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地獄の毒ガス島再上陸戦記かつて「ミナぼく」の撮影を本格始動させた毒ガス島で、「金ハル」撮影を敢行した。原点回帰という意図があるのも確かだが、今回の遠征には、それには留まらぬもう少し具体的な目的がある。「ミナぼく」に着手した2001年夏の段階では、力及ばず島の放つ強大な魔力を有効利用出来なかった。あの頃とは比べ物にならない伴侶と技術と得た今、かつての雪辱を晴らさんと意気込んでの再上陸だったのだが・・・
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2008年 5月26日 月曜日 晴れ
午前2時、広島へ向け出立。順調に首都高を抜け、東名、名神をひたすら西へ進む。山陽道を走っていると、2台の便べが、ライトをチカチカさせ合図を送り合った後、物凄い勢いで追い上げて来た。御丁寧にも真後ろと真横にピッタリ付け、こちらの動きを完全に封じて来たので、頭に来て、ブレーキを踏んでやったら、小便漏らさんばかりの形相で逃げ去っていった。下らん嫌がらせには、こちらも命懸けの嫌がらせで対抗するまで。フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ辺りは別格として、今や名実ともに世界一の自動車大国になった日本に住んでいながら、わざわざ便べや便ツといったウンコ車を高い金を払って買う輩がいることが理解出来ないでいたが、今回の件でその理由が骨身に染みて分かった。乗っている奴らの脳ミソがウンコだから、ウンコ車に乗るのだ。
フェリーの甲板より毒ガス島を望む
ガス漏れを検知するため飼育されていたウサギの末裔
島でウサギを見る度に、家に置いて来た猫の
ことが心配になるのが、意外と困りものだった。午後4時過ぎ、港に到着。間髪入れずにやって来たフェリーに乗り、毒ガス島に上陸した途端、不審者扱いされてしまう(事実その通りだが)。というのも、知らないうちにキャンプ場が閉鎖され、島に車で行くことは出来るが、港の前の駐車場以外は走行禁止で、わざわざ車でやって来る観光客はいなかったからだ。しかも、車には山盛りの荷物が積まれていて、怪しいことこの上ない。この状況下、すぐさま行動に移るわけには行かず、下見を兼ねて1時間掛けて島を1周した後、夕日を横目に見ながら、周囲を覆っていた薮を切り開かれ、丸裸にされた変電所跡に荷物を運び込む。宿泊施設の温泉につかった後、空になった車の中でささやかな宴を催し、布団を敷いて横になる。
撮影基地の様子
この空間が無ければ、今回の撮影は不可能だった。
毒ガス製造装置の残骸5月27日 火曜日 晴れ
朝方、変電所跡から山腹の弾薬庫跡まで大量の荷物を人力で運搬する。撮影を終え、弾薬庫の上で昼寝していると、自転車に乗った中学生が次から次にやって来る。後で判明したのだが、この7年の間に、毒ガス島は修学旅行生がやって来て、いわゆる「平和学習」を行う場に変化していたのだ。かつては程よく放置されていた変電所跡が丸裸にされ、周囲に柵や道路が整備されたのもそのためだった。引率していた教員に確認したところ、予想通り、おびただしい数の小中学生が広島の原爆ドーム・平和記念資料館を訪れた後、毒ガス島に送り込まれていることが判明。そして、子供達に対し、市民ボランティアと思しきオッサン、オバサン達が説明を行うのだが、これがいわゆる日教組的語り口で不愉快この上ない。
変電所跡で「平和学習」が行われているところ
以前の様子を知っている者が今の姿を見れば、さぞや嘆き悲しむだろう。
かつては藪に覆われていた前庭から発掘されたと思しき石碑。
仕方がないので、昼の間は海辺で読書して過ごしていると、宿泊施設のバスの運転手に「特に目的が無いなら、邪魔だから出て行け」と言われる。いつからこんなことになったのか。かつては、宿舎、プール、テニス場、海水浴場を整備し、島のリゾート化を国策として進めていたのだが、それが破綻したので(既に7年前の時点で、そのほころびは見えていた)、かつては腫れ物のように扱っていた戦跡を積極利用して金儲けというわけだ。とどのつまり修学旅行ビジネスの障害になりそうな不審者は島から出て行けということだろう。
キャンプ場の残骸
確か1泊5千円とか、かなり無茶苦茶な価格で貸し出されていたように
記憶しているが、ろくに使用されないうちに廃棄処分になったと思われる。
ちなみにこのテントに限らず、島の諸施設の整備費用は、宝くじの収益金でまかなわれている。
テニス場
ここでテニスをしているのを見たことがない。国に搾取された金は、
