前衆議院議員 遠藤のぶひこ
日本をどのような国にするべきか
シンプルであるが極めて重大なこのテーマを論ずるにあたって、近年の変化とその背景を論じることからはじめたい。
1 経済の変化~神話の崩壊
ついこの前のように思われるが、1989年、ベルリンの壁が崩壊した。歓喜の中で壁が崩されるのを「時代が大きく変わったんだな」と感じたのは私だけではないだろう。
当時、日本はバブルの絶頂期、そして自民党単独政権の時代である。私は役所に入って2年目、まだまだ「官僚神話」が残っていた頃である。多くの人々は冷戦構造の崩壊過程を見て、核戦争の危険がなくなった、世界の平和が約束された、「良い時代」と感じたことだろう。誰もが日本の経済的繁栄は続くと信じていたし、、学生は就職の内定の数を競い、社会人は交際費をふんだんに使って組織の恩恵を感じていた。年配者は豊な老後祖過ごしていた。日本の治安も世界最高水準、政治はとりあえず安定していて、消費税やスキャンダルで社会党が参議院選挙で躍進したものの、根本から大きな変化があるとは多くの人々は考えていなかった。
しかし日本はこの大きな変化の中で実は明確な将来像を描いていなかったのである。わずか15年で日本はここまできてしまった。この15年に何がどうして起きたのだろう。それを振り返るところから考えてみたい
まず経済の面では1990年バブルが崩壊し、公共事業の拡大による景気対策も根本的な効果がなく、長期の不況に突入した。しかしながら人間とは惰性の中で生きがちな動物である。「日本はいずれ何とかなる」「官僚が何とかしてくれる」「又良い時代が来るだろうという」楽観論が支配的で、本当に危機感をもち始めたのは1997年の山一倒産あたりからだろう。そして金融危機や、不良債権問題が噴き出す中、貸し渋りが横行し倒産が相次いだ。終身雇用は崩れ、失業は増加、自殺者はいまや年間3万5千人を数えるようになった。就職できない若者が社会問題化しつつある。治安も悪化し凶悪犯罪は増加の一途、企業や官僚の不祥事もいまや「またか」といわれるくらい珍しいことではなくなった。
冷戦が終われば旧東側から安い労働力や製品が流れ込んで来る、ソ連という敵がいなくなれば米国は容赦なく規制緩和と障壁除去を求めてくる、サービス業の比重が高まれば従来の雇用環境は大きく変わる。米国の庇護の下で、また多くの国が共産圏に閉じ込められていた時代に、国際調整に全力をあげ、競争力を強化しさえすれば国家も組織も個人も安泰だった時代は実はそのとき終わったのである。それまでは、個人は何らかの組織に属してそこに忠誠を誓えば基本的には一生安泰だった。組織は所管官庁に逆らわなければ基本的には安泰だった。官庁は自民党とうまくやっていれば組織も官僚個人も安泰だった。そして何より米国についてさえいれば日本は安泰だった。これが55年体制のもとで潜在的に染み付いた日本人の基本的な思考回路といってよいと思う。その成果を最高に享受出来たのが1989年であると同時に、そこが「終わりの始まり」だった。あまりに成功におぼれた者はその基盤を否定する思考に切り替えにくい、ある一定の環境に過剰に適応しすぎた体質は容易に変えられない。事態はここまで悪化してしまった。経済だけは大丈夫という神話は崩れたのである。それは世界の趨勢を見誤ったこと、そして変化の時代に国家としての基本姿勢・理念が大きく欠けていたことが原因といわざるを得ないだろう。
2 政治の変化~歪んだ政治改革と二大政党制
次に政治に目を向ければ、1993年、旧竹下派の内紛と絡んだ政治改革論議の中、理念なき細川連立政権が成立するものの、1年足らずで崩壊。政権を取り戻すために自社さというこれまた理念なき連立政権が誕生する。自民党単独政権に一時復帰し、新進党の結党とあっけない崩壊を経て、金融国会をきっかけに自自連立、自自公連立、自公保連立と続く。与党は自公連立に収斂し、野党は政権交代の一点のみを目的とした民主党と自由党の合併という形になった。小選挙区制度から来る事情で無責任な2大政党時代の到来というものの、有権者の目から見てそこには明確な国家観や理念というものは見出せないでいる。また首相の数は平成に入ってからの15年間で竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山・橋本・小渕・森・小泉と11人を数える。長期政権になりそうな平成13年の小泉内閣までで言えば13年で10人である。どの内閣がどういう連立政権で成り立っていたか、当時の野党がなんと言う政党だったかを正確に
