第1次八丈島遠征記

2004年 10月17日 日曜日 晴れ
 前日、久しぶりに飲んだくれ、帰宅と同時に就寝、午前1時過ぎに起床する。残りの荷物を荷造りし、冷蔵庫に残っていた食料をほぼ残さず胃に流し込み、午前3時半頃再就寝したが、食い過ぎたせいか一向に眠れない。定時に出勤し、全熱交換機のフィルター並びにろ材の清掃作業に従事、帰宅後、中国人のマッサージ屋で身体をほぐしてもらい、翌日からの闘いに備える。午後10時半、定刻通り船は出立、但し御蔵島、八丈島は接岸出来ない可能性を了承した上の条件付き航海だ。この段に及んで、ようやくノートを開き、コンテを切り始める。映画を作っていた頃でさえ、脚本も書かずに撮っていたくらいだが、このところの記憶力の減退と疲労による混乱に備え、メモ書き程度は用意しておこうと考えた次第、しかしそれにもすぐ飽き、iBookを起動させ船内で日記を執筆、貝型のノートパソコンは確かに大きくて重いが、膝の上で使うには想像以上に都合が良い形状だ。船底の2等船室で寝酒を飲んでいると、向かい側の爺さんと、ふと目が合う。酒飲み同士通じ合うものがあったのか「一緒にどうですか?」と言うので、爺さんが持ち込んだ大きなペットボトル入りのどぶろくをご馳走になる。聞けば、40年間園芸事業一筋、飛行機が大嫌いで船旅一筋の人生なのだとか。同じ船室には、十代後半と思しき青年の集団が居て、酒でも飲んで騒ぐのだと思っていたところ、消灯になった途端、感心するほどに静かにしていたのに対し、オッサンと爺さんの二人組が、酒を飲み交わし何故か散々盛り上がっていたのだから、周りとして見れば、迷惑この上なかったのではなかろうか。どぶろくを飲み尽くしたところで、お開きということになり、確か午前1時頃に就寝する。

2004年 10月18日 月曜日 晴れ後大雨
 未明、船の揺れが格段に大きくなり、目を覚ます。やがてに「三宅島、御蔵島、八丈島への接岸が出来ないとの連絡が入ったため、これから東京の竹芝桟橋に引き返します」との艦内放送が流れる。酒酔いと揺れで落胆する気も起きぬまま、再び眠りの世界へ・・・午前7時過ぎに起床し、甲板に出てみると、見事に晴れ渡っているというのに、立っていられない程に風が強く、接岸出来ない現実を身を持って確認する。船には乗り慣れているつもりだったが、晴れて船が出なかったことは記憶に無い。同じ海でも瀬戸の内海と外海とは全く違うことを実感する。


外洋へ向かう海自の潜水艦
海が荒れていても水中は関係ありません。

本を読んだり、海自の潜水艦や護衛艦を見物しているちに午前10時過ぎ竹芝桟橋に到着、この12時間の不毛さを思いつつ窓口で船賃を払い戻ししてもらい(昨晩世話になった爺さんは、船に乗れるまで粘ってみると息巻いていたが、その後5日間船は出なかった)、羽田空港へ移動する。手荷物検査に引っ掛かり、鞄を探ると2個もカッターナイフが出てくる。飛行機に乗ることをつい何時間か前まで考えてもいなかったとはいえ、これではまるでハイジャック未遂犯だ。エンジンの整備に手間取り(乗客が乗り込んでいる最中も右エンジンのフタが空いていた!)少々遅れての出発、当然窓際の席を確保し、束の間の空の景色を眺めているうちに八丈島に着いてしまう。


ボーイング737
毎日、羽田と八丈島を4往復しています。
搭乗中だというのに、まだエンジンは整備中です。


翼の向こうの八丈富士

タクシーでK納さん宅へ赴くと、1年のうちに盲猫のビスケが子供を生みまくり猫屋敷と化していた。スーパーで買ってきた弁当で飢えをしのぎ、事前に送っておいた大量の荷物をほどき、機材や道具類を分類し直す。たまたま仕事で島を観光中のKさんに連絡を取り、廃墟ホテルに案内した後、島内で最も眺めの良い露天風呂で気分転換、K納邸でカレーをご馳走になり、母親が仕事で居ない間、テレビばかり見ているT君に付き合い無為に過ごす。台風はまだ沖縄の遙か南だというのに、夜半は暴風雨、いきなりの悪天候に悪い予感が先行する。


