この地震報告は、わたくし、YUKI.I が,ほぼ毎月出していた「本物を感じる会通信」のち「ひまわり通信」から、地震に関するところをピックアップしたものです。



   地震報告 第1弾   1995.2.8  YUKI.I


      神の戸は  揺さぶられた

      今 まさに   天の岩戸が  開かれんとす

                                  
         
          死者       5276人
          行方不明        6人
          負傷者    2万6815人    避難民約25万人
          家屋損壊  10万6763棟         (2月8日現在)
                                    

 
 1995年、1月17日、朝未だき、午前5時46分「平成7年兵庫県南部地震」が起きた。 

 
 私、YUKIの住む4階建てのマンションは、阪急六甲駅から北西方向、六甲山の中腹標高約

500mほどの高台にある。いつもはとっくに起き出している時間だが、たまたまふとんの中で
で目をあけていた私は、突然″ドーンドン!″と突きあげれられ、″ユサユサ、ユラユラ、ガタ
ガタガタ・・・″と起き上がれない程激しく揺さぶられた。 ″地震だ!これは大きいぞ!″
と夫も目を覚まし、私はあわてて、隣のふとんに寝ている次女の上に覆いかぶさった。 
    
 天井から照明が落ちてきたらこまると思い、私もふとんをひっかぶり、大きな揺れの中、
必死で娘におおいかぶさっていた。隣に寝ていた長女も夢うつつで、「地震だ」と叫声を発し、
布団にくるまっている。ようやく大きな揺れがおさまった。後からみれば、たった20秒だった
そうだが、実際数分にも感じられた恐怖の20秒間だった。  


 揺れがおさまると、娘が私の下から「お母さん重いよ〜」ともぞもぞはいだし「お母さんに
つぶされちゃうよ」と言う。「お〜い、みんな大丈夫か」と夫がそれぞれの部屋に声をかけると、
「大丈夫だよ」と返事があり、一同一安心する。


 再び、大きな余震に揺さぶられる。停電で家の中も外も真っ暗で、窓ガラスの向こうでは
夜景が消えて真っ暗になった町のあちこちに早くも火の手があがり、燃えさかる炎が肉眼で
十分にみてとれる。隣の古い7階建てのマンションからは沢山の人がすでに道路に避難して
いる。
 
 私も玄関につんでいた米袋の山がたおれて通れないのでベランダから階段に移り下りて

みる。下の町では、救急車や消防車の音が悲鳴のごとくいきかっている。隣のマンションは
亀裂だらけで、屋上では重油が漏れる匂いがしているが、バルブがわからなくて騒いでいる。
又私の方も階段は水びたしで、管理人さんが、あわててガスも水も元栓をとめたそうだ。


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     昨年来の異変
                     1995.2.3. 2月通信つづき(地震報告) YUKI.I
 
 昨年は米騒動に始まり夏の干ばつ、北海道や三陸地方の地震や大津波、そして新暦の
一月とはいえ、旧暦ではまだ同じ戌年の暮れに今回の兵庫県南部地震がおきた。

 阪神間ではおこらないと思いこまれていた地震が、多くの人を揺さぶり、眠っている目を
覚まさせた。そして又、一瞬のうちに家屋の下じきになった5千人もの人々は苦しみながら、
その尊い生命を奪われてしまった。  ここに深く深く哀悼の意を申しあげます。

 奇しくも一年前のロサンゼルスの大地震も同じ1月17日におきているといわれています。
この偶然の一致とみえる背景には、様々なうわさや憶測が乱れとんでいますが、それらに
迷わされることなく、自分なりの良い気づきを求め、方向性をまちがえないようにしたいもの
です。


 又、昨年は年頭から数件ものバラバラ事件や愛犬家連続殺害事件、妻子を殺した医師・・
・・など殺伐とした事件があいつぎ・・・汚職の発覚・・・政治のハチャメチャ・・・そして、だめお
しのごとくの阪神大震災 すべて、これまでの裏にあって歪み、隠されていたものが、表に
現れ、吹き出てきたともいえる、激動の年でした。


 
 今、ヨーロッパでも一月半ばから雨が降り続き、ライン川の水位が3倍になり、多くの都

市が水につかり、現在オランダ・フランスだけでも、阪神大震災の当初の40万人の避難民
と同数の人たちが避難しているそうです。

 チリ沖のエルニーニョ現象もこれまでにない高温で広い水域に広がり、いよいよ不気味さ
をましてきています。
 
 薄くなった海底の地殻が口をあけた時、その影響はどこまで及ぶのでしょうか。外国の寒波、
日本の各地での変動、これらは、天災というより、これだけの科学力をもちながらその方向性
を見失い、生命から、自然からかけ離れてしまった人類にとっては、今回の大震災も大洪水も
もはや自ら招いた人災ともいうえるのかもしれません。


 今、宇宙から太陽から地球から海から大地から、怒りに震えるうなり声をが聞こえてくる
かのようです。この波動が感じれませんか。ただただ謙虚に自分の内に呼応する声なき声に耳
を傾けてみてください。内なる自然の声を聞いてみてください。人為的、作為的な不穏な空
気やこの機に乗じた扇動的な動きや情報がとびかっていますが、日との策略や知略や名声へ
のデモンストレーションに耳を傾けることはありません。
 
 よく耳を澄ませてみるとこの最後の始まりといえる胎動の中に、清新な明るい気がみちみ

ちてこようとしているのがわかるでしょうか。この困難な状況、苦しみの中でこそ、求める
人には掴むことのできる真実への気づきがなされようとしているのです。

 わたくし個人に関しては、ほとんど被害はなく、マンションも大丈夫で、水は元々六甲の井戸
ですし、ガスもプロパンですから、夫々まもなく復旧しました。同じ灘区でも恵まれ過ぎていて、

当日から炊きだし組で毎日ボランティア活動をいろいろとさせていただいています。

 本物を感じる会の会員さんたちも、誰一人傷もなく、不思議と守られていたことを、喜び

あっています。多くの皆様にもご心配をいただきまして、有り難く、こんな時こそ、人の暖
かさが身にしみる思いでございます。


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  新春 明けましたが       2月通信つづき  1995.2.3 YUKI.I
    驚天動地  悲しみ地に溢れる

「始まりへの胎動」
 皆様、いよいよ21世紀にむかって「始まりへの胎動」ともいえる時がきました。
 地球の地軸のずれも序々に進んできています。

 日本各地での地震を始め、地球のあちこちで、ひんぱんに異常気象がおこっています。 

 日本の温暖化、西洋の寒冷化など、こうしているうちにもヨーロッパの水害も阪神大震災
と同様の避難者数を数え、損害も出しています。


 いよいよ1996年1月31日の旧正月を迎え、名実ともに新年となりましたが、この混乱の中、
いよいよ世直し、よみがえりの年の幕開けとなりました。

 ″心の岩戸が開けましておめでとうございます″といいたいところですが、この震災後の混
乱の中では、
そうもいっておれません。

 しかし、みなで21世紀に喜びあえますよう、今年は「正がでるか邪がでるか」の正念場の年
になることと思い、互いに心していきたいものと思われます。


●日々新たなり
 
 今年は木性″気″の年、″心″や″意識″に気の向く年となります。 今年は、意識の

目覚めの年となりましょう。正義や義侠心の働く年でもあります。 よい働きをして明るく開
かれた21世紀を楽しみたいと思われます。

 一人でも多くの方が、正しく清らかで明るい意識の目覚めに気づいていただきたいものと
切に願っています。 自分の意識が変わるだけで、周囲の人の意識も一瞬にして変わります。

 それはみごとなまでに、見える世界も一変し、心持ちも変革され、軽く明るく楽しくなれるので
す。日々新たなり、日々成長してこそ人間です。それも人と人との関わりの中で成長できます。

昨日の私は今日の私ではないのです。本年は相変わりましてこそ、お目出たい年となることを
申しあげておきましょう。       


●物事が皆それ相応に正しく位置づけされる年

 今年は五黄の乙亥です。今年は全ての宮が本来の位置を得て、それぞれの本分にきづか
せていただく年となっています。 それだけに、気づきに応じて、良くも悪くも正しく報われる年

となると思われます。 

 たとえば阪神大震災も、目覚めと気づきのための大きな試練でした。多くの亡くなられた方
々のお陰で、残ったものにとっては、その悲しみと苦しみの中から真実大切なものに気づかせ
ていただけるのです。大きな苦しみこそ、大きな気づきに出会えるともいえるのかもしれません。

 又、それなりの役割を持たされている方は、あの惨状の中でも不思議とすばらしいお陰をい
ただき、命の助かる状況へと導びかれたようにも思われる話も多々伺いました。 
不思議とも奇跡ともいえることも多かったように思われることです。

●人類への警鐘 自然への畏敬の念を・・・    

 一人一人がより高い気づきへと成長してゆく目覚めの時が今きています。今年、五黄が表

なら裏は六甲です。 目覚めは六甲から始まります。「地震・雷・火事・親父」も相応にかつ
てのそれらへの畏敬の念を、皆が再び思い出してくれることを願っているのかもしれません。
 
 今回の大震災も、人間の科学文明へのおごりを諌め、自然への畏敬、人間本来の目的、
宇宙意識への気づき、愛にみたされた心への気づきを促していると思われるのです。
 
 今回の地震、私のいうところの神の戸の岩戸開きは、神戸から始まり日本へ世界へと波及
してゆくのでしょうか。               


●何が大切か
 
 
神戸の復興に関して核芯への気づきのないままに、これまでと同じ次元での経済効果をね

らったり、強さをほこり、号令一下で、見た目も競うというようなハードの発想でなされるとしたら
 数年後には、又違ったソフトの形での大きな揺さぶりをかけられ、もっと思いしらされることとな
るのではと私には,思われます。

 実際、現在神戸市の各所での未来設計図がひかれ、町並や色まできめられてきているそう

です。
 待って!と私はいいたいのです。 この不況を活性化できるチャンスとばかりに金時計をはめ
た親方日の丸の議員達が、よだれたらたらで利権をあさろうとしています!

 
 これまでと同じ状況、議員たちのエゴで再建がなされるなら5千人もの死者の魂は浮かばれ
ません。 それらの尊い犠牲の教えてくれたもの、それを受け取った人たちがもっとすりあわせ
て吟味してゆく時間が必要ではないでしょうか。


 地震当日の朝一番も支援どころか、株式市場で大林組、青木建設・・・関西の建設関係の

株の買い注文が殺到し、大幅に値をあげました。

 ここにむらがった人たちは、その利益を震災のために少しでも還元しようという気はおありに
なるでしょうか。 たとえ一部でも差し出しましょうとでもいう気になってくださらねば早晩整理される
側となりましょう。


ボランティア

 私のところにも、登校拒否のフリースクールの小・中学生たちが、支援を申し出てきています。
そして、うちの子たちも全員早くからボランティアに出て手伝っていました。又子供の同級生
たちもボランティアにいったりしています。

 ところが、ティッシュを配ったり、弁当をくばったり、いえば、今では避難者たちが、自分達で
できることにボランティアの手をわずらわしている状況です。

 当初生き生きと目を輝かして、人間勉強だといっておもしろがってた?子供たちも、たいくつだし、
あき時間にボヤッとしてるのもいやだからといってボランティイアをやめてしまいました。
 
 ところが、郵便局では、救援物資が山積みで放ったらかしなのです。遠方からの貴重な一人一
人の思いやりを無にして、さらなる救援をテレビでもおことわり申し上げるているという状況なの
です。

 今朝は対策本部と連絡をとり救援物資の仕分けや配送のボランティアなどのきめこまかいケア
についてきかねばなりません。  

   
●強者の論理は捨てて・・   
 
 これまでの文明が、後始末や細かいケアを考えないまま、弱者を切り捨てて、思いやりのない
ままにつきすすんできたので、この天災でこの始末だと思われるのです。

 強者の論理とおカミ意識が、この震災での救援活動のたちおくれと救援活動内容のピンボケ
をうみだしていると思われます。

 
 宝塚の知人も自治会館を救援用に利用と思って言ったところ、そっくりかえった会長さんは、

ちっとも考える気がなくて、義援金もコープの貯金箱へどうぞといわれたそうです。

 どこに具体的に救援活動の手助けができるのか、誰も指揮する人がいないといって、市長
に直訴の葉書を書いたそうです。

 救援の為の会議も現実のボランティアのスタッフである女性はいれてもらえないとかいう事実
もあります。

 やはり男性論理、強者の論理、レッテル意識で救援がすすめられているらしいことは、大変
に残念なことです。救援物資の下着も男性用は沢山あっても、なぜか女性用の下着は私のみ
た時はいつもありませんでした。

  私が、いつも口すっぱく言っていることですが、行政は公僕です。きめこまやかな一人一人
に喜んでいただける対応をして頂きたいものです。

 困った時には十分力になり、市民一人一人の気持ちを汲み取れるくらいの暖かい思いやりの
対応が、今こそ求められている時と思われます。

 今回難を逃れた方々もこの震災から十分に学び気づくことがなかったなら、次はご自分たち
の番だと思っておられてていいんじゃないでしょうか。  



●助けあい分かちあう
 

 天変地異や非常時にこそ、本質や実力が分かります。

 今回世界からも驚嘆されていることは、日本人の落ち着いた平常心であり、助けあい分かち
あう精神の発露でした。 

 そのような日本人の根っこともいえる面を、かいま見れたことは、大変重要なことだと思われ
ます。
  
 外国でなら暴動もパニックもおこって不思議でない状況の中で、皆が互いの生命を救いあ
い、助けあって被災者どうしで懸命な救出作業をしました。

 水も食料もないところで、一つのおむすびを分けあい、助かった人はボランティアで奉仕し、
互いに不自由も分けあって共に生きるという心の芯のパイプがすぐにつながりました。

 これは気づきのひとつだと思われます。

●日本の心をとり戻した 日本人
 
 テレビのインタビューで一人の老人が「日本人のもともと持っていた心をとり戻した」と
感想を述べていました。

 まさにこの震災の危機的状況の中で、これまで、浮かれておごっていた日本人が再び暖かい
思いやりの心つながりをとり戻したことにきづかれたのです。

 このような、極限状況で、人は、生命の大事さ、そして人間として生きるということは何かと
いう深い所に直面させられたのではないでしょうか。


●形骸化した官僚機構の中の 心を失った人たち
 
 又この震災では、全く悪い意味での「あいまいな日本人」がすっかり露呈されました。

それは、この非常時の国会でもグダグダいわれている行政の対応のまずさの点です。

 同じ行政と立法に携わるものが、この非常時に言いあい、責めあい、足のひっぱりあいを
しています。

 議員は皆テントに寝て、冷たいおにぎり一つのなかで、震災を体感してそこで、生の声を聞
きながら話し合いをすべきです。

 あさっての所でぬくぬくといて、頭と言葉だけのラリーをしてもみのある政治はできないと思
われます。

●緊急時の対応不能

 官僚機構という、個人が何もきめられないシステムと何よりそのなかの人の人間としての
判断力のなさがみごとに浮かび上がりました。

 なにより人命第一の鉄則がシステムという構造の下に切り捨てられました。

 日常、そのシステムの中で自己保身をしている内に、何が大切か、何が大事かをを見失っ
てしまった官僚人間とその機構の形骸化が、対応のまずさや遅れとなって、この緊急時に
致命的な欠陥となってあらわれたのです。

 これをみても核芯(確信)を持たない、自信も自覚もない現代の日本人のうろたえる様子が
伺えます。

 又人間として日本人としてのアイデンティティーのなさ、自信のなさが、実行力の欠如として、
この大震災での対応のまずさとして暴露されたのです。

 システムだけ、ハードだけをかえても同じことです。もっとその奥に潜む人間としての本心の
あり方を問わねばなわないでしょう。

意識下の心   

 私は、今回の地震は、日本人のアイデンィティーに再び目覚めさせていただいたと思うの
です。 

 そして、それを精神的拠り所として自覚と自信を持って行動できるようになるようにと促され
ているように私には思われました。

 私の思う日本人のアイデンティティーとはなにかというと、外国人からみた日本人のあいまい
さといえるものが、そうではないかと思われます。

 しかし、現代の日本人自身はそれらをほとんど忘れかけており、意識下の領域となってしまい、
自分でも気づいていないようでした。
 
 その私のいう日本人のあいまいさとは、

一言でいうと、森と水とともにある湿潤な自然とともにあるというもののあはれをしる心、
花の声、虫の声、木の声がきけるやさしい穏やかな心です。

又、あるがままを受け入れる、全てを尊び、受容する清濁あわせのむ意識、そして、見えない
宇宙の響きや働きを感じれとれる感性、だと私はおもうのです。

その日本人としての意識のあり様の大切さを、今回の地震から、気付かせていただいたので
はないでしょうか。

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   阪神・淡路大震災報告第2弾  3月通信   1995 3.12 YUKI.I
                                