こうして無駄に使われ、お役人の頭の悪い運用の果てに、
全てはチリに還元されていく。嗚呼、この世は無常。
神社に奉納された千羽鶴
これも、この数年で根付いた風習だと思われる。
もちろん、広島の平和記念公園にならってのことだろう。
古くなった千羽鶴は毒ガス貯蔵庫に安置され、朽ち果てて
いくのだが、そこは7年前、藪に覆われて何もなかった。5月28日 水曜日 晴れ後曇り後雨
4時に起床し、空が白むと同時に状況開始。朝日が差し始めるまでの2時間程の間に2シーン撮影。陽が照っている間は、例によって、特にやることもなく、昼寝、読書、散歩、そして廃虚のパトロールに勤しむ。拠点にしている変電所跡の奥に機材や人形達を隠しているのだが、時折その中に入ろうとする輩がいるため、危険を察知すると一般の観光客を装って牽制し、侵入を阻止するのだ(もちろん、自分の行いは棚に上げて)。当初は、見学に訪れた小中学生達が悪さをするのではないかと冷や冷やしていたのだが、少年少女達に廃虚趣味を解する風流はないらしく、狼藉を働く者は1人もいなかった。むしろ、引率の教員にろくでもないのがいて、明らかに挙動不審なので、遠目で監視していると、案の定柵を越え、中に入っていった。すかさず、通りすがりの観光客を装い強制排除。犯行現場を目撃された下着泥棒の如く慌てて自転車で立ち去る姿は、哀れでさえあった。こういうのを見ると、児童にちょっかい出して、捕まる教員が後を絶たないのも分かるような気がする。
撮影の様子
特型ピュアボディは、立たせ易いのでこれまでにない写真が撮影可能だ。
中部砲台跡
日清戦争に備え、建設された砲台跡にして、島最大の戦跡。
恐ろしく美しい場所だが、島の頂上にあるため、さすがに
ここまで娘達を運んで撮影することは出来なかった。午後、天気予報通り、空は曇り恵みの雨が降り始める。薮が切り開かれてしまった今、雨こそが最大の防壁だ。光が程よく拡散される上、雨音で気配が消せるし、雨の中、孤島の廃虚を訪れるのは、よほどの好事家しかいない。日暮れまでに2シーンを撮影。これ程のハイペースで撮影を行ったのは初めてのこと。朝は日が昇るまで、夕は日が暮れるまでが勝負であるため、正に1分、1秒を争う。そのため、今回メイキングビデオは撮影していない。
かつてこの辺りは美しい海岸だったのだが・・・
島を所轄するのは環境省が率先して環境破壊やってどうするんですかね。
何かの資材だろうか?
かつて毒ガス工場が林立していた場所に
こんなものがあるのはさすがに不気味だ。5月29日 木曜日 雨後晴れ
午前4時半に起床。恵みの雨のお陰で、時間に余裕がある(日の出の時間になっても日が差さない)こともあって、アオバを鉄骨に縛り付けて撮影を行う。もともと影の薄かった三女アオバは、利根川姉妹の登場によりますます存在感を弱めつつある。しかし、これからは年長ながら利根川姉妹に虐げられてしまうイジメキャラとして再生させる予定なのだが、どうなることか。
予定通り、最後の締めに金剛寺三姉妹+利根川姉妹全員揃って記念撮影。そして休むことなく、機材、人形達の梱包作業に取り掛かる。午前9時前、作業が終了すると同時に裏手から修学旅行生達の声が響き始める。正に分単位の段取りが求められる熾烈な闘いであった。速やかに離脱し、4時間ぶっ通しの作業で疲れた身体を休める。日中は、昼寝の合間にパトロールをこなし、翌日からの長旅に備え英気を養う。
変電所跡の落書き1
なかなかの力作です。
変電所跡の落書き2
建物内は落書きだらけだが、暗黙の了解があるのかモノトーンに
まとめられているため、異形の美しさを醸し出している。
変電所跡の落書き3
巨大廃墟の解放感がそうさせるのか、
性に関する題材が多いのも特徴。5月30日 金曜日 曇り後雨
朝方、腰の痛みで目を覚ます。妹が何年も前に捨てようとしたセンベイ布団を遠征用に使っていたのが災いしたようだ。しかし、そんなことに構っている暇はなく、車を移動させ大量の荷物を積み込んで行く。作業は順調に進み、予定通り、1時間程で終了。朝1番のフェリーで島を離脱する。
いわゆる「平和学習」というアカの謀略とそれを金儲けに悪用する商業主義により、予想外の障害が続発し、撮影は全く思うようにいかなかったが(予定の7割程度しか消化出来なかった)、限られた状況下では最大限の成果を達成することが出来たと思う。
「さおーごい。流度し水用くを前だに」
最初、広島弁に韓国語なまりが混じるとこうなるのかと
本気で思いましたが、矢印に従い縦に読むのが正解。
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