配の大名は、右は長野信濃守藤原顕重・其次に白倉三河守・其次に児玉党倉賀野淡路守・高山遠江守・深谷左兵衛尉、左の上座は由良・本庄・安中越前入道、其外上州武州両国の先手衆列座したる凡千余人には過たり」。関八州古戦録に「天文十五年十月、上州笛吹峠合戦の事、上杉憲政勢に武州の深谷内匠助・小桜を黄に返したる鎧を着て只一人坂中に留り、大長刀を打振る」。成田記に「天文十五年十月上旬、関東管領上杉憲政は、関東の勢を催し甲州へ発向せんと押出す。両軍笛吹峠において大に戦う。関東勢に深谷左兵衛佐棟長等あり、関東方忽に敗れ、憲政ほうほうにて平井に逃帰る」。甲陽軍鑑に「天文十五年十月六日、関東勢、笛吹峠へ働出る侍衆は長野信濃、忍衆、深谷衆等云々」と見ゆ。深谷左兵衛尉棟長、及び深谷内匠助は深谷城主上杉氏とは無関係なり。甲陽軍鑑の作者は深谷衆と記して深谷上杉氏にしているが誤りなり。

四 北条氏家臣の深谷氏 前項の深谷氏は憲政没落後は小田原北条氏に仕へる。古河公方足利晴氏室の芳春院(北条氏綱娘)一周忌雑用書に「永禄五年七月九日、奉行江礼五百文・深谷玄蕃」。新田金山伝記に「南方(小田原)には、忍・深谷・本庄・東方、利根川を隔て敵と成し、合戦数度也。南方敵の次第、武州深谷城主深谷左兵衛棟長、天正の頃は左兵衛尉吉教・北条方。同国東方城主、永禄頃は武田幕下深谷勝兵衛忠季持分也、天正頃は滝川一益幕下深谷棟長持分」と見ゆ。滝川幕下深谷棟長は誤りにて、此の書は信用できず。深谷記に「卯年(永禄十年)、深谷と小田原と和合被成、越後のをさへに、東上野中山へ被遣候は、中村拾左衛門(深谷記の著者)等以上七人・御鉄砲衆百人被遣候事」と。此の頃より深谷と同じ苗字の小田原家臣深谷棟長が派遣されている。深谷城は元亀二年事実上落城し北条氏と和睦す。秋元家藩臣秘録に「一ノ坂の脇に蓮沼と云城跡あり、元亀二年北条氏政これを攻め、終に扱となる」。天正九年落城説は誤りである。是より小田原家臣深谷吉教が城代として派遣され事実上の城主となり、上杉憲盛・氏憲父子は実権の無い形だけの城主であった。深谷宿三高院文書に「天正九年正月、北条家は深谷城を襲う。此節深谷之城へ攻寄する北条家之面々伝曰、深谷左兵衛尉吉教等あり」。深谷古来鑑に「天正九年、上杉落之後跡へ北条家臣深谷左兵衛尉吉教と言ふ者、城代として在城す。時に天正十八年に小田原落城し、此時吉教小田原へ馳参じて戦死す」と。深谷記に「午年(天正十年)、武川伊予守殿(滝川一益)関東へ陣之事。武川金窪ひさいと原に而、深谷・鉢形・忍衆出合、切負大形打死仕候」と、北条方なり。天正十八年神君関東御入国御知行割封帳に「北条氏家臣、武州深谷城主深谷左衛門尉吉教、東方城主深谷左衛門尉吉教持分」と見ゆ。北条家の御政道は領内を支配しやすくするために、深谷城代に地名と同じ苗字の深谷氏を配置した。

五 三田谷土豪衆深谷氏 比企・入間・高麗・多摩郡地方の三田谷衆は多摩郡勝沼城主三田氏に仕へる。紀州那智山米良文書に「天文二十二年四月吉日願文、武州みたの住呂賀藤たくミ、同ほや源左衛門、同あさハたてわき、同わかハやし、いしと新左衛門、同あらい助次郎、同ふかや左馬の助、同彦三郎、同しゃうけん、同宮寺うたの助、同いおすミまこ七、同とハリ次郎三郎、見田与五郎、同源長」と見ゆ。多摩郡関戸村有山文書(多摩市)に「天正十四年三月十二日、六貫文・深谷図書助給田、三貫文・同半七郎給田」と、当村の内を領せし由をしるせり(風土記稿)。深谷氏は多摩郡に現存無し。比企郡出身か。

六 岩附城士の深谷氏 比企郡出身なり。道祖土文書に「永禄五年七月十六日、太田資正は、比企郡八林之内深谷民部分の地を道祖土図書助に安堵す」。「天正十六年五月五日、太田氏房は、小田原番衆・二人・右谷民部の出役を命ず」とあり、右谷は深谷の書誤りか。名古屋市大口文書に「天正十八年二月十四日、上田掃部助知行・比企郡戸森郷百姓深谷兵衛尉が年貢納入が出来ないため、岩付領一本木宿(川島町)へ逃亡した事に対し、召還を命ず」と。戦国遺文三六五〇には深谷兵庫と記す。太田家譜に「太田譜代之士、深谷半之允、深谷左馬之助」と見ゆ。

七 榛沢郡深谷宿代官深谷氏 北条氏家譜に「北条氏綱―綱成―氏繁(甘縄城主、天正六年卒)―女子(上杉左兵衛尉憲高妻)」。比企郡出身の深谷氏にて北条氏の重臣なり。深谷城主上杉氏では無い。比企郡上小見野村曹洞宗安楽寺墓地に「慶長三年九月二日・俊叟全勝禅定門。大職冠鎌足公□裔観修寺内大臣高藤公十二代上椙左衛門尉重房公五代武蔵国榛沢郡深谷城主上椙陸奥守憲英七代孫深谷左兵衛佐憲高嫡左馬介藤原吉次墓」、添文に「文化二年九月二日、吉次九代之嫡孫・江都住深谷式部藤原盛房記」とあり。当寺は菩提寺では無い。深谷良男氏(父は八ツ林村出身)は曰く「深谷吉次を祖とする後世の江戸の武士が家譜提出の際、深谷上杉とうまくすり合せたのかも知れない。また江戸幕府も、深谷宿代官に深谷上杉氏憲の血縁でない深谷喜右衛門を使うなど、家康のご政道もなかなか面白いものだと思う。また、八ツ林村の深谷一族墓地から二百メートル程に小見野村の安楽寺ありて、吉次の開基と伝うが、吉次の開基ではなさそうである」と言う。寛政呈譜は勘定奉行深谷盛房の作成にて、盛房家のみが上杉氏の紋である「竹の内に飛雀」を用いている。深谷上杉氏後裔説にこだわっているが、八ツ林村出身にて岩附城士なり。寛政呈譜に「丸に剣花菱、輪違。今の呈譜に上杉重房が後胤左兵衛督憲高、武蔵国深谷の城に住せしより、深谷をもって家号とす、吉次は其男なりといふ。深谷左馬介吉次(北条氏直の弟太田源十郎某につかふ。某年死す。法名全勝)―忠兵衛盛吉(太田十郎氏房につかへ、小田原没落のゝち、慶長二年めされて東照宮につかへ御代官をつとめ二百俵をたまふ。明暦二年死す、年八十三、法名宗珍。多摩郡八王寺の高乗寺に葬る。のち祥尹にいたるまで葬地おなじ)―喜右衛門吉政(御代官、延宝四年死す。弟盛忠)―忠兵衛吉永(御代官、元禄五年死す)―喜右衛門祥尹(延享三年死す)―忠兵衛嘉任(天明七年死す。小日向の金剛寺に葬る)―喜右衛門盛信」。「竹の内に飛雀、丸に剣花菱、丸に桔梗、輪違。庄右衛門盛忠(深谷忠兵衛盛吉が二男。代官をつとむ)―盛歳(四百俵、享保三年死す、小日向の金剛寺に葬る。のち代々葬地とす)―盛英―盛純―盛朝―盛牡―盛房(天明三年遺跡を継ぐ、時に十七歳、四百俵)」と見ゆ。深谷古来鑑に「正保年中より承応年中迄深谷喜右衛門支配。万治二年より深谷喜右衛門支配。寛文十二年より貞享年間迄深谷忠兵衛支配」とあり。

八 小笠原氏流深谷氏 中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「深谷、清和、本国武蔵、小笠原余流」と見ゆ。上杉氏憲は信濃国出身の出稼衆にて、信濃国守護小笠原氏後裔に仮冒したか。尚、氏憲の弟憲国は上州出身の本名安中氏なり。上杉系図に弟と記すは誤りにて、憲国は慶長九年生で氏憲とは無関係である。

九 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百石・深谷無右衛門(一本に三右衛門)・是は忍にて罷出・武蔵之者」あり。

一〇 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「八石二人扶持・深谷正利、六石二人扶持・深谷正英」。松山町箭弓神社明治三十一年碑に松山町深谷正英。明治三十五年松山町牛肉店深谷正利。正利の子孫一枝は東京都豊島区に、正英の子孫陽二郎は東松山市日吉町に存す。

一一 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「百石・深谷所左衛門」あり。

一二 岡部藩安部氏家臣 明治三年岡部藩分限帳に「小役人・摂州・三石二人扶持・深谷永之助」。明治四年半原県分限帳に「卒・深谷勇治・東京・士族、使部・深谷永之助・桜井谷・平民」あり。

一三 葛飾郡彦成村(三郷市) 彦成新田稲荷社享保三年庚申塔に彦成村深谷平三郎、元文五年庚申塔に深谷源右衛門あり。三戸現存す。

一四 同郡上口村(三郷市) 閻魔堂宝永四年庚申塔に深谷利蔵・深谷作右衛門あり。一戸現存す。

一五 同郡蓮沼村(三郷市) 明治七年文書に深谷忠次郎・深谷幾次郎あり。二戸現存す。

一六 同郡駒形村(三郷市) 明治七年文書に深谷秋治郎あり。現存無し。

一七 同郡八丁目村(春日部市) 東福寺寛政八年庚申塔に深谷安右衛門あり。現存無し。

一八 埼玉郡長宮村(岩槻市) 香取社文化元年供養塔に深谷定右衛門あり。現存無し。

一九 同郡柴山枝郷(菖蒲町) 当村に此氏の旧家あり。十三戸現存す。

二〇 足立郡間宮村(浦和市) 間宮自治会館文化十年庚申塔に南部領間宮村深屋半右衛門あり。

二一 同郡深井村(北本市) 古代秦族の渡来地にて、村名を深井と称し、苗字は深谷(ふかい)と記してフカヤと称す。寿命院寛政九年寄附帳に当村深谷菊太郎・深谷三右衛門・深谷市太郎・名主深谷友七.。上谷新田金剛院元治元年碑に深井村深谷徳助あり。十二戸現存す。

二二 同郡中曽根村(鴻巣市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に中曽根村深谷浅右衛門・深谷八郎右衛門・深谷平兵衛。岩室観音堂寛政十二年頃碑に足立郡中曽根村深谷浅右衛門。明治四年組頭深谷幸吉・五十四歳。明治二十一年議員深谷清太郎。明治三十五年常光村農友会に深谷長太郎・深谷嘉助あり。二戸現存す。

二三 同郡川田谷村(桶川市) 当村に此氏多く存す。紀州高野山清浄心院供養帳に「逆修道全禅定門為父・逆修妙印禅定尼為母・逆修妙宗禅定尼(為内儀か)・武州足立郡川田谷郷深谷長三郎立之・寛永八年七月四日(供養日)」。弥勒院享和二年普門品に砂ヶ谷戸村深谷宗七・西八津村深谷直右衛門・同村深谷小四郎。泉福寺天保五年供養塔に砂ヶ谷戸村深谷宗七・西八津村深谷直右衛門。諏訪社明治三十九年幟碑に深谷森蔵・深谷三次郎・深谷浅吉・深谷輝太郎あり。

二四 入間郡川越町 南入曽村入間野神社文政五年水鉢に川越深谷八五郎。嘉永七年服部文書に三番組大世話役深谷幾三郎。氷川社明治十七年碑に深谷長三郎(米穀商)あり。

二五 比企郡正直村(川島町) 日枝社伝に「当地一帯を領した太田持資道灌の家臣深谷将監正直が寛正元年に勧請す」。川島のむかし話に「上杉家の臣深谷将監正直兄弟と福島・山下という郎党が本庄あたりから追われて土着し、正直村と名付けた。弟は小見野へ移住し、将監は八ツ林村へ転住す」と見ゆ。正直は古代条里の条敷にて人名は府会なり。現存無し。

二六 同郡上八ツ林村(川島町) 上杉氏及び北条氏家臣の深谷氏は当村出身の出稼衆であろう。氷川社正応(承応)元年水鉢に深谷弥兵衛あり。十三戸現存す。

二七 同郡上小見野村(川島町) 安楽寺天保十年銅鉢銘に上小見野村深谷与平治。当村明治二十一年馬頭尊に上小見野村深谷友七。現存無し。

二八 同郡下小見野村(川島町) 明治九年副戸長深谷喜惣次・天保十年生。松山町箭弓神社明治三十一年碑に小見野村深谷喜惣次。氷川社明治三十九年碑に深谷半三郎・深谷茂平あり。七戸現存す。

二九 同郡三保谷宿(川島町) 春林寺寛文十二年庚申塔に深谷□□門・深谷□□□□あり。一戸現存す。

三〇 同郡上増尾村(小川町) 明治三十五年穀木炭商江戸屋深谷磯五郎あり。一戸現存す。

三一 大里郡熊谷宿 宝暦十年横町屋敷持主深谷兵七.。嘉永元年文書に深谷与四郎あり。

三二 榛沢郡成塚村(深谷市) 新会村会議員深谷邦義・明治三十九年生あり。現存無し。

三三 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・深谷幾市・四十五円、深谷弥五郎・二十六円、川田谷村(桶川市)・深谷宇三郎・十円、松山町・深谷正英・十三円、大河村(小川町)・深谷英一・百五十五円・百三円」あり。

布河谷 フカヤ 明治七年熊谷宿惣代人布河谷源右衛門。明治三十五年熊谷町質古着店米屋布河谷和吉あり。一戸現存す。

深山 フカヤマ 各市町村に存す。栃木県那須郡那須町十一戸、山梨県東八代郡一宮町四十戸あり。

一 葛飾郡三輪野江村(吉川市) 三輪之江神社明治三十九年碑に深山金次郎あり。一戸現存す。

二 足立郡上村(上尾市) 字長浪明和五年庚申塔に上村深山半七.。龍山院寛政十二年庚申塔に上村深山武兵衛・深山半右衛門。明治九年戸長深山富蔵・文政二年生。氷川社明治四十二年碑に深山幹三郎あり。三戸現存す。

深輪 フカワ 葛飾郡深輪村(杉戸町)あり。

普川 フカワ 春日部に存す。神奈川県藤沢市十七戸あり。

富川 フカワ 千葉県安房郡天津小湊町二十戸あり。

布川 フカワ 山形県上山市二十二戸あり。ヌノカワ参照。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・布川七郎治」あり。

二 埼玉郡慈恩寺村(岩槻市) 月読神社嘉永三年幟碑に布川善吉あり。一戸現存す。

三 足立郡南部領門前村(大宮市) 湯殿社文政二年水鉢に布川熊吾・布川万吉・布川郷蔵・布川長五郎。中里村弘法尊院慶応三年碑に門前村布川次左衛門あり。十一戸現存す。

四 同郡小針内宿村(伊奈町) 小針神社天保九年水鉢に小針内宿村布川長兵衛あり。現存無し。

五 秩父郡小鹿野町 昭和三年興信録に「布川仙太郎・所得税九円・営業税三十六円」あり。現存無し。

府川 フカワ 入間郡府川村(川越市)あり。志垂・宿粒・網代・石田・石田本郷・谷中の六村は総て昔府川郷と呼び、府川村は其頃上府川村或は府川本郷と唱え、菅間村は下府川と唱える。○神奈川県足柄上郡開成町三十三戸、山北町二十戸、小田原市二百七十戸、平塚市百八十戸、秦野市八十八戸あり。

一 足立郡小室村(伊奈町) 当村文政十二年庚申塔に小室谷畑村府川金助あり。現存無し。

二 同郡桶川宿 府川家由緒書に「先祖越前国大野城主大野秀利・天正年中浪人当所住口、二代府川甚右衛門と改名、寛永年中本陣並問屋名主役」とあり。また、大野秀利は川越領府川村に住し府川と改名し、後に桶川に移住すと伝へる。府川郷の出身か。足立氏館跡碑に文化六年再建府川甚右衛門尉義重。加納村天神社嘉永五年水鉢に桶川宿府川甚右衛門・府川由三郎。三峰神社史料集に安政五年桶川宿御本陣府川甚右衛門。稲荷社安政六年碑に府川甚右衛門・府川由三郎・府川信蔵。明治九年副戸長府川團次郎・安政三年生。明治十一年文書に府川得二・府川三雨・府川良平。明治三十五年薬種商府川弁助・府川秀之助。昭和三年興信録に「府川信三郎・所得税七十八円・営業税十八円、府川平助・所得税三十七円・営業税五十六円」あり。五戸現存す。

三 同郡宮内村(北本市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に上宮内村府川佐源二・府川源蔵・府川半七あり。二戸現存す。

四 同郡東間村(北本市) 浅間社明治四十年碑に府川宇三郎。現存無し。

五 同郡上谷新田(鴻巣市) 明治三十五年玩物商府川源蔵。八幡社明治四十二年碑に府川清松あり。一戸存す。

六 入間郡府川郷(川越市) 宿粒村・網代村・志垂村住人なり。志垂村安養院は小仙波村中院の門徒にて、中院檀家は当村住人か。天台宗中院過去帳に「妙秋尼・府川郷・布川兵庫内・慶長十四年八月二十日。道須禅定門・府川・布川久左衛門父・慶安五年六月十日。道清禅定門・府川・布川太郎右衛門・寛文六年七月十七日」。明治九年志垂村戸長府川弥市・嘉永二年生。昭和三年興信録に「山田村・府川庄三・所得税九円」あり。七戸現存す。

七 同郡古市場村(川越市) 明治十三年入東学校生徒府川鶴吉。福岡村御嶽社明治二十三年碑に古市場府川仲蔵あり。一戸現存す。

八 日蓮宗信徒の府川衆 川越行伝寺過去帳に「了信・府川村ノ衆・甲辰年正月。浄蓮・フカワノ五郎左衛門・辰年十一月。妙善・府川ノ五郎左衛門内」あり。菅間村の竹ノ谷氏・菅間氏参照。

部川 ブガワ 越谷に存す。

武川 ブガワ 和光に存す。宮城県栗原郡高清水町六戸あり。

深渡瀬 フカワタセ 坂戸、所沢に存す。

深渡 フカワタリ 大宮に存す。岩手県下閉伊郡普代村二十一戸あり。

府木 フキ 大宮、川越等に存す。

婦木 フキ 新座に存す。

吹上 フキアゲ 足立郡吹上村あり。新座郡下新倉村字吹上(和光市)東明寺元亀二年鰐口銘に新座郡下村福田山東明寺・吹上観音堂用之と見え、観音堂嘉永元年庚申塔に吹上町と見ゆ。葛飾郡下高野村永福寺伝(杉戸町)に「長保三辛丑年、績苧長者・後世吹上と云所・古の績苧里也。児池は修羅地山、今は法華卵塔と云ふ、児池は吹上に存す」と。入間郡下奥富村字吹上(狭山市)は梅宮神社慶応二年再建帳に下奥富村吹上と見ゆ。高麗郡野田村字吹上(入間市)は中山村智観寺明和二年鐘銘に吹上と見ゆ。浦和、川口、鳩ケ谷、菖蒲、春日部、入間、川越、狭山、所沢、深谷、本庄等に存す。群馬県佐波郡境町二十八戸あり。

吹井 フキイ 鶴ヶ島、本庄等に存す。

吹浦 フキウラ 吉川、川越等に存す。

吹貝 フキガイ 大宮に存す。

吹上 フキガミ 川越に存す。

吹越 フキコシ 入間、宮代、鷲宮等に存す。青森県上北郡上北町九戸、東北町二十四戸あり。フッコシ参照。

吹沢 フキサワ 宮代に存す。栃木県下都賀郡岩舟町七戸あり。

吹澤 フキサワ 浦和、春日部に存す。

蕗沢 フキサワ 浦和に存す。

冨貴島 フキシマ 三郷に存す。

福貴島 フキシマ 菖蒲、行田等に存す。

吹田 フキタ 各市町村に存す。青森県南津軽郡大鰐町六十戸、平賀町三十五戸、弘前市四十戸。スイタ参照。

一 忍城士の吹田氏 成田分限帳に「十貫文・吹田佐門次」あり。

吹塚 フキヅカ 比企郡吹塚村(川島町)あり。

冨貴塚 フキヅカ 草加に存す。

富貴塚 フキヅカ 草加、越谷等に存す。

蕗附 フキツケ 上尾に存す。

吹手 フキテ 川越日蓮宗行伝寺過去帳に「行俊・フキテ・寅年九月」あり。現存無し。

吹野 フキノ 各市町村に存す。茨城県西茨城郡友部町五十四戸、山梨県中巨摩郡櫛形町十戸、鳥取県西伯郡淀江町四十九戸、米子市二十六戸あり。

吹場 フキバ 川口に存す。

吹原 フキハラ 川越、大井等に存す。

一 忍城士の吹原氏 成田分限帳に「二十七貫文・吹原庄左衛門」あり。

吹春 フキハル 所沢、神川等に存す。

葺本 フキモト 浦和、川越等に存す。

吹矢 フキヤ 北本に存す。

吹谷 フキヤ 浦和、草加、秩父等に存す。秋田県大館市十四戸あり。

蕗谷 フキヤ 上尾、白岡、川越に存す。

吹山 フキヤマ 上尾、越谷等に存す。

柊山 フキヤマ 春日部、越谷に存す。

冨金原 フキンバラ 越谷、三郷、松伏に存す。島根県江津市四十六戸あり。

服 フク 和名抄に大和国山辺郡服郷を波止利と註す、服部(はとり)の居住地なり。服(ふく)と読み、佳字に福を用いる。ハトリ条参照。

福 フク 服の佳字なり。浦和、川口、戸田、新座、川越等に存す。

一 志木町 明治三十五年鳶職福太郎あり。現存無し。

福阿弥 フクアミ 川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙福・フクアミ・丑年二月」あり。現存無し。

福有 フクアリ 川越に存す。

福井 フクイ 服の佳字にて、福は二字の制度により福井と称す。○青森県東津軽郡平舘村百戸、蓬田村二十二戸、西津軽郡稲垣村二十三戸、南津軽郡平賀町二十八戸、藤崎町三十七戸、青森市二百五十戸。○島根県松江市百十戸。○鳥取県東伯郡羽合町十四戸、東伯町十八戸、米子市四十九戸、倉吉市二百戸あり。

一 忍城士の福井氏 成田分限帳に「三十貫文・福井五郎三郎、三十貫文・福井孫左衛門」。行田史譚に「天正十八年忍城攻めの時、福井五郎左衛門は佐間口を守る」と見ゆ。

二 深谷・川越藩酒井讃岐守忠勝家臣 寛永十四年小浜藩分限帳に「百十石・福井平兵衛、百十石・福井清右衛門」あり。

三 川越藩秋元氏家臣 天保二年山形旧家取調帳に「高二百五十石・初代福井長左衛門(寛永十年惣社より谷村へ御所替の節御帳に有り)、高三百石・二代福井長左衛門、五代福井長左衛門」。明治四年館林藩士族帳に「御組頭・三百五十石・福井湊、幼少・三百石・福井金平、御馬印守護・十七人扶持・福井新、十九俵二人扶持・福井健三郎、十五俵二人扶持・福井万造」あり。

四 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「寄合四百石蟹江三郎右衛門の家臣福井金兵衛」あり。

五 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「勘定奉行支配・四石余二人扶持・福井利平次・四十九歳、同役同高・福井又八郎・四十四歳」あり。

六 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御右筆・八石三人扶持・福井留右衛門」。明治四年忍藩士族名簿に「六石四人扶持・福井文之助、八石三人扶持・福井包文」あり。

七 葛飾郡深井新田(吉川市) 六社神社文久元年庚申塔に福井負喜、明治四十年碑に福井真造・福井森蔵・福井兼次郎あり。現存無し。

八 同郡三輪野江村(吉川市) 三輪之江神社明治二十八年碑に福井直弥あり。現存無し。

九 埼玉郡大瀬村(八潮市) 宝光寺明治四十四年碑に福井ノマあり。一戸現存す。

一〇 同郡越ヶ谷町 明治三十五年豆腐商福井丑蔵あり。

一一 同郡大沢町(越谷市) 大沢猫の爪(福井力之助所蔵)に「下組福井権右衛門寛永中より代々名所に而持来候、大沢本陣と唱来旅籠屋渡世致来、天明七年より問屋兼帯被仰付候。百姓小松屋福井覚右衛門は天明中権右衛門分地也。元禄八年検地、福井権右衛門。明和五年帳面表、福井権右衛門」と見ゆ。七代大松屋福井権右衛門猷貞(文政五年没五十四歳)は、越ヶ谷瓜の蔓・大沢猫の爪の著者なり。明治六年旅籠屋惣代福井覚右衛門あり。

一二 同郡騎西町 大英寺寛政十二年庚申塔に福井四郎右衛門。現存無し。

一三 同郡牛重村(騎西町) 当村に此氏の旧家あり。三戸現存す。

一四 同郡加須町 千方神社文政二年水鉢に福井定八あり。一戸現存す。

一五 足立郡里村(鳩ケ谷市) 明治十年法福寺住職福井永海。同寺明治三十一年碑に福井円蔵。明治三十五年肥料油商塗師屋福井吉次郎あり。二戸現存す。

一六 川越町 明治三十五年印刻師福井四郎・米穀商鳥屋福井仙助あり。

一七 熊谷町 大里郡神社誌に「高城明神社の神主は、天和二年忍藩主阿部正武の世に於て、大和国南都高畑春日大明神の神職福井喜太夫を召して神主たらしめる。現神職は福井喜太夫より十六代の孫なり」と。但し天和二年以前より神職なり。高城神社文書に「寛文十一年、神主福井喜太夫。元禄十四年、神主福井主水雅丈。宝永四年、神主福井喜太夫」。同社天保十二年紺屋碑に神主福井石見守藤原賀明。安政三年剣術義集館に熊谷宿福井石見・福井帯刀、石原村福井藤吉あり。

一八 深谷町 原郷楡山神社明治四十二年碑に深谷町福井弥平(荒物商)。深谷町会議員荒物商福井徳太郎・明治十二年生あり。

一九 本庄町 石川剣道場門下生に天明五年・本庄宿福井市郎左衛門。江戸末期に豪商福井市郎兵衛。明治四年諸井文書に仲町福井市五郎。明治三十五年糸繭商福井喜一郎あり。

二〇 小鹿野町 明治三十五年飲食店福井トミあり。

二一 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「鳩ケ谷町・福井吉次郎・二十一円・四十七円、大沢町・福井丑之助・二十六円、所沢町・福井政治・九円・三十三円、深谷町・福井徳太郎・二百八十五円・二十八円」あり。

福居 フクイ 各市町村に存す。

福池 フクイケ 新座、川越等に存す。

福石 フクイシ 久喜、狭山等に存す。

福市 フクイチ 狭山に存す。

福泉 フクイヅミ 大宮、三郷、入間、富士見、川越等に存す。宮城県登米郡米山町十戸あり。フクセン参照。

一 高麗氏族福泉氏 高麗神社々家高麗氏系図に「高麗惟正(天徳四年卒。母福泉平佳女)」。高麗大明神由緒書上に「正元元年十一月八日大風時節出火、系図・高麗より持来宝物多焼失、因之一族老臣高麗、新井、本所、新、神田、中山、福泉、吉川、丘登、和田、大野、加藤、芝木等始、高麗百苗相集、諸家故記録取調、系図記置也」と見ゆ。栗坪村住人か。

二 福泉六済衆 彼岸・盆などに鉦と太鼓とを打って唱える踊念仏の一団なり。高麗郡栗坪村(日高市)勝音寺千手観音坐像銘に「天正九年五月十二日、本願福泉六済衆、七郎四郎、源六、助七、孫右衛門、源三郎、新四郎、彦八、与七郎、新助」あり。現存無し。

三 足立郡砂村(大宮市) 南部領中野村新義真言宗正法院過去帳に「浄賢・砂・福泉・元亀二年十一月十六日」あり。一戸現存す。

四 同郡鴻巣宿 和歌山県伊都郡高野町高野山清浄心院過去帳に「霊位林泉禅定門・武州カウノス為福泉□□□□・天正三年十月五日」あり。当時の鴻巣は本鴻巣村(北本市本宿)を指す。現存無し。

五 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「寄合二百石長尾三曹の家臣福泉倉蔵」あり。

福岩 フクイワ 越谷に存す。

福内 フクウチ 川口、所沢等に存す。

福海 フクウミ 入間、富士見等に存す。

福浦 フクウラ 川口、大宮、桶川、草加、越谷、三郷、吉川、所沢等に存す。岩手県下閉伊郡山田町六戸、青森県東津軽郡蟹田町八戸、島根県隠岐郡五箇村十戸あり。

福江 フクエ 大宮、鳩ケ谷、岩槻、幸手、草加、三郷、川越、狭山に存す。

福栄 フクエイ 浦和、新座に存す。

福尾 フクオ 川口、大宮、草加、新座、所沢、富士見、鳩山、加須に存す。

冨久尾 フクオ 大宮、春日部に存す。

福王 フクオウ 川口、本庄等に存す。

福応 フクオウ 所沢に存す。

福王寺 フクオウジ 幡羅郡飯塚村字福王寺(妻沼町)は明和四年馬頭尊に福王寺村と見ゆ。浦和、蕨、上尾、草加、川越、杉戸、鷲宮、寄居等に存す。新潟県栃尾市二十戸あり。

一 忍城士の福王寺氏 成田分限帳に「十九貫文・福王寺主膳」あり。

福岡 フクオカ 福は服の佳字。阿加(おか)の阿(お)は大、加は村の意味。服部の大族集落を福岡と称す。ハトリ、オカ条参照。入間郡福岡村は、長徳元年星野信秀の本姓福岡をとって地名とすと。星野条七十四項参照。○茨城県稲敷郡阿見町三十七戸。○神奈川県高座郡寒川町五十九戸。○宮城県宮城郡七ヶ浜町十四戸。○秋田県北秋田郡合川町四十九戸、山本郡二ツ井町二十戸、大館市三十二戸。○青森県上北郡六ヶ所村十五戸、青森市七十戸あり。

一 忍城士の福岡氏 埼玉郡持田村(行田市)正覚寺棟札に「天正六年三月七日、大檀那成田下総守氏長、寄進施主福岡越前守」。和歌山県伊都郡高野町高野山清浄心院供養帳に「逆修月渓浄寒禅定門・武州忍福岡越前守立之(供養者)・天正十二甲申二月一日(供養日)。逆修月窓妙心禅定尼・武州福岡越前守内方立之・天正十二年二月朔日。逆修光善禅定門・武州忍郷自分立之・取次福岡越前・天正十三年二月十三日。霊位赫容妙幼禅定尼・武州□アラ井福福岡越前守息女・天正十六年壬五月二十七日」。また、「霊位道仙玄林・武州忍為酒巻□衛門立之・天正八年三月十四日、取次福岡越前守。霊位妙芳禅尼・武州忍栗原備前守為老母、取次福岡越前」。越前守は他家の人を多く取次いでおり、本職は修験にて、上崎村出身か。行田市内に現存無し。

二 八王寺城士の福岡氏 青梅和田文書に「永禄七年五月二十三日、北条氏照は、三田氏の旧臣福岡藤三郎等を清戸三番衆に定める」と見ゆ。

三 日蓮宗信徒の福岡衆 入間郡福岡村住人にて苗字にあらず。川越行伝寺過去帳に「道正・福岡清左衛門尉・卯年十月。順政・福岡ノ清左衛門息・子年五月。妙讃・フクオカ仁右衛門・酉年五月」あり。

四 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「百石・本国三河生国武蔵・福岡甚右衛門・五十五歳」あり。

五 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・百石・山形取立・福岡寿平」。万延二年川越藩分限帳に「御鑓奉行・福岡清兵衛、御馬廻代番・二百石・福岡弥吉」あり。

六 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「書簡次席・七十石・亡養父友之助・福岡小平太・四十二歳」あり。

七 葛飾郡高須村(三郷市) 明治三十年人名録に福岡伊之吉・文政九年生あり。十八戸現存す。

八 埼玉郡大瀬村(八潮市) 宝光寺宝暦九年供養塔に福岡伍郎平、文化三年本堂欄干銘に福岡伊三郎・福岡清八・福岡五郎左衛文、天保五年弘法大師碑に福岡高三郎・福岡五郎左衛門・福岡清吉、嘉永二年水鉢に福岡大次郎、万延二年常夜燈に福岡卯之助、元治二年石額に福岡市郎平。明治五年小前惣代福岡喜三郎・同福岡平吉。祭礼年番帳に「明治六年、下組福岡七兵衛。明治七年、下組福岡清八.。明治九年、根郷組福岡吉右衛門、下組福岡富五郎。明治十年、中組福岡五郎吉・福岡平吉。明治十一年、根郷組福岡松五郎。明治十三年、下組福岡増五郎。明治十四年、下組福岡芳平。明治十五年、下組福岡啓三郎。明治十八年、福岡卯之助。明治十九年、福岡和助。明治二十年、福岡卯太郎。明治二十三年、福岡新一・福岡慶三郎・福岡岩次郎」。氷川社明治三十二年絵馬に福岡平吉あり。十一戸現存す。

九 同郡上崎村(騎西町) 竜興寺文化二年地蔵尊に上崎村福岡佐兵衛。当村文化十四年大黒天碑に上崎村福岡太兵衛・福岡彦太郎・福岡勘治郎・福岡藤八.。雷電社安政四年幟碑に福岡助之丞あり。九戸現存す。

一〇 同郡町屋新田(加須市) 正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に町谷新田福岡八右衛門あり。一戸現存す。

一一 足立郡大宮町 昭和三年興信録に「大宮町・福岡善右衛門・所得税九円」あり。

一二 同郡上小村田村(大宮市) 氷川社明治四十年碑に福岡浪三あり。四戸現存す。

一三 同郡上谷新田(鴻巣市) 浅間社明治十六年碑に上谷村新田福岡藤治郎。八幡社明治四十二年碑に福岡藤治郎。明治三十五年鴻巣町下駄商福岡弥吉あり。二戸現存す。

一四 入間郡川越町 御嶽社明治三十年碑に福岡竹十郎。昭和三年興信録に「川越市・福岡祐象・所得税二十四円」あり。大仙波村住人か。

一五 同郡大仙波村(川越市) 当村に此氏多く存す。明治九年副戸長福岡栄吉・文政八年生。氷川社明治四十一年碑に福岡栄太郎・福岡寛次郎。

一六 比企郡大橋村(鳩山町) 平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に大橋・福岡梅吉あり。十二戸現存す。

一七 深谷町 安政二年田中文書に稲荷町福岡勘兵衛。瑠璃光寺明治二十九年筆子碑に福岡健良。医師福岡青春の養子健良(越前国南条下平吹村の三田村氏)は鉱業界の偉人なり。

福躍 フクオドリ 川越に存す。

福賀 フクガ 所沢に存す。

福家 フクガ 上尾に存す。

福垣 フクガキ 久喜に存す。

一 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・百石・村上取立・福垣轍」あり。

二 高麗郡高倉村(鶴ヶ島市) 多摩郡高尾山薬王院寛政十二年文書に高麗郡高倉村福垣八郎左衛門あり。現存無し。

三 比企郡中山村(川島町) 松山町箭弓神社明治三十一年碑に中山村福垣則明あり。現存無し。

福ヶ迫 フクガサコ 岩槻に存す。

福釜 フクガマ 鶴ヶ島に存す。

福上 フクガミ 蓮田、杉戸等に存す。

福神 フクガミ 飯能に存す。

福河 フクガワ 幡羅郡に福河あり、自然堤上は古代の東山道が通っていた。深谷条参照。この川岸周辺を福河庄と唱える。妻沼村聖天宮暦応二年正月鰐口銘に武州福河庄聖天堂、慶長九年棟札に幡羅郡福河庄妻沼郷と見ゆ。

一 斎藤氏流福河氏 幡羅郡福河庄より起る。斎藤別当実盛の外甥宮道兼杖平国平が奥州征伐に功をたてて実盛の旧領を給わり、実盛の嫡子実家を長井庄に、次男実幹を福河庄に配し、この三人で建久四年に妻沼村聖天宮を建立す。実幹の子孫は新潟県北蒲原郡黒川村の地頭となる。雑訴決断所越後国衙(新潟県安田町斎藤得太郎文書)に「建武二年三月二十九日、長井福河斎藤三郎実利法師法名円心申、和田彦四郎茂真令押領当国奥山庄内黒河条地頭職事。黒河条地頭職は、円心かくへて相伝の所領也、しかるを実子なき上、女房平氏の甥たるによって、南保三郎右衛門尉重貞を養子として、未来所譲与也」と見ゆ。

福木 フクキ 和光、川越、加須、熊谷等に存す。

福籠 フクゴモリ 所沢に存す。

福佐 フクサ 浦和に存す。

福坂 フクサカ 川口に存す。青森県黒石市九戸あり。

福崎 フクザキ 各市町村に存す。新潟県中頸城郡板倉町十二戸、十日町市八十三戸あり。

福迫 フクサコ 大宮、草加、宮代、志木、所沢等に存す。

福貞 フクサダ 浦和に存す。

福里 フクサト 浦和、上尾、鳩ケ谷、三郷、入間等に存す。

福沢 フクザワ 福は服の佳字なり。服部の匝羅(さわら)人居住地を福沢と称す。沢のことは大沢条参照。○長野県上水内郡豊野町三十五戸、下伊那郡松川町三十二戸、下條村二十五戸、喬木村二十六戸、豊丘村四十二戸、伊那市百四十戸、駒ヶ根市百二十戸、飯田市百三十戸。○青森県西津軽郡深浦町四十五戸、十和田市六十二戸、弘前市六十戸あり。

一 葛飾郡高久村(吉川市) 明治三十年人名録に福沢長蔵・天保四年生・地租百三十円、福沢仁助・天保五年生・地租三十七円。中曽根村香取社明治四十年碑に高久福沢安太郎。昭和三年興信録に「吉川町・福沢松石・所得税二十三円・営業税四十二円、福沢春雄・所得税四十七円」あり。四戸現存す。

二 同郡杉戸町 明治三十五年建具職福沢由蔵あり。

三 同郡外国府間村(幸手市) 雷電宮明治四十二年碑に福沢熊蔵あり。

四 埼玉郡岩槻町 浅間社寛文十二年庚申塔に福沢安兵衛。昭和三年興信録に「福沢将三郎・所得税十二円・営業税二十五円」あり。

五 同郡慈恩寺村(岩槻市) 月読神社嘉永三年幟碑に福沢右助・福沢紋蔵あり。現存無し。

六 同郡平野村(岩槻市) 西福寺安永三年供養塔に福沢半兵衛、文政十一年庚申塔に福沢善右衛門。稲荷社嘉永六年幟碑に福沢万次郎、元治元年御神燈に福沢留五郎あり。現存無し。

七 同郡須賀村(宮代町) 身代神社明和四年稲荷碑に前須賀福沢万左衛門・本村上福沢喜代松、寛政七年庚申塔に福沢四郎右衛門、慶応二年敷石碑に福沢勇次郎あり。九戸現存す。

八 同郡太田新井村(白岡町) 字上原元文三年地蔵尊に福沢万右衛門。安楽寺寛延二年庚申塔に福沢儀右衛門・福沢幸右衛門。北向地蔵寛政九年庚申塔に福沢与左衛門・福沢治左衛門・福沢与右衛門、文化二年庚申塔に福沢長五郎。字海老島文政三年馬頭尊に福沢次左衛門・福沢与左衛門・福沢和十郎。鷲宮村鷲宮神社文政十二年金燈籠に太田新井村福沢茂松・福沢与左衛門・福沢長左衛門。万延元年武術英名録に岡安柳剛流武州太田新井村福沢半兵衛。明治九年戸長福沢七左衛門・天保二年生、副戸長福沢吉太郎・天保七年生。北向地蔵明治十一年碑に原新田福沢七左衛門・福沢吉太郎・福沢宥岳。明治三十年人名録に福沢弥兵衛・安政三年生。太田神社明治四十年碑に本田組福沢菊次郎・原組福沢信治あり。十五戸現存す。

九 同郡鷲宮町 中曽根村福田長左衛門(延宝五年卒。妻鷲宮社家福沢丹後娘)。鷲宮神社文政十二年金燈籠に当所福沢仲右衛門あり。一戸存す。

一〇 幡羅郡葛和田村(妻沼町) 大野村弘化三年御嶽碑に当所福沢太蔵・本村福沢嘉七.。信州木曽御嶽山清滝新道端昭和五年碑に大里郡秦村大野講福沢嘉平あり。一戸現存す。

福澤 フクザワ 各市町村に存す。

福士 フクシ 各市町村に存す。○岩手県下閉伊郡山田町百八十六戸。○青森県北津軽郡板柳町六十八戸、中里町四十八戸、中津軽郡岩木町三十戸、南津軽郡尾上町七十四戸、浪岡町百十八戸、平賀町七十八戸、藤崎町三十三戸、田舎館村五十八戸、黒石市百戸、五所川原市百二十戸、弘前市四百三十戸、青森市三百八十戸あり。

福司 フクシ 朝霞、狭山、嵐山、三郷、羽生等に存す。○秋田県山本郡藤里町十五戸、峰浜村十一戸あり。

福寿 フクジ 飯能に存す。

福重 フクシゲ 浦和、大宮、川口、北本、戸田、川越、日高等に存す。

福島 フクシマ 伽耶国の穴織(あなはとり)・漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)の服(はとり)の佳字に福を用いる。島は村の意味。服部の集落を福島と称す。呉(くれ)、服(はとり)条参照。此氏は北武蔵国に多く存す。○群馬県吾妻郡中之条町五十戸、群馬郡群馬町五十九戸、箕郷町三十四戸、新田郡尾島町三十戸、佐波郡境町六十戸、玉村町三十五戸、渋川市百九十戸、伊勢崎市百十戸、高崎市百四十戸、前橋市二百七十戸。○茨城県猿島郡境町五十四戸、三和町三十五戸、総和町三十三戸。○長野県小県郡東部町四十三戸、上伊那郡辰野町六十戸。○島根県簸川郡斐川町五十九戸、八束郡東出雲町三十戸、松江市二百戸あり。

一 岩附城士の福島氏 高麗文書(家伝史料)に「永禄中、しゅいの次第・福島四郎右衛門」。豊島宮城文書に「天正五年七月十三日、岩付の鑓奉行福島四郎右衛門尉」。道祖土文書に「天正六年四月七日、比企郡三保谷郷検地書出、十九貫五百六十五文・福島給田」。豊島宮城文書に「天正十三年七月十日、太田氏房祝言の行列次第、宮城美作守と福島出羽守の両人は惣奉行なり」。北条氏房朱印状に「天正十六年五月二十一日、中足立之改、福島出羽守手代一人」。岩附奉行にて、埼玉郡西方村大聖寺文書に「天正十四年正月二十八日、禁制御朱印之事、福島又八郎奉之」。鎌倉月輪院證文に「天正十六年閏五月二十五日、福島又八郎房重花押」。足立郡中尾村吉祥寺文書に「天正十七年六月十三日、福島又八郎印」と見ゆ。道祖土条参照。

二 松山城士の福島氏 天正庚寅松山合戦図に「黒岩・長谷・田甲方面城方・福島隼人」あり。四十七項、百二項、百九十三項、毛呂条三項参照。

三 忍城士の福島氏 成田分限帳に「五十七貫文・福島主計、二十五貫文・福島伊勢、十三貫文・福島平太左衛門」。妻沼町史に福島伊勢は飯塚村の人なりと。行田史譚に「天正十八年忍城攻めの時、福島勘解由は大手口を守る、福島主水は佐間口を守る」。児玉郡御嶽城主長井氏系図に「長井実泰(実は成田下総守親泰之五男刑部丞泰久之次男也。母福島主計俊房女。正保元年卒八十七歳)。上之村龍淵寺寛政八年鐘銘に「成田下総守殿家来末葉、福島主計末葉・熊谷・福島茂八」あり。

四 上野国河合城士の福島氏 神流川合戦記に「天正十年六月、那波郡河合村(玉村町)露之城主斎藤石見守基盛家臣福島矢次郎」あり。基盛は金窪城主斎藤摂津守の弟なり。

五 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百五十石・福島市之丞・是は忍にて罷出・山口弥助跡遠江之者、百五十石・福島十八郎・是は忍にて罷出・武蔵之者、三十五石七人扶持・福島藤兵衛・是は忍にて罷出・上野之者、四十五石六人扶持・福島又次郎・是は清洲にて罷出・武蔵之者」あり。

六 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御勘定方・五両三人扶持・福島安右衛門」あり。

七 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「幼少・十一両三人扶持・福島友雄、幼少・十八俵二人扶持・福島幸太郎」あり。

八 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御番外頭・五百石・越前勝山取立・福島主計、主計倅福島登之丞」。万延二年川越藩分限帳に「御番頭・五百石・福島内記」。慶応元年前橋藩松山陣屋付に「六石二人扶持・福島春辰」あり。

九 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「百五十石・福島与惣兵衛」あり。

一〇 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「五石余・福島文助」。

一一 岩槻藩大岡氏家臣 天明四年岩槻藩分限帳に「御用人格・福島一郎左衛門、御寄合並席・福島平格、御物頭・福島伊藤太」あり。

一二 岡部藩安部氏家臣 岡部陣屋ノ図に「福島直介取締所」。岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「元治元年、水戸天狗党来襲につき出陣、医師福島玄淳」。慶応四年岡部藩分限帳に「大小姓・八石三人扶持・福島治三郎」。明治三年岡部藩分限帳に「御近習・十二人扶持・福島治三郎」。

一三 葛飾郡芦橋村(庄和町) 百間領須賀村身代神社慶応二年敷石碑に芦橋村福島丑之助あり。現存無し。

一四 同郡杉戸町 河原町稲荷社明治三十九年幟碑に福島金次郎あり。

一五 同郡遠野村(杉戸町) 八幡社年不詳稲荷碑に福島十治郎あり。一戸現存す。

一六 同郡惣新田村(幸手市) 南杉山香取社享保十六年庚申塔に南杉山村福島八右衛門、天明四年庚申塔に南杉山村福島酉右衛門。戸隠神社明治十年八海山碑にスキ山福島市太郎。私塾師匠福島勘兵衛・明治三十六年没八十一歳あり。四戸現存す。

一七 埼玉郡越ヶ谷町 久伊豆社明治三十二年榛名碑に福島勝五郎。明治三十五年青物問屋福島幸次郎あり。

一八 同郡大沢町(越谷市) 大沢猫の爪(福井文書)に「下組百姓福島藤右衛門は明和中荻島より長兵衛申者来、享和中百姓に成申候」と見ゆ。荻島村に四戸存す。

一九 同郡平野村(岩槻市) 西福寺安政五年庚申塔に福島清助。稲荷社元治元年御神燈に福島音五郎・福島伊之助あり。現存無し。

二〇 同郡黒浜村(蓮田市) 笹山村稲荷社明治二十二年浅間碑に旧長崎福島保之吉あり。十四戸現存す。

二一 同郡江ヶ崎村(蓮田市) 久伊豆社文久三年水鉢に当所福島園右衛門、明治三十九年碑に福島園次郎・福島八十八・福島竹吉。明治三十年人名録に福島豊吉・明治十二年生あり。四戸現存す。

二二 同郡須賀村(宮代町) 身代神社寛政七年庚申塔に福島森右衛門あり。六戸現存す。

二三 同郡柴山村枝郷(菖蒲町) 倉田村明星院文政六年新西国塔に丸谷村福島五郎兵衛。稲荷社文久三年水鉢に丸谷村福島八郎兵衛。明治九年副戸長福島翁助・文政七年生あり。二戸現存す。

二四 同郡久喜町 明治四年久喜新田五人組帳に福島菊次郎・福島七五郎。

二五 同郡騎西町 明治三十五年鋳掛職福島吉重・同福島繁吉・饅屋福島タマ・理髪店福島丈吉あり。

二六 同郡戸崎村(騎西町) 日吉社明和八年天満宮碑に福島彦太郎。正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に名倉村福島伝左衛門あり。四戸現存す。

二七 同郡下崎村(騎西町) 当村元禄元年庚申塔に下崎村福島佐左衛門。神社明細帳に「下崎村十二所小社は、当村福島権左衛門光代・同伝五右衛門なる者私有地に勧請す、寛延元年執達書同人宅に存すれば、同人の創立なるべし。蔵殿社は享保年中の頃、当村福島栄蔵の祖先同清兵衛我邸内へ勧請す」。西円寺安永六年宝篋印塔に下崎村福島権左右衛門・福島権吉。当村文化九年馬頭尊に下崎村福島吉左衛門、明治四年馬頭尊に下崎村上分福島藤平。明治六年富士講着到帳に下崎村福島栄蔵。明治九年副戸長福島権左衛門・弘化二年生。三ツ木村三ツ木神社明治二十五年碑に下崎村上組福島庄一郎あり。十四戸現存す。

二八 同郡戸室村(騎西町) 中種足村東印寺文政十二年天満宮碑に戸室村福島仙太郎。諏訪社明治十四年富士嶽碑に福島多郎吉あり。三戸存す。

二九 同郡牛重村(騎西町) 明治九年副戸長福島元次郎・文政七年生。天神社明治九年水鉢に福島忠蔵・福島伊太郎。万福寺明治十年馬頭尊に牛重村福島市太郎あり。十戸現存す。

三〇 同郡日出安村(騎西町) 当村明治十三年馬頭尊に福島弥兵衛あり。現存無し。

三一 同郡屈巣村(川里町) 天明元年山崎文書に字上・福島太左衛門。普済寺明治六年筆子碑に福島志真吉・福島清三郎あり。二戸現存す。

三二 同郡境村(川里町) 天満宮延宝八年愛宕碑に福島七兵衛。明治二十二年医師福島昌庵あり。八戸現存す。

三三 同郡広田村(川里町) 鷺栖神社嘉永六年幟碑に福島惣次郎あり。現存無し。

三四 同郡加須町 明治三十五年菓子商福島安五郎・福島田次郎あり。

三五 同郡久下村(加須市) 勝蔵院文化八年供養塔に福島音右衛門。鷲宮社安政七年御神燈に福島芳太郎、文久三年幟碑に福島由太郎あり。五戸現存す。

三六 同郡常泉村(加須市) 私市城主小田伊賀守助三郎頼興は当村出身の出稼衆にて、小田伊賀守の名跡を継承して小田氏を名乗り、永禄五年落城後帰農して本名福島氏に復姓す。子孫の名主福島久兵衛の子熊太郎は小田氏を名乗り勤王志士なり。小田条参照。円福寺正保元年宝篋印塔に福島隼人内儀、貞享五年宝篋印塔に福島久兵衛、元禄十四年宝篋印塔に常泉村福島与五右衛門・福島善兵衛。文政七年戸賀崎門人帳に常泉村福島銀蔵。明治五年内田ヶ谷村大久保文書に常泉村名主福島弥兵衛。明治九年戸長福島弥兵衛。明治十八年最上農名簿に福島貞治郎・耕宅地二十三町九反歩・山林二反歩所有。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流常泉村福島宗九郎。県会議員に農業福島弥兵衛・天保七年生、農業福島哲次郎・安政六年生。明治四十四年貴族院多額納税者議員互選人名簿に農業福島貞治郎・安政四年生・国税五百四十五円・県下百五十九位あり。五戸現存す。

