現在,相模鉄道(略称:相鉄)といえば,横浜と海老名を結ぶ本線と,二俣川で分かれて湘南台に至る支線から構成される私鉄をさします。
しかし,開業当初この鉄道は相模鉄道という名前ではありませんでした。
そして当時,相模鉄道といえば,現在のJR相模線をさしていました。
何とも込み入った話ですが,このような事情があるのです。
その中で実現したのが,相模川の左岸を通って東海道線の茅ヶ崎と横浜線の橋本とを結ぶ鉄道でした。
相模鉄道は,1921(大正5)年に茅ヶ崎と寒川(正確には川寒川:現在は廃止)を最初に開業します。
同じころ,県中央部を横断して県央地方の中心集落である厚木と横浜とを結ぶ鉄道計画も持ち上がりました。
この計画を実現させたのが神中(じんちゅう)鉄道でした。
とは言っても,相模川に鉄橋を架けることができず,川をはさんで厚木の町に一番近いところに厚木駅を設置して,ここを起点に1926(大正15)年5月にまず二俣川までの区間を開通させました。厚木駅が,本来の厚木の町がある旧愛甲郡側でなく,対岸の旧高座郡側(現在は海老名市)にあるのはそのせいです。
その年の7月には相模鉄道も厚木まで延長され,この駅で2つの鉄道が接することになりました。
相模鉄道は1931(昭和6)年に橋本まで全通し,神中鉄道も1933(昭和8)年に移転してきたばかりの横浜駅に乗り入れることができました。
一方,1927(昭和2)年には新宿と小田原を結ぶ小田原急行電鉄(現小田急)が一気に開業し,厚木駅のすぐ南,相模鉄道との交差点に河原口駅を設置しました(なお,厚木という駅名がすでに使われていたため,相模川右岸の本来の厚木に駅を設置した小田急はやむなく相模厚木という駅名にしました。現在の本厚木駅です)。
これに対して相模鉄道は小田急との交差点に旅客専用の乗降所を設け,神中鉄道もここまで路線を延長して,3社の乗り換え駅が実現しました。やがて厚木駅として統合されます(ただし交換設備と貨物扱いは,本来の厚木駅に残されました)。
でも,本来の厚木への乗り入れを悲願とする神中鉄道は1941(昭和16)年に小田急への短絡線を敷設して,新設の海老名駅を中継点に本厚木への直通を開始しました。
1930年代後半以降,この3つの鉄道は相次いで五島慶太の経営する東京急行電鉄(東急)の系列下に入ります。
そして1943(昭和18)年,相模鉄道が神中鉄道を合併する形で,両社が統合されました。
こうして,2つの路線で構成される新相模鉄道が発足しました。
ところが戦況が悪化する中,茅ヶ崎と橋本を結ぶ旧相模鉄道線は,東海道線と中央線の短絡線を構成し,しかも沿線に多くの軍施設や軍需工場が立地していたため,1944(昭和19)年に国有化され,国鉄相模線となってしまいました。
そのために,相模鉄道に残されたのは旧神中鉄道の横浜−海老名・厚木間だけということになったのです。
こうして相模鉄道の名は,当初は全く別の鉄道であった路線に移ってしまったのでした。
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