灰田勝彦さんファンサイト

ここは私の趣味の部屋です。
私、亀井は、明治期から最新ヒットまで何でもこよなく愛しています。
しかし、特に愛好しているのは、昭和初期から〜30年代位までの流行歌なのです。
ここでは、その愛すべき流行歌について、ちょいと書いてみたいと思います。
ちなみに、私のもっとも敬愛すべき昭和の歌手は、灰田勝彦さんです。
勝手ながら、ファンサイトを立ち上げさせていただきました。
灰田さんのファンの方のアクセスをお待ちしています。
灰田勝彦さんは、日本の歌謡曲に都会の香りを運んだ人。
日本に初めて「ハワイアン」を持ち込んだ人。
あの暗い戦争の時代に人々に「夢と希望」を与えた、
永遠の青年。「スター」の代名詞はこの人のためにある。
灰田勝彦(1911〜1982)。
灰田勝彦は明治44(1911)年、ハワイのホノルルに生まれた。
父、勝五郎はハワイで病院を開き、貧しい現地人などの治療に当たっていた。
11歳の時、父が亡くなり帰国。日本で泥棒に入られ、そのまま日本に住む。
立教大学に進学し、昭和5年、慶大に進んだ兄、晴彦(有紀彦に改名)とともに、
日本初のハワイアンバンド「モアナグリークラブ」を設立。ボーカルとしてデビューした。
昭和11年、「ハワイのセレナーデ」でビクターから正式デビュー。
昭和15年の「燦めく星座」が大ヒットし、一躍スターに。俳優としても活躍。
兄晴彦(有紀彦)は作曲を手がけ、兄弟で活躍した。
その後も大ヒットを飛ばし、「日本の歌謡曲に都会の香りを与えた」といわれる。
また、さっぱりした性格から「ハワイの江戸っ子」と呼ばれ、多くの人から慕われた。
ただ、ケンカっぱやい性格だったのが玉に傷らしい。
スポーツマンで国体選手候補に。野球好きで、王貞治にアドバイスをするほど。
昭和57(1982)年、多くの人に惜しまれつつ、71歳という若さで逝く。
<おもなヒット曲>
昭和11年(1936) ハワイのセレナーデ・ブルームーン
昭和14年(1939) アロハオエ・真っ赤な封筒
昭和15年(1940) 燦めく星座・森の小径・峠の我が家・お玉杓子は蛙の子
昭和16年(1941) 南の唄
昭和17年(1942) 新雪・鈴懸の径・ジャワのマンゴ売り・マニラの街角で
昭和18年(1943) 加藤隼戦闘隊・南国の夜〜
〜バタビヤの夜は更けて
昭和19年(1944) ラバウル海軍航空隊
昭和22年(1947) 紫のタンゴ・東京よさようなら・あの日あのとき
昭和23年(1948) 東京の屋根の下
昭和25年(1950) 君と行くアメリカ航路
昭和26年(1951) 野球小僧・アルプスの牧場・水色のスーツケース
昭和27年(1952) アルプスのヨーデル唄い・夢よいずこ
昭和28年(1953) 新橋駅でさようなら
若き日の1枚。
灰田勝彦!ズバリこの1曲!
灰田さんの名曲をつらつらと紹介していきます。
「鈴懸の径」(昭和17年・1942)
言わずと知れた名曲。すでに「愛」とか「恋」の歌が禁止されていた時代なので、
一応青春ということをテーマにして作られた。しかし、この曲には「愛」や「恋」など、
当時には失われていたものを垣間見る事ができよう。
夢と希望のない暗い世相に希望を与えた歌。
勝彦の母校・立教大学にこの曲の記念碑がある。
勝彦が亡くなった1982年11月には、この記念碑の除幕式があり、
勝彦も出席して、この曲を披露する予定だったが、病に倒れた。
当日は同じ立教の先輩のデイックミネが勝彦の代わりに涙ながらにこの曲を歌った。
「憧れの南」(昭和18年・1943)
昭和18年、戦局がかなり厳しくなってきた頃の曲。レコードレーベルには、
灰田勝彦と南の楽団とある。南の楽団というのは、もちろん兄、晴彦率いる「モアナグリークラブ」
のことであるが、当時は横文字がまかりならん!という時代で、ディックミネやミスコロムビア同様、
「モアナグリークラブ」も「南の楽団」と改名させられたようである。
灰田晴彦ならではの素敵なメロディー。彼の曲は、旋律がどこか悲しげなのがいい。
対旋律も巧みに作られており、この曲も涙する一曲だ。
「丘の青い鳥」(昭和18年・1943)
昭和18年公開の東宝映画「ハナコさん」の挿入歌。
映画では、最初と最後のシーンで歌われている。ビクターからの発売。
同じ映画の中で、コロムビアからは主演の轟由起子の唄で「お使いは自転車に乗って」が
発売され、こちらのほうがヒットした。こちらは映画の中では、轟が自転車に乗って、灰田勝彦のいる
馬術場?とすすき畑まで自転車で向かうシーンで歌われている。
