おのうえこういち 北九州で百姓の長男として生まれる。 小学校、中学校、高校と「優秀な生徒さん」だったが大学から普通の人となった。 身長178cm、体重68kgバイク乗りとしては恵まれた体格。僕もけっこうシャイなほうなんですが、夜の帝王の名を欲しいままにする"S"氏と違うのは女に奥手なところぐらいか・・・ バイクとの出会いも遅い。21歳のとき友だちの口車にのせられ付き合いで二輪教習を受ける。普通免許をもっていれば大学生協を通して3万円で取れるという気安さもあったが、バイクは不良の乗り物だと思っていた僕にとって、うしろめたさ満載の自動車学校通いであった。 僕の最初のバイクとなったのは忘れもしないカワサキのGPX-250。僕が手にした最初のナンバーは忘れもしない相模む1000。いまだに憶えている。それは憶えやすいからだ。今でこそ湘南ナンバーな地方だが当時は"すもう"ナンバーとバカにされた。西湘バイパス、箱根、伊豆、三浦半島、富士山、いろいろ走り回ったがバイクの楽しさを見いだすには至らなかった。鎌倉と芦ノ湖スカイラインでこけた。あのころの僕はよくこけた。芦ノ湖では、膝蓋骨にひびが入った。曲がらない足のまま、今の会社の面接を受けに行った。 転職してカワサキのZZ-R400を買った。レーサーレプリカでないカウル付きのバイクが好きだった。大柄な車体はロングツーリングとタンデムの楽しさを教えてくれた。 次の年、新入社員の女の子を誘ってよくツーリングに行った。秋吉台、山陰のシーサイドライン、できたばかりの夜のベイサイドプレイス、などなど。 そのころは僕とタンデムしている写真が彼女の部屋に飾ってあった。夏が終わった。ふられた。僕は限定解除にチャレンジする決意をした。 筑豊の試験場に通うこと10回、2回目の冬を迎えた。試験場が福岡に移って、「ああ、今度は福岡にまで毎月通うことになるのか」と思いつつ、早朝まだ暗い冬の九州自動車道を福岡に向けて走った。しかし2度目にここを訪れることはなかった。 九州一周with GSX-Rのツーリングで東京から来たというエリミネーターの青年と一緒に公園でテントを張った。僕は買っていたビールの1本を彼に差し出し、すぐにうちとけた。夜は当然バイクの話になり、そのうちTDMが話題になった。TDMはいいバイクだと思う、と意見が一致したがそのとき自分がTDMを買うなんて予想もしなかっ
た。 その後、GSX-Rで転倒、鎖骨1本と肋骨2本を折ったが病院で一泊した2日後から会社に出勤した。ますますGSX-Rに乗ることは少なくなった。まだ未練がましく持っていたZZ-Rが盗まれたこともあり、僕はTDMを買った。モーサイのインプレで辻司さんの評価が高かったことと、wowow で石山和男さんと太田潤さんがBMWGSとTDMでツーリング番組をやってたのにインスパイアされついにTDMを買う決心がついた。 TDMを買ってさらにロングツーリングが愉快になった。南九州、 能登半島、乗鞍・飛騨、丹後...。 30過ぎてますますバイクにのめり込みつつあった。
アウトライダーのクラブメンバーの募集をみて北九州のクラブに参加してみることにした。僕のほかにもう1台TDMがいた。今でいうところのM030津山さんであった。もちろん当時も津山さんだった。 九州支部ができてからもさらに仲間が増えた。しかもかなり達者な人たちばかりだ。僕より遅そうな人が一人もいないのは口惜しいと言わざるを得ないがレベルアップにはまたとない環境だ。話をしても激しく楽しい。天草一泊ツーリング、ライディングスクールを終えた後の飲み会。女の子抜きであんな楽しい飲み会は近年まれだった。魚が食べられなくて、飯と漬物と焼酎しか食えず、明くる日、七草粥のようなゲロを吐いてしまったけども天草の夜は忘れられない。 |