埼玉苗字辞典
キ〜ケ

木 キ 百済国八大姓の内に「木氏」あり、紀とも書き、此の渡来集団は「木の国」へ上陸し、紀伊国とも称した。

一 志木町 明治三十五年仕立屋木民蔵あり。

喜 キ 三芳に存す。

私 キ キサイ条参照。

黄 キ コウ条参照。

紀 キ 紀は紀伊とも称し、紀伊国造の武内宿祢の後裔は紀姓を名乗る。キノ参照。

一 紀姓春日部氏 春日部条参照。

二 比企郡野本村の紀氏 下野本村(東松山市)無量寿寺鐘銘に「野本寺、右、紀忠清并橘氏女、為大施主、建長六年二月十五日」の銘あり。八幡社を勧請したときに、石清水八幡宮祠官の紀姓田中氏の一族・或は其の配下の者が下向するか

三 比企郡岩殿村の紀氏 風土記稿岩殿村(東松山市)条に「観音堂の鐘銘に『武州比企郡岩殿寺、元亨二年卯月九日、助成、沙弥道阿、藤原氏女、紀重□、紀弘吉』と」見ゆ。

四 浅羽氏の妻紀氏 報恩寺年譜に「元亨四年十月二日、入西郡岩田下村云々、浅羽兵庫太郎盛秀・妻紀氏」とあり。

五 由良氏の妻紀氏 上野国紀姓大谷道海の娘にて、長楽寺文書に「元徳四年三月十九日、由良孫三郎景長妻紀氏女、氏女之親父道海」と見ゆ。大谷条参照。

木井 キイ 川越、富士見、岩槻、上尾、大宮に存す。鳥取県米子市八戸あり。

喜井 キイ 狭山、加須、越谷、戸田、大宮、鴻巣等に存す。

城井 キイ 入間、所沢、大宮等に存す。

記伊 キイ 坂戸、嵐山等に存す。

紀伊 キイ 浦和、上尾、久喜、三郷に存す。青森県下北郡佐井村七戸あり。

一 平姓豊島氏流紀伊氏 豊島系図に「豊島権守清光―右馬允朝経―権守有経(頼朝公治世補紀伊国三上荘地頭職)」と。吾妻鑑建久元年条に「八条院紀伊国三上荘、関東補任地頭豊島権守有経」と見ゆ。有経は名草郡三上庄の地頭となり、紀伊権守を名乗る。文治五年条に「頼朝の随兵に紀伊権守有経」と見え、、子孫は紀伊氏を称す。吾妻鑑卷三十一に「嘉禎二年八月四日、紀伊次郎衛門尉は将軍頼経に供奉す」。卷三十二に「紀伊次郎兵衛尉」。卷三十四に「仁治二年五月十日、紀伊五郎兵衛入道寂西・同七左衛門尉重綱は、陸奥国小田保の追入・若木両村(宮城県桃生郡河南町)をめぐり相論す」。大和古寺大観に「大和国当麻寺の曼荼羅厨子の結縁に平重綱」と見ゆ。卷三十五に「紀伊二郎左衛門尉」。卷三十七に「寛元四年十二月二十八日、紀伊七郎左衛門尉重経は丹後の所領を没収される」。卷四十一に「建長三年八月十五日、紀伊四郎左衛門尉と紀伊五郎左衛門尉為経は将軍頼嗣に供奉す」。卷四十三に「紀伊次郎左衛門尉為経は頼嗣に供奉す」と。以下為経の名は頻繁に見ゆ。

二 毛呂氏の外孫紀伊氏 吾妻鑑卷三十四に「仁治二年四月二十九日、毛呂五郎入道蓮光は紀伊国三上荘の狼藉人政所二郎高氏を預かっていて逃亡させてしまった。これは孫の深利五郎為経の落度であると云ふ」。。深利為経と紀伊為経は同人か。

 

喜一 キイチ 忍城士にて、成田分限帳に「九貫文・喜一式部」あり。

紀伊野 キイノ 川越に存す。

紀伊国 キイノクニ 吉川に存す。

紀伊國 キイノクニ 鶴ヶ島に存す。

喜入 キイリ 入間、所沢、東松山、吹上等に存す。

木色 キイロ 島根県(出雲国)大原郡木次町八戸あり。

木上 キウエ 狭山、大宮等に存す。

木植 キウエ 浦和、日高等に存す。茨城県東茨城郡小川町二十一戸あり。

木内 キウチ ○群馬県利根郡新治村二十五戸、沼田市三十九戸。○茨城県那珂郡瓜連町三十五戸、稲敷郡東町三十九戸、鹿島郡神栖町三十五戸、波崎町二十五戸、日立市五十戸。○千葉県海上郡海上町七十戸、香取郡小見川町百十戸、神崎町三十戸、下総町二十八戸、山田町百六十戸、印旛郡酒々井町二十戸、富里町二十戸、佐原市百五十戸、銚子市七十戸、成田市五十戸。○山梨県南巨摩郡南部町百四戸。○長野県北佐久郡御代田町二十四戸、南佐久郡臼田町三十五戸、佐久町四十四戸、佐久市三百五十戸、小諸市四十三戸あり。キナイ、キノウチ参照。

一 千葉氏族木内氏 下総国海上郡木内庄(小見川町大字木内)より起る。近村の田部村・川上村(山田町)を本拠地とす。香取郡志に「木内氏宅址は、川上隆星院の地なり。元亨中、木内大和守胤光・田部より移り住す」と。また、一族は印旛郡弥富村(佐倉市弥富小学校附近)に移住す。また、武蔵国石浜城(東京浅草)に移る者あり。小田原記に「天正二年、千葉次郎・幼少なればとて与力の侍、並びに石浜の城を木内上野に預けらる。上野討死の後は、子息木内宮内少輔支配あり」と。小田原所領役帳に「木内宮内少輔(千葉家の一族にして同家の老臣なり)、十二貫四百八十文・江戸石浜今津(浅草いまどの辺)、四十五貫文・葛西堀内、以上五十七貫四百八十文」と見ゆ。是は在名にて苗字にあらず。日蓮宗小金本土寺過去帳(松戸市)に「道永・木内美濃守。高暹尼・木内下野守母儀。木内下野守・福徳元辛卯年六月二十一日。常泉入道・木内二郎左衛門・文明五年三月上総山口にて。木内宮内少輔・十二月二十七日討死。木内孫三郎殿・明応五年六月二十六日死。法道・弥富木内周防守・文禄三年正月二十三日」あり。日蓮宗信徒以外の者は此の一族とは無関係なり。

二 千葉氏家臣の木内氏 風土記稿足立郡大田窪村(浦和市)条に「天正年中に、下総の国主千葉介国胤の家臣木内右衛門をして、当地の堀の内に於て陣屋を構へてここに居らしむ」と見ゆ。六項参照。

三 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御賄方・七両四人扶持・木内郷右衛門」あり。

四 幸手宿 神明社安永三年庚申塔に木内牧金。裏町天神社神像再興記に「幸手裏町木内利兵衛・文化五年正月再興」と。明治四年田口文書に牛村組頭木内利兵衛。明治三十五年人力車業木内庄八あり。

五 岩槻町 明治三十年所得税下調査簿に岩槻町白木綿商木内庄太郎・反別二町四反歩・地租十八円あり。

六 足立郡植田谷領宿村(浦和市) 小田原所領役帳に「千葉殿、十貫文・上足立内野郷、三貫文・同大窪村、一貫文・同大多窪」と。宿村名主木内氏は、遠祖木内兵馬が下総国香取郡木内村出身にて千葉氏に仕え、その後裔が千葉氏所領の足立郡大窪郷代官として来住すと。香取郡出身の苗字であろう。初代木内五郎右衛門・慶長十九年没、三代三郎左衛門および十代源七の時にそれぞれ分家を出し、現当主木内五郎氏は十八代目と伝える。鈴谷村妙行寺安永十年供養塔に植田谷領宿村木内久兵衛。観音寺は木内氏の開基にて、寛政十一年地蔵尊に木内兵蔵・木内順蔵。大久保神社天保四年水鉢に木内久内、弘化三年御神燈に木内久兵衛、慶応三年御神燈に木内源蔵。与野町安政六年中村文書に宿村木内藤右衛門。円阿弥村日枝社慶応二年算額に宿村木内鍵蔵。志木町敷島社明治五年御神燈に宿村木内栄蔵。明治九年副戸長木内増蔵・天保十一年生、副戸長木内順蔵・天保九年生。岸町日蓮宗円蔵寺明治十四年顕妙塔に木内増蔵・木内菊二郎、当村住人か。白鍬村慶福寺明治十五年敷石碑に宿村木内順蔵・木内増蔵。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流宿村木内栄次郎。明治二十六年与野町長伝寺文書に宿村木内嘉一・木内耕之助・木内栄蔵。大久保神社明治三十年碑に木内慎吉・木内泰蔵・木内国太郎・木内又次郎・木内種吉・木内康治・木内喜代次郎・木内久蔵・木内源蔵あり。六戸現存す。

七 同郡植田谷本村新田(浦和市) 明治九年副戸長木内慎吉・安政四年生(北足立郡会議員、県会議員)。明治二十九年地租二百五十円以上大地主名簿に大久保村木内慎吉。県会議員木内康治・明治八年生。昭和三年興信録に大久保村・木内泰蔵・所得税二十七円あり。前項参照。

八 同郡植田谷領領家村(浦和市) 日枝社明治三十三年碑に領家・木内平蔵あり。三戸現存す。

九 同郡植田谷領五関村(浦和市) 稲荷社明治三十年碑に木内金太郎、明治期碑に木内源治郎あり。二戸現存す。

一〇 新座郡宮戸村(朝霞市) 浜崎村観音堂明治三十四年筆子碑に宮戸・木内磯七あり。

一一 入間郡水子村(富士見市) 当村に此氏多く存す。天保六年般若院講中(水宮文書)に「水子村三組世話人木内民右衛門、下組・木内熊次郎・木内亀五郎・木内富五郎・木内吉蔵・木内弥兵衛・木内徳次郎・木内清七・木内長蔵・木内庄蔵」。八幡社慶応元年水鉢に下組木内又五郎・木内新五郎。明治元年林文書に字神明村木内弥左右衛門。志木町敷島社明治五年不動尊に下水子・木内中次郎。明治五年建具職木内新五郎・木伐職木内忠次郎・質屋木内又五郎。引又河岸跡明治十三年水神講に水子村木内繁次郎。大応寺二十五年碑に木内末吉・木内弥左衛門・木内為蔵・木内柳三郎・木内富右衛門・木内弥五蔵・木内友右衛門・木内繁蔵・木内浜吉・木内信吉あり。

一二 同郡東明寺村(川越市) 土豪にて、代々名主なり。日蓮宗川越行伝寺過去帳に「妙秀・木内殿内ノ三右衛門内。妙行・木内。道清・木内藤七郎・寅年四月。栄作・木内殿内ノ父・午年正月。道最・木内。妙久・木内殿内方・申年十月。妙言・木内殿衆甚助母・巳年七月」。江戸初期なり。慶応二年南入曽村志村文書に東明寺村名主木内右内。川越氷川社明治三十三年玉垣碑に木内良助(寺井村)。明治三十五年川越町車製造木内幸次郎あり。

喜内 キウチ 春日部に存す。

城内 キウチ 浦和、狭山、所沢、蕨等に存す。キノウチ、シロウチ参照。

紀内 キウチ 浦和に存す。

鬼海 キウミ 蓮田、伊奈に存す。山形県寒河江市十八戸あり。キカイ参照。

黄海 キウミ 川口、上尾、志木等に存す。宮城県栗原郡志波姫町十一戸、若柳町十戸あり。

木浦 キウラ 埼玉郡長宮村(岩槻市)庚申塚天明五年庚申塔に木浦庄右衛門。香取社寛政六年金比羅講碑に木浦六兵衛、文化元年庚申塔に木浦七左衛門。増長村観秀院安政二年供養塔に長宮村上組木浦長四郎・木浦佐兵次あり。一戸現存す。

木売 キウリ 葛飾郡木売村(吉川市)西光院親鸞聖人坐像銘に「天正十五年霜月十一日、木売川戸村西光院」と見ゆ。

木賣 キウリ 上尾に存す。

木岡 キオカ 所沢、浦和、大宮、草加、久喜、熊谷等に存す。

木賀 キガ 大宮、北本、鳩ヶ谷、草加、越谷、春日部、本庄、大井、上里等に存す。新潟県中頚城郡妙高村二十一戸あり。

木我 キガ 川越、大井、小川、春日部等に存す。群馬県北群馬郡子持村五戸、長野県上水内郡牟礼村七戸、新潟県刈羽郡小国町六戸、柏崎市八戸あり。

気賀 キガ 行田、白岡等に存す。

儀賀 ギガ 朝霞、与野等に存す。

亀開 キカイ 川俣氏は埼玉郡川俣村(羽生市)に城を築き、亀開城と称す。川俣条参照。

鬼海 キカイ 熊谷、幸手等に存す。キウミ参照。

木影 キカゲ 岩手県岩手郡岩手町五戸あり。

木傘 キガサ 足立郡大崎村及び玄蕃新田に木傘明神社あり。

気賀沢 キガサワ 所沢、春日部、上尾等に存す。長野県駒ヶ根市六十五戸あり。

気賀澤 キガサワ 草加に存す。

氣賀澤 キガサワ 越谷、北本に存す。

木賀田 キガタ 行田、八潮、新座に存す。長野県上水内郡牟礼村八戸あり。

木金 キガネ 川越町氷川社明治十七年碑に木金長次郎あり。現存無し。

木釜 キガマ 足立郡下上谷村字木釜、上谷村字木釜あり。

木上 キガミ 大宮、飯能、菖蒲に存す。

一 忍藩阿部氏家臣 忍藩享保八年軍役帳に「三両余二人扶持・木上半六」あり。

樹神 キガミ 明治三十五年浦和町印判師浦和堂樹神角太郎。現存無し。

木川 キカワ 茨城県新治郡霞ヶ浦町八戸、千葉県山武郡芝山町五十五戸、香取郡多古町四十五戸、長野県茅野市二十五戸、山形市四十戸、青森県黒石市十五戸あり。

一 浦和町 明治三十五年古物商木川春吉あり。

二 入間郡扇町谷村(入間市) 笹井村宗源寺文書に「弘化四年、観音堂へ大般若経寄進、扇町谷村木川三右衛門」あり。

木河 キカワ 日高、東松山、越谷等に存す。

吉川 キカワ 秋田県仙北郡仙南村六戸、大曲市二十四戸あり。

鬼川 キカワ 杉戸に存す。秋田県仙北郡田沢湖町十五戸あり。

城川 キカワ 所沢に存す。シロカワ参照。

紀川 キカワ 入間に存す。

木川田 キカワダ 川口、大宮、上尾、鳩ヶ谷、志木、松伏、越谷、川越等に存す。宮城県栗原郡築館町八戸、志波姫町八戸、高清水町七戸、登米郡南方町十八戸、岩手県気仙郡三陸町十七戸あり。

黄川田 キカワダ 入間、坂戸、所沢、東松山、北本等に存す。宮城県牡鹿郡女川町六戸、岩手県陸前高田市六十戸あり。

喜々津 キキツ 久喜、朝霞に存す。

木京 キキョウ 鴻巣に存す。島根県(石見国)那賀郡三隅町五戸あり。

桔梗 キキョウ 川口、戸田、大宮、松伏、所沢、入間、川越等に存す。

桔梗原 キキョウハラ 新座に存す。

一 鉢形城士の桔梗原氏 鉢形分限帳に「本国駿州安部・検使原伊与」あり。桔梗原の書き誤りか。

菊 キク 大宮、蓮田、朝霞、入間、三郷等に存す。茨城県結城郡八千代町十四戸あり。

禧久 キク 三芳に存す。

規矩 キク 大宮に存す。

菊井 キクイ 川越、入間、所沢、本庄、加須、戸田、桶川、蓮田、伊奈等に存す。岩手県江刺市四戸、島根県益田市五戸あり。

菊池 キクイケ 川口、川越、大井、越谷等に存す。キクチ参照。

菊一 キクイチ 浦和、所沢、春日部、幸手、新座等に存す。

菊市 キクイチ 新潟県北蒲原郡笹神村四戸あり。

菊入 キクイリ 与野、桶川、鳩ヶ谷、新座、朝霞、日高、川越等に存す。新潟県刈羽郡西山町七戸、長岡市四十戸あり。

菊内 キクウチ 所沢に存す。福島県東白川郡矢祭町六戸あり。

菊浦 キクウラ 川越に存す。

菊江 キクエ 大宮、上尾、飯能に存す。

菊岡 キクオカ 入間、鶴ヶ島、東松山、上里、寄居、宮代、和光、蕨、北本等に存す。新潟県糸魚川市七戸あり。

一 川越町 明治三十五年琴三味線製造菊岡金次郎あり。

二 比企郡神戸村(東松山市) 唐子神社忠魂碑に菊岡要七あり。一戸現存す。当村住人か。

菊川 キクカワ 長野県上水内郡戸隠村十戸、宮城県本吉郡本吉町九戸。

一 岡部藩安部氏家臣 岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「初代菊川五郎平(文政二年郷方足軽被召抱、天保六年病死)、二代菊川石次郎(明治四年民籍へ下る)、大字岡部・戸主菊川実平。元治元年水戸天狗党来襲につき出陣・足軽鉄砲菊川静助」あり。岡部村に三戸現存す。

二 埼玉郡花崎村(加須市) 明治二十年法泉寺文書に菊川佐吉あり。二戸現存す。

喜久川 キクカワ 所沢、戸田等に存す。

菊口 キクグチ 大宮、三芳等に存す。新潟県西蒲原郡分水町四戸、南蒲原郡中之島町四戸あり。

一 菖蒲町 元禄十一年庚申塔に菊口三左衛門あり。現存無し。菊地に同じか。菊池条七項参照。

菊子 キクコ 花園、越谷、三郷等に存す。秋田県雄勝郡稲川町十二戸あり。

菊崎 キクザキ 大宮、新座、春日部等に存す。新潟県糸魚川市六戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「御医師・十九人扶持・菊崎謙作」あり。

菊里 キクザト 春日部に存す。

喜久里 キクザト 川越に存す。

菊沢 キクサワ 栃木県安蘇郡田沼町四十戸、宮城県登米郡中田町十二戸あり。

一 久喜町 鷲宮村鷲宮神社嘉永五年狛犬に久喜町菊沢長右衛門。明治三十五年に菊沢長吉あり。

二 加須町 明治三十五年酒商菊沢佐助。其子画家菊沢六兵衛・号武江・昭和五十年没あり。

菊澤 キクサワ 久喜、加須、浦和、戸田、草加、春日部等に存す。

菊次 キクジ 茨城県下館市九戸あり。

木串 キグシ 草加に存す。

菊島 キクシマ 各市町村に存す。栃木県芳賀郡益子町十七戸、山梨県東八代郡石和町五十戸、御坂町十五戸、八代町十一戸、塩山市五十五戸、甲府市八十五戸あり。

菊嶋 キクシマ 川越、上福岡、志木等に存す。

菊嶌 キクシマ 深谷に存す。

菊城 キクシロ 庄和に存す。

菊住 キクスミ 浦和に存す。

菊田 キクタ 各市町村に存す。茨城県東茨城郡内原町十四戸、美野里町十二戸、土浦市八十戸、水海道市五十戸、福島県安達郡本宮町二十四戸、伊達郡桑折町十二戸、伊達町四十四戸、保原町三十九戸、福島市二百四十戸、宮城県気仙沼市三百三十戸、岩手県気仙郡住田町十七戸、秋田県仙北郡仙南町十四戸あり。

一 上尾町 氷川鍬神社明治二十七年上尾町太子講に菊田豊吉(理髪店)あり。

木久田 キクタ 鷲宮に存す。

菊竹 キクタケ 岩槻、越谷、朝霞、与野等に存す。

菊武 キクタケ 鶴ヶ島に存す。

菊谷 キクタニ 入間、坂戸、東松山、深谷、本庄、杉戸、戸田等に存す。キクヤ参照。

一 新座郡膝折村(朝霞市) 昭和三年興信録に菊谷亮之助・所得税二十円あり。

木口 キグチ 菊地条参照。茨城県真壁郡真壁町十五戸、山梨県北都留郡上野原町十四戸、長野県南安曇郡穂高町十八戸、新潟県西蒲原郡黒崎町十四戸、山形県米沢市二十戸、山形市一六戸あり。

一 忍城士の木口氏 成田分限帳に「十三貫五百文・木口弥三郎」あり。

二 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御馬廻・百石・木口藤九郎」。明治四年忍藩士族名簿に「百石・木口藤九郎、五石二人扶持・木口治助」あり。

三 葛飾郡細野村(幸手市) 槙野地村蓮花院文政四年筆子碑に細野村木口多四郎。細野神社天保四年庚申塔に木口弥平次あり。一戸現存す。

四 埼玉郡辻村(岩槻市) 笹山村稲荷社明治二十二年浅間碑に南辻村木口勝次郎。明治三十年人名録に綿紗製造穀物商木口寅蔵・慶応二年生あり。一戸現存す。

五 同郡外田ヶ谷村(騎西町) 久伊豆社享和三年御神燈に木口幸助・木口惣八・木口直七、嘉永六年幟碑に木口左源次・木口文八・木口和太郎、安政二年水鉢に木口作右衛門・木口新助。当村文政六年大黒天碑に外田ヶ谷村木口勇吉・木口金次郎・木口八十八・木口文八.。明治五年大久保文書に外田ヶ谷村組頭木口六太郎あり。七戸現存す。

六 同郡屈巣村(川里町) 野村玉松堂文久元年入門に屈巣村木口源五左衛門養月。上州榛名神社大正四年御神燈に埼玉郡屈巣村元鎮中組木口豊弥・木口隆寿。昭和三年興信録に木口隆寿・所得税百二十五円・営業税三十八円あり。三戸現存す。

七 足立郡箕田村(鴻巣市) 加納村天神社嘉永二年御神燈に箕田村木口重五郎。明治四年組頭木口勇七・五十一歳あり。二戸現存す。

八 入間郡新堀村(所沢市) 明治十五年北広堂碑名簿に旧新堀・木口福太郎あり。一戸現存す。

九 高麗郡野田村(入間市) 長徳寺安政三年地蔵尊に木口太兵衛。白鬚社明治四十五年碑に木口宇太郎あり。五戸現存す。

一〇 横見郡一ツ木村(吉見町) 氷川社明治三十七年碑に木口彦七あり。

一一 大里郡石原村(熊谷市) 明治三十五年筆墨舗文脩堂木口峯次郎あり。

一二 榛沢郡内ヶ島村(深谷市) 永光寺明治四十年碑に木口荘三郎。大寄村会議員木口文治・明治三十一年生あり。四戸現存す。

一三 児玉郡新里村(神川町) 明治五年小前議定書に木口長三郎・木口佐平次あり。二戸現存す。

菊地 キクチ 和名抄に肥後国菊池郡を久久知と註す。菊地、木口もククチの転訛なり。肥後及び摂津国河辺郡久々智は阿部族の久々智族居住地なり。姓氏録・摂津条に「久々智、阿部朝臣同祖」と見ゆ。アベ条参照。阿部、安部族の居住地である奥州に多く存す。○群馬県新田郡新田町三十戸。○栃木県那須郡那須町百四十戸、西那須野町九十戸、烏山町三十五戸、馬頭町四十戸、塩谷郡氏家町四十五戸、高根沢町八十戸、藤原町三十五戸、河内郡河内町四十四戸、芳賀郡芳賀町三十五戸、二宮町四十戸、益子町四十五戸、下都賀郡国分寺町三十戸、黒磯市二百三十戸、足利市二百戸。○茨城県多賀郡十王町三十戸、西茨城郡友部町三十戸、新治郡八郷町八十戸、真壁郡関城町六十戸、結城郡石下町三十戸、北相馬郡守谷町四十戸、筑波郡伊奈町五十戸、日立市二百戸、ひたちなか市百戸、つくば市百五十戸。○新潟県佐渡郡小木町三十戸、佐和田町三十五戸、真野町三十戸。○福島県東白川郡棚倉町五十三戸、西白河郡泉崎村四十三戸、西郷村六十六戸、東村四十戸、田村郡船引町三十四戸、安達郡本宮町七十五戸、大玉村六十二戸、白沢村三十戸、伊達郡国見町百戸、河沼郡柳津町四十六戸、いわき市三百戸、白河市百二十戸、郡山市二百八十戸、相馬市百五十戸、喜多方市百五十戸、会津若松市二百二十戸、福島市三百三十戸。○宮城県柴田郡大河原町四十戸、柴田町八十五戸、伊具郡丸森町百九十戸、亘理郡山元町百二十戸、亘理町二百戸、宮城郡松島町三十五戸、利府町三十戸、黒川郡富谷町六十戸、桃生郡河南町五十戸、矢本町四十八戸、遠田郡小牛田町六十三戸、田尻町三十五戸、栗原郡栗駒町三十五戸、若柳町四十四戸、登米郡中田町六十戸、白石市百四十戸、角田市百四十戸、名取市百九十戸、岩沼市百八十戸、石巻市二百二十戸、古川市百二十戸。○岩手県東磐井郡千厩町五十六戸、大東町六十二戸、藤沢町七十戸、胆沢郡胆沢町八十戸、金ヶ崎町百三十戸、前沢町百四十戸、衣川村五十戸、気仙郡三陸町六十戸、岩手郡滝沢村三十四戸、下閉伊郡岩泉町六十戸、山田町八十七戸、一関市二百戸、水沢市四百六十戸、江刺市六百戸、。○山形県東置賜郡高畠町三十戸、西置賜郡白鷹町四十四戸、西村山郡大江町百四十戸、河北町五十戸、米沢市百戸、南陽市百戸、寒河江市百戸、山形市三百戸。○秋田県由利郡大内町百三十戸、仁賀保町八十戸、平鹿郡大森町九十戸、十文字町六十戸、平鹿町八十戸、雄勝郡雄勝町六十戸、東成瀬村四十戸、仙北郡南外村四十六戸、南秋田郡飯田川町百戸、天王町百三十戸、山本郡八森町百十戸、能代市百二十戸、秋田市三百五十戸。○青森県北津軽郡鶴田町三十戸、南津軽郡田舎館村三十五戸、西津軽郡木造町六十戸、青森市百二十戸あり。山陰地方には無し。

一 下野国の菊地氏 大ノ国(後の百済)の集団にて、阿部族の祖・大彦命に率いられて渡来す。古代氏族系譜集成に「大彦命―武渟川別命―意布比命―大臣命(那須国造)」。同書に「大彦命の弟・開化天皇の後裔、武内宿祢―木角宿根(紀臣)・・・紀角十世之孫船守(延暦十一年死)―勝長―興道―本道―下野大夫清主(下野国紀党祖)―紀検校朝氏―益子紀二郎朝忠、弟芳賀小太郎長有」と見ゆ。子孫は紀姓を称す。また、同書に「百済明王(五五四年被害死)・・・鬼室福信(斉明六年紀に有り)・・・藤原朝臣政則―則隆(延久三年菊地郡司と為す。肥後菊池氏祖)」と。那須郡菊池氏系図に「大職冠鎌足公の後裔、菊池太郎則隆(肥後国菊池郡領)―高直―時隆―武則―武重―武光―武政―武泰(肥後国菊池郡平田館を退去して、下野宇都宮右馬頭持綱に従ひ、壬生館に住す、都賀郡の内、千三百貫文を賜る。時に応永三十年・持綱自害す)」と見ゆ。是等は在名の菊池氏にて、苗字にあらず。当国の菊池・菊地氏は古代以来の居住者なり。

二 小田原城士の菊地氏 小田原所領役帳に「菊地掃部丞、三十貫文・河越給内に而被下、五十貫文・豆州下松本、以上八十貫文」と見ゆ。

三 鉢形城士の菊地氏 鉢形分限帳に「本国肥後阿蘇・菊地与惣次」あり。秩父案内記に小鹿野郷土着と見ゆ。四十五項参照。

四 忍城士の菊地氏 成田分限帳に「三十貫文・菊地新太郎、二十六貫文・菊地宇兵衛、二十二貫文・菊地太郎八郎、十貫文・菊地図書」あり。三十二項参照。

五 岩附城士の菊地氏 岩槻巷談に「太田氏房の臣菊地重兵衛は、岩槻二の丸に籠城す」と見ゆ。

六 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 慶安元年岩槻藩軍役帳に「高不明・菊地忠左衛門、同・菊地弥五左衛門」。寛文二年岩槻藩分限帳に「五十五俵・菊地弥五左衛門」あり。

七 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五両三人扶持・本国遠江生国同・菊地善兵衛・三十六歳」あり。

八 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御徒士銃隊格・八石二人扶持・亡父覚之進名跡・菊地寛八郎・十五歳」あり。

九 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「二十俵二人扶持・菊地権兵衛」あり。

一〇 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御勘定坊主・六石二人扶持・菊地有閑」。明治四年忍藩士族名簿に「六石四人扶持・菊地友之助、同高・菊地為三郎。又者(家老等の臣)・十五人扶持・菊地駿助」あり。駿助は儒者にて松軒と号す。元は幕臣にて忍藩に招かれ、維新後は東京神田で迎曦塾を開き、明治十九年没八十歳。

一一 旗本水野石見守(旧鉢形城士)家臣 水野忠貞・忠顕家中分限帳に「七両二人扶持・菊地求馬」あり。

一二 葛飾郡岩野木村(三郷市) 幸房村興禅寺天明五年庚申塔に岩ノ木村菊地藤平あり。菊池氏二戸現存す。

一三 同郡中島村(吉川市) 三輪野江村定勝寺寛文九年鐘銘に中島・菊地七郎右衛門・菊地□右衛門。稲荷社明治十三年御嶽碑に中島村菊地嘉蔵・菊地伝蔵・菊地末吉・菊地八右衛門、明治三十九年碑に菊地小兵衛あり。六戸現存す。

一四 同郡栗橋町 明治三十五年に菊地幸太郎あり。

一五 同郡高柳村(栗橋町) 八幡社明治三十九年碑に高柳新田村菊地勇吉あり。一戸現存す。

一六 埼玉郡大沢町(越谷市) 明治三十五年糸繭商菊地要蔵あり。

一七 同郡粕壁町 明治三十五年棒屋菊地惣兵衛あり。

一八 同郡岩槻町 岩槻誌に「慶応末年、持高十七石余・新町名主菊地清左衛門、持高一町五反一畝歩・長左衛門新田名主菊地左吉、持高二町三反歩・同所組頭菊地長右衛門、持高六反七畝歩・左太夫新田役人代升右衛門倅菊地藤右衛門」と。明治九年岩槻町副戸長菊地喜昌・文化十四年生。明治三十五年に筆墨店菊地ムメ・菊地セキ・菊地勘次郎・菊地長吉あり。

一九 同郡加倉村(岩槻市) 洞雲寺元禄七年庚申塔に菊地権兵衛あり。三戸現存す。

二〇 同郡箕輪村(岩槻市) 久伊豆社安政二年水鉢に当所菊地子之松あり。現存無し。

二一 同郡平林寺村(岩槻市) 明治九年副戸長菊地左吉・天保八年生。明治三十年所得税下調査簿に河合村醤油醸造業菊地文七・文久元年生・反別十三町歩・地租八十円。貴族院多額納税者議員互選人名簿に大正十四年菊地又三郎・明治二年生・国税千百二円・県下百六十二位あり。四戸現存す。

二二 同郡尾ヶ崎新田(岩槻市) 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に埼玉郡尾ヶ崎新田菊地半蔵。笹久保村地蔵院嘉永四年供養塔に尾ヶ崎新田菊地半蔵。明治三十年所得税下調査簿に新和村染物業菊地竜蔵・安政四年生・反別六町五反歩・地租八十二円あり。四戸現存す。

二三 同郡笹久保新田(岩槻市) 尾ヶ崎村観音堂嘉永四年筆子碑に新田・菊地林平。笹久保村地蔵院嘉永四年供養塔に当村菊地林平あり。尾ヶ崎新田住人か。現存無し。

二四 同郡蓮田村 明治九年副戸長菊地金右衛門・弘化四年生。下蓮田村八幡宮明治十二年水鉢に菊地栄造。明治三十年人名録に下蓮田村醤油醸造業菊地金右衛門・地租三十円あり。

二五 同郡百間村(宮代町) 字内野正福坊嘉永七年成田山碑に柚木村内野村講中・菊地安五郎あり。

二六 同郡和戸村(宮代町) 宇宮神社天保六年奉額に菊地清蔵・菊地孫兵衛、明治二十二年碑に菊地利助・菊地半四郎・菊地寅造・菊地忠次郎・菊地仲右衛門。明治九年副戸長菊地重次郎・天保四年生。明治三十年所得税下調査簿に須賀村菊地仲右衛門・反別十九町五反歩・地租百八十九円あり。九戸現存す。

二七 同郡台村(菖蒲町) 当村に此氏多く存す。文政七年戸賀崎門人帳に台村菊地勇三郎。私塾師匠儒学者菊地政太郎・号菊城は漂泊の末、元治元年没し、神奈川県愛甲郡愛川町勝楽寺に葬る。

二八 同郡上三俣村(加須市) 菊地家筆子控に嘉永六年同所善三郎倅菊地忠吉、安政三年当所善三郎倅菊地沢次郎、明治四年当家長男菊地貫右衛門。明治九年副戸長菊地寛左衛門・天保八年生(私塾師匠、寛華堂、明治十八年没)あり。四戸現存す。

二九 同郡谷之郷(行田市) 宝積寺過去帳に「天文元年正月二十四日、檀徒菊地氏」あり。二戸現存す。

三〇 足立郡大宮町 明治三十五年機業菊地栄太郎あり。

三一 同郡原市町(上尾市) 明治三十五年肥料商菊地幾三郎あり。

三二 同郡高尾村(北本市) 風土記稿高尾村条に「旧家者善次郎、元は菊地氏にて、何の頃よりか新井を冒せり。先祖を菊地豊前と云ふ、其の子に大炊頭、図書、隼人と云ふあり。是等卒年を伝へざれど、豊前が二百年の追福を寛保二年取行ひしといへば、天文年中の人なること知らる。成田分限帳に菊地図書・十貫文を知りしこと見ゆるは、則ち豊前が子なるにや」と見ゆ。四項参照。豊前は出稼衆にて下野国都賀郡菊地氏の名跡を継承して菊地を名乗り、帰農後は本名新井氏に復姓す。新井氏は当村の大姓にて古代以来の土着者なり。

三三 入間郡川越町 日蓮宗行伝寺過去帳に「妙寿・菊池。妙安・キクチ・申年。妙祐・菊池・丑年四月。妙朝・菊池・酉年三月」。江戸初期なり。連雀町熊野社文化二年水鉢に御門前・菊地久五郎あり。

三四 同郡大久保村(毛呂山町) 明治九年百姓総代菊地政五郎あり。一戸現存す。

三五 高麗郡野田村(入間市) 山王塚寛文十二年庚申塔に高麗郡加路之内野田村菊地九兵衛あり。二戸現存す。

三六 同郡飯能村 諏訪八幡社正徳二年狛犬に菊地十蔵武住。明治三十五年菓子商菊地勝造あり。

三七 大里郡石原村(熊谷市) 明治三十五年に菊地弁蔵あり。

三八 同郡肥塚村(熊谷市) 当村に此氏多く存す。旧家なり。

三九 同郡和田村(熊谷市) 当村に此氏多く存す。楊井薬師堂享保十年供養塔に菊地平六・菊地長三郎・菊地清右衛門・菊地八右衛門、明和元年馬頭尊に菊地孫八、文化三年弁財天碑に菊地善右衛門・菊地弥七・菊地清吉・菊地半右衛門・菊地治助・菊地□郎兵衛・菊地常右衛門・菊地与平・菊地文右衛門・菊地伝右衛門・菊地仙太郎・菊地米蔵・菊地文治郎、文化七年供養塔に菊地仙太郎・菊地久次郎・菊地弥七・菊地重助・菊地喜右衛門、天保十三年供養塔に菊地幸助。白髭社安政七年庚申塔に菊地又平・菊地金左衛門。野原村文殊寺明治二年碑に和田村菊地元右衛門あり。

四〇 幡羅郡上増田村(深谷市) 菊地暉一家は、増田四郎重富館跡に居住す。先祖菊地庄左衛門は長享元年重富が比企郡四津山城にて討死する時、重富の一子小四郎重政を上野国沼田在の玉泉寺まで供をして、住職に預けると伝える。但し、重富は当村とは無関係の人物なり。増田条参照。諏訪社文久二年御神燈に菊地祐三郎あり。菊地氏三戸、菊池氏二戸現存す。

四一 榛沢郡深谷町 明治三十五年薬商菊地来次。呑龍院明治四十五年馬頭尊に深谷観音講・菊地梅吉・菊地森吉あり。

四二 賀美郡毘沙吐村(上里町) 明治四年新町茂木文書に毘沙吐村菊地勘十郎・菊地利八.。明治十二年副戸長菊地茂三郎あり。

四三 同郡五明村(上里町) 帯刀村菅原神社明治四十三年御神燈に五明・菊地浜五郎あり。一戸現存す。

四四 秩父郡大宮町 明治三十五年古物商菊地五郎あり。

四五 同郡上小鹿野村 古老覚書に「平左衛門先祖鉢形より来る菊地十兵衛と申もの、始めは中島堂屋敷に居、後に町へ出る。市郎右衛門、平左衛門」と見ゆ。字中島なり。三項参照。国神神社明治三十四年碑に小鹿野町菊地群二郎(上二丁目)あり。菊池氏一戸現存す。

四六 同郡薄村(両神村) 明治五年小沢口・糸繭商菊地柳吉あり。一戸現存す。

四七 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・菊地二郎・百三十四円、蕨町・菊地雄也・十三円、大門村(浦和市)・菊地俊諦・九十七円、木崎村(浦和市)・菊地敬三郎・十円、指扇村(大宮市)・菊地良馨・十八円、飯能町・菊地万吉・十三円・六十七円、大袋村(越谷市)・菊地巳之吉・十円、須賀村(宮代町)・菊地翁助・九十八円、河合村(岩槻市)・菊地又三郎・九百九十円・百七十七円、菊地益寿・四十一円」あり。

菊池 キクチ 菊地氏と同じく太平洋岸の常陸国・奥州に多く存す。○群馬県佐波郡赤堀町三十戸、伊勢崎市百九十戸。○栃木県那須郡黒羽町百二十戸、西那須野町三十五戸、馬頭町九十戸、南那須町七十戸。○茨城県久慈郡金砂郷町九十戸、里美村四十五戸、水府村百八十戸、大子町五百八十戸、那珂郡大宮町九十五戸、山方町百七十戸、那珂町八十戸、東海村四十戸、西茨城郡岩瀬町五十五戸、友部町三十戸、東茨城郡小川町四十戸、北茨城市百戸、日立市五百四十戸、常陸太田市二百二十戸、ひたちなか市三百戸。○千葉県山武郡成東町三十八戸。○長野県南佐久郡臼田町四十四戸、小海町四十六戸、佐久町四十九戸、南相木村五十九戸、南牧村百戸、八千穂村三十七戸、諏訪郡原村九十三戸。○新潟県佐渡郡赤泊村三十八戸、両津市百二十戸。○福島県東白川郡棚倉町四十五戸、塙町七十戸、矢祭町百五十五戸、伊達郡梁川町七十戸、いわき市百戸。○宮城県伊具郡丸森町四十戸、亘理郡亘理町四十七戸。○岩手県東磐井郡千厩町三十戸、大東町三百五十戸、胆沢郡金ヶ崎町五十戸、前沢町三十四戸、気仙郡住田町百二十八戸、上閉伊郡大槌町百戸、宮守村二百八十戸、下閉伊郡岩泉町三十戸、山田町三十七戸、稗貫郡石鳥谷町百九十戸、大迫町六十三戸、和賀郡東和町三百三十戸、岩手郡滝沢村百戸、紫波郡紫波町百戸、矢巾町八十戸、水沢市二百七十戸、江刺市八百六十戸、大船渡市百十戸、陸前高田市百十戸、釜石市七百戸、遠野市千七百五十戸、花巻市四百五十戸、北上市千戸、宮古市百六戸。○秋田県平鹿郡雄物川町五十四戸、大森町五十三戸、山本郡二ツ井町百九十戸、藤里町四十戸、秋田市百戸。○青森県三戸郡五戸町三十五戸、下北郡大間町五十四戸、南津軽郡大鰐町五十五戸、平賀町六十戸、西津軽郡岩崎村五十七戸、むつ市二百戸、弘前市百六十戸、青森市百九十戸あり。

一 岡部藩安部氏家臣 重臣にて、宝永年間岡部藩分限帳に「二百五十石・菊池安兵衛」。明治三年岡部藩分限帳に「御給人・七十五石三人扶持・菊池慕、隠居・七人扶持・菊池裏阿」。岡部藩始末(斎藤伊勢松著)に「○初代菊池善吉(文化二年足軽被召抱、天保六年病死)、二代菊池助次郎(明治二年病死)、三代菊池熊十郎(明治四年民籍へ下る、大字岡部)。○初代菊池七五郎(嘉永六年十人者被召抱、明治四年民籍へ下る)、大字岡部・戸主菊池仁三郎。○初代菊池啓蔵(文久三年十人者格被召抱、明治四年民籍へ下る)、大字岡部・戸主菊池石太郎」と見ゆ。

二 埼玉郡小久喜村(白岡町) 久伊豆社宝暦十一年庚申塔に菊池七左衛門あり。六戸現存す。

三 同郡鷲宮村 鷲宮神社文書に「神主細萱家十六騎之内に菊池尹平先祖大内之助・承応二巳六月死す、行年七十歳、霊樹寺に葬る」と見ゆ。菊地氏一戸現存す。

四 同郡赤城村(川里町) 赤城神社延享三年庚申塔に赤城村菊池伝兵衛・菊池平五郎、明治十六年敷石碑に菊地武右衛門・菊地久七.。正能村青木文書に明治七年富士講・赤城村菊地平蔵あり。現存無し。

五 足立郡桶川町 明治八年騎西町釜屋文書に酒造業菊池金太郎。明治九年副戸長菊池金兵衛・天保十三年生あり。

六 同郡下日出谷村(桶川市) 明治八年地租改正請書に蚕糸業菊池金兵衛あり。四戸現存す。

七 同郡小松原村(鴻巣市) 当村に此氏多く存す。深井村寿明院寛政九年寄附帳に菊口彦次郎・菊口伝兵衛あり。菊池の当字なり。

八 同郡小室村(伊奈町) 当村に此氏多く存す。吉祥院文書に「先祖の生国は肥後国菊池城主の嫡孫で、後醍醐天皇険難に逢ひ給ひし頃、武道・幼にして父の慈愛に依り越中立山の別当坊に遣はされ、年を経て三十有余、当所に来り留り社殿及び坊舎を再建して、伊勢参宮を為し京に上り醍醐寺に至り、永代別当の免許を得て吉祥坊を天宮山吉祥院に改め中興せり」と。氷川社棟札に「氷川社再造成就所、応安三戌天二月吉日、小室氏子中、神宮山吉祥院。当寺無住三十五年ノ後、拙者生国肥後国菊地武道入道一阿ト云、□今□□来テ此無住地ヲ□□□□□□応安元年申二月、永々ノ御書奉□□則修験地開山吉祥院一宗法印記之」と有り。風土記稿に「武道入道は応安二年に寂す。また、氷川社棟札の表面年号の内、応の字は後世より記せしさまなり」と見ゆ。肥後出身説は附会なり。氷川社延享四年水鉢に本村・菊池多左衛門・菊池六左衛門・菊池佐右衛門・菊池源次郎・菊池市之助・菊池卯之吉・菊池三左衛門、明和七年御神塔に本村名主菊池多左衛門、組頭菊池勘右衛門。当村天明二年供養塔に本村・菊池勧右衛門・菊池茂右衛門、寛政六年庚申塔に小室本村・菊池太左衛門・菊池要右衛門・菊池理右衛門・菊池初右衛門・菊池勝右衛門・菊池三郎右衛門、文政三年庚申塔に小室本村・菊池六左衛門・菊池三左衛門。建正寺文政十三年門碑に当村名主六代菊池六左衛門孫純。氷川社安政三年御神燈に本村・菊池礒八郎・菊池亀右衛門・菊池治助・菊池初右衛門・菊池弥左衛門・菊池喜兵衛・菊池竹右衛門・菊池平左衛門・菊池作左衛門・菊池直吉・菊池新右衛門・菊池伊左衛門・菊池太左衛門。明治九年副戸長菊池鉄三郎・弘化四年生。昭和三年興信録に小室村・菊池原二・所得税三百一円・営業税三十三円、菊池桂三・所得税五十円あり。

九 入間郡峰村(坂戸市) 明治十五年に菊池徳治郎。明治十七年戸長菊池久吉あり。一戸現存す。

一〇 比企郡下八ツ林村(川島町) 当村に此氏多く存す。旧家なり。

一一 同郡小川町 字平松天保九年庚申塔に菊池源太郎あり。

一二 榛沢郡岡部村 当村に此氏多く存す。一項参照。正明寺享保十六年地蔵尊に菊池甚之丞。岡部神社嘉永六年御神燈に菊池半右衛門・菊池嘉十郎、安政二年碑に菊池仲之丞・菊池長蔵。明治九年戸長菊池八十吉・天保十二年生。柏合村明治十三年八海山講碑にヲカベ・菊池八十吉・菊池嘉十郎。明治十八年最上農明名簿に菊池八十吉・耕宅地三町五反歩・山林八町四反歩所有。深谷町呑龍院明治四十五年馬頭尊に岡部菊池寅吉あり。

一三 児玉郡阿那志村(美里町) 武蔵志に「阿那志村菊池市右衛門柴久、明和の比の人なり、演段を極む」と見ゆ。現存無し。

菊知 キクチ 三郷、入間、狭山に存す。

規矩智 キクチ 所沢に存す。

菊地原 キクチハラ 川島、毛呂山、新座、春日部、鳩ヶ谷、上尾等に存す。神奈川県愛甲郡愛川町三十四戸、津久井郡津久井町大字根小屋に三十七戸あり。

木口屋 キグチヤ 川越に存す。

菊次 キクツギ 上尾、浦和、桶川、北本、新座、吉川、熊谷等に存す。

菊留 キクトメ 上尾に存す。鳥取県東伯郡三朝町七戸あり。

菊名 キクナ

一 葛飾郡中曽根村(吉川市) 当村に此氏多く存す。菊名家墓地正徳二年廻国塔に中新田村・菊名田志衛門・菊名甚衛門。彦倉村延命院宝暦九年勧進帳に中曽根村菊名八郎左衛門。観音寺明和九年墨書銘に菊名八郎左衛門。香取社文政七年普門品に菊名専松。中島村稲荷社明治四年御嶽碑に中曽根・菊名八左衛門。明治三十年人名録に菊名小平・弘化二年生・地租二百六十円。香取社明治三十六年古峰碑に菊名友蔵、明治四十年碑に菊名藤吉・菊名啓次郎、新田・菊名吉左衛門。昭和三年興信録に吉川町・菊名吉左衛門・所得税二百三十円あり。

二 同郡鎌倉村(三郷市) 戸ヶ崎学校分離願に総代菊名作兵衛。明治三十年人名録に菊名治兵衛・天保十四年生あり。四戸現存す。

三 埼玉郡柿木村(草加市) 明治二年戸籍簿に菊名重左衛門あり。一戸現存す。

菊永 キクナガ 浦和、狭山、羽生、久喜、和光等に存す。

喜久永 キクナガ 入間、和光に存す。

菊浪 キクナミ 狭山に存す。

聴涛 キクナミ 上尾に存す。

菊野 キクノ 浦和、大宮、蕨、宮代、越谷、吉見、毛呂山、所沢等に存す。青森県下北郡大間町十戸あり。

菊原 キクハラ 各市町村に存す。山梨県北巨摩郡高根町十四戸、長野県南佐久郡臼田町十二戸、小海町三十戸、佐久町十一戸、南相木村三十四戸、佐久市二十二戸あり。

一 葛飾郡広島村(吉川市) 当村享保六年庚申塔に菊原長右衛門あり。現存無し。

木熊 キクマ 熊谷、三郷等に存す。

菊間 キクマ 和名抄に上総国市原郡菊麻郷を久々萬と註す。今の千葉県市原市大字菊間なり。文安三年武州文書に入西郡越生郷恒弘名内田代村菊萬在家と見ゆ。比企郡古池村(越生町)字田代、字菊間にて古の村名なり。千葉県安房郡鋸南町二十戸、八日市場市十二戸あり。

一 埼玉郡多門寺村(加須市) 愛宕社嘉永二年伊勢講碑に菊間半左衛門。観音寺嘉永三年読誦塔に菊間半左衛門あり。一戸現存す。

二 同郡松永新田(大利根町) 八坂社明治二十六年碑に菊間金之助あり。現存無し。

三 深谷町 明治三十五年菓子屋菊間タケあり。現存無し。

四 榛沢郡長在家村(川本町) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

菊政 キクマサ 春日部、越谷等に存す。

菊見 キクミ 川口、大宮、川越に存す。

菊実 キクミ 草加、白岡等に存す。

喜久嶺 キクミネ 所沢に存す。

菊村 キクムラ 浦和、大宮、伊奈、日高、寄居等に存す。

喜久村 キクムラ 所沢、熊谷に存す。

菊元 キクモト 上福岡、所沢、春日部等に存す。栃木市十三戸あり。

菊本 キクモト 茨城県ひたちなか市二十五戸、鳥取県東伯郡東伯町六戸あり。明治三十五年栗橋町小間物商菊本藤二郎あり。松永村(栗橋町)に三戸現存す。

菊森 キクモリ 栗橋に存す。

菊盛 キクモリ 大宮、春日部に存す。

喜久盛 キクモリ 鶴ヶ島、所沢に存す。

菊谷 キクヤ 川口、浦和、新座、北川辺、越谷、富士見、日高、所沢、入間、川越等に存す。東京都八王子市元八王子に二十戸、秋田県平鹿郡平鹿町十八戸、能代市十六戸、横手市十一戸、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町八戸あり。キクタ二参照。

菊屋 キクヤ 川越、狭山等に存す。

菊山 キクヤマ 川口、草加、東松山、飯能、所沢等に存す。

木倉 キクラ 越谷、草加、栗橋に存す。

鬼倉 キクラ 大宮、松伏、三郷に存す。オニクラ参照。

菊楽 キクラ 上福岡に存す。

木倉谷 キクラヤ 所沢、東松山に存す。

木暮 キグレ 群馬県勢多郡赤城村百戸、北橘村十九戸、富士見村五十戸、佐波郡東村三十五戸、伊勢崎市百戸あり。コグレ参照。

一 埼玉郡北根村(川里町) 薬師堂享保十四年棟札に大工棟梁当所木暮甚五郎。正能村竜花院元文三年供養塔に北根村木暮甚左衛門。久伊豆社文化五年庚申塔に木暮定吉・木暮重兵衛・木暮新六あり。十戸現存す。

二 同郡広田村(川里町) 鷺栖神社嘉永六年幟碑に木暮与八あり。一戸現存す。

三 同郡上羽生村 建福寺文化四年六地蔵に木暮仁左衛門。毘沙門堂天保十一年石華表碑に羽生・木暮茂八.白川家門人帳に安政四年・上羽生村大工木暮飛騨。明治五年上羽生村大工職木暮仁左衛門あり。一戸現存す。

亀慶 キケイ 桶川に存す。

木下内 キゲウチ 浦和に存す。新潟県新津市十二戸あり。

木下川 キゲガワ 大宮に存す。

亀ヶ川 キケガワ 鳩ヶ谷に存す。宮城県古川市六戸あり。

亀卦川 キケガワ 上尾、与野、鷲宮、松伏、越谷、飯能、所沢、狭山、入間等に存す。宮城県登米郡東和町十八戸、岩手県東磐井郡千厩町十七戸、大東町十戸あり。

木子 キコ 新座に存す。キノコ参照。

一 埼玉郡村国村(岩槻市) 久伊豆社寛文十一年庚申塔に木子吉兵衛あり。現存無し。

喜古 キコ 大宮、蓮田、伊奈、新座、朝霞、鷲宮、春日部、深谷等に存す。福島県安達郡安達町三十四戸あり。

紀古 キコ 富士見に存す。

亀甲 キコウ 能楽で蛇体の女が鱗の衣装を用いている。鱗紋を亀甲(きっこう)という。出雲国佐陀神社古縁起(鹿島町佐太神社)に「毎年の異国(新羅国)よりの献物に二蛇あり。その形尋常の蛇とは異なりて、海の泡を娶めてこれを箱に入れて(新羅のシンボルである海蛇)、恵曇の津(佐太神社附近の地)に著くなり。その蛇の背に亀甲輪違いの紋あり」と見ゆ。また、太平記卷五に「鎌倉草創のはじめ北条時政、江ノ島に参籠して、子孫の繁昌を祈りけり。三七日(二十一)に当たり、美女が忽然として現れ、忽ちに伏し長二十丈ばかりの大蛇と成って海中に入りにけり。その跡を見るに、大きなる鱗を三ツ落せり。時政・所願成就しぬと喜びて、すなわちかの鱗を取って旗の紋にぞ押したりける。今の三鱗形の紋これなり」と見ゆ。北条氏は伊豆国に土着した物部族末裔の鍛冶頭領である。三輪神話に蛇は物部氏の祖神・大物主命の化身として記されている。すなわち、亀之荘・亀甲荘は新羅系渡来人の物部族居住地なり。埼玉郡持田村(行田市)は亀甲荘を唱へる。また、小見村(行田市)は亀之荘を唱へる。阿部条十一項、アラハバキ、川上条参照。また、横見郡黒岩村字亀甲、那賀郡に亀甲山あり。亀甲(きこう)氏は岩手県北上市五戸あり。

吉高神 キコウジン 浦和に存す。

木越 キコシ 浦和、大宮、上尾、深谷、鴻巣、江南、三郷、草加、越谷、岩槻、富士見、狭山等に存す。秋田県北秋田郡田代町十二戸あり。

樵 キコリ 越谷、庄和等に存す。

木頃 キコロ 春日部に存す。

木佐 キサ 加須、草加、川越等に存す。島根県平田市三十九戸あり。

木西 キサイ 児玉党にて、武蔵七党系図に「庄太郎弘能―木西左近四郎経季」と見ゆ。正訓はモクサイなり。

木済 キサイ 川越、飯能等に存す。茨城県西茨城郡岩瀬町七戸あり。

騎西 キサイ 埼玉郡騎西庄あり。鷲宮村付近の寄東郡に対して、寄西郡と称す。持田村(行田市)長福寺正慶元年阿弥陀如来坐像に武州騎西郡糯田郷と見ゆ。上杉系図に埼玉郡寄西城と。佐野宗綱記に武州喜歳と見え、キサイと註す。風土記稿に「騎西庄は、或は私市庄とも書り、騎西町より起りし庄名にて、私市党のものゝ出生の地なることは、騎西町の条に弁せし如し」と見ゆ。

私市 キサイ 私(きさいち)とも称す。陸奥国磐城郡私郷(福島県いわき市泉町)は、いわき市岩間薬師堂正中二年銘に施主紀佐一六郎とあり。私を紀佐一と称す。私(きさい)は后(きさき)の転訛にて、私部は皇妃の封民を云う。日本書紀・敏達天皇六年条に「詔して日祀部、私部を置く」と見ゆ。また、皇后(おおきさき)の封民を大私部(おおきさいべ)と云う。騎西庄箕輪郷小久喜村(白岡町)久伊豆社文化九年碑に私一庄箕輪郷小久喜村と見ゆ。騎西をキサイチと唱えている。また、私はシと読まれ、私党はシの党と称し、篠党と記す。源平盛衰記に「武蔵国住人篠党に河原太郎高直、同二郎盛直」と。管領記に「忍の成田氏は、武蔵国の住人にて篠党の旗頭なり」と見ゆ。私市党は熊谷郷を本拠地とし、西熊谷郷(大里郡久下村付近)、東熊谷郷(埼玉郡成田村、今の上之村)の一帯に一族が居住す。寄西郡(騎西町)の地名より発祥したのでは無い。また、丹波国船井郡木前郷私部村あり、私部庄を唱へ、後世木崎庄と云う。埼玉郡日出安村(騎西町)保寧寺に「私市氏族先亡各霊、東京杉並永福・私市庄次、昭和五十三年」とあり。当村及び田ヶ谷村に木崎氏存し、后(きさき)を木崎と称すか。私市(きさいち)氏は、東京都あきる野市に五十四戸、木佐一氏は京都府竹野郡丹後町此代に九戸存すのみで、諸国には此氏の集落はどこにも無い。

一 新羅族の私氏 姓氏録・山城国諸蕃に「多々良公。御間名国主・爾利久牟王より出づる也。欽明天皇の御世、投化して、金多々利に多々良公を賜ふ也」と。任那(御間名)の内に多々羅国あり、鉄の大生産地にて、住民は金姓である。多々利(田又利とも記す)はタタラの訛りなり。子孫は私部となる。播磨国風土記飾磨郡少川里条に「私里と号するは、欽明天皇の御世、私部弓束等が祖・田又利君鼻留、此処を請ひて居る。故に私里と号す」と見ゆ。また、新羅の天日桙(あめのひぼこ)集団は、但馬国に上陸し屯倉を管理し、三宅氏を称し、私部ともなる。姓氏録に「三宅連、新羅国の王子天日桙の後也」と。氷上郡氷上町清住の達身寺薬師如来坐像に「建久三年、三宅安次女・私市氏子」とあり。また、同族は尾張国へ移住し、天平二十年海部郡三宅郷戸主私部男足とあり。

二 倭漢氏流の私氏 任那の安耶国(あや)渡来人を漢氏(あや)と称し、倭国に土着す。大宝三年五月紀に「正七位上私小田、従七位上私比都自、長島、及び昆弟等、皆訴へて雑戸を免るゝを得たり」と。私比都自(きさいのひつじ)は、上野国羊太夫と同人説あり。粟生系図に「藤原道長―頼通(宇治関白)―民部大輔(任隆是也。多胡庄玉村ミドリ片山庄を知行す。宇治殿五男、上野国に住す)―羊太夫(カラシナノ大明神と号す)」と見ゆ。私市党成田氏は、この藤原任隆の末裔と称す。羊(ひつじ)、成田条参照。

三 葛飾郡の私部 養老五年大島郷戸籍に「戸孔王部牟須比の母私部小手子売。戸孔王部□□の外従父妹私部富曽売。戸主孔王部真国の庶母私部伊呂売。戸孔王部安麻呂の母私部与伎売。戸私部□□の嫡子私部大海、嫡弟私部得麻呂、弟私部小得、弟私部麻呂、嫡女私部阿古売、妹私部小等売、妹私部古安売、妹私部麻安売、妹私部古蟲売。戸私部真荒、姉私部子良売、妹私部荒売。戸私部伊良売、女私部古阿由売、女私部古都売、女私部真都売、女私部弟売、女私部子弟売。戸私部大、嫡子私部馬手、女私部由良売、女私部弟由良売。戸主孔王部猪の寄口私部伊呂売」と見ゆ。当郷に私部氏四戸、寄口一戸の五戸存す。また、万葉集卷二十に「下総国葛飾郡私部石島」とあり。大島郷は、今の杉戸町・幸手市・鷲宮町附近一帯なり。アナホベ条参照。

四 土師氏族の私市氏 土師(はじ)は、ハシ(鷲)に転訛す。埼玉郡鷲宮村鷲宮神社文書に「莿萱氏、天穂日命領地鷲宮村住、鷲宮郷士。社伝に云、穂日宮・船こし村(加須市)より船を浮免松燈をてらして浮島に送り奉る。御宮此地に止り給ひ東夷の政を治しむ、御所の前に船棹二本立て注連を張り是朕が神門なりとの給ふ、此時大鷲と云御車の名を取り鷲宮と改たり、船こし村と鷲宮村は穂日の御宮の附られし村なりと云。鷲宮大明神・祭神は天穂日命、神代鷲宮村鎮座す。足利尊氏御代の時、土師山改鷲山と号す」と。私市氏系図に「武州埼玉郡太田庄鷲宮大明神の氏人たるにより、姓を私市と号す云々。但し姓名録に見へず。牟自―勇祢―百庭―七国―本麿―浜黒―浜人―広成(神護景雲三年西大寺建立時、浜人、広成は大福者たり、布一千五百疋、稲六万束を寄進し上聞に達し、従五位上に叙せらる)―黒山(私市部領)―黒長(部領使)―黒公―武蔵権守家盛―家景―掃部助則家(弟草原忠家、私市長久)―則房―河原権守成方(武州埼玉郡、同国男衾郡所々相伝)―太田太郎成澄―小沢太夫有光。成澄の弟河原五郎成直―河原太郎有直(弟河原次郎高直)―小太郎重直(弟成木守直)―兵衛尉景直(弘安乱討死)。武蔵権守家盛の弟成木太夫家信、其の弟久下太郎為家―久下次郎重家―久下太郎則氏(弟市田次郎保則)―楊井小次郎憲春(弟に憲重、光憲)」と見ゆ。此の系図は、但馬国造族の日下部系図を引用しており、全く信用出来ず。日下部系図に「孝徳天皇―有馬皇子―表米(養父郡大領)―都牟自(養父郡少領)―勇祢、弟百足、其の弟物代―七国―乙益―広成―黒山―黒長―黒公、七国の弟本麿―浜黒―浜人。都牟自の弟荒島(朝来郡大領)―治長―国当―国守―乙長―磯主(朝来郡大領)―貞祢(同大領)―実樹(朝来郡司)―公基―親竝(竹田貫主)―左遠(朝来郡司)―貞任―奉任(磯部貫主、康和元年死)―磯部次郎家俊―俊宗―家盛(弟勢坂三郎家信)―家景―則家―則房―重房―磯部祐高、則房の弟則氏―二郎左衛門尉憲春(弟憲重)、則氏の弟保則―光憲」と見ゆ。日下部氏族は但馬国朝来郡磯部郷の住人なり。武州鷲宮大明神(浮島明神とも号す)の氏子は大島郷の私部一族にて、私市党は無関係なり。

五 大私部直 延暦二十四年十月紀に「千葉国造大私部直善人、外従五位下を授く」と見ゆ。后の封民を私部、皇后の封民を大私部と云う。但し、千葉国造族の大私部直は、大族の大ノ私部で、皇后の封民では無い。直姓は武蔵国造と同族の出雲臣族にて、下総国葛飾郡の私部を支配管掌す。大、千葉条参照。古代氏族系譜集成に「大私部直善人―押足―虎―小国―清継―福成(葛飾郡擬大領)―武蔵権守幹成(武蔵国検非違使所、大里郡私市村に住む)―私市太夫宗直―久下権守政直―茂直(大里郡領)―成木権守直幹(押領使)―私市直縄」と見ゆ。私市村は私部の居住地にて、久下村の別称か。

六 私市党 風土記稿騎西町久伊豆社条に「当社に宣化天皇八代の後胤、従五位上木工頭丹治貞成の霊社あり。貞成の子峰成、私市党の始祖にして、後略して私の党と唱ふ。此の人の弟を貞峰と云ひ、丹治党の始祖なり、略して丹の党と云ふ。此の二党の子孫分れて武州に多し、其の子孫の居所多く此の神社を祭れりと。されば峰成の父貞成を祭れりと云ふも、亦所謂あるに似たり」と。丹治比真人貞成(木工頭、遣船使長官)、其の子右中弁貞峰(貞観十六年卒)の後裔説は誤りなり。丹治条参照。中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「私市、丹治、本国武蔵、太夫幹成・称之。騎西共」とあり。騎西郡(寄西)の地名は無関係なり。丹治系図(武蔵志)に「多治比浜成(武蔵国司)―木工頭貞成(天長九年四月二十五日)―左京太夫峰成(私党祖)―高成―永成・・・(此人系引方不知)・・・太夫判官幹成(天暦七年三月二十五日任武蔵介、武蔵国司、同州私市邑に下向し居す、以って私市氏と為す)―私市太夫宗直(相模介、武蔵介)―私市太夫政直(大舎人、但馬守)―私市太夫左京亮茂直(久下、私市、埼玉、河原、瀬山、瓶尻、太田、水深、箱田、奈良、玉井、十一苗の祖)―熊谷兵衛太郎直季(天喜元年十月於武州大里郡熊谷)、弟肥塚三郎直長、其の弟熊谷四郎直信(紋丸の内三字)」と見ゆ。此の一族の本拠地は熊谷周辺で、騎西町或は鷲宮町は無関係なり。熊谷条参照。

七 私市党成田氏 鎌倉九代記に「永禄九年八月十六日、武州忍城主成田下総守長康が長子氏長、父に叛逆を企つるも、その後、父子和睦す。成田は武州の住人にて私党の旗頭なり。同党に忍、酒巻、中条、別府、久下、須賀などいへる侍あり。長康が父、中務入道宗蓮が時代に忍某を討取て、其所に城を築て居す。酒巻以下の同党等成田に従ふ」と見ゆ。

八 大川戸氏族の私市氏 風土記稿騎西町久伊豆社条に「騎西領中の惣鎮守にして古社なり。東鑑、建久五年六月三十日、『武蔵国大河戸御厨に於いて、久伊豆宮神人等、喧嘩出来の由、其の聞あり云々』と見えたるは、こゝのことなるべし」と。埼玉郡大松村(越谷市)栄広山由緒著聞書に「頃は嘉吉元年正月、将軍義教下知を伝へ結城の残党極し求め委誅しはたすべしとなり、大軍を以って大川戸(松伏町)へ襲ひ来る。大川戸が類葉武州の私市、清久、高柳の人々本家救ひのため来る」と見ゆ。

九 私氏 川越光西寺文書に「文永九年八月二十五日、幕府は、養父盛元法師法名如願の譲りに任せ、武蔵国東江袋村内屋敷名田(妻沼町)、並びに出雲国真松名を西条兵衛太郎私盛定に安堵す」と。幡羅郡西条村(妻沼町)の私姓西条氏なり。また、武蔵古文書に「正応元年十月二十日、幕府は、亡父私左衛門尉法師法名光真の譲り状に任せ、領地武蔵国石神郷塚村内(上里町)の田地を姫若に安堵す」と見ゆ。また、鎌倉円覚寺文書に「暦応三年四月二十四日、私重実は、武蔵国田島郷内田一町一段・在家一宇を建長寺塔頭正続院末寺長福寺住持祖広に打ち渡す」と見ゆ。大里郡恩田御厨田島郷(大里町)なり。恩田条参照。また、多摩郡成木村(青梅市)安楽寺大般若経奥書に「貞治二年二月二十二日、左衛門尉私武光。同年卯月下旬、執筆私忠家。同三年九月二十八日、私忠直・春秋三十二歳」と見ゆ。成木氏か。或は、あきる野市の私市氏か。

木坂 キサカ 浦和、大宮、宮代、杉戸、春日部、羽生、川越等に存す。

木阪 キサカ 東松山、杉戸等に存す。

紀坂 キサカ 朝霞に存す。

気境 キサカイ 朝霞に存す。

象潟 キサカタ 川口、戸田、草加等に存す。弘前市五戸あり。

木崎 キザキ 足立郡木崎村(浦和市)の辺を木崎庄と称す。葛飾郡木崎村(杉戸町)あり。東京都青梅市百六十戸、茨城県新治郡八郷町十四戸、福島県大沼郡会津高田町十五戸あり。私市(きさい)条参照。

一 多賀谷氏重臣の木崎氏多賀谷家譜に「多賀谷弥五郎政朝・応永中に結城に来り、結城満広に属す。此弥五郎政朝は男子なくして、女子を持、行年五十七歳にて卒す。之に依り一族の家臣木崎・金窪・糟谷・渡辺等相議して、結城の二男小次郎満広を請して、政朝の嫡女に嫁す」と見ゆ。田ヶ谷村に木崎・金窪・渡辺氏等存し、多賀谷氏に従う。

二 高麗郡加治衆の木崎氏 赤沢村星宮神社棟札(飯能市)に「元亀二年二月三日、妙見大菩薩宮、施主加治修理太夫、幾崎帯刀」と。御祭礼之覚写(大徳院旧蔵文書)に「卯正月七日、かぢ衆木崎兵部」と見ゆ。二十二項参照。

三 八王子城士の木崎氏 青梅和田文書に「永禄七年五月二十三日、北条氏照は、三田氏の旧臣木崎又兵衛等を清戸三番衆に定める」と見ゆ。青梅市の住人か。

四 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「三両余二人扶持・木崎徳兵衛、同高・木崎安兵衛」あり。

五 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「五両二人扶持・木崎清弥」あり。

六 葛飾郡銚子口村(春日部市) 香取社文化十四年太皇神碑に木崎六兵衛。明治三十年人名録に木崎六之助・慶応三年生・地租十九円あり。一戸現存す。

七 埼玉郡岩槻町 明治三十五年に木崎栄蔵あり。

八 同郡長宮村(岩槻市) 香取社文政元年大黒天碑に木崎惣右衛門あり。現存無し。

九 同郡柏崎村(岩槻市) 円福寺享保七年供養塔に柏崎村木崎善衛門。野島村浄山寺文化十年供養塔に柏崎村木崎善右衛門。岩槻町秋葉社天保三年狛犬に柏崎村木崎栄□・木崎専内・木崎善右衛門あり。五戸現存す。

一〇 同郡日出安村(騎西町) 正能村諏訪社霞永五年富士講碑に日出安村木崎熊次郎あり。現存無し。

一一 同郡外田ヶ谷村(騎西町) 久伊豆社享和三年御神燈に木崎惣右衛門、嘉永六年幟碑に木崎宗右衛門・木崎源兵衛・木崎倉吉、安政二年水鉢に木崎八十右衛門。明治十八年最上農名簿に木崎嘉之助・耕宅地五町六反歩・山林一反歩所有あり。七戸現存す。一項参照。

一二 同郡内田ヶ谷村(騎西町) 当村文政二年馬頭尊に内田ヶ谷村木崎又兵衛あり。二戸現存す。

一三 同郡加須町 明治三十五年理髪店木崎清一郎あり。

一四 同郡久下村(加須市) 明治三十五年酒商木崎伴蔵あり。三戸現存す。

一五 同郡忍町 明治三十五年小間物商木崎茂吉あり。

一六 同郡袋村(吹上町) 野村玉松堂明治三年入門に袋村嘉善左衛門倅木崎善左衛門あり。四戸現存す。

一七 吹上村 吹上神社明治四十三年碑に木崎喜兵衛あり。

一八 鴻巣宿 加納村天神社嘉永二年御神燈に鴻巣宿木崎吉右衛門。上谷新田金剛院元治元年碑に鴻巣宿木崎吉右衛門(旅籠屋)あり。

一九 福岡村 長宮氷川社明治二十七年正殿碑に中福岡・木崎九十郎あり。

二〇 川越町 明治三十五年乾物魚商木崎本次郎。昭和三年興信録に川越市・木崎本次郎・所得税九十五円・営業税八十四円、木崎守長・所得税十四円あり。

二一 越生町 明治三十五年鍛冶職木崎松蔵あり。

二二 高麗郡赤沢村(飯能市) 中山村智観寺万延元年本堂再建覚書に屋根葺工棟梁中屋敷木崎助五郎・同木崎菊次郎。横瀬村気楽流柔術加藤門弟に明治十七年赤沢郷木崎松太郎・二十二歳あり。六戸現存す。二項参照。

