生体観察日記スペシャル:2004年夏 故郷への帰還

7月16日 金曜日 晴れ
午前6時に起床、早めに空港入りした甲斐あって窓際の席を確保、時間の余裕を持って搭乗したつもりが、飛行機がタラップに直結されておらず、バスに乗せられ飛行機まで到着するまでの道のりの長さに驚かされる。滑走路の拡張を後追いする形で、現在進行中のターミナルビルの拡張工事が必要不可欠であることを身を持って実感する。


やっぱり乗物は窓際に限ります。

天気が良かった上、高度が高めだったお陰で(遙か下を別の旅客機が飛んでいた)、最高の見晴らしを満喫、高い場所から見下ろすと、それだけで自分が偉くなったようで、日本の国土がやたらとちっぽけに思えてくる。飛行機はいわゆる太平洋ベルト地帯に沿って飛行したが、何だか日本中ゴルフ場ばかりが目立ち、不愉快な気分になる一方、鼓膜が張り裂けたお陰で、気圧の変化に伴う激痛とおさらば出来たことは愉快な出来事であった。兵庫の巨大加速機スプリング8を上空より視認した頃から飛行機は降下、着陸のさい右翼のエアブレーキが1台だけまともに働かず、ぐらぐら揺れていたのが心配でならなかった。


エアブレーキの故障?

妹に迎えに来てもらい、廻る寿司を食って昼寝、夕方やって来た妹7夫婦、保育所帰りの甥のK星と合流し、爺さんの通夜に顔を出す。ガンで死んだというから、てっきり痩せこけて死んだのかと思っていたが、86歳の老人のそれとは思えない程に死顔はつやつやしていて、顔色も入院していた頃より良いという人がいる程生き生きしていた。親戚の歩きたての2歳児が車に跳ねられあっさり死んださい、衝撃を持って目撃した生きているとしか思えない死顔に準じる美しさだ。もっとも、これまで見てきた死顔の半数近くが飛込み、首吊り、服毒自殺であったことを考えれば当然の話ではあるのだが・・・。昼飯を食い、うとうと寝ているのを看護婦が確認した数分後、たまたま爺さんとちょっとした縁のあった娘さんが、見舞ったところ様子がおかしいことに気付いたのだという。そのときには既に息を引き取っていたというから、眠ったままあの世へ行ったことになる。人間の死に方としては最も安らかな類であろう。誰も付き添っていなかったのは、本人が当日の朝まで天理教の祭事に出席しようとしていた程に、まだまだ気力があったからだ。危ないことは分かっていたが、ああもあっさり死んでしまうとは、誰も思いも寄らなかったのだ。


子供達と最後の夜を過ごす爺さん

前述した、娘さんと爺さんのちょっとした縁というのは、その娘さんが結婚しようとしたさい、その父親というのが、部落では有名なよもだくれで、相手の男に凄まじい難癖を付けるは、暴力は振るうは滅茶苦茶やり放題で、近所の住民や身内が見るに見かね、爺さんに仲介を頼み何とか話をまとめたのだとか。人の縁とは奇妙なものだとつくづく思い知る。故人を偲ぶ酒宴でさんざんビールを飲み、広々した神殿のちょうど爺さんの真上辺りに布団を敷いて就寝する。

7月17日 土曜日 晴れ
日ノ出と供に起床、懐かしい味のする朝飯を食い、それなりに葬式の準備を手伝い、先日買った礼服に初めて袖を通す。爺さんの家はおろか、部落自体にエアコンなんてものがない程に涼しい山間の集落にも関わらず、この日はやたらと暑く、式の間中狭い場所にあぐらをかいて、うとうとしていただけでも酷く疲れる。