すっかりおとなしくなった盲猫ビスケ

2004年 10月19日 火曜日 雨後大雨
 午前6時半に起床、大量の荷物(ちょうどライトバン一杯、一間間口の押入一杯の荷物)を車に詰め込んでいると、隣りの葬儀屋のおっさんにいぶかしそうな目で見つめられる(確かに明らかに不審人物だ!)。K納さんから借りたボロ車を走らせると、衝撃的なまでに調子が悪い。余りに非力で、海沿いの長い坂ではついにオーバーヒートし、進むというより震えるように測道に逃げ込むと、やがてに完全に止まってしまう!以前にボロ原付で箱根越えしたさい、同じ様な目にあったが、今回は頭に「軽」が付くにしろ車での話ある。しかもM菱製ときているから、嫌でもこのところ問題になっている諸般の現象が頭の中を駆け抜けて行く(後で聞いた話だが、助手席から白煙が上がったことがあるとか)。それでも何とか、今後熱い闘いの場となる廃墟ホテルに機材一式を運び込み、一旦K納邸に帰宅して、朝飯を食い、バス(田舎はどこもそうだが乗客はお年寄りばかり、それも全員お婆ちゃんだ)で廃墟ホテルに通勤する。廃墟ホテルは海沿いにあるため、もろに海風が吹き付け、室内であっても大抵はガラスが割れ、雨風が吹き込む。事前に目を付けておいた、とりわけ腐食が凄まじく、芳しささえ漂わせる美しい部屋に本拠地を構え早速撮影開始。嵐の中、先日やって来た新妻の妹の処女を奪い、しかも連続2回戦、ビデオ撮りが一番精神的にきついはずだったが、いきなり初日にこなしてしまい、少しは気が楽になる。


ビスケの息子モモ
愛嬌と度胸はあるが、少々頭が悪い。


ビスケの娘スミ
発育不全で身体が小さい。推定体重は、一緒に生まれた兄弟の半分程。
おそらく消化器系に重大な欠陥があるのだろう。
食いしん坊なのに全然太らないし、骨は細くて腹だけ出ている。

2004年 10月20日 水曜日 曇り後雨、風強し
 午前7時に起床、雨こそ降らないが、都心ではなかなかお目に掛かれない強風が終日吹き荒れる。午前中は新妻と妹二人を相手に初の本格スチール撮り、D70の無線ライティングシステムが驚く程に便利で、しかも結果がその場で確認出来るため、これまで避け勝ちだった人工光を積極的に活用することが可能になった。一応、フィルム(6×7)でも押さえているのだが、こちらは相変わらず最終的に感で光を決めているので、人工光を使う場合は、どうにも集中力が高まらない。以前はデジタルカメラで撮影する場合、わざわざ三脚を使うのも惜しまれる程に力が入らなかったものだが、D70購入以前と以後では認識に大きな変化が起きている。滅茶苦茶辛い焼きうどんをご馳走になり、K納さんを仕事場まで送った後、島内で必要物資を買い集め、午後の撮影に望んだが、やってみると考えていた程には面白くない上、人形を著しく汚してしまう。気付かぬうちに、海風で腐食した机の塗料が転写したらしい。夜半、強力な台風23号がいよいよ再接近し、強力な暴風雨が吹き荒れる。実はこの巨大台風の影響で、船がずっと欠航していて、最後に送った小包が未だに届いていない。寝間着や土産の類はそのうちで良いとしても、iBookのACアダプターやらMOドライブ、D70用の充電器が手元に無いのは決定的な痛手だ。何とか嵐の前に島に辿り着けただけ運が良かったとは思うが、電源やメモリー容量に常に気を遣わなければならないのは、結構な心的ストレスではある。