二三 同郡上赤工村(飯能市) 明治十年山稼議定書に上赤工村木崎初五郎あり。八戸現存す。

二四 同郡上直竹村(飯能市) 下分富士浅間社天保七年絵馬に木崎双吉、年不詳に木崎亀松・木崎安蔵。明治九年上分副戸長木崎国太郎・天保元年生、下分副戸長木崎幾太郎・天保七年生あり。十五戸現存す。

二五 同郡下直竹村(飯能市) 慶長年中に木崎庄次郎は石灰製造を始める。明治二十二年埼玉勧業会員木崎熊次郎あり。一戸現存す。

木嵜 キザキ 入間、東松山に存す。

鬼崎 キザキ 川口、戸田等に存す。オニザキ参照。

木佐木 キサキ 川越、上福岡、狭山、皆野、妻沼、岩槻、春日部に存す。

木作 キサク 狭山に存す。

木佐貫 キサヌキ 幡羅郡新堀村(熊谷市)に此氏の旧家あり。五戸現存す。

象野 キサノ 川越喜多院五百羅漢像銘文に入間郡八ツ島村(川越市)象野武右衛門あり。現存無し。

木佐美 キサミ 朝霞、鳩ヶ谷等に存す。栃木県大田原市十三戸あり。

一 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「十石・木佐美勘太夫」あり。

喜佐美 キサミ 大宮、戸田、春日部等に存す。栃木県矢板市七戸あり。

喜佐見 キサミ 矢板市五戸あり。

木佐森 キサモリ 大宮に存す。

木皿 キサラ 浦和、大宮、桶川、鴻巣、新座、草加、幸手、春日部、入間等に存す。宮城県黒川郡大和町二十三戸、名取市四十八戸、岩沼市二十六戸あり。

如月 キサラギ 大宮、与野等に存す。

木皿儀 キサラギ 浦和、新座、狭山等に存す。

木更津 キサラヅ 銚子市六戸あり。

木沢 キザワ 各市町村に存す。茨城県久慈郡大子町十七戸、つくば市五十戸、新潟県新津市十五戸、見附市十一戸、鳥取県米子市十戸あり。

一 忍城士の木沢氏 成田分限帳に「十三貫文・木沢無右衛門」あり。

木澤 キザワ 各市町村に存す。

鬼沢 キザワ 足立郡下戸田村字鬼沢あり。各市町村に存す。千葉県成田市四十戸あり。オニザワ参照。

鬼澤 キザワ 浦和、大宮、上尾、三郷、草加、本庄等に存す。

喜澤 キザワ 越谷、杉戸等に存す。

木沢畑 キザワバタ 川越に存す。岩手県久慈市八戸あり。

岸 キシ 岸は浦の意味で海洋民なり。或は吉士の佳字か。根岸、峯岸条参照。足立郡岸村(浦和市)、入間郡岸村(川越市)あり。此氏は武蔵国、上野国、出羽国に多く存す。○群馬県北群馬郡吉岡町二十七戸、群馬郡群馬町百戸、佐波郡境町二十戸、渋川市百三十戸、藤岡市六十八戸、高崎市七十戸、前橋市八十戸。○栃木県小山市百五十戸、栃木市百六十戸。○茨城県那珂郡緒川村三十戸。○新潟県岩船郡神林村二十八戸、長岡市七十戸。○山形県西村山郡河北町四十五戸、最上郡金山町四十戸、最上町六十八戸、戸沢村二十五戸、新庄市六十五戸、山形市百二十戸。○秋田県北秋田郡比内町二十四戸。○青森県南津軽郡大鰐町二十七戸、碇ヶ関村五十戸。○島根県出雲市百二十戸。○鳥取県日野郡日南町二十戸あり。

一 河原党岸氏 武蔵志に「河原氏古文書に云ふ。治承四年三月、惣侍列位・岸軍次三郎、是は河原太郎家の武家法令也」と見ゆ。

二 岩附城士の岸氏 風土記稿埼玉郡百間東村(宮代町)条に「鈴木雅楽助は太田氏房の旗下となれり。天正十五年文書に、人足役一人・岸与二郎」と見ゆ。

三 鉢形城士の岸氏 関東古戦録に「天正十八年四月六日北条氏邦は鉢形を発し、小田原へはせ来る。酒匂の萱野へ打出て、氏邦の家人にて岸主税助という大剛のもの、大須賀勢に筋力をつかれ、竟に生捕れにけり」と見ゆ。

四 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御者頭・三百石・岸半右衛門、忍屋敷番・十人扶持・岸八左衛門」。享保八年忍藩軍役帳に「百石・岸与左衛門」。文化四年分限帳に「御馬廻・二百石・岸八三郎」あり。

五 忍藩松平下総守(奥平) 嘉永六年忍藩分限帳に「御物頭・二百五十石・住口作手城・岸嘉右衛門、御馬廻・八十六石余・岸此兵衛、大小姓・三両三人扶持・岸小源太」。明治四年忍藩士族名簿に「二百五十石・岸嘉十郎、八十六石余・岸政辰」あり。岸嘉右衛門は、官軍隊長楢崎頼三と談合して忍開城に尽力し、明治三年没三十六歳。

六 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・岸貞、十二俵二人扶持・岸清吉、五両二人扶持・岸明吉」あり。

七 葛飾郡惣新田村(幸手市) 幸手町雷電社明治十七年御嶽碑に惣新田シカノ内・岸茂左衛門。字東川香取社明治三十九年碑に岸伊平次・岸定右衛門・岸茂左衛門(安政元年生)あり。四戸現存す。

八 埼玉郡小林村(菖蒲町) 妙福寺天保二年題目講碑に岸政吉・岸四郎左衛門。明治九年副戸長岸孫兵衛・天保十一年生。三ツ木村三ツ木神社明治二十五年碑に西小林村岸孫兵衛。当村明治二十六年聖徳太子碑に岸さく・岸庄太郎あり。十四戸現存す。

九 同郡鷲宮村 鷲宮神社文政十二年金燈籠に当所岸伝兵衛・岸伊兵衛あり。十戸現存す。

一〇 同郡北大桑村(大利根町) 宝蔵寺寛文四年供養塔に岸惣右衛門、寛政元年庚申塔に岸武右衛門。円福寺宝暦四年絵馬に北大桑村岸与右衛門。当村安永六年庚申塔に岸平左衛門。香取社弘化三年狛犬に岸伊勢五郎・岸長治郎あり。一戸現存す。

一一 同郡下高柳村(加須市) 八坂社明治二十六年碑に岸権太郎あり。一戸現存す。

一二 同郡藤井村上組(羽生市) 平野家譜に「平野市左衛門(常心居士、寛文十三年没)は、藤井村へ引込め百姓となる。其節藤井村名主岸無玄は常心居士妻の弟なり」と見ゆ、無玄の子孫は岸悌治家なり。香取社文政六年御神燈に岸三郎次、嘉永二年奉額に当所岸健三郎、安政四年奉額に岸勝二郎。明治九年戸長岸保太郎・天保十四年生。下川上村愛染堂明治二十七年藍製講に藤井・岸新十郎あり。三戸現存す。

一三 同郡下忍村(吹上町、行田市) 吹上町下忍千手院天保三年宝篋印塔に岸林蔵。行田市下忍遍照院天保九年二十三夜塔に当所岸庄次郎あり。吹上町分に三戸現存す。

一四 足立郡岸町(浦和市) 明治三十五年旅館岸周司あり。

一五 同郡道場村(浦和市) 土豪にて、天正十九年検地帳に「岸分」と見ゆ。現存無し。

一六 同郡与野町 氷川社寛延三年御神燈に岸善吉。正円寺宝暦七年地蔵尊に当宿岸勘右門。鈴谷村金毘羅堂天保五年水鉢に与野町上町岸三九郎。明治五年組頭岸平右衛門あり。

一七 同郡大宮町 明治三十五年飲食店岸助次郎・石油問屋岸嘉十郎あり。

一八 同郡大谷領別所村(大宮市) 稲荷社明治四十四年御神燈に岸倉次郎あり。六戸現存す。

一九 同郡飯田新田(大宮市) 八幡社正徳三年弁天碑に岸庄左衛門あり。一戸現存す。

二〇 同郡内野村(大宮市) 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡内野村岸四郎右衛門あり。

二一 同郡加茂宮村(大宮市) 天満宮安政五年水鉢に当所岸甚右衛門あり。十九戸現存す。

二二 同郡吉野原村(大宮市) 当村に此氏多く存す。風土記稿吉野原村条に「清淨院の草創は、当村の岸将監といへる人ありて、己が屋敷に庵室を結ぶ。其後天正二年村民等相謀てここに移せりと云ふ。将監は村の庄屋を勤しゆへ土俗庄屋坊と呼ぶ」と見ゆ。吉野神社元禄十三年庚申塔に吉野村岸又兵衛。宝永四年検地帳に「三郎兵衛(岸)・六町八反二畝歩、惣左衛門(先祖岸勘解由)・六町六畝歩、権左衛門(岸)・五町四反九畝歩、伝左衛門(先祖岸内蔵助)・四町九反三畝歩、金右衛門(岸)・四町一反歩、又兵衛(先祖名主岸将監)・三町七反四畝歩、主計(先祖岸主計)・三町二反二畝歩、又左衛門(先祖岸帯刀)・二町二反八畝歩」と見ゆ。清淨院明和三年宝篋印塔に吉野原村岸平左右衛門、文化六年銘に堀内第六世岸平左衛門母、天保四年六地蔵に岸長右衛門。吉野神社天保三年碑に岸平蔵。明治九年戸長岸友右衛門・文政五年生、副戸長岸仙三郎・安政元年生、副戸長岸喜太郎。蓮沼村神明社明治三十一年松沢碑に吉野原岸権蔵。浅間社明治三十三年碑に吉野原・岸平兵衛・岸喜平治・岸清次郎・岸藤吉・岸平吉・岸八十八郎あり。

二三 同郡上尾町 愛宕社明治四十四年碑に岸竹次郎・岸巳之助・岸留吉・岸卯之助あり。

二四 同郡瓦葺村(上尾市) 当村元禄十三年庚申塔に瓦吹村岸伝右衛門・岸佐衛あり。二戸現存す。

二五 同郡日出谷村(桶川市) 当村に此氏多く存す。下日出谷村知足院元禄十四年墨書銘に岸五右衛門、天保三年馬頭尊に日出谷村岸要助、天保十五年馬頭尊に上日出谷村岸勇次郎、安政五年水鉢に日出谷村岸源助。字原新田元治元年碑に岸広吉。明治八年下日出谷村地租改正請書に岸喜八・岸久八・岸竹八・岸勇八・岸勝五郎・岸吉七.。釘無村明治十九年馬頭尊に日出谷村岸弥造。氷川社明治二十年水鉢に上日出谷村岸市五郎・岸久八・岸惣五郎・岸清次郎・岸京蔵・岸才吉、明治三十九年碑に岸慶之助・岸紋太郎・岸千代蔵。上州榛名神社明治二十二年御神燈に武蔵国北足立郡上日出谷村岸市五郎。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に日出ヤ岸才吉あり。

二六 同郡小針内宿村(伊奈町) 東光院天保九年筆子碑に当村岸要八・岸喜代吉。小針神社天保九年水鉢に小針内宿村岸半左衛門・岸茂兵衛・岸三五郎・岸ふで・岸吉五郎あり。三戸現存す。

二七 新座郡野火留宿(新座市) 明治十六年西堀村物産表に岸国五郎あり。八戸現存す。

二八 同郡館村(志木市) 館村旧記に「永禄四年、館村柏城落城す、城主大石信濃守郎従に岸林平あり、のち当所へ立ち戻り、二の丸の廓の前に岸茂左衛門屋敷取る、是を中宿といふ」と。宮原文書に慶長年中・館村名主貴志茂兵衛、寛文十二年館郷岸三郎右衛門。行屋稲荷社正保五年庚申塔に館村岸忠右衛門。氷川社寛文十一年庚申塔に仁伊倉郡岸甚右門。宝幢寺享保十一年鐘銘に館村岸六右衛門。当村宝暦九年石橋供養塔に館村岸平吉・岸彦八.。氷川社嘉永六年碑に岸仁右衛門・岸忠治郎・岸勇五郎・岸清兵衛。敷島社明治五年富士碑に館村岸文次郎・岸孫市・岸祐次郎。不動堂明治十四年不動尊に志木宿岸清次郎あり。八戸現存す。

二九 入間郡川崎村(上福岡市) 当村宝永二年弁財天碑に川崎村岸伝右衛門。氷川社弘化二年地蔵尊に岸伝右衛門あり。三戸現存す。

三〇 同郡荒幡村(所沢市) 明治五年名主岸宗十郎、製茶業岸源左衛門。明治九年戸長岸宗重郎・文政九年生。本郷村東福寺明治十年供養塔に荒畑村岸源左衛門。明治十五年北広堂碑名簿に岸環。明治二十二年埼玉勧業会員岸初五郎。浅間社明治三十九年碑に岸左馬之助(山上に多くの碑あるが蜂がいて登れず)。久米村水天宮明治四十一年碑に荒幡・岸源重あり。二戸現存す。

三一 同郡岩崎村(所沢市) 当村に此氏多く存す。明治九年山口村地主誓約書に岸与助・岸仙蔵・岸文平・岸松五郎・岸市郎左衛門・岸利八・岸常五郎・岸半次郎・紺屋岸八右衛門・古着屋岸幸次郎。本郷村東福寺明治九年水鉢に岩崎村岸綱五郎・岸幸次郎。明治十五年北広堂碑名簿に旧岩崎・岸綱五郎・岸長松・岸幸太郎・岸林蔵・岸森三郎。当村瑞岩寺明治三十二年地蔵尊に当所・岸利八・岸与助・岸仙蔵・岸権吉・岸幸蔵・岸コト・岸八五郎・岸文平・岸綱五郎・岸カク・岸喜三郎・岸伊勢蔵・岸竹次郎・岸森太郎あり。

三二 同郡宮寺村(入間市) 明治十五年染物屋岸才治郎あり。三戸現存す。

三三 同郡入間川町(狭山市) 明治三十五年石炭商岸平三郎。八幡社明治四十二年碑に入間川町岸音吉・岸藤十郎あり。

三四 同郡中新田村(狭山市) 堀兼村堀兼神社文政四年御神燈に中新田村岸七右衛門あり。現存無し。

三五 同郡南入曽村(狭山市) 明治四十四年織物製造業岸栄作あり。二戸現存す。

三六 同郡川越町 天台宗中院過去帳に「妙玉尼・岸妻・戊子十一月九日」と、戦国時代なり。日蓮宗行伝寺過去帳に「浄信・スカマノキシ・酉年九月。妙忍・岸殿内。妙経・岸加兵衛内。妙正・岸衆・未年正月。善心・岸・巳年九月。妙法・岸殿内方・未年八月。道意・岸十蔵・申年六月。法正・キシ。法岸・高沢のキシ・辰年十一月。道香・岸・子年九月。道久・仙波ノ岸・丑年十月」と、江戸時代初期にて、高沢町・仙波村・菅間村の住人なり。菅間村に現存なし。釘無村明治十九年馬頭尊に川越町岸安五郎。喜多院明治三十四年水鉢に小仙波村下駄職岸治三郎、大仙波村下駄職岸金太郎。明治三十五年洋物店岸浅次郎・酒商岸仲次郎・下駄職岸金次郎。三芳野神社明治四十年碑に石原町岸仲次郎あり。

三七 同郡古谷上村(川越市) 古尾谷八幡社延宝七年鰐口銘に古谷上村岸市郎衛門、明治三十八年碑に古谷村岸光之助。古谷神社明治初期御神燈に岸滝蔵。善仲寺明治二十七年敷石供養塔に岸喜代次郎・岸広右衛門。小仙波村喜多院明治三十四年水鉢に古谷上・下駄職岸茂助あり。五戸現存す。

三八 同郡大袋村(川越市) 明治九年副戸長岸伝吉・天保十三年生。白髭社明治四十年御神燈に岸伝之丞・岸甚之助。藤倉村天神社明治四十一年碑に日東村岸初之輔・岸伝之丞あり。十戸現存す。

三九 同郡塚越村(坂戸市) 住吉神社宝永五年水鉢に勝呂郷塚越村岸宇兵衛、文久三年御神燈に当所岸卯之助。当村万延元年水鉢に当所岸喜三郎あり。四戸現存す。

四〇 同郡川角村(毛呂山町) 入間郡誌に「川角村は小室氏、清水氏、岸氏、仲井氏を以て古しとなす」と。川越三光町妙昌寺過去帳に「文久元年、机六脚納る、川角村岸定右衛門」と。八幡社明治三十年碑に川角・岸治平あり。四戸現存す。

四一 同郡大類村(毛呂山町) 明治五年名主岸藤十郎。明治九年副戸長岸佐十郎・天保七年生。明治十九年大類村議員岸半次郎。明治三十四年川角村会議員岸鶴吉あり。九戸現存す。

四二 高麗郡戸宮村(坂戸市) 的場村御嶽社明治二十四年碑に戸宮・岸新八あり。現存無し。

四三 同郡的場村(川越市) 戸宮村御嶽社明治十三年水鉢に的場村岸仲太郎。八坂社明治十五年水鉢に当所宿・岸仲二郎。県会議員農業岸弥吉・慶応元年生あり。十五戸現存す。

四四 同郡脚折村(鶴ヶ島市) 当村元禄六年庚申塔に臑折村岸喜左門あり。二戸現存す。

四五 同郡広瀬村(狭山市) 下広瀬村に此氏多く存す。日蓮宗信立寺祀縁に「麗顔艶密信女・下広瀬村田中・岸弥七倅岸国五郎アネ上・天保十三年五月六日。善端成果居士・喜右衛門婿下広瀬村岸五左右衛門・是は下広瀬村禅竜寺檀方也・天保十四年七月十五日。弘化二年下広瀬村名主岸清兵衛信房・金二分之納、同村岸五左衛門・金一両二分之納。安政二年上広瀬村百姓代岸直七、下広瀬村百姓代岸弥七、寺世話人岸半次郎・坂下組岸武左衛門」。広瀬神社安政五年碑に当所岸宰兵衛・岸国五郎。万延元年山崎文書に下広瀬村名主岸宰兵衛。高倉村高倉寺文久二年筆子碑に広瀬村岸甚兵衛。上広瀬村浅間社元治元年筆子碑に下郷・岸弥七・岸喜平。信立寺明治十四年筆子碑に下郷・岸八郎・岸辰五郎・岸歌五郎・岸良之助・岸金太郎・岸周三郎・岸亦吉・岸周吉・岸茂市郎。広瀬神社明治二十一年碑に岸金三郎・岸良助・岸虒治郎、明治二十四年碑に当所・岸勘兵衛・岸佐吉・岸国五郎・岸庄八郎・岸半七・岸良之助。明治二十七年上広瀬村地租調査に岸清吉・岸半七・岸孫七・岸良三郎・岸国五郎・岸勘米・岸治郎平・岸鋭三郎・岸岩次郎。上広瀬村浅間社明治四十五年碑に岸良三郎・岸治郎平・岸寅次郎・岸豊次郎・岸鉄五郎・岸平次郎・岸権三郎・岸源太郎・岸弁次郎あり。

四六 比企郡小見野村(川島町) 小仙波村喜多院明治三十四年水鉢に小見野下駄職岸只七あり。現存無し。

四七 同郡松山町 箭弓稲荷社天保十一年棟札に工匠飯田和泉の弟子で拝殿を彫刻した岸又八の子孫は松葉町に現存す。

四八 同郡上唐子村(東松山市) 唐子神社忠魂碑に岸又治・岸宗次郎あり。八戸現存す。

四九 榛沢郡深谷町 呑龍院明治四十五年馬頭尊に深谷観音講・岸清一郎あり。

五〇 同郡上手計村(深谷市) 阿弥陀堂元禄十六年地蔵尊に岸源右衛門・岸七兵衛。八基村会議員岸六五郎・明治二十年生あり。四戸現存す。

五一 同郡中瀬村(深谷市) 中瀬神社明治四十一年碑に岸幸次郎あり。現存無し。

五二 賀美郡黛村(上里町) 金久保村陽雲寺武田家遺臣碑(明治三十年)に「岸市右衛門尉藤原之敬の後裔、黛・岸十郎敬順。岸左近太夫敬康の後裔、黛・岸善次郎」あり。三戸現存す。

五三 同郡肥土村(神川町) 広野神社明治三十九年碑に岸要五郎・岸亀吉あり。二戸現存す。

五四 那賀郡広木村(美里町) 男衾郡立原村吉定寺鐘銘に「文禄二年四月二十八日、武州那賀郡広木県・岸宇兵衛、伏龍山大興寺住寺伝法沙門玄智」あり。現存無し。

五五 秩父郡皆野村 宝登山神社明治七年棟札に大工荒船庸芳弟子皆野村岸吉五郎あり。四戸現存す。

五六 同郡下吉田村 明治十二年小前総代岸十七吉。金剛院明治三十年筆子碑に岸伊吉。国神神社明治三十四年碑に下吉田村岸勘重・岸十七吉あり。十二戸現存す。

五七 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「大宮町・岸きく・九円・四十二円、岸喜四郎・二十四円・六十一円、宮原村(大宮市)・岸久次郎・十五円、岸権蔵・十一円、川越市・岸浅次郎・六十五円・四十五円、岸市五郎・十六円・三十三円、岸仲次郎・七十四円、霞ヶ関村(川越市)・岸一郎・四十円、入間川町(狭山市)・岸勝治・三十四円・四十四円」あり。

吉士 キシ 吉志、吉師、貴志、岸等の字を用いる。新羅十七等官の第十四を吉士と称す。北山抄・大嘗会事条に、新羅の服属儀礼を芸能化した吉士舞あり、これに安倍氏、難波吉士等が供奉す。多くは摂津国難波に居住して難波吉士と称し、安倍氏の配下となり、安倍氏後裔を称す。

一 安倍族の吉士 姓氏録・摂津国皇別に「吉士、難波忌寸同祖、大彦命之後也。三宅人、大彦命男波多武日子命之後也」と見ゆ。古代氏族系譜集成に「孝元天皇―大彦命―波多武日子命―建忍日子命―勝目命―知香子―白猪―日鷹(雄略九年紀、難波吉士)―万里―山麻呂(安閑二年九月丙午詔、難波吉士等、主掌屯倉之税)―鳥養―稲取―頴足―入石(三宅吉士、天武四年七月紀、為遣新羅副使)。稲取の弟葛麻呂(推古十五年二月、為壬生部、壬生吉志)―諸手(持統天皇四年二月、新羅人投化武蔵国居住、使諸手寧領之焉)―富足―老(追広三)―鷲麻呂(正六位上、男衾郡大領)―糟万呂(外従七位上、郡主政)―松蔭(外正八位下、延暦十二年四月、補軍団大毅)―福正(外従八位上、男衾郡大領、男衾郡榎津郷戸主)―継成(三田領主。弟眞成)―貞継(三田領主)―貞盛(三田領主、谷保県主、延喜十五年多摩郡栗原郷に住す)」と見ゆ。子孫は栗原郷谷保村(国立市)に居住し、谷保氏、又は三田氏を称す。貞盛以下は三田条参照。津戸系図に「菅原三郎道武―武英(道英とも称す。母谷保県主壬生吉志貞盛女)」と見ゆ。

二 武蔵国造族の吉士部 前項の安倍氏後裔を称す吉士部は、安倍族である武蔵国造の後裔とも称す。アベ、オオベ条参照。吉士氏が難波と武蔵のみに存する由縁である。古事記・仲哀天皇条に「難波の吉師部の祖、伊佐比宿祢を将軍とす」と見え、日本書紀・神功皇后摂政元年(仲哀九年の翌年)条に「吉師の祖・五十狭茅宿祢は、因りて、将軍として東国の兵を興さしむ。稚日女尊・曰はく、『吾は活田長峡国に居らむとす』とのたまふ。因りて、海上五十狭茅を以て祭はしむ。忍熊王、五十狭茅宿祢、共に瀬田(近江国)のわたりに沈りて死りぬ」と見ゆ。また、国造本紀・胸刺国造条に「志賀高穴穂朝世(成務天皇)、兄多毛比命の児・伊狭知直を国造に定め賜ふ」とあり。伊狭知直、伊佐比宿祢、海上五十狭茅宿祢のイサチは、みな同一人物である。武蔵国造族海上氏は、東国及び摂津国活田(いくた)に居住していた同族の難波吉士部を管理統卒していた。神戸市生田神社の支配は現今海上氏なり。前項と同じ人名にて、古代氏族系譜集成に「兄多毛比命(武蔵国造、奉祭氷川神)の弟・忍立毛比命(上海上国造)―五十狭茅宿祢―彦狭知(活田大神祝)―阿米―比良氐―櫛足―玉緒麻呂―飛鳥部野麻呂(飛鳥部吉士)、其の弟・飛鳥部牛甘(安閑朝掌武蔵国屯倉之税)―山主―三宅入石(三宅吉士)、山主の弟・壬生葛麻呂(壬生吉士)」と見ゆ。国造本紀には、兄多毛比(えたもい)の子五十狭茅(いさち)とある。

三 男衾郡の壬生吉志 皇子御養育に仕える壬生部(乳部)を管理した吉士は壬生吉士と云う。此氏は摂津国住吉郡榎津郷の壬生部を管理し、武蔵国男衾郡に移住して、其の居住地を榎津郷と名付けた。太政官符(類聚三代格)に「承和八年五月七日、武蔵国男衾郡榎津郷戸主外従八位上壬生吉志福正が、朝廷に二人の息子、壬生吉志継成・年十九、壬生吉志眞成・年十三の調庸前納を申請し認められる」と。続日本後紀に「承和十二年三月二十三日、武蔵国は、朝廷に前男衾郡大領外従八位上壬生吉志福正が、焼亡した国分寺七層塔を再建したいとする願いを言上し許される」と見ゆ。

四 多摩郡の吉志 日本霊異記中卷三に「吉志火麻呂は、武蔵国多麻郡鴨の里の人なり。聖武天皇御世云々」と見ゆ。火麻呂は大麻呂とも読める。多摩郡大神村なり。

五 橘樹郡の飛鳥部吉士 允恭天皇の御名代部を飛鳥部と称し、これを管理支配した吉士は、飛鳥部吉士と称す。神護景雲二年紀に「武蔵国橘樹郡の人、飛鳥部吉士五百国に従八位下を授ける」と見ゆ。

六 三宅吉士 新羅国王子・天日矛後裔と称す屯倉に仕えた三宅部を管理支配したのが、三宅吉士である。天武紀に「三宅吉士入石」と見ゆ。

吉子 キシ 足立郡小室村(伊奈町)文政三年庚申塔に小室宿村吉子藤七あり。現存無し。

吉仕 キシ 新潟県長岡市十戸あり。

木志 キシ 島根県大田市七戸あり。

貴志 キシ 各市町村に存す。秋田市十七戸あり。

一 足立氏流貴志氏 足立郡岸村(浦和市)より起る。足立系図に「足立遠兼(武蔵国足立郡住)、弟貴志蔵人実兼」と見ゆ。

二 安倍姓貴志氏 八王子城士にて、入間郡安松庄城村・本郷村(所沢市)の領主なり。のち徳川氏に仕へ、旧領を知行す。寛政呈譜に「安倍姓、貴志豊後守某(大石道春につかへ、与力同心をあづかる)―兵部正成(北条氏照につかへ、武蔵国阿知免村・野辺村・栗木村・安松庄を領す。慶長八年死す、年六十四)―助兵衛正久(天正十八年東照宮につかへ、慶長十八年死す、年四十六)―八郎右衛門政尚(寛永十年采地二百石加増)。家紋丸に鳩酸草」と。正保田園簿に「貴志八郎右衛門知行・城本郷二百十石」と見ゆ。

三 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御刀番・百石・貴志台右衛門、御取次・五十石五人扶持・貴志伝左衛門、表御中小姓・七両四人扶持・貴志源五郎」あり。

喜志 キシ 日高に存す。

来住 キシ 川口、日高、川越に存す。

木治 キジ 入間に存す。

雉子 キジ 幡羅郡中奈良村字雉子新田、入間郡神谷新田字野雉ヶ久保あり。キジガクボと註す。

義之 ギシ 大宮に存す。

岸井 キシイ 山形県東田川郡朝日村八戸あり。

一 足立郡中分村(上尾市) 明治二十二年矢部文書に岸井弥五右衛門・岸井繁蔵あり。五戸現存す。

二 深谷宿 大里郡神社誌に「西島村稲荷神社は、旧来氏子に岸井友衛門といへる武士ありて、寿永年間・岡部六弥太忠澄に随身して一ノ谷に戦死せらると云ふ。即ち当社は岸井氏の祖先の勧請なり」と見ゆ。同社文久二年御神燈に岸井粂五郎、昭和十四年碑に岸井友衛門後裔旧氏子岸井辰雄。上野台村八幡社明治五年筆子碑に深谷宿岸井藤三郎。呑龍院明治二十三年碑に田所町岸井代三郎あり。子孫は東京へ移転し現存なし。

岸浦 キシウラ 浦和に存す。

岸江 キシエ 上尾、越谷、八潮に存す。

岸尾 キシオ 川越、大井、志木、新座、蓮田、草加等に存す。

雉尾 キジオ 幡羅郡台村字雉子尾、比企郡下押垂村字雉ノ尾あり。

岸岡 キシオカ 秩父郡横瀬村に七戸現存す。文政六年守屋文書に蔵王権現神楽役岸岡兵庫藤原久行。明治十四年神輿寄附連名帳に二番耕地根古屋・岸岡鉄之助、三番耕地根古屋・岸岡林蔵・岸岡清八.。気楽流柔術加藤門弟に横瀬村岸岡政次郎・岸岡楽平・岸岡岩吉あり。

岸沖 キシオキ 秩父、小鹿野に存す。

岸奥 キシオク 八潮に存す。

雉岡 キジガオカ 児玉郡児玉町及び八幡山町は雉岡郷を唱へる。正安三年宴曲抄に「朝市の里、動まで立さはぐ、是やは児玉玉鉾の道行人に事とはん、者の武の弓影にさはぐ雉が岡、矢並にみゆる鏑河」と。風土記稿に「雉岡郷は、八幡山町に雉岡と云ふ山城の跡あり、彼所より起りし名なるべし」と見ゆ。当所に此氏四戸現存す。

岸上 キシガミ 各市町村に存す。

岸川 キシカワ 昭和三年興信録に秩父町・岸川留吉・所得税三十六円・営業税四十七円あり。現存無し。

雉川 キジカワ 大里郡中恩田村字雉川あり。

木鋪 キシキ 上尾、八潮等に存す。長野県飯山市十八戸あり。

吉敷 キシキ 足立郡大宮宿字吉敷町あり。キシキと註す。

一 入間郡久下戸村(川越市) 当村若海氏系図に「初代若海大膳亮豊一(足立郡西堀領主)、二代高柳周防守正嘉、三代吉敷四郎政明(岩附落城後、西堀に住す)」と。西堀村(浦和市)に若海氏存し、吉敷氏は無し。古谷本郷八幡社明治十二年水鉢に久下戸邨吉敷弥平太・吉敷忠兵衛。昭和三年興信録・所得税に「南古谷村・吉敷忠兵衛・二十七円、吉敷為次郎・九円」あり。十一戸現存す。久下戸条参照。

二 同郡今泉村(川越市) 川越鋳物師矢沢文書に「慶応元年、半鐘一口、今泉村名主吉敷甚兵衛武信より注文」と。古谷本郷八幡社明治十二年水鉢に今泉邨吉敷甚兵衛あり。六戸現存す。

岸口 キシグチ 所沢に存す。

岸里 キシザト 川口、越谷、狭山等に存す。岩手県久慈市三十四戸あり。

岸沢 キシザワ 各市町村に存す。 

一 埼玉郡菖蒲町 明治三十五年古着商岸沢忠太郎あり。現存無し。

二 入間郡川崎村(上福岡市) 当村明和元年供養塔に川崎村岸沢半左衛門・岸沢弥左衛門・岸沢半右衛門・岸沢源右衛門・岸沢平右衛門あり。十三戸現存す。

三 同郡豊田本村(川越市) 字阿父老文政六年巡礼塔に岸沢武右衛門あり。現存無し。

四 比企郡上野本村(東松山市) 延宝七年屋代文書に上野本村庄屋岸沢勘兵衛。明治九年戸長岸沢九平・天保七年生あり。十一戸現存す。

岸澤 キシザワ 上野本村に存す。

岸下 キシシタ 上尾、桶川、与野、鴻巣、新座、三郷、越谷、岩槻等に存す。鳥取県倉吉市十四戸、鳥取市十六戸あり。

岸園 キシゾノ 大宮に存す。

木下 キシタ 川越、入間、坂戸、所沢、富士見、春日部等に存す。キノシタ参照。

岸田 キシダ 高麗郡小堤村字岸田あり。○茨城県鹿島郡大洋村二十五戸、鹿島市二十戸。○長野県飯山市百戸。○新潟県中頚城郡板倉町十戸。○宮城県亘理郡山元町十戸。○山形県新庄市十四戸。○島根県(石見国)鹿足郡津和野町十九戸、日原町三十二戸、益田市二十二戸。○鳥取県(伯耆国)東伯郡三朝町十八戸、北条町十九戸、倉吉市五十四戸、(因幡国)岩美郡国府町十四戸、八頭郡船岡町十六戸、鳥取市百十戸あり。

一 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「百石六人扶持・岸田玄格」あり。

二 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「御医師・十人扶持・岸田省吾」あり。

三 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「奥御医師・二十五人扶持・岸田宗泉」。秩父三峰神社安政五年文書に行田・町医岸田宗仙。明治四年忍藩士族名簿に「二十人扶持・岸田宗泉」。明治二十二年成田町医師岸田宗泉あり。行田町に五戸現存す。

四 旗本戸田氏家臣 児玉町八幡社享保十一年鳥居碑に「戸田藤五郎内、岸田又左衛門・岸田源三郎」あり。

五 埼玉郡青柳村(久喜市) 久伊豆社明治三十五年碑に岸田市太郎あり。二戸現存す。

六 同郡下新郷(羽生市) 大光院弘化五年弘法大師碑に岸田浅五郎あり。三戸現存す。

七 同郡上中条村(熊谷市) 江戸末期に組頭岸田庄左衛門。明治九年副戸長岸田愛之助(組頭)あり。三戸現存す。

八 同郡下川上村(熊谷市) 当村嘉永六年御嶽碑に岸田常右衛門あり。一戸現存す。

九 足立郡上尾下村 熊野社明治四十年碑に岸田茂平あり。

一〇 入間郡花ノ木村(入間市) 明治五年准副戸長岸田伊平次あり。六戸現存す。

一一 同郡青柳村(狭山市) 堀兼村堀兼神社文政四年御神燈に青柳村岸田茂平治あり。一戸現存す。

一二 同郡川越町 岩殿村文化十五年正法寺什物帳に川越南町岸田屋吉兵衛。氷川社明治八年水鉢に南町岸田文吉。御嶽社明治三十年碑に岸田竹吉。明治三十五年鍛冶屋岸田喜兵次・豆腐屋岸田藤吉あり。

一三 同郡大仙波村(川越市) 喜多院明治三十四年水鉢に大仙波下駄職岸田幸三郎あり。

一四 同郡坂戸町 明治四十三年糸繭商岸田森太郎あり。

一五 同郡小沼村(坂戸市) 三芳野消防組岸田茂重・明治二十三年生あり。二戸現存す。

一六 高麗郡柏原村(狭山市) 明治二十九年質屋岸田八三郎あり。二戸現存す。

一七 同郡小堤村(川越市) 小名岸田は此氏の屋敷名なり。当村安政三年馬頭尊に岸田昇平藤原保房。川越鋳物師矢沢文書に「慶応元年、半鐘一口、小堤村岸田昇平藤原保房より注文」と。明治九年戸長岸田正弥・天保八年生あり。八戸現存す。

一八 同郡上広谷村(鶴ヶ島市) 当村に此氏多く存す。風土記稿に「正音寺開基は、当村の和泉と云るものゝ由を云伝ふれど年月詳ならず」と。正音寺伝に「開基、弘治元年正月本村岸田荘呂正春なり」と。境内に弘治二年十一月八日銘の正春墓あり。岸田七郎右衛門藤原盈正が記した岸田系図(岸田治三郎家所蔵)に「嚢祖岸田茂呂源正春(弘治二年卒)―和泉正信(上杉朝定之男、養子と為し家督とす。慶長十六年卒):::織部信安(慶長十四年卒)―庄左衛門正茂(寛永十九年卒)―七郎右衛門(元禄七年卒。弟太兵衛は新田に分出・貞享四年卒、其子弥五兵衛)―宗右衛門(享保十八年卒。弟次郎右衛門、其子次兵衛):::善左衛門(延享三年卒)―右兵左衛門(延享三年卒):::後の孫兵衛(寛保三年卒。弟弥五兵衛)―儀左衛門(明和元年卒)―岸右衛門正広(天明元年卒)―七郎右衛門源盈正(文化十年卒)―源助(文久二年卒)」と見ゆ。当村宝暦四年地蔵尊に上広谷村岸田権平・岸田勝右門。明治十二年上広谷村議員に岸田源造・岸田浅治郎。明治二十三年三峰講員に岸田久七・岸田和三郎・岸田愛三郎・岸田保造・岸田幾三郎・岸田清治郎・岸田七郎・岸田新五郎・岸田達五郎・岸田運平・岸田源蔵・岸田長治郎・岸田平吉あり。

一九 同郡五味ヶ谷村(鶴ヶ島市) 当村に此氏多く存す。上広谷村条に「五味ヶ谷は旧く広谷村の小名なるよし。正保の国図に一村に分ち載たれば、分村のことは慶安年間より以前なり」と。前項の系図に「五味ヶ谷嚢祖岸田内蔵之介(寛永七年卒)―藤右衛門―五兵衛(寛文十年卒):::平兵衛―伴右衛門―伴右衛門―半兵衛」と見ゆ。上広谷村元禄十四年地蔵尊に五味ヶ谷村岸田利兵衛。入間郡青木村宝珠寺宝暦十三年六地蔵に五味ヶ谷村岸田半右衛門。文久二年名主岸田半左衛門。明治九年戸長岸田愛三郎・天保十四年生、副戸長岸田浅治郎・文政七年生。明治十二年小前総代岸田浅五郎、筆生岸田知三郎あり。

二〇 同郡天沼新田(川越市) 風土記稿に「往昔上広谷村の民来りて開墾せしといふ。正保の後に開けし村なるべし」と。上広谷村岸田系図に「天沼嚢祖岸田某(宝永三年卒)。先の孫兵衛(延宝八年卒)の弟宗兵衛―勘之丞」と見ゆ。某は宗兵衛のことか。名主岸田勘之丞は明和一揆勢に打毀される。当村安永七年地蔵尊に天沼村岸田勘之丞。明治九年戸長岸田節三・文化十三年生あり。五戸現存す。

二一 同郡太田ヶ谷村(鶴ヶ島市) 当村草分けなり。明治六年に六戸存し、今は八戸現存す。満福寺安永六年六寺蔵に当村岸田太左衛門、明治十四年地蔵尊に岸田万造。明治九年質屋岸田弁之助。明治二十二年埼玉勧業会員岸田佐助あり。

二二 同郡藤金村(鶴ヶ島市) 当村に此氏多く存す。字仲橋嘉永元年地蔵尊に岸田音次郎・岸田浅次郎・岸田利左衛門・岸田豊次郎・岸田弥曽市。脚折村明治四年戸籍に藤金新田・岸田宮治・岸田亀右衛門後家。明治九年地租改正確書に岸田藤十郎・岸田久右衛門・岸田久三郎・岸田庄之助・岸田和吉・岸田宇吉・岸田平十郎・岸田うめ・岸田浅吉・岸田林助・岸田宮治・岸田徳兵衛あり。

二三 比企郡平村(都幾川村) 滝ノ鼻公園明治三十一年太子講碑に宿組岸田長五郎あり。現存無し。

二四 深谷町 瑠璃光寺明治二十九年筆子碑に岸田清吉あり。一戸現存す。

二五 児玉町 八幡社明治二十三年御嶽碑に岸田吾作あり。現存無し。

二六 雑載 昭和三年興信録・所得税に「浦和町・岸田武治・十四円、鶴ヶ島村・岸田定治・十五円」あり。

雉子田 キジタ 埼玉郡大泊村字雉子田あり。

岸高 キシタカ 浦和に存す。島根県益田市四戸あり。

岸谷 キシタ二 狭山、日高、岩槻、戸田、上尾等に存す。

岸塚 キシヅカ 浦和、草加等に存す。

岸槌 キシツチ 所沢に存す。

雉鳥 キジトリ 浦和に存す。

岸名 キシナ 北本に存す。

岸菜 キシナ 和光に存す。

岸波 キシナミ 各市町村に存す。福島県東白川郡棚倉町三十三戸、福島市五十戸あり。

岸浪 キシナミ 上福岡、東松山、春日部、草加、蕨、蓮田等に存す。宮城県角田市十八戸あり。

雉子波 キジナミ 福島市二十四戸。

岸根 キシネ 大宮、与野、北本、白岡、加須、鶴ヶ島、川越等に存す。茨城県行方郡潮来町十八戸、岩手県花巻市二十戸あり。

岸野 キシノ 東京都あきる野市九十五戸、新潟県南魚沼郡湯沢町十九戸、秋田県由利郡岩城町八戸、北秋田郡森吉町二十三戸、島根県大原郡大東町十九戸あり。

一 岩附城士の岸野氏 比企郡上井草村牛村氏文書に「天正六年二月十一日、井草丑歳本年貢未進請取事、岸野半右衛門花押」と、岩附奉行なり。豊島宮城文書に「天正十三年七月十日、太田氏房の祝言行列次第、女騎之奉行岸野山城」と見ゆ。

二 八王子城士の岸野氏 野村高貞軍忠覚書(青梅市野村文書)に「北条氏照の臣岸野重郎兵衛」と見ゆ。あきる野市の住人か。

三 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御馬廻・八十六石余・岸野此兵衛、吟味役・八石余二人扶持・岸野七兵衛、御勘定方・五石二人扶持・岸野弥市兵衛」。明治四年忍藩士族名簿に「八石余二人扶持・岸野孝廸、同高・岸野鐐太郎」あり。

四 埼玉郡加倉村(岩槻市) 久伊豆社元禄十五年庚申塔に加倉村岸野文右衛門あり。現存無し。

五 足立郡下内野村(大宮市) 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡上下内野上村岸野弐吉。下内野村大倭神社嘉永四年御神燈に岸野弐吉・岸野石蔵・岸野五右衛門、明治四十二年碑に岸野市三郎。飯田村足立神社明治四十三年碑に岸野市三郎あり。現存無し。

六 同郡小針領家村(桶川市) 倉田村明星院文政六年新西国塔に領家村岸野清五郎あり。一戸現存す。

七 入間郡川越町 氷川社明治三十三年玉垣碑に岸野梅吉。明治三十五年建具職岸野紋十郎。三芳野神社明治四十年碑に江戸町岸野たい・宮下町岸野鶴之助あり。

八 同郡高島村(川越市) 明治九年副戸長岸野久次郎・嘉永元年生あり。六戸現存す。

九 同郡古谷上村(川越市) 当村に此氏多く存す。土豪にて、三ヶ島村中氏先祖書に「古尾谷城主仲筑後守資信・応永年中落城、禅仲寺者城跡也。資信家臣岸野外記・古尾谷近郷に子孫数多有之」と見ゆ。古谷神社天保四年天神碑に黒須・岸野与八、嘉永四年御神燈に当所岸野平吉。実相院文久三年敷石碑に岸野与八.明治九年副戸長岸野与八・天保十二年生。八ツ島村御嶽社明治二十五年碑に古谷村岸野孫次郎・岸野和吉・岸野多右衛門。善仲寺明治二十七年敷石供養塔に岸野久次郎・岸野与八.。古谷神社明治二十七年碑に岸野専之助。古谷本郷八幡社明治三十八年碑に古谷村・岸野弥助・岸野浅八・岸野仙太郎・岸野栄太郎あり。

一〇 高麗郡上広瀬村(狭山市) 広瀬神社安政五年碑に当所岸野直吉、明治二十四年碑に当所岸野盤吉・岸野作次郎。明治九年副戸長岸野猶吉。明治二十七年地租調査に岸野盤吉・七十一円、岸野辰之助、岸野猶吉、岸野作次郎あり。四戸現存す。

一一 比企郡小川町 平村滝ノ鼻公園明治三十一年太子講に小川町岸野鉄五郎あり。七戸現存す。

一二 同郡平村(都幾川村) 萩日吉社明治二十五年筆子碑に西平村岸野松五郎・岸野総五郎、明治四十一年碑に岸野金蔵。滝ノ鼻公園明治三十一年太子講に宮平組岸野金蔵あり。二戸現存す。

一三 児玉町 万延元年武術英名録に北辰一刀流武州八幡山村岸野熊三郎あり。現存無し。

一四 雑載 昭和三年興信録・所得税に「川越市・岸野鶴之助・三十一円、古谷村(川越市)・岸野仲太郎・六十八円、岸野槐三・十二円、水富村(狭山市)・岸野与賞・百四円」。

木住野 キシノ 川越、狭山、所沢、飯能、日高、越谷、八潮、桶川等に存す。東京都あきる野市七十戸あり。

来住野 キシノ 大宮、川越、越生に存す。あきる野市三十五戸あり。

岸上 キシノウエ 岩槻に存す。

岸場 キシバ 行田に存す。

岸端 キシハタ 大宮に存す。

岸林 キシバヤシ 浦和に存す。

岸原 キシハラ 所沢、浦和に存す。

岸渕 キシブチ 入間に存す。

岸辺 キシベ 川口、鳩ヶ谷に存す。

岸部 キシベ 浦和、与野、戸田、新座、志木、川口、草加、越谷、春日部、三郷、日高等に存す。群馬県安中市九戸、秋田県能代市六十戸あり。

一 忍城士の岸部氏 成田分限帳に「十八貫文・岸部織部」あり。別本に山岸織部と見ゆ。

木島 キジマ ○群馬県勢多郡大胡町十八戸、高崎市五十戸。○栃木県那須郡南那須町十八戸。○千葉県長生郡一宮町十二戸、白子町十一戸、長生村七十七戸、茂原市三十戸。○長野県小県郡真田町二十一戸。○新潟県中頚城郡清里村九戸、糸魚川市百十戸。○宮城県桃生郡鳴瀬町十一戸。○秋田県由利郡東由利町二十戸、本荘市二十六戸。○鳥取県西伯郡淀江町十一戸、日野郡溝口町十六戸、八頭郡若桜町十六戸あり。

一 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御勝手御役人・七両三人扶持・木島宇左衛門」あり。

二 埼玉郡上高柳村(騎西町) 諏訪社文化七年御神燈に新田船橋講中・木島幸右衛門・木島吉右衛門あり。現存無し。

三 同郡麦倉村(北川辺町) 八坂社文政十年御神燈に鍛冶町・木嶋吉兵衛、大嶋・木嶋佐右衛門あり。木嶋氏一戸現存す。

四 同郡阿良川村(加須市) 天神社寛延四年道祖神に阿良川村木島幸八.文政七年戸賀崎門人帳に阿良川村木島貞七所義あり。現存無し。

五 同郡北河原村(行田市) 明治九年副戸長木島階太郎・嘉永三年生あり。五戸現存す。

六 足立郡小室村(伊奈町) 字柴崎観音堂元禄十年地蔵尊に木島伊右衛門あり。現存無し。大島か。

七 幡羅郡葛和田村(妻沼町) 大竜寺天保三年千体堂に木島十次郎。大野村弘化三年御嶽碑に本村・木島長八あり。五戸現存す。

八 榛沢郡矢島村(深谷市) 旧家にて、明暦二年屋敷検地帳に「作兵衛」と見ゆ。矢島村史料に「○木島作兵衛―作平(文化九年生、実父当村福島嘉右衛門)―平五郎(嘉永五年生、実父岡村黒沢清蔵)―佐和作(明治十年生)。○木島嘉七―ハル(万延元年生)」。慶福寺天保二年庚申塔に木島嘉左衛門、嘉永四年碑に木島金七.。五ヶ村用水端安政三年庚申塔に木島作兵衛。深谷町呑龍院明治四十五年馬頭尊に深谷観音講木島沢作あり。二戸現存す。

九 同郡中瀬村(深谷市) 中瀬神社明治四十一年碑に木島由次(書道家木島東郊の子)あり。一戸現存す。

一〇 同郡小和瀬村(本庄市) 稲荷社明治四十四年碑に木島豊吉・木島和平あり。四戸現存す。

一一 同郡桜沢村(寄居町) 当村に此氏多く存す。明治九年副戸長木島彦吉・文化十二年生。用土村明治十三年仙元碑に桜沢村・木島静行晴山・木島甚造・木島彦吉・木島嘉七・木島梅吉・木島初太郎・木島谷八・木島由三郎・木島常吉・木島武平。木島忠右衛門―万右衛門―安右衛門―孫平―斧八―亀吉(嘉永六年没)―嘉七(明治三十七年没)あり。

木嶋 キジマ 各市町村に存す。山形県西村山郡河北町八戸あり。

貴島 キジマ 各市町村に存す。

貴嶋 キジマ 蕨、春日部等に存す。

喜島 キジマ 坂戸、熊谷、吉川、鴻巣、白岡等に存す。山形県東根市九戸、島根県鹿足郡津和野町六戸あり。

喜嶋 キジマ 浦和、上尾等に存す。

来島 キジマ 浦和、新座、三芳、鶴ヶ島、上福岡等に存す。キタジマ、クルシマ参照。

来嶋 キジマ 入間、所沢等に存す。

黄島 キジマ 大宮に存す。

鬼島 キジマ 各市町村に存す。千葉県長生郡長南町八戸、茂原市三十戸、新潟県新津市七十戸、山形市二十五戸あり。オニシマ、キトウ参照。

鬼嶋 キジマ 草加に存す。

杵島 キジマ 入間、越生等に存す。キネジマ参照。

吉島 キジマ 児玉党にて、上野国佐位郡木島村(佐波郡境町)より起る。武蔵七党系図に「有三郎別当経行―保義―吉島三郎太夫行遠―山名四郎親行―島名刑部丞家親―親高(承久乱、宇治川死す)。山名親行の弟某(弟に吉田次郎某、多子三郎経遠)―惟行―定行(弟矢島太郎惟親)―泰行。吉島行遠の弟吉島五郎行保―与島太郎保延、弟吉田二郎保弘、弟多子三郎某」と見ゆ。山名氏(高崎市山名町)、島名氏(高崎市元島名町)、矢島氏(高崎市矢島町)、吉田氏(甘楽町小幡字吉田)、多子氏(吉井町多胡)等より起る。児玉党四方田系図に「有三別当平児玉経行―時行(矢島吉麻野有祖)、弟保義―吉島三郎太夫行遠」と。小鹿野町吉田系図に「吉島五郎行保(吉麻野トモ有之)」と。また、冑山本の武蔵七党系図に「島名刑部丞家親―経親―景親―業親―又三郎経盛(二荒山神社、宝治三年日光へ五部大乗経寄進武蔵国住人きま、ありみちのつねもり)」と見ゆ。上野国木島村領主にて、児玉居住の吉麻氏なり。吉島、吉麻(きしま)をキマと称していた。吉島三郎行遠は足立郡司と姻戚関係を持ち、相当な勢力ある豪族にて、児玉党の旗頭なり。古代氏族系譜集成に「足立郡司武芝―女子(氷川社務相承。菅原正好妻)―菅原正範―行範―行基―行永(足立郡司)―女子(有道行遠妻)」とあり。

二 吉島氏の本名 中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「富野、藤原、本国下野、児玉太夫惟行の四代四郎行遠・これを称す」と。冑山本に「行義(四郎太夫、富野)」と見ゆ。行遠、行義の吉島兄弟は下野国出身の出稼衆で、本名は富野氏なり。トミノ条参照。

岸間 キシマ 春日部に存す。

岸見 キシミ 狭山に存す。

岸水 キシミヅ 川口に存す。

一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御徒士銃隊格・七石二人扶持・亡養父徳左衛門・岸水徳左衛門・四十六歳」あり。

雉子牟田 キジムタ 草加に存す。

岸村 キシムラ 高麗郡久下分村(飯能市)明治十四年鉄打物商岸村金蔵あり。三戸現存す。

岸元 キシモト 鶴ヶ島に存す。青森県南津軽郡大鰐町七戸あり。

岸本 キシモト ○群馬県邑楽郡板倉町九戸。○茨城県猿島郡境町十四戸。○千葉県山武郡九十九里町十五戸。○山梨県西八代郡市川大門町三十八戸、東山梨郡牧丘町十九戸、甲府市三十戸。○新潟県西蒲原郡巻町十四戸、中頚城郡妙高高原町三十九戸、三条市二十八戸。○島根県隠岐郡西郷町十戸、(出雲国)仁多郡横田町十四戸、八束郡東出雲町二十四戸、松江市八十戸、(石見国)邑智郡石見町十二戸。○鳥取県(伯耆国)日野郡日南町十一戸、東伯郡関金町二十戸、赤碕町十六戸、米子市三十六戸、倉吉市二十九戸、(因幡国)岩美郡国府町十九戸、岩美町十八戸、八頭郡郡家町三十戸、船岡町十五戸、河原町十五戸、若桜町十六戸、用瀬町二十六戸、智頭町四十七戸、鳥取市二百十戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御徒士・六石余二人扶持・岸本小右衛門、御用席子供・岸本幸助」。明治四年忍藩士族名簿に「六石余二人扶持・岸本知平」あり。

二 葛飾郡幸手宿 右馬之助町上野屋岸本家は享保年間に醤油醸造業を創業す。岸本吉兵衛(享和三年卒)―権内(財を成す、文化十年卒)―庄兵衛(年寄役、明治三年卒)―権内(明治七年卒)―庄蔵(明治十五年卒)―浪太郎(明治四十五年卒)―浪太郎(蔵之助、昭和九年卒)。安政六年神明内村浄誓寺文書に門徒総代幸手宿岸本庄兵衛。元治元年神道無念流入門帳に幸手宿岸本庄蔵。明治六年右馬之助町保長岸本権内。明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流幸手宿岸本貞造・岸本貞吉。明治二十九年地租二百五十円以上大地主名簿に幸手町岸本浪太郎・安政四年生。明治三十五年醤油醸造業上野屋岸本浪太郎・油類商上野屋岸本喜代七・豆腐商上野屋岸本孝太郎・岸本ナカ。昭和三年興信録に幸手町・岸本庄太郎・所得税五十三円あり。二戸現存す。

三 同郡天神島村(幸手市) 天王社明治十九年碑にクツハセ・岸本限太郎あり。現存無し。

四 浦和町 明治三十五年に岸本繁三郎。昭和三年興信録に岸本金三郎・所得税二十二円あり。

五 蕨町 三学院明治十五年水鉢に岸本作兵衛あり。

六 草加町 成田山新勝寺享和二年奉納額に草加宿岸本善六、文久三年碑に草加駅松坂屋善六.。明治三十五年古着商松坂屋岸本善六あり。

七 入間川町(狭山市) 明治二十五年地租額調に岸本周造あり。

木地本 キジモト 所沢に存す。

岸森 キシモリ 浦和に存す。

岸谷 キシヤ 埼玉郡尾ヶ崎村字岸谷あり。川口、草加、加須、日高、鶴ヶ島等に存す。秋田県雄勝郡雄勝町十戸あり。キシタ二参照。

木次谷 キジヤ 川越、入間、越谷、三郷、志木等に存す。秋田県大館市五十三戸あり。

雉子谷 キジヤ 足立郡清河寺村字雉子谷あり。

岸柳 キシヤナギ 宮城県宮城郡七ヶ浜町十一戸あり。

喜舎場 キシャバ 大宮、与野等に存す。

岸山 キシヤマ 川越、狭山、深谷、栗橋、杉戸、越谷、春日部等に存す。

一 新座郡館村(志木市) 館村旧記に「永禄四年館村柏城落城後、のち当所に立ち戻り南側に住する輩は、岸山等なり」と見ゆ。現存無し。

二 同郡片山村(新座市) 本郷村東福寺明治九年御神燈に片山村岸山倉次郎あり。現存無し。

雉子山 キジヤマ 比企郡石橋村字雉子山あり。

吉州 キシュウ 熊谷に存す。

岸良 キシヨシ 川口、大宮、吹上、所沢、狭山等に存す。キシラが正訓か。

城 キシロ 東松山に存す。

木代 キシロ 入間、所沢、岩槻、宮代、上尾、白岡等に存す。茨城県真壁郡大和村二十一戸あり。

木城 キシロ 各市町村に存す。茨城県真壁郡協和町四十五戸あり。

喜代 キシロ 富士見に存す。

岸和田 キシワダ 浦和、坂戸、深谷等に存す。

木須 キス 鶴ヶ島、所沢、飯能、春日部、久喜、越谷、伊奈等に存す。宮城県白石市四十戸あり。

木栖 キス 春日部に存す。千葉県市原市十一戸あり。

木津 キズ 大宮、三郷、宮代等に存す。キヅ参照。

金須 キス 川口、大宮、行田等に存す。

来次 キスキ 深谷、小川、吉川等に存す。山形県米沢市十一戸あり。

木鋤 キスキ 鴻巣に存す。会津若松市九戸あり。

木須田 キスダ 大宮に存す。

木住野 キスノ 小川に存す。

来住野 キスノ 所沢に存す。

木角 キスミ 宮代に存す。長野県北佐久郡浅科村五戸あり。

木瀬 キセ 各市町村に存す。

貴瀬 キセ 上尾に存す。

喜世 キセ 宮城県古川市六戸あり。

喜瀬 キセ 川口、大宮、与野、上尾、戸田、鳩ヶ谷、草加、越谷、狭山等に存す。

吉瀬 キセ 八潮に存す。長野県駒ヶ根市三十一戸。キチセ、ヨシセ参照。

城石 キセキ 上福岡に存す。

喜世盛 キセモリ 草加に存す。

気仙 キセン 浦和、吉川、三郷、草加、岩槻等に存す。青森県下北郡大畑町五十四戸、東通村七戸、むつ市二十三戸あり。ケセン参照。

木曽 キソ 各市町村に存す。栃木県那須郡湯津上村十戸、千葉県安房郡白浜町八十戸、館山市十五戸、長野県佐久市二十八戸、新潟県三島郡越路町十戸、小千谷市十一戸、秋田県横手市十四戸、秋田市六十五戸、島根県邇摩郡温泉津町九戸あり。

一 忍城士の木曽氏 成田分限帳に「三十貫文・木曽権左衛門」あり。

二 大里郡和田村(熊谷市) 白髭社安政七年庚申塔に木曽藤兵衛。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に楊井・木曽流蔵あり。一戸現存す。

木曾 キソ 各市町村に存す。

競 キソウ 所沢に存す。

木添 キゾエ 越谷に存す。

木曽川 キソガワ 忍城士にて、成田分限帳に「七貫五百文・木曽川又六」あり。別本に木津河又六と見ゆ。

木曽田 キソダ 鴻巣に存す。

木曽谷 キソタ二 新座に存す。

木曽根 キソネ 埼玉郡木曽根村(八潮市)あり。

木薗 キソノ 大宮に存す。

木染 キソメ 入間郡府川村字木染(川越市)は古の村名にて、川越中院過去帳に「永徳二年、府河キソメ」と見ゆ。小沢条参照。同郡下南畑村字木染、小沼村字キソメン、足立郡下笹目村字木染は来初とも書く。

木曽山 キソヤマ 朝霞に存す。

木曽呂 キソロ 埼玉郡木曽呂村(岩槻市)あり、木曽良村とも書く。足立郡木曽呂村(川口市)、同郡道合村字木曽呂あり。

北 キタ 小名北は、葛飾郡彦成村、埼玉郡大泊村、足立郡菅谷村、大里郡御正新田村、幡羅郡久保島村、上奈良村、榛沢郡瀬山村、榛沢新田村、児玉郡塩谷村、秩父郡品沢村等にあり。此氏は武蔵国と佐渡国のみ存す。新潟県両津市七十四戸あり。

一 大串氏族北氏 報恩寺年譜に「応永五年正月十一日、二所檀那等事。大串、北殿御一門、地下・道栄・妙経・田中孫太郎・彦太郎・弥八兄弟、次郎三郎・孫次郎・五郎三郎兄弟等、右、此檀那至親類並びに不載名帳公珍代々之檀那、一人不残、譲与栄曇律師方事実也」と見ゆ。永禄二年小田原所領役帳に「中条出羽守、八貫四百文・吉見郡大串内北分」とあり。北分は大串村の北殿の領地なり。大串氏は北殿及び下殿と称す。本名は北氏、下氏なり。シモ条参照。

二 忍城士の北氏 成田分限帳に「三十貫文・北大炊」あり。

三 鉢形城士の北氏 鉢形分限帳に「本国石見安濃・北千蔵、本国勢州壹志・荒川辺住・北東馬」あり。別本に「北藤馬之助・木持住」とあり。荒川辺の鉢形城下木持村なり。また、東馬は寄居に屋敷を構えていた寄居十六騎の内なりと云う。

四 北白旗一揆 北武蔵の高麗郡・幡羅郡地方の土豪衆なり。将軍足利義持奉行人在判(佐々木文書)に「当国布白旗一揆御中」と。町田文書(日高市新堀)に「嘉慶二年六月、着到武州北白旗一揆・高麗掃部助清義」と、高麗氏の本名は町田氏なり。また、幡羅郡別府郷の別府文書に「応永二十四年正月、着到武州北白旗一揆・別府尾張入道」と見ゆ。武蔵国の中心地は多摩郡府中市で、此より北の住人を北一揆と称す。

五 埼玉郡荻島村(羽生市) 天満宮明治二十年碑に北岩五郎・北三左衛門。中手子林村八幡社明治三十四年筆子碑に北荻島・北森蔵あり。三戸現存す。

六 幡羅郡柿沼村(熊谷市) 当村に此氏多く存す。北廓享保十年石橋に北六郎兵衛・北佐右門。雀神社嘉永六年水鉢に北庄右衛門あり。

七 大里郡肥塚村(熊谷市) 当村は柿沼村の隣村なり。榛沢郡岡村南寅稲荷社明治三十二年碑に肥塚村・北團蔵・北栄八あり。三戸現存す。

八 熊谷町 明治三十五年に北時三郎あり。

九 秩父郡寺尾村(秩父市) 明治九年副戸長北清蔵・天保六年生。国神神社明治三十四年碑に寺尾村北健蔵あり。四戸現存す。

一〇 同郡小鹿野町 明治三十五年に北繁次郎あり。

一一 同郡般若村(小鹿野町) 明和安永年間秩父郡記に般若村名主北嘉兵衛。明治九年副戸長北綱五郎・弘化元年生あり。六戸現存す。

一二 同郡河原沢村(小鹿野町) 旧家北氏は鉢形北条氏の家臣と伝える。六戸現存す。三項参照。

一三 同郡久長村(吉田町) 明治二十年森林組合員北長四郎あり。現存なし。

一四 雑載 昭和三年興信録・所得税に「浦和町・北昇・十五円、秩父町・北栄・百六円」あり。

木多 キタ 大宮に存す。

木太 キタ 草加に存す。

紀太 キタ 所沢に存す。

気多 キタ 戸田に存す。

喜多 キタ 川越宿字喜多町は北とも記す。榛沢郡西田村鎮守喜多明神社あり。群馬県桐生市十七戸、新潟県中魚沼郡川西町九戸、鳥取県米子市八戸あり。

一 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「六石二人扶持・喜多章三」あり。

二 川越町 三芳野神社明治四十年碑に喜多欽一郎(米穀問屋水村)。大正四年県会議員調に川越・士族・水車業喜多欽一郎・慶応二年生・国税納税額四十一円あり。

木田 キダ 茨城県日立市二十五戸、千葉県富津市二十三戸、長野県上水内郡信濃町二十五戸、福島県双葉郡広野町十戸、いわき市三百二十戸、青森県南津軽郡大鰐町百十戸あり。

一 葛飾郡の木田氏 大正十二年大地主名簿に葛飾郡(水源村)木田吉三郎・田四町五反歩、畑五十町歩・北海道空知郡にて三軒の耕作者に貸付とあり。水源の字は磨耗の為に判読出来ず。場所不明。

二 埼玉郡中手子林村(羽生市) 下手子林村観音堂享保二十年碑に喜田惣右衛門。当村八幡社寛政元年春名社碑に木田亀之丞、明治三十四年筆子碑に中手子林・木田熊蔵・木田村次郎。当村天満宮文政三年御神燈に喜田荘左衛門・喜田荘右衛門・喜田熊八・喜田武左衛門、安政四年水鉢に木田仁三郎。荻島村天満宮明治二十年碑に中手子林村木田庄太郎・木田政蔵あり。三戸現存す。

三 足立郡羽貫村(伊奈町) 倉田村明星院文政六年新西国塔に羽貫村木田伝蔵あり。現存無し。

四 入間郡鶴瀬村(富士見市) 昭和三年興信録に鶴瀬村・木田治三郎・所得税四十七円あり。一戸現存す。

五 高麗郡中山村(飯能市) 智観寺明治十七年勧進帳に中山村木田辰五郎あり。現存無し。喜多氏か。

六 児玉町 石工伊藤家墓地に「木田嘉七由成・信州高遠水上村出身・文化十三年死す」と。金屋村寛政十二年庚申塔に石工木田由成。また、近江国出身木田惣七は醤油醸造業・酒商・雑穀商などを起し、国定教科書国語読本に「老社長」として紹介されている。八幡社明治二十三年御嶽講碑に木田惣七あり。

気田 キダ 蕨、吉川、日高、狭山等に存す。ケダ参照。

来田 キダ 所沢に存す。クルタ参照。

喜田 キダ 各市町村に存す。

一 入間郡寺竹村(入間市) 土豪にて、白髭社慶長十一年棟札に「金子之郷寺竹之村檀那喜田織部助」あり。現存無し。

貴田 キダ 川口、蕨、浦和、新座、三郷、草加、幸手、越谷、川越、鳩山等に存す。青森県北津軽郡鶴田町十七戸、南津軽郡大鰐町二十戸あり。

黄田 キダ 和名抄に児玉郡黄田郷を載せ、高山本に草田郷と見ゆ。草田及び吉田条参照。黄田氏は入間、三郷等に存す。

紀田 キダ 川口に存す。

記田 キダ 青森県東津軽郡蟹田町十三戸あり。

機田 キダ 鳩ヶ谷に存す。

樹田 キダ 榛沢郡小前田村長善寺寛保三年棟札に大工棟梁忍領野村樹田甚助(行田市)あり。現存無し。

北浅羽 キタアサバ 児玉党にて、入間郡北浅羽村(坂戸市)より起る。当村万福寺由緒に「児玉武蔵守惟行の三男荘三郎太夫資行、後に入西上野介と改め南浅羽に在城し、小山、長岡、粟生田、小見野、岩淵、両浅羽家の祖となれり。永享の乱に当所重代之領主北浅羽下総守成行、同左衛門太夫成恒父子、相州鎌倉の合戦に討死して子孫微々に至り。永禄年中、暫く南浅羽右近将監資峯・旧里に来りて姑らく在住たりしが、是も亦野州佐野へ立越、免鳥の城を守り居れり。寛文十年の秋、北浅羽治太夫伊成の息・浅羽三右衛門成儀は家伝の一軸を当院へ贈り、永代の文證に奉納せらる」と見ゆ。報恩寺年譜に「建武二年二月十三日、北浅羽松楠は、参拾貫俸銭田を報恩寺に寄進す」とあり。浅羽条参照。

北井 キタイ 各市町村に存す。山梨県塩山市二十四戸、新潟県中頚城郡吉川町十九戸、島根県簸川郡大社町十一戸あり。

一 深谷・川越藩酒井讃岐守忠勝家臣 寛永十四年小浜藩分限帳に「二百石・北井八郎右衛門」あり。

喜多井 キタイ 草加、北本等に存す。

希代 キダイ 浦和、草加等に存す。山梨県富士吉田市二十一戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十五俵二人扶持・希代鉄三郎、十三俵二人扶持・希代宗次郎」あり。

稀代 キダイ 富士見、新座、越谷に存す。山梨県都留市十六戸あり。

鍛代 キダイ 川口、志木、上福岡に存す。神奈川県伊勢原市七十二戸あり。

北飯塚 キタイイヅカ 榛沢郡桜沢村字南飯塚(寄居町)に対して、同郡飯塚村(花園町)を北飯塚と唱える。日光輪王寺大般若経に「応永三年十月十八日、武州榛沢郡藤田北飯塚常楽坊」と見ゆ。飯塚条参照。

北市 キタイチ 浦和に存す。

北岩 キタイワ 草加、深谷等に存す。

北内 キタウチ 大宮、浦和、上尾、鷲宮、東松山、川島等に存す。

北氏 キタウヂ 川口、浦和、所沢等に存す。

北裏 キタウラ 川口、吉川に存す。

北浦 キタウラ 小名北浦は、埼玉郡上間久里村、加羽ヶ崎村、入間郡藤倉村、幡羅郡上根村、江波村にあり。千葉県安房郡天津小湊町三十五戸、宮城県玉造郡鳴子町十六戸、登米郡迫町八戸、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町七戸あり。

一 新座郡館村(志木市) 宝幢寺文化六年常夜燈に北浦伊之助あり。現存無し。

二 入間川町(狭山市) 八幡社明治二十三年碑に入間川町北浦弥左衛門(味噌製造業近江屋)。明治三十五年味噌製造業北浦関三郎あり。一戸現存す。

鍛 キタエ 八潮に存す。

北江 キタエ 川口、富士見等に存す。ホクエ参照。

北尾 キタオ 各市町村に存す。島根県飯石郡掛合町十二戸、能義郡伯太町六戸、鳥取県西伯郡西伯町十五戸、八頭郡河原町二十四戸あり。

喜多尾 キタオ 川口、浦和、所沢等に存す。

北扇 キタオウギ 川越に存す。

北大路 キタオオヂ 大宮、草加に存す。

北岡 キタオカ 幡羅郡小島村字北岡あり。栃木県安蘇郡葛生町二十三戸、茨城県鹿島郡波崎町十戸、鳥取県東伯郡三朝町八戸あり。

一 埼玉郡荒木村(行田市) 風土記稿荒木村条に「旧家者北岡益次郎、荒木兵衛尉長善が遺腹の子を村民等養ひ長じて八左衛門と名乗り、氏を北岡と改めたり、此八左衛門・村内天洲寺を開基せり。これより子孫当村へ土着し、今の益次郎に至ると云ふ」と見ゆ。在名荒木氏の本名なり。行田史譚に「荒木村、寛永年中名主北岡八右衛門、享保六年名主北岡八右衛門、天保元年名主北岡八左衛門」。当村寛政四年庚申塔に北岡清助。天満宮文政三年塞神碑に北岡丈右衛門・北岡豫右衛門・北岡佐七・北岡半蔵。前谷村光明寺天保七年常夜燈に八王子・北岡栄蔵・北岡丈右衛門。須賀村熊野社嘉永五年御神燈に荒木村北岡舛蔵。慶応元年関根文書に荒木村上下名主北岡権左衛門。明治九年副戸長北岡宗之助・弘化四年生。昭和三年興信録に荒木村・北岡文次郎・所得税二百八十三円・営業税百七円あり。十四戸現存す。

