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生体観察日記:2003年春 京都への旅(前編)
3月30日 日曜日 晴れ
未明、今年分の日記を全て出力し、セブンイレブンで複写しつつ、絵葉書を200枚程出力し、京都展に必要な物資を集めているうちに結構な物量になってしまう。午前5時過ぎ、うどんを食べ就寝し、午前9時過ぎに起床、軽装備の旅のはずが、結局鞄を2つ抱えて移動する羽目になる。身重の猫にたらふく餌をやり、午前10時過ぎに自宅を出立、18切符を片手に一路京都を目指す。沼津まではひたすら睡眠をむさぼり、このところの不足分を補う。本を数冊鞄に忍ばせてきたが、このところの疲れでとても読む気にはなれない。午後7時過ぎ、京都に到着、とりあえず駅の食堂でうどんと牛丼を食べ、バスに乗り込み、東寺の東門を目指す。バスを降りると、周りは真っ暗で途方にくれそうになったが、すぐさま会場となるギャラリーを見つけ出す。ギャラリーの人に挨拶し、寝床となる安宿の場所を教えてもらい、さっそく1泊2千円の東寺庵を訪れる。話には聞いていたが、いかにも貧乏っちくて、雑然としていて、宿というより田舎の友達の家に遊びに来たかのような感じだ。銭湯の場所を聞くと、レシートを提出すれば銭湯代350円のうち250円を返却してくれるという。正直これには驚いた。東京に居るよりも、衛生的な生活が送れるのだから。しかも、銭湯に行くと、カウンターのおばちゃんに「東寺庵の方ですか?」といきなり見抜かれてしまう。酒とつまみを買って宿に戻り、帳面に日記を書いてやがてに就寝する。
東寺庵のたたずまい 長屋を3軒無理矢理連結してあるので内部は複雑怪奇、明らかに建築基準法違反
3月31日 月曜日 曇り後雨
午前8時半に起床、2段ベッドの上に宿泊していたW田大学の建築学科の学生と連れだって東寺に参拝する。金堂、講堂に居並ぶ如来様、立体曼陀羅、不動明王の余りの格好良さにしびれ、その迫力に圧倒される。表記を見ると、どれも国宝、重文クラスの仏像ばかりである。その昔、仏像が民衆にとって最強のアイドルであり、大仏や由緒あるご本尊が強力な見世物になり得た時代意識を明確に認識する。それにしても、日本最古とされる不動明王の造形感覚は、現代人には完全に欠落した感覚である。一体何をどうすればあの弁髪みたいな奇怪な髪型を思い付くのか、考えたところで謎は解決しなかった。その辺りの食堂で、うどんといなりを食べ、W田生を見送り、会場となるギャラリーの前で本を読んでいると、運送屋さんが荷物を届けにやって来る。受け取りを済ませ、再び待機していると、ギャラリーのH田さんがやって来る、入り口を開けてもらい、早速準備に取り掛かったところ、額を改良しておいただけあって、アクリル板は無事だったが、葉書を吊り下げるネットに糸が絡まり、結局大半の糸を付け直す羽目に陥り、思わぬところに時間を食われてしまう。東京から駆けつけたS原さんに手伝ってもらい糸を張り、写真を壁に取り付け、細々した用事をこなしていく。8時過ぎ、空腹に耐えられなくなり、皆で連れだってお好み焼き屋へ、ネギ焼きという未知の食い物を口にしてみたところ、なかなかに美味で、ビールを散々飲んだ後、再び会場で準備作業を続行していると、深夜にも関わらず客がやって来る。東京でデザイナーをしているという方(しかも東寺庵の泊り客)で結構な時間歓談し、いきなり初日から明確な手触りを感じる。N野さんの準備を少し手伝い、準備終了を祝い、ささやかな宴を催す。つまみ無しで缶ビールと味の薄くなったワインを飲み干し、東寺庵に戻ると、午前3時過ぎだと言うのに、大勢の客が起きていて宴会・歓談の真っ盛りであった。作品展のことを紹介し、コンビニ弁当を食べ、焼酎を飲んで早々に就寝する。
京都旅行初の記念クソ4月1日 火曜日 曇り