2004年 10月21日 木曜日 晴れ後一時雨後曇り
 午前7時に起床、台風一過久しぶりの青空、天気予報も晴れだと言っていたので、そのつもりで段取りを組んでいたところ、午後になり天気が一気に崩れどん詰まりになる。午前中は半ば思い付きで監禁篇を撮影したが、これは意外と面白い仕上がりになった。これまでにない大胆なライティングについては、もうD70様々である。さて連日活動の場となっている廃墟ホテルは、当然ながら水道も電気も通じていない。当然ながら小便は立ち小便、大便は野グソということになる。連日、草むらにかがみ、蛇にケツを噛まれはしないかと怯えつつも、大海原の荒波を眺めながらたれるクソは格別の快感だ。大自然と自分が一体化しているようで、心が洗われる思いだ。早めに退散し、晩飯を食べ、本を読んだりテレビを見て過ごし、酒で身体を温め就寝する。夜半、身体が重くて目を覚ますと、急に冷え込んだせいか布団の上に猫共が3匹揃って寝ている。再び朝方目を覚ますと、今度はビスケとスミが布団の中に潜り込んでいる。これでは寝返りも出来ないし(スミは発育不全で、身体が小さいから潰すときっと死んでしまう)、さすがに蒸し暑い。


撮影の模様


冷蔵庫の中のアリ
ろくな食い物も無いだろうに、冷蔵庫の中に巣を作っている。

2004年 10月22日 金曜日 快晴
 午前7時に起床、朝から見事に晴れ渡り気温がぐんぐんと上昇していく。バスで廃墟ホテルに通勤し、まずは昨日悪天候のため断念したビデオ撮りを試みる。海と空と山を一望する部屋で人形との性交シーン、なかなか傑作な絵になるはずが、天気が余りに良すぎて外光が飛んでしまうので思った程の効果が出せない上(発電機か携行用のビデオライトさえあれば解決出来る問題だが、とてもそこまで予算が回らない)、向かいの山腹のゴルフ場から丸見えなのが災いしたのか、集中力が高まらず全く不甲斐ない結果に陥る。早めに昼飯を食べ、別の撮りを済ませ、翌日分の準備を済ませ、再度ビデオ撮りに挑戦、今度は極力無駄な作業を減らしたため、何とか及第点が出せる内容にはなったはずだ。虫やら何やらわいた部屋で半日裸で頑張ったせいか、体中がかゆくなる。ちょうど町政50周年とやらで温泉が無料で開放されているというので、少し遠いが「ふれあいの湯」までとぼとぼ歩き、塩辛い褐色の湯に浸かると、かゆみが大分和らぐ。K納邸に戻ると、待望の小包と新たな客人(K納さんと15年来の友人)が到着していた。早速、カメラやパソコンの電池を充電、ビールを飲みそばをすすって一休みしていると、T君の友達が次々と宿泊にやって来て、兵は邪魔だということになり、近所の民宿に寝泊まりすることになる。電源の使用を最小にするためメモ書き程度だった日記を補記し、画像データを整理してMOにコピーし早々に就寝する。


海沿いの小学校プール
台風が過ぎ、風と波が大分収まってもこの状態。
余りに危険でこれ以上近付けませんでした。

2004年 10月23日 土曜日 晴れ
 午前6時には起床、身支度してK納邸に機材を取りに行くと、ガキんちょ共がたむろっていて、朝から騒然としていた。皆、各家庭に居場所が無いのか、週末ともなるとこうしてK納さんのところにやって来るのだとか。核家族、一人っ子が当り前の都会ならまだ話が分かるが、地方においても潜在的かつ解決困難な家庭問題が深刻化しつつあるのかもしれない。バスで廃墟ホテルに通勤し、最大の山場と言える衛生博覧会篇を撮影、制御しなければならない機材が多く、昼過ぎには終了させるつもりが3時過ぎまでずれ込んでしまう。結局、遅れは取り戻せず、日暮れと同時に撮影予定だった浴室篇の準備が間に合わず翌日に持ち越しになる。あと30分、せめて20分あれば何とかなったのだが・・・無風で日差しの具合も最高の状態だったが故に尚更悔やまれる。事前準備の詰めの甘さを反省するばかりである。本日も無料の町営温泉に浸かり、K納さんの車に拾ってもらい宿に戻る。テレビを付けると、新潟で立て続けに発生した地震報道一色、ちょうど温泉に入っていた間に地震が起きたはずだが、全く揺れは感じなかった。奥尻島の大地震にしろ阪神淡路大震災にしろ、遠くで大地震が起きたときには、首都圏でもゆっくりと長い揺れを感じたものだが、単に遠いだけでなく八丈島は本州とプレートが異なっているから揺れは伝わってこないのかもしれない。しかし、新潟と言えばN山さんの実家(確か長岡の隣町)があるし、妹婿の故郷でもある。決して他人事ではない。