被災地の現場から テレビに映らなかった現実

■遺体が地に並ぶ


 この阪神大震災で5500人に近い方々が亡くなられました。

 各避難所は、緊急の遺体安置所となりました。地震の直後、東灘区では、多くの遺体が
2号線の中央分離帯に次々と並べられていたそうです。

 周囲に黒煙があがり、ビルは傾き、家々の倒壊した惨状の中で、ずらっとならべられた死体
は地獄絵ともいうべき悲惨な光景だったそうです。
 
 テレビにはいつもうつってた住吉川の東岸の、4階が潰れた公団のすぐ東隣のコープ神戸
生活文化センターの広場も一時遺体が並び、体育館の避難者たちは移動させられて二百五十
体もの緊急遺体安置所になったそうです。
 
 向かいの灘高の体育館も当初二百数十体の遺体安置所になっていました。        


■あの芦屋がゴーストタウン

 
 
地震後6日めの1月23日の月曜に、仕事に行く夫を阪急西宮北口まで車で送りました。

まだ、電車は阪急西宮北口までしかきていなかった時です。(夫は以来3月の今もって大阪の
ホテル暮らしです)その日は朝の5時半に六甲を出発しました。

 東灘から2号線に入り、芦屋市を走る間ずうっとまっ暗のままでした。まだ停電していたので、
信号ひとつないままの2号線、周囲も崩れた建物もまっ暗のままでまさにゴーストタウンそのも
のでした。


 ヘッドライトにうつしだされる広い道路の両脇は、全て1階だったかしらと錯覚するほどに
崩れ落ちていて、道にまで崩れた家がせり出しており、ビルは倒れかかり、電柱は傾いて切
れた線がぶらさがり、まさに不気味な廃墟の町と化していました。 

■生き埋めになった方
 
 その帰りに、私が大学以来お世話になっていた調律師さんが東灘区の魚崎小学校に避難さ

れているのをきいてたので訪ねました。

 彼の東灘区の家も全壊になりました。奥さんと娘さん二人は二階で助かりました。
しかし、彼は1階がつぶれてしまって生き埋めになったそうです。
 
 しかし、運のいいことに丁度ピアノの側にいた時だったので、ピアノの蔭で生きながらえて
いて、近所の方のお蔭で傷一つなく掘り出されたそうです。

 地震の起きるのが5秒でも違っていたらとても助かっていなかったといってました。

 ピアノが長年の恩返しをしてくれたのねと喜びあいました。


■人力だけの救助活動

  
 
東灘の市場も、軒並つぶれました。

 トラックを持っている八百屋のおじさんが言われるのには、2・3人の若い者がきて、梁ではさ
まれている青年を助けたいから、トラックについている少しでも大きいジャッキを貸してくれとい
われて貸したそうですが、とてもあんなもので家の重み、梁の重みなんかあがるものじゃないし、
助からなかったろうなと嘆息しておられました。
 
 その方もご自分の家族が大丈夫だったので、次々に近所の人達を助けに走ったそうです。

声のしていた二階の屋根をのこぎりやかなづちで必死であけて「坊主まっとれよ」と声をかけ
ながら、ようやくタンスにはさまった男の子を助けだして抱き抱えた時には、既に硬直がはじま
っていたそうです。かわいい子だったそうです。

■お棺づくりにおわれて  

 
灘区役所の福祉のケースワーカーの人達も、本来の仕事の一人暮らしや体の不自由な方々

の安否を気遣うどころでなく、当初一週間は実は職員総出で、お棺づくりと一部事務処理に
おわれていたそうです。

 ひとつのお棺に百本もの釘を丁寧に打って作る女子職員、たった4本しかうってなくて、
遺体を運びだす時に遺体ごと中に収めた品々も全部ぬけてばらばらになったという、とても
笑えないひどい話も現実にありました。        

                 
■生と死が隣り合わせ

 
避難所では、生きてる者と死んだ者がいっしょでした。お棺もないので毛布でくるむのが

せいいっぱいで、遺体を次々と確認するのがやっとだったようです。

 そうしているうちにも生き埋めになった方々はもはや重機がこないと、とても人力では掘
り出せない状況で、2日すぎ、3日すぎていきました。

 どんなに多くの方々が無念の涙のうちに、暗い中で救出を待ちながら、辛い苦しい痛い思
いの中で、次々と埋まったまま亡くなられていかれたことでしょうか。

 マスコミに4日めで無事だったという救出劇などが放映されました。

しかし、そこには″4日もたってやっと大型重機がやってきて、それもごく一部だけで、ようやく
救い出せる態勢がとれた″という事実があるのです。
 
 市はすぐさま三の宮の崩れたビルをこわしていたその重機を一人でも多くの方を救出す
るために真っ先にさしむけるよう、緊急命令を出すぐらいの思いやりはなかったのでしょうか。
 
 どれほと゜多くの方々が、崩れた梁をうごかせないばかりにいのちを落としていかれたこ
とでしょうか。 それを見ていた肉親の涙をなんと心得ておられたのでしょうか。

 ここに価値観の相違による判断の違いが出てくるのだと、私には無念に思われたことです。                 


判断のにぶさが救出を遅らす


 
当初からレッカー車を始め、様々の大型機械が市民の生命を救うために各所に沢山入って

いたなら、もっとあちこちで喜びの救出劇があったことでしょう。
 
 重機を用いて上手に救出し、交通規制もきびしく救急車を動きやすくし、

 渡る橋がひびだらけで行けないポートアイランドの神戸市民総合病院もはしけを出しての
早急な利用を可能にし、

 各病院に多量の水の搬入をし、発電機の設置をし、自衛隊の救命救急諸設備の利用、

医師の配分などが徹底していたなら死者の数はもっと減っただろうにと思われます。
 
 今埋まって助けを求めている人、重症で、助けを必要としている人、そういう方々のために
にどんどんヘリコプタ−を飛ばせるべきでした
 
 何が大切か。何が優先順位なのか!   お棺をはこぶより、一人でも多くの方々を、
一刻も早く、どのような方法で救いだすのがよいのか、そこにもっと目と知恵と科学力の総
力の結集ができなかったのでしょうか。

 目にみえるハードを使いこなすのは、人手であり、それを動かすのはソフトである判断なの
です。しかし、その判断も価値観によって大きく違ってくるのです。 

 
 地震発生後、報道のヘリコプタ−が沢山とびかって風と火をあおり、その爆音は、埋もれてい
る人たちのかすかな助けを求める声さえかき消してしまう暴挙でした。
 
 なんど救出に必死の人たちが、空を飛びかう岡目八目のヘリコブタ−に怒りのこぶしをふり
あげたことでしょうか。

■ヘルパーさんも寝る間もなく
 
 区の福祉の方々がお棺づくりに追われている間も、区のヘルパーの方は孤軍奮闘で、区役

所も全くあてにならず、担当かどうかにかかわらず体の不自由な方々のお世話に追われてい
ました。
 
 清拭のお湯をもらおうにも、あんた一人だけにあげるわけにいかないと言われて怒り、大人の

おむつひとつ手に入らない状況でした。

  灘区篠原のヘルパ−のAさんは、すぐに仙台の兄弟にたのんで、至急区宛に600枚

も送らせたそうです。

 大人のおむつに加えて、仙台の老人ホームの方々は、しびんや吸呑み、ウエットティシュ、
老人用のよだれかけ、下を洗うための使い捨て手袋、水のいらないシャンプー等々、ホームの
皆さんが個人でいろいろとご寄付下さったそうです。
 
 その荷物が着いたはずだと聞いてもわからないから自分で捜せといわれて、歯噛みした
そうです。

 でも、その荷物のおかげで、どんなに助かって切り抜けれたか仙台の方々に大変感謝なさ
っていました。 

 老人も多く二千人近くが避難しているその小学校では、焚きだしの申し出がきても皆にいき
わたらないからという理由で、断ってばかりいたそうです。
 

 せめてお年寄りや子供にでも暖かいものをという発想はなかったのでしょうか。

ようやく暖かいものが食べれたのは2週間もたってからで、それも姫路のテキ屋さんの炊きだし
だったそうです。 

 区が何もしてくれない時に暴力団のY組さんの救援物資のおかげでどれだけ助かったことか、
こんな時こそ本当の人間性があらわれますね。人間差別しちゃいけませんねとそのヘルパーさ
んはおっしゃっていました・・・。                             


■町かどのあちこちに避難者が

 
 避難所のテレビ中継もいいとこばかり映してると、被災者たちは、マスコミの勝手さを怒

っていましたよ。
 
 実際、私の隣のマンションの方たちは、壁がひびだらけになり、古い建物で7階だてなので、
余震も多く怖いので、全員がマンションを出て避難されました。 

 沢山の方たちが当夜からずっと車の中で過ごされました。駐車場で火を焚いて暖をとり、
とうとう3日めからは近所の空家に入ってすごしておられました。 

 私も翌朝一番からずっとすしおけの大きなのにいっぱいあつあつのおにぎりを毎食焚きだ
して、熱いお茶も一緒にお菓子なども持って3日間せっせと運びつづけました。

 お米は30k袋で何体もしっかりストックしていましたので、
心配ありませんでした。             

■マスコミは対外向けのみ

 
 大騒ぎのマスコミの放送は被災地住民のニーズに答えるものではありませんでした。

区だけでないあちこちに聞きたいこと、言いたいことがあっても、104で教えてくれる番号は

災害対策本部の番号ひとつだけ、おかしくて笑っちゃいました。又それが、ずうっと話中な
んです。
 
 安否情報には受け付けの電話番号も出てないし連絡先もわからない。

電話帳はがれきの下の人がほとんどなのに、どうやってどこに連絡しろというのでしょう。

 携帯電話を
持っている人はまだすくなかったですし、充電もできません。

どこでどんな対応をしてるのか、公報車もでないし、確かな身近な情報はほとんど分かりませ
んでした。

 テレビにしても、火災や被災地の心配な地域をそれこそ、望遠ででも、ゆっくりじっくり映して
いってくれないものかと、知人の家を捜して画面をくいいるようにみましたが、とてもみつかり
ません。
 
 被災地情報、何市の何区、何町として、その街の様子をじゅんじ、とらえて、つたえてゆく、
そういうきめ細かな情報が求められていたと思います。 

それが、さっぱりわからないものですから、被災地の住民を心配する人が大挙しかけて、
救急車も走れない状況になったのです。 

それは、一週間たった時点でも同様でしたよ。 

 又、テレビでの話や解説となると、これまたずらっと男性ばかりならんでました!

 誰でもいいから女性をいれてほしかったですね。 

だって、女性は男性みたいな建前ばかりでしゃべらないですからね。

体でもって、何より生命を大事に考えれますからね。 それに、そんな時でも、いのちあずかって、
食べる心配、日常のことなどこまごまとしているのですからね。

■トンネルをぬけるとそこは別世界だった
 
 六甲道では4階建てのコープも潰れ、翌日開いたミニコープにも品物はほとんどなく、
ローソンも当日から後4〜5日は閉めてたり、売ってくれる品物もありません。

 下のダイエーも翌日から開けていても買い物をするのにビルをひとめぐりするほど待って
整理券をもらってようやく買い物ができる状況でした。
 
 ただうちは、お米は自然農法産のものを一年分をまとめて買って家に積んでいたし、
乾麺や粉など食糧の備蓄もあるので、焚きだしのお米の心配も食料を買いに並ぶことも
全くいりませんでした。

水も井戸水なのでライフラインは当初からなんの心配もありませんでした。

 そして、表六甲では野菜が手に入りにくいので、3日めに六甲山の裏手の北区の淡河町
の知り合いのお百姓さんのところへ野菜をとりに行きました。
 
 すると六甲のトンネルを二つぬけて北側に出るとそこは、全く別世界でした。

表の六甲のすさまじい混乱などどこふく風で、スーパーには物があふれています。

地震前と何のかわりもありません。幸いお金も何時になく十分に持っていたので、買い物も
たっぷりして、野菜も卵も食糧も十分に手に入れて、表六甲にもどってきました。
 
 そして、知り合いや会員さんに野菜や卵やポリタンクの水をわけてまわりました。 

ポリタンクも畑用にしていた水のタンクがたくさんあったので、水を不自由している街の会員
さんに、水を持ってったり、ポリタンクを貸してあげたりしました。

■小さな避難所では
 
 そして、4日めには、隣のマンションの方々もそれぞれ行くところをきめて、序々に散っ

ていかれました。

 そこで、今度は子供の小学校の避難所へ味噌汁や熱いお茶を毎日せっせと運びました。
うちのひまな子たちもクッキーをやいたり、ゆで卵を作って手伝ってくれます。
 
 お百姓さんところでもらった鶏さん用の炭酸せんべいのかけもビニール袋にいれると、す

てきなお菓子になって大好評でしした。
大きなダンボール箱いっぱいがあっというまにからっぽになっていました。
 
 2週目の終わりの頃には、お好み焼きやぜんざいなど持っていきました。これは、山のすぐ
下の会員さんの井上さんがお譲さんと手伝ってくださいました。

 先生方も学校に泊り込みで、庭にトイレの穴を掘ったり、避難者の方々の世話をしておられ
ます。 
 お年をめされた校長先生も毎日遠くから2時間以上も歩いて通われて学校の近隣の方たち
の水のお世話までしておられました。

                     
■つらい現実
 
 
学校に電気がくるようになったとテレビでは明るくなった避難所を映して喜んでいます。


 でも、じつは被災者の方たちは明かり以外は使えないのです。
 
 皆が使うと容量をオーバーするからと寒いままで、お年寄りもこたつひとつ使えずお湯も
わかせず、カセットコンロも火事になるからと使わせてもらえないのです。
 
 食事も冷たいものばかりなのに、暖める電子レンジひとつ置かせてもらえないのです。

 これを書いている3月6日の現在でも避難所のご老人の方々は夜は湯タンポで暖をとって
おられます。 

 大きいところは、それぞれに焚きだしもはいったりしていますが、うちの小学校のような小さ
な避難所の焚きだしは、私以外になかったようです。
 
 その避難者の方々も当初入った体育館も老朽化で崩れそうだからと教室に分散していました。

 神戸市の小学校が始まったと報道された2月13日も校庭の石垣のくずれの補修もまだで、
被災者の方々も教室にいらして、落ちかけた渡り廊下もそのままで、とても始まりませんでした。  

                              
■学校もまだまだ
 
 次男の公立の中学校もはじまったとはいえ、3月に入った今でも弁当なしの昼までの3時

間だけです。

 仮設教室の週3日の所もあります。長女の西宮の私学も校舎の半分が潰れ、2月は週2日
の2時間、今でも高等部と中学部の交替の隔日で3時間授業で、来れない人はプリント提出
です

学校にいくまでに御影まで4・50分歩いて、その上いくつもの電車を乗り継がねばならない
長女は学校はプリントにしています。
 
 そして私と一緒に避難所をまわって、一人暮らしの老人の手助けや中高年の心のケアで、
いろいろ話の聞き役をする区のボランティアをしています。

 長男の私学はうちのすぐ下で学舎が大丈夫だったので、日に4時間の授業ができています。

公立の小学校も合同クラスで昼までの3時間と冷たい給食で午後にはすぐ帰ってきているそう
です。

 ただうちの小学生の娘は、青森に避難留学しています。 彼女がいないので、私もこころお
きなく、ボランティア
ができるのです。

 ■避難留学も多勢
 
 うちの小学生の次女は、実は今青森市に避難留学をしています。

 地震の怖さをほとんど気づかなかった娘は、全く怖がりもせず、当初は兄や姉たちと留守番
していました。

 上の子たちが時々学校に行きだすとほとんど私について、町のあちこちの知り合いの地震後
のひっこしの手伝いをしたり、がれきの中から少しでも持ち出そうとする手伝い等をいろいろし

ていました。
 
 しかし、そうそう日々の生活を勉強もせず放っておくわけにはいかないと思い、玄米菜食
のネットワークに訪ねてみました。

 すると何人もの方から申し出があり、本人のスキーができるところという希望で、青森市の
佐藤好文さんのお宅にお世話になることにしました。

 青森の小学校は、何もいらないよとなんとランドセルから教科書も全て用意してくださってい
ました。
 
 本当に有り難いことと、その暖かさが有り難く身にしみてうれしく、まだお会いしたことの

ない青森の方々や佐藤さんご一家に心から感謝しております。

 今では本人もすっかり青森になじんで、スキーも滑れるようになったと、とても喜んでいます。

                             
■涙がとまらない 悲しみ あふれる

2月 15日
 小学校のまだはじまらない娘を、青森に避難留学へと旅立つ日、関西空港まで送っていった。 
六甲から車で出て、勝手知ったる裏道(2号線は交通規制)を走り、30分程で住吉に着いた。

 JR住吉駅(電車はまだここまで六甲は一番後になった)のそばのMさんの元のマンション
の駐車場に 管理人さんのご好意でとめてさせていただけた。有り難いこと!