二 浦和町 明治三十五年理髪店北岡銀次郎あり。

三 鴻巣町 私塾師匠北岡仙左衛門俊之・号如水・明治八年没六十歳、継子松之助なり。明治三十五年に北岡金右衛門あり。四戸現存す。

貴田岡 キタオカ 朝霞に存す。

北奥 キタオク 所沢に存す。千葉県夷隅郡大原町十四戸あり。

北億 キタオク 鴻巣に存す。

北鬼窪 キタオニクボ 野与党にて、埼玉郡鬼窪郷江ヶ崎村(蓮田市)より起るを南鬼窪氏と称し、鬼窪郷小久喜村(白岡町)より起るを、北鬼窪氏と称し、単に鬼窪氏とも称す。鬼窪条参照。

北折 キタオリ 浦和、三郷、入間等に存す。

木高 キタカ 三郷に存す。千葉県館山市十二戸あり。

北垣内 キタガイト 吹上に存す。

北垣 キタガキ 与野、桶川、戸田、和光、庄和、草加、日高、川越等に存す。島根県松江市二十戸、安来市十三戸、鳥取県米子市十一戸あり。

北風 キタカゼ 浦和、大宮、上尾、蓮田、草加、狭山、東松山、深谷等に存す。

北方 キタカタ 埼玉郡北方郷あり、北川辺町・大利根町附近にて、風土記稿に「太田の地を二分して、南方・北方と分ちしなるべし」と見ゆ。また、楓軒文書に「永仁六年、藤原某(伊賀氏)は、比企郡北方いなかす名惣検校の田在家等を養子かくけんまろに譲り渡す」と、伊賀条参照。また、高麗郡新堀村町田文書(日高市)に「貞治二年六月二十五日、足利基氏は、北方地頭職殿をして、高麗郡笠縁年貢帖絹代を長井荘定使森三郎に給付す」と。笠縁は笠幡村(川越市)なり。狭山、所沢、大井、小川、岩槻、草加、和光等に存す。

北片 キタカタ 大宮に存す。

北形 キタカタ 浦和に存す。

北潟 キタカタ 春日部に存す。

喜多方 キタカタ 川口に存す。

北角 キタカド 大宮、鴻巣、蓮田等に存す。キタスミ参照。

北上 キタガミ 各市町村に存す。新潟県北蒲原郡豊浦町十三戸、青森県三戸郡五戸町二十三戸、下北郡大畑町三十戸、十和田市二十戸あり。

一 忍城士の北上氏 成田分限帳に「二十五貫文・北上淨古」あり。

北神 キタガミ 川口、草加、幸手等に存す。

北川 キタガワ 秩父郡北川村(飯能市)阿弥陀堂に「文亀三年五月六日作者、武州秩父郡吾那郷之内北河」とあり。同郡寺尾村字北川、幡羅郡上江原村字北川あり。茨城県鹿島郡波崎町二十戸、長野県上水内郡信濃町十三戸、更級郡上山田町十三戸、上伊那郡箕輪町十五戸、山形県飽海郡平田町十八戸、東田川郡余目町十三戸、秋田県山本郡峰浜村十四戸、青森県南津軽郡碇ヶ関村十六戸、八戸市五十戸、五所川原市五十戸、青森市四十戸、島根県能義郡広瀬町二十六戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・北川善弥、六両二人扶持・北川熊次郎」あり。

二 葛飾郡松伏村 昭和三年興信録に松伏領村・北川琴次郎・所得税二十九円あり。二戸現存す。

三 足立郡菅谷村(上尾市) 明治五年百姓代北川丈助。当村明治十七年庚申塔に菅谷村北川菊次郎あり。八戸現存す。

四 榛沢郡岡村(岡部町) 北寅稲荷社元治元年百庚申に北川直吉あり。三戸現存す。

五 秩父町 明治三十五年蕎麦屋北川石松あり。一戸現存す。

六 小鹿野町 明治三十五年下駄商北川豊吉あり。一戸現存す。

北河 キタガワ 川越、杉戸に存す。

木田川 キタガワ 新座に存す。

喜多川 キタガワ 川越、入間、所沢、大井、熊谷、東松山、春日部、越谷等に存す。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御武具方・四十五俵二人扶持・喜多川七左衛門」あり。

二 川越町 北川市太郎信美は川越の人にて、鳥山石燕の弟子となり、鳥山氏を称す。浮世絵の喜多川流の祖となり、天明二年に喜多川歌麿と改め、文化三年九月二十日没・五十四歳なり。

北川原 キタガワラ 富士見、志木等に存す。

北河原 キタガワラ 埼玉郡北河原村(行田市)あり。草加、宮代に存す。

一 忍城士の北河原氏 成田分限帳に「十五貫文・北河原鹿之助」あり。

北木 キタキ 三郷、蓮田等に存す。

木滝 キタキ 川口、大宮に存す。茨城県鹿島市三十六戸あり。

北岸 キタギシ 浦和、春日部、鳩ヶ谷、所沢、上福岡等に存す。

北口 キタグチ 小名北口は、埼玉郡千疋村、足立郡大崎村、内谷村、高麗郡脚折村、幡羅郡西別府村にあり。各市町村に存す。岩手県二戸郡安代町十五戸あり。

北国 キタグニ 坂戸、大井、志木等に存す。

北久保 キタクボ 秩父郡矢那瀬村字北久保(長瀞町)は古の村名にて、万延元年碑に北久保講中と見ゆ。また、小名北久保は、足立郡大谷本郷村、入間郡下河原村、高倉村、川越町、幡羅郡石塚村、台村、榛沢郡牧西村等にあり。川口、鳩ヶ谷、和光、越谷、飯能、所沢、鶴ヶ島、入間、川越等に存す。

北倉 キタクラ 三郷、八潮に存す。

北郷 キタゴウ 各市町村に存す。福島県東白川郡塙町十一戸、双葉郡広野町二十五戸、いわき市百三十五戸あり。ホウゴウ、ホクゴウ参照。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御右筆・八石三人扶持・北郷所右衛門、御書役・二人扶持・北郷熊市」。明治四年忍藩士族名簿に「八石三人扶持・北郷吉郎」あり。

北河内 キタコウチ 埼玉郡下手子林村字北河内、入間郡戸口村字北河内あり。

北小路 キタコウヂ 川越に存す。

北高野 キタコウノ 越谷に存す。

北古賀 キタコガ 大宮、上尾、入間等に存す。

北越 キタコシ 坂戸、日高、越谷、戸田等に存す。

北古味 キタコミ 入間に存す。

北坂 キタサカ 川口、熊谷に存す。

一 高麗郡吉田村(川越市) 当村寛政九年庚申塔に吉田村北坂戸左衛門あり。現存無し。

北阪 キタサカ 新座に存す。

北崎 キタザキ 各市町村に存す。茨城県鹿嶋市十三戸、千葉県香取郡神崎町二十戸、大栄町五十五戸あり。

一 深谷城士の北崎氏 深谷記に「上椙御譜代の臣、北崎」と見ゆ。

北迫 キタサコ 川口、大宮、蕨、朝霞、狭山等に存す。

北砂 キタサゴ 川越に存す。

北里 キタザト 狭山、鶴ヶ島、羽生、草加、新座、北本、与野等に存す。

北沢 キタザワ 埼玉郡佐波村字北沢、榛沢郡用土村字北沢あり。此氏は信濃国に多く存す。○茨城県龍ヶ崎市七十戸。○長野県下高井郡山ノ内町三十四戸、上水内郡信州新町三十戸、中条村三十戸、埴科郡坂城町四十九戸、小県郡真田町三十戸、東部町五十二戸、丸子町六十八戸、武石村三十六戸、南安曇郡穂高町四十一戸、上伊那郡飯島町三十二戸、下伊那郡豊丘村四十一戸、上田市百五十戸、松本市百六戸、塩尻市九十戸、諏訪市百五十戸、茅野市百四十戸、飯田市二百二十戸、駒ヶ根市百三十戸、大町市百二十戸。○岩手県九戸郡種市町三十七戸。○青森県西津軽郡車力村六十戸あり。

一 大宮宿 信州諏訪の神家党北沢氏の後裔と伝へる。諏訪郡及び筑摩郡に北沢村は無し。この説は附会なり。大宮市史に「大宮宿の北沢家は、家譜によれば、元祖神平次は信濃国筑摩郡北沢村に居住し、その嫡子宮内直方は太田三楽斉資正に仕え、その嫡男直信は資正の四男寿能城主潮田出羽守資忠に家老職として仕えた。天正十八年小田原落城の際には、小田原から寿能城へ引き返し防衛したがあえなく寿能城も落城した。生き残った城主資忠の二男資政は幼く、直信は加藤大学と謀って常陸国新治へ移した。落城後の直信は、氷川明神の大門に蟄居し、大宮における北沢家の始祖となった。二代目左太夫直元(通称甚之丞)は直信の二男で、慶長十一年寿能城跡を甚之丞屋敷として拝領し、近辺の土地開墾に従事した。この土地がのちに甚之丞新田と呼ばれた所である。後氷川明神大門通りに移り、御伝馬役を勤め、寛永二年に没した。三代目甚之丞信方の代、寛永五年に大宮町に移り、大宮町の草創者となった。寛永年間、四代目治部左衛門信光の時に始めて紀州御鷹場御鳥見役を命ぜられ、以後代々この役をうけついだ」と。風土記稿寿能城跡条に「天正十八年小田原落城の時、潮田出羽守資忠父子は彼地に於て討死し、当城には家人北沢宮内等籠城せしが防戦力及ばずして民間に落隠れたりと云ふ。宮内が子孫は即ち当所の名主治部左衛門が家なり。かかりければ御打入の後、伊奈備前守より宮内に指揮して大宮町及此辺を新開せしめ、其功に由て城跡を宮内に与へしとて今も治部左衛門が持なり」と。潮田家譜に「享保十六年八月大宮駅本陣北沢甚之丞来て先祖出羽守家老職北沢宮内嫡流の由左之趣申聞。潮田出羽守家来、家老職当甚之丞曽祖父北沢宮内・没落改甚之丞、家老職駒井伊与・子孫不知、家老職加藤大学・子孫六左衛門大宮町に居住或は氷川明神社家にも同姓有之由、用役金杉新左衛門・子孫百姓大宮町に居住、用役森田太郎左衛門・子孫不知、右之外家来筋の者多百姓に成居と云ふ。出羽守討死の時、北沢宮内・加藤大学、早速寿能へ引取城を固と云ども無勢故即時に攻落され、北沢・加藤ともに大宮氷川明神の大門へ蟄居、加藤は後氷川社家と成、北沢は大宮町并寿能城の近所新田等を開于今甚之丞新田などと云有之由、其時寿能城跡宮内屋敷に被下、今にをいて甚之丞屋敷の由。甚之丞曽祖父宮内・没落より百姓に成、後大宮駅本陣と成、紀州様より五人扶持被下の由」と見ゆ。大宮宿大門町北沢甚之丞・問屋紀州鷹場本陣・間口二十間三尺三寸。六代目甚之丞直清は享保二十年大宮宿本村東光寺に先祖の碑を建立す。浦和大門宿会田落穂集に享保二年鳥見役大宮町北沢甚之丞。浦和宿玉蔵院延享四年短才見聞録に大宮御本陣北沢甚之丞。明治九年大宮町副戸長北沢長十郎あり。

二 鳩ヶ谷町 昭和三年興信録に北沢一・所得税三十四円・営業税三十七円あり。

三 埼玉郡小林村(菖蒲町) 妙福寺享保十一年文書に小林村名主北沢市郎兵衛。当村明治二十六年聖徳太子塔に北沢浪五郎・北沢庄八あり。五戸現存す。

四 同郡上種足村(騎西町) 明治十八年最上農名簿に北沢藤兵衛・耕宅地十町五反歩所有あり。現存無し。

北澤 キタザワ 各市町村に存す。

喜多沢 キタザワ 春日部に存す。

北芝 キタシバ 蕨に存す。

北島 キタジマ 埼玉郡中種足村字北島(騎西町)仙元社文政十年碑に上分北島と見ゆ。同郡上川上村字北島あり。群馬県伊勢崎市三十戸、茨城県真壁郡明野町十八戸、猿島郡境町三十戸、つくば市五十戸、結城市六十戸、水海道市四十戸、古河市七十戸、長野県上伊那郡中川村十五戸、下伊那郡松川町十七戸、新潟県東頚城郡安塚町二十七戸、佐渡郡羽茂町十七戸、秋田県南秋田郡五城目町三十戸、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町十四戸あり。

一 葛飾郡栗橋町 明治三十五年炭薪商森田屋北島半次郎あり。八戸存す。

二 同郡小右衛門村(栗橋町) 幸手町雷電社明治十七年御嶽碑に小右衛門・北島弥次右衛門あり。現存無し。

三 岩槻町 明治三十五年に北島弘章あり。四戸現存す。

四 鴻巣町 明治三十五年糸繭商吉見屋北島岩吉・金物商北島藤兵衛あり。一戸現存す。

五 入間郡川越町 榎本弥左衛門覚書に「寛永十九年、十八才之時、とちぎへ北島長八郎二十二三才之時同道仕、たばこ四十両買候て利十三両取、ほめられ候、その後長八郎身代をつぶし跡たへ申候」と見ゆ。

六 同郡砂村(川越市) 氷川社文政三年仙元碑に砂村北島長治郎、明治十八年御神燈に北島新兵衛・北島力蔵・北島喜四郎あり。六戸現存す。

七 同郡越生町 明治三十五年飲食店北島直吉あり。現存無し。

八 高麗郡永田村(飯能市) 当村細田文書に「永禄八年四月二十日、北条氏照は、長田之内水口百姓北島弥十郎に印判状を発給し、水口は長田之内に定置く」と見ゆ。現存無し。

九 同郡阿須村(飯能市) 赤城社明治四十二年碑に北島嘉三郎・北島喜代蔵あり。現存無し。

一〇 大里郡樋春村(江南町) 七社神社明治八年伊勢講碑に北島磯五郎あり。現存無し。

一一 幡羅郡小島村(妻沼町) 妻沼村聖天社慶応三年石道之碑に小島村北島繁右衛門。明治九年副戸長北島吉郎平・天保五年生あり。四戸存す。

一二 本庄町 明治三十三年本庄町会議員北島長太郎。明治三十五年蹄鉄工場北島倉吉。昭和三年興信録に北島いね・所得税二十五円・営業税十二円あり。四戸現存す。

一三 賀美郡五明村(上里町) 当村宝暦二年庚申塔に北島宗八あり。現存無し。

一四 同郡肥土村(神川町) 大御堂村吉祥院天保五年供養塔にヒト・北島利兵衛。広野神社明治三十九年碑に北島トラ・北島利平あり。一戸存す。

一五 同郡小浜村(神川町) 小松神社寛政元年御神燈に北島友治郎、明治二十九年碑に北島惣吉・北島辰吉、明治四十年碑に北島喜三郎・北島和市あり。八戸現存す。

一六 秩父郡薄村(両神村) 祠官北島伊勢は、明和安永の頃に秩父風土記を著す。現存無し。

北嶋 キタジマ 各市町村に存す。秋田県南秋田郡八郎潟町百戸あり。

北嶌 キタジマ 入間に存す。

来島 キタジマ 福島県西白河郡矢吹町七戸あり。クルシマ参照。

喜多島 キタジマ 川口、杉戸に存す。

一 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「二百石・喜多島市之丞、百石・喜多島又之丞、五両五人扶持・喜多島幾之丞」あり。

北庄 キタショウ 大宮に存す。

北上 キタジョウ 浦和に存す。

北条 キタジョウ 川越、所沢、桶川等に存す。長野県北安曇郡池田町十八戸あり。ホウジョウ参照。

北城 キタジョウ 川口、大宮、朝霞、庄和、春日部、所沢、川越等に存す。青森県三戸郡階上町十四戸、八戸市七十戸あり。ホウジョウ参照。

喜多条 キタジョウ 久喜に存す。

北白川 キタシラカワ 明治三十五年粕壁町菓子製造業北白川由松あり。現存無し。

北尻 キタジリ 所沢に存す。

北代 キタシロ 大宮、春日部に存す。

喜多代 キタシロ 入間に存す。

北角 キタスミ 川口、志木、川越等に存す。キタカド参照。

一 川口町 川口神社明治三十九年碑に北角為吉あり。

北澄 キタスミ 川越、熊谷に存す。

北住 キタスミ 川口、上尾、庄和、三郷、越谷、東松山、所沢、鶴ヶ島、入間等に存す。上越市七戸あり。

北隅 キタスミ 熊谷、越谷に存す。群馬県邑楽郡邑楽町七戸あり。

北瀬 キタセ 所沢に存す。

北清 キタセイ 浦和、蓮田、松伏、坂戸等に存す。

北添 キタゾエ 葛飾郡田島村字北添あり。川口、浦和、蓮田、上尾、岩槻、日高、川越等に存す。

北園 キタゾノ 各市町村に存す。

北薗 キタゾノ 川口、富士見、鶴ヶ島、川越等に存す。

北田 キタダ 入間郡南田島村字北田、四日市場村字北田、那賀郡甘粕村字北田あり。千葉県山武郡松尾町四十戸、大網白里町四十戸、長生郡白子町十二戸、茂原市四十戸、長野県上水内郡小川村十八戸、岩手県上閉伊郡大槌町二十二戸、紫波郡紫波町四十九戸、九戸郡野田村三十三戸、青森県下北郡大畑町二十六戸、東津軽郡平舘村十一戸、青森市三十戸あり。此氏は所沢市の大姓なり。

一 足立郡塚越村(蕨市) 新曽村妙顕寺安永十年水鉢に塚越村北田茂兵衛あり。一戸現存す。

二 入間郡所沢村 当村に此氏多く存す。薬王寺享保元年地蔵尊に北田権四郎。実蔵院宝暦五年碑に所沢村北田次郎兵衛・北田藤蔵。北野村天神社享和元年鳥居碑に所沢村北田半蔵吉房。堀兼村堀兼神社文政四年御神燈に所沢宿北田半蔵。当村神明社安政六年御神燈に北田喜兵衛、明治十七年富士講碑に北田代次郎。久米村長久寺万延元年宝篋印塔に所沢・北田与左衛門・北田半蔵・北田善兵衛・北田源五右衛門・北田与三郎。慶応二年に米穀商阿波屋北田善兵衛・米穀商増田屋北田善右衛門は打毀しにあう。明治七年議定書に北田源五右衛門・北田源右衛門・北田善兵衛・北田喜兵衛・北田与左衛門・北田平右衛門・北田半蔵・北田八右衛門・北田清右衛門・北田市右衛門。明治十年洋糸荷主北田孫右衛門。明治三十五年飲食店北田源次郎・茶商北田善兵衛・安政三年生。明治二十一年幼稚園名簿に開発分北田八五郎・明治十七年生、同所北田庄吉・同年生、同所北田勝太郎・同年生あり。

三 同郡北田新田(所沢市) 風土記稿北田新田条に「当村の名主源蔵が先祖いつの頃か所沢村より来て開墾せり、此人北田氏なれば、かくの如く名付りと云ふ」と。郡村誌北岩岡村条に「宝泉寺は寛延四年本村北田源蔵開基す」と。明治五年北田新田名主北田源蔵。明治九年北岩岡村副戸長北田源蔵・天保元年生あり。

四 同郡久米村(所沢市) 明治三十一年所沢貯蓄銀行発起人北田斧吉・嘉永元年生・三十二株千六百円所有。永源寺明治四十年地蔵尊に金山・北田斧吉あり。

五 同郡上新井村(所沢市) 当村に此氏多く存す。明治十五年北広堂碑名簿に上新井村・北田直右衛門・北田杢右衛門・北田与平・北田広介・北田伊三郎・北田源造・北田善吉・北田忠次郎・北田新太郎・北田伊太郎・北田勇造・北田文太郎。北野村天神社明治四十年碑に上新井・北田今五郎・北田直平・北田与兵衛(嘉永二年生)。久米村水天宮明治四十一年碑に上新井・北田仲次郎・北田文太郎。六所神社明治三十九年奉納額に北田平吉・北田輝光助、大正二年碑に北田忠次郎・北田常吉・北田勇治郎・北田庄右衛門・北田伊太郎あり。

六 同郡下富村(所沢市) 当村に此氏多く存す。八雲社享保十年地蔵尊に下富村北田孫右衛門。明治九年副戸長北田六蔵・文政八年生。明治二十年茶業に北田六蔵・北田久蔵・北田弥兵衛・北田林太郎・北田善吉・北田弥左衛門・北田亀右衛門。中富村神明社明治三十九年碑に下富・北田栄太郎あり。

七 同郡北野村(所沢市) 当村に此氏多く存す。稲荷大明神由来記に「井ノ上稲荷大明神は武州北野の住北田氏の背戸神なり、文明年中神滝の井ノ上に小社を建立し、稲荷大明神を勧請し、北田一族の鎮守と奉拝す。于時元禄九年二月三日、入間郡北野上江住・地主北田庄左衛門」と。大豆土村真光寺宝永四年寄進帳に山口領北野村北田三郎兵衛。北田武家文書に「正徳四年宮座々配、兄之家北田庄左衛門・弟之家北田三郎兵衛・北田治右衛門・北田勘右衛門・北田五郎左衛門・北田徳左衛門・北田伊右衛門・北田角兵衛・北田重兵衛・北田市右衛門・北田半兵衛・北田又兵衛・北田庄右衛門・北田市郎兵衛」。天神社安永七年に奉造立物部天神・神道門下北田勘助政昭、天保五年御神燈に当邨北田久左衛門。全徳寺文久三年地蔵尊に東内手・北田四郎兵衛・北田源右衛門・北田百助・北田長左衛門・北田五郎兵衛・北田半兵衛・北田藤七.。明治三年議定書に在来・北田佐兵衛・北田清蔵・北田仲右衛門・北田定右衛門・北田治右衛門・北田三左衛門・北田直蔵・北田源右衛門・北田藤蔵・百姓代北田五郎兵衛・名主北田半兵衛、地頭小林領・北田武左衛門、地頭花井領上組・北田嘉兵衛・北田重兵衛・北田孫右衛門・百姓代北田勘右衛門・名主北田長左衛門、物部天神領・組頭北田藤七・名主北田善右衛門。明治八年狭山学校議定証に北田善兵衛・北田米吉・北田忠五郎・北田長吉・北田源蔵・北田孫七・北田長作・北田半重郎・北田岩吉・北田嘉平次・北田重次郎・北田庄三郎・北田富次郎・北田熊次郎・北田定吉。明治九年副戸長北田庄三郎、副戸長北田長作・天保六年生、副戸長北田藤七・文政十二年生。明治十五年北広堂碑名簿に北野・北田金重郎、上組・北田増次郎・北田留吉・北田勇吉・北田佐吉・北田新太郎・北田兼五郎・北田国太郎、同所生徒・北田多三郎・北田重太郎・北田喜三郎・北田久太郎・北田福太郎・北田三五郎・北田佐重・北田佐七・北田多之吉・北田幾太郎・北田与吉・北田伊太郎・北田茂重郎・北田和三郎・北田惣重郎、旧神明ヶ谷戸・生徒北田金太郎。天神社明治二十九年碑に北野・北田重太郎・北田島三郎・北田和三郎・北田長作・北田勇吉・北田源蔵・北田喜三郎、明治四十年碑に当所・北田佐吉・北田平吉・北田建蔵・北田多作・北田仲右衛門あり。

八 同郡北野新田(所沢市) 明治十五年北広堂碑名簿に北中村・北田米蔵・北田長次郎・北田勇太郎。北野村天神社明治四十年碑に富岡村北中・北田庄次郎・北田為三郎・北田又右衛門あり。

九 同郡氷川村(所沢市) 明治五年紺屋北田仲蔵あり。

一〇 同郡岩崎村(所沢市) 瑞岩寺明治三十二年地蔵尊に当所北田秋五郎あり。

一一 同郡三ヶ島村(所沢市) 薬王寺明治四十二年碑に七番組北田トラ。

一二 同郡勝楽寺村(所沢市) 入間郡誌勝楽寺村条に「旧家に就て、此村に旧家二十五軒あり、今は十四のみ、北田等なり」と。勝楽寺村開闢記に「糟屋新三郎勝忠は、天正十八年当村を宛行れて地首と成り、同姓主計を留て假を本陣屋として、陣中従士等配家せしめ、永源寺旧跡に主計倅を住させ、従士三人に勝楽寺を假菩提寺と成し、北田善兵衛・本橋・神谷も進め成さしむ。北田・本橋・神谷三人御陣中に住しけるが、天正十年より初て民家に下し百姓となし給ふ。文政八年供養塔建立発願主北田仲右衛門・北田嘉平次・北田由右衛門」と見ゆ。仏蔵院文書に「天明元年組頭北田嘉兵衛。文政二年組頭北田源右衛門、檀中・北田宇平次・北田兵右衛門・北田伊右衛門・北田惣左衛門・北田源五右衛門」。氷川村中氷川社安政五年勝楽寺村七社権現碑に北田栄次郎・北田兵右衛門・北田由右衛門・北田貞右衛門・北田小右衛門、明治二十九年碑に勝楽寺村・北田常吉・北田亀五郎・北田竹蔵・北田金次郎・北田卯三郎・北田熊次郎・北田トク・北田佐市郎。明治十五年北広堂碑名簿に勝楽寺村・北田佐市郎・北田亀五郎・北田小三郎・北田幸次郎・北田熊次郎・北田浅五郎・北田金次郎・北田宇三郎あり。

一三 同郡入間川町(狭山市) 徳林寺寛政五年観音碑に北田太右衛門。寺竹村文政□年馬頭尊に入間郡入間川ノ里人北田太右衛門。明治二十五年地租額調に北田吉右衛門。明治三十五年魚商北田政三・車製造業北田定吉あり。

一四 同郡堀兼村(狭山市) 堀兼神社万延元年浅間碑に北田甚右衛門・北田久蔵・北田弥平次。明治二十五年入間川町地租額調に堀兼村北田岩五郎あり。十戸現存す。

一五 同郡加佐志村(狭山市) 明治二十五年入間川町地租額調に加佐志村北田藤吉。明治三十六年堀兼村信用組合発起人北田菊太郎あり。五戸現存す。

一六 同郡黒須村(入間市) 明治二十一年荒物商北田ツネあり。

一七 飯能町 明治十四年久下分村北田金次郎。明治三十五年飯能町洋傘商北田伊之助あり。

一八 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「所沢町・北田豊・二百三十八円、北田得米・十四円、小手指村(所沢市)・北田伊太郎・百四十六円・七十七円、富岡村(所沢市)・北田平之助・十七円、北田佐兵衛・十四円、三ヶ島村(所沢市)・北田道助・九円・二十五円、飯能町・北田福次・十五円・三十九円」あり。

北代 キタダイ 大宮、吉見、東松山等に存す。キタシロ参照。

北舘 キタダテ 浦和、与野、川口、上尾、三郷、越谷、狭山等に存す。

北館 キタダテ 浦和、川口、戸田、三郷、久喜、春日部、所沢、狭山、毛呂山等に存す。宮城県加美郡色麻町八戸、登米郡迫町六戸、岩手県二戸郡安代町三十戸、宮古市十八戸、青森県上北郡横浜町十五戸あり。

北楯 キタダテ 所沢に存す。

北谷 キタタ二 川口、伊奈、北本、志木、朝霞、鶴ヶ島、狭山等に存す。キタヤ参照。

北地 キタチ 川口、上尾、新座、朝霞、富士見、春日部、上里等に存す。ホクチ参照。

木立 キダチ 川口、浦和、大宮、和光、松伏、吉川、三郷、越谷等に存す。キダテ参照。

北辻 キタツジ 川口に存す。

北爪 キタヅメ 群馬県勢多郡宮城村百五十戸、大胡町二十七戸、粕川村三十五戸、富士見村二十戸、佐波郡境町二十五戸、伊勢崎市六十戸、前橋市二百戸あり。

一 上野国の北爪氏 宮城村大字鼻毛石、大字苗ヶ島、粕川村大字女淵、大字深津等に多く存す。鼻毛石村北爪将監の子孫北爪守雄家文書に「家紋、丸の中に矢違いに十六弁の菊。北爪将監四兄弟あり、長男将監は鼻毛石に、二男大蔵は下増田(前橋市)に、三男甚内は平塚(境町)に、四男新八郎は武州新堀新田(熊谷市)へ土着す」と。北爪守雄家文書に「北爪大蔵、十貫文、此内二貫文・鼻毛石、四貫文・苗ヶ島・四貫文・友成。北爪将監、十貫文、此内四貫文・深津、五貫文・鼻毛石、一貫文・苗ヶ島。北爪甚内、六貫文、此内三貫文・鼻毛石、三貫文・深津。北爪与兵衛、六貫文、此内三貫文・鼻毛石、三貫文・深津。北爪大膳、五貫文・苗ヶ島。北爪織部、五貫文・苗ヶ島」。「十月十四日、先日御書をは如被仰出、其地之義、新田左七様へ被相渡候、面々進退之義、被仰立、為先此書状、当地へ可参候、何も大途加御扶持知行可出候、委細富永下総守可為申聞候、女淵地衆、氏邦花押」。「十二月八日、縁喜之郷(前橋市江木)代官職、被仰付候、北爪将監殿、奉之富永能登守」。「辰二月二十七日(天正八年)、北条氏邦は、北爪将監の山上(勢多郡新里村)戸張における軍功を賞す」と見ゆ。鉢形城士なり。

二 南部藩家臣の北爪氏 北爪右馬助覚書(南部文書)に、勢多郡出身の右馬助は南部藩に仕え、年老いた慶長末期に藩主南部利直からの尋ねに応じて、過去の戦績を語る。

三 上杉藩家臣の北爪氏 小鹿野町吉田文書に「慶長四年十二月晦日、吉田新左衛門実重は、会津上杉景勝に仕へ、元鉢形城士の北爪平次右衛門は新左衛門組に属す」。上杉配下禄高表(吉田文書)「吉田新左衛門組、百石・北爪平次右衛門」あり。

四 幡羅郡新堀村(熊谷市) 用土村明治十三年仙元碑に新堀村北爪友次郎あり。四戸現存す。

五 同郡新堀新田村(熊谷市) 風土記稿新堀新田村条に「旧家者善右衛門、代々御鷹匠戸田五助采邑の名主なり。其の先祖北爪新八郎は、寛永十六年十月三日卒すと云ふ。家系は伝わらざれど、所蔵の文書によれば、天正の頃は北条安房守氏邦に仕へしこと知るべし」と。北爪正家文書に「永禄六年十月二十四日、今度其地石打に差置候付而、狸塚郷之内十貫文之所(邑楽町)、篠塚郷之内十貫文之地(邑楽町)、石打郷之内十貫文之所(邑楽町)、為給恩出置之候、北爪助八殿、景長花押」。「九月二十五日、女淵郷はなけ石之内五貫文之所、苗島之内二十貫文之所、指添為加恩出置之候、北爪主計助殿、顕長花押」と。邑楽郡は館林城主長尾景長・顕長父子の領地なり。「天正十六年九月十一日、沼田口一人討捕候誠感悦候、北爪新八郎殿、氏邦花押」。「乙丑八月五日(天正十七年)、女淵五郷検地之上給田可被下旨被仰出者也、北爪新八郎殿、奉之塀和伯耆守・笠原越前守(氏邦の奉行)」。「乙丑十二月十四日、女淵之郷之内、十貫文・友成之内、五貫文・深津之内、五貫文・苗ヶ島之内、以上二十貫文、右為給田出置候、北爪新八郎殿、奉之笠原越前守」と見ゆ。当村大正寺宝暦八年水鉢に新堀新田村北爪善右衛門光重。八幡社安永四年御神燈に北爪善右衛門。地蔵堂天明五年庚申塔に北爪善右衛門・北爪儀右衛門・北爪友右衛門。諸郡銘録(本庄戸谷文庫)に寛政期・籠原の近所新堀新田村北爪長三郎と。八幡社文化六年碑に北爪善右衛門房重・北爪五右衛門・北爪平右衛門・北爪金兵衛、文政十年碑に北爪嘉市。明治九年戸長北爪善五郎・天保八年生。大麻生村大栄神社明治十五年筆子碑に新堀新田村北爪茂重・北爪善五郎。明治十八年最上農名簿に北爪茂重郎・耕宅地十二町一反歩・山林六町九反歩所有。明治二十九年地租二百五十円以上大地主名簿に三尻村北爪善五郎。貴族院多額納税者議員互選人名簿に明治三十年農業北爪茂重郎・万延元年生・国税六百七十六円、明治四十四年北爪茂重郎・国税六百九十五円・県下百十五位(県会議員)。昭和三年興信録に三尻村・北爪徹・所得税七十九円あり。十二戸現存す。当村の此氏は戦国時代以前からの居住者にて草分けか。

六 同郡下奈良村(熊谷市) 明治二十七年東条筆子碑に下奈良村北爪弁三郎あり。現存無し。

七 同郡弥藤吾村(妻沼町) 中世以来の土豪なり。聖天旧記に「弥藤吾村草分農民にして、延宝年間・北爪彦左衛門。享和二年名主北爪彦右衛門」。明治九年副戸長北爪謙蔵・文政十二年生あり。四戸現存す。

八 榛沢郡深谷町 瑠璃光寺明治二十九年筆子碑に北爪義勝あり。

九 同郡中瀬村(深谷市) 中瀬神社明治四十一年碑に北爪洗次郎。深谷町呑龍院明治四十五年馬頭尊に中瀬・北爪洗次郎あり。現存無し。

一〇 児玉町 八幡社享保十一年鳥居碑に北爪市三郎あり。現存無し。元田村に一戸存す。当村の人か。

北詰 キタヅメ 桶川、蓮田、越谷、久喜、深谷等に存す。群馬県太田市二十五戸、栃木県足利市三十戸あり。

木立 キダテ 大宮、日高、本庄に存す。

一 秀郷流小山氏族木立氏 葛飾郡木立村(幸手市)より起る。下高野村永福寺伝に「建治二年六月朔日、木立郷光明密院大檀那吉羽左衛門佐家仲と云人、小山・結城一族にして真言宗を堅固に為す。廻文を以って一族催促す。駈集面々は木立左馬次郎信清、以下宗徒人々上下挙二百余人」と見ゆ。吉羽条参照。

木建 キタテ 加須、三郷に存す。

北出 キタデ 各市町村に存す。

北寺 キタデラ 桶川に存す。

北戸 キタド 川越に存す。

北所 キタドコロ 川口に存す。

北虎 キタトラ 大宮に存す。

北名 キタナ 草加に存す。

北中 キタナカ 大宮、浦和、久喜、富士見に存す。鳥取県東伯郡東伯町十戸あり。

北仲 キタナカ 所沢、鳩ヶ谷に存す。

北永 キタナガ 浦和、所沢に存す。

木谷 キタニ 島根県松江市二十戸、鳥取県米子市十三戸あり。

一 賀美郡長浜村(上里町) 四本辻万延元年庚申塔に上郷・木谷斉戒あり。現存無し。

気谷 キタニ 三郷に存す。

北西 キタニシ 上尾、鳩ヶ谷に存す。

一 鳩ヶ谷町 近江日野商人館に「鳩ヶ谷市株式会社十一屋北西商店、上尾市北西酒造株式会社、日野町出身初代北西亀吉・明治初期創業」。明治三十五年鳩ヶ谷町酒商十一屋北西亀吉。貴族院多額納税者議員互選人名簿に大正十四年北西亀吉・明治十九年生・国税八百五十八円・県下二百三十一位あり。

二 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「鳩ヶ谷町・北西亀吉・千六百七十三円・二百五十二円、上尾町・北西隆蔵・百三十九円、岡部村・北西貫一・六十円・五十二円」あり。

北沼 キタヌマ 浦和、大宮等に存す。

北根 キタネ 榛沢郡北根村(花園町)は北根郷を唱える。埼玉郡北根村(川里町)は、賜蘆文庫に「享徳十五年閏二月九日、武州崎西郡北根原合戦」と見ゆ。比企郡腰越村字北根(小川町)は武蔵志に腰越村枝郷北根村と見ゆ、東電変電所附近なり。入間郡大満村字北根、比企郡竹本村字北根、下里村字北根、児玉郡十条村字北根あり。千葉県夷隅郡岬町十四戸あり。

一 鉢形城士の北根氏 鉢形分限帳に「本国加州川北・北根行馬」あり。

二 榛沢郡後榛沢村(岡部町) 当村に此氏の旧家あり。三戸現存す。

北之 キタノ 戸田に存す。

北埜 キタノ 大井、越谷、三郷に存す。

北野 キタノ 入間郡北野村(所沢市)、新座郡北野村(新座市)、足立郡北野貝土村(大宮市)あり。埼玉郡鷲宮村字北野、入間郡善能寺村字北野あり。群馬県利根郡新治村九戸、藤岡市十八戸、栃木県下都賀郡国分寺町十七戸、茨城県結城郡八千代町十八戸、山梨県東八代郡境川村二十戸、長野県南安曇郡穂高町十二戸、伊那市三十戸、松本市七十七戸、福島県西白河郡大信村十一戸。秋田県大館市十七戸、島根県八束郡島根町二十六戸、鳥取県境港市十七戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「六両余二人扶持・北野標次郎」あり。

二 埼玉郡閏戸村(蓮田市) 明治六年富士講着到帳に閏戸村北野茂十郎あり。現存無し。

三 入間郡山口村(所沢市) 明治十五年北広堂碑名簿に二番組北野藤太郎あり。現存無し。

四 同郡四日市場村(坂戸市) 明治二十五年開墾台帳に北野林治郎あり。現存無し。

五 川越町 鍛冶町釜屋小兵衛の子歌人名主北野小兵衛操六・号翠樹園・寛政四年生・文久四年没。嘉永三年水村文書に鍛冶町頭取名主北野小兵衛。明治九年川越町戸長北野智行・天保六年生。氷川社明治十七年碑に北野俊太郎、明治三十三年玉垣碑に北野武助。明治三十五年鉄物商釜屋北野俊太郎・陶器商釜屋北野武助あり。

六 高麗郡田木村(日高市) 女影村霞野神社文久元年甲源一刀流奉納に北野掃部良純、明治四十五年御神燈に田木・北野源次郎。明治九年副戸長北野林治郎・嘉永二年生。明治十九年物貨駅伝組合に北野万吉・北野留五郎あり。十戸現存す。

七 同郡笹井村(狭山市) 白川家門人帳に文政八年笹井村宮大工北野大和・与七事。明治四年組頭醤油醸造業北野正兵衛。明治九年副戸長北野正兵衛・天保二年生。根岸村水富神社明治四十三年碑に水富村・北野祥作・北野伴吉・北野儀一・北野正兵衛あり。一戸現存す。

八 秩父郡三沢村(皆野町) 当村榛名神社に大蛇伝説あり。その伝説の主人公・北野道本墓に「道本禅定門・寛永二十年二月一日」とあり。現存無し。神主か。木部条参照。

九 雑載 昭和三年興信録に「水富村(狭山市)・北野正兵衛・所得税三百七十八円・営業税六十四円、奥富村(狭山市)・北野徳兵衛・所得税十円」あり。

北濃 キタノ 浦和に存す。

喜多埜 キタノ 北本に存す。

喜多野 キタノ 川口、上尾、北本、幸手等に存す。

喜多濃 キタノ 入間郡北野村(所沢市)に二戸現存す、寺院なり。明治八年狭山学校議定証に喜多濃嶺明。明治九年地主誓約書に喜多濃文龍。天神社明治二十六年碑に小手指村喜多濃雲浮あり。

北ノ内 キタノウチ 埼玉郡柏戸村字北ノ内、幡羅郡市ノ坪村字北ノ内あり。岩槻、鳩ヶ谷等に存す。

北之内 キタノウチ 浦和に存す。

北之口 キタノクチ 八潮に存す。

北野沢 キタノサワ 浦和に存す。岩手県九戸郡種市町十九戸あり。

北之園 キタノソノ 羽生に存す。

北野原 キタノハラ 川越、北川辺等に存す。

北野又 キタノマタ 上尾に存す。

北橋 キタハシ 川口、浦和、上尾、北川辺、宮代、草加、深谷等に存す。

木田橋 キタハシ 日高に存す。秋田市十三戸あり。

北端 キタハタ 草加、北本に存す。

喜多幡 キタハタ 越谷に存す。

北圃 キタバタケ 深谷に存す。

北畑 キタバタケ 葛飾郡彦倉村字北畑、秩父郡白石村字北畑あり。各市町村に存す。キタハタとも称す。

北畠 キタバタケ 各市町村に存す。茨城県西茨城郡岩瀬町十二戸、福島県岩瀬郡天栄村二十七戸、秋田県雄勝郡羽後町十五戸、青森県北津軽郡板柳町四十九戸あり。

一 榛沢郡寄居村 白川家門人帳に「文化五年、榛沢郡寄居村、太一事・北畠伊勢山寿、隣村原岩村神明宮祠官相勤罷在。文政八年、葛葉大明神々主北畠筑後源清雄・故山寿の養子」と見ゆ。現存無し。場所不明。

北浜 キタハマ 所沢、新座、岩槻、久喜、越谷、三郷、上尾等に存す。青森県弘前市十七戸あり。

北濱 キタハマ 所沢に存す。

北林 キタバヤシ 長野県南安曇郡堀金村三十八戸、下伊那郡高森町十四戸、松川町四十八戸、秋田県北秋田郡田代町七十五戸、森吉町五十戸、上小阿仁村四十三戸、山本郡山本町五十四戸、大館市三十戸、能代市三十三戸あり。

一 入間郡北野村(所沢市) 寛延三年北田文書に「拙者共儀貴公様御先祖より、地所其外苗字等御譲り被成候、拙者共子々孫々に至迄、北林・北見、右之苗字相名乗り候様に御申渡し被成候、北田五郎兵衛殿、北見三郎右衛門㊞、北林吉右衛門㊞、同久兵衛㊞、北見北都㊞、同喜左衛門㊞、同惣左衛門㊞」と見ゆ。明治三年議定書に在来・北林政五郎・北林五兵衛。明治八年狭山学校議定証に北林清八.。明治十五年北広堂碑名簿に上組生徒北林仙重郎。天神社明治二十九年碑に北野・北林甚五郎あり。六戸現存す。

吉田林 キタバヤシ 児玉郡吉田林村(児玉町)あり。群馬県室田町誌に「榛名神社領、武州児玉郡吉田村・田一反十五歩・籾六斗三升也」と見ゆ。吉田(きた)村とも称す。和名抄の児玉郡黄田郷は当村のことか。草田条参照。

北原 キタハラ 足立郡北原村(浦和市)あり、一部の字行衛は川口市に編入す。小名北原は、埼玉郡閏戸村、足立郡山村、大和田村、西谷村、清河寺村、入間郡鶴馬村、竹間沢村、城村、中富村、高麗郡馬引沢村、男衾郡塩村、千代村、大里郡下恩田村、児玉郡新里村、秩父郡金尾村、伊古田村等にあり。此氏は信濃国に多く存す。○群馬県群馬郡箕郷町二十八戸。○長野県上水内郡信州新町二十戸、諏訪郡下諏訪町五十六戸、富士見町五十七戸、原村三十七戸、上伊那郡辰野町三十戸、高遠町三百五十八戸、箕輪町七十三戸、飯島町二十戸、長谷村五十八戸、南箕輪村五十六戸、下伊那郡高森町三十戸、松川町五十三戸、木曽郡南木曽町五十戸、松本市百四十戸、諏訪市百十四戸、茅野市百四十戸、飯田市二百七十戸、伊那市五百戸、駒ヶ根市百七十戸。○新潟県刈羽郡小国町七十戸あり。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「百五十石・本国信濃生国下野・北原忠兵衛・三十五歳」。野火止宿平林寺大河内廟所延享元年燈籠に北原宮内忠光あり。

二 幸手町 明治八年騎西町釜屋文書に幸手宿酒造業北原惣治郎あり。

三 行田町 前谷村天満宮寛政元年供養塔に石工行田新町北原清右衛門あり。

四 足立郡安行領根岸村(川口市) 妙蔵寺文化八年碑に北原藤右衛門あり。現存無し。

五 比企郡熊井村(鳩山町) 毛呂神社明治四十二年幟碑に北原亮次郎あり。現存無し。

六 熊谷町 昭和三年興信録に北原留吉・所得税十円・営業税二十五円あり。三戸現存す。

七 児玉郡新里村(神川町) 小名北原あり。明治五年小前議定書に北原常吉あり。現存無し。

北樋口 キタヒグチ 春日部に存す。

北平 キタヒラ 秩父郡大内沢村字北平あり、キタダイラと称す。大宮、新座、所沢、春日部、荒川等に存す。長野県東筑摩郡波田町九戸、駒ヶ根市八戸あり。

北吹 キタフキ 川口、浦和に存す。

北袋 キタブクロ 埼玉郡北袋村(羽生市)、足立郡大宮領北袋村(大宮市)、石戸領北袋村(北本市)、同郡荒井村字北袋、入間郡水子村字北袋あり。

北部 キタベ 浦和、大宮、志木、草加等に存す。

北別府 キタベップ 川越に存す。

北堀 キタボリ 児玉郡北堀村(本庄市)あり、児玉党北堀氏は当村より起る。

一 児玉党北堀氏 四方田系図に「荘権守弘家―北堀五郎弘綱―太郎盛綱、弟三郎弘康、其弟三郎弘能、其弟四郎房平円」と見ゆ。武乾記に「児玉郡北堀村は、北堀丹波守時家と云武士住せし所なり。古くは東本庄と云ひし所なり。東に城跡あり、天正年中廃すと云ふ。北堀時家は児玉の分類なり」と見ゆ。北堀氏の本名は庄田氏なり。庄田、東本庄条参照。

二 比企郡羽尾村(滑川町) 羽尾七騎由来書(小林文書)に「天正二十年より北堀清兵衛、寛文四年役人北堀清兵衛。寛文四年古来屋敷覚、北堀七郎左衛門子藤右衛門・子清兵衛」と。羽尾七騎来歴書(小沢文書)に「寛文七年若年寄北堀清兵衛」と見ゆ。消防組員北堀多重・嘉永元年生、北堀丑太郎・慶応元年生。明治十三年小学校生徒・多十長男北堀清十郎・十歳あり。三戸現存す。

三 同郡中尾村(滑川町) 当村に此氏の旧家あり。七戸現存す。

四 秩父郡山田村(秩父市) 恒持神社明治四十三年碑に下組・北堀右平・北堀徳平。昭和三年興信録に高篠村・北堀覚三・所得税六十三円・営業税六十一円あり。十六戸現存す。

北澗 キタマ 浦和に存す。

北前 キタマエ 岩槻、志木等に存す。

北牧 キタマキ 狭山に存す。

北俣 キタマタ 岩手県下閉伊郡岩泉町九戸あり。

北町 キタマチ 川越宿喜多町は北町とも書く。行伝寺過去帳に「法善・北町市右衛門・寅年十月。祐因・北町ノ九兵衛・午年九月。妙頓・北町八左衛門内・八月。融心・北町甚右衛門内ノ父・子年六月」あり。喜多町住人にて、苗字にあらず。

北松 キタマツ 越谷に存す。

木田余 キタマリ 狭山に存す。

北見 キタミ 入間郡中富村字北見あり。茨城県日立市七十戸、千葉県香取郡小見川町十五戸、安房郡和田町十五戸、木更津市二十八戸、新潟県北蒲原郡水原町八戸、笹神村九戸、佐渡郡相川町三十三戸、金井町四十九戸、福島県耶麻郡塩川町十戸あり。

一 岩槻町 加倉村浄国寺元禄三年庚申塔に市宿町北見市左衛門あり。

二 足立郡三条町村(大宮市) 当村に此氏の旧家あり。十三戸現存す。

三 同郡深井村(北本市) 寿明院寛政九年寄附帳に当村北見彦五郎・北見弥市あり。現存無し。

四 入間郡北野村(所沢市) 寛延三年北田文書に「拙者共儀貴公様御先祖より、地所其外苗字等御譲り被成候、拙者共子々孫々に至迄、北林・北見、右之苗字相名乗り候様に御申渡し被成候、北田五郎兵衛殿、北見三郎右衛門㊞、北林吉右衛門㊞、同久兵衛㊞、北見北都㊞、同喜左衛門㊞、同惣左衛門㊞」と見ゆ。三ヶ島村常楽院文化七年棟札に屋根工北野邑北見惣左衛門。明治三年議定書に在来・北見長右衛門・北見治郎兵衛・北見宇八・北見太郎右衛門。明治八年狭山学校議定証に北見寅蔵・北見市蔵・北見惣吉。明治十五年北広堂碑名簿に上組・北見文五郎、生徒・北見源五郎・北見重次郎。天神社明治二十九年碑に北野・北見惣吉・北見文五郎・北見重蔵、明治四十年碑に当所北見文次郎・北見卯太郎あり。十五戸現存す。

木田見 キタミ 多摩郡木田見村(世田谷区喜多見町)より起る。

一 江戸氏流木田見氏 畠山系図に「畠山庄司二郎重忠―六郎重保―下野守重国―江戸彦太郎重長(法名成仏。重忠横死後、家督の分に於ては重長継之、一門棟梁たり。所謂江戸、木田見、丸子、小日向、柴崎、飯倉、渋谷、高田所々知行)―木田見次郎氏重(武重、又江戸二郎。家紋下ノ三白上二筋黒)」と見ゆ。豊島宮城系図に「江戸四郎太郎重長の子木田見小次郎武重(住武州多摩郡木田見村、故子孫為氏)」と。詳細は江戸条参照。

二 木田見氏の名は、 熊谷直国(承久乱討死)の嫡子直時(妻木田見次郎入道成念嫡女)―直高と、成念嫡子木田見長家―定長と、多摩郡木田見郷をめぐってたびたび争論す。熊谷文書に「建治元年七月五日、木田見次郎入道成念嫡女熊谷尼代子息図書助次郎直高与、舎弟小次郎長家相論。武蔵国牛丸郷内田畠在家并越後国北生善村半分事、右、於成念遺領者、文永元年十一月一日分譲男女子息等。尼当知行牛丸郷内田二町・在家二宇、次尼譲得分田屋敷者、一期知行之後者、任成念譲状、長家子息定長可令領掌、云々。北条義政花押・北条時宗花押」。「弘安十年九月十五日、木田見小次郎長家入道仏念申武蔵国天神宮造営用途事」。「元弘三年十二月二十日、熊谷小四郎直経申、武蔵国木田見郷一分地頭職事、木田見孫太郎致濫妨、云々。尊氏花押」と。佐野松田系図に「松田小二郎有経―安木九郎有忠―三郎光基―女子(北見孫太郎妻)」と見ゆ。木田見郷は熊谷氏と木田見氏の両家が代々相伝す。前項の江戸氏流木田見氏とは別家の者か。熊谷文書に「応永十年二月二十八日熊谷宗直譲状。武蔵国木多見郷田畠在家等、右、所領者、為先祖相伝之間、云々」と見ゆ。

喜多見 キタミ 各市町村に存す。千葉県香取郡小見川町五戸、山田町七戸、福島県耶麻郡猪苗代町十九戸、磐梯町七戸あり。

鬼多見 キタミ 大利根に存す。

北御門 キタミカド 蕨、所沢、坂戸等に存す。

北峰 キタミネ 浦和、上尾、新座、宮代、草加、飯能等に存す。

北宮 キタミヤ 鴻巣に存す。

北向 キタムキ 草加、浦和等に存す。岩手県九戸郡種市町五戸、青森県三戸郡三戸町九戸、上北郡下田町七十五戸、百石町十七戸、三沢市二十戸あり。アラハバキ条十三項参照。

北村 キタムラ ○群馬県邑楽郡板倉町二十一戸、富岡市五十二戸、高崎市九十戸。○茨城県西茨城郡友部町十六戸。○山梨県西八代郡三珠町十六戸、中巨摩郡若草町十七戸、甲府市五十戸。○長野県上水内郡信濃町八十戸、埴科郡戸倉町四十六戸、南佐久郡臼田町二十三戸、東築摩郡朝日村十六戸、下伊那郡松川町二十三戸、上田市七十戸、飯田市四十七戸、駒ヶ根市五十戸。○新潟県南魚沼郡六日町三十七戸、中頚城郡妙高高原町十五戸、長岡市五十戸、見附市八十戸、糸魚川市四十戸、柏崎市四十三戸。○岩手県九戸郡大野村二十戸、宮古市七十戸。○山形県酒田市四十五戸。○秋田県北秋田郡比内町十七戸。○青森県三戸郡田子町二十七戸、上北郡東北町二十四戸、八戸市七十戸。○島根県(出雲国)仁多郡横田町十五戸、簸川郡斐川町二十五戸、出雲市五十六戸。○鳥取県(因幡国)岩美郡岩美町十九戸、八頭郡河原町二十戸、鳥取市百十戸あり。

一 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「百石・北村三左衛門」あり。

二 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御代官・五十石・北村与兵衛」あり。

三 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「十五石四人扶持・北村束」あり。子孫聡治は東松山市松葉町に現存す、

四 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御元方改役・十六石余二人扶持・北村三左衛門、御賄役・十二石二人扶持・北村東太、江戸屋敷足軽・三両二人扶持・北村多七」。明治四年忍藩士族名簿に「十人扶持・北村三左衛門、五石二人扶持・北村古助、四両二人扶持・北村菊四郎、二両余二人扶持・北村太七郎」あり。

五 旗本五味備前守家臣 入間郡小谷田村東光寺鐘銘に「延宝二年、小谷田郷領主旗本五味備前守豊直家臣、北村吉右衛門、北村兵助、北村庄太夫」あり。

六 草加町 明治三十五年薪炭商湯屋北村五兵衛あり。

七 与野町 明治三十五年に北村庄太郎あり。

八 蕨宿 正蔵院元禄十五年庚申塔に北村勘兵衛。和楽備神社天保三年御神燈に北村万吉・北村伊右衛門、万延二年御神燈に北村寅吉・北村久五郎・北村喜太郎。三学院文久三年供養塔に蕨下町北村庄五郎・北村喜太郎。明治四年商用判鑑帳に北村富三郎。明治三十五年油物業北村助太郎・染物業北村民蔵あり。

九 鴻巣町 明治三十五年足袋商北村兵吉・北村豊吉あり。

一〇 飯能町 昭和三年興信録に北村九郎・所得税十二円あり。

一一 入間郡鴨田村(川越市) 川越喜多院五百羅漢像銘に寛政頃・鴨田村北村小兵衛あり。現存無し。

一二 松山町 明治三十五年薬種商北村金蔵あり。

一三 比企郡平村(東松山市) 相上村吉見神社寛政三年牛頭天王碑に平邑北村茂助。明治九年副戸長北村司宗・嘉永三年生。羽尾村明治二十七年毛受重微筆子碑に東平・北村定太郎あり。二戸現存す。

一四 横見郡今泉村(吉見町) 氷川社嘉永四年大神宮碑に北村豊次郎、文久二年水鉢に北村織三郎、慶応二年御神燈に北村林之助、明治四十年碑に北村瀧次郎・北村浦次郎・北村源左衛門。明治九年副戸長北村善之助・安政元年生あり。七戸現存す。

一五 妻沼町 明治三十五年菓子製造業北村元次郎あり。

一六 深谷町 明治三十五年糸繭商北村八三郎あり。

一七 本庄宿 円心寺元禄八年鐘銘に北村治右衛門・北村治兵衛。明治三十五年菓物屋北村喜三郎あり。

北邑 キタムラ 越谷、玉川に存す。

北邨 キタムラ 川越、春日部に存す。

基太村 キタムラ 新座に存す。

喜多村 キタムラ 新潟県北魚沼郡川口町三十六戸あり。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「五両二人扶持・本国丹波生国同・喜多村太兵衛・二十七歳」あり。

二 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「百石・喜多村満次郎」あり。

三 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・百石・越前取立・喜多村円八、御馬廻・百石・山形取立・喜多村六三郎」あり。

四 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「五人扶持・喜多村亀之助」あり。

五 葛飾郡関宿向下河岸(幸手市) 浅間社天明二年庚申塔に喜多村文蔵、文化十四年観世音に桜井郷関宿向下河岸・喜多村平左衛門欽道・喜多村平左衛門実父円達淨光・喜多村藤蔵寿富・喜多村善右衛門元暉、文政四年二十三夜塔に喜多村長右衛門・喜多村亀右衛門、嘉永二年猿田彦碑に喜多村清左衛門・喜多村長左衛門、慶応元年門人碑に喜多村幸兵衛源富易、明治四年水鉢に喜多村富之助あり。一戸現存す。

北目 キタメ 蕨に存す。

北明 キタメイ 新座、川越等に存す。

北元 キタモト 大宮、狭山等に存す。

北本 キタモト 足立郡北本宿あり。榛沢郡本郷村(岡部町)に三戸、針ヶ谷村(岡部町)に三戸現存す。

喜多本 キタモト 坂戸に存す。

北守 キタモリ 所沢、三郷、吉川、鳩ヶ谷等に存す。

北森 キタモリ 川口、戸田、宮代、草加、狭山等に存す。

北谷 キタヤ 足立郡北谷村(川口市)あり。同郡下青木村字北谷(川口市)は古の村名にて、竜泉寺正徳三年庚申塔に下青木村北屋と見ゆ。また、小名北谷は、葛飾郡富新田、保村、高富村、埼玉郡野牛村、四条村、芋茎村、鴻茎村、羽生町場村、足立郡里村、江戸袋村、峰村、浦寺村、入間郡福岡新田、久下戸村、谷中村、児玉郡中新里村、大里郡小八ツ林村等にあり。各市町村に存す。青森県北津軽郡鶴田町十三戸、青森市二十戸あり。キタタ二参照。

北屋敷 キタヤシキ 浦和に存す。

北谷戸 キタヤド 秩父郡黒谷村(秩父市)聖神社宝物に「聖明神、慶雲五戊申年二月十三日銅石神体、氏神北谷戸掃部之介、尾鹿野村野巻戸原町附之」とあり。子孫北谷戸家は代々聖神社の管理者にて秘蔵文書多く所蔵す。県会議員農業北谷戸正助・安政二年生あり。秩父市内に二戸現存す。

北山 キタヤマ 小名北山は、埼玉郡彦兵衛新田、足立郡大針村、入間郡箕和田村、比企郡玉川郷等にあり。長野県上水内郡戸隠村十七戸、福島県安達郡白沢村十戸、青森県南津軽郡平賀町十六戸、八戸市五十戸、黒石市百七十戸、青森市六十五戸、鳥取市四十戸あり。

一 忍城士の北山氏 成田分限帳に「七十貫文・北山四郎兵衛、十六貫文・北山茂左衛門、十五貫文・北山帯刀」あり。別本に小山と見ゆ。

二 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「七石・北山文七」あり。

三 葛飾郡長間村(幸手市) 百間村青林寺寛政十年文書に長間村北山久兵衛。字蛭子香取社文政二年鳥居碑に北山又四郎。字本田香取社安政七年水鉢に長間村北山儀兵衛。広戸沼村観音堂慶応二年碑に長間村北山儀三郎登行・北山七次郎幸行。明治九年副戸長北山新五郎・文化十年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に長間村北山新五郎。昭和三年興信録に八代村・北山勇助・所得税九円あり。四戸現存す。

来山 キタヤマ 鶴ヶ島、和光、上尾、北本、三郷等に存す。

喜多山 キタヤマ 川口、杉戸、岩槻、所沢、狭山、神川等に存す。青森県中津軽郡岩木町六戸あり。

一 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・二十石四人扶持・川越取立・喜多山里記」。万延二年に「御馬廻・二十石四人扶持・喜多山市太夫、惣領喜多山岩太郎」あり。

北湯口 キタユグチ 上福岡に存す。岩手県遠野市二十七戸あり。

喜多良 キタラ 和光に存す。

北脇 キタワキ 各市町村に存す。山形県酒田市十一戸、島根県(出雲国)簸川郡斐川町三十六戸、松江市十五戸あり。

北渡瀬 キタワタセ 蓮田に存す。

貴俵 キタワラ 浦和、上尾に存す。秋田県平鹿郡平鹿町十七戸あり。

儀丹 ギタン 本庄に存す。

木地 キチ 川口、浦和、上尾、桶川、杉戸に存す。長野県上田市五戸あり。

吉川 キチカワ 各市町村に存す。千葉県市原市十二戸あり。キカワ、キッカワ、ヨシカワ参照。

吉清 キチキヨ 大井に存す。千葉県夷隅郡大原町十戸、勝浦市十三戸あり。キッキヨ、ヨシキヨ参照。

吉島 キチジマ 朝霞に存す。キジマ、ヨシジマ参照。

吉嶋 キチジマ 川越、新座に存す。

吉祥 キチショウ 越谷に存す。キッショウ参照。

吉城寺 キチジョウジ 毛呂山に存す。新潟県糸魚川市四戸あり。

吉瀬 キチセ 浦和、草加、深谷、坂戸等に存す。キセ、ヨシセ参照。

二木地谷 キチタ 浦和に存す。キチヤ参照。

吉地 キチヂ 新座に存す。長野県飯田市八戸あり。

吉間 キチマ 浦和、朝霞、日高、深谷等に存す。群馬県館林市二十三戸あり。ヨシマ参照。

吉見 キチミ 所沢に存す。宮城県白石市五戸あり。ヨシミ参照。

吉家 キチヤ 草加、鳩山に存す。キッカ、ヨシヤ参照。

木地谷 キチヤ 越谷に存す。岩手県久慈市九戸あり。キチタ二参照。

吉楽 キチラク 川越、所沢、春日部等に存す。新潟県中魚沼郡中里村三十八戸あり。 

木津 キヅ 葛飾郡木津内村(杉戸町)あり。新潟県南蒲原郡田上町十一戸、南魚沼郡大和町十六戸、新津市十四戸、五泉市二十二戸、加茂市二十戸、青森県西津軽郡木造町十五戸あり。

一 竹沢郷の木津氏 比企郡大河原庄竹沢郷(小川町)の大河原庄は隣村の秩父郡(東秩父村)に亘る広い範囲なり。此の一帯を竹沢郷と唱える。賀美郡黛村観音寺普門院世代記に「当寺三世義栄は、秩父郡竹沢郷人也。其先藤氏より出で木津氏也。延宝七年六月得度し、宝永二年寂す」と見ゆ。竹沢郷に現存無し。

二 葛飾郡戸ヶ崎村(三郷市) 当村に此氏多く存す。香取社安永六年鳥居碑に当村木津豊右衛門、明治三十一年絵馬に木津粂三郎。吹上天神社明治十年御神燈に木津岩右衛門・木津勘右衛門・木津政之助、明治三十一年絵馬に木津芳太郎、明治四十一年絵馬に木津万吉。明治九年副戸長木津勘右衛門・文政四年生。明治十一年石川文書に木津友吉。明治三十年人名録に木津粂三郎・万延元年生・地租三十七円あり。

吉津 キヅ 浦和、加須、川越、毛呂山等に存す。福島県南会津郡只見町七十戸あり。キッツ、ヨシツ参照。

城津 キヅ 宮代、鴻巣等に存す。シロツ参照。

橘井 キツイ 浦和、東松山等に存す。山形県東根市七戸あり。

木通 キツウ 上福岡に存す。福島県伊達郡伊達町十戸、保原町十戸、梁川町五十戸あり。キトウ参照。

吉家 キッカ 与野に存す。岩手県西磐井郡平泉町十一戸、一関市四十四戸あり。キチヤ、ヨシヤ参照。

木塚 キヅカ 各市町村に存す。栃木県佐野市二十五戸あり。

鬼塚 キヅカ 川口、鳩ヶ谷等に存す。オニヅカ参照。

吉川 キッカワ ○茨城県那珂郡大宮町十四戸、新治郡八郷町十七戸。○長野県上伊那郡飯島町二十戸、茅野市二十七戸。○新潟県西蒲原郡中之口村十戸、三条市二十五戸。○宮城県黒川郡大和町三十三戸。○岩手県下閉伊郡山田町十戸、一関市十九戸、宮古市二十戸。○秋田県由利郡象潟町十八戸、仙北郡協和町十五戸。○島根県(石見国)邑智郡邑智町二十五戸、瑞穂町十三戸、(出雲国)仁多郡仁多町四十戸、横田町十三戸、松江市二十五戸、出雲市三十四戸。○鳥取県(伯耆国)東伯郡羽合町十八戸、米子市四十二戸あり。キカワ、キチカワ、ヨシカワ参照。

一 入間郡下南畑村(富士見市) 当村に此氏多く存す。南畑村之沿革史に「下南畑村の吉川氏は竹之内に住し、その祖は小田原からの落人武者にして、相州の住人兼広作の銘刀と秘蔵の巻物一巻を伝う。明和年間組頭から名主に進み、組頭を分家加兵衛に譲り、其の子清左衛門も其の職を嗣ぐ。喜左衛門の子久左衛門も名主にて現主喜左衛門は其の直系なり。分家五三右衛門は文政年間に名主を勤む、息周蔵、現主荒次郎なり。分家の捨次郎は天保年間より名主役を勤め、息与五兵衛、現主斜衛なり。吉川与惣兵衛は文久年間より名主役を勤め、息惣兵衛、現主岩次郎なり」と見ゆ。出稼衆にて小田原へ勤士す。蔵福寺文化六年六地蔵に下南畑村吉川清助・吉川清左衛門。志木町敷島社明治五年道標に下南畑村吉川利助・吉川常吉。引又河岸跡明治十三年水神講に南畑村吉川助次郎・吉川唯吉。明治五年大工職吉川又七.明治九年戸長吉川与惣左衛門・天保三年生、副戸長吉川与五兵衛・天保九年生。南畑村会議員に吉川惣兵衛・嘉永三年生、吉川治郎兵衛・天保四年生あり。

二 埼玉郡八条村(八潮市) 明治八年糠買い渡世吉川仙次郎あり。キッカワ氏三戸、ヨシカワ氏一戸現存す。

桔川 キッカワ 狭山に存す。

橘川 キッカワ 各市町村に存す。神奈川県中郡二宮町六十戸、綾瀬市寺尾に七十六戸あり。

一 他田日奉直の後裔橘川氏 下総国海上郡橘川郷より起る。武蔵国造と同族の上海上国造五十狭茅宿祢の子久都伎直(応神朝、下海上国造を定め賜る。他田日奉直祖)の後裔なり。古代氏族系譜集成に「他田日奉直春岳(下総国海上郡大領、仁和元年閏三月十九日紀)―清近―宗益(大領)―宗綱(郡司、平忠常乱抽功)―宗清(郡司太夫)―新太夫宗友―兵衛尉友忠―太郎友兼―橘川太郎右衛門尉宗兼(鎌倉殿到于下総国府館時馳参有功、賜海上郡橘川庄地頭)―右兵衛尉小太郎経兼(法名能連、承久抽功)―太郎二郎正兼―又兵衛尉友正―兵衛太郎友宗、弟四郎左衛門尉安宗(橘川地頭、出家少進坊)―左近将監安綱(元弘二年上洛六波羅合戦討死)―刑部左衛門尉安真―蔵人忠友―帯刀左衛門尉忠成―安芸守忠安(享徳四年、移住相州足柄郡中村)―出雲守忠親―玄蕃助忠宗入道浄円―出雲守忠久(仕北条氏綱、天文二十年川越合戦抽功)―宮内少輔忠広(仕氏康、永禄六年正月下総国府台討死)―出雲守忠重、弟安芸守忠頼」と見ゆ。

木津川 キツカワ 浦和、和光、八潮に存す。宮城県栗原郡栗駒町四戸あり。

喜津川 キツカワ 大宮に存す。

喜津河 キツカワ 忍城士にて、成田分限帳に「十三貫文・喜津河又六」。

木附 キツキ 川口、蓮田、岩槻、狭山、入間、寄居等に存す。

杵築 キツキ 島根県隠岐郡海士町九戸、簸川郡大社町八戸、松江市六戸、鳥取県米子市七戸(キヅキ)あり。

木継 キツギ 所沢に存す。長野県南佐久郡臼田町八戸あり。

木次 キツギ 浦和、大宮、上尾、志木、朝霞、飯能、所沢、上福岡、狭山、深谷、春日部等に存す。長野県北佐久郡望月町七戸、南佐久郡臼田町十三戸、北相木村四十六戸、佐久市二十一戸あり。コツギ参照。

木築 キヅキ 浦和、与野等に存す。

木月 キヅキ 川口、蕨、浦和に存す。

木津喜 キヅキ 越谷に存す。

木附沢 キツキサワ 北本に存す。岩手県二戸市六戸あり。

吉清 キッキヨ 蕨に存す。千葉県勝浦市二十五戸あり。キチキヨ、ヨシキヨ参照。

吉経 キッキョウ 川口に存す。

木造 キヅクリ 川口、大宮、春日部等に存す。

亀甲 キッコウ 岩槻、東松山等に存す。キコウ参照。

吉光寺 キッコウジ 浦和、上福岡、入間に存す。栃木県小山市十戸あり。

吉高神 キッコウジン 所沢、春日部、上尾等に存す。栃木県鹿沼市十八戸あり。キコウジン参照。

橘定 キッサダ 北本に存す。

木辻 キツジ 狭山に存す。

吉州 キッシュウ 熊谷、杉戸に存す。キシュウ参照。

吉祥 キッショウ 浦和に存す。

吉所敷 キッショシキ 大里郡吉所敷村(大里町)あり。

切通 キツウ 川口に存す。

橘田 キッタ 各市町村に存す。山梨県西八代郡上九一色村十戸、東八代郡石和町二十一戸、中道町二十一戸、御坂町二十三戸、八代町八十六戸、境川村五十戸、中巨摩郡田富町十二戸、塩山市三十戸、甲府市百戸あり。

一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「百五十石・橘田弥次右衛門・是は忍にて罷出・甲州之者」あり。