冷戦構造の崩壊から来る新たな国家観を構築する前に、最大派閥の竹下派の内紛をいわば隠す形で政治改革論議が進められ、憲法観・安全保障観・あるいは税制のあり方など国家の基本的な部分についての理念が整理される前に小選挙区制度を導入してしまったため、理念を持つことは端に追いやられたり、消えてしまった。その後に残ったのは当面の選挙に勝ち残るためのみに政治行動が規定される多くの政治家達の姿だった(勿論例外はいるが)。失礼を省みずに言えば民主党などはどうみても選挙区事情で籍を置いていたり、主義主張からして旧社会党の人たちと合うわけがない輩が数多く存在する。それは国民の目には「とにかく議員でありたい」という浅ましさだけが目立ち、政党間の移動、選挙区の移動、衆議院から参議院への移動という形で拍車はかかった。無党派の増加という言葉を聞くようになって久しい。政治が劇場と化し、そのときの気分や流行で投票行動が決まる傾向が強まったことの責任はいったい誰にあるのだろうか。少なくとも国政は国家の運命を背負うという気概を持った人に担ってもらいたいという気持ちは今も昔も変わらないだろう。自民党の体質が今よりも前近代的だったかもしれないが、かつては閣議の前に「国家の命運を背負っている自分に力を貸したまえ」と祈ったり、安保改定の反対デモに囲まれているの時に「一緒に死のう」という覚悟で会話をした日本の指導者が確かに存在した。国民が時に批判をしながら自民党政治を認めてきたのはまさに政治家のこの真摯な姿勢があったからに他ならない。国家を語らず、国家を背負わず、マスコミの論調で主張を変える政治に失望を感じるのは当然であるが、今有権者は「国家」を意識した政治を実は求めている。拉致が大きな政治的テーマになったのはこの空気を反映した側面があることは否めないだろう。
3 国際環境の変化~外交・安全保障
さらに外交や安全保障面を見れば、その変化は著しい。1989年時点で中国は天安門事件の後始末に追われ、ソ連はペレストロイカで自由化は進むものの長期的には解体過程、韓国や北朝鮮は基本的に軍事政権の色彩が色濃く残っており、やっとソウルオリンピックを迎えられるかという状態だった。つまり周辺諸国はまだまだ課題を抱えていて当面日本を脅かすものとは認識されていなかった。日本としては従来の路線を基本的に踏襲していくこと、具体的には残った米国の大きな課題である中東政策につきあうこと(これが湾岸戦争という形であるいは現在のイラク戦争へとつながっている)だった。勿論日米安保再定義というプロセスを経たものの、基本姿勢は従来どおりだったといえよう。
しかしながら、中国は軍事的にも経済的にも強大化した。その梃子となったのは日本の経済援助と歴史認識で日本を敵視する教育を徹底させることで国内の不満を排出し、日本に負い目を持たせながら外交交渉を進めるということだった。いまなお、我が国にミサイルを向けている国に援助しているのは中国であり、2008年のオリンピックで大阪でなく北京を選んだ国々に援助しているのは中国である。対中借款の見直しは最近になってようやくでてきた。ロシアについて言えばゴルバチョフの失脚の引き金になったクーデター未遂で主導権を取ったエリティンからKGB出身のプーチンに代わった時点で「帝国復活」を警戒しなければならなかった。国家のために命を掛けてきた人間が指導者になったとき、「国家は何にもまして優先する」という思想が貫徹されやすい。現在のロシアの石油やマスメディアの扱いを見れば、強いロシアの実現・中央集権を実現するためには手段を選ばない強い意志が見て取れる。
あたりまえのことだが国内と国際情勢は相関関係にある。多少横道に話はそれるが、歴史をひもとけば、帝国主義の時代になぜ明治維新(1868年)の成功の理由の一つは外国に干渉の余裕がなくなったこと、あるいは干渉の方法の変更があったからに他ならない、ロシアはクリミア戦争(1853年)や露土戦争(1877年)でバルカン半島進出に国力消耗していたし、欧州は普仏戦争(1870年)でドイツ帝国が成立、フランスが第二帝政崩壊、米国は開国をさせたものの南北戦争(1861年ー1864年)の後でそれどころではなかった。覇権国の英国はインドでのセポイの反乱で軍事進出のコストが高くつくことを思い知ったばかりだった。軍事から経済に力点が変わる。しかしその後各国は国力が回復し、本格的な帝国主義的な衝突が生じてくる。ビスマルクの引退(1890年)以降欧州に緊張の時代が訪れるし、アフリカは分割され、米国も太平洋に進出する。翻って現在に目を向ければ、1989年時点で中国もロシアも朝鮮半島も揺らいでいた。米国の対日政策は経済から軍事に徐々に力点が移ってくる。中国ロシアについては前述した通り、国力の増強が著しい。日本外交の悲劇は歴史的に1989年という年が日本と関係の深い国々が特殊な状況にあったことを十分認識せずに、その状態を前提として惰性的に外交を行ってきたことにある。社会党などが地上の楽園といっていた北朝鮮という国が日本人を拉致したことを認めさせたのわずか2年前という事実が如実にこの姿勢を物語っている。