午前10時に起床、食堂に行くと、皆当たり前のようにそこにあるパンを食べているので、確認すると朝飯も料金の内で、しかも食い放題だと言う。食パンを食べ、その場に居た学生諸君と話してみると川内倫子だとか佐内正史だとか当たり前のように知っているので、少々面食らってしまう。一休みしようと考え、寝床に戻り、隣りで化粧していた女の子(後で知ったが16歳の女子高生だった)と話していると、何故だかまた写真の話になる。ついでにその場にあった写真帳を開示すると大いに受ける。京都タワーの100円屋で作品展開催に必要な物品を買い揃え、ギャラリーに出勤する。自分の場所の床に日記をばらまき、最期の仕上げをしていると開業時間前にも関わらず、母親と妹に連れられて甥のK星がやって来る。事前の予想通り、マジック片手に暴れ回り、小型の怪獣並に破壊活動を繰り返す。終いには、さすがに疲れたのか、眠気を湛えた顔で「新幹線!新幹線!」と連呼していた。会場に展示しておいた自身の経歴を一読し、母親の顔色が曇り、涙腺が緩んでいたのが心苦しかったが、作家に私生活は存在しないのだから致し方ない。皆で記念写真を撮り、妹一家と母親を見送り、会場の片隅で日記を書いたりしていると外人の客がやって来て、クスクス笑っていた。Tさんという作家の方と意気投合し、長時間に渡って歓談、作品集と論文集を買って頂く。夕方になると、関西の作家が多数来展し、会場は活況を呈す。昨日から興味津々の様子だったK戸さんは作品集2冊(1冊は友達にあげるらしい)と論文集を買って頂けるほどの気に入りようだった。以前から怪しい文章、病んだ作品が印象深かったF本さんとも初対面を果たし、I井さんの紹介でマネキンメーカー七彩の方とも知り合いになり、協力の約束を取り付けることも出来た。初日だけで京都にやって来た元は取ったようなものだ。八条湯で汗を流し、再びギャラリーで飲み明かし、午前2時過ぎに東寺庵に帰宅、おにぎりを2個食べ、焼酎を飲んで就寝する。
東寺の亀 交尾中?4月2日 水曜日 曇り
朝7時半に起きるつもりが8時半に起床、結局N野さん達とは合流出来なかった。東寺庵に戻り、外人しか居ない食堂で、パンと紅茶を胃に流し込む。「おじゃ魔女」を視聴しながら、若者相手に偉そうなことを散々ぶちまけ、あてもなく京都の街を散策する。2時間もすると歩き疲れ、クソもしたくなり、地下鉄に乗って引き返す。切手を買ってきてMに手紙を書き、作品展の準備を整える。さすがに平日の午後だけあって、序盤の会場は閑散としていた。それでも新聞社の文化部の記者の方、人形系の造形物を作っているという女性客(まーくんと「Moppets and Teens」を譲ってくれとせがまれた)と交流し、7時頃、やたらとやる気のある女子美大生と話し込む。若さ故の神経質さと元気さは、おっさん化しつつある自分に良い刺激を与えてくれる。8時を廻り、食事する場所を付近に探したが、あいにくどこも閉まっているか、値段が高くて入れない。結局行き着いた先は吉野屋の牛丼、東寺庵に戻り、八条湯に浸かり、しばらく本を読んで、日付が変わる頃に就寝する。
脅威の新技術らしいです。4月3日 木曜日 晴れ
午前5時頃に目を覚ます。このところの過飲酒が祟ったのか胃腸の具合が優れない。上のベッドに宿泊しているW田生もかなり具合が悪い様子だったので、ティッシュ箱を進呈する。7時になるのを待って起床し、汚れた衣服の洗濯を開始し(何とこの宿は洗濯代もタダ、洗剤も供与される)、紅茶を飲みながら、おにぎりを頬張る。素人作りの階段を上ったところにあるベランダに洗濯物を干し、桜咲く京都の街を散策する。東の方に向かって歩いて行くと、両岸の桜が満開になった鴨川の中州を無意味に削っているブルドーザーと、それを怒鳴りつけているおっさんの姿を目撃する。何とも不可思議な光景で、橋の上からしばらく見入っていたが、結局、ブルドーザーの作業員とおっさんの間に話が付いたようだったから、あんな無意味そうな行為にも何かしらの合理性があるのだろう。
