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「2003年秋、八丈島への旅」 この旅は、2004年春以降に本格的な動きを見せるであろう「金剛寺ハルナとその姉妹」で使用する撮影地の下見と半年間の事務的労働に対する慰労を目的としている。残念ながら、滞在中連日の雨天で、思うようにいかない面も多々あったが、広々した家で猫とのんびり暮らしたり、山海の景色の中を車で疾走しているうちに、このところの心の支えをすっきり洗い流すことが出来た上、目当てにしていた島最大の廃墟も素晴らしい物件で、当初目論んでいた以上の成果を上げることが出来た。
11月9日 日曜日 曇り後雨
午前6時頃、習慣的に目が覚めたが、しばらく布団の中で過ごしているうちにまた寝てしまう。8時半頃に起床、日曜美術館の後半を視聴し、飯を炊き、森田芳光の「映画」を視聴した後、選挙に出掛けると、予想外に長蛇の列が出来ていた。ご年輩の方も、こんな行列は初めて見たとおっしゃっていたので、極めて異例なことだったのだろう(速報の根拠となる公共放送の出口調査も初めて目撃)。結局、悩みに悩んだ結果、今回は民主党に投票しておいた。別に積極的に支持しているわけではないが、選挙区はノブテル様の圧勝が確定的な上、比例区に関しては、実質的に民主党か白票以外に選択肢が無いのだから致し方ない。最高裁判事の国民審査は、よく分からないくせに全員に×を付けておいた。飯を食って、昼寝して、部屋を掃除し、U山君が自分の生誕30年を祝うために食堂から剥がしてきてくれた警備のお姉さんのポスターを部屋に貼ってみる。旅装備を整えるため、新宿に出掛け、晩飯食って、荷物を鞄に積め、自宅を出立する。小雨の中、浜松町から竹芝桟橋まで歩いていくと、女子学生達が広場でバレーをしていた。切符を買って待機していると、伊豆七島へ向かう船が出発すると、待合所は驚く程閑散とする。船に乗り込むと、隣りの区画は先程の女子学生の同級生のバカ男子学生共で、深夜まで騒ぐので迷惑この上ない。東京湾の夜景を一望する甲板も人の姿はまばら、レインボーブリッジを抜けてビールを飲みながらたたずんでいると、右手にほぼ毎月蛍光灯を取り替えている品川の高層ビルが見えてくる。自分も、この光景に、一役買っているかと思うと誇らしくもあるが、誇ってみたところで誰も褒めてはくれない。さすがに11月の夜風は冷たく、景色も闇ばかりになってきたので、船室に退散、再びビールを飲んで、カップ麺を食べ消灯と同時に就寝する。
断崖絶壁の島、御蔵島(帰りに撮影)
辛うじて存在する緩斜面に人家が点在しているが、人間が住める場所とは思えない。11月10日 月曜日 雨
大揺れの船は午前6時頃に御蔵島に寄港、出発前に寄港出来ない可能性を示唆された島だけあって、島の全周囲が断崖絶壁、おまけのように突き出たハシケに、荒天の中、船付けするのは確かに困難なことだった。実際、この寄り道にはかなりの時間を食われ、折からの荒天も重なり、船は1時間近く遅れて八丈島に到着する。港の周囲はいきなり溶岩の塊だらけで、とんでもないところにやって来たことを思い知ったのも束の間、遅刻したため、迎えの姿は見えず、しかも大雨で、さすがに途方に暮れそうになる。待合所までとぼとぼ歩き、案内所に置かれた地図を片手に交通手段を考慮しようとしていると、見知らぬ人に声を掛けられ、K納邸の場所を丁寧に教えられる。何だかよく分からないまま、呼んでもらったタクシーに乗り込み、目的地に到着、表札と室内に雑然と散乱する私物によって、そこがK納邸であることを確認する。ざっと室内を探索すると、随分大きな平屋建てで、部屋数が異常に多い上、家の半分は廃墟化していた。いや、正確に言うなら、廃屋を半分だけ修理して半ば無理矢理に住んでいるのだ。K納さんは仕事へ、T君も学校へ行っているため、閑散とした半廃屋で拍子抜けしていると、噂に聞いていたK納家の盲猫ビスケが姿を表し出迎えてくれる。弁当を買ってきて一休みしていると、魚の匂いを嗅ぎつけ、盲猫がようやく寄ってくる。魚の身を床に置いてやると、地面に落ちた飯粒をはいつくばって食らう座頭市のように、餌を食い始める。目つきも仕草も猫ながら座頭市そっくり、勝新の偉大さを意外なところで思い知る。
