第2次八丈島遠征記:前編

2005年 5月29日 日曜日 晴れ
 退勤後、このところの激務をねぎらうために催された会社の慰労会に出席する。その後の船旅のことを考え、控えめにするつもりが、タダ酒、タダ飯とあって、ついいつもの調子で飲み食いしてしまう。宴会の最中、S木さんにネットを通じて情報が漏洩していることが判明、いよいよ職場での全面的なカミングアウト到来の予感を感じる。
 ふらつく足で何とか、港に辿り着き、切符を買ったまでは良かったが、案の定、待合所で寝入ってしまい、危うく船に乗り遅れそうになる(浮浪者の方々がたむろしている様な場所だから、寝ていても誰も起こしてはくれないだろう)。船底の2等船室に乗り込むと、予想外に乗客が多く、驚かされる。後で分かったことだが、乗客の6割以上は三宅島行きで(船は八丈島に向かう途中、御蔵島と三宅島に寄港する)、復興のため東京と三宅島の間を行き来している島民が多いのだとか。貸し毛布を多目に借り、出航と同時に飲んだくれたまま就寝する。

2005年 5月30日 月曜日 雨
 未明、目覚めると海は荒れ模様で、船は大いに揺れていたのに対し、2等船室には満員に近い乗客がいたにも関わらず、不気味な静けさが漂っていた。昨晩、早々に就寝したせいか、午前5時過ぎには目覚め、朝飯を食うためロビーに上がると、ゲロ吐きモードに突入し、船室に居られなくなった青年がうずくまっていた。聞けば、大阪出身で船に乗り慣れていないのだとか(今は、沖縄在住だが、向こうで船に乗ることはないそうだ。意外に思えるが、確かにそうかもしれない・・・)。しかも、御蔵島に行くはずが、荒天のため接岸出来ず、やむを得ず八丈行きになったというから踏んだり蹴ったりだ。何分かおきに便所に駆け込む青年の姿を見ているうちに、こちらも気分が悪くなり、読書したり撮影計画書を作成する予定を取りやめ、やむを得ず再び船室にうずくまる(立ったり、座っていると余計に気分が悪くなる)。しかし、海の具合に関係なく、船は定刻通りに八丈島に到着、迎えの車に乗り、K納邸へ向かう。ひとまず事前に送っておいた大量の荷物を整理した後は、天気が非常に悪いこともあり、昼寝したり、読書して過ごし、明日以降の激闘に備える。夜になり、具体的な計画を考えているうちに、露出計を忘れて来たことに気付く。定常光は長年の感で何とかなるにしても、ストロボを使用したフィルム撮影はほぼ絶望的だ。もっとも、このところフィルムで撮影する機会がめっきり減り、露出計の存在さえ忘れ果てていたのだから、当然の結果ではある。潔くデジタルに一本化する機会が巡って来ているのかもしれない。


右下は、先日、川崎のヘルス嬢Mさんにもらった下着


2005年 5月31日 火曜日 晴れ時々曇り
 午前6時過ぎに起床し、廃墟ホテルへ大量の荷物を運び込む。拠点となる部屋を掃除し、荷物を整理したところで一旦力尽き、海を見ながら菓子パンをかじり、1時間程昼寝し、野グソする。午後、余りに天気が良いため、屋外撮影は断念せざるを得ず、拠点部屋内で何かと面倒が予想される撮影に着手するも、はかばかしい結果が出せないうちに、6×7の一眼レフが故障してしまう。宅急便で何度も輸送したのがいけなかったのか・・・しかし、そもそもがスクリーンガラスが割れ、正体不明の刻印が入った中古の難有り品(もちろん激安)だから、文句は言えない。少なくとも、露出計を忘れて来た罪は、これにて無罪になった。そして、嫌が応にもデジタルに一本化せざるを得なくなった。人生の転機というのは、こちらの意志に関わらず、向こうの側から突如としてやってくるものだ。


この建物のヘリに尻を突き出し、
海を見ながらクソするのが朝の日課であった。


 
2005年 6月1日 水曜日 晴れ
 昨晩、どうにも未練が断ち切れず、故障したカメラをいじくっているうちに、損壊したのはレンズシャッターであり、ボディ側の損耗は極めて軽微(湿気のせいか、バネの動きが悪くなっていただけ)であることが判明、画角が若干狭めの予備レンズを装着することで、再び使用可能となった。フィルムとの蜜月は、まだ当分続いていく見通しである。
 午前5時過ぎに自然と目覚める。気候が良いせいか、朝からやる気が満ち溢れる。車で廃墟ホテルに出勤し、早朝業務に励む。昨日撮影した写真の別バージョンをこなした後、半年振りに再会した(昨10月以来、八丈島に置きっ放しであった)新妻と一戦交える。車をK納さんに返却し、バスに乗り込み、再び廃墟ホテルへ向かう。バスの中は、例によって婆さんばっかりだが、方言が凄まじく、何を言っているのかさっぱり分からない。