新・K納暗室
引伸し機、青いハンガーに青い床材、全てソラ研の放出品です。

2004年 10月24日 日曜日 曇り時々雨
 何故か午前3時前に目覚める。地震報道に耳をすませても(民宿のテレビは受信状態が悪く絵はよく見えない)、夜が明けぬうちはろくな情報が入ってこない。朝まで、身体障害者に対する性的ボランティアの実態を綴った書籍を読み耽る。日ノ出と同時に軽い眠気に襲われ、就寝しようとしたところ、ダイビングに来た人達が宿の前に車を止め、エンジンを掛けたまま、しかもかなりの時間ぐずぐずしていたため、すっかり目が冴えてしまう。早々に宿を引き払い、K納邸で飯を食いごろごろしていると、他の来客が多い手前、露骨に邪魔者扱い。別室に隔離され、寝たり、寝た振りして過ごす。昨日、廃墟ホテルで、階段を踏み外し足を捻挫した上、天候不順のため休養を取ることにしたのだが、何だか嫌な予感がするので(実の父親が死んだ日にも足を捻挫した)、珍しく自分から身内に連絡を取ってみる。昼前に母親に電話が通じ、聞けば妹婿の新潟のお父さんが昨日亡くなったという。今回の地震が直接の原因ではないそうだが、虫の知らせとでも言うのだろうか。本能的直感は、あながち馬鹿に出来ない。図らずも体裁上は家長である手前、葬式には出席せざるを得まい。ということで、その後は早期の八丈島撤収へ向けた調整作業に着手する。廃墟ホテルから機材や人形を引き上げ、東京に持ち帰る荷物と島に置いていく荷物を分別し、梱包していると、ようやく新潟から電話が入り(こちらからの電話は通じなかった)、詳しい事情を伺うことが出来た。病気を苦にした自殺であったため、本人の意向に依り(遺書に葬式に呼ぶ人間が指名してあったらしい)内々だけで済ませたいとのこと。その気持は想像に難くないし、時期が時期だけに辿り着くのに、大騒動になるのは必至だから、新潟行きは断念する(密かに、寄り道して地震地巡りしようかと考えてもいた)。
たまたまこの日は、T君の父親であるYさんと鉢合わせになったのだが、K納さんとの関係が話に聞いていた以上に、難しい感じで居たたまれない。まるで昔飼っていたハムスターのつがいのようで、やはりオスには値打ちが無いのかと、身体の芯から感じ入る次第・・・他人がどうこう言える問題ではないのだが、同じ人間のオスとしてYさんの哀れさが心に染みた。Yさんとは、初めてまとまった話をしたのだが、余りにいい人過ぎて、尚更哀しみが増すのだった。