生まれながらに目の見えない盲猫ビスケ
左目は白濁し、右眼は眼球自体喪失している。昨日の選挙の結果をテレビで検証し、敬愛する山崎拓先生の落選を知る。愛人の一人や二人に目くじらたてるほうがどうかしていると思うし、政治家だから変態プレーをしてはいけないという道理はないと思うが、爽やかなオッサンをぶつけてきた民主党の戦術の前に為す術はなかったようである。昼寝しているとK納さんが仕事から帰ってくる。T君が帰ってくるのを待って、島の方々を車で廻ることにし、まずは警察署で目当てにしてきた巨大廃墟の管理人の電話番号を聞き出し、現地に直行、予想を遙かに上回る廃墟の熟成振りに血湧き肉踊る。爆撃されたかのような車の数々に、朽ち果てまくった建物の数々、わざわざやってきた甲斐はあった。海辺に作られた衝撃の小学校プールに爆笑し、島の奇人が作り上げたという竜宮城へ向かったが、あいにくこちらは先日の大台風で損壊し、ほぼ解体された後だった。
海沿いに建設された小学生プール
その昔は、海辺に下りる道路が無く、島の小学生達は断崖絶壁を
ロープをつたって上り下りし、このプールを往復していたらしい。教習所を出て以来、初めて本格的にMT車を操作し、霧に覆われた曲がりくねった山道を運転していく。晩飯の材料と酒を買って帰宅、キムチ鍋をご馳走になり、湯船に浸かる。しかし、この家の風呂桶、なんとハート形をしている。聞けば、その昔、この建物は女郎屋だったそうだ。コの字の廊下沿いに多数の部屋が配置された不条理な間取りにも、ようやく合点が行く。警察に教えてもらった番号に電話し、廃墟の管理人と接触を計り、少し高い日本酒を飲み交わし、日付が変わる頃には就寝する。
女郎屋時代の面影、60〜70年代の色香を漂わせるハート型の浴槽
水道代、燃料代を浮かせるため、現在は全体の1/3程に区切られている。
土産として持参した大相撲チョコレート
小学3年生のT君に友達に見せるよう奨めると「自慢にはならないね」と一蹴される。11月11日 火曜日 曇り後雨後曇り
午前7時半に起床、昨晩のキムチ鍋にぶっこまれたうどんをご馳走になり、溶岩の塊だらけの海岸線を徘徊した後、海沿いの道で小型の廃墟を発見、内部を探索すると何故かそこには、大量の缶とよく分からない薬品入りのボトルが散乱していた。その後は、島の八丈富士側を車で一巡し、空港界隈を探索し、K納邸に引き返す。さすがに半日運転すると苦手意識の強かったMT車にもすっかり慣れる。給油したところ、さすがは離島、1リットル137円という、余りの高価格に腰を抜かしそうになる。近所のスーパーに弁当を買いに行くと、食品売場で「DX月見バーガー」と書かれた総菜パンが売られていて笑ってしまう。島の人達は、ケンタッキーやマクドナルドに対する強烈な憧れがあり、お土産に買って帰ると大変喜ばれるのだとか。ここが東京都なら、四国も小笠原諸島の先端と言い張って、東京にしてもらいたい。昼飯を食って、K納邸の廃屋部分(さすが元女郎屋だけあって、床の間がピンク色!)を撮影していると、盲猫がよたよたとやって来る。「危ないぞ」と一声掛けたのも束の間、シロアリに食われ腐った床板を見事に踏み抜く。猫にも踏み抜かれる床なんて初めて目撃したが、猫が床を踏み抜くところも初めて目撃した。昼寝していると、T君が友達を連れて帰って来る。サッカーゲームを誘われたが、あいにくテレビゲームには馴染みがないのでご辞退させて頂く。その後、自分の要望もあり小学生2人を相手に人生ゲームをやることになるのだが、説明書の紛失という障害を乗り越え、子供相手にルールのすりあわせを行うことは極めて困難な作業だった。株券を全て買い占めたせいで、約束手形まで一人で独占し掛かったが、半ば子供を騙くらかす形で、相場を2連続で大当たりさせ億万長者に上り詰める