橘高 キッタカ 川口、大宮、上尾、和光、東松山、川越、狭山、所沢、岩槻等に存す。

吉津 キッツ 三芳に存す。キツ参照。

切手 キッテ 上尾、寄居等に存す。

木綱 キツナ 毛呂山に存す。

橘内 キツナイ 各市町村に存す。福島県伊達郡梁川町五十戸、霊山町六十戸、福島市五十戸あり。

狐塚 キツネヅカ 葛飾郡狐塚村(栗橋町)は、金沢文庫文書に「金沢貞顕の所領、狐塚郷分」と見ゆ。また、足立郡川田谷村字狐塚(桶川市)は、享保十八年庚申塔に足立郡狐塚村と見ゆ。幡羅郡西別府村延享元年田方帳に字きつね塚と見ゆ。川口、浦和、新座、所沢、川越等に存す。栃木県下都賀郡都賀町二十八戸、上都賀郡西方町十三戸、栃木市三十戸、鹿沼市九戸あり。

狐鼻 キツネバナ 桶川に存す。岩手県釜石市七戸あり。

吉方 キッポウ 上福岡に存す。

吉妻 キツマ 葛飾郡吉妻村(庄和町)。

橘本 キツモト 明治三十五年粕壁町白木綿商橘本吉兵衛あり。現存無し。

木津谷 キツヤ 川口、草加、朝霞、所沢、越谷、岩槻等に存す。青森県西津軽郡稲垣村十六戸あり。

吉津谷 キツヤ 所沢に存す。

橘山 キツヤマ 浦和に存す。岩手県胆沢郡金ヶ崎町九戸あり。

喜連 キツラ 所沢に存す。

喜連木 キツラギ 児玉郡小島村唐鈴明神社(本庄市)は、古はキツラキ明神と唱える。

木寺 キデラ 浦和、大宮、桶川、戸田、和光、新座、越谷、春日部に存す。

貴傳名 キデンナ 所沢に存す。

木戸 キド 埼玉郡稲子村(羽生市)に六戸、高麗郡双柳村(飯能市)に三戸現存す。○群馬県富岡市十四戸、太田市十三戸。○新潟県三島郡三島町六戸、三条市三十戸。○福島県石川郡石川町三十七戸、伊達郡保原町二十戸、いわき市十六戸、郡山市二十戸、福島市三十戸。○岩手県二戸郡一戸町八戸。○山形県最上郡真室川町七戸。○青森県上北郡野辺地町十戸、東津軽郡蟹田町七戸、三厩村七戸、蓬田村十一戸、青森市四十戸。○島根県(出雲国)安来市二十七戸あり。

一 川越氏若党の木戸氏 幕府北条方にて、近江国蓮華寺過去帳に「元弘三年五月九日近江番場にて六波羅の士、川越参河入道乗誓、同若党木戸三郎家保討死す」と見ゆ。川越中院過去帳に「道空禅定門・江・木戸刑部」あり。江戸時代初期にて、川越宿江戸町住人なり。

二 松山城士の木戸氏 秩父郡御堂村日蓮宗浄蓮寺過去帳に「秋月・木戸又兵衛父・出雲ノ国」あり。出雲出身の出稼衆なり。

三 足利氏族の木戸氏 下野国足利庄木戸村より起る。此地は矢場川の変遷により南岸となり上野国邑楽郡木戸村(館林市)となる。上杉文書に「元徳四年二月二十九日、足利尊氏より木戸宝寿丸へ知行書出一通。下野国足利庄木戸郷、並陸奥国賀美郡青塚郷、鎌倉屋地等事、守外祖父木戸左近太夫家範知行之例、可被安堵領掌之状如件」。「元弘三年八月九日、後醍醐天皇論旨。三河国須美村内家武名事、任相伝可令知行者、木戸宝寿丸館」と見ゆ。三河国は足利領なり。野田条六項参照。太平記卷三十九に「足利基氏の臣木戸兵庫助らは、入間郡苦林野で芳賀氏と戦ふ」。六波羅密寺文書に「貞治四年十月八日足利基氏近習連署奉加状、木戸左近将監貞範」。上杉系図に「上杉憲顕(応安元年足利御陣卒六十三歳)―憲将(貞治五年卒。母木戸氏)」と。鎌倉大草紙に「康暦三年六月十五日、木戸将監範季。至徳三年五月七日、木戸修理亮」。上杉憲方施行状(鎌倉円覚寺文書)に「至徳元年、下野国守護木戸左近将監入道殿」。豊島宮城系図に「豊島小三郎宗朝(貞和五年譲状)―泰宗(応永二年還補。妹は木戸氏妻)―範泰―女子(木戸駿河守妻)」と。鎌倉大草紙に「応永上杉禅秀乱の時、鎌倉在国衆には木戸内匠助伯父甥を初めとして、百余人同心す」。「足利持氏は折節御沉酔之れ有り、御寝成けるに、木戸将監満範・御座近く参り驚かせ奉る。御供には新田の一類田中、木戸将監満範」。「応永三十年八月二日、持氏勢は一色左近将監・木戸内匠助、先手の大将として、常陸国住人小栗孫五郎平満重を攻む」。「永享十年九月、木戸左近太夫将監持季を大将として云々。嘉吉元年四月、木戸左近将監は古河城にて討死す」と見ゆ。皆川文書に「応永二十四年二月二十七日、下野国長沼庄内上椙右衛門佐入道禅秀跡、同国大曽郷木戸駿河守跡」。禅秀方の木戸駿河守所領は没収される。岩松持国闕所注文(正木文書)に「下野国都賀郡牧野之郷、木戸兵部少輔知行分」。相州藤沢清浄光寺応永二十五年戦死者供養碑に「上杉右衛門佐氏憲入道禅秀、木戸将監満範等、自応永二十三年十月六日兵乱、至同二十四年於在々所々敵味方為箭刀水入落命」と。別府文書に「正長二年十二月八日、公方持氏は、木戸左近太夫将監持季と相伝せし幡羅郡別府郷安枝名内号友成方の田地を別府幸忠に安堵す」。足利家御内書案に「寛正三年十二月七日、武州木戸駿河守跡」。「寛正六年十一月二十七日、将軍義政は、松田左衛門尉跡を木戸三郎実範に預け置く」。「義政は、渋川義鏡をして、木戸三郎実範の応永二十三年以後の当知行地(武蔵国)を安堵す」と見ゆ。また、越谷市中町会田勝亮所蔵の懸仏(元は附近の浅間社にあった)に「奉納富士山内院御正躰、南無浅間大菩薩、上野介満範、別当、本云応永三十二年六月一日・叡蓮。于時文明八年六月一日、別当中納言阿闍梨良清・満範孫子」と銘あり。別当良清は木戸満範の孫なり。

四 歌道の木戸氏 黒田豊前守直邦の和歌系統に「藤原定家―為家―為世―頓阿―経賢―尭尋―尭孝―常縁―常和(弟弟子宗祗)―正吉―賢哲―休波」と。二条家冷泉家両家相伝次第(藤川百首抄)に「尭孝(小野宮大納言能実九代孫)―常縁(東下野守、法名素伝)―常和(東左近太夫、法名素安)―正吉(常和弟子、俗名木戸大膳太夫範実)―賢哲(木戸伊豆守忠朝)―休波(木戸元斎)。持為(下冷泉大納言)―孝範(持為弟子、木戸参河守)―女(正吉母)―正吉」と。正吉の藤川百首抄に弘治三年七月二十八日とあり。御子左系図に下冷泉持和(改持為、享徳三年卒)と。東常縁(総州東庄三十三郷地行)の次男常和は大永三年に足立郡淵江郷(足立区)に在住す(再昌草)。歌道木戸氏は、足利基氏の重臣木戸貞範の子孫にて、源孝範集に「曽祖父貞範・建武二年蔵人になりて云々」と。正吉の著した和歌会式に「祖父三河守孝範」とあり。孝範の父は木戸内匠助である。太田道灌状に「文明十二年、木戸参河守孝範は公方一族」と。古河公方義氏は、木戸伊豆守忠朝に曽祖父孝範の受領名三河守を許可す。

五 新田氏族の木戸氏 前項源姓木戸氏を新田氏流に附会するか。埼玉郡簑沢村(羽生市)大天白神社縁起碑に「木戸忠朝は、新田義重七代民部少輔基氏十代の末孫にして、伊豆守に任じ、武田信玄の旗下に属す、弘治二年羽生簑沢に城を築き之に居る」とあり。木戸氏系図(藤井村上組源長寺所蔵)に「新田左中将義貞末子義清始而木戸を称す。末孫木戸駿河守持季・鎌倉公方足利持氏に仕、永享十年十月木戸持季於駿河国戦死、持季三代孫木戸伊豆守忠朝に到り越後謙信麾下武州羽生領簑沢之城に居住す、天正三年館林土橋於善長寺自害す云ふ。子息右衛門太夫重基十八歳於本丸自殺、伊豆守末子七歳之勇士小源太母介抱して火焔之中を遁出近江隠忍、年月経て七歳男子成長して柴山縫殿之助重安と名乗、木戸廃して母方本名此時始柴山と称す」と見ゆ。柴山条参照。また、簑沢一城根元亡落記(羽生町三木辰五郎所蔵)に「当国埼玉郡簑沢の一城は、甲州の太守武田信玄公旗下にて、木戸伊豆守忠朝公の遺緒を尋るに、新田義重七代新田基氏の長男石見守義光息男弾正頼氏・上野国山田郡木戸庄(館林市)に住居す、後に木戸庄司と号す。長男木戸兵庫之助国貞は新田義貞に随ひ、越前国金ヶ崎の城にて国貞死す。子息木戸信濃守清忠は義貞の家臣畑六郎左衛門時能と三井寺に籠り戦死す、行年三十五歳也。木戸下総守基信の時代に延文中同国碓氷郡安中へ移り碓氷郡を領地しける、基信は永正八年九月に死去す。木戸上野守康氏は大永二年甲斐国主武田家は同姓清和の支流成に依て旗下族となり大永二年十月康氏病死。木戸大内蔵重信十九歳にて病死す。木戸但馬守忠氏の時代越後の国主上杉謙信と少々違論あり、碓氷峠にて合戦に及び忠氏無勢故、防べき手段もなく終に和談して安中城地は謙信へ相渡し、忠氏は武蔵国長井之庄へ落居す、忠氏は長井之庄にて天文十九年二月八日病死す。木戸伊豆守忠朝の時代、同国埼玉郡簑沢の城は地利相応の場所にて、岩槻内記の案内にて弘治二年築城いたし、羽生領五万八千石領地す。当城主なるに付き伊豆守より家老小松兵庫・荒川一学両人を使者として甲斐国信玄公へ此地新城出来候申上候得は、信玄公殊の外御機嫌能、使者に参候両人へ引手物下置被る。元亀二年の春信玄公信濃国より西上州表へ御巡見成り被り候に付、武州羽生簑沢の新城御一見成被度、思召此表へ御出陣成被候也。天正元年四月信玄公死去にて、城主を始め親族皆々力を落し、家老小松兵庫・荒川一学・鷺坂軍蔵、足軽大将室田幸内、相談致し、当城の滅亡時至候覚悟の前にて小田原勢近日寄申候、依て其節運命限り相防可申候。天正三亥年六月小田原氏政より忍城主成田下総守氏長を先手として責入けり、荒川一学・須景小源次両人屈強に戦ひ独も不残打取ける。奥方姫子の御両所の義は、鷺坂軍蔵が天神の森下より早船に乗せ騎西領の内へ落のびし故御助命被成ける。主人忠朝をはじめ家子徒卒百余人不残切腹仕相果ける。荒川一学戦ひしが、平井左馬之助が手先にて放掛候鉄砲に当り落命仕りける。寄手には木戸外記・春山又四郎戦死、其外討死手負は二百余人にぞ聞へける」と見ゆ。

六 羽生城主の木戸氏 風土記稿埼玉郡麦倉村条に「当村明応の頃、開闢して石川権頭義俊と云人居城を構へ則領主として住せしが、羽生の城主木戸相模守と合戦に及び石川焼打にせられ利を失てより一村悉く廃地となれり」と。羽生町場村条に「古城蹟。土人の伝へに、当城は木戸伊豆守忠朝・弘治二年築きし城にして、姑くこゝに居住せしが、天正三年六月、成田下総守のために陥り、忠朝討死せしより、成田氏の持となりしに御入国の始め、大久保相模守忠隣が居住に賜はり、家人鷺坂道可を城代として、其の身は江戸に奉仕せしが、慶長十九年の比・御料に属し、其の後城も破却せられぬと。されど当城のこと、古記録、及び土人の伝へ区々にして、一定しがたし。その一二を挙ぐるに、古戦録に云ふ『此の城・元は忍の砦にして、成田下総守長泰の指揮に従ひ、羽生豊前守守れり』と。又北越軍記には『上杉輝虎の持にて、元亀二年、川田軍兵衛をもて、此の城に置き、川田氏及び木戸玄斎の二人をして羽生に在城す』。又土人伝る処の一説に、当城は元成田氏の支城なりしが、永禄年中、上杉謙信上洛せんと、相州鎌倉に至りし時、成田氏謙信に叛きしかば、謙信越後へ帰陣のおりがら、当城を攻落して上州金山の城主横瀬雅楽助成繁に与ふ。其の臣木戸玄斎忠朝をして守らしむ。然るに忠朝勢微にして守り難ければ、成田氏に属せり。故に謙信再び兵を発して責め取り、玄斎入道自殺せり、これ天正三年のことにして、雅楽助成繁、再び城廓を修め、河原井某を置て守らしむ。謙信卒して後、又成田下総守再び攻取り、己が弟大蔵少輔を守将とし、桜井隼人介を副将として守らしめしが、天正十八年落城せしかば、同じ年、大久保相模守忠隣に給ひ、慶長十九年廃城となりし事は前に出せり。又郡内上藤井村源長寺は木戸氏の開基なり。其の寺所蔵の旧記に『木戸伊豆守忠朝・弘治二年築城し、羽生領五万八千石を領せり。天正元年、信玄死去の後、同き三年六月、成田下総守氏長のため落城せり』と。かく伝ふる処まちまちなれば、兎角たしかなることは今より考べからず」と見ゆ。天正三年没の忠朝と、慶長九年没の玄斎を同人としており、かなり混同している。神君関東御入国御知行割封帳に「武蔵国騎西城主木戸右衛門佐、羽生城主木戸伊豆守清信持分・木戸右衛門佐」と。大英寺記(松平周防守御家譜)に「武州埼玉郡騎西郷大英寺は、天正十八年大権現関東御入国之秋八月、騎西城に於て賜ふ、号山根の城・領二万石。先き是より木戸右衛門佐城主と為、松平周防守康重駿州三牧橋城より此に移る」とあり。

七 木戸氏の一族 麦塚村中村家譜に「中村和泉守宗政(妻木戸伊豆守忠朝娘也、妙覚宗室信女・天文十二年六月九日卒)」と。此の頃に、父忠朝はかなり高齢であろう。小松村小松神社由緒に「羽生城主木戸伊豆守忠朝父子、当社の社頭を天文二十三年修理し奉る。同子息広田式部太輔直繁、日窓正幸居士の姓名を記し天正十二年十二月再造す」と。同社十一面観音坐像銘に「天正十二年甲申十二月日、奉再造本持堂本尊十一面観音像、大願主権大僧都定清、同承高、同証賢、同日叶、同宝養、同鏡攸」とあり、木戸父子の名は無し。また、同社阿弥陀如来坐像銘に「小松寺□□□本持堂本尊、大願主月窓正幸、同子息広田式部大輔直繁」とあり、年号は無し。直繁は元亀初年頃に没しており、是以前の作なり。簑沢村条に「正光寺の開基は、木戸伊豆守の一族右衛門太夫の母なり、弘治二年八月十六日卒し、広応院月清正光大姉と号す」と。河田谷右衛門太夫忠朝の母か。永禄三年関東幕注文に「羽生之衆、広田式部大輔・梅之紋、河田谷右衛門太夫・かたばみ」と。上杉家文書に「六月二日、於当口両度得勝利候之上、弥以成田押詰可申候、林平右衛門尉殿(越後上杉家重臣)、河田谷右衛門太夫忠朝花押」と。木戸忠朝は足立郡河田谷村(桶川市)に居住、或は知行し、河田谷(かわたがい)或は河田井(かわたがい)を称す。上羽生村正覚院文書に「永禄九年丙寅正月二十六日、太田庄羽生正覚院御門徒中之事、勝手に還俗することを厳禁す。正覚院御同宿中、広田式部太輔直繁花押」。「永禄九年丙寅三月二十一日、正覚院之御門徒中、勝手に還俗することを厳禁す。正覚院御同宿中、木戸伊豆守忠朝花押」と見ゆ。渡辺秀二所蔵文書に「閏五月六日(永禄十二年)、越相一和の成立と使節天用院らの到着を報じ、直繁の輝虎に対する忠節を激賞す。広田式部太輔殿、輝虎花押」と。広田出雲守直繁は羽生城主なり。深谷上杉憲盛書状(河田文書)に「七月十五日(永禄十二年)、去比、木戸伊豆守・広田出雲守以使被申宣候砌、輝虎へ帰属の意を伝う。河田豊前守殿(輝虎の重臣)、憲盛花押」。「七月十五日(永禄十二年)、深谷・古河・栗橋の帰属について伝う。河田豊前守殿、木戸伊豆守忠朝花押」と見ゆ。歴代古案に「元亀三年正月十日、名字を改め畠山を称することを勧告す。菅原左衛門佐殿、謙信花押」。「八月二十二日(元亀三年)、来るべき越山に備え、その準備を命ず。木戸伊豆守殿・同右衛門太夫殿・菅原左衛門佐殿(広田出雲子木戸伊豆婿)、謙信花押」と見ゆ。伊豆守忠朝、右衛門太夫重朝、菅原直則にて、広田氏は菅原姓なり。風土記稿藤井村条に「源長寺の開基は羽生の城主木戸伊豆守忠朝・天正三年六月朔日卒し、法諡を久昌院源心長公居士と号す」と。上野国赤城神社文書に「正月七日(天正六年頃)、此度勝頼御出馬ニ付而、羽生江至本意者、赤城大明神社領一所可奉上候、神主殿、菅原左衛門佐為繁花押」。「天正六季三月七日、奉立願三夜沢大明神、右意趣者、武州太田庄羽生城、於本意者河俣郷・志田見郷・常木郷、従三ヶ郷三貫文之地、可奉寄進者也。渋江能元斎沙弥休波花押」と。松平文庫の天徳寺宝衍書状(佐野房綱)に「天正十八年五月二十七日、羽生城の木戸右衛門尉・菅原左衛門尉」。同文庫に「天正十八年七月十七日、宝衍の要請に応じて豊臣方に参陣す。菅原左衛門佐直則花押」と。最後の羽生城主は木戸重朝と菅原直則か。また、岩瀬村条に「岩松寺の開基は柴山新次郎重吉なり。重吉は羽生の城主木戸伊豆守忠朝の男縫殿介の長男なり、法名岩松院春桂居士・元和三年二月十三日卒す。子孫は松平伊豆守の家人なりしが故ありて家絶たり」と見ゆ。広田、河田谷(かわたや)条参照。

八 木戸元斎 武家事紀に「永禄三年、上杉輝虎は、忍の近所盃尾の要害に城戸の源西をこめ置く」と。風土記稿皿尾村(行田市)条に「小名外張あり。相伝ふ、成田下総守忍城の頃、彼城内に属せし地なりと。按に永禄四年上杉輝虎皿尾城を築き木戸監物入道玄斎を置き是を守らしめしに、玄斎・成田下総守に心を通じ上杉に背しかば、輝虎・怒て其城を攻て焼払いしこと北越軍記、松隣夜話等に載せたり」と。小田原記に「成田旗下羽丹生城主羽生豊前守が両家老、河田の藤井修理、志水の木戸玄斎と云者あり。木戸源斎は輝虎に心を寄せ、豊前守鷹野に出し跡に城を乗取り、羽丹生・藤井数度合戦ありしかども、二人終に打負牢人して成田を被頼、源斎には輝虎加勢して成田と合戦数度に及ぶ」と見ゆ。皿尾村の隣は下忍村字清水にて、皿尾村付近を古は清水村と称す。杉本条四項参照。天正六年謙信没後は上杉景勝に仕える。北越軍談に「羽生の砦は、木戸伊豆入道源斎、同姓監物、川原井某ら守る。木戸元斎は後年上杉謙信の麾下に属し庄内藤島の城代となれり。木戸玄斎の子木戸監物・越府に勤仕す」と。上野志に「邑楽郡木戸郷(館林市)は、謙信のもとで上野国膳・山上・武蔵羽生城代をつとめ、上杉景勝のもとで庄内藤島城代となった木戸伊豆入道玄斎の居城なり」と。天正十二年北条氏照書状(内閣文庫、楓軒文書纂)に「上野国勢多郡善之地普請の事・山上の事、元斎は狩野一庵(氏照の重臣)に礼を出す」と。天正庚寅松山合戦図に「寄手、総大将上杉中納言景勝・木戸伊豆入道源斎」と。上杉景勝家臣団の文禄三年定納員数目録に「木戸元斎・三千二百八十二石、出羽国出身」と見ゆ。生国出羽では無く、藤島城代のことなり。米沢地名選に「木戸元斎、墓は照陽寺にあり、慶長九年三月七日楡井が宅に病死。元斎・楡井修理後室に嫁し、その家にあれば、諡長元院寿三居士。元斎は木戸伊豆守忠朝二男なり、後慶長中、五千石出羽藤島城主と成りて、和泉守清憲(又範秀)と云へり。遂に入道して元斎入道寿三と号す。少名監物或は小七郎と云う」と見ゆ。元斎の子監物は米沢藩に仕る。

九 深谷・川越藩酒井讃岐守忠勝家臣 寛永十四年小浜藩分限帳に「六百石・木戸十乗坊」あり。

一〇 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「二十五俵・木戸新右衛門」あり。

一一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御留守居・百六十六石余・木戸環、御小姓・三人扶持・環総領木戸亥三郎」。明治四年忍藩士族名簿に「二百石・木戸甫」あり。

一二 雑載 久喜町甘棠院貞厳和尚像に「月庵作・源直朝印」あり。木戸直朝説あるが誤りなり。是は古河公方の臣一色直朝法名月庵にて、天正二年喜連川家文書に「足利義氏の臣一色月庵」と見ゆ。

木登 キド 川越に存す。

貴戸 キド 上尾、朝霞に存す。

岐土 キド 日高に存す。

幾戸 キド 大井に存す。

幾度 キド 浦和に存す。

喜渡 キド 川口、富士見、坂戸に存す。

城戸 キド 各市町村に存す。山梨県北都留郡上野原町九戸、新潟県新井市八戸、鳥取県岩美郡岩美町十七戸。

木戸秋 キドアキ 千葉県銚子市六戸、福島県大沼郡会津高田町十五戸。

木藤 キトウ 千葉県長生郡長生村九戸、神奈川県愛甲郡愛川町二十五戸、綾瀬市深谷十三戸、長野県南安曇郡梓川村八戸、三郷村八戸、上田市三十戸(キドウと称す)、秋田県山本郡峰浜村二十五戸、能代市二十戸あり。キフヂ参照。

一 所沢町 明治二十一年幼稚園名簿に入寄留他町村之者木藤久治郎・明治十七年生あり。一戸現存す。

二 坂戸町 永源寺宝暦九年念仏塔に木藤金右衛門。正代村世明寿寺安永五年半鐘銘に坂戸木藤金右衛門母。岩殿村正法寺文化十五年什物帳に坂戸宿木藤宗兵衛。川越遠藤文書に慶応二年木藤金右衛門は打毀しにあう。明治九年副戸長木藤久七・文政三年生、副戸長木藤隆平・天保八年生。明治十五年戸長木藤謙吉・安政三年生(農業県会議員)。明治三十五年薬種店木藤好平・同商木藤昇平・菓子店木藤彦一郎・米穀商木藤三郎・羽二重製造木藤力太郎・旅人宿木藤利三郎・木藤捨次郎。明治四十四年菓子商木藤彦十・建具職木藤勝太郎あり。九戸現存す。

三 榛沢郡後榛沢村(岡部町) 用土村明治十三年仙元碑に後榛沢村木藤伊之吉あり。三戸現存す。

四 那賀郡小平村(児玉町) 秋平小学校明治三十二年碑に小平・木藤小三郎あり。一戸現存す。

木通 キトウ 狭山、所沢に存す。キツウ参照。

一 入間郡扇町屋村(入間市) 元禄五年地蔵尊に扇町谷村之住・木通金左衛門あり。現存無し。

埼東 キトウ 埼西郡に対しての地域を称す。鷲宮村鷲宮神社鐘銘に「永仁四年十一月八日、武州埼東郡太田御庄鷲宮大明神神宮寺」と。堤村(羽生市)延命寺寛永十三年鐘銘に崎東郡羽生北方堤延命寺と見ゆ。

喜藤 キトウ 大宮、越谷、春日部、上福岡等に存す。新潟県中蒲原郡亀田町十戸、宮城県古川市十四戸あり。

記藤 キトウ 和光に存す。

紀藤 キトウ 浦和、入間等に存す。

鬼島 キトウ 上福岡に存す。

鬼頭 キトウ 各市町村に存す。

一 秩父町 明治三十五年薬種商新井屋鬼頭文太郎。昭和三年興信録に鬼頭文太郎・所得税三百七円・営業税百六十二円あり。三戸現存す。

貴頭 キトウ 足立郡与野町は貴頭荘を唱える。タカハナが正訓なり。

木道 キドウ 上福岡に存す。

木堂 キドウ 桶川に存す。

貴堂 キドウ 浦和、大宮、北本、入間、毛呂山等に存す。

義道 ギドウ 所沢に存す。

儀同 ギドウ 三芳、東松山、三郷等に存す。新潟県豊栄市十六戸あり。

儀藤 ギドウ 桶川に存す。

木戸浦 キドウラ 三郷、八潮等に存す。宮城県登米郡登米町八戸、気仙沼市七戸あり。

木戸岡 キドオカ 川口、花園等に存す。長野県松本市二十四戸あり。

城戸岡 キドオカ 越谷に存す。

木時 キトキ 蓮田に存す。島根県邑智郡瑞穂町五戸あり。

寄特 キトク 川越に存す。山梨県中巨摩郡若草町十九戸あり。

喜読 キトク 春日部に存す。

木戸口 キドクチ 川口、大宮、戸田、白岡、三郷、草加、越谷、春日部等に存す。岩手県岩手郡岩手町六戸、北上市十六戸あり。

城戸口 キドクチ 浦和、大宮、鳩ヶ谷、春日部、所沢、上福岡、深谷等に存す。山形市五十戸あり。

木所 キドコロ 茨城県水海道市十八戸あり。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十七俵二人扶持・木所栄吉、十五俵二人扶持・木所鬼一郎、十二俵二人扶持・木所吉三郎、同高・木所利七」あり。

二 埼玉郡下新井村(岩槻市) 庚申塚寛政六年供養塔に木所善六・木所惣助・木所吉右衛門。久伊豆社天保四年天神碑に木所金五郎。当村元治二年庚申塔に木所善右衛門・木所長蔵あり。三戸現存す。

三 高麗郡下小坂村(川越市) 白髭社明治十六年水鉢に木所梅吉。昭和三年興信録に名畑村・木所梅吉・所得税十円あり。六戸現存す。

城所 キドコロ 東京都稲城市四十五戸、神奈川県足柄上郡中井町三十三戸あり。

一 石戸領牧野氏家臣 牧野家文書に「二百石・城所助之丞・三河出身」あり。

二 足立郡上青木村(川口市) 氷川社明治二十八年碑に城所市五郎あり。五戸現存す。

三 鴻巣町 明治三十五年飲食店城所タカあり。現存無し。

城処 キドコロ 足立郡大門宿(浦和市)に十二戸現存す。岩槻町秋葉社天保三年狛犬に大門宿城所伊左衛門。大興寺天保七年会田筆子碑に城処仙蔵・城処竹七郎・城処文太郎。会田家弘化四年手習帳に当宿城処千蔵倅半五郎・十四歳、同人三男銀治郎・九歳あり。

城戸崎 キドサキ 川越、越谷に存す。

木戸田 キドタ 狭山に存す。茨城県那珂郡那珂町六戸あり。

木渡路 キトヂ 川口に存す。

城殿 キドノ 埼玉郡内牧村に城殿明神社あり、キドノと註す。岩槻に存す。ジョウドノ参照。

木戸場 キドバ 鶴ヶ島、鳩山、越谷、三郷等に存す。岩手県岩手郡葛巻町十八戸、九戸郡九戸村十四戸あり。

木戸原 キドハラ 秩父郡山田村字木戸原(秩父市)あり、古の村名なり。

木戸間 キドマ 上尾、上里、本庄、富士見、坂戸等に存す。新潟県糸魚川市十戸あり。

木虎 キトラ 川越に存す。

木寅 キトラ 越谷に存す。

木戸脇 キドワキ 所沢、草加に存す。岩手県下閉伊郡山田町六戸あり。

喜名 キナ 川越、東松山に存す。

喜納 キナ 川口、大宮、越谷、東松山、飯能、所沢、狭山、川越に存す。

木内 キナイ 戸田、三郷、草加、越谷、東松山、飯能、行田等に存す。山形県北村山郡大石田町八戸、尾花沢市十五戸、秋田県由利郡象潟町三十三戸、由利町九十五戸、本荘市五十戸あり。キウチ参照。

喜内 キナイ 大宮、春日部に存す。

記内 キナイ 蕨、越谷に存す。

木苗 キナエ 新座に存す。

木中 キナカ 浦和に存す。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「浄円・木中小右衛門・九月」あり。江戸初期なり。現存無し。

木永 キナガ 松伏に存す。

木奈崎 キナザキ 志木に存す。

木梨 キナシ 川口、浦和、大宮、志木、鶴ヶ島、春日部、吉川等に存す。茨城県久慈郡水府村十七戸あり。

木名瀬 キナセ 上尾、鷲宮、吉見、行田、春日部、大井、所沢、鶴ヶ島等に存す。茨城県那珂郡東海村十二戸、東茨城郡小川町八戸、美野里町三十戸、日立市三十戸、ひたちなか市三十戸、常陸太田市十八戸あり。

宜名真 ギナマ 戸田に存す。

木鉛 キナマリ 茨城県稲敷郡阿見町二十戸あり。

木並 キナミ 久喜に存す。

木南 キナミ 新潟県上越市八十戸あり。キミナミ参照。

一 大宮町 明治三十五年酒造業木南清次郎。昭和三年興信録に木南安之助・所得税百十一円・営業税九十八円、木南貞助・所得税四十八円・営業税七十八円あり。市内に四戸存す。

木浪 キナミ 川口、浦和、朝霞、三郷、幸手、越谷、加須、岩槻、本庄等に存す。青森県東津軽郡蟹田町二十二戸、平舘村四十三戸、青森市八十五戸あり。

木滑 キナメ 川口、浦和、大宮、庄和、八潮、越谷、加須、所沢、川越、本庄等に存す。新潟県北蒲原郡豊浦町十二戸、新発田市十戸あり。

紀成 キナリ 狭山に存す。

木庭 キニワ 毛呂山に存す。キバ参照。

衣笠 キヌガサ 各市町村に存す。鳥取県八頭郡郡家町四十戸あり。

一 浦和町 昭和三年興信録に衣笠豁・所得税十円あり。

絹笠 キヌガサ 新座に存す。

衣川 キヌガワ 山梨県塩山市九戸、鳥取市九戸あり。コロモガワ参照。

一 葛飾郡円藤内村(幸手市) 千塚村宝蔵寺慶応二年筆子碑に円藤内村・絹川利太郎・衣川孫七・衣川長太郎・衣川平八・衣川浅二郎・衣川勘郎・衣川春松。香取社明治二十六年碑に衣川国太郎あり。五戸現存す。

二 同郡松石村(幸手市) 香取社天保四年碑に衣川由四郎、明治二十九年碑に衣川和助・衣川七蔵・衣川太四郎。千塚村宝蔵寺慶応二年筆子碑に松石邨衣川十蔵あり。三戸現存す。

三 熊谷町 明治三十五年塩魚肥料商衣川仁助・衣川重平。昭和三年興信録に衣川重平・所得税百七十一円・営業税八十四円、衣川仁助・所得税十四円・営業税五十円あり。四戸現存す。

絹川 キヌガワ 各市町村に存す。群馬県高崎市十六戸、秋田県仙北郡南外村六戸あり。

鬼怒川 キヌガワ 岩槻、春日部に存す。

貴貫 キヌキ 川越に存す。

木主 キヌシ 川越に存す。

衣田 キヌタ 越谷に存す。

絹田 キヌタ 入間郡入間川町(狭山市)八幡社明治二十三年碑に入間川町絹田政吉。明治三十五年入間川町飲食店絹田菊次郎・飲食店八幡屋絹田常次郎あり。三戸現存す。

絹谷 キヌタ二 草加、菖蒲に存す。鳥取県日野郡日南町十九戸あり。

絹野 キヌノ 所沢に存す。

絹張 キヌハリ 川口、大宮に存す。茨城県鹿嶋市十一戸あり。

絹巻 キヌマキ 岩槻に存す。

絹見 キヌミ 鳥取県東伯郡東郷町十五戸あり。

絹村 キヌムラ 川越、狭山、所沢、岡部、加須等に存す。千葉県富津市九戸あり。

絹本 キヌモト 与野に存す。

衣山 キヌヤマ 浦和に存す。

絹山 キヌヤマ 川口、新座、朝霞、飯能、所沢、川越等に存す。東京都狛江市二十五戸あり。

木根 キネ 川口、浦和、狭山に存す。

木下川 キネガワ 岩槻に存す。

杵島 キネジマ 大宮に存す。

杵渕 キネブチ 浦和、川口、上尾、富士見、狭山、入間、川越等に存す。新潟県中蒲原郡村松町二十戸、小千谷市七十八戸、栃尾市二十六戸あり。

杵淵 キネブチ 各市町村に存す。

木根淵 キネブチ 大宮、岩槻、羽生等に存す。

木根渕 キネブチ 川口、越谷、春日部等に存す。山形県鶴岡市十戸あり。

杵鞭 キネムチ 浦和、大宮、与野、上尾、新座、狭山、坂戸等に存す。新潟県新津市六十五戸あり。

杵村 キネムラ 川口に存す。鳥取県米子市十一戸あり。

杵谷 キネヤ 深谷に存す。

杵屋 キネヤ 川口、大宮、行田に存す。

一 志木町 明治三十年市場組杵屋六安あり。現存無し。

稀音家 キネヤ 飯能に存す。

紀 キノ 浦和、大宮、鳩ヶ谷、朝霞、所沢、杉戸等に存す。山形県酒田市四戸あり。キ参照。

木野 キノ 各市町村に存す。福島県大沼郡会津本郷町十一戸、山形県東田川郡三川町九戸、青森県上北郡六戸町七戸あり。

喜納 キノ 三芳、春日部、朝霞に存す。

寄能 キノ 越谷に存す。

城能 キノ 戸田に存す。

義野 ギノ 東松山に存す。

木ノ井 キノイ 毛呂山に存す。

木上 キノウエ 越谷に存す。

木内 キノウチ 川口、蕨、朝霞、川越等に存す。キウチ参照。

城内 キノウチ 浦和に存す。

木ノ内 キノウチ 入間郡北田島村(川越市)閻魔堂元文五年筆子碑に木内惣助、文化六年筆子碑に木内安五郎、明治四十一年碑に木内粂吉。川越町御嶽社明治三十年碑に木ノ内粂吉あり。当村に一戸現存す。

木之内 キノウチ 川口、浦和、新座、松伏、所沢、狭山、熊谷等に存す。茨城県鹿島郡神栖町二十五戸、鹿嶋市十四戸あり。

木野内 キノウチ 川口、朝霞、川越、八潮、越谷、熊谷、秩父等に存す。栃木県下都賀郡壬生町三十戸、茨城県東茨城郡茨城町十五戸、那珂郡那珂町二十戸、稲敷郡江戸崎町十八戸、福島県西白河郡泉崎村十二戸あり。

甲 キノエ 川口、戸田、上尾、志木、越谷等に存す。茨城県新治郡八郷町十二戸あり。カノエ、カブト参照。

木野川 キノガワ 葛飾郡木野川村(杉戸町)あり。

紀野国 キノクニ 宮城県宮城郡七ヶ浜町十六戸あり。

紀国谷 キノクニヤ 草加に存す。

木之子 キノコ 葛飾郡下高野村(杉戸町)に木々子明神社あり、キノコと称す。永福寺伝に「明徳二年、木之子沼南方平岡地に於て伽藍を建立す」と見ゆ。

宜野座 ギノザ 浦和、狭山に存す。

木之崎 キノザキ 三郷、志木に存す。

木野崎 キノザキ 荒川に存す。

木下 キノシタ 足立郡木下村(大宮市)あり。小名木下は、葛飾郡花和田村、榛沢郡本郷村、児玉郡上阿久原村、小名木ノ下は、埼玉郡瓦曽根村、野島村、増富村、入間郡川角村、苦林村、古谷本郷村、比企郡青山村、遠山村、大里郡小八ツ林村、和田村等にあり。此氏は武蔵国入間郡及び信濃国に多く存す。○栃木県那須郡西那須野町五十五戸。○山梨県北都留郡丹波山村二十六戸、小菅村四十五戸。○長野県上伊那郡箕輪町二十戸、下伊那郡阿南町四十二戸、高森町三十八戸、阿智村二十六戸、下條村二十一戸、喬木村百二十五戸、豊丘村五十八戸、南信濃村二十七戸、泰阜村五十五戸、松本市百三十戸、飯田市六百八十戸、伊那市八十三戸、駒ヶ根市百八十戸。○新潟県西蒲原郡味方村二十戸、中頚城郡柿崎町二十二戸。○福島県いわき市五十三戸。○岩手県気仙郡三陸町二十戸。○青森県下北郡風間浦村三十八戸、脇野沢村二十四戸、北津軽郡金木町四十六戸、青森市七十戸。○鳥取県気高郡気高町七十四戸、米子市百三十戸、境港市七十戸、鳥取市百六十戸あり。キシタ参照。

一 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「四石二人扶持・木下条三」あり。

二 葛飾郡高須賀村(幸手市) 千塚村宝蔵寺慶応二年筆子碑に高須賀村木下嶽蔵あり。現存無し。

三 同郡栗橋町 明治三十年人名録に常薫寺住職木下日乗・弘化元年生あり。二戸現存す。

四 越ヶ谷宿 天嶽寺承応三年庚申塔に木下六兵衛、延宝元年庚申塔に木下清左衛門。越ヶ谷瓜の蔓に「元禄八年検地屋敷、木下八郎右衛門屋敷・安永年中退転」と。久伊豆社文化元年御神燈に木下次右衛門。明治三十五年鉄打物商木下半助あり。

五 埼玉郡内牧村(春日部市) 楽応寺明治三十年水鉢に木下健三郎あり。木下氏三戸、木ノ下氏一戸現存す。

六 同郡新堀村(菖蒲町) 久伊豆社安政四年狛犬に木之下善十郎あり。木下氏二戸現存す。

七 足立郡浦和町 明治三十五年呉服商木下岩吉あり。

八 同郡白幡村(浦和市) 睦神社明治三十六年碑に白幡・木下鎌太郎あり。

九 同郡蕨町 明治三十五年湯屋木下フデあり。

一〇 同郡大宮町 明治三十五年料理店木下喜四郎あり。

一一 同郡今羽村(大宮市) 氷川社明治三十九年碑に木下竹次郎あり。一戸現存す。

一二 同郡大成村(大宮市) 稲荷社嘉永七年御神燈に木ノ下藤右衛門あり。木下氏三戸現存す。

一三 同郡鴻巣宿 文政五年鴻巣宿商人講中に木ノ下市五郎あり。

一四 新座郡野火留宿村(新座市) 当村に此氏の旧家あり。

一五 同郡浜崎村(朝霞市) 志木町敷島社明治五年水鉢に浜崎邨木下鉄太郎。明治九年副戸長木下鉄太郎・天保七年生、馬夫木下友吉。観音堂明治三十四年筆子碑に浜崎・木下清太郎・木下林吾・木下富士太郎・木下武右衛門。氷川社明治三十九年碑に木下庫作あり。六戸現存す。

一六 同郡志木町 氷川社嘉永六年碑に中野・木下吉蔵。敷島社明治五年御神燈に引又町木ノ下梅五郎。根岸村御嶽社明治期に志木宿木下民蔵。明治三十五年水車製粉業木下常蔵・米穀商木下勘蔵あり。

一七 入間郡宗岡村(志木市) 当村に此氏多く存す。狭山の栞に「山口者、往昔山口平内左衛門尉の城所也、貞治六年岩崎瑞岩寺に於て戦死。内族民部介其弟二人倶山口之姓を変て、兄岩岡を称し、弟木下を称し、次森田を称す。兄岩岡民部之介は実我始祖也、永徳三年卒。木下大膳は同郡宗岡村に入る」と。中宗岡村荒井仁三郎家伝承に「鉢形城の落武者荒井仁右衛門は郷士となり荒川べりの字小割を支配し、山口家から木下家に婿に入った大膳は字大野を支配していたが、境界紛争が起り斬り合いとなった」と。村山党山口氏は岩岡氏・木下氏・森田氏等が本名なり。山口家から婿に入ったのでは無く、本名木下氏に復姓した。二十七項及び荒井、岩岡、山口条参照。下宗岡村赤稲荷社宝暦八年碑に木下平助。下宗岡村寛政五年供養塔に下宗岡村木下五兵衛八十四翁、文化十年白井供養塔に名主木下平内。中宗岡村文政五年陀羅尼塔に中宗岡村木下平内。実蔵院文政十二年碑に木下吉平、文政十三年地蔵尊に木下平吉・木下源蔵。大日堂文政八年鐘銘に中組名主木下平内・木下吉兵衛。下宗岡村観音寺跡文政十三年地蔵尊に宗岡村木下七五郎。上宗岡村浅間社嘉永二年力石碑に木下利兵衛。明治二年金子文書に宗岡村名主木下平左衛門。明治七年立会人木下五平。氷川社明治五年力石碑に木下佐之助・木下開次郎・木下熊右衛門。志木町敷島社明治初期浅間碑に下宗岡村木下助治郎・木下平太郎・木下友吉・木下吉五郎・木下与吉・木下庄八、明治五年浅間碑に宗岡村木下新次郎・木下平吉郎・木ノ下繁治郎・木ノ下甚蔵・木ノ下利平・木ノ下仙之助・木ノ下文四郎・木ノ下茂八.宗岡村選挙人名簿に木下平吉・村税二十五円、木下佐太郎・村税十五円、木下平市郎・村税十五円、木下吉蔵・村税十一円、木下権蔵・村税十円、木下万蔵・村税十円、木下友吉、木下平吉、木下総五郎、木下文四郎・木下茂八、木下伊三郎あり。

一八 同郡下南畑村(富士見市) 南畑村之沿革史に「下南畑村の木ノ下氏は前新田に住す、現主源次郎なり。木ノ下兵右衛門は源次郎の分家にして、現主兵右衛門なり。木ノ下浅次郎も源次郎の分家にして、今は孫正平なり」と。安政三年木下正平文書に南畑村寿講中・講元木下勇蔵あり。三戸現存す。

一九 同郡所沢村 当村に此氏多く存す。土豪にて、薬王寺阿弥陀如来坐像に「永禄十丁卯八月吉日、奉再興、大檀那関伊賀守、大発願主当寺住持□□、道衆沙門、木下五さへもん・同□□□・斎藤主計佐」あり。関、斎藤条参照。実蔵院宝暦五年碑に所沢村木下新次郎。久米村長久寺万延元年宝篋印塔に所沢・木下四郎右衛門。明治七年議定書に木下亀五郎・木下惣八.。明治十五年北広堂碑名簿に木ノ下藤吉。北野村天神社明治二十六年碑に所沢町木下藤吉。明治三十五年古物商木下惣次郎あり。

二〇 同郡久米村(所沢市) 明治四十三年金山町木下芳三郎あり。

二一 同郡本郷村(所沢市) 東福寺弘化三年寄進帳に木下甚之丞、文久二年廻国塔に木ノ下仲右衛門・木ノ下庄五郎、明治十年供養塔に当所木下源蔵・木下元右衛門。明治七年成田山月参護摩講に木下佐左衛門・木下四郎左衛門・木下浅五郎・木下兵右衛門・木下兵次郎・木下栄蔵・木下市左衛門・木下弥太郎。明治九年戸長木下四郎左衛門・天保十四年生あり。十六戸現存す。

二二 同郡亀ヶ谷村(所沢市) 明治七年成田山月参護摩講に木下弥三郎・木下甚右衛門あり。三戸現存す。

二三 同郡坂之下村(所沢市) 金毘羅社明治十五年聖徳太子碑に当村・木ノ下庄太郎・木ノ下庄蔵・木ノ下辰五郎・木ノ下代次郎・木ノ下浜吉・木ノ下仙左衛門。明治二十一年皇国武術英名録に武蔵流入間郡坂ノ下村木ノ下太郎吉・木ノ下代次郎。天神社明治二十九年碑に木下庄蔵・木下定右衛門あり。十二戸現存す。

二四 同郡林村(所沢市) 松林寺嘉永三年大日如来碑に木ノ下甚兵衛。明治九年副戸長木ノ下多右衛門・天保七年生。林神社明治四十四年碑に木下幸三郎・木下常三郎・木下忠次郎・木下由五郎・木下政五郎・木下丑五郎あり。十一戸現存す。

二五 同郡糀谷村(所沢市) 明治十五年人力車業木下金蔵あり。一戸存す。

二六 同郡三ヶ島村(所沢市) 当村に此氏多く存す。中氷川社寛延二年棟札に中氷川大明神役人木下三郎兵衛・同木下兵衛門、明治十七年門人碑に三ヶ島村木ノ下多兵衛、堀之内村木ノ下文太郎。明治十五年北広堂碑名簿に木ノ下初五郎。糀谷村八幡社明治二十七年碑に三ヶ島村木下常三郎。明治三十三年狭山興業銀行発起人三ヶ島村木下文太郎・国税十七円、及び狭山銀行発起人二十株千円所有。薬王寺明治四十二年碑に三番組・木下文太郎・木下多兵衛・木下善太郎・木下福太郎・木下助太郎、五番組・木下千代蔵あり。

二七 同郡勝楽寺村(所沢市) 町谷村岩岡文書に「大塔宮護良親王の皇子高治(号山口平内左衛門尉、山口郷勝楽寺に塁塞を築く。近郷の豪族、部将木下大膳等勤王来属千余人)」と。十七項及び岩岡条参照。仏蔵院文書に「元和二年、木下太郎左衛門。安永二年、木下嘉平二。天明元年、組頭木下嘉平二。文化十年、組頭木下宇右衛門、新組頭木下佐次右衛門。文政二年、百姓代木下平右衛門、檀中・木下吉兵衛・木下太兵衛・木下金左衛門・木下佐助・木下弥平次・木下次右衛門・木下次左衛門・木下宇八・木下吉左衛門・木下宇右衛門」。比企郡大豆土村真光寺宝永四年寄進帳に山口領正楽寺村木下吉兵衛。嘉永二年岩岡文書に仏蔵院寄附木下栄左衛門。氷川村中氷川社安政五年勝楽寺村七社権現碑に木下定右衛門・木下吉兵衛・木下栄左衛門・木下次兵衛・木下五郎兵衛・木下晋八。明治五年葺屋根職木下才次郎・木挽職木下五郎兵衛・荷車稼人木下吉右衛門。明治九年副戸長木下金治郎・文政九年生。明治十五年北広堂碑名簿に木下唯助・木下作蔵。仏蔵院明治二十三年筆子碑に勝楽寺村木下林蔵。中氷川社明治二十九年碑に勝楽寺村・木下邑蔵・木下作五郎・木下瀧蔵・木下近蔵・木下徳次郎・木下峰吉・木下重五郎・木下亀五郎・木下善吉あり。

二八 同郡扇町屋村(入間市) 豊岡町郷土誌に「扇町谷村別当金剛院は、永禄三年当村名主十兵衛曽祖父木下越後と申者開基仕致宮建立候。元禄六年五月、別当金剛院㊞、名主十兵衛㊞」と見ゆ。山王社別当修験金剛院なり。四戸現存す。

二九 同郡下藤沢村(入間市) 当村に此氏多く存す。享保十九年名主木下万右衛門。当村元文二年供養塔に木下作左衛門。熊野社明治三十九年碑に下藤沢・木下伊三郎・木下長吉・木下文平・木下弥三郎あり。

三〇 同郡田中村(狭山市) 上奥富村梅宮神社前天保十二年敷石碑に田中村木下治郎右衛門あり。

三一 同郡南入曽村(狭山市) 土豪にて、風土記稿に「旧家者小沢氏文書天正十四年記せし入曽十二人衆の内に、木下越後・木下才兵衛」と見ゆ。小沢条参照。四戸現存す。

三二 同郡川越町 明治三十五年酒商木村屋木下藤次郎。貴族院多額納税者議員互選人名簿に大正十四年木ノ下藤次郎・明治二十二年生・国税千百九十三円・県下百五十位。昭和三年興信録に木下藤次郎・所得税千四百三十九円・営業税三百四十一円、木下粂吉・所得税二十円あり。

三三 同郡渋井村(川越市) 稲荷社嘉永四年仙元碑に木下永二郎あり。現存無し。

三四 同郡今泉村(川越市) 神明社享和三年水鉢に今泉村木ノ下伊左衛門あり。一戸現存す。

三五 同郡坂戸町 明治三十五年飲食店木下丑太郎。明治四十三年飲食店木下丑造あり。

三六 同郡大塚村(坂戸市) 神主木下文書に「北条相模守時宗族・北条河内守秀勝三男木下右近能勝、仏門に入り広伝寺と号す、武蔵国入西郡浅羽郷に来り大塚村石上大明神勧請由申伝、嘉元四年七月二十二日病死」と見ゆ。当地方出身の出稼衆なり。五戸現存す。

三七 同郡成願寺村(坂戸市) 明治九年副戸長木下伝吉・天保四年生。明治二十五年開墾台帳に木下勇吉あり。四戸現存す。

三八 同郡峰村(坂戸市) 明治九年副戸長木下太郎右衛門・文政十一年生あり。七戸現存す。

三九 高麗郡高萩村(日高市) 当村に此氏の旧家あり。十一戸現存す。

四〇 同郡上広瀬村(狭山市) 明治二十七年地租調査に木下金八・木下新五郎あり。二戸現存す。

四一 同郡川寺村(飯能市) 当村に此氏多く存す。旧家なり。

四二 同郡中山村(飯能市) 智観寺宝永三年大般若経奉納に中山中町木下九兵衛・木下竹五郎あり。

四三 秩父郡南村中沢組(飯能市) 秩父順拝図絵に「文政三年、吾野通り中沢通り、中沢宿りにならせ給うべければ、木ノ下勇蔵といえる者の方に宿らせ給うべし」と。現存無し。

四四 同郡御堂村(東秩父村) 日蓮宗浄蓮寺過去帳に「妙向・木ノ下の衆・巳年閏五月」あり。松山城士にて、他村の人なり。現存無し。

四五 比企郡上伊草村(川島町) 金乗院延宝元年庚申塔に木下吉左衛門あり。現存無し。

四六 同郡熊井村(鳩山町) 妙光寺龕笠に「永禄十二年十一月二十九日、敬白、野瀬沢之小用南無地蔵奉寄進、木下新左衛門為菩提此堂並牌立之、木下新左衛門、別当慶伝」と。当村字能施ヶ谷戸の地なり。現存無し。

四七 同郡松山町 明治三十五年寿司屋木下助次郎あり。

四八 同郡小川町 明治三十五年建具職木ノ下仙三あり。

四九 深谷町 新戒村大林寺明治三十五年筆子碑にフカヤ・木ノ下喜代松あり。

五〇 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・木下斧吉・十七円、越ヶ谷町・木下半助・百三十一円・百十二円、南畑村(富士見市)・木下兵右衛門・十八円、宗岡村(志木市)・木下平八・十三円、柳瀬村(所沢市)・木下庄五郎・十円、飯能町・木下泰治・十八円、加治村(飯能市)・木下浜吉・十三円」あり。

木之下 キノシタ 川口、大宮、和光、越谷、日高、上福岡、毛呂山に存す。

木野下 キノシタ 浦和、川口、狭山等に存す。

樹下 キノシタ 大宮、上尾、朝霞、坂戸、熊谷、深谷等に存す。

木ノ島 キノシマ 川口、川越に存す。長野県上伊那郡南箕輪村十戸あり。

木ノ嶋 キノシマ 川越に存す。

木代 キノシロ 上尾に存す。

城代 キノシロ 越谷に存す。群馬県太田市二十五戸あり。

木野城 キノシロ 忍城士にて、成田分限帳に「十三貫文・木野城半十郎」あり。

木ノ瀬 キノセ 浦和に存す。新潟県岩船郡朝日村十五戸、村上市十戸あり。

木之瀬 キノセ 蕨に存す。山梨県東八代郡中道町九戸あり。

木野瀬 キノセ 所沢に存す。

木野勢 キノセ 加須に存す。

木野田 キノタ 川口、浦和、大宮、桶川、吹上、朝霞、川越等に存す。青森県東津軽郡蟹田町十一戸あり。

木ノ戸 キノト 浦和に存す。福島県河沼郡柳津町七戸あり。

木野戸 キノト 川口、浦和等に存す。

城ノ戸 キノト 浦和に存す。

木根 キノネ 川口に存す。

木ノ根 キノネ 草加、八潮等に存す。茨城県猿島郡境町五戸あり。

木ノ原 キノハラ 行田に存す。

木間 キノマ 鳩ヶ谷に存す。キマ参照。

木宮 キノミヤ 児玉郡渡瀬村鎮守木宮明神社あり。入間郡上富村字木ノ宮、高麗郡田木村字木之宮、比企郡大蔵村字木の宮あり。飯能に存す。

来宮 キノミヤ 大宮に存す。

木野宮 キノミヤ 浦和に存す。

木之村 キノムラ 川口、坂戸等に存す。

木野村 キノムラ 松山町曹源寺誕生釈迦仏銅造銘に施主木野村和二郎あり、入間郡新宿村(川越市)の住人か。明治九年新宿村副戸長木野村与五郎・天保六年生。新宿村氷川社明治三十九年碑に木野村房太郎・木野村慶次郎・木野村春五郎あり。三戸現存す。

木野目 キノメ 入間郡木野目村(川越市)あり。大宮、狭山に存す。青森県上北郡横浜町七戸あり。

一 木ノ目長者 風土記稿入間郡下新河岸条「蓮華院は木ノ目長者の建立と云ふと。此人のことは伝へず。郡内木ノ目村に木ノ目長者の屋敷跡と云所あり、是のみにて外に拠とすべきことなし。堂の入口の上に菊に五三桐を並べ下に三ツ鱗の紋を付たり。是等を以って考れば若し北条氏などにゆかりありし者なりや詳ならず」と。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙慶・木之面・申年二月」あり、江戸初期なり。木ノ目長者は本名大河内条参照。

木ノ元 キノモト 入間郡石井村字木ノ元、幡羅郡国済寺村字木ノ元、原郷字木ノ元あり。上福岡に存す。

木ノ本 キノモト 足立郡樋爪村字木ノ本あり。大宮、入間、熊谷に存す。

木野本 キノモト 川口、大宮、桶川、春日部、入間等に存す。

木ノ山 キノヤマ 加須に存す。

木葉 キバ 坂戸、行田、越谷に存す。

木場 キバ 昭和三年興信録に浦和町・木場藤之進・所得税九円あり。コバ参照。

木庭 キバ 庄和に存す。コバ参照。

木橋 キバシ 飯能、日高等に存す。

一 足立郡吉笹原村(草加市) 日枝社文政六年碑に木橋弥八。現存なし。

木畑 キバタ 三郷、鴻巣等に存す。

木畠 キバタ 大宮に存す。

木幡 キバタ 足立郡本郷村(川口市)に五戸、前野宿村(川口市)に六戸現存す。茨城県日立市十三戸あり。コバタ、コワタ参照。

木場田 キバタ 浦和に存す。

木花 キバナ 足立郡赤山領立野村(川口市)西福寺文政二年湯殿山碑に立野村木花吉五郎あり。現存無し。

木庭袋 キバブクロ 青森県西津軽郡深浦町二戸あり。葛西条九項参照。

喜速 キハヤ 明治五年本庄宿宮本町総代喜速彦平。明治三十五年本庄町会議員米穀商喜速金三郎あり。現存無し。

木林 キバヤシ 昭和三年興信録に松山町・木林浜吉・所得税十五円・営業税四十二円あり。現存無し。

樹林 キバヤシ 鶴ヶ島に存す。

木原 キハラ 茨城県岩井市二十四戸、千葉県夷隅郡御宿町二十戸、山武郡九十九里町十七戸、長野県飯山市二十一戸、新潟県三条市二十二戸、上越市二十四戸、福島県郡山市三十戸、青森県中津軽郡岩木町八戸、青森市十九戸、鳥取県(因幡国)八頭郡八東町三十八戸、鳥取市三十戸あり。

一 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「三百石・木原三蔵・是は忍にて罷出・遠江之者」あり。

二 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「三十俵二人扶持・木原忠兵衛」あり。

三 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「又者(家老等の臣)・五石二人扶持・木原賢之助」あり。

四 葛飾郡彦成村(三郷市) 香取社明治二十八年狛犬に木原三根蔵あり。九戸現存す。

五 越ヶ谷宿 医師木原良廸の子剣豪木原周輔・明治十二年没七十一歳は門弟多くあり。兄岩松玄廸、弟木原道悦、岩松元旦等は越ヶ谷宿で医を業とし、長男鬼一郎は西新井学校の初代校長なり。

六 浦和町 昭和三年興信録に木原元三・所得税十八円あり。

七 入間郡黒須村(入間市) 明治二十一年織物商木原与吉あり。

八 高麗郡新堀村(日高市) 安政六年高麗門人帳に当家来新堀村忠三倅木原徳三郎・十一歳あり。現存無し。

九 大里郡佐谷田村(熊谷市) 永福寺弘化三年馬頭尊に木原茂十郎あり。現存無し。

喜原 キハラ 越谷に存す。

鬼原 キハラ 深谷、戸田に存す。千葉県茂原市十九戸、新潟県岩船郡朝日村十六戸あり。

木原山 キハラヤマ 浦和に存す。

吉備 キビ 秩父郡古大滝村字上中尾組鎮守に吉備明神社あり。浦和、大宮等に存す。

木挽 キビキ 戸田に存す。コビキ参照。

木菱 キビシ 新座に存す。新潟県三条市五戸、見附市六戸あり。

吉備津 キビツ 新潟県北蒲原郡加治川村十戸、新発田市五戸あり。

黍塚 キビヅカ 新座郡野火留宿西堀村(新座市)に四戸現存す。明治十六年西堀村物産表に黍塚万太郎・黍塚寿太郎あり。

黍野 キビノ 三芳、所沢、大宮に存す。

黍原 キビハラ 所沢に存す。

木平 キヒラ 浦和、富士見、狭山等に存す。コノヒラ参照。

鬼平 キヒラ 越谷に存す。

紀平 キヒラ 浦和、川口、朝霞、狭山、春日部、松伏等に存す。

儀武 ギブ 浦和に存す。

癸生川 キブカワ 川口、草加、越谷等に存す。

木伏 キブシ 川口、草加、久喜、上尾、志木、所沢、上福岡、入間、深谷、南河原等に存す。新潟県中蒲原郡小須戸町四十三戸、新津市四十戸あり。

木歩士 キブシ 入間に存す。新潟県見附市四戸あり。

木藤 キフヂ 戸田、与野に存す。

木舟 キブネ 大宮、八潮等に存す。

木船 キブネ 浦和、三郷、越谷、久喜、春日部、飯能、所沢、狭山、上福岡、川越等に存す。長野県南安曇郡梓川村七戸、三郷村五戸、福島県岩瀬郡岩瀬村十一戸あり。

木舩 キブネ 坂戸、朝霞等に存す。

貴船 キブネ 浦和、川口、与野、越谷、春日部等に存す。新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村六戸、新発田市八戸あり。

城部 キベ 城柵作りに従事する品部(職業集団)なり。武蔵国分寺出土の瓦銘に戸主城部根得とあり。

岐部 キベ 所沢、新座、戸田に存す。

木部 キベ 那賀郡木部村(美里町)、男衾郡竹沢郷木部村(小川町)あり。群馬県新田郡尾島町十七戸、高崎市三十五戸、青森県下北郡佐井村十一戸あり。

一 榛名湖の木部氏伝説 上野国緑野郡木部村(高崎市)より起る木部氏の妻女による榛名湖身投伝説が上野・武蔵の両国にあり。○吾妻郡原町(吾妻町) 加沢記に「原町善導寺二代の住持道阿上人の母が明徳四年四月八日榛名湖に投じ、百尋の大蛇となった。上人はこれを悲しんで、三・七日、沼の端で経供養をし、一基の石塔を立てた。湖畔の石塔に竜体院殿白山貞性大姉の銘がある」と。○吾妻郡箱島不動尊(東村)の碑に「原町の善導寺第二世円光上人の母は、木部宮内少輔の妻北ノ方であり、敵に追われ榛名湖に身投す」と。○高崎市史に「木部城主木部氏は、源範頼の孫吉見二郎義世の子孫と称し、石見国木部郷に居て木部氏を称したが、木部範時(或は範次)の女が古河公方成氏の室であったので、これに従って関東に移り、ここに築城したと伝えられる。範次の子を駿河守範虎という、その室は箕輪城主長野業政の女であった。範虎の妻は永禄六年二月榛名湖に身を投じる。湖畔に『竜体院殿自山貞性大姉』の石塔あり。上野国志には『宮内少輔室は、竜体院天全証真大姉・天正十三年十二月十七日』とあり。範虎の子は、宮内少輔貞朝(高成ともいう)なり」と見ゆ。吉見氏流は附会なり。是等の伝説は榛名神社の別当木部氏の妻女のことにて、木部村は地名附会なり。

二 榛名神社別当木部氏 榛名神社文書に「木部弾正左衛門入道々金・上野国榛名寺別当職、云々。足利持氏花押」とあり。上野国志榛名神社条に「龍体院墓、湖南にあり。石碑に龍体院自山貞性大姉、旁に木部村とあり。相伝ふ、昔者木部村の城主木部弾正と云人の室、ここに遊んで湖水に入て龍となりしと云ふ」と見ゆ。木部村出身は無関係なり。榛名町に木部氏は現存無し。別当木部氏は、榛沢郡深谷在の高畑村出身なり。足立坂東起本開山記(蕨市立図書館郷土資料集)に「相州小田原の城主北条右京大夫氏綱と足利家と合戦におよび、そのとき渋川俊公卿も足利家へ加勢したまふとき、御台所は中山道深谷在木部弾正殿の息女にて、すなはち御預けの身となり、云々。主従一門討死におよぶ。その沙汰蕨の要害へ聞こえ、城内騒動におよぶ。御台は木部殿御館をひそかに下女一人ともなひ、上州榛名山へ詣で、祈誓し御池へ身を沈めさせたまひ、御池の主となりぬ。昔より今にいたるまで、蕨・塚越に雹難なきこと不思議なるかな。法名を龍体院と号す」と見ゆ。この開山記は、渋川氏家臣の末裔高橋休山が宝永年間に調査したもので、永禄十年入水から百四十年後の頃にて信憑性がある。木部氏の館は高畑村鷲宮神社にて同社別当を務め、代々弾正を襲名す。風土記稿蕨宿条に「村内宝樹院の石碑に、渋川左衛門督母公・永禄十年十二月二十七日卒・龍体院殿自山貞性大姉」と。また、同郡倉田村明星院文書に「蕨之城主に渋川左衛門尉俊公之御本尊薬師如来あり。御台所・上州緑野郡木辺村入道民部之少輔之娘也。時に俊公・下総国鴻之台之合戦に打亡され、天正四年九月二十三日打死致し、御台驚き泪流し、若し敵来り生捕被は無念と思い、上州緑野郡木辺村より榛名山へ参詣に成りて御池に身を沈させ龍女と成、戒名は龍胎院殿自山貞性大姉と号す、天正四年十二月二十七日御命終る。龍胎法名・上州室田南蔵院にあり」と見ゆ。木辺村は地名附会なり。

三 秩父郡の木部氏伝説 仲山城(長瀞町)の信仰利生鏡に「正和五年四月、上州木辺城主木辺左近大夫重昭の領分吾妻郡谷奥に烏蛇住て、左近大夫の頼みで、仲山城主阿仁和兵助が退治す。その後、左近大夫の奥方は榛名山参詣のおり、沼の中へ姿を消す。吾妻谷の黒蛇の悪霊に相違ないと、沼へお宮を建立し、氷雨の降る時、『木辺殿の領分』と呼べば、その所の人々は、のがれると見えたり」と。また、三沢村(皆野町)榛名社に大蛇の伝説あり、その伝説の主人公・北野道本墓に「道本禅定門・寛永二十年二月一日」と銘あり。北野氏は現存無し。榛名社の神主であろう。是等は榛名神社の関係者が雹難除けを広めたのであろう。

四 本庄氏の本名木部氏 入間郡越生郷報恩寺年譜に「十二月十三日、此間当郡之守、有木部政頼者、寄進知行文云、『吾那知行所内報恩寺領之事、如前々安堵承候、尤令得其意候、恐々敬白。報恩寺宛、木部政頼判』。彼政頼之妻、投身於榛名之池・上州也、忽成大蛇而作池之主、因玆東関不時大風、丁氷雹沙礫降、向空唱木部之領、則暴嵐歘止也、是彼妻之怨念所為故、云々」と。政頼は空に向かって、「ここは、木部の領地だぞ」と叫んでいる。越生郷は児玉党の所領地にて、木部氏は本庄氏の本名なり。北越軍談に「永禄八年三月下旬、武州深谷の上杉左衛門尉憲盛、本庄の木部藤三郎政頼、人数をあわせ上野国邑楽郡小泉の城を襲ふ」と。藤三郎の名は、藤太郎、或は藤九郎とも見ゆ。児玉郡四方田村の四方田系図に「四方田七郎高綱―景綱―時綱―重綱―村重―賀応―元慶―元朝―道祐―元翁―宮内少輔信明―宮内少輔為明―左衛門尉時明―三河守泰葉―本庄藤太郎行重―隣策(僧、万治三年寂)」と。武蔵七党系図に「本庄宮内少輔信明―宮内少輔為明―将明―越前守実明(弟三河守泰業)―宮内少輔実忠、弟藤九郎雪茂」と見ゆ。児玉郡誌に「本庄町泉町の若泉山安養院は、当所古城主本庄宮内少輔信明、弟本庄藤太郎行重・入道して名を伊安といふ。領内富田村に庵室を結び安養庵と称し居住す。文明七年安養院と改称し、今の地に移し諸堂を造営せり。宮内少輔は延徳二年逝去。伊安は文亀二年十一月十三日卒去・法諱を心空伊安庵主と称す」と。系図と年代あわず。どちらが真実か不明。武家事紀に「天文十五年四月二十日、河越之一戦に於て、藤三郎討死云々。本庄宮内少輔殿、憲政判」と。小田原編年録・河越合戦条に「本庄藤三郎、以下三千余人討死」と見ゆ。上杉憲当(憲政)は本庄の木部藤三郎の子松寿丸に児玉郡久下塚村を賜る。武家事紀に「二月一日(天文十六年)、久下塚之事、本庄松寿丸殿、憲当判」とあり。北条記に「天正十年滝川合戦之事。滝川左近将監一益に随ふ勢に木部宮内少輔」と。関東古戦録に「滝川一益方に深谷・本庄以下の国衆三千余騎」と。神流川合戦記に「この時、本庄の木部宮内少輔は討死す」と見ゆ。また、児玉郡西今井村鈴木山城守妻は、上州木部越前守の姪にて、山城守没後の慶長初年に、此の妻は上野国佐波郡の田口右馬允吉真に再嫁す。本庄の木部越前守にて、上州木部村に混同す。本庄条参照。

五 上州緑野郡木部村の木部氏 甲陽軍鑑に「西上野衆、きへ五十騎」と。快元僧都記に「天文二年、高山、木部因幡守、岩下、小幡」と。木部文書に「藤田大学邦綱は、木部兵右衛門尉に親の因幡守と同じく、西木部分・まにた分・長久院分・天太面、四十八貫八百文の知行を宛て行ふ」と。堀内文書に「天正十二年二月十二日、北条家は、木部宮内助・堀内丹後守等に上野国厩橋に合五百六十四人を定置く」と。宇津木文書に「天正十二年七月十五日、北条家は、宇津木下総守・木部宮内助らに利根川端に参集すべきことを命ず」と見ゆ。

六 猪俣党木部氏 那賀郡木部村より起る。小野氏系図(畠山牛庵本)に「猪俣時範―家兼―木部次郎行兼」と。北条氏邦判物に「児玉郡御嶽郷云々、仍自先度御望間、木部一跡遣之候、用土新左衛門尉殿、乙千代判」と見ゆ。

七 足立郡高尾村の地頭木部氏 風土記稿高尾村(北本市)条に「当村は大串氏、木部氏の采地を経て、永正二年太田美濃守資家の領分となる」と見ゆ。越生郷の木部氏か。

八 松山城士の木部氏 御堂村日蓮宗浄蓮寺過去帳に「妙源・木部・十二月」と。会津上杉配下禄高表(小鹿野町吉田文書)に「吉田新左衛門組、百五十石・松山衆木部源左衛門」と見ゆ。

九 鉢形城士の木部氏 鉢形分限帳に「本国遠州大岡・木部藤蔵、本国武州大里・木部幸八」。藤蔵は寄居に屋敷を構えていた寄居十六騎の内なり。また、小鹿野町吉田系図に「軍役書上、御扶持方衆、百五十目十五人ふち・木部三郎兵衛」あり。

一〇 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御武頭・二百石・木部伝内」あり。

一一 入間郡大袋新田(川越市) 明治九年副戸長木部吉吾郎・文政十年生あり。現存無し。

一二 幡羅郡東別府村(熊谷市) 東別府神社嘉永六年御嶽碑に木部安五郎、文久二年御神燈に木部仲次郎・木部庄太郎・木部惣太郎・木部勝次郎。西別府村湯殿神社明治元年富士嶽碑に東別府村木部勝次郎正行・木部市太郎。榛沢郡岡村寅稲荷社明治三十二年碑に東別府村木部伊三郎・木部周蔵あり。九戸現存す。

一三 同郡新堀村(熊谷市) 当村に此氏の旧家あり。十二戸現存す。

一四 榛沢郡深谷町 呑龍院明治四十五年馬頭尊に深谷町木部清十郎。

一五 同郡高畑村(深谷市) 二項参照。戸森村雷電宮明治二十六年碑に高畑木部鷲太郎。円能寺明治三十二年筆子碑に木部徳三郎・木部福次郎・木部森次郎・木部鷲太郎・木部水太郎・木部常五郎・木部酉八・木部元九郎。大正七年金井元治碑に当所・木部米吉・木部嘉三郎・木部酉八・木部清十郎・木部五三郎・木部森次郎・木部蔵治・木部竹五郎・木部彦五郎・木部武一.。大寄村会議員木部健太郎・明治十九年生あり。七戸現存す。