三七 同郡南大桑村(加須市) 鷲宮村鷲宮神社文政十二年金燈籠に南大桑村福島八十兵衛あり。一戸現存す。

三八 同郡花崎村(加須市) 鷲宮社天保四年水鉢に福島八兵衛、明治二十六年伊勢講碑に福島初太郎。法泉寺明治二十年文書に福島金兵衛・福島浅吉・福島三五郎あり。十戸現存す。

三九 同郡町屋新田(加須市) 菊地家筆子控に元治二年・町屋新田長八倅福島長三郎。当村慶応四年馬頭尊に当所福島宗左衛門・福島彦市あり。九戸現存す。

四〇 同郡樋遣川村(加須市) 当村享和元年供養塔に七釜戸福島利庵、嘉永七年仙元碑に七釜戸福島庄蔵あり。五戸現存す。

四一 同郡油井ヶ島村(加須市) 中耕地文化二年庚申塔に福島明。正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に油井ヶ島村福島源蔵・福島常吉。明治七年正能村青木文書に富士講油井ヶ島村福島源蔵あり。六戸現存す。

四二 同郡旗井村(大利根町) 旗井神社日露戦役碑に福島福松あり。三戸現存す。

四三 同郡羽生町 町場村字東谷正徳五年庚申塔に福島与右門、明和六年庚申塔に福島治右衛門。明治五年畳職福島其吉あり。

四四 同郡上手子林村(羽生市) 下手子林村観音堂享保二十年碑に福島藤右衛門・福島吉重郎・福島太郎右衛門。豊武神社文政十一年水鉢に上手子林原村・福島弥吉・福島吉十郎・福島作右衛門・福島六左衛門。明治九年副戸長福島林蔵・弘化元年生あり。十戸現存す。

四五 同郡藤井村上組(羽生市) 当村慶応四年筆子碑に福島藤太郎あり。一戸現存す。

四六 同郡下川崎村(羽生市) 浄林寺安永九年廻国塔に福島万吉。田中神社寛政三年庚申塔に福島万吉・福島八右衛門、弘化五年水鉢に福島半兵衛・福島藤五郎。円福寺天保十四年供養塔に福島半蔵・福島文左衛門。明治九年副戸長福島万吉・天保七年生あり。二戸現存す。

四七 同郡忍町 松山城士にて、秩父郡御堂村日蓮宗浄蓮寺過去帳に「常蓮・忍フクシマ・永禄四年四月」あり。二項参照。

四八 同郡下忍村(行田市) 上野国世良田村長楽寺永禄日記に「永禄八年九月二十六日、聖天の南堰宮に竹内と云仁伯父甥、福島と云仁、ヤツと云人、以上四人あり」と見ゆ。当村小名清水にあった聖天院は文禄三年上中条村へ移された。竹内条五項参照。遍照院天保九年二十三夜塔に当所・福島久吉・福島千代吉・福島為蔵・福島惣太郎・福島長八.。琴平社明治八年御神燈に福島熊吉あり。十二戸現存す。

四九 同郡佐間村(行田市) 高源寺慶応三年筆子碑に福島嘉兵衛あり。

五〇 同郡野村(行田市) 氷川社安政三年御神燈に福島藤助。玉松堂慶応三年入門に当所上分福島喜兵衛あり。現存無し。

五一 同郡若小玉村(行田市) 勝呂神社安政三年御神燈に福島政次郎あり。二戸現存す。

五二 同郡下中条村(行田市) 須加村会議員に福島つ祢・明治二十四年生、福島震英・明治二十五年生あり。一戸現存す。

五三 同郡鎌塚村(吹上町) 八幡社享保七年塞神碑に福島善兵衛、明治十年碑に福島重太郎・福島伝左衛門・福島幾右衛門・福島勇五郎・福島勘三郎、明治四十一年碑に福島和一.。宝蔵院嘉永六年供養塔に福島幾右衛門・福島卯之助・福島伊八あり。十一戸現存す。

五四 同郡大塚村(熊谷市) 行田史譚に「大塚村。寛永年中名主福島長左衛門、享保六年名主福島長左衛門」。上之村龍淵寺寛政八年鐘銘に「成田下総守殿家来末葉、松岡豊前守末葉・大塚・福島五郎兵衛」あり。現存無し。松岡条参照。

五五 同郡上之村(熊谷市) 龍淵寺享保元年庚申塔に福島竹兵衛あり。四戸現存す。

五六 足立郡西新井宿村(川口市) 大牧村清泰寺嘉永五年供養塔に西新井宿福島次郎左衛門。氷川社明治三年水鉢に福島由右衛門、明治十年小御嶽碑に西新井宿・福島浅治郎・福島栄治郎・福島熊太郎・福島亀治郎・福島歌蔵・福島米二郎・福島兼吉、明治三十九年碑に西新井宿福島定吉。宝蔵寺明治十七年弘法大師碑に西新井宿福島幸左衛門。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流西新井福島留五郎あり。十戸現存す。

五七 同郡鳩ヶ谷町 明治三十五年質商白木屋福島保太郎あり。

五八 同郡大崎村(浦和市) 南部領辻村明治四十二年碑に大工大崎福島龍太郎あり。二戸現存す。

五九 同郡与野町 氷川社文政頃御神燈に福島金兵衛、安政三年御神燈に福島良庵・福島新蔵。鈴谷村金毘羅堂天保五年水鉢に与野町中町福島金次郎。明治二十六年長伝寺文書に与野福島正作。御嶽社明治二十九年碑に与野福島^太郎(米穀商)・福島良哉(医師)あり。

六〇 同郡小針内宿村(伊奈町) 小針神社天保九年水鉢に小針内宿村福島七之助・福島源蔵・福島富蔵あり。九戸現存す。

六一 同郡原市町(上尾市) 明治四年百姓代福島八郎右衛門。明治三十五年菓子商福島惣助あり。

六二 同郡小敷谷村(上尾市) 平方村橘神社明治十一年御神燈に小敷谷村福島久五郎あり。七戸現存す。

六三 同郡桶川町 明治三十五年寿司屋福島福蔵あり。

六四 同郡石戸領荒井村(北本市) 当村に此氏多く存す。花見堂宝永三年廻国塔に荒井村福島与惣左衛門。享保十二年矢部文書に組頭福島藤右衛門。明治四年組頭福島平左衛門・三十七歳、組頭福島銀蔵・四十八歳。明治七年正能村青木文書に富士講荒井村福島平右衛門・福島留右衛門。明治九年副戸長福島平左衛門・天保六年生あり。

六五 同郡鴻巣宿 信州善光寺本堂前西安政五年宝篋印塔に武州鴻之巣福島屋弥四郎。上谷新田金剛院元治元年碑に鴻巣宿福島弥四郎。明治九年副戸長福島権兵衛。鴻神社明治十五年御神燈に福島常作。原馬室村観音堂明治三十四年馬頭観音碑に鴻巣福島弥四郎。明治三十五年荒物漆器商福島弥四郎・理髪店福島善助・裁縫師福島伝之丞・魚商福島由太郎・福島為助あり。

六六 同郡箕田村(鴻巣市) 嘉永六年増島俊輔筆子碑に福島半三郎・福島鎌治あり。五戸現存す。

六七 同郡中井村(鴻巣市) 西光院安永七年筆子碑に中井村福島岩松。三ツ木村輪光院天保五年馬頭尊に中井村福島七左衛門。明治四年名主福島三郎兵衛・四十九歳。明治九年副戸長福島柳造・嘉永二年生あり。五戸現存す。

六八 同郡糠田村(鴻巣市) 福島稲荷社明和七年庚申塔に福島助右衛門・福島伊右衛門、嘉永元年御神燈に福島勇吉・福島寅吉、明治十年水鉢に福島八百蔵・福島勇五郎・福島道七.。明治四年組頭福島定右衛門・六十六歳。明治九年副戸長福島完右衛門・天保十一年生あり。十六戸現存す。

六九 同郡大間村(鴻巣市) 久保寺天明六年筆子碑に当村福島熊之助・福島初治郎、天保十一年鐘銘に総司村長福島耕八.。四代名主福島耕八(東雄・兼富・号農夫園、享和三年没)は武蔵志を著す。其の孫耕八貞雄は天保八年贍民録を著す。熊谷町千形神社嘉永五年酒蔵講中に福島耕八・福島吉右衛門。上谷新田金剛院元治元年碑に大間村福島三蔵。明治四年名主福島耕助・三十三歳。明治十四年埼玉銀行創立発起人福島耕助・六十株三千円所有。明治十六年県会議員調に醤油業福島耕助・天保十年生・地所二十五町七反八畝歩所有。大野神社明治二十六年幟碑に福島留吉。原馬室村観音堂明治三十四年馬頭観音碑に大間福島作次郎。大正十二年大地主名簿に福島誠嘉・田二十八町八反歩・畑三十八町歩所有。大正十四年貴族院多額納税者議員互選人名簿に福島誠嘉・明治十六年生・国税千六百七円・県下九十二位あり。五戸現存す。

七〇 同郡前砂村(吹上町) 氷川社享和三年塞神碑に福島源左衛門あり。三戸現存す。

七一 同郡小谷村(吹上町) 日枝社安永九年水鉢に福島金兵衛、嘉永六年碑に上新田・福島長右衛門・福島歌八・福島喜助・福島清之丞、中側福島善蔵、明治四十二年碑に福島半次郎・福島久助・福島房太郎・福島音右衛門・福島倉吉。明治三十三年勝願寺農事講習生福島善蔵。金乗寺明治四十五年碑に福島源蔵あり。十二戸現存す。

七二 新座郡白子村(和光市) 明治二十年古銅鉄商福島音五郎あり。

七三 入間郡北永井村(三芳町) 明治六年願書に福島半平あり。七戸存す。

七四 同郡南永井村(所沢市) 竹間沢村泉蔵院明治二十九年碑に南永井村福島仙蔵・福島惣左衛門あり。現存無し。

七五 同郡小谷田村(入間市) 当村弘化二年出羽三山供養塔に福島治郎右衛門。笹井村宗源寺文書に「弘化四年、観音堂へ大般若経寄進、小谷田村福島治郎右衛門」。稲荷社嘉永二年御神燈に小谷田村福島次郎右衛門。氷川社嘉永六年御神燈に福島治郎右衛門。明治十五年北広堂碑名簿に福島仲次郎。明治十六年豆腐商福島房次郎あり。十七戸現存す。

七六 同郡川越町 信州善光寺本堂前西安政五年宝篋印塔に武州川越町福島与助。明治三十五年豆腐商福島喜造・篩職福島源七あり。

七七 同郡坂戸町 明治三十五年肥料商福島直吉・印紙売捌所福島初五郎。明治四十三年肥料商福島八郎平・菓子商福島藤吉あり。

七八 同郡戸口村(坂戸市) 竜福寺天明二年地蔵尊に福島又四郎、安政六年地蔵尊に福島藤兵衛。明治九年副戸長福島又四郎天保八年生。明治三十年人民惣代福島静太郎あり。二戸現存す。

七九 同郡厚川村(坂戸市) 明治三十二年郡会議員福島桂三郎あり。五戸現存す。

八〇 同郡川角村(毛呂山町) 平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に川角福島喜三郎あり。十戸現存す。

八一 同郡下川原村(毛呂山町) 多摩郡高尾山薬王院文書に文政三年入間郡下河原根岸村福島熊吉。明治九年立会人福島音四郎・立会人福島瀧次郎。明治四十三年川角村会議員福島富あり。九戸現存す。

八二 高麗郡町谷村(鶴ヶ島市) 明治十年地租等級調査に福島次平あり。九戸現存す。

八三 同郡三ツ木村(鶴ヶ島市) 私塾師匠福島忠之輔・明治四年没あり。四戸現存す。

八四 同郡栗坪村(日高市) 明治十六年永続講員福島猶三郎。明治十七年水車業福島源七あり。一戸現存す。

八五 同郡高萩村(日高市) 光全寺天保十二年供養塔に高萩邨福島勇右衛門・福島忠蔵。明治十二年中宿惣代福島七五郎あり。五戸現存す。

八六 同郡女影村(日高市) 霞野神社文久元年甲源一刀流奉納に福島芳之助高興・福島武左衛門義隣あり。他村の人か。一戸現存す。

八七 同郡上鹿山村(日高市) 平村慈光寺千手観音堂元禄八年棟札に上鹿山村福島惣兵衛あり。一戸現存す。

八八 同郡飯能町 明治十四年久下分村福島弥助あり。

八九 同郡矢颪村(飯能市) 浄心寺元文五年地蔵尊に福島与右衛門母、安永七年地蔵尊に福島太郎兵衛あり。十二戸現存す。

九〇 同郡上赤工村(飯能市) 明治十年山稼議定書に福島又四郎あり。一戸現存す。

九一 比企郡畑中村(川島町) 釘無村明治十九年馬頭尊に畑中村福島栄吉あり。九戸現存す。

九二 同郡上小見野村(川島町) 光善寺嘉永五年地蔵尊に上小見野新田福島太吉あり。現存無し。

九三 同郡松山町 箭弓稲荷社天保六年棟札に新町福島直右衛門。妙賢寺天保十年馬頭尊に当所福島勇。明治三十五年米穀商福島熊次郎あり。

九四 同郡正代村(東松山市) 明治二十八年蚕業福島簑吉。一戸現存す。

九五 同郡竹本村(鳩山町) 黒石社明治四十五年碑に福島吉蔵あり。一戸現存す。

九六 同郡大橋村(鳩山町) 比企郡神社誌に「大字大橋稲荷社は本村福島関右衛門なるもの天明四年此所に建立す」と見ゆ。十四戸現存す。

九七 同郡中尾村(滑川町) 明治九年戸長福島清左衛門・弘化四年生あり。八戸現存す。

九八 同郡将軍沢村(嵐山町) 明光寺明治七年筆子碑に福島辰五郎あり。五戸現存す。

九九 同郡吉田村(嵐山町) 古里村兵執神社明治十五年水鉢に吉田村福島文五郎。手白神社明治四十五年碑に福島春吉・福島代次郎・福島喜十郎・福島要次郎あり。十二戸現存す。

一〇〇 同郡根岸村(嵐山町) 桃木村八幡社文政七年筆子碑に根岸村福島伊三郎。広野村川島鬼鎮神社慶応二年筆子碑に子キシ福島長次郎。明治九年副戸長福島伴吉・嘉永三年生あり。三戸現存す。

一〇一 同郡越畑村(嵐山町) 野原村文殊寺嘉永元年大銀講碑に越畑村福島七兵衛。下横田村嘉永二年百庚申に越畑村福島藤七・福島太郎左衛門。八宮社明治十四年水鉢に福島吉松・福島喜平治あり。六戸現存す。

一〇二 同郡小川町 小川新田の福島・久保・松本・大沢・田中等は松山城主上田氏の臣と伝へる。八宮社文化三年御神燈に福島安右衛門・福島甚次郎。広野村川島鬼鎮神社慶応二年筆子碑に小川福島重五郎。明治十四年儲蓄一銭会社発起人福島嘉七・百株、福島重太郎・百株、福島久七・五十株所有。明治十七年比企銀行発起人大塚村福島茂兵衛・四十株二千円、同村福島伊兵衛・二十四株千二百円所有。明治三十五年紙煙草商福島与吉・紙商福島伊兵衛・煙草商福島ユウ・穀紙商広田屋福島広吉・古物商福島忠兵衛・水菓子屋福島広次郎・福島保太郎あり。

一〇三 同郡腰越村(小川町) 字栗山安永六年地蔵尊に福島金五郎、天明二年馬頭尊に栗山福島長兵衛、寛政六年供養塔に福島長兵衛。能満寺天保二年馬頭尊に当所福島源右衛門。明治二十七年瓢底倶楽部福島英太郎。平村滝ノ鼻公園明治四十四年馬頭尊に腰越福島竹次郎・福島正五郎あり。十七戸現存す。

一〇四 同郡下横田村(小川町) 当村嘉永二年百庚申に当所福島仲右衛門・福島孫七あり。三戸現存す。

一〇五 同郡高見村(小川町) 明治三十三年上組若衆に福島橘五郎・福島亀吉・福島角太郎・福島多三郎あり。六戸現存す。

一〇六 同郡下里村(小川町) 万延二年水車議定連印帳に下里村福島惣右衛門。明治七年投票に福島惣三郎・福島永二郎。明治三十一年囃連福島清次郎あり。十戸現存す。

一〇七 横見郡上砂村(吉見町) 氷川社明治二十九年御神燈に福島平五郎あり。一戸現存す。

一〇八 同郡一ツ木村(吉見町) 氷川社明治三十七年碑に福島万吉あり。現存無し。

一〇九 同郡松崎村(吉見町) 岩室観音堂嘉永三年水鉢に松崎村福島吉蔵あり。現存無し。

一一〇 男衾郡西ノ入村(寄居町) 字高畠文政二年馬頭尊に福島久右衛門。波羅比門神社嘉永七年御神燈に福島四郎左衛門。明治十六年常盤連人銘録に俳人福島定次郎・号錦山あり。六戸現存す。

一一一 大里郡熊谷宿 旧家祖先天正慶長頃の人に福島右近あり、林条参照。熊谷宿百石組に「慶安元年、福島次右衛門。宝暦十年、本町南屋敷持主福島新太郎。嘉永元年、福島茂兵衛・福島佐助」。石上寺元禄九年庚申塔に福島七衛門。文政十年諸国道中商人鑑に熊谷町上町太物類福島茂八.。三項参照。高城神社天保十二年紺屋碑に上町福島留五郎・上町福島茂八.。明治七年村岡村小林文書に熊谷宿福島喜平。明治三十五年材木商福島只助・糸繭商福島茂八・福島政平・福島源次郎あり。

一一二 同郡村岡村(熊谷市) 登由宇気神社慶応元年碑に福島安五郎あり。六戸現存す。

一一三 同郡万吉村(熊谷市) 氷川社天保七年御神燈に当所福島平三郎。野原村文殊寺明治二年碑に本平塚・福島鉄五郎・福島小右衛門・放光院あり。万吉村放光院附近を本平塚と称す。七戸現存す。

一一四 同郡御正新田村(江南町) 大里郡神社誌に「雷電神社旧神職は当村大学院別当奉職、後大学院福島兼広奉職す、明治三十五年より孫福島長隆奉職せり」と見ゆ。二戸現存す。

一一五 同郡樋春村(江南町) 明治七年坂田文書に春ノ原村立会人福島関敬。七社神社明治八年伊勢講碑に福島重五郎・福島歌五郎・福島国重・福島房五郎・福島関教、明治十四年御嶽碑に福島六三郎。明治二十年樋春村連名簿に福島六三郎・福島歌吉・福島丹次郎・福島浜吉。野原村文殊寺明治二十四年算額に樋春福島伊勢吉。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に樋春茂木・福島六三郎あり。六戸現存す。

一一六 同郡手島村(大里町) 当村弘化三年馬頭尊に手島村福島孫七・福島半右衛門あり。六戸現存す。

一一七 幡羅郡三ヶ尻村(熊谷市) 八幡社安政六年水鉢に福島英次郎・福島不二太郎、慶応二年碑に福島金蔵・福島栄二郎。幸安寺慶応二年権田門人碑に福島花松。長在家村稲荷社明治六年筆子碑に三ヶ尻村福島禎次郎・福島会一郎。明治九年副戸長福島禎次郎。明治十八年最上農名簿に福島禎次郎・耕宅地八町七反歩・山林八町八反歩所有。明治二十一年皇国武術英名録に画・無双刀流三ヶ尻村福島記山甕あり。十一戸現存す。

一一八 同郡玉井村(熊谷市) 玉井寺天明八年地蔵尊に福島九兵衛・福島五兵衛あり。一戸現存す。

一一九 同郡間々田村(妻沼町) 稲荷社明治六年庚申塔に福島喜平治あり。六戸現存す。

一二〇 同郡飯塚村(妻沼町) 明治九年副戸長福島惣治郎・嘉永元年生あり。十戸現存す。三項参照。

一二一 同郡八木田村(妻沼町) 観音寺弘化四年筆子碑に芝廓福島辰五郎あり。現存無し。

一二二 同郡八ツ口村(妻沼町) 明治十八年最上農名簿に福島勘三郎・耕宅地四町一反歩所有あり。三戸存す。

一二三 同郡東方村(深谷市) 熊野社明治三十年碑に福島清太郎あり。八戸現存す。

一二四 同郡本田ヶ谷戸村(深谷市) 東方村熊野社明治三十年碑に本田ヶ谷戸福島茂三郎あり。現存無し。

一二五 同郡原郷(深谷市) 当村に此氏多く存す。上野台村光厳寺天保十一年供養塔に原郷村福島喜右衛門。明治四年備前堀史料に原郷村組頭福島喜惣次。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国幡羅村原郷福島儀平二・福島兼松。幡羅村会議員に福島兼松・安政二年生、福島儀平次・安政五年生、福島泰・明治二十二年生、福島義治・明治三十八年生あり。

一二六 同郡新井村(深谷市) 当村に此氏多く存す。信州木曽御嶽山清滝不動尊弘化四年碑に武州幡羅郡新井村福島金兵衛・福島政五郎。明治十一年備前堀史料に新井村総代人福島金平。中瀬村向島不動堂明治四十四年従軍馬匹碑に大字新井福島弥太郎。明戸村会議員に福島喜一・明治十年生、福島近三郎・明治二十二年生、福島悦二・明治三十六年生あり。

一二七 同郡上増田村(深谷市) 諏訪社文久二年御神燈に福島茂十郎・福島吉左衛門・福島弥五郎あり。九戸現存す。

一二八 榛沢郡深谷町 瑠璃光寺明治二十九年筆子碑に福島清蔵。滝宮神社明治三十三年碑に深谷宿本町仲町氏子福島栄太郎・福島直吉・福島由五郎。明治三十五年下駄商福島由五郎・同福島清蔵・安宿福島テウ・蒟蒻製造福島国太郎・糸綿商福野屋福島栄太郎。原郷楡山神社明治四十二年碑に深谷町福島孫平。呑龍院明治四十五年馬頭尊に福島信昌。深谷町会議員に福島国太郎・明治五年生、福島国太郎・明治十九年生、福島政吉・明治三十一年生あり。

一二九 同郡戸森村(深谷市) 大寄村会議員福島祐三郎・明治八年生あり。二戸現存す。

一三〇 同郡起会村(深谷市) 大塚島村明治十三年森田安蔵筆子碑に起会福島甚蔵あり。一戸現存す。

一三一 同郡内ヶ島村(深谷市) 大塚島村明治十三年森田安蔵筆子碑に内ヶ島福島盛三郎。永光寺明治四十年碑に福島秀治。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国大寄村内ヶ島福島盛三郎。大寄村会議員福島助次郎・明治三十六年生。二戸現存す。

一三二 同郡矢島村(深谷市) 矢島村史料に「○福島文吉―徳三郎(嘉永二年生)。○福島友八―長八―長八(天保元年生)―亀五郎(弘化元年生、実父新戒村松本民吉)―儀作(明治七年生)。○福島喜八(文化三年生)―清太郎(弘化三年生)―徳松(明治四年生)。○福島武兵衛―武平(文化十四年生、実父福島伝七)―禎次郎(安政三年生)。○福島伊勢松―伊勢吉(慶応元年生)、伊勢松長女婿文五郎(嘉永六年生、実父大塚島村小舟□□郎)。○福島伝七―鉄五郎(弘化元年生)―与三郎(文久二年生、実父当村茂木与平)」。文政十一年備前堀史料に組頭伝七.。慶福寺天保二年庚申塔に福島喜八・福島初太郎・福島吉兵衛。神明社弘化三年御神燈に福島伝蔵。五ヶ村用水端安政三年庚申塔に福島武兵衛あり。十二戸現存す。

一三三 同郡大塚村(深谷市) 諏訪社天保三年御神燈に福島彦兵衛あり。二戸現存す。

一三四 同郡上手計村(深谷市) 阿弥陀堂元禄十六年地蔵尊に福島太左衛門あり。現存無し。

一三五 同郡下手計村(深谷市) 岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「岡部陣屋創設の時期を記録した資料は、現在のところ見つかっていない。安部氏が最初に天正十八年岡部領入国のとき、どこに陣営を設け、雨、露を凌いだのか、その場所は、どこであったのか、知りたいところである。後に、安部氏の菩提寺となった源勝院の場所の、千手寺跡の地か、又は、岡部陣屋の位置か、或は、新領地の岡部村、上岡部村(普済寺)、伊勢方村、矢島村、町田村、阿賀野村、血洗島村、上手計村、下手計村、大塚村などのうちの、有力なる村人の宅へ分宿して、仮の陣営を設けたのであろうか。岡部村郷土誌によると旧岡部藩士若森久高の言として、『手計村に最初陣屋を置きたるとの説あるも、地形より考えれば信ずるに足らん』との否定の言葉を述べている。しかし、手計に陣営を設けたとの話が伝わっていたことだけは、事実と思われる。徳川時代、安部家の菩提寺源勝院檀徒庶民の過去帳には、全部の家が、戒名、没年月日と何村の誰々との名前だけが記載されてあり、名字の記載はない。しかし、下手計村の福島氏(福島市郎氏方)だけは、なぜか最初から名字が記載され、戒名は院号を贈られるなどと、他とは違った待遇を受けている。そのことは、新たに入国した新領主の安部家と、当時なにか、特別な関係にあったのではないかと考えられるところである」と見ゆ。福島氏は中世の土豪なり。明治九年副戸長福島周次郎・文政五年生。八基村会議員に福島薫・明治二十七年生、福島知・明治三十二年生あり。十二戸現存す。百四十二項参照。

一三六 同郡血洗島村(深谷市) 上手計村阿弥陀堂元禄十六年地蔵尊に血洗島村福島長七郎。当村地蔵堂文政十一年庚申塔に福島喜助、安政三年地蔵尊に村役人福島金左衛門。明治十二年副戸長福島金平。郡会議員福島治三郎・明治三年生。八基村会議員に福島作太郎・明治六年生、福島弥四郎・明治二十八年生、福島徳重・明治三十二年生、福島隆太郎・明治三十三年生、福島五郎・明治三十八年生あり。十二戸現存す。

一三七 同郡新戒村(深谷市) 村岡文書に「当村古来之者は、天正年中・福島氏川越より来る」。是は出稼衆なり。村岡条参照。大里郡神社誌に「新戒村古櫃神社は、昔時より御焚上げと称し、鎮守秋祭に於て御膳部を奉納せる家、中新戒に軒を並べて二軒ありたり。東を大海渡と云え、西を福島と云う、本分の間柄にて大海渡と称するも以前は福島たりしとなり、両家軒を並べ垣を境とす。また天神社の縁故者たる福島唯七家は天正年中・天神坊と云え、其当時より本社に奉仕せるものなり」と見ゆ。平安時代古櫃神社の創建時より膳部を奉仕し、同家墓碑に文保二年銘の墓あり。子孫は代々御鷹場見廻役を世襲す。明治四年牧西村森文書に新戒村役人福島源蔵。大林寺明治三十五年筆子碑に福島啓平。郡会議員福島源三・明治元年生。新会村会議員福島元治・明治二十二年生あり。十六戸現存す。

一三八 同郡高島村(深谷市) 新戒村大林寺明治三十五年筆子碑にタカシマ福島平助・福島喜太郎あり。三戸現存す。

一三九 同郡上野台村(深谷市) 当村に此氏多く存す。光厳寺文政九年水鉢に当所福島玄庵。八幡社明治五年筆子碑に上野大台・福島安蔵・福島信次郎・福島半四郎、明治四十四年碑に福島玄眠。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国藤沢村上野台福島玄眠。藤沢村会議員医師福島栄助・明治十一年生あり。

一四〇 同郡大谷村(深谷市) 明治九年副戸長福島善平・天保十年生。用土村明治十三年仙元碑に大谷村福島長吉・福島善平・福島紋三郎。稲荷社明治三十年筆子碑に福島健吉・福島松太郎・福島金三郎・福島荘吉。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国藤沢村大谷福島健吉・福島忠平・福島文治郎。藤沢村会議員に福島健吉・安政六年生、福島与一郎・明治八年生、福島浩・明治三十一年生あり。十八戸現存す。

一四一 同郡榛沢村(岡部町) 経蔵院文久二年筆子碑に福島弥助あり。二戸現存す。

一四二 同郡普済寺村(岡部町) 岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「岡部村郷土誌によると岡部小学校前の県道周辺の土地は、徳川時代から、岡部新田と言われていた。岡部新田の開拓者、福島与惣左衛門(忠左衛門。今の福島忠衛氏方)は、下手計村の福島市郎氏方から別れており、元和九年、安部家より岡部新田の開拓を命ぜられ、寛永元年には、新田二十八戸の農家を有するに至った」と。上岡部村岡部新田は普済寺村となる。明治九年普済寺村副戸長福島忠三・天保十四年生あり。四戸現存す。

一四三 同郡武蔵野村(花園町) 当村に此氏多く存す。原宿村常光寺宝永元年庚申塔に福島太郎兵衛・福島七郎兵衛。十二社神社嘉永元年馬頭尊に飯塚村福島万右衛門・福島国松。明治九年富田文書に「飯塚村・福島鷲五郎、原宿村・福島藤蔵・福島嘉重郎・福島増治郎、飯塚村原宿・福島芳五郎・福島栄五郎・福島徳次郎・福島幸吉・福島泰次・福島庄五郎・福島善太郎・福島忠次郎・福島岩吉・副戸長福島栄三郎(天保十三年生)」。用土村明治十三年仙元碑に武蔵野村福島幸行良山・福島栄三郎・福島鷲五郎あり。

一四四 同郡小前田村(花園町) 長谷部文書に「元亀元年十二月十一日、北条氏邦の臣小前田衆、福島平三郎・歩衆」と見ゆ。十戸現存す。

一四五 同郡永田村(花園町) 用土村明治十三年仙元碑に永田村福島幸三・福島佐十郎・福島富太郎・福島浅蔵。滝不動堂明治十六年馬頭尊に当村福島弥太郎。私塾師匠福島茂平栄春・明治十八年没八十五歳あり。十五戸現存す。

一四六 同郡荒川村(花園町) 荒川神社元治二年庚申塔に福島長蔵。用土村明治十三年仙元碑に荒川村福島幸太郎あり。三戸現存す。

一四七 同郡田中村(川本町) 当村に此氏多く存す。文禄四年検地帳に「福島分。福島入道分」と見ゆ。苗字記載者は土豪なり。稲荷社明治六年筆子碑に田中・福島弥吉・福島文八・福島鶴吉。明治十八年最上農名簿に福島由五郎・耕宅地三町六反歩・山林二町七反歩所有。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流田中村福島兵作。明治三十三年船水車所有福島庄吉・福島源太郎あり。

一四八 同郡原村(川本町) 白髭社安政六年御神燈に名主福島重左衛門あり。現存無し。

一四九 同郡寄居町 極楽寺文化八年常夜燈に福島夘兵衛。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に寄居町福島染吉あり。

一五〇 同郡末野村(寄居町) 元治二年末野村諸事恵に福島伝吉あり。二戸現存す。

一五一 同郡桜沢村(寄居町) 当村及び用土村に此氏多く存し、古代以来の居住者にて、天正年間の兄弟説は附会なり。風土記稿桜沢村条に「旧家者源右衛門、福島氏なり。先祖源右衛門は北条氏に仕ふ。系図を伝へざれど、分家用土村の民縫殿助が所蔵の略系に、福島伊賀守仲基・北条氏綱氏康に仕へて、数々軍功を着す。子二人あり、弟は用土村に土着し、兄は当村に来住すと云ふ。北条陸奥守氏照より先祖へ遣りし文書を蔵す。『謹言上、若君様御誕生千秋万歳目出度珍重奉存候仍御太刀一腰并御馬一匹栗毛、奉進上候此旨宣預御披露候恐惶謹言、九月二十六日、陸奥守氏照、進上御奉者』。此文に因ば古河公方抔へ捧し書なるべし」と見ゆ。喜連川家文書案・足利義氏嫡男梅千代王丸誕生祝儀次第に「天正四年九月二十三日若君様御誕生。四日めに北条氏照以代官被申上候、御太刀并御馬栗毛進上、為代官大石筑前守参候」とあり。福島氏は代官大石筑前守の手代を勤めるか。出稼衆にて八王寺落城後に帰農す。字金嶽享保八年供養塔に桜沢村福島金左衛門、天保四年馬頭尊に福島源右衛門・福島岩五郎・福島太郎兵衛・福島善左衛門・福島徳次郎・福島善助・福島六右衛門・福島清八.。明治九年副戸長福島四郎平・文政六年生。用土村明治十三年仙元碑に桜沢村福島重太郎・福島藤吉・福島増次郎・福島熊太郎・福島力三郎・福島善蔵・福島丑五郎・福島彦四郎・福島善三郎・福島才次郎あり。

一五二 同郡用土村(寄居町) 当村に此氏多く存す。天正以前からの居住者にて桜沢村福島氏とは別流なり。鉢形城家臣福島備前守勝格は出稼衆にて落城後帰農す。其の後裔は、福島一郎右衛門―吉五郎―市郎平(明治四十二年没)―愛三郎(昭和十三年没)。当村岡本系図に寛永年間当所福島六郎右衛門。明治九年副戸長福島市郎平・天保元年生。明治十三年仙元碑に当村・福島市郎平・福島彦造・福島定次郎・福島辰五郎・福島善平・福島平五郎・福島フノ・福島喜十郎・福島荒太郎・福島初太郎・福島主馬三郎・福島兵内・福島岩吉・福島清次郎・福島幸太郎・福島半平・福島スギ・福島彦太郎・福島金五郎あり。

一五三 児玉郡本庄宿 金鑽社宝暦十一年棟札に新田町福島孫市。石川剣道場門下生に天明四年・本庄宿福島勘蔵・福島源蔵。銀座一丁目寛政十二年庚申塔に福島貞八.。江戸末期豪商福島甚兵衛。明治四年諸井文書に仲町福島万吉・本町福島千松・福島吉五郎。普寛霊場明治三十年御嶽碑に本庄町福島吉五郎・福島彦太郎。明治三十五年製茶商福島嘉市・下駄傘石油商福島文三郎・塩魚商福島万吉・荒物商福島熊吉・酒醤油商日乃久福島彦太郎・糸繭商福島又吉。県会議員・参議院議員医師福島茂夫・大正六年生あり。

一五四 同郡西五十子村(本庄市) 本庄宿石川剣道場門下生に寛政五年・西五十子村福島安之丞あり。現存無し。

一五五 同郡北堀村(本庄市) 庄田文書に「天明六年は福島才兵衛へ名主役渡る」と見ゆ。十一戸現存す。

一五六 同郡山王堂村(本庄市) 日枝社年不詳庚申塔に福島三郎右衛門・福島又右衛門、明治三年二十二夜塔に福島太十郎、明治十七年碑に福島伊勢吉あり。七戸現存す。

一五七 同郡小島村(本庄市) 本庄宿石川剣道場門下生に寛政四年・尾島村福島清次郎・福島六之助・福島千代松・福島孫八、寛政五年・小島村福島鷲太郎。唐鈴神社明治三十八年御神燈に福島筆吉・福島簑吉あり。十八戸現存す。

一五八 同郡仁手村(本庄市) 当村に此氏の旧家あり。十一戸現存す。

一五九 同郡下仁手村(本庄市) 明治四年名主福島鉄五郎。明治五年名主福島槌太郎。明治九年戸長福島民蔵・天保二年生、戸長福島藤吉、副戸長福島角次郎。明治十一年副戸長福島重喜あり。九戸現存す。

一六〇 同郡児玉町 八幡社延享二年御神燈に福島源太郎あり。また、金屋村に十一戸現存す。

一六一 同郡下浅見村(児玉町) 武州下浅見誌(中英夫著)に「福島氏は家柄及び屋敷ともに、村で一番古いといわれ、屋敷堀をめぐらしてある。浅見太郎実高の居住跡ともいわれ、屋敷の乾に古い墓ありて、実高の墓と伝えている」と見ゆ。児玉党浅見氏の本名なり。一戸現存す。

一六二 同郡上真下村(児玉町) 明治九年副戸長福島吉五郎・文化十三年生あり。三戸現存す。

一六三 同郡蛭川村(児玉町) 児玉記考に「旧家福島犬太郎、地頭駒井家の名主組頭役を勤めたり」。本庄宿石川剣道場門下生に天明九年・蛭川村福島内蔵之助、寛政四年・蛭川村福島安治郎。明治九年副戸長福島六郎治・文政三年生あり。十六戸存す。

一六四 同郡下阿久原村(神泉村) 招魂社明治三十九年碑に福島長吉・福島柳作・福島彦三郎あり。三戸存す。

一六五 同郡新里村(神川町) 児玉記考に「旧家福島則三郎、世々地頭所領の役儀を勤めたり」。明治五年小前議定書に福島権次郎・福島平吉・福島弁吉・福島六吉。明治二十一年皇国武術英名録に奥山念流児玉郡新里村福島則三郎あり。十四戸存す。

一六六 同郡渡瀬村(神川町) 明治二年五人組帳に福島九平・福島茂平次・福島忠七・福島文内・福島半三郎・福島安五郎・福島良吉・福島三五郎・福島仲蔵・福島銀十郎・福島健次郎あり。十七戸現存す。

一六七 同郡沼上村(美里町) 長福寺庚申塚年不詳に福島清太郎・福島亦蔵・福島九左衛門・福島友吉。三ヶ尻村幸安寺慶応二年権田門人碑に児玉郡沼上村福島弁蔵。明治四年百姓代福島万平次。三ヶ尻村龍泉寺明治十一年算額に児玉郡沼上村福島弁蔵正義あり。八戸現存す。

一六八 同郡北十条村(美里町) 明治二十一年皇国武術英名録に真之真石川流北十条村福島小三郎・福島四男吉・福島庄吉あり。九戸現存す。

一六九 那賀郡白石郷(美里町) 明治五年に白石・湯本・大仏の三ヶ村が合併して白石郷を称す。古代以来の居住者なり。北条氏綱の養子北条左衛門大夫綱成(実父遠州土方城主福島正成。天正十五年卒七十三歳)の後裔説は附会なり。児玉記考に「旧家福島元次郎、其祖松山の城主福島氏綱の二男福島和泉の正系なり、和泉故あり当地に来り帰農し喜太夫と改め、後艶太郎と通称し、世々成瀬家知行の名主組頭役を勤続せし旧家なり。書大家福島柳圃は当主元次郎の先代にして喜太夫の長男なり、文政三年三月白石郷湯本に生る名声甚だ高し」と見ゆ。福島和泉家明和九年文書に湯本村大庄屋福島喜太夫。名主福島喜太夫敏脩・号晴月斎は挿花の宗匠なり。其子重次郎柳圃(明治二十二年没)は南画家として名高し。古郡村安光寺嘉永元年地蔵尊に湯本福島善右衛門。明治九年白石郷副戸長福島直次郎・天保七年生。用土村明治十三年仙元碑に白石郷福島富蔵。広木村常福寺明治中期筆子碑に湯本福島良助・福島艶太郎。大仏村羽黒社明治二十一年富士嶽碑に当所福島文太郎、明治三十一年碑に当所・福島栄太郎・福島良作・福島信治・福島島五郎あり。十七戸現存す。

一七〇 同郡駒衣村(美里町) 児玉記考に「旧家福島清平、先代を八右衛門と云ひ、維新前は地頭松前家の名主役を勤めたり」。明治九年戸長福島清平・天保七年生。大仏村羽黒社明治二十一年富士嶽碑にコマキヌ福島清平。甘粕村稲荷社明治三十年碑に当字・福島豊吉・福島清平・福島喜内・福島福三郎・福島貞次郎・福島安治・福島常蔵・福島愛三郎・福島徳平・福島佐喜蔵あり、当村住人か。十一戸現存す。

一七一 同郡甘粕村(美里町) 用土村明治十三年仙元碑に甘粕村福島久蔵。明治二十一年皇国武術英名録に念流甘粕村福島兼吉。甘粕神社明治二十五年富士嶽碑に当所福島久行、明治四十三年碑に福島久蔵あり。一戸現存す。前項参照。

一七二 同郡秋山村(児玉町) 本覚院文政四年宝篋印塔に当所福島長左衛門・風洞福島佐吉、明治二十年水鉢に当所福島瀧三郎。直正寺明治二十九年碑に当所福島彦次郎。秋平小学校明治三十二年碑に秋山村・福島武一郎・福島瀧十郎・福島房五郎・福島徳治郎・福島栄五郎・福島彦次郎・福島源次郎・福島新吉・福島才治郎・福島広三郎・福島〆吉・福島弥十郎・福島利平・福島半三郎・福島光五郎・福島茂十郎・福島松五郎・福島ウメ・福島伊三郎。風洞河原神社明治四十四年碑に福島留吉・福島皆之助あり。十九戸現存す。

一七三 同郡小平村(児玉町) 十三代将軍足利義輝の後裔説は附会なり。当村及び秋山村の福島氏は古代以来の居住者なり。児玉記考に「旧家福島源次郎、足利尊氏十代の後胤義輝に出で、其裔孫義信に至り当字小平に来り帰農し爾来十六代に及ぶ。父茂三郎は明治の初年地租改正の際取調主任となる」と見ゆ。字桑木原天保十四年庚申塔に福島祐蔵。明治九年副戸長福島勇蔵・文政十二年生。当村明治二十一年碑に福島百合蔵・福島喜蔵。秋平小学校明治三十二年碑に小平村・福島寅治郎・福島勇蔵・福島源治郎・福島治七・福島勇作・福島信平・福島浜次郎・福島丑太郎・福島佐次郎・福島太吉・福島藤平・福島徳太郎・福島源太郎・福島末吉・福島孫三郎・福島栄次郎・福島才治郎・福島庄十郎あり。十八戸現存す。

一七四 賀美郡元阿保村(神川町) 上野国那波郡福島村(玉村町)より起る福島出雲守頼国は元弘三年新田義貞の生品神社挙兵に参加す、是は在名にて苗字にあらず。福島近江守は苗字にて無関係なり。当村及び近村の福島氏は南北朝時代以前からの居住者なり。児玉記考に「○旧家福島近吉・福島福太郎、新田義貞の臣福島近江守高俊の六男福島主計頭高雅の正系なり、男太郎主馬頭・脇屋義治に従へ延文四年碓氷嶺に戦死す、孫次郎隼人之介高寛に至り新田家滅亡す、故に諸国浪々の末当地に来り帰農し、爾来家系連綿当代に至る。先代惣八・鎮守稲荷神社へ白狐一対を納む。○旧家福島都三郎、其祖遠く福島近江守高俊に出づ、往古は累代出雲と通称し神職たり、爾後徳川時世は平左衛門と云ひ、五代の間名主役を兼勤す。当主は夙に勤王の志に厚く、志士と共に岩倉公に謁し親しく其意を吐露し櫛風沐雨以て王政復古に尽瘁せり、後明治聖代に至り戸長区長道路取締役を兼勤し、又県会議員の職に存す。○旧家福島吉太郎、先代は大和守の末流にして福島三郎左衛門と称し延徳二年九月没す、其子孫世々辰蔵と称し地頭雨宮権左衛門知行の名主役を勤む」と見ゆ。文中を察するに近江守も上州福島村より起るとすれば地名附会なり。大観堂延享三年廻国塔に福島平左衛門。本庄宿石川剣道場門下生に寛政元年・阿保村福島亀松。大御堂村吉祥院天保五年供養塔にアホ・福島辰蔵・福島平左衛門・福島勇太郎・福島丹次郎。当村慶応元年廻国塔に福島資親、明治二十二年廻国塔に福島安清、明治三十年碑に当所・福島都三郎・福島キウ・福島仙蔵・福島三郎四郎・福島庸亀智・福島千代太郎・福島吉太郎・福島近吉・福島初太郎・福島武八・福島作治郎。県会議員農業福島都三郎・天保十二年生あり。十一戸現存す。

一七五 同郡八日市村(神川町) 児玉記考に「○旧家福島森次郎、先代を七右衛門と称し、問屋本陣の家柄にして、地頭戸田家の名主役を勤め苗字帯刀肩衣を許され、鑓一筋乗用の駕籠を拝領せり。○旧家福島半十郎、先代を四郎兵衛と云ひ、維新前は地頭の名主組頭役を勤続せし家柄なり」と見ゆ。大御堂村吉祥院天保五年供養塔に八日市福島富蔵。八幡山町元治二年桜沢文書に八日市村名主福島只助。明治九年副戸長福島織平・天保四年生。明治十三年埼玉県老農名簿に八日市村桑苗樹者福島仲道あり。十五戸現存す。

一七六 同郡肥土村(神川町) 明治九年副戸長福島幸平・天保五年生。幡羅郡下奈良村明治二十七年東条筆子碑に賀美郡肥土村福島徳三郎。広野神社明治三十九年碑に福島守之助・福島秀治郎・福島幸平・福島幸吉・福島昌三郎・福島徳三郎・福島平兵衛あり。八戸現存す。

一七七 同郡勅使河原村(上里町) 安永九年家名附に勝場村福島八左衛門・福島藤左衛門。勝場村万延元年庚申塔に福島藤左衛門・福島九右衛門・福島主馬吉あり。六戸現存す。

一七八 秩父郡大宮郷 明治三年組頭指商福島七兵衛・五十五歳・田畑二町歩、子鈴之助、孫万五郎。明治九年副戸長福島七兵衛・天保十四年生(農業、通運取引店、県会議員)。

一七九 同郡黒谷村(秩父市) 丹党黒谷氏の本名なり。十三戸現存す。百九十三項及び大河原条四項参照。

一八〇 同郡寺尾村(秩父市) 明和安永年間秩父郡記に寺尾村名主福島喜三郎。明治九年副戸長福島猶平・天保二年生あり。十三戸現存す。

一八一 同郡久那村(秩父市) 当村に此氏多く存す。明治九年副戸長福島代吉・天保元年生あり。

一八二 同郡太田村(秩父市) 東泉寺慶応元年鐘銘に福島忠左衛門・福島定吉・福島平蔵あり。一戸現存す。

一八三 同郡本野上村(長瀞町) 当村に此氏多く存す。和歌山県伊都郡高野町高野山清浄心院過去帳に「霊位道林禅定門・施主福島大膳・取次武州秩父野上村多宝寺・元和七天十二月七日」。宝登山神社明治七年棟札に格天井絵奉納本野上村福島嘉重郎・福島佐金治・福島久左衛門。明治三十三年農友会々員名簿に本野上・福島米太郎・福島新八・福島要八・福島道太郎・福島駒吉・福島利助あり。

一八四 同郡中野上村(長瀞町) 明治三十三年農友会々員名簿に中野上・福島歌吉・福島社蔵・福島弥市・福島伊八郎・福島又吉・福島久太郎・福島弥三郎。国神神社明治三十四年碑に中野上村福島伊八郎あり。八戸現存す。

一八五 同郡野上下郷(長瀞町) 明治十四年林文書に福島安蔵あり。五戸現存す。

一八六 同郡金沢村(皆野町) 西光寺天保十五年鐘銘に金沢村福島市左衛門・福島常右衛門。国神神社明治三十四年碑に金沢村福島仲次郎・福島七五郎あり。三戸現存す。

一八七 同郡日野沢村(皆野町) 寛保三年香具仲間連名帳に日野沢村福島仲蔵あり。現存無し。

一八八 同郡三沢村(皆野町) 明治六年立会人福島弥三郎。十五戸現存す。

一八九 同郡下吉田村 八幡社明治三十八年碑に福島喜助。二戸現存す。

一九〇 同郡小鹿野町 明治二十年上二丁目福島太吉・福島近二郎。明治三十五年足袋商福島新蔵・穀木炭商ニタ島屋福島いそ・煙草商福島清作。

一九一 同郡河原沢村(小鹿野町) 大正十四年貴族院多額納税者議員互選人名簿に福島与作・万延元年生・国税八百七十三円・県下二百二十六位あり。八戸現存す。

一九二 同郡坂本村(東秩父村) 当村に此氏多く存す。上野国群馬郡三ノ倉村安政二年塚本文書に秩父郡坂本村名主福島季喜蔵。字栗和田文久元年馬頭尊に福島繁義。明治九年副戸長福島与市・天保十四年生。当村明治初期御嶽碑に福島吉兵衛、明治十九年御嶽碑に福島武平・福島幸松・福島畑五郎・福島幾太郎・福島平治郎・福島長五郎、明治三十六年筆子碑に福島茂重郎・福島新三郎・福島繁蔵・福島平太郎。大内沢村大内神社前明治二十三年碑に坂本・福島敬三・福島三郎・福島与市。明治三十六年水車業福島敬三、長男隆策。

一九三 同郡御堂村(東秩父村) 松山城士にて日蓮宗信徒なり。秩父志に「弘治年間、領主御堂村萩平・福島十郎右衛門・御堂浄蓮寺」と見ゆ。鎌倉比企谷日蓮宗妙本寺過去帳に「法純・大河原・福島新右衛門・兵庫ノ父也・天正五年十一月。妙普・大河原・福島与三郎母」。日蓮宗浄蓮寺過去帳に「得永・福島兵庫・永禄六癸亥年正月。妙常・福島兵庫内・チチブ・元和八壬戌年三月。観成院了順・福島三郎右衛門・癸未年正月。宗慶・福島善左衛門尉・甲申年十月。蓮信・福島市郎右衛門・丙戌年六月。法浄・福島八郎左衛門・万治元戊戌年閏十二月。蓮久・半場福島与五右衛門・寛文二壬寅年二月九日。妙慶・小幡福島喜兵衛母・寛文五乙巳年六月。法秋・小幡福島左次衛門・寛文九己酉年八月。善高・父福島平兵衛・五月。了悟院法実・福島平兵衛・卯年正月。常正院請円・福島六兵衛・辰年六月」。尚、小幡条で福島氏は児玉党小幡氏後裔と述べたが、誤りで訂正いたします。小幡は御堂村字小畑の地名です。浄蓮寺寄進帳に「過去帳は慶長八年八月武州松山城主滅亡之時・同家の長臣大河原氏は郷士福島兵衛之家に而浄蓮寺日真上人と此亡後之帳を作る。福島之家系は秩父郡黒谷村に行而住、大河原福島氏之譜代臣栗島も同黒谷へ行く。斯之張紙は大河原之住人福島善左衛門尉寄進也」。「元禄十年九月奉造立牛頭天王、飯場地主福島源左衛門。安政二年寄進、福島弥助・福島重右衛門・福島酉蔵・福島幸蔵・福島源左衛門」。大河原条四項参照。浄蓮寺明治二十三年碑に福島林造・福島酉吉・福島善四郎・福島重五郎・福島泰三.上州榛名神社大正四年御神燈に秩父郡御堂村中組福島泰三あり。七戸現存す。