 そして、駅に行く途中の保育園、ここは以前 Mさんの マンションのかたづけの手伝い
をしていて、炊きだしを頂いたところだ。 

 保育園を抜ける時「お弁当余ってるからいるだけ持ってって」といわれ、有り難く、弁当2こ
みかん3こ、はっさく一つと飲み物を2ついただいた 

 そして、JR住吉の駅前にくると、仮設トイレが並び、駅員さんが、戸をあけて順番に消
毒しトイレ掃除をしていた。

駅前のビルは無残に傾き、大型の機械が、駅の高架をくだいている。
 
 電車に乗って、小さい体に大きなリュック、バイオリン片手の娘と、軽いけれど、おおき
なリュックと大きなかばんを持ったジ−パンにジャンバ−の私は、まさに避難民スタイル。

 ところが、向かいに座ったおばさま方は、まっかなコートのはではでキラキラ、周囲の人も
あたりまえのコートにスーツのいでたち。私たちの違和感はまさにありありと・・・・・

 久しぶりに乗る電車の窓から崩れた家々が次々にみえます。

見ているうちに涙があふれてきてとまりません。「苦しいよう、痛いよう、助けて・・・もっと生き
たかった・・・おかあさん、助けて、助けて・・・」亡くなられた方々のうめきや思いが波となって
ウォーンと体中に響いてくるようです・・・。

 ベシャベシャにつぶれた家々をみるうちに、そんな悲しみが、ジンジンと伝わってきて、
私の目からはぬぐってもぬぐっても涙がどんどんあふれるてきます。
 
 たちまち目は真っ赤になって・・・、あっ、避難民してるなと自分でも思っちゃうのだけど、
どうにも涙はとまらず、ボロボロ、ボロボロ・・・。

 一見なんともなさそうに見える周囲の中で、まさに異様だし、やめようと思うのだけど、
涙は・・・・とまらない・・・・苦しい、悲しい、くやしい、辛い、寒い、助けに来て!まだ、
死にたくない!・・・ 何千人もの人が、うめいて、泣いて、どんなに辛い思いをして、
亡くなっていかれたことか・・・!

 亡くなられた方々の魂は まだ、そこここにあるよう
にわたしには思われるのです。
 
  あっ! でも、やっと、ようやく、こんなに泣けた、こんなにも涙があふれで、こんなに
辛さと悲しさをようやく感じれとれた、そんなほっとした思いがした。
 
 それまでは、現実のあまりの悲惨さに心が凍って
しまったかのように感じていたのが、
ようやく心をとり戻せたという、そんな思いがした。 

 この一月間、呆然としていたんだなあ。 頭が真っ白で、ただ、日常のできることを必死で
こなしていたんだなあと、つくづく思われたことでした。

そして、その日の午後、小学3年の娘は一人で青森に飛び立ちました。                             


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地震に思う 1995.3.

   みえない裏をみる(本物を感じる会通信3月号)  YUKI.I 

核・芯の大切さ


 
何事も芯が大切です。

細胞にも核があり、太陽系にも太陽があり、銀河系にも中心があります。

家にも大黒柱がいます。 勿論、一人一人にとっては自分自身が自分の主人公ですし、


体にとっては心臓、心にとっては魂こそ芯になるものではないでしょうか。

芯は表からはみえないものですから、裏といえるでしょう。 裏とは、昔から心のことを指します。

          
大黒柱で助かる

 
昔の日本家屋は、大黒柱を大きな礎石の上に他の柱よりずっと太くし、家の中心にすえ、


他の柱を周りにバランスよく配置した家づくりをしてきたそうです。

みえないけれど、家の中心にあって全体を支えている柱が大黒柱だったのです。

 今回の地震でも、会員のMさんのお父様と伯母様も大黒柱のお陰で助かったそうです。

救援に行く道々、古い家が全て到壊しているのをみながら、ご実家に到着して、二階が無い

のを見たときは、一階に寝ている二人はもうだめだと思われたそうです。

ところが、大黒柱が支えてくれたのか、二階は隣地へとずり落ちて、お二方とも無事だった
そうです。

        
コストと生命とどちらが大切か

 今回の地震でも高速道路や、ビルの鉄筋がむきだしになり、あめのように曲がっているの

が見えました。

 テレビでは横の帯針の間隔が10cm以内でないと危険だと解説をしていました。

しかし私はビルや高速道路を支える柱の断面図なるものをみて、その柱に中心となる鉄骨が

ないのをみて愕然としました。



 問題は、帯芯の間隔などより、むしろ中央に芯となる鉄骨がないのが問題ではないかと私


には思われました。

芯に鉄骨があれば、芯と周囲の縦針とが、共にバランスを保って結びあい、間につめたコンク

リートも帯芯も支えあって、そんなに簡単にはまがらないだろうと思われたのです。

そんな生命を守る強度への思いやりが、経済合理化やコスト削減等で軽視されてしまったので
はないでしょうか。

   
親父の復権       

 私はかねてより夫を現実的な人だと思っていましたが、この非常時にまさに頼もしさを発揮

してくれ、あらためて夫をみなおしました。

地震のおきた時も冷静に、私たちを守ってくれる力強い声に安心しました。そして危険だからと

暗い中を自ら懐中電灯をさがしにいってくれました。
 
 そして、明るくなって、早速かたづけ始めた私に「すぐに、水を沢山ためろ」と声をかけて

から、一番にローソンに買い物にいってくれました。

その時は、ローソンの中もメチャクチャでしたが、まだ誰もおしかけていない時だったので売っ

てくれたのです。

そして、普段とても食べたことのないカップラーメンや即席食品、お菓子や缶詰等も沢山買って

きてくれました。

 又4日目でポンプがなおって水が出だすまで(もともと井戸水)ポリタンク(畑用に水用タン

クが沢山あった)にせっせと子供と一緒に六甲学院の中の山の水を運んできてくれました。
 
 おかげでひっくりかえった家の大掃除もできました。

 そこで、地震・雷・火事・親父の復権と思った次第です。

確かに、おこらすと恐い働きを持つ親父は表の主人であり物質的な大黒柱でしょう。

 しかしながら私が思うには、本来の大黒柱は奥にいます奥さんではないでしょうか。

 女性こそ、目立たないけど日々暖かく家族を支え、人を良くする食と心を司り、いざという


時も家族を固く結びつける求心的な役割を持っている精神的な大黒柱だと私は思っています。

      
芯のあるところに求心力の結びの力が働く 
 
 何事にも、中心になるもの、核となるものがいるのではないでしょうか。芯も大黒柱も表から


はみえませんし、その働きも表だってつぶさではないかもしれません。
 
 しかし、表からみえていないところに、大事な中心があり、要の働きを持っているのでは
ないでしょうか。

その中心こそ、求心力で全てをつなぎ結んで、支えているものではないでしょうか。
 
建物の表面からはみえないけれど、芯になる鉄骨や基礎や地盤こそ建物を支える土台です。

土台なくしては、砂上の楼閣です。それは、全てに通じる真理ではないでしょうか。    


見えない裏(心)のレベルを高く
   
 
 私は今回の地震で、つくづく、意識がいつも高いレベルにいることの必要性を感じました。


私は普段から体は現実に働かせていても、心はいつも魂のレベルでいる時、なんの心配なく


守られて在ることを感じていました。
 
 又、心(裏)のレベルがふと落ちて、気が迷ったり、いらいらと気のかき乱される時は

「魔がさす」とでもいうふうに事故に出あったり怒りも出やすいと感じていました。

 そして、体と心は一体ですから、意識のレベルを高くし、魂に深く近づいて感じたことは、

それなりに成就しますし、すぐ行動にも移せるものだと思ってきました。

今回ボランティアの形も様々あるでしょうが、自分自身をしっかりと持ち、思いやりのある方は、

余裕のでき次第すぐ自ら他の方々のために動いておられるなと思わされました。                  


心の芯でとらえる

 よく、思っててもできないという人がいますが、思いがエゴの服を着ているのかもしれません。

又、表面で思っているだけでは、行動の変化にまでつながりませんし、体と切り離された頭だけ

で考えても、考えあぐねるだけで行動には移せないと思われます。 

 あるいは誰かにたよる思いでは、自主性も真の自由はありません。

全ては、自分の内にあると私は、思うのです。

心の芯にふれる理解や、魂の光に出会う感じ方ができれば、変革は一瞬にしてなされると私は

思っています。

                        
無事を信じて
 
 今回の地震でも、関係者の中で、一番情報のわからなかった方は長田区のDさんでした。


昨年の暮れ以来うちの会で、神道の興味深いお話などをしていただいて皆熱心に聞かせて

頂いていた方です。
 
 2月11日の祝日にも本物を感じる会の例会で「神道の話」をしていただこうと予定していました。


Dさんのお家はたいそう古く、母屋は江戸時代以来の二百年以上の日本家屋で、大層心配を

しておりました。

そして、まさに家は全壊しておられたのです。 じつは、地震の当日、うちの会の奥さん方と一緒

にセミナ−のあと、そのDさんのお宅にいく予定をたてていたんです。

 地震が、半日遅かったら、私はあの世にいってたかもしれません。

その新しい瓦をふいたばかりの、古い大邸宅は、1階がみごとに押しつぶされていました。

助けあってこそ

 
 Dさんは5日目にようやく消息がわかり、6日めにうちにある新しい下着や衣服や日用


品、水や米や電気釜と味噌汁まで、いろいろ車につみこんですぐに伺いました。

ところが、まっすぐ行ける道が、大開のところで地下鉄が崩れて道路が陥没し、大きく南に

迂回しており、暗くなって入る道がわからなくなりました。
 
 でも後ろのタクシーの運転手さんに聞くと「よっしゃ、ついといで」とどんどん先導してくれて、

焼け落ちたり、崩れたビルの間をぬって、ちゃんと案内をしていただけました。

天の助けとうれしかったです。        

             
全壊のなかでも動じない     
 

 Dさんは、母屋でなく、手前の平屋の長屋におられました。 

 Dさんのお話では、揺れたとたんに屋根がドサっと落ちてきて、顔の上15cmぐらいにすぐ

障子らしいものがあり、体のまわりすぐにも何かあるという事態でこれは大変なことになった

とすぐに思われたそうです。

そしてすぐさまご神名″アマテラスオホミカミ″(彼は神道の方)を唱えておられたそうです。
 
 そして周囲からも「助けて、助けて」という声が沢山聞こえていたので、「あっ、これではと

ても助けてもらえないな」と思い、レスキュー隊がくるまで2、3日楼城せねばならないかと

思い、体力温存のためにと、もう一度布団を被って寝たそうです。                         


光に導かれて
 
 
そして、つぎに目がさめると、光がみえて、そろそろと動いてみるとちょうど道がついて


いるかのようにはって進めて、薄い天井を破っただけで、屋根も丁度一人分だけ板が割れて


瓦も落ちていて、平屋の長屋でしたから、全く無傷で屋根の上にでれたそうです。

又、その日に限り、こたつでうたた寝して、服を着たままで寝ておられたそうです。

じつは、いつものように布団をしいて寝ていたら、みごとにつぶされていただろうとおっしゃ

っていました。

 そして、隣の方々を助けるのに瓦をはぎ、板を割り、天井を破り、人をよんで冷蔵庫を動

かしたり、家具を動かしたりして、ようやく、両隣の方々を助け出されたのですが、人工透析

がいる程の重体や、重傷であっても、皆さん幸いに生命はとりとめられたそうです。

 又、古い母屋のご両親もお兄様が、のこぎりをもって二階から助けだされたので、一家そ

ろってご無事だったそうです。

又、不思議なことに、門のすぐ脇のガレージとお兄様の新しい2階建ての家をちょうど避けるよ

うに母屋も長屋もそれぞれが反対方向に倒れたので、すぐ住む家にも困らなかったそうです。

しかし、Dさんのお宅の一画だけでも8人の方がなくなられたそうです。 


◆YUKI.I家は          
 
 私の住むマンションの被害はほとんどありませんでした。

地震の揺れ方も、うちでは南北の方向性をもっていたようで、不思議なことに南北に作り付け

の食器ダナには、ガラスコップが並び、引戸もあいたままだったのに、ひとつも落ちて割れて

ませんでした。
 
 又東西においた北向きの食器棚は上部が飛んでおちましたが、幸い乾物ばかりでした。

ただ、食堂や私の部屋のスチール製の組み立ての本棚は全て倒れて本が全部とびだして

足の踏み場もありませんでした。

 又東西においた木の本棚は中の楽譜も重かったせいか倒れませんでした。

すぐのグランドピアノも北に15cm動いただけで傷一つなく助かりました。

一番幸いしたのは、家具のガラス戸を全てはずしていたことです。

これは、神戸にひっこしてきて4年近くなりますが、ただはめるのがめんどうではめていなかった

だけなのです。

 本当に何が幸いするかわかりませんね。

 長男の部屋の家具は倒れなかったのですが数台ものコンピューターのパソコン器具の谷間

で寝ていた長男は、ひとつが落ちてきたのですが、顔のすぐ横だったけど、幸い全然あたらなか

ったそうです。

 次男の部屋では、本だながちょうど、寝返りした後に倒れてきて、反対から、その棚にひっか

かるようになにかがおおってくれたので、上の方から、本など落ちてきたのもあたらずにすんだ

そうです。

ふたりとも、まあ、怪我ひとつなくと肝を冷やし、 運良く助かったことを心から感謝した次第
です。   
                          
 電話のかかりにくい中、沢山のお見舞いの電話をいただきましたことを、ここにあらため

て感謝御礼申しあげます。

又数々の見舞いのお手紙を始め、品々やお金までお送りいただきまして恐縮いたしております。

改めて感謝申しあげます。全て有り難くボランティアの活動に使わせていただきます。

本当に有難うございました。

 Sおじさん、2日めにはるばる尼崎から自転車で無事を訪ねにきて下さって有難う。本当にうれ

しかったです。

 江川さん3日めに、はるばる尼崎から電気ポットを始めいろいろいっぱい乗せて、危険なデコボコ

道をオートバイで駆けつけて下さって有難う。涙が出るほどうれしかった。

 十年ぶりでお会いしたのにゆっくりお話する間もなくて、又ゆっくりコーヒーを飲みにいらしてくだ
さい。

  ほんと皆さんの心の暖かさに、沢山沢山触れることができてとても幸せに思っています。



避難の方々は今


 
まだまだ避難された方々にとって、心の春はやってきません。

とにかくほっと落ち着ける場所がいります。仮設住宅にあたるのを心待ちなさっている方も多い
です。

でも、これまで3万円位の家賃で誰にもたよらず、年金暮らしで一人でしっかりと暮らしてこられた

多くのお年寄りが、仮設より他にいく場所もなく将来の不安はおおい隠すべくもありません。


 「大浴場、大食堂であとは小さな個室でいいから、この灘に一人住まいの老人用大型

マンションを建ててくれんかなあ」と多くの老人は夢を語っておられます。

「そうよね。それやったら私も入りたいわ」とあいづちをうちながら、老人を大切にし、老人を幸せ

にする行政こそ、働く壮年を安心させ、何のために働くのかを勇気づけて、そこに集まってくる
でしょう。 

そして 若者も、安心して、未来の夢へとはばたき邁進できるのではないかと思わされました。  

      
行政の方々に

 
今、又市民の声もきかずに行政が独断専行で、区画整理や高層ビルの都市計画構想

を発表しています。

 そんなに急がなくても、もっと市民の声と知恵も聞いて下さい。考慮にいれて下さい。

 こんな大震災ですから、非常時態の法律や条例もどんどん現場にそくして変えて、急がなくて

いいようにして、ゆっくり皆の声を聞いて反省して下さいませんか。

 市民と一緒の新しい町づくりを考えていきませんか。

何がこれまでの人災をひきおこしたのか、新しい町づくりは自然と対話のできる、生命が喜び

あい生かしあえる町になってほしいと思います。
 
 これまでと同じ発想で、再びこのような人災をくりかえすのでなく、21世紀の新たな町づくり

には新しい考えでとりくんでいっていただきたいと私は思っています。


    意識を いつも  
       明るく 高く  持っていよう
   
   世の中に  どんな  策謀や黒雲が

      渦巻いていようとも

     明るい光の前に  闇はありません

   内なる宇宙を信じて  
     皆とつながっていることを信じて 
        自ら  光を  発信してゆきましょう

                                        
                             1995年3月12日 発行責任 YUKI.I                                        



皆様からの 励ましの お手紙の数々
                                                                      1995. 1月.2月..3月..