建設中のアニマル霊園
動物達も南の島に葬られれば、さぞや幸せでしょう。11月12日 水曜日 雨時々曇り
例によって、朝から強い雨が吹き付ける。午前7時過ぎに起床、家主母子が外出し、盲猫と二人きりの元女郎屋で本を読み耽る。しかし、朝からの冷え込みに身体が徐々に蝕まれてきたため、身体を温めるために、家中の床を掃除機掛けし、ブレーキの壊れた自転車を借りてその辺りを無意味に徘徊する。恐ろしいことに、この島には田んぼというものが存在しない。作物を栽培する畑らしきものもほとんど見当たらない。何でも、島の百姓は観葉植物を栽培しているのだとか。島、唯一と思われる本屋でエロ本を買い、その前の飯屋で弁当を買って帰宅する。再び、盲猫と二人きり、暇潰しに遊んでやるが、とにかくこの猫異常に元気がいい。真っ直ぐ鉛直方向に飛び跳ねる猫なんて初めてお目に掛かったが、他にも特異な特徴が幾つも観察出来る。猫がじゃれて人間を噛んだり、引っ掻いたりすることはよくあることだが、この猫の場合、その程度が半端ではない。がっちり指に食らいつき、前足の爪をしっかり手のひらに食い込ませ、後ろ足を凄い勢いで動かし、手首を引っ掻くからたまったものではない(当然人間様は出血する)。正に「猛獣」ならぬ「盲獣」、視覚がない分、皮膚感覚や痛みに飢えているとしか思えない。また、猫は、餌が欲しいとき等、尻尾をくねらせ、意志表示するのものだが、視覚的学習を経ていないせいか、盲猫は尻尾で意志表示することはない。もっとも、この猫、傍目から見る限りでは、目が見えないことを苦にしている様子は全くない。生まれたときから目が見えなければ、それが当たり前のことだし、仮に猫の世界に言語が存在するにしても「今日は空が青いですね」とか「新緑が綺麗ですね」なんて、言ったりはすることはないだろうし、ましてや、目が見えることの素晴らしさを哲学的に語るお節介なんてのはまず存在しない。人間に餌と屋根さえ厄介になっている分には、余計な欲が芽生えない分、目が見えないほうがむしろ幸せに暮らせるのかもしれない。
太平洋の荒波一度帰ってきたK納さんを公民館まで送り、海辺に車を止め、車中で読書する。これが暖かくて、風通しも、景色も良くて実に快適だった。再び、K納さんを迎えに行き、学童保育の実態(キチガイのように元気な子供の世話)を垣間見る。ビデオの編集を頼まれ、飯を作る暇のないK納さんに子供の飯を作るよう言われていると、ちょうどT君が同級生の父親にもらった弁当を2つさげて帰ってくる。しかし、中身は昼間食べた弁当の売れ残りであった。
11月13日 木曜日 曇り時々雨
午前7時過ぎに起床、朝飯を食べ、再び雨が降り始めないうちに、巨大廃墟の本格的な探索に出掛ける。裏手の暗黒地帯を探索し、写真に記録していく。2カ所程、究極の円熟に達した場所を発見し、正に至上の喜びに浸っていると、急に用をもよおし、大自然の中で、太平洋の風を受けながら久方ぶりに野グソをたれる(どういうわけか、島に来てからやたらと便の通りが良くなった)。廃墟ホテルに放置されていた褪せたカレンダーやら古雑誌を接収し離脱、その後はK納邸で読書して過ごす。
午後、作りすぎたスパゲティーを無理矢理胃に流し込んだ後、この夏閉鎖になったばかりの巨大ホテルを案内してもらう。残念ながら、表に置かれていた彫刻類は全て撤去されてしまった上、まだ綺麗過ぎるため当面撮影には使用出来ないが、5〜10年後の朽ち果て具合が実に楽しみな物件である。借りた車を海辺に停め、車内で本を読んだり寝て過ごす。その間、沖合には、海自の護衛艦が停泊していたが、一体何をしていたのか、日が暮れた途端に姿を消す。急速に宵闇が迫る中、海沿いの道を車で走り抜け、学童保育所にK納さんを迎えに行く。帰り道、前から気になっていた土産物屋によると、余りの建物の立派さに驚かされる。