生体観察日記:2004年秋 奈良・京都・大阪への旅

9月10日 金曜日 曇り後雨 東京-奈良-京都
 午前7時に起床、準備を整え最低限の荷物だけ携帯し、一路上方を目指す。久しぶりに余り好きではない新幹線に乗ったが(日当と仕事の都合を考慮すると、夜行バスや18切符より得だから仕方がない)、新横浜で降りていく通勤客が余りに多いことに驚かされる。


京都駅の舞妓さん

 正午頃京都に到着、近鉄に乗り換え奈良の地へ降り立つ。まずは、この何年か気に掛かっていた東大寺へ赴き、運慶一派が製作した南大門の仁王像と大仏殿を見物、改めて大仏の巨大さに圧倒されると同時に、仁王像の造形力の高さに感服する。慶派の仁王像を見た後では、大仏殿の中にある毘沙門天像(江戸期に再建)が貧粗に見えて仕方がない。


東大寺大仏殿:江戸期に再建され小振りになったとは言え、やはりデカい!


大仏殿に設置された消化器:火災保険会社の提供品であるところが露骨にエグいです。


かつて、全国の観光地で大人気を博していた記念メダル製造機もこの有様
というか、あんな物作っても大して嬉しくはなかったような・・・

 奈良国立博物館で数々の仏像を見物し学習、続いて慶派がその復興に全力を注いだ興福寺に立ち寄ったが、あいにく主要な仏像は芸大美術館に貸し出されており留守であった。比叡山の八大童子像にしろ、この東大寺の仁王像にしろ、鎌倉時代初期に仏像の造形力が最高潮に達したのは、一般に武士の気風と慶派の荒々しさが合致したからだと言われているが、西村公朝氏に言わせれば、一万年の乱世が続くとされた末法に対する不安と民衆の信仰心の高まりがその背後にあるのだとか。貴族や平家武士のためだけに作られていた従来の仏像とは違い、民衆の不安に応えるために作られた新しい仏像にあたかも現実の人であるかのような生々しさが求められたと考えるほうが、確かに実感をもって理解しやすいし、説得力がある。この時代背景は、生人形を生み出した幕末の動乱期(黒船の来航と安政の大地震による江戸の壊滅が、深刻な社会不安を巻き起こしていた)とも通底するものがあるよう感じられるのだが、以後、慶派の仏像は兜や頭巾が被されるようになり、最期には裸の地蔵菩薩に服を着せられるまでに進化し、その発展は途絶えたと言うのである。何という事実であろうか、鎌倉時代に究極のリアリズムを追求した慶派の仏像は、最終的にほぼ生人形化していたのである。


奈良国立博物館前の怪しい店:残念ながら現在は営業していないようです。


坊さんにたかっても何ももらえません。

 奈良は人より鹿が多いと言われるだけあって、奈良公園は鹿とそのフンだらけ、一応野生動物らしいが、雨の日や冬の凍てつく晩はどこで寝ているのだろうか。売り物の鹿せんべいを食べようとして、店のオバチャンに板やホウキでしばかれている鹿の姿が哀れであった。


奈良名物鹿のフン、そんなに臭くはないのが唯一の救いです。

 京都に引き返し、一晩ご厄介になるK戸さんに電話したところ、番号が変わっていて連絡が取れず、京都の地理はよく分からないし、しかも外は雨、久しぶりに絶望的な気持になる。幾人かの人に道を教えてもらい、何とか目的地に到着、路地の奥の長屋に辿り着くまで苦難の連続だった。驚くほど巨大なおデブな猫達の出迎えを受け、晩飯をご馳走になり、酒を飲み交わして午前2時頃に就寝する。


グラマラスな肢体が魅力のシャリ、身体が重くて高い所に上れない。


モロミの尻尾:生まれつき鍵型になっている。


3匹の猫達によって破壊された柱

9月11日 土曜日 曇り一時雨 京都-大阪-東京
 午前7時過ぎに起床、目を覚まし、やがて気が付くと、おデブな猫共に囲まれていた。朝飯をご馳走になり、史上初、世界初の生人形の一大展覧会である「生人形と松本喜三郎」展を観覧するため、一路大阪歴史博物館を目指す。到着してみると、博物館は公共放送の一施設で、講演会の事前申し込みの神経質さをようやく納得する。