まさに戦争一色の時代の中で、この「丘の青い鳥」では「望みは何時の日も捨てずに生きようよ〜♪」
と灰田が甘い歌声で歌っており、当時の多くの若者がわずかながら夢や希望を見出す事ができたのでは
ないかと思っています。
「愛」とか「恋」が少し見え隠れしていますが、よく検閲を通ったものと驚きます。
「ハイ・ヌーン」(昭和28年・1953)
<解説>
1953年公開のアメリカ映画「真昼の決闘」主題歌「high-noon」の和訳版。
オリジナルはテックス・リッターが歌っている。
映画自体は、この曲を知ってから見ました。ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーが出演していて、
手に汗握るような興奮を覚えました。ストーリーはまだ見てない人にネタバレするので、
詳しく書くのは避けますが、一言で言えば、「正義」ということと「人間模様」ということでしょうか。
巨悪に立ち向かうってのは、いつの世も大変なことなんですね。
私も政治を志してますが、この映画は非常にいろいろなことを教えてくれます。
オススメの一作です。
曲の方は、昔はカラオケに入ってなかったですが、
昨今では、オリジナル版が追加されたところが多く、私もよく歌っています。
「想い出のカンナ」(昭和17年・1942)
<解説>
戦中の時代にあって、戦時色を帯びつつも、叙情あふれる歌。
病舎の庭から、戦友のことをカンナに託してしみじみと歌っています。
戦後も新たに吹き込んでいる灰田勝彦知る人ぞ知る一曲。
「思い出の罌粟」(昭和18年・1943)
<解説>
「おもいでの」シリーズ。 前線にいち早く旅立っていく戦友のことを偲ぶ歌です。
まさに灰田晴彦の持ち味が十分発揮された歌だと思います。
メロディの裏の対旋律が心を打ちます。
「友を送る朝の庭 露に濡れて一輪 罌粟(けし)の花が咲いていた
あの日思い出すよな 空を焦がす真紅の罌粟(けし)の花が咲いたよ
友の胸に咲いていた 炎を偲ばせるよ」
歌詞からして泣けます。オススメの一曲です。
「灰田フォスターアルバム」特集!
「金髪のジェニー」(昭和28年・1953)
<解説>
灰田フォスターアルバムシリーズ。編曲も素晴らしい。涙が出る一曲。
もちろんフォスターの名曲から。佐伯孝夫の訳詩も原詩に忠実で、イイ訳です。
フォスターの妻ジェーンがモデルと言われている。
フォスターは好きな作曲家です。晩年は不遇だったようで残念です。
「金髪のジェニー」(昭和28年・1953)
<解説>
金髪のジェニーの片面。灰田フォスターアルバムシリーズ。
こちらも編曲が素晴らしい。初めて聞いた時泣きました。。
やはり佐伯孝夫の訳詩も原詩に忠実で、これまたいい!
歌詞中の「By'n the Hard Times come a knocking at the door」(苦難が扉を叩く)
英語の文化には詳しくありませんが、「扉を叩く」なんてのは粋な歌詞ですね。
佐伯孝夫は「厳しき時の来たれば」とすっきりと綺麗にまとめています。
あの時代の黒人の厳しい生活を考えると涙なしには聞けません。
フォスターの同じ系統の曲で言えば、「Hard times come again no more」が好きです。
これも「厳しい時代はもうやってこない」とか「すべては終わりぬ」という邦題がついていますが、
佐伯孝夫ならどういう訳詩をしたのかと気になっているところです。
灰田さんにも歌ってほしかった!
「Hard times come
again no more」
Let us pause in life’s pleasures and count its
many tears
While we all sup sorrow with the poor:
There’s a song that will
linger forever in our ears;
Oh! Hard Times, come again no more.
’Tis
the song, the sigh of the weary;
Hard Times, Hard Times, come again no
more:
Many days you have lingered around my cabin door;
Oh! Hard Times,
come again no more.
「燃えるホームラン王」(昭和52年・1977)

<解説>
灰田勝彦野球シリーズより。
冒頭王選手の台詞入りです。僕の友達に評判のイイ曲です。
裏面の「グランド小僧」は「貴様イイ球ストライク」って歌詞が凄すぎる・・(笑)