一九四 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「川口町・福島武之助・九円、与野町・福島熊男・十二円、大宮町・福島守一・二十八円、七里村(大宮市)・福島善蔵・七十九円・七十四円、鴻巣町・福島貞五郎・十一円、田間宮村(鴻巣市)・福島誠嘉・五百三十一円、福島善作・三百三十六円、騎西町・福島武平・百三円、福島弥一郎・十四円、鴻茎村(騎西町)・福島真次郎・百十五円、水深村(加須市)・福島計三郎・百十四円、下忍村(行田市)・福島和一・九十五円、川越市・福島半三郎・六十四円・八十四円、所沢町・福島憲雄・十四円、坂戸町・福島八郎平・十七円・四十七円、鶴ヶ島村・福島嘉平治・十三円、飯能町・福島光吉・十九円・五十円、亀井村(鳩山町)・福島茂吉・十円、八ツ俣村(川島町)・福島克治・三百二十五円・十一円、熊谷町・福島新作・二百三十九円・九十八円、三尻村(熊谷市)・福島運平・百一円、深谷町・福島栄太郎・百八十八円・百二十六円、福島国太郎・七十五円・六十二円、幡羅村(深谷市)・福島慥誠・十円、八基村(深谷市)・福島治三郎・二十三円、藤沢村(深谷市)・福島栄助・二十四円、太田村(妻沼町)・福島しゃう・四十七円、岡部村・福島安五郎・四十七円、本庄町・福島喜重・九十一円・八十六円、福島徳三・八十二円・八十六円、福島修一・八十五円、旭村(本庄市)・福島富蔵・二十七円、北泉村(本庄市)・福島要作・十円、丹荘村(神川町)・福島あき・九十六円、福島米十郎・二十一円、福島富蔵・十八円、福島吉太郎・十三円、秋平村(児玉町)・福島仲次郎・十五円、松久村(美里町)・福島友蔵・三十六円、大沢村(美里町)・福島徳・十九円、秩父町・福島七兵衛・十四円、影森村(秩父市)・福島金四郎・六十六円・八十一円、三田川村(小鹿野町)・福島与作・三百七円、福島幸蔵・六十五円・三十円」。

福嶋 フクシマ 各市町村に存す。

福嶌 フクシマ 北本、寄居等に存す。

譜久島 フクシマ 浦和、草加、富士見等に存す。

福寿 フクジュ 各市町村に存す。

福壽 フクジュ 加須に存す。

福聚 フクジュ 川口に存す。

福寿谷 フクジュヤ 浦和に存す。

福所 フクショ 鳩山に存す。

福生 フクショウ 川越に存す。

福正寺 フクショウジ 忍城士にて、成田分限帳に「十九貫文・福正寺主膳」あり。別本に福王寺と見ゆ。

福代 フクシロ 狭山、所沢等に存す。島根県簸川郡斐川町十戸、大社町十戸、出雲市四十八戸あり。

福角 フクスミ 桶川に存す。

福住 フクスミ 各市町村に存す。

一 草加町 明治二年頃に四丁目(谷古宇村)福住屋福住テウ。現存無し。

二 加須町 光明寺慶応二年筆子碑に加須町福住重兵衛あり。現存無し。

福澄 フクスミ 越谷、北川辺、川越等に存す。

福勢 フクセ 上尾に存す。

福瀬 フクセ 忍藩阿部氏家臣にて、慶安年中忍藩分限帳に「御馬廻・百石・福瀬源兵衛」。持田村正覚寺墓碑に「福瀬十右衛門秀重・延宝六年没」。享保八年忍藩軍役帳に「八十石・福瀬小一右衛門」あり。

箙瀬 フクセ 埼玉郡簑沢村(羽生市)正光寺文政十年筆子碑に箙瀬文吉あり。エビラセか。両氏現存無し。

冨久世 フクセ 川口に存す。

福迫 フクセコ 浦和に存す。

福仙 フクセン 入間郡小谷田村字福仙塚(入間市)あり。

一 足立郡大和田村(大宮市) 寛文八年大和田村年貢帳に「福仙」の名見ゆ。砂村の福泉氏(ふくいづみ)か。

福泉 フクセン 入間郡所沢村字福泉坊あり。フクイヅミ参照。

一 所沢村の福泉坊 紀州那智山潮崎文書に「文亀三年三月二十日、先達は武蔵国くめ川福泉坊」と見ゆ。風土記稿所沢村条に「福泉坊塚あり、わずかの塚なり。福泉坊は古の修験者にて、回国雑記に観音寺にて福泉が竹筒を取出せしとあるは、この福泉坊のことなりと云ふ。されど文明長享の頃の人なることしらる。この塚は其葬地などにや。今此辺の小名に福泉とよぶ所は余程広ければ、そのかみ居住なせし跡なるにや。観音寺は今上新井村の内にあり」。上新井村条に「観音院、新義真言宗遊石山新光寺と号す。廻国雑記を閲するに、所沢といふ所に至り福泉といへる山伏観音寺にてサゝユをとり出しける。文明の頃は早く一寺にて有しと見ゆ」。本郷村東福寺明治九年水鉢に所沢宿七番組福泉辰右衛門。明治三十五年米穀商福泉幸三郎。所沢町会議員福泉源蔵・安政四年生あり。現存無し。

福添 フクゾエ 庄和に存す。

福園 フクゾノ 浦和、草加等に存す。

福薗 フクゾノ 大宮、鳩山等に存す。

副田 フクダ 越谷、草加等に存す。

福多 フクダ 入間に存す。青森県南津軽郡藤崎村八戸あり。

福妥 フクダ 川越に存す。

福田 フクダ 福は服の佳字、田は郡県・村の意味。服(はとり)の集落を福田と称す。ハトリ参照。田のことは太田条参照。比企郡福田村(滑川町)あり、浅間社宝徳二年鰐口銘に奉懸武州比企郡福田郷阿牙洲大明神鰐一口と、真福寺明応四年鰐口銘に奉寄進武州比企郡福田郷別所真福寺鰐口と見ゆ。入間郡福田村(川越市)あり。秩父郡下吉田村字福田は寛文五年永法寺文書に福田村と見ゆ。此氏は呉国出身の毛野氏に率いられて渡来した呉織(くれはとり)にて、毛野氏領域の武蔵国・上野国・下野国に多く存す。クレ、トミ条参照。○群馬県吾妻郡中之条町七十戸、群馬郡群馬町百七十戸、甘楽郡下仁田町四十八戸、山田郡大間々町四十戸、新田郡藪塚本町五十八戸、邑楽郡大泉町五十戸、桐生市百二十戸、太田市百二十戸、伊勢崎市百五十戸、高崎市二百六十戸、前橋市二百六十戸。○栃木県那須郡西那須野町四十戸、塩谷郡塩谷町四十七戸、氏家町六十戸、高根沢町六十戸、藤原町七十五戸、河内郡河内町百戸、上都賀郡粟野町五十八戸、下都賀郡壬生町八十戸、野木町四十戸、芳賀郡益子町五十七戸、日光市二百戸、今市市九百六十戸、鹿沼市六百五十戸、栃木市百十戸、小山市二百七十戸、足利市百五十戸。○茨城県那珂郡那珂町四十戸、東茨城郡茨城町四十八戸、新治郡新治村四十戸、筑波郡谷和原村四十三戸、猿島郡総和町五十戸、日立市百十戸、石岡市百戸、水戸市百六十戸。○福島県大沼郡会津高田町五十七戸。○青森県八戸市百三十戸、弘前市百三十戸、青森市二百三十戸。○島根県簸川郡斐川町五十八戸、平田市百九十戸、松江市三百六十戸、出雲市百五十戸。○鳥取県倉吉市百戸、米子市百四十戸、鳥取市五百戸あり。

一 上野国の福田氏 武州児玉郡福田村より起ると伝へるが福田の地名は無し。安中市板鼻宿福田家系譜に「二代行綱(治承四年六月土佐国配所を逃れ武蔵国児玉郡福田村に土着す)。政忠(永正四年関東管領上杉顕定の招きにより福田村より上野国板鼻郷鳴熊に移る)」。政忠の二男信成(初代治郎右衛門)は板鼻城代役として土着し、其子信基は板鼻宿脇本陣を務む。福田清一文書に「天正十一年六月四日、北条氏邦は、上宿町人衆中に印判状を発給す」と。上野国志に「碓氷郡藤塚村(高崎市)、古へ福田加賀守の居宅あり、永禄年中なり」。倉賀野十六騎の一に福田加賀守・福田石見守あり、加賀守は倉賀野城主金井氏の旗下を離れ、武州児玉郡本庄へ蟄居し、其の後信玄に召出されると云う。倉賀野条参照。

二 鉢形城士の福田氏 鉢形分限帳に「本国周防熊毛・上吉田住・福田久吾、本国備後御調・福田伝次郎」あり。山口県熊毛郡熊毛町四十六戸、広島県御調郡の三原市六十戸、尾道市五十戸存す。但し分限帳の本国は信用出来ず。秩父郡出身なり。百六十三項、百六十六項参照。

三 金窪城士の福田氏 神流川合戦記に「天正十年六月、賀美郡金窪城主斎藤摂津守定盛家臣福田金左衛門」あり。百五十七項参照。

四 小山衆の福田氏 北条氏照印判状(広瀬文書)に「天正十五年十一月二日、埼玉郡久下之郷御検地之増、九百四十文・福田隼人、二百四十文・福田九兵衛、右、於久下之郷(加須市)、小山衆に被下候給田之増分也」と見ゆ。下野国小山城主北条氏照の配下なり。金子条十六項参照。

五 忍城士の福田氏 成田分限帳に「加勢侍・九十貫文・本国武蔵・福田新左衛門、三十貫文・福田信濃、二十一貫文・福田讃岐、十貫五百文・福田治部左衛門、十貫文・福田市左衛門、十貫文・福田七五丞」あり。六十五項参照。

六 入間郡福田衆 川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙久・号長遠院日久也・福田衆・癸未年十一月。道高・福田小二郎・巳年八月。徳受院日福・福田ノ小高・子年十二月」あり。福田村の小高氏等にて苗字にあらず。

七 会津藩上杉氏家臣 慶長六年八月米沢移封以前の会津上杉配下禄高表(小鹿野町吉田文書)に「吉田新左衛門組、二百石・福田勘解由左衛門」あり。旧鉢形城士か。

八 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「五両三人扶持・福田喜助」。文化四年忍藩分限帳に「御武具方・十八俵二人扶持・福田喜助」あり。

九 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御留役・八石余二人扶持・福田茂平治、御勘定見習・二人扶持・福田金次郎」あり。

一〇 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「二十一俵二人扶持・福田新太郎、六両二人扶持・福田常七郎」あり。

一一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御中小姓・十石三人扶持・亡養父岩蔵・福田八郎・三十一歳、御徒銃隊格・七石二人扶持・亡養父信兵衛名跡・福田嘉泉・三十四歳、御勘定人・五石余二人扶持・養父助右衛門・四十五歳、御勘定並・四石余二人扶持・福田竜助・四十七歳」。川越町吏員名簿に士族福田鶴次郎・文久二年生あり。

一二 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「二十石五人扶持・福田小兵衛」あり。

一三 岡部藩安部氏家臣 慶応四年岡部藩分限帳に「御中小姓・七石二人扶持・福田鋳次郎」あり。

一四 関東郡代伊奈氏家臣 享保頃に福田久右衛門。天保年間伊奈役所惣人数に中御徒町福田所左衛門あり。

一五 葛飾郡倉常村(庄和町) 愛宕社文化三年庚申塔に福田武右衛門あり。二戸現存す。

一六 同郡杉戸町 百間村青林寺寛政十年文書に杉戸横町福田太郎左衛門。明治五年郵便御用取扱人福田太郎あり。

一七 同郡並塚村(杉戸町) 明治九年副戸長福田三五兵衛・文政六年生(名主)あり。四戸現存す。

一八 同郡椿村(杉戸町) 鷲巣村正明寺寛政六年宝篋印塔に椿村福田津右衛門。明治三十年人名録に福田儀平・慶応二年生・地租三十円あり。七戸現存す。

一九 同郡佐左衛門村(杉戸町) 権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に佐左衛門村福田藤左衛門。明治三十年人名録に福田慶蔵・慶応三年生・地租六十円、福田五郎三郎・嘉永二年生・地租四十七円あり。四戸現存す。

二〇 同郡才羽村(杉戸町) 字本田文政元年庚申塔に才羽村本田福田又左衛門。香取社天保九年水鉢に才羽村勘七組福田又左衛門。八幡社明治三十年碑に米野谷福田丈作、明治末期御嶽碑に才羽村福田初太郎あり。五戸現存す。

二一 同郡倉松村(杉戸町) 香取社元禄三年熊野碑に福田忠右衛門あり。三戸現存す。

二二 同郡幸手町 菖蒲町菖蒲神社明治十年神道無念流奉納額に福田宗吉。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流幸手宿福田惣吉・福田又次郎。幸宮神社明治三十三年幟碑に福田寅之助。明治三十五年湯屋福田寅之助・菓子商福田権次郎あり。

二三 同郡中川崎村(幸手市) 牛村秋間家由緒書に「秋間治右衛門(寛政元年没)―女子(中川崎村福田長右衛門妻)」。香取社安永七年水鉢に福田藤右衛門あり。現存無し。

二四 同郡八甫村(鷲宮町) 鷲宮村霊樹寺文書に「八甫村。寛永四年検地一町三反五畝二歩・小右衛門、元福田七兵衛地を田口小右衛門取添」と見ゆ。当時断絶す。現存無し。

二五 同郡栗橋町 明治三十五年竹卸商下野屋福田房吉・福田秀五郎あり。

二六 同郡佐間村(栗橋町) 八幡社嘉永三年狛犬に福田幸右衛門。定福院文久四年庚申塔に福田幸右衛門あり。一戸現存す。

二七 埼玉郡大瀬村(八潮市) 祭礼年番帳に「明治十一年、下組福田孫八.。明治十三年、下組福田兵右衛門。明治二十一年、下組福田与右衛門。明治二十二年、下組福田磯吉。明治二十三年、下組福田吉五郎・福田市五郎・福田仙太郎」あり。十戸現存す。

二八 同郡西袋村(八潮市) 柳之宮村氷川社嘉永七年御神燈に西袋村福田富右衛門、明治十九年絵馬に西袋村福田由蔵・福田専造・福田金次郎・福田勘次郎。観音堂安政三年筆子碑に西袋福田勘治郎。六戸現存す。

二九 同郡大沢町(越谷市) 大沢猫の爪(福井文書)に「上組福田政右衛門元禄以前より当町に居候へ共名請無之候、元禄後地面所持、百年来百姓之処、享和中無名に成、今の竹屋政右衛門是也、先祖同方より来候哉。宝暦七年大沢町百姓、竹屋政右衛門。明和五年帳面表、福田政右衛門」。香取社寛政元年御神燈に福田政右衛門あり。

三〇 同郡越巻村(越谷市) 中新田組薬師堂元治元年筆子碑にコシマキ福田武兵衛あり。

三一 同郡恩間新田(越谷市) 能満寺跡嘉永三年庚申塔に福田又兵衛・福田勘□・福田幸吉。鈎上村神明社元治元年碑に恩間福田茂左衛門。稲荷社明治二十九年碑に福田健次郎・福田正八・福田茂市・福田源助あり。六戸現存す。

三二 同郡岩槻町 明治三十五年に福田金右衛門・福田九右衛門・福田市兵衛あり。

三三 同郡平林寺村(岩槻市) 当村明和元年庚申塔に福田庄兵衛・福田乙兵衛あり。五戸現存す。

三四 同郡柴山村(白岡町) 常陸国鹿島郡岡野村(鹿島町宮中)附近には福田の地名は無し。日蓮宗信徒の江戸城主太田源六郎康資・号武庵斎(天正九年没)、其の女子於勝は徳川家康の妾英勝院殿であり、其の一族が百姓になるとは考えられず。福島氏は当村出身の出稼衆にて太田一族の名跡を継承して太田氏を名乗り、本国へ帰農して本名福島氏に復姓す。福田正夫家文書に「太田源六郎美濃守康資(常陸国鹿島郡岡庄福田城移住)―太田土佐守源資義(弘治三年浪人、本国武州埼玉郡柴山居住)―福田勘解由左衛門尉源義康(資義二男、是より姓を福田に改む)―勘兵衛義次―伝兵衛資知―金兵衛頼親―茂平次頼乗、弟金兵衛義方」。同家位牌に「義翁道範居士・俗名太田土佐守義隆・福田姓初祖也・永禄二年四月十八日」あり。観音堂元禄二年筆子碑に柴山村福田惣左衛門、享保十一年鐘銘に福田甚兵衛。字宮野文化九年庚申塔に福田幸右衛門・福田文蔵・福田友八.。菖蒲町吉祥院文化九年供養塔に芝山村福田幸四郎。字稲荷崎万延元年庚申塔に下分・福田金兵衛・福田清吉・福田吉十郎・福田次左衛門・福田安蔵。上野田村明治四年馬頭尊に柴山村福田助八.。明治二十年柴山伏越改造碑に柴山村福田由右衛門・福田喜八・福田岩次郎・福田吉五郎・福田市郎兵衛。明治三十年人名録に福田吉五郎・嘉永五年生、呉服太物商福田喜八・弘化四年生。諏訪八幡社明治三十九年碑に福田弥之助・福田福松・福田平治郎、明治四十二年御神燈に当所・福田藤十郎・福田助三郎・福田久治郎・福田吉五郎・福田弥之助あり。十一戸現存す。

三五 同郡野牛村(白岡町) 字内谷宝暦二年庚申塔に福田文右門あり。現存無し。

三六 同郡実ヶ谷村(白岡町) 笹山村稲荷社明治二十二年浅間碑に実ヶ谷村福田貞純あり。現存無し。

三七 同郡上大崎村(菖蒲町) 明治二十年柴山伏越改造碑に上大崎村福田平五郎あり。現存無し。

三八 同郡上栢間村(菖蒲町) 福田清一家文書に「福田因幡守(忍城主成田左衛門旗下七騎之内)―次男幸十郎(騎西城主成田左衛門尉泰親家臣、天正十七年二月十五日卒三十七歳。兄の嫡子宮内あり)―大膳(改新右衛門)―作兵衛―八兵衛。作兵衛の弟庄右衛門(改新右衛門)―作兵衛、弟次郎兵衛―庄二郎」。風土記稿栢間村条に「旧家者庄右衛門、先祖を福田幸十郎と云ふ、因幡守某が次男なり」。成田泰親印判状(福田清一文書)に「天正四年九月十九日、本分・十四貫二十五文・福田幸十郎、畠四町五段・六貫七百五十文・小竹長沢分、以上二十貫七百七十五文、右出置者也、福田幸十郎とのへ」と見ゆ。神明社宝永七年御神燈に福田金拾郎。蓮華院天保七年筆子碑に福田近治郎。諏訪社嘉永三年水鉢に上・福田幸助あり。三戸現存す。

三九 同郡境村(川里町) 天満宮延宝八年愛宕碑に福田十左衛門あり。一戸現存す。

四〇 同郡北根村(川里町) 久伊豆社明治十七年富士講碑に福田助次郎あり。一戸現存す。

四一 同郡騎西町 明治三十五年籠商福田六右衛門あり。

四二 同郡戸崎村(騎西町) 諏訪社明治初年碑に福田三五郎。一戸現存す。

四三 同郡中種足村(騎西町) 雷神社天明八年弁財天碑に中種足村福田新兵衛、寛政二年御神燈に福田治右衛門・福田新右衛門・福田粂右衛門・福田文蔵・福田善之丞・福田勘右衛門。東印寺文政十二年天満宮碑に福田初五郎・福田勘次郎・福田吉五郎・福田留蔵・福田岩松・福田代次郎・福田軍次郎、文政十三年供養塔に福田源五右衛門・福田甚右衛門・福田喜右衛門・福田利右衛門・福田仙右衛門・福田源蔵、文久二年馬頭尊に福田代次郎。明治四年名主福田代次郎・五十八歳、組頭福田喜右衛門・三十四歳。明治九年副戸長福田喜右衛門・天保八年生。秩父神社明治二十年算額に埼玉郡中種足村福田与三郎谷治・福田勘吉福治あり。十三戸現存す。次項参照。

四四 同郡中曽根村(久喜市) 大阪府三島郡島本町水無瀬神宮応安頃の文書に摂津国福田松郷と見え、此地より起る。清和源氏系図に「源満仲―大和守頼親―福田次郎頼遠」と。是は在名にて苗字にあらず。当村及び中種足村・北篠崎村に多く存し、古代以来の居住者にて、天正年間に当村よりの分家説は附会なり。四十七項参照。清久村郷土誌に「清和源氏大和守源頼親の男福田二郎頼遠・東国に下り菖蒲城を築きて之に拠る。中曽根に別館を建つ、現今館と称する地是なり。下りて南北朝時代に至り福田監物源頼基(頼遠十代。文和二年二月十六日卒、元弘年中新田義貞属二十四将其一人也)あり、父祖の業を受けて菖蒲の城主たり、中曽根の別館を修築し、観音院を建立す。文明年中迄菖蒲城主にて、後小田原北条氏に従ひ川越城主大道寺駿河守に仕えしが天正十八年菖蒲城また陥り、福田五郎左衛門頼則(天正十八年十一月十八日卒)は伊達陸奥守に属せり。頼則兄弟四人、照宥法印(天正十七年寂)中曽根村一宇建・是観音院開山也鎮守祀、福田五郎左衛門は代々大道寺家仕、福田清兵衛は徳川家に仕て知行高五百石領四ツ谷住御旗本に勤仕・今相続福田長左衛門頼忠(万治四年二月十三日卒)。天文年中伊達政宗騒動の砌、浪人して波木四郎左衛門同居、福田姓包波木を名乗。兄弟三人、一頼房、二福田次郎右衛門祐光は中種足村住、三福田新左衛門元光は北篠崎村住。福田五郎兵衛頼房(中曽根村中興先祖、万治三年八月十八日卒)、福田長左衛門亮長(村長勤、延宝五年卒)、福田伊左衛門清生(養子、年寄役勤、元禄二年卒)、福田五郎兵衛頼紀(年寄役勤、享保十八年卒)、福田清兵衛頼致(年寄役勤、明和四年卒)、福田源右衛門訓寛(名主役勤、文化七年卒)、福田源太郎謙豊(割元大庄屋役六人衆勤、文政八年卒)、福田清五郎頼豊(名主役勤)、福田清太郎頼敬(維新前迄名主役勤、明治二十九年卒)」と見ゆ。明治九年戸長福田領太郎・天保十三年生あり。六戸現存す。

四五 同郡江面村(久喜市) 久伊豆社明和八年天満宮碑に福田馬之允、年不詳に福田佐右衛門・福田宇右衛門。天保十一年百姓連名帳に組頭福田忠助あり。四戸現存す。

四六 同郡加須町 下谷村生善院寛政十年巡拝塔に加須町福田宗右衛門。明治十九年下組福田喜三郎。花崎村鷲宮社明治二十六年伊勢講碑に加須福田常吉。明治三十五年営業便覧に鉄葉商福田万蔵・蒸菓子商福田常吉・金物商福田禎蔵・甘藷商福田和平・傘屋福田峰蔵・福田種吉、不動岡町醤油商福田元吉あり。

四七 同郡南篠崎村(加須市) 当村に此氏多く存す。成就院宝篋印塔に「康応元年己巳八月二十六日逆修衆敬白」あり、此頃に中里氏・福田氏等多くの住民存す。中里文書に「往昔天正年中之兵乱に越後上杉之家来中里出雲守と申者戦場を落延、当南篠崎村落付一家取立。慶長八年同家来隠岐守と申者尋来、其子二人あり、兄は福田次郎右衛門、次男同清兵衛兄弟両人相招き云々」と見ゆ。中里出雲守と福田隠岐守は、上杉謙信の配下羽生城家臣にて郷里へ帰農す。普門寺寛文四年十王銘に福田次郎衛門・福田理衛門、貞享三年大日如来銘に福田金三郎。百間村青林寺寛政十年文書に南篠崎村福田市之丞・福田与兵衛。神明社文化十年稲荷碑に南篠崎村福田勇蔵。鷲宮村鷲宮神社文政十二年金燈籠に南篠崎村福田彦兵衛・福田新左衛門。神明社安政三年御神燈に当村上下総氏子・福田長右衛門・福田次郎右衛門・福田半右衛門・福田佐平次・福田利左衛門・福田金右衛門・福田平右衛門・福田清兵衛・福田平左衛門・福田佐膳・福田政吉・福田金蔵・福田市之丞。明治七年藍玉仲間福田弥八.。明治九年副戸長福田新左衛門・文政五年生あり。

四八 同郡北篠崎村(加須市) 当村に此氏多く存す。四十四項の中曽根村分家説は附会なり。南篠崎村多宝院跡延宝九年五輪塔に北篠崎福田孫兵衛。中曽根村福田五郎兵衛頼紀(享保十八年卒)の妻北篠崎村福田太郎右衛門娘。医王寺元文元年廻国塔に福田瀬兵衛・福田吉兵衛・福田利衛門、宝暦十二年供養塔に北篠崎村福田半右衛門。当村文化二年庚申塔に福田市右衛門。字又根下耕地天保二年庚申塔に福田清蔵。熊野社天保十五年狛犬に福田政右衛門・福田磯七・福田京蔵・福田清吉・福田八太郎・福田伝右衛門・福田銀之助・福田吉十郎。鷲宮村鷲宮神社嘉永五年狛犬に北篠崎村福田吉十郎。熊谷町千形神社嘉永五年酒蔵講中に福田吉十郎・福田又兵衛。熊野社文久四年御神燈に福田佐仲次・福田佐左衛門・福田林蔵・福田銀之助・福田又四郎・福田政右衛門・福田彦右衛門・福田要蔵・福田清吉・福田栄吉。明治十八年最上農名簿に福田元吉・耕宅地十二町八反歩・山林四反歩所有あり。

四九 同郡三俣村(加須市) 諏訪社正徳三年御神燈に福田平右衛門、享和二年御神燈に三俣村福田友助、文化四年水鉢に東木戸福田富重郎。明治六年保長酒造業福田藤兵衛。明治八年梅沢文書に福田藤吉・福田勘蔵あり。一戸現存す。

五〇 同郡下谷村(加須市) 八幡社慶応三年幟碑に福田彦兵衛・福田庭次郎・福田弥惣次・福田与三郎。明治九年副戸長福田武助・天保四年生、副戸長福田彦三郎あり。四戸存す。

五一 同郡岡古井村(加須市) 正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に岡古井村福田佐次郎。下村君村永明寺文久二年仙元碑に岡古井村福田作右衛門。明治九年戸長福田作右衛門・天保五年生、副戸長福田幸太郎・天保四年生あり。九戸現存す。

五二 同郡多門寺村(加須市) 観音寺寛永四年宝篋印塔に福田監物、寛文三年地蔵尊に福田市右衛門、貞享五年碑に福田彦四郎、宝暦六年庚申塔に福田了佐。愛宕社安政四年伊勢講碑に福田市左衛門あり。二戸現存す。

五三 同郡常泉村(加須市) 上崎村安政四年青木文書に常泉村福田彦五郎あり。現存無し。

五四 同郡阿良川村(加須市) 玉泉寺慶安三年宝篋印塔に阿良川村福田与右衛門立之置。天神社元文三年地蔵尊に福田藤右衛門、寛保元年庚申塔に阿良川村福田弥三郎・福田甚八郎、宝暦五年庚申塔に福田源兵衛・福田源内。戸崎村竜宝寺宝暦三年供養塔に阿良川村福田与右門(名主)。明治九年副戸長福田与右衛門・文政七年生。明治十八年最上農名簿に福田与右衛門・耕宅地十一町二反歩・山林四反歩所有。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流阿良川村福田俊斎。明治二十二年医師福田隆得あり。八戸現存す。

五五 同郡麦倉村(北川辺町) 八坂社文久二年幟碑に福田直造あり。四戸現存す。

五六 同郡飯積村(北川辺町) 大聖寺延享三年供養塔に飯積邑福田忠兵衛あり。現存無し。

五七 同郡羽生町 正覚院文政六年地蔵尊に福田孫七.。宮田神社嘉永元年浅間碑に福田伝七.。字宮田慶応三年馬頭尊に福田孫七.。明治五年上羽生村米穀商福田孫七.。明治三十五年小間物商福田伝次郎あり。

五八 同郡上川俣村(羽生市) 大日堂安永六年供養塔に福田与五右衛門、寛政六年地蔵尊に村役人福田彦兵衛。加須町光明院慶応二年筆子碑に三俣村福田定吉。酒巻村八幡社慶応三年八海山碑に上川俣村福田芳之助。天満宮文久三年水鉢に福田彦左衛門、明治二十五年碑に福田巳之助。明治九年副戸長福田彦左衛門・文政八年生あり。一戸現存す。

五九 同郡中手子林村(羽生市) 下手子林村観音堂享保二十年碑に福田市左衛門。文殊院安永九年供養塔に福田嘉兵衛・福田六郎兵衛・福田佐五兵衛。八幡社安永九年水鉢に福田嘉右衛門、寛政元年春名社碑に福田清右衛門。書家福田嘉右衛門・号竜峰・二水堂・安政四年没。明治九年副戸長福田清八・天保八年生、副戸長福田又一郎・弘化元年生あり。三戸現存す。

六〇 同郡常木村(羽生市) 常木神社宝暦十二年水鉢に福田惣八あり。現存無し。

六一 同郡下岩瀬村(羽生市) 当村文化六年湯殿山碑に下岩瀬村福田源八、文政二年湯殿山碑に福田兵右衛門。明治九年副戸長福田寅蔵・文政四年生あり。十戸現存す。

六二 同郡下新郷(羽生市) 大光院棟札に享保元年番匠福田七右衛門、寛政六年当所棟梁福田清六藤原久忠・当所大工福田富八郎藤原好友あり。七戸現存す。

六三 同郡忍町 明治三十五年呉服商松田屋福田竹蔵あり。

六四 同郡長野村(行田市) 久伊豆社天保六年御神燈に福田辰右衛門・福田伊兵衛・福田浅八.。長久寺嘉永四年筆子碑に福田勝五郎。明治九年副戸長福田庭助・安政三年生あり。四戸現存す。

六五 同郡持田村(行田市) 五項の忍城士にて、行田史譚に「天正十八年忍城攻めの時、持田口出張の備頭市田太郎兼長以下百三十余人は割役名主福田治部左衛門の屋敷の所を出張の地とする」。阿弥陀寺墓碑に「其先、治部左衛門尉胤詮・天正中成田氏長に仕へ武蔵忍城に於て百貫を食采とす、氏長亡あと、其采地埼玉郡糯田村に移り、子新右衛門胤義・慶長中割役と為す。福田新右衛門彝英・明治二年卒七十七歳」。行田史譚に「持田村、寛永年中割役名主福田新右衛門、享保六年中組割役名主福田新右衛門、天保元年割元名主福田新右衛門・名主福田小左衛門」。御用達にて、嘉永六年忍藩分限帳に「十五俵一人扶持・持田組割役福田新右衛門」。安政三年剣術義集館(三田文書)に持田村福田新之助・福田時治郎あり。四戸現存す。

六六 同郡荒木村(行田市) 天満宮江戸末期塞神碑に福田甚右衛門・福田平八.。東福寺明治十四年二十三夜塔に福田喜吉あり。十八戸現存す。

六七 同郡堤根村(行田市) 永徳寺明治四年筆子碑に福田元五郎。伊奈利神社明治十五年碑に福田重兵衛・福田伴吉あり。一戸現存す。

六八 同郡下忍村(行田市) 琴平社明治八年御神燈に福田平三郎あり。一戸現存す。

六九 同郡埼玉村(行田市) 前玉神社嘉永二年玉垣碑に福田定五郎あり。現存無し。

七〇 同郡小針村(行田市) 神仙寺嘉永六年敷石供養塔に福田七平・福田源之介・福田半蔵あり。現存無し。

七一 同郡野村(行田市) 天保元年名主福田弥兵衛あり。現存無し。

七二 同郡馬見塚村(南河原村) 西善院享保十七年供養塔に福田六右衛門あり。現存無し。

七三 足立郡川口町 善光寺文政十年普門品に福田三治郎、文政十三年祠堂講世話人福田安左衛門。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛無刀流川口町福田貞次郎・福田清吾。明治三十五年料理店福田瀧次郎・米穀商福田勘五郎・大経師福田金次郎。川口神社明治三十九年碑に福田席松・福田瀧次郎あり。

七四 同郡前川村(川口市) 観福寺寛政六年絵馬に福田善蔵、寛政十一年庚申塔に福田惣八・福田佐兵衛・福田常八・福田昌茂、文政七年庚申塔に福田忠蔵・福田三治郎・福田治郎右衛門、明治十一年庚申塔に福田平蔵あり。六戸現存す。

七五 同郡上青木村(川口市) 安楽寺明治三十三年大日堂碑に福田甚蔵あり。五戸現存す。

七六 同郡下青木村(川口市) 当村に此氏多く存す。西方寺寛保二年筆子碑に福田勝之丞・福田四郎兵衛・福田源右衛門。竜泉寺天明二年庚申塔に福田藤左衛門。氷川社寛政六年弁財天碑に福田新兵衛・福田与右衛門、万延元年寄進帳に福田藤次郎・福田孫左衛門・福田徳右衛門・福田文左衛門・福田四郎左衛門・福田助左衛門・福田藤兵衛、明治三十九年碑に福田正次郎・福田吉之助・福田庄次郎あり。

七七 同郡芝村(川口市) 八幡社明治四十年碑に芝村福田久次郎あり。八戸現存す。

七八 同郡赤山村(川口市) 明治六年生徒月並受取帳に福田吉太郎あり。八戸現存す。

七九 同郡石神村(川口市) 真乗院宝暦六年地蔵尊に赤山領福田権平、弘化三年普門品に当所福田金蔵・福田留五郎あり。八戸現存す。

八〇 同郡木曽呂村(川口市) 阿弥陀堂寛政九年湯殿山碑に福田金十郎あり。五戸現存す。

八一 同郡戸塚村(川口市) 東福寺寛政十二年湯殿山碑に戸塚村福田勘蔵あり。二戸現存す。

八二 同郡平柳領領家村(川口市) 三十番神社明治三十八年奉納額に福田鉄太郎あり。五戸現存す。

八三 同郡元郷村(川口市) 随泉寺安政五年普門品に福田直次郎・福田音右衛門・福田利七.。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛無刀流足立郡元郷村福田藤左衛門・福田重太郎。氷川社明治三十三年碑に福田重太郎。飯塚村氷川社明治四十四年碑に元郷福田重太郎あり。十三戸現存す。

八四 同郡安行原村(川口市) 密蔵院文政十二年普門品に原新田・福田清八・福田弥左衛門あり。七戸現存す。

八五 同郡安行村吉岡組(川口市) 金剛寺文政七年庚申塔に安行村吉岡福田弥十郎、明治三年門下碑に福田作蔵・福田権蔵・福田長蔵あり。二戸現存す。

八六 同郡新堀村(川口市) 福田家墓地に「安養院道円居士・福田新五兵衛・慶長十六年十一月六日」あり。二戸現存す。

八七 同郡鳩ケ谷町 剣術家木原周輔門人帳に安政六年・鳩ケ谷宿福田岩吉。明治三十五年に福田長兵衛あり。

八八 同郡中居村(鳩ケ谷市) 当村に此氏多く存す。川口宿善光寺元禄七年碑に中居村福田市郎兵衛。大門宿会田家手習帳に嘉永四年・平柳領中居村福田安左衛門次男健蔵・十三歳。明治八年矢作文書に中居村本村組・福田安左衛門・福田政右衛門・福田武右衛門・福田源次郎・福田市太郎・福田吉太郎・福田定吉・福田忠五郎・福田芳蔵・福田彦太郎・代議人福田米太郎・代議人福田安五郎。明治九年副戸長福田米太郎・嘉永六年生。八幡社明治三十九年碑に中居福田秋太郎あり。

八九 同郡瀬崎村(草加市) 浅間社天保十三年擬宝珠銘に瀬崎村福田茂吉。明治四十二年形付業福田伊之助あり。十五戸現存す。

九〇 同郡与野町 円乗院寛永二十一年供養具銘に福田甚右衛門定尚。小村田村氷川社宝永七年に与野町福田与惣右衛門・福田惣兵衛・福田治右衛門。赤山橋享保十一年供養塔に福田惣兵衛。氷川社元文四年御神燈に福田喜四郎・福田利兵衛・福田甚兵衛、安政三年御神燈に福田利右衛門。鈴谷村金毘羅堂天保五年水鉢に与野町中町福田文左衛門。文久三年中村文書に与野町福田利右衛門・福田文左衛門。明治二十一年善光寺参詣に穀物商福田文治郎祖母あい五十五歳。御嶽社明治二十九年碑に与野福田久蔵。一山神社明治三十五年碑に当町福田文一.。明治三十五年饂飩屋福田清右衛門・機業福田康次郎・米穀問屋大和屋福田武平・農業福田甚五郎・農業福田治平あり。

九一 同郡大宮町 明治三十五年指物店福田仲三郎・福田勇次郎あり。

九二 同郡中小村田村(大宮市) 薬師堂正徳三年供養塔に福田太郎左衛門・福田吉兵衛。鈴谷村金毘羅堂天保五年水鉢に中小村田村福田宇之助あり。一戸現存す。

九三 同郡木下村(大宮市) 氷川社明治三十年御神燈に福田善右衛門・福田源太郎・福田仁三郎・福田八五郎・福田安松あり。次項参照。

九四 同郡北野貝戸村(大宮市) 河内国大県郡坂戸庄(大阪府柏原市)の坂戸源氏にて、隣郡の大和国平群郡福田庄(奈良県斑鳩町)より起る。尊卑分脈に「坂戸大夫判官康季―壱岐守近康(平忠盛の子となる)―左衛門尉康信―福田左衛門尉惟康」。是は在名にて苗字にあらず。風土記稿北野貝戸村条に「陣屋蹟あり。古へ福田左衛門惟康と云ふものゝ住せし地なりといへり。惟康は当村の名主惣兵衛が先祖と云ふ。広さ三町四方程の地なり」と。惟康の後裔説は附会なり。福田家譜に「福田左衛門惟康は北面の武士で、惟康十八代の孫・又左衛門長之は豊臣秀吉に仕へ、秀頼の時に関東に下向し北野貝戸村に土着し初代となる。二代善右衛門は埼玉郡下郷地村中根弾正の二男で、又左衛門の娘と結婚し宝来村開発に功績あり。善右衛門の二男善右衛門は村内に分家し豪農となる」。元禄七年北野貝戸村検地帳(福田善太郎文書)に「名主福田兵右衛門・三町七反七畝、組頭福田善右衛門(名主の分家)・一町九反五畝、福田孫兵衛(名主の分家)・一町六反一畝、福田三右衛門(名主の分家)・一町五反八畝、福田清兵衛(組頭の分家)・一町九反四畝、福田彦兵衛(孫兵衛の分家)・一町六反一畝、福田五郎右衛門(孫兵衛の分家)・九反、福田又右衛門(孫兵衛の分家)・三反三畝」。組頭善右衛門は同年宝来村に四町八反を所有す。当村住民は木下村法光寺を菩提寺とし、同寺明和六年地蔵尊に北貝戸・福田政右衛門・福田仲右衛門あり。大字高木に十五戸現存す。

九五 同郡小針内宿村(伊奈町) 小針神社天保二年浅間碑に福田富蔵あり。一戸現存す。

九六 同郡平方領領家村(上尾市) 当村文化四年庚申塔に領家村福田忠兵衛・福田一郎兵衛・福田清兵衛・福田半兵衛。平方村馬蹄寺明治十年馬頭尊に平方領家村福田平五郎あり。二戸現存す。

九七 同郡桶川町 明治三十五年白米商福田勘之丞あり。

九八 同郡下石戸上村(北本市) 川田谷村泉福寺天保五年供養塔に下石戸上村福田惣左衛門あり。現存無し。

九九 同郡下石戸下村(北本市) 当村に此氏の旧家あり。七戸現存す。

一〇〇 同郡鴻巣町 明治十五年旅宿福田伝兵衛。明治三十五年旅宿福田粂八・荒物商福田幸三郎・飲食店福田仙右衛門あり。

一〇一 同郡上生出塚村(鴻巣市) 上谷新田金剛院元治元年碑に坊山・福田晋吉あり。三戸現存す。

一〇二 同郡原馬室村(鴻巣市) 明治八年騎西町釜屋文書に原馬室村酒造業福田清右衛門。観音堂明治三十四年馬頭観音碑に宮本・福田倉吉・福田源八、谷津・福田惣吉・福田金太郎・福田佐右衛門・福田五右衛門・福田清次・福田清蔵・福田斧右衛門・福田福次郎・福田竹次郎あり。十一戸現存す。

一〇三 同郡滝馬室村(鴻巣市) 県会議員福田豊・明治四十二年生あり。二戸現存す。

一〇四 同郡糠田村(鴻巣市) 氷川社明治十一年浅間碑に福田安兵衛あり。現存無し。

一〇五 同郡吹上村 前谷村光明寺天保七年常夜燈に吹上村福田万蔵。明治十七年蚕業福田長一郎。吹上神社明治四十三年碑に福田アキあり。

一〇六 同郡小谷村(吹上町) 金乗寺明治四十五年碑に福田縫之助・福田角右衛門・福田徳次郎。七戸現存す。

一〇七 入間郡坊村(入間市) 嘉永四年縞座之儀油単衆・坊村福田佐吉。

一〇八 同郡川越町 氷川社明治三十三年玉垣碑に福田其吉。明治三十五年洋服商足立屋福田其吉・書籍商福田利右衛門・菓子商福田虎吉。三芳野神社明治四十年碑に廓町福田吉太郎・久保町福田利右衛門。足立郡小谷村金乗寺明治四十五年碑に川越福田利右衛門あり。

一〇九 同郡豊田新田(川越市) 大仙波村浅間社天保十年御神燈に豊田新田・福田仙次郎・福田万作。明治十六年県会議員調に農業福田久松・嘉永元年生・地所三十町二反歩所有(衆議院議員、大正十一年没)、其の養子衆議院議員福田辰五郎・大正七年没。豊田本村白髪社明治二十九年碑に福田寅造・福田光太郎。秩父郡宝登山神社明治三十年文書に信徒惣代豊田新田福田久松。八坂社明治四十年碑に福田八郎・福田源八・福田久松・福田兼吉・福田三之丞・福田源七・福田五助・福田周太郎・福田弥十郎・福田光太郎・福田仙造・福田藤三郎あり。十六戸存す。

一一〇 同郡今成村(川越市) 元治元年文書に福田兵造。明治二十二年埼玉勧業会員福田兵右衛門あり。十二戸現存す。

一一一 同郡北浅羽村(坂戸市) 石坂村休山寺明治二十八年碑に北浅羽福田安太郎あり。二戸現存す。

一一二 同郡新ヶ谷村(坂戸市) 明治九年戸長福田伊代吉・天保九年生あり。四戸現存す。

一一三 同郡青木村(坂戸市) 当村明治三十年馬頭尊に福田善蔵・福田義重郎。三芳野消防組福田信吉・明治十九年生あり。一戸現存す。

一一四 同郡多和目村(坂戸市) 明治九年副戸長福田美代次郎・嘉永五年生あり。現存無し。

一一五 同郡大谷木村(毛呂山町) 宿谷系図に「北条高時方宿谷行惟の臣福田太郎は大谷木村へ土着す」。福田家墓地に「先祖考又五郎号道円、次考市郎兵衛、次考弥左衛門、次考九兵衛号道祐・貞享二年十二月二十六日卒」あり。二戸現存す。

一一六 同郡長瀬村(毛呂山町) 当村に此氏多く存す。明治四十年多摩郡御嶽講社に福田幸作・福田金太郎・福田春吉・福田竹三郎・福田七之助・福田八太郎あり。

一一七 同郡葛貫村(毛呂山町) 当村に此氏多く存す。明治五年名主福田紋次郎。明治九年副戸長福田民十郎・嘉永五年生(郡会議員)。住吉社明治三十二年筆子碑に福田丹吉・福田清吉・福田直助・福田三平・福田半次郎・福田縫吉・福田留五郎・福田安五郎・福田民十郎あり。

一一八 同郡越生町 明治三十五年座繰製造福田松五郎・呉服商福田永次。

一一九 同郡小杉村(越生町) 風土記稿小杉村条に「天神社の慶長十八年棟札に福田新左衛門」と見ゆ。文政六年山田文書に伊勢講福田久蔵あり。八戸現存す。

一二〇 同郡堂山村(越生町) 明治十二年上谷堂山村組合人名表に福田七五郎・福田粂吉・福田弥吉あり。八戸現存す。

一二一 同郡如意村(越生町) 字六反田寛政十二年庚申塔に福田善兵衛・福田勇助。明治二十一年皇国武術英名録に真心影流如意村福田善衛あり。二戸現存す。

一二二 比企郡麦原村(越生町) 古代以来の居住者なり。福田進一家文書に「天正十二年九月十一日、某母方の名字遺跡これ無く候間、則ち藤左衛門尉へ福田を譲り、福田藤左衛門尉と名乗らせ申し候、福田藤左衛門尉殿、小鷲監物直吉花押」。同日付に「兄弟三人にばかり福田名乗らせ申し候、福田藤左衛門尉殿・同七郎左衛門尉殿・同源右衛門尉殿、小鷲監物允直吉花押」と見ゆ。平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に麦原・福田嘉市郎・福田良三郎・福田嘉吉・福田要之吉・福田啓三郎あり。十六戸現存す。

一二三 同郡古池村(越生町) 明治二十四年青物商福田タヨ・蒟蒻商福田兼吉あり。四戸現存す。

一二四 同郡平村(都幾川村) 慈光寺観音堂明治二年筆子碑に福田加市郎あり。一戸現存す。

一二五 同郡別所村(都幾川村) 平村慈光寺貞享元年棟札に別所村福田伊兵衛。桃木村八幡社明治十四年筆子碑に別所村福田伊平。平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に別所福田茂十郎あり。四戸現存す。

一二六 同郡羽尾村(滑川町) 羽尾七騎由来書(小林文書)に「寛文四年百姓代福田九左衛門」。消防組員福田健太郎・元治二年生、福田市五郎・安政元年生。明治十三年小学校生徒に惣吉長男福田政之助・六歳あり。八戸現存す。

一二七 同郡和泉村(滑川町) 広野村川島鬼鎮神社慶応二年筆子碑にイヅミ福田金八.。明治十年代地租表に福田三喜之助・地租十四円、福田万之助、福田金八あり。七戸現存す。

一二八 同郡高坂村(東松山市) 明治九年副戸長福田寛治・弘化二年生。明治十六年蚕種製造福田藤十郎・同福田鶴平・同福田直平。明治二十二年大日本農会々員名簿に福田権三・福田政吉あり。十五戸現存す。

一二九 同郡小川町 八宮社文化頃石御宮寄進碑に福田音二郎。明治三十五年針医福田佐治右衛門・煙草荒物商福田とよ・金物商佐野屋福田喜寿あり。

一三〇 同郡笠原村(小川町) 江戸末期算術家福田重蔵。明治九年地主惣代福田利之助。明治十六年常盤連人銘録に俳人福田紋次郎・号福寿あり。八戸現存す。

一三一 横見郡田甲村(吉見町) 当村に此氏多く存す。明治九年副戸長福田儀兵衛・天保六年生。高負彦根神社明治三十年碑に福田要作・福田広助・福田米蔵・福田清治郎・福田高五郎・福田浜吉・福田兵吉・福田利三郎・福田政義あり。

一三二 同郡前河内村(吉見町) 最勝寺寛政元年供養塔に福田又兵衛喜之、寛政九年地蔵尊に福田長左衛門。明治九年副戸長福田浜吉・文化十三年生。登戸村勝願寺明治十七年筆子碑に前河内村福田利平。明治二十二年大日本農会々員名簿に福田米吉あり。六戸現存す。

一三三 同郡大串村(吉見町) 観音寺嘉永六年地蔵尊に福田八五郎。登戸村勝願寺明治十七年筆子碑に大串村福田谷蔵あり。六戸現存す。

一三四 同郡上細谷村(吉見町) 明治九年副戸長福田繁次郎・天保三年生。氷川社明治三十四年幟碑に福田繁次郎・福田治三郎・福田誠衛・福田喜三郎あり。八戸現存す。

一三五 大里郡箕輪村(大里町) 保安寺宝暦十二年より明和元年迄の六地蔵に福田治右衛門・福田伝右衛門・福田与四郎・福田藤吉。吉見小学校文化十二年馬頭尊に箕輪村福田藤右衛門。船木神社万延元年碑に福田伝右衛門、文久三年水鉢に福田吉蔵・福田伝右衛門・福田久治郎・福田徳右衛門・福田藤左衛門。上岡妙安寺慶応元年廻国塔に箕輪村福田伝右衛門。野原村文殊寺明治二年碑に箕輪村・福田啓次郎・福田伝次郎・福田重次郎・福田久五郎・福田仙太郎・福田藤右衛門。明治九年戸長福田善成・天保七年生、副戸長福田啓寛・安政元年生あり。十一戸現存す。

一三六 同郡小八ツ林村(大里町) 当村に此氏多く存す。三ツ木村三ツ木神社明治二十五年碑に小八ツ林村福田喜助あり。

一三七 同郡成沢村(江南町) 当村に此氏多く存す。赤城社文化五年御神燈に福田兵馬・福田定四郎・福田弥兵衛・福田忠兵衛・福田与八、天保十一年御神燈に福田宗司郎・福田喜兵衛・福田弥太郎・福田直治郎・福田久米吉・福田松治郎、安政二年水鉢に福田宗次郎茂達・福田三郎兵衛忠政・福田浅五郎真次・福田周次郎芳春・福田与三郎・福田松次郎・福田幸八・福田源之助・福田祐吉・福田弥太郎・福田岩次郎・福田信次郎・福田源右衛門・福田喜助。野原村文殊寺嘉永元年大銀講碑に成沢村福田三郎兵衛。白川家門人帳に安政二年成沢村福田宗三郎。明治九年副戸長福田義達・文化七年生、副戸長福田宗作あり。

一三八 同郡上新田村(江南町) 明治七年柴田文書に福田徳次郎・福田儀兵衛あり。四戸現存す。

一三九 同郡樋ノ口村(江南町) 成沢村赤城社天保十一年御神燈に樋ノ口村福田四郎兵衛右衛門あり。二戸現存す。

一四〇 男衾郡須賀広村(江南町) 八幡社文政七年御神燈に福田政五郎、文政十年御神燈に福田万太郎・福田佐太夫。釈迦寺嘉永七年二十二夜塔に福田浅右衛門あり。二戸現存す。

