ものつくりの現場から
2006年 7/10〜12 長野の工房めぐり。



その1.伊那紬の久保田さんの工房。

かつて50軒ほどもあった伊那紬の組合員も今は16軒。
機械を入れて大きくやっていたところは廃業し
現在は家業として細々とやっているところがほとんどです。 
その中でも古くから続く 久保田さんの工房へ。
以前は養蚕の盛んな土地でしたから
ここでは生糸を仕入れて合糸(21中という細い生糸を風合いによって
4本とか6本とか合わせてる)や撚糸(糸に撚りを掛ける)まで行っています。
糸が出来たら精錬して地元の植物で染め上げます。
精錬された糸を買っている工房が多い中、
糸を合わせる本数、撚りの強弱を変えることで
生地の風合いに変化を持たせることができるのです。
帯も織っているので 八寸、九寸の糸を使い分け
又 時代の好みによって地風も変って来ているそうです。
染めは地元ならではのリンゴの木を初め 胡桃、栗、クヌギ、白樺、イチイ、桜・・・・。
たっぷりの染料を煮出した煎汁で染め上げます。

機場には30台ほどの高機がありましたが この日は5人の方が機に向かっていました。
織り子さんは若くても60台。 70台、80台も珍しくないそうです。
正社員として雇うと保険や年金、労働環境を整えることが
製品の価格に反映してしまいます。
また高齢者が多いことで労働時間に制限があり 生産量も年々減少していっています。

久保田さんの工房では 染めとデザインは 全て久保田さんご本人がしておられて
昔は無地、縞、格子のみでしたが 今は花織や絣なども取り入れています。
志村ふくみさん風ののしめ調や 宗廣力三さん風の流れのような絣も研究されていました。

じざいやのオリジナルとしては  経糸に薄い黄色(キハダ)を使い
緯糸にグレー(クヌギ?ブナ?)、ピンク(イチイ?)で
それぞれの無地を織ってもらうことにしました。
まずは試織で色目を確認してからになりますので 織り上がりは9月ごろの予定です。

今回 どこの工房でも後継者と織り子さんの養成に 頭を抱えていました。
労働環境を整えると製品が高くなる。
今は自給にするとスーパーのレジの方がずっと 割りが良くて保障のある仕事なのです。
織り子さんが安心して働ける社会的保障のある職場にならないと 若い働き手はやってきません。


地元の植物が染めの材料になります。


糸を2本、4本と合わせて好みの太さにします。


撚り糸を作っているところ。


染め上がった糸たち。



その2.三才山紬

二番目にお邪魔したのは三才山(みさやま)紬の 横山さんのお宅です。
家族で染めて織って、とされていましたが
四年前にお父様が、次いでお母様がお亡くなりになり
(旦那は以前にご両親にもお会いしてますが私は会えませんでした)
今はご夫婦お二人だけの工房です。

こちらはお父様(横山英一氏)の代から 自宅の裏山で採れた植物を使い 
自宅の田んぼで採れた藁を焼いて灰をつくり精錬に使ってきました。
今もそのままの手仕事が続けられています。
自宅で採取した植物は新鮮で発色が良いのが自慢です。 
売っている材料では濁った発色になるとおっしゃいます。
また葉や花では堅牢度が低いを感じるそうで
木本体の皮や枝、実を使用して染めています。
山漆で染めるのはとても珍しく 美しい灰白色から深い墨黒まで発色します。
機場には6台の機がありました。
かつては 家族一人に一台使っていたそうですが
今は ご主人と奥様で一度に2,3台を使い 同時に織進めているそうです。

ここでも問題は後継者でした。
今までも幾人もの若い人がお弟子さんとして来ては 数年で辞めていったそうです。
ここでは 単に機を織る、ということだけでなく
機場の掃除から様々な雑用もこなして 糸の扱い、染めの技法、織の組織などを
覚えなくてはなりません。 大きな工房のような分業ではないのです。
修行に近い形ですから 一層難しいでしょう。
自分の信じる「良いもの」を作るために 研究を重ね、独自で作り上げた技術を伝えるには
10年は共に苦労しないと 本当のコアな部分は伝えられないのに
そこまで育った人はいないのだそうです。