鴨川の桜とブルドーザーたまたま行き当たった国立博物館に入館すると、もぎりのおばさんも桜に見とれ、明後日の辺りに行っていた。とりあえず、いかにも明治建築らしい本館の建物を外側から眺め、裏手の辺りに登っていくと、祠か何か、とにかく怪しい石群が置かれていた。あいにく重厚かつ滑稽な本館は、企画展の準備中で、いかにも殺風景な新館の常設展を観覧する。仏像を眺めていると、何だか急に気分が悪くなり、中庭で昼寝して気分を取り直し、再び仏像や鳥獣戯画(丙巻)を観覧する。しかし、展示物は全般に東博に比べ、いかにも役不足で、東寺に行った後では、博物館の仏像はさっぱり面白くないし、鳥獣戯画も甲巻に比べると、線に潔さがなく、全く迫力は感じられなかった。
国立博物館裏の謎の呪いの石群続いて、ここだけは押さえておきたかった三十三間堂にお参りする。話には聞いていたが、自分などが言葉を差し挟むのも失礼な程の素晴らしさに感嘆し、日本人の底力に敬服する。仏像の数と造形力もさることながら、等身大性にここまでこだわった仏像群は他にないだけに、いかなる意識背景があったか、実に興味深い。カツカレーの大盛りを腹一杯食べ、とぼとぼ歩いているとクソをもらしそうになる。何とかギャラリーに辿り着き、早々にクソをたれ、自身の会場である2階に陣取ったが、散発的に自動ドアの開閉する音は聞こえるが、全く客が訪れないまま営業時間は終了する。八条湯に浸かり、コンビニ弁当を食べ、食堂で何となく歓談していると、上のベッドに寝ているW田生が、佐賀からやってきたO田さんを執拗に口説いていた。その話口調はいかにも頭が悪く、横で聞いていて心苦しかったが、彼の言う通り(W田生は、ラジオ局かレコード会社に就職するつもりらしい)、おそらくこういう人がマスコミやメディアに深くに関わるから、現在のような全体主義的報道が平気でまかり通るようになるのだろう。10時になると、今度はビール、酎ハイ、おつまみが宿から振る舞われる。聞くと、これも毎夜のサービスだそうで、豪気というか、一体どうやって経営が成り立っているのか、あれこれ計算を巡らせてみる。日付が変わる頃、食堂を抜け出し、しばらく本を読み、2時前には就寝する。
4月4日 金曜日 雨
8時過ぎに起床、セルフサービスの朝飯を食べ、早々に東寺庵を離脱する。まずは東山界隈の美術館や図書館を廻ってみたが、これといった催しも資料も見つけられず、早々に移動し、京大付近を散策する。噂に名高い京大学生寮は、機能しながらにして既に廃墟化していた。京大の脇の古本屋を5件程廻り、1万円相当の書籍を買い集める。さすがは、天下の京大と讃えるべきか、あるいはアカの活動実績なのか、とにかくどの古本屋に行っても、エロ本、ポルノの類が微塵も無かったことが印象的だった。京大の付属博物館を観覧したところ、情報は余り一般向けには整理されておらず、特に自然科学系のセクションは、内輪向けの表記ばかりが目立つ。要は、学校側のプロパガンダと学術研究の成果の発表が目的ということなのだろうが、金を取っている以上、もう少し何とかして欲しい。たくさんの本を抱えていたこともあり、バスで京都駅まで引き返し、ギャラリーに出勤するとS原さん他2名の女性客がわざわざ東京からいらしていた。しかし、その後の来客はほとんどなく、先程買ってきた荒俣宏の「衛生博覧会を求めて」を読み耽る。先日の研究発表会において、この衛生博覧会絡みのネタを追求されて、答えに窮したことを思い出し、買い求めた書籍だが、質問者の発言が余りにこの本の記述そのままなので笑ってしまう。上のベッドのW田生に風邪を伝染されたのか、京都のヒノキ花粉が強力なのか、とにかく鼻水が止めどなく流れ出る。東寺庵に戻り、八条湯に浸かり、「衛生博覧会・・・」を読み終え、食堂で歓談する。四国八十八カ所に番外、別格を加えた250個所余りを、野宿、托鉢で廻ったという遍路のI田さんと、2時まで語り明かし、焼酎を飲んで就寝する。
京大合唱団4月5日 土曜日 雨後曇り