一四一 幡羅郡奈良新田村(熊谷市) 西福寺文化十年供養塔に奈良新田村福田源七、天保九年供養塔に中奈良新田福田喜兵衛。三ツ木村三ツ木神社明治二十五年碑に奈良村福田茂十郎あり。十一戸現存す。

一四二 同郡妻沼町 明治三十五年飲食店福田大助あり。

一四三 同郡葛和田村(妻沼町) 大竜寺宝暦六年庚申塔に福田惣右衛門。神明宮天保十三年御神燈に福田利兵衛。大野村稲荷社安政二年水鉢に福田金八・福田勘助。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流葛和田村福田長三郎あり。三戸現存す。

一四四 同郡弥藤吾村(妻沼町) 聖天旧記に「弥藤吾村草分農民にして、延宝年間・福田弥兵衛。享和二年組頭福田和十郎」。明治十一年副戸長福田和十郎あり。八戸現存す。

一四五 同郡国済寺村(深谷市) 幡羅村会議員福田元重郎・明治二十九年生あり。八戸現存す。

一四六 榛沢郡深谷町 明治三十五年菓子商福田喜太郎・左官職福田庄太郎あり。

一四七 同郡戸森村(深谷市) 雷電寺宝暦三年庚申塔に戸森村福田仁兵衛。明治九年副戸長福田久太郎・天保三年生。福田家明治十四年私塾師匠福田佐左衛門号南山碑に「門人福田波三郎・福田安五郎・福田八十・福田辰五郎・福田伊八・福田宗十郎・福田八郎。嫡子福田久太郎、孫福田善重郎・福田金五郎・福田利助」。大塚島村鹿島社明治三十九年碑に福田鶴吉。大寄村会議員に福田善十郎・元治元年生、福田駒吉・明治三十七年生あり。四戸現存す。

一四八 同郡岡部村 岡部神社嘉永六年御神燈に福田周助あり。五戸存す。

一四九 同郡寄居町 明治三十五年畳職福田仙太郎あり。

一五〇 同郡桜沢村(寄居町) 用土村明治十三年仙元碑に桜沢村福田四郎平あり。二戸現存す。

一五一 児玉郡本庄町 前原一丁目文政三年庚申塔に福田平治郎。万延元年武術英名録に甲源一刀流武州八幡山在秋山村福田範造と見え、明治二十一年皇国武術英名録に甲源一刀流本庄宿福田範造と見ゆ。。明治三十五年桶職福田忠五郎・青物商福田寅吉あり。

一五二 同郡新井村(本庄市) 当村に此氏の旧家あり。五戸現存す。

一五三 同郡新里村(神川町) 明治五年小前議定書に福田角助。現存無し。

一五四 同郡上真下村(児玉町) 本庄宿石川剣道場門下生に寛政四年・上真下村福田庄次郎あり。現存無し。

一五五 同郡八幡山町(児玉町) 児玉記考に「旧家福田宗太郎、故福田礼蔵は当主宗太郎の父なり。新田義貞の将畑時能の兄畑隼人之助の正系なり。其の子孫隼人助は鉢形の城主北条安房守に仕へ天正十八年鉢形城陥落の後ち当地に来り帰農し姓を福田と改む。維新前は問屋及び名主役を勤続せり。当主は現に町長及び郡会議員の名誉職に在る名士なり。隼人之助の舅畑彦十郎へ北条家より出せし文書三通あり」。松屋福田吉兵衛家系図(福田和子文書)に「福田隼人佐道政(武州鉢形城主北条阿波守氏邦家臣、天正十八年武州那賀郡秋山村在住、金山道位居士、慶長五年正月十七日卒・行年七十二才。妻北条氏政家臣畑彦十郎重直之娘)―長子隼人政忠、二子弥吉郎元昌、三子忠右衛門政長、四子利右衛門忠通。三子忠右衛門政長(福本道西居士・元和元年卒・行年四十八才)―左京昌吉(慶安二年卒)―喜兵衛昌方(元禄八年卒)―長子三之丞吉長、二子五兵衛利房、三子吉兵衛政利(八幡山町中興開祖、天和元年江戸本石町松屋半右衛門に仕ふ、延享四年卒。妻当所石川彦兵衛宗春娘)―吉兵衛為政(安永六年卒。二弟喜十郎光元・当所関口善右衛門養子、三弟孫八吉友・分家、四弟四郎治盛吉)―吉兵衛昌豊(弟太兵衛正忠・明和年中分家)―吉兵衛政明」。秋山村の出身なり。文化三年福田吉兵衛昌豊著に「祖父政利出生秋山村親元致不如意候に付、幼年之節江戸表へ奉公に罷出本石町一丁目松屋半右衛門様に相勤出情仕罷在候処、主人死去被成候故、元禄年中・当町に屋敷買請在所百姓に相成候。諸色小売商内出情仕処、主人半右衛門方より松屋と有之候古るき暖簾貰候に付家名松屋と仕諸色々売買仕、数代取続罷在候。秋山村身元之儀は貧者に而奉公に出候程之儀故、針一本貰候儀無御座候由申伝承候」と見ゆ。畑彦十郎宛の文書は元禄年中に吉兵衛所蔵とあり、本家より買請るか。児玉町八幡社延享二年御神燈に福田吉兵衛。天明三年福田文書に武州八幡山町開祖四世福田清右衛門政明。古郡村安光寺嘉永元年地蔵尊に八幡山福田吉兵衛。元治二年桜沢文書に八幡山町年寄名主福田伊兵衛。明治四年名主福田礼蔵。明治十六年県会議員調に農業福田礼蔵・天保九年生・地所二十三町七反六畝歩所有。明治三十五年運送店福田宗太郎。八幡社明治三十五年碑に福田林蔵・福田勝次あり。一戸現存す。

一五六 那賀郡秋山村(児玉町) 当村に此氏多く存す。前項及び畑条参照。古代以来の居住者なり。福田弘基家に氏神として祀ってある建長七年銘の板碑あり。児玉党真下氏系図(子孫坂本文書)に「真下弾正藤原基行(正平八年卒四十一歳。妻トヨ・那賀郡秋山村福田氏娘・正平二十二年卒五十四歳)」。字台元禄七年地蔵尊に福田所右衛門。字大明神享保十年庚申塔に福田弥平治・福田利右門・福田四兵衛。日輪寺年不詳地蔵尊に福田市郎右衛門・福田助次郎。文化九年桜沢文書に秋山村名主福田友右衛門。七本木村石川流木村源蔵(天保十年没)門人に秋山村福田柳之助・福田新三郎。明治九年副戸長福田四郎次・天保十一年生。本覚院明治二十年水鉢に当所福田浜吉。直正寺明治二十九年碑に当所福田菊次郎・福田重五郎。児玉記考に「旧家福田友右衛門、福田浅次郎、福田福太郎、福田順之助等皆同一門なり。祖先は畑六郎左衛門時能の裔畑隼人助佐道より出づ、天正十八年当地に土着し、爾来明治革新に至る迄共に地頭の名主組頭役等を勤続せり」。秋平小学校明治三十二年碑に秋山・福田直次郎・福田安五郎・福田松五郎・福田源治郎・福田初太郎・福田喜太郎・福田助治郎・福田茂十郎・福田重五郎・福田丑太郎・福田市蔵・福田万作・福田浅次郎・福田忠治郎・福田四郎吉・福田順之助・福田政五郎・福田吉三・福田嘉宇・福田惣蔵・福田金治郎。風洞河原神社明治四十四年碑に福田兵衛・福田彦蔵・福田鷲五郎・福田嘉十郎・福田鉄蔵あり。

一五七 賀美郡金久保村(上里町) 陽雲寺武田家遺臣碑(明治三十年)に「福田志摩丞頼一の後裔、金久保・福田梅吉」あり。三戸現存す。

一五八 同郡忍保村(上里町) 当村に此氏多く存す。多摩郡高尾山薬王院文化六年文書に賀美郡忍保村福田平左衛門。当村万延元年庚申塔に福田利左衛門。勝場村万延元年庚申塔に忍保福田勝蔵。明治六年蚕種製造福田礼治。明治九年副戸長福田祐太郎・嘉永三年生。善台寺明治二十六年廻国塔に福田利平あり。

一五九 同郡元阿保村(神川町) 当村明治三十年碑に当所福田饒作・福田仲治郎・福田卯市郎あり。六戸存す。

一六〇 同郡小浜村(神川町) 小松神社明治二十九年碑に福田佐平次あり。四戸現存す。

一六一 秩父郡風布村(長瀞町) 国神神社明治三十四年碑に風布福田学之助あり。現存無し。

一六二 同郡野上下郷(長瀞町) 字辻天神天保十四年馬頭尊に福田五兵衛。用土村明治十三年仙元碑に野上下郷福田卯吉。明治十四年林文書に福田政吉・福田国五郎・福田関蔵・福田卯市・福田海蔵・福田林蔵・福田卯之吉・福田永十郎あり。十二戸現存す。

一六三 同郡金崎村(皆野町) 国神郷土史考に「国神関谷の福田将監は北条氏邦から本領七貫六百文・加増二十五貫四百二十文を宛行われる」と、字南原に福田家墓地あり。明治三十五年陸送店福田和吉あり。三戸存す。

一六四 同郡大淵村(皆野町) 前項と同族にて、字下殿に福田家墓地あり。七戸現存す。

一六五 同郡三沢村(皆野町) 八幡社元禄十年棟札に組頭福田伊右衛門。明治六年副戸長福田平三郎。明治二十一年総代人福田己三郎あり。九戸現存す。

一六六 同郡上吉田村 二項参照。彦久保文書に「天正十年二月二十五日、秩父衆着致、二本鑓・一騎馬上・以上三人・福田大和守」。当村住人か。鉢形古城跡内郭案内記(寛政十一記)に「福田庄丸と申人秩父の入り女部田へ遁行、長寿をたもち静謐之御代に至り、かろく物語ありし事、此所の口談と少しも違事なしと也」と見ゆ。赤岩中興開基記録に「宝暦四年、上吉田村・福田善右衛門・福田源太夫・福田源兵衛。文化十一年、上吉田村・福田伝右衛門・福田周左衛門」。明和安永年間秩父郡記に上吉田村名主福田谷右衛門。私塾師匠名主福田曽平直賢・号麟斎・文政七年生。明治十三年竜門社に福田松太郎・福田申□・社長福田説次。明治十四年生糸博覧会褒賞者福田兵重あり。六戸現存す。

一六七 同郡下吉田村 永法寺寄附帳に明治十二年福田権重郎、明治四十二年福田秋太郎。八幡社明治三十八年碑に福田弥吉あり。二戸現存す。

一六八 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・福田茂・五十八円・六十四円、福田たま・十一円・三十円、福田義之・十六円、川口町・福田正次郎・十三円・十六円、大宮町・福田三喜三郎・十六円・三十円、福田清八・十一円・三十三円、福田春吉・十五円・十一円、小谷村(吹上町)・福田良之助・九円、幸手町・福田忠吉・九円・三十三円、岩槻町・福田九右衛門・四十三円、大山村(菖蒲町)・福田助三郎・百七十九円・百十二円、福田豊吉・二十円・四十二円、福田むら・十一円・三十三円、加須町・福田安吉・四十二円・五十六円、福田駒吉・九円・三十三円、志多見村(加須市)・福田金助・三十五円、不動岡町(加須市)・福田松太郎・三十一円、三ツ俣村(加須市)・福田富五郎・十八円・四十四円、福田義三郎・五十五円、羽生町・福田大助・三十円・六十四円、川俣村(羽生市)・福田庄作・十四円、川越市・福田真蔵・九十円・八十四円、福田利右衛門・二十三円・五十円、太田村(川越市)・福田聡太・二十三円、越生町・福田良作・九円・三十三円、梅園村(越生町)・福田良三郎・十一円、高坂村(東松山市)・福田茂清・二十一円、熊谷町・福田不二雄・二十八円、福田房吉・十二円、奈良村(熊谷市)・福田武平・六十七円、吉見村(大里町)・福田保則・三十五円、福田善種・九円、深谷町・福田久蔵・三十円、神保原村(上里町)・福田丑太郎・九円・三十三円、福田藤十郎・十八円、福田作三郎・十七円」あり。

福高 フクタカ 本庄に存す。

福瀧 フクタキ 三芳に存す。

福竹 フクタケ 北本に存す。

福武 フクタケ 浦和、蓮田、三郷、飯能、日高、杉戸等に存す。

福館 フクタテ 新座に存す。岩手県下閉伊郡山田町二十五戸あり。

福谷 フクタニ 川口、朝霞、和光、所沢、三郷、越谷、岩槻、宮代等に存す。鳥取県米子市二十一戸あり。

福玉 フクタマ 大宮に存す。

福地 フクチ 服(はとり)の集落を称す。○栃木県下都賀郡藤岡町五十三戸、佐野市百戸、足利市八十戸。○茨城県那珂郡那珂町十七戸、東海村十三戸、日立市七十五戸、常陸太田市七十二戸。○福島県伊達郡保原町二十四戸、河沼郡会津阪下町二十八戸、耶麻郡塩川町十六戸あり。

一 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「百石五人扶持・福地長左衛門」あり。

二 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・百石・川越取立・福地金太郎」あり。

三 岡部藩安部氏家臣 岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「初代福地多十郎(安政六年足軽被召抱、明治四年民籍へ下る、大字町田)」と見ゆ。

四 埼玉郡柳生村(北川辺町) 当村享保二十年庚申塔に柳生村福地門右衛門あり。八戸現存す。

五 同郡弥勒村(羽生市) 明治九年副戸長福地宇左衛門・文政五年生あり。十三戸現存す。

六 大里郡手島村(大里町) 当村弘化三年馬頭尊に手島村福地六右衛門あり。二戸現存す。

七 幡羅郡下奈良村(熊谷市) 明治二十七年東条筆子碑に下奈良村福地鉄五郎あり。現存無し。

八 榛沢郡上野台村(深谷市) 光厳寺文政九年水鉢に当所福地五郎右衛門・福地小右衛門、天保十一年供養塔に当所福地重兵衛。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国藤沢村上野台福地喜三郎。八幡社明治四十四年碑に福地実五郎・福地国八・福地初太郎・福地音吉あり。十二戸現存す。

九 同郡町田村(深谷市) 多摩郡高尾山薬王院文政元年文書に榛沢郡町田村福地勝之丞。明治四年備前堀史料に町田村名主福地四郎太。八基村会議員に福地浜五郎・安政五年生、福地清五郎・明治十三年生、福地隣五郎・明治十九年生、福地茂治・明治四十年生。昭和三年興信録に「八基村・福地浜五郎・所得税十一円」あり。十七戸現存す。三項参照。

一〇 足立郡浦和町 明治三十五年指物職福地文次郎。昭和三年興信録に「浦和町・福地武次郎・所得税二十五円」あり。

一一 同郡谷田村(浦和市) 昭和三年興信録に「谷田村・福地梧楼・所得税三十三円」あり。

福知 フクチ 浦和、川口、上尾、越谷、草加、北川辺、所沢等に存す。

福智 フクチ 横見郡田甲村(吉見町)高負彦根神社明治三十年碑に福智貞助・福智紋蔵あり。三戸現存す。

福知山 フクチヤマ 忍城士にて、成田分限帳に「十五貫文・福知山戸左衛門」あり。

福津 フクツ 浦和に存す。

福塚 フクヅカ 狭山、所沢等に存す。

福綱 フクツナ 朝霞に存す。

福手 フクテ 草加、所沢等に存す。

福土 フクド 川口、草加等に存す。

福当 フクトウ 浦和に存す。

福徳 フクトク 上福岡、川越等に存す。

一 本庄町 明治四年諸井文書に台町福徳藤吉あり。現存無し。

福冨 フクトミ 浦和、川口、北本、所沢、川島等に存す。栃木県下都賀郡大平町三十六戸、栃木市五十戸あり。

福富 フクトミ 各市町村に存す。○栃木県下都賀郡藤岡町十六戸。○島根県邇摩郡温泉津町十四戸、江津市二十六戸あり。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「二百石・本国尾張生国播磨・福富定右衛門・四十一歳、百石・本国尾張生播磨・福富弥三左衛門・三十八歳」。

二 川越町 明治三十五年呉服商福富健次郎あり。一戸現存す。

三 埼玉郡篠津村(白岡町) 当村に此氏の旧家あり。三戸現存す。

福留 フクトメ 各市町村に存す。鳥取県西伯郡大山町十八戸、中山町二十一戸あり。

一 浦和町 昭和三年興信録に「福留袈裟太郎・所得税十円」あり。

福中 フクナカ 浦和、戸田、白岡、庄和等に存す。

福永 フクナガ 各市町村に存す。○青森県下北郡川内町十二戸。○鳥取県東伯郡関金町十四戸、倉吉市二十五戸あり。

一 忍城士の福永氏 成田分限帳に「二十五貫文・福永重左衛門」あり。

二 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「二百五十石・福永与八郎」あり。

三 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「諸奉行・百五十石・越前取立・福永又右衛門」。万延二年川越藩分限帳に「御馬廻・二百石・福永九十九」。慶応元年前橋藩松山陣屋付に「四石二人扶持・福永吉五郎」あり。

四 岩槻町 千手院天和三年供養塔に横町福長弥郎左衛門あり。一戸存す。

五 浦和町 昭和三年興信録に「福永友諒・所得税六十九円」あり。

福長 フクナガ 浦和、新座、小川、妻沼等に存す。青森県北津軽郡金木町六戸あり。

冨久長 フクナガ 浦和に存す。

一 埼玉郡長野村(行田市) 久伊豆社明治十一年御神燈に冨久長光覚あり。長久寺住職なり。現存無し。

冨久永 フクナガ 行田町明治三十五年土木請負業冨久永瀧三。現存無し。

福成 フクナリ 入間に存す。

福西 フクニシ 各市町村に存す。福島県会津若松市十四戸あり。

福野 フクノ 各市町村に存す。

福場 フクバ 和光、富士見等に存す。島根県飯石郡掛合町七戸あり。

福橋 フクハシ 埼玉郡辻村(加須市)久伊豆社安政三年狛犬に福橋新兵衛・福橋甚衛あり。現存無し。

福畑 フクハタ 越谷、飯能等に存す。

福畠 フクハタ 所沢に存す。

福浜 フクハマ 狭山に存す。

福林 フクバヤシ 朝霞、飯能、草加、荒川等に存す。

福原 フクハラ 古代朝鮮語で原は村の意味。服(はとり)の集落を称す。○千葉県安房郡鋸南町七十五戸、千倉町三十九戸、富浦町四十戸、市原市五十八戸、館山市四十三戸。○長野県下水内郡栄村三十二戸。○新潟県中魚沼郡津南町百二十戸、東頸城郡松之山町三十四戸、十日町市四十戸。○福島県河沼郡河東町十九戸。○秋田県仙北郡太田町二十戸、北秋田郡鷹巣町十九戸。○宮城県古川市五十七戸。○青森県南津軽郡田舎館村三十二戸。○島根県益田市百七十七戸あり。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御者頭・二百五十石・福原庄左衛門、御中小姓・七人扶持・福原武右衛門、御小姓共・六両・福原彦左衛門」。享保八年忍藩軍役帳に「三百五十石・福原庄左衛門」あり。

二 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「江戸御留守居・八十石・亡父吉左衛門・福原円・三十七歳・東京住、御中小姓・十石二人扶持・亡養父藤助・福原善太郎・二十三歳、勘定頭支配・四石余二人扶持・福原倉之助・二十七歳」あり。

三 足立郡横曽根村(川口市) 明治九年副戸長福原甚右衛門・文化九年生(組頭)。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流横曽根村福原平三郎・男福原春吉。衆議院議員選挙人名簿に福原文四郎・文化十四年生・納税二十四円、福原多兵衛・天保三年生・納税十八円。飯塚村氷川社明治四十四年碑に横曽根・福原伊勢太郎・福原松之助・福原清一郎・福原梅太郎・福原与助。県会議員新聞記者福原幸太郎・慶応元年生。昭和三年興信録に「横曽根村・福原松之助・所得税十四円・営業税三十三円」あり。十八戸現存す。

四 同郡草加宿 市神祠官筆学門人控に元治二年・五丁目福原屋倅福原菊次郎あり。

五 同郡瓦葺村(上尾市) 当村元禄十三年庚申塔に瓦吹村福原□衛門あり。一戸現存す。

六 埼玉郡慈恩寺村(岩槻市) 慈恩寺弘化四年水鉢に入小路・福原九助。小溝村長命寺慶応二年供養塔に慈恩寺郷福原伊惣次。明治三十年人名録に福原栄之助・文久三年生あり。二戸現存無し。

七 同郡上蓮田村(蓮田市) 須賀神社明治四十年敷石碑に福原才助・福原代吉・福原牧太郎あり。三戸現存す。

八 比企郡菅谷村(嵐山町) 昭和三年興信録に「菅谷村・福原愛作・所得税十一円」あり。現存無し。

九 熊谷町 昭和三年興信録に「福原信行・所得税二十一円」あり。

普久原 フクハラ 越谷に存す。

譜久原 フクハラ 浦和に存す。

福久 フクヒサ 所沢に存す。

福平 フクヒラ 八潮に存す。

福部 フクベ 服部(はっとり)の転訛なり。越谷、三芳等に存す。

福辺 フクベ 福部に同じ。春日部、草加等に存す。千葉県長生郡一宮町十三戸あり。

福馬 フクマ 川口、大宮、朝霞等に存す。島根県飯石郡吉田村五戸あり。

福真 フクマ 大宮に存す。青森県弘前市十一戸あり。

福間 フクマ 各市町村に存す。○島根県簸川郡斐川町六十戸、湖陵町四十戸、大社町十七戸、大原郡大東町七十戸、木次町二十二戸、八束郡美保関町二十戸、玉湯町七十六戸、松江市百三十六戸、平田市四十四戸、出雲市八十三戸、大田市七十四戸。○鳥取県西伯郡会見町十五戸あり。

福政 フクマサ 浦和、新座、川越等に存す。鳥取市十九戸あり。

福升 フクマス 幸手に存す。

福舛 フクマス 浦和に存す。

福桝 フクマス 川越に存す。

福益 フクマス 東松山に存す。

福増 フクマス 蕨、和光等に存す。

富久増 フクマス 草加に存す。

福丸 フクマル 各市町村に存す。

福万 フクマン 春日部、庄和に存す。

福満 フクマン 春日部に存す。

福見 フクミ 浦和、川口、越谷等に存す。鳥取県西伯郡大山町七戸あり。

福味 フクミ 大宮に存す。

福海 フクミ 杉戸に存す。

復光 フクミツ 浦和に存す。

福光 フクミツ 各市町村に存す。鳥取県東伯郡大栄町三十三戸あり。

福満 フクミツ 各市町村に存す。

福水 フクミヅ 浦和、川口、草加、新座、上福岡等に存す。千葉県香取郡小見川町十一戸あり。

福宮 フクミヤ 上尾、越谷等に存す。

服村 フクムラ 富士見に存す。

福村 フクムラ 服村の佳字なり。各市町村に存す。青森県上北郡七戸町二十戸、天間林村十三戸、十和田市三十七戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御広敷御用達・九十石・福村中兵衛、御馬廻・三人扶持・福村孫一郎」。明治四年忍藩士族名簿に「九十石・福村加左衛門」。

二 粕壁町 明治三十五年糸繭商福村貞蔵あり。現存無し。

三 足立郡芝村(川口市) 明治二十一年皇国武術英名録に柳剛無刀流芝村福村久次郎。神宮寺明治二十九年奉納額に福村計蔵あり。二戸現存す。

四 同郡糠田村(鴻巣市) 当村宝永五年庚申塔に福村源兵衛。三戸現存す。

五 本庄町 明治三十五年煙草商福村キンあり。現存無し。

福室 フクムロ 入間郡南永井村に四戸、比企郡角泉村に三戸現存す。

福毛 フクモ 川越に存す。

福持 フクモチ 入間に存す。

福元 フクモト 各市町村に存す。

福本 フクモト 下(もと)は浦の意味。服(はとり)の海洋民を福本と称す。各市町村に存す。○鳥取県西伯郡淀江町十戸、東伯郡羽合町二十戸、東郷町十三戸、三朝町十七戸、赤碕町九十六戸、岩美郡岩美町十四戸、米子市三十戸、鳥取市七十戸あり。

一 鎌倉鍛冶福本氏 鎌倉雪ノ下福本文書(現千葉県四街道市住)に「長享二年三月二日、足利政氏は、福本左衛門五郎の比企郡高見原合戦における勲功を賞す」。「天文二十二年、鎌倉鍛冶福本九郎二郎」と見ゆ。

二 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「六石二人扶持・福本正之」あり。

三 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御馬廻・百二十石・亡養父栄司・福本繁之助・十八歳」あり。

四 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「組外・十石二人扶持・福本鎌次郎」。明治四年忍藩士族名簿に「七石二人扶持・福本力三郎」あり。

五 足立郡下戸田村 蕨町三学院明治十一年碑に下戸田村福本栄吉。明治十四年埼玉銀行株主に戸田河岸酒造業福本栄吉・三十株千五百円所有。

六 同郡生出塚村(鴻巣市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に上生出塚村福本七兵衛あり。現存無し。

七 川越町 氷川社明治八年水鉢に南町福本栄助あり。

八 大里郡石原村(熊谷市) 明治三十五年理髪店福本恭之助。現存無し。

九 幡羅郡三ヶ尻村(熊谷市) 幸安寺嘉永六年碑に当所福本倉二郎あり。一戸現存す。

一〇 榛沢郡北阿賀野村(深谷市) 上手計村阿弥陀堂元禄十六年地蔵尊に阿賀野村福本庄右衛門・福本市右衛門・福本三左衛門。私塾師匠桃井可堂(本名福本儀八)は勤皇志士にて文久三年幽閉のまま六十二歳で病死す。桃井播磨守直常の後裔と伝へ桃井姓を称す。二戸現存す。桃井氏は無し。

一一 同郡永田村(花園町) 滝不動堂明治三十一年馬頭尊に福本万五郎あり。六戸現存す。

一二 児玉郡山王堂村(本庄市) 日枝社年不詳庚申塔に福本七右衛門あり。三戸現存す。

一三 秩父町 明治三年秩父神社々領古鉄商福本万吉あり。一戸現存す。

一四 皆野町 寛保三年香具仲間連名帳に福本喜三郎あり。現存無し。

福盛 フクモリ 鳩ヶ谷、川越に存す。

福森 フクモリ 各市町村に存す。

一 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「六石・福森儀兵衛、六石・福森忠太夫」あり。

福盛田 フクモリタ 桶川に存す。岩手県北上市二十戸あり。

福屋 フクヤ 白岡、志木等に存す。島根県邑智郡邑智町八戸、石見町五戸あり。

福谷 フクヤ 川口、草加、新座、杉戸、小川等に存す。

福家 フクヤ 浦和、与野、伊奈、加須、越谷、吉川、庄和等に存す。

福安 フクヤス 草加、北本、三芳等に存す。鳥取県八頭郡佐治村十戸、智頭町十四戸、鳥取市二十八戸あり。

福宿 フクヤド 所沢に存す。

福山 フクヤマ 古代朝鮮語で山は村の意味。服(はとり)の集落を称す。各市町村に存す。○岩手県稗貫郡石鳥谷町十六戸、紫波郡紫波町九戸。○青森県三戸郡新郷村四十戸、黒石市二十六戸。○島根県大原郡大東町十四戸、八束郡宍道町八戸、能義郡広瀬町十戸。○鳥取県東伯郡羽合町十五戸、鳥取市二十六戸あり。

一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御側医・亡養父舜章・福山春瑞・六十七歳、父春瑞・福山春庵・三十四歳」。

二 埼玉郡平野村(大利根町) 稲荷社明治四十二年碑に福山定右衛門・福山徳太郎・福山佐兵衛。二戸現存す。

三 新座郡館村(志木市) 館村旧記に「天正十八年館の郷は福山月斎の所領となり、月斎は柏城跡に屋敷を構えて居住す」と見ゆ。幕臣か。

四 比企郡福田村(滑川町) 明治九年議定書に福山吉郎あり。現存無し。

五 大宮町 昭和三年興信録に「福山宏・所得税七十三円」あり。

譜久山 フクヤマ 浦和、上尾、鴻巣、坂戸等に存す。

福与 フクヨ 浦和、大宮、川口、蓮田、蕨、草加、新座、狭山、飯能等に存す。長野県下伊那郡松川町十戸、飯田市四十六戸あり。

福代 フクヨ 越谷に存す。

福吉 フクヨシ 浦和、川口、大宮、上尾、戸田、川越等に存す。

一 川口町 川口神社明治三十九年碑に町長福吉友吉あり。

福寄 フクヨリ 狭山に存す。島根県八束郡東出雲町六戸あり。

福頼 フクヨリ 島根県八束郡東出雲町二十三戸あり。

福良 フクラ 大宮、草加、川越、所沢等に存す。

福羅 フクラ 大宮、上尾、朝霞、日高、富士見、毛呂山、行田等に存す。

富久良 フクラ 九条家延喜式裏文書・大里郡条里坪付に富久良ノ里あり。大里条参照。

福来 フクライ 鶴ヶ島に存す。

譜久里 フクリ 所沢に存す。

袋 フクロ 埼玉郡忍領袋村(吹上町)あり。ミツハタ条参照。百間領新方袋村(春日部市)は単に袋村と云う。秩父郡本野上村字袋(長瀞町)は古の村名にて、延宝四年多宝寺文書に秩父郡袋村多宝寺と見ゆ。狭山、所沢等に存す。宮城県登米郡迫町九戸、栗原郡栗駒町四戸あり。

袋井 フクロイ 浦和、和光、入間、本庄等に存す。

一 忍城士の袋井氏 成田分限帳に「七十石・袋井平太、二十貫文・袋井又太郎」あり。

袋瀬 フクロセ 和光に存す。

袋田 フクロダ 埼玉郡戸ヶ崎村(菖蒲町)鎮守袋田明神社あり。浦和、川口等に存す。

袋谷 フクロタニ 与野、狭山等に存す。

袋野 フクロノ 大宮、上尾等に存す。

袋山 フクロヤマ 埼玉郡袋山村(越谷市)あり。

福若 フクワカ 浦和に存す。

福脇 フクワキ 三郷に存す。

冨家 フケ 浦和に存す。

福家 フケ 浦和、与野、鴻巣、和光、上福岡、春日部等に存す。

更田 フケダ 三郷、宮代等に存す。鳥取県東伯郡東郷町十四戸あり。

深水 フケミヅ 和光に存す。

普賢寺 フケンジ 川越藩秋元氏家臣にて、明治四年館林藩士族帳に「百二十石・普賢寺修」あり。

武光 ブコウ タケミツ参照。

畚野 フゴノ 所沢に存す。

房 フサ 上福岡、嵐山等に存す。

普済寺 フサイジ 榛沢郡普済寺村(岡部町)は、大里郡神社誌に「上岡部、いまの大字普済字なり。普済寺坊六弥太忠澄の古墳の地なり」と見ゆ。

房枝 フサエダ 浦和に存す。

布坂 フサカ 秩父郡芦ヶ久保村字布坂あり。

房川 フサカワ 春日部に存す。

布崎 フサキ 浦和に存す。

房木 フサキ 浦和に存す。

房崎 フササキ 蕨に存す。島根県鹿足郡六日市町八戸あり。

房前 フササキ 昭和三年興信録に「久下村(熊谷市)・房前良平・所得税十三円」あり。一戸現存す。

房田 フサダ 坂戸、所沢、富士見等に存す。

英田 フサダ 草加、三郷等に存す。

房常 フサツネ 日高に存す。

富里 フサト 蕨に存す。

房野 フサノ 入間郡大谷村字房野組(越生町)あり。

一 入間郡上谷村(越生町) 明治三年上谷村上分苗氏書上帳に房野耕太郎・房野喜七・房野七五郎。明治十二年人名表に房野幸太郎・房野角造・房野力造・房野貞之。平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に上谷下組房野利之吉あり。三戸現存す。

二 比企郡玉川郷 桃木村八幡社文政七年筆子碑に玉川郷房野重五郎。龍福寺嘉永元年筆子碑に宿組房埜音次郎・房埜甚兵衛。明治九年地租改正担当人房野恒五郎。春日社明治四十年碑に房野庄平・房野源四郎(玉川村長)、根際・房野友次郎・房野浅吉・房野鶴吉・房野安平・房野与十郎。平村滝ノ鼻公園明治四十四年馬頭尊に玉川房野伊三郎あり。十四戸現存す。

三 同郡平村(都幾川村) 十王堂安政二年廻国塔に平村房埜利八、同年聖徳太子講碑に総埜勘次郎。慈光寺観音堂明治二年筆子碑に房野倉造・房野和志吉。正法寺明治三十年廻国塔に平村房野新平。萩日吉社明治四十一年碑に房野磯吉・房野弁次郎あり。三戸現存す。

四 同郡田中村(都幾川村) 桃木村八幡社明治十四年筆子碑に田中村房野嘉十あり。一戸現存す。

房前 フサマエ 狭山に存す。

房宗 フサムネ 川越に存す。

房村 フサムラ 越谷、狭山等に存す。

房安 フサヤス 鳩山に存す。鳥取県気高郡青谷町四十戸あり。

総山 フサヤマ 鳩山に存す。

布沢 フサワ 秩父郡金沢村字布沢(皆野町)は古の村名なり。岩槻、春日部、八潮、所沢等に存す。新潟県北魚沼郡入広瀬村十一戸。宮城県登米郡中田町十二戸あり。ヌノサワ参照。

布澤 フサワ 新座、所沢、杉戸に存す。

麩澤 フサワ 行田に存す。新潟県南蒲原郡栄町五戸あり。

藤 フジ 和名抄に藤は布知、葛は布知、淵は布知と訓ず。フヂ条に納む。

不二 フジ 三郷に存す。

冨士 フジ 和名抄に冨士は浮志と訓ず。大宮、伊奈、志木、越谷、三郷、入間、川越、所沢、熊谷等に存す。山形県上山市二十五戸あり。

富士 フジ 岩槻町字富士宿町は、延文六年市場祭文写に崎西郡岩付ふち宿市祭と見ゆ。浦和、大宮、川口、上尾、所沢、杉戸等に存す。

一 岩附城士の富士氏 高麗文書(家伝史料)に「永禄中、しゅいの次第・富士宮内少輔殿」と見ゆ。

不二井 フジイ 坂戸に存す。

冨士井 フジイ 川越に存す。

富士井 フジイ 深谷に存す。

冨士池 フジイケ 飯能に存す。

伏江 フシエ 所沢に存す。

富士栄 フジエ 草加に存す。

冨士枝 フジエダ 白岡、春日部、川越、本庄等に存す。

冨士尾 フジオ 川越に存す。

武士垣外 ブシガイド 川越に存す。

伏川 フシカワ 狭山に存す。

伏木 フシキ 各市町村に存す。

布敷 フシキ ヌノシ参照。

伏木野 フシキノ 小川に存す。

富士庫 フジクラ 風土記稿埼玉郡彦兵衛新田(白岡町)条に「当村は昔上野田村の持地にて一橋殿の林なりしを宝暦十三年葛飾郡幸手領の民彦兵衛・新平と云二人にて新墾す、戸数十四」とあり。最勝寺寛政八年供養塔に彦兵衛新田村藤蔵新平・藤蔵平吉・藤蔵平治郎、享和元年庚申塔に藤倉新平・藤倉平治郎・藤倉平吉。同寺碑に「月輪院心鏡円明居士・文化八年正月五日・藤倉氏・当新田取立願祖、施主新平」。上野田村正伝寺文政元年筆子碑に彦兵衛新田藤倉与八.。明治九年副戸長富士庫多蔵・天保六年生。浅間社明治四十一年碑に彦兵衛富士庫弥七あり。富士庫氏一戸現存し、藤倉氏は無し。

伏黒 フシグロ 浦和、川口、桶川、入間等に存す。

不二崎 フジサキ 越谷に存す。

富士沢 フジサワ 賀美郡石神村(上里町)は富士沢郷を唱える。

武士沢 ブシサワ 川口、草加等に存す。青森県三戸郡三戸町十八戸あり。

伏田 フシタ 川口、吹上、三郷に存す。

節田 フシタ 越谷に存す。

藤田 フジタ フヂタ参照。

冨士田 フジタ 草加宿東福寺文政十三年筆子奉納額に冨士田勇次郎・十三歳あり。一戸現存す。

富士田 フジタ 浦和に存す。

伏谷 フシタニ 春日部、越谷、入間、大井等に存す。島根県益田市四十五戸あり。

不二門 フジト 大宮に存す。

富士登 フジト 越谷に存す。

冨士縄 フジナワ 浦和に存す。

伏野 フシノ 浦和に存す。

冨士野 フジノ 川越に存す。

富士野 フジノ 上尾、鴻巣、草加、羽生等に存す。

伏原 フシハラ 川越に存す。

節原 フシハラ 大宮に存す。

藤原 フジハラ フヂハラ参照。

布志原 フシハラ 吹上に存す。

冨士原 フジハラ 浦和、蓮田、幸手、朝霞、新座等に存す。

普嶋 フシマ 上尾、庄和等に存す。

武士俣 ブシマタ 浦和、三郷、吉川、八潮、越谷、新座、和光、熊谷等に存す。新潟県栃尾市五十戸あり。

伏見 フシミ 各市町村に存す。○山梨県北巨摩郡白州町二十戸、大泉村十二戸、韮崎市三十八戸。○長野県小県郡武石村十五戸、諏訪郡富士見町十六戸。○新潟県中蒲原郡亀田町二十六戸。○福島県相馬郡鹿島町二十七戸、相馬市五十四戸、原町市六十八戸。○宮城県伊具郡丸森町二十二戸、遠田郡小牛田町十一戸、石巻市六十五戸、多賀城市三十六戸。○青森県北津軽郡中里町十四戸あり。

一 山口郷の伏見氏 風土記稿入間郡勝楽寺村(所沢市)条に「豊後入道伏見小太郎・勝楽寺村リウカイの城主たりしと云ふ。伏見は則ち星見にや」と見ゆ。星見条参照。

二 忍城士の伏見氏 成田分限帳に「百貫文・伏見淡路」あり。

三 入間郡北野村(所沢市) 明治十五年北広堂碑名簿に伏見太郎吉あり。現存無し。

富士村 フジムラ 本庄町明治四年諸井文書に本町富士村金次郎あり。現存無し。

富士元 フジモト 大宮に存す。

冨士本 フジモト 浦和、川口、川越等に存す。

富士本 フジモト 入間に存す。

冨士森 フジモリ 川口に存す。

富士森 フジモリ 大宮に存す。

伏谷 フシヤ 川口、大宮、春日部等に存す。宮城県多賀城市十五戸あり。

富士谷 フジヤ 新座に存す。

不二山 フジヤマ 春日部、庄和、入間、本庄等に存す。

富士山 フジヤマ 入間郡富士山村(西多摩郡瑞穂町)あり。朝霞に存す。栃木県塩谷郡氏家町九戸あり。

俘囚 フシュウ 俘人(とりこ)条七項の訂正及び補足をいたします。出挙(すいこ)は貸し付けた稲から利稲収入(租税)として回収する。正税は出挙して利稲を国郡の諸経費に充てる。公廨稲(くげとう)は出挙用の官稲の残りを国司・次官・判官・主典・史生・医師などが分配取得する。雑稲(ざっとう)は雑色官稲で官奴婢・食料稲・救急稲・俘囚稲を言う。延喜式巻二十六主税上(新訂増補国史大系本)に「諸国流人、良賤男女大小をとわず粮を給す、一人一日米一升塩一勺」とあり。一年は三百六十日で三石六斗となり、籾一石は稲二十束であるから、一人年間七十二束となる。俘囚も流人と同じであるならば七十二束で俘囚料稲を割ったのが人数である。籾一升(玄米で五合)は江戸時代武士の一人扶持に相当し、けっして少ない賑給では無い。主税上の諸国出挙正税公廨雑稲に「○伊勢国、正税公廨各三十万束、国分寺料四万束、志摩国国分寺料五千束、修理池溝料四万束、救急料四万束、俘囚料一千束(十三人分)。○遠江国、正税公廨各二十八万束、国分寺料三万束、大安寺料四万九千束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料六万束、夷俘料二万六千八百束(三百七十二人分)、白羽官牧馬直四千四百六十束、薬分料一万束。○駿河国、正税二十三万束、公廨二十五万束、国分寺料二万束、大安寺料四万一千束、薬師寺料八千束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料六万束、俘囚料二百束(二人分)、官牧牛直一千三百三十四束。○甲斐国、正税公廨各二十四万束、国分寺料二万束、大安寺料一万二千束、文殊会料二千束、堤防料二万束、救急料八百束、俘囚料五万束(六百九十四人分)。○相模国、正税公廨各三十万束、国分寺料四万束、大安寺料二万六千九百束、文殊会料二千束、薬分料一万束、鎮守府公廨五万四千三十七束、修理池溝料三万束、救急料七万一千束、俘囚料二万八千六百束(三百九十七人分)、官牧馬牛直五千五百八十三束。○武蔵国、正税公廨各四十万束、国分寺料五万束、薬師寺料四万二千束、梵釈四王料七千七百束、文殊会料二千束、薬分料一万束、修理池溝料四万束、救急料十二万束、悲田料四千五百束、俘囚料三万束(四百十六人分)、勅使繋飼御馬秣料二千二十束、神埼牧牛直五千五百三十四束。○上総国、正税公廨各四十万束、国分寺料四万束、薬師寺料三万四千束、文殊会料二千束、薬分料一万束、修理池溝料四万束、救急料十二万束、俘囚料二万五千束(三百四十七人分)。○下総国、正税公廨各四十万束、国分寺料五万束、薬師寺料三万五千束、文殊会料二千束、薬分料一万束、修理池溝料四万束、救急料七万束、俘囚料二万束(二百七十七人分)。○常陸国、正税公廨各五十万束、国分寺料六万束、大安寺薬師寺料各五万束、文殊会料二千束、薬分料一万束、交易料四十二万束、大学寮料五万四千束、修理池溝料四万束、救急料六万束、俘囚料十万束(千三百八十八人分)。○近江国、正税公廨各四十万束、大学寮料一万束、国分寺料六万束、崇福寺修理料五千束、同寺伝法会料一万束、梵釈寺料六百七十六束、国興寺修理料一千束、浄福寺料七千束、延暦寺定心院料三万束、西塔院料一万五千束、文殊会料二千束、造院料二万束、修理国府料四万束、勢多橋料一万束、池溝料四万束、救急料五万一千七百束、俘囚料十万五千束(千四百五十八人分)。○美濃国、正税公廨各三十万束、国分寺料四万束、薬師寺料二万七千束、延暦寺惣持院料四万束、同寺四王堂料四万束、文殊会料二千束、薬分料一万束、修理官舎料二万束、池溝料四万束、救急料二万束、俘囚料四万一千束(五百六十九人分)。○信濃国、正税公廨各三十五万束、国分寺料四万束、興福寺料四万束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料三千束(四十一人分)。○上野国、正税公廨各三十万束、国分寺料五万束、興福寺料三万束、文殊会料二千束、薬分料一万束、学生料一万束、修理池溝料四万束、救急料十二万束、俘囚料一万束(百三十八人分)、勅使御馬秣料四千七百二十束、同繋飼御馬秣料五千九百束、占市牧牛直四千三百十五束。○下野国、正税公廨各三十万束、国分寺料四万束、興福寺料二万二千束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料十万束(千三百八十八人分)。○越前国、正税公廨各四十万束、国分寺料三万束、京法華寺料二万束、文殊会料二千束、薬分料六千束、修理池溝料四万束、救急料十二万束、俘囚料一万束(百三十八人分)。○加賀国、正税公廨各三十万束、京法華寺料一万五千束、国分寺料二万束、文殊会料二千束、薬分料四千束、修理池溝料一万束、救急料三万束、俘囚料五千束(六十九人分)。○越中国、正税公廨各三十万束、大学寮料一万束、国分寺料三万束、京法華寺料二万五千束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料十三万束、俘囚料一万三千四百三十三束(百八十六人分)。○越後国、正税公廨各三十三万束、国分寺料二万束、京法華寺料一万八千四百五十五束、西隆寺料一万束、神宮寺観音院料四千束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料九千束(百二十五人分)。○佐渡国、正税三万八千束、公廨八万束、国分寺料一万束、同寺新造薬師仏燈分料五百束、文殊会料一千束、修理池溝料一万束、救急料三万束、俘囚料二千束(二十七人分)。○因幡国、正税公廨各三十万束、国分寺料三万束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、救急料四万二千八百七十八束、俘囚料六千束(八十三人分)。○伯耆国、正税公廨各二十五万束、国分寺料三万束、薬分料一万束、文殊会料二千束、修理池溝料二万束、救急料八万束、俘囚料一万三千束(百八十人分)。○出雲国、正税二十六万束、公廨三十万束、国分寺料四万束、文殊会料二千束、薬分料一万束、修理池溝料三万束、救急料四万束、俘囚料一万三千束(百八十人分)。○播磨国、正税公廨各四十四万束、国分寺料四万束、文殊会料二千束、平等寺料一千束、施薬院料一万束、薬分料一千五百束、学生料一千五百束、修理駅家料四万束、池溝料四万束、道橋料一万束、救急料一十二万束、俘囚料七万五千束(千四十一人分)。○美作国、正税公廨各三十万束、国分寺料四万束、文殊会料二千束、修理池溝料三万束、道橋料一千束、救急料八万束、俘囚料一万束(百三十八人分)、施薬院料一千束。○備前国、正税公廨各三十八万一千一百五十束、国分寺料四万束、浄福寺料七千束、文殊会料二千束、造院料一万束、大学寮料一万一千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料四千三百四十束(六十人分)、修理駅家料一万束。○備中国、正税公廨各三十万束、国分寺料三万束、蓮厳寺料一千束、文殊会料二千束、修造堰溝料一万七千束、駅家料一万束、救急料八万束、俘囚料三千束(四十一人分)。○讃岐国、正税公廨各三十五万束、国分寺料四万束、弥勒帰敬寺燈分料五百束、五大菩薩供養料二千束、文殊会料二千束、薬分料一万束、造院料一万束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料一万束(百三十八人分)。○伊予国、正税公廨各三十万束、大学寮料一万束、国分寺料四万束、文殊会料二千束、鋳銭司俸料二万八千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料二万束(二百七十七人分)。○土佐国、正税公廨各二十万束、国分寺料一万束、文殊会料一千束、修理安祥寺宝塔料五千束、修理池溝料二万束、救急料六万束、俘囚料三万二千六百八十八束(四百五十四人分)。○筑前国、正税公廨各二十万束、国分寺料三万二千二百九十三束、修理観世音寺料一万束、文殊会料二千束、府官公廨十五万束、衛卒料二万二千四百束、修理府官舎料六千束、池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料五万七千三百七十束(七百九十六人分)。○筑後国、正税公廨各二十万束、国分寺料一万三千三百九十四束、修理観世音寺料一万束、文殊会料二千束、府官公廨十万束、衛卒料一万八千百五束、修理府官舎料六千束、救急料三万束、俘囚料四万四千八十二束(六百十二人分)。○肥前国、正税公廨各二十万束、国分寺料三万三千三百九十四束、文殊会料二千束、府官公廨十五万束、衛卒料一万八千百五束、修理府官舎料六千束、池溝料三万束、救急料四万束、俘囚料一万三千九十束(百八十一人分)。○肥後国、正税公廨各四十万束、国分寺料四万七千八百八十七束、文殊会料二千束、府官公廨三十五万束、衛卒料三万五千七百九十五束、修理府官舎料一万束、池溝料四万束、救急料十二万束、俘囚料十七万三千四百三十五束(二千四百八人分)。○豊後国、正税公廨各二十万束、国分寺料二万束、文殊会料二千束、府官公廨十五万束、衛卒料一万六千四百七十二束、修理府官舎料六千束、池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料三万九千三百七十束(五百四十六人分)。○日向国、正税公廨各十五万束、国分寺料一万束、文殊会料一千束、修理池溝料二万束、救急料四万一千束、俘囚料一千百一束(十五人分)」と見ゆ。三十五ヶ国に移配された蝦夷の俘囚は総計一万五千百九十五人となる。尚、蝦夷族佐伯部の移配はアラハバキ条二十項参照。

一 上毛野君田道の戦死地 仁徳天皇五十五年条に「蝦夷、叛く。上毛野君田道は蝦夷の為に敗られて、伊寺水門に死る」とあり。俘子条二項において、伊寺水門(いじのみなと)を千葉県夷隅郡に比定したが誤りです。青森県南津軽郡尾上町猿賀の深沙大権現(明治四年に猿賀神社と改称)縁起に「祭神上毛野君田道。仁徳天皇五十五年に蝦夷征圧のため陸奥に赴いた上毛野君田道は、目的を達しないまま戦地で没し、鹿角郡猿賀野の産土神として祀られた。その後、欽明天皇二十八年の洪水に際して田道の霊が当地に流れ着いた」と言う。秋田県鹿角市十和田錦木の申ヶ野に上毛野君田道の戦死と伝える猿賀神社がある。伊寺水門の水門とは鹿角郡米代川の河岸場であろう。鹿角は古代に武蔵国の成田氏・奈良氏・安保氏・秋元氏と同族の人々が土着した所で、上毛野君は是等の統率者であろうか。

二 俘囚後裔の松浦党 平家物語・剣の巻に「安倍宗任は筑紫へ流されたりけるが、子孫繁昌して今にあり。松浦党とはこれなり」。百練抄に「安倍の党・家任、良照の二人を太宰府に配す」とあり。筑前国宗像郡大島村安昌寺(福岡県)に安倍宗任墓あり。宗任以前に当国へ移配された俘囚(えみし)の末裔の墓であろう。俘囚の安倍族は宗像大宮司家の支配下となり水軍の主力となる。地名辞書に「松浦党は蓋し太宰府防衛将士の裔歟。一党一姓に出づるにあらず。諸氏混合の団体なり。俘囚を以って、防衛の選士と為せる事は三代実録にも見えて、鎮西要略に『奥州の夷安倍貞任の弟宗任、則任を俘と為し、宗任を松浦に配し、則任を筑後に配す。宗任の子孫・松浦氏と称し、筑後川崎氏、宮部氏、黒木氏等は則任の種流也』とあるも、多少研究の値あらん。此に宗任、則任の後と為すは疑なきにあらねど、其の安倍一類たる俘囚が、延暦、弘仁以降、多く西海に配置せられし事・国史に散見し、貞観十一年に新置賊船の警報ありけるより、其の俘夷を調発して之に備ふ。松浦党を夷種なりと伝ふるは、恐らく此の謂のみ」と。筑後地鑑に「草野の系図を尋ぬるに、里老の曰ふ、其の先は奥州栗屋川城主安倍宗任・肥前松浦郷(佐賀県)に配流さる。其の末葉・頼朝公より筑後山本御井御原之内(福岡県)三千町を賜ふ。草野庄吉木村(久留米市)に城く、故に草野太郎永平と号す。永平之兄・同時に松浦郷を賜ふ云々。今の松浦党は是也」。また、藩翰譜・肥前平戸藩主松浦氏は「下松浦と申すをば平戸松浦とも申すなり。是は陸奥六郡の押領使安倍頼時が男・宗任法師が後胤たり。宗任・源頼義朝臣に降って、死罪一等を宥められて、肥前国に流さる。其子孫続いて平戸と云ふ所に住して、下の松浦と申せしなり。これ肥前守鎮信の先祖たりと云々。鎮西の事記したる古記・伝ふる所皆斯くの如」と見ゆ。松浦党先祖は康平五年安倍宗任討伐より二百六十年前の延暦年間坂上田村麻呂の蝦夷征伐による俘囚の末裔なり。