葬式で唯一意味があると感じられるのは、納棺と納骨だけです。

爺さんを納棺し、焼き場で燃やしている間、昼飯を食い、たらふくビールを飲んで横になる。2時間程すると焼き場から骨と燃えカスになった爺さんが出てくる。頭蓋骨が綺麗に残り、手足の骨もしっかり太くて、その様が余りに立派なので「昔の人の骨はさすがにしっかりしている」と、一同改めて感心したものだが、不思議なことに爺さんと同姓同名の焼き場の番人によって、この立派な骨も無惨に砕かれてしまう。骨が余りに綺麗に残っていたために、その光景はとりわけ鮮烈で、甥のK星は翌早朝「骸骨を壊したらダメ!」と何度もうなされていたという。実は、この模様を番人の爺さんに怒られながらも(偶発的に写り込んだ光やフィルムに付いた汚れやキズを根拠に心霊写真をでっちあげるT橋のような輩を警戒していたらしい)終始ビデオカメラで撮影、ここに限らず、前日より爺さんの死体ばかり撮影していたのは、この何年かの命題である「人」と「物」の境目を今一度見極めたかったからだ。水木しげる先生も断言しているように、写真やビデオに魂や妖怪や霊の類が写るわけはない以上(霊や妖怪は別として、魂の存在は固く信じている)、即物的手段を用いる他はない。

死ねば全てが物かと言えば、決してそうではない。普通の人間ならば、ついさっきまで息のあった死体の頭を叩き割ったり、腕を折ったり出来るものではない。それが骨になってしまえばいとも簡単に出来てしまう。現代の火葬には、この両者の乖離に対する配慮は全く見受けられない(その昔は火葬したにしても、火力が弱いため生焼け気味であったという)。極めて短時間のうちに人が物になってしまうのだ。嫌が応にも決別を決定的にする高熱による火葬法は、若くして不慮の死を遂げた仏との決別という意味においては、有効な手段かもしれないが、肉体と魂の関係を考える余地はすっかり排除されている。


霊柩車のきらめきと田んぼの対比が鮮烈です。素直に感動しました。

骨を拾い、爺さんの家に戻り、例によって盛大な酒宴が催される。ここでもたらふくご馳走を食い、好き放題飲んでいるだけなのに、周りが飲めない若者ばかりなものだから、社会的地位とは無縁のところで評判は上がる。まぁ、田舎とはそんな場所だ。実家に戻り、M夫婦宅を訪ねると、ちょうど到着したばかりの貢ぎ物に関して、夫人より激しい口撃を受ける(よっぽど鬱憤が溜まっていたらしい。田舎の生活が嫌だというなら、とっとと逃げ出せばいいのに)。帰宅して、深夜までK星のブロック遊びに付き合い、日付が変わる頃に就寝する。

7月18日 日曜日 晴れ
午前6時過ぎに起床、帰りの飛行機を確保するため航空会社の予約窓口に電話すると「ネット予約にして頂ければお安くなります」と言われる。早速、M夫妻宅のパソコンを借り、ネット予約すると6千円安くなり、夫妻宅の目と鼻の先にあるコンビニで支払いを済ませると、さらに千円程安くなる。お恥ずかしい話だが、これには今更ながらに驚かされた。この春何年か振りに航空券を買って以来、運賃の上昇振りに驚いていたのだが、何のことはない人件費のかさむ電話予約をさせないため、不当にかさ上げしていただけの話であった。しかし、パソコンを利用出来ない、敢えてネットを使わない人達に圧倒的不平等を強いるこのやり口には到底賛同しかねる。電話対応の人員を整理する以前に、パイロットやスチュワーデスに支払っている法外な給与の減給の方が遙かに効果的だろうし、仕組みのややこしい割引サービスを全廃し通常運賃そのものを安くすべきだ。
午前9時前、荷物を満載したM夫妻の車に乗せられ、行く先も決まらぬまま小旅行に出掛ける。小さな子供が居るので、川は危ないということになり、足摺岬の手前のキャンプ場を目指すことになる。道中、「ビックうどん」なるいかにも田舎臭い店構えのうどん屋に寄ったところ、何故か店の中は外より暑い灼熱地獄、田舎臭いおばちゃんがのど自慢の唄に合わせ踊りながら作ったうどんは、いかにも四国の田舎臭いうどんで懐かしい味がしたが、郡山出身のM口夫人には圧倒的に不評であった(他県出身者にあのうどんを論じる資格はない!)。上手い、不味いなど遙かに越えた部分で、脳を直撃してくれたビックうどん、永久に忘れることはないだろう。


左の青いテントに泊まりました。天井は網状になっています。
飲んだくれ、カメラバックのフタを開けたまま寝てしまい、
大事な機材を朝露に濡らしてしまいました。洒落になってないです。

