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昔のブログで書いたRAINBOW特集のまとめサイトで、RAINBOWの歴史と音源を考察するというコンテンツです。

第11回 「Difficult To Cure」(前編) 強気のジョー登場

Difficult To Cure(アイ・サレンダー)

「Difficult To Cure」1.I Surrender 2.Spotlight Kid 3.No Release 4.Magic 5.Vieicht Das Nadchster Zeit (Maybe Next Time) 6.Can't Happen Here 7.Freedom Fighter 8.Midtown Tunnel Vision 9.Difficult To Cure

 ドニントンが終わり、待っていたのはお決まりの「人事異動」であった。
 コージー脱退後、後にBLACK SABBATHでも叩くことになるボビー・ロンディネリがドラマーに納まるのだが、ドン・エイリーに死ぬほど嫌われてしまうのであった。
 ジョー・リン・ターナー当時をこう回想していたという。

「ドンはボビーの事を気が狂うくらい嫌っていた。ドンとボビーの陰険なやり取りは、この世の地獄だったよ」 

 暗雲漂うスタートであった。

 前任のヴォーカリスト、グラハム・ボネットが非協力的な姿勢をとっていた時、リッチーのローディーのアドバイスで一人の男に声がかかった。
 ジョー・リン・ターナーである。
 1976年、Fandangoで本格的な活動を始め、4枚のアルバムをリリース。当時はソロ活動の準備でフリーだった。
 1980年9月には Rainbowに参加し、11月にはレコーディングを完了した。
 翌年2月(日本では3月)にリリースされた。

・ゴールデンボーイ・ジョー・リン・ターナーの「強気」の分析

 ロンディネリ救出作戦の前に、まずはこの男を紹介しなければ始まらない。
 三頭政治信者から、叩かれたりしたが、現在では再評価どころか、「リッチーを動かせる重要人物」との声も大きいジョー。
 強気でビッグ・マウスな所もあるが、ルックスもよく、エモーショナルな声を聞かせ、かなりテクニカルな歌い方をしている。筆者もコピーに挑戦したが、ワンコーラス目と二番では、微妙に歌い回しが異なっていたりするなど、別の意味でやりにくい、繊細な息遣いを感じるシンガーだった。
 ロニーやグラハムほどではないが、パワーもあるし、そこに彼がいるだけで華があった。
 コンポーザーとしても「ジョーが一番やりやすかったし、最も楽しかった」とのリッチーの証言通り、ポップでいい曲を共作した。

 ジョーと言えば「強気」が取り沙汰される。
「バンドの中でリッチーに文句を言えるのは、今のレインボーでは僕だけだ。あのコージーでさえ彼にはたてつかなかった」(1982年)
「もしクビになったら、すぐにでもソロになるよ。案外そっちの方が良かったりして(笑)」(同上)
「彼(リッチー)は僕の事を”ゴールデン・ボーイ”と呼んでいたんだ!」(1984年)
(1984年レインボー解散の原因を問われて)「それまでリッチーだけに注がれていた視線が僕の方に向けられた事に脅威を感じたんじゃないかな」

 
 これらから「エゴイストでリーダーをかき回す強気男」のようなイメージが浮かび上がるかも知れない。
 しかし、RAINBOW加入時から、ジョーはリッチーを深く信頼し、「リッチーの言う事に間違いはないよ」と事あるごとに発言しているように、仲が悪くて強気になったのではなく、通すべき所できちんと筋を通していたのではないか。
 実際、解散後のリッチーとの関係を見てもあきらかである。
 アーチストである以上、エゴは存在するわけだし、リッチーのようなコンポーザーには、ジョータイプはかえって歓迎だったのかもしれない。
 しかも、喧嘩別れではない、マネージャーのブルース・ペインの策略が生んだ解散劇だったのだから。ジョーの存在は決して他のRainbowシンガーに劣らないといってもいい。

・ロンディネリ救出作戦??

 ドラムを叩くと叩かれる哀れな男、ボビー・ロンディネリ、彼の救済計画ということで、長所をつらつらと書いてみよう。
 まずはドラムソロ。「素手叩き」「スティック飛ばし」などのエンターティーナー性は、なかなかであったし、パワーもあった。知人のドラマーに、彼の真似をして練習中にスティックとばしをやった人がいたが、飛距離はボビーの足元にも及ばなかったらしい。
 また、コージーにはない味を出そうとする姿勢も好印象だった。
 テッド・マッケンナ(元MSG)のようにコージーになりたくてもなれなかった人とは違い、アイデンティティがあったのだ。
 スタジオでも「Spotlight Kid」でのパワフルなツーバス連打、「Difficult To Cure」でのオカズの入れ方、「Death Alley Driver」の小気味いいイントロなど、聞いてみると、面白いプレイを展開している。

 パワー、テクではコージーより、確実さではマシンのようなチャック・バーギより落ちるが、決して劣ったドラマーではないし、B級C級HR/HMドラマーなんぞとは格が違う。
 A級には達しないもののB級ではない、そのへんが「中途半端」に感じられたのか。Rainbowというとバカテク集団のイメージが強いかも知れないが、実は、初期のELFメンバーや彼のようにテクでは落ちてもいぶし銀プレイヤーなもいたのである。

・楽曲/サウンド

 この作品は、ジョーが突貫工事のようにレコーディングしたので、彼の作曲ではないが、どうも「RainbowがPOPになったのはジョーが入ったせいだ」という声があるようだが、リッチーとロジャーの作品である。
「I Surrender」や「Magic」「Can't Happen Here」などはポップナンバーであるが、「No Release」や「Midtown Tunnel Vision」は「Down To Earth」のミディアムテンポのHR路線だし、リッチーのギターも健在である。ただ、「No Release」は若干ZEP入っているかな、と思うがDeep Purple時代にも「Lay Down Stay Down」のような曲をやってはいるので、決して初めての試みではない。
「Spotlight Kid」はオープニングナンバーとしてツアーに欠かせないし、「Difficult To Cure」は、バンドが変わっても、このメロディだけはプレイされ続けている。
「Vielleicht Das Nadchster Zeit (Maybe Next Time) 」はリッチーの泣きの名演であり、グラミーにもノミネートされた。
 この作品の重要性がいかに高いかが知らされる。
 リフ、サウンド面を見てみよう。
「Spotlight Kid」は、4度和音、ルート親指押さえのリッチー王道リフだ。
「Can't Happen Here」も4度和音であるが、Gメジャーに対してブルーノートスケールの合わせ技で、軽快なロックンロールで、少し憂いをおびたサビが特徴的だ。
「Freedom Fighter」はオクターバーを使用している。
 全体的に、バラエティあふれる作風でありながら、リッチー節は健在である。
 さて、ツアーでは何が待ち受けていたのか……。

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