5時だか、6時だか、とにかく早朝に目を覚ますと、自分の寝床ではない全く別の場所で寝ていることに気付く。慌てて起き出し、本来の寝床に戻ったが、何故こんなことになったのか皆目見当が付かない。これまでどんなに酒を飲んでも、完全に記憶を無くしたことはなかったのだが、ついに老化が新たな次元に踏み込みつつあるのかもしれない。午前10時過ぎに起床、食堂でパンを食べ、たまたま居合わせた響子さん(何と薬科大の8回生!)、遍路のI田さんと歓談する。途中参加した青年が、実はT海大の同期生でしかも映研出身ということが発覚し、その青年と響子さんと連れだってギャラリーに出勤する。やがて、D原氏も到着し、ほぼ初顔合わせの4人で歓談する。夜、響子さんが以前働いていた八文字屋というバーで落ち合う約束をまとめ、とりあえず3時過ぎに散会し、D原氏を東寺庵に案内すると「日本にもこんなところがあったのか」と軽く衝撃を受けていた。その後、再びギャラリーに戻ったが、土曜だと言うのに、客の姿はまばらで泣きが入りそうになる。夕刻、隣りの食堂で親子丼を食べ、再び会場入りしたが、状況は好転せず、閉館時間の前に離脱し、地下鉄で河原町に移動し、響子さんと合流する。写真帳を見た響子さんに「寺山修二っぽいお店があるんですけど・・・」と言われ、連れて行かれた店だけあって、店の中は、写真家でもあるオーナーの写真、作品集(店に来た女性のポートレイト集が何冊もあり、しかも365日、誕生日順に並べられたものまであった)、レコード、雑誌などが、散乱し、積み重なり、異様な雰囲気を醸し出していた。これでも歌舞伎町の火災事故以後、客が自主的に整理した後だと言うから、以前がどんな具合だったのか、想像に余りある。エビスビールに美味い日本酒をたしなみ、響子さんが東京に戻っていった後は、隣りに座っていた不思議な感じの青年A川さんに声を掛け、自作の写真帳を開示すると、彼も自作のマンガ本を出してきたので、D原氏共々、大学の卒業発表会を題材にしたアンニュイな学生生活を描いた作品を拝見する。10時半頃、店を後にし、夜の繁華街を通り抜け、東寺庵に戻り、閉店間際の八条湯に駆け込む。急いで身体を洗い、身体を拭いていると、閉店時間きっかりにメインの照明を消される。さすがは関西だ(というと関西の人に怒られるだろうか)。宿の食堂の隣りの部屋でしばらく酒を飲み交わし、2時過ぎには就寝する。
怪しい青銅像4月6日 日曜日 晴れ
午前9時頃には起床、食堂でパンを食べ、バスに乗ってまずは金閣寺を訪れる。15年振りの金閣寺は、あいかわらずまばゆいばかりの輝きを放っていた。雨樋の造形処理が、随分アバンギャルドだが、創建当時の形状を再現しているものなのか、後代になって付加されたものか気に掛かる。続いて、たまたまやって来たバスで移動し、桜満開の哲学の道を通り抜け、銀閣寺へ向かう。一日にして金閣、銀閣を制覇したが、話に聞いていた通り、銀閣のほうはいかにも貧乏臭く、汚らしい。盗み聞きしたガイドのお姉さんの話によると、創建当時は漆が塗られていたそうなので、もしかしたらその昔は汚らしかった金閣寺より、見栄えがしたのかもしれない。美味いと評判の京都の豆腐料理を食べようとしたが、あいにくどの店も長蛇の列で諦めざるを得なかった。千円屋でおみやげの人形や水が流れるジオラマを買い求め、再びバスに乗り、京都駅を目指したが、大渋滞に巻き込まれ、到着まで1.5時間余りを要す。駅でD原氏と一旦別れ、飯抜きで大急ぎでギャラリーに出勤すると、日曜ということもあり、散発的ながらとぎれずにお客さんがやって来る。東寺庵で知り合った遍路のI葉さん、佐賀からやってきたO田さんも来てくれる。夕方以降は、とぎれなく人と話していたので、さすがに咽が痛くなる。宿に戻り、八条湯に浸かり、コンビニ弁当を食べ、交流を深めているうちに夜は更けていく。両親は日本人で日本語も話せるけど、生まれも育ちもフランスという感じのよいフランス人のお姉さんに話のはずみで写真帳を開示したところ、かなり受けてはいたが具体的なコメントは頂けなかった。フランス人の感性でも、言葉に出来ない衝撃を与えられる反面、意図的に組み込んである日本固有の文化コードは、なかなか理解出来ないようであった。3月末まで保母さんをしていたというT中さんと話し込んだ後、焼酎を飲んで2時半には就寝する。
金閣寺とD原氏
金閣寺の雨樋 突っ張ってます。