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| 南北朝時代の小豆島星ケ城の城主、飽浦信胤は南北朝時代(後醍醐天皇)、
延元4年(1339年)対岸の児島(岡山)より来り、星ケ城(標高816m)の山城に
本拠地を構え、畿内(京都、大和)と、九州、四国を結ぶ瀬戸内海交通の東部海上権を掌握した。
佐々木薩摩信胤は、元北朝方の勇将であったが、・・・・北朝足利利尊代の権臣土佐の、高師秋(こうのもろあき)
の(愛人)、・・・・で京洛の名花とうたわれた「おさいの局」を腕ずくでうばった。
そうしたことから、他にも、わけあって小豆島に来て南朝方に転じて、熊野水軍(和歌山)、沼島水軍(淡路)の
力を借りて、備讃瀬戸を制覇した。
信胤の栄光とロマン、没落の悲恋、その「光と影」
を追い、島(四海)の歴史を現在に伝えたく設立しました。
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