「生人形と松本喜三郎」展のチラシ

 期待に胸を熱くさせながら会場入りすると、まずは喜三郎作の聖観世音菩薩が目前に、これは当初から仏像として製作された物のせいか、痛みが激しいせいか、とりわけ際だった印象を残すことはなかった。しかし、その後に目にすることになる数々の生人形やその傍流にある造形物達に激しく魂は揺さぶられる。喜三郎の最高傑作、谷汲観音はこれまで幾度となく写真で目にしてきたせいか、予想していた程の衝撃を受けることは出来なかった。というのも展示方法に問題があり、視線より随分高い位置に箱入りで置いてあるため、正面からしか見えない上、暗く、一番の魅力である胸チラが力を発揮出来ないのだから当然の結果ではあった。しかし、手つかずの三人官女の頭部やら近年スミソニアン博物館で発見された貴族の男子像(全身まるごと見事な状態で保存され、性器まで綿密に作り込んである)などは、造形力・仕上げの美しさ共に人技とは思えない。天才職人の至上の技にただただ感服する他ない。
 たまたまテレビ番組で目撃し、自分と生人形を結びつけるきっかけとなった三代目安本亀八作の女児像、江島栄次郎の清正公一代記、二代目平田郷陽の「装い」など、これまでこの目で見たくて仕方のなかった国内に現存する生人形の大半が目前に並んでいるのだから大阪まで足を運んだ甲斐はあった。そして止めは、幻の人形師:鼠屋伝吉が製作した百姓の夫婦像、喜三郎の貴族の男子像(本来はこちらも男女一対であった)と共に、米国農務局局長ホレス・ケプロンの依頼で、精巧な人体模型として製作されたのだが、理想化を全く廃したそのあられもない姿、野良仕事で汚れた爪、薄汚れた肌、労働の苦難が刻み込まれた顔、緻密に描写された性器にタレパイ、ウエストの無い胴体・・・が余りに圧倒的で、幕末から明治初期に大活躍したとされるもう一人の天才人形師の仕事を視覚を通して認識出来る幸せを思う。
 大急ぎで軽く昼飯を食い、木下先生の講演を拝聴する。ネタは昨年の「大見世物」のさいとほぼ同じであったが、スクリーンに投影された熊本での展示風景を見て(熊本市立現代美術館主導の展覧会が大阪に巡回している)、衝撃を受ける。あのスミソニアンから里帰りした生人形達が剥き身で置いてあるのだ(大阪展は全てガラスの向こう側)。講演終了後、木下先生に挨拶に伺い、先程の件を確認すると「監視している人も居なかったから、こっそり触れたのに」と言われ、熊本に行くことをサボった自分の怠慢を呪う。
 再び展覧会を軽く観覧し、ようやく余裕が出たところで、図録に念入りに目を通す。展示されている物以外にも、欧州に流出した生人形達の姿を写し取った質の高い写真、スミソニアン博物館が撮影したX線写真、仕上げに用いられる胡粉の科学的材料評価といった有意義な資料が多数掲載されている上、テキストも革新的な内容が多数含まれている(その素晴らしさについ2冊買ってしまう!)。ただ、亀八親子の引き札や文献資料の複写をもう少し充実してくれれば、最高最強の出来であった。今回の展覧会を主体的に企画したのは、多くの生人形師達の出身地である熊本の熊本市立現代美術館である。HPがいかにもローカルでチープなこともあり、地方のしかも市立美術館(生まれ故郷での経験から、どうせ政治屋のコネで入ったやる気のない学芸員だけだろうと)、実は小馬鹿にしていた側面があったのだが、とんでもない見識違いで、巻末に収録された館長さんの反近代宣言は涙ものであった。落ち着いたら手紙をしたためようかと考えている。
 K戸さんのお知り合い達と連れ立ち、心斎橋近くのビルの5〜7階に昔の道頓堀を再現した有料商店街に赴く。作り込み具合は、想像以上で大阪人の過剰な凄まじさに感嘆すると同時に、薄暗い迷路化した内部構造に大規模災害が発生した場合の危険性を感じずにはいられなかった(よく役所も認可したものだ。何かあったら責任問題に波及することは必至)。モツ煮込み鍋をご馳走になり、大急ぎで帰途に就く。


パンダは子供が大好き?

 帰りの新幹線も新横浜に到着すると、通勤客と思しき客(若いお姉さんばかり)が大量に乗り込んでくる。隣りに座った2人の話にふと聞き耳を立てていると、皆さん看護婦さんらしく、背筋の寒くなるような話が幾つか聞こえてきたが、医療不信を助長する恐れが高いため、ここでは詳しくは記さない。ただ、お姉さん達の大多数がまるで制服かのようにヴィトンの鞄を持っていたことが気色悪くて仕方がなかった。予定帰宅時間であった11時半きっかりに帰宅、腹を空かせて駆け寄ってきた猫が痩せっぽちに見えて仕方がない。特別に缶詰の餌をやり、そのまま就寝する。


お腹は少々出ていますが、やっぱりスリムな美猫かも?

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