一六 同郡岡村(岡部町) 岡林寺文政十年馬頭尊に木部甚□郎あり。現存無し。

一七 賀美郡金窪村(上里町) 陽雲寺武田家遺臣碑(明治三十年)に「木部駿河守信盛の後裔、金久保・木部銀蔵・木部松蔵・木部倉吉」あり。三戸現存す。四項の後裔か。尚、一項の緑野郡木部城主木部駿河守範虎は架空の人物なり。上野志に「緑野郡木部古城、木部宮内少輔範虎は天正十三年六月卒し、法名は心洞芳伝居士と号し、木部の墓は心洞寺にあるが、後風土記に木部宮内少輔貞朝とあり、古戦録には武州本庄城主という」と。群馬県古城塁址の研究に「貞朝は滝川一益に属し、更に北条氏直に従って、天正十八年小田原落城後、氏直等と共に高野山に登り、後大阪に出て没す」と見ゆ。木部村より起る木部氏は在名にて苗字にあらず。金窪村木部氏は、本庄氏の本名である苗字木部宮内少輔の後裔であろう。

喜平田 キヘタ 与野に存す。

木保 キホ 大利根に存す。

宜保 ギホ 川越、大井、三郷に存す。

儀保 ギホ 所沢、上尾等に存す。

木洞 キホラ 庄和に存す。

木間 キマ 川越、上福岡、鶴ヶ島、朝霞、富士見、越谷等に存す。長野県下伊那郡大鹿村四戸あり。キノマ、コノマ、コマ参照。

吉麻 キマ 児玉党にあり。キジマ参照。

儀間 ギマ 川越、狭山、所沢、新座、上尾、鴻巣、越谷、春日部に存す。

儀満 ギマ 浦和に存す。島根県平田市八戸あり。

木間金 キマガネ 埼玉郡小林村字木間金(菖蒲町)は古の村名なり。

木方 キマサ 八潮に存す。

木間瀬 キマセ 所沢に存す。

木全 キマタ 各市町村に存す。

一 川越町 氷川社明治十七年碑に木全孝助。明治三十五年荒物商木全甚五郎あり。

木股 キマタ 入間、和光、庄和に存す。

木俣 キマタ 各市町村に存す。

木町 キマチ 深谷、上尾に存す。鳥取県西伯郡名和町六戸あり。

来海 キマチ 大宮、三郷、狭山等に存す。鳥取県西伯郡大山町八戸、米子市二十戸、島根県松江市三十五戸、平田市三十三戸あり。

木間塚 キマヅカ 朝霞に存す。茨城県石岡市二十六戸あり。

木丸 キマル 富士見、岩槻、八潮等に存す。

君 キミ 川口、大宮、草加、所沢、毛呂山等に存す。

君ヶ袋 キミガブクロ 大宮に存す。

一 浦和町 昭和三年興信録に君ヶ袋真胤・所得税百一円あり。現存無し。

君川 キミカワ 川越に存す。

吉弥候部 キミコベ 君子部、公子部、吉美候部とも記す。君、公、吉弥は、毛野君の姓(かばね)の君なり。子、候のコ(子)はネと読み、根岸、根本氏と同じなり。子は胡(コ)の佳字にて、胡(エビス)とは、中国が東北(蒙古、朝鮮半島)の民族をエビスと称した。上野国多胡郡百済庄は、多ノ国(後の百済)の胡(エビス)居住地なり。胡人は百済出身にて毛野氏に従って渡来す。部(集団)は毛野氏の配下なり。古代氏族系譜集成に「崇神天皇―豊城入彦命―八綱田命―彦狭島命―御諸別命―荒田別命―奈良別君(下毛野君)―(三代略)―尼古太君―菅子君―梶山(吉美候部之祖也、下毛野国河内郡)―子人―牛(弟乙峯は陸奥国行方郡居)―伊賀麻呂―歳足―豊麻呂(天平宝字七年三月、君子部を改め吉弥候部と為す、芳賀郡擬大領)―吉弥候根麻呂(天平神護元年三月、下毛野公の姓を賜る、芳賀郡少領)―豊継(芳賀郡少領、古家郷に居、弘仁十三年二月卒、年六十五)。伊賀麻呂の弟枝足―魚人―国成―清枝(芳賀郡主政)―垂麻呂―吉美候横刀(延暦二年三月、下毛野朝臣の姓を賜る)、清枝の弟太理―山人―吉美候間人(延暦二年三月、下毛野公の姓を賜る)」と見ゆ。是等の人は配下の吉弥候部を支配管掌す。

君崎 キミザキ 川越に存す。茨城県新治郡千代田町四十一戸、岩手県上閉伊郡宮守村十二戸あり。

君沢 キミサワ 岩手県宮古市十六戸。

君島 キミシマ 各市町村に存す。○群馬県邑楽郡千代田町二十二戸。○栃木県那須郡那須町二十戸、塩原町二百三十戸、西那須野町百戸、塩谷郡栗山村二十戸、塩谷町四十五戸、黒磯市八十戸、矢板市八十戸、今市市七十戸。○茨城県東茨城郡桂村四十戸。○福島県南会津郡田島町三十戸、舘岩村三十戸(キミジマ)あり。

君嶋 キミシマ 各市町村に存す。

君田 キミタ 川越、幸手、蓮田に存す。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「十三俵二人扶持・君田仕知蔵」あり。

木水 キミヅ 川越、所沢、草加に存す。

公塚 キミヅカ 大宮、東松山に存す。

君塚 キミヅカ 千葉県安房郡天津小湊町十戸、三芳村十戸、夷隅郡大多喜町百戸、大原町三十七戸、御宿町九十戸、岬町十七戸、勝浦市七十五戸、市原市五十戸あり。

一 葛飾郡佐間村(栗橋町) 定福院寛延三年供養塔に君塚友之助・君塚源太・君塚松之助・君塚茂右衛門・君塚長右衛門・君塚三之助。大日堂文化十四年十九夜塔に君塚五右衛門。八幡社天保三年御神燈に君塚清右衛門、天保四年碑に君塚利右衛門、嘉永三年狛犬に君塚長右衛門・君塚太吉、安政二年御神燈に君塚清蔵、明治十六年伊勢講碑に君塚定五郎・君塚助次郎・君塚太市あり。四戸現存す。

二 埼玉郡岩槻町 昭和三年興信録に君塚瀧治郎・所得税二十二円あり。

三 同郡尾ヶ崎新田(岩槻市) 明治三十年人名録に医師君塚岱淵・文政九年生あり。現存無し。

四 同郡粕壁町 県会議員歯科医師君塚皎・明治三十九年生・尾ヶ崎新田出身あり。

五 新座郡野火留宿(新座市) 字本多瘡守稲荷社嘉永六年水鉢に君塚土川四郎妻あり。一戸現存す。

木南 キミナミ 高麗郡笹井村宗源寺文書に「弘化四年、観音堂へ大般若経寄進、岩沢村(飯能市)木南定吉」あり。現存無し。キナミ参照。

君波 キミナミ 大宮、春日部、熊谷、本庄等に存す。新潟県中頚城郡大潟町十一戸あり。

君成田 キミナリタ 桶川に存す。岩手県九戸郡軽米町十一戸あり。

君野 キミノ 大宮、和光、志木、川口、越谷、行田、日高、飯能等に存す。千葉県銚子市十六戸、鳥取県八頭郡若桜町六戸あり。

公平 キミヒラ 川口、草加、大井等に存す。山形市五戸。コウヘイ参照。

君村 キミムラ 

一 葛飾郡金崎村(庄和町) 天神社寛政四年庚申塔に下金崎邑君村庄右衛門。道善寺文化七年普門品に君村庄八.。西金野井村香取社明治二十一年碑に金崎君村栄蔵。永沼村八幡社明治二十八年碑に金崎君村庄蔵。明治三十年人名録に君村庄蔵・安政元年生・地租十六円あり。一戸現存す。

二 同郡榎村(庄和町) 当村明和元年庚申塔に木見村藤右衛門、天保二年庚申塔に木見村清蔵。明治三十年人名録に君村清兵衛・嘉永六年生・地租四十二円あり。一戸現存す。

三 男衾郡本田村(川本町) 古里村兵執神社明治十五年水鉢に本田村君村初五郎あり。現存す。

木宮 キミヤ 埼玉郡神戸村(羽生市)に此氏の旧家あり。十戸現存す。

君山 キミヤマ 新座、富士見、越谷、幸手、熊谷、深谷等に存す。茨城県新治郡千代田町三十二戸、東茨城郡美野里町十七戸あり。

木明 キミョウ 青森県上北郡野辺地町三十五戸あり。

君和田 キミワダ 狭山、日高、草加、三郷、朝霞、和光、菖蒲、上尾、大宮等に存す。茨城県行方郡潮来町十七戸、鹿島郡鉾田町十一戸、鹿嶋市百十戸あり。

木村 キムラ 朝鮮半島南部の金官加羅の渡来人は金羅(キムラ)と称し、木村の佳字を用いる。此氏は武蔵国の大姓なり。上野国、下総国、常陸国及び奥州に多く存す。○群馬県利根郡月夜野町四十五戸、山田郡大間々町五十戸、新田郡笠懸町六十戸、藪塚本町四十五戸、新田町八十五戸、邑楽郡邑楽町五十戸、大泉町五十戸、佐波郡玉村町四十戸、東村五十戸、沼田市百戸、渋川市百戸、高崎市三百五十戸、藤岡市百六十戸、桐生市百九十戸、太田市三百五十戸、伊勢崎市三百戸、館林市百四十戸、前橋市五百五十戸。○栃木県那須郡那須町五十戸、西那須町四十戸、河内郡河内町四十戸、塩谷郡高根沢町六十戸、下都賀郡岩舟町四十戸、壬生町六十戸、安蘇郡田沼町八十戸、鹿沼市百五十戸、佐野市百戸、足利市三百戸。○茨城県久慈郡金砂郷町九十戸、大子町六十戸、那珂郡大宮町百十戸、山方町三百四十戸、那珂町九十戸、東海村五十戸、東茨城郡茨城町百十戸、美野里町六十戸、西茨城郡友部町四十戸、鹿島郡波崎町四十五戸、鉾田町四十戸、新治郡千代田町八十戸、八郷町七十五戸、稲敷郡阿見町八十戸、江戸崎町四十戸、茎崎町六十戸、美浦村四十五戸、北相馬郡利根町四十五戸、守谷町六十戸、真壁郡明野町四十戸、結城郡石下町六十戸、筑波郡伊奈町五十戸、猿島郡五霞町四十戸、境町八十戸、猿島町四百五十戸、三和町九十戸、日立市三百戸、常陸太田市百戸、ひたちなか市二百三十戸、石岡市百十戸、つくば市三百七十戸、岩井市三百戸。○千葉県香取郡小見川町八十戸、山田町四十戸、印旛郡富里町四十五戸、銚子市百十戸。○長野県下伊那郡高森町五十三戸。○新潟県岩船郡神林村百戸、南魚沼郡塩沢町四十五戸、村上市百三十戸、長岡市二百五十戸、上越市百三十戸。○福島県伊達郡桑折町四十二戸、いわき市四百八十戸、郡山市百五十戸、会津若松市百七十戸、福島市三百戸。○宮城県柴田郡大河原町四十七戸、亘理郡亘理町百五戸、桃生郡河南町百四十戸、鳴瀬町四十八戸、矢本町百九十戸、牡鹿郡牡鹿町九十五戸、女川町三百六十戸、志田郡鹿島台町四十七戸、遠田郡小牛田町五十六戸、南郷町七十戸、涌谷町八十五戸、塩釜市百十戸、古川市百五十戸、石巻市七百三十戸。○岩手県岩手郡雫石町四十戸、下閉伊郡山田町七十五戸、一関市百十戸、宮古市百八十戸。○山形県東置賜郡高畠町九十戸、西置賜郡飯豊町四十戸、小国町百十戸、西村山郡河北町五十戸、西川町四十四戸、米沢市百四十戸、上山市五百五十戸、寒河江市百八十戸、鶴岡市百四十戸、山形市三百戸。○秋田県由利郡矢島町六十戸、雄勝郡稲川町四十三戸、仙北郡仙南村五十五戸、北秋田郡合川町八十戸、鹿角郡小坂町百二十五戸、横手市百十戸、大館市二百六十戸、鹿角市三百五十戸、秋田市三百五十戸。○青森県三戸郡五戸町七十戸、名川町五十八戸、階上町四十戸、上北郡下田町八十戸、百石町六十五戸、東北町四十三戸、野辺地町百十戸、六ヶ所村百四十戸、北津軽郡鶴田町四十五戸、中里町六十四戸、中津軽郡岩木町九十戸、南津軽郡尾上町五十戸、浪岡町百二十戸、平賀町百二十戸、藤崎町百四十戸、東津軽郡今別町六十戸、平内町九十戸、平舘村五十戸、西津軽郡鯵ヶ沢町百戸、木造町百三十戸、深浦町七十戸、森田村四十戸、八戸市九百九十戸、十和田市百十戸、三沢市百二十戸、むつ市百五十戸、五所川原市四百七十戸、弘前市八百三十戸、黒石市百八十戸、青森市千六百戸。○島根県八束郡鹿島町四十五戸、松江市二百二十戸。○鳥取県米子市三百五十戸、境港市百五十戸、鳥取市百戸あり。

一 桧前族木村氏 金官加羅の安耶(あや)国から渡来した漢人(あやびと)桧前族(ひのくま)は大和国高市郡へ土着し、居住地を私称桧前郡と唱える。坂上系図に「阿智使主(応仁天皇御宇投化、居大倭国高市郡桧前村)―都賀使主―阿多倍―掬直(雄略天皇十六年東漢直の姓を賜う)、子三人あり、兄腹山木直(桧前直の祖也)、中腹志努直―駒子直―弓束直―首名直―坂上直老(壬申乱有功)―大国―坂上忌寸犬養―坂上刈田麻呂―坂上田村麻呂(弘仁二年卒)、弟腹爾波伎直(山口宿祢の祖也)」と見ゆ。武蔵国賀美郡、児玉郡、那賀郡及び上野国佐波郡等の一帯に桧前族が多く存す。当地方に坂上田村麻呂が創建したと伝へる北向神社が多く鎮座す。田村麻呂は附会にて、桧前族坂上一族の山口宿祢の後裔木村氏の奉祭した神社である。桧前族は坂上田村麻呂の奥州蝦夷征討に同族として従軍し、多賀城の北(宮城県)に柵戸として移住し、木村氏を称す。児玉記考に「児玉郡新宿村寄島の木村家は山口将監の正系なり。其祖坂上田村麻呂に出づ、鼻祖を是宗と称し江州木村郷に住し、木村を以って姓となす」と見ゆ。近江国出身説は地名附会なり。坂上族山口宿祢の後裔なり。桧前、アラハバキ条十三項参照。

二 忍城士の木村氏 成田分限帳に「加勢侍・本国遠江・五十五貫文・木村金五郎・後小田原へ行く、十三貫文・木村権之助・持田口を守る」と見ゆ。

三 鉢形城士の木村氏 鉢形分限帳に「本国大和高市・大滝住・木村伊賀、本国武州大里・木村幸八」あり。本国とは先祖の出身地を云い、生国は本人の出身地を云う。

四 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「百石・本国近江生国但馬・木村六郎兵衛・三十七歳、二両余一人扶持・本国常陸生国同・木村八右衛門・二十三歳」あり。

五 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御広式番・十五石三人扶持・木村武兵衛」あり。

六 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「二十俵二人扶持・木村又七、十三俵二人扶持・木村庄平」あり。

七 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御馬廻・二百石・越前取立・木村文八、組御目付・百石・川越取立・木村孫市、御馬廻・二十石四人扶持・川越取立・木村八十八」。万延二年川越藩分限帳に「御馬廻・二百石・木村鉞太郎、組頭・百石・木村源市、諸士隠居・木村苦士石、諸士総領・木村久米吉、御馬廻・百俵四人扶持・木村佐久平、総領木村気、永詰御雇・五人扶持・木村虎次郎」。慶応元年前橋藩松山陣屋付に「八石二人扶持・木村真英、同高・木村八十平、七石二人扶持・木村多二郎、六石二人扶持・木村光吉」。明治四年前橋藩職員録に「史生・学校方・木村鉄五郎」あり。

八 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御年寄・五百五十石・亡養父嘉織・木村帯刀・四十歳、御徒士銃隊頭席・百石・亡養父勝馬・木村新右衛門・五十二歳、五人扶持・父新右衛門・木村銃次郎・十八歳、御馬廻・八十石・亡養父寛吾・木村辰右衛門・四十四歳、父辰右衛門・木村麟太郎・十五歳、御医師・八石二人扶持・父三長家続・木村玄順・三十八歳」あり。

九 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「四百石・木村九郎兵衛・是は忍にて罷出・三河之者、三百石・木村吉右衛門・是は忍にて罷出・三河之者、百五十石・木村弥平・是は忍にて罷出・三河之者」あり。

一〇 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「無役・二十俵二人扶持・木村四郎右衛門」。享保八年忍藩軍役帳に「二十三俵二人扶持・木村勘右衛門、八両二人扶持・木村佐助、五両二人扶持・木村岡右衛門」あり。

一一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「吟味役・十石二人扶持・木村藤右衛門、子供・四両二人扶持・木村文次郎、奥坊主・五石二人扶持・木村勇亀」。嘉永七年に「御茶道支配奥坊主・五石四人扶持・木村勇毫、一代御徒格・五石二人扶持・木村藤兵衛、小普請・四両二人扶持・木村孝三郎」。明治四年忍藩士族名簿に「九十六石余・木村耕治、六石四人扶持・木村多三、五石二人扶持・木村孝蔵、同高・木村重貞、四石二人扶持・木村光武、四両二人扶持・木村友矩」あり。

一二 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「十七俵・木村金助、同高・木村佐左衛門」あり。

一三 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「五十石二人扶持・木村弥市右衛門、十両二人扶持・木村八之丞」あり。

一四 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「三十石十人扶持・木村新助、百石・木村義兵衛、八両八人扶持・木村庄左衛門、十両五人扶持・木村治兵衛、五両五人扶持・木村忠左衛門、六両三人扶持・木村半平むあり。

一五 岡部藩安部氏家臣 明治三年岡部藩分限帳に「中小姓・七石二人扶持・木村雄之進」あり。

一六 石戸領牧野氏家臣 牧野家文書に「木村十郎右衛門・大阪陣御共・江戸留守居・二百石・子無く断絶」と見ゆ。

一七 旗本五味備前守家臣 入間郡小谷田村延宝二年東光寺鐘銘に「小谷田郷領主旗本五味備前守豊直家臣、木村善左衛門・木村善太夫」あり。

一八 関東郡代伊奈氏家臣 伊奈忠順家臣木村仁右衛門。寛政三年に「御勘定場定役・五人扶持格・木村藤四郎・上屋敷住」あり。

一九 葛飾郡茂田井村(三郷市) 阿弥陀堂文化三年庚申塔に木村市郎右衛門あり。現存無し。

二〇 同郡八丁目村(春日部市) 香取社明治三年天照碑に木村久兵衛・木村利吉あり。三戸現存す。

二一 同郡藤塚村(春日部市) 東国寺享保五年六地蔵に木村小右衛門あり。十戸現存す。

二二 同郡木崎村(庄和町) 香取社文政三年庚申塔に木村平五郎あり。現存無し。

二三 同郡杉戸町 河原町稲荷社明治十五年御神燈に木村栄善、明治三十九年幟碑に木村平七・木村吉五郎。明治三十五年米穀商木村文蔵あり。

二四 同郡清地村(杉戸町) 惣新田村正福院天保九年真言塔に豊後・木村重左衛門。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に清地村木村重次郎。近津神社明治十六年御神燈に木村重五郎。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流清地村木村正則あり。

二五 同郡倉松村(杉戸町) 延命院元禄九年庚申塔に木村八郎兵衛。香取社明和八年神明碑に木村新蔵。百間村青林寺寛政十年文書に倉松村木村八郎兵衛。雷電社弘化四年鳥居碑に木村新平・木村安右衛門・木村八郎兵衛・木村恒右衛門、明治二十六年敷石碑に木村八十八・木村新七・木村安蔵・木村常右衛門。諏訪社慶応二年浅間碑に木村彦三郎。明治八年騎西町釜屋文書に酒造業木村八郎兵衛。明治九年副戸長木村修助・天保六年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に倉松村木村修助。香取社明治二十五年御神燈に木村虎蔵・木村喜助。明治三十年人名録に杉戸郵便局長木村虎蔵・慶応二年生・地租百四十三円、木村新七・嘉永元年生・地租二十五円あり。九戸現存す。

二六 同郡堤根村(杉戸町) 香取社天保四年水鉢に堤根村蔵久株木村七蔵。慈恩寺村慈恩寺弘化四年水鉢に堤根倉久木村安蔵・木村栄七.。明治三十年人名録に木村勝右衛門・安政六年生あり。十二戸現存す。

二七 同郡遠野村(杉戸町) 無量院元禄四年庚申塔に木村徳右衛門あり。現存無し。

二八 同郡椿村(杉戸町) 文殊堂明治十五年筆子碑に当村木村元五郎・木村伝蔵あり。四戸現存す。

二九 同郡深輪村(杉戸町) 鷲巣村正明寺寛政四年庚申塔に深輪村木村仁右衛門あり。現存無し。

三〇 同郡鷲巣村(杉戸町) 正明寺寛政六年宝篋印塔に当村木村新蔵。鷲神社文化十三年普門品に鷲巣村木村林治郎。明治二十年規約に木村新八あり。五戸現存す。

三一 同郡宮前村(杉戸町) 鷲巣村正明寺寛政六年宝篋印塔に宮前村木村忠蔵・木村三治郎。明治二十年規約に木村貞次郎・木村藤太郎・木村源次あり。十戸現存す。

三二 同郡木津内村(杉戸町) 宮前村豊郷神社延享元年稲荷碑に木津内村木村藤八.。鷲巣村正明寺寛政六年宝篋印塔に木津内村木村治郎兵衛。稲荷社嘉永六年天満宮碑に木村仙蔵・木村和平、明治四十年碑に木村利兵衛。明治二十年規約に木村長蔵・木村覚次郎・木村佐兵衛あり。二戸現存す。

三三 同郡目沼村(杉戸町) 宮前村豊郷神社延享元年稲荷碑に目沼村木村藤□あり。現存無し。

三四 同郡幸手宿 百間村青林寺寛政十年文書に牛村木村長五郎。太田袋村琴平社文政二年御神燈に牛村木村弥左衛門。万延元年武術英名録に岡安柳剛流幸手宿木村市十郎。浪寄天満宮慶応二年庚申塔に浪寄村木村清太郎。明治三十五年米穀商木村兵五郎・粉名屋木村万吉あり。

三五 同郡千塚村(幸手市) 千塚神社安永四年稲荷碑に木村佐七あり。五戸現存す。

三六 同郡惣新田村(幸手市) 字北杉山戸隠神社宝暦六年庚申塔に木村政右衛門・木村茂右衛門、天明三年庚申塔に木村彦右衛門・木村勘治郎・木村茂七、文政十四年庚申塔に杉山組木邑伝兵衛・木邑重四郎、天保九年御神燈に木村市之丞・木村惣五郎。字南杉山正福院天保九年真言塔に当所・木村彦右衛門・木村市之丞・木村重四郎。明治二十年被選挙権者木村惣五郎・文政元年生、選挙権者木村伝次郎・嘉永二年生。字高須賀香取社明治四十年碑に杉山木村岩吉あり。四戸現存す。

三七 同郡上吉羽村(幸手市) 当村天保十四年庚申塔に上吉羽轡瀬木村吉三郎。明治二十年選挙権者木村吉三郎・文政十一年生あり。二戸現存す。

三八 同郡神明内村(幸手市) 香取社享保十七年庚申塔に木村勘右衛門。明治二十年選挙権者木村九左衛門・嘉永六年生、木村捨右衛門・嘉永元年生。木立村妙法寺明治三十年馬頭尊に神明内木村国蔵あり。三戸現存す。

三九 同郡権現堂村(幸手市) 新田墓地文化九年庚申塔に権現堂新田木村三吉。大日神社元治二年水鉢に木村平八、明治三十八年碑に当所木村三吉。水神社明治四十一年碑に木村角太郎・木村才次郎あり。二戸現存す。

四〇 同郡内国府間村(幸手市) 上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国幸手町内国府間木村治右衛門あり。五戸現存す。

四一 同郡外国府間村(幸手市) 雷電宮貞享四年庚申塔に木村九左衛門、宝暦十一年地蔵尊に木村喜八あり。五戸現存す。

四二 同郡外野村(鷲宮町) 百間村青林寺寛政十年文書に外野村木村忠右衛門あり。現存無し。

四三 同郡上川崎村(鷲宮町) 香取社明治三年猿田彦碑に木村安五郎・新田木村佐重郎あり。十戸現存す。

四四 同郡八甫村(鷲宮町) 鷲宮村鷲宮神社嘉永五年狛犬に八甫村本郷木村彦次郎あり。七戸現存す。

四五 同郡高柳村(栗橋町) 宝聚寺元禄六年庚申塔に木村四郎兵衛、文政十年供養塔に木村善右衛門・木村彦右衛門・木村嘉六.。大日堂文化六年供養塔に高柳村原木村裕右衛門・木村多左衛門。香取社嘉永四年狛犬に木村利右衛門・木村三吉・木村六郎右衛門・木村重兵衛・木村新右衛門、明治十四年幟碑に木村庄吉・木村三十郎・木村長八・木村善右衛門・木村邦右衛門・木村栄助・木村栗五郎・木村啓次郎。明治三十年人名録に藍玉製造業木村長松・嘉永二年生・地租三十四円。上州榛名神社大正四年御神燈に葛飾郡高柳村原耕地木村栄助あり。十四戸現存す。

四六 同郡中里村(栗橋町) 狐塚村鹿島社嘉永四年御嶽碑に中里村木村新左衛門。幸手宿雷電社明治十七年御嶽碑に中里木村七左衛門。下香取社明治二十九年伊勢講碑に木村茂七あり。一戸現存す。

四七 同郡広島村(栗橋町) 幸手町雷電社明治十七年御嶽碑に広島木村金右衛門。天満宮明治二十八年伊勢講碑に木村竹次郎あり。四戸現存す。

四八 埼玉郡西袋村(八潮市) 蓮華寺宝永五年庚申塔に木村利□。柳之宮村氷川社嘉永七年御神燈に西袋村川西組木村利兵衛・木村亀蔵、明治十九年絵馬に西袋村木村伊三郎・木村源右衛門あり。三戸現存す。

四九 同郡越ヶ谷町 久伊豆社明治三十二年榛名碑に木村卯之助。明治三十五年米穀商木村市蔵・飲食店木村マツ・呉服商中村屋木村弁造あり。

五〇 同郡大沢町(越谷市) 大沢猫の爪(福井文書)に「上組百姓木村屋平右衛門義は古来木村三郎兵衛と名乗り、中宿木村七兵衛分地之者之由。中宿百姓木村七兵衛は御入国以後旧家にして往古相応に相暮、其後退転同様之処、享和寛政之間江戸親類より見立四分一株有之候」と見ゆ。香取社文化八年御神燈に上組木村平五郎あり。

五一 同郡大竹村(越谷市) 野島村浄山寺文化十年供養塔に大竹村木村与右衛門あり。一戸現存す。

五二 同郡西新井村(越谷市) 笹久保村地蔵院嘉永四年供養塔に西新井村木村太郎兵衛・木村常五郎あり。二戸現存す。

五三 同郡恩間村(越谷市) 当村に此氏多く存す。鈎上村神明社文政十三年力石碑に恩間村木村重治郎。香取社天保十年猿田彦碑に木村金平・木村平次郎・木村幸太郎・木村金蔵・木村初五郎・木村弥右衛門・木村喜市郎・木村仙之助・木村長五郎、元治元年敷石碑に木村文治郎・木村孫七・木村幸三郎・木村忠治郎・木村藤吉・木村栄吉・木村新七・木村長治郎あり。

五四 同郡川崎村(越谷市) 川崎神社文政十年水鉢に木村与惣兵衛・木村本治郎、天保三年御神燈に木村惣右衛門、天保十二年供養塔に木村与八.増林村護郷神社天保十年敷石碑に川崎木邑与八あり。九戸現存す。

五五 同郡粕壁町 東陽寺明治二十四年蕉斎翁門人碑に木村愛之丞・木村嘉兵衛。明治三十五年足袋商木村元次郎・白米商木村兼吉。春日部稲荷社明治四十三年鳥居碑に木村元次郎・木村藤助あり。

五六 同郡内牧村(春日部市) 明治八年騎西町釜屋文書に酒造業木邑治郎兵衛。楽応寺明治三十年水鉢に木村定吉あり。四戸現存す。

五七 同郡備後村(春日部市) 稲荷社享保六年御神燈に木村新介あり。十二戸現存す。

五八 同郡下大増村(春日部市) 増長村観秀院安政二年供養塔に下大増村木村忠次郎あり。現存無し。

五九 同郡下大増新田(春日部市) 香取社慶応□年御神燈に木村文八郎あり。二戸現存す。

六〇 同郡西谷原村(春日部市) 香取社文化八年庚申塔に西谷原村木村蔵之助あり。

六一 同郡岩槻町 浅間社寛文十一年庚申塔に木村六左衛門。千手院天和二年供養塔に横町木村利右衛門・木村慶兵衛。明治三十五年白米商木村善太郎あり。

六二 同郡加倉村(岩槻市) 洞雲寺元禄七年庚申塔に木村市郎兵衛あり。三戸現存す。

六三 同郡大野島村(岩槻市) 神明社天保二年薬師碑に木村久助・木村周助、天保四年敷石碑に木村逸平・木村清次郎・木村久蔵・木村善内・木村又五郎・木村五郎八・木村新右衛門・木村平次郎・木村常蔵・木村半次郎・木村六次郎。多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に岩槻領大野島村木村周助。普門院嘉永四年庚申塔に前組木村吉郎。増長村観秀院安政二年供養塔に大野島村木村常蔵・木村六次郎・木村久五郎・木村重五郎・木村半次郎あり。七戸存す。

六四 同郡村国村(岩槻市) 多宝院文政十三年供養塔に木村権兵衛・木村次右衛門。久伊豆社天保八年稲荷碑に木村幸之助、嘉永八年御神燈に木村権兵衛・木村武兵衛・木村与市、万延二年水鉢に木村武吉・木村浅之助。明治三十年人名録に木村民蔵・天保七年生・地租十九円あり。三戸現存す。

六五 同郡笹久保新田(岩槻市) 明治四年宗門改帳に「木村太郎兵衛・六十七歳、婿粂次郎・五十三歳(孫十郎村出野与左衛門亡二男)、粂次郎倅政次郎・二十五歳」。明治九年副戸長木村政次郎・弘化二年生。明治三十年人名録に郡会議員木村政次郎・地租三十八円あり。二戸現存す。

六六 同郡横根村(岩槻市) 共同墓地安永六年碑に木村太郎兵衛あり。前項住人か。現存無し。

六七 同郡飯塚村(岩槻市) 法華寺享保十六年庚申塔に木村伝七あり。一戸現存す。

六八 同郡下新井村(岩槻市) 玉蔵院天保十五年供養塔に木村金五郎・木村善右衛門・木村茂助あり。一戸現存す。

六九 同郡慈恩寺村(岩槻市) 慈恩寺弘化四年水鉢に当所大門小路木村大次郎。月読神社嘉永三年幟碑に木村助五郎。毘沙門堂嘉永四年庚申塔に大門小路木村助右衛門・木村代次郎。小溝村長命寺慶応二年供養塔に慈恩寺郷木村助次郎・木村代次郎あり。六戸現存す。

七〇 同郡上野村(岩槻市) 鷲宮社文化三年御神燈に木村百之助あり。一戸現存す。

七一 同郡高虫村(蓮田市) 歓喜寺跡安永三年地蔵尊に木村元右衛門。当村寛政十二年愛宕碑に木村元右衛門・木村半右衛門。倉田村明星院文政六年新西国塔に高虫村木村元右衛門。妙楽寺天保七年馬頭尊に木村惣右衛門・木村平治郎あり。七戸現存す。

七二 同郡江ヶ崎村(蓮田市) 久伊豆社文久三年水鉢に当所木村文右衛門・木村吉五郎、明治三十九年碑に木村留吉・木村彦七・木村忠左衛門・木村甚五郎あり。八戸現存す。

七三 同郡太田新井村(白岡町) 安楽寺寛延二年庚申塔に木村武助。北向地蔵寛政九年庚申塔に木村藤右衛門、文化二年庚申塔に木村市右衛門。字海老島文政三年馬頭尊に木村善八・木村源右郎・木村五郎兵衛・木村磯右衛門あり。十一戸現存す。

七四 同郡岡泉村(白岡町) 慈恩寺村慈恩寺元禄九年阿弥陀如来に岡泉村木村弥兵衛。当村享和二年庚申塔に木村源右衛門・木村太右衛門。観音堂天保十一年供養塔に木村庄蔵、元治元年水鉢に木村庄次郎・木村弥五右衛門・木村庄蔵。鷲神社嘉永三年御神燈に木村庄蔵・木村政治郎、明治三十五年鳥居碑に木村豊吉、明治四十年御神燈に岡泉新田木村愛之丞。明治三十年人名録に木村房太郎・嘉永四年生・地租五十円、木村林蔵・嘉永元年生・地租十六円あり。五戸現存す。

七五 同郡下大崎村(白岡町) 全竜寺正徳五年庚申塔に木村喜左衛門。明治三十年人名録に木村鋒吉・嘉永三年生・地租三十円あり。四戸現存す。

七六 同郡柴山村(白岡町) 観音堂元禄二年筆子碑に柴山村木村弥兵衛。明治二十年柴山伏越改造碑に柴山村字小塚木村喜蔵・木村喜平次。相州大山阿夫利神社大正五年碑に埼玉郡柴山村木村勝蔵あり。五戸存す。

七七 同郡野牛村(白岡町) 久伊豆社文化四年御神燈に木村弥左衛門、慶応二年御神燈に木村啓蔵。太田袋村琴平社文政三年水鉢に野牛村木村鶴之助あり。一戸現存す。

七八 同郡百間村(宮代町) 当村に此氏多く存す。百間東村鈴木家譜に「岩附北条氏房の旗下鈴木雅楽助業俊の配下木村蔵之助」と見ゆ。爪田ヶ谷村諏訪社天保十五年狛犬に逆井木村祐左衛門。字内野正福坊嘉永七年成田山碑に柚木村内野村講中・木村長吉。明治三十年人名録に百間中村・木村市左衛門・弘化四年生あり。

七九 同郡須賀村(宮代町) 身代神社明和四年稲荷碑に西・木村竹蔵あり。四戸現存す。

八〇 同郡菖蒲町 明治三十五年石材商木村佐市・仏師屋木村松五郎あり。

八一 同郡柴山村枝郷(菖蒲町) 明治三十年人名録に柴山村枝郷木村喜平次・明治元年生・地租二十五円あり。二戸現存す。

八二 同郡上大崎村(菖蒲町) 長松寺文化十四年湯殿山碑に木村新八.。当村嘉永元年庚申塔に中組木村兵助・木村勘蔵。明治三十年人名録に木村仙蔵・天保十四年生・地租十六円、木村勘次郎・慶応三年生・地租十五円あり。八戸現存す。

八三 同郡久喜町 太田袋村琴平社文政二年御神燈に久喜新町木村清助。西蔵院文政十一年如意輪観音に野久喜村木村斧右衛門。明治四年久喜新町五人組帳に木村伝兵衛。野久喜村明治九年戸長木村忠兵衛・文化十二年生。明治二十五年勧業会員に野久喜村木村愛蔵・木村忠太郎。明治三十五年久喜町陶器商木村松之助・白木綿商木村藤吉・質屋木村伊助・菓子商木村龍助・小間物商木村芳次郎あり。

八四 同郡鷲宮村 鷲宮神社文政十二年金燈籠に当所木村佐兵衛、嘉永五年狛犬に当町中島木村佐十郎、弘化三年文書に内下組頭木村長右衛門。東大輪村大輪神社文久二年碑に中島村石工木村佐重郎。明治三年本多文書に鷲宮神社神楽役木村門太夫。樋遣川村浅間社明治十二年鳥居碑に鷲中島村石工木村佐十郎あり。

八五 同郡上内村(鷲宮町) 当村に此氏多く存す。百間村青林寺寛政十年文書に上内村木村文左衛門・木村政右衛門・木村茂兵衛。鷲宮村鷲宮神社文政十二年金燈籠に上内村木村仁左衛門・木村太源治。明治九年副戸長木村仁左衛門・文化七年生。明治三十年人名録に木村丑五郎・文久三年生・地租四十円あり。

八六 同郡久本寺村(鷲宮町) 稲荷社明治二年水鉢に木村丑四郎・木村虎吉あり。四戸現存す。

八七 同郡北大桑村(大利根町) 大願寺文化六年供養塔に木村文蔵・木村長右衛門。香取社明治十六年水鉢に木村作兵衛・木村新蔵あり。三戸現存す。

八八 同郡琴寄村(大利根町) 島川村八幡社明治十五年伊勢講碑に琴寄村木村伊右衛門あり。二戸現存す。

八九 同郡松永新田(大利根町) 八坂社明治二十六年碑に木村沢蔵あり。一戸現存す。

九〇 同郡柏戸村(北川辺町) 八幡宮明治四年水神宮碑に木村忠蔵・木村忠助。明治十八年最上農名簿に木村金蔵・耕宅地五町六反歩・山林三反歩所有あり。二戸現存す。

九一 同郡麦倉村(北川辺町) 八坂社文久二年幟碑に木村弥右衛門・木村清八あり。七戸現存す。

九二 同郡加須町明治三十五年洋物商木村幸助・傘製造木村佐次郎・砂糖商木村伝蔵あり。

九三 同郡不動岡村(加須市) 当村明和八年馬頭尊に不動岡村木村七右衛門、文久二年月待塔に不動岡邨木村末八.。正能村明治七年青木文書に富士講・不動岡村木村周蔵。明治三十五年芸妓屋玉家木村竹次郎・川魚商木村喜三郎あり。

九四 同郡礼羽村(加須市) 明治三十五年呉服商木村安蔵あり。

九五 同郡小浜村(加須市) 地蔵院元禄八年百番観音に施主小浜村木村清兵衛・木村甚五兵衛。八幡社文政六年狛犬に木村清右衛門あり。一戸現存す。

九六 同郡久下村(加須市) 鷲宮社安政七年御神燈に木村吉右衛門・木村次郎吉・木村与七・当所役人木村宗吉。明治四年名主木村惣吉、藍玉仲間木村宗次郎。明治十三年埼玉精糸会社発起人木村権助。多門寺村愛宕社明治十三年算額に久下村木村吉十郎信吉。明治三十五年素麺蒟蒻製造木村安五郎・綿糸商木村宗重郎・実業家木村藤四郎・木村次郎吉あり。十七戸現存す。

九七 同郡大越村(加須市) 八坂社享保四年庚申塔に堤崎村木村伝兵衛あり。四戸現存す。

九八 同郡平永村(加須市) 明治八年明願寺村伍長木村友右衛門。明治十五年川島文書に平永村木村留五郎・木村友次郎・木村庄次郎あり。十戸現存す。

九九 同郡馬内村(加須市) 明治九年副戸長木村弥兵衛・天保十二年生。諏訪社明治二十二年伊勢講碑に木村三吉・木村七五郎・木村熊五郎・木村喜十郎・木村新兵衛・木村亀五郎あり。十七戸現存す。

一〇〇 同郡岡古井村(加須市) 真如院寛文四年宝篋印塔に岡古井村木村四郎兵衛。明治九年副戸長木村熊太郎・嘉永三年生。通殿社明治二十八年御神燈に木村代次郎あり。十五戸現存す。

一〇一 同郡多門寺村(加須市) 観音寺文化元年庚申塔に多門寺村木村弥右衛門、弘化四年地蔵尊に「蓮如智浄信士・俗名徳兵衛、施主木村長五郎」。愛宕社天保三年狛犬に木村常吉、嘉永二年伊勢講碑に木村吉五郎・木村久治郎あり。三戸現存す。

一〇二 同郡志多見村(加須市) 当村弘化五年月待塔に木村喜平次・木村佐右衛門あり。一戸現存す。

一〇三 同郡北篠崎村(加須市) 熊野社天保十五年狛犬に木村与八、文久四年御神燈に木村与八あり。現存無し。南篠崎村に二戸現存す。

一〇四 同郡船越村(加須市) 如体寺貞享二年馬頭尊に船越村木村仁右衛門あり。現存無し。

一〇五 同郡三俣村(加須市) 諏訪社文化四年水鉢に七釜戸・木村治郎助・木村与七、明治二十一年伊勢講碑に木村直次郎あり。三戸現存す。

一〇六 同郡下高柳村(加須市) 八坂社明治二十六年碑に木村伊三郎・木村幸太郎・木村啓次郎・木村吉次郎・木村巳之吉・木村市蔵・木村吉五郎あり。五戸現存す。

一〇七 同郡騎西町 善応寺文政二年巡拝塔に木村市右衛門娘。明治三十五年材木商木村辰五郎・収入印紙販売木村善兵衛あり。

一〇八 同郡牛重村(騎西町) 万福寺元禄十六年庚申塔に牛重村木村武兵衛あり。二戸現存す。

一〇九 同郡赤城村(川里町) 赤城神社延享三年庚申塔に赤城村木村三右衛門、明治十六年敷石碑に木村霜蔵・木村源六・木村多吉あり。五戸現存す。

一一〇 同郡郷地村(鴻巣市) 上郷地村久伊豆社元禄十三年御神燈に木村七郎兵衛・木村小左衛門、明治三十九年碑に木村初五郎・木村勇次郎・木村杢次郎・木村善太郎。明治四年上郷地村小宮組名主木村佐左衛門・四十五歳あり。六戸現存す。

一一一 同郡安養寺村(鴻巣市) 八幡社明治三十九年碑に木村弥五郎あり。現存無し。

一一二 同郡羽生町 上羽生村建福寺文久三年筆子碑に木村代三郎。明治三十五年糸繭商木村貞次郎あり。

一一三 同郡小松村(羽生市) 当村宝永三年庚申塔に木村利右衛門。小松神社宝永五年水鉢に小松村木村理右衛門、文政五年碑に木村淳三郎。白川家門人帳に文政十一年小松大明神々主木村淳三郎・改名衛門と見ゆ。二戸現存す。

一一四 同郡砂山村(羽生市) 小松村小松神社宝永五年水鉢に砂山村木村五兵衛あり。二戸現存す。

一一五 同郡発戸村(羽生市) 観乗院享保十二年供養塔に木村源之丞、文化十三年仙元碑に木村藤助・木村安蔵。長善寺文政八年札所碑に木村久五郎。鷲宮社天保八年牛頭天王碑に木村勘助、嘉永五年供養塔に木村藤吉・木村助左衛門、明治十年碑に木村万吉・木村久右衛門・木村儀助・木村藤助・木村和助。明治九年副戸長木村儀助・弘化四年生。下川上村愛染堂明治二十七年藍製講に発戸・木村元次郎・木村儀助あり。十一戸現存す。

一一六 同郡常木村(羽生市) 共同墓地享保四年供養塔に木村甚左衛門・木村源左衛門、文化五年碑に常木邑木村茂兵衛。常木神社宝暦十二年水鉢に木村新助・木村加兵衛・木村七右衛門。上村君村雷電社天保十年碑に常木村木村茂兵衛。須影村八幡社慶応元年算額に下常木村木村七右衛門信匡。外野村棘脱地蔵堂明治九年算額に常木村木村弘斎・男木村惣次郎匡房。算学者木村七右衛門・明治六年没、其子木村宗次郎・大正四年没。子孫木村七太郎家なり。明治九年副戸長木村市郎次・安政三年生。明治十八年最上農名簿に木村市郎治・耕宅地十町五反歩所有あり。四戸現存す。

一一七 同郡三田ヶ谷村(羽生市) 蓮台寺延享二年鐘銘に木村善六・木村兵七母。八幡社安政六年御嶽碑に木村久兵衛あり。六戸現存す。

一一八 同郡川崎村(羽生市) 下川崎村浄林寺安永八年六地蔵に木村銀右衛門尉政義。元治二年川崎村油商木村斧右衛門あり。上川崎村木村一雄家は代々名主なり。上川崎村三戸、下川崎村一戸現存す。

一一九 同郡須影村(羽生市) 八幡社明治十六年御神燈に木村丑松あり。三戸現存す。

一二〇 同郡手子林村(羽生市) 下手子林村観音堂享保二十年碑に木村勘兵衛。中手子林村八幡社安永九年水鉢に木村磯右衛門あり。十五戸現存す。

一二一 同郡尾崎村(羽生市) 明治二十一年皇国武術英名録に神道無念流北埼玉郡小崎村木村源次郎あり。現存無し。

一二二 同郡上新郷(羽生市) 白山社明治九年御神燈に木村綱五郎あり。七戸現存す。

一二三 同郡下新郷(羽生市) 天神社文化十三年仙元碑に木村荘七、明治二十八年漆原碑に木村喜代松。大光院文政六年地蔵尊に木村荘七・木村磯五郎あり。六戸現存す。

一二四 同郡長野村(行田市) 久伊豆社天保六年御神燈に木村峯五郎、明治十一年御神燈に木村隆碩(医師)あり。九戸現存す。

一二五 同郡埼玉村(行田市) 当村に此氏多く存す。前玉神社宝暦十年常燈明に木村喜三郎・木村喜四郎、明治十年玉垣碑に木村与三郎・木村磯吉。野村玉松堂入門帳に文久四年杉原村木村松五郎、明治二年常吉倅木村只治郎。門井村鷺栖神社明治八年御神燈に埼玉村木村仁助・木村喜作。上州榛名神社大正四年御神燈に埼玉郡埼玉村杉原木村彦太郎あり。

一二六 同郡野村(行田市) 名主木村家は上野国館林城の家臣で、十七代の時に当村に帰農し、二十四代名主木村茂左衛門御綱(文化十一年生、明治二年没)は忍藩教授となり、歌人として高名なり。正覚寺寛政三年供養塔に木村伊左衛門・木村利兵衛。歓喜大社文政七年碑に野邑木邨茂左衛門保教。氷川社安政三年御神燈に木村利八・木村勇右衛門・木村松五郎。玉松堂入門帳(植田文書)に万延二年当所上分木村伴次郎、明治二年当村木村浦二郎・木村熊太郎、明治四年当村木村今右衛門。明治九年戸長木村小三吉、副戸長木村茂七・文化四年生あり。六戸現存す。

一二七 同郡堤根村(行田市) 野村玉松堂入門帳に慶応四年堤根村秀次倅木村善之助東山。永徳寺明治四年筆子碑に木村善次郎・木村周蔵・木村重左衛門・木村房五郎・木村善之助・木村磯五郎。行田町諏訪社明治五年水鉢に堤根村木邨周禎。伊奈利神社明治十五年碑に木村庄之助・木村周禎・木村桂次郎・木村広太郎・木村藤次郎あり。九戸現存す。

一二八 同郡下忍村(行田市) 遍照院天保九年二十三夜塔に当所木村安次郎・木村勘蔵あり。四戸現存す。

一二九 同郡前谷村(行田市) 天満宮享保二十年巳待講に木村藤右衛門。光明寺天保七年常夜燈に当所木村重右衛門あり。現存無し。

一三〇 同郡南河原村 信州木曽御嶽山清滝新道端昭和五年碑に北埼玉郡南河原村木村元吉あり。一戸存す。

一三一 同郡上中条村(熊谷市) 下奈良村明治二十七年東条筆子碑に上中条村木村房五郎・木村栄三郎あり。十二戸現存す。

一三二 足立郡川口町 川口神社明治三十九年碑に木村友矩(小間物商)あり。

一三三 同郡本郷村(川口市) 氷川社明治三十三年碑に木村仁三郎あり。

一三四 同郡下青木村(川口市) 西方寺寛保二年筆子碑に木村将監あり。

一三五 同郡浦和町 明治三十五年桶職木村弥市あり。

一三六 同郡岸村(浦和市) 明治七年松井文書に岸村伍長木村友右衛門あり。

一三七 同郡白幡村(浦和市) 睦神社明治三十六年碑に白幡・木村米吉・木村徳太郎・木村新次郎・木村藤次郎・木村金次郎あり。

一三八 同郡木崎村(浦和市) 土豪にて、芝村長徳寺文書に「武蔵州足立郡木崎郷之産有・木村六右衛門者、書写金剛経十卷、寄進当山以為二親追善、維時慶長十七年九月十一日」と見ゆ。

一三九 同郡大宮町 明治三十五年理髪店木村松之助あり。

一四〇 同郡大谷領別所村(大宮市) 上尾村氷川社安政二年御神燈に別所木村与右衛門。稲荷社明治十四年幟碑に木村与吉・木村半蔵あり。

一四一 同郡深作村(大宮市) 氷川社明治四十一年碑に木村金三郎あり。

一四二 同郡並木村(大宮市) 氷川社明治三十八年碑に木村三平あり。

一四三 同郡飯田新田(大宮市) 八幡社正徳三年弁天碑に木村弥兵衛。稲荷社明治二十七年水天宮碑に飯田新田木村藤蔵・木村庄太郎・木村造酒蔵あり。

一四四 同郡上尾町 明治三十五年干饂飩製造木村藤吉あり。

一四五 同郡原市町(上尾市) 明治三十五年菓子商木村与惣次あり。

一四六 同郡平方村(上尾市) 橘神社明治十一年御神燈に木村忠次郎あり。

一四七 同郡小泉村(上尾市) 明治四十年信徒総代木村庄吉あり。

一四八 同郡桶川町 明治三十五年陶器商木村喜助・建具職木村銀蔵あり。

一四九 同郡東間村(北本市) 深井村寿明院寛政九年寄付帳に東間新田木村喜八.。浅間社明治四十年碑に木村龍吉・木村九太次あり。

一五〇 同郡深井村(北本市) 寿明院寛政九年寄付帳に当村木村文治郎・木村惣五郎。鴻巣町勝願寺明治三十五年馬頭尊に深井木村甚左衛門あり。

一五一 同郡鴻巣領別所村(北本市) 深井村寿明院寛政九年寄付帳に別所村・木村弥平二・木村嘉助・木村彦五郎・木村源蔵あり。

一五二 同郡鴻巣町 市ノ縄村宝暦七年弁財天碑に宮地・町・木村清左衛門。貴族院多額納税者議員互選人名簿に大正十四年木村柳蔵・明治十六年生・国税千七百三十一円・県下八十一位あり。

一五三 同郡上谷村(鴻巣市) 深井村寿明院寛政九年寄付帳に上谷村・木村長兵衛・木村善右衛門・木村儀兵衛あり。

一五四 同郡滝馬室村(鴻巣市) 氷川社明治三十九年碑に木村秀三郎・木村政吉・木村末吉あり。

一五五 同郡箕田村(鴻巣市) 追分地蔵堂正徳四年地蔵尊に箕田村木村六右衛門。真名板村薬師堂嘉永七年筆子碑に箕田木村安五郎。氷川八幡社天保十二年鳥居碑に箕田郷中宿木村元五郎、明治十三年幟碑に木村金助・木村清之丞、明治二十五年鳥居碑に木村周吉、明治二十七年御神燈に木村福松あり。

一五六 同郡吹上村 明治四年組頭木村金兵衛。明治三十五年菓子製造八百屋木村政次郎。吹上神社明治四十三年碑に木村清作・木村政次郎あり。

一五七 入間郡中福岡村 長宮氷川社明治二十七年正殿碑に中福岡木村吉太郎あり。

一五八 同郡川崎村(上福岡市) 氷川社隣文久三年仙元碑に川崎村木村源蔵・木村伊三郎。明治三十六年土方職木村菊造あり。五戸現存す。

一五九 同郡大井村 明治十五年質屋木村新次郎・文化七年生あり。

一六〇 同郡亀久保村(大井町) 地蔵院寛政十一年宝篋印塔に当所木村孫八・木村庄右衛門。明治四十四年若者名簿に木村資三郎・木村高次郎あり。二戸現存す。

一六一 同郡所沢町 明治七年議定書に木村鉄五郎・木村もと・木村清次郎・木村伊右衛門あり。

一六二 同郡久米村(所沢市) 長久寺嘉永二年棟札に小工木村勇右衛門あり。

一六三 同郡城村(所沢市) 城村は滝ノ城と称し北条氏照に属す。当時人家は七軒なりて、池田・金子・長倉・野村・木村・伊藤・外一軒なりと云う。明治十年誓約証に木村佐兵衛・木村国蔵・木村仲右衛門・木村兼吉。城山神社明治十九年碑に城村木村辰蔵・木村栄蔵あり。七戸現存す。

一六四 同郡南永井村(所沢市) 本郷村東福寺明治九年御神燈に南永井村木村仲右衛門。明治二十年茶業に木村仲右衛門・木村斧太仁・木村歌次郎・木村助三郎あり。十戸現存す。

一六五 同郡北野村(所沢市) 北田文書正徳四年宮座々配に木村五左衛門。天神社安永七年文書に「奉造物部天神、杣木挽当所木村五左衛門広忠」。明治三年議定書に地頭花井領下組木村善五郎。明治八年狭山学校議定証に木村谷五郎あり。七戸現存す。

一六六 同郡北入曽村(狭山市) 明治二十五年入間川町地租額調に北入曽村木村斧右衛門・木村吉右衛門・木村与右衛門あり。十九戸現存す。

一六七 同郡川越町 日蓮宗行伝寺過去帳に「道三・木村殿者・戌年五月。妙真・木村孫次内・戌年五月。妙存・木村徳右衛門母・亥年十二月」と、江戸初期なり。御嶽社明治三十年碑に木村猪之助・木村松太郎。福岡村水天宮明治三十三年碑に菓子製造業川越南町木村兼吉。明治三十五年袋物商木村亀吉・米穀商桝屋木村猪之助・材木商木村強作。三芳野神社明治四十年碑に木村猪之助あり。

一六八 同郡古谷本郷(川越市) 八幡社明治三十八年碑に古谷村木村永三郎あり。二戸現存す。

一六九 同郡藤倉村(川越市) 当村文化五年地蔵尊に木村権左衛門・木村丑松。天神社明治四十一年碑に日東村木村伊助・木村清作・木村平次・木村仙三・木村清七・木村福太郎あり。他村住人か。一戸現存す。

一七〇 同郡塚越村(坂戸市) 明治二十二年埼玉勧業会員木村馬吉あり。二戸現存す。

一七一 同郡長岡村(坂戸市) 石坂村明治二十八年碑に長岡・木村富三郎あり。八戸現存す。

一七二 同郡青木村(坂戸市) 宝珠寺天保三年地蔵尊に青木村木村万右衛門あり。現存無し。

一七三 同郡欠ノ上村(坂戸市) 明治二十五年開墾台帳に木村又次。当村明治三十三年石橋供養塔に木村喜三郎・木村叟吉あり。三戸現存す。

一七四 同郡岩井村(毛呂山町) 出雲伊波比神社安永八年御神燈に毛呂郷平山村前組講木村長兵衛。明治九年岩井村立会人木村代三郎。明治二十二年毛呂村会議員岩井村木村豊三郎あり。八戸現存す。

一七五 同郡毛呂本郷 妙玄寺文久元年地蔵尊に木村佐代吉あり。十二戸現存す。

一七六 同郡大久保村(毛呂山町) 明治九年百姓総代木村滝三郎。明治三十一年川角村会議員木村亀吉あり。現存無し。

一七七 同郡滝ノ入村(毛呂山町) 白川家門人帳に安政七年滝ノ入村大工木村作次郎あり。五戸現存す。

一七八 同郡阿諏訪村(毛呂山町) 明治二十四年阿諏訪懐古碑(潰れ百姓)に「木村長右衛門・是皆一時富盛之家、其亡滅也」と。二戸現存す。

一七九 同郡今市村(越生町) 法恩寺天保十一年頼母子講に木村政右衛門あり。二戸現存す。

一八〇 同郡上野村(越生町) 多門寺天保二年盤子銘に上野邑木村長兵衛あり。四戸現存す。

一八一 同郡如意村(越生町) 字六反田寛政十二年庚申塔に木村儀兵衛・木村孫兵衛。明治二十八年水神講に木村三五郎あり。十三戸現存す。

一八二 同郡黒山村(越生町) 明治三年議定連印帳に木村浅吉あり。現存無し。

一八三 高麗郡飯能町 真能寺村広渡寺文政八年供養塔に木村紋次郎母。相州大山阿夫利神社下社嘉永四年御神燈に飯能町織物商講中木村新兵衛。明治四年真能寺村足袋商仕立屋木村藤吉・同村翫物商木村熊太郎・同村種物商木村松五郎。明治九年久下分村副戸長荒物商木村新五郎・天保七年生。八幡社明治十七年水鉢に原町木村松五郎・木村藤吉。明治三十五年飯能町荒物商木村平吉・染物商木村松五郎あり。

一八四 同郡赤沢村(飯能市) 土豪にて、星宮神社棟札に「元亀二年二月三日、妙見大菩薩宮棟札、施主加治修理太夫、木村左馬助」と銘あり。加治条参照。一戸現存す。

一八五 同郡横手村(日高市) 当村元文三年地蔵尊に横手村木村庄右衛門・木村助左衛門あり。五戸現存す。

一八六 同郡上広瀬村(狭山市) 明治五年田畑名寄帳に木村伊平・組頭木村茂四郎。根岸村水富神社明治四十三年碑に水富村木村茂重あり。三戸現存す。

一八七 同郡的場村(川越市) 八坂社明治二十年御神燈に木村喜三郎あり。五戸現存す。

一八八 比企郡平沼村(川島町) 字細郷天保六年馬頭尊に木村武兵衛・木村仙蔵・木村善四郎。氷川社嘉永六年水鉢に木村喜四郎、明治十九年鈴銘に木村次三郎。明治九年副戸長木村留四郎・文政六年生、副戸長木村竹次郎・文化九年生あり。十三戸現存す。

一八九 同郡牛ヶ谷戸村(川島町) 字冨田寛文九年庚申塔に牛ヶ谷戸村木村左右衛門。錫杖寺天明五年地蔵尊に富田木村定右衛門。釘無村明治十九年馬頭尊に牛ヶ谷戸村木村豊吉あり。七戸現存す。

一九〇 同郡松山町 松山神社文政十二年御神燈に上町木邑徳次郎・木邑佐吉、横町木村嘉右衛門。箭弓稲荷社天保六年棟札に上町木村三郎右衛門。明治三十五年営業便覧に菓子商木村常五郎・篩荒物問屋木村国太郎・米穀商木村春吉・穀肥料炭商沢口屋木村和造・小間物商近江屋木村亀之助・鰹節乾物商高田屋木村万治あり。

一九一 同郡福田村(滑川町) 明治九年議定書に木村惣之助あり。五戸現存す。

一九二 同郡羽尾村(滑川町) 当村に此氏多く存す。羽尾七騎由来書(小林文書)に「文和二年より小田原出勤・年寄木村日向守、永正十一年より天文二十年迄・年寄木村数馬之助、天正二十年より・木村五郎左衛門・木村金右衛門、元和九年迄・木村五郎左衛門子甚五左衛門、正保五年迄・年寄木村五左衛門、元文七年迄・名主木村金右衛門・名主木村縫殿之助・木村内蔵之助。寛文四年古来居屋敷覚、木村五郎左衛門子五左衛門・子仁兵衛、五左衛門兄与次右衛門子金右衛門」と。また、羽尾七騎来歴書(小沢文書)に「天正二十年より元和九年迄・名主木村五郎衛門・甚五左衛門迄仕候、元和八年より正保五年迄・年寄木村五左衛門、正保五年より・名主木村金右衛門、寛文七年・年寄木村金右衛門・若年寄木村縫殿助・若年寄木村内蔵之助」と見ゆ。諏訪社延宝九年文書に羽尾村木村五郎左衛門。享保十三年上野文書に日光伝馬役一匹、平・木村甚右衛門。享和三年設楽文書に羽尾村稲荷山木村新兵衛。当村文政七年巡拝塔に平・木村内蔵助母。野原村文殊寺嘉永元年大銀講に羽尾村木村重次郎。明治十三年小学校生徒に文治弟木村平吉・十一歳、波治長男木村玉太郎・十三歳、石太長男木村春吉・七歳。消防組員に木村文吉・安政二年生、木村石太・嘉永元年生、木村万吉・嘉永五年生、木村米三郎・元治元年生あり。

一九三 同郡菅谷村(嵐山町) 野原村文殊寺嘉永元年大銀講に菅谷宿木村勘左衛門・木村三吉。広野村川島鬼鎮神社慶応二年筆子碑にスカヤ・木村千代吉・木村三吉あり。十一戸現存す。

一九四 同郡古里村(嵐山町) 兵執神社明治二十三年碑に木村松吉・木村豊次郎、明治三十一年碑に木村和七・木村文六郎あり。現存無し。

一九五 同郡平村(都幾川村) 滝ノ鼻公園明治三十一年太子講に宿組木村徳次郎あり。一戸現存す。

一九六 同郡小川町 八宮神社文化五年御神燈に木村源兵衛。明治十四年本街一丁目消防委員木村仁三郎。明治三十五年魚鳥商木村要吉あり。

一九七 横見郡谷口村(吉見町) 稲荷社天保十二年水鉢に木村重年、嘉永三年幟碑に木村清助(名主)。明治十一年第八十五国立銀行株主・農業木村清夫・安政二年生・三十株三千円所有(県会議員)あり。九戸現存す。

一九八 同郡今泉村(吉見町) 金剛院明治十五年碑に木村峯蔵あり。一戸現存す。

一九九 同郡上銀谷村(吉見町) 薬師寺明治二十九年水鉢に木村源次郎・木村半五郎あり。五戸現存す。

二〇〇 同郡久保田村(吉見町) 明治十二年豆腐屋木村喜十郎あり。三戸現存す。

二〇一 大里郡熊谷宿 熊谷旧家祖先に天正慶長頃に木村隼人・木村勘解由あり、林条参照。宝暦十年新宿南屋敷持主木村平四郎。高城神社天保十二年紺屋碑に下町木村虎吉。賢勝院明治十四年妙法講に当駅木村金二郎。明治三十五年営業便覧に足袋商木村熊次郎・飲食店木村善吉・同木村重太郎・同木村ミツ・米穀商木村弥兵衛・建具職木村兵蔵・理髪店木村伊之吉・農具商木村徳次郎あり。

二〇二 同郡久下村(熊谷市) 風土記稿下久下村条に「小名将監屋敷、今は川欠となれり。里正喜左衛門が祖先木村将監が屋敷跡と云ふ」と。行田史譚に「下久下村。寛永年中名主木村市三郎、享保六年名主木村市三郎」と見ゆ。明治九年久下村副戸長木村吉右衛門・弘化二年生あり。九戸現存す。

二〇三 男衾郡野原村(江南町) 文殊寺嘉永元年大銀講に野原村木村与右衛門、明治二年碑に当所木村清三郎・木村孫七.。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に野原木村貞次郎あり。十八戸現存す。

二〇四 同郡富田村(寄居町) 明治九年地租改正地主総代木村倭市。牟礼村長昌寺明治十二年筆子碑に富田村木村房司・木村新助・木村恵助あり。九戸現存す。

二〇五 同郡本田村(川本町) 明治三十三年船水車所有木村市太郎あり。六戸現存す。

二〇六 幡羅郡妻沼村 聖天旧記に「文禄三年女沼郷古百姓木村民部文左衛門」と見ゆ。聖天宮文政十年門前碑に中町木村治郎左衛門あり。一戸現存す。

二〇七 同郡弥藤吾村(妻沼町) 聖天旧記に「弥藤吾村草分農民にして、延宝年間・木村新兵衛」あり。二戸現存す。

二〇八 同郡葛和田村(妻沼町) 大龍寺安政五年水鉢に木村蔦右衛門あり。二戸現存す。

二〇九 同郡善ヶ島村(妻沼町) 信州木曽御嶽山清滝不動尊弘化四年碑に武州幡羅郡善ヶ島村木村清兵衛あり。四戸現存す。

二一〇 同郡三ヶ尻村(熊谷市) 幸安寺嘉永六年碑に当所木村長十郎。龍泉寺元治元年馬頭尊に木村喜市・木村万五郎・木村兼吉・木村七五郎・木村三徳、明治十一年算額に当所木村馬吉盈永。八幡社慶応二年碑に木村徳左衛門あり。七戸現存す。

二一一 同郡西別府村(熊谷市) 名主木村源左衛門の先祖は深谷上杉氏家臣と伝える。安楽寺宝永七年庚申塔に木村八郎兵衛。別府小学校東南の文久三年庚申塔に木村勘治郎。湯殿神社明治元年富士嶽碑に木村周作・木村喜十郎。明治九年副戸長木村周作・天保十二年生あり。六戸現存す。

二一二 同郡下増田村(熊谷市) 大里郡神社誌に「近殿神社神札を元禄七年に木村吉重が寄付す」と見ゆ。九戸現存す。

二一三 同郡上奈良村(熊谷市) 豊布都神社嘉永五年御神燈に木村嘉太郎政利あり。一戸現存す。

二一四 同郡東方村(深谷市) 熊野社明治三十年碑に木村茂十郎。原郷楡山神社明治四十二年碑に東方村木村駒太郎あり。八戸現存す。

二一五 同郡原郷(深谷市) 当村に此氏の旧家あり。十六戸現存す。

二一六 同郡宮ヶ谷戸村(深谷市) 無量寺万延元年仙元碑に木村佐五郎・木村孫兵衛・木村文七・木村瀧右衛門・木村嘉吉。東方村熊野社明治三十年碑に宮ヶ谷戸・木村貞次郎・木村佐五郎・木村京太郎・木村今次郎。明戸村会議員に木村文七・嘉永三年生、木村貞次郎・明治四年生あり。七戸現存す。

二一七 同郡本田ヶ谷戸村(深谷市) 東方村熊野社明治三十年碑に本田ヶ谷戸・木村源次郎・木村七五郎・木村芳五郎。幡羅村会議員に木村儀市・明治三十八年生、木村覚一・明治三十八年生あり。六戸現存す。

二一八 同郡明戸村(深谷市) 明治八年田島村富士嶽碑に明戸村木村松蔵。明治九年副戸長木村平十郎・天保十年生。原郷楡山神社明治四十二年碑に明戸木村勇八.。深谷町呑龍院明治四十五年馬頭尊に明戸木村吉五郎。明戸村会議員に木村平十郎・天保十年生、木村甚太郎・明治四年生、木村孫平・明治二十年生、木村喜代治・明治三十五年生あり。十二戸現存す。

二一九 同郡沼尻村(深谷市) 明治四年備前堀史料に沼尻村組頭木村喜平・小前惣代木村直吉。明治九年副戸長木村喜平・文政三年生。原郷楡山神社明治四十二年碑に沼尻木村喜曽八.。明戸村会議員に木村熊太郎・明治十三年生、木村駒太郎・明治三十四年生あり。七戸現存す。

二二〇 榛沢郡深谷宿 東源寺宝暦二年庚申塔に木村作之丞。明治三十五年荒物商木村富之助・小間物商木村弥兵衛・下駄商木村八蔵。深谷市長糸繭商木村一郎・明治三十五年生あり。

二二一 同郡中瀬村(深谷市) 中瀬神社明治四十一年碑に木村与吉・木村弥十郎・軍人木村亀作あり。四戸現存す。

二二二 同郡新戒村(深谷市) 大里郡神社誌に「新戒村古櫃神社の神職は、木村多仲と云ひ紀伊守を唱ふ、後当村を退転す。天正年中の書類に浅間社明神宮大夫持とあるにより、木村家は其頃既に神職たりしならん、或は古櫃神社勧請当時より奉仕せる家柄たりしも知べからず。木村多仲・延享五年許状紀伊藤原宗憲、文化四年紀伊藤原本広、嘉永二年紀伊藤原都宗」と見ゆ。田島村明治八年富士嶽碑に新戒村木村利平。字落合蚕影神社明治二十九年水鉢に木村利平。新会村会議員に木村利平・天保十二年生、木村誉之・明治二十八年生、木村吉蔵・明治三十三年生あり。十一戸現存す。

二二三 同郡北阿賀野村(深谷市) 私塾師匠医師木村光・号元a退庵・天保五年没・七十八歳あり。現存無し。

二二四 同郡下手計村(深谷市) 字宥前廓文政二年庚申塔に木村作左衛門あり。七戸現存す。

二二五 同郡高畑村(深谷市) 円能寺明治三十二年筆子碑に木村茂七.。大正七年金井元治碑に当村木村寛太あり。一戸現存す。

二二六 同郡内ヶ島村(深谷市) 永光寺明治四十年碑に木村長三郎あり。三戸現存す。

二二七 同郡矢島村(深谷市) 木村司郎家位牌に「初代開徳院賢明法眠恭治居士・寛元二年没、二代法心院開覚得術居士・文永三年没、三代安心栄昌居士・正安元年没、四代啼林尽鳥居士・元徳二年没、(此の間、百年程無し)、五代満山凉台居士・文安五年没、六代浮法良舟居士・文明十八年没、七代送園梅香居士・永正三年没、八代菊山露香居士・弘治三年没、九代暗峰秋陰居士・元和四年没、十代塵外了心居士・寛文五年没、十一代木村次郎右衛門牛之介・宝永二年没、十二代次郎右衛門・元禄二年没、十三代源左衛門牛之介・元禄十四年没、十四代想右衛門・正徳元年没、十五代源左衛門・寛保三年没、十六代想右衛門・宝暦六年没、十七代惣右衛門・明和六年没、十八代惣右衛門・寛政十二年没、十九代源左衛門・天保二年没、二十代源左衛門・明治三年没、二十一代源松・明治二十九年没、二十二代和太・明治十九年没、二十三代忠五郎・大正三年没、二十四代為吉・昭和四十二年没、二十五代司郎・平成四年没」と見ゆ。明暦二年検地帳に案内人源右衛門あり、名主なり。所有高一位の岡部五右衛門(本名滝沢)に次ぐ大地主にて、村内二位に源右衛門あり。牛之介も大地主なり。慶福寺文化十二年碑に木村源右衛門、天保二年碑に木村金之丞、嘉永四年碑に木村幾四郎。神明社弘化三年御神燈に木村源左衛門、安政二年御神燈に木村粂之助、明治三十一年水鉢に木村弁蔵。備前堀史料に弘化四年組頭木村源左衛門、明治二年組頭木村源左衛門、明治三年組頭木村金七郎。上州榛名神社明治四十年御神燈に武蔵国大寄村矢島木村忠五郎。大寄村会議員に木村為吉・明治二十八年生、木村準一・明治三十二年生、木村吉太郎・明治三十二年生。矢島村史料に「○木村喜曽八(寛政九年生)―粂八(文政三年生)―伊之吉(嘉永二年生)―鹿太郎(明治二年生)、明治九年田畑一町歩。○木村喜曽八―喜六(文政十年生)―幾次郎(慶応三年生)、弟源三郎(明治五年生)、弟森八(明治八年生)、明治九年田畑九反三畝十三歩。○木村源左衛門―金七―源松(文政十一年生)―和太(嘉永四年生)、弟太平(安政二年生)、明治九年田畑二町五反七畝二十一歩。○木村金七次男新七(天保元年生)―弁蔵(安政五年生、実父上敷免村高田勘平)―新作(明治九年生)、明治九年田畑九反七畝二十二歩。○木村六郎右衛門―三蔵(文政九年生)―庄五郎(嘉永五年生)、弟巳之助(安政四年生)、弟幾太郎(慶応二年生)。○木村佐太郎―栄吉(慶応元年生、実父当村黒沢伊蔵)」あり。九戸現存す。