午後1時頃、竜串に到着、テントを張り海で泳ぐ。耳の具合が悪いので、この10年程、海にもプールには行かないできたが、さすがに我慢の限界が来た。しかし、長らく封印した能力は見事に退化し、全く思うように泳げなくなっていたのには我ながら驚いた。これでは川に流されれば命は危うい。それでも珊瑚礁の海で熱帯魚を戯れながらの海水浴は、耳をリスクに曝してでもやった甲斐はあった(但し、珊瑚や魚がいる場所は、潮の流れが速いので、今の身体一つでは海の散歩を優雅に楽しむことは出来ない)。夜は、星空の下、夫妻が作ってくれた手料理を肴に酒を飲み、N町の様々な裏話(大抵は行政に絡むろくでもない話ばかり)を聞き就寝する。

7月19日 月曜日 晴れ
夜明けと供に起床、海辺に偵察に出掛けたが、潮は満ちてるし、波は高いし、とても早朝海水浴出来るような状況ではなかった。素直に諦め、荷物をまとめ、これまたM夫妻が用意してくれた朝飯を食い、竜串を後にする。帰り道、南レク(南予レクリエーション施設の略、昭和40〜50年代、愛媛県知事の肝いりで開発された観光施設)に寄り、ロープウェイに乗って、局地型戦闘機紫電改を見物に出掛ける。南レクの寂れ具合は想像以上で、プール以外は閑散としていて、全く何のやる気も感じられなかった。展望台に登ったところで、周囲の光景があれでは全く何の魅力も無いし、日本一の海上ロープウェイにしてもそれは同じであった。日本で唯一現存する紫電改にしても、訪れていた何人かの客は、皆熟年層ばかりで、しかもほぼ全員がリピーターであった。


胴体は太いし、翼は不細工だし、なりふり構わぬ必至さだけは伝わってきます。

さて、靖国で零戦を散々観察した後に、改めて紫電改を眺めると、やはり無駄に大きくて不格好な様が際立つ。大戦末期、本土防衛を強化するため松山飛行場に集められた腕利きの零戦乗り達も、その不格好さに呆れ果てたというが、その気持を60年後に追体験したわけだ。機体の全景はもちろんのこと、紫電改の目玉であり、整備不良のため泣き所でもあった自動空戦フラップの制御系統やら内部部品の写真を取り急ぎ撮影し、その場を後にしようとしたところ、2歳児のH君が激しくぐずりはじめる。「アベー、アベー(アメと発音出来ない)」と叫び、泣きじゃくる。帰りのロープウェイに乗っている間は大人しくなったが、車に乗ると再び暴れモードに入る。母親の乳を揉み始めると大分収まったが、この数日間の体験を通し、子供が厄介な動物であることを実感する。


これが伝説の自動空戦フラップの制御部品!
画期的なシステムも、整備が行き届かず、ろくに作動しなかった・・・。


ローカル色豊かな素敵な看板を発見!地元民以外には意味が伝わらないと思われます。

飯を食って帰宅し、取り急ぎ帰り支度して、のんびり過ごすこともないまま、実家を後にする。飛行場で妹夫婦と飯を食っていると、今度は甥のK星が泣き暴れ始める。母親がロビーに連れ出し機嫌が直ったが、今度はアイヌの木彫りを指差し「おっちゃんの顔が置いてある」と大喜びし始める。


向かって右下はおっちゃんの木彫りを指差すK星の手


甥のK星には、おっちゃんの顔はこう見えるらしい。

帰りの飛行機は初めて搭乗するボーイング777、せっかく各座席に液晶モニターが付いているのに全く有効活用されておらず(非常設備の使用法が説明されるだけで、個別にテレビ番組や映画が見られるわけではない)、前方のスクリーンには飛んでいる間中、物を売り付けるCFばかりが流れていて、座席に据え付けられたゲームのコントローラー(実際使えるのかどうか知らないが)にはクレジットカードのリーダーが付いていた。要は、高額な飛行機代だけでは飽きたらず、貧民から何とか金を巻き上げようとする魂胆だが、その前にやるべき(いや、やめるべき)企業努力は幾つもあるように思う。まずやるべきは、ポケモンジェットに代表される悪趣味な飛行機の即時抹消、子供達に低レベルの商業主義を植え付けることはあっても、夢を与えることはない。ディズニーランドと同じで、形骸は何の未来も生まない。結局、帰宅したのは10時過ぎ、最低限の用事だけ済ませ、取り急ぎ就寝する。


松山の小学校前で休まず働くお巡りさん
驚いたことに個人の寄贈品です。

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