  石川 和子     千葉市

 地震災害お見舞申しあげます。何と申しあげたらよいのか、地獄絵図を見るようです。
YUKIさん宅は如何ですか、心配しております。電話はパニックで通じず、あれこれと思い心を

痛めております。ケガも無く、無事であればと祈っております。

 私の方は住吉台に住んでいる義母はケガもなく、マンションも何ともなくてホッとしてお
ります。今は高槻の義姉の家で世話になっています。

 本当に大変なことになりましたね。これからどうなるのか予想もつかないですが、神戸ら
しい神戸をとり戻すのは何年かかるのでしょうね。

 映像を見る限りでは、人間 意外に強いものだなあと思い、お互い助けあって生きている
姿を見て、人間捨てたものではないなあと 温かい気持ちになりました。ご不自由な生活を
されていると思います。少しでもお役にたてたらと思います。何でも言って下さい。
 元の生活に戻るのは ずっと先の事でしょうが、お身体を大切に頑張ってください。
この手紙もいつ手元に届くか分かりませんが、心配しております。 1995・1・22

(2信)
・・・・通信を読んで、私がいいたい事を全て言って下さって、私の考えが間違っていな

いのだと確認できたのでホッとしました。
                                     
 便利で豊かな生活があたりまえになって、人間の身勝手さに反省することもなく、急速に
発展した日本。その裏には手抜き工事があったこと。自然を無視し、心を置いてきたことに
気づかしてくれるには、あまりに多くの犠牲者をだしてしまいました。多くの被災者の苦し
み、深い悲しみをしっかり受けとめ、謙虚に自分自身を反省しなければと思っています。
                                  
 村山さん、他人事のような言い方をしないで、貝原さん、神戸株式会社といわれないよう
に温もりのある未来図を願います。・・・  ・・規則ですからマニュアルどおりにとポン
コツ頭の役所の方々、臨機応変という言葉を忘れてしまったのかしらと思います。 
                                 
 避難所でもしっかりしたリーダーが居る所は、不自由な生活であっても前向きに生き生き
としていらっしゃるように思いました。今の日本はリーダー不在ですものね。遠く離れて高
見の見物をしている自分が、とても心苦しいです。何れ帰るであろう愛する神戸の明るい未
来を信じています。・・・・             1995. 2.

 飛澤 久子     逗子市
 お元気でいらっしゃいますか。何度かお電話やファクスで連絡したのですが、通じないの
で心配しています。私がそちらへ飛んで行けるとよいのですが、仕事があったりで、こちら
で気をもんでいます。

 私に何かできることがありましたらお伝え下さい。ご一家のご無事をひたすら祈っていま
す。お年賀であなたの活躍ぶりを感心し、共感を覚えていた矢先に、この災害で本当に驚い
ています。どうぞご無事でいらっしゃいますように祈っています。 1995・1・31
                              
                    
  高田 啓子    豊中市
 この度の阪神大震災の被害の大きさに心痛み、心よりお見舞い申しあげます。
「神の戸」がたたかれ、私の心の中もコッコッグラッと戸をたたかれ、本質をみてごらん、
本当のところをしっかり見てごらん、という神の声を聞いたように感じました。
                         
 大きなゆれの中から、私は何故か、生かされている、何故か私は生き残ることを許されて
いるというすごい感謝と共に、意味があって生かされているという思いを強くしています。
          
 神戸には、YUKI様のような方がいて下さるから、これから本当にすばらしい(霊的な意味
で)今までの物質万能でない、ユートピアが生まれて建設されてゆく!という思いがしきり
としています。寒い時期で悪い風邪もはやっています。くれぐれもお体を大切に守られてご
活躍されますよう心よりお祈り申しあげております。
                           
 お送り頂きました玄米が大助かりにしております。有難うございました。・・・    
・・私の方、両親の家の瓦はほとんど落ち、今、やっとその修理に動き出し、東灘区におり
ました私の妹一家が避難して来ておりましたのが、やっと落ち着きをとりもどし、移ってゆ
きました。私で出来ることがございましたら何なりとおっしゃってくださいませ。・・・ 
 ・・又顔を合わせて、お目にかかれます日を楽しみにいたしております。くれぐれも御体
、お大切になさってくださいませ。    かしこ   1995・2・6 



小川 茂年      伊豆下田市


 お手紙有難う。

 今旅先から帰った処です。
 無事を信じていましたから ご連絡しませんでしたが お元気で何よりです。
 しかし、震災の前日、急に貴方が思いだされ「生きている」の送付のことに気づき、旅 
 先で貴方だけに郵送したのですから、見舞いの第一号といってもよいでしょう。・・・  
 
 ・・・・家族の皆さんによろしく、元気で 元気で 
 本当の勇気と玄気とをもって 生きていてください    1995・2・25

       「生きている」      3月号より  小川茂年           
 
    照顧脚下と昔の偉い人が言った  
    それをまねして誰も彼もが  きょろきょろしないで
    足下をみよとか  足下を照らせとか  
    一隅を照らせとか  色々言ってきた

    足下に一番大切なものが  隠されて光っている
    自分の姿がある  それをはっきりみろと 語っている

    その足下が  自分より  もっと深いところで  大きく揺れ始めた
    見よだとか  照らせだとか  顧みよだとか  言っていられない
                    
    足下で  大きな恐怖が  日本列島を走っている
    一番大切だと言った処で   悲惨な崩壊が始まった
                      
    具体性のない  きれいごとや  言いのがれの為の  でまかせや
    特権意識の自己保存の傲慢さや  無責任のひとりよがりが
    そして  無智による哀れな自信が  
    きれいに  恐ろしい程に  崩壊させるような揺れが
    人をためすように始まった
                        
    足下をみることが  どんなに恐ろしいか  どんなに厳しいものか
    いいかげんに  ひとごとのように  わかったように
    ごまかしていることが  どんな現実を  ひきおこしているか
                        
    まだわからないのか
    まだわからないのか
                         
    どうしたら
    わかってもらえるのか
                         
    自然が  どんなに悲しく  人に訴えていることか
    本当に  足下をみてくれとの   祈りなのだ
                               

  美濃 淳子      東灘区で被災  岸和田市

 その後、いかがお過ごしですか、灘区の山手では水道も出はじめたとか、暮らしむきも

幾分落ち着かれたのではと、少しは明るい気持ちになりました。

 それにしても今回の震災ほど「地球は生き物だ」ということを思い知らされたことはあり
ませんでした。私の実家の井戸が暮れから急に枯れてしまい、みんなでおかしいと言いあっ
ていたこと。地震がおきる前に「地震雲」を見たという知人や「一瞬、火柱と稲妻が走った
」と証言する友人など、いろんな現象があったことを考えると、本当にもっと早く地球から
のメッセージを受けとめていたら・・と今になって思います。神のご加護か運命か、生きな
がらえた者として、今後どのように生きたらいいのかと、考える毎日です。

 この震災で私が学んだことは、人間というのは一人だけ幸せにはなれないということでし
た。一瞬にして愛する者を失った人の嘆きがどれほどのものかと思うと、胸がふさがる気が
します。周囲の人々みんながHappyであってはじめて自分もHappyになれるわけで
、悲しみ、嘆き、困っている人が多勢いるような状況では楽しいことなど何ひとつないよう
な気がします。子供の学校の校長先生や多くの児童、友人の母、知人を幾人も亡くし、まだ
テレビの娯楽番組を見る気にもなれません。

 かといって暗い気持ちで沈んでばかりもいられないので何とか気を取り直し頑張るつもり
です。それにしても関東大震災も五黄の年、また災害は亥年に圧倒的に多いそうで、地球の
リズムを思い知らされました。

 夫の通勤の関係で、3月末までは神戸へ帰れそうにありませんが、また4月からyukiさん
達とお会いして、語りあい、勉強したいと思っていますので、どうぞよろしくお願い致しま
す。藤田さんも茨木と遠方になりましたが、又皆様でお会いできる日を心から楽しみにして
おります。・・・  ・・そんなわけで、早くお会いできるよう、また、神戸の人達が平和
な暮らしに戻れますよう心からお祈りしています。yukiさんもどうぞ元気でお過ごし下さい
ませ。                       1995・2月
 
 
  森山 えみか      札幌市

 お忙しい中、通信を送っていただきありがとうございました。お子さんは青森の方へ行か
れたのですね。

 お正月に地震のことを思いだしたりしながら、昨年12月28日に震度3があったり、又
去年の成人式の道東の地震のことなど食事の時に話したりしていました。
 17日の朝の地震は朝早くから注目していました。そして正食の仲間から希望があったら
引き受けようねとか、私一人の決心でしたが、子供にも心づもりをするようにと話していた
ところです。・・・・  ・・

 今、1カ月前の地震のことをNHKで放送していますけど、日本の男は何につけてもうと
いというか、反応がきちんとしていないとか、地震の対応もそんなところから、とろいとい
う結果になるわけです。うとい、とろい男なんて、いやですものね。パッと反応できないの
は、頭の中に準備がないわけですからね。・・・・・まず、家事もできるようにならないと
、それから子育て、そして仕事、勉強、趣味といかなくては。勉強だけ、仕事だけなんて、
幼児です。私は子供にこんな風によくいいます。

 ・・・・正食を始めて20年、玄米は26年になります。ボツボツ近所の家と少しずつち
がう、もちろん良い結果が目にみえて参りました。年々、正食のありがたさをかみしめられ
る近ごろになってきましたのよ。正食ってほんとうにありがたいですね。・・・・

 ボランティアや本物を感じる会の活動などお忙しそうですね。時間がありましたら、お便
りをください。・・・・・・            1995・2・17
 

橋村 直忠     奈良市
 
 地震のお見舞い申しあげます。

 新年の「本物を感じる会」のご案内にありましたこと全く共鳴致します。私も、心はコン
トロールドラマの中にあるというところからコトバハズシを通じて、別の次元へのアプロー
チに30年の年月を重ね、ますますコトバのことをぬきには、何も変わらないということを
感じています。ありがとう!            1995・2・5
                
                      
  瀧端 明子        横浜市
 弥生3月1日の朝、横浜は一面の銀世界です。紅梅に雪が積もり、美しい景色です。
 阪神大震災から、もう1カ月過ぎてしまいましたね。テレビで神戸の被害状況をみていま
す。知っているところだけに涙が出てきます。生活、不自由してませんか。バイタリティー
のある貴女だから明るく頑張っておられると思いますが、豊中にいたらお手伝いにゆけたの
に・・・。
 「本物を感じる会」の記事、楽しく読ませていただいております。まさに東洋哲学の世界
ですね。難しいですが、いろいろと考えさせられます。豊中にいたら催しに参加できたのに
に、とても残念です。・・・
 ・・・何か援助できることがありましたら、どうぞお申し出くださいね。早く神戸の町が
再興できるよう祈っています。            1995・3・1
 


 山県 良江       屋久島天然村


 人を愛する時、自分も、人も浄化される。


 yukiさんのお手紙の文章の流れの中には、慈愛がみちていて、本当に感動されます。しか
 救護活動には慈愛だけでは真の幸せには導けないかと思います。     

 生物はすべて大宇宙の陰と陽の大調和で生かされているように、巌と愛の二道のバランス
が大切でしょう。                        

 yukiさんも21世紀に向けて大きくジャンプしていられるように、私も精進努力して、自
分の使命、助産婦を現役で役を果たしています。そして、自然分娩の探究も旺盛です。
・・・・  ・・
 
21世紀は精神世界だと言われています。yukiさんのような正しい人を小グループで留め

ておいてはもっ体ない。yukiさん国会議員に出てください。それは本当です。・・・・・・

・・・妹と久しぶりに会った時、姉さん若いねと言われました。誰が若いネ〜、姉さんじゃ

がね〜80才とは思えないよと。自分が80才ということを忘れていました。・・・・

・・太陽が美しく夕日となり輝きながら海に沈んでゆくような人生を終えたい。


 ご多忙とはぞんじますが、私は6月に80才の誕生日を迎えます。お祝いには是非ご出席
下さいますよう今からお願いしておきます。・・・・・     1995・3月
 

 中尾 知子       奈良市

 通信を有難うございました。
 地震報告の「神の戸は揺さぶられた、今まさに天の岩戸が開かれんとす」には勇気づけら
れました。何が勇気づけられたかと言いますと、日本人であることの誇りを持てたことです
。現代、うやむやとなっているあいまいな日本人の心こそ大切なんだということをきちんと
教えて下さり、素晴らしい日本の心に誇りを持てたことです。私のつたない表現というか文
章ではありますが、率直な感想を読んでみて下さい。

 そして今日の地震報告第2弾、沈黙という詩も素晴らしいのですが、被災地からの現実の
報告こそ現実なのでしょう。
 そして、裏について・・・これこそ「本物を感じる会」のお話、感じたままなんでしょぅ
ね。まさに本物って感じです。

 新年号の″光″は私の魂を揺さぶりました。詩がとても素晴らしいですし、話の内容もと
ても光に満ち満ちていて、心が充電されるっていうか教えられるっていうか、心の目が開か
れるようで、心に明かりというか光が見い出される思いです。「悪夢」もとても不思議な夢を
みられたのですね。「光」と「悪夢」で明暗くっきりっていう感じです。

 「本物を考える会」の通信を拝読させて頂いて思うことは私自身も心の目を開き、心や魂
を磨かなければ、自然に帰らねばっていう思いです。アトピー編では砂糖のこわさを改めて
思いしり、私自身、砂糖がよくないことだと知りながらも、多少中毒気味でなかなかやめら
れずにケーキやお菓子などの甘いものの誘惑に勝てずにいることは、私の心も体も自分自身
で弱くしてしまっているのでしょう。早く、きちんとした玄米菜食で(そういってもなかな
かきちんとは出来ないものの、70、80%は守りたいものです)もっと日常働かなければ
と思っています。

 怠け心もさることながら、人の2、3倍もかかって活動している私。家のことで精一杯の
専業主婦の私なのです。よく眠り、よく食べ、よく一服し、ここまでまあ難なくこれたので
す。

 それにしても、yukiさんの書いて下さる「本物を感じる会」のお話はとても分かりやすい
です。そして、スーッと溶けこんでいけるのです。話の中身が魂が喜んでくれるというか魂
に響くのです。多分話の中身が光り輝いているからでしょう。これからも「本物を感じる会
」の本物を感じる心というかお話を伺いたいです。素晴らしい詩に心が踊るというか打たれ
れたいです。そして本物を教えて頂きたいというか導いて頂けたら、私も本物を感じて行き
たいと願っています。私のきたんのない感想です。どうぞこれからもよろしくお願い申し上
げます。ありがとうございました。        1995・3・12                      
  


   工原 美季子     吹田市

 通信文届きました。震災以来ずっと気になっていましたが、いったい自分に何ができるの

か悩み続け、今日に至ってしまいました。 ご無事で何よりです。

 実は1月12日に急に思いたち、講座に参加しようと六甲迄行き、篠原町中歩きまわり福
祉センターがついに見つからず帰ってきました。何人もの人に道をきき、そのひとりひとり
の顔が浮かび、心が痛みました。
 あまり知人のいない私ですらこうなのですから、友人、知人、親、兄弟のいる方達の辛さ
は大変なことでしょう。