二二八 同郡田中村(川本町) 土豪にて、文禄四年検地帳に「木村分」と見ゆ。二戸現存す。

二二九 同郡針ヶ谷村(岡部町) 弘光寺天明四年供養塔に木村源八・村役人木村金平。用土村明治十三年仙元碑に針ヶ谷村木村松太郎あり。六戸現存す。

二三〇 同郡後榛沢村(岡部町) 東光寺嘉永二年二十三夜塔に木村浅五郎あり。七戸現存す。

二三一 同郡瀧瀬村(本庄市) 明治九年副戸長木村丈吉・文政八年生。戸森村明治十四年福田家門人碑に堀田村木村丈吉あり。字堀田に四戸現存す。

二三二 同郡小和瀬村(本庄市) 安永五年利根川筋絵図面(倉賀野町須賀文書)に一本木河岸船問屋木村又兵衛、天保四年船問屋木村友右衛門。上野台村光厳寺天保十一年供養塔に小和瀬村木邑皆吉。稲荷社明治四十四年碑に木村和三郎・木村才次郎・木村鶴松あり。九戸現存す。

二三三 同郡牧西村(本庄市) 明治九年議定連印簿に木村伊八郎あり。二戸現存す。

二三四 児玉郡本庄宿 円心寺元禄八年鐘銘に木村弥右衛門。石川剣道場門下生に寛政五年本庄宿住・河内村出身・木村佐兵衛。牧西村嘉永五年供養塔に本荘宿木村国蔵。明治五年諸井文書に上町准副戸長木村三郎平。明治三十五年古着商木村三郎平・同商木村三郎治・同商木村茂七・鍬柄師木村由太郎・理髪店木村惣作・青物商木村彦三郎・菓子屋木村重太郎・糸繭商木村勝太郎あり。

二三五 同郡西五十子村(本庄市) 本庄宿石川剣道場門下生に寛政五年西五十子村木村八百蔵。明治四年議定書に木村喜平・木村松五郎・木村藤市、明治九年に木村新吉あり。五戸現存す。

二三六 同郡西富田村(本庄市) 金鑚神社明治四十年幟碑に木村房吉あり。十二戸現存す。

二三七 同郡田中村(本庄市) 医王寺宝暦十一年庚申塔に田中村前田中・木村権兵。一之神社天保三年庚申塔に木村文蔵・木村吉五郎・木村彦右衛門・木村惣右衛門・木村惣七・木村四郎次、天保六年御嶽碑に木村和次郎・木村熊蔵・木村伝蔵・木村伊五郎。下真下村金佐奈神社慶応元年御神燈に田中村木村福太郎。明治九年立会人木村伊三郎あり。十五戸現存す。

二三八 同郡山王堂村(本庄市) 日枝社年不詳に木村弥次右衛門・木村儀左衛門・木村国蔵・木村半右衛門・木村庄兵衛、明治十七年碑に木村庄平・木村辰五郎・木村春吉。明治九年立会人木村庄平あり。八戸現存す。

二三九 同郡児玉町 八幡社享保十一年鳥居碑に木村貞右衛門・木村金左衛門・木村又兵衛、延享二年御神燈に木村庄兵衛、明治二十三年御嶽講に木村幸八、明治三十五年碑に木村杢太郎・木村幸八・木村鍋一郎・木村亀吉・木村意三郎。本庄宿石川剣道場門下生に寛政五年八幡山木村岩五郎。明治三十五年呉服商木村幸八・飲食店木村弥寿蔵・菓子商木村宗次郎・木村杢太郎。明治四十四年東上鉄道株主木村幸八・百四十株、木村善太郎・百二十株、木村鍋一郎・百十五株所有あり。

二四〇 同郡入浅見村(児玉町) 阿弥陀堂安政七年庚申塔に木村佐吉、万延元年碑に木村彦左衛門。明治十一年副戸長木村為蔵あり。九戸現存す。

二四一 同郡蛭川村(児玉町) 当村に此氏の旧家あり。十六戸現存す。

二四二 同郡稲沢村(児玉町) 稲聚神社伝来記に「稲聚神社々掌木村三郎兵衛源家胤記す。其祖先出自、宇多天皇後胤佐々木秀義六世之孫佐々木宗清、宗清之子雅楽輔家胤・登大和国吉野大峰為両部修験、雅楽輔家胤長子曰大峰坊清学、清学之子至峰本坊津島改姓青木、津島之子大峰坊荒村、荒村之子峰本坊清学、清学之子至三郎左衛門源道秋改姓木村、已後代々以木村之姓続焉、曰三郎左衛門了泰、曰文左衛門青峰、曰弥右衛門清寿、曰稲三郎道語、曰三郎左衛門米吉、曰三郎兵衛家胤、至三郎兵衛家胤相続十三代也、三郎兵衛之子清平、孫家胤、皆敬神之心篤、三郎兵衛以天保十年正月三日生」と同社碑に見ゆ。また、児玉記考に「○旧家木村三郎平、当大字稲沢木村姓の大本家にして、其祖佐々木秀義六世の孫宗清の末子佐々木家清・始めて修験となり大峰坊と称す。孫青木大峰坊津師に至り、応永六年当地に来り土着し姓を木村に復す。通称を世々三郎平と云、連綿十三代、一族九戸、旧幕時代は地頭大久保の名主役を勤む。○旧家木村徳兵衛、木村半蔵、先代を徳兵衛、半兵衛と云ひ、地頭大久保、戸田家の名主組頭役を勤続せり」と見ゆ。近江国蒲生郡木村より起る宇多源氏佐々木氏流木村氏は在名にて苗字にあらず。蒲生町大字木村及び隣村に此氏は現存無し。稲聚神社明和四年御神燈に木村徳兵衛、明治三十年碑に木村喜代平・木村半造・木村徳太郎・木村佐次平・木村清八・木村関次郎・木村杢平・木村弥三郎・木村孫作・社掌木村三郎兵衛源家胤。太駄村明治三十年中里鳥三郎碑に稲沢・木村喜代平・木村元吉・木村馬之丞・木村粂吉。駒衣村稲荷社明治三十年碑に稲沢・木村治郎平あり。此氏は古代以来当村居住者なり。三戸現存す。

二四三 同郡河内村(児玉町) 当村に此氏多く存す。木村氏は在名河内氏を称す。児玉党河内権守家行は本名木村氏なり。河内条参照。児玉郡誌に「河内村金鑽神社は永禄年間・河内郷木村次郎五郎の勧請なり。文久三年木村某神主となり河内大和正喜高と称し奉仕せり」と。木村道治家文書に「木村次郎五郎源是利(永禄頃、近江より此所に御移被成候、其節は当村に家居もまれ成事之由也)―木村日向源是行(近江から祖先神を移す)―木村越後守源是之(北条氏直に従仕、同郡雉岡之城、城番等仕候、此時、是之・蓄名馬往来乗之候)」と。往昔伝来記(天明元年、木村文蔵是綱記す)に「御先祖木村次郎五郎殿江州より当村へ被移候は永禄元亀年中前後之頃と申候。其後天正十二年之前後迠は富田十郎吉晴公と申御方御領地之由及承候、其節馬瀬谷制札吉晴、木村越後守殿と有之候書付有之候」と。古代以来当村居住者にて、近江国木村発祥説は地名附会なり。風土記稿河内村条に「旧家者弥惣次、村の名主にて木村なり。先祖を次郎五郎と云ふ、当村の開墾人なり。家系もあらざれば詳なることは知らざれど、天正十年北条の家臣富田十郎吉晴奉りて出せし制札を蔵すれば其家臣にて、且旧家なること證すべし。制札に越後守とあるは則ち次郎五郎なるにや。其文に『右、馬瀬谷有之□殿屋敷竹木共に剪取事堅令停候、天正十年十二月二十七日、木村越後守殿、吉晴花押』の制札あり」と。平安時代末期に児玉党河内氏(本名木村氏)が発祥しており、当村の開墾は其れ以前なり。児玉記考に「○旧家木村喜治、当大字河内開蕀の士木村越後守次郎五郎の正系なり。爾後末葉を文蔵と称し、旧幕の頃は地頭伏見家の名主役を勤め苗字帯刀乗物を許さる。一族三十有八戸皆繁盛を極む。当主も亦村長の職に在る事久しく、郡会議員の名誉職に挙げられる。○旧家木村源蔵、木村峯太郎、先代を源蔵、彦八と云ひ、地頭伏見家・大久保家の名主役を勤続せし家柄なり」と見ゆ。江戸時代は潰屋敷跡へ分家するだけで、三十八戸の多くは天正以前の分家なり。太駄村正徳四年地蔵尊に河内村木村金左衛門・木村弥兵衛。五明村若宮明和七年碑に河内村木村又兵衛。小平村成身院天明年度観音堂施主連名に河内村木村作左衛門・木村吉右衛門・木村喜右衛門妻法輪尼。本庄宿石川剣道場門下生に寛政元年河内村木村庄蔵、寛政五年河内村生にて其頃本庄宿住木村佐兵衛。明治九年戸長木村金七・嘉永六年生、副戸長木村峯太郎・嘉永四年生、副戸長木村今太郎・文政十二年生。太駄村明治三十年中里鳥三郎碑に河内・木村金七・木村喜治・木村長吉・木村要平・木村孫平・木村新七・木村大吉・木村弥嘉蔵・木村金八.。金鑚社明治三十六年碑に木村伝平・木村軍平・木村峯太郎・木村勘五郎・木村元之助・木村忠二・木村作次郎あり。

二四四 同郡新宿村(神川町) 一項参照。児玉記考に「○旧家木村梅次郎、源姓にして佐々木家の臣山口将監の正系なり。延元年間、御嶽城主長井豊前守に仕へ、慶長十九年長井家亡び当城破却となるに及び姓を木村に改む。爾後世々黒田豊前守の家臣となり、彦左衛門と通称し代官職を勤め扶持五十石を宛て行はれ苗字帯刀乗物を許されたる名門にして家系連綿たり、享保年間焼失して系統書を烏有に帰す。○旧家木村佐重郎、先代を友蔵と云ひ、有名なる甲源一刀流の剣士にして門生千有余名を率ひ、旧幕の頃は黒田豊前守に仕ひ十五人扶持を宛て行はれ士分に列せられ、又名主組頭役を勤めたり。○旧家木村豊太郎、木村九蔵、木村勝五郎、木村芳五郎、当寄島字木村家の一族なり。其祖坂上田村麻呂に出づ、鼻祖を是宗と称し江州木村郷に住し木村を以て姓となす。是宗子なし、宇野七郎親治の子是治を養へ嗣となす。後、治郎五郎是利に至り難を避け当地に来り住す、爾来連綿たり。旧幕の頃は互ひに名主組頭役を勤続せり」と見ゆ。前項の次郎五郎是利の子孫説、及び近江木村発祥説は附会なり。高麗郡中山村山崎家譜に「黒田領新宿邑郷役人木村五郎衛門は元文二年六月二十九日於岡邑、御陣屋造営に依て一同御役御免、為平人」と。石重寺宝暦十二年宝篋印塔に木村彦治郎政春。秋山村本覚院文政四年宝篋印塔に寄島村木村周蔵。万延元年武術英名録に神武一刀流武州八幡山在与利島村木村友三政順。明治七年副戸長木村次郎。明治九年戸長木村友三・文政四年生(名主木村利左衛門の養子)、副戸長木村富蔵・天保十年生、副戸長木村徳次郎・文政九年生。蚕業功労者木村九蔵・明治二十九年没あり。十八戸現存す。

二四五 同郡渡瀬村(神川町) 土豪にて、文禄三年渡瀬之郷坪入帳に「木村」と見ゆ。明治四年戸籍に木村兵平あり。現存無し。

二四六 同郡新里村(神川町) 慶応四年大惣代木村右衛門。明治五年小前議定書に木村惣八・木村市五郎・木村久次郎・木村兼次郎・木村杢重郎・木村半蔵・木村小重郎。明治二十一年皇国武術英名録に奥山念流新里村木村喜太郎あり。九戸現存す。

二四七 同郡沼上村(美里町) 古郡村安光寺嘉永元年地蔵尊に沼上村木村勇七あり。現存無し。

二四八 同郡阿那志村(美里町) 当村に此氏多く存す。明治六年役人名籍帳に「立会人木村金太郎・四十七歳・反別二町五畝六歩、旧役人木村伊太郎・三十二歳・反別一町九反八畝二十一歩」。明治九年小前惣代木村金七.。河輪神社明治十三年御嶽碑に当所・木村佐平・木村清八・木村金七・木村由五郎・木村喜十郎・木村嘉十郎・木村留蔵・木村伊太郎・木村馬吉・木村喜平次。明治二十一年皇国武術英名録に真ノ真石川流阿那志村木村正司・木村喜一あり。

二四九 同郡小茂田村(美里町) 明治十三年小池文書に木村幸四郎・木村島吉・木村栄吉あり。五戸現存す。

二五〇 同郡下児玉村(美里町) 明治十三年小池文書に下児玉村木村源七郎あり。四戸現存す。

二五一 那賀郡大仏村(美里町) 羽黒社明治二十一年富士碑に当所木村定次郎あり。二戸現存す。

二五二 同郡小平村(児玉町) 秋平小学校明治三十二年碑に小平・木村伊勢松あり。現存無し。

二五三 賀美郡七本木村(上里町) 当村に此氏多く存す。石川流師範木村政右衛門源邇豊(源蔵、政豊、天保十年没)。本庄宿石川剣道場門下生に天明五年七本木村木村峯八・木村惣八、寛政四年七本木村木村幸治郎・木村菊八・木村庄太郎。明治二十一年皇国武術英名録に真ノ真石川流七本木村木村金吾あり。

二五四 同郡嘉美村(上里町) 明治二十一年皇国武術英名録に真ノ真石川流賀美村木村金吾あり。五戸現存す。

二五五 同郡堤村(上里町) 字堀ノ内安政五年庚申塔に木村文蔵、年不詳庚申塔に木村亀右衛門・木村文蔵・木村歌吉・木村米吉・木村茂右衛門・木村鷲五郎。明治初年議定書に木村乙次郎・木村浪十郎・木村文八・木村市太郎・木村亀作・木村倉吉・木村利平・木村歌吉・木村佐平次・百姓代木村文蔵。明治十一年副戸長木村利平あり。十六戸現存す。

二五六 同郡毘沙吐村(上里町) 金久保村陽雲寺武田家遺臣碑(明治三十年)に「木村刑部大輔源重政の後裔、新町木村定七」と。明治四年群馬県新町茂木文書に毘沙吐村組頭木村定七・木村岩太郎・木村長太郎・木村忠次郎・木村兵松・木村弥太七・木村久蔵・木村峯吉あり。当村住民は洪水により全員新町へ移住す。

二五七 同郡元阿保村(神川町) 当村明治三十年碑に当所木村広吉・木村平重あり。四戸現存す。

二五八 同郡四軒在家村(神川町) 阿那志村河輪神社明治十三年御嶽碑に四軒在家村木村利太郎あり。現存無し。

二五九 同郡植竹村(神川町) 日枝社明治三十一年碑に木村留吉あり。四戸現存す。

二六〇 同郡八日市村(神川町) 当村に此氏の旧家あり。八戸現存す。

二六一 秩父郡坂石村(飯能市) 中山村智観寺万延元年本堂再建覚書に畳屋我野中尾木村助次郎あり。九戸現存す。

二六二 同郡坂本村(東秩父村) 当村明治三十六年筆子碑に木村市太郎あり。一戸現存す。

二六三 同郡皆野村 寛保三年香具仲間連名帳に木村信吉・木村忠吉。明治三十五年旅館越後屋木村献作あり。八戸現存す。

二六四 同郡金沢村(皆野町) 西光寺天保十五年鐘銘に金沢村木村永十郎あり。二戸現存す。

二六五 同郡小鹿野町 明治十二年荒物商木村芳五郎。明治三十五年小間物商木村タラ・安宿木村喜三郎あり。四戸現存す。

二六六 同郡下吉田村 金剛院明治三十年筆子碑に木村松四郎あり。二戸現存す。

二六七 同郡大滝村 当村に此氏多く存す。明和安永年間秩父郡記に新大滝村名主木村幸太夫・同村名主木村半左衛門。三峰神社史料集に「寛政八年新古大滝村々役人寄進一札、名主木村平次郎、年番木村平兵衛、名主木村喜左衛門、組頭木村源次。文化四年小双里名主木村吉兵衛。文政三年祭礼、三十場木村兵三郎、落合木村七左衛門、小双里木村喜左衛門、塩平木村喜代次郎。慶応二年、小双里村木村金兵衛、三十場村木村右近」と見ゆ。享和三年滝之橋寄進覚に新大滝村木村平七・木村作次郎・木村林之助。天保三年小双里組鎮守宮寄進覚に鶉平木村周吉・木村円蔵、廿六木木村長十郎・木村松五郎・木村蔦五郎、椚平木村角五郎、宮ノ平木村おいち、三十場木村兵三郎・木村文之助、落合木村要・木村久米吉。一里観音元治元年碑に木村久兵衛。明治四年新大滝村落合名主木村儀平・木村茂十郎、小双里組頭木村軍次郎、三十場木村源八、塩平木村金蔵、廿六木木村喜代次郎・木村蔦五郎・木村仲次郎。明治九年新大滝村戸長木村延蔵、副戸長木村軍次郎。新大滝村鶉平戸籍に「○木村平七―兼吉(天保八年生)―半平(文久二年生)。○木村角五郎―養子恭三郎(安政二年生)」。明治八年大滝小学校生徒取調に木村幸次郎長男久次郎・文久三年生、木村延蔵弟紋蔵・文久元年生、塩平木村兼吉長男半平・文久二年生、廿六木木村主馬五郎二男三津蔵・慶応三年生、木村寅三郎弟平十郎・慶応元年生。明治十年大滝村屋番号に「巣場木村兵吉・木村百三郎・木村林吉・木村貞三郎・木村粂吉・木村郡吉・木村泰二郎、落合木村幸次郎・木村延蔵・木村新太郎・木村彦四郎・木村茂平・木村龍孔・木村源次、三十場木村孝造、廿六木木村市次郎・木村瀧次郎・木村嘉十郎、小双里木村軍次郎・木村寅三郎・木村与吉・木村主馬太郎、塩平木村兼吉、椚平木村泰三郎」あり。

二六八 同郡三峰村(大滝村) 三峰神社史料集に「元禄八年、三峰山大権現年貢帳、玄蕃と孫左衛門は門前居移の者にして、先師達並に屋敷地持申候、三峰山代々名主役木村玄蕃・千島孫左衛門」と。天保十一年三峰山観音院家来木村右近日記。明治五年観音院家来木村勝五郎・四十九歳・大里郡村岡村木村仙蔵長男。明治六年三峰村徴兵取調に木村源二郎長男邑吉・安政二年生、木村卯吉長男園吉・安政四年生、同人二男和市・安政六年生。明治十一年副戸長木村庄太郎、副戸長木村勝太郎、総代人木村源次郎、木村宇吉、木村卯吉、木村与四郎、木村楠次郎。明治二十八年諏訪神社宮廻連名帳に木村弥太郎・木村百六・木村常次郎あり。三戸現存す。

二六九 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・木村隆三郎・三十二円・二十八円、木村たけ・二十六円、木村傳夫・二十二円、木村定治・十七円、美谷本村(戸田市)・木村恒三・百八十四円、鴻巣町・木村柳蔵・千二百三十六円・二百八十円、所沢町・木村まつ・二十一円・四十七円、川越市・木村万平・百一円・四十八円、木村猪之助・八十円、木村正作・十一円・三十六円、木村松吉・十円・三十円、日東村(川越市)・木村喜三郎・十一円・二十三円、川角村(毛呂山町)・木村長次郎・十一円、水富村(狭山市)・木村茂重・十六円・十六円、松山町・木村万治・十三円・三十二円、小川町・木村茂三郎・四百四十七円・百九十七円、小見野村(川島町)・木村要太郎・二十七円、東吉見村・木村清夫・百六円、越ヶ谷町・木村まつ・六十円・七十七円、粕壁町・木村藤助・五十一円・六十七円、太田村(久喜市)・木村楳平・十二円、加須町・木村浅七・三十円・七十円、木村惣治・二十三円、不動岡町(加須市)・木村喜三郎・十四円・二十二円、北河原村(行田市)・木村儀平・十円、長野村(行田市)・木村政之丞・十二円、新郷村(羽生市)・木村伝七・十九円・二十八円、手子林村(羽生市)・木村元吉・百十一円、種足村(騎西町)・木村直衛・十七円、熊谷町・木村保太郎・三十円・三十三円、木村重友・十二円・三十三円、木村宣一・百十一円、木村徳次郎・十円・十六円、木村末蔵・十四円、木村金太郎・十一円、深谷町・木村直平・十一円、明戸村(深谷市)・木村喜曽八・六十六円、別府村(熊谷市)・木村英一・十三円、本庄町・木村三郎平・二百二十一円・百二十五円、木村富蔵・十九円・五十六円、藤田村(本庄市)・木村八五郎・十三円、児玉町・木村鍋一郎・三十五円、青柳村(神川町)・木村九蔵・六十九円、木村梅吉・十八円、本泉村(児玉町)・木村金八・八十一円・十四円、木村軍平・三十七円、木村孫市・三十五円・十一円、木村俵作・十四円、木村弥惣治・十一円」あり。

木邨 キムラ 入間、上福岡、春日部、草加、戸田、新座等に存す。

貴村 キムラ 所沢、草加等に存す。

喜村 キムラ 越谷、与野等に存す。島根県益田市五戸あり。

鬼村 キムラ 大宮に存す。オニムラ参照。

紀村 キムラ 鶴ヶ島に存す。

木村田 キムラタ 高麗郡上広瀬村字木村田あり。狭山に存す。

木牟礼 キムレ 日高に存す。

木室 キムロ 和光、上尾等に存す。

紀室 キムロ 岩手県大船渡市四十戸あり。

木目沢 キメサワ 飯能、新座、戸田、鴻巣等に存す。福島県郡山市二十三戸あり。

木目田 キメダ 大宮に存す。

木杢 キモク 鴻巣、所沢等に存す。

木持 キモチ 男衾郡木持村(寄居町)あり。

一 埼玉郡麦倉村(北川辺町) 八坂社文政十年御神燈に木持庄助・木持藤吉、文久二年幟碑に木持喜右衛門あり。二戸現存す。

二 同郡飯積村(北川辺町) 明治七年船問屋木持政蔵・但明治五年九月創立なり。現存無し。

三 所沢町 岩崎村瑞岩寺明治三十二年地蔵尊に所沢町木持棟運あり。

四 男衾郡小江川村(江南町) 野原村文殊寺明治二年碑に小江川村木持巳之助あり。三戸現存す。

肝付 キモツキ 浦和、大宮、新座、草加、越谷、春日部、岩槻等に存す。

木元 キモト 行田市の大姓なり。秋田県仙北郡角館町十六戸、太田町十七戸、中仙町三十戸、西木村十一戸、南秋田郡天王町十戸、若美町五十戸、青森県北津軽郡中里町八戸あり。木本条も合わせ見よ。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「忍御賄方・二十俵二人扶持・木元仁右衛門」。享保八年忍藩軍役帳に「二十三俵二人扶持・木本仁左衛門、六十石・木本源五郎、坊主・一人扶持・木本嘉斎」。文化四年忍藩分限帳に「御用部屋物書・木本菅之丞」。文政五年秩父松本日記に秩父代官木本祖右衛門あり。

二 埼玉郡忍町 明治三十五年綿商木元三五郎あり。

三 同郡谷郷(行田市) 薬師堂享保十年塞神碑に木本安兵衛あり。木元氏三戸現存す。

四 同郡中里村(行田市) 当村に此氏多く存す。万福寺明和四年二十二夜塔に木元藤右衛門。薬師堂天明元年供養塔に木元藤左門。大芦村日枝社文化五年普門品に中里村木元清左衛門。明治九年副戸長木元幸次郎・安政二年生。明治十八年最上農名簿に木元幸次郎・耕宅地八町一反歩所有。明治二十九年地租金二百五十円以上大地主名簿に木元幸次郎あり。

五 同郡荒木村(行田市) 当村に此氏多く存す。行田史譚に「荒木村。寛永年中名主木元小左衛門、享保六年名主木元小左衛門、天保元年名主木元小左衛門」。天満宮文政三年塞神碑に木本次郎衛門・木本源兵衛・木本藤吉・木本重五郎、元治元年御神燈に木本治郎右衛門・木本直蔵・木本茂三郎・木本重五郎・木本喜代五郎。明治九年戸長木元伊七郎・嘉永四年生。私塾師匠名主木元伊兵衛・明治十五年没あり。

六 同郡持田村(行田市) 佐間村天神社天保六年御神燈に持田村木本庄八あり。木元氏三戸現存す。

七 同郡上池守村(行田市) 当村に此氏多く存す。行田史譚に「上池守村。寛永年中名主木元八兵衛、享保六年名主木元八兵衛、天保元年名主木元忠左衛門」。明治九年戸長木元直八郎・天保元年生、副戸長木元元次郎・文政六年生。昭和三年興信録に星宮村・木元寿七・所得税二百円あり。

八 同郡上新郷(羽生市) 住吉社文政四年庚申塔に木元佐兵衛。須加村熊野社嘉永五年御神燈に住吉・木本佐兵衛あり。一戸現存す。

九 同郡阿良川村(加須市) 天神社元文三年地蔵尊に木元平左衛門あり。現存無し。

一〇 同郡犬塚村(南河原村) 光照院弘化二年馬頭尊に木本禎吉あり。木元氏一戸現存す。

一一 同郡中江袋村(南河原村) 剣神社寛延二年宇賀神碑に木本太右門、寛政八年塞神碑に木元十右衛門あり。二戸現存す。

一二 同郡広田村(川里町) 真名板村薬師堂明治十年水鉢に広田・左官職木元祐助・木元平八あり。現存無し。

一三 同郡下川上村(熊谷市) 当村嘉永六年御嶽碑に木元留八あり。七戸現存す。

一四 大里郡石原村(熊谷市) 明治十四年村議木元丑太郎。明治三十五年糸繭商木元喜三郎・荒物商木元金太郎あり。一戸現存す。

一五 幡羅郡妻沼町 明治三十五年小間物商木元祥次郎あり。一戸現存す。

一六 足立郡原馬室村(鴻巣市) 観音堂明治三十四年馬頭観音碑に地元・木元峯吉あり。二戸現存す。

木本 キモト 茨城県つくば市三十戸、新潟県西頚城郡名立町五戸あり。コノモト参照。

一 忍城士の木本氏 成田分限帳に「十五貫文・木本三郎兵衛」あり。

二 羽生町 上羽生村毘沙門堂宝暦七年常夜燈に新田組木本平重郎、天保十一年石華表碑に新田組木本直三郎。明治九年副戸長材木商木本太左衛門・文政三年生あり。三戸現存す。

三 足立郡下内野村(大宮市) 大倭神社明治四十二年碑に木本栄照あり。

四 飯能町 諏訪八幡社正徳二年狛犬に木本九郎兵衛嘉敬あり。

五 熊谷宿 宝暦十年新宿北屋敷(筑波町)持主木本次左衛門。筑波町聖天宮安政三年桶屋中・木本七五郎。秩父郡横瀬村気楽流柔術加藤門弟に熊谷新宿木本新太郎。明治三十五年古物商木本和吉あり。

六 寄居町 明治三十五年機大工木本仙吉あり。

七 男衾郡赤浜村(寄居町) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

八 秩父町 昭和三年興信録に木本八十八・所得税十二円あり。

城本 キモト 所沢に存す。シロモト参照。

喜元 キモト 川口に存す。

鬼本 キモト 三郷に存す。

騎本 キモト 所沢に存す。

木許 キモト 浦和、大宮、蓮田、志木、三郷、入間等に存す。

紀本 キモト 越谷、松伏、戸田、鳩ヶ谷等に存す。青森県西津軽郡深浦町十戸あり。

木守 キモリ 下蛭田村明治四十一年古峰院碑に粕壁町木守柳次郎あり。現存無し。

城守 キモリ 春日部に存す。シロモリ参照。

木森 キモリ 飯能、小川、鷲宮に存す。

一 大里郡久下村(熊谷市) 東別府神社嘉永七年御嶽碑に久下村庭師木森金太郎あり。現存無し。

樹森 キモリ 埼玉郡上村君村(羽生市)大日堂文化七年文字塔に上村君邑樹盛弥五左衛門・樹盛藤左衛門。名主樹森伝次郎(子孫昌男)あり。二戸現存す。

木谷 キヤ 各市町村に存す。福島県伊達郡保原町七戸、青森県下北郡大間町六戸、青森市十六戸あり。キタニ参照。

木屋 キヤ 浦和、蓮田、三郷、草加、越谷、寄居等に存す。

客井 キャクイ 草加に存す。

瘧師 ギャクシ 熊谷に存す。

客野 キャクノ 行田に存す。島根県八束郡島根町十三戸あり。

喜安 キヤス 草加、杉戸に存す。

木谷田 キヤタ 大井に存す。

喜屋武 キヤタケ 大宮、与野、戸田、越谷、行田、岡部等に存す。

木柳 キヤナギ 上福岡に存す。

鬼柳 キヤナギ 所沢、児玉に存す。岩手県北上市十六戸あり。オニヤナギ参照。

木屋野 キヤノ 川越、毛呂山に存す。

木藪 キヤブ 狭山、日高、久喜に存す。

木山 キヤマ 各市町村に存す。秋田市二十三戸、鳥取県日野郡日南町十三戸、日野町二十二戸、東伯郡東伯町十戸、米子市二十五戸あり。

一 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「十両五人扶持・木山雲八」あり。

二 越ヶ谷町 昭和三年興信録に木山平吉・所得税四十五円あり。一戸現存す。

帰山 キヤマ 各市町村に存す。

鬼山 キヤマ 川口、朝霞、宮代、坂戸等に存す。オニヤマ参照。

城山 キヤマ 大宮に存す。シロヤマ参照。

喜山 キヤマ 熊谷、志木等に存す。

紀山 キヤマ 大井に存す。

木山沢 キヤマサワ 狭山に存す。長野県木曽郡木祖村七戸あり。

木闇 キヤミ 川口、所沢、嵐山に存す。群馬県高崎市二十戸あり。

喜屋武 キヤム 三郷に存す。

喜谷村 キヤムラ 深谷に存す。

喜家村 キヤムラ 上尾に存す。

亀遊 キユウ 川口に存す。

久江 キュウエ 茨城県東茨城郡茨城町十四戸あり。

久家 キュウケ 三芳に存す。クゲ参照。

久古 キュウコ 入間、岩槻に存す。千葉県八日市場市十九戸あり。

久後 キュウゴ 川口に存す。

救護 キュウゴ 上福岡、鶴ヶ島に存す。

久郷 キュウゴウ 上尾に存す。クゴウ参照。

急式 キュウシキ 比企郡下井草村(川島町)に五戸現存す。信州木曽御嶽山清滝不動尊弘化四年碑に武州比企郡井草村急式金五郎。釘無村明治十九年馬頭尊に下伊草村急式半次郎。大聖寺明治三十六年碑に下伊草急式源治郎あり。

久嶋 キュウシマ 入間に存す。クシマ、ヒサジマ参照。

久曾神 キュウソジン 浦和、岩槻等に存す。

久田 キュウダ 狭山に存す。青森県上北郡六戸町十一戸あり。ヒサダ参照。

久徳 キュウトク 川口、浦和、越谷、嵐山、所沢、熊谷、大利根に存す。

休徳 キュウトク 越谷に存す。

喜友名 キユウナ 飯能、春日部、越谷、草加、大宮に存す。キユナ参照。

久野 キュウノ 入間、狭山、三郷、吉川等に存す。水戸市九戸あり。クノ、ヒサノ参照。

弓野 キュウノ 浦和に存す。水戸市十一戸あり。ユミノ参照。

旧部 キュウベ 川口に存す。

久馬 キュウマ 鶴ヶ島、越谷に存す。

給前 キュウマエ 北本に存す。茨城県鹿嶋市二十四戸あり。

久良 キュウラ 川越、朝霞に存す。

久良木 キュウラギ 戸田に存す。クラキ参照。

宮六 キュウロク ミヤロク参照。

久和 キュウワ 川口、鳩ヶ谷、幸手、坂戸、川越等に存す。

喜友名 キユナ 川口に存す。

清 キヨ 所沢、越谷、上里に存す。キヨシ、セイ参照。

一 築比地郷の領主清氏 元応元年別府文書に金沢貞顕使者清式部六郎能定と見え、金沢文庫に「元亨三年、金沢貞顕代円信は、葛飾郡下川辺荘築地郷の買得地を家人烏子中務次郎顕忠が逐電の後は、清式部四郎左衛門尉職定後家を定む」と見ゆ。

清荒 キヨアライ 川口に存す。

清井 キヨイ 浦和、北本、幸手、富士見、所沢等に存。セイ参照。

清家 キヨイエ 浦和、飯能に存す。セイイエ、セイケ参照。

清石 キヨイシ 朝霞に存す。

清泉 キヨイズミ 上尾に存す。

京 キョウ 川越、所沢、春日部に存す。秋田県能代市二十戸あり。

経 キョウ 浦和に存す。

経江 キョウエ 埼玉郡下村君村(羽生市)鷲神社懸仏銘に「天正十八年九月吉日、武州大田埴生之庄村君郷鎮守経江大明神」とあり。風土記稿に「経江は古江の假借なるべし」と見ゆ。この説は誤りなり。古江条参照。

行重 ギョウエ 比企郡平村字行重(都幾川村)あり。イエ条参照。

行衛 ギョウエ 足立郡北原村字行衛(川口市)は古の村名なり。同所稲荷社天保九年水鉢に赤山領行衛村と見ゆ。

教円島 キョウエンジマ 武蔵志に「幡羅郡新島村(熊谷市)、往古教円島と云ふ」と見ゆ。

京尾 キョウオ 入間に存す。

京角 キョウカク 越谷、草加に存す。

京ヶ島 キョウガシマ 山梨県甲府市六戸あり。

経ヶ島 キョウガシマ 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣にて、慶安元年岩槻藩軍役積に「六百石・経ヶ島平兵衛」あり。

行形 ギョウカタ 昭和三年興信録に川越市・行形定治・所得税十三円あり。ナメカタが正訓か。現存無し。

京兼 キョウガネ 朝霞に存す。

京柄 キョウガラ 川口に存す。

京川 キョウカワ 所沢に存す。

一 忍城士の京川氏 成田分限帳に「十七貫文・京川左平太」あり。別本に市川と見ゆ。

喬木 キョウキ 茨城県鹿嶋市八戸。

行木 ギョウキ 所沢に存す。ナメキ参照。

京口 キョウグチ 越谷に存す。

京久野 キョウクノ 三郷に存す。島根県八束郡美保関町十一戸あり。

京久保 キョウクボ 志木に存す。

京極 キョウゴク 各市町村に存す。秋田県仙北郡協和町五戸、西仙北町十四戸、河辺郡雄和町二十八戸、秋田市三十戸あり。

京才 キョウサイ 浦和に存す。

京西 キョウサイ 上尾に存す。

京坂 キョウサカ 新座に存す。

京崎 キョウザキ 戸田に存す。

京澤 キョウサワ 花園に存す。

京下 キョウシタ 新座に存す。

京島 キョウジマ 春日部、鴻巣、熊谷に存す。甲府市四十戸あり。

京嶋 キョウジマ 越谷に存す。

京嶌 キョウジマ 浦和に存す。

京須 キョウス 千葉県成田市十八戸。

京相 キョウソウ 蓮田に存す。千葉県山武郡山武町十戸あり。

京僧 キョウソウ 川越に存す。

京増 キョウゾウ 川口、富士見に存す。千葉県印旛郡酒々井町三十一戸あり。キョウマス参照。

京田 キョウダ 埼玉郡下忍村字京田あり。川口、志木、吉川、三郷、春日部、越生、富士見、所沢等に存す。

経田 キョウダ 川口に存す。

行田 ギョウダ 埼玉郡行田町あり、延文六年市場祭文写に崎西郡行田市祭と見ゆ。上野国碓氷郡行田村(松井田町)はオクナダと称し、下総国豊田郡行田村(茨城県下妻市)は滑田とも書き、ナメタと称す。長野県北佐久郡軽井沢町二十九戸、諏訪郡原村五十三戸あり。コウダ、ナメタ、ユキタ参照。

一 成田氏流行田氏 行田市史に「成田助広の三男助忠は、源義経の軍に従い一ノ谷の合戦に軍功を顕し行田の地を賜った。これが行田氏の祖である。而して行田の地は、現在の内行田から成田曲輪の一帯であった。吾妻鑑の行田兵衛尉とあるのは助任の事である。行田兵衛尉の長男を為助、次男を助員、三男を助行という。助行は成田小三郎といい、京都に上り医を学び後醍醐天皇の侍医となる。行田氏は、為助の子に家忠があり大いに栄え、忍開城の時にも行田氏の名が見える」とあり。吾妻鑑卷二十五に「承久三年六月十四日、宇治合戦に手負の人々、行田兵衛尉」と見ゆ。成田系図に「成田太郎助広―五郎助忠(寿永二年義経従軍)―次郎兵衛助任―兵衛太郎為助―又太郎家忠、為助の弟兵衛尉助員、弟三郎左近丞助行」と見ゆ。但し、行田氏の名は見えず。

二 忍城士の行田氏 成田分限帳に「七十石・行田半蔵」あり。石高で表示されている者は他国衆が多い。半蔵は次項の下総国出稼衆か。

三 下総国の行田氏 豊田郡行田村より起り、ナメタと称す。下妻市円福寺記録に「永正十三年、下総国豊田郡三十三郷、行田宮内、行田村主」と。子孫は古河公方足利氏に仕える。喜連川家料所記に「天正二年十二月、下総国下幸島いゝつ島(茨城県岩井市)・行田掃部助」と見ゆ。

四 川越藩松平大和守家臣 前橋藩文久三年分限帳に「老体・二十石四人扶持・行田次介、御物頭・三百石・行田忠之丞、小納戸・百石十人扶持・行田鍬作」。慶応二年御家中住口記に「行田修・結城以来の臣、善左衛門二男行田次介・先祖宝暦十一年御抱」と、ナメダと註す。下総国行田城主の子孫行田大和から出で、結城晴朝の臣となり、吉政の代に松平直基の家臣となる。ナメタ参照。

五 埼玉郡中岩瀬村(羽生市) 稲荷社大正三年碑に行田丑蔵・行田長吉あり。三戸現存す。

京谷 キョウタニ 川口、浦和、桶川、北本、鴻巣、菖蒲、越谷、川越、坂戸等に存す。キョウヤ参照。

暁谷 ギョウタニ 蕨、松伏に存す。

京地 キョウチ 草加に存す。

清内 キヨウチ 賀美郡金窪城主斎藤攝津守定盛の家臣なり。群馬県新町茂木文書に「十月十七日、駿州御死去之由、昨十六極暮申来候、誠驚入、御力落無是非次第候、清内御弓前、定盛花押」と見ゆ。

京近 キョウチカ 大宮に存す。

京塚 キョウヅカ 新座郡浜崎村字京塚、入間郡水子村字京塚、比企郡長楽村字京塚、秩父郡白石村字京塚。

経塚 キョウヅカ 宝治二年新渡戸文書に高麗郡東平沢村経塚屋敷(日高市)と見ゆ。入間郡上浅羽村字経塚、古市場村字経塚、比企郡古池村字経塚あり。川口、浦和、鳩ヶ谷、草加、幸手、越谷、加須、鳩山、狭山、坂戸等に存す。

京手 キョウテ 埼玉郡小林村字京手、新座郡上新倉村字京手あり。

京田 キョウデン 坂戸に存す。

行天 ギョウテン 熊谷に存す。

業天 ギョウテン 越谷に存す。

京藤 キョウドウ 川口、草加、所沢、江南等に存す。

京堂 キョウドウ 狭山に存す。

京徳 キョウトク 入間、新座に存す。

行徳 ギョウトク 北本、上尾、朝霞、嵐山、熊谷、所沢、川越等に存す。

京野 キョウノ 各市町村に存す。福島県喜多方市十一戸、宮城県宮城郡松島町六戸、桃生郡鳴瀬町九戸、山形県新庄市十三戸、秋田県雄勝郡雄勝町十戸、仙北郡六郷町六戸、南秋田郡五城目町九戸、秋田市四十五戸あり。

興野 キョウノ 大宮、上尾、白岡、越谷、春日部、富士見、狭山等に存す。茨城県久慈郡里美村二十戸、東茨城郡常北町二十戸、日立市二十戸あり。オキノ、コウノ参照。

行之内 ギョウノウチ 三芳、加須等に存す。

行場 ギョウバ 新座、白岡に存す。宮城県本吉郡志津川町十四戸あり。

京橋 キョウバシ 本庄に存す。

刑部 ギョウブ 大宮、宮代、幸手、越谷、狭山、川越等に存す。新潟県新発田市六戸あり。オサカベ参照。

京増 キョウマス 浦和に存す。千葉県印旛郡酒々井町五戸、成田市七戸あり。キョウゾウ参照。

京松 キョウマツ 所沢に存す。

清海 キヨウミ 熊谷に存す。

京峰 キョウミネ 岩槻に存す。

京村 キョウムラ 大宮に存す。

京牟礼 キョウムレ 岩槻に存す。

教明 キョウメイ 幡羅郡東方村(深谷市)熊野社明治三十年碑に教明フデあり。二戸現存す。

京免 キョウメン 狭山に存す。

京本 キョウモト 春日部、三郷、白岡等に存す。

京盛 キョウモリ 入間に存す。

京谷 キョウヤ 川口、大宮、上尾、桶川、新座、吉川、草加、越谷、岩槻、川越等に存す。秋田県南秋田郡天王町三十戸、青森県下北郡大畑町五戸あり。キョウタニ参照。

京家 キョウヤ 新潟県佐渡郡相川町八戸あり。

京屋 キョウヤ 大宮に存す。秋田市二十戸あり。

行屋 ギョウヤ 幡羅郡玉井村字行屋(熊谷市)は古の村名にて、三熊神社安永八年庚申塔に行谷講中と見ゆ。足立郡大門宿字行谷あり。

暁谷 ギョウヤ 所沢に存す。

清浦 キヨウラ 川越、狭山、北本、都幾川等に存す。

一 草加町 明治三十五年小間物商清浦八十市あり。現存無し。

清岡 キヨオカ 川口、浦和、大宮、蕨、和光、吉川、三郷、春日部、草加、行田、所沢、川越等に存す。

清川 キヨカワ 福島県原町市十戸、岩手県下閉伊郡山田町十三戸、二戸郡一戸町十二戸、青森県八戸市百六十戸あり。

一 鉢形城士の清川氏 鉢形分限帳に「本国讃州大内・清川主計、本国勢州朝明・清川将監」。秩父案内記に清川将監・大滝村土着とあり。神流川合戦記に「天正十年六月、鉢形衆清川三太夫」と見ゆ。但し、伊勢国に清川氏は現存無し、分限帳は信用出来ず。

二 秩父郡古大滝村 明和安永年間秩父郡記に古大滝村名主清川孫市。享和三年滝之橋寄進覚に古大滝村清川孫右衛門。天保三年小双里組鎮守宮寄進覚に小西・清川七兵衛。天保六年滝之橋勧化帳に岡本神庭・清川富五郎・清川安二郎。三峰神社史料集に「寛政八年村役人寄進名主清川孫衛門、文化四年岡本清川孫右衛門、文政三年岡本清川恒五郎、明治五年古大滝村名主清川孫衛」。明治八年生徒取調に古大滝村原滝小学校・清川七平孫長男芳三郎・明治元年生。明治九年戸長酒造業清川孫衛。明治十年大滝村屋番号に岡本・清川幸蔵・清川藤二郎・清川孫衛・清川竹松・清川約五郎・清川寅二郎、神庭・清川安太郎、土打・清川亀三郎あり。十四戸現存す。

三 同郡白久村(荒川村) 安政三年横田文書に白久村割役格名主清川宗右衛門。文久二年加藤文書に白久村割役格名主清川宗兵衛。三峰神社慶応二年文書に白久村名主清川惣兵衛。明治元年小林文書に白久町名主清川宗兵衛あり。三戸現存す。

四 粕壁町 明治三十五年酒商清川定吉あり。現存無し。

五 葛飾郡堤根村(杉戸町) 天然寺享保九年地蔵尊に上新田・清川弥右衛門あり。現存無し。

清河 キヨカワ 川口、富士見、所沢、上福岡、川越等に存す。

喜代吉 キヨキチ 富士見に存す。

曲 キョク 川口に存す。

清久 キヨク 蕨に存す。

一 大河戸氏流清久氏 埼玉郡清久村(久喜市)より起る。秋田藩太田系図に「太田四郎行光―大河戸下総権守行方―清久二郎秀行(兄太郎広行)―小二郎左衛門尉秀綱(弟鬼窪五郎行盛)―次郎胤行―弥二郎秀胤―又次郎左衛門尉祐行―小次郎左衛門尉秀言。胤行の弟下清久四郎師綱―四郎二郎行氏(弟寺崎四郎三郎行茂)―小次郎行綱―孫次郎国行」と。尊卑分脈に「大河戸行方―清久三郎秀行―三郎兵衛尉秀綱―弥二郎秀胤」と。結城系図に「大河戸行方―清久太郎広行―広綱―秀衡(一本に季衡)」と見ゆ。上清久村雷電社及び常徳院附近を清久城と称す。清久村郷土誌に「清久次郎・根拠を此処に定むるや、その臣瀬田五郎をして加吾宿(水深村字籠宿)の地を、藤本太郎をして藤本(上清久村字藤本)の地を、小河原某をして赤旗(下清久村鎮守赤幡社)の地を開かしむ。元弘三年北条氏滅亡するや清久氏また滅びて、瀬田・藤本・小河原某等皆農に帰す」と見ゆ。吾妻鑑卷二十五に「承久三年六月十四日宇治合戦に敵を討つ人々に清久左衛門尉。同年八月二日、清久五郎行盛・子息太郎は下向す」と。行盛父子は鬼窪氏なり。卷四十に「建長二年三月一日、清久左衛門が跡」。典籍古文書に「建治元年五月、武蔵国・清久左衛門尉跡六貫を京都八幡宮の造営役を負担す」と。吾妻鑑卷四十一に「建長三年正月二十日、北条時頼の随兵に清久弥二郎秀胤」。卷四十三に「建長五年八月二十九日、下総国下河辺庄の堤防修築の奉行に清久弥次郎保行」と。鎌倉円覚寺文書に「建武元年、清久弾正左衛門尉を以て、円覚寺塔頭正続院の奉行とす」。太平記卷十三に「中先代蜂起の時、北条時行に従ふ兵に清久山城守あり」。七卷冊子に「建武二年七月、北条時行、諏訪の宮祝部頼重、清久等は、久米河・女影ヶ原にて官軍を破り鎌倉に向ふ」と。太平記卷二十四に「康永四年八月二十九日、足利尊氏天龍寺供養の従兵に清久左衛門次郎」。天龍寺供養日記に「康永四年八月二十九日、清久左衛門次郎泰行」と見ゆ。中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「清久、藤、本国下野、大河戸下総守行方男・次郎秀行、称之」とあり。下野国都賀郡出身の出稼衆なり。大河戸条参照。

二 陸奥国宮城郡の清久氏 吾妻鑑卷四十六に「建長八年六月二日、奥州路の盗賊横行を路地の地頭を警備せしむ。清久右衛門二郎・以上二十四人に御沙汰あり」。宮城郡留守氏文書に「弘安八年二月十三日、高柳孫四郎・清久弥次郎入道浄心、早く大河戸左衛門尉宗信をして、陸奥国宮城郡山村、伊与国恒松名地頭職を領地せしむ事」と見ゆ。高柳、朴沢(ほうさわ)条参照。

三 丹波国の清久氏 承久乱の戦功により、清久胤行は貞応二年六月丹波国私市庄(綾部市、福知山市)の新補地頭となる。下野国芳賀郡茂木村の茂木氏系図に「茂木三郎知氏―三郎知貞入道明阿(文和四年卒。母清久小次郎胤行娘照海尼)」と。茂木文書に「建武四年七月三日、茂木越中権守知貞法師法名明阿は、知貞の母照海は清久小次郎胤行の娘で、胤行が貞応二年に拝領した丹波国私市庄公文職は照海に譲られた後、嘉暦二年に知貞に相伝される」と見ゆ。

四 足立郡の清久氏 小針新宿村(伊奈町)極楽寺跡出土に「暦応四年三月晦夜、清久六郎行重死去」の板碑あり。行重は当村出身にて、清久氏の名跡を継承して清久氏を名乗るか。

五 日蓮宗信徒の清久氏 千葉県中山法華経寺文書に「武蔵国清久住人円鏡法師。円鏡は千葉常胤より四代相伝の舎人が子息」と見ゆ。円鏡父子は在名清久氏を称すか。

曲山 キョクヤマ 川越、本庄に存す。

清黒 キヨクロ 三郷に存す。

清崎 キヨザキ 川口、蕨、与野、和光、所沢等に存す。セイザキ参照。

清里 キヨサト 宮代に存す。

清沢 キヨサワ 各市町村に存す。長野県東筑摩郡朝日村百五十五戸、南安曇郡穂高町五十七戸、塩尻市三十九戸、松本市百六十戸あり。

清澤 キヨサワ 各市町村に存す。

清 キヨシ 入間、川越に存す。

木吉 キヨシ 朝霞に存す。

清重 キヨシゲ 日高、宮代、伊奈等に存す。

清島 キヨシマ 川口、与野、栗橋、幸手、春日部、羽生、東松山等に存す。

一 栗橋宿 栗橋関所廃止の時に番士富田氏跡へ、江戸より江戸町奉行所与力・高百俵清島氏が転入す。明治九年副戸長清島正次郎・天保四年生あり。一戸現存す。

清嶋 キヨシマ 川口、上尾等に存す。

清洲 キヨス 川越、上尾等に存す。

清須 キヨス 三郷、朝霞等に存す。

清棲 キヨス 浦和に存す。

清末 キヨスエ 新座、和光、三郷、久喜、所沢、狭山、坂戸、川越、入間等に存す。

清杉 キヨスギ 狭山に存す。

清住 キヨスミ 草加、桶川、北本等に存す。長野県小県郡丸子町七戸、武石村二十一戸あり。

清瀬 キヨセ 上尾、三郷、草加、春日部、越谷、三芳、大井等に存す。

清田 キヨタ 新潟県両津市十四戸あり。川越町はセイタ条参照。

一 熊谷宿 宝暦十年本町北屋敷持主清田吉郎兵衛あり。三戸現存す。

浄田 キヨタ 比企郡毛塚村(東松山市)明治十六年取調帳に浄田甚五郎あり。現存無し。

許田 キヨタ 川越に存す。

喜代田 キヨタ 浦和、上尾、三郷、草加等に存す。

清滝 キヨタキ 浦和、越谷、春日部、久喜、深谷、入間、川越等に存す。新潟県中魚沼郡中里村十一戸あり。

清竹 キヨタケ 浦和に存す。

清武 キヨタケ 大宮、所沢等に存す。

清谷 キヨタニ 川口、久喜等に存す。

清渓 キヨタニ 川口に存す。

清塚 キヨヅカ 各市町村に存す。群馬県高崎市九十戸、新潟県北魚沼郡広神村二十戸、南魚沼郡大和町二十六戸あり。

清常 キヨツネ 川越に存す。

清都 キヨト 大宮、桶川、戸田、志木、加須等に存す。

清遠 キヨトウ 浦和に存す。

清藤 キヨトウ 川口、浦和、春日部、上福岡等に存す。キヨフヂ、セイトウ参照。

清遠 キヨトオ 鳩ヶ谷に存す。

清時 キヨトキ 越谷、新座等に存す。

清友 キヨトモ 川口、川越等に存す。

清富 キヨトミ 川口に存す。

清永 キヨナガ 浦和、大宮、春日部、毛呂山、所沢、川越等に存す。

清波 キヨナミ 越谷に存す。

清成 キヨナリ 川口、浦和、蓮田、上福岡、川越等に存す。

清野 キヨノ 埼玉郡岩槻領新宿村字清野あり。長野県下水内郡豊田村三十五戸、北佐久郡望月町八戸、佐久市十八戸、新潟県西蒲原郡黒埼町十二戸、燕市十七戸、福島県いわき市十二戸あり。セイノ参照。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「六石四人扶持・清野良助」あり。

二 比企郡桃木村(都幾川村) 字美根文化六年巡拝塔に清野幸助。小杉村文政六年伊勢講に桃木村清野与兵衛。八幡社明治十四年筆子碑に桃木村清野与十郎あり。一戸現存す。

三 深谷町 昭和三年興信録に清野亥之吉・所得税九円・営業税三十三円あり。二戸現存す。

四 秩父郡黒谷村(秩父市) 当村に此氏多く存す。国神神社明治三十四年碑に黒谷・清野米吉・清野相助。横瀬村気楽流柔術加藤門弟に明治四十四年・上黒谷・清野与作・二十二歳あり。

清信 キヨノブ 大宮、与野、新座、富士見、所沢、狭山等に存す。福島県相馬郡小高町十一戸あり。

清橋 キヨハシ 秋田県由利郡西目町十戸あり。

幾世橋 キヨハシ 草加、越谷、行田に存す。福島県相馬郡鹿島町八戸あり。

清原 キヨハラ 各市町村に存す。茨城県稲敷郡江戸崎町二十七戸、美浦村七戸、龍ヶ崎市二十戸、長野県北佐久郡軽井沢町七戸、東筑摩郡山形村九戸、島根県飯石郡掛合町六戸、赤来町六戸、松江市十四戸あり。

一 足立郡の清原氏 峰ヶ岡八幡社文書(川口市)に「弘安五年七月二十三日、清原光兼は、願文を作成し増形八幡座像の胎内に納む」と見ゆ。藤原条参照。

二 忍城士の清原氏 成田分限帳に「二十一貫文・清原団次右衛門」あり。

三 下小鹿野村 字泉田高良神社嘉永六年算額に清原信旭・清原昌治・清原鑑瑗・清原氏次・大工清原義詮あり。当村の清原姓某氏一族か。

清弘 キヨヒロ 庄和、深谷に存す。

清藤 キヨフヂ 川口、浦和、与野、越谷、久喜、日高、所沢、上福岡等に存す。キヨトウ参照。

清部 キヨベ 所沢に存す。

清舛 キヨマス 上尾に存す。

清松 キヨマツ 川口、浦和、八潮、草加、入間等に存す。

清見 キヨミ 大宮、上尾、蕨、蓮田、新座、草加等に存す。

清道 キヨミチ 浦和に存す。長野県上田市九戸あり。

清光 キヨミツ 新座、飯能等に存す。

一 葛飾郡西親野井村(庄和町) 明治三十年人名録に観音寺住職清光実快・弘化四年生あり。現存無し。

清水 キヨミヅ 浦和、蓮田、越谷、春日部、川越等に存す。シミヅ参照。

清宮 キヨミヤ 須佐之男命を祭る須加神社を清宮と称す。セイミヤ参照。

一 足立郡浦和町 明治三十五年青物商清宮鎌蔵。昭和三年興信録に浦和町・清宮堤助・所得税十三円・営業税三十九円、清宮せき・所得税十一円あり。

二 同郡大谷場村(浦和市) 当村に此氏多く存す。当村寛文八年庚申塔に大谷場村清宮利右衛門。新曽村妙顕寺寛政二年碑に矢場村清宮長兵衛。宝性寺弘化二年扁額に当所清宮金次郎。本太村山神社明治三十年碑に大谷場清宮佐七.。御嶽山明治三十四年碑に大谷場清宮伝左衛門あり。

三 同郡本太村(浦和市) 山神社明治三十年碑に清宮市五郎あり。一戸現存す。

四 同郡辻村(浦和市) 明治九年戸長清宮清蔵・文政九年生。芝村慈星院明治十年碑に辻・清宮与吉。浦和町玉蔵院明治三十一年供養塔に辻・清宮市太郎。明治末期に清宮源右衛門・清宮利秋・清宮永平あり。五戸現存す。

五 同郡指扇村(大宮市) 荒沢不動尊享保十一年庚申塔に清宮長兵衛。別所村福正寺寛政八年廻国塔に下郷村清宮政右衛門。氷川社天保十二年御神燈に下郷組清宮亀吉・清宮与兵衛、明治二十年御神燈に下郷清宮喜之太郎あり。十戸現存す。

清村 キヨムラ シムラ条参照。

清元 キヨモト 八潮、北本等に存す。

清本 キヨモト 川口、浦和、大宮、越谷、所沢、川越、熊谷等に存す。

一 入間郡宗岡村(志木市) 志木町敷島社明治初期浅間碑に下宗岡・清本惣治郎あり。現存無し。

清山 キヨヤマ 鳩ヶ谷、蓮田、新座、所沢、岩槻等に存す。

吉良 キラ 新潟県佐渡郡佐和田町九戸あり。

一 足利氏流吉良氏 三河国幡豆郡吉良庄より起る。風土記稿新座郡(和光市)条に「文保年中、親王家より吉良亀松に下し賜ふ文書には、武蔵国新倉郷七百貫云々とのせたり」と見ゆ。足利義氏―吉良義継―継氏―継家―貞家(奥州一方管領)。相模文書に「観応二年十一月二十日、吉良右京大夫貞家は、武蔵国崛戸郷(大里郡大里町)地頭職を鎌倉法泉寺に寄進す」と見ゆ。

二 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「十六石三人扶持・吉良杢太夫」あり。

吉楽 キラ 三郷、吉川、草加、春日部、三芳、所沢等に存す。新潟県中魚沼郡中里村八戸あり。正訓はキラクか。

喜楽 キラ 前橋市十七戸あり。

菊楽 キラ 三芳に存す。

喜来 キライ 志木に存す。

桐 キリ 川口、浦和、蕨、志木、越谷、狭山、毛呂山等に存す。

切明 キリアケ 与野、上福岡に存す。

桐明 キリアケ 吹上、越谷等に存す。岩手県九戸郡軽米町八戸、二戸市十戸あり。

切明畑 キリアケハタ 川口、飯能に存す。岩手県二戸市十戸あり。

桐井 キリイ 川口、浦和、上尾、越谷、入間、深谷等に存す。山形県北村山郡大石田町六戸あり。

切石 キリイシ 浦和、大宮、鷲宮に存す。長野県下伊那郡松川町四戸あり。

桐生 キリウ 川口、浦和、鴻巣、春日部等に存す。キリュウ参照。

霧生 キリウ 入間に存す。キリュウ参照。

桐内 キリウチ 岩手県下閉伊郡川井村十戸あり。

切梅 キリウメ 蓮田に存す。

桐岡 キリオカ 浦和、三郷、狭山等に存す。

切替 キリカエ 桶川、鴻巣、越谷、所沢等に存す。千葉県市原市五十戸、袖ヶ浦市三十五戸あり。

切金 キリガネ 飯能に存す。山梨県西八代郡下部町十二戸あり。

切上 キリガミ 鳩ヶ谷に存す。

桐谷 キリガヤ 浦和、戸田、春日部、所沢等に存す。キリヤ参照。

桐ヶ谷 キリガヤ 比企郡原川分字桐ヶ谷あり。神奈川県逗子市沼間に二十四戸あり。

一 埼玉郡下早見村(久喜市) 太田袋村琴平社文政二年御神燈に下早見村桐ヶ谷善之助。鷲神社天保十年御神燈に桐ヶ谷弥祖八・桐ヶ谷小七.。蓮花院墓碑に私塾師匠桐ヶ谷雪斎・明治八年没、施主桐ヶ谷文治郎あり。八戸現存す。

桐川 キリカワ 久喜に存す。岩手県九戸郡九戸村七戸あり。

一 所沢町 明治四十四年織物商桐川又平あり。現存無し。

桐木 キリキ 秩父郡大野原村字桐木あり。大宮、新座、越谷、本庄、深谷等に存す。新潟県上越市八戸、島根県益田市十七戸あり。

紀陸 キリク 大宮に存す。キロク参照。

切口 キリクチ 新座、志木等に存す。

切久保 キリクボ 長野県北安曇郡白馬村七戸あり。

桐久保 キリクボ 秩父郡浦山村字桐久保あり。

切越 キリコシ 春日部に存す。

桐越 キリコシ 川口、草加、越谷、上福岡、川越等に存す。秋田県山本郡二ツ井町八戸、藤里町二十戸、能代市三十七戸あり。

桐崎 キリサキ 入間に存す。

桐沢 キリサワ 川口、浦和、大宮、上尾、菖蒲、新座、朝霞、草加、越谷、吉見等に存す。新潟県北蒲原郡紫雲寺町二十戸あり。

一 埼玉郡明願寺村(加須市) 正能村諏訪社嘉永五年富士講碑に北明願寺村桐沢半左衛門あり。現存無し。

桐澤 キリサワ 与野、桶川、北本、草加、越谷等に存す。

切敷 キリシキ 足立郡大成村(大宮市)の西に霧敷川あり、切敷川とも記す。上小村田村字切敷へ流れ、下流は鴻沼川と称す。

一 足立郡大成村 稲荷社元禄十四年庚申塔に切式弥左衛門、嘉永七年御神燈に桐鋪幸右衛門・桐鋪馬吉・桐鋪甚右衛門。正能村明治七年富士講に大成村桐鋪孝右衛門。代々名主切敷重右衛門。昭和三年興信録に日進村・切敷安治・所得税十五円あり。十一戸現存す。

二 同郡瀬崎村(草加市) 浅間社天保十三年擬宝珠銘に瀬崎村切敷平八・切敷新右衛門・切敷林之助・名主切敷平六、同年碑に当村原・切舗孫右衛門、慶応□年水鉢に切敷平六・切敷平兵衛。明治九年副戸長切敷平六・天保四年生、副戸長切敷平兵衛・天保十年生。明治四十二年形附業名簿に切敷要助。昭和三年興信録・所得税に谷塚村・切敷誠一郎・十二円、切敷幾太郎・十円あり。十四戸現存す。

桐敷 キリシキ 

一 越ヶ谷町 久伊豆社明治三十二年榛名碑に桐敷安五郎あり。一戸存す。

二 埼玉郡屈巣村(川里町) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

桐島 キリシマ 川口、草加に存す。

霧島 キリシマ 大宮、川越に存す。

切田 キリタ 大宮、所沢に存す。山梨県甲府市九戸あり。

桐田 キリタ 川口、浦和、大宮、鳩ヶ谷、三郷、草加、幸手、越谷、富士見、飯能、所沢、狭山、坂戸等に存す。岩手県稗貫郡大迫町二十三戸、秋田県由利郡金浦町十戸、島根県益田市五十九戸あり。

桐竹 キリタケ 川越に存す。

切谷 キリタニ 川越に存す。

桐谷 キリタニ 浦和、大宮、蕨、北本、草加、朝霞、入間、鳩山、本庄等に存す。キリガヤ、キリヤ参照。

切戸 キリト 山梨県西八代郡下部町九戸あり。

一 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「五石余二人扶持・切戸善六、五石余・切戸平五郎」あり。

切通 キリドオシ 川口、上尾に存す。

切無沢 キリナシザワ 青森県八戸市二十四戸あり。

切無澤 キリナシザワ 越谷に存す。

切貫 キリヌキ 幸手、鷲宮に存す。

桐野 キリノ 各市町村に存す。長野県伊那市八戸あり。

桐葉 キリバ 狭山、和光に存す。

桐場 キリバ 川越に存す。

桐畑 キリハタ 川口、鴻巣、越生、川越等に存す。

桐花 キリハナ 狭山に存す。

桐林 キリバヤシ 川口、所沢に存す。甲府市十戸、鳥取市十戸あり。

切原 キリハラ 草加に存す。

桐原 キリハラ 各市町村に存す。○栃木県塩谷郡喜連川町十一戸。○茨城県久慈郡大子町二十戸、那珂郡那珂町三十八戸、大宮町二十七戸、山方町二十二戸、東茨城郡常北町十四戸、桂村十七戸。○山梨県塩山市三十七戸。○長野県東筑摩郡山形村十九戸、松本市三十五戸。○福島県いわき市十八戸。○秋田県横手市十八戸。○島根県簸川郡佐田町二十五戸あり。

一 丹党桐原氏 秩父郡矢那瀬村(長瀞町)上郷の鎮守に霧明神社あり。武蔵志に「矢那瀬村、桐社・桐原孫三左衛門基氏を祭る」と見ゆ。当村より起るか。武蔵七党系図に「武峰(天慶年中、故ありて武州に配流、秩父郡・加美郡・一井・加世等を押領す)―秩父黒丹五基房(弟孫三左衛門基氏)―高麗五郎経家―□□(桐原)」と。勅使河原氏系図に「秩父三郎大夫武峰―秩父孫三郎基氏」と。中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「桐原、丹治姓、丹四郎冠者武峰の男孫三郎基氏・称之」と見ゆ。

切封 キリフウ 狭山に存す。

桐藤 キリフヂ 浦和に存す。

桐淵 キリブチ 群馬県富岡市五十戸あり。

一 川口町 昭和三年興信録に桐淵森樹・所得税九円あり。現存無し。

二 川越町 御嶽社明治三十年碑に桐淵道一(眼科医)あり。現存無し。

三 深谷町 明治三十五年理髪店桐淵亀吉あり。現存無し。

桐渕 キリブチ 朝霞に存す。

桐部 キリベ 朝霞に存す。

切道 キリミチ 富士見に存す。

桐村 キリムラ 浦和、大宮、鴻巣、新座、草加、所沢、狭山、川越に存す。

桐本 キリモト 上尾、所沢等に存す。

桐谷 キリヤ 各市町村に存す。千葉県香取郡多古町十三戸、市原市八十戸、木更津市三十戸、袖ヶ浦市四十五戸あり。キリガヤ、キリタ二参照。

一 入間郡小久保村(川越市) 石原町観音寺寛文十三年庚申塔に桐谷五兵衛あり。現存無し。

切山 キリヤマ 入間、狭山等に存す。

桐山 キリヤマ 神奈川県秦野市百戸、長野県東筑摩郡麻績村二十五戸、坂北村七戸、新潟県中頚城郡中郷村二十戸、岩手県水沢市十五戸あり。

一 埼玉郡砂原村(越谷市) 不動堂文化二年庚申塔に桐山喜左衛門。明治三十年人名録に桐山菊之助・嘉永六年生・地租三十四円あり。六戸存す。

二 足立郡赤山領立野村(川口市) 西福寺文政二年湯殿山碑に立野・桐山亀治郎、弘化三年百観音に当所桐山弥平次。明治三十五年西立野植木商桐山弥三郎あり。二戸現存す。

三 同郡蕨宿 長泉院宝永五年常夜燈に桐山暉成あり。現存無し。

木竜 キリュウ 大宮、与野、戸田、志木、朝霞、鷲宮等に存す。新潟県豊栄市二十八戸あり。

亀龍 キリュウ 新潟県新発田市四戸。

鬼立 キリュウ 新潟県五泉市七戸。

吉立 キリュウ 越谷に存す。

吉柳 キリュウ 鶴ヶ島に存す。

霧生 キリュウ 神奈川県相模原市八十六戸あり。

桐生 キリュウ 各市町村に存す。群馬県新田郡藪塚本町二十四戸、佐波郡赤堀町三十戸、富岡市五十五戸、栃木県鹿沼市三十五戸、神奈川県秦野市五十八戸、長野県下伊那郡喬木村十二戸、飯田市六十二戸、新潟県岩船郡荒川町十六戸、北蒲原郡中条町五十戸、黒川村百六戸、中蒲原郡村松町五十戸、南魚沼郡六日町五十戸、長岡市四十戸あり。多くは、上野国山田郡桐生村(桐生市)より起る藤原秀郷流桐生氏の末裔と称すが、此れは在名にて苗字にあらず。諸国の桐生氏は古代以来居住の苗字なり。

木了 キリョウ 浦和に存す。新潟県新津市十七戸あり。

紀留川 キルカワ 比企郡羽尾村(滑川町)の羽尾七騎由来書(小林文書)に「文和二年より小田原出勤、御地頭所様上田能登守銅具、山崎右衛門家来紀留川玄庫」と。羽尾七騎来歴書(小沢文書)に「先地頭北条陸奥守殿より上田能登守殿迄、山崎家来・松山へ出勤・肥留兵庫」と見ゆ。紀留川氏及び肥留川氏は現存無し。

喜連川 キレンカワ 上尾に存す。

紀陸 キロク 足立郡箕田村(鴻巣市)真相寺寛政四年供養塔に記録勘三郎・記録政右衛門・記録清兵衛。箕田観音堂文化元年供養塔に宮前村紀録勘四郎。昭和三年興信録に鴻巣町・紀陸芳郎・所得税四十二円あり。箕田村に紀陸氏二戸現存す。

木呂子 キロコ 男衾郡竹沢郷木呂子村(小川町)より起る。風土記稿木呂子村条に「天正十八年小田原攻の時、松山籠城人数の内に木呂子丹波守あり、是はまさしく当所の在名を名乗しならん」と見ゆ。

一 平姓猿尾氏流木呂子氏 比企郡増尾村(小川町)は猿尾庄と称す。当村と大塚村との間に城址あり。平姓木呂子氏家譜に「畠山重忠の後裔・猿尾太郎種直(正慶二年卒)より出り候由。春栄の譜に種直の弟春栄とあり。大塚村に木呂子丹波守殿カキ上城有之」と見ゆ。マシオ条参照。

