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4年振りの個展開催に及び、心構えだけでなく、身体も出血大サービスとなってしまった自分への褒美として、京都を小旅行して来ました。2007年春・若冲を巡る旅
5月20日 日曜日 曇り時々晴れ時々雨
伊藤若冲の「動植綵絵」+「釈迦三尊像」を観覧するため、早起きして新幹線に乗り、京都へ赴く。一旦、河原町のホテルに荷物を預け、展覧会会場まで徒歩で移動。敢えて踏破した京都御所は想像以上に広大で、延々と続く砂利道は予想以上に足首に負担を掛けるので、行き着くまでにくたびれてしまう。待ち合わせ時間きっかりにKさん夫妻、Fさんと合流し、相国寺境内の承天閣美術館に赴くと、45分待ちの立て札が・・・。
まずは、この歴史的な展覧会の概要について記しておいた方がいいだろう。江戸中期の絵師、伊藤若冲の最高傑作とされる「動植綵絵」と「釈迦三尊像」は、若冲がかねてより懇意にしていた相国寺に寄進されたが、明治半ば、廃仏毀釈の世相の中、困窮した相国寺は、京都府知事の仲介により宮内省に「動植綵絵」を献納してしまう。もっとも献納と言うのは、あくまで相国寺側の言語表現であり、現実には純然たる売却であり、宮内省は「保存費」という名目で相国寺に対して支払いを行っている。事実、下賜金1万円(現在の貨幣価値にして数十億〜数百億円)を得たことによって、相国寺は何とか寺勢を回復することが出来た。明治天皇にしてみれば、明治政府の行き過ぎた近代化政策の結果生じた、相国寺の窮乏を見かねての救済策であったかもしれない。というのも、相国寺は御所の隣りで皇室とも結ぶ付きの強い寺社であったし、明治天皇の心の拠り所は常に京都にあり、京都の荒廃を終生気に掛けておられたからだ。
いずれにいろ、以後、本来は「釈迦三造像」を盛り立てるために描かれた「動植綵絵」は、若冲の意に反して皇室財産として隔離されてしまう。それが約120年振りに京都に里帰りし、本来は一体の作として描かれた全33幅が一挙公開されるというのだから、盛り上がらないわけがない。京都の人達にとってもこれは一大事で、地下鉄の全ての広告が「若冲展」のポスターで埋め尽くされている程の熱の入り用だ(少なくとも、東京で、一展覧会の広告がこれ程大規模に展開されたことはない)。思えば、明治とは京都に対する略奪と弾圧の時代であった。天子様は「ちょっと東都に行ってくる」という感じで出ていったまま戻って来なかったし、明治政府の近代化政策の下、若冲の「動植綵絵」然り、多くの仏画、仏像が廃棄されたり、国内外へと流出していった。そして、敗戦後は、ピューリタリズムと米国型資本主義の席巻により、かつての伝統と文化は壊滅的に破壊されてしまった。
時代は巡り、「近代」の歪みは、良識ある人間ならば誰しも認めざるを得ない重大な社会問題化し、ようやく前近代の歴史や文化が適正に評価されようとしている(当サイトの閲覧者ならご存じの通り、未だキンダイを信奉し自称しているのは、キチガイ・カルト・詐欺師である)。しかし、この当たり前のことに気付くまでに我々が払った犠牲は余りに大き過ぎたし、既に失われた歴史遺産は余りに巨大で、被害を回復することはもはや不可能である。・
ご覧の通り、地下鉄の中吊りも若冲一色。
・さて、肝心の展覧会だが、長い行列を経て、1つ目の展示室で相国寺ゆかりの品や若冲の小品を観覧した後、若冲が描いた襖絵に度肝を抜かれることになる。絵も素晴らしいが、金閣寺の床の間と居室をそのまま持って来た展示方法は更に凄まじい。金閣寺も銀閣寺も相国寺の系列だからこそ実現可能な荒技である。
再び長い行列を経て、いよいよ目玉である「動植綵絵」と「釈迦三尊像」の邂逅の瞬間を目撃することになる。この展示室は、いずれ「動植綵絵」が里帰りすることを願って建設されていたというだけあって、確かにショーケースの中に33幅の絵が、見事な具合に収まっている。しかし、残念ながら余りに観客が多く、若冲がこの世の生きとし生けるものを写しとろうとした大作を一望することは出来ない。建設当時、これ程までに若冲の人気が高まるとは夢にも思っていなかったのだろうが、ショーケースの高さを1メートル上げておけば、もう少し格好が付いたのではないか。この点は大いに悔やまれた。