その昔は、団体客が押し寄せ、繁盛した時代もあったのだろうが、今は見る影もない。最後の夜ということもあり、T君も連れ、島の反対側にある露天風呂へ、多少星空は見えたが、眼下に見えているはずの海辺には文明の力が及んでおらず、ただ暗闇ばかりが広がるばかりであった。かなり高級なマッサージ椅子に身体をほぐしてもらい、居酒屋で島の魚をつまみながら酒を飲み交わしたが、9時を廻ると客は我々だけで寂しい限り、T君が夢中になって視聴している「TORIC」なるテレビ番組の余りの下らなさも空しさを誘う。と偉そうなことを言っているが、自分もその昔、こうして下らない番組を無心に眺めていたことを思い出す。
八丈島沖合に停泊中の海自の護衛艦11月14日 金曜日 晴れ
午前7時過ぎに起床、帰り支度を整え、昨日作りすぎたスパゲティを食べ、盲猫ビスケにお別れをして、港までK納さんに送ってもらう。天気もいいので、待合所を出て、桟橋に突き出た溶岩の塊のてっぺんに登り、船から島へ、島から船へ荷物を積み降ろしする様子を見物する。毎日行き来しているというのに、大量のコンテナに加え、ブロック、木材、鉄板、ガードレールなどの建築資材が次から次に運び出される。乗船し、山羊に草木を食い荒らされ、地盤の崩落が進行しつつあるという無人島八丈小島の様子を見物した後は、読書と小刻みな睡眠を交互に摂り、その合間に甲板の景色を楽しむといった具合、季節外れの船の乗客は、10人にも満たず、船内は閑散としていて、海上の景色を眺めようなんという変わり者は他に居なかった。
崩落の危機にある八丈小島
全島避難のさい残された数匹の山羊が激増し、島の草木を蝕んだ結果、地盤が
崩落しつつある。現在、山羊の捕獲作戦を展開中とのこと。山羊の里親を募集
しているそうなので、山羊好きの方は是非、八丈町役場に連絡してみて下さい。
夕暮れの太平洋を航行する海自の護衛艦
こういう光景を連日目撃すると、日頃は全く認識することのない
「領土」「領海」という概念を想起せずにはいられない。夕刻には、昨日から読み始めた森達也の「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」を読み終える。読み易い文章であったことも事実だが、本を読むのが遅い自分としてはかなり早いペースだ。彼の言う通り、全ての表現はフィクションであり、ノンフィクションであるとしても、日本に憧れ、日本に亡命し、日本の力を借りてベトナムの独立を果たそうとしたが、宿願叶わず無念のうちに客死したベトナムの王子の存在を再発掘するというのなら、もう少し客観的な視線を徹底すべきではなかったかと思う。視点は素晴らしかったと思うが、仕事の不徹底を理屈と表現で誤魔化しているようで、辛い部分が多々あった(テレビ屋として身に染みたサービス精神が弊害を生んでいるのでは?)。むしろ真骨頂を発揮するのは、後半のベトナム取材においてである(やはり、この人はドキュメントでしか語れない)。日本で忘れ去られた王子は、社会主義国ベトナムにおいても消し去られた歴史だったという現実は、余りに世知辛い。船は、レインボーブリッジを越えると、途端に何語の詞かも分からない勇ましい曲が流れ初め、汽笛だけが元気に鳴り響く。真っ直ぐ自宅に帰り着くと、猫共が鳴き叫び駆け寄ってくる。急いで、餌を与え、旅行に出発するさいに仕掛けておいた殺虫剤で、部屋中に散らばるゴキブリ類の死骸(総計約100匹)を処置し、メールの返事を書いたり、日記を書いたりしていると、いつにも増してエイズ猫がすり寄ってくる。しかし、不味いことに再びエイズ猫の腹が膨らんできた。このところ食い意地が旺盛なのも、確たる理由があるようである。早速、犬猫の避妊手術を援助してくれる団体に手紙を書き、午前1時前に就寝する。
殺虫剤使用後の状況
旅の締めくくりは、無数に散らばった虫の死骸の出迎えだった。目次へ戻る トップページへ戻る