二 松山城士の木呂子氏 秋元藩岡谷家譜に「永禄三年十二月二十七日、松山領之内大屋郷(東松山市)、其方に出置候。殊下ホソヤ之事(吉見町)、是は代官可申付候、木呂子新左衛門殿、宗調花押」。「(永禄四年頃)、今度武州飯田村(小川町)へ敵働候処、懸合、若林出羽を始めとして十余人討ち捕へ候、誠に高名之至候、大塚之郷任置云々、木呂子新左衛門殿、氏政花押」と。清瀬市上清戸の木呂子昌福文書に「天正三年七月十日、上田長則は、木呂子丹波守に竹沢之郷之内を安堵す」。「天正十八年六月二十日、木呂子下野守殿」と見ゆ。天正庚寅松山合戦図に「御本陣・副将木呂子丹波守友則。雷電山・大谷・平・岡郷・兜山方面城方大将木呂子下野守元忠、木呂子弥三郎、木呂子兵左衛門。本郷・町屋・原・野久・野本方面城方、木呂子新左衛門広久、木呂子勘解由」あり。岡谷家譜に「木呂子丹波守元忠(弟木呂子下野守)―丹波元久(妻難波田因幡守娘)―新左衛門(妻岡谷門左衛門娘)―四男新左衛門(兄嫡男山三郎、兄二男与五左衛門、兄三男与右衛門元正)―新左衛門(兄善兵衛元重)―勘兵衛。元忠の弟木呂子下野守(後帯刀と申候)―清兵衛―清兵衛―幸右衛門」と。平姓木呂子氏家譜に「木呂子丹波守元忠(室上田能登守長則女。弟日遠は身延山僧、其弟下野守則貞は小田原滅亡後・百人組与力として歴仕・維新に至る)―丹波守新左衛門元久(鳥居土佐守家中、室難波田因幡守憲次女)―新左衛門元次(これより秋元但馬守家中、室岡谷門左衛門泰勝女)、元次の弟兵左衛門―清兵衛久庵―清兵衛」と見ゆ。清兵衛は比企郡日影村を離れ、居屋敷は現在清田家となる。清田家墓地に「是信院久庵日清居士・木呂子丹波守末孫兵左衛門之子息俗名木呂子清兵衛・元禄四年正月二十四日」。日影村東光寺寄進状に「貞享元年五月二十八日、木呂子久庵老、同清兵衛」と見ゆ。

三 日蓮宗信徒の木呂子氏 鎌倉妙本寺過去帳に「木呂根丹波守妙賢入道。木呂根丹波守法賢入道。法賢・武州松山丹波守父。法賢・木呂子丹波守入道之・永禄二年七月。妙英・木呂根丹波守女、妙経・同内室。道信・木呂子信三郎。妙道・松山父、妙要・同母。仏性院日要・松山。寿慶院妙覚・木呂子丹波守娘・天正十八年六月・十五歳・河越山川弥兵衛尉内」。松山条参照。秩父郡御堂村浄蓮寺過去帳に「日明・木路子タンハ・十二月。妙賢・木呂子・弘治三年三月。妙光院法照・キロコ母・辰年二月。法蓮・木丹・文禄二年七月」。川越行伝寺過去帳に「法蓮・木呂子丹波・巳年七月」。比企郡日影村東光寺木呂子家位牌に「木呂子丹波守・天正三年七月十日。木呂子下野守・天正十八年六月二十日」。東光寺過去帳に「法賢大居士・木呂子丹波守。法蓮・文禄ノ比・木呂子丹波守。是信院蓮住・木呂子勘解由・兵左右衛門父。種智院日明・木呂子丹波守甲州ニテ死去・寛永五年五月。道覚大居士・木呂子氏・寛永十二年四月十日。智徳院妙祐・木呂子丹波守後室・慶安四年二月。賢喜院法春・木呂子太郎左門・寛文十二年十一月。千光院宗順・木呂子与右門。是信院久庵日清・俗名木呂子清兵衛・木呂子丹波守末孫兵左門子息・元禄四年正月二十四日。十如院宗是日法・木呂子清兵衛父・享保十年三月四日」とあり。平姓木呂子氏家譜に「丹波守元忠(日影村東光寺、法名法蓮)―新左衛門元久(秋元氏に仕へ、寛永五年五月八日没、甲州谷村東漸寺に葬、法号種智院)―元次―元方―元正(正徳五年卒・七十八歳、川越行伝寺、慧光院慈明日勇居士)―元重(宝暦十年卒・九十三歳、行伝寺、信行院晩終日給庶m)―元珍(宝暦八年卒・五十一歳、行伝寺、寿量院智□日清居士)、弟元敏(宝暦十一年卒・四十四歳、如法院宗勇日健信士)―元明―元貰―元常―元孝―元春、弟鉞弥」と見ゆ。

四 川越藩秋元氏家臣 前項参照。秋元藩木呂子善兵衛家譜に「木呂子は増尾太郎種直より出り候、平氏、木呂子は在名。祖々父木呂子丹波守殿松山落居之時節、末子兵右衛門召連上方筋へ徐被申候、後永井信濃守へ仕ふ。祖父丹波殿、父新左衛門殿・岡谷と縁組により秋元家臣となる、高三百石・木呂子善兵衛」と。北海道帯広市の木呂子家古文書に「木呂子丹波守(妻上田能登守娘)―新左衛門(妻難波田因幡守娘)―与右衛門(秋元氏に仕ふ)―理右衛門(宝永七年秋元氏に召出る)」と。天保二年山形旧家取調帳に「高三百石・初代木呂子与五左衛門(寛永十年惣社より谷村へ御所替の節、御帳に有り)、二代与右衛門、三代善兵衛(百五十石)、四代与右衛門、五代藤蔵、六代与右衛門、七代善兵衛」と。明治四年館林藩士族帳に「御馬廻・百二十石・木呂子弥猛」あり。

五 山形藩佐竹氏家臣 平姓木呂子氏家譜に「木呂子丹波守(妻上田能登守娘)―新左衛門(鳥居氏家臣、妻難波田因幡守娘)―新左衛門(鳥居氏家臣、後秋元但馬守家臣、妻岡谷門左衛門娘)―与右衛門(秋元氏家臣にて、長男善兵衛方に罷在)―長男善兵衛、弟二男理右衛門・弟三男源太右衛門の兄弟は佐竹様へ被召出候。正徳三年五月十五日」と見ゆ。

六 幕臣木呂子氏 ふるさとめぐり(山田稔著)に「木呂子氏は松山落城後、日影村に土着し、屋敷跡は現在でも木呂子屋敷といい、その宅地を貰った清田氏が住んでいる。木呂子丹波守平元忠は、その後、秋元氏に仕へ、二代以降消息をたつ。丹波守に二人の弟があり、一人は日遠上人、次を下野守平則貞という。日遠上人の子孫は現主木呂子敏彦氏の父が北海道に渡る。下野守は江戸に出て徳川氏に仕へ旗本寄騎となり幕末まで続き、子孫は東京清瀬の木呂子昌福氏である」と。昌福氏所蔵に「下野守則貞(寛永十二年三月八日卒・法名道覚大居士)」とあり。

七 木呂子氏の本名 平姓木呂子氏家譜に「松山の諸将木呂子・金子・難波田・山田等は加賀利家に降り、先鉾して岩槻・忍・沼田等の諸城を攻落し、夫より京都に登る。又身延山大柱に木呂子丹波守寄付と彫付有之由申伝ふ。永井信濃守の招に応じて暫時、淀に居住せしが、彼の家滅却の後京都に引籠れり、武州日影村東光寺過去帳に法号法蓮とあり。弟に僧日遠あり」と見ゆ。日遠は寛永十九年池上で寂し、墓は日蓮上人と並んである。山梨県南巨摩郡身延山久遠寺伝に「日遠上人、字を尭順と云ひ、心性院と号し、又別に一過と云ふ。俗称石井氏、京都の人で父を了言と云ふ、上人に了雅、了具の兄弟あり云々」と見ゆ。日遠兄弟は本名石井氏なり。男衾郡畠山村の旧家石井氏は鍛冶神の石井稲荷社を祭り、千葉県長生郡長柄町金谷在住の鍛冶師石井氏は畠山重忠の子孫と伝えている。畠山村の石井氏は鍛冶頭領畠山氏の本名にて、猿尾庄へ移住して猿尾氏を名乗り、木呂子村を所領として木呂子氏を称す。また、同書に「比企郡大塚村に木呂子丹波守殿カキ上城有之候。大塚村居住の木呂子清兵衛は小山清兵衛と改名す」と見ゆ。仕官する者は在名木呂子氏をそのまま名乗り、土着する者は本名小山氏に復姓す。本名小山氏の丹波守・兵左衛門父子は、本名石井氏の木呂子氏名跡を継承して木呂子氏を称す。

木脇 キワキ 上尾、戸田、宮代、朝霞等に存す。

木分 キワケ 北本に存す。

木綿 キワタ 狭山に存す。コワタ参照。

木和田 キワダ 浦和、越谷に存す。

木綿織 キワタオリ 三郷に存す。

金 キン 朝鮮半島南部の金海の金官伽耶は、スエナラ(かねの国、てつの国)の意味で、金首露は金海の鉄山を支配した鍛冶族の首領である。新羅王金氏は鍛冶族である。キムが正訓なり。渡来人は金羅(キムラ)の佳字である木村氏を称す。各市町村に存す。岩手県大船渡市二十二戸、陸前高田市十五戸あり。コン条参照。

一 埼玉郡の金氏 続日本紀に「天平五年六月二日、埼玉郡の新羅人徳師等五十三人に金姓を賜ふ」と見ゆ。

二 秩父郡の金氏 続日本紀に「和銅元年正月、武蔵国秩父郡・和銅を献る。天下によろこびの詔りをたまわく、冠位を上げ賜ふ、無位金上元に従五位下を授く。和銅二年十一月、従五位下金上元を伯耆守に任ず」と。原谷村誌に「秩父郡黒谷村において銅を採掘精錬したのは、新羅系の金上元であった」と見ゆ。羊条参照。

三 小野姓横山党の金氏 小野系図に「横山経兼―光致(筑紫の金祖)―致範(永保年中、鎮西下向)」と見ゆ。多摩郡小野郷の小野氏は渡来人の金氏なり。

金武 キン 川口に存す。キンタケ参照。

金家 キンイエ 朝霞に存す。

近賀 キンガ 草加に存す。

黄壁 キンカベ 北本に存す。

金川 キンカワ 浦和に存す。

銀川 ギンカワ 幸手に存す。

金亀山 キンキザン 紀州熊野那智山文書に「応永六年三月十日、旦那者、武州上足立一円、同金亀山一円、奇西、比幾之郡引候共、足立名字をも何国より参候共、可有御知行候」と見ゆ。足立郡小室郷別所村金亀山法光寺(伊奈町)に「武州足立郡小室郷奉造立弥陀三尊・金亀山法光寺本堂再興・天文二十四年十一月十五日」とあり。また、大宮氷川神社の社僧観音寺は文政三年新四国札所順帳に「七十九番、大宮宿金亀山観音寺」とあり。また、蕨宿に金亀山三学院あり。足立郡金亀山一円とは是等のことか。

金口 キンクチ 三郷に存す。

金吾 キンゴ 浦和に存す。

近郷 キンゴウ 北本、川越、上福岡等に存す。

金光寺 キンコウジ 比企郡羽尾村字金光寺(滑川町)は古の村名にて、明和三年碑に講中・金光寺と見ゆ。コンコウ村と称す。

錦光山 キンコウヤマ 入間に存す。

錦古里 キンコリ 戸田に存す。

吟佐 ギンサ 鶴ヶ島に存す。

銀山 ギンザン 新潟県見附市九戸。

金七 キンシチ 日高に存す。

金正 キンショウ 川口に存す。

金城 キンジョウ 各市町村に存す。

金須 キンス 所沢に存す。宮城県黒川郡大郷町十四戸あり。カナス参照。

勤息 キンソク 戸田に存す。

金田一 キンダイチ 浦和、大宮、与野、上尾、新座、川越等に存す。岩手県紫波郡紫波町十二戸、二戸郡一戸町十六戸、秋田県鹿角市十九戸、青森県八戸市二十戸あり。

金高 キンタカ 川越、北本等に存す。カネタカ参照。

金武 キンタケ 八潮に存す。カネタケ、キン参照。

金藤 キントウ 朝霞、和光等に存す。カネトウ参照。

金堂 キンドウ 浦和、大宮等に存す。コンドウ参照。

金時 キントキ 入間に存す。

銀杏 ギンナン 入間に存す。

金野 キンノ 各市町村に存す。岩手県気仙郡三陸町十四戸、住田町二十八戸、大船渡市二百六十七戸、陸前高田市六十八戸あり。カネノ、コンノ参照。

金納 キンノウ 鴻巣、坂戸等に存す。

金林 キンバヤシ 日高に存す。

銀林 ギンバヤシ 新潟県糸魚川市十一戸あり。

金原 キンバラ 各市町村に存す。長野県大町市三十五戸あり。カネハラ参照。

金谷 キンヤ 大宮に存す。カナヤ参照。

銀谷 ギンヤ シロガネヤ参照。

銀屋 ギンヤ 川口、新座等に存す。

銀山 ギンヤマ 上尾、蓮田、大利根、上里、大井等に存す。

 

 

 

 

 

キの部 苗字数九百九十八

 

九石 クイシ 浦和、熊谷等に存す。

杭田 クイタ 浦和に存す。

久井田 クイタ 北本に存す。

久伊豆 クイヅ 埼玉郡に久伊豆神社が多く鎮座されており、他国には無し。当社の附近に薬師堂、観音堂が多く、是等の持ちとなっている。また、鍛冶神の雷電社が合祀されている。目を治す鍛冶神の信仰で、薬(クス)の神様である出雲国の大巳貴命(おおなむちのみこと)を祭神とする。クは薬(クス)、イヅは出雲(イヅモ)にて、クスイヅが訛ってクイヅに転ずる。医薬書の大同類聚方に「蝦夷薬、□□国蝦夷等の伝方、国俗普く知る所也、元は大巳貴神が授くる神方也」と見ゆ。埼玉郡内の利根川流域に蝦夷族鍛冶集団の居住した別所が多くある。是等の鍛冶師、土師(はにし)、薬師(くすし)を業とする氏族が奉斎したのが久伊豆社である。アラハバキ条十四項参照。久伊豆神社の鎮座地は、埼玉郡青柳村(草加市)、八条村・鶴ヶ曽根村・二町目村・伊草村(八潮市)、小曽川村・野島村・四町野村・大間野村・蒲生村・東方村・別府村(越谷市)、岩槻町・加倉村・谷下村・箕輪村・村国村・飯塚村・真福寺村・栢崎村・下新井村・黒谷村・孫十郎村(岩槻市)、上蓮田村・川島村・上閏戸村・中閏戸村・井沼村・駒ヶ崎村・城村・江ヶ崎村・黒浜村(蓮田市)、小久喜村・篠津村・野牛村・(白岡町)、新堀村・栢間村・台村(菖蒲町)、上郷地村・笠原村(鴻巣市)、騎西町場・根古屋村・外田ヶ谷村・中種足村・芋茎村・鴻茎村・西谷村(騎西町)、中曽根村・除堀村・青柳村・江面村(久喜市)、割目村・今鉾村・辻村(加須市)、下忍村・持田村・皿尾村・小見村・真名板村(行田市)、屈巣村・北根村(川里町)、馬見塚村(南河原村)、上ノ村(熊谷市)等にあり。

柊平 クイビラ 入間に存す。

郡家 グウケ 淡路国津名郡郡家郷を久宇希と註す。出羽国最上郡郡下郷を載す。クウケ、グウケは、空下(クウケ)にて、空(カラ)すなわち韓人(カラビト)の渡来地を称す。吾妻鑑に「作久下・即郡家也」と見ゆ。大里郡久下村(熊谷市)、埼玉郡久下村(加須市)、児玉郡久下塚村(本庄市)、高麗郡久下分村(飯能市)は韓人居住地なり。郡家は郡衙の所在地とは無関係である。関東地方では武蔵国以外に郡家郷は無い。承平五年頃の和名抄に大里郡郡家郷、男衾郡郡家郷、比企郡郡家郷、足立郡郡家郷、入間郡郡家郷、久良郡郡家郷を載す。また、九条家延喜式裏文書の長元八年武蔵国大里郡坪付に郡家里・十六町百八十四歩と見ゆ。大里条参照。

久江田 クエダ 毛呂山に存す。

九岡 クオカ 岩槻に存す。

陸 クガ 上尾、越谷、上福岡、川越等に存す。新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村十二戸あり。

久我 クガ 各市町村に存す。栃木県下都賀郡都賀町十一戸、千葉県夷隅郡大原町二十戸、岬町六十五戸、長生郡一宮町三十戸、白子町十一戸、睦沢町五十八戸、勝浦市三十戸、茂原市四十五戸、新潟県柏崎市四十四戸、宮城県栗原郡一迫町十一戸あり。

一 岩槻藩大岡氏家臣 天明四年岩槻藩分限帳に「吟味見習・久我喜八」あり。

二 深谷宿 白川家門人帳に文政五年・深谷宿久我山城久光と見ゆ。神主なり。現存無し。

久賀 クガ 榛沢郡高島村字久賀(深谷市)は古の久賀村なり。大宮、蕨、上尾、春日部、三郷、鳩山等に存す。新潟県小千谷市八戸あり。

久家 クガ 川口、浦和、越谷、幸手、川越等に存す。クゲ参照。

九閑 クガ 丹党安保氏流にて、武蔵七党系図(冑山本)に「安保泰実―五郎行実―朝行(号九閑)」と見ゆ。

空閑 クガ 浦和、大宮、幸手、三郷、新座、入間、所沢、飯能、東松山、行田等に存す。

久貝 クガイ 各市町村に存す。茨城県東茨城郡常北町十二戸あり。

久海 クガイ 大宮に存す。

陸井 クガイ 浦和、朝霞等に存す。

狗飼 クガイ 鶴ヶ島に存す。

陸田 クガタ 坂戸、富士見等に存す。

久賀野 クガノ 所沢に存す。

久我原 クガハラ 毛呂山に存す。

久加見 クガミ 忍城士にて、成田分限帳に「三十二貫文・久加見左京」あり。

久下谷 クガヤ 北本、越谷等に存す。茨城県日立市二十戸あり。

久加谷 クガヤ 忍城士にて、成田分限帳に「二十貫文・久加谷治左衛門」あり。

久我谷 クガヤ 所沢に存す。

久川 クガワ 大宮、上尾、吹上、東松山、三芳、坂戸等に存す。新潟県南魚沼郡六日町二十八戸あり。ヒサカワ参照。

久河 クガワ 忍藩松平下総守(奥平)家臣にて、嘉永六年忍藩分限帳に「御医師・百六十六石余・住口姫路・久河道伯」。嘉永七年に「小普請・百六十六石余・久河玄民」。明治四年忍藩士族名簿に「八十六石・久河玄察」あり。

九川 クガワ 浦和、所沢等に存す。

躯川 クガワ 蕨に存す。

岫 クキ 所沢に存す。

久木 クキ 所沢、草加等に存す。ヒサキ参照。

九木 クキ 大宮に存す。

久喜 クキ 埼玉郡久喜町は正保頃久喜郷と称し、元禄以後に久喜本町・久喜新町・野久喜村・古久喜村の四区に分かれる。葛飾郡幸手宿字久喜町は古の村名なり。また、埼玉郡小久喜村(白岡町)は古の鬼窪村なり。所久喜村(久喜市)は江面村より分村す。岩手県釜石市五戸あり。

一 久喜町 文化文政頃の遊歴雑記に「久喜の町に名だたる眼療の医師ありて、久喜周琢・久喜周了といへる両家あり。伝へいふ、周琢の方は隠居して別家のよし、周了は家督して本家とかや」と見ゆ。現存無し。

二 秩父町 貴族院多額納税者議員互選人名簿に大正十四年久喜文重郎・明治六年生・国税千三百五十二円・県下百二十三位。昭和三年興信録に久喜文重郎・所得税二千四百七十三円・営業税三百八円、久喜儀助・所得税十九円あり。六戸現存す。

九鬼 クキ 各市町村に存す。鳥取県八頭郡河原町(因幡国)十二戸あり。

釘岡 クギオカ 川口に存す。

釘崎 クギサキ 北本に存す。

久木崎 クキサキ 狭山に存す。

久木迫 クキサコ 大宮に存。

茎沢 クキサワ 蓮田に存す。秋田県山本郡山本町九戸あり。

茎澤 クキサワ 志木に存す。

釘島 クギシマ 坂戸に存す。

釘嶋 クギシマ 鷲宮に存す。

茎田 クキタ 川口、草加、上尾に存す。

釘田 クギタ 浦和、越谷、朝霞に存す。

久木田 クキタ 各市町村に存す。

一 浦和町 昭和三年興信録に久木田重夫・所得税二十九円あり。

茎津 クキツ 花園に存す。

釘無 クギナシ 比企郡釘無村(川島町)あり。

釘貫 クギヌキ 越谷に存す。

久木野 クキノ 松伏、和光、入間、川越、坂戸、本庄等に存す。

久木原 クキハラ 都幾川に存す。

釘丸 クギマル 浦和、志木、所沢、富士見等に存す。

釘宮 クギミヤ 各市町村に存す。

久木宮 クキミヤ 浦和に存す。

釘村 クギムラ 深谷に存す。

釘元 クギモト 富士見に存す。

釘本 クギモト 越谷、三郷、川越、坂戸、小川等に存す。

柊元 クキモト 浦和に存す。

久木元 クキモト 大宮、春日部、吉川、川越等に存す。

久木山 クキヤマ 坂戸に存す。

久々 クグ 菊地をククチ、菊麻をククマと唱る。行田、鴻巣、久喜に存す。

久宮 クグウ 大宮、寄居等に存す。

久々宇 クグウ 児玉郡久々宇村(本庄市)は、幕臣内藤家譜に「元和元年、上野国那波郡久々宇村」と見ゆ。寛永三年の洪水による瀬替で児玉郡に編入す。また、上野国新田郡久々宇村(現在の笠懸町久宮)は児玉郡久々宇村が利根川の氾濫により、笠懸野を開発した幕府代官岡上景能が希望者を移住させて、旧出身地の地名を付ける。移住者に高橋氏・橋場氏等あり。大宮、上尾、久喜、所沢、川越等に存す。

一 大江姓那波氏族久々宇氏 児玉郡久々宇村より起る。正統長尾系図に「上州那波宗俊の子顕宗は久々宇家を嗣いで久々宇治部左衛門と称す、のち弘治元年宗俊が新田金山合戦で討死し、顕宗は那波駿河守と称して那波氏を嗣ぐ」と。曉庵景治年譜に「駿州迄参陣、日夜之苦労云々、久々宇治部左衛門殿、氏政花押」と見ゆ。天正十五年北条氏の人質として、上州厩橋に滞留させられた那波氏家臣久々宇因幡守あり。伊勢崎市史に「那波因幡入道が武州小島のうち落合分(本庄市)を太田豊後守を以って賜った文書あり」と。豊後守は小田原北条氏の家臣にて、上州金山城の客人なり。伊勢崎市八斗島の境野文書に「天正十八年那波駿河守・奥州九戸合戦討死の節、家臣久々宇又次郎討死す」と見ゆ。

二 忍城士の久々宇氏 成田分限帳に「三百貫文・久々宇大和元昌、二十七貫文・久々宇八弥」あり。子孫は松平忠吉に仕へ尾張藩士となる。前項の那波氏族であるが、有名なる村上源氏名和氏に附会して清和源氏を唱える。

三 忍藩松平下野守忠吉家臣 慶長十二年清洲藩分限帳に「二百石・久々宇権之助・是は忍にて罷出・武州之者」あり。

四 尾張藩家臣 士林泝(名古屋叢書)に「久々宇氏、姓清和源氏。大胡弥三郎(武州忍に住す、本氏奈和、大胡氏養子と為す)―久々宇大和守秀正(久々宇嗣と為す、武州忍に於て戦死。二弟大胡弥三郎高次・同時戦死。三弟弥兵衛・子孫武州忍に在り久々宇を称す・又大胡)―権之助高重(忠吉君に尾州清洲に於て召出被り二百石を賜ふ、元和六年卒)―八右衛門秀貞―八右衛門秀治―丹右衛門秀猶―弥三郎正秀―彦八」と見ゆ。那波氏族なり。

五 久々宇氏の本名 成田系図に「天正十八年七月七日、浅野長政・石田三成は忍城を攻む。城兵の久宮大和は持田口を守り戦死す。弟大胡弥三郎は疵を被る」と見ゆ。埼玉郡上之村龍淵寺寛政八年鐘銘に「成田下総守殿家来末葉、久々宇大和末葉・忍御城内・小林太右衛門」とあり。上野国勢多郡大胡村に小林氏多く存す。大胡村の出稼衆本名小林氏は、那波氏に所属して久々宇村を所領とし、那波氏族久々宇氏を名乗る。弟は出身地の大胡氏を名乗る。大胡条参照。

六 埼玉郡慈恩寺村(岩槻市) 慈恩寺資財帳に「中興開基三十一世法印亮雄は忍城代久々宇大和守三男、正保二年正月二十日寂す」と。慈恩寺元禄五年常夜燈に久々宇温良あり。現存無し。

七 同郡久喜町 明治三十五年人力車業久々宇嘉右衛門あり。一戸現存す。

八 同郡下早見村(久喜市) 当村に此氏の旧家あり。二戸現存す。

久々江 クグエ 栗橋に存す。

久々津 クグツ 与野に存す。

久々湊 クグミナト 川越、三郷に存す。

久下 クゲ 大里郡久下村(熊谷市)、埼玉郡久下村(加須市)、高麗郡久下分村(飯能市)あり。郡家(グウケ)条参照。茨城県筑波郡伊奈町十四戸、東京都青梅市四十戸、福島県田村郡小野町五戸、郡山市三十三戸あり。クシタ、ヒサカ参照。

一 私市部後裔の久下氏 私市氏系図に「広成(神護景雲三年、云々)―私市部領黒山―部領使黒長―黒公―久下太郎為家―家利、弟久下次郎重家(弟家弘)―久下太郎則氏(弟市田次郎保則)―憲重(弟光憲)―権守直光」と見ゆ。此の系図は信用出来ず。私市条参照。

二 大私部直後裔の久下氏 大里郡私市村は私部(きさいべ)の居住地にて、今の久下村の周辺なり。古代氏族系譜集成に「大私部直善人(千葉国造)―押足―虎―小国―清継(貞観ノ比)―福成(葛飾郡擬大領)―武蔵権介幹成(天暦七年補武蔵国検非違使所、住大里郡私市村)―私市大夫宗直―私市大夫政直(久下権守、住大里郡久下村)―太郎大夫茂直(天喜元年十月任大里郡領)―成木権大夫直幹、弟直信(大里郡久下住、久下祖)」と見ゆ。子孫熊谷条参照。

三 私市党の久下氏 大里郡久下村より起る。吾妻鑑卷十八に「元久二年六月二十八日、武蔵国久下郷をもって、鶴岡宮供僧勝長寿院弥勒堂領に寄進す」。鶴岡八幡宮寺供僧次第に「正和四年、供料田熊谷郷・南久下」。日光輪王寺大般若経に「応永三年十月十八日、於武蔵国大里郡久下郷善福寺・持宝山如意輪寺」と見ゆ。また、久下村堤下にあった延宝元年地蔵尊(現在鴻巣宿勝願寺所有)に大里郡忍庄久下村と。隣村の大井村天神社は「御神体は木像なり、久下権頭直光の守護神にて、元大里郡佐谷田村の内小名田中と云所にあり」と見ゆ。佐谷田村境と荒川堤下の附近が久下氏館跡か。風土記稿久下村条に「久下直光城跡は村南堤外にあり、今畑となり、畝数二段五畝」と見ゆ。平家物語・一谷合戦に「蒲御曹司範頼に相伴ふ人々・久下次郎重光等は摂津国毘陽野に陣を取る」と。源平盛衰記に「久下権頭直光、子息次郎実光」と見ゆ。吾妻鑑卷三に「寿永三年二月五日、一谷の軍勢、久下次郎重光」。卷十二に「建久三年十一月二十五日、熊谷次郎直実と久下権守直光と御前において一決を遂ぐ。これ武蔵国熊谷・久下の境相論の事なり。直光は直実が姨母の夫なり。その好に就きて、直実先年直光が代官として京都の大番を勤仕せしむるの時、武蔵国の傍輩等、同役を勤めて在洛す云々。しかして直光を棄て知盛の家人に列するの条、宿意の基として、日頃境の違乱に及ぶ云々」と。典籍古文書に「建治元年五月、武蔵国・久下権守跡十貫を京都六条八幡宮の造営役に負担す」と。熊谷家文書に「文永元年五月二十七日、西熊谷郷の論所、久下次郎左衛門尉泰忠、天沼田二段事」。同文書に「正安二年八月十三日、熊谷彦次郎直光と久下左衛門九郎私光綱は、西熊谷郷内雨沼田四反余の境相論につき和与す」と。御的日記に「文保三年正月九日、久下彦次郎宗貞は弓射をつとむ」。同書に「貞治四年二月十七日、久下民部丞は弓射をつとむ」と見ゆ。内閣文庫に「文和二年七月二十三日、久下千松丸申、武蔵国所領田畠、在家等事。任去貞和二年沙弥乗恵譲状、同四年丹治氏女、同五年大江重光、同年光貞、同年沙弥道光、同年家政、同六年景忠等沽却状等、並観応三年五月十四日左衛門次郎頼末譲状、今年四月十二日仙阿等契約状等之旨、足利尊氏は安堵す」。同文庫に「文和三年十一月十八日、鎌倉府は、久下千松丸の訴へし武蔵国鴨志田郷之内比企弥太郎跡(横浜市緑区)につき、村岡藤内兵衛入道をして恩田左近将監を古符に背きしにて召換せしむ」。同文庫に「応永三十三年八月、白旗一揆の久下修理亮入道代子息信濃守憲兼は、武田信長退治のため武州二宮等に参着せしことを注進す」と見ゆ。尊経閣文庫に「応永三十一年二月五日、足利持氏は、武蔵国久下郷内久下弥五郎入道跡並びに杣彦太郎跡屋敷等の下地を武蔵金陸寺雑掌に沙汰し付けしむ」と。紀州熊野那智山米良文書に「応永二十一年六月十七日、旦那売券、熊谷一族一円・武蔵国久下権守直光ノ子孫一円」と。峻翁令山和尚行録に「明徳三年久下郷の私ノ朝臣が東皎寺を建て、峻翁和尚を開山とす。応永元年にも私ノ朝臣が多摩郡由井村長契寺(八王子市)を建て、同和尚を開山とす」と見ゆ。

四 埼玉郡の久下氏 葛浜郷久下村(加須市)より起る。鎌倉黄梅院文書に「応永四年七月二十日、足利氏満は、武蔵国崎西郡葛浜郷内久下五郎右衛門尉跡・大河辺女子方、等の地を円覚寺塔頭黄梅院に寄進す」と見ゆ。土豪野本氏が本名か。野本条参照。

五 児玉党久下氏 大里郡久下村より起る。小代文書(肥後古記集覧)に「小代八郎行平が曽祖父児玉の有大夫弘行の所領武蔵一ヶ国の分には、児玉・入西両郡并に久下、村岡、中条、忍、津戸、野村、広田、屈須、小見野、三尾乃野、弘行の所領なり」と見ゆ。

六 成田党久下氏 大里郡久下村より起る。私市党の一なり。鎌倉九代記に「成田は武州の住人にて私党の旗頭なり。同党に忍、酒巻、中条、別府、久下、須賀などいへる侍あり」と。成田記に「成田氏長の妹婿市田太郎長兼の弟久下刑部大夫は成田の家臣となる」と。成田系図に「別府定幸(実久下尾張守子)―別府長清(天正十八年小田原籠城す)」と見ゆ。十四項参照。

七 深谷上杉氏重臣の久下氏 前項の一族なり。鎌倉大草紙に「康正二年十月十七日、上杉右馬助房憲には、井草左衛門尉・久下・秋元を初めとして残すくなにうち成され、悉敗軍す」と。深谷上杉氏系図に「庁鼻和憲賢―雅楽頭氏盛(号市田太郎、実は北条氏、憲賢の外孫也、当代武州久下)」と見ゆ。本名は三条氏か。

八 忍城士の久下氏 六項と同族なり。埼玉郡持田村正覚寺天正六年棟札に「大檀那成田下総守氏長建立、寄進施主久下刑部少輔」と。飯能郷土史に「喜連川足利高基の弟に久下刑部大輔高実がある」と。但し、喜連川氏系図に高実の名は見えず。成田分限帳に「御家門・三百貫文・久下刑部大夫長亮、三十一貫五百文・久下孫四郎、十三貫文・久下権之丞」。別本に「忍籠城の者、御物頭・久下図書之助」と見ゆ。

九 三田谷土豪衆の久下氏 多摩郡勝沼城(青梅市)三田氏の旧臣にて、多摩・高麗・入間地方の三田谷に居住す。高麗郡下畑村(飯能市)に九戸存し、隣村の多摩郡富岡村(青梅市)に五戸存す。多摩川辺の友田村(青梅市)に十七戸存す。此氏は古代以来居住の苗字にて、大里郡久下村より移住した私市党久下氏後裔説は誤りなり。後に八王子城主北条氏に仕え、落城後は中山備前守組となり水戸藩に仕える。入間郡三ヶ島村中氷川神社(所沢市)棟札に「正長元年九月二十三日、武蔵国入東郡宮寺郷下村中氷川神社殿造営、奉造営吾那安芸守・久下筑前守・神主左衛門太夫家吉」とあり。当村周辺に現存無し、多摩郡の住人か。快元僧都記に「天文二年二月九日、北条氏綱は久下左近将監等に鶴岡八幡宮の奉加をせしむ」と、平山条参照。青梅和田文書に「永禄七年五月二十三日、北条氏照は、三田氏の旧臣久下兵庫助・久下小三郎等を清戸三番衆に定める」と。北条氏照判物(常陸国安得虎子所収)に「下総国結城郡山川口に於て、久下兵庫助は敵一人討取る」。同書に「天正十六年正月三日、氏照は、久下兵庫助に正月十六日に下野国小山衆と共に出陣すべきこと、天下の弓箭たるにより、兵糧と妻子の八王子城召集を命ず」と。和光市史に久下兵庫助は多摩郡成木郷の土豪なりとある。成木郷富岡村住人か。また、水府系纂に「加治長兵衛久重(天正十八年氏照に従て小田原城に戦死す。母は北条の家士久下下総守某が女也)」。中山家譜に「中山備前守信吉(妻は北条家の臣久下下総守某が女)」と見ゆ。

一〇 多摩郡富岡村の久下氏 大里郡の私市党久下氏は在名にて無関係なり。前項と一族にて、富岡村常秀院伝(青梅市)に「北条氏の臣久下右衛門佐常秀が、永禄六年下総国府台合戦に討死し、子孫が元和二年に常秀の旧館を寺院として建てたと云ふ。常秀は旧地富岡で農業の傍、刀工を業としていた地侍であった」と。隣村の高麗郡岩淵村岩井堂観音(飯能市)に富岡村久下平右衛門・久下又兵衛とあり。また、入間郡勝楽寺村開闢記(所沢市)に「糟屋伊左衛門秀清(妻は岩淵村の人)―秀茂(元禄二年に妻久下左衛門女を娶り、一同勝楽寺村へ移り百姓となる)」と見ゆ。富岡村に五戸現存す。

一一 水戸藩家臣の久下氏 前項の後裔なり。水府系纂に「久下兵庫某、初八王子に住して北条氏照に仕ふ、北条家没落して後、慶長年中幕下の歩行士となり、中山信吉が組たり。同十三年駿府に於て百五十石を賜て信吉が与力となり、寛永十四年死す」と。寛文九年水戸藩分限帳に「与力衆、中山備前守組・百五十石・久下八左衛門」。楓軒偶記に「元禄十四年中山信成は十七騎を家士とする。其の時に久下兵庫一人命を奉せず、妻子を引ひて出発す」と見ゆ。此れ以後、水戸藩分限帳に久下氏の名は見えず。

一二 騎西藩大久保氏家臣 相模国小田原北条氏に仕える。次項の後裔か。小田原藩文書に「騎西取立・慶長年中出仕・本国武蔵生国相模、七石三人扶持・久下菅右衛門、其子庄介・宝暦六年生。騎西取立・寛永五年出仕、本国武蔵生国相模、五両三人扶持・久下彦右衛門、其子彦右衛門・享保十五年生。唐津取立・寛文十一年出仕、本国武蔵生国相模、六十二石余・久下金右衛門、其子弾治・享保二十一年生」あり。出仕したのは先祖なり。

一三 上野国の久下氏 金山城の客人楠入道が永禄二年に記した新田家臣祖裔記に「久下民部少輔は武蔵国の住人、義貞公亡て越前に潜む、老年に及て上野に来り、江田殿を尋行き住む、江田の臣長島と従弟也、嫡子は義興に組みしが、義興矢口にて水死の後、相州小田原に潜む、二男は将軍家に仕へ、末男は甲州に赴く。この末葉金山城に久下進後守あり、後長尾殿へ与力也」と見ゆ。新田郡江田村(新田町)に久下氏及び長島氏は現存無し。北武蔵に長島氏多く存す。この久下氏は出稼衆の本名長島氏にて、久下氏(家紋は一番)の名跡を継承して久下氏を名乗るが、家紋は本名長島氏の「三引両」を使用す。永禄三年関東幕注文に「下野国足利衆、長尾但馬守同心・久下新八郎・三引りゃう」と見ゆ。

一四 久下氏の本名と家紋 古代氏族系譜集成に「武蔵権介幹成(住大里郡私市村)―私市大夫宗直―私市大夫政直(号久下権守、住大里郡久下村)―太郎大夫茂直(天喜元年十月任大里郡領)―成木権大夫直幹(弟久下直信・住大里郡久下村)―私市右京亮直縄(住大里郡私市村)、弟成木大夫直季(号熊谷兵衛太郎、住大里郡熊谷村)―熊谷刑部丞直広―熊谷大夫尉直孝―熊谷次郎大夫直貞(平盛方の男、直孝の子と為す、熊谷村に生る。母私市直縄女)―熊谷次郎直実。直孝の嫡女(熊谷直貞妻)、二女(久下権守直光妻)」と見ゆ。成木氏は本名並木(波木)氏の訛りにて、有名なる多摩郡成木郷は無関係なり。高力氏系図に「熊谷次郎大夫直貞(武蔵国小沢郷に住す、のち其郷をあらためて熊谷とよぶ)」と。熊谷郷私市村及び南久下村付近を小沢郷と称す。橘樹郡小沢郷(川崎市)は無関係なり。熊谷系図に「直貞の父盛方は北面の侍たり。勅勘を蒙りて相果つ。直貞二歳の時、乳母夜に粉れ都を忍出で行きしが、内々武州に一家の衆有りと聞き及び、彼の息を衾の下に隠し武州小沢大夫が所へ尋ね、落ち着きて爰にて年月送ると云ふ。私ノ党の成木大夫が婿と成り、十六歳迄は不知行也。直正は三歳・直実二歳にして、父直貞十八歳にして逝去す。兄弟共に成木大夫が子久下権守が所にて養ひて、十六騎武者の内・直実と有り。久下権守直光は直実姨母(母の姉妹)の夫也」と見ゆ。久下村鍛冶小沢氏は定紋に「一番」を使用し、久下氏の家紋と同じなり。熊谷直実の母は勅使河原大夫尉丹治重直娘であり、直実の子直家の娘は波木五郎妻とある。賀美郡勅使河原村に並木氏多く存す。苗字並木氏は丹治党に属して在名勅使河原氏を称し、小沢郷久下村に移住し、小沢氏及び久下氏等の在名を称す。また、訛って成木氏とも称す。永享七年長倉追罰記に「久下は一番と云文字」とあり。また、深谷記に「天正十八年小田原籠城罷成は、上杉様、古河は公方様、新田は由良殿、上総は智場殿、久下は三条殿」と見ゆ。久下氏の本名は三条氏なり。

一五 藤原秀郷流久下氏 結城系図に「小山四郎政光―結城七郎朝光(仁安二年生、建長五年死)―嫡子朝広(文治五年生、康元二年死)、二男時光(建久三年生、弘長二年死、住下野国寒河荘、寒河祖)、三男山川三郎重光(住同州山川)―下総守重義―左衛門尉貞重」と。尊卑分脈に「結城朝広―上野介広綱―大内新左衛門宗重―上野判官時重」と。重光は、結城郡山川村(茨城県結城市)に居住し山川氏を称し、上野介となり上野氏とも称す。吾妻鑑卷三十一に「上野三郎重光」。卷三十三に「延応二年、上野五郎兵衛尉重光」。卷四十三に「建長五年、結城上野五郎兵衛尉重光」。卷五十に「弘長元年、上野大夫判官重光」。卷五十一に「弘長三年、上野三郎左衛門尉重義」と見ゆ。重光・重義父子は久下氏を名乗っていない。太平記大全に「久下次郎重光は山河と号す、秀郷十代の孫なり」とあり。上野重光は一谷合戦頃は生まれていない。太平記の著者は平家物語及び吾妻鑑卷三の久下次郎重光と同人としているが誤りなり。また、中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「大内、藤、新左衛門尉宗重男、久下上野介時重・称之」と見ゆ。この著者は丹波国の久下時重と大内宗重の子時重とを混同している。

一六 丹波国の久下氏 兵庫県氷上郡山南町大字谷川の一帯を栗作郷久下谷と称し、現在久下小学校及び久下地区公民館がある。久下氏は、同町大字池谷に十二戸、大字玉巻に十戸及び同郡氷上町に二十五戸、春日町に五十二戸現存す。古族久下氏の支配地或は居住地より久下の地名が名付けられる。此地の久下氏は在名では無く苗字なり。丹波志に「久下次郎重光、子孫玉巻村。系図に曰く、武州大里より此所に移る。熊谷同姓也。時に承久五年八月二十五日也」とあるが、すでに是以前から氷上郡に久下氏は居住しており、武蔵の久下氏とは無関係なり。承久記(慈光寺本)に「久下三郎等は、北条時房に従い海道の先陣として上洛せんとす。乱後、京方の一条少将能継朝臣ヲバ、久下三郎承テ丹波芦田(氷上郡青垣町)へ流し奉ル。其後、人の讒言ニテ程なく頚切ラレ給ふ」と見ゆ。久下三郎の先祖代々の居住地なり。足利直義の家臣で難太平記の著者今川了俊は、「太平記は、直義らの要請により訂正や功名の書き入れが行なわれた。時には申告者の氏名を、作中、戦闘場面に先立つ勢揃えの中に登録させることで何とかお引きとり願った」と記している。武蔵国久下次郎重光の杉山一番乗りも、武蔵国久下氏に関係づけようとした丹波国の久下時重の申告によったもので、武蔵と丹波の久下氏は別流であったものが、太平記以降は同流説となってしまった。また、時重は自己の苗字と同じ地名の武蔵久下郷を所望して本貫地(出身地)と称した。太平記卷九に「さる程に、足利殿丹波国篠村(京都府亀岡市)に陣を取って、近国の勢を催されけるに、当国の住人に久下弥三郎時重と言ふもの、二百五十騎にて真先に馳せ参る。その旗の紋・笠符に、皆一番と言ふ文字を書いたりける。かれが先祖、武蔵国の住人久下二郎重光、頼朝大将殿が、土肥の杉山にて御旗を揚げられて候ひける時、一番に馳せ参じて候ひけるを、大将殿御感候ひて、みづから一番と言ふ文字を書いて賜り候ひけるを、やがてその家の紋と成して候ふ」と見ゆ。著者今川了俊は時重の申告により、武蔵国久下氏の後裔と記した。

一七 舒明天皇後裔説の久下氏 田原族譜に「舒明天皇皇子磯部親王後胤。上総介武尾(姓紀、ト居於武蔵国久下)―私権守武末―武蔵蔵人大夫満重(称山城前司、実多田満仲四弟)―布世川大夫武行―久下次郎基直―武蔵九郎豊後守基実―八郎蔵人季実―山城権正直光―山川次郎重光(実鎮守府将軍田原秀郷朝臣十世之孫、為嗣)―三郎重舎―三郎直高―三郎中務丞重直―帯刀重景―弥三郎中務丞重継―弥三郎時重(号入道玄賀)―三郎左衛門尉真重―三郎新左衛門長門守重光―新左衛門尉丹波守重之―三郎左衛門尉頼重―三郎左衛門尉駿河守重国―三郎新左衛門尉駿河守政光―新左衛門尉駿河守重像―三郎右衛門大夫重治―平五郎久重―八郎左衛門重則―源吾重信―又兵衛重成―五郎右衛門重政―弥三右衛門友重―弥三右衛門時久―林右衛門天貞―林右衛門武剛」と見ゆ。また、氷上郡上竹田村久下信生家系図(氷上郡市島町上竹田に四戸現存す)に「舒明天皇―磯部親王後胤、上総介―武尾―私権之正太郎武末(山城前司満重婿養子也、源満仲の四弟也、満重を始武蔵蔵人大夫武成と云)―三郎大夫武行―久下次郎基直―武蔵九郎基実―八郎蔵人季実―山城権督直光―次郎重光(治承四年土井杉山先陣、一番と云字賜る)―三郎重舎―中務丞直高(承久三年正月三日当郷新補地頭職を被る)―三郎中務丞重直―帯刀重景―弥三郎中務丞重継(法名妙覚)―弥三郎時重(建武三年尊氏に従ふ、法名玄賀)―真重(弟池谷弾正忠頼直)―重元(法名無碍庵主)―重之(法名永正庵主)―頼重(法名永隆)―重国(法名玉峯永秀)―政光(法名寓山性賢)―重像―重治―吉重(法名祖月宗賛)―元重―仲重。享禄四年花押」と見ゆ。時重以前の系図は信用出来ず。

一八 丹波国の久下氏の名は、太平記卷三に「官軍・延暦寺僧兵等、力を得て六波羅へ攻め寄せる事もやあろうかとて、これに備えて、六波羅の佐々木判官時信に、近江一国の勢を相そへて大津へ向けらる。時信は小勢にて叶ふまじき由を申しければ、重ねて、丹波国の住人、久下、長沢の一族等を差しそへて、八百余騎、大津東西の宿に陣を取る」。幕府方に仕え、のち足利氏に従う。卷十四に「建武二年、久下弥三郎時重が舎弟五郎長重討死す」。卷四十に「貞治六年三月十八日、後光厳帝、五条長講堂へ行幸あり。警固に相従ふ久下筑前守」。教書に「建武四年三月十日、久下時重に、早く丹波国新屋庄(柏原町)、同国宮田庄興法寺、井原庄内下司公文名、并に和泉国大鳥庄地頭職を領地せしむべし」と。久下信生家文書に「暦応二年六月二日、北朝方仁木頼章に属する久下重基が丹波国天田郡厚村にある南朝方の茶臼山城を攻撃す」。同家文書に「貞和四年三月二十日、久下弥三郎入道法名玄賀は、丹波国井原庄内牧山村、同国貴々木庄内佐野村(氷上町)を宛行われる」。同家文書に「延文三年、久下三郎左衛門尉貞重は、丹波国新郷(氷上町)を宛行われる」。同家文書に「明徳二年八月十日、足利義満は、丹波国栗作郷地頭職、同領家職、同国新屋庄、井原庄内下司分、宮田庄内興法寺村、小椋庄領家職、河口庄北分地頭職、武蔵国久下郷内居出庄並びに布世川、参河国篠田半済、但馬国朝来地頭職、和泉国大鳥庄地頭方、此外承久以来知行等事を旧により、久下長門守重元に領掌せしむ」と。但し、武蔵国久下郷に居出(いでい)及び布世川の地名は無し。下野国都賀郡出井村(小山市)あり。布世川も始祖布世川大夫武行とあり、下野国の地名であろう。このようなことで本当に年貢が徴収できたのか疑問である。同家文書に「応永三十二年八月二十八日、足利義持は、武蔵国久下郷内居出庄等を久下新三郎頼重に安堵す」。同家文書に「長禄三年六月二十一日、足利義政は、丹波国栗作郷地頭職並びに領家職、同国小椋庄領家職、武蔵国久下郷居出庄、参河国篠田半済、但馬国朝来地頭職等を久下三郎左衛門尉重国に安堵す」と見ゆ。小椋庄武末名は、此氏の始祖私権守武末以来の所領地であろう。また、京都八坂神社記録に「観応元年十二月十七日、丹波より到来云々、守護代久下弾正」と。氷上郡春日町棚原久下一忠家文書に「観応三年七月二日、幕府は、武蔵国池守郷地頭職(行田市)、大里郡久下郷内・宇波五郎入道・同七郎等跡地頭職を久下弾正忠頼直に沙汰せしむ」と。祇園執行日記に「貞和六年十二月十四日、丹波国多紀郡波賀野に挙兵した南朝方と、これを鎮圧しようとした丹波守護代久下弾正忠頼直と、不木合戦(丹南町)あり」と見ゆ。頼直は時重の二男池谷弾正忠なり。播磨国多可郡栗作郷池谷村は久下谷の近村なり。

一九 葛飾郡高柳村(栗橋町) 大日堂文化四年供養塔に久下文左衛門、文化六年供養塔に高柳村原・久下文八・久下新八.。香取社嘉永四年狛犬に久下八蔵、明治十四年幟碑に久下長吉あり。四戸現存す。

二〇 足立郡清河寺村(大宮市) 上内野村氷川社慶応三年御神燈に清河寺村久下甚左衛門あり。七戸現存す。

二一 入間川町(狭山市) 明治三十五年製茶商久下浦之助あり。現存無し。

二二 所沢町 明治三十五年染物業久下民五郎あり。一戸現存す。

二三 高麗郡飯能町 明治十四年真能寺村下駄商久下左平太、久下分村陶器商久下新七郎・久下清次郎・久下武吉。諏訪八幡社明治三十三年御神燈に宮本町久下源次郎。明治三十五年飯能町飲食店久下武吉・油類商久下亀吉。昭和三年興信録に飯能町・久下初五郎・所得税十四円あり。五戸現存す。

二四 同郡上畑村(飯能市) 中山村智観寺宝永三年大般若経奉納に上畑村久下三左衛門あり。二戸現存す。

二五 同郡下畑村(飯能市) 明治九年副戸長久下久右衛門・文化四年生あり。九戸現存す。

二六 同郡根岸村(狭山市) 久下栄一家文書に「苗字帯刀免許状、辰年、此度父八左衛門跡名主役申渡候、久下利一郎」と。明光寺寛政二年宝篋印塔に当村久下惣吉・久下弥兵衛。上広瀬村信立寺安政四年文書に根岸村名主久下八左衛門。明治九年戸長久下八左衛門・享和元年生。明治十五年北広堂碑名簿に根岸村久下半三郎。広瀬神社明治二十四年碑に根岸・久下和一郎。明治三十二年白魚子織久下常三郎。水富神社明治四十三年碑に水富村久下啓作・久下稲之助・久下穂之助・久下栄治郎・久下助造。昭和三年興信録・所得税に水富村・久下栄次郎・百二十二円、久下増之助・二十四円あり。五戸現存す。

久毛 クゲ 吉川、三郷等に存す。

久家 クゲ 各市町村に存す。茨城県鹿島郡鉾田町七戸、新治郡新治村九戸、土浦市二十四戸、福島県大沼郡会津高田町二十七戸あり。キュウケ、クガ、クヤ参照。

九家 クゲ 経光卿記(東洋文庫)に「天福元年五月九日、九家四郎・武蔵九山住人は、新日吉社小五月会の流鏑馬に的立役をつとむ」と見ゆ。武蔵久下住人の久下四郎なり。

公家 クゲ 八潮、富士見に存す。福島県大沼郡会津高田町五戸あり。

久下田 クゲタ 幸手宿の久下田久右衛門は寛政四年に心学塾の恭倹舎の運営に功労あり。幸手宿文化九年宝持寺文書に中町久下田実翁・久下田伝左衛門あり。現存無し。

久下谷 クゲタニ 宮代に存す。

久下塚 クゲヅカ 児玉郡北堀村字久下塚(本庄市)は古の村名なり。明応二年紀州米良文書に北武蔵国久下塚住人孫左衛門と見ゆ。

一 児玉党久下塚氏 北堀村字久下塚より起る。武蔵七党系図に「庄権守弘高―庄二郎弘定―久下塚本太郎親弘―三郎左衛門尉重能―太郎重綱(弟に三郎時国、四郎重経)―太郎三郎景春、重能の弟四郎弘盛―太郎盛氏(弟四郎朝盛)」。冑山本に「久下塚庄二郎弘定―久下塚本太郎親弘(弘重に改名)」と見ゆ。吾妻鑑卷二十九に「貞永二年正月三日、久下掾源内・同三郎」とあり。久下掾は久下塚の書き誤りなり。

久下戸 クゲド 入間郡久下戸村(川越市)あり。川越行伝寺過去帳に「道善・クゲドノ源左衛門・申年十月。妙養・久下戸ノ将監内ノ母・未年正月。法信・久下戸ノ者・巳年十二月。妙円・久下戸ノ者・寅年十月。妙行・久下戸ノ者・子年正月。妙源・将監父。道教・新井・久下戸ノ者・未年十月。日順・久下戸ノ真行坊・未年三月。妙善・将監母・午年十一月。妙法・久下戸ノ者・卯年六月」あり。是は苗字にあらず。久下戸村の新井氏及び高橋将監一族等なり。高橋条参照。

久下沼 クゲヌマ 戸田、鶴ヶ島、富士見、本庄等に存す。茨城県那珂郡大宮町四十戸あり。

久下分 クゲブン 高麗郡久下分村(飯能市)は、天正三年武州文書に久下分之内と見ゆ。足立郡字久下分あり。

久語 クゴ 川越に存す。ヒサゴ参照。

久郷 クゴウ 各市町村に存す。栃木県那須郡南那須町四十五戸、烏山町九戸あり。キュウゴウ参照。

九郷 クゴウ 児玉郡九郷あり、蛭川村は唱える。今井村天正十五年鈴木文書に「九郷堰の水の配分を定む」と見ゆ。大宮に存す。

草 クサ 川口、川越、越谷等に存す。カヤ参照。

久佐 クサ 浦和、上尾、川越、都幾川等に存す。

一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御徒銃隊格・九石二人扶持・亡父宗兵衛・久佐昇之助・三十七歳、同役・八石二人扶持・亡養父栄次郎・久佐刀太郎・二十二歳」あり。

草合 クサアイ 川越、狭山等に存す。

草浦 クサウラ 草加に存す。

草生 クサオ 吉川、川越、行田に存す。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御旗奉行・百六十六石余・草生梶之助、御寄合・三人扶持・草生槌作」。慶応元年に「百六十六石余・草生一学・住口大阪城」。明治四年忍藩士族名簿に「百六十六石余・草生茂」あり。

草尾 クサオ 所沢、春日部、越谷等に存す。

草岡 クサオカ 川越、大井、春日部に存す。宮城県遠田郡涌谷町八戸あり。

草桶 クサオケ 浦和、和光等に存す。

久坂 クサカ 杉戸、入間、狭山に存す。

日下 クサカ ○千葉県香取郡小見川町十六戸。○福島県郡山市四十戸。○宮城県刈田郡蔵王町三十四戸、柴田郡大河原町八十戸、柴田町六十五戸、亘理郡山元町十七戸、亘理町五十五戸、黒川郡大郷町十四戸、遠田郡小牛田町十三戸、白石市二百戸、角田市六十六戸。○岩手県東磐井郡室根村十一戸、和賀郡東和町三十三戸。○島根県出雲市三十七戸。○鳥取県日野郡日南町十戸あり。ヒノシタ参照。

一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「五両余二人扶持・日下伝」あり。

二 幸手宿 百間村青林寺寛政十年文書に牛村日下与右衛門あり。二戸現存す。

三 菖蒲町 当所元禄十一年庚申塔に草渮五兵衛あり。日下氏三戸現存す。

四 足立郡下青木村(川口市) 氷川社御神燈に「文政八年当村日下喜右衛門、青木町五丁目日下喜三郎・大正十四年復旧」。「慶応三年当村日下喜惣治、青木町五丁目日下喜助・昭和四十年修理」。万延元年寄進帳に日下喜惣治、明治三十九年碑に日下喜七郎あり。四戸現存す。

五 同郡指扇村(大宮市) 当村に此氏多く存す。氷川社天保二年御神燈に日下利右衛門・日下金右衛門・日下友右衛門・日下惣左衛門・日下幸吉、天保三年御神燈に日下三之丞・日下平兵衛、明治二十年御神燈に下郷日下郷四郎、明治三十年御神燈に日下孝右衛門・日下鉄五郎。八雲社明治四十四年碑に日下惣次郎・日下鉄五郎・日下元次郎・日下鍋太郎・日下幸太郎あり。

六 越生町 明治三十五年薬種商日下魯法あり。現存無し。

草加 クサカ 草加に存す。ソウカ参照。

草賀 クサカ 大宮、所沢、秩父に存す。

草鹿 クサカ 所沢に存す。

草皆 クサカイ 上尾、草加、志木、和光、上福岡、長瀞等に存す。秋田県南秋田郡五城目町十三戸あり。

草階 クサカイ 志木、川越、所沢等に存す。南秋田郡井川町十六戸あり。

久下石 クサカイシ 浦和、蓮田に存す。

日下田 クサカダ 入間郡北野新田吉祥院明和六年千部供養塔に飯能村久下分村発起人日下田庄右衛門あり。現存無し。

草壁 クサカベ 大宮、春日部、草加、戸田、上福岡、所沢、東松山等に存す。山形市十戸あり。

一 一色氏家臣の草壁氏 鎌倉大草紙に「永享十年十一月四日、一色直兼の郎等草壁遠江守あり、父子四人奮戦して死す」と見ゆ。幸手城主一色氏の家臣にて、子孫は一色氏と共に古河公方足利氏に仕へ、下高野村に土着す。一色条参照。

草下部 クサカベ 鉢形城家臣にて、榛沢郡小前田村(花園町)町田文書に「町田土佐守一族同心衆、草下部権助」あり。現存無し。

草加部 クサカベ 埼玉郡内田ヶ谷村(騎西町)大福寺の多賀谷氏館跡に「文永四年五月、草加部宗光」の板碑あり。現存無し。

久坂部 クサカベ 山形県米沢市五戸。

日下部 クサカベ 仁徳天皇の皇子の為に設けられた御名代部にて、古事記仁徳条に「大日下王の御名代と為して大日下部を定め、若日下王の御名代と為して若日下部を定む」と見ゆ。○群馬県邑楽郡大泉町十二戸。○茨城県稲敷郡阿見町十二戸。○千葉県香取郡小見川町四十戸、山田町五十五戸、佐原市二十戸。○新潟県新発田市十五戸。○福島県安達郡本宮町十五戸、郡山市五十七戸、二本松市二十七戸。○山形県東村山郡山辺町十九戸、西村山郡河北町十五戸、飽海郡松山町十六戸、東田川郡余目町十六戸、寒河江市三十七戸、酒田市五十八戸、山形市六十七戸。○鳥取県(因幡国)岩美郡岩美町二十九戸、鳥取市二十四戸あり。

一 安倍族日下部氏 続日本紀・宝亀四年二月条に「下総国猿島郡の人従八位上日下部淨人に姓を安倍猿島臣と賜ふ」と見ゆ。下総国葛飾郡に日下部氏多く現存す。

二 横見郡の日下部氏 正倉院宝物に「天平勝宝五年十一月、武蔵国横見郡御坂郷日下部東人・庸布壹端」と見ゆ。黒岩村字御坂なり。

三 多摩郡の日下部氏 日本霊異記に「聖武天皇の御世、吉志火麻呂は武蔵国多麻郡鴨里の人なり。火麻呂の母は日下部真刀自なり」と見ゆ。鴨里は今の大神村なり。

四 忍城士の日下部氏 成田分限帳に「十三貫文・日下部権之丞」あり。

五 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「二百石・日下部三郎兵衛、銀十枚二人扶持・日下部伝五郎」あり。

六 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「四両二人扶持・日下部伴右衛門」あり。

七 岡部藩安部氏家臣 明治四年半原県分限帳に「権大参事・日下部貴道」あり。

八 葛飾郡築比地村(松伏町) 下香取社明治七年岐神碑に日下部彦四郎あり。一戸現存す。

九 同郡下野村(杉戸町) 福正院明治二十九年筆子碑に日下部米吉あり。現存無し。

一〇 同郡並塚村(杉戸町) 椿村文珠堂明治十五年筆子碑に並塚村日下部治三郎・日下部石五郎あり。現存無し。

一一 同郡宮前村(杉戸町) 鷲巣村正明寺寛政六年宝篋印塔に宮前村日下部久蔵。明治二十年規約に日下部安五郎・日下部鹿蔵・日下部長次郎あり。五戸現存す。

一二 同郡深輪村(杉戸町) 桜神社天保二年御神燈に深和邨日下部長□あり。二戸現存す。

一三 同郡鷲巣村(杉戸町) 鷲神社寛政元年鷲明神碑に日下部五郎兵衛あり。現存無し。

一四 同郡佐左衛門村(杉戸町) 八幡香取社安政五年浅間碑に日下部甚蔵・日下部善左衛門・日下部清五郎。明治三十年人名録に日下部政吉・弘化四年生・地租三十六円あり。五戸現存す。

一五 同郡下高野村(杉戸町) 草壁条参照。古河衆二階堂氏の家臣にて、高野村誌稿に「天文年中に二階堂久左衛門尉義隆なる者が小谷堀に土着したのが開発の初めである。慶長年間のころより小谷堀の開拓に従事した武士に高橋・野口・上原・小林・鈴木・日下部の各氏があった」と見ゆ。永福寺宝暦六年宝篋印塔に日下部四郎兵衛、天保十一年庚申塔に日下部三郎兵衛。厳島社文政五年庚申塔に下高野村内小谷堀株・日下部八蔵・日下部儀右衛門・日下部武右衛門・日下部音七.。木々子神社天保四年供養塔に日下部大吉・日下部三郎兵衛。明治九年副戸長日下部三郎兵衛・天保十一年生。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に下高野村日下部三郎兵衛。明治三十年人名録に日下部松之助・慶応元年生・地租百円、油屋日下部辰三郎・弘化二年生。昭和三年興信録に高野村・日下部松之助・所得税二十四円あり。六戸現存す。

一六 同郡幸手宿 万延元年武術英名録に横山柳剛流日下部万吉あり。

一七 同郡上高野村(幸手市) 大阿寺嘉永三年敷石碑に大蔵村日下部藤右衛門あり。三戸現存す。

一八 同郡天神島村(幸手市) 天満宮寛政四年升堂雁行現額に日下部多吉あり。他村の人か。現存無し。

一九 同郡神明内村(幸手市) 香取社享保十七年庚申塔に日下部十右衛門あり。一戸現存す。

二〇 同郡槙野地村(幸手市) 蓮花院文政四年筆子碑に日下部久四郎・日下部冨五郎・日下部惣吉・日下部勇吉あり。二戸現存す。

二一 同郡安戸村(幸手市) 八幡社安永四年御神燈に日下部源右衛門・日下部勘蔵・日下部九右衛門・日下部喜八、嘉永五年庚申塔に日下部又蔵・日下部源七・日下部寿□・日下部初三郎・日下部兵左衛門、安政五年庚申塔に日下部忠次郎、文久三年幟碑に安戸村日下部初五郎・日下部喜代松。香取社天明二年筆子碑に中原住・日下部喜左衛門・日下部吉五郎・日下部喜八、明治三年富士碑に安戸村日下部次左衛門。また、大島新田共同墓地安永七年宝篋印塔に日下部惣七.。平須賀村観音堂明治十五年寄付に戸島村日下部源三郎・日下部とら・日下部初五郎・日下部石五郎・日下部定四郎・日下部権次郎あり。七戸現存す。

二二 同郡平須賀村(幸手市) 弘化二年戸賀崎入門帳に平須賀村日下部直次郎。権現堂村堤明治十年天皇行幸碑に平須賀村日下部貞吉。明治二十二年選挙権者日下部多次郎・弘化三年生。香取社明治三十九年狛犬に日下部善吉・日下部佐七・日下部兼太郎あり。五戸現存す。

二三 同郡平野村(幸手市) 円中院寛延元年庚申塔に幸手領次加磨邑日下部平六、天明四年庚申塔に日下部久兵衛。香取社明治九年浅間碑に日下部秀蔵あり。六戸現存す。

二四 同郡中野村(幸手市) 香取社慶応四年水鉢に日下部常五郎。明治三十年人名録に日下部茂助・嘉永元年生・地租二十二円あり。現存無し。

二五 同郡内国府間村(幸手市) 八幡社文久元年水鉢に内国府間村内記新田日下部新六.。明治十二年文書に日下部礼太郎あり。現存無し。

二六 同郡倉常村(庄和町) 愛宕社享保七年庚申塔に日下部儀右衛門、文化十年庚申塔に日下部奥右衛門、天保三年天神碑に日下部市五郎、明治四年天満宮碑に日下部善右門あり。三戸現存す。

二七 埼玉郡国納村(宮代町) 太田袋村琴平社文政三年水鉢に八河内村日下部市郎右衛門。和戸村宇宮神社天保六年奉額に国納村日下部市郎兵衛。明治四年白石文書に国納村名主日下部泰助。明治九年副戸長日下部泰助・天保七年生。明治三十年所得税下調査簿に須賀村酒造業日下部泰輔・反別六十一町五反歩・地租五百七十一円。貴族院多額納税者議員互選人名簿に明治三十年国納村農業日下部泰助・天保七年生・国税五百二十円、大正十四年須賀村日下部義人・国税千二百四十八円・県下百三十八位。大正十二年大地主名簿に日下部義人・田二十六町七反歩・畑二十六町四反歩所有。県会議員酒造業日下部泰助万延元年生。昭和三年興信録に須賀村・日下部義人・所得税三百三十九円あり。五戸現存す。

二九 同郡和戸村(宮代町) 宇宮神社天保六年奉額に日下部平蔵、嘉永二年奉額に日下部喜太郎、明治二十一年御嶽碑に日下部荘親、明治二十二年碑に日下部喜太郎・日下部浪五郎・日下部宗七・日下部茂七あり。十五戸現存す。

二九 同郡原村(久喜市) 東雲院嘉永四年馬頭尊に日下部初□あり。現存無し。

三〇 同郡外川村(騎西町) 当村に此氏の旧家あり。二戸現存す。草加部条参照。

三一 同郡小浜村(加須市) 地蔵院元禄八年百番観音に施主小浜村日下部吉兵衛あり。現存無し。

三二 同郡上樋遣川村(加須市) 御室神社文政九年敷石碑に古宮日下部勘蔵。浅間社明治十二年鳥居碑に当所日下部徳次郎あり。五戸現存す。

三三 入間郡下南畑村(富士見市) 八幡社天明頃水鉢に日下部影□あり。現存無し。

三四 熊谷町 明治三十五年車製造日下部友三郎・日下部兼吉あり。

三五 秩父郡下吉田村 八幡社明治三十八年碑に日下部国吉あり。現存無し。

草谷 クサガヤ 浦和、大宮に存す。

草ヶ谷 クサガヤ 浦和、大宮に存す。

草刈 クサカリ 葛飾郡牛島村字草刈、寄巻村字草刈場、埼玉郡粕壁町字草刈場あり。各市町村に存す。千葉県木更津市十七戸、宮城県遠田郡小牛田町九戸、古川市三十三戸、石巻市十一戸、山形県米沢市十三戸、長井市十三戸、山形市四十五戸、鳥取県(因幡国)八頭郡智頭町三十戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御徒目付・七石二人扶持・草刈重蔵、御武器預下役・六石二人扶持・草刈増蔵」あり。

草苅 クサカリ 新座に存す。山形県西村山郡河北町十五戸、寒河江市十五戸、山形市七十六戸あり。

草川 クサカワ 各市町村に存す。

草河 クサカワ 川口に存す。

草木 クサキ 各市町村に存す。

久佐木 クサキ 狭山に存す。

草郷 クサゴウ 大宮に存す。

草崎 クサザキ 所沢、三芳に存す。

草沢 クサザワ 新座、川越に存す。

草次 クサジ 春日部に存す。

草塩 クサシオ 甲府市七戸あり。

草島 クサジマ 各市町村に存す。山形県東田川郡羽黒町十二戸、藤島町十九戸あり。

草嶋 クサジマ 朝霞に存す。

草嶌 クサジマ 上尾に存す。

草住 クサズミ 与野に存す。

一 本庄町 明治三十五年酒商草住清吉あり。現存無し。

草田 クサダ 和名抄に児玉郡黄田郷を載せ、高山本には児玉郡草田郷と載す。昭和六十一年に本庄市西富田遺跡より「武蔵国児玉郡草田郷大田弓身万呂」と刻された紡錘車が発見された。太駄郷(児玉町)は中世文書に大田郷と見ゆ。草田は黄田が正確な字で、黄田(おおた)郷の大田氏が作成されたものを、西富田村の住人が使用したか。鳩山、与野等に存す。長野県東筑摩郡四賀村五戸、下伊那郡南信濃村六戸あり。

艸田 クサダ 高麗郡中山村(飯能市)智観寺明治十七年勧進帳に中山村艸田清四郎あり。現存無し。

久佐田 クサダ 羽生、加須等に存す。

草地 クサチ 川口、浦和、大宮、狭山、日高、大井、越生等に存す。

草津 クサツ 狭山、熊谷等に存す。

一 児玉町 八幡社明治三十五年碑に草津啓助あり。現存無し。

草次 クサツグ 朝霞に存す。

草出 クサデ 川口に存す。

九里 クサト 川口に存す。クノリ参照。

草処 クサドコロ 鴻巣、熊谷等に存す。群馬県勢多郡新里村十戸あり。

草留 クサトメ 鳩ヶ谷に存す。

草永 クサナガ 鶴ヶ島に存す。

草薙 クサナギ 各市町村に存す。秋田県仙北郡角館町十七戸、太田町二十四戸、中仙町九十四戸、平鹿郡平鹿町十九戸あり。

草g クサナギ 川口、大宮、蕨、鳩ヶ谷、上尾、白岡、越谷、宮代、所沢、飯能、滑川等に存す。秋田県仙北郡角館町九十八戸、太田町三十八戸、仙北町四十戸、中仙町七十五戸、田沢湖町八十五戸あり。

草西 クサニシ 川越に存す。

草野 クサノ 秩父志に「野上郷(長瀞町)に野上大明神あり、所祭詳かならねども草野比売命(かやのひめのみこと)を祭る」と。カヤノ条参照。入間郡扇河岸村字草野あり。各市町村に存す。○茨城県那珂郡大宮町十四戸、行方郡潮来町九十戸、日立市三十三戸。○千葉県銚子市二十戸。○新潟県西蒲原郡吉田町二十六戸、岩室村九戸、小千谷市二十戸。○福島県石川郡石川町三十五戸、玉川村四十戸、平田村十九戸、東白川郡棚倉町十四戸、田村郡小野町百戸、滝根町十五戸、伊達郡梁川町二十戸、相馬郡鹿島町四十戸、双葉郡楢栗町四十戸、いわき市九百四十戸、白河市四十五戸、郡山市九十三戸、原町市六十二戸、相馬市五十戸あり。

