じクラスの中学三年生が教師の強制の下、最後の一人になるまで殺し合う殺人ゲームを繰り広げる−−という概要だけを聞いて、きっとサディスティックな満足を与えるための小説だと思っていた。でも読んでみたら、全然違っていた。
日常から切り離されて限定された空間と時間内で、限定されたメンバーがある条件下で生き残りを賭けて戦うこの小説の設定は、まさにゲームそのもの。本の見返しに掲載された島(戦場となる瀬戸内海の小島・沖木島)の地図や、本文の前に載っているクラス名簿、各章の終わりに必ず表示される残存プレイヤー数を示すカウンターが、ますます小説=ゲームの印象を高める。実際、プレイヤーの心理描写や回想も含めれば、小説の9割以上はゲームがどのようにプレイされたかの記述だと言ってもよい。
なるほど、殺人ゲームだから壮絶な殺人シーンが沢山出てくる。しかし、著者の書きぶりは、そうしたシーンそのものへの猟奇的興味より、極限状況に置かれた生徒たちの心理に焦点が置かれている。42人の生徒のうち、殺人ゲームに自ら積極的に参加する(”やる気になっている”)のは、脳の障害により感情が欠落している少年(桐山和雄)と、度重なる虐待経験により他者への共感性を押し殺してしまった少女(相馬光子)の二人だけで、あとは恐怖のあまり半狂乱になってしまったり、過剰防衛に走ってしまった生徒たちが引き起こす殺人がほとんどである。
この小説に対する世間の風当たりが強くなってしまったのは、最初にエクスキューズがはっきりと与えられていないからだと思う。普通バイオレンスをウリにしたエンターテインメントでは、バイオレンスを正当化するようなエクスキューズ(例えば、凶悪犯を倒すための正義の戦いとして提示されるとか)が読者に与えられるものだが、この小説ではそれがとても弱く、むしろ後半でやっと見えてくる。そのために、ただ第三者(小説内ではゲームの運営者、現実には読者)の楽しみのためにのみ殺し合いが行われているような印象を与えかねないきらいがある。
でもやはり、この小説において残虐シーンは興味の本質ではなく、スパイスなのだと思う。極限状況を意識することを除けば、生徒たちの胸に去来するのは、クラスメイトへの恋心だったり、ライバル意識だったり、あるいはイジメや仲間はずれに対する恐れや、クラス対抗のスポーツの試合の思い出など、ごく普通の中学生の学校生活の心象風景だ。そうした学校生活の日常が、彼らの目の前に死が迫っていることで、かけがえのない大切なものとして輝くことになる。
そうした中で、主人公(七原秋也)はスポーツが得意で女子にモテモテの少年であり、彼と行動を共にする副主人公(川田章吾)はオトナ顔負けの知識・技能・判断力の持ち主だ。彼らのそばには主人公に恋するヒロイン(中川典子)がいる。また、ほとんどの生徒間の信頼関係が崩れてしまう中で、秋也と彼の親友の二人の少年(やはりモテて運動神経も頭も良い)の信頼関係はまったく揺らぐことがなく、読者に安心をもたらす。そんなわけで、これはきわめてヒロイックな青春小説でもあるのだ。著者は主人公たちの熱いスピリットを、ブルース・スプリングスティーンなどのロックミュージックで伴奏する。(蛇足ながら、この点は明らかに著者の年代の感性であり、文章のタッチや内容が現在のティーンエイジに標準を合わせていることと解離していると思う。)
小説のゲーム的性格を一旦脇におき、こうした学園ドラマ的側面に注目して見直せば、島という閉じられた空間で極度の緊張を強いられながら生きる生徒たちの姿は、実は現実の学校生活をデフォルメしたものであることに気がつく。学校の管理体制下でティーンエイジが形成してしまう息苦しい学級という小社会は、まさに彼らの沖木島なのだ。何故中学三年生に設定されているのかといえば、それは国家によって義務づけれた教育の範囲内で最年長だからだろう。こうしたアナロジーが暗に成り立つからこそ、実際に学校で抑圧を味わっているティーンエイジがこの小説に強く共振するのだと思う。
そして、このアナロジーを踏まえれば、小説から「毎日が息苦しいからって、クラスメイトをイジメたりするな。君たちの本当の敵はクラスメイトじゃない。君たちを管理している体制なのだ」というメッセージを受け取ることだって出来るだろう。ただし、そういう読みが出来るにはある程度の成熟が必要だ。ローティーンには厳しいかもしれない。クラスメイトが殺し合うというプレイそのものに目が眩んでしまい、小説から距離を取ることが出来ない可能性があるし、むろん、「大東亜共和国(日本を指す小説内での国名)は南鮮共和国(北朝鮮を暗示)と同じ成功したファシズムの国だ」などという揶揄も判らないだろう。
そういう意味では、私はこの小説をエンターテインメントとして高く評価するけれど、小学生がバランス感覚のない状態−−いろいろな小説を読む中にこれが一冊混ざっているのならいいだろうが、こういうものばかりに夢中になってしまう状態−−で、これを読むというのはけっこう危険だろうな。
(6月17日記)