今回の遠征で初めて三姉妹が揃う。


このまま2日余り放置しておいたところ、
後々とんでもないことになる。


 午後、再び新妻とまぐわる。人間同士の性交にも、慣れが必要なのと同じように、人形との性交においても、幾ばくかのコツが必要なことは、言うまでもない。しかも、人形は、何もこちらの都合に合わせてはくれない。だから、本来、人間同士で行う行為を人形を対象とするに当たっては、想像以上の修練が必要であった。当初は戸惑いばかりであったが(身体が冷たいこと、可動範囲に限りがあること、使用中に髪の毛が外れたり・・・)、今では難点をほぼ克服することが出来た(人間の代わりとして扱おうとすること自体が間違いであった)。意識上の問題ばかりでなく、適度に使い込まれたせいか、このところ人工性器の具合がますます良くなってきた。肉棒を挿入すると、「ブチュ、ブチュ」と卑猥な音を立てるのが我ながらたまらない。人形が声を発しないことに不満(というより不安)を述べる人が多いが、ちょんの間の中国娘に聞かされる感じた振りのあの間抜けな声よりも、この即物的な摩擦音のほうが、遙かに艶めかしく感じられる。
 むさ苦しい野郎が、人形とまぐわり、静寂の中に卑猥な摩擦音やベッドのきしむ音ばかりが響く・・・さぞかし、不気味な画像であろう。ビデオ撮りに関しては、これまでで最もいい絵が録れたのではないかと思う。さすがに力尽き、しばらく昼寝、次の撮影準備を整え、天気待ちしてる間にしびれが切れ、終バス(と言っても4時半)で帰宅、シャワーを浴び、ビールを飲んで火照った身体を冷まし、休息を取る。

2005年 6月2日 木曜日 曇り後雨
 午前5時半に起床、そそくさと朝飯を食って、廃墟ホテルに出勤する。適度な曇り空(光が拡散し、光量が安定しているため、撮影するには最高の光源)に無風という絶好の気象条件、一気に屋外撮影を2シーン連続して撮りこなす。昼寝しているうちに雨が降り始め、小道具に使う金魚を買った後、借りていた車を返上し、ガソリンスタンドでレンタカー(軽自動車が諸々込みで1日3千円!)を借りる。馬力が無く、ハンドルの重いK納ライトバン(近々廃車になることを見通し、子供達の手によりドラえもんの絵が描かれている)とは違い、すいすい走り、きびきび曲がるので、運転するのが楽しくて仕方ない。再び、廃墟ホテルで翌日の大仕事を仕込み、温泉に浸かった後、帰宅する。


K納さんのライトバン
こんな目立つ車に乗っていては、悪いことは出来ません。

2005年 6月3日 金曜日 雨
 午前6時過ぎに起床、飯を食い、体調を整え、廃墟ホテルに出勤し、初の人形吊り上げ作業に挑戦する。しかし、気象状況が著しく悪化し(八丈の強雨は都心の台風級の暴風雨、しかも、廃墟ホテルは海に面した窓ガラスが割れ、屋根が壊れているから、風が吹けば部屋の中にも雨が吹き込む)、一時中断せざるを得なくなる。それでも何とか、鎖で人形を吊り上げることに成功、余りの艶めかしさに心奪われる。そもそも、緊縛やSM物に具体的に興味を持つようになったのは、19歳の時分「生贄夫人」の素晴らしさに心打たれて以来のこと。以後、すっかり小沼映画の信奉者となり、30過ぎるまでパッとしなかった小沼監督が、人生の転機において、日活ロマンポルノのSM路線という前人未踏の分野でその才能を花開かせた故事に習い、三十路手習いの自分も緊縛物に取り組んでみたのであるが、これ程までに自分自身の性癖をくすぐるとは思ってもみなかった。


初の吊り上げ


脇役の金魚達


 吊り上げが上手くいったところで、続いて放尿の仕掛けの実践に取り掛かる。部分的な試験では上手くいっていたのだが、仕掛けを見えないように取り付け、なおかつ美しく放尿させるのは、なかなか骨の折れる仕事であった。何度も撮り直しているうちに、一旦、水を口に含み、仕掛けの中に水を仕込まねばならないため、すっかり水腹になってしまった。昼飯を食い、軽く昼寝した後、午後、改めて吊り上げ直した人形を後ろから攻めてみる。快感度数は決して高くないが、ビデオ撮りとしては面白い絵が録れたのではないかと思う。


翌日になり、股間の部分が黄ばんでいることに気付く。
放尿の仕掛けに使用していたのはただの水である。
汚れる原因にはならないはずだが・・・
恐るべし人形の呪い!