スミの定位置
ヤフーの端末の上がお気に入りの寝床

2004年 10月25日 月曜日 晴れ
 午前7時に起床、天気予報は完全に外れ、朝から見事に晴れ渡る。午前中、気晴らしに島内を車で散歩、島の裏手の山羊牧場やら海辺の辺りを見物する。昨晩、新潟行きを前提にしまい込んだ大量の機材を引っ張り出し(これが精神的に大きな苦痛だった)、午後の撮影の仕込みをして昼寝する。草木染めをするのに花が欲しいというK納さんを同乗し廃墟ホテルへ赴く。天候不良で滞っていた表周り=本館の表側で朽ちるがままのタクシー篇と先日準備不足で撮り逃した浴室篇を撮影する。日照条件はまずまずだったが、前半が終わった時点で、仏心を出して家までK納さんを送ったのがいけなかった。天候の具合もあるだろうが、たった2日の間にも日没時間が早まり、お日様の動きに対して、こちらの動きが常に5分後手になってしまう。風もほどほど強く余り効率的な作業とは言えなかった。真っ暗になる寸前に何とか片付けを終了させ(三脚のパン棒が1本、発見不能にはなったが)帰宅、晩飯をご馳走になり一休みする。新潟行きは回避されたが、台風24号の動向を警戒し、帰還を2日早めることにする。大急ぎで荷物を整理していると、T君が「兵頭さんはいつもなにしてるの?」と聞いてくる。実はこの質問が、彼の口からいつ出てくるのかと、密かに心待ちにしていたのだ。そりゃそうだろう。連日、大量の荷物を出したり入れたりしているし、釣りに行くわけでも、山に登るわけでもない。教育上の影響を鑑み詳しい状況説明は控えていたので、小学生のT君が不審に思うのは当然のことだ。「お母さんに内緒にするなら教えてあげるよ」と答えたところ、照れ臭そうにし何も聞いてこなかったのでその場はそれで良しとする。子供に、嘘を付いたわけでも、騙したわけでもなく、最も適切な対応ではなかったかと自画自賛しておこう。すっかり疲れ果て、腰は重くなるし、熱も出てきたので、翌日に廻せる作業は先送りし、しこたま酒を飲んで就寝する。


山羊牧場
八丈小島で捕獲された山羊の収容所?


山羊の長老?
群から外れたところにヒモで繋がれていました。
怖くて近寄れず、最大望遠で撮影した上、トリミングしてあります。

2004年 10月26日 火曜日 曇り後雨
 午前7時に起床、大急ぎで荷造りを済ませ、お礼奉公がてらK納邸を半分程を掃除機掛けし、港まで送ってもらう。船が出入りするときは、波止場にはいつもパトカーが止まっている。おそらく指名手配犯が逃げて来るのを警戒しているのだと思うが、そんなことが日常的にあるはずはなく(この20年の間に、実際そんなことがあったのかも怪しいと思うが)、相当に暇なのだろう。船出するときに港湾労働者の皆さんと一緒にハシケを外していた。八丈島は人口の割りに派出所やら警察署がやたらと多い。地元の要望なのか、面積辺りの警官数を都心並にしてあるのかは知らないが、よっぽどやることが無いのだろう。警官は子供の登校時間帯に交差点の番をしたり、ビデオや本の貸し出しをしている。


美女軍団の見送り
やたらと豪勢なお見送りだったが、誰を見送っていたのかは知らない。

船は定刻通り10時過ぎに島を出立、天気が悪く体調も思わしくないため、船内では読書と睡眠を交互に交え過ごしているうちに、思いの外早く竹芝桟橋に到着、約10日振りに自宅アパートに帰宅すると同時に、少なからぬ衝撃を受ける。留守の間、隣りの早稲田生に猫の世話を頼んでおいたのだが、ちょうど出発する日には彼と出会えなかった。仕方なく、袋に山盛りの餌を詰め、手紙を添えて彼の部屋のドアノブに掛けて出掛けたのだが、何とそれがそのままの状態で、今、目の前にあるのだ。いや。正確には袋の下の方を引っ掻き、噛んだ跡があり、尚更痛々しい。しかも部屋の中は、仕掛けておいた殺虫剤でゴキブリの死骸だらけ。いきなり気が滅入る。しばらくすると、何も無かったかのように猫が姿を表す。どこから食い物を仕入れていたのか知らないが、痩せるどころか幾分身体が大きくなったようにさえ思える(島で小さな猫ばかり見ていたせいかもしれないが)。ただ、ずっと外に居たせいだろう。毛並みは目に見えてゴワゴワになっていたが・・・。


10日間放置された餌
ビニール袋の破れ具合が猫の苦難を物語っています。


寒さに身を丸める猫
とりあえず元気で居てくれて安心しました。
ちなみに隣りの早稲田生は、未だに姿を表しません。
北に拉致されたのでしょうか?

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