The inner of [Ti]
Movies
080420
うまくできないものだね
先日、『魔法少女リリカルなのはStrikerS THE COMICS(2)』(長谷川光司、学研)を読んでいて、ふと気付いた。
「『リリカルなのは』のフェイトとプレシアの関係は、『少年魔法士』(なるしまゆり)のレヴィとアンヌとの関係に通じるものがあるのではないだろうか?」
理不尽な仕打ちを受けても、母の影響から脱することができない子供の姿。
行動も、精神も縛られて、苦しむ子供の姿。
そして、残酷な母の姿。
レヴィの場合は、その結果としてすっかり素直に歪んだものの、更なる結果として実に人間らしい人間らしさを手に入れたようにも見える。実は少し羨ましい。
一方で、フェイトはよくわからない。少なくとも、デフォルメされた個性としてのキャラがあまり立っていない、そんな希薄さが個性な気がする。(「GMは、特徴が無いのが特徴」に通じる?)
少なくとも、彼女の人格は、私が持つメタ人格のモデルには含まれていない。 要は理解不能だ。
ただ、被保護者を積極的に持つような行動と、そこで精神の安定を得ている部分が垣間見える。 なのはしかり、キャロ・エリオしかり。
誰よりも「母」という立場に憧れて精神的な社会化がなされ、そして家族に憧れている、そんな感じだろうか。
だとすれば、実に健全だ。 そういうのは好きだ。
そういえば、レヴィも「お父さん」に憧れていたよな。
そういうものなのかもしれない。
ちなみに、なのはは(特に『Strikers』では)、完全に父性≠フ理想や役割が投影されているよね。 明治以降昭和迄の日本における「父」の役割。 なのに、形だけで「ママ」を演じさせられているような滑稽さ・危うさを感じた。
そもそも、高町家自体に無理がある家族構成だ。その歪みが、なのはの人格形成に影響を与えている、という解釈もあるか? 父親譲りのどこか破滅的な行動もある…、というか、この若さで技術の伝承を生きる意味にしているような感じがしなくもない? ヴィータの心労が窺われるな。 そういうのは大好きだ。
八神家についても、連中は本来の「家族」とは違う何かの関係を演じている欺瞞を感じる。 今現在に於ける癒しの場であることは確かだが、それを維持する為に、別のウソを塗りこめなければならない不文律があるようにも見える。
ナンバーズの擬似家族・擬似姉妹の関係などには、(恐らくはそれが狙いなのであろうが)物凄い痛々しさ・空虚さを感じざるを得ない。 最終的な着地地点なぞ想像もできない。 そういうのも大好きだ。
そんな、登場人物の皆が皆、いびつ(?)な家族環境を背景に持つことは、それが強さにつながっているような意図があるのだろうか。
だとすれば、それはどこか、未熟さ、(語弊がある表現ですが)女々しさの影を感じる。 不自然さや、欺瞞や、無理がある気がする。 不幸に酔う弱さを感じる。
日常≠ェ家族≠フ必要条件であり、非日常≠ナは家族≠ヘ存在し得ないのではないか、と考えたが、戦争・災害時のことを思えば、それは誤りだろう。
群れ≠ニ家族≠ニの違いは何なのか?
…なにやら思考の小路で迷いだしてしまったぞ。
なにげにネガティブな思考展開をしてしまったが、こういった不自然さは未来永劫続くものではないだろう、というのも解るのだ。
本人達の行動は新たな関係を産み、新たな解を見出すだろうし。
現にフェイト一門の幸せな将来は容易にイメージできる気がする。
ただその時に、過去の不幸に対してどのような意味を持っているのだろうか、ということが、ちょいと気になる。
まぁ、作品のテーマ的には傍流の話だろうから、深掘りはされないだろうけどね。
幸せってなんだっけ

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