武城 ブジョウ 浦和に存す。

冨士和 フジワ 本庄に存す。

富士和 フジワ 大宮、本庄等に存す。

藤原 フジワラ フヂワラ条参照。

冨士原 フジワラ 川口、草加、春日部、加須、毛呂山等に存す。宮城県登米郡迫町六十八戸あり。

富士原 フジワラ 足立郡上青木村字富士原(川口市)に日蓮宗光妙寺あり、後の宗信寺正応四年孔雀文に「富士山光妙寺・上青木」と見ゆ。草加、戸田、桶川、蓮田、越谷、所沢等に存す。

福宿 フスク 浦和に存す。

賦句 フスク 庄和に存す。正訓不詳。

毒島 ブスジマ 浦和、川口、与野、鳩ヶ谷、草加、越谷、羽生等に存す。群馬県桐生市百十戸あり。

不施 フセ 川越藩松平大和守家臣にて、慶応元年地方役人帳に「御宗旨方・不施数之介」あり。

普世 フセ 川越に存す。

富施 フセ 新座、所沢、都幾川等に存す。茨城県西茨城郡友部町八戸あり。

布瀬 フセ 狭山、飯能等に存す。

布施 フセ ○群馬県藤岡市四十四戸。○千葉県山武郡松尾町二十七戸、成東町四十三戸、匝瑳郡光町四十二戸、八日市場市五十五戸。○新潟県中蒲原郡村松町三十四戸、中頸城郡柿崎町五十戸、吉川町二十戸、頸城村二十三戸、東頸城郡松之山町二十四戸、大島村二十五戸、三条市四十戸、柏崎市九十三戸、上越市百三十戸。○山形県西置賜郡白鷹町四十四戸、西村山郡朝日町四十戸、長井市五十八戸、山形市二百戸。○青森県下北郡川内町三十戸あり。

一 鎌倉問注所執事の布施氏 鎌倉明王院文書に「永徳元年十月二十七日、布施左近大夫と宗兵庫助重孝は、埼玉郡慈恩寺別当職の下地を遍照院雑掌に打ち渡す」。「永徳三年四月十一日、遍照院頼印の訴えにより、布施主計允と壱岐弾正大夫入道希広をして、慈恩寺領武蔵国太田庄花積郷内御厩瀬渡並びに船を頼印代に沙汰し付けしむ」と見ゆ。

二 小田原城士の布施氏 永禄二年小田原所領役帳に「布施弾正左衛門、百七十七貫余文・中郡寺手縄、二十貫文・同白根之内、四十貫余文・同板戸、百五十貫文・豆州小坂、十五貫三百文・橘樹郡小机野川地頭方、八貫文・高麗郡藤金(鶴ヶ島市)、十九貫四百七十一文・河越三十三郷善応寺分(坂戸市)、三貫四百三十五文・入西郡大在家(坂戸市)」。寛政呈譜に「布施参河守康貞(北条氏康に仕ふ。元亀二年死)―弾正左衛門佐渡守康則(天正十三年卒)―善次郎貞次―六右衛門正俊(北条氏直死後、家康に属す)―六右衛門正重(二百俵)」と見ゆ。

三 忍城士の布施氏 成田分限帳に「四十貫文・布施彦之丞、二十五貫文・布施式部左衛門、十八貫文・布施斧十郎」あり。

四 会津藩上杉氏家臣 慶長六年八月米沢移封以前の会津上杉配下禄高表(小鹿野町吉田文書)に「吉田新左衛門組、二百石・布施甚四郎」あり。旧鉢形城士か。

五 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 慶安元年岩槻藩軍役積に「二百石・布施大学」。寛文二年岩槻藩分限帳に「二百石・布施大学、十五俵・布施十郎右衛門」。

六 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「十三石四人扶持・布施武左衛門、二人扶持・布施宇八」あり。

七 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十六俵二人扶持・布施肇、六両二人扶持・布施利平」あり。

八 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御茶道・十一石三人扶持・布施道清、同役・三人扶持・布施宗久」。明治四年忍藩士族名簿に「八十六石余・布施宇文治」。

九 埼玉郡越ヶ谷町 明治三十五年酒商布施好吉あり。

一〇 同郡平林寺村(岩槻市) 当村文政八年碑に布施善蔵あり。現存無し。

一一 足立郡差間村(川口市) 興照寺文化九年庚申塔に指間村布施伊三郎・布施宗治郎。多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡見沼領差間村布施惣治郎あり。十一戸存す。

一二 入間郡青柳村(狭山市) 氷川社明治十年浅間碑に布施政吉あり。一戸現存す。

一三 同郡川越町 明治三十五年漆器商布施幸次あり。

一四 同郡越生町 昭和三年興信録に「布施清五郎・所得税十三円」あり。

一五 高麗郡飯能町 明治三十五年酒商布施留八あり。

一六 比企郡毛塚村(東松山市) 明治十六年取調帳に布施惣吉あり。三戸現存す。

一七 大里郡熊谷宿 寄居町極楽寺文久三年玉垣碑に熊谷宿布施太兵衛あり。現存無し。寄居町出身か。

一八 榛沢郡寄居町 極楽寺文政十一年常夜燈に布施浅五郎。明治三十五年銅鉄板金業布施亀吉・菓子製造岸屋布施常次郎・菓子商布施伝吉・青物商布施茂三郎。昭和三年興信録に「布施伊平・所得税四十四円・営業税五十六円」あり。五戸現存す。

一九 同郡武蔵野村(花園町) 明治十六年酒小売商布施順作。現存無し。

二〇 同郡榛沢新田村(岡部町) 農協前安永八年供養塔に布施平右衛門。明治六年村役人名前書上帳に「反別二町一反一畝十五歩・立会人布施徳次郎・文化十二年生五十七歳」あり。三戸現存す。

二一 秩父町 昭和三年興信録に「布施謹二・所得税九十八円」あり。

蒲生 フセイ 所沢に存す。

伏川 フセガワ 入間郡入間川村(狭山市)徳林寺宝永六年常夜燈に伏川弥兵衛、寛政五年地蔵尊に伏川源右衛門母。八幡社明治二十三年碑に入間川町伏川美弥・伏川喜助。明治三十五年飲食店伏川喜助・同伏川弥三郎・旅宿伏川幸助・煙草商伏川五郎兵衛あり。三戸現存す。

布世川 フセガワ 久下文書に「明徳二年、武蔵国久下郷内居出庄並びに布世川」と見へ、此の地より起る。田原族譜に「久下氏。武尾(武蔵国久下にト居す)―私権守武末―武蔵蔵人大夫満重(実は多田満仲四弟)―布世川大夫三郎武行―久下次郎基直―武蔵九郎基実―季実―直光」とあり。此の系図は信用出来ず。大里郡久下郷及び埼玉郡久下郷に布世川の地名は無し。久下条参照。

布施川 フセガワ 入間郡宮寺郷(入間市)に七戸現存す。旧家なり。

布瀬川 フセガワ 入間郡木野目村(川越市)に六戸現存す。旧家なり。

府瀬川 フセガワ 入間郡野田村(川越市)に四戸現存す。旧家なり。

伏木 フセギ 浦和、大宮、川口、蓮田、春日部、越谷、杉戸等に存す。栃木県下都賀郡都賀町四十六戸、野木町二十五戸あり。フシキ参照。

防木 フセギ 栃木県河内郡河内町十戸あり。

布施木 フセギ 各市町村に存す。栃木県下都賀郡大平町九戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「六両二人扶持・布施木藤七」あり。

武関 ブセキ 栃木県下都賀郡壬生町十三戸あり。

伏栗 フセクリ 秩父郡大宮郷字伏栗あり、桜木町の内にて広さ一町歩程なり。秩父志に「延元年中、伏栗・中村矢四郎」と見ゆ。

伏島 フセジマ 大宮に存す。群馬県新田郡藪塚本町三十戸、太田市二十戸。栃木県足利市四十六戸あり。

伏田 フセダ 川口、大宮、上尾に存す。群馬県碓氷郡松井田町二十戸あり。

布施田 フセダ

一 河原党布施田氏 武蔵志に「河原氏古文書に云。治承四年三月、着座面々・布施田新平次、惣侍列位・布施田新平太、是は河原太郎家の武家法令也」と見ゆ。

二 忍城士の布施田氏 成田系図(幸手吉羽博所蔵)に「成田肥前守泰季(天正十八年卒、七十五歳)―女子(布施田山城守長章妻)」。熊谷宿布施田忠兵衛文書に「丑三月二十三日(永禄八年)、去月中深谷表之働、無比類令感候、因茲、大里郡之内、五百貫文地、可有□候、布施田山城守とのへ、氏康在判」。天正十年成田分限帳に「五百貫文・布施田山城守長章、加勢侍・六十貫文・本国武蔵・布施田九兵衛・智謀有万人、二十五貫文・布施田弥兵衛(一本に孫兵衛)、九貫文・布施田孫六」。長久寺本に「布施田山城守長章・小田原籠城す。御旗奉行布施田孫兵衛」。風土記稿に「天正十八年忍城攻めの時、布施田弥兵衛は大宮口を守る」と。行田市内に現存無し。上之村龍淵寺寛政八年鐘銘に「成田下総守殿家来末葉、布施田山城末葉・熊谷布施田忠兵衛・同所布施田勘右衛門」あり。

三 若麻績部布施田氏 和名抄に信濃国更級郡麻績郷(東筑摩郡麻績村)を載す。麻糸を紡ぐことを職とする若麻績部(わかおみべ)の居住地なり。古代氏族系譜集成に「若麻績部高節(信濃国人)―美隆(天暦四年三月、布施田開墾地主)―知隆―寛隆―寛海―寛俊(栗田禅師、天永三年死)―寛覚(村上為国男、為婿、譲補布施田地頭)―寛明(栗田禅師、戸隠別当)―寛賀(法眼)―寛光(阿闍梨)―寛円(布施法橋、布施田地頭)―広重(布施太郎)―広光(左近大夫、武蔵野合戦将軍方、文和四年二月四日河内国神南合戦打死)―広行―広泰(布施兵庫助、応永七年九月二十四日属小笠原信濃守長秀、与大文字一揆合戦打死)―広綱(源八兵衛尉)―広頼(布施田淡路守)―広直(次郎右衛門)―広光(六郎大夫、入道了閑)―広映(布施田半次郎、武蔵国来る、成田丹波守泰行の旗下)―長章(山城守、天正十八年六月六日、於小田原戦死)―長映(左京亮)」と見ゆ。布施氏は更級郡布施郷の布施神社(長野市篠ノ井布施五明)附近より起る。水内郡栗田村(長野駅附近)は村上源氏栗田氏が本貫地とし、戸隠別当も兼ていた。此の附近に布施田の地名は無く、水内郡布施田郷の布施田神社(飯山市緑)附近は遠方すぎて無関係なり。熊谷宿布施田氏先祖は鎌倉時代頃より武州住人にて、成田氏家臣にも多く見ゆ。系譜は布施田の地名を信州布施郷に附会す。風土記稿熊谷宿条に「旧家者忠兵衛、布施田を氏とす。先祖は信州の住人源八兵衛尉広綱の後裔、布施田六郎太夫入道了閑広光の長男半次郎広映に出づ。広映・弓馬の達者なるを以って、武者修業として、当国へ忍来りて、成田丹波守泰行が旗下に属して、後成田の婿と成り、広映の男山城守長章も成田肥前守の婿と成り、武功あるを以って、後武州三ヶ尻に城を築き、深谷の上杉憲光・成田長氏の領地を掠奪するの時、しばしば戦って功あり。此の頃北条氏康より感状賜ひしとて、今に至って家蔵とす。其の後天正十八年、小田原落城の時、六月六日小田原に於いて戦死す。其の子左京亮長映は三ヶ尻の陣屋に在りしが、忍城落去の後、当所に来て町を取立て、文禄四年三月、宿の町割を改められし時、其の事を司り、其の後世々名主本陣をも兼帯して、今の忠兵衛に至ると云ふ。又名主勘右衛門も同じ布施田氏にて、大河内金兵衛が出せし下知状五通まで蔵したれば旧き家と見えたり」とあり。

四 熊谷宿 天正慶長頃の熊谷旧家祖先に布施田山城あり。林、村山条参照。また、熊谷宿草分六人衆に布施田太郎兵衛・布施田六左衛門あり。石川条参照。熊谷宿百石組に「慶安元年、布施田太郎兵衛・布施田六左衛門・布施田佐次右衛門・布施田孫兵衛」。高城神社寛文十一年文書に町年寄布施田太郎兵衛・町年寄布施田六左衛門尉。百石組に「天和四年、問屋兼町年寄布施田太郎兵衛・同役布施田六左衛門。正徳五年、町年寄衆布施田儀左衛門・同役布施田六左衛門、金持ぶけん者岡田屋忠右衛門江戸より引越の人元は布施田の弟也」。原口文書に「布施田六郎左衛門、正徳五年から五十年程前に酒造」。元文三年忍藩書上に「○町年寄布施田忠兵衛、四代以前熊谷町へ罷出、代々町年寄役無怠慢相勤申候、凡百五十年余居住仕候。○町年寄布施田六左衛門、五代以前忠兵衛方より別家、代々町年寄相勤、兄六左衛門相果九年中絶仕五年以前より町年寄役相勤申候、凡百五十年余居住仕候」。円照寺元文四年鐘銘に町年寄布施田右兵衛(忠兵衛か)。百石組に「元文三年、町年寄布施田忠兵衛・同布施田六左衛門。宝暦十年、本町南屋敷持主布施田忠兵衛、同所持主布施田半蔵、本町北屋敷持主布施田勘右衛門」。那賀郡小平村成身院百体観音堂天明年度施主連名に熊谷宿布施田太郎兵衛・布施田忠右衛門。寛政十二年問屋兼町年寄布施田勘右衛門。文政十年諸国道中商人鑑に熊谷宿下町御泊宿布施田冑兵衛・御泊宿布施田半蔵。天保十三年問屋兼名主布施田祐次郎・同役布施田冑兵衛。石上寺嘉永二年庚申塔に布施田勘右衛門・布施田半蔵。東別府神社嘉永七年御嶽碑に熊谷布施田勘右衛門。信州善光寺本堂前西安政五年宝篋印塔に武州熊谷布施田半蔵。私塾師匠町役人布施田仙蔵。明治元年問屋町年寄布施田勘右衛門改名秀作・同役布施田冑兵衛。明治七年戸長布施田潤一郎。明治九年戸長布施田秀作・嘉永六年生。明治三十五年旅館布施田美与あり。熊谷市内に四戸現存す。

五 比企郡上野本村(東松山市) 布施田敏明家文書に「元禄十二年上野本村八幡宮神主布施田弥三郎。享保六年神主藤原家次。宝暦十四年神主布施田大和守。明和五年神主布施田采女。文政三年神主布施田大和守藤原依信。文政八年神主布施田兵庫。天保十三年神主布施田大和頭藤原信逸」と見ゆ。四戸現存す。

六 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「三両余二人扶持・布施田金右衛門」あり。

伏谷 フセタニ 川越に存す。

布施谷 フセタニ 浦和、川口、鴻巣、越谷、松伏、小川等に存す。長野県下高井郡山ノ内町十八戸あり。

布瀬谷 フセタニ 騎西に存す。

伏野 フセノ 草加に存す。

伏本 フセモト 新座に存す。

伏屋 フセヤ 越谷に存す。

布施屋 フセヤ 所沢に存す。

普瀬山 フセヤマ 埼玉郡屈巣村(川里町)供養塔に「普翁常山居士・普瀬山大膳・元亀二年三月十五日。武庵道井居士・竹井大秋・元和六年十二月。当地開闢者普瀬山大膳妻子無く、舎弟竹井大秋相続す」とあり。現存無し。竹井条参照。

豊前 ブゼン

一 斎藤氏流豊前氏 長井氏系図(妻沼村歓喜院所蔵)に「斎藤別当実盛(弟豊前三郎実員)―豊前八郎実忠(武州長井庄妻沼郷生)」と見ゆ。子孫は長井豊前介を称す。長井条参照。

二 鷲宮村鷲宮神社神主豊前氏 古河公方家臣なり。足利高基書状(鷲宮神社文書)に「鷲宮神主民部大輔殿(豊前氏盛)」と。豊前氏古文書(世田谷区静嘉堂文庫)に「弘治三年七月十一日、太田美濃守資正は、足利義氏の臣鷲宮神社神主民部大輔氏盛に書を送り、出陣の状況などを報告す」。「永禄八年三月六日、北条氏政関宿城を攻める時に、足利義氏は豊前左京亮の戦功を賞す」。「永禄九年三月二十八日、義氏は豊前山城守に書を送り、上杉輝虎の下総国臼井城攻略の状況などを伝う」。喜連川家料所記に「天正二年十二月二日、知行人目録。豊前左衛門尉、下総上幸島、山田、泉田、下幸島、筵打、長谷」。「天正十年三月十九日、義氏は、豊前左衛門佐を古河宿代官に任ず」。豊前氏古文書に「天正十年五月二十一日、関宿御籠城已来、抽忠信走廻候、仍而御恩賞筵内郷(茨城県岩井市)、任由緒被宛行候、豊前孫四郎殿、義氏花押」とあり。間宮家譜(寛政呈譜)に「豊前山城守基頼、足利高基及び晴氏に属し、下総国鴻台にをいて討死す。その子山城守氏盛父についで足利義氏につかへ、没落のゝち武蔵国鷲宮に寓居す。氏盛かつて間宮豊前守康俊が女を娶りて長九郎元盛を生り。元盛めされて御手鷹匠となり、これにより間宮を称す。康俊が四男間宮元重が猶子となり、其の家号を称す。百俵を賜う」と見ゆ。鷲宮町に現存無し。

武曾 ブソ 三郷に存す。

文蔵 ブゾウ 足立郡文蔵村(浦和市)あり。フミクラ参照。

札 フダ 茨城県鹿島郡大洋村二十二戸あり。

布田 フタ 宮城県名取市五十戸、岩沼市九十二戸あり。ヌノタ参照。

一 入間郡入間川町(狭山市) 昭和三年興信録に「織物製造業布田力蔵・所得税六十九円・営業税七十二円」あり。三戸現存す。

附田 フタ 大井に存す。

府田 フタ 吉川に存す。

婦田 フタ 川越藩松平大和守家臣にて、万延二年川越藩分限帳に「御馬廻・百石・婦田弥織、隠居・婦田梅叟」あり。好田かと註す。

二井 フタイ 川口、与野、蕨、越谷、庄和等に存す。

二石 フタイシ 草加に存す。

札内 フダウチ 川越に存す。

二重作 フタエサク 大宮、上尾、岩槻、川越等に存す。茨城県鹿島郡鉾田町三十戸あり。

二岡 フタオカ 浦和に存す。島根県安来市七十二戸、鳥取県米子市三十戸あり。

府高 フタカ 大宮に存す。

二方 フタカタ 浦和、大宮、新座、和光、富士見、春日部等に存す。茨城県久慈郡水府村十六戸、那珂郡山方町二十戸あり。

二片 フタカタ 大宮、桶川等に存す。

二上 フタカミ ニカミ参照。

一 入間郡所沢町 明治七年議定書に二上和吉・二上七五郎。明治三十五年煙草商二上団十郎・荒物商二上吉五郎・生糸商二上源蔵・玩具製造二上忠蔵・書肆二上長吉。明治四十三年下町二上作次郎。昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「所沢町・二上源造・二百二十円・八十六円、二上和三郎・四十六円・六十六円、二上大象・三十七円・三十円」あり。

二 同郡下新井村(所沢市) 当村に此氏多く存す。熊野神社板碑(三上嘉一所蔵)に「文明十七年十一月十六日、浪川殿、田島殿、星野殿、三上殿」あり、大井町史は二上殿と記す。同社天保九年狛犬に下新井村二上倉之助、安政三年文書に下新井村名主二上甚五右衛門・百姓代二上六郎右衛門・元百姓代二上市郎兵衛、安政六年幟碑に下新井村二上梅松・二上兼吉・二上市五郎、明治三十六年碑に当所二上健治郎・二上太平治・二上久蔵・二上喜助・二上力蔵。明治二十七年鉄道敷設請願書に「二上甚右衛門・天保五年生、二上喜助・嘉永元年生、二上重五郎・嘉永五年生、二上文蔵・嘉永六年生、二上清治郎・安政元年生、二上健治郎・安政三年生、二上力蔵・安政三年生、二上金五郎・安政六年生、二上庄之助・文久元年生、二上倉之助・文久元年生、二上三治郎・文久三年生、二上新蔵・文久三年生、二上常五郎・慶応元年生、二上初太郎・明治二年生、二上鶴吉・明治三年生、二上福太郎・明治四年生」あり。

三 同郡牛沼村(所沢市) 神明社明治期寄進碑に二上亀吉あり。一戸存す。

二神 フタカミ 各市町村に存す。

二川 フタカワ 各市町村に存す。茨城県ひたちなか市九十三戸あり。

札川 フダカワ 蓮田、幸手等に存す。

二川目 フタカワメ 青森県上北郡百石町三十五戸あり。

二木 フタキ 各市町村に存す。秋田県河辺郡河辺町四十戸あり。フタツギ、ニキ参照。

札木 フダキ 大宮、桶川、八潮に存す。

二口 フタクチ 各市町村に存す。

二子 フタゴ 春日部、宮代等に存す。岩手県久慈市二十戸あり。

二子石 フタゴイシ 浦和、上福岡、狭山、所沢、飯能等に存す。

二石 フタゴク 大宮に存す。

二子塚 フタゴヅカ 上野国新田庄知行分目録に「東光寺領二子墓郷・号新野」。「ふたこ塚・新野と申す」と見ゆ。太田市新野の東光寺附近を二子塚郷と称す。世良田又二郎家時は二子塚郷に居住して二子塚入道と称す、其の子満義也。世良田村長楽寺文書に「元徳二年八月二日、世良田満義は、比企郡南方将軍沢郷内(嵐山町)二子塚入道跡在家一宇並びに田三段の所当毎年八貫文を長楽寺に修理用途として寄進す」と。

二瀬 フタセ 越谷、杉戸等に存す。

二田 フタダ 与野、新座、松伏等に存す。秋田県南秋田郡飯田川町七十七戸、井川町二十戸あり。ニタ参照。

双田 フタダ 桶川に存す。

二井 フタツイ 所沢、行田等に存す。

二ツ池 フタツイケ 春日部に存す。

二塚 フタヅカ 川口、大宮、上尾、川越等に存す。

二ツ神 フタツガミ 坂戸に存す。岩手県九戸郡山形村五戸、久慈市六戸。

二木 フタツギ 浦和、大宮、上尾、越谷、上福岡、川越、所沢等に存す。長野県南安曇郡豊科町二十八戸、穂高町二十二戸、梓川村五十六戸、三郷村七十戸、松本市百三十戸あり。フタキ、ニキ参照。

二ツ木 フタツギ 川口、蕨、伊奈、岩槻、狭山、所沢等に存す。長野県駒ヶ根市十一戸あり。

札辻 フダツジ 川口、羽生等に存す。

二杉 フタツスギ 日高に存す。

二ツ寺 フタツデラ 深谷に存す。

二ツ沼 フタツヌマ 葛飾郡二ツ沼村(吉川市)あり。

二ツ橋 フタツバシ 浦和、飯能、小川等に存す。

二ツ宮 フタツミヤ 足立郡二ツ宮村(大宮市)あり。また、同郡上尾村字二ツ宮は元禄十年庚申塔に二ノ宮村、稲荷社万延元年碑に上尾二ツ宮村と見ゆ。

二ツ森 フタツモリ 大宮、上尾、鳩ヶ谷、吉川、菖蒲、大利根、富士見、毛呂山、吉見等に存す。青森県上北郡上北町十四戸、天間林村二十六戸、野辺地町二十二戸あり。

二谷 フタツヤ 川口、大宮等に存す。福島県原町市十五戸あり。

二ツ屋 フタツヤ 宮代に存す。

二ツ家 フタツヤ 足立郡下石戸上村字二ツ家は川田谷村普門寺文政三年馬頭尊に二ツ家村と見ゆ。

二ツ柳 フタツヤナギ 大宮に存す。

二野 フタノ 浦和に存す。

札野 フダノ 草加に存す。

二羽 フタバ 上尾、和光、川越、幸手等に存す。青森県三沢市十一戸あり。

二葉 フタバ 各市町村に存す。

一 幸手町 神明社江戸末期御神燈に二葉勘助あり。現存無し。

二場 フタバ 毛呂山、東松山に存す。

二馬 フタバ 北本に存す。山形県西置賜郡小国町七戸あり。

札場 フダバ 川口、草加、川越、飯能、大井等に存す。

二橋 フタハシ 吉川に存す。

一 忍城士の二橋氏 成田分限帳に「百五十石・二橋彦左衛門、百五十石・二端弥平兵衛」あり。

二林 フタバヤシ 桶川に存す。

二間瀬 フタマセ 新座に存す。

二又 フタマタ 浦和、鳩ヶ谷、吉川、川越、所沢等に存す。岩手県九戸郡野田村七戸、山形村十一戸、青森県三沢市二十戸あり。

弐又 フタマタ 浦和に存す。

二股 フタマタ 大宮、草加等に存す。福島県原町市六戸あり。

二俣 フタマタ 足立郡箕田村(鴻巣市)龍昌寺延宝四年庚申塔に箕田村二俣伝左衛門あり。一戸現存す。

二又川 フタマタガワ 越谷に存す。

二松 フタマツ 浦和、草加等に存す。

二見 フタミ 各市町村に存す。○神奈川県中郡二宮町六十七戸、足柄下郡湯河原町百六戸、小田原市百四戸、平塚市八十戸、伊勢原市四十九戸、大和市四十八戸あり。

一 小田原城士の二見氏 相州中郡二宮町川匂神社文書に「元亀三年閏正月十七日、二見民部丞景俊」。伊勢原市岡崎の二見俊三文書に「天正二年五月十七日、下総関宿渡の法度を発給し、北条家旗本の二見民部丞は検使す」と。秩父郡上吉田村高岸文書に「天正十年二月二十七日、北条家奉行二見右馬助」と見ゆ。

二 鉢形城士の二見氏 鉢形分限帳に「本国武州比企・二見内喜、本国甲州山代・二見八九郎」あり。山代は八代か。八代郡に現存無し。

三 新座郡野火止宿(新座市) 明治三十五年水車所有二見安太郎あり。二戸現存す。

四 入間郡勝楽寺村(所沢市) 古代以来の居住者なり。風土記稿勝楽寺村条に「旧家者儀左衛門、二見氏なり。世系等は伝へざれど、村内勝楽寺の撞鐘・延久三年辛亥九月十九日の銘に二見相覚妙性など云ふ者みゆれば、二見氏の当所に古く住せしことしらる。又宗哲と云ふものゝ出だしたる感状一通を蔵す」。同家文書に「十一月二日、先日小室筋御動之時、走廻候由、有證人申旨、神妙候、仍太刀一腰遣之候、二見将監殿、宗哲花押」あり。北条宗哲(幻庵)は天正十七年十一月一日没九十七歳なり。河越三十三郷犬竹鯨井郷などは幻庵所領地なれば、小室筋は河越三十三郷小室郷の地なり。江戸名所図会に「鍛冶職を業とする儀左衛門といえるは、二見将監という人の後裔なりとて其家に蔵す」。狭山の栞に「勝楽寺村農民二見氏は世々鍛冶職にて、祖先将監所持の古き證文并幕印などありと云えど末見」と見ゆ。仏蔵院勝楽寺文書に「文化十年新組頭二見儀左衛門、文政二年組頭二見新八、天保元年組頭二見儀左衛門、天保六年二見繁右衛門」。氷川村中氷川社安政五年勝楽寺村七社権現碑に二見繁右衛門・二見弥次右衛門。明治五年製茶業二見七兵衛・二見弥治右衛門倅木挽職米吉。明治十五年北広堂碑名簿に二見二三蔵・二見関三郎あり。所沢市内に八戸現存す。

五 榛沢郡内ヶ島村(深谷市) 大塚島村明治十三年森田安蔵筆子碑に内ヶ島村二見庄作・二見由五郎。高畑村円能寺明治三十二年筆子碑に内ヶ島村二見好平。大塚島村鹿島社明治三十九年碑に二見重太郎あり。現存無し。

二味 フタミ 浦和、行田等に存す。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御広敷御用達・六十六石余・二味統助、御馬廻・十人扶持・二味郷右衛門」。明治四年忍藩士族名簿に「十三人扶持・二味栄」あり。

二 浦和町 昭和三年興信録に「二味篤之助・所得税十六円」あり。

三 川越町 明治二十二年埼玉勧業会員二味道政あり。現存無し。

二タ見 フタミ 新座、寄居等に存す。

二峯 フタミネ 大宮に存す。

二宮 フタミヤ 大宮に存す。

二村 フタムラ 各市町村に存す。

一 浦和町 昭和三年興信録に「二村彦次郎・所得税十二円」あり。

札元 フダモト 浦和に存す。

二谷 フタヤ 行田に存す。

二渡 フタワタリ 川口、蓮田、新座、狭山、所沢、川越、三郷、本庄等に存す。群馬県桐生市六十五戸あり。

渕 フチ 浦和に存す。

淵 フチ 浦和、川口、上尾、新座、入間、川越、飯能等に存す。

藤 フヂ 葛(ふぢ)は、葛(つつら、つづら)、管羅(つつら、くだら)の転訛にて、百済(くだら)を指す。山城国葛野郡(かどの)は韓人秦氏の本拠地である。葛野川(かどのがわ)は別名桂川(かつらがわ)を称す。桂は葛野(かつらの)の転訛なり。葛野(かどの、かつらの)は葛野(ふぢの)とも称す。備前国藤野県は養老五年に藤原郡となり、神亀三年に藤野郡と改称す。藤ノは藤原と同じ意味。葛原(ふぢはら、くずはら)は佳字の藤原(ふぢはら)を用いる。原は古代朝鮮語の村の意味。百済族の集落を藤原と称す。大ノ国(後の百済)の渡来人集落を意富(おお、おふ)と称し、意富郷・意布郷に葛原部、藤原部が多く存す。フヂワラベ参照。藤原鎌足が鞍作臣蘇我入鹿暗殺直後に古人大兄皇子(天智天皇の兄)が言った言葉に「韓人、鞍作臣を殺す」(皇極四年六月紀)と見ゆ。鎌足は韓人、即ち百済人であった。また、伊藤・加藤・工藤・佐藤・斎藤などの藤(とう)は唐(とう)の佳字にて、唐(から)は韓(から)の意味なり。各市町村に存す。茨城県常陸太田市三十三戸あり。トウ参照。

一 高麗郡飯能町 私塾師匠藤規矩庵・号黙翁・天明八年没七十八歳あり。現存無し。

二 入間郡菅間村(川越市) 川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙藤・スカマノ藤・午年三月」あり。現存無し。

渕井 フチイ 騎西、熊谷等に存す。長野県上伊那郡箕輪町二十戸あり。

淵井 フチイ 渕、淵は二字の制度により淵井、淵江と称す。入間郡荒幡村(所沢市)明治十年古着屋淵井利左衛門。明治十五年北広堂碑名簿に淵井菊太郎・淵井紋次郎あり。一戸現存す。淵江条二項参照。

葛井 フヂイ 百済族にて、百済貴須王―辰斯王―辰孫王(応神朝帰化)―太阿郎王―亥陽君―午定君―味沙―白猪史胆津(養老四年)―己都―宝然―葛井連道麻呂―広成。大阪府藤井寺市藤井寺一丁目の葛井寺(ふぢいでら)は天平頃に葛井連広成が氏寺として建立す。一丁目の近くに辛国(からくに)神社があり韓人の氏神なり。

藤井 フヂイ 藤は二字の制度により藤井、藤江と称し、百済族の集落なり。藤条参照。埼玉郡藤井村(羽生市)は天正九年文書に羽生之内藤井郷と見ゆ。入間郡勝呂郷塚越村字藤井(坂戸市)は古の村名にて、小田原役帳に「入西郡勝之内、大宮分藤井」と見ゆ。勝(すぐる)は百済の村主(すぐる)氏渡来地なり。塚越村住吉社は勝呂大宮と称す。小名藤井は、埼玉郡野牛村、騎西領青柳村、高麗郡大塚野新田、比企郡岩殿村等にあり。○群馬県利根郡昭和村六十戸、利根村三十七戸、勢多郡北橘村五十六戸、群馬郡群馬町四十戸、沼田市八十戸、前橋市三百戸。○茨城県西茨城郡友部町四十戸、新治郡霞ヶ浦町七十戸、岩井市七十戸。○長野県松本市百三十戸。○新潟県西蒲原郡分水町三十、佐渡郡金井町三十戸、羽茂町五十五戸、両津市百十七戸。○福島県西白河郡矢吹町四十戸。○秋田県仙北郡神岡町五十八戸、田沢湖町五十六戸、六郷町五十戸、南秋田郡八郎潟町三十四戸、横手市百二十四戸、大曲市百十戸。○岩手県紫波郡矢巾町三十八戸、釜石市二百二十戸、花巻市百八十戸。○島根県鹿足郡津和野町三十戸、日原町三十二戸、簸川郡大社町六十戸、益田市百二十戸、松江市百五十八戸。○鳥取県東伯郡三朝町三十二戸、関金町三十戸、倉吉市百三十戸あり。

一 小山氏流藤井氏 埼玉郡藤井郷は附会にて、下野国都賀郡藤井村(壬生町)より起る。田原族譜に「小山朝政―長朝―長村―時朝(藤井郷を領す)―藤井出羽守政秀(足利基氏に仕へ、延文五年討死)―出羽守秀高―出羽守秀忠―玄蕃頭秀利(足利持氏亡後、武州藤井村潜居、文明二年古河成氏に仕へ、下野国都賀郡富田城住、因て富田氏と称す)」と。

二 忍城士の藤井氏 成田分限帳に「三十一貫文・藤井宮内、十二貫文・藤井与三右衛門、十貫文・藤井大助」。忍城戦記に「天正十八年忍城攻めの時、藤井大学・同右馬之助は北谷口を守る。藤大炊助(藤井か)は城中にあり」と見ゆ。

三 羽生城士の藤井氏 小田原記に「成田旗下羽丹生城主羽生豊前守が両家老、河田の藤井修理、志水の木戸玄斎と云者あり。木戸玄斎は輝虎に心を寄せ、豊前守鷹野に出し跡に城を乗取り、羽丹生・藤井数度合戦ありしかども、二人終に打負牢人して成田を被頼、玄斎には輝虎加勢して成田と合戦数度に及ぶ」と。埼玉郡藤井村上組(羽生市)堀越忠右衛門邸は土豪屋敷にて、藤井修理が居住したと伝へる。修理は当村の本名堀越氏にて在名藤井氏を名乗り、足立郡河田谷村陣屋に居住していたか。

四 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五十石・本国加賀生国同・藤井七郎右衛門・三十六歳、五両二人扶持・本国三河生国同・藤井庄太夫・二十三歳」あり。

五 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・藤井源吾」あり。

六 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・百二十石・越前取立・藤井八郎兵衛、御馬廻・二十石四人扶持・白川取立・藤井武兵衛、代番・武兵衛倅藤井新八郎」。万延二年川越藩分限帳に「御馬廻・百五十石・藤井勘左衛門、御馬廻・五人扶持・藤井啓次郎、御馬廻・二石四人扶持・藤井文太郎」。慶応元年前橋藩松山陣屋付に「七石二人扶持・藤井竹治郎、六石二人扶持・藤井錫次郎」あり。

七 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御用人・百二十石・亡養父春山・藤井忠左衛門・五十六歳、五人扶持・父忠左衛門・藤井浪江・三十一歳、御中小姓・十二石二人扶持・亡養父武兵衛・藤井武兵衛・六十九歳、勘定奉行支配・四石余二人扶持・藤井幸三郎・三十二歳」。川越町吏員名簿に士族藤井静衛・明治十六年生あり。

八 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「三十五俵二人扶持・藤井長兵衛、三両二人扶持・藤井久八」。

九 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御大小姓・六十六石余・藤井弥八郎、御文好・十八両三人扶持・藤井覚兵衛、御馬廻・在江戸・十二両三人扶持・藤井直之進、御賄役・十石二人扶持・藤井金三郎」。明治四年忍藩士族名簿に「六十六石余・藤井領平、同高・藤井太中太、六石四人扶持・藤井辰兵衛、五石二人扶持・藤井米次郎、四両二人扶持・藤井島右衛門、同高・藤井左馬吉」。儒者藤井領平・号槐庵は幕命により東都事略・南宗書等を翻刻す。

一〇 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「二十人扶持・藤井道盛」あり。

一一 葛飾郡樋野口村(三郷市) 松戸市樋野口大乗院文化十三年庚申塔に樋口村藤井平右衛門。現存無し。

一二 同郡加藤村(吉川市) 香取社征露碑に藤井七郎・藤井勝五郎あり。二戸現存す。

一三 同郡中島村(吉川市) 明治九年副戸長藤井半右衛門・天保十三年生。稲荷社明治十三年御嶽碑に中島村藤井半右衛門、明治三十九年碑に藤井仙蔵、明治四十年御嶽碑に藤井卯平あり。一戸現存す。

一四 同郡才羽村(杉戸町) 八幡社明治三十年碑に米野谷藤井忠兵衛・藤井清次郎、明治末期御嶽碑に才羽村藤井半五郎・藤井熊吉。二戸現存す。

一五 埼玉郡八条村(八潮市) 明治八年紺屋職農業藤井彦左衛門、農業藤井ふみ長男長助、同藤井吉五郎・同藤井喜右衛門あり。四戸現存す。

一六 同郡袋山村(越谷市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に袋山村藤井太左衛門。久伊豆社慶応四年御神燈に下組藤井彦兵衛あり。十二戸存す。

一七 同郡大里村(越谷市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に大里村藤井弥五兵衛あり。三戸現存す。

一八 同郡千疋村(越谷市) 明治九年副戸長藤井三郎兵衛・天保四年生。明治三十年人名録に藤井常右衛門・安政五年生・地租四十一円。伊南理神社明治四十一年浅間碑に藤井常右衛門、明治四十二年御神燈に藤井留蔵・藤井八左衛門・藤井辰五郎あり。現存無し。

一九 同郡大房村(越谷市) 天保八年戸賀崎入門帳に大房村藤井久治郎。明治三十年人名録に藤井浦松・嘉永五年生・地租五十円。上州榛名神社大正四年御神燈に埼玉郡大房藤井浦松あり。三戸現存す。

二〇 同郡小曽川村(越谷市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に小曽川村藤井文右衛門・藤井磯右衛門。久伊豆社明治二十九年碑に藤井権蔵・藤井梅吉・藤井岩蔵。明治三十年人名録に藤井権蔵・天保八年生・地租二十五円あり。六戸現存す。

二一 同郡岩槻町 浅間社天和二年庚申塔に藤井次右衛門。明治三十五年に藤井関次郎・藤井泰輔あり。

二二 同郡上野田村(白岡町) 当村に此氏多く存す。第六天雷電社元禄七年地蔵尊に野田村藤井又左衛門・藤井安左衛門、天保十二年幟碑に藤井源右衛門・藤井惣右衛門。太田袋村琴平社文政三年水鉢に上野田村藤井安左衛門。鷲宮社嘉永元年御神燈に藤井惣右衛門、明治九年鳥居碑に藤井源右衛門・藤井平吉、明治三十四年碑に藤井佐吉。神道無念流入門帳(戸島村小川文書)に安政七年上野田村藤井弥太郎。西上原安政九年供養塔に藤井安右門。当村明治四年馬頭尊に上野田藤井弥三郎あり。

二三 同郡下大崎村(白岡町) 全竜寺正徳五年庚申塔に藤井彦衛門あり。現存無し。

二四 同郡鴻茎村(騎西町) 正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に鴻茎村藤井松之助・藤井次右衛門。寿昌寺文久四年天満宮碑に藤井与七.。久伊豆社慶応元年水鉢に藤井松之助。明治九年御嶽碑に藤井惣吉・藤井惣五郎あり。九戸現存す。

二五 同郡上種足村(騎西町) 西谷村久伊豆社慶応二年御嶽碑に上タナダレ藤井寅吉あり。一戸現存す。

二六 同郡南大桑村(加須市) 鷲宮村鷲宮神社嘉永五年狛犬に大桑村藤井音次郎・藤井要蔵。明治四年藍玉仲間に藤井忠右衛門・藤井五右衛門あり。五戸現存す。

二七 同郡下高柳村(加須市) 字新橋寛政十一年地蔵尊に下高柳村藤井仁兵衛あり。現存無し。

二八 同郡水深村(加須市) 慶雲院半鐘銘に「宝永四年当邑施主藤井重兵衛、文化十五年藤井友吉・同八十次郎親子合力」。蓮池堂延享五年刻経塔に藤井□右衛門・藤井十左衛門・藤井彦市。明治五年百姓代藤井作太郎あり。三戸現存す。

二九 同郡砂原村(大利根町) 鷲神社享保三年庚申塔に拾間村藤井藤七あり。現存無し。

三〇 同郡麦倉村(北川辺町) 八坂社文久二年幟碑に藤井重吉あり。五戸現存す。

三一 同郡上羽生村 毘沙門堂宝暦七年常夜燈に新田組藤井市左衛門・藤井幸八・藤井金左衛門・藤井六之丞・藤井新右衛門、入組藤井万五郎・藤井甚左衛門、明和九年稲荷宮碑に藤井平左右衛門、天保十一年石華表碑に新田組藤井吾郎次・藤井半右衛門・藤井丑五郎・藤井勇蔵・藤井佐吉、入組藤井半之丞、羽生藤井卯八.。正覚院明和七年地蔵尊に藤井金三郎・藤井太郎右衛門、文政六年碑に藤井半右衛門・藤井半之丞。文政七年戸賀崎門人帳に上羽生村藤井保之丞。宮田神社嘉永元年浅間碑に藤井半右衛門。下村君村永明寺文久二年仙元碑に上羽生村藤井喜兵衛。明治九年上羽生村戸長藤井儀助・弘化二年生あり。八戸現存す。

三二 同郡上新郷(羽生市) 西福寺寛永十二年大日如来座像銘に忍新郷藤井伝右衛門・藤井四郎左衛門・藤井久太夫あり。現存無し。

三三 同郡若小玉村(行田市) 勝呂神社安政三年御神燈に藤江八郎次あり。藤井氏か。八戸現存す。

三四 同郡平戸村(熊谷市) 当村に此氏多く存す。当村は平安時代頃には既に開発されており、成田太郎助広の子九郎は平戸太郎兵衛を称している。暦応二年安保文書に武蔵国騎西郡成田郷平戸村と見ゆ。藤井氏も是以前から土着していた。慶長年間の記録(所有者不詳)に「九州肥前国松浦郡平戸郷より藤井雅楽介なる郷士が、当所へ住し村の丑寅の地に境内を定め平戸の住吉大明神を勧請し、氏神として祀ったのが始めてで平戸の名もこれよの起こりしものなり」(新遍熊谷風土記)。この雅楽介は平安時代の人か。藤井家に慶長十三年検地帳あり。行田史譚に寛永年中平戸村名主藤井長左衛門。風土記稿に「藤井山源宗寺開基は、藤井雅楽助・寛政七年六月三日没」。熊谷町高城神社天保十二年紺屋碑に平戸村藤井三之輔。上州榛名神社明治二十二年御神燈に武蔵国北埼玉郡平戸村藤井長左衛門あり。

三五 同郡上之村(熊谷市) 龍淵寺享保元年庚申塔に藤井市兵あり。八戸現存す。

三六 足立郡川口町 川口神社明治三十九年碑に藤井福松あり。

三七 同郡下青木村(川口市) 氷川社万延元年寄進帳に藤井丈右衛門。

三八 同郡浦和町 明治三十五年藤の湯藤井常松・飛脚藤井幾太郎あり。

三九 同郡蕨町 明治三十五年機具商藤井牛太郎あり。

四〇 同郡上谷村(鴻巣市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に上谷村藤井五助。氷川社明治三十四年鳥居碑に藤井源次郎あり。二戸現存す。

四一 同郡原馬室村(鴻巣市) 太子堂の藤井孫右衛門家墓誌に「貞歓開祖真雅僧正・天慶三年一月三日寂(九四〇)」。愛宕神社明治三十二年碑に「愛宕社係足立郡司藤井行尭所建祀・長久二年(一〇四一)行尭往拝山城国愛宕郡鷹峯愛宕社奉神符云々。観応元年(一三五〇)武蔵大目藤井行久修祠殿奉坂下村之地若干為祀田云々」。当村愛宕山記に「当祠は武州足立郡馬室郷に鎮座す。武蔵少掾藤井元国・長治二年三月(一一〇五)山城国愛宕山を拝し神霊を移す。又貞和四年(一三四八)藤井行久武蔵権大目と為す也、社殿を修復す」。除目大成抄に「長治二年、正六位上藤井宿祢元国を武蔵少掾に任ず」とあり。藤井宿祢は葛井連の裔葛井宿祢と同じで河内国葛井寺の藤井より起る在名にて苗字にあらず。出典名不詳(当村藤井家記録か)に「貞和二年二月に武蔵大掾藤井守久、同上同目藤井浪重、同上同権大目藤井貞国。貞和三年三月に同目に任ず藤井正継。貞和四年十二月に同権大目に任ず藤井行久」と。当村の苗字藤井氏は別流にて、藤井宿祢は附会なり。文政八年名主藤井孫右衛門。太子堂嘉永四年聖徳太子碑に「藤井麻下時成二十七代後胤藤井総治郎義尭四十三歳、藤井礒治郎義暉、同徒治郎義信、同慶治郎義衡、同嶺治郎義嗣、同僊治郎義澄、同愛治郎義勝」。時成の後裔が正しく、義を通字に用いている。藤井宿祢の後裔説は嘉永四年以降の作成であろう。上谷新田金剛院元治元年碑に原馬室村藤井健司。明治四年藤井文書に名主藤井健司・三十歳。観音堂明治三十四年馬頭観音碑に宮本藤井襄・藤井定吉・藤井惣助・藤井静次郎、川端藤井文平・藤井定助。県会議員農業藤井襄・明治元年生あり。十一戸現存す。

四二 新座郡下新倉村(和光市) 吹上観音東明寺嘉永七年地蔵尊に藤井六左衛門あり。

四三 入間郡新堀村(所沢市) 明治十五年北広堂碑名簿に旧新堀・藤井六太郎・藤井兼三郎・藤井亀太郎・藤井康吉あり。

四四 同郡川越町 明治九年副戸長藤井重直・天保九年生。三芳野神社明治十年水鉢に藤井常寛。御嶽社明治三十年碑に藤井治兵衛(米穀商近江屋)あり。

四五 同郡寺尾村(川越市) 新河岸日枝社明治八年馬頭尊に寺尾村藤井梅五郎・藤井弥七あり。八戸現存す。

四六 同郡上谷ヶ貫村(入間市) 明治十一年比留間文書に藤井仙松・藤井三吉あり。一戸現存す。

四七 比企郡松山町 明治三十五年足袋商藤井竹次郎あり。

四八 同郡吉田村(嵐山町) 手白神社明治四十五年碑に藤井清房あり。二戸現存す。

四九 大里郡熊谷宿 安政三年熊谷八仙之図に藤井茂左衛門。明治三十五年に藤井金次郎あり。

五〇 榛沢郡深谷町 瑠璃光寺明治二十九年筆子碑に藤井勇治郎。明治三十五年洋物商藤井勇治郎・箱屋藤井留五郎あり。

五一 同郡小前田村(花園町) 鉢形城士にて、町田文書に「庚寅二月十日(天正十八年)、籠城之族違事有之ハ、忽可討取、町田土佐守殿、藤井隼人殿、右一族諸侍中、安房守花押」。町田日記に「慶長元年浪人藤井隼人は小前田新田を切開く」。松山町箭弓稲荷社天保六年棟札に世話役小前田村藤原豊後・棟梁小前田村藤井豊後。父子か。当村諏訪社安政元年棟札に棟梁小前田村工匠藤井豊後正。岡部村源勝院文久元年棟札に大工棟梁藤井豊後俊英・藤井隼人清房。駒衣村稲荷社明治三十年碑に小前田藤井作之助あり。五戸現存す。

五二 幡羅郡西野村(妻沼町) 長井神社天保五年大黒天碑に藤井右兵衛あり。二戸現存す。

五三 児玉郡本庄宿 金鑽社天明七年御神燈に藤井巳之助。石川剣道場門下生に天明四年・本庄宿藤井市郎左衛門、寛政四年・本庄宿藤井伝左衛門・小島村生本庄宿住藤井重次郎。明治四年諸井文書に本町藤井伊平・台町藤井丑五郎。明治三十五年荒物商藤井浅次郎・島田商藤井弥平・鳥魚商藤井忠吉あり。

五四 同郡八幡山町(児玉町) 人形操師にて、長福寺万延元年庚申塔に藤井上野大掾藤原三好。同寺に墓あり。現存無し。

五五 賀美郡藤木戸村(上里町) 文政十年川越藩松平大和守記録に賀美郡藤木戸村名主藤井利兵衛あり。現存無し。

五六 同郡大御堂村(神川町) 吉祥院天保五年供養塔に当所藤井万五郎。西大御堂村文久二年庚申塔に当村藤井利八あり。現存無し。

五七 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・藤井太郎・九円・三十三円、藤井満雄・十二円、土合村(浦和市)・藤井武之助・七十円、川口町・藤井一太郎・十六円・三十九円、大宮町・藤井吉作・十二円・三十七円、古谷村(川越市)・藤井慶三郎・十四円、忍町・藤井弥兵衛・十六円・十一円、松山町・藤井高多・十四円・四十七円、佐谷田村(熊谷市)・藤井英一・十九円・十六円、小鹿野町・藤井福治・八十三円」あり。

藤居 フヂイ 各市町村に存す。

藤飯 フヂイイ 川越に存す。

藤家 フヂイエ 岩槻、草加、庄和、坂戸、所沢、飯能等に存す。茨城県笠間市九戸あり。

藤池 フヂイケ 浦和、大宮、草加、三郷、八潮、入間等に存す。

一 葛飾郡幸手町 多門寺村観音寺元禄九年五輪塔に施主幸手町藤池氏あり。現存無し。

二 埼玉郡多門寺村(加須市) 愛宕社嘉永二年伊勢講碑に藤池粂右衛門。観音寺嘉永三年供養塔に藤池八十治郎。安政三年塩田文書に名主藤池八十治郎あり。現存無し。

藤石 フヂイシ 蕨、岩槻、加須、八潮、宮代、所沢等に存す。

淵泉 フチイヅミ 入間郡高倉村(入間市)淵泉善次郎家墓碑に「淵泉義臣・広瀬神社々司にて天保六年高倉に生る。当家遠祖未詳たりと雖も天文三年より天台修験にして氷川神社別当也。父は右近と称ふ、継子淵泉佐輔」。私塾師匠淵泉義臣・大正七年没八十四歳あり。二戸現存す。

