昔のブログで書いたRAINBOW特集のまとめサイトで、RAINBOWの歴史と音源を考察するというコンテンツです。
DEEP PURPLEの音楽性、グレン・ヒューズとの衝突に不満を抱いたリッチー・プラックモアがELFのメンバーとシングルをレコーディングした。
これが「Ritchie
Blackmore's Rainbow」にも収録される「Black Sheep Of The Family」(邦題「黒い羊」)であった。
「オレはバンドの中の黒い羊なのさ」
と軽快なロックンロールに乗せて恐ろしいことをロニーに歌わせたリッチーは、その後、バンドを脱退し、自分の望む音楽を具現化するためにバンドを結成する。
1975年4月7日、パリの公演での万感の思いのこもったギタークラッシュを最後にリッチー・ブラックモアは正式に脱退、DEEP PURPLEは存亡の危機に立たされた。
雨が過ぎれば虹が立ち、嵐過ぎれば鳥が舞う。
紫に降ったリッチー脱退の雨の後には虹が立ち上がっていた。「Stormbringer」で思うように振る舞えなかったリッチーは、ロニー・ジェイムズ・ディオを迎え、虹の誕生とともに、鳥が舞うかのように自らのやりたいことをやったわけであった。
では、DEEP PURPLEの運命やいかに?ジョン・ロードとイアン・ペイスは、解散を念頭に入れていたが、デヴィッド、グレンの2人はバンド続行を主張した。せっかく築き上げたキャリアをここで反故にするわけにはいかないとの思いがあったのだろう。
レコード会社との契約問題もあり、リーダーのジョンはバンド継続を決断した。リッチーの後任に決まったのは、デイヴィッドが捜してきたアメリカ人ギタリスト、トミー・ボーリンである。
トミーは、MAHAVISHNU ORCESTRAなどで活躍したビリー・コブハムのソロ「Spectrum」や、ジョー・ウオルシュの後釜としてジェイムス・ギャングで活躍し、ジャズやファンク系アーチストとも共演するなど注目の男であった。
75年9月に「Come
Taste The Band」が完成し、ツアーに出る。チャートアクションはUS43位、UK19位であった。
かくて、DEEP PURPLEはツアーに出るのだが、各地での「リッチー!」コールにプレッシャーを感じたトミーは、薬漬けになり、自ら破滅への道をたどることになる。この時の日本公演のライヴが「ラスト・コンサート・イン・ジャパン」(後に完全版This
Time Around - Live In Tokyoも発表)として後にリリースされたが、薬に溺れた彼のふらふらな演奏ばかりで聞くに堪えなかった。
トミーのアルコール・ドラッグ、バンド内での軋轢など、ヘヴィな状況が重なったDEEP PURPLEは翌年、記者会見で正式に解散を発表した。
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