一 忍・川越藩松平伊豆守信綱(大河内)家臣 万治元年川越藩分限帳に「百石・本国肥後生国武蔵・草野万助・十一歳」あり。

二 川越藩松平大和守家臣 慶応三年前橋藩松山陣屋付に「十石二人扶持・草野直孝」あり。

三 埼玉郡佐間村(行田市) 高源寺文政二年供養塔に当所草野庄助、慶応三年山崎秀勝筆子碑に草野兵助。秀勝の母は当村の草野氏なり。天神社嘉永六年庚申塔に当所草野吉五郎あり。現存無し。

草ノ瀬 クサノセ 鶴ヶ島に存す。

草場 クサバ 各市町村に存す。

草葉 クサバ 大宮、越谷等に存す。

日鼻 クサハナ 大宮、岩槻、越谷等に存す。

草原 クサハラ 浦和、大宮、草加、狭山、川越等に存す。カヤハラ参照。

草深 クサフカ 川口、浦和、蕨、吉川、川越、所沢、越谷、三郷等に存す。長野県南安曇郡豊科町三十戸あり。

草部 クサベ 草加、宮代、白岡に存す。

日馬 クサマ 与野、鴻巣、春日部、越谷、八潮、杉戸、志木、新座、鶴ヶ島、所沢、長瀞等に存す。新潟県西頚城郡能生町三十八戸あり。

草間 クサマ 各市町村に存す。○茨城県真壁郡明野町二十六戸、結城郡八千代町二十三戸、石下町三十戸、猿島郡境町十五戸、三和町十三戸、つくば市五十戸、下妻市四十戸、水海道市九十戸。○神奈川県三浦市五十五戸。○長野県南佐久郡臼田町四十三戸、東筑摩郡四賀村十一戸、南安曇郡穂高町十戸、松本市百三十六戸。○新潟県中頚城郡柿崎町十四戸、頚城村八戸、西頚城郡名立町三十三戸、能生町十七戸、長岡市四十戸、上越市五十戸あり。

草道 クサミチ 鳩山に存す。

草光 クサミツ 大宮に存す。島根県(出雲国)飯石郡吉田村七戸あり。

草水 クサミヅ 新座、鶴ヶ島、所沢、行田等に存す。

草宮 クミサヤ 鳩ヶ谷に存す。

叢 クサムラ 春日部に存す。

草村 クサムラ 川口、北本、八潮、和光、坂戸等に存す。ソウムラ参照。

草本 クサモト 川越、北本に存す。島根県(出雲国)八束郡鹿島町二十二戸あり。

蒼下 クサモト 幸手に存す。

草柳 クサヤナギ 神奈川県足柄上郡開成町四十戸、逗子市小坪に二十二戸あり。

一 足立郡本郷村(川口市) 全棟寺寛政三年出羽三山碑に当村草柳右衛門。氷川社明治三十三年碑に草柳重五郎・草柳平右衛門・草柳三之丞・草柳勘次郎・草柳伊右衛門・草柳佐助・草柳治右衛門あり。六戸現存す。

二 同郡遊馬村(草加市) 柳島村大日堂跡天保十二年供養塔に遊馬村草柳忠治郎あり。一戸現存す。

草山 クサヤマ 蕨、北本、所沢等に存す。神奈川県秦野市八十戸あり。

草創 クサヤリ 草加に存す。

九沢 クサワ 杉戸、本庄に存す。

九澤 クサワ 和光に存す。

草分 クサワケ 川口、浦和、与野、鴻巣、鳩ヶ谷等に存す。

草別 クサワケ 富士見、行田、東松山、岩槻等に存す。

串 クシ 大宮、越谷等に存す。

櫛 クシ 大宮、庄和、志木等に存す。

久志 クシ 吉川、越谷等に存す。

久濨 クシ 浦和に存す。

久慈 クジ 各市町村に存す。○岩手県岩手郡岩手町十二戸、紫波郡紫波町十七戸、矢巾町四十七戸、九戸郡野田村十二戸、久慈市百十六戸、二戸市二十戸。○青森県上北郡百石町七戸、六ヶ所村六戸、下北郡脇野沢村六戸、東津軽郡蓬田村三十二戸、八戸市五十戸、青森市七十戸あり。

具志 グシ 浦和、所沢に存す。

串浦 クシウラ 行田に存す。

串岡 クシオカ 大宮、狭山等に存す。

櫛方 クシカタ 越谷に存す。

櫛川 クシカワ 大宮、幸手等に存す。

串木野 クシキノ 和光に存す。

櫛笥 クシケ 川越、飯能、富士見、菖蒲、岩槻等に存す。

櫛毛 クシケ 埼玉郡久本寺村字櫛毛あり。浦和、北本等に存す。

櫛桁 クシゲタ 岩手県久慈市二十一戸、青森県八戸市十八戸あり。

櫛下町 クシゲマチ 浦和、鳩山、坂戸等に存す。

具志堅 グシケン 川口、浦和、大宮、富士見、飯能、朝霞、八潮、上里等に存す。

串崎 クシザキ 浦和、飯能、所沢、戸田、朝霞等に存す。島根県(石見国)那賀郡三隅町十二戸、浜田市十八戸あり。

櫛島 クシジマ 和光に存す。

久下 クシタ 入間に存す。クゲ参照。

串田 クシダ 群馬県高崎市二十五戸、栃木県安蘇郡田沼町十九戸、茨城県つくば市四十戸、東京都八王子市百四十戸、新潟県中蒲原郡亀田町十一戸、横越町十戸あり。

一 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御代官・五十石・串田金右衛門」あり。

二 葛飾郡中野村(庄和町) 薬師堂文化元年普門品に串田三右衛門・串田久内。新宿新田天満宮文政五年碑に中野村串田重五郎。香取社明治二十五年雷神碑に串田周次郎・串田忠兵衛あり。二戸現存す。

三 同郡飯沼村(庄和町) 香取社嘉永元年御神燈に串田惣七.。妙善寺元治二年成田山碑に串田惣蔵あり。一戸現存す。

四 粕壁宿 八坂社弘化四年水鉢に串田粂治郎あり。

五 入間郡今福村(川越市) 志村文書に「今福村開発人、寛文十二年家作引移る・串田忠兵衛」。子孫串田登美輔家なり。明見院慶応二年普門品に串田寅次郎あり。五戸現存す。親切な住職様にお世話になりました。

六 同郡滝野入村(毛呂山町) 桂木観音延享二年地蔵尊に串田庄兵衛、文政十年鐘銘に滝ノ入村串田太兵衛(名主)。明治九年副戸長串田太兵衛・文政元年生。明治二十二年山根村会議員串田国蔵。昭和三年興信録に山根村・串田愛太郎・所得税十円あり。六戸現存す。

七 秩父郡石間村(吉田町) 当村に此氏の旧家あり。十二戸現存す。

櫛田 クシダ 茨城県稲敷郡阿見町十四戸、長野県駒ヶ根市七戸、福島県いわき市二百九十戸あり。

一 関東郡代伊奈氏家臣 寛政三年に「御祐筆役・五人扶持格・櫛田幸四郎・上屋敷住」あり。

二 葛飾郡西金野井村(庄和町) 花蔵院天保六年碑に金井・串田庄吉あり。櫛田氏一戸現存す。

三 熊谷宿 熊谷宿百石組に「慶安元年、櫛田市兵衛。宝暦十年、本町北屋敷持主串田市郎左衛門。嘉永元年、本町串田市郎左衛門」。賢勝院明治十四年妙法講碑に当駅櫛田忠兵衛。明治三十五年菓子商櫛田和三郎・そこひ丸胃病八百忠櫛田金造あり。一戸現存す。

久志田 クシダ 富士見に存す。新潟県新発田市八戸あり。

久信田 クシダ 水戸市二十二戸あり。

櫛谷 クシタニ 浦和、与野、鴻巣、松伏、宮代、鶴ヶ島等に存す。

串作 クシヅクリ 埼玉郡串作村(加須市)あり、櫛作とも書く。下谷村字串作(加須市)は古の村名にて、八幡社慶応三年幟碑に串作・近藤所右衛門とあり、同村に旧家近藤氏存す。

串戸 クシド 大宮、坂戸に存す。

一 志木宿 明治八年高橋勝雄家文書に「野火止村居住士族高橋成巧、親類志木宿串戸如夢」あり。現存無し。

櫛野 クシノ 新座、所沢、伊奈に存す。

串橋 クシハシ 川口、大宮、上尾、蓮田、東松山、所沢、新座、朝霞等に存す。新潟県糸魚川市二十戸あり。

櫛浜 クシハマ 浦和に存す。

久慈林 クジバヤシ 浦和に存す。

串原 クシハラ 川口、坂戸、所沢、久喜、越谷等に存す。長野県下伊那郡下條村二十三戸、飯田市十三戸あり。

櫛原 クシハラ 大宮、三郷、飯能、川越、志木等に存す。長野県飯田市三十九戸あり。

一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御馬廻・百三十石・亡父太兵衛・櫛原太兵衛・三十六歳」あり。

櫛比 クシビ 浦和に存す。

櫛引 クシビキ 榛沢郡櫛引原新田あり、今の深谷市・岡部町・寄居町にまたがる広大な櫛引台地なり、人見村(深谷市)は櫛引郷を唱える。足立郡櫛引村(大宮市)あり。また、比企郡越畑村字櫛引(嵐山町)は古の村名にて、武蔵志に「越畑村枝郷串引村」と見ゆ。大宮、蓮田、春日部、越谷、草加、吉川、新座、和光、入間、川越、坂戸等に存す。青森県下北郡脇野沢村二十四戸、北津軽郡金木町十五戸、市浦村二十戸、南津軽郡浪岡町十三戸、平賀町四十戸、五所川原市二十五戸、弘前市四十七戸、青森市百十戸あり。

串淵 クシブチ 桶川に存す。群馬県勢多郡北橘村十戸あり。

櫛淵 クシブチ 八潮、入間、小川、草加等に存す。群馬県利根郡月夜野町三十八戸、沼田市十二戸あり。

櫛渕 クシブチ 浦和、行田等に存す。

串部 クシベ 所沢に存す。

櫛部 クシベ 大宮、春日部、越谷、富士見、和光、朝霞等に存す。

久島 クシマ 浦和、大宮、上尾、岩槻、草加、三郷、川越、所沢等に存す。山梨県北都留郡上野原町九十戸、大月市六十戸あり。ヒサジマ参照。

一 北条氏家臣の久島氏 元は福島(クシマ)と称す。遠江国城飼郡高天神城は今川氏の被官福島上総の居城にて、武田氏に攻められ、其子孫浪人して北条氏康に仕え、北条氏を名乗る。寛政呈譜に「北条上総介綱成(氏綱女を妻とし福島をあらためて北条を称す、天正十五年没、七十三歳)」と。風土記稿新座郡上白子村(和光市)条に「古蹟白子原。天正年中年代記に、大永五年八月二十三日此原に於て合戦あり、其頃櫛間九郎などいへる人討死せしことを載たり。此櫛間は九島にて上総介綱成が一族ならんか。されど大永の頃の記録に此事未だ所見なし」と見ゆ。

二 川越藩酒井氏家臣 若狭国小浜藩由緒書に「初代田口右衛門(久島団右衛門末久・本国武州川越生国若州、酒井忠利様御代・右衛門義於武州川越被召抱候、知行五十石、三年目に加増あり)、四代目勘右衛門書上置候者先祖田口右衛門儀云々」と見ゆ。入間郡に田口氏多く存す。先祖久島末久は本名田口氏にて、川越城主久島上総介の名跡を継承して久島氏を称し、右衛門の時に本名に復姓したか。

久嶋 クシマ 坂戸に存す。

九島 クシマ 大宮、上尾、越谷、杉戸、新座、入間、所沢、富士見、東松山、深谷等に存す。秋田県北秋田郡鷹巣町五十二戸、森吉町六十戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「又者(家老等の臣)・七十石・九島泰助」あり。家老黒屋氏の出身地愛知県南設楽郡作手村に九島氏十戸現存す。

九嶋 クシマ 東松山に存す。

玖島 クシマ 坂戸に存す。

具島 クシマ 上尾に存す。

具嶋 クシマ 岩槻に存す。

串間 クシマ 狭山、蓮田等に存す。

櫛間 クシマ 川島、北本等に存す。

櫛村 クシムラ 大宮に存す。

久次米 クジメ 大里郡高本村字公事免(くじめ)あり。川越に存す。

久志本 クシモト 新座、日高、寄居等に存す。

串谷 クシヤ 北本に存す。

櫛谷 クシヤ 浦和、川口、越谷、草加、和光、川越、所沢、富士見等に存す。新潟市七十戸あり。クシタニ参照。

櫛山 クシヤマ 志木、鳩ヶ谷、所沢、小川等に存す。

九十 クジュウ 入間郡松郷(川越市)に九十川あり。

久住呂 クジュウロ 所沢、三郷に存す。

久重路 クジュウロ 上尾に存す。

九上 クジョウ 賀美郡久上村(上里町)あり、久城とも書く。高山系図に「永禄十一年、高山遠江守定重は、信玄の命により武州加美郡久城に在城す」と見ゆ

九条 クジョウ 九条家延喜式裏文書に大里郡条里坪付あり。京都摂関家九条殿は武蔵国大里郡を所領した本家にて荘官に上野国新田氏を配置す。越谷、朝霞等に存す。

郡上 グジョウ 長野県木曽郡日義村十戸あり。

鯨 クジラ 鯨の枕詞は伊佐と云う。和名抄に土佐国鯨野郷をイサノと註し、壹岐国鯨伏郷をイサフシと註す。常陸国新治郡伊佐荘あり、常陸国志に「新治郡野殿村(下館市)を磯庄と云ふ。磯は伊佐の訛なれども磯氏を称するものあるを見れば、古きよりしか訛れりと見ゆ」と。鯨姓は海洋民の磯部族なり。浦和、上尾、杉戸、行田、東松山、吉見等に存す。栃木県河内郡上三川町十六戸あり。

久地楽 クジラ 岡部藩安部氏家臣にて、慶応四年岡部藩分限帳に「御物頭御留守居添役・五十石三人扶持・久地楽丈右衛門、御小姓・五石一人扶持・久地楽勇」。明治三年分限帳に「大小姓・四十石三人扶持・久地楽勇」。明治四年に士族久地楽勒郎あり。

鯨井 クジライ 高麗郡鯨井村(川越市)あり、久次郎居或は久志羅井とも書く。此氏は武蔵国のみ存し、熊谷市の大姓なり。

一 熊谷氏の本名鯨井氏 玉井村出身の鯨井氏は、熊谷氏の名跡を継承して熊谷氏を名乗り、子孫は越後国魚沼郡に居住すと伝へる。但し、魚沼郡に熊谷氏及び鯨井氏は現存無し。

二 難波田氏家臣の鯨井氏 高麗郡鯨井村より起る。群馬県高崎市我峰町清水一岳文書に「武蔵国難波田之城へ相働、河越之者共も走廻り候、大窪屋敷(富士見市大久保)に而当地に有之参候、鯨井与申者其外、我等鑓下に而三人討申候、此内負於当地に赤垣左衛門与申候者は我才を鑓付候」と見ゆ。鯨井氏は在名にて富士見市に現存無し。大窪条参照。

三 高麗郡の鯨井衆 鯨井村の土豪衆にて苗字にあらず。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「妙長・鯨井衆・未年八月。妙等・クチラ井ノ久蔵内。蓮調・クチラ井ノ勘左衛門・卯年十一月。蓮経・クチラ井ノ惣八父・未年七月。妙照・クチラ井ノ源右衛門内・未年十二月。日性・鯨井。妙信・鯨井ノ者・戌年六月」あり。戦国時代より江戸初期頃なり。

四 忍城士の鯨井氏 深谷記に「天正十年、神流川合戦の時、忍衆鯨井玄蕃あり」と。成田分限帳に「加勢侍・七十貫文・本国武蔵・鯨井木工・弓上手」。行田史譚に「鯨井玄蕃は、成田氏長と共に小田原へ出陣す」と。風土記稿熊谷宿条に「名主本陣の内に石川・鯨井等を氏とせるものあり、皆成田の家人の子孫なる由いへり」と。熊谷旧家祖先天正慶長頃に鯨井玄蕃あり。林条及び四十二項参照。

五 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「六両余二人扶持・鯨井新六」あり。

六 埼玉郡岩槻町 明治三十五年に鯨井八太郎あり。現存無し。

七 同郡東谷原村(春日部市) 岩槻町秋葉社文政十三年御神燈に東谷原村鯨井弥兵衛あり。現存無し。

八 同郡菖蒲町 菖蒲神社明治十年神道無念流奉納額に鯨井万蔵あり。他村の者か。現存無し。

九 同郡笠原村(鴻巣市) 久伊豆社明治三十九年碑に鯨井留吉あり。十一戸現存す。

一〇 同郡長野村(行田市) 明王院明和九年二十二夜塔に下長野鯨井長五郎母。毘沙門堂文政十年碑に鯨井三之助。行田史譚に天保元年長野村名主鯨井武兵衛。池上村古宮神社明治四年算額に長野村鯨井伊兵衛伴郡。毘沙門堂明治十二年碑に鯨井三吉・鯨井角蔵あり。四戸現存す。

一一 同郡堤根村(行田市) 伊奈利神社明治十五年碑に鯨井又兵衛あり。現存無し。

一二 同郡北河原村(行田市) 照岩寺天明八年馬頭尊に鯨井藤吉。明治九年副戸長鯨井金一郎・嘉永三年生あり。九戸現存す。

一三 同郡小曽根村(熊谷市) 江戸末期に組頭鯨井丈八.。妻沼村玉洞禅院嘉永三年馬頭尊に小曽根村鯨井善左衛門。今井村赤城社明治五年算額に小曽根村鯨井彦三郎あり。十二戸現存す。

一四 足立郡差間村(川口市) 当村に此氏多く存す。興照寺文化九年庚申塔に指間村・鯨井吉蔵・鯨井礒五郎・鯨井繁蔵・鯨井春治郎・鯨井定吉・鯨井吉五郎・鯨井幸太郎、天保六年普門品に指間村鯨井与惣右衛門・鯨井仙之丞。多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡見沼領差間村鯨井兵右衛門・鯨井吉五郎・鯨井六右衛門。大牧村清泰寺霞永五年供養塔に差間鯨井吉五郎、万延元年庚申塔に差間鯨井弥次郎。西新井宿村氷川社明治十年小御嶽碑に差間鯨井鉄五郎。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流差間村鯨井千代松。木曽呂村朝日神社明治二十七年御神燈に指間村鯨井吉五郎あり。

一五 同郡木曽呂村(川口市) 阿弥陀堂寛政九年湯殿山碑に鯨井与惣右衛門・鯨井礒右衛門あり。差間村住人か。現存無し。

一六 同郡安行村吉岡組(川口市) 金剛寺明治三年門下碑に鯨井清三郎あり。他村住人か。現存無し。

一七 同郡戸塚村(川口市) 本行寺天保五年水鉢に鯨井幸蔵。諏訪社明治十二年絵馬に鯨井文蔵、明治三十三年奉納額に鯨井兵助、明治四十二年奉納額に鯨井秀太郎。七郷神社明治末期碑に鯨井秀太郎・鯨井仲太郎あり。六戸現存す。

一八 同郡本郷村(川口市) 蓮沼村普門寺観音堂延宝三年棟札に大工本郷村鯨井平左衛門。氷川社明治三十三年碑に鯨井幸三郎・鯨井利兵衛・鯨井徳次郎あり。四戸現存す。

一九 同郡蓮沼村(川口市) 普門寺観音堂延宝三年棟札に寄進蓮沼村鯨井七左衛門、明治三十九年碑に鯨井倉蔵あり。二戸現存す。

二〇 同郡大崎村(浦和市) 太子堂文化元年普門品に当村鯨井惣右衛門。薬師堂文政二年普門品に鯨井次郎吉・鯨井松太郎あり。三戸現存す。

二一 同郡辻村(浦和市) 鷲神社明治四十二年碑に鯨井はる・鯨井ます。現存無し。

二二 同郡大門宿(浦和市) 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に足立郡大門宿鯨井幸蔵。大興寺天保七年会田筆子碑に鯨井栄次郎・鯨井次郎。会田家手習帳に嘉永七年当宿鯨井竹次郎倅幾太郎・九歳、安政四年当宿鯨井留五郎倅福太郎・九歳、安政七年当宿鯨井与兵衛二男時次郎・九歳。信州善光寺山門東安政三年常夜燈に足立郡大門宿鯨井吉五郎。春日社天保九年水鉢に鯨井源右衛門、明治二十六年碑に鯨井栄蔵・鯨井門太郎あり。十七戸現存す。

二三 同郡高尾村(北本市) 当村に此氏の旧家あり。十戸現存す。

二四 同郡原馬室村(鴻巣市) 観音堂明治三十四年馬頭観音碑に地元鯨井利兵衛あり。四戸現存す。

二五 同郡吹上村 吹上神社明治二十九年浅間碑に鯨井芳五郎・鯨井仙太郎、明治四十三年碑に鯨井積由・鯨井貞次郎・鯨井三郎治・鯨井栄治・鯨井朝之助あり。十戸現存す。

二六 川越町 明治三十五年古道具商鯨井六造あり。一戸現存す。

二七 比企郡下狢村(川島町) 明治九年副戸長鯨井園次郎・文政二年生あり。三戸現存す。

二八 同郡将軍沢村(嵐山町) 当村に此氏の旧家あり。六戸現存す。

二九 同郡松山町 松山神社文政十二年御神燈に下町鯨井龍七.。明治三十五年足袋商鯨井雄吉・菓子商鯨井タマ・印紙売捌所鯨井専八・鯨井千代吉あり。六戸現存す。

三〇 同郡腰越村(小川町) 明治十三年赤木組鯨井源八・鯨井米造あり。三戸現存す。

三一 横見郡今泉村(吉見町) 氷川社明治四十年碑に鯨井喜之助あり。二戸現存す。

三二 同郡飯島新田(吉見町) 久米田村慶応元年馬頭尊に飯島鯨井弥吉あり。四戸現存す。

三三 男衾郡本田村(川本町) 俵薬師元文二年供養塔に本田郷鯨井源兵衛。安永七年名主鯨井惣四郎。天明四年地頭内藤氏の代官鯨井惣四郎。安政六年名主鯨井宗右衛門・名主鯨井与兵衛。野原村文殊寺明治二十四年算額に本田村鯨井藤四郎。明治二十五年船水車業鯨井金四郎。明治三十三年文書に鯨井源之助あり。六戸現存す。

三四 幡羅郡妻沼村 榛沢郡内ヶ島村熊野社明和二年棟札に大工妻沼村鯨井吉右衛門(大里郡神社誌)。聖天宮文政十年門前碑に中町鯨井三次郎、弘化四年碑に当所鯨井伊兵衛。摩多利神社天保四年水鉢に当所鯨井喜兵衛。明治三十五年豆腐商鯨井波太郎あり。二戸現存す。

三五 同郡田島村(妻沼町) 下奈良村明治二十七年東条筆子碑に田島村鯨井宝作あり。現存無し。

三六 同郡中奈良村(熊谷市) 下奈良村明治二十七年東条筆子碑に中奈良村鯨井兵五郎・鯨井益太郎あり。五戸現存す。

三七 同郡下奈良村(熊谷市) 田島村明治八年富士嶽碑に下奈良村鯨井金三郎。明治二十七年東条筆子碑に下奈良村鯨井亀三郎あり。七戸存す。

三八 同郡奈良新田(熊谷市) 明治九年副戸長鯨井惣五郎・文化八年生あり。二戸現存す。

三九 同郡柿沼村(熊谷市) 雀神社嘉永六年水鉢に鯨井□兵衛・鯨井権蔵あり。十四戸現存す。

四〇 同郡新堀新田村(熊谷市) 地蔵堂天明五年庚申塔に鯨井宗八あり。三戸現存す。

四一 同郡玉井村(熊谷市) 玉井寺墓地に「鯨井勘左衛門宗勝・宝永六年没・六十三歳。鯨井勘左衛門久成・宝暦十二年没・八十八歳。鯨井勘左衛門藤原勝喜・嘉永七年没・七十八歳」。野原村文殊寺寛延元年水鉢に玉ノ井村鯨井勘左衛門久成。玉井寺天明八年地蔵尊に鯨井市郎兵衛。新島村大雷神社天保十三年御神燈に玉井村鯨井勘左衛門敬勝。安政二年深谷宿田中文書に玉井村鯨井安之丞。玉井神社万延二年寄進名に鯨井勘左衛門・鯨井勘右衛門・鯨井市郎兵衛・鯨井吾輔。名主鯨井勘左衛門分家に万延元年名主五代鯨井茂三郎勘右衛門(勘衛と改名、天保二年生、明治七年没)。明治九年戸長鯨井勘一郎・安政元年生、副戸長鯨井勘衛・安政元年生。明治十八年最上農名簿に鯨井勘一郎・耕宅地三十二町五反歩・山林七町五反歩所有。上岡妙安寺観音堂明治三十一年碑に玉井行谷・鯨井孫一郎。中瀬村向島不動堂明治四十四年従軍馬匹碑に玉井鯨井孫市。貴族院多額納税者議員互選人名簿に明治四十四年農業鯨井勘一郎・安政元年生・国税七百九十五円・県下九十四位(県会議員)あり。十九戸現存す。海洋民磯部族にて古代に渡来土着す。

四二 大里郡熊谷宿 草分六人衆に鯨井久右衛門あり。四項参照。寛永十六年熊谷宿本陣鯨井久右衛門。高城神社寛文十一年文書に町年寄鯨井久右衛門尉。原口文書に「鯨井久右衛門、享保二年作り申候二十四年前酒造」。元文三年忍藩書上に「○町年寄鯨井久右衛門、七代以前熊谷町へ罷出代々町年寄相勤候処、親久右衛門一代中絶仕二十四年以前より町年寄役相勤申候、凡百五十年余居住仕候。○月行司鯨井所左衛門、久右衛門より別家仕十三年以前より月行事役相勤申候」。文政十年諸国道中商人鑑に武州熊谷宿下町旅籠屋鯨井茂兵衛。賀勝院文政十二年庚申塔に新宿講中(筑波町)鯨井清八.。御用達にて、嘉永六年忍藩分限帳に「一人扶持・熊谷宿鯨井休右衛門」。熊谷宿百石組に「慶安元年、鯨井久右衛門。寛文五年、問屋兼町年寄鯨井久右衛門。正徳五年、町年寄衆鯨井久右衛門。元文三年、町年寄鯨井久右衛門、月行司鯨井所左衛門。宝暦十年、本町南屋敷持主鯨井久右衛門、同所持主鯨井武太夫、本町北屋敷持主鯨井所左衛門、新宿南屋敷持主鯨井甚右衛門。寛政十二年、問屋兼町年寄鯨井六郎右衛門。天保十三年、問屋兼名主鯨井休右衛門、町年寄鯨井茂兵衛。嘉永元年、鯨井久右衛門、鯨井与兵衛、鯨井茂兵衛。慶応三年、町年寄鯨井休右衛門。明治元年、問屋兼町年寄鯨井久右衛門」。明治四年駅長鯨井禄郎。明治七年惣代人鯨井繁三郎。明治八年表立鯨井有一郎。明治三十五年本町一丁目牛乳搾取販売鯨進社鯨井治助、鯨井福松あり。

四三 同郡石原村(熊谷市) 明治三十五年荒物商鯨井清三郎あり。七戸現存す。

四四 本庄宿 円心寺元禄八年鐘銘に鯨井庄左衛門あり。五戸現存す。

四五 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「大門村(浦和市)・鯨井遠之助・十二円、忍町・鯨井六郎・二十一円・三十九円、熊谷町・鯨井治助・三十一円、玉井村(熊谷市)・鯨井敬二・百四十一円、鯨井九十郎・十円、大幡村(熊谷市)・鯨井仙之助・十一円、奈良村(熊谷市)・鯨井茂一郎・四十八円、本庄町・鯨井寅松・十九円」あり。

鯨岡 クジラオカ 各市町村に存す。茨城県多賀郡十王町七戸、日立市四十戸、福島県双葉郡広野町三十二戸、いわき市百戸あり。

串脇 クシワキ 秩父郡薄村字串脇。

久代 クシロ 浦和、越谷、朝霞、寄居等に存す。新潟県中蒲原郡亀田町十一戸、新潟市三十戸、鳥取県日野郡日南町七戸あり。

一 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御徒士銃隊格・七石二人扶持・亡養父市太夫・久代吉太郎・三十九歳」あり。

二 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御馬廻・百石・久代源五右衛門、御馬廻・三人扶持・久代倭澄」。明治四年忍藩士族名簿に「十人扶持・久代陳」あり。

三 鴻巣宿 天保五年鴻巣宿商人講中に久代宗介あり。現存無し。

久城 クシロ 上尾、富士見、川越、深谷等に存す。鳥取県(伯耆国)日野郡日南町十四戸あり。

楠 クス 浦和、上尾、春日部、富士見等に存す。クスノキ参照。

葛 クズ 長井氏系図に「長井実忠(武州長井庄妻沼郷産、元久二年畠山重忠に従ひ二俣川に戦死す)―弥三郎盛直(葛三郎養之)」と。太平記卷十九に「新田義貞の執事船田長門守が若党葛新左衛門」と見ゆ。船田氏は幡羅郡日向村字舟田(妻沼町)より起り、葛氏はその隣村の葛和田村より起る。カツ、カツラ参照。

屈巣 クス 埼玉郡屈巣村(川里町)あり。記主禅師の記に玖須村と見ゆ。野村文久三年玉松堂入門帳に久寿村とあり。奥州朴沢文書に「元弘三年、大河戸三郎左衛門尉隆行は、武州所領・崛須郷代官岩瀬五郎入道妙泉の軍忠を注進す」と見ゆ。

一 児玉党崛須氏 埼玉郡屈巣村より起る。小代文書(肥後古記集覧)に「小代八郎行平が曽祖父児玉の有大夫弘行の所領武蔵一ヶ国の分には、児玉・入西両郡并に久下、村岡、中条、忍、津戸、野村、広田、崛須、小見野、三尾乃野、弘行の所領なり」と見ゆ。

国栖 クス 国巣とも書く。アラハバキ条四項、十九項参照。

楠井 クスイ 新座、川越、所沢、桶川、越谷、草加等に存す。

葛井 クズイ 草加に存す。カツイ参照。

葛生 クズウ 埼玉郡葛梅村(鷲宮町)は葛生郷の本郷なり。鷲宮神社文書に「鷲宮御関所、川越太郎貞員御達書・神主殿に有り。太田庄葛生郷、田宮庄桜井郷堺を以て利根川と定むと東鑑に云ふ」と見ゆ。葛生郷(鷲宮町)の東は桜井郷(幸手市)、西は葛浜郷(加須市)なり。川口、浦和、戸田、上尾、桶川、北本、草加、三郷、熊谷、狭山、川越、入間等に存す。栃木県下都賀郡岩舟町三十五戸、藤岡町十二戸、千葉県香取郡大栄町二十五戸、成田市十八戸あり。

葛梅 クズウメ 埼玉郡葛梅村あり。

葛尾 クズオ 浦和に存す。岩手県花巻市十八戸あり。

楠岡 クスオカ 富士見、鴻巣に存す。千葉県四街道市二十三戸あり。

葛岡 クズオカ 浦和、大宮、蕨、和光、新座、入間、所沢、大井、岩槻、草加等に存す。千葉県山武郡大網白里町十一戸、宮城県栗原郡鶯沢町七戸、岩手県稗貫郡石鳥谷町八戸あり。

楠奥 クスオク 大宮、越谷、秩父等に存す。

久須賀 クスガ 忍城士にて、成田分限帳に「二十五貫文・久須賀丹後」あり。氏長と共に小田原籠城す。

葛蔭 クズカゲ 草加に存す。

楠神 クズガミ 草加に存す。

葛上 クズガミ 所沢に存す。

楠川 クスカワ 賀美郡関口村(神川町)より、隣村の元阿保村へ流れる楠川あり。暦応三年安保文書に「安保郷四至、限西楠河流」と見ゆ。越谷、川越、志木等に存す。

葛川 クズガワ 入間郡葛貫村(毛呂山町)を源流とし、善能寺村字葛川、成願寺村字葛川(坂戸市)を経て、越辺川に合流する葛川あり。また、入間郡大袋村字葛川・豊田本村字葛川・豊田新田字葛川(川越市)あり。豊田新田条に「葛川、大袋村より入り野田新田へ沃けり、川幅九尺ばかりなり」と見ゆ。

久須川 クスカワ 忍城士にて、成田記に「成田氏長の臣久須川隼人、久須川伊与三郎、久須川美濃次郎、久須川四郎左衛門」と。成田分限帳に「二十五貫文・久須川丹波」あり。

楠木 クスキ 浦和に存す。

久杉 クスギ 浦和に存す。

楠窪 クスクボ 越谷に存す。

葛窪 クズクボ 鶴ヶ島に存す。

葛坂 クズサカ 狭山に存す。

楠崎 クスザキ 川越に存す。

葛迫 クズサコ 蓮田、幸手等に存す。

楠島 クスジマ 入間に存す。

葛島 クズジマ 富士見に存す。カツシマ参照。

楠瀬 クスセ 春日部に存す。

葛瀬 クズセ 結城系図に「大河戸行方―高柳四郎行平(号葛瀬)」と見ゆ。葛瀬は葛濱の書誤りなり。葛浜参照。

楠田 クスダ 各市町村に存す。新潟県村上市十二戸あり。

一 埼玉郡実ヶ谷村(白岡町) 当村明治二十六年馬頭尊に楠田貞義・楠田貞純。黒浜村久伊豆社明治三十四年碑に社掌楠田貞純あり。一戸現存す。

葛田 クズタ 入間郡中小坂村字クヅタあり。鳩ヶ谷、所沢に存す。千葉県袖ヶ浦市十七戸あり。カツタ、カツラダ参照。

久須田 クスダ 宮城県登米郡米山町七戸あり。

一 忍城士の久須田氏 成田分限帳に「十八貫文・久須田弥三右衛門」。

楠谷 クスタニ 浦和に存す。

葛谷 クズタニ 浦和、草加、所沢、狭山、小川等に存す。クズヤ参照。

楠戸 クスド 川口に存す。

葛西 クズニシ 蓮田に存す。新潟県佐渡郡羽茂町四戸あり。カサイ参照。

葛貫 クズヌキ 栃木県安蘇郡田沼町十二戸あり。ツヅラヌキ参照。

一 埼玉郡西新井村(越谷市) 当村に此氏の旧家あり。六戸現存す。

楠根 クスネ 春日部に存す。

楠野 クスノ 大宮、所沢、鳩山に存す。

葛野 クズノ 各市町村に存す。青森県むつ市二十戸あり。カツノ参照。

一 入間郡宮寺村(入間市) 文化年間に宮寺郷中野村宮大工葛野富吉。明治三年中野村入用帳に葛野伴次郎・葛野道順。明治五年宮寺郷小ヶ谷戸村准副戸雑穀商長葛野勘右衛門。明治二十二年宮寺村三番消防組葛野繁八あり。五戸現存す。

楠 クスノキ 各市町村に存す。群馬県新田郡新田町十一戸、山梨県塩山市五十六戸、長野県上水内郡小川村十一戸、青森県上北郡天間林村十一戸、島根県仁多郡横田町九戸あり。

一 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御使番・四百石・楠五郎兵衛」。佐間村清善寺墓碑に「慈天信解院宗順居士・楠五郎兵衛尉次成・万治三年八月六日」。享保八年忍藩軍役帳「三百五十石・楠五郎兵衛、川俣定加番・五十石・楠助左衛門」。文化四年忍藩分限帳に「御馬廻・三百石・楠伝蔵」あり。

二 岩槻町 明治三十五年魚商楠亀八あり。五戸現存す。

楠木 クスノキ 浦和、川口、上尾、狭山、富士見、熊谷等に存す。クスキ参照。

楠瀬 クスノセ 川口、大宮、蓮田、大井、所沢、新座、朝霞、宮代等に存す。クスセ参照。

楠生 クスノフ 坂戸、狭山等に存す。

楠葉 クスバ 鳩山、越谷等に存す。

葛葉 クズバ 白川家門人帳に「文政八年、榛沢郡寄居村、葛葉大明神」と見ゆ。入間郡西戸村字葛葉あり。川口に存す。

楠八重 クスハエ 川越に存す。

楠橋 クスハシ 狭山に存す。

楠畑 クスハタ 大宮に存す。

葛畑 クズハタ 上尾に存す。

一 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永六年忍藩分限帳に「御馬廻・九十石・葛畑専八」。明治四年忍藩士族名簿に「九十石・葛畑又助」あり。

葛浜 クズハマ 埼玉郡葛浜郷(加須市)あり、カツラハマとも称す。日光輪王寺応永三年大般若経に武州崎西郡葛浜下崎郷光明寺と見ゆ、今の加須町本町光明寺なり。鎌倉黄梅院応永四年文書に崎西郡葛浜郷内久下五郎右衛門跡と見ゆ、久下村は加須町に編入す。久下村の隣村は南篠崎村なり。北篠崎村熊野社文久四年御神燈に太田庄葛浜郷北篠崎村と見ゆ。

一 藤原秀郷流葛浜氏 埼玉郡葛浜郷より起る。佐野松田系図に「太田行光―下総権守行方―葛浜四郎行平」と。秋田藩太田系図に「大河戸別当下総権守行方―葛浜四郎行平―四郎太郎左衛門尉行高」と。結城系図には「高柳四郎行平(号葛瀬)」と見ゆ。葛瀬は葛濱の書誤りなり。中興武家諸系図(宮内庁書陵部所蔵)に「葛浜、藤、本国下野、大河戸下総守行方男、四郎行平・称之」と。本国下野とは藤原秀郷流一族の発祥地なり。吾妻鑑卷四十に「建長二年三月一日、葛浜左衛門尉が跡」と見ゆ。

楠原 クスハラ 上尾、桶川、与野、鴻巣、越谷、三郷、八潮、新座、川越等に存す。

葛原 クズハラ 浦和、大宮、春日部、新座、和光、坂戸、狭山、所沢、富士見等に存す。新潟県佐渡郡羽茂町十一戸、青森県南津軽郡碇ヶ関村十戸、田舎館村二十六戸あり。葛原はフヂハラ(藤原)に同じ。カツハマ、カツラハマ参照。

楠生 クスフ 川口に存す。

葛袋 クズブクロ 比企郡葛袋村(東松山市)あり。

楠部 クスベ 川口、浦和、大宮、与野、所沢、狭山等に存す。ナンベ参照。

楠間 クスマ 三郷、花園等に存す。山梨県東八代郡中道町八戸あり。

葛間 クズマ 浦和、上尾等に存す。

葛巻 クズマキ 蕨、岩槻、戸田、新座、狭山等に存す。岩手県花巻市六十戸あり。カツラマキ参照。

久住 クスミ 新潟県西蒲原郡黒崎町十二戸、分水町二十三戸、南蒲原郡中之島町十五戸、三島郡与板町十二戸、和島村六十九戸、三条市三十戸あり。ヒサズミ参照。

一 葛飾郡西宝珠花村(庄和町) 宝珠花神社元治元年狛犬に当所久住永蔵。明治二十一年皇国武術英名録に柳剛流西宝珠花村久住勝信・久住順あり。現存無し。

二 足立郡小谷場村(川口市) 蕨町三学院明治十一年碑に小谷場村久住初五郎。本太村山神社明治三十年碑に小谷場久住善太郎あり。一戸存す。

三 入間郡上新河岸村(川越市) 堀兼村堀兼神社文政四年御神燈に上新川岸村久住源右衛門。新河岸日枝社明治八年馬頭尊に当所久住源右衛門。昭和三年興信録に高階村・久住謹輔・所得税四十七円あり。当村住人か。現存無し。

四 同郡砂村(川越市) 氷川社明治十八年御神燈に久住龍次郎あり。一戸現存す。

楠見 クスミ 各市町村に存す。茨城県那珂郡瓜連町十二戸あり。

一 忍藩松平下総守(奥平) 嘉永六年忍藩分限帳に「江戸屋敷足軽・三両二人扶持・楠見善右衛門」あり。

二 小鹿野町 明治二十年春日一丁目楠見桂三郎あり。現存無し。

楠美 クスミ 各市町村に存す。青森県北津軽郡板柳町七十三戸、青森市百戸あり。

葛見 クズミ 新潟県新発田市七戸。

久須美 クスミ 高麗郡久須美村(飯能市)は、当村大江文書に「永禄五年、宮寺与七郎(本名大江氏)は葛見二貫文を安堵される」と見ゆ。各市町村に存す。新潟県三島郡和島村十八戸、燕市十五戸あり。

一 粕壁町 明治三十五年表具師久須美熊蔵あり。現存無し。

久須見 クスミ 忍城士にて、成田分限帳に「三十三貫文・久須見久内」。

久頭見 クズミ 川口に存す。福島県安達郡岩代町四戸あり。

楠村 クスムラ 熊谷に存す。

楠目 クスメ 川口、大宮等に存す。

葛目 クズメ 羽生に存す。

久寿米 クズメ 大宮に存す。

久壽米木 クズメギ 狭山に存す。

葛茂川 クズモガワ 入間郡葛茂川庄あり、山城・藤倉両村(川越市)が唱える。其辺に葛茂川といえる小流あり。 

楠元 クスモト 浦和、川口、戸田、春日部、久喜、越谷、入間、川越等に存す。

楠本 クスモト 各市町村に存す。千葉県銚子市十五戸、鳥取県倉吉市十一戸あり。

樟本 クスモト 浦和に存す。

葛本 クズモト 狭山に存す。

楠森 クスモリ 入間、嵐山、越谷等に存す。

葛谷 クズヤ 杉戸、羽生等に存す。カツヤ、クズタニ参照。

楠八重 クスヤエ 富士見に存す。

楠山 クスヤマ 足立郡中曽根村字楠山あり。各市町村に存す。

一 志木宿 氷川神社嘉永六年碑に中野・楠山長吉あり。現存無し。

樟山 クスヤマ 富士見に存す。福島県耶麻郡北塩原村十一戸あり。

葛山 クズヤマ 川越中院過去帳に「喜庵全悦・葛山右近」あり。現存無し。

崩 クズレ 川口、越谷、春日部、本庄等に存す。青森県三戸郡新郷村十戸あり。

崩丸 クズレマル 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣にて、元禄七年川越藩分限帳に「御代官・五十石・崩丸安右衛門」あり。

久住呂 クスロ 入間に存す。

葛和 クズワ 上尾、越谷等に存す。

葛綿 クズワタ 新潟県栃尾市三十四戸あり。カツラワタ参照。

葛和田 クズワダ 幡羅郡葛和田村(妻沼町)あり。葛条参照。

久世 クゼ 各市町村に存す。岩手県久慈市十八戸あり。

一 足立郡の久世氏 頼朝将軍の臣にて、幸島伝記に「鎌倉将軍末葉武蔵国足立郡久世名乗、武蔵国秩父郡中津川以本名幸島名乗也」と見ゆ、サシマ条参照。蕨宿世鏡伝記顕臨書に「慶長十七年蕨新宿取立に際し、久勢氏等は戸田村より来住す」と見ゆ。久世氏一戸現存す。戸田村現存無し。

二 熊谷町 昭和三年興信録に久世数馬・所得税十九円あり。現存無し。

三 児玉町 明治三十五年小間物商久世庄七郎あり。現存無し。

久瀬 クゼ 浦和、朝霞等に存す。

苦瀬 クゼ 幸手町幸宮神社明治三十三年碑に苦瀬嘉市(蒟蒻商)あり。一戸現存す。

久瀬川 クゼガワ 入間郡本郷村(所沢市)明治七年成田山月参護摩講に久瀬川宇兵衛。昭和三年興信録に柳瀬村・久瀬川宇吉・所得税九円あり。一戸現存す。

曲竹 クセタケ 高麗郡曲竹村(飯能市)の享保四年供養塔に加治領久世竹村とあり。

具足 グソク 大宮に存す。

九田 クダ 川口に存す。

玖田 クダ 所沢に存す。

工平 クダイラ 吉川、川越等に存す。山形市十三戸あり。

久高 クダカ 大宮、上尾、新座、鳩ヶ谷、川越、富士見等に存す。ヒサタカ参照。

管波 クダナミ 川越に存す。

久玉 クタマ 上尾に存す。

久田見 クタミ 大宮、飯能、狭山等に存す。

久多見 クタミ 熊谷、春日部等に存す。

百済 クダラ 紀元前二八四年に北方の燕(えん)が遼東方面に進出するに及んで、遼河・遼東半島方面の辰韓と、鴨緑江・清川方面の弁韓の韓族が南下移動を開始し、辰韓・弁韓族が漢江以南に辰国を建てる。しかし、馬韓族が南下移動を開始した為に、辰・弁はさらに半島南部(慶尚道地方)に移動定着し、おのおの辰韓国(後の新羅)、弁韓国(後の伽羅)を建てる。馬韓族は漢江西南に目支国(全羅北道益山附近)を建てた。これが馬韓国(後の百済)である。目支国の君長は代々辰王(しんおう)を称し、辰韓・弁韓の三韓連盟体を組織した。魏志東夷伝に「弁辰韓・合せて二十四国、大国は四五千家、小国は六七百家、総べて四五万戸、其の十二国は辰王に属す。辰王・常に馬韓の人を用ひて之をなす。世々相継ぐ。辰王自ら立って王たる事を得ず」と見ゆ。其後、高句麗に追われた夫余(ふよ)族の温祚(おんそ)部族の伯済(はくさい)が京畿道の広州に土着し、目支国(もくし)を征服して馬韓を支配したのが百済王国の土台となる。夫余族は中国東北部(北満州)に居た夫余及び東夫余(中国東北部の農安地方を根拠地としていたが四九四年に高句麗に併合される)、卒本夫余(後の高句麗国)である。夫余王の子朱蒙(しゅもう)は卒本夫余を建国し、其の子温祚王は百済国王の始祖と伝へる。三国史記に「始祖温祚王、其の父は朱蒙と云ふ。北夫余より難を逃れて、卒本夫余に至る。夫余王・子なし、唯三女子あり、朱蒙の常人にあらざるを知り、第二女を以って妻はす。未だ幾くならずして、夫余王薨じ、朱蒙位を嗣ぐ。二子を生む。長を沸流と云ひ、次を温祚と云ふ」と見ゆ。百済王家は高句麗王家と同じく夫余出身である。梁書・百済伝に「邑を檐魯と謂ふ。中国の郡県を言ふが如し。其の国、二十二檐魯あり」と見ゆ。クは「大、大きな」、ダラは「邑、郡県、国」で、クダラとは「大ノ国」と別称されていた。百済渡来人は、大、多、大野、小野等の苗字を名乗る。古事記編者の多安麻呂も大ノ国の渡来人なり。阿(オ、オホ)は、阿(ア)と読まれ、阿ノ国の渡来集団(部)を阿部と称し、大部とも称す。管羅(クダラ)の管はツツと読まれ、津々羅木、筒木、都筑、綴喜と称す。武蔵国都筑郡は管羅(ツツキ)の渡来人土着地なり。また、管羅はカンラと読まれ、上野国甘楽郡百済庄(吉井町長根附近)も是等の渡来地なり。また、韓族の南下移動により、海洋民となった先住民族の熊族、越族、豊族、冨族、曽族、大族等は我が国へ大量に渡来し、百済族と称す。日本の弥生時代である。ウツミ条参照。日本地名学研究の白鬚考に「白鬚(しらひげ)に非ずして、韓音のクダラ也」とある。白鬚神社の鎮座地は百済人の渡来地なり。また、奥州に多く存す阿部族工藤氏一族の工はクダラのクで、藤(とう)は唐(から)の韓(から)である。各条参照せよ。

一 百済王家 高朱蒙(都慕王)―初代温祚王―二代多婁王―三代己婁王―四代葢婁王―五代尚古王―六代仇首王(貴須王)―十代比流王―十二代近肖古王―十三代近仇首王、尚古王の弟七代古爾王―八代貴稽王―九代汾西王―十一代契王と続き、伯済の第七代古爾王(二三四〜二八五年)、近肖古王(三四六〜三七四年)に至って馬韓を征服し、百済国家を形成した。近仇首王(三七五〜三八四年)の時代に王仁(わに)及び阿直岐(あじき)が論語・千字文などを日本に伝え、儒学の普及に貢献した。日本書紀の百済論は百済王氏の編纂説がある。斉明天皇六年(六六〇年、百済の義慈王二〇年)に新羅・唐軍が百済を攻略す。翌年、日本在留中の三十代義慈王の王子豊璋を迎えて三十一代百済王とし、百済を復興す。復興軍は、高句麗と日本に援軍を要請し、六六三年三月に上毛野君稚子等二万七千の兵を送った。有名なる白村江(はくすきのえ)の戦いで、百済・日本連合軍は大敗し、ここに百済は滅亡した。天平神護二年六月紀に「百済王敬福薨ず。其の先は、百済国義慈王より出づ。舒明朝御代、義慈王・其の子豊璋王、及び禅広王を遣はし、入りて侍らしむ。後、斉明朝に泊び、義慈王の兵・敗れて唐に降る」と見ゆ。豊璋王の弟三十二代禅広王―三十三代昌成―三十四代良虞―三十五代敬福なり。

二 百済渡来人 百済からの渡来は、紀元前より始まり、応神・仁徳天皇の五世紀前後に新しい技術を持った集団が渡来し、百済滅亡後の七世紀末には大量移民が流入した。加耶諸国と任那日本府(季永植著)に「帰化人の多くは略奪されてつれてこられたり、大陸の贈与によって日本に来たとし、帰化人に百済の出身者が圧倒的に多いのは百済が日本の従属国だったためであるとした。しかし、古事記には帰化の替わりに渡来(ミズカラマウク)と表記され、戦争捕虜のような性格のものではないことがわかる。日本書紀にも新羅征討物語や加羅七国平定物語はあっても、百済にたいするそれらしきものは、どこにも見当たらない。朝鮮侵略の直接対象だった任那からの帰化人がもっとも多いはずであるが、百済系がもっとも多いというのは前後が合わない。帰化人に百済系が圧倒的に多いようにみられるのは、幾度かに分けられる韓諸国系の渡来の波のうち、六百六十年の百済滅亡直後に最大規模の移住が行われたためである」と見ゆ。

三 東国の百済人 日本書紀・天智天皇五年(六六六年)条に「百済男女二千余人を以って、東国に居らしむ」と見ゆ。

四 武蔵国の百済人 日本書紀・天武天皇十三年五月(六八四年)条に「化来の百済の僧尼、及び俗人男女、并に二十二人を皆武蔵国に安置す」と。下って、将門記に武蔵国守百済貞連を載す。

五 男衾郡の百済人 本田村字百済木(川本町)あり。附近に百済系の鹿島古墳群がある。

六 足立郡の百済人 蕨宿正蔵院は供陀羅山(クダラザン)と号す。

七 入間郡の百済人 風土記稿勝楽寺村(所沢市)条に「山王七社、蔵王権現は弘法大師の作なりと云ふ。別当勝楽寺は辰爾山仏蔵院大坊と号す。相伝ふ、当寺は殊に古き寺院にて、往昔百済より帰化せし儒生王仁が五代の孫王辰爾が子、其父の菩提の為に開闢せし伽藍なりと云ふ、又王辰爾此地にて終焉せしと云ふ」。また、仏蔵院文書に「当山開基は人王三十一代敏達天皇の御宇に王辰爾とて博士有り、先祖は人王十六代応神天皇太子仁徳天皇の御師範に、百済国の王子王仁に勅し給ふ。王仁より五世の孫王辰爾なり。王辰爾此山□身□を埋て一本の楠を植置り。四十四代元正帝霊亀二年に高麗人来居し一寺を建て、阿弥陀歓喜天、敬入、勝楽寺聖天院と号し、四年にして二尊抱て北に移る。今高麗郡高麗村と子孫多く有り。一寺を建て聖天院勝楽寺大御堂と言しか今に有り。弘仁の頃、一人の僧此山入、楠の枝を取て二尊彫み給ひ、一尊を山上に祭り、是蔵王権現即ち王氏を蔵る心か」と見ゆ。十三代近仇首王の弟十五代辰斯王―知宗王(応神朝帰化)―太阿良王(仁徳天皇近侍)―玄陽君―午定君―王辰爾(船史)―船那波故(船首)―王後首にて、王後首の墓碑(河内国安宿郡古市村松岡山西琳寺)に「惟れ船氏・故王後首は、是れ船氏中祖なり。王智仁首の児那波故首の子也。敏達朝に生れ、推古朝に仕へ奉る」とあり。入間郡の百済人は船氏一族なり。

八 豊島郡の百済人 武蔵志に「豊島郡原宿、百済稲荷」と見ゆ。原宿・赤坂・千駄谷の周辺は百済人居住地と伝へる。

久多良木 クダラギ 八潮、富士見等に存す。前条五項参照。

倶知 クチ 古代朝鮮語で鷹をクチと云う。和名抄に「鷙、太加。古語に倶知と云ふ」と。仁徳天皇紀に「百済の人、此の鳥を名づけて、倶知と曰ふ」と見ゆ。

朽網 クチアミ 川口に存す。

久地井 クチイ 浦和に存す。

久池井 クチイ 蕨、鳩ヶ谷等に存す。

口石 クチイシ 大宮、草加、朝霞、狭山等に存す。

口岩 クチイワ 所沢に存す。

久地浦 クチウラ 朝霞、岩槻等に存す。

久地岡 クチオカ 草加、越谷、鴻巣、寄居等に存す。茨城県西茨城郡友部町八戸あり。

朽方 クチカタ 浦和、日高、新座等に存す。千葉県夷隅郡夷隅町二十二戸あり。

口川 クチカワ 上福岡に存す。岩手県釜石市六戸あり。

口木 クチキ 上尾に存す。

朽木 クチキ 千葉県茂原市十四戸、福島県伊達郡国見町六戸、桑折町三十戸、宮城県桃生郡河北町六戸、岩手県岩手郡岩手町二十五戸あり。クツキ参照。

口田 クチダ 浦和、蕨、久喜、新座等に存す。鳥取県米子市十三戸あり。

口地 クチチ 川越に存す。

朽津 クチツ 坂戸、狭山、所沢に存す。

朽名 クチナ 川口、熊谷等に存す。

朽野谷 クチノヤ 秩父郡南村字朽野谷(飯能市)あり。

口原 クチハラ 狭山に存す。

朽堀 クチボリ 明治三十五年に深谷町口入屋朽堀久八、本庄町干饂飩商朽堀久松あり。両町に現存無し。

口町 クチマチ 浦和、大宮、川口、越谷、富士見等に存す。茨城県西茨城郡岩瀬町十四戸あり。

朽見 クチミ 岩槻に存す。

口村 クチムラ 川口、与野、所沢等に存す。島根県隠岐郡西ノ島町四戸、知夫村三戸あり。

九丁 クチョウ 足立郡石戸宿村字九丁、下石戸下村字九丁、荒井村字九丁の三字は古の九丁村(北本市)なり。荒井村宝永八年地蔵尊に九丁村と、川田谷村延享四年庚申塔に九丁村と、釘無村明治十九年馬頭尊に九丁村と見ゆ。今の石戸宿一丁目の九丁公会堂附近なり。

久地楽 クチラ クジラ条参照。

久知来 クチライ 葛飾郡千塚村(幸手市)真乗院正徳五年鐘銘に久知来四郎兵衛あり。現存無し。

口脇 クチワキ 所沢、大井等に存す。

沓内 クツウチ 与野に存す。

久津岡 クツオカ 入間、狭山等に存す。

沓掛 クツカケ 榛沢郡沓掛村(岡部町)あり、太田道灌書状に「文明十二年正月十三日、沓懸に相進む」と見ゆ。各市町村に存す。長野県埴科郡坂城町六戸、小県郡青木村七十七戸、上田市七十戸あり。

沓冠 クツカブ 越谷に存す。

沓川 クツカワ 川口、大宮、越谷、所沢等に存す。山梨県北巨摩郡明野村八戸あり。

久津川 クツカワ 山梨県北巨摩郡高根町五戸あり。

朽木 クツキ 寛政呈譜に此氏をクツキと註す。佐々木系図に「佐々木信綱―高信―朽木五郎右衛門出羽守頼綱―義綱―時綱、弟義氏―頼氏」と。朽木系図に「朽木義綱―時経―義氏―経氏(初頼氏、万寿丸、出羽四郎。河内次郎顕盛が猶子となり、元徳二年顕盛が領地武蔵国比企郡石坂村等をあたへられ、のち父義氏が譲をうけて、朽木庄を領し、足利尊氏に属す)―氏綱―能綱―時綱―貞高―貞綱―貞清―植綱―晴綱―元綱(徳川氏に仕へ、近江国高島郡朽木庄等九千五百九十石余を知行す)」と見ゆ。風土記稿石坂村(鳩山町)条に「当所は、池大納言頼盛より河内次郎顕盛まで伝来せし知行なりしを外戚の因あれば、朽木兵庫助時綱が子朽木万寿丸に与へしこと知らる。万寿丸は後、出羽守経氏といへり」と。朽木家文書に「建治三年正月、幕府は、亡父時賢遺領比企郡南方石坂郷内恵加佐次郎在家・同田一町五段、右衛門太郎在家・同田一町につき、駿河彦四郎有政と姉平氏号弥鶴の相論を裁許す」。「元応元年五月二十日、譲り渡す、比企郡南方中尾郷内(滑川町)左近入道が在家・田一町四反半、河内新大夫子息増一に永く永代を限りてとらす也」。「元徳二年九月二十二日、平顕盛は、丹後国倉橋郷内与保呂村地頭職の事、鎌倉甘縄魚町東頭地一円事、武蔵国比企郡内石坂村事、安房国くすわら村の事、重代の太刀、うち刀の事、等を養子万寿丸に譲り渡す」。「元徳二年十月二十二日、池殿より、丹後播磨武蔵安房の御譲状、万寿丸に給候、時経花押」と見ゆ。河内(かわち)条参照。

沓木 クツキ 草加に存す。

沓沢 クツザワ 各市町村に存す。山形県最上郡真室川町七十七戸、鮭川村二十九戸、新庄市二十六戸、秋田県平鹿郡増田町十三戸、雄勝郡稲川町百二十七戸、湯沢市二十五戸あり。

沓澤 クツザワ 各市町村に存す。

久津田 クツダ 川口、小鹿野等に存す。

屈戸 クット 大里郡屈戸村(大里町)あり。相模文書に「観応二年、吉良右京大夫貞家は、武蔵国崛戸郷地頭職を鎌倉法泉寺に寄進す」。鶴岡八幡宮文書に「応安四年、寄進鶴岡八幡宮、武蔵国崛戸郷内次郎方半分事」。日光輪王寺応永三年大般若経に「執筆大里郡崛戸郷住人大日堂盛光寺住僧門長坊秀範」と見ゆ。屈戸村境の中曽根村大日堂なり。

久綱 クツナ ヒサツナ参照。

沓名 クツナ 岩槻、庄和、行田に存す。

忽那 クツナ 浦和、大宮、加須、幸手、草加、吉川、所沢等に存す。

怱那 クツナ 川越に存す。

久津那 クツナ 川越に存す。

沓内 クツナイ 川口、浦和、所沢等に存す。

沓抜 クツヌキ 与野に存す。

沓野 クツノ 坂戸に存す。

沓間 クツマ 日高に存す。

久津間 クツマ 入間郡大仙波村(川越市)に多く存す。川越日蓮宗行伝寺過去帳に「道喜・大仙波ノ沓間太郎左衛門・卯年八月。妙任・沓間老母・辰年八月。妙作・沓間内方・酉年六月。妙威・クツマ九兵衛内・巳年四月。法悦・沓間長右衛門・寅年十月」。江戸初期なり。明治九年副戸長久津間杢兵衛・文化十四年生。明治三十五年理髪店久津間鉄吉。氷川社明治四十一年碑に久津間林之助・久津間卯四郎・久津間信太郎あり。

久津摩 クツマ 熊谷に存す。

久都間 クツマ 川越に存す。

久積 クツミ 昭和三年興信録に忍町・久積倉助・所得税四百四十五円・営業税二百二十四円あり。三戸現存す。

久津美 クツミ 和光に存す。

久津見 クツミ 川口、狭山、飯能等に存す。

九津見 クツミ 浦和、大宮、春日部、越谷等に存す。

沓水 クツミヅ 飯能に存す。

沓村 クツムラ 川越に存す。

久津輪 クツワ 草加、蕨、飯能に存す。

轡瀬 クツワセ 葛飾郡上吉羽村字轡瀬、天神島村字轡瀬(幸手市)は古の村名なり。上吉羽村香取社享保十八年碑に葛飾郡轡瀬村医王院と。天神島村天王社天保三年鳥居碑に天神轡瀬村とあり。天神社縁起に「轡瀬と見ゆるは、この天神島なるべし」と見ゆ。

轡田 クツワダ 川口、浦和、大宮、上尾、与野、戸田、加須、越谷、鷲宮、朝霞、所沢、富士見等に存す。新潟県中蒲原郡小須戸町九戸、新津市二十六戸あり。

久津呂 クツロ 桶川に存す。

久手堅 クテカタ 毛呂山に存す。

久戸 クド 与野に存す。

久渡 クド 川口、戸田等に存す。

工藤 クドウ 工は百済のク、藤は唐(から)のことで、韓(から)国の百済渡来人を称す。安羅(後の百済)の安部族で、阿部族渡来地の陸奥国に多く存す。武蔵国及び山陰地方には無し。○群馬県甘楽郡下仁田町三十戸、南牧村八十戸。○長野県上田市百三十戸、佐久市百七十戸。○新潟県村上市百戸。○宮城県加美郡小野田町五十二戸、中新田町五十五戸、登米郡石越町六十三戸。○岩手県岩手郡滝沢村百六十戸、玉山村百戸、西根町百六十戸、松尾村八十七戸、岩手町五十五戸、紫波郡紫波町百二十五戸、下閉伊郡岩泉町百十八戸、田野畑村六十六戸、二戸郡安代町三十四戸、淨法寺町三十戸、一戸町三十六戸、九戸郡軽米町九十五戸、宮古市百戸、二戸市百七十戸。○山形県東村山郡中山町六十九戸、西村山郡河北町七十四戸、西川町六十三戸、北村山郡大石田町六十三戸、東田川郡藤島町三十戸、朝日村五十八戸、余目町百十戸、村山市百四十戸、東根市百二十戸、鶴岡市二百八十戸、酒田市百十戸、寒河江市百四十戸、天童市百九十戸、山形市四百戸。○秋田県由利郡岩城町五十戸、大内町六十戸、仙北郡神岡町四十二戸、南秋田郡井川町三十六戸、五城目町百六十戸、天王町五十四戸、八郎潟町九十五戸、北秋田郡鷹巣町六十三戸、合川町九十戸、田代町百十戸、森吉町五十四戸、河辺郡雄和町七十九戸、山本郡琴丘町百七十戸、八森町八十三戸、八竜町三十九戸、二ツ井町二百六十戸、山本町五十戸、鹿角郡小坂町六十戸、鹿角市二百二十戸、能代市三百四十戸、大館市三百五十戸、本荘市二百七十戸、秋田市九百戸。○青森県三戸郡五戸町五十戸、田子町三十五戸、名川町百五十戸、南部町百四十戸、階上町四十三戸、福地村三十戸、三戸町九十五戸、上北郡下田町三十戸、百石町七十戸、七戸町五十五戸、天間林村三十六戸、野辺地町三十六戸、下北郡大畑町六十戸、川内町六十六戸、北津軽郡板柳町二百十戸、金木町百戸、鶴田町百五十戸、中里町八十戸、市浦村三十四戸、中津軽郡岩木町八十戸、西目屋村三十戸、南津軽郡大鰐町百五十戸、尾上町三百戸、浪岡町三百九十戸、平賀町三百三十戸、藤崎町百六十戸、碇ヶ関村七十戸、田舎館村二百八十戸、常盤村七十戸、東津軽郡蟹田町四十戸、平内町百五十戸、三厩村三十三戸、蓬田村三十戸、西津軽郡鯵ヶ沢町二百四十戸、木造町百九十戸、深浦町八十四戸、稲垣村六十戸、岩崎村三十五戸、柏村六十戸、車力村三百二十戸、八戸市七百八十戸、十和田市二百戸、三沢市百十戸、むつ市二百九十戸、五所川原市四百八十戸、黒石市七百八十戸、弘前市二千戸、青森市二千六百戸あり。

一 岩附城士の工藤氏 高麗文書(家伝史料)に「永禄中、しゅいの次第・くとう殿」と見ゆ。

二 忍城士の工藤氏 成田分限帳に「二十一貫文・工藤九郎五郎」あり。

三 忍藩阿部氏家臣 慶安年中忍藩分限帳に「御馬廻・二百石・工藤市左衛門、中小姓・五十俵二人扶持・工藤左太夫」。享保八年忍藩軍役帳に「二十人扶持・工藤庄右衛門、百石・工藤金次郎」。文化四年忍藩分限帳に「御先手銃隊・二百三十石・工藤庄右衛門」あり。

四 川越藩柳沢出羽守保明(松平吉保)家臣 元禄七年川越藩分限帳に「御作事奉行・十両三人扶持・工藤甚右衛門」あり。

五 幡羅郡葛和田村(妻沼町) 信州木曽御嶽山清滝新道端昭和五年碑に大里郡秦村大野講・工藤福太郎あり。現存無し。

工東 クドウ 川口、戸田、所沢に存す。

久東 クドウ 入間、羽生等に存す。

久通 クドウ 秩父郡南川村字久通(飯能市)は古の村名なり。我野参照。

久藤 クドウ 松伏、桶川、久喜に存す。

久頭 クドウ 深谷に存す。

九道 クドウ 春日部に存す。

宮東 クドウ 浦和、蓮田、庄和、春日部等に存す。宮城県栗原郡築館町八戸あり。

貢藤 クドウ 富士見に存す。

久戸瀬 クドセ 上尾に存す。

工富 クトミ 大宮、三芳等に存す。

久富 クトミ 吉川、行田、熊谷等に存す。ヒサトミ参照。

久那 クナ 秩父郡久那村あり、荒川の北岸は秩父市へ、南岸は荒川村へ編入す。

一 鉢形城士の久那氏 神流川合戦記に「天正十年六月、秩父郡久那村城主久那但馬守常春」と見ゆ。在名にて現存無し。

宮内 クナイ 上尾に存す。

国 クニ 伊奈、上福岡、大井に存す。

久仁 クニ 川越に存す。

六合 クニ 足立郡槐戸村(草加市)観音寺跡碑に六合村鳥海利右衛門あり。また、葛飾郡彦倉村(三郷市)延命院宝暦九年勧進帳に篠葉村鳥海利右衛門と見ゆ。六合村は篠葉村(草加市)の別名なり。

国井 クニイ ○群馬県邑楽郡邑楽町八戸。○栃木県那須郡那須町十一戸、黒羽町八戸、烏山町十八戸、大田原市五十戸。○茨城県東茨城郡内原町二十一戸、小川町十戸、西茨城郡友部町十五戸、鹿島郡旭村十二戸、日立市三十戸。○新潟県岩船郡荒川町十四戸。○福島県石川郡平田村四十戸、西白河郡大信村二十六戸、河沼郡会津坂下町十六戸、いわき市二百六十戸、郡山市四十戸。○山形県東村山郡中山町十五戸、東田川郡余目町十六戸、天童市百七戸、寒河江市百四十五戸、山形市六十八戸あり。コクイ参照。

一 葛飾郡清地村(杉戸町) 八幡社文政二年水鉢に三本木村国井清七.。近津神社明治二十二年伊勢講碑に国井市兵衛(穀肥料商)あり。三戸現存す。

二 足立郡谷古宇村(草加市) 柳之宮村氷川社明治十九年絵馬に谷古宇村国井久蔵あり。

國井 クニイ 桶川、北本、吉川、志木、川越、所沢、白岡等に存す。

国居 クニイ 坂戸に存す。

国渭 クニイ 入間郡森戸村(坂戸市)に延喜式国渭地祇神社あり、熊野権現と別称す。

邦井 クニイ 大里郡箕輪村(大里町)正徳五年庚申塔に邦井八左衛門あり。現存無し。

國家 クニイエ 熊谷に存す。

国生 クニウ 朝霞に存す。コクウ参照。

国江 クニエ 越谷に存す。

国枝 クニエダ 各市町村に存す。長野県茅野市十五戸、岩手県岩手郡岩手町八戸あり。

國枝 クニエダ 和光、所沢等に存す。

国尾 クニオ 鳥取県米子市九戸あり。

国岡 クニオカ 蓮田、草加、新座、川越、坂戸、所沢等に存す。鳥取郡(因幡国)八頭郡智頭町五十二戸あり。

國岡 クニオカ 戸田、川越、所沢等に存す。

国沖 クニオキ 加須に存す。

国奥 クニオク 所沢、越谷等に存す。

国方 クニカタ 所沢、草加、秩父等に存す。

國方 クニカタ 坂戸に存す。

国門 クニカド 春日部に存す。

国金 クニガネ 伊奈に存す。

国兼 クニガネ 上尾、戸田、八潮、狭山、鶴ヶ島、所沢、川本等に存す。

國兼 クニガネ 上尾に存す。

国上 クニガミ 川口、大宮、久喜、越谷、川越等に存す。

国神 クニガミ 秩父郡白鳥庄金崎村字国神(皆野町)あり。多摩郡青梅塩船観音寺大般若経に「至徳二年八月十一日、武州秩父白鳥国上住僧円成」と。秩父志に「国祖、霊宮、金崎村国上、秩父彦命、社司国府宮」。「金沢村の内に国上と云ふ所に往古、縣主の居地と云所あり、近古まで小地名を国神と書しと云ふ」。「金毘羅山社、大淵村の国上と云村へ入口の所にあり」と見ゆ。金崎村字国神の金毘羅社なり。三村の境にて字国神に現在国神神社が鎮座す。

国川 クニカワ 川口、坂戸、越谷等に存す。

国北 クニキタ 越谷に存す。

國清 クニキヨ 朝霞、春日部等に存す。

国京 クニキョウ 蕨、浦和、鳩山等に存す。

救仁郷 クニゴウ 八潮、桶川、鴻巣、春日部等に存す。

国崎 クニザキ 各市町村に存す。

國崎 クニザキ 所沢に存す。

国定 クニサダ 各市町村に存す。群馬県佐波郡東村三十四戸、栃木県足利市三十戸あり。

國定 クニサダ 加須に存す。

国貞 クニサダ 大宮、川口、庄和、春日部、上尾、川越等に存す。

国里 クニザト 浦和、所沢、鳩山等に存す。

国実 クニザネ 鴻巣に存す。

国沢 クニサワ 各市町村に存す。島根県江津市十二戸あり。

国澤 クニサワ