藤井本 フヂイモト 所沢に存す。

藤生 フヂウ 各市町村に存す。○群馬県新田郡笠懸町六十戸、薮塚本町三十五戸、佐波郡赤堀町十五戸、桐生市百戸あり。フヂオ、フヂュウ参照。

一 鉢形城士の藤生氏 小鹿野町吉田系図に「軍役書上、御扶持方衆、百五十目八人ふち・藤生玄蕃」あり。

藤栩 フヂウ 川口に存す。

藤内 フヂウチ 浦和、鳩ヶ谷、越谷、幸手等に存す。トウナイ参照。

藤浦 フヂウラ 各市町村に存す。宮城県登米郡南方町十二戸あり。

藤裏 フヂウラ 川越、鶴ヶ島等に存す。

渕江 フチエ 入間郡荒幡村二戸存す。

淵江 フチエ 足立郡梅田村(東京都足立区)は古の淵江村なり。足立区より草加市に亘り淵江郷を唱える。鎌倉黄梅院応永四年文書に足立郡淵江郷石塚村と見ゆ。

一 足立氏族淵江氏 足立氏系図に「足立遠元(足立郡地頭職)―左衛門尉元重(号淵江田内)」。金沢文庫に「文永十年五月二十一日、淵江二郎右衛門尉員平・京都大番役参上」と見ゆ。

二 入間郡荒幡村(所沢市) 明治五年製茶業淵江七右衛門・古着屋淵江利左衛門・組頭淵江太郎左衛門。明治九年副戸長淵江太郎治・文政十二年生。浅間社明治三十九年碑に淵江歌五郎(山上に多くの碑あるが、蜂がいて登れず)。久米村八幡社明治三十九年碑に淵江林蔵・淵江一覚あり。十四戸現存す。

藤江 フヂエ 播磨国明石郡藤江村(兵庫県明石市)は、平城京出土木簡に「天平十九年、播磨国明石郡藤江里」。和名抄に明石郡葛江郷と載せ、布知衣と註す。藤井の転訛なり。埼玉郡騎西領青柳村字藤江あり。○栃木県鹿沼市三十七戸。○山梨県都留市九十三戸。○島根県簸川郡斐川町二十二戸、大社町二十三戸、出雲市二百三十戸あり。

一 日蓮宗信徒の藤江氏 小金本土寺過去帳(松戸市)に「妙蓮入道・藤江五郎・武州也・寛正丙辰四月二日」。

二 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「二十八俵二人扶持・藤江助右衛門、五両二人扶持・藤江小八郎」。

三 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「二百石・藤江治部左衛門、十五俵・藤江忠左衛門、十二俵・藤江七之丞」あり。

四 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「書道師範・二十五俵二人扶持・藤江滝蔵、十八俵二人扶持・藤江良平、五両二人扶持・藤江波三郎」あり。

五 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「先銃隊頭・百石・亡父武左衛門・藤江信太郎・四十一歳、御中小姓・十石三人扶持・亡父正左衛門・藤江束・二十九歳」。川越町新田町初代区長に質商士族藤江鹿三・安政六年生あり。

六 葛飾郡大川戸村(松伏町) 明治六年大川戸学校人員録に藤江源吾孫長男幸太郎・十歳、藤江兵右衛門長男幾次郎・十二歳、藤江佐左衛門次男丑蔵・十二歳、藤江源吉三女くら・八歳。明治三十年人名録に藤江藤次郎・慶応三年生・地租六十円あり。十一戸現存す。

七 埼玉郡若小玉村(行田市) 勝呂神社安政三年御神燈に藤江八郎次あり。現存無し。藤井氏か。

八 比企郡宮鼻村(東松山市) 明治九年副戸長藤江弥三・天保十四年生。気楽流柔術横瀬村加藤門弟に明治十六年・宮鼻村藤江初太郎あり。四戸現存す。

九 同郡正代村(東松山市) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

藤枝 フヂエダ 各市町村に存す。○茨城県東茨城郡美野里町四十戸、茨城町百四十戸、内原町五十七戸、西茨城郡岩間町八十七戸、友部町百十戸、鹿島郡旭村三十戸、石岡市四十六戸、水戸市百十戸あり。

一 葛飾郡上吉妻村(庄和町) 当村享和元年供養塔に藤枝寅松あり。一戸現存す。

二 同郡下吉妻村(庄和町) 地蔵堂文政五年碑に藤枝勘七.。集会所嘉永七年庚申塔に藤枝勘二郎。一戸現存す。

三 川越町 刀工にて、嘉永七年刀銘に「武蔵国川越臣藤枝太郎英義」あり。

藤生 フヂオ 川口、蕨、蓮田、草加、越谷、狭山等に存す。群馬県山田郡大間々町三十戸、新田郡藪塚本町三十九戸あり。フヂウ参照。

藤尾 フヂオ 各市町村に存す。岩手県紫波郡紫波町五十二戸あり。

一 本庄町 普寛霊場明治三十年御嶽碑に本庄町藤尾仙太郎(下駄桐材商)。石神村石神社明治四十一年御嶽碑に本庄町藤尾仙太郎あり。一戸現存す。

二 賀美郡石神村(上里町) 石神社文久元年御神燈に藤尾伊之吉・藤尾藤吉・藤尾伊左衛門。明治四年山下文書に石神村藤尾伊之吉・藤尾伊四郎あり。一戸現存す。

藤雄 フヂオ 三芳に存す。

藤大路 フヂオオジ 朝霞に存す。

渕岡 フチオカ 埼玉郡杓子木村(大利根町)八幡社文化十年碑に渕岡勘蔵あり。一戸現存す。

淵岡 フチオカ 埼玉郡旗井村(大利根町)明治三十五年善定寺檀徒惣代淵岡浅太郎。旗井神社日露戦役碑に淵岡芳治郎あり。四戸現存す。

藤丘 フヂオカ 上尾に存す。

藤岡 フヂオカ 各市町村に存す。○茨城県行方郡潮来町三十戸、新治郡八郷町七十四戸。○長野県南安曇郡三郷村十九戸。○秋田県仙北郡六郷町三十二戸、北秋田郡合川町二十八戸。○島根県隠岐郡西郷町十八戸、松江市二十五戸。○鳥取市三十八戸あり。

一 忍城士の藤岡氏 成田分限帳に「十五貫文・藤岡平蔵」あり。

二 葛飾郡牛島村(春日部市) 白川家門人帳に「明治二年・牛島村神明宮神主藤岡玄蕃。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流牛島村藤岡逸次郎。女体社神職・文久三年生なり。現存無し。

三 同郡千塚村(幸手市) 百間村青林寺寛政十年文書に上千塚村藤岡理八あり。現存無し。

四 埼玉郡粕壁町 八坂社元治元年筆子碑に藤岡宅弘あり。六戸現存す。

五 入間郡入間川町(狭山市) 明治三十五年小間物商藤岡藤次郎あり。三戸現存す。

藤家 フヂカ 朝霞に存す。

藤垣 フヂガキ 朝霞、狭山、所沢、春日部、越谷、東松山、熊谷等に存す。秋田県大館市三十二戸あり。

藤掛 フヂカケ 各市町村に存す。○群馬県桐生市三十八戸、太田市三十二戸。○栃木県安蘇郡田沼町四十四戸、栃木市三十五戸あり。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五両二人扶持・本国武蔵生国同・藤掛弥五兵衛・二十八歳」あり。

藤懸 フヂカケ 新座に存す。

藤笠 フヂカサ 松伏に存す。

藤ヶ崎 フヂガサキ 浦和に存す。○茨城県稲敷郡河内町十戸、行方郡牛堀町八戸。○千葉県香取郡大栄町九戸、東庄町十二戸、佐原市五十戸あり。

藤方 フヂカタ 藤沢市十五戸あり。

一 埼玉郡上馬場村(八潮市) 柳之宮村氷川社明治三十年絵馬に上馬場藤方石松。天神社明治三十九年碑に藤方伝三郎・藤方卯之助あり。五戸現存す。

藤形 フヂカタ 所沢に存す。

藤門 フヂカド 上尾、蓮田、白岡、和光、入間、川越等に存す。

一 大里郡玉作村(大里町) 玉泉寺安永九年密応浄覚之塔に「浄覚生当国賀美郡金久保村伊藤氏人。俗名者藤門甚大夫、当所御地頭本間之御家臣、御入道七十余歳寂」あり。現存無し。

藤金 フヂカネ 高麗郡藤金村(鶴ヶ島市)あり。小田原役帳に見ゆ。

藤兼 フヂカネ 八潮に存す。

藤曲 フヂカネ 川越に存す。

渕上 フチカミ 各市町村に存す。

淵上 フチカミ 各市町村に存す。

藤上 フヂカミ 八潮に存す。

藤ヶ森 フヂガモリ 所沢に存す。青森県上北郡百石町十四戸あり。

藤ヶ谷 フヂガヤ 粕壁宿元新宿八幡社天保四年水鉢に藤ヶ谷吉左衛門あり。二戸現存す。

淵川 フチカワ 春日部、狭山等に存す。

藤川 フヂカワ 秩父郡野巻村藤川。○群馬県勢多郡赤城村五十五戸、前橋市四十戸。○栃木県佐野市二十七戸。○新潟県西頸城郡能生町十七戸。○秋田県仙北郡田沢湖町四十八戸。○岩手県和賀郡東和町十四戸あり。

一 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御武頭・百三十石五人扶持・藤川与兵衛」あり。

二 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・藤川小一郎、同高・藤川亀次郎」あり。

三 足立郡川口町 昭和三年興信録に「藤川元吉・所得税二十八円・営業税十四円」あり。

四 同郡鴻巣町 明治三十五年石油薬種醤油商日野屋藤川千太郎。昭和三年興信録に「藤川芳蔵・所得税十二円」あり。

五 入間郡下赤坂村(川越市) 明治十七年鶴ヶ岡村反別帳に下赤坂村藤川伊十郎あり。十八戸現存す。

六 高麗郡猿田村(日高市) 明治十六年永続講員藤川文治郎。三戸現存す。

藤河 フヂカワ 川口、大宮等に存す。

淵木 フチキ 鶴岡事書日記に「応永二年十一月十四日、佐々目郷氷河宮新寄進淵木町・田成畠大・号新野屋敷・今者藤内太郎、堀溝付屋敷」と。浦和市内谷の氷河宮附近なり。

藤木 フヂキ 埼玉郡下新郷字藤木、入間郡大久保村藤木、秩父郡三沢村字藤木あり。フヂノキ参照。各市町村に存す。○栃木県芳賀郡二宮町十七戸。○茨城県結城郡八千代町三十戸。○山梨県北都留郡小菅村十六戸。○長野県下水内郡栄村五十五戸、上伊那郡飯島町二十一戸。○新潟県中魚沼郡津南町五十六戸、十日町市四十五戸、糸魚川市三十戸。○秋田県仙北郡角館町二十二戸あり。

一 鴻巣町 法要寺嘉永四年供養塔に当所藤木順五郎あり。現存無し。

二 小鹿野町 明治十二年小間物商藤木万平・雑穀商藤木治作・俳優業藤木亀次郎あり。現存無し。

藤城 フヂキ 与野、蓮田、坂戸、狭山、羽生等に存す。フヂシロ参照。

藤樹 フヂキ 浦和に存す。

藤記 フヂキ 川口に存す。

藤木戸 フヂキド 賀美郡藤木戸村(上里町)あり。

藤極 フヂキワ 長野県上田市二十二戸あり。フヂキメか。

藤口 フヂクチ 忍藩松平下総守(奥平)家臣にて、嘉永七年忍藩分限帳に「御金蔵物書・五石二人扶持・藤口市助」あり。

藤久保 フヂクボ 入間郡藤久保村(三芳町)あり。浦和。狭山等に存す。

一 入間郡藤久保衆 藤久保村住人にて苗字にあらず。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙本・藤クホ衆・亥年五月。栄信・藤クホ久右衛門・卯年十二月。宗信・藤窪勘右衛門・亥年四月」あり。

藤倉 フヂクラ 倉は古代朝鮮語で銅の意味。百済族鋳物師の集落を藤倉と称す。藤条参照。秩父郡藤倉村(小鹿野町)、入間郡藤倉村(川越市)あり。○群馬県館林市三十八戸。○栃木県安蘇郡田沼町三十三戸、佐野市五十五戸、足利市四十八戸。○新潟県新発田市四十戸。福島県伊達郡桑折町十八戸。岩手県岩手郡滝沢村四十四戸あり。

一 飯沼氏被官藤倉氏 高麗郡我野郷白子村(飯能市)の地頭飯沼氏の家臣なり。上野(あがの)は我野のこと。蔭凉軒目録に「長享二年五月十日、応仁の乱中に紛失せし京都西芳寺の鯉魚の書二幅は、飯沼弾正左衛門尉被官藤倉次郎左衛門尉・此鯉魚所持也。文都寺周文名字藤倉也。故以文都官筆嘉尚也、此藤倉亦能書云々。武蔵国居所有之、飯沼方在上野白子云在所、藤倉亦不断在白子云々。上杉被官長尾・石川・斎藤・千坂・平子、此五人為古臣、飯沼等者非評定衆也」と見ゆ。入間郡藤倉村より起るか。白子村に現存無し。

二 葛飾郡大島新田(幸手市) 共同墓地安永七年宝篋印塔に藤倉佐兵衛。安戸村香取社明治三年富士碑に大島新田藤倉兵蔵耀行。明治九年副戸長藤倉兵蔵・天保十四年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に大島新田藤倉兵蔵。明治三十年人名録に戸島村藤倉安太郎・慶応三年生・地租五十五円、戸島村藤倉彦右衛門・慶応元年生・地租三十円、戸島村藤倉常吉・嘉永元年生・地租十六円あり。三戸現存す。

三 同郡幸手町 明治三十五年材木薪商藤倉台蔵あり。

四 同郡杉戸町 明治三十五年氷店藤倉卯兵衛あり。

五 埼玉郡岩槻町 明治三十五年に藤倉繁蔵あり。

六 同郡上平野村(蓮田市) 埼玉郡農兵名前帳に慶応二年御蔵番下役・上平野村藤倉三次郎。明治三十年人名録に藤倉酉蔵・明治五年生あり。二戸現存す。

七 同郡彦兵衛新田(白岡町) 富士庫条参照。

八 同郡久喜町 明治三十五年石灰商藤倉平吉あり。

九 同郡羽生町 明治三十五年畳職藤倉和吉・青縞商藤倉久蔵あり。

一〇 同郡上新郷(羽生市) 白山社安政七年庚申塔に藤倉武七。現存無し。

一一 同郡下新郷(羽生市) 天神社正徳四年庚申塔に藤倉源右衛門。大光院享保元年棟札に当所木挽藤倉新五右衛門、明和七年供養塔に藤倉重右衛門、弘化五年弘法大師碑に藤倉丈右衛門。明治七年製糸会社人名録に藤倉健次郎。明治九年副戸長藤倉連之助・天保六年生。天神社明治二十八年漆原碑に藤倉兼吉あり。八戸現存す。

一二 同郡下川崎村(羽生市) 当村に此氏多く存す。浄林寺安永九年廻国塔に藤倉弥右衛門・藤倉瀬兵衛。田中神社寛政三年庚申塔に藤倉惣右衛門・藤倉万助、弘化五年水鉢に藤倉久兵衛・藤倉栄司・藤倉清治郎・藤倉勝蔵・藤倉勘左衛門・藤倉代松・藤倉喜藤治・藤倉亀右衛門・藤倉太市・藤倉万吉。円福寺天保十四年供養塔に藤倉弥左衛門・藤倉権左衛門・藤倉弥藤次・藤倉作右衛門。明治九年副戸長藤倉忠三郎・文化十二年生。明治十八年最上農名簿に藤倉清左衛門・耕宅地四町九反歩・山林一反歩所有あり。

一三 同郡忍町 和歌山県伊都郡高野町高野山清浄心院供養帳に「悲母・武州忍行田町藤蔵栄三郎立之(供養者)・慶長十三年七月五日」あり。

一四 足立郡小針新宿村(伊奈町) 小針神社文化三年水鉢に小針新宿村藤倉藤七、天保九年水鉢に小針新宿村藤倉伝次郎・藤倉粂次郎・藤倉源次郎あり。二戸現存す。

一五 同郡原市町(上尾市) 明治三十五年飲食店藤倉万吉あり。

一六 同壱丁目村(上尾市) 当村に此氏の旧家あり。九戸現存す。

一七 同郡箕田村(鴻巣市) 観音堂文化元年聖徳太子碑に箕田村藤倉長蔵。浅間社文政六年水鉢に箕田郷藤倉長蔵・藤倉忠□。氷川八幡社明治十三年幟碑に藤倉俊二郎・藤倉吉松あり。三戸現存す。

一八 入間郡川越町 明治三十五年足袋商藤倉友次郎あり。

一九 同郡大塚村(川越市) 風土記稿大塚村条に「此村は慶長十一年藤倉大膳と云もの開発せる由言伝ふ」と。牛窪条六項参照。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙忠・大塚ノ藤倉下女。妙純・藤倉・卯年二月」。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に南大塚藤倉友太郎あり。九戸現存す。

二〇 同郡藤倉村(川越市) 風土記稿藤倉村条に「大塚村の名主先祖藤倉大膳と云者開発す、因て此村名を負せたり」。山城村元文二年庚申塔に藤倉村藤倉彦八.。天神社明治七年筆子碑に藤倉村藤倉栄吉、明治四十一年碑に本村藤倉貞蔵・藤倉弥三郎あり。四戸現存す。

二一 高麗郡笹井村(狭山市) 白鬚社明治二十九年御神燈に水富村藤倉茂十郎、明治四十二年御神燈に水富村藤倉藤太郎あり。一戸現存す。

二二 同郡新堀村(日高市) 北平沢村瀧岸寺明治九年筆子碑に新堀村藤倉伴吉あり。三戸現存す。

二三 比企郡角泉村(川島町) 慈眼寺安政四年馬頭尊に藤倉浅吉あり。六戸現存す。

二四 同郡毛塚村(東松山市) 明治十二年饂飩屋藤倉清吉・鮓屋藤倉金造・藤倉柳造あり。現存無し。

二五 横見郡上銀谷村(吉見町) 吉見旧事考に「このあたりに成田下総守の家士藤倉氏の流れありとぞ」。当村は新井・宮島・藤倉・松村・渡辺の五氏を草分という。明治九年副戸長藤倉太五郎・天保七年生。薬師寺明治二十九年水鉢に藤倉惣三郎・藤倉三吉・藤倉半吉・藤倉八十七・藤倉仁平あり。八戸現存す。

二六 熊谷町 明治三十五年紙煙草商藤倉新吉・米穀商藤倉久太郎あり。

二七 児玉町 八幡社享保十一年鳥居碑に藤倉六左衛門あり。一戸現存す。

二八 榛沢郡滝瀬村(本庄市) 滝瀬神社明治十三年御神燈に藤倉幸太郎あり。九戸現存す。

二九 賀美郡堤村(上里町) 明治初年議定書に藤倉由五郎あり。現存無し。

三〇 同郡小浜村(神川町) 明治九年副戸長藤倉孫次郎・弘化四年生あり。現存無し。

三一 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・藤倉新吉・二十六円・五十円、大谷村(上尾市)・藤倉寿三郎・八十円、幸手町・藤倉東四郎・十三円、八代村(幸手市)・藤倉徳左衛門・十五円、杉戸町・藤倉馬之助・十一円・三十三円、栗橋町・藤倉春吉・三十一円・五十六円、羽生町・藤倉久蔵・三百九十円・百六十八円、須影村(羽生市)・藤倉盛之助・八十五円・五十四円、藤倉喜三郎・四十五円、藤倉忠兵衛・三十九円、高麗村(日高市)・藤倉久兵衛・九円、伊草村(川島町)・藤倉長次郎・十二円・二十九円、熊谷町・藤倉新吉・十三円・二十八円」あり。

藤黒 フヂクロ 浦和、三芳等に存す。

藤後 フヂゴ 千葉県安房郡天津小湊町十四戸あり。

藤肥 フヂコエ 桶川、越谷等に存す。

藤斉 フヂサイ 新座に存す。

藤斎 フヂサイ 草加、三郷等に存す。

藤竿 フヂサオ 大井に存す。

藤坂 フヂサカ 川口、戸田、蓮田、久喜、越谷、草加、入間等に存す。

渕崎 フチサキ 久喜に存す。

淵崎 フチサキ 大宮、上福岡等に存す。

藤咲 フヂサキ 各市町村に存す。○茨城県久慈郡金砂郷町二十戸、那珂郡那珂町三十九戸、東茨城郡内原町二十四戸、ひたちなか市八十戸あり。

一 岩槻藩大岡氏家臣 天明四年岩槻藩分限帳に「御年寄・藤咲金兵衛」。

藤嵜 フヂサキ 朝霞、富士見等に存す。

藤崎 フヂサキ 崎は浦の意味で、海洋民百済族の集落を藤崎と称す。藤条参照。葛飾郡下柳村字藤崎あり。太平洋岸の常陸国・下総国に多く存す。○茨城県東茨城郡小川町二十五戸、行方郡麻生町三十七戸、牛堀町三十四戸。○千葉県香取郡栗源町五十戸、下総町二十戸、大栄町六十七戸、印旛郡栄町二十四戸、酒々井町二十二戸、富里町七十二戸、佐原市六十戸、成田市百七十戸。○新潟県三条市三十八戸、栃尾市三十六戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「幼少・十六俵二人扶持・藤崎栄造」あり。

二 葛飾郡藤塚村(春日部市) 香取社江戸末期御神燈に藤崎清五郎あり。一戸現存す。

三 足立郡木曽呂村(川口市) 阿弥陀堂天保十二年庚申塔に藤崎又兵衛。朝日神社明治二十七年御神燈に当所藤崎安五郎あり。二戸現存す。

四 同郡谷古田領本郷村(川口市) 氷川社明治三十三年碑に藤崎善太郎・藤崎市蔵あり。一戸現存す。

五 入間郡菅間村(川越市) 川越中院過去帳に「道観禅定門・藤崎大膳子藤太郎・壬辰九月二十三日」。文禄元年か。昭和三年興信録に「芳野村・藤崎左膳・所得税十円」あり。十一戸現存す。

六 高麗郡上広瀬村(狭山市) 信立寺明治十四年筆子碑に上郷藤崎米松あり。現存無し。

七 比企郡上伊草村(川島町) 不動院明和八年地蔵尊に藤崎孫右衛門母あり。四戸現存す。

八 同郡出丸中郷(川島町) 字横塚明治十三年馬頭尊に藤崎八三郎あり。一戸現存す。

九 横見郡上砂村(吉見町) 観音寺天保十年供養塔に藤崎久兵衛。明治九年戸長藤崎利平・天保六年生。氷川社明治二十九年御神燈に藤崎文次郎。昭和三年興信録・所得税に「北吉見村・藤崎千代作・二十円、藤崎利明・十二円」あり。二戸現存す。

一〇 同郡大串村(吉見町) 久米田村慶応元年馬頭尊に大串村藤崎衛兵衛あり。一戸現存す。

一一 同郡今泉村(吉見町) 金剛院明治十五年碑に藤崎権平。現存無し。

一二 榛沢郡寄居町 近江日野商人館に「寄居町酒醸造十一屋藤崎総兵衛、日野町出身初代藤崎総兵衛・享保十三年創業」。初代総兵衛法名西性は宝暦十三年没。国神神社明治三十四年碑に寄居町十一屋藤崎総兵衛あり。一戸現存す。

一三 小鹿野町 明治二十年春日二丁目藤崎玄泰あり。一戸現存す。

藤里 フヂサト 川口、所沢、富士見に存す。宮城県本吉郡本吉町六戸あり。

渕沢 フチサワ 桶川に存す。

渕澤 フチサワ 岩槻に存す。

淵沢 フチサワ 川口、戸田等に存す。

淵澤 フチサワ 春日部に存す。

藤沢 フヂサワ 入間郡藤沢村(入間市)あり。各市町村に存す。此氏は信濃国に多く存す。○栃木県芳賀郡益子町三十三戸。○神奈川県高座郡寒川町五十七戸。○長野県上伊那郡高遠町五十四戸(藤沢村に五十二戸)、箕輪町六十九戸、上高井郡高山村百三十戸、上水内郡豊野町六十五戸、東筑摩郡波田町三十二戸、生坂村五十八戸、中野市百二十八戸、飯山市八十八戸、須坂市百四十戸、松本市二百戸。○秋田県仙北郡太田町六十戸、中仙町四十七戸。○岩手県岩手郡滝沢村三十八戸あり。

一 信濃国の諏訪神族藤沢氏 上伊那郡藤沢村より起る。諏訪系図に「大祝敦貞―諏訪次郎敦真―千野大夫光親―藤沢神次親貞―次郎左衛門清親」。吾妻鑑巻十三に「建久四年三月二十五日、武蔵国入間野において追鳥狩あり。藤沢二郎清親・百発百中の芸を施す。将軍家御感の余りに御馬を賜ふ」。巻十七に「建仁元年五月十四日、信濃国の住人藤沢四郎清親」。在名にて苗字にあらず。

二 入間郡の藤沢氏 藤沢村の祠官沢田氏は在名藤沢氏を称す。信濃国藤沢清親の後裔説は附会なり。下藤沢村熊野神社祠官沢田頼悳碑に「其遠祖は清和源氏にて藤沢清親ぬしの裔なり、是は射術に長けるをもて建久四年入間野の追鳥狩に鎌倉右大将より感のあまり馬を賜わる。其後頼名といいける人は慶長五年関ヶ原の御陣に参候。その子頼世の時より由ありて今の氏に改め代々武蔵国入間郡藤沢村なる熊野神社の祠官に補される。頼悳は茂頼の長子にて嘉永三年家の職を承継す」。永禄二年小田原役帳に「上田左近、六貫九百六十二文・入東郡勝内藤沢分・弘治元年検見」。「山口平六、四十貫文・山口内大鐘藤沢分小野分」と見ゆ。勝呂郷塚越村(坂戸市)、山口郷大鐘村(所沢市)は弘治元年以前迄は藤沢氏(本名沢田氏)の領地なり。祠官沢田文書に「天正十八年、藤沢八郎殿」。「延宝八年、藤沢隼人殿」。「延享四年、熊野宮神主沢田帯刀」。「寛延二年帯刀上京仕、藤沢隼人と仕候」と見ゆ。沢田氏は下藤沢村に多く存し、古代以来の居住者なり。藤沢氏は現存無し。

三 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 慶安元年岩槻藩軍役積に「二百石・藤沢小右衛門」。寛文二年岩槻藩分限帳に「百石・藤沢八兵衛」あり。

四 浦和町 昭和三年興信録に「藤沢喜久郎・所得税二十七円」あり。

五 鴻巣町 明治三十五年酒商藤沢兼吉あり。

六 川越町 氷川社明治三十三年玉垣碑に藤沢政五郎あり。

七 秩父町 明治三十五年彫刻師晃文堂藤沢喜蔵あり。

八 児玉郡関村(美里町) 明治七年西組藤沢房五郎あり。一戸現存す。

藤澤 フヂサワ 各市町村に存す。

藤重 フヂシゲ 各市町村に存す。

藤繁 フヂシゲ 鳩ヶ谷に存す。

藤下 フヂシタ 各市町村に存す。

藤科 フヂシナ 宮代に存す。

藤芝 フヂシバ 秩父郡久長村字藤芝、長留村字藤芝、小野原村字藤芝あり。

藤島 フヂシマ 賀美郡忍保村(上里町)は藤島郷を唱え、古の藤島村なり。文禄四年検地帳(黛村萩原文書)に「武蔵国賀美郡鉢形筋藤島村、賀美郡鉢形筋金窪之内黛村」と見ゆ。入間郡上南畑村字藤島、幡羅郡石塚村字藤島あり。各市町村に存す。○福島県岩瀬郡鏡石町四十戸。○岩手県下閉伊郡田野畑村十七戸、普代村二十戸。○秋田県河辺郡河辺町二十戸、北秋田郡鷹巣町百四十八戸、合川町五十戸、田代町十九戸、森吉町二十二戸、大館市五十八戸あり。

藤嶋 フヂシマ 各市町村に存す。

藤嶌 フヂシマ 浦和に存す。

藤代 フヂシロ 各市町村に存す。○茨城県鹿島郡波崎町百戸。○千葉県山武郡成東町十四戸、印旛郡印旛町十六戸、匝瑳郡光町十七戸。○岩手県東磐井郡室根村三十四戸あり。

一 葛飾郡八甫村(鷲宮町) 鷲宮村霊樹寺文書に「八甫村。寛永四年検地一町三反一畝二十九歩・九兵衛、藤代長十郎先祖佐左衛門・庄左衛門半軒づつ取添、長十郎は分地。寛永四年検地二町五歩・茂助、元禄八年検地藤代佐左衛門。光厳寺過去帳、道香禅定門・藤代与左衛門也・寛永三年七月二日」あり。現存無し。

二 蕨町 宝蔵寺墓碑に「藤代平右衛門・万延元年没七十四歳、孝子平右衛門」あり。現存無し。

藤白 フヂシロ 浦和に存す。茨城県猿島郡総和町十戸あり。

藤城 フヂシロ ○茨城県鹿島郡神栖町十五戸、鹿嶋市十六戸。○千葉県香取郡山田町八戸、市原市二十三戸。○長野県下伊那郡根羽村十六戸。

一 忍城士の藤城氏 成田分限帳に「二十四貫文・藤城壱岐」あり。

二 葛飾郡杉戸町 河原町稲荷社明治十五年御神燈に藤城長治郎、明治三十九年幟碑に藤城半次郎あり。

三 同郡下高野村(杉戸町) 永福寺宝暦六年宝篋印塔に藤城吉左衛門。木々子神社天保四年供養塔に藤城兵右衛門あり。二戸現存す。

四 同郡大島村(杉戸町) 幸手領主一色氏の支城高野城(下高野村)被官にて、一色直朝の孫照直は慶長七年近江国蒲生郡弓削村(竜王町)等二千石を賜い、是に従い近江へ移住し、其後に出身地の大島村へ帰農す。近江国に藤城氏は無く、近江出身説は附会なり。藤城家由緒書に「近江六角氏の家臣藤城保政の二男勘解由左衛門保広は高野村に来り一色氏に仕ふ、其子大蔵□直保は一色直朝に仕へ、直保の嫡子治右衛門尉保寿は一色照忠に従い関ヶ原合戦で戦死し、弟の道寿が跡を継いで一色氏の奉行人となり、孫の直光が大島郷に土着して新田を開発す。藤城長兵衛(寛文二年没)―治右衛門(天和三年没)―太郎右衛門(名主、享保十二年没)―吉右衛門(宝暦十年没)―治右衛門(宝暦六年没)―太郎右衛門(吉右衛門、文化五年没)―吉右衛門(文政十年没)―吉右衛門(嘉永七年没)―太郎右衛門真喜(太平、明治七年没)―吉郎治(明治三十四年没)―善六(明治三十二年没)―時郎(昭和十三年没)」。心学者名主藤城吉右衛門は天明五年に恭倹舎を建立す。万延元年武術英名録に神道無念流葛飾郡大島村藤城佐仲。稲荷社文久二年幟碑に藤城太郎右衛門。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に大島村藤城吉郎治。明治十六年鉄道敷設願に大島村藤城善六.。昭和三年興信録に「高野村・藤城保平・所得税十八円」あり。八戸現存す。

五 同郡茨島村(杉戸町) 稲荷社文久二年水鉢に藤城平八・藤城留蔵。鷲巣村鷲神社明治三年御嶽碑にバラ島藤城平六.。明治三十年人名録に藤城長六・安政三年生あり。三戸存す。

六 同郡平須賀村(幸手市) 明治二十八年文書に藤城幸次郎。二戸現存す。

七 埼玉郡須賀村(宮代町) 身代神社明和四年稲荷碑に本村上・藤城庄衛門、寛政七年庚申塔に藤城惣左衛門、嘉永五年御神燈に平田・藤城幸八.。国納村雷電社享和二年御神燈に藤城久蔵あり。一戸現存す。

八 草加宿 草加神社弘化三年玉垣碑に藤城三次郎。安政六年一丁目穀屋藤城三右衛門。成田山新勝寺文久三年碑に草加駅穀屋三右衛門。剣術神文鑑に慶応四年草加宿一丁目藤城音次郎。昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「米穀商藤城三次郎・三百十一円・九十七円、米穀商藤城常吉・二十七円・三十三円」。

九 鴻巣町 明治三十五年に藤城彦八.

藤隅 フヂスミ 久喜、三郷等に存す。

淵瀬 フチセ 新座に存す。

藤瀬 フヂセ 各市町村に存す。

藤関 フヂセキ 川口、春日部、八潮、庄和、狭山等に存す。

藤曽根 フヂソネ 埼玉郡百間東村字藤曽根(宮代町)は観音寺正徳五年碑に藤曽根村と見ゆ。

藤園 フジソノ 豊島氏族にて、紀州那智山米良文書に「天文年間頃。としま名字之かき立、藤そのさんなひ殿」と見ゆ。場所不明。豊島条参照。

渕田 フチダ 浦和、上尾、岩槻、八潮、坂戸、飯能、妻沼等に存す。

淵田 フチダ 川口、与野、朝霞、志木、所沢、三芳、大井等に存す。承久記巻五に「武蔵国住人淵田三郎」と見ゆ。藤田三郎なり。

藤多 フヂタ 川口、浦和等に存す。

藤田 フヂタ 田は郡県・村の意味。田のことは太田条参照。百済族の集落を藤田と称す。和名抄に榛沢郡藤田郷を載す。江戸時代に二十一ヶ村が藤田郷を唱え、五十八ヶ村が藤田庄を唱える。日光輪王寺応永三年大般若経に武州榛沢郡藤田郷極楽寺と。秩父郡薄村天正十三年神将像に願主藤田六口と見ゆ。古寄居村字六供聖天宮別当極楽寺附近を藤田郷の本郷と云う。寄居村は寛文十年に古寄居村・寄居新組村・新寄居村に分村し、さらに文政年間に新寄居村正龍寺領二十石と古寄居村聖天宮領二十石の二ヶ所が藤田村として分村した。此氏は下野国、常陸国、越後国及び奥州に多く存す。○群馬県桐生市百十戸。○栃木県那須郡那須町百戸、黒羽町百戸、塩原町四十五戸、西那須野町百戸、馬頭町八十四戸、塩谷郡上三川町四十戸、黒磯市百五十戸、大田原市百六十戸。○茨城県久慈郡大子町四百戸、那珂郡大宮町九十七戸、那珂町四十戸、東海村四十戸、西茨城郡岩瀬町五十五戸、真壁郡協和町七十五戸、真壁町百五十戸、大和村四十戸、日立市百五十戸、ひたちなか市百二十戸、水戸市二百十戸。○千葉県市原市百八十戸。○山梨県南巨摩郡身延町六十戸。○新潟県中蒲原郡亀田町五十二戸、南蒲原郡田上町六十戸、下田村五十九戸、三条市百二十戸、長岡市百二十戸。○福島県東白川郡棚倉町百四十戸、塙町百二十戸、矢祭町六十八戸、西白河郡東村六十六戸、郡山市二百七十戸、いわき市二百十戸、福島市百二十戸。○秋田県仙北郡中仙町百戸、南秋田郡井川町六十戸、北秋田郡鷹巣町四十七戸、田代町四十九戸、山本郡二ツ井町百六十戸、大曲市百四十戸、能代市二百戸、秋田市四百戸。○宮城県気仙沼市百七十戸。○岩手県岩手郡滝沢村四十戸、宮古市百八戸。○青森県東津軽郡平舘村四十二戸、北津軽郡鶴田町六十六戸、西津軽郡深浦町四十二戸、稲垣村四十三戸、南津軽郡大鰐町百戸、平賀町四十六戸、五所川原市百四十戸、八戸市百八十戸、弘前市七百戸、青森市四百戸。○島根県隠岐郡西郷町八十八戸、五箇村四十七戸。○鳥取県八頭郡八東町四十二戸、鳥取市百二十七戸あり。

一 小野姓猪俣党藤田氏 榛沢郡藤田郷より起る。小野氏系図(畠山牛庵本)に「○猪俣小野三政家―藤田五郎政行―三郎太夫行安(一谷合戦之時、最前進出討死)―右衛門尉能国―左衛門尉能兼(承久合戦之時、先進分取畢)―三郎左衛門尉氏兼(弟山崎五郎左衛門尉国氏)―左衛門三郎氏員(弟桜沢左衛門四郎宗氏、南飯塚新左衛門尉盛氏)―三郎左衛門尉盛員―左衛門三郎能尚―越中守能員(弟兵庫助能行)―三河守能邦―宗員(弟基忠)、能尚の弟左衛門四郎盛政―又四郎盛高(兄孫三郎範政、弟与四郎兼政)―後三郎員行―三郎邦重、盛政の弟彦三郎能高(兄五郎盛安、又三郎兼連、弟彦四郎能政)―掃部左衛門尉行兼。○能兼の弟幕土五郎左衛門尉重国、其の弟御前田野三左衛門信国、其の弟飯塚掃部左衛門尉氏行、其の弟六郎重能(弟今泉伊予僧都)―六郎三郎国重―弥三郎能信―六郎三郎盛信(兄小三郎信行)―近江守信尚(弟孫四郎実信)」と見ゆ。一本小野氏系図に「○藤田五郎政行―三郎太夫行保―小三郎右衛門尉好国―左衛門尉好兼―太郎兵衛能行―左衛門尉重国―右馬助助国(弟三郎五郎重行)―泰氏(弟右衛門尉重康)。重国の弟野三郎信国―左衛門尉行信(弟五郎左衛門尉幸時)。信国の弟掃部左衛門氏行―四郎左衛門行盛―四郎行連(延慶三年十二月四日山門神輿入洛為衆徒被誅)、弟続四郎左衛門尉能連―野二郎宗連。氏行の弟六郎重能―三郎国行(弟四郎保重、五郎重家)。○能行の弟三郎左衛門氏兼(弟山崎五郎左衛門)―三郎氏員―小三郎盛員」と見ゆ。是は在名にて苗字にあらず。

二 藤田氏の名は、平家物語巻九に「範頼に従ふ藤田三郎太夫行泰」。源平盛衰記に「武蔵国猪俣党に藤田三郎太夫行安、生田庄(神戸市)を給ふ」。吾妻鑑巻三に「寿永三年三月五日、去月、摂津国一谷において、平家を征伐せらるゝの日、武蔵国の住人藤田三郎行康、先登して討死す。よって、その勲功の賞に募り、かの遺跡においては、子息小三郎能国伝領すべき旨、今日仰せ下さる」。巻十二に「建久三年六月三日、藤田小三郎能国・弓馬の芸を継ぐが故に、父の勲功の賞跡をもって、永く来葉に伝うべきの由」。巻二十五に「承久三年六月十四日宇治合戦に敵を討つ人々に藤田兵衛尉、手負の人々に藤田新兵衛尉。六月十五日、武蔵国の住人藤田三郎は文博士の者なり」。巻四十八に「正嘉二年正月一日、藤田新左衛門尉」。巻五十に「文応二年正月一日、藤田二郎左衛門尉」。典籍古文書に「建治元年五月、武蔵国・藤田右衛門尉跡八貫を京都六条八幡宮の造営役に負担す」。建治三年記に「問注所公人不足、藤田左衛門四郎行盛・可召加寄人」。太平記巻九に「蓮華寺で自害する者に、幕府六波羅方の藤田六郎・同じき七郎」、近江国番場蓮華寺過去帳に「元弘三年五月九日、近江番場にて六波羅の士、藤田六郎種法二十三歳、同七郎頼宣討死す」。太平記巻二十九に「観応二年、梶原弾正忠は、足利方の藤田小次郎と猪俣弾正左衛門と二騎に取り籠られ討れにけり」。天龍寺造営記録に「康永元年八月三日、足利尊氏は天龍寺造営の立柱の儀に臨む。藤田小五郎行義は、これに従う」。御的日記に「貞和六年正月十四日、藤田孫次郎は弓射をつとむ」。鎌倉円覚寺文書に「応安二年六月十五日、足利金王丸(氏満)は、比企郡竹沢郷内竹沢左近将監入道跡の地を勲功の賞として藤田越中入道に預け置く」。「応安七年十月十四日、藤田越中入道覚能」。「応永十二年、藤田参河入道所進」。安保文書に「応永二十五年三月二十八日、藤田修理亮跡云々」。円覚寺文書に「永享八年七月二十六日、足利持氏は、藤田宗員の譲状の旨に任せ、比企郡竹沢郷内西方浄金子民部作分之九段田・糠田並びに寺門坊作分等の地を、藤田美作守後家に安堵す」。「文安六年六月十九日、藤田美作守宗員後家・号紀春」。藤田村極楽寺文書に「永享六年十月二十一日、前長門守宗員は、上下聖天の供護摩勤行料として、宗貞跡と極楽寺萱苅乗円坊居屋敷を聖天に寄進す」。上聖天は現象ヶ鼻に、下聖天は現宗像神社の地にあったが今は極楽寺境内にある。秩父丹党考に「岩田将監太郎実長(上杉禅秀乱に足利持氏に仕える)―女子(藤田長門守宗貞に嫁す)」。寄居村岩田系図に「岩田実利―女子紀春(藤田宗員婿之、実利以一跡授宗員)」と見ゆ。猪俣党藤田氏は藤田村聖天宮及び極楽寺附近に館を構へ、此地が発祥地で本貫地とす。後に藤田村正龍寺裏山の末野村字城山に花園城を築き管領上杉氏に属す。風土記稿に「花園城は末野村の中程にあり。新築の初めを尋るに、孫五郎政行・始めて此の山の頂に当城を築き、猪股を改めて在名をもって藤田と号す。歴世相続して、行保、能国、能兼、能国、重国、助国、重行、重康、泰氏、氏行、行景、国行、国村、康邦まで十五代存城す」。四項の系図を利用した説で誤りなり。花園城は戦国時代に築城す。関東管領上杉憲房書状(武家事紀)に「永正七年七月十一日、北条早雲に寝返った上田蔵人入道の立籠る神奈川権現山城(神奈川区幸ヶ谷)の攻撃に、管領よりも加勢には成田下総守・渋江孫太郎・藤田虎寿丸、其外武州南一揆之者共罷立候」。北条氏綱書状に「大永四年十一月二十三日、長尾新五郎憲長方に藤田右衛門佐」。相州文書に「九月二十七日、下之坊御報(江ノ島神社)、藤田右衛門佐泰邦花押」。快元僧都記に「天文二年二月九日、北条氏綱は、藤田小三郎等に鶴岡八幡宮に奉加せしむ」、平山条参照。秩父郡三峰神社棟札に「武州秩父県大滝谷三峰宮、天文二年七月、維時郡主藤田右金吾業繁」。永禄三年関東幕注文に「藤田幕・ふたのかがりの五つき地くろ、飯塚・五つき、桜沢・五つき、猪俣・五のかがりの五つき」とあり。猪俣党は五曜(五つき)の幕紋なり。

三 藤原秀郷流藤田氏 新田一門史に「秀郷流にして、下野国都賀郡藤田郷(栃木市)より起る。新田十六騎の藤田三郎左衛門は大館宗氏軍の旗頭として鎌倉攻めに従軍す。三郎左衛門の嫡子藤田能登守は義宗に従ひ、その子六郎左衛門は上野国勢多郡新川村に土着す」。新里村大字新川に四戸現存す。当村出身の苗字藤田氏にて、下野国藤田村は地名附会なり。石川義光軍忠状(福島県石川文書)に「去五月十七日元弘三年、相模国瀬谷原、同十八日稲村崎合戦之時、藤田左近五郎・同又四郎・岡部又四郎・藤田十郎三郎、以見知。花押(新田義貞奉行大館氏明)」。太平記巻十四に「建武二年十二月、新田と足利の戦いに、新田方の藤田三郎左衛門・藤田六郎左衛門・藤田四郎左衛門」。勢多郡新川村善昌寺新田義貞百五十回忌(応仁二年三月三日記)に「郎従藤田四郎左衛門・法名鮮岩宗儀、藤田三郎左衛門・法名祖林梅庵」あり。此氏の所領地か、上野国志に「山田郡金井村(太田市)永寿寺の開基義貞臣藤田八郎左衛門政詮法名空応常心居士・観応元年七月一日死去。室法名養空妙安大姉」と見ゆ。当村に現存無し。

四 国峰城主藤田氏 畠山牛庵本の小野氏系図に「藤田政行―行安―能国―能兼―幕土重国―助国(弟重行)―泰氏(弟重泰)。重国の弟御前田信国―行信。信国の弟飯塚氏行―行景」とあるを利用して作成しており全く信用出来ず。風土記稿寄居村条も此の系図を利用している。また、上野国甘楽郡国峰城主に藤田氏の名は所見無し。藤田村正龍寺所蔵の藤田系図(加賀藩士藤田安勝記す)に「藤田五郎政行―三郎大夫行保(藤田城主)―小三郎右衛門尉能国―左衛門尉能兼―太郎兵衛能行―左衛門太郎重国―右馬助助国―三郎五郎重行―右衛門尉重康―右衛門太郎泰氏―掃部左衛門氏行―左衛門太郎行景―三郎左衛門国行―左衛門大夫国村(虎寿丸)―右衛門佐康邦(虎寿丸)―新太郎氏邦(是北条氏康之子)。重国の弟野三郎信国(領国峰城邑)―左衛門尉行信(国峰城主)―左衛門尉行忠(建武中属新田義貞有戦功、義貞亡後還国峰城)―大和守忠季(足利基氏・氏満に歴仕す)―新大夫親季―次郎大夫惟季―右馬助季勝―武蔵守季信―弾正顕高―右衛門季政(代々国峰城主。去赴播州依其親族藤田左京亮。天正十一年播州にて卒、年三十九)。曽祖季政失城邑離本土、以及祖父八郎兵衛安次、以遷徒之余来仕北藩遂前田家臣。正徳五年四月二十六日裔孫藤田安勝判」と見ゆ。国峰村興厳寺にも同系図あり。

五 平姓畠山氏流藤田氏 前項の系図を利用しており信用出来ず。また、八項の藩翰譜を利用している。秩父郡久那村(秩父市)新井家譜に「初代藤田小二郎重秀(畠山重忠二男。秩父六十六郷・藤田十二郷を父より分与えられ、藤田城に居城し藤田氏を号す。母は足立遠元の女。父討死のとき藤田城にて自刃す、享年二十三歳)―能国(畠山重忠三男小三郎重慶は上野国甘楽郡轟城にて長沼宗政に討たれたと記されているが、実は生存し、重慶は兄重秀の家督を嗣ぎ藤田小三郎能国と名を改めた。承久の乱に戦功あり、播磨国を知行す。学に秀で文博士と称される。晩年には大夫阿闍梨重慶と号し慈光寺二十七世別当となる。文永二年卒、享年七十七歳)―能兼(秩父氏代々の所領を嗣ぎ藤田城主となる)―能行―重国―資国―重行―長門守重康(永享年間上杉氏家老となる)―泰氏―氏行―行景―国行―国村―重康(又康国。上杉憲政に属し鉢形城に居城す。天文二年秩父三峰神社棟札に、重康は維時郡主藤田右金吾業繁の名で記されている。息女於福、嫡子梅王丸あり、梅王丸は早世す。天文十五年北条氏康の三子を養子とし鉢形城に迎える。藤田正龍寺と井戸村法善寺を開基す、天文二十四年九月十三日卒す、法号天山祖繁禅定門、享年三十四歳)―重利(又邦房。重泰の弟。岩田天神山城を居城したが、兄逝去により鉢形城に入り居城す。氏康の三子を秩父新太郎重氏と名乗らせ天神山城に居城させ家老岩田対馬守義幸を後見とす。重利は永禄年中に上州沼田城主として在城し、永禄三年三月秩父新太郎重氏は重泰の息女於福を室とし北条安房守氏邦と名を改め鉢形城に入る。同年八月一日重利は用土邦房と名を改め毒害されんとしたが、之を察し秩父郡久那に隠棲す。天正十八年鉢形落城し、氏邦の嫡子図書頭重孝は討死す、重孝の子に光福丸あり。氏邦の二男亀丸は後に久那村宗源寺二世壁峰祐鉄和尚となる。重利は小田原役には鉢形城攻略に功あり。天正二十年秩父妙見宮棟札に重利は大旦那都築右近衛門尉古長の名で記されている。室は小林少淋斎の女。永禄五年重利の母西福御前逝去し同年久那村宝林院を再興す。上影森村大淵寺を開基す。文禄二年八月二十二日卒、法号大安道長禅定門)―弥八郎重連(又重通、用土新左衛門と号す。天正七年氏邦は沼田城代として在城していた重連の毒害を謀り、重連の弟藤田弥六郎信吉を沼田城代とした。重連は毒害を察し秩父郡久那の父重利の許に逃れ藤田重通と名を改め隠棲す、久那村松善院と宗源寺を開基す、元和八年六月十九日逝去、法号清岩祐天居士)―重宗(寛永十三年八月二十七日卒)―与三右衛門能道(寛文六年卒)―七兵衛重長(元禄二年久那村久昌寺を再興す。享保九年卒)―庄兵衛資泰(享保四年卒)―藤右衛門泰利(寛保三年卒)―通景(幕府の命に依り、藤田の家名を断絶され藤原通景と号した。嫩桑館と書した額を居館に掲げ、終右衛門と名を改めた。仏門に入り久昌寺三世伝外恵灯大和尚となる。宝暦六年卒)―新井清右衛門(新井を姓とし代々久那村名主となる)」と見ゆ。

六 藤田康邦 相州文書に「九月二十七日、下之坊(江ノ島神社)御報、藤田右衛門佐泰邦花押」。風土記稿末野村条に「少林寺の開基は藤田右衛門佐康邦・永正十五年十一月十五日卒、藤栄院花康常春庵主と称す」。康邦とは別人なり。藤田村正龍寺宝篋印塔に「祖繁禅定門・天文二十四年九月十三日。嶺梅芳春大姉・永禄五□月九日」、康邦夫妻墓と云う。天文二十四年は十月二十三日改元して弘治元年となる。井戸村条に「天神山城は隣村岩田村の地と入交り区別をなせり。弘治年間まで、藤田右衛門佐康邦の居城なり。法善寺の開基は藤田右衛門佐康邦・弘治元年九月十三日卒、法諡法善寺殿天山繁公大禅定門」と見ゆ。また、用土村条に「藤田康邦・始め重利と称し、後に名を用土新左衛門と改め永禄三年八月十三日死す。其子新左衛門重連・始め弥八郎と称す」と。康邦と重利は別人なり。