 何故、急に思いたったのかと言うと、新年号の通信が、ひとつひとつ、まさに今自分が考
えていたそのものだったからです。

 何度か手紙を書き、出せずじまいでした。何といっていいのか、わからなくなってしまっ
たからです。 というか「何かできることがあったら・・」という自信がなくなっていたか
らです。その前に一度、西宮と門戸厄神までいってボランティアをしたのですが、いったい
役に立ったのやら。ボランティアも多く、仕事を奪い合うといった感じでした。

 それと、自分の中に与える側の優越感も少なからず感じてしまいました。
 そんなんで、二度目は行けず仕舞ですが、それでも消化不良状態をいつまでも引きずって
います。毎日、新聞をながめては出来ることを考えていますが、行動に移せない自分をなさ
けなく思います。
 アレルギー、アトピーの子らをゆっくりお風呂に入れてあげたいとも思うのですが・・・
・只、夫の「ボランティアするっていうなら相手を選べないんだぞ」という言葉にまたして
もひるんでしまって。

 大阪では、豊中の一部を除いて、当たり前のように食べて、学校、会社へ行って、お風呂
に入ってという生活がつづいています。
 水屋やタンスが倒れた家もたくさんありましたが、やはりまるで違っています。
 少しずつ風化しつつあるのを感じます。私はもう少し考えつづけようと思います。
yukiさんに何か出来ることがあれば出来る限りするつもりです。何かありましたら連絡下さ
い。

 そして、今回の通信文ですが、私達大阪に住む者にとっては、こんなに近くにありながら
も、やはり、現実に目の前は普通に過ぎ、一度や二度、神戸に行っても、この天国の様な世
界に戻る事で、又、我にもどってしまう。
  
 同じように痛みをもって感じることは、すごく難しく思います。悲しいですが。
それと、地震がもし、人間の手でおこすことが可能なら・・・と考えると空恐ろしくなりま
した。今迄、思いもよりませんでした。いったい人間はどこに向かっているのでしょうか。
            
 今、「人間を幸福にしない日本というシステム」という本を読んでいます。
 難しくて、全部は理解出来ませんでしたが、同じ様に裏表の世界が、人間の中にあり、一
部のエリートに多くの市民が操られているような事が書いてありました。
         
 子供から大人まで、「本当に幸せそう」な人ってあまり見かけませんね。私自身のことも
この日本というシステムの中で、個人というよりも全搬的な不幸感なのかもしれません。
日本の中にいると日本という国の異常さが、全くみえないのかもしれませんね。
           
 私自身の事ですが、今現在やっている「穀菜食料理教室」を細々とでも続けるべきか、ま
とまったお金になるパート労働者になるか悩んでいたところでした。
            
 タイミングがいつもいいので不思議です。次回の通信文楽しみにしています。     
・・・・    ・・・                  1995 3月



  小野田 正美     宝塚市
 ・・・・私の家は半壊状態となったため、建築をやりなおす方向で、バタバタとしていま
す。・・・・家づくりと私育ての一年になりそうだなと予感しています。地震では、家族が
寝室に使っている部屋には何もおいてなかったことが幸いして、全くの無傷でした。隣の部
屋はメチャメチャでこの部屋にいたら危なかったとゾッとしたことを覚えています。   
                 
 地震は″終わりの始まり″という人も私のまわりにもいます。私は″始まりの始まり″に
したい。そのためにも、原発のこと、街なみのこと、避難所のこと、私なりに動いていけれ
ばと考えています。ここで何を始めるか、に子供達の未来が明るいものになるかどうかがか
かっていると思います。・・・・           1995・3・13
       


  佐藤 玄輝      青森市


●青森は現在積雪80cm 小学校ではスキー教室も始まっております。スキーも用意して

おきます。小学校迄歩いて15分、中学校まで5分です。・・・   ・・・子供たちにつ
らい思い出でなく、プラス思考で、将来の大きな財産になる事を心からお祈りします。  
●私共親子5人年末から年頭にかけて、和歌山県田辺市のほうへ行っておりました。28日
に八戸市の地震があり洋上(フェリー)でニュースを聞き、帰りの1月6日に又洋上で地震
があり、地元青森の状態を心配しておりましたが、何事もなく安堵しておりました。

 そして、1月17日車で通勤途中、大阪の方の地震です。ニュースを聞いていたら最初の
被害はさほど大きく報道されませんでしたが、時間がたつにつれて大惨事の大地震です。
 私共は遠くにおりボランティア活動はできませんが、いろんな形での活動はできると思い
、私達の仲間達の子供達の面倒でもと話あっていた次弟です。  

 福島のパスの橋本さんの機関誌でも紹介もありましたが、やはり大きな単位となると非常
につらいものもあるし、私達家族でできる範囲でやれるのでしたらお世話させて下さい。
 まだyukiさんご家族は不幸中の幸いでしたね。どうぞ安心してください。状態をみてお姉
さんの方もよこして下さい。

●青森の方も3月下旬雪どけが始まっております。日々暖かい日が続き、裏の公園の雪も日
毎に積厚も減ってきております。
                                  
 mちゃんも学校そしてスキー、そしておやつづくりと彼女自身も一生懸命頑張っており
、私達も安心して彼女から学ばされている状態です。・・・・ご安心下さい。
                                      
 地震報告読みました。マスコミでは伝えられない部分をかい間みて、とても参考になりま
した。一日も早く神戸市民の方達が、平常の生活にもどられることを心からお祈りします。
・・・・・                              
                          

  西山 知洋       四条畷市


 このあいだは、大変おせわになりました。あの時の体験は遊学場の他の子供達にも大きな

影響を与えています。3月2日には日帰りで兵庫区へも行ってきました。
                         
遊学場通信より・・・・
 ●神戸の救援活動に行ってきました。2月13・14日に悠くん(小6)と侑嗣くん(中
3)とおっちゃんの3人が、自分たちにも何かできることをやりたいという強い思いをもっ
て神戸の被災地でボランティア活動をしてきました。・・・・
                            
 初日は、yukiさん(灘区在住、おっちゃんの友人)運転のワゴン車で大まかな状況をつか
みました。はじめにボランティア活動の拠点のひとつ″元気村″に行って、様子を見聞し、
登録をしました。(傷害保健の関係もある) 次に灘区役所横のボランティアセンターに行
って、活動状況を聞きました。最後にある中学校へ行って、避難所生活をしている人々の様
子をみました。その晩はyukiさん宅に泊めていただきました。夜には建築家の奥村さんも来
ていろいろと語り合いました。・・・・
                   
 翌日は、yukiさんとこのAくんとmちゃんも一緒にまず右翼(暴力団)が″炊きだし″をや
っているところをちらっとみて、郵パックで送られてきた救援物資の仕分けと配送への積みだ
しをしている福祉交流センターに行きました。

・・・・次に区役所横のボランティアセンターへ行き・・・・″元気村″に向かいました。

・・・・歩いたほうが震災の状況がよく掴めるという理由から歩きました。

大通りはずいぶんと整備されていましたが、一筋二筋路地に入ると、破壊された家々やがれ
きが、そこここに被災直後をほうふつとさせる状況のまま放置されているのが目に入りました。

                             
 炊きだしのおでんとごはんで腹ごしらえをした後、午後一時、元気村本部前に集合しまし
た。そしていよいよ災害復旧隊として出発しようとした時、「誰か車の運転できる人いませ
んか」と声がかかりました。

おっちゃんが思わず「ハイ」と手をあげました。そして、大学の落語研究会の慰問団の人達を
車で運び、一緒に聞いて楽しみました。・・・・



  鈴木 光治     西宮市              
 この度の震災では、心よりお見舞い申し上げます。今までに経験したことのない大きな地
震でしたが、皆様も、そしてお住まいのほうはご無事でしょうか。・・・ ・・お正月には
通信をありがとう。

 ・・・私の方は大きな被害もなく、ライフラインも既に復旧しました。もし何かお役にた
てることがあれば、遠慮なく! 土日でしたらお手伝いできます。機動力のある二輪があり
ます。・・・・                    1995・3・6 

  佐藤 文正     橿原市
 先ずは大震災のお見舞いを申し上げます。その最中からお立ち上がりになられ、指導者の
ご自覚をもってご奮闘のお心映えに頭が下がります。

従来の御履歴、又特異のすぐれさせられた御資質にたぐい希なる敬意を表します。

貴誌3月号には鋭い眼光を放って地球の裏側をも見通される御力は頼もしいです。・・・・・             


 (助言まで)それぞれにお役目が与えられ働かされているんですね。

自信をもってお遊ばし下さい。真素直な清々しい心耳が目が本統の本物を童心の鋭さで見抜
くことができる。

面白い世の中が開顕されて岩戸が開かれている初光りを仰ぎませう。

日本書紀の神功記
には、まさに錦地の西宮廣田國、神戸活田國・長田國にお鎮まりに相成ら
れた大神々事が明記されています。・・・・・            平成7年3月11日


  桑原 司武     京都市


 先日は地震報告お送っていただき、誠に有難うございます。・・・・・私の魂にとっても

心を洗い、地球人としての自覚、宇宙意識を目指しております。

yuki様は、ご自分なりの魂の役目を自覚して、活動しておられるように思います。

yuki様をもっと知るためにも通信を読みたいと思いますので、年会費お送り致します。
よろしくお願い申しあげます。・・・

                                   1995・3・10

  塩谷 真理子     藤沢市
 ・・・ともあれ、yuki.I 家の皆様がご無事でいられた事、本当に何よりのことと存じます。

 当時はテレビ、ラジオ新聞で見聞する事、おそらくその何十倍の被害だろうとハラハラしな

がら見ているだけでした。主人の親類も皆、無事であった事などホットしているところです。 
                      

 お便りをいただき「ああ、よかった」と思いながら・・・ ・・震災にめげず、いろいろ
な面でご活躍のyukiさんにエールを送るなどおこがましいですね。

お体に気をつけて、皆様のいい相談相手になってあげて下さいね。・・・・ボランティア活動の
ガソリン代のたしにしていただけたら幸いです。・・・・・ようやく春の気配が身辺にただよい始
めました。

         花咲く春を待ちつつ。・・・            1995・3・17


 
<ご挨拶>        
 皆様から、沢山の励ましのお手紙をいただきましたこと心から御礼申しあげます。

ここにご紹介できなかった方々にもこころからお礼申し上げます。

みなさまの励ましのお手紙が、義捐金や品物も、暖かい支援のこころとともに、しっかりとつ
たわってまいりました。

 それは、被災地のまっただなかにいる私にとって、ボランティアをしている私にとって、
どんなにこころ強かったことでしょう。

  又、近い方々はほとんど電話での話で、いろいろと素晴らしい話を聞かせて頂きました。

そして励ましていただきましたこと、本当にうれしかったです。

ここにご紹介させていただきましたお手紙も、とてもうれしくて、のさせていただきました。 
ご了解を得る間のなかった方も一部いらっしゃいますが、どうぞどうぞお許しくださり、
一緒に響きあいを分かちあわせてくださいますようお願い申しあげます。

                      
 そして、電話だけでの話でなく、それを皆様がご自分で文章に書いて、さらに心に問うこと
をなされてはいかがかしらと思われます。

 どうぞ又、お手紙を紹介させてください。

                      
 どうにも、毎日のボランティア活動や用事で忙しくて、肉体的には少々疲れ気味かもしれま
せん。

 ですから、できるだけ朝はやくに山に登り、少なくとも30分はしっかり歩きます。

そして、このごろはこれまで食べたことのないようなヤマザキパンや避難所用の弁当がほと
んどです。(このごろは平気でいただいてます!でも本当はこわいよね!)、玄米ももっと真
面目に食べなくてはと心しています。
 
 又、自然の中で充電することが私の一番の健康法です。

歩いた後、お日様を拝し、木々のこもれびをみながらポヤーとしているのが一番の幸せ、
朝早いと一日が二日あるみたいに充実します。

                       
 3月まで主人も大阪のホテルぐらしでした。

ですから、私も夜もけっこう若者達といっしょに過ごすことが出来てとても幸せでした。

若い人達に気質人間学の助言をしてあげてます。

皆もけっこう「えー、なんであたるのー」と不思議がりながらも、皆素敵な良い子たちばかり
ですので、素直に助言にうなずいてくれています。

これからの輝く若者達をみながら、21世紀の日本はこんなボランティアにかけつけてくれる
子たちが、担ってくれるようになればいいなあと切に願った次弟です。




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これは、県立女性センターが震災後、新しい街づくりに参加する人を求めたのに提出しました。

残念ながら、参加させていただけませんでしたがね。誰しも苦言を呈する人をいやがるよう
ですからね。 とくに、役所ってそんなものです。

  
新しい街づくり    県立女性センター提出  1995.3  YUKI.I

              
●この度の人災部分に対し、謙虚な反省を求める

 この度の大震災の悲惨さを目のあたりにし、神戸市に住むものにとって何故これだけの
大災害がひきおこされたかについての謙虚な反省と熟慮が求められていると思います。 

市民の一人一人も揺さぶられ、みなおしたてなおしをせまられ、自立と自覚が促されまし

た。 そしてそれらの反省にもとづいた上で、復興には市民も自分たちの街づくりを行政だけ
にまかせておかない積極的参加が必要だと思いはじめています。

 復興をすすめるにあたっては県立女性センターのすすめる″男女共生社会″の実現を
めざすことは、自然とともにある復興の基本ともいえ.ると、私には思われます。


●バランスのよい社会づくり、街づくりを


 男女共生とは、陰陽相和すことといえましょう。東洋哲学的に言うなら,全て働きは、この対極同士の働きのバランスの中にあります。片方にふれすぎると大きな揺り戻しがきま
す。 

 今回の地震は、行き過ぎた科学文明なり男性社会に対する自然からの揺さぶりだっ
たのではないかと私には思われたのです。
 ですから自然にそった
陰陽のバランスの良い復興を私はのぞんでいます。

 それには、男女双方の声がバランスよく生かされる社会にならねばなりません。 

女性は長年子供を育てきた実体験、心豊かに生命を守り育んできた本性を持っています。


それゆえ、男性とは違う視点や感性を持ちあわせています。 


 双方が互いを認めあい、思いやりをもって助あい生かしあえる、そんな素敵な人間関係
が息づくまちになればと思います。 

そのような″男女共生のまちづくり″に私は是非参加したいと願っています。   



●ガラスばりの会計を


 又、これだけの大災害の復興には一円たりとも税金の無駄づかいのないよう、必要なとこ
ろに必要なだけいかねばなりません。 

 そして援助資金や義捐金のそれぞれの出どころ、及びつかい道などガラス張りにするべきで
しょうね。 

これらがなされる為にもこれまで″お上″であった行政にも税金をおさめる市民の目線、貴重
なお金を義捐金として送ってくださった方々の意識のところまで一旦おりて頂きたいと思います。


 以上の点をふまえて、新しい街づくりは、そこに住む市民1人1人が、どのようにすれば、
住みやすい街、住んでいて楽しい町になっていくか考えることに積極的に参加することだと思い
ます。

 

///////////////////////////////

<地震の教えてくれたもの>  地震報告第3弾  
                            1995年4月号 YUKI.I
ボランティア活動◆        
 
大震災から3カ月が経ようとしています。

 5500人もの犠牲者を数え、その背景にある一人一人の心にまだまだ残る膨大な苦し
みと悲しみを思う時、私達一人一人は自分の考えや行動の襟を正さざるをえないと思う
のです。

多くの皆様方も、この惨状にそれらを強く感じておられるのではないでしょうか。                     

                                
 私は身近な人達の救援が済んで、2月中ばから「灘区災害ボランティア」でずっと活動を
続けています。灘区と聞かれて、公のように思われるかもしれません。

 もともとは区役所内にあったのですが、じつは、私が行った時は、区役所と区民センター
の間の河原のテントに移り、区役所は何もしてくれないという状況下にありました。

 灘区のボランティア活動も当初は避難所への物資の配送、積みだし、供給などでした。

 しかし、行政の避難所でのありきたりの物資供給だけでは、とても困っている方々への対
応は覚束ない状況でした。

 行政の目のいきとどかない、避難所と認められていないあちこちの小さなテント村への
供給も担当しながら、もっと被災者の方達の直接の声を聞きながら対応をしてゆこうという
ことになって、分かってもらえない区役所の建物を出たのだそうです。