そして、世界全体を見渡せば、冷戦終結後に民族・宗教紛争の続出、核や細菌兵器の拡散が起きてくることが予想された。冷戦時代は米ソが明確なイデオロギーの元に、自国の優位を求めて核や細菌兵器の管理を行ってきた時代だった。予断だが米ソ冷戦が人類の進歩に貢献したのは宇宙開発と情報通信、そして核と細菌兵器の管理であろう。それが失われた後、イデオロギー対立がなくなれば宗教や民族対立が前面に出てくる。イラクもチェチェンも国際情勢の中での位置付けは同じである。
日本はこういった大きな変化の中で、55年体制の中で染み付いた「米国についていきさえすれば大丈夫」という認識を改め、またたまたまうまくいっていた時期の歴史的幸運を今一度自覚すべきだろう。米国が日本に開国、求めた理由の一つは太平洋航路の開拓でありその先には中国があったことを今一度銘記すべきだろう。
4 なぜここまできてしまったのか
経済・政治・外交・安全保障ともなぜひどい状況になってしまったのか。それは一言で言えば「国家観の欠如」「歴史観の欠如」「世界観の欠如」にあるといえるだろう。それぞれに共通するのは文化の破壊と教育の欠陥が指摘されなければならない。
この混迷が深まる時代の中で、私達日本人はいまだに明確な方向性を見出せずにいる。その混迷に拍車を掛けている原因の一つに、「国家」を語ることが避けれてきたということが指摘されなければならない。マスコミも私達も個々の議論を短期的に深めることは得意になった。プロ野球をどうするかとか、年金をどうするかとか、その時点時点では激しい論議がされる。しかしそれが過ぎると次の対象に移ってしまい、1年も経てば「そんなことがあったな」というわけである。
そうなった原因はいくつかある。
ひとつは憲法という国家の根幹についての議論をタブー視してきたことだろう。永らく改憲論議はタカ派の危険な議論といわれた時代が続いた。憲法は国家の根幹のひとつであるから憲法を考えることを止めることは国家を考えることをやめるに等しいといっても過言ではない。そして無理な解釈を重ねて、文言と異なる実態を作り出してしまう。「言葉の重み」自体を政治の世界はもとより社会からも消す方向に働いた。その結果責任を取らない社会、言い放しの社会が出来上がるというわけである。
さらに、日米安保の元で「いざとなれば米国が何とかしてくれる」という思考停止。さらに社会党などはその思考停止を可能にしている安保すら否定しようとする矛盾をさらしていた。その思考停止を可能ならしめていたのは高度成長期の惰性の中で、「株や土地は必ず上がる」「会社は基本的につぶれないし、クビにならない」という安心感であろう。蛇足だが、その中での既得権益を享受してきたのが現在渦中にある郵便局の職員と組合であろう。
昨今の状況の中で批判の対象になるのは時代の必然である。
自らを世界市民と呼んでイラクに勝手に行って人質になり、国に迷惑かけてもどこ吹く風の人間が現れたりる者が現れたり、「国家を語る」ことが右翼的でありいかにも胡散臭いという誤った風潮が広まっている。個人と国家のあり方についての思考を停止させ、ただでさえアイデンティティーの危機に陥っている日本人個人を「ぼんやりとした不安の中」に突き落としている。潜在的能力がありながら、自らの属する国家との関係が見えない、目標が見えずに惰性と不安中でで生きている。近年コンビニの前で最も能力がある年代にありながら、将来が見えず、なすこともなくたむろする若者の姿は今の日本人の姿を暗示しているような気がしてならない。
5 ではどうするべきなのか
これらのことを踏まえてどのような国家を作るべきなのか。それは国民の中に「国家」というものをどうよみがえらせるのかという問題とも同義である。
2つの視点を持つ必要がある。
ひとつは世界の緊密化の中で、「当たり前の主権国家」を今一度考えるべきである。日本だけが特殊で特別という言い訳はもはや許されない。経済大国となった日本はまずこのことについて明確に自覚しなければならない。また国家として何を守るのかを今一度自覚しなければならない。もうひとつは、その上で、日本の特質や経験を強みとして生かしていく方策である。その中には前述した日本の失敗から来る反省もあろう。以下多少個別に論じていきたい。
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