七 藤田邦房 康邦の子重利と同人説あるが別人であろう。岩田村条に「城山、一に天神山とも云ふ、山の麓に天神社あり。此の城地は藤田右衛門佐重利が築きし城塁なり。重利は代々上杉の旗下の将なりけるが、上杉家衰へ、天文年中河越夜軍に、北条氏康利を得て弥々勇威を奮ひければ、此の時より北条氏に属し、氏康が三男新太郎氏邦を婿養子とし、鉢形の城を氏邦にゆづり、己は爰の天神山に城を構へて移りける。其の後、天文十七年の冬、氏康が六男氏光に、重利が武勇にあやかれとて、重利に名を請ひ求て、藤田右衛門佐氏光と名乗らせける。此の天神山の城を氏光にゆづり、重利は又用土に城を構へ移り、是より用土新左衛門重利と名乗れり。されば爰に住せしは、氏康の六男にて藤田右衛門佐氏光が住せし城跡なり、氏光後に右衛門佐康邦といひしなり」と見ゆ。どれが真実かわからず。小鹿野町吉田系図に「榛沢郡藤田城主藤田右衛門佐小野邦房は、上杉譜代旧臣にて後に北条氏康に降参し、氏康の三男氏邦を養子とす。用土新左衛門とは花曽根山藤田城主藤田の野太郎の長子也」。関八州古戦録に「武田信玄、西上野箕輪に押寄す、上杉の後援として用土新左衛門邦房押来りて攻んとす。北条新太郎氏邦は管領家の旧臣藤田右衛門佐邦房養子しして、吾身は実子虎寿丸と共に榛沢の郡用土と云所に退去して有しか、輝虎関東越山の初、随身して用土新左衛門と改号し、去年沼田の城代となれり。虎寿丸は後に藤田能登守信吉といえる是なり」。甲陽軍鑑に「用土新左衛門・沼田の城主、牢人して越後へ行く。藤田能登守が父也」と見ゆ。虎寿丸と信吉は別人なり。

八 藤田信吉 上野国那波郡出身の出稼衆本名某氏にて、藤田重利の名跡を継承して藤田氏を称す。武家事紀に「藤田能登守某、上州名和の人、信州へ流罪、自殺、七十余歳」。断家譜に「藤田能登守信吉、小野姓、本国上野」。藩翰譜に「藤田能登守平信吉は畠山庄司次郎重忠十六代の後胤也。元久二年六月、重忠並に嫡男重保父子討たれし時、二男小次郎重秀は免れて、武蔵国秩父六十六郷藤田十二郷の二つの庄を伝領し、藤田右衛門佐重利が時に至りて、鉢形の城に住して、用土七郷の庄をも打従へ、八王子天神山等の城を構へて移り住む。北条氏康三男新太郎氏邦を賜ひて、右衛門佐重利が子となし、秩父安房守重氏と名のらす。重利・重氏に鉢形の城を譲り、我が身は用土の城を構へて移る。天文十七年の冬、氏康が六男氏光に、重利の武勇にあやかれとて、重利に請ひて右衛門佐と名のらすれば、重利是より用土新左衛門尉と名のる。重利・永禄三年八月十三日に死す。重利に実子あり、兄は用土弥八郎、弟は同弥六郎といふ。氏康・重利が所領を悉く二人の男に賜てけり。兄は用土、藤田、及び相模の内にて所領を給ひ、弟は武蔵の地千五百貫文を領せしといふ。弥八郎成人の後、新左衛門尉重連と名のる。天正六年の春、上杉弾正大弼入道謙信卒して後、上野国沼田の城・安房守重氏に降る。左京大夫氏政・用土新左衛門尉重連をして彼の城を守らす。安房守重氏これを恨み、われ氏康の子にして、氏政の弟なり、縦令故新左衛門尉重利が子にならずとも、是れ程の所領をゆづられざらんや。ましてや此の沼田の城は重氏に降りしを、又重連に賜はるこそ安からぬとて、頓がて重連に毒すゝめて殺しぬ。氏政・重ねて重連が弟弥六郎信吉をして、兄が跡を継ぎて沼田の地を守らす。安房守重氏いよいよ安からぬ事に思ひ、氏政氏直父子に、信吉が事さまざまに讒す。信吉・重氏を深く恨みて、明天正七年の春、武田四郎勝頼に心を合せ、重氏が兵の沼田の城に在りし輩を悉く攻め殺して城をば武田に参らせたり。勝頼大に悦びて、頓がて沼田の城をば真田安房守昌幸に賜ひ、信吉には沼田上中下の三箇庄は言ふに及ばず、本領を悉く賜ひ(合せて五千七貫の地)、藤田能登守と召されて、上の沼田金剛院に館を構へて移り住む。越後の国に趣き景勝に見参す。(中略)。慶長五年三月十三日会津上杉家を去て都に登り、大徳寺に籠り居て入道し、源心とぞ号しける。かゝる所に景勝が軍起りぬと聞えて、追討の為、徳川殿・大阪を御立あって伏見の城に入らせ給ひ、能登入道源心が許に御使あって、下野国那須の地を下し賜ひて(十万石)、東国の御道しるべ仕るべしと仰せ下さる。入道・承りて、抑も入道が上杉が家を立ち去りし事、如何にもして讒人の訴ふる所を申披き、我が二心なき事を顕さんが為に、暫し其の禍を避けし所なり。されば今御陣に召されん事、望む所に侍らはずと辞し申す。重ねて本多佐渡守正信・御使を承て、信吉・誠に汝が主に二心なからんには、すべからく早く召に随て御陣に参り、いかにもして彼を家滅びざらんやうを謀るべし云々とありしかば、此の上はとて見参し、其の謀を運らす。関が原の戦事終て後、信吉夫婦に下野国西方の地を賜る(一万三千石、其妻に假粧田二千石、合て一万五千石)。又信吉ながく御家人に侍らはんには、初め賜ひし所の那須の地領せん事、相違あるべからずと仰せ下さる。その後、名を重信と改め、元和二年七月十四日、五十九歳にて卒し、男子なければ家たえたり」と見ゆ。北越軍談に「永禄六年、輝虎公三十四歳、下総国葛飾郡小金原(松戸市)に打出玉う。沼田の藤田能登守信吉・輝虎の命を受け、臼井城に押入んとす。然れば藤田能登守が白地に五星をえがき白き藤の丸の招き着きたる馬じるし見えし。ころは卯月二十日なり。或は此戦永禄二年八月、或は七年九月の事なりとも云り」。紋のことは二項参照。古今沼田記に「天正七年、長尾景勝・沼田の城を武田家へ相渡さる。越後より差置かるる城代藤田能登守、勝頼公へ御目見申し下げ、沼田にて知行下さる。又或る説に、天正七年真田昌幸・勝頼の出馬を促し、沼田城代藤田能登守を昌幸謀を以って味方に引き入れられけると云う、此の時の賞として藤田能登守に証文を給う」。加沢記に「天正八年五月、沼田城代藤田信吉は、名胡桃城に進出してきた真田昌幸の一行を団扇でさし招くようにして出迎えた」。武徳編年集成に「天正十三年七月十七日、上杉景勝・兵を信州に発し、上田の城主真田昌幸を救う。上杉の援兵六千五百余兵、又藤田能登守信吉は相備合せて千三百を猿ヶ馬場の此方の麓小市場に屯す。徳川家康は惣軍七千、上田城を攻む」。真田史料集に「天正十四年九月、景勝・新発田因幡守叛逆により発向す。先手は藤田能登守信吉なり、景勝・勝利あり、之に依り藤田を褒美す」。北越軍談に「蒲原郡長島城主吉井喜四郎は天正十年六月魚津落城の時戦死。是に依て同年の冬景勝は裁許を加えられ、喜四郎の後室益木中務丞女を藤田能登守信吉に配偶有て、吉井が旧領長島城及び同心・被官共に、信吉に付属し玉えり」。管窺武鑑に「下野国西方藩一万五千石、藤田能登守信吉は大阪役後に改易となり、信州へ赴く途中、木曽の奈良井で病死す」。信吉は大阪の陣の際に、榊原康勝が若年だったため康勝軍の軍監を命じられたが、戦闘指揮の失敗を咎められて元和二年除封され、西方藩(都賀郡西方村)は廃藩となる。二十項参照。

九 藤田氏後裔 断家譜に「藤田能登守信吉―女子(杉原小左衛門直秀妻)」。幕臣杉原家譜に「杉原日向守直明(武田氏に仕へ天正三年長篠合戦討死)―小左衛門直秀(寛永二年死す、年七十五、法名成案。妻は藤田能登守重信が女)―善左衛門直信(母は重信が女。百五十石)」。また、藤田系図に「平重利(妻は武田家臣の上野国小林正淋斎娘)―能登守信吉、弟小林平二郎(武田家人小林正淋斎養子、正淋斎は外祖父也)」。小林系図に「小林監物(号小淋斎)―小林平四郎(監物継子なきによって藤田能登守が弟平四郎を婿養子とす、於尾州長島戦死す、二十八歳)―小林市左衛門(父戦死のとき二歳也故に祖父小淋斎養育す、然るに藤田能登守は伯父たるによって能登守が養子となりて藤田主膳と称す。天正十八年小田原陣中に能登守・主膳父子戦功あり。慶長五年関ヶ原に於て鎗疵二ヶ所こうむる、時に年三十四歳なり。後に下総国山川城主水野家に仕へ、百石を賜ふ)」と見ゆ。紀州高野山清浄心院供養帳に「一叟源心居士・武州秩父郡・為藤田能登守神儀・元和二丙辰七月十四日、施主藤田弥吉・同主膳正・大月弥七・国分兵蔵・今村次郎右衛門尉。霊位月窓妙霜大姉・同為息女五人衆立之・慶長十八年十一月二十三日」あり。母を息女五人が供養し、父能登守信吉を息女の婿五人が供養したか。また「逆修花岳林栄禅定門・武州三山庄藤田弥吉為父、逆修□月妙栄禅定尼・同藤田弥吉為母、元和二年丙辰八月一日」あり。秩父郡三山庄(小鹿野町)の藤田弥吉の父母と信吉夫妻とは別人であり、弥吉も婿養子である。次項の柴崎利雄氏曰く、大月弥七は藤田弥七郎安広と云う、今村次郎右衛門尉は藤田次郎右衛門と、国分兵蔵は多摩郡御嶽大聖院と云う。三山村に藤田氏は現存無し。本名に復姓して土着す。また、米沢上杉藩家臣にて、管窺武鑑に「藤田信吉の子孫用土彦兵衛は用土新左衛門尉宛の文書を蔵す」、信吉の兄用土新左衛門尉重連の後裔か。また、真田史料集に「信州小県郡海野駅の本陣藤田伝左衛門と云う者の先祖は、能登守信吉の孤子成りしを、大鋒公(真田信之)・深くあわれみ給ひ、上田御在城中御扶持を下され、藤田五右衛門信通と号し、隠士にて居住し、松城へ御所替の後、仙石家より本陣問屋役申し付けられ、以来代々勤むると云う。此の家に甲州家、其外数通の証文伝来す。また、沼田記一説に出づる証文は、今上杉家の臣藤田兵馬相伝すと云う。此の家も信吉の一族なるべし」と。此氏は小県郡の苗字藤田氏にて、武蔵国の在名藤田信吉は無関係なり。信吉に男子は無し。

一〇 羽継氏流藤田氏 永享後記に「長尾景仲入道昌賢・謀を廻し、康正二年十月十七日、八ヶ国の軍兵を催し、武州滝山の城主大石源左衛門顕重を先かけの大将として、岡部の羽継原に陣を取、御所方にも木戸将監を初め、千葉介加勢しければ、原・高城ことごとく馳加り、魚鱗に陣を張たりし、鎌倉勢三方より押寄、荒手を入かへ入かへ責けれは、御所かたに宗徒とたのみ給ふ野田・斎藤討死し、成氏も御手をおひたまへは、一陣破れて残党不全、悉くうちまけ引返す所に、千葉介同城主大須加太夫荒手になりて、佐々木・本郷・足立・本庄爰にて討死しける程に、管領方二度めの戦に討負相引にこそ引にける、羽継原の一戦是也」と見ゆ。羽継は榛沢郡岡部村より人見村一帯を称す。藤田郷人見村の真言宗合寺(あいのてら)は今の藤沢中学校の所を小字合寺といい、風土記編纂頃には廃寺となっていた。関東探題の守護代羽継氏は合寺を館とし、在名羽継氏を称し、また藤田氏を名乗る。長井斎藤系図に「長井斎藤豊前介実仲―大膳実経(幡羅郡西城に住む。足利氏満に仕ふ。母羽継修理亮業正女)」。大石氏系図に「大石源左衛門尉房重(享徳二年討死)―源左衛門尉顕重(姉は羽継修理亮室)」とあり。柴崎利雄氏作成の羽継・藤田修理亮系図に「羽継修理亮業正(守護代仁木修理亮義長也)―羽継修理亮(守護代千坂越前守也。妹は長井斎藤実仲妻)―羽継修理亮(守護代千坂越前守也)―羽継修理亮(守護代千坂越前守也)―羽継修理亮(守護代千坂越前守也、妻大石源左衛門尉房重娘)―羽継修理亮(守護代藤田右衛門佐業政也)―藤田右衛門佐業繁(永禄三年八月十三日没。弟大月弥七藤田弥七郎安広)―藤田右衛門佐業国(用土城主。其子弥八郎重連)、弟藤田弥六郎能登守信吉(実は菅野備中守の子。息女五人)、弟藤田次郎右衛門(実は秩父殿子息。鉢形落城後三山庄住。今村氏は数代前の分家)。羽継修理亮(妻大石房重娘)の兄藤田備中守(榛沢郡山河城主)―菅野備中守―菅野備中守(山河備中)―藤田主膳(花岳林栄禅定門)―藤田弥吉(北条落城後三山庄住。其子藤田吉右衛門利宥)、弟藤田主膳正、弟菅野備中守(奥州伊達仕)」と言う。系が粗雑で良くわからず。藤田主膳は前項が正しく、此の説は誤りである。藤田弥七郎安広は天文二十二年に北条氏康から朱印状を与えられており(子孫宇都宮藤田文書)、永禄元年生れの能登守信吉より年上である。信吉の供養者大月弥七と同人では年代あわず。菅野館は榛沢郡上野台村にあり。用土村の修験藤田氏及び用土氏の小野姓は当山派修験小野流(熊野権現御師)より称す。詳細は北武蔵の武将達・鎌倉室町編(柴崎利雄著)、武衛柴崎系図改定版(柴崎利雄著)参照せよ。

一一 蒔田村(秩父市)の本名内田氏 秩父案内記に「花園城主六代藤田左衛門太郎重国の三男藤田彦四郎藤重は秩父郡蒔田に転住し、世に郷士と為る。後裔藤田彦五郎重孝(図書と称す)は天正十八年鉢形城に討死す、大儀院孝岩道忠庵主と号す。其の子二代左馬助重賢六歳は旧領蒔田に帰り地名を一渡と号、家屋を構え蒔田一円を治めて郷士となる、寛永八年十月十九日没す、青苔院傑岑常英居士と号す。三代惣右衛門重昌より当主内田寵次郎に至る」と見ゆ。内田条参照。

一二 浄土宗の藤田氏 浄土伝燈総系譜に「号唱阿・武州秩父人、藤田領主民部丞利貞之子也、正応年中於下総州猿島郷藤田庄岩井建高声寺、人称其流謂藤田派」。藤田派上人の居住地より小字藤田を唱え、藤田庄は他に所見無し。猿島郡岩井村(茨城県岩井市)に字藤田、字藤田橋、字下藤田、字下藤田道あり、藤田神社・藤田公民館附近を称す。当所の浄土宗高声寺は正応二年藤田唱阿性真上人の創建と云う。性真の弟子持阿は同書に「持阿者武州埼玉郡藤田人小太郎刑部行重之子也、弱齢投于性真剃染。次到秩父稟手印脈譜於性真、為高声寺第二世、正和三年開筵下総葛飾郡古河大野正定寺、上総中野神光寺等開山」。上野国邑楽郡中野村(邑楽町)浄土宗神光寺なり。中世の邑楽町に「上野国邑楽郡中野村善正寺は正和二年八月下総国猿島郡藤田の浄土宗鎮西派藤田流の持阿上人が開基す。持阿上人は新田家の一族小太郎刑部行重の子なり」。新田は藤田の書誤りか。古河志に「桜井郷下大野村正定寺(茨城県総和町)。昔は浄土宗三派の一なる藤田派にて、持阿上人開基の処とぞ。近世藤田派全く亡び、鎮西一派となれり。寺記に、武州猪俣党藤田小三郎大夫行安の孫、小太郎行重の子良心・字持阿、弘安六年、相州善導寺に詣で、初めて良弁に遇い、宗義を伺う」。豊島郡田端村条に「浄土宗仲台寺開山三蓮社縁誉吟翁天文二十三年七月十九日化す。伝燈総系譜に縁誉称念は初名吟翁、武州江戸品川人、父名藤田道昭と載す」と見ゆ。

一三 播磨国の藤田氏 承久乱後に美嚢郡吉川上庄(よかわ)の新補地頭として移住す。兵庫県吉川町法光寺村法光寺文書に「弘安七年、小野行員が法光寺・永谷村(吉川町)に禁制を出す」。「観応元年、小野盛国は法光寺に塔敷三十代を寄進す」。南飯塚五郎盛国か。吉川家文書に「観応三年五月、河原次郎左衛門尉・粟生田二郎左衛門尉・藤田一族等は赤松氏に従う」。法光寺文書に「文和四年、藤田越中守能員が田地を寄進す」。「永和元年十二月八日、幕府は、藤田兵庫助に命じて、美濃郡久留美庄(三木市)領家職を春日社雑掌に渡し付ける」。領家万里小路家の建内記に「文安元年五月十四日、播磨国三木郡吉河上庄地頭藤田四郎五郎」。嘉吉の乱で赤松満祐の討手となった赤松満政の陣に藤田氏一族が投降し、満政に伴われて上洛す。この直後には満政の領地は山名持豊の領有となり、以後、藤田氏は山名氏の守護代垣屋氏に臣従す。長享二年赤松政則が播磨国を回復し、同氏の被官となる。

一四 淡路国の藤田氏 承久乱後、津名郡塩田庄(兵庫県津名町)の新補地頭となる。貞応二年四月淡路国大田文に「勧修寺領、塩田庄田四十町、国御家人・新地頭藤田兵衛尉」あり。

一五 河原党藤田氏 武蔵志に「河原氏古文書に云。治承四年三月、着座面々・藤田弥平太、是は河原太郎家の武家法令也」と見ゆ。

一六 小田原城士の藤田氏 永禄二年小田原所領役帳に「藤田大蔵丞、百二貫余・西郡成田(小田原市)、二百五十貫余・中郡石田(伊勢原市)、二十四貫・入東郡図書分、四貫・福岡之内沼間分(上福岡市)、十五貫・玉作内領家(大里町)、都合三百九十六貫余」。成田郷及び石田郷に現存無し。高麗郡女影納所分書立(日高市)に「永禄四年、五貫三百文・藤田分」。竹橋余筆別集に「永禄四年五月二十九日、藤田大蔵丞奉」。秩父郡高岸文書に「永禄四年九月二十七日、大蔵丞奉」と見ゆ。北条家奉行藤田大蔵丞綱高なり。

一七 鉢形城士の藤田氏 鉢形分限帳に「本国参州藤田・宮地住・藤田大和」。愛知県に藤田村は無し。分限帳の本国は信用できず。六十一項参照。また、藤田村六供(古寄居村字六供)住人藤田大学は鉢形落城後、越前国松平秀康に仕える。上野国木部文書に「木部兵右衛門尉殿、藤田大学邦綱花押(氏邦奉行)」。桜井武兵衛覚書に「九月二十五日、沼田之森下に而(利根郡昭和村)、藤田大学我等二人、壱番のりをいたし、城をおとし申候事」。小鹿野町吉田系図に「吉田新左衛門は越前宰相秀康公之寄騎と成、越前国住舎弟吉田藤左衛門相続し、暇を取り本国関東秩父へ来る」。吉田文書に「卯月二十七日、吉田新左衛門殿、従越前藤田大学居判」。「二月十四年、吉田新左衛門殿、六供藤田大学居判」。藤田郷六供出身なり。秀康卿給帳に「本国武蔵・五百十石・藤田又三郎、本国武蔵・四百石・藤田大学」あり。

一八 忍城士の藤田氏 成田分限帳に「十二貫文・藤田蔵人」あり。

一九 松山城士の藤田氏 秩父郡御堂村日蓮宗浄蓮寺過去帳に「妙泉・フチタ・三月。妙春・藤田。道盛・藤田」あり。当地方に現存無し。

二〇 軍監藤田氏 榊原家譜に「榊原康勝(元和元年五月大阪の軍おこるとき、藤田能登守信吉等は相したがう)」。八項参照。小倉藩小笠原家譜に「小笠原貞慶―信濃守秀政(元和元年大阪両陣のとき秀忠公に供奉し出陣す。藤田能登守忠季これが軍監たり。秀政接戦すべきむね士卒に下知すといへども、藤田忠季いまだその図にあたらずとて強てとどむるにより、合戦におよばざりしかば、秀忠公の御不審をこうぶる)」。諏訪部家譜に「諏訪部定常・伏見に於て藤田能登守某を殺害して自殺す」と見ゆ。忠季は信吉とは別人なり。

二一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「三百石・藤田彦右衛門・是は忍にて罷出・播磨之者、五十石七人扶持・藤田忠右衛門・是は清洲にて罷出・播磨之者」。

二二 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御物書・六石二人扶持・藤田市助、武器預り支配・三両余二人扶持・藤田重助、江戸屋敷足軽・同高・藤田信蔵、錠口番・二両余二人扶持・藤田圭蔵」。

二三 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 慶安元年岩槻藩軍役積に「高不明・藤田半兵衛」あり。

二四 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・藤田一治」あり。

二五 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「年寄四百石杉原軍記の家臣藤田佐右衛門」あり。

二六 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「勘定奉行支配・四石余二人扶持・藤田勇吉・三十四歳、同役同高・藤田林作・五十二歳」あり。

二七 旗本水野石見守家臣(旧鉢形城士) 水野忠貞・忠顕家中分限帳に「八両二人扶持・藤田猪右衛門」。

二八 和算家藤田氏 藤田家譜に「藤田権平貞資(彦太夫、号雄山。武州男衾郡本田村に居住仕候郷士本田縫殿右衛門親天三男、享保十九年出生。新荘藩士藤田東馬定之養子に罷成相勤候処、宝暦十二年御暦作并測量方御用出役之儀被仰渡候、久留米藩有馬侯に仕える。文化四年没)―本田権平嘉言(号門龍、龍川、安永元年生、御勘定奉行、文化十一年没)―藤田権四郎貞升(文政十一年御勘定奉行、天保十一年没)」。本田村教念寺に貞資墓あり。

二九 葛飾郡彦成村(三郷市) 香取社明治二十八年狛犬に藤田弥蔵。明治三十年人名録に藤田弥一郎・明治元年生・地租三十円。十七戸現存す。

三〇 同郡幸房村(三郷市) 観音堂宝永三年鰐口銘に藤田孫七あり。三戸現存す。

三一 同郡下高野村(杉戸町) 木々子神社天保四年供養塔に藤田金右衛門。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に下高野村藤田徳左衛門。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流下高野村藤田定右衛門・慶応三年生あり。六戸現存す。

三二 同郡下野村(杉戸町) 福正院元禄十二年庚申塔に藤田伊右衛門、明治二十九年筆子碑に藤田亀吉・藤田吉太郎・藤田宗次郎・藤田善吉。八幡社天保七年馬頭尊に藤田清右衛門あり。五戸現存す。

三三 同郡木立村(幸手市) 明治三十年人名録に藤田幾右衛門・安政元年生・地租三十六円あり。四戸現存す。

三四 埼玉郡瓦曽根村(越谷市) 明治三十年所得税下調査簿に材木商越ヶ谷屋藤田善兵衛・嘉永元年生・反別三町三反歩・地租四十円あり。四戸現存す。

三五 同郡栗原村(久喜市) 上間久里村香取社天保十二年御神燈に栗原村藤田源太郎あり。三戸現存す。

三六 同郡加須町 明治三十五年大経師藤田清四郎あり。

三七 同郡下村君村(羽生市) 永明寺寛政十一年坐像銘に当村藤田忠右衛門、弘化五年銘に藤田直吉あり。二戸現存す。

三八 同郡忍町 明治三十五年小間物商藤田幸右衛門あり。

三九 同郡荒木村(行田市) 東福寺に「寛文五年・前藤田又右衛門尉藤原吉任墓、施主藤田三右衛門吉俊・石渡市郎兵衛」と大きな供養塔あり。一戸現存す。

四〇 足立郡赤山村(川口市) 文化十二年国谷文書に赤山村藤田次助あり。一戸現存す。

四一 同郡鳩ヶ谷町 明治三十五年酒醤油商江州屋藤田千代松。赤井村氷川社明治三十九年碑に鳩ヶ谷町下町藤田千代太郎あり。

四二 同郡草加町 明治二年頃に四丁目(北草加村)中森田藤田由兵衛、四丁目(谷古宇村)森田屋藤田まさ。明治三十五年飲食店煙管屋藤田清蔵・藤田常吉あり。

四三 同郡大宮町 明治三十五年下駄商藤田藤兵衛あり。

四四 同郡小室村(伊奈町) 当村寛政元年庚申塔に小室丸山村藤田伝兵衛・藤田次右衛門。氷川社安政三年御神燈に丸山村藤田治右衛門あり。六戸現存す。

四五 同郡鴻巣町  明治三十五に藤田武兵衛あり。

四六 新座郡上新倉村(和光市) 漆台不動滝前嘉永六年庚申塔に上新倉村藤田杢左衛門。明治四十四年県税届に藤田鬼子太郎・死亡に付代理藤田儀平あり。

四七 入間郡所沢町 明治二十一年幼稚園名簿に藤田多仲・明治十六年生、藤田慎策・明治十八年生。明治三十五年医師藤田元沢あり。

四八 同郡下新井村(所沢市) 明治二十七年鉄道敷設請願書に藤田清治郎・文久三年生、藤田熊治郎・明治五年生、藤田喜三郎・明治五年生。

四九 同郡入間川町(狭山市) 明治三十五年糸繭商藤田太三郎あり。

五〇 同郡川越町 江戸町旧家藤田助右衛門。水村条参照。岸村熊野社明治三十一年碑に当所生・石工藤田三五郎。明治三十五年薬舗藤田藤右衛門。三芳野神社明治四十年碑に新田町燈籠彫刻藤田三五郎。福岡村西養寺明治四十一年六地蔵に仙波新田石工藤田三五郎あり。

五一 高麗郡飯能町 明治十四年久下分村魚商藤田由五郎。諏訪八幡社明治四十四年碑に一丁目藤田愛助(糸繭商)・三丁目藤田藤松(乾物商)。

五二 比企郡吉田村(嵐山町) 手白神社明治四十五年碑に藤田勝五郎あり。一戸現存す。

五三 同郡古里村(嵐山町) 嵐山町史に「鉢形落城後に藤田右近大夫政重は比企郡古里村に土着す」と見ゆ。現存無し。

五四 同郡小川町 明治七年蚕種業藤田徳平あり。

五五 大里郡熊谷町 明治三十五年菓子製造藤田丈七・織物商藤田平吉・藤田大熊あり。

五六 榛沢郡寄居村 十七項参照。明治十八年最上農名簿に藤田村藤田学三郎・耕宅地四町七反歩・山林二反歩所有。下奈良村明治二十七年東条筆子碑に藤田村藤田金龍・藤田善作。明治三十五年寄居町運送店藤田常吉・下駄商藤田市太郎あり。藤田村に二戸現存す。

五七 同郡用土村(寄居町) 野原村文殊寺明治二年碑に用土村藤田三郎あり。現存無し。

五八 児玉郡本庄町 石川剣道場門下生に天明五年・本庄宿藤田伝蔵。明治三十五年菓子商藤田伝平・糸繭商藤田広吉あり。

五九 同郡児玉町 八幡社明治三十五年碑に藤田由蔵。同年飲食店藤田嘉蔵あり。

六〇 賀美郡石神村(上里町) 石神社文久元年御神燈に藤田佐吉。明治四年山下文書に藤田新八。二戸現存す。

六一 秩父郡大宮町 十七項参照。宝登山神社貞享四年本堂造営棟札に大工大宮郷藤田徳左衛門。栃谷村妙音寺は元禄十年工匠藤田徳左衛門の建築なり。寛政六年高野日記に大宮郷大工棟梁藤田大和。秩父神社日鑑に享和二年・熊木村藤田大和。安政二年内田文書に大宮郷大工棟梁藤田若狭。秩父志に「大宮郷六世木工藤田若狭・名邦彦、郡中大工棟梁家。大宮書家藤田安右衛門・名忠正」。明治三年大工職藤田数右衛門・二十七歳。明治二十二年大日本農会々員名簿に大宮郷藤田鉄之助あり。

六二 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・藤田省三・四十五円、川田谷村(桶川市)・藤田茂吉・十六円、飯能町・藤田愛助・百六十四円・二十八円、藤田藤松・三十円・四十七円、忍町・藤田七五郎・九円・三十三円、寄居町・藤田善作・百四十二円、本庄町・藤田直次郎・八十三円・七十八円、秩父町・藤田照一・十二円」あり。

藤平 フヂダイラ 戸田に存す。

藤高 フヂタカ 大宮、北本、鴻巣、新座、神川等に存す。

藤滝 フヂタキ 上尾、幸手等に存す。

藤竹 フヂタケ 春日部に存す。

藤武 フヂタケ 越谷、三芳等に存す。

藤立 フヂタテ 春日部に存す。

藤館 フヂダテ 川口、加須、吹上等に存す。岩手県稗貫郡大迫町十戸あり。

藤舘 フヂダテ 草加に存す。

藤谷 フヂタニ 各市町村に存す。鳥取県米子市三十戸あり。フヂヤ参照。

一 岩槻藩大岡氏家臣 天明四年岩槻藩分限帳に「平席之分・藤谷勘左衛門、中小姓席・藤谷猪十郎」あり。

藤玉 フヂタマ 越谷に存す。

藤近 フヂチカ 草加、所沢等に存す。

藤津 フヂツ 浦和、春日部等に存す。

藤墳 フヂツカ 桶川に存す。

藤塚 フヂツカ 葛飾郡藤塚村(春日部市)あり。各市町村に存す。群馬県沼田市二十四戸、新潟県五泉市二十二戸、小千谷市三十戸あり。

一 埼玉郡吉羽村(久喜市) 高輪寺延宝八年庚申塔に藤塚半左衛門あり。現存無し。

二 浦和町 昭和三年興信録に「藤塚時治・所得税二十円・営業税二十五円」。

藤次 フヂツグ 浦和、川口、上尾、鳩ヶ谷、騎西等に存す。中条参照。

藤綱 フヂツナ 春日部に存す。

藤敦 フヂツル 浦和、飯能等に存す。

渕戸 フチト 吹上に存す。

藤戸 フヂト 上尾、草加、白岡、越谷、入間、川越、所沢、富士見等に存す。岩手県花巻市十五戸あり。

藤門 フヂト 桶川、鴻巣等に存す。

藤冨 フヂトミ 浦和、草加等に存す。

藤富 フヂトミ 大宮、三郷等に存す。

藤友 フヂトモ 浦和、鶴ヶ島に存す。

渕名 フチナ 富士見に存す。

淵名 フチナ 入間郡下赤坂村(川越市)に三戸存す。亀久保村地蔵院寛政十一年宝篋印塔に下赤坂村渕名甚右衛門。堀兼村堀兼神社文政四年御神燈に下赤坂村渕名久四郎あり。

藤中 フヂナカ 足立郡滝馬室村(鴻巣市)氷川社文政十二年聖徳太子碑に滝馬室村藤中伊七・藤中源蔵、明治三十九年碑に藤中仲次郎・藤中牧太郎あり。二戸現存す。

藤永 フヂナガ 各市町村に存す。島根県鹿足郡六日市町七戸、益田市十戸。

藤長 フヂナガ 越谷、名栗等に存す。

藤並 フヂナミ 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡瀬ヶ崎村(浦和市)藤並元治郎。現存無し。

藤浪 フヂナミ 次条参照。

一 葛飾郡小右衛門村(栗橋町) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

二 埼玉郡菖蒲町 明治三十五年菓子商藤浪権次郎・青物商藤浪吉五郎・藤浪金太郎あり。

三 同郡小林村(菖蒲町) 妙福寺享保十一年文書に小林村組頭藤浪武兵衛。明治九年副戸長藤浪甚五右衛門・文化九年生。明治二十四年馬頭尊に藤浪藤右衛門、明治二十六年聖徳太子塔に藤浪金平・藤浪源六・藤浪安五郎・藤浪縫吉・藤浪艶吉あり。十七戸現存す。

四 足立郡本太村(浦和市) 山神社明治三十年碑に藤浪亦次郎あり。一戸現存す。

藤波 フヂナミ 足立郡藤波村(上尾市)あり、天正十五年武州文書に「太田氏房は、藤波山より材木を岩付城に運ぶことを命ず」と見ゆ。

一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「十二石三人扶持・藤波蓮心・是は忍にて罷出・駿河之者」あり。

二 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「五十俵・藤波清左衛門」あり。

三 葛飾郡彦沢村(三郷市) 市神祠官筆学門人控に明治四年・彦沢村専松倅藤波菊次郎あり。現存無し。

四 同郡土場村(吉川市) 八幡社寛政十三年水鉢に藤浪藤五郎・藤浪甚之助・藤浪縫之助。足立区花畑大鷲神社天保四年算額に土場村藤波清太郎清民・藤浪庄三郎真利・藤浪染之助平偏。二ツ沼村稲荷社天保十二年御神燈に土場村藤浪藤太郎、文久元年水鉢に土場村藤波茂助。信州善光寺本堂北嘉永六年常夜燈に葛飾郡二郷半領土場村藤浪治助。八幡社文久元年鳥居碑に藤浪治助。明治九年戸長藤波弥三郎・安政元年生。明治十五年県下富農二十四名の内に藤波治助(弘化三年生、県会議員)。八幡社明治三十九年碑に藤波広松・藤波虎次郎あり。二戸現存す。

五 埼玉郡伊草村(八潮市) 天満宮明治三十九年碑に藤波重次郎あり。一戸現存す。

六 同郡八条村(八潮市) 明治九年文書に藤波七郎兵衛。久伊豆社明治三十八年絵馬に藤波辰五郎あり。一戸現存す。

七 同郡鶴ヶ曽根村(八潮市) 医薬寺寛保元年供養塔に藤波忠兵衛。大曽根村八幡社明治三十九年絵馬に鶴ヶ曽根藤波善八あり。十二戸現存す。

八 同郡後谷村(八潮市) 藤波家墓碑に「小弥太重政、篠塚伊賀守平重広後胤尾張常信六代・下総州猿島郡幸田村住篠塚図書重千の三男也、寛政五年武州埼玉郡青柳村住藤波喜右衛門仁宅嫡女伊喜の婿、文化九年故あり同郡後谷村に分家す、当家の祖なり。天保六年・男重好建之」。西福寺文政十三年庚申塔に藤波祐資。中馬場村妙光寺天保八年寄進に後谷村小櫃加兵衛尉重次後胤同邨藤波祐資英信・同姓左金司昌信。西袋村観音堂安政三年筆子碑にウシロヤ藤波徹太郎。明治三十年所得税下調査簿に八幡村藤波俊太郎・弘化二年生・反別二十三町五反歩・地租三百二円、八幡村藤波郷傑・元治元年生・反別十八町三反歩・地租二百三十五円。明治四十四年貴族院多額納税者議員互選人名簿に農業藤波玉太郎・明治元年生・国税五百四十八円・県下百五十五位。大正四年県会議員調に藤波玉太郎・国税四百五十八円あり。五戸現存す。小櫃条参照。

九 同郡青柳村(草加市) 当村に此氏多く存す。先祖は伊勢皇大神宮神主の出身で寛文頃に当時の伊勢講の講元当村須鴨いよ氏をたよって此地に定住したと伝へるが、伊勢神宮禰宜職荒木田姓藤波氏は無関係なり。当村藤波氏は古代以来の居住者である。享保八年宝篋印塔に藤波伝左衛門方寿。東覚寺跡寛延四年碑に藤波伝左衛門仁宅。前項参照。明治九年戸長藤波伝左衛門・天保十四年生。貴族院多額納税者議員互選人名簿に明治二十三年藤波伝左衛門・天保十四年生・国税千四百四十一円、明治三十年藤波伝左衛門・反別八十八町五反歩・国税千二百七十七円、明治四十四年農業藤波礒吉・慶応二年生・国税千五百八十一円・県下三十位あり。

一〇 同郡立野堀村(草加市) 慈尊院天保十三年供養塔に藤波仙松・藤波久左衛門・藤浪弥五郎。四戸現存す。

一一 同郡越ヶ谷町 明治三十五年荒物商藤波源治郎あり。

一二 同郡大沢町(越谷市) 大沢猫の爪(福井文書)に「上組百姓年寄藤波利左衛門先祖は承応之頃移来罷在、代々右之所に而居住致候、分家も有之候へ共相絶居申候由、先祖西方村藤塚組より当町へ来候由申説有之、又上原権右衛門方之分地之由右家に而申候へ共、此義別姓に而如何、権右衛門は中宿八郎兵衛方寛文年中相分り候由、然ば年歴不引合、藤波家先祖之者寛文十二年死去致候事有之上は此義如何。元禄八年検地、藤波四郎兵衛屋敷。宝暦七年大沢町百姓、藤波権兵衛。明和五年帳面表、藤波権兵衛」と見ゆ。香取社文化三年鳥居碑に大沢町上組藤波四郎兵衛、文化八年御神燈に上組藤波利左衛門あり。

一三 同郡麦塚村(越谷市) 女体神社明治二十一年御神燈に藤波喜三郎・藤波喜右衛門・藤波伝次郎・藤波宗次郎・藤波亀次郎。八戸現存す。

一四 同郡岩槻町 明治三十五年荒物商藤波秋次郎あり。

一五 足立郡戸塚村(川口市) 大門宿大興寺文化十四年供養塔に戸塚村藤波金左衛門、天保七年筆子碑に平間藤波利兵衛。多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡戸塚村平沼藤波利兵衛、戸塚村平間組藤浪治郎右衛門・藤浪富右衛門。七郷神社明治中期碑に藤波孝三郎あり。四戸現存す。

一六 同郡赤芝新田(川口市) 稲荷社嘉永四年普門品に赤芝新田藤浪平蔵。明治六年生徒月並受取帳に藤浪幸三郎あり。四戸現存す。

一七 同郡赤山領立野村(川口市) 次項及び土屋条参照。二宮神社文政十三年鳥居碑に当所藤浪源太郎。西福寺文政二年湯殿山碑に立野藤浪源太郎、弘化三年百観音に当所藤波弥八、文久三年聖徳太子碑に藤波兵左衛門。明治六年生徒月並受取帳に藤波清太郎あり。四戸現存す。

一八 同郡長蔵新田(川口市) 風土記稿長蔵新田条に「当村は名主茂平次が先祖長蔵が開きし地なり、故に村名とす。其年代は伝へざれど、寛永四年の割付あれば其以前開けしこと知るべし。因に云、長蔵が先祖は藤波和泉といい小田原北条氏に仕へ、隣村立野村に住し萱野奉行といえる職を司れるなど伝ふれど其事実詳ならず」と。土屋条参照。当村寛政十年碑に藤波茂平次。立野村二宮神社文政十三年鳥居碑に長蔵新田藤浪重兵衛・藤浪直治郎・藤浪惣左衛門あり。七戸現存す。

一九 同郡赤井村(川口市) 福寿院文政三年庚申塔に藤浪弥左衛門。円通寺天保五年普門品に藤並銀蔵。氷川社明治三十九年碑に藤波吉三郎・藤波卯太郎・藤浪金蔵あり。藤浪氏一戸、藤波氏一戸現存す。

二〇 同郡草加町 東福寺文政十三年筆子奉納額に藤波常吉・十一歳。市神祠官筆学門人控に明治三年産須磨弥五兵衛次男藤波新蔵。明治三十五年煙草商藤波大次郎・同藤波幸吉。

二一 同郡九左衛門新田(草加市) 明治十九年家屋台帳に藤波忠次郎。

二二 同郡風渡野村(大宮市) 当村万延元年庚申塔に藤並亀次郎。明治九年副戸長藤波亀次郎・文政五年生あり。七戸現存す。

二三 同郡石戸領領家村(上尾市) 当村に此氏多く存す。北条氏政は、来るべき調儀に備え、藤波与五右衛門・道祖土図書助・金子中務丞・鈴木雅楽助に印判状を発給し、軍装の整備を命ず。藤波村密厳院文書に「四月五日(天正十三年)、来調儀之事、一本鑓・一騎自身、已上、藤波与五右衛門殿」と見ゆ。藤波村に此氏は現存無し、四人宛は苗字にて、藤波氏は在名藤波村住人では無く、領家村の苗字藤波氏宛の印判状である。当村寛文十三年庚申塔に藤波久三郎・藤波久左衛門・藤波甚左衛門・藤波喜右衛門・藤波七右衛門・藤波礒治。平方村橘神社安政四年御神燈に領家村藤浪喜右衛門。明治九年副戸長藤波甚左衛門・文政八年生。上州榛名神社明治二十二年御神燈に武蔵国北足立郡石戸領家村藤波安之助・藤波多四郎。小泉村八合神社明治三十六年水鉢に当所藤波多四郎。明治四十年信徒総代領家村藤波多四郎・藤波八十吉あり。

二四 同郡畔吉村(上尾市) 隣村領家村の藤波氏と同じく古代以来の居住者なり。徳星寺宝永三年庚申塔に畔吉村藤波庄兵衛あり。十四戸存す。

二五 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「草加町・藤波寿・三百七十八円、川柳村(草加市)・藤波寿・三百四十七円、鳩ヶ谷町・藤波福太郎・三十一円・六百七十円、藤波幾太郎・九円、大石村(上尾市)・藤波八十吉・九十四円、藤波徳右衛門・二十七円、藤波嘉兵衛・十九円、八条村(八潮市)・藤波善八・九円・二十三円、八幡村(八潮市)・藤波玉太郎・百十一円、蒲生村(越谷市)・藤波精一郎・二十三円」あり。藤波寿は同人か。

藤成 フヂナリ 草加、入間、鶴ヶ島、飯能、寄居等に存す。

藤縄 フヂナワ 川口、上尾、志木、和光、嵐山、春日部、越谷等に存す。○新潟県中頸城郡大潟町三十九戸。○鳥取県八頭郡河原町十六戸あり。

藤繩 フヂナワ 浦和、川口、三郷、吉川、庄和、川越、狭山等に存す。

藤西 フヂニシ 菖蒲町菖蒲神社明治十年神道無念流奉納額に藤西常三郎あり。当地方に現存無し。

葛貫 フヂヌキ クズヌキ参照。

藤貫 フヂヌキ 浦和、川口、志木、上福岡、越谷、北川辺、行田、熊谷等に存す。茨城県結城市二十三戸あり。

藤沼 フヂヌマ ○栃木県芳賀郡芳賀町十四戸、下都賀郡藤岡町二十八戸、河内郡南河内町四十四戸、小山市四十戸、栃木市六十四戸。○茨城県東茨城郡大洗町十五戸、鹿島郡旭村二十六戸、真壁郡明野町三十四戸、猿島郡五霞村二十四戸。○岩手県紫波郡紫波町三十戸あり。

一 葛飾郡深井新田(吉川市) 六社神社文化十年庚申塔に藤沼熊之助あり。現存無し。

二 同郡鷲巣村(杉戸町) 鷲神社寛政元年碑に百姓代藤沼武右衛門・藤沼多七郎・藤沼清蔵、安政四年二十三夜塔に藤沼亀吉・藤沼又兵衛・藤沼五助。明治二十年規約に藤沼新太郎・藤沼寅蔵・藤沼重五郎・藤沼小三郎あり。七戸現存す。

三 同郡幸手宿 秋間家由緒書に「秋間市郎左衛門(元文元年没)―女子(当宿仲町藤沼長右衛門妻)」。雷電社明治十七年御嶽碑に田宮藤沼利助。明治三十五年米穀商藤沼慶二郎あり。

四 同郡内国府間村(幸手市) 明治十二年文書に藤沼仙吉。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国幸手町内国府間藤沼柳吉あり。

五 同郡神明内村(幸手市) 明治二十年選挙権者藤沼安五郎・文政七年生。明治三十年人名録に藤沼鶴太郎・明治二年生・地租五十五円、藤沼政太郎・安政六年生・地租二十六円。木立村妙法寺明治三十年馬頭尊に藤沼元次郎・藤沼松五郎・藤沼政太郎・藤沼富右衛門。昭和三年興信録に「権現堂川村・藤沼寛・所得税三百三十九円」あり。八戸現存す。

六 同郡惣新田村(幸手市) 椿村文珠堂明治十五年筆子碑に惣新田村藤沼忠右衛門。明治二十年被選挙権者藤沼平右衛門・嘉永六年生、選挙権者藤沼清左衛門・弘化三年生あり。二戸現存す。

七 埼玉郡久喜町 明治三十五年豆腐製造藤沼丑五郎あり。八戸現存す。

八 同郡菖蒲町 明治三十五年菓子商藤沼源治郎あり。現存無し。

九 同郡佐間村(行田市) 天神社明治十三年御神燈に当所藤沼善五郎あり。六戸現存す。

一〇 熊谷宿 文政十年諸国道中商人鑑に「熊谷宿下町万病丸藤沼辰五郎、江戸大伝馬町藤沼元景の製造」と見ゆ。現存無し。

藤根 フヂネ 川口、上尾、与野、鴻巣、新座、鶴ヶ島、所沢、飯能等に存す。岩手県稗貫郡石鳥谷町四十戸、紫波郡紫波町十一戸、花巻市五十戸あり。

渕野 フチノ 越谷、川越等に存す。

淵野 フチノ 上尾、春日部、新座、入間、所沢等に存す。

藤之 フヂノ 飯能に存す。

藤埜 フヂノ 本庄に存す。

藤野 フヂノ 葛(つづら)は管羅(つつら、くだら)、即ち百済(くだら)のことで、野は助詞なり。葛(ふぢ)に転訛して藤の佳字を用いる。百済族の集落を葛野(ふぢの)、藤野(ふぢの)と称す。和名抄に山城国葛野郡葛野郷を載せ、加度乃(かどの)と訓ず。京都府右京区太秦の附近一帯にて秦族の渡来地なり。桂川(かつらがわ)流域にて、古くは葛野川(かどのがわ)と称し、葛野(かつらの)の転訛なり。藤、藤原条参照。入間郡古谷上村字藤野あり。此氏は武蔵国に多く存す。○群馬県邑楽郡明和町二十戸、館林市四十戸。○栃木県下都賀郡藤岡町三十戸。○茨城県岩井市二十六戸。○宮城県気仙沼市三十五戸。○岩手県東磐井郡千厩町百三十七戸、大東町二十五戸。○島根県隠岐郡西郷町九十戸あり。

一 忍城士の藤野氏 成田分限帳に「加勢侍・七十貫文・本国下総・剣術者・藤野吉十郎、二十貫文・藤野掃部、十五貫文・藤野佐兵衛」あり。

二 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百五十石・藤野吉助・是は忍にて罷出・尾張之者」あり。

三 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「二十五俵二人扶持・藤野彦兵衛」。文化四年分限帳に「二之丸御番・七人扶持・藤野直八」あり。

四 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「六石二人扶持・藤野久八」あり。

五 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「五両二人扶持・藤野小右衛門」あり。

六 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「二十二俵二人扶持・藤野逸平、二十俵二人扶持・藤野藤四郎」あり。

七 葛飾郡幸手町 明治三十五年煙草糸繭商富士家藤野平太郎あり。

八 足立郡与野町 円乗院寛文十二年常夜燈に与野町藤埜忠右衛門、延宝四年水鉢に藤野庄右衛門。明治三十五年大工職藤野竹次郎あり。

九 同郡上村(上尾市) 氷川社明治四十二年碑に藤野九八郎。一戸現存す。

一〇 同郡桶川町 明治十一年府川文書に藤野定五郎あり。

一一 同郡箕田村(鴻巣市) 龍昌寺延宝四年庚申塔に箕田村藤野新左衛門。観音堂文化元年聖徳太子碑に箕田村藤野忠蔵。氷川八幡社明治十三年幟碑に藤野嘉吉・藤野辰二郎、明治二十七年御神燈に藤野栄蔵・藤野松五郎あり。四戸現存す。

一二 同郡宮前村(鴻巣市) 箕田観音堂正徳四年供養塔に宮前村道永藤野付左衛門あり。現存無し。

一三 埼玉郡久喜町 明治三十五年飲食店藤野啓治郎あり。

一四 同郡騎西町 明治三十五年鰻屋藤野ヨシあり。

一五 同郡琴寄村(大利根町) 横沼神社明治二十年狛犬に藤野忠三郎あり。一戸現存す。

一六 同郡多門寺村(加須市) 愛宕社天保三年狛犬に藤野浅治郎、安政四年伊勢講碑に藤野与五右衛門あり。七戸現存す。藤池条参照。

一七 同郡油井ヶ島村(加須市) 当村に此氏の旧家あり。七戸現存す。

一八 同郡羽生町 熊谷町高城神社天保十二年紺屋碑に羽生藤野金兵衛。明治三十五年理髪店藤野関次郎。

一九 同郡弥勒村(羽生市) 下村君村永明寺元文三年碑に弥勒村藤野五左衛門。同村鷲宮社宝暦十二年棟札に藤野栄助。同村成就院寛政五年棟札に肝煎谷ヶ浦藤野平兵衛。上村君村雷電社天保十年碑に弥勒村藤野岩蔵。当村円照寺天保十四年廻国塔に藤野平左衛門。慶応元年大越村関根文書に上弥勒村割役藤野荘助あり。五戸現存す。次項参照。

二〇 同郡谷郷(行田市) 行田史譚に「谷郷村、寛永年中割役名主藤野清兵衛、享保六年割役名主藤野清兵衛、天保元年名主藤野清兵衛・行田町(但谷郷高の内)名主藤野小左衛門」。秩父松本日記に寛文元年忍領惣代谷郷割役藤野清兵衛。御用達にて、嘉永六年忍藩分限帳に「三十俵一人扶持・谷郷組割役藤野荘助」。安政三年剣術義集館(持田村三田文書)に谷郷村藤野荘助。明治九年副戸長藤野半左衛門あり。二戸現存す。

二一 同郡須加村(行田市) 川俣関所番四代目佐藤利兵衛(三代目佐藤利兵衛婿養子、貞享二年家督。実父須加村郷士藤野市郎右衛門次男)。熊野社嘉永五年御神燈に藤野新市・藤野長七・藤野忠右衛門・藤野兵助・藤野伊兵衛・藤野雄治郎、文久三年御神燈に藤野兵蔵・藤野三蔵、横塚藤野要七・藤野兵輔。明治九年副戸長藤野岩五郎。須加村会議員に藤野八五郎・明治四年生、藤野勇次郎・明治二十六年生あり。十二戸現存す。