今の行政では細かな対応は無理

 
 
そして区役所にボランティアの受入窓口がなくなったのですから、たとえテントであろうと、

多くのボランティアを受け入れる所が必要です。 
 
 又、行政の目の行き届かないところで沢山の手伝いが必要とされている状況で、「はい、
さようなら」というわけにはいきません。

 
 行政は自分のできない細かなケアをボランティアの活動におしつけて、こちらに頼ってい
るのにエンピツ一本、荷物の運び出しから、仮設へのひっこしにいるトラック一台、区民の
ためのニールシートをはるためのはしご一つ貸してくれません。
 
 本当にどんな神経をしているのでしょうね。                                 

    
 もっとも、避難所と同じパンや夕方一食のお弁当の配給だけは隣の区民センタ−でいた
だけたので、手弁当といわずで、学生さんたちには、大助かりです。

 
 しかし、コピ−機もファクスも全て、行政のものかと思いきや、すべてが企業からの提供な
のです。そんな各企業の気持ちを本当に有り難くも思い、又何より健気な若者たちの懸命
な活動には頭がさがるばかりです。
 
 けれど、この若者たちの多くも大学が始まるので、もうすぐ、それぞれの生活へと戻って
いかねばなりません。 

 そして、疲れた体に鞭うってアルバイトにでむき、遠い自宅への帰りの交通費もかせがね
ばなりません。多くの方々からの義援金で少しでも援助してあげたいくらいの気持ちです。

 そして、彼ら達はでもその責任感から、これからも土日にはボランティアに出向いてくれる
そうです。
 今も引き継ぎ内容の整理とローテーションの組みようが大変な時機です。 
                             

一区民の身になってほしい     
 今、仮設住宅(一戸230万円)の出入り口のひさし一つつけるにも行政はこれ以上のお
金は一切でませんとつっぱねています。

 帰りの交通費にとたとえ5千円もらったとしてもボランティアの若者はその金でひさしをつ
けてあげてというでしょう。行政は自らの施行した所に身をおいて、体験して、その足りない
ところに気づくべきです。

                              
 行政の目は、この震災によりこれまでの生活を全てうち壊され、路頭に迷っている多くの
弱者、老人の方には向いていません。

 仮設住宅もその地域の公園や空き地でカバーしないで、ほとんどの方々がそれまでのつ
ながりを捨てて、一切を抽選で、バラバラに他の遠い地区への移住をさせられる状況です。

 
 それまでの地域とのつながり、学校や仕事をもつものにとって、山のあなたの空遠くから
通うのにとても時間がかかる状況で、暮らせるわけがありせん。


 では、賃貸用の集合住宅をたてる為の補助を率先して打ち出しているでしょうか。弱者の
ために高くなる家賃のフォローができるでしょうか? 

 仮設の建つ場所も本来は子供たちの区民の遊ぶスペースなのですからもっと恒久的な市
営住宅案を早急に打ち出す必要があると思われます。
 
 だのに行政が打ち出すのは、人のいない血の通っていないコンクリートと高層ビルの一見

美しくみえる副都心構想なのですから・・・・なんともはや、そこには一体誰が住むというの
でしょう
。地域住民を忘れた砂上の楼閣案といわれてもしかたがないと思います。       
   
暖かい血の通う行政を

 
本当に困っている方々の身になり、声をきいて、何が一番妥当であるか、検討せねばなら

ぬところを国だ県だ区だと、セクト意識で互いに責任のがれをしようとしています。 

 ようやく地域型仮設住宅が建てれることになりました。これは、2階建ての仮設住宅です。
これまでの仮設住宅と同じ敷地で一挙に6〜7倍ぐらいの受入人数が可能となります。

 それは、一人暮らしや障害をもつ夫婦の受入用になります。
 これまで、2階建ては基礎がしっかりとなるので仮設ではないとして認められなかったのです。 

 しかしこれも4.5畳(一人用)か6畳(障害者と介護者2人用)の一部屋ずつの狭さの共同住
宅で台所、風呂、便所とも共用ですので、体の不自由な高齢者は入居にも二の足をふんでしま
います。

たとえ、仮設住まいの1〜2年でもそれなりのスペースと個々の生活への配慮は必要だと思わ
れます。


 又、北区や西区など遠いところに仮設住宅があたっても、もとの地域に帰ってこれるのでしょ
うか。

 もとどおりの安い家賃でおれるような一人住まい用集合住宅でも建ててもらえるという保証
がないかぎり、これまで誰にも頼らず、けなげに年金ぐらしをしてこられたお年寄りの方々
にとって、先の見通しも全くつかないままでしょう。 

 それでは、遠くて不便な生活もままならないような知らないところに住もうという勇気はなかな
かでてこないように見受けられます。

                            
JBCのボランティア活動内容

 私が「灘区災害ボランティア」にお手伝いにきた時、ちょうど前日に″JBC″(じっちゃん
ばっ
ちゃんクラブ)ができたばかりで、まさに私がかかわりたい内容でした。

 対象は高齢者や身よりの少ない一人住まいの方、障害を持つ方々、などです。

 又、この震災にあわれて、どうにも困ってしまい、けがもなさってうごけない方々のためにも、
いろいろなお世話をしています。又、訪ねるうちに他の様々な方々ともいろいろ話をさせて
いただいております。

                               
 
 手伝いの内容は病院の送り迎え、薬の配達、倒壊家屋からの荷物の運びだしや搬送、ひっ

くりかえった家財の整理、公園での被災者用のテント張りの手伝いもします。

 一人暮らしの方への手助け、ケースワーカーの方に頼まれた体の不自由な方達へのヘル
パーさんだけではケアできない生活のお手伝いもします。

 一人暮らしで、手元不如意な方の仮設へのひっこしの手伝い、いろいろな証明をかわりに立
って並んでとってきてあげたり、目の不自由な方を福祉事務所(倒壊して場所が移動)に案内
したりします。

 そして、何より話
相手になってあげて、安心して頼りにしてもらうことが一番のケアになっていると思われます。

 区からのトラック提供などないので、いつも私のワゴン車も借り出されます。どなたか軽トラ
ックを貸して下さる方はないでしょうか。これから仮設へのひっこしが急増するなかで高齢者の
被災者にとっては引っ越し代もままなりません。

 
 又、他のあちこちの遠い仮設住宅の情報も今急いで収集しているところです。
 遠くに移っていただくにしても、そこが本当に安心して住めるところかどうか、バス停は、お店
は、周囲の状況は、ケアの様子は等、ボランティアが調べてあげなくては、移られる方にとっては

全くわからず不安なところです。
 
 今後は、これまでの活動内容と又違ったさまざまな活動が必要とされてくるでしょうし、
行政がそういう細かなところの配慮にも気づかない限り、私たちのテントでの活動はつづく
でしょう。                


市役所での陳情

 
 3月22日に神戸市役所の民生委員会で私たちのテントから大学生2人が陳情をしました。

 
 そして、私も自宅からワープロをテントに運び込み、みなで陳情書の作成をその日の朝の
3時までかかってしあげました。

 
 その陳情の内容は、今後新年度にともない学生のボンランティア数が大幅に少なくなる
状況を鑑みて 

 1)早急な訪問ヘルパー制度の再編拡充  2)区レベルでのボランティアセンター及び
コーディネーターの設置  3)仮設住宅への高齢者や障害者への細やかな
 対応をという三点に関しての陳情を行いました。

                  
 
 私は学生達と一緒に、始めて神戸市役所にはいりました。
神戸に来て、まる4年になろうかというのにまだ市役所に入ったことがなかったのです。

 市長さんの部屋は14階、やはり消防の梯子車の届くぎりぎりのところね、と昼休みに外
の公園で焼き芋をかじりながら、15階以上はパラグライダとパラシュートをドッキングさせた
ような救助用の器具を開発しなくちゃね、

 とそんなことをしゃべりながら、JBCも含めて10人ぐらいが26階の委員会室で、先に陳
情を終えた後、能率の悪い委員会につきあいながらまる一日をすごしてしまいました。

 
 
 まだ、街のほこりもいっぱいの寒い中、暖かな市役所の議員さんの委員会では、これを
機会に、ディズニ−ランドのような、パァ−っとはでなのをつくりましょうや。 

 と、真面目に発言をなさっているんですよ。わたしは、耳を疑いましたよ。これでは、いわ
んや神戸空港をやでしょうね。 まだまだ市議さんのほとんどはこんなものでしょうか。
                       

 しかし、この陳情も功を奏して、採択となりました。 

 そして、とある議員さんのお陰でようやく4・5日前から区の地域福祉課の方もテントにこ
られて話ができ、今日も、区のボランティアの窓口の担当になられるらしい主査の方と話し
あえることになりました。

 もうすぐ市議会の選挙ですし、知事選挙もあるでしょうから、丁度いい時期といえばいえ
るのかもしれません。

 ですから、行政も自分達ではどうしても行き届かない点や気づけないところがあるというこ
とを謙虚にわかっていただけたら、そして、区民の声と行政をつなぐ役目として、ボランティア
を認めて下さり、その心持ちにも共感をいただけたら、ボランティアたちのこれまでの皆の労
も報われるというものです。



ボランティアの喜び 
 

 でもボランティアの喜びは、したものでないと分かっていただけないのではないかしらと
私には、思われるのです。それは、心と体と一体になった体験だと思えるのです。
 
 共に喜びあえる喜び。自分の心に暖かい灯をともさせていただけると私には思われます。
ボランティアをすることで自分の心にも豊かな喜びが与えてもらえるのです。

 その喜びのエネルギーが又次の活動への活力になるのです。みなさん月一回でもいいです。
何かあなたにできるボランティアをしてみませんか。お待ちしています。 
                        


/////////////////////////////////

 

 行政は市民の代行者のはず 1995.3. 雑感  YUKI.I

 そもそも行政は市民の代行者ですから、もし行政が勝手に暴走を始めたり、市民を困ら
せるようなことがあるとしたら、それは市民の監督不行届きなわけです。
 市民は自分たちの利益を、考えを代行してくれない為政者たちをおろすことができます。
 
 避難所となったMで不満の声が大きかったのは、家もち土地もちの人たちが、先に仮
設にあたって出ていっている状況でした。 裏で工作がされているのはみえみえだと、わた
したちボランティアに対してまで、多くの方々が、声を荒げておっしゃいます。


 地震で揺さぶられて、皆がおかしいと思いはじめています。行政が思いどおりにしようとす
るのは、おかどちがいだと思いはじめています。 行政は市民の公僕のはずです。


 公平を欠くからできないといってることが 沢山あるのに、自分たちはすりガラスの中で、
特権濫用、自分たちが神であるかのように、平気で不公平なことをして知らぬ顔をしている
ように思われます。


 六甲道の市の拡張工事予定地区の区域に入っていて、家は全焼・・
仮設は藤原台があたった。 しかし、表の店との往復ではとても商売にならない。

 実際、家を建てるのに、災害援助資金の500万円が貰えるとみこんで、工事を始めて
いる人がいます。しかし、都市計画の地域だと建築許可を貰えないので、その援助金をもら
えるためには、建築許可されていなければだめなのです。

 都市計画の地域だと、丸焼けになって、家も店もなくしたのに、援助資金で仮設の家も建
てられない。 仮設住宅にはいっているが、遠すぎてとてもとても商売がなりたたない。 
行政は、市民に一体どのようにして、
暮らせよというのでしょうか。


//////////////////////////////////

諸行無常 盛者必衰の理り   1995.3. 雑感  YUKI.I
 
 地震で形あるものが、無惨に崩れ落ちました。


人々はおおくのものを失いました。しかし、多くを失うほど、得るものは多いと西洋の聖人は


いっています。 ですから、多くのものを失った人、大切なもの重大な喪失をした人ほど、 

この地震で得たものは、多大な重大なものだったのかもしれません。そして、それは、

体験のないものには、何もいえるものではないとも思われます・・・。

 人には必ずのりこえられるだけの 重荷をせおわされるとも聞きます。悲しみにうちひ

しがれたままでなく、なんとか、亡くなった多くの方々のぶんも、今をしっかり生きていって

いただきたいものと、私には思われるのです。

 又、今回の、このまさに非常時に人々は、自分のうちなる思いもよらない力にきづかされ

た方も、沢山あったようにお聞きします。 又、日ごろ見失っていたものに気付かされたとも

聞きます。 

命と心と人との暖かいふれあい思いやり
 
 物なんて、地震の一揺れで、こわれてしまう。

 
 今回、物より大事なのが″人の命″であり、″人との関係″だったと誰もが感じられた
 
ようでした。 

 そして、″人のやさしさ、思いやり、助けあい″がどんなに有り難くうれしかったか、

 人はぎりぎりの最低の立場におかれて、それを十二分に感じたことと思います。


人とのかかわりが原点
 
 それこそが、人間としての原点だと思われます。

 
 人間は人の間にいてこそ、人間。 俗世の中にあってエゴを少なく、心も迷わされず、


皆の心のお掃除に役だってこそ、皆に有り難いと思われてこそ、有り難い得がたい人間


として、この世に生まれてきたかいがあったというものかもしれません。

 「山に法はない。 だるまは巷にあり」に倣って、高野山を降りた僧侶がいたそうです。


街にあって法を説くことこそ、真に僧のなす仕事であると、その僧侶は言ってたそうです。


わたしも、まさにそう思われます。 このような非常時、寺のなかのお坊様は、みなマザ−

テレサをみならってボランティアのテントに来ていただきたいものです。

地震でエゴの衣をぬがされた
 
 地震は人の心のよろい、かぶとを壊しました。 家を壊したように,その極限状況は、人の

心の枠にもひびをいかせ、日ごろ心を覆っていたものを、すっかりりはとりはらってしまった
ようです。


 そして、ぎりぎりの原点にたった時、人々は助けあいました。

 自他の区別なく、いっしょになって、助け合い、悲しみ、喜び合いました。 

 しかし、その次には、心はほんらい持ちあわせているエゴの衣を着ました。そして、

 辛い避難所生活では、覆えないままにエゴがむきだしになったりもしました。


 そして、今、ようやく人々は 良識をまとった自分らしさを取り戻しつつあります。

 しかし、今回人はいのちの原点に立つという体験をしました。 
 
 そして、エゴも何も捨てる状況で、ともに一体となって助け合い、喜び合えました。 

 その原点を一度知った人は、もう、エゴの着物を脱ぐことを恐がることはないでしょう。
 

 むしろ、そこには、通じ合える暖かいものがあったことを実感として体験できたのです。

 また、地震はこれまでつきあいのなかった人も、同じ体験者としての連帯的な意識でつな
げました。 

それは、人と人との距離を近づけました。 同じ思いの新しい人と人のネットワ−クが生まれ
ました。 

 すばらしい新しい世界が開かれたのです。 



//////////////////////////


以下の文は、地震後すぐ、神戸市が復興への提言を求めたものに 提出しました。
テ−マは「自然と人と都市の理念について」 でした。 忙しいボランティアの最中でしたので、
とてもだせるとはおもわなかったのですが、ぎりぎりに提出した覚えがあります。

テーマ自然と人と都市の理念について
 
                                           1995.3 灘区篠原在住

 神戸市の復興への提言1        本物を感じる会主宰  YUKI.I

 ●提言  見えない核芯に気づく           
 
 人を動かし、物を動かせるのは理念です。中身があってこそ、外にあらわれます。

 小さな氷山も見えるところはごくわずかですが、水面下のみえない大きな部分が、あるいは
周囲の様々なみえない環境がそれを動かしているのです。 

 この地震でも、芯の入っているブロック塀はたおれませんでした。
コンクリ−トも中心に芯があってそれをかこむものとしっかりむすびついていれば、ああも簡
単にねじれなかったのではないかと私には思われました。

 そのように芯となるみえない理念があってこそ、人は自ら主体性をもって動くことができ、
自信をもって働けるとおもうのです。

 それでこそ、多くの人々を説得でき、協調もしてものごとを民主的にすすめてゆけると私は
思っています。 ではこの震災後、神戸市の掲げた理念について、私の思う提言を示してみ
ました。     