「動植綵絵」には、若冲の意図を反映させた並び順があったはずなのだが、現在それは失われている。今回、研究家による協議を経て得られた推論に基づき展示されているのだが、若干疑問を感じさせる部分もあった。もっとも、この世あらゆる生き物を描こうとしながらも、現実には鶏ばかり描いているから、そもそもバランスが取れていないから致し方ないのだろうが・・・。それにしても、昨年、修復を終えた「動植綵絵」が三の丸尚蔵館で半年に渡って公開されたさいには、観覧料が無料であったにも関わらず、大して話題にもならず、客もまばらで、じっくり観察することが出来たのだが、今回の京都の盛り上がり方は少々常軌を逸している。若冲が卓越した絵師であったことは確かだが、同時代には、応挙、芦雪、蕭白と個性と才気溢れる絵師は幾人もいた。決して、若冲だけが飛び抜けた存在ではない。やはり、冒頭に述べたような、京都が「近代」という暴力的な時代に被った被害に対する恨みが今も尾を引いているのか。・
「写場」という言葉が写真家の心に突き刺さる。明治・大正期から続いてきた写真館か。
残念ながら現在は廃業されている。しかし、シルバーの文字に託された意味は?・ 片端であるなしに関わらず、オスの愚かさは変わりはない。車椅子での痴漢行為とはどのような状況なのか。見てみたいものだ。しかし、何故わざわざ後から「車椅子」の文字を書き込んだのか。筆跡が自分そっくりということもあり、何だか他人事とは思えない。
・ 国際マンガミュージアム
京都市内の小学校は、驚くほど校舎が立派だ。
確かに取り壊すには惜しいので、今後も何らかの形で再利用して頂きたい。・
続いて、国際マンガミュージアムで「海洋堂フィギュアミュージアム展」を観覧する。海洋堂の歴史を展望した展覧会を期待したが、ほぼチョコエッグ以後の食玩を主体とした展示で、少年期に心を熱くしてくれたガレージキットやフィギュアモデルは黒歴史として葬りさられていた。もっとも、小学校を改装したチビっ子向けの施設だから、仕方がないのだが。海洋堂の宮脇前社長の講演の最後だけを拝聴したが「模型のあらゆる可能性に挑戦し尽くした自信はある」という言葉が印象的であった。その後は、Kさん夫妻宅で個展で上映したDVDを解説付きで上映する。編集して個展で幾度も何日も見ていた画像を京都でも見るのは苦痛この上無かったが、これも自分がやったことだ仕方がない。
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この店はまだ現役。開業当時は「ボーシ」と表記するのがお洒落だったのか。 ・ 5月21日 月曜日 晴れ
7時に起床し、ホテルのレストランで朝食を摂る。バイキング形式のため、意地汚く食い過ぎ、腹を痛める。チェックアウトして、河原町界隈を散策。大通り沿いの中古カメラ屋で、マミヤC330限定バージョンに55@、80@、150@、180@全部付いて4万3千円、しかも全て新品!という畏るべき出物を発見し、危うくあと一歩で購入というところまで追い込まれたが、暗室機材を手放した今となっては使いようがないため、何とか思い留まることが出来た。歓楽街では、朝10時からSM系の何だかよく分からない店が営業していて、こちらにも心惹かれたが、結構凄い料金だったので、こちらも思い留まることが出来た。どうやら猫除けらしい。
しかし、選択された写真や熱の入ったコラージュからは、猫への愛情が・・・。
どう考えても猫除けの効果はないだろう。・ 京都の人達は神仏を大事にする。
原爆を落とされなかったのは信心の賜物だったのかもしれない。
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午後、舞妓さん達の修練場で上演されている鴨川をどりを観覧する。前半の出し物は芝居の要素が強く、少々退屈であったが、後半の出し物は、華やかな和製ミュージカルでなかなか楽しませて頂いた。要は、京都の座敷遊びを大規模にして舞台で上演しているわけだが、男女が入れ代わっていることを除けば(いや、江戸の初期まで、芸能は女達によって支えられていたのだが)、江戸の芝居小屋はおそらくこんな感じだったのだと思われる。しかし、芸者遊びの面白さの断片だけを見せつけられたような格好で、むしろ欲求不満が高まるばかりであった。お陰で、いつしか自分も京都で座敷遊び出来るような身分になってみたいものだと思うようになった。今まで、そんなことなど考えたことも無かったが、何事もとりあえず実戦を体験しないと分からんということだろう。
3時ちょうどの新幹線に乗り、早めに退散し帰宅する。前回、京都から帰ったさいはKさんの家のデブ猫達と戯れていたため、うちの猫が随分スリムに見えたものだが、今回は何の違和感も感じなかった。京都のデブちゃん達が痩せたのも確かだが、うちのオバチャン猫がこの2年間でそれだけ中年太りしたということだろう。
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鴨川をどり
入場料2千円分は充分楽しめます。
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