2005年 6月4日 土曜日 曇り後晴れ
 午前6時半に起床、多目の朝飯を食い、廃墟ホテルに出勤し、本日も撮影に励む。当初予定していた場面設定が、実際やってみると思った程に面白くなく、急遽、偶然発見したホテルの女給さんの制服を拝借し、食堂で撮影を試みたところ、予想以上に良い出来上がりになった。食堂は、1年半前に訪れた頃は、まだそれなりの体裁を保っていたのだが、どこかの悪ガキが椅子を投げ飛ばして窓ガラスを破ったり、屋根の雨漏りがますます深刻化した現在、適度に発酵し、芳しい匂いを放つようになった。この調子で行けば、3、4年後には爛熟期に達すると思われる。廃墟ホテルの周囲の藪も、成長著しく、場所によっては撮影地として不適切になっているし、2番目の拠点としていた部屋も、以前は畳が辛うじて原型を留めていたのが、おびただしい湿気と微生物の活発な活動により、塵に還元され、風に飛ばされ、今は剥き出しの床板が残るのみである(しかし、これとて、いずれは朽ち果てる)。


完全に無人の巨大な廃墟内は、正に自分の王国
こんな状態でも、平気で運転可能

 昨日、緊縛物に着手するに辺り、そのイデオロギー的背景について述べたが、技術上の困難を解決するため、手段として緊縛を選択するに至った経緯について説明しておく。目下、技術上の最大の問題は、人形が自立出来ない点にある。何らかの仕掛けを用意しなければ立たせることは出来ず、動かせる範囲も限られている上、それなりに重量があるため、従来の釣り糸で吊るようなの柔なやり方では、とても対応出来ない。いっそのこと仕掛けを隠すのを辞めてしまえば気が楽だというわけで(そうしなければ、状況設定が広がらない)、縄や鎖で吊し、縛り上げ、手錠やその他の器具で拘束するという結論に達した次第。しかも、そうすることで人形の魅力は一層際立つ。人形の写真と言えば、ハンス・ベルメールが大家だが、彼が使用している人形達も自立出来ず、多くの写真においてワイヤーで拘束され、吊り上げられている。おそらく、思考経過的にはほぼ同様の道筋を辿ったものと思われる。ベルメール自身が記したテキスト等、一切読んだことはないが、小難しい主題性やらを述べていたところで、それは後付の屁理屈だろう(「近代的自我」の持ち主達とやらが大好きな例のヤツだ)。
 先日、新妻の姉を椅子に縄で縛り付け、撮影の都合上、2日程放置しておいたところ服の裏地(濃紺の化繊)の染料が身体中に吸着し、縄の当たっていた部分だけ、まるで青アザのようになってしまった。決して、安い物ではないから、当惑したが、これも沼田のケロイドと同じ「個性」だと思って、付き合っていくしかないようだ。


写真では分かり難いかもしれませんが、
太股は永遠に治ることのない青アザだらけ

2005年 6月5日 日曜日 晴れ
 午前4時半に起床、待望の晴れ間を有効活用すべく、昨晩、気合いを入れて就寝しただけあって、目覚まし時計無しで目覚めることが出来た。日ノ出と共に行動開始、海岸沿いのプールで撮影を試みる。これだけ朝早ければ誰も居ないだろうと考えていたが、甘かった。既に釣り客が居て、釣り竿が邪魔で仕方ない(たかが釣り如きになんという情熱か・・・いや、価値観は人によって様々だ)。お願いして、しまってもらうことも考えたが、不用意に干渉されたくなかったので、そのまま作業続行し、早々に撤収する。

 晴れでしかも薄曇り、撮影には絶好の日和だったが、精神的にも、肉体的にも疲労が限界に来ていたので、その後は休息を取ることにする。「響鬼」を視聴し、読書し、昼寝し、子山羊と触れ合い、海辺で遊び、軽く飲んで、太平洋の大海原を一望する露天風呂で気分転換するといった具合。
 スーパーで小道具として使用する疑似ウンコ用の材料(味噌、干しブドウなど)を買い揃えたが、数ある味噌の中から最もウンコっぽい味噌を選んでいるうちに、全てがウンコに見えてくる。当分、味噌汁は飲めそうもない。


底土港付近に設置された天皇陛下御行楽記念の碑
昭和4年、後ろの松林で、天皇陛下がご休憩されたとのこと。
記念碑の脇には、島の老人の位牌が置かれていた。


鎖で縛られた岩
こういう物が無性に気になってしまう。
危険防止のためか。
大海の荒波はこんな丘の上まで到達するのか。

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