                                 
  ●  自然と人 そして都市
 
・バランスのよい発展を  

 この度の神戸市復興計画のガイドラインが「都市・自然・人を基本理念に21世紀にむけ

た安全都市づくりを目標」とのことです。 
 
 しかし、その神戸市のいう都市の在り方と自然と人との三者の関係はどのようであるのか。 
その3つの関係性がバランスのとれたものになるためにも自然への重要性を理解してほしい
と思われます。

                          
・木々の大切さ
 
 復興は都市の取り組みではありますが、先ず何よりも自然を念頭においていただきたい
ものと私は思っています。

  このたびの震災により、建物はつぎつぎと倒れましたが, 木々
は、倒れてくる家屋をささえ、
多くのいのちを救ったとおもわれます。

 木への感謝と災害時、木々のある空き地の必要性、これらのことから、緑を街の各所に
配置することの重要性を改めて十二分にたいせつにとり組んでいただきたいと思います。 

・コミュニティ−

 次に考えて頂きたいのは、みえない人々の気持ちであり生活でありコミュニティーだと思います。 

 これからは既成のハード面優先でなく、まずどんなソフト面を考え、とりくみ対応していくか。 


 人々の心や生活を生かすソフトのあり方を吟味し、その上でそれを生かすハードづくりへと

取り組んでいって頂きたいと思うのです。 

 つまり、取り組み方を、ソフトのほうから考えていただきたいと思うわけです。                    

     
    ●  自然への畏敬                            
 
 まず自然ですが、これまでの神戸市の自然への対応をみていますと、山をけずって、海を

埋め立てるという、人間のほしいままに利用する自然観のように思われます。

 人間のつごうのよいように切り刻んでかまわないのだという考えに見うけられました。
 自然を支配下におき、自然の尊厳をおとしめるような自然観のように見られたのですが、
いかがでしょうか。

                        
 私にとっての自然とは、その中から全てのものが生まれ育ち、あらゆる生きとしいけるも
のが共に生き、共に存在しているものだと思います。

 自然とは、まさにひとつの壮大なるネットワークであり、地球と一体のものととらえています。 
 そして人類も、その自然のごくごく一部だと思っています。 
 
 見えない多くの生きとし生けるものと共に、自然の中に生かせていただいていると日々有
り難く感謝しています。 

 このように、私は自然への畏敬の念と一体感にもとづく自然観を持っています。 
今日行き過ぎた物質文明を思うとき、私のような自然観を持つ人も今日、多いのではないで
しょうか。

 このような自然観にもとづいた上で、都市と人と自然の関わりあいを考えていきたいと私
は思っています。
  自然と人が、共に生き生きと共存しあえる、そんなふうな都市の在り方を求めていただき
たいと考えています。 
 


 支配か共生か。これまでの強者の論理か、はたまた違いを生かしあい、目にみえないもの
へも感謝し喜びあえる共生の世界か。 

 神戸市はどのような自然観を持って、復興計画をしようと考えているのでしょうか。

                        
 神戸市はこの震災を全くの偶発だとみておられるのでしょうか。 

 この多大の損害と犠牲を顧みた時、これはただの天災でなく、市民の安全と福利を守るべき
行政として、天よりのお叱りの揺さぶりだと思われたのではありませんか。 

 これまでの神戸市の自然に対するあり方を反省させるための天啓であると、お感じになられ
ませんでしょうか?

    ● 意識の変革こそ必要
 
 これまでの都市計画の意識のままで、自然と人と都市が共生できるとお思いでしょうか。
今までどおりの意識では,とても無理だと私には、思われます。

 意識の変革が必要なのです。 

 真に自然と共に考える復興計画であるなら、この地震により、行き過ぎた文明のかくもも
ろく崩壊した部分、露呈した砂上の楼閣の部分を、かなりけずりこむ実践になろうかと思われ
ます。

 そして、文明に甘え、傲慢になり、感性の鈍ってしまった現代の人間にとっても自然との共生
は、難しい面も出てくるとも思われます。 

 ところが市の復興計画案はこれまでの、地域での商売の店の売る声のとびかう町の市場
の場所さえも高層ビルとコンクリ−トの広場にしようとしています。 

 地域住民に一体どこにいけというのでしょうか
 

 地域のみえないコミュニケーショというものを、そのような場所で、どのように育てようとい
うのでしょうか。 広いコンクリートの広場には人っこ一人いず、高層ビルからの風がふきす
さぶだけではないでしょうか。

                           
  この震災にあった私たちも、たとえあわなかった人々も、この大地震という自然からの
警告について、亡くなられた5500人の方たちとともに死んだつもりになって、今一度充分
に文明のあり方、都市のあり方を吟味検討せねばならない時がきていると私は思うのです。  

   
   ● よく見 よく聞き よく考えて
 
 例えば、地震の″時″が違って、新幹線も車も高架を走るラッシュ時であれば、さらに十

数万人もの犠牲者がでていたでしょう。 私という存在も消えていたかもしれません。 

 又、地震の″場″が違って、もし原発が数基ある敦賀に地震がきていれば、チェルノブイ
リ以上の地球レベル、人類レベル 、遺伝子レベルでの多大な犠牲を未来にわたって被るこ
とになるでしょう。 

 そして日本人の愚鈍さと無責任ぶりを世界中に示し、地球上の全ての生物からも、糾弾さ
れることになるのは日をみるより明らかなのです。      

        

  あのチェルノブイリの折、ソビエトの科学技術庁のトップの責任者である優秀な科学者は

ゴルバチョフに情報公開を託して自殺しました。 

 そして、ペレストロイカはおこったのです。 続いてソビエトは解体され、東西の冷戦は終結し、
核への忌避意識は、今や地球市民の一人一人の意識レベルに達しています。 

 現在地球上で、これ以上原発をふやそうとし、核廃棄物をこの地震国にためこもうとしてい
る文明国が日本より他にどこにあるでしょうか。 
 
 日本だけが、目先の利益にしか目のいかない政治屋やエゴイストたちしかり、そして自ら
考えようとしない多くの国民たちが、未だ目の醒めていない状態なのです。                    

    
今日の地震による以上の神戸市の崩壊は、原発のあり方と無関係であるとは、思えません。    

     
  ●
 ″新生″神戸への期待
 
 今回この大震災では、神が戸を叩かれるがごとく、まずは神戸が叩かれたわけです。

 しかしこれは、まだ第一次段階ではないでしょうか。新生へ向かわせる為の″破壊の始まり″
かもしれません。

  この神戸の震災を人類への警鐘として、全世界が慎重かつ重大にうけとめ、叡知を集め
て″新生″への道を求めていくことが、人類を地球を救う道ではないでしょうか。 

 それが、これまでと変わりなく恥の上ぬりをするような、意識の変革のないままの都市造りで
は多くの犠牲者は浮かばれなんんじゃないでしょうか。

 神戸の新生こそ人類の新生になるような、今こそ新しくて良き知恵と良き力を結集し、これ
までの古い意識のしがらみから抜け出す時がきていると思うのです。          
     
  
   ● 意識と価値観の転換を

 何度もいうようですが、この震災の意味と気づきを自分の心に深く問いましょう。
 
 21世紀に向けて私たちの意識の深い部分にまで、充分な変革を試みてゆく時がきていると
思われるのです。

 今ここでこそ、新しく21世紀へむけての私たちの意識の目覚め、価値観の転換を試されてい
る時がきていると私には思われます。                   

                            
     ●   想定不可能?
 
 崩れないと思われていた高速道路は無残にも倒れました。新幹線の線路も駅のホームも電

車の高架も崩れ落ちました。 

 古い木造家屋もくずれました。 新しいビルも基礎のいいかげんなものは傾きました。 

 高層ビルも高層の住居も停電や断水ではとても暮らせません。
 
 まさに砂上の楼閣と化しました。 まさに思ってもないこと、万が一のことが起きてしまったの
です。

 人智の及ばないことはおこるのです。 それは、何故でしょうか。

 昔の人は地震のことを″世直し大明神″といいました。

 建物も価値観も全てが覆され、一人一人が揺さぶられ、生き方のみなおしたてなおしがせまら
れる、それが地震だと私は思うのです。

                               
    ●  危機意識あってこそ危機管理

 例えば高層ビルは火事などの緊急時には13〜14階までしか消防の梯子車は届かないと
ききます。
 

 それ以上の緊急避難用エレベーターもビルが傾いては作動しません。 

 又、本来中高層住宅のの生体に及ぼす生理的悪影響もおろそかにできません。 

 この震災時、病院の自家発電も不充分でした。 タンクの水も停電でポンプが作動せず、
水がなくては患者を守ることができません。 

 人工島ポートアイランドも液状化現象で泥水びたしで車が走れませんでした。
  

 今だに地下の配管はズタズタのままで、垂れ流しだそうです。
  人工島に渡る橋もひびだらけになり、島への交通手段のポートライナーや六甲ライナーも夏
まで復旧できそうにありません。 

 そんなわけで、神戸一の規模と近代設備のポートアイランドの市立病院もこの災害時には、
ほとんど役にたちませんでした。 

                         
     ●  沖合の人工島の重みが・・・
 
 ポートアイランドに林立する30階近いマンション群も林立する各企業の高層ビル群も大病院
もホテルも全てが地下の岩盤の上に建てられています。 

 岩盤とはいえ、今回の地震でも証明されたようにもろい断層だらけの阪神淡路の地下の岩盤
は、人工島を作った六甲山の土砂を始め、それらのビル群の膨大な重みを直接に支えるには
荷が重過ぎたのではないでしょうか。 

 そして、東灘区の沖にも同様の広い六甲アイランドができています。

 芦屋浜にも30年前から、又西宮の沖の海もどんどん埋め立てられています。

 私はそれらのそびえたつ高層住宅群の谷間に建つと、周囲の空と海との対比のアンバランスに
めまいがしてきそうです。 誰があのてっぺんに住むんだろうなんてつい思ってしまいます。
      
     ●  岩盤への負担をこれ以上ふやさないで
 
 神戸市はこれら断層上の町として、長年にわたり、あやうい岩盤に与え続けてきた数々の
負担をこれまでに考えたことがあるのでしょうか。 

 地殻とはいえ流れるマントルの上、そのうえ太平洋からの巨大なプレ−トの動きと大陸のプ
レ−トの接点に位置する日本は古来より″地震・雷・火事・親父″といわれていたのです。 

 特に六甲山系は海から押されてもりあがった山ですから、平常でも年に10数cm上昇して
いるそうです。 

 そして、押さえともなる山の裏の土砂はどんどん削られ運ばれて、近年にはいって岩盤に直
接建てていく高層ビルや高層マンションの住宅地が一気にふえました。 そして埋立による人
工島も増え続け海岸線は日に日に様変わりしているのです。                 

     ●  世界一の橋の張力は・・・

 くわえて一年前から世界一の明石大橋(垂水区)のために、その岩盤にはボーリングがなされ、
500mの杭が何本もうちこまれました。

 そのボ−リングの地響きは、とおく、川西市野瀬町のほうまで微弱地震となってあらわれたよう
、市民を悩ませました。

 阪神淡路の海の下の岩盤は、沖合の人工島の重みや世界一の橋の張力も受けながらの青
息吐息です。

 そして、序々に怒りのエネルギー(地のエネルギー)をためてきたと私には思われるのです。 

 地震のすぐ前には、明石の海底から、赤茶けた泥が噴出したともききました。 

 十分に想定される事態ではなかったでしょうか。 幼児の頃の砂場遊びが思い出されます。

 規模こそ違え好き勝手に土を触っていることでは同じようなことだと私には思われます。

     ●  自然からの発信を受けとめて
 
 1カ月前から井戸の水は干上がり(私のいた六甲のマンションも井戸水でした、水位はかなり
低くなっていました。)、地中の生き物もその乱れたエネルギーを感じて逃げ出しました。
 
 うさぎは穴から赤はだかの子をくわえて外に出し、野バトは町から消え、わにも蚕も荒れ狂った
そうです。 

 前夕には一時帯状になった地震雲も出ました。 
この雲は大地の電気エネルギーの強い放射を現わしている層状をとっています。 

 エントロピーは最大になっていたのでしょう。そして、地震の直前白と紫の閃光がきらめきました。 
 耐えに耐えた大地のエネルギーはついに堰をきって爆発させられたのです。 

 
 しかしながら、このような大地への過酷な状況や自然の予兆、様々な生き物からの発信に学ぶ
どころか、復興計画の中には重ねて神戸沖の新空港計画が依然として続行のままなのです。
 

 その豪顔不遜なその考え方に、とても自然への畏敬の思いや狭い人智への反省など全くない
ように思われます。 

 これでは、この提言募集の、自然と人と都市の共生のテ−マも、全くのポ−ズだけにも思われ
かねないでしょう。 

 
   
    ●  超高層の時代は終わった
 
 この上、人工島をふやし空港も設置してゆき、今回、地震に強そうだったからといって岩盤

に直接建つ高層ビルを増やしつづけていくのでしょうか。

 これは原因を省みないまま、岩盤への負担を増す悪循環へと陥っていくのではないでしょうか。

  この心配を素人考えの紀憂とお考えになりますか。 
 
 いえいえ、この度の震災でご覧になったように玄人さんや専門家の、いざという場合への考えが
及ばないことは証明ずみです。 

 それはヘタな知識の枠が想定不可能な場合という発想の邪魔をしていたり、経済優先の社会
に待った!をかけれない御用学者となっているのてはありませんか。 

 経済優先の神戸市に
迎合したのではないかと、私には思われるところです。

 
 行政や官僚主義の方たちのエゴや自己防衛や考えの枠の狭さが、この震災への対応のあり
方、予想外の想定不可能な事態へのあわてぶりに、はっきりとあらわれていると思います。
 

 このうえ、この岩盤に空港計画や震災復興としてますます沢山の高層ビルがたてられた時、
今後再びこのような大地震、不慮の事態がおこらないと誰がいえるのでしょうか。 犠牲になる
のは私たち住民なのです。


 
    ● 今、神戸にいることの責務

 神戸市には、この天災を人災にしてしまった責任があります。 それはまた、そこに住む私た
ち一人一人にも同様の責任があります。 


 私たちには、この度の都市直下型地震の状況を充分に分析、吟味し、反省もして世界に恥じ
ない21世紀を先取りした町づくりをしてゆく責務があると思うのです。 

 この震災を機に世界に誇る神戸になれたら素晴らしいと皆が思っているのではないでしょうか。 

 それには、震災に出あった神戸市民だけでなく、日本の人皆が充分に我が心に問いなおして
″新しい21世紀の世界のあり方、自分自身の生き方、そして、自然と人との関係のあり方、
都市のあり方等″を自ら考え創り出してみることが必要ではないでしょうか。 

 そして又、世界の識者の意見なども充分に検討吟味してみるとよいでしょう。

 新しい皮袋には新しい考え方が必要とされます。 
聖書にあるとおり、先のものは後になり、後のものが先になるのです。 

今こそ新しい感覚で、原点に戻って、未曽有の事態にも対応できる幅広い見方が検討されて
しかるべきでしょう。

 そして、自分たちのすんでいる所は自分たちの意識の反映されるところです。

 一人一人が震災後の町づくりに参画する意識でいてほしいと思います。

                                    
    ●  精神文明と科学文明の融合を
 
 私は、新しい21世紀の世界は、精神文明と物質科学文明の融合された真に実のある輝か

しい文明の夜明けになってほしいとおもうのです。 

 そして、21世紀には、新しい変革した意識で、一人一人が心から喜んで住める町づくりが
なされていければと思うのです。

 この神戸の大震災に学んで、意識の転換がなされるか否かが、21世紀に人類が輝けるか
日本が、新しい意識に参加できるか否かの
″ターニングポイント″になるように私には、
思われます。

 「まず僧侶が怒り、次に天使が怒り、そして神が怒る・・・」これはアメリカの先住民族の
インディアンの予言にあるものだそうです。

 その順番の通り、まずサンフランシスコ、次にロスアンゼルス、そして神戸の順番に地震が
おこり、とうとう最後の神の鉄鎚が下ったのです。 

 意識の転換がせまられているのです。  では新しい意識とは何でしょうか。     

                 
    ● 新しい意識とは
 
 新しい意識とは、地球意識、宇宙意識になることだと私は思っています。 

 それは、心の奥底のところで全ての生命はつながっているという、そのような全てとの一体
感であり、全宇宙との融合した感覚だと思うのです。 

 人類もあらゆる生物、すべての物質と同様であり、全てが対立ではない、融合と共生共存の
世界観をもつことで、21世紀を明るく幸せな世界へと開いてゆけると思うのです。                                 

                          
 それは、これまでの自分中心の自分の欲望だけを満たしてきたようなあり方では決してな
いのです。 
 
 心を忘れ、中身がないまま建物だけ大きく、形骸化した物質文明や、科学だけを突出して追
及してきた科学文明の有り様でもなく、これからは、科学文明と精神文明とのみごとな融合を目
指していくことこそ、新しい意識だと思っています。 