数年前まではご両親もご健在で ただ作ることだけに専念していたけど
今になって後継者をきちんと育てていなかったことを
とても後悔しておられるそうです。
民藝運動の柳さんを通じて知り合った 郡上紬の宗廣さんともお友達で 
年に数回会えば お互い息子さんが居ず後継者を育てなかったけれど
今からそれをする時間も気力もない、と
自分たちの代で工房を閉めざるを得ない悲しみを分かち
今のきもの業界では娘に継がせても 苦労させるだけだから、と話されるそうです。

染め場を拝見すると 磨き上げられていて土足厳禁でした。
専用のサンダルか長靴に履き替えて入ります。
それは靴の裏の土や不純物が染めの化学変化に影響を与えることと
糸を落としたりして汚すのを避けるためだそうです。
真剣勝負の染めです。 柔らかで透明感のある美しい糸が染まります。

デザインもご主人がなされますが
縞と格子ばかりだったものを 勉強して花織を覚え
品の良い花織を織り込んだものも 少数ですが作られるようになりました。
技巧に走らない分、 色の美しさと風合いの良さを身上としている
着るための紬です。

受注生産で手一杯で 染め上がった糸がなかったので
今回はオリジナルをお願いする余裕がありませんでしたが
次回 染め上がった美しい糸から選んで
明るい格子を織ってもらいたいと思います。


裏山にはご神木がありました。


藁を焼いた灰。生糸を練るアクをつくります。


分かりづらいですが今は貴重な竹の筬。


花織の操行は複雑です。


美しく織られている草木染めの花織着尺。

 

信州巡り、三軒目は最後の上田紬、小岩井紬工房です。


こちらはご夫婦と織子さん3人の小さな工房です。
元々はお蚕さんの蚕種を扱う種屋さんでしたが 昭和の初めに機りを始めたそうです。

科学染料と草木染めの併用ですが 発色の美しい大胆な縞や格子、
素朴で懐かしい縞や格子など 色の組み合わせ、縞の太さは無限なんだと
嬉しくなってしまいました。

伊那の久保田さんは平織りを
糸の撚りや合わせる数を調整して風合いに変化をもたせ
三才山では花織を取り入れていました。
こちらでは 上田手織り保存会 というものがあり
共に研究を重ね 強撚糸のお召紬や
絽目に織った絽紬も織られています。
お召紬はサラリとべたつかない風合いで柔らかく 単衣で楽しめます。
絽紬は盛夏には暑そうですが絽縮緬を同じ扱いで良さそうです。
少数ですが帯地もありました。
ざっくりと厚手のいかにも普段使いの素朴な八寸と
白生地に型染めをした小粋な帯がありました。

お住まいと棟続きで染め場と機場があります。
織子さん・・と呼ぶには失礼な? 70、80歳のおばあちゃまが
扇風機もない板の間で黙々と 経糸の成形をしたり機を織ったりしていました。
2階へ上がる階段は私でも怖いほどの急で狭い階段です。
織の現場は重労働なのです。 上田紬は丈夫なことも特徴で 経糸がつんでいて緯糸の打ち込みが強く
表一枚に裏を3枚替える、と言われるほどです。
「手で織るからには第一級の原材料で
最も丁寧な織りを」モットーにしていると言います。
しかし おばーちゃんが丁寧に織っているのですから
生産量はタカが知れています。量産出来ようもありません。

近頃は雑誌でも取り上げられることの多い信州の紬ですが
この先を考えれば楽観は許されません。
一時のブームになって注文が殺到しても
ブームが去れば一瞥もされない、のでは産地は堪りません。
着物ばかりではありませんが 流行に踊らされて失ったものはもう戻ることはないのです。

どこの産地へ行っても 明るい話は聞かないのですが
高齢化と後継者問題をはっきりと突きつけられた 信州の旅でした。

 

 

 

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