二二 同郡真名板村(行田市) 久伊豆社明治二十八年水鉢に藤野綱五郎あり。三戸現存す。

二三 同郡荒木村(行田市) 天満宮文政三年塞神碑に藤野宇兵衛、元治元年御神燈に藤野専吉あり。九戸存す。

二四 同郡今井村(熊谷市) 赤城社明治五年算額に当村藤野弥八郎あり。二戸現存す。

二五 新座郡野火止宿(新座市) 明治十六年西堀村物産表に藤野元吉。

二六 入間郡下富村(所沢市) 当村に此氏多く存す。中富村毘沙門堂文化三年宝篋印塔に十四軒・藤野治兵衛・藤野定右衛門・藤野勝右衛門・藤野久兵衛。堀兼村堀兼神社嘉永元年敷石碑に下富村藤野万治郎・藤野清七.。明治九年副戸長藤野定右衛門・天保八年生。明治二十年茶業に藤野勝太郎・藤野定吉・藤野勝蔵・藤野寅之助・藤野惣五郎・藤野亀吉・藤野茂十郎・藤野茂吉・藤野平吉・藤野力松・藤野亀七・藤野定治郎・藤野銀十郎。中富村神明社明治三十九年碑に下富藤野喜代七あり。

二七 同郡小谷田村(入間市) 笹井村宗源寺文書に「弘化四年、観音堂へ大般若経寄進、小谷田村藤野嘉右衛門」あり。八戸現存す。

二八 同郡川越町 日蓮宗行伝寺過去帳に「妙藤・藤野殿子。道根・藤野彦四郎父。宗円・藤野彦蔵父・丑年十一月。妙林・藤野彦右衛門老母・戌年二月。妙円・藤野彦右衛門内ノ下女・申年十一月。承応二年三月過去帳表具之紙は藤野彦右衛門・同惣右衛門・同老母益都梅都等が造立す」。鴫町旧家藤野勘左衛門あり。三芳野名勝図会に「川越氷川大明神・元禄十年石華表、南町住藤野甚左衛門忠政建之」。享保五年水村文書に鷹宿勤覚・藤野甚左衛門。水村条参照。三芳野神社明治四十年碑に久保町藤野太吉(茶木炭商中野屋)あり。久保町は上松郷、南町は上五ヶ町、鴫町は下五ヶ町の内にあった。

二九 同郡竹之内村(坂戸市) 明治九年戸長藤野茂平・文化八年生。石坂村休山寺明治二十八年碑に竹ノ内藤野銀治郎あり。七戸現存す。

三〇 同郡上浅羽村(坂戸市) 藤野家墓地延宝九年地蔵尊に浅羽村藤野長右衛門あり。七戸現存す。

三一 同郡森戸村(坂戸市) 明治九年副戸長藤野藤衛・文政八年生。明治十二年副戸長藤野治平。明治十三年三芳野学校議員藤野三郎。明治二十二年埼玉勧業会員藤野市郎次あり。十六戸現存す。

三二 同郡萱方村(坂戸市) 藤野家墓地に「施主富士野孫兵衛・明応九年三月三日。春山明雲禅定門・永正三年五月六日没。勝陸院義常沙弥・永禄三年八月二十日没」。明治九年副戸長藤野勘衛・天保十四年生。明治十二年選挙投票簿に藤野国三郎・藤野栄次郎・藤野徳之助・藤野繁蔵・藤野勘衛あり。二戸現存す。

三三 高麗郡戸宮村(坂戸市) 明治十五年戸長藤野国造あり。三戸現存す。

三四 同郡笹井村(狭山市) 根岸村水富神社明治四十三年碑に水富村藤野藤作あり。四戸現存す。

三五 同郡上直竹村下分(飯能市) 当村安永五年碑に上直竹村藤野加祢。明治九年副戸長藤野又右衛門・天保六年生あり。五戸現存す。

三六 比企郡玉川郷 平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に玉川藤野定吉。今宮社明治四十五年碑に藤野栄蔵・藤野常蔵・藤野周蔵・藤野健蔵・藤野平重・藤野茂作あり。七戸現存す。

三七 同郡熊井村(鳩山町) 毛呂神社明治四十二年幟碑に藤野勘吉・藤野千代吉・藤野百平あり。二戸現存す。

三八 同郡和泉村(滑川町) 下福田村小林三徳元治二年奉納算額にイツミ藤野源治郎良知。明治十年代地租表に藤野藤次郎・地租十七円、藤野琴次郎あり。三戸現存す。

三九 同郡吉田村(嵐山町) 当村に此氏多く存す。羽尾村享保十三年上野文書に吉田村名主藤野門左衛門。観音堂延享三年供養塔に藤野平治郎。下福田村小林三徳元治二年奉納算額に吉田村藤野庄左衛門惟泰。広野村川島鬼鎮神社慶応二年筆子碑にヨシ田・藤野奥次郎・藤野桂太郎・藤野伝太郎・藤野喜一郎。明治九年副戸長藤野光五郎・天保三年生。古里村兵執神社明治十五年水鉢に吉田村藤野政治郎。手白神社明治二十四年碑に藤野丈八、明治三十年碑に藤野桂太郎、明治四十五年碑に藤野鼎輔・藤野伴次郎・藤野ゆき・藤野彦太郎・藤野清蔵・藤野元吉・藤野波吉・藤野金八・藤野平左衛門・藤野岩吉・藤野仲助・藤野英一・藤野柳次郎・藤野幸助あり。

四〇 同郡高坂村(東松山市) 毛塚村坂本系図に「関口孫兵衛忠松(天正七年致浪人、毛塚村に落着)―養子坂本庄右衛門―男子(高坂村藤野太郎左衛門)」。明治九年副戸長藤野茂治・文政三年生。松山町箭弓神社明治三十一年碑に高坂村藤野新八あり。五戸現存す。

四一 同郡大谷村(東松山市) 当村に此氏多く存す。寛保三年庚申塔に藤野武之□あり。

四二 同郡岡郷(東松山市) 明治十六年紙商藤野亀吉あり。現存無し。

四三 同郡小川町 明治三十五年時計商坂本屋藤野吉兵衛あり。

四四 大里郡熊谷町 明治三十五年菓子商藤野浅吉・建具商藤野藤蔵・藤野亀吉あり。

四五 同郡三本村(江南町) 当村に此氏の旧家あり。六戸現存す。

四六 男衾郡本田村(川本町) 字中芝元禄六年庚申塔に藤野佐太兵衛・藤野新兵衛。明治九年副戸長藤野知真・嘉永二年生。畠山村明治十三年長島玄貞筆子碑に本田村藤野岩吉・藤野文平あり。十五戸現存す。

四七 同郡赤浜村(寄居町) 用土村明治十三年仙元碑に赤浜村藤野登一郎あり。一戸現存す。

四八 幡羅郡新島村(熊谷市) 新照寺明和二年庚申塔に藤野清八あり。四戸現存す。

四九 同郡中奈良村(熊谷市) 熊谷町高城神社天保十二年紺屋碑に中奈良村藤野新兵衛あり。六戸現存す。

五〇 同郡上須戸村(妻沼町) 明治九年副戸長藤野善治郎・弘化四年生。三ツ木村三ツ木神社明治二十五年碑に上須戸村藤野善次郎あり。五戸現存す。

五一 同郡西野村(妻沼町) 長井神社天保五年大黒天碑に藤野丈吉。上野台村光厳寺天保十一年供養塔に西野村藤野与四郎あり。一戸現存す。

五二 同郡葛和田村(妻沼町) 大野村稲荷社安政二年水鉢に藤野半兵衛・藤野助三郎・藤野長五郎・藤野平兵衛あり。現存無し。

五三 榛沢郡寄居町 明治三十五年穀肥料木炭商坂本屋藤野酉蔵あり。

五四 同郡瀬山村(川本町) 八幡社天保十三年奉額に当所藤野文次郎・藤野亀五郎。宮戸村神道無念流金井宇一郎起請文に慶応二年瀬山村藤野多平あり。十六戸現存す。

五五 同郡長在家村(川本町) 当村に此氏多く存す。明治三十五年奈良堰組合員長在家藤野米吉あり。

五六 同郡原宿村(花園町) 常光寺宝永元年庚申塔に藤野七兵衛。明治九年富田文書に飯塚村原宿・藤野幸七・藤野貞作・小前惣代藤野角次郎、原宿村副戸長藤野團蔵・天保十年生。用土村明治十三年仙元碑に武蔵野村藤野團蔵あり。十三戸現存す。

五七 同郡内ヶ島村(深谷市) 永光寺明治四十年碑に藤野仲助。一戸存す。

五八 同郡牧西村(本庄市) 土豪にて、天正年間牧西村持高帳に「ふしの分・七反余歩、屋敷百四十四坪・藤野居」あり。二戸現存す。

五九 児玉郡本庄町 明治三十五年湯屋藤野平三郎・玩具商藤野定次郎。

六〇 同郡山王堂村(本庄市) 日枝社年不詳庚申塔に藤野武兵衛・藤野安右衛門あり。九戸現存す。

六一 同郡関村(美里町) 明治九年副戸長藤野七郎治・天保十三年生(組頭)。明治十二年塩谷文書に藤野藤蔵・藤野栄吉。用土村明治十三年仙元碑に関村藤野七郎治・藤野岩吉・藤野松五郎・藤野清八.。明治二十一年皇国武術英名録に真之真石川流関村藤野久三郎。浅間社明治四十三年碑に藤野与次郎あり。十四戸存す。

六二 同郡新里村(神川町) 明治五年小前議定書に藤野作内。現存無し。

六三 秩父郡芦ヶ久保村(横瀬町) 気楽流柔術加藤門弟に芦ヶ久保村藤野光太郎あり。一戸現存す。

六四 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「須賀村(行田市)・藤野勇次郎・十五円、星河村(行田市)・藤野辰之助・七十円・八十四円、藤野重兵衛・十七円、川越市・藤野勢之助・六十七円・五十三円、所沢町・藤野定次郎・二十七円、藤野勝衛・十四円、三ヶ島村(所沢市)・藤野幸三郎・八十九円・五十九円、大家村(坂戸市)・藤野市郎治・十五円、藤野多市・九円、七郷村(嵐山町)・藤野嘉吉・三十四円、藤野仲次郎・十三円、小川町・藤野喜太郎・六十二円・七十五円、玉川村・藤野常蔵・二十四円、熊谷町・藤野貞司・九円・二十八円、深谷町・藤野重亮・三十三円、寄居町・藤野与惣次・十円・三十九円、花園村・藤野鶴次・六十七円」あり。

藤ノ井 フヂノイ 浦和に存す。

藤野井 フヂノイ 忍城士にて、成田分限帳に「二十一貫文・藤野井兵庫」。

淵之上 フチノウエ 浦和に存す。

藤ノ木 フヂノキ 賀美郡毘沙吐村藤ノ木河岸あり、世良田村長楽寺記に武州賀美郡藤木村住人滝沢氏と見ゆ。河岸場は弘化三年洪水により黛村へ移転し、下藤ノ木河岸と称す。各市町村に存す。新潟県中魚沼郡津南町百十戸、中里村十七戸あり。

藤之木 フヂノキ 幡羅郡藤之木村(深谷市)あり。此地より起る。斎藤別当実盛の臣に藤木左近あり、十八人衆といわれた開拓者の子孫なり。本名は当村大和田氏なり。斎藤条参照。

藤野戸 フヂノト 川口に存す。

藤野原 フヂノハラ 栗橋に存す。

藤信 フヂノブ 吉川、坂戸等に存す。

藤延 フヂノベ 所沢に存す。

藤野谷 フヂノヤ 和光に存す。

藤野屋 フヂノヤ 浦和、朝霞等に存す。

藤範 フヂノリ 春日部に存す。

藤橋 フヂハシ 足立郡側海斗村字藤橋あり。山形県村山市十七戸あり。

一 秩父氏流藤橋氏 多摩郡藤橋村(青梅市)より起る。千葉系図に「平忠常―恒親―恒仲―頼任(村山貫首)」と見え、豊島宮城系図に「千葉小次郎忠常―秩父七郎恒親―藤橋太郎恒仲」と見ゆ。

二 西党平山氏族藤橋氏 風土記稿多摩郡藤橋村条に「藤橋城、村の北の方にあり、往昔平山越前守と云ふ者住居せり」。市史青梅に「藤橋城は平山越前守重吉の居城で、藤橋小三郎は重吉であろう」と。青梅和田文書に「永禄七年五月二十三日、北条氏照は、三田氏の旧臣藤橋小三郎等を清戸三番衆に定める」と見ゆ。

三 入間郡岩崎村(所沢市) 瑞岩寺明治三十二年地蔵尊に当所藤橋重太郎あり。一戸現存す。

四 比企郡小川町 明治三十五年酒商藤橋喜三郎あり。現存無し。

五 埼玉郡本川俣村(羽生市) 明治十二年酒造浜田屋藤橋喜作。現存無し。

六 深谷町 酒造蔵元東白菊藤橋氏は越後国より来住す。中仙道東入口稲荷町明治初年常夜燈に藤橋重吉。滝宮神社明治三十三年碑に深谷宿本町仲町氏子藤橋藤八.。深谷町会議員に酒造業藤橋藤八・天保十三年生、酒造業藤橋藤三郎・明治八年生、酒造業藤橋藤三郎・明治二十六年生。大正十四年貴族院多額納税者議員互選人名簿に藤橋藤三郎・明治八年生・国税七百八十三円・県下二百五十四位。昭和三年興信録に「藤橋藤三郎・所得税二百八十五円・営業税二十八円」あり。現存無し。

淵畑 フチハタ 入間郡上奥富村字淵畑組(狭山市)は、安政四年梅宮神社再建帳に淵畑組と見ゆ。

藤畑 フヂハタ 埼玉郡小野袋村字藤畑(北川辺町)は、貞享元年庚申塔に藤畑村と見ゆ。浦和、桶川、越谷等に存す。

藤幡 フヂハタ 鶴ヶ島に存す。

藤花 フヂハナ 三芳に存す。

藤林 フヂバヤシ 各市町村に存す。青森県南津軽郡常盤村十四戸、青森市百戸あり。

藤原 フヂハラ 各市町村に存す。○山梨県北巨摩郡須玉町百二十七戸、高根町四十三戸、中巨摩郡竜王町四十六戸、東山梨郡牧丘町六十戸、甲府市二百戸。○島根県簸川郡佐田町四十八戸、仁多郡仁多町百四十戸、横田町百五十戸、大原郡大東町百七十戸、木次町百五十戸、飯石郡三刀屋町百二十八戸、吉田村五十戸、掛合町百六戸、頓原町五十二戸、能義郡広瀬町五十四戸、松江市三百戸、出雲市百八十戸。○鳥取県日野郡江府町四十六戸、米子市百五十戸あり。フヂワラ参照。

藤春 フヂハル 大宮、栗橋等に存す。

藤久 フヂヒサ 新座、鳩ヶ谷等に存す。

藤平 フヂヒラ 各市町村に存す。○千葉県夷隅郡夷隅町百戸、大多喜町二十戸、大原町七十三戸、富津市百十戸。○神奈川県三浦市六十五戸あり。

一 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御代官・九両四人扶持・藤平七右衛門、御勘定方・五両三人扶持・藤平小八郎」あり。次項参照。

二 比企郡玉川郷 玉川陣屋役人にて、延宝天和頃に幕府代官高室四郎兵衛の手代藤平七右衛門あり、慈眼寺に立派な供養塔がある。当村は幕府領にて前項の代官と同人か。平村萩日吉社明治二十五年筆子碑に玉川郷藤平亀次郎。春日社明治四十年碑に根際・藤平世代平・藤平繁浩あり。二戸現存す。

藤広 フヂヒロ 浦和、上尾等に存す。

淵辺 フチベ 三郷に存す。千葉県安房郡白浜町二十五戸あり。

藤部 フヂベ 越谷、坂戸等に存す。

藤麻 フヂマ 日高に存す。

藤馬 フヂマ 入間郡藤馬村(川越市)あり、今は藤間と書く。当村出身勘兵衛は日本舞踊に長じ、寛永年間に藤間流踊を始める。二世は其の男、三世は養子、四世は其の妻、五世は其の女。三世勘兵衛の男を元祖藤間勘十郎(日本橋茅場町)、其の門人藤間勘右衛門(日本橋浜町)は名声あり。是は芸名なり。

藤間 フヂマ 埼玉郡下手子林村字藤間あり。トウマ参照。

一 比企郡三保谷宿(川島町) 当村文化九年地蔵尊に三保谷宿藤間宗左衛門。明治九年戸長藤間勝治・文化七年生。松山町箭弓神社明治三十一年碑に八ツ保村藤間長太郎あり。十三戸現存す。

藤牧 フヂマキ 長野県佐久市三十戸。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「御代官・二十五俵二人扶持・藤牧弥十郎」あり。

二 賀美郡肥土村(神川町) 大御堂村吉祥院天保五年供養塔にヒト藤牧関右衛門。広野神社明治三十九年碑に藤牧弥平治・藤牧利三郎・藤牧宇十郎・藤牧梅太郎・藤牧重太郎・藤牧マチあり。七戸現存す。

藤巻 フヂマキ ○群馬県碓氷郡松井田町四十五戸、安中市三十戸、高崎市六十戸。○山梨県東八代郡石和町二十四戸、御坂町二十一戸、北巨摩郡須玉町二十二戸、中巨摩郡田富町二十戸、竜王町二十一戸、八田村三十五戸、韮崎市四十三戸、山梨市五十二戸、甲府市百十六戸。○長野県北佐久郡軽井沢町五十五戸、大町市七十戸。○新潟県中魚沼郡川西町二十戸、中頸城郡板倉町三十六戸、柏崎市五十九戸、小千谷市六十戸。○青森県東津軽郡今別町二十戸、青森市六十戸あり。

一 埼玉郡羽生町 明治三十五年料理店丸佐藤巻清治郎あり。一戸現存す。

二 足立郡小針内宿村(伊奈町) 小針神社天保九年水鉢に小針内宿村組頭藤巻善太夫・藤巻喜代吉。当村慶応二年馬頭尊に藤巻幸蔵。明治九年副戸長藤巻佐内・天保七年生あり。六戸現存す。

三 同郡鴻巣町 鴻神社明治十五年御神燈に藤巻清次郎あり。一戸現存す。

四 児玉郡下浅見村(児玉町) 児玉町八幡社明治三十五年碑に下アザミ藤巻藤太郎あり。現存無し。

五 賀美郡毘沙吐村(上里町) 金久保村陽雲寺武田家遺臣碑(明治三十年)に「藤巻左京大夫藤原泰英の後裔、新町藤巻泰三郎」。明治四年新町茂木文書に毘沙吐村藤巻健治あり。住民は弘化三年洪水により群馬県新町へ移転す。新町に四戸存す。

藤政 フヂマサ 川口、大宮、和光、所沢等に存す。

藤又 フヂマタ 川口に存す。茨城県東茨城郡美野里町十一戸あり。

藤松 フヂマツ 各市町村に存す。長野県東筑摩郡四賀村十九戸、南安曇郡豊科町二十戸、三郷村十四戸あり。

藤丸 フヂマル 各市町村に存す。秋田県本荘市十戸、岩手県東磐井郡大東町八戸あり。

藤身 フヂミ 蕨に存す。

藤見 フヂミ 葛飾郡平沼村(吉川市)芳川神社明治三十一年古峰碑に藤見新五郎あり。六戸現存す。

藤峰 フヂミネ 朝霞に存す。秋田県仙北郡太田町十戸あり。

藤嶺 フヂミネ 新座、八潮等に存す。

藤宮 フヂミヤ 入間郡石田村鎮守藤宮社あり。埼玉郡上之村字藤ノ宮、持田村字藤ノ宮あり。

一 足立郡大宮町 昭和三年興信録に「藤宮坤之助・所得税十円・営業税二十五円」あり。

二 新座郡志木町 宝幢寺嘉永二年地蔵尊に引又町藤宮吉治郎。敷島社明治五年御神燈に藤宮庄蔵。明治二十年文書に藤宮吉蔵あり。現存無し。

三 同郡北野村(新座市) 片山歴史民俗資料館に安永八年・北野村藤宮定次郎。当村文政十年地蔵尊に北野村藤宮源蔵。文政十年諸国道中商人鑑に武州新座郡北野村薬師明丸藤宮源蔵。志木町宝幢寺嘉永二年地蔵尊に北野村藤宮源蔵。志木町氷川社嘉永六年碑に北野村藤宮七左衛門・藤宮惣五郎・藤宮喜代蔵・藤宮清蔵・藤宮喜三郎あり。五戸現存す。

四 入間郡久米村(所沢市) 仏眼寺享保七年六地蔵に久米村藤宮藤兵衛。安政六年藤宮家文書に久米村名主藤宮藤兵衛晃親。長久寺万延元年宝篋印塔に藤宮藤兵衛・藤宮太七・藤宮忠右衛門。明治十五年北広堂碑名簿に藤宮作造・藤宮玉吉あり。十四戸現存す。

渕村 フチムラ 浦和に存す。

藤村 フヂムラ 百済族の集落を称す。藤条参照。○群馬県佐波郡境町二十八戸。○新潟県東頸城郡浦川原村十九戸。○秋田県仙北郡田沢湖町六十二戸、中仙町十八戸、西木村十八戸。○宮城県気仙沼市百三戸。○岩手県下閉伊郡新里村二十八戸、岩手郡雫石町二十二戸、滝沢村三十五戸、二戸郡安代町二十七戸。○青森県三戸郡五戸町二十六戸、田子町十六戸、新郷村十四戸あり。

一 児玉郡御嶽城士の藤村氏 長井氏系図に「長井正実(御嶽城主)―実吉(忍成田氏に属す。従者藤村久内は坂巻陣に於て功在り)」と見ゆ。

二 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「三十俵・藤村八左衛門、六石・藤村忠兵衛、五石余・藤村八郎兵衛」あり。

三 葛飾郡蓮沼村(杉戸町) 本村香取社明和六年庚申塔に藤村七郎兵衛、天明八年庚申塔に藤村伝兵衛国信、文化元年庚申塔に藤村七蔵、天保八年塞神碑に藤村藤治郎。一戸現存す。

四 同郡清地村(杉戸町) 当村に此氏の旧家あり。六戸現存す。

五 埼玉郡新方領須賀村(岩槻市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に須賀村藤邑宇右衛門。蒲生村光明院明治三十六年碑に須賀藤村佐右衛門あり。一戸現存す。

六 同郡粕壁町 明治三十五年提灯商藤村熊右衛門あり。

七 同郡下栢間村(菖蒲町) 当村天明二年庚申塔に下栢間村藤村庄右門、天保四年馬頭尊に藤村三郎右衛門、嘉永五年庚申塔に藤村喜代七・藤村大五郎・藤村安五郎・藤村幸蔵。神明社文政十一年太子講碑に藤村庄太郎・藤村留五郎。蓮華院天保七年筆子碑に藤村保五郎・藤村留八.。諏訪社嘉永三年水鉢に藤村山三郎・藤村三郎右衛門・藤村勘右衛門。明治三十年人名録に茶製造業藤村三之助・文久二年生・地租四十円あり。十八戸現存す。

八 同郡屈巣村(川里町) 当村に此氏多く存す。普済寺享保十八年供養塔に藤村新兵衛。久伊豆社宝暦六年碑に藤村長右衛門・藤村伝兵衛・藤村七兵衛。天明元年山崎文書に字ヤハタ組頭藤村六郎兵衛。円通寺文化四年庚申塔に藤村久兵衛、天保四年庚申塔に藤村利兵衛・藤村新五兵衛。箕田村嘉永六年増島俊輔筆子碑に屈須藤村喜内。安政二年藤村四郎家文書に芝地新田名主藤村表内。安政三年剣術義集館(持田村三田文書)に屈巣村藤村信治郎。野村玉松堂万延二年入門に屈巣村藤村喜十郎。普済寺明治六年筆子碑に藤村馬五郎・藤村七之介・藤村勇造・藤村浅吉・藤村久太郎。明治九年副戸長藤村久兵衛・天保三年生。鴻巣町勝願寺明治三十五年馬頭尊に屈巣藤村勇蔵。上州榛名神社大正四年御神燈に埼玉郡屈巣村上中郷組藤村伊助・藤村卯兵衛・藤村友八郎・藤村仙太郎・藤村為五郎・東講中藤村作兵衛あり。

九 同郡笠原村(鴻巣市) 久伊豆社元文三年水鉢に藤村宗円。明治九年戸長藤村季吉・天保十年生。明治十八年最上農名簿に藤村季吉・耕宅地二十二町二反歩・山林三反歩所有。秩父神社明治二十年算額に埼玉郡笠原村藤村英道清治・藤村和吉利満。明治二十一年皇国武術英名録に北辰一刀流笠原村藤村英造。久伊豆社明治三十九年碑に藤村康之丞・藤村要吉あり。六戸現存す。

一〇 同郡羽生町 明治五年足袋職藤村熊次郎。羽生城天神社明治三十八年伊勢講碑に藤村清吉(機道具商)・藤村源蔵(青縞問屋)あり。一戸現存す。

一一 同郡行田町 明治九年副戸長藤村伊兵衛・天保七年生。明治三十五年旅館藤村光三郎あり。四戸現存す。

一二 足立郡本太村(浦和市) 浦和宿玉蔵院享和三年供養塔に本太村藤村兵右衛門あり。現存無し。

一三 同郡蕨町 和楽備神社天保三年御神燈に藤村鉄五郎あり。

一四 同郡小松原村(鴻巣市) 深井村寿命院寛政九年寄附帳に小松原村藤村半次郎あり。一戸現存す。

一五 同郡寺谷村(鴻巣市) 明治九年文書に藤村寿介・藤村喜八あり。現存無し。

一六 同郡糠田村(鴻巣市) 聖泉寺嘉永元年供養塔に藤村馬之助あり。現存無し。

一七 比企郡小川町 明治三十五年酒商藤村繁太郎あり。一戸現存す。

一八 大里郡熊谷町 明治三十五年米穀商藤村重次郎あり。三戸現存す。

一九 同郡小泉村(大里町) 常永寺寛延二年愛宕碑に藤村浅右衛門あり。三戸現存す。

二〇 児玉郡本庄町 明治四年諸井文書に仲町藤村半蔵。明治三十五年塩魚商藤村浦次郎あり。現存無し。

二一 賀美郡元阿保村(神川町) 当村明治三十年碑に当所藤村源松あり。現存無し。

二二 秩父町 横瀬村御嶽社里宮寛政十年絵馬に秩父郡大宮藤村儀兵衛倅重治郎。明治三年飲食店藤村こと、秩父神社々領萬小売商藤村重太郎あり。六戸現存す。

二三 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「上尾町・藤村悠重・三十一円、八幡村(八潮市)・藤村三次・二十円、屈巣村(川里町)・藤村卯之助・三十四円・二十三円、熊谷町・藤村重一・十二円・三十六円」あり。

藤目 フヂメ 久喜、幸手等に存す。

藤明 フヂメイ 大宮に存す。

淵元 フチモト 所沢に存す。

渕本 フチモト 浦和、鴻巣等に存す。

淵本 フチモト 蕨、越谷等に存す。

藤元 フヂモト 秋田県仙北郡角館町十四戸、岩手県釜石市十八戸、青森県北津軽郡金木町二十四戸あり。

一 幡羅郡国済寺村(深谷市) 当村に此氏の旧家あり。藤元氏九戸、藤本氏四戸現存す。

藤本 フジモト 下(もと)は浦の意味。百済族海洋民の集落を称す。藤条参照。○群馬県桐生市六十戸。○山梨県南都留郡秋山村二十戸、大月市二百二十戸。○長野県上水内郡信濃町二十九戸、飯田市百三戸。○秋田県仙北郡太田町二十戸。○岩手県岩手郡雫石町三十戸、二戸郡浄法寺町二十一戸。○青森県東津軽郡蓬田村二十三戸、北津軽郡中里町三十戸、西津軽郡木造町五十戸、南津軽郡藤崎町四十二戸、青森市百二十戸。○島根県那賀郡旭町二十七戸。○鳥取県東伯郡東伯町二十四戸、気高郡気高町二十四戸あり。

一 清久氏家臣の藤本氏 埼玉郡上清久村字藤本(久喜市)より起る。本名川田氏なり。清久村郷土誌に「清久次郎根拠を此処(清久城)に定むるや、その臣瀬田五郎をして加吾宿(水深村)の地を、藤本太郎をして藤本の地を、小河原某をして赤旗(下清久村)の地を開かしむ。元弘三年北条氏滅亡するや清久氏また亡びて、瀬田・藤本・小河原等皆農に帰す。川田某は藤本太郎の後にして、その差料と称する刀剣を伝る」。

二 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「金一枚三人扶持・本国近江生国越後・藤本権左衛門・四十六歳」あり。

三 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・藤本与四郎」あり。

四 葛飾郡深井新田(吉川市) 六社神社天明四年庚申塔に藤本宗八、文久元年庚申塔に藤本国蔵、明治四十年碑に藤本治三郎・藤本久蔵あり。二戸現存す。

五 埼玉郡北根村(川里町) 明治二十二年医師藤本清志あり。現存無し。

六 浦和町 明治三十五年生魚乾物商藤本新吉あり。

七 大宮町 明治三十五年呉服商藤本久次郎あり。

八 鴻巣町 明治四年旅籠屋藤本みつ。

九 吹上村 熊谷町高城神社天保十二年紺屋碑に吹上藤本林之助。大芦村氷川社明治三十一年碑に藤本林之助。吹上神社明治四十三年碑に藤本権兵衛あり。一戸現存す。

一〇 所沢町 本郷村東福寺明治九年水鉢に所沢宿一番組藤本与三郎。

一一 高麗郡野田村(入間市) 山王塚寛文十二年庚申塔に加治之内野田村藤本七兵衛あり。一戸現存す。

一二 同郡脚折村(鶴ヶ島市) 明治二十年規約に藤本栄明あり。四戸存す。

一三 比企郡上伊草村(川島町) 横沼村天保七年馬頭尊に上伊草村藤本岩右衛門あり。現存無し。

一四 幡羅郡柴崎村(深谷市) 深谷町呑龍院明治四十五年馬頭尊に深谷観音講藤本理三郎・藤本彦太郎・藤本漣あり、当村住人か。十一戸存す。

一五 児玉郡関村(美里町) 明治十二年塩谷文書に関村旧修験藤本仕あり。現存無し。

一六 同郡下阿久原村(神泉村) 招魂社明治三十九年碑に藤本昇三郎あり。現存無し。

一七 秩父郡栃谷村(秩父市) 明治九年副戸長藤本源次・文政五年生あり。現存無し。

一八 同郡小鹿野町 明治三十五年青物商藤本治作・藤本峯儀。現存無し。

藤茂登 フヂモト 富士見に存す。

藤盛 フヂモリ 川口、大宮、鴻巣、新座、川越、富士見、岩槻、南河原等に存す。秋田県大館市百戸あり。

藤森 フヂモリ ○山梨県北巨摩郡長坂町二十六戸、大泉村九十戸。○長野県小県郡丸子町三十二戸、諏訪郡下諏訪町百六戸、上伊那郡箕輪町三十四戸、岡谷市百七十戸、諏訪市七百六十戸、茅野市百十戸、松本市二百二十戸。○岩手県東磐井郡大東町二十八戸。○青森県五所川原市百十六戸あり。

一 葛飾郡清地村(杉戸町) 近津神社明治十六年御神燈に藤森長次郎。明治三十五年杉戸町豆腐商藤森三蔵あり。三戸現存す。

二 埼玉郡下蛭田村(春日部市) 当村明治十二年浅間碑に藤森甚吾・藤森巳之助。明治四十一年古峰院碑に下蛭田藤森甚五郎あり。一戸現存す。

三 入間郡岩井村(毛呂山町) 出雲伊波比神社御神燈に「安永八年・毛呂郷平山村前組講藤森弥右衛門、後刻明治三十三年子孫平山前組藤森国吉」あり。三戸現存す。

四 同郡鹿下村(越生町) 和田村石井家手習帳に弘化五年・鹿下村藤森吉太郎。成瀬村見正寺明治初年筆子碑に鹿下村藤森吉太郎あり。一戸存す。

五 榛沢郡榛沢村(岡部町) 用土村明治十三年仙元碑に元榛沢村藤森兼吉あり。現存無し。

六 本庄町 明治三十五年裁縫業藤森吉太郎あり。一戸現存す。

藤谷 フヂヤ 入間郡龍ヶ谷村字藤谷あり。各市町村に存す。○山形県西田川郡温海町十二戸。○秋田県平鹿郡大雄村十戸、雄勝郡稲川町十六戸、雄勝町二十四戸、仙北郡六郷町十五戸、横手市四十戸、大曲市四十戸。○青森県上北郡野辺地町三十三戸あり。フヂタニ参照。

藤屋 フヂヤ 大宮、八潮、川越、日高、本庄等に存す。

藤保 フヂヤス 三郷に存す。

淵柳 フチヤナギ 川口に存す。

藤谷淵 フヂヤブチ 秩父郡藤谷淵村(長瀞町)あり、藤矢淵とも書く。

一 丹党藤矢淵氏 藤谷淵村より起る。武蔵七党系図に「岩田七郎政広(右大将家御代人)―岩田二郎政信(藤矢淵)―二郎兵衛尉広高―二郎広茂、弟高氏(兄高政、弟経高)―五郎二郎実行(弟宗行)―弥二郎某。広高の弟藤矢淵七郎直行―七郎二郎泰直―彦二郎春氏―孫二郎政直、泰直の弟三郎直信―三郎二郎直元(弟常陸隆承)、直信の弟五郎高直―弥五郎信光、高直の弟六郎広直―二郎直政、広直の弟伊予坊覚心―七郎行政、覚心の弟七郎家国(弟八郎政氏)―七郎三郎直家(弟家行)―小七郎某」と見ゆ。

二 藤矢淵氏流畑氏 秩父郡誌に「畑時能は藤矢淵氏の出なりと称せらる」。野上町郷土史年表に「藤矢淵村の村田氏の祖は畑時能といわれる」と見ゆ。藤矢淵氏の本名は村田氏であろう。但し、畑六郎左衛門時能は信濃国出身の本名所氏なり。畑条参照。

三 木挽職藤谷淵氏 藤谷淵村住人にて苗字にあらず。榛沢郡小前田村長善寺寛保三年棟札に木挽秩父藤谷淵武左衛門・同善五郎・同善六あり。

渕山 フチヤマ 川口に存す。

淵山 フチヤマ 川口、浦和等に存す。

藤山 フヂヤマ 古代朝鮮語で山は村の意味。百済族の集落を藤山と称す。埼玉郡埼玉村字藤山、入間郡藤馬村字藤山、秩父郡皆谷村字藤山あり。各市町村に存す。山形県天童市二十八戸、秋田県湯沢市二十四戸、鳥取県米子市三十六戸あり。

一 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御老体・百石・前橋取立・藤山氏太郎、御馬廻・百石・前橋取立・氏太郎倅藤山勝五郎」。

二 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御勘定人・六石余二人扶持・藤山新左衛門・四十七歳」あり。

三 足立郡鳩ヶ谷町 明治三十五年穀酒商大和屋藤山友七あり。

四 同郡蕨宿 正蔵院元禄十五年庚申塔に藤山伊兵衛あり。

五 同郡鴻巣町 箕田観音堂明治四十年馬頭尊に鴻巣宿藤山作兵衛あり。

六 同郡糠田村(鴻巣市) 氷川社文政元年庚申塔に糠田邑藤山初五郎、明治十一年浅間碑に藤山清佐、明治四十三年御神燈に宮下組藤山作兵衛あり。二戸現存す。

七 秩父郡小鹿野町 明治三十五年茶商藤山マサあり。一戸現存す。

藤生 フヂュウ 大宮、吹上、越谷、川越等に存す。○群馬県新田郡笠懸町五十戸、藪塚本町三十三戸、佐波郡赤堀町三十三戸、桐生市三十五戸あり。フヂウ、フヂオ参照。

府中 フチュウ 大宮、北本、鳩ヶ谷、春日部、越谷、所沢等に存す。福島県田村郡三春町七戸あり。

藤幸 フヂユキ 川越に存す。

藤吉 フヂヨシ 各市町村に存す。

藤好 フヂヨシ 大宮、上尾、草加、春日部、岩槻、越谷、新座等に存す。

藤来 フヂライ 川口、所沢等に存す。茨城県那珂郡山方町十二戸あり。

藤和 フヂワ 川口に存す。

藤若 フヂワカ 深谷に存す。

渕脇 フチワキ 草加、鴻巣等に存す。

淵脇 フチワキ 新座、所沢等に存す。

藤脇 フヂワキ 越谷に存す。

藤渡 フヂワタリ 上尾、春日部に存す。

藤原 フヂワラ 百済(くだら)は管羅(くだら)と書き、管羅(つつら)と読み、葛(つつら、つづら)の佳字を用いる。原は古代朝鮮語の村の意味。百済族の集落を葛原(フヂハラ)と称し、藤原の佳字を用いる。葛ノ(フヂノ)、藤ノは藤原と称された。古代備前国に藤野県あり、養老五年に藤原郡と称し、神亀三年に藤野郡と改め、神護景雲三年に和気郡となり、和名抄に和気郡藤野郷(岡山県和気町)を載せ、布知乃と註す。また、葛野(かどの)と称し、和名抄に山城国葛野郡葛野郷を載せ、加度乃(かどの)と註す。京都府右京区太秦の地で秦族の渡来地である。葛野郡の桂川(かつらがわ)は葛野(かつらの)より称し、古くは葛野川(かどのがわ)と称した。日本書紀・応神天皇六年二月条に、葛野川流域の宇遅野(宇治市)で天皇が詠んだ「千葉の、葛野を見れば、百千足る、家庭も見ゆ、国の秀も見ゆ」という国ほめの歌が見られる。千葉は葛野にかかる枕詞で、藤原族は千葉氏を名乗る者が多く、桓武平氏千葉氏は藤原部の首領である。奥州には藤原氏、千葉氏が同じ居住地に多く存す。入間郡黒山村字藤原、秩父郡下日野沢村字藤原、大野村字藤原あり。○神奈川県足柄上郡山北町三十六戸。○長野県東筑摩郡明科町三十四戸、南安曇郡穂高町百八戸、豊科町三十戸。○新潟県西蒲原郡弥彦村四十戸。○福島県伊達郡川俣町七十六戸。○岩手県東磐井郡千厩町三十九戸、大東町五十戸、上閉伊郡大槌町百十七戸、稗貫郡石鳥谷町百七十五戸、大迫町百四十六戸、和賀郡湯田町四十戸、沢内村三十八戸、岩手郡滝沢村五十八戸、西根町七十戸、紫波郡紫波町二百十六戸、矢巾町二百三十五戸、釜石市二百四十戸、花巻市三百四十戸、北上市百九十戸。○秋田県平鹿郡十文字町六十四戸、平鹿町百五十戸、増田町六十五戸、山内村四十九戸、雄勝郡稲川町百二十戸、羽後町二百五十戸、雄勝町六十七戸、皆瀬村四十戸、仙北郡角館町百四十戸、太田町三十三戸、田沢湖町八十二戸、中仙町六十六戸、西仙北町五十戸、河辺郡河辺町四十戸、南秋田郡昭和町四十九戸、天王町百四十六戸、北秋田郡鷹巣町四十戸、比内町六十戸、山本郡琴丘町三十四戸、山本町三十戸、横手市百五十戸、湯沢市二百戸、大館市百四十戸、秋田市五百戸。○鳥取県八頭郡若桜町三十五戸、用瀬町三十戸、智頭町八十戸、鳥取市百七十八戸あり。出雲地方はフヂハラと称す。

一 藤原鎌足 天武天皇が鎌足の娘・藤原夫人に賜った歌(万葉集一〇三)に「わが里に大雪降れり大原の古りにし里に落らまくは後」とある。藤原夫人は大原夫人とも称し、大原(おはら)は奈良県高市郡明日香村大字小原(おはら)なり。多武峰縁起に「大織冠鎌足、推古天皇二十二年八月十五日、大和国高市郡大原の藤原第に生る」と見ゆ。小原村の法光寺(明治維新廃寺)は中臣寺・藤原寺とも称し、古跡として藤原宮跡がある。扶桑略記・持統天皇八年十二月条に「天皇遷幸藤原宮。大和国高市郡鷺栖坂地是也」。鷺栖は橿原市醍醐町に比定し、当所より高殿町にまたがり史跡藤原宮跡がある。持統八年(六九四)藤原遷都より以前の允恭天皇七年十二月条に皇后衣通郎姫が雄略天皇を産む時に「即ち別に殿屋を藤原に構へて居り給ふ。適々大泊瀬天皇を産み給ふ夕、天皇・始めて藤原宮に幸し給ふ」と見え、皇后の為に藤原部を定めた。此の藤原宮は小原村附近か。橿原市東部から明日香村北部にかけて藤原と称し百済族の居住地なり。皇極四年六月条に、中臣鎌足が鞍作臣蘇我入鹿暗殺直後に古人大兄皇子(天智天皇の兄)が言った「韓人、鞍作臣を殺す」と見ゆ。鎌足は韓人、即ち百済族であった。鎌足は大化改新の功により天智八年に藤原氏を賜う。

一 葛飾郡杉戸町 愛宕社慶応三年碑に藤原重次郎あり。

二 埼玉郡粕壁町 東八幡社天保十五年庚申塔に新々田藤原嘉右衛門、内谷藤原銀蔵。真蔵院弘化四年碑に藤原仙蔵。春日部八幡社明治三十二年御嶽碑に藤原定八.。明治三十五年荒物商藤原久次郎あり。

三 同郡久喜町 明治四年久喜新町五人組帳に藤原識之一・藤原倉吉あり。

四 同郡町屋新田(加須市) 当村文化三年巡拝塔に藤原与七.。菊地家筆子控に安政四年・道木沼村半次郎倅藤原薫太郎、慶応二年・道木沼村藤太郎弟藤原牛五郎、藤太郎弟藤原四郎次、慶応四年・町屋新田熊太郎倅藤原道三郎あり。五戸現存す。

五 足立郡岸村(浦和市) 起志乃天神社碑に「当天満宮者永仁六年七月十八日藤原朝臣忠勝自京都北野勧請」とあり。当村名主青山氏先祖か。

六 同郡鴻巣宿 雛人形の元祖にて京仏師なり。雛人形製造沿革誌(関口松五郎文書)に「天正年間京都伏見の人某なる者、此地に居住し土偶を製して販売せしに始まる」。生出塚神社貞享四年天神像銘に「奉造天神之形像諸願成就祈所、京烏丸通左京法眼孫弟子仏師藤原吉国鴻巣町作之」。鴻神社明治十五年御神燈に藤原新造。明治三十五年乾物商大阪屋藤原新蔵・酒商藤原茂兵衛。昭和三年興信録に「藤原清助・所得税六十四円・営業税七十円、藤原茂兵衛・所得税十七円・営業税四十二円」あり。市内に九戸現存す。

七 高麗郡飯能町 明治十四年文書に藤原甚蔵あり。

八 大里郡熊谷町 明治三十五年米穀商藤原七太郎。昭和三年興信録に「藤原たま・所得税百二十円・営業税百十二円」あり。

九 秩父郡金崎村(皆野町) 国神神社明治三十四年碑に当所藤原彦太郎あり。一戸現存す。

一〇 同郡上日野沢村(皆野町) 寛保三年香具仲間連名帳に日野沢村藤原鳥蔵。国神神社明治三十四年碑に上日野沢村藤原鳥蔵あり。現存無し。

一一 同郡下日野沢村(皆野町) 小名藤原あり。旧家にて三戸現存す。

一二 同郡下吉田村 金剛院明治三十年筆子碑に藤原万平あり。二戸存す。

一三 同郡小鹿野町 明治二十年上二丁目藤原平吉あり。現存無し。

藤原部 フヂワラベ 允恭天皇十一年三月条に天皇は妃の衣通郎姫の居住地大和国高市郡藤原の地名によりて、姫の為に御名代部の藤原部を定める。此の部は、その後、天平宝字元年に「自今以後、藤原部姓を改めて、久須波良部と為す」とあり。此れ以後は葛原部(くずはらべ)と称す。百済族を用いる。

一 下総国相馬郡の藤原部 大ノ国(後の百済)の渡来人集落を邑(おお)・邑保(おお、おほ)・意布(おお、おふ)と称す。オオ条参照。下総国倉麻郡意布郷養老五年戸籍(正倉院文書)に「○戸主少毅大初位下藤原部直白麻呂年四十三歳、妻藤原部直弥古売年四十五歳、男藤原部直五百瀬麻呂年二十二歳嫡子、男藤原部直瀬麻呂年十八歳嫡弟、男藤原部直真爾瀬年十七歳、男藤原部直多爾波年六歳、男藤原部直枳美麻呂年二歳、男藤原部直宜年十六歳妾子、男藤原部直高蟲年十一歳、合口九。○戸藤原部黒栖年三十四歳・戸主藤原部伊良都従父弟、母藤原部若由売年六十一歳、妻藤原部波真古売年五十歳、男藤原部安麻呂年五歳嫡子、占部宮麻呂年十歳・波真古売先夫男、妹藤原部金売年三十三歳、妹藤原部小金売年二十九歳、従父兄藤原部犬麻呂年五十三歳、合口八.。○戸主藤原部諸忍年四十八歳、妻藤原部伊良売年五十三歳、男藤原部得麻呂年二十一歳嫡子、男藤原部犬麻呂年十二歳嫡弟、女藤原部小刀自売年十七歳嫡女、妹藤原部富曽売年四十七歳、従子藤原部麻呂年二十四歳、妹藤原部真目乃古売年二十一歳、妹藤原部真乃古売年十七歳、合口九.。○戸藤原部小諸年四十二歳・残疾・戸主藤原部諸忍弟、妻土師部与佐売年三十八歳、男藤原部足島年五歳嫡子、女藤原部手子売年十七歳嫡女、女藤原部阿由売年十二歳、女藤原部□□□、□□□□□□、妹藤原部弟売年九歳、甥藤原部得麻呂年十九歳、合口九.。○戸主藤原部金弟年四十六歳、母藤原部若売年七十六歳、妻藤原部伊良売年四十三歳、妾大伴部伎奴古売年三十四歳、男藤原部宇麻呂年七歳嫡子、男藤原部安麻呂年三歳嫡弟、男藤原部赤麻呂年二歳、男藤原部鳥麻呂年一歳、女藤原部桜売年十二歳嫡女、女藤原部小桜売年十歳、女藤原部真桜売年三歳、従子藤原部伊奈波年二十八歳、男藤原部呰麻呂年五歳嫡子、従子藤原部小山年二十三歳、女藤原部白売年一歳、弟藤原部奈弥志麻年十八歳、妻藤原部奈爾母売年十七歳、奴古猿年五歳、婢黒売年三十九歳、婢佐留売年九歳、合口二十.。○戸藤原部結年五十五歳・戸主藤原部金弟従父弟、妻大伴部佐加売年五十六歳、女大伴部□□売年□□歳、合口三.。○戸主藤原部麻呂年十七歳、姉藤原部久志利売年二十四歳、外従父兄藤原部兄支年三十三歳、弟藤原部弟支年三十三歳、妹藤原部真屋売年三十三歳、合口五.。○戸藤原部黒栖年二十五歳・戸主藤原部麻呂従父兄、甥藤原部小足年十七歳、妹藤原部弟由良売年二十五歳、甥藤原部徳足年三十二歳、妹藤原部止許売年三十歳、合口五.。○戸藤原部□□□□□、男藤原部□□年十八歳、男藤原部□□年十五歳、男藤原部真足年十七歳妾子、合口四.。○戸藤原部□□□□□、女藤原部□桜□年十二歳、婦藤原部真桜売年二十八歳・得麻呂妻、孫藤原部麻呂年一歳、□□□□□七歳、□□□□□二歳、□□□□□、合口□。○戸藤原部□□□□、□□□□□、合口□。○戸藤原部□□□□、合口□。□□□□□、合口□」とあり。十三戸の村落である。また、天平宝字六年正倉院文書「下総国相馬郡大井郷戸主矢作広万呂戸口久須原部広島、同国郡邑郷戸主久須原部音戸口」。「下総国相馬郡邑郷戸主久須原部音戸口、同国郡邑保郷久須原部広島」と見ゆ。我孫子市出土の墨書銘に「意布郷」。「泉久須波良部尼刀女、久須波良部千依女」の文字が発見された。意布郷泉村は相馬郡泉村(東葛飾郡沼南町大字泉)か。大井郷は沼南町大字大井か。手賀沼一帯の相馬御厨は後世千葉氏相伝の所領にて、千葉氏は此の地が発祥地なり。千葉条参照。

二 葛飾郡の藤原部 下総国葛飾郡大島郷養老五年戸籍(正倉院文書)に「戸主孔王部比都自の妻藤原部奈為売」と。前項の一族か。大島郷は杉戸町附近なり。アナホベ条参照。

三 埼玉郡の藤原部 万葉集巻二十に「天平勝宝七年、武蔵国埼玉郡上丁藤原部等母麻呂・妻物部刀自売」と。

布津 フツ 川越に存す。

仏井 ブツイ 草加に存す。

佛川 ブッカワ 越谷に存す。岩手県花巻市十四戸あり。

吹越 フッコシ 青森県上北郡東北町九十六戸あり。フキコシ参照。

福生 フッサ 草加に存す。

佛坂 ブッサカ 川越に存す。

仏子 ブッシ 高麗郡仏子村(入間市)あり、北条氏康判物に仏師村と見ゆ。

佛常 ブッツネ 熊谷に存す。

風戸 フット 秩父郡下日野沢村字風戸あり。

仏戸 ブット 入間郡金子郷峰村字仏戸、高麗郡双柳村字仏戸あり。

風洞 フットウ 那賀郡秋山村枝郷風洞分(児玉町)あり。

風殿 フットノ 秩父郡伊豆沢村風殿。

風渡野 フットノ 足立郡風渡野村(大宮市)あり。

蓬原 フッハラ 大宮、越谷等に存す。

仏原 ブッハラ 大宮に存す。

風張 フッパリ カザハリ参照。

一 幡羅郡永井太田村(妻沼町) 小名風張(かざはり)より起る。当所堀江家譜に「風張平右衛門(元禄九年没)」と見ゆ。本名堀江氏なり。

吹張 フッパリ 小名吹張は、足立郡下上谷村、中曽根村、入間郡堀ノ内村、南田島村、比企郡上小見野村、榛沢郡人見村等にあり。

風布 フップ フウプ参照。

筆 フデ 所沢、杉戸、行田等に存す。

筆坂 フデサカ 上福岡に存す。

筆塚 フデヅカ 所沢に存す。

筆保 フデホ 蕨、所沢等に存す。

筆谷 フデヤ 川口、狭山、岩槻等に存す。島根県松江市八戸あり。

筆矢 フデヤ 狭山に存す。

筆山 フデヤマ 川越、秩父等に存す。

筆脇 フデワキ