 そして、現在のふりこは精神文明への探究への道のりに向かっています。すべてはバラ
ンスです。 これまでの科学文明へ大きくふってしまったふりこは揺り戻されたのです。  

                         
   ● これからの方向性は

 私たちは過去から未来につながっている生命の一通過点を担っているという意識を常にも

っていたいと思います。 

 この一点から未来へと向かう方向性は、宇宙の摂理・自然の営みに沿った素直な方向性を持
ち、未来の地球に生きる全ての生命に責任ある態度をとってゆきたいと思うのです。 

                               
 新しい意識は、これまでの競争原理や強者の論理、大量生産、拡大成長を目指す方向では
ありません。

 皆との調和とバランス、安定したリサイクル型の経済であり、それぞれの違いを楽しめるもの
となりましょう。 

 又、エネルギー的にも南北融和の形態をとってゆくようになるでしょう。 

全てが対立でなく、互いを尊重し合った協調であり、共存共栄から融和・融合に向かうのです。

                      
   ●  21世紀の先どりを  
 
 このような新しい意識で世界の模範となる町づくりが、この新しく生まれ変わる神戸の私


の住む神戸でなされていくとしたら素晴らしいと思うのです。

 ハイカラな神戸には、震災後の意識もまた21世紀の新しい感覚を先取りしたものにして

ほしいと思います。 

それは、自然と地球と人が共生できる、人も自然も喜びあえる町づくりです。         

                             
 
 そして、これまでの行き過ぎた科学文明のつけを「未来の子供達のお荷物」にさせること


のないよう、今、目覚めたものは、声を集めて、人類のバランスを欠いた発展のコントロー

ルを始めねばならないと思います。


 自ら行き過ぎを是正できる広い視野を育てて、固いエゴもうち壊し、弱いもの、小さいもの

に耳が傾けれる、声なき声が聞ける、心と心の通いあう新しい文明のあり方を自分から作り

出していきましょう。 


 そして自分本来の生き方にめざめた時、自分の住む環境や都市や、街の在り方というもの

にも問いかけ、子供たちの未来にむけても暖かい環境づくりを共に作り出していく時がきてい

ると思うのです。            



    ●   株式会社 神戸         

 何故、株式会社神戸といわれるのでしょう。それは、行政として恥ずかしいことではない
でしょうか。 

 会社は利益がでないと運営ができません。 
でも公共の予算は国民の税金ですから、市民への福利還元が第一の仕事でしょう。 
 
 しかし、市が会社といわれることの背景には、株主になれない人や働けない人にとって居づ
らい神戸ということだったのではないでしょうか。

 それは、今私が問題にしている新しい意識の上では、おかしい状況ではないでしょうか。

 これまで神戸市はそう言われながらいることになんの恥じもなかったかもしれません。 

 しかし、この震災で結局市が会社としてかせいだお金も吐き出すことになったともいえましょう。
 
 しかし、世界からの義援金の2000億円に近いお金も、使い道がまだきまらぬまま、日に1
千万近い利子がついているそうですね。 その利子の運用もすでに計算のうちとか、聞いて
います。

  お金もうけもそれが、本当に生かされて使われて、ガラス張りで皆が納得できることなら、
それなりに素晴らしいと思われます。

  しかし、市民不在の行政や一部のものたちのエゴをみたすような使われようでは、この震災
で自立しつつある市民の目をごまかすことはできないでしょう。 

 行政側は市民の気持ちになってことがあるのでしょうか。市民の声を聞き感じとるのに、自ら街
を歩き、避難所に足を運んだことがおありなのでしょうか。                       
                                                        
  市は人災ともいわれる震災を前にして、これまで突出して走りすぎていた部分の反省などし
たのて゜しょうか。

 作った責任、使った後始末を考えない、経済優先、強者優先、合理化の片面からしか見てこな
かったのではないでしょうか。

  しわよせしていた見えない部分に気づいていなかったことが多々あったのではないでしょうか。                     

                            
    ●  市民の代弁者としての政治を
 
 株式会社とまでいわれてきたこれまでの在り方のなかに、市民一人一人の代弁者代行者と

しての政治であることを忘れ、強者の論理で政治を我がもの顔に牛じってきていたのではあ
りませんか。

  そして今、復興への道も又、同じ意識のままに突き進もうとしているのではないでしょうか。  


 今、政治の場にいる人は、その点を深く反省していただきたいと思うのです。

 政治は特権ではありません。市民の公僕です。

 市民の立場を守るものであって決して、支配したり対立するものではないと思います。


     ● 一人暮らしの高齢者

 たとえば、この度の震災での一人暮らしの高齢者の方々ですが、一人一人の困っている
問題は違うのです。

 勿論、お友達もあり、親戚も身近にいる方はそれなりに助けもありましょう。

 しかし、遠くの親戚より近くの他人です。身近ですぐ対応してあげれて、個々それぞれに違う
ニーズに応じてあげれるボランティアの必要性を今回ほど感じたことはありませんでした。
 

 とくに、避難所にバラバラに収容されて、それまで培ってきた近隣のコミュニュケーションが
分断された状況、震災による非日常性での戸惑い、たよるすべも知らない一人暮らしの方々
に様々な方法を示し、手助けしてあげることは大変に必要なことでしたし、本当に大変喜んで
いただけていると思います。


 これらの方々も、又重ねてあちこちの仮設住宅にバラバラにいくことになるのです。

 知った顔、地域の方々と一緒に仮設に移るわけにはいかないのでしょうか。

 知り合いと離れるのがいやだったり、地元から離れては再び帰ってこれないだろうとかと
思い悩んで、せっかく抽選であたった仮設をことわる方もいらっしゃるのです。

  ほとんどの方は長年住み慣れたところを離れたくないし、又遠い仮設の知らない土地に
一人でいくことを大変不安に思っていらっしゃるのです。                      


     ●  個々に対応できる政治を
 
 行政という大きな組織になりますと、こういう細かな個々に対応することが大変できにく

くなるようです。

 個々の悩みを聞いて対応してあげることが、まるで公平を欠くとでもいう感覚で1人一人の
悩みなど聞く気もないという役所の方も多いようです。

 しかし、それぞれの違う悩みを行政的に十束ひとからげに決めるわけにはいかないことは、
一人一人の話を聞いていると切に思われます。   

                           
 
  又、たとえば、死亡時の給付金が直系だけというのも、遠く離れて、親子が疎遠で、音信

も行き来もろくにしていない、ほおったままだった親でも多額のお金がいただけます。

 一方で、長年たよりそって支えあってきた兄妹でも、片方が亡くなった場合に全く葬式代もで
ないというのでは、どう聞いてもおかしいように思います。

 一人一人の心の訴えや悲しみを共感をもってきいてあげれるのは、ボランティアならでこそ
できることでしょう。そして、おかしいと、行政に対し代弁してあげることも必要なこともあります。

       ●  ボランティアを生かして
 
 そしてこの震災の救援も、行政はおおまかなところに対応するだけでせいいっぱいのよう

で、細やかなところは私たちボランティアにたよっていたと思います。

 だのに残念ながらボランティアからの要請や多少の援助にもこれまで耳をかそうとしません
でした。
 
 しかし、現在はこれまで″お上″であった行政もひっくり返って地に額をつけねばならなく
なるような状況だと思われます。 

 ですから、この震災でのボランティア活動のあり方は、今後の草の根の行政のあり方にとって
力強い味方になれると思います。

                             

 そのためには、行政の方がボランティアのテントに入ってみて、一緒に歩いてみて、その

きめ細やかな必要性に気づかれることが、今後神戸が株式会社といわれないためにも是非と
も必要なことだと強く思われます。 

 これまでの行政の気づかなかった細かなこと、日のあたらない裏の部分、影の部分も充分
に知ってほしいと思われます。

 そのためにも行政が雲の上から市民の立場におりてこられる方策をたてて頂きたいと思います。

そして、今後の行政のあり方も、市民とともに、市民サイドから練りなおされることが今後の重要な
課題でもあると、私には思われます。


        ●  情報を生かして

  又、震災当初、全国から多くの善意の申し出が各役所に届きました。

しかし、役所はとてもそれらに対応するひまがありませんでした。
ですから、せっかくの情報もほったらかしでした。 
 
 それだけでなく、例えば インターネットに全国から「来てください、家も食べ物も提供しま
す。仕事も提供しましょう」と、どんなに多くの救援のメッセージがはいったことか・・・・!!!  

 
 ところが、それらの善意の情報はほとんど″タレナガシ″の状況でした。 私は、灘ボラの
テントにきた時、すぐさまそれらを打ち出してもらい、避難所をまわる時にコピーを配ってまわ
りました。    

 しかし、実際問題としては、目の前の壊れた家に、物に、亡くなった肉親のことで心がいっ
ぱいの被災者にとって、せっかくの善意の情報も今は、それどころではないということも分かり
ました。

 つまり、送り手と受け手の情報のすれちがいであり、上手にコーディネートする人が全くいな
かったのです。 他にも需要と供給がうまくつながらないことは、沢山ありました。 

 
 私のしりあいが、壊れた家から、一時家具などを避難できるよう、大きな倉庫に話しをつけ
て、役所に連絡したそうですが、返事がこないままに、結局それを被災者たちに伝えることが
できないままに、せっかくの話も生かされなかったということを、後で!!きかされました。 
 
「ボランティアに連絡くれたらよかったのに・・・」と、つい言ってしまいましたよ。 

その時にうまく連絡がとれていたら、どんなに助かった方がいたことかと、後になって大変残念
に思わされたことです。

  そんなふうに、今や情報の時代ですから、情報室というものを設定する必要があるでしょう。

 そして、よこされた情報を逐一、重要視していかしあえるよう、コ−ディネ−トすることが、
こういう非常時には特に大切な仕事となるでしょう。

 「 いかに上手に、必要な時に、必要なところに、伝えるか。」 

これも、これからの災害時には、大変に重要な課題となるだろうと、私には強く思われました。


////////////////////////////////

提言2   1995.3. YUKI.I

■テーマ働の市の目標である協同の町づくり 
 
 神戸市は市民、事業者、市の役割分担のもと、ともに考え、ともに実践する町づくりを目

指しておられるそうです。

 しかし、神戸市の進める町とはどんな町づくりなのでしょうか。

たしかに弱者や小数者もその一員として生きる権利をもっており、尊重される町づくりなの
でしょうか。


  ●提言  働けないものも居心地よく
 
 神戸市では協働の町づくりを目標のテーマとしてあげています。 

 再びこだわりますが、例えば、株式会社では、皆が給料を貰う以上、皆は少なくとも給料分
以上に働かなくては利益もでないから、皆が働くことを前提としている形態でしょう。

                                
 しかし、世間では、いわゆる働いていない人たち、様々な事由で働けない者も多いのです。 
働く気のないもの、やる気をなくした者も多いでしょう。 

 あるいは、育ちつつある幼い子らや青少年たち、子供たちを育くむ者、これまで社会的弱者
であった主婦の立場、働きたくても共に働けない身体や知的や精神的に障害を持つ方も多い
のです。 

 又、芸術を楽しむもの、見えない世界に働きかけたり取り組むもの、ボランティアをするもの、
年をとりそれでなくても肩身が狭く介護を受けるだけの人たち・・・もいます。

  これら通常に加えて、震災で職を失った方々、震災で解雇されたパートの主婦、家を失い
自力の生活の見通しがたたなくなり社会的弱者になった方々、高齢者の方々、親をなくした子
供たち・・・このように、震災は社会的弱者を一挙にふやしました。

 これらの人たちを会社という経済と合理化という目でみた時には、働けない動けない稼げな
い状況では、その存在が軽んじられたりすることがありうる恐れがでてくると思われるのです。      

             

  ●  うろうろ、ぐうたらもありのまま
 
 たとえば、蟻の世界では、働く蟻は2割、ウロウロ蟻が3割、ぐうたら蟻が5割だそうです。

 そこで、その2割りの働く蟻だけを持ってきて観察すると又その中で、同じ割合になるそうです。 

蟻と人間が全く違うとは私は思いません。 人間の世界でも同様のことが
おこり得ると思われます。
 
 
 皆れぞれです。 人はまず何もしないでも存在しているだけで有り難いのです。 

しようにもできなくて黙って寝ておられるだけの方からでも、学ぶこともあり、また要となっておら
れることもあり、励みをいただいていることもあるのです。 

 人それぞれの存在は全て必要性があって、そこにおられるものと私は思っています。 

うろうろでもぐうたらでもありのままを受け入れる。 それが、生命の基本だと思います。
 
それが出発点であって、人なればこそ、そこから自信を得て、その人のペースで自分な
りの道を場所を見つけてゆけるものです。

                              

  ●  小さな共同作業所では


 例えば、知的障害者の方達の自立のための共同作業所などの小さな声にも十分に対
応していただいていますか。 

 前例にないから、決まっていませんから・・・多分行政はこんな声で対応していたのではない
でしょうか。 

 問題が出たときの最善の解決が前例となるものでしょう。

 
 しかし、この度の震災でもまさに前例のないことですから、そういう特別な場合にも相応の
対応と解決をしていただけたのかしらと気になります。 

 学校もはやくに復旧していただけましたね。 協働作業所なども本来行政が率先してケアす
べき活動内容だと思われます。

                         
                          
  ●  ボランティアが細かなフォローを

 今回の灘ボランティアでのJBC(じっちゃんばっちゃんクラブ)の活動をこの2月中ばから
手伝ってきました。 

 ボランティアの学生数が激減しても、それぞれに困っておられる方はおられて対応せねば
ならないことはまだまだ山積みです。 
 
 しかし、区役所のボランティア窓口もまだできず、役所には、ボランティアの必要性と行政の
網の目を粗さへの自覚がおありにならないように思われます。 

 行政の方は雲の上でなく地におりて、泥の中をはいずりにいらしてみてください。 

 そうすれば、行政のきれいごとの影に裏にどんなに多くの問題がおいやられているかわかっ
てこられるのではないでしょうか。

               
  ●  本当に市民とともに考えて欲しい

 行政にとって、この震災はすばらしいチャンスです。 

 本当に市民とともに考え、ともに町づくりをおすすめになるお気持がおありになるなら、それ
ぞれのボランティアのテントで区長さんも一日ボランティアをしてみてください。 

 又、他の方々も何日かボランティア活動に参加してみてください。 

 区役所の建物のなかで待ってるだけでは決してみえてこない市民の生の声が聞ける千歳一
遇のチャンスです。

 ボランティアの集まりの場に役所の方々も謙虚に聞きに学びにいらしてください。

                           
  ●  お上を公僕に転換させて

 ″お上″でいるかぎり、市民からは遊離していく一方だし、市民とともに考えるなんて口

先だけに思われています。

  ましてや黒雲の中で談合しているようでは、青島都知事も横山ノック大坂府知事もでて
くるはずです。 

 ″お上″から″公僕″になり下がってください。 みのるほど地に頭がつきます。 

選挙の時だけ下げる頭だから誰も信用しなくなるのです。 

 ″上″の字をひっくり返して裏からみれば″下″になるでしょう。

 今、地震の意味をよく考えてみてください、驚天動地のことでした。 天がひっくりかえ時です。
 

 そして、ボランティアのテントにいらして下さい。

 一緒に手づから市民の手伝いをしに市民の声を聞きにいってみませんか。 お待ちしています。


  <次の通信では″後半″の復興への具体策などに関してを載せましょう。>

 なお、5月の連休あけから、ボランティアセンターが区役所にできることにな
りました。 学生たちの陳情のたまものです! でもどれだけのコーディネータ
ー役ができるかなんともわかりませんが、できるだけのフォローはしたいと思っ
ています。 私自身は依然、河原のテントで″灘ボランティアJBC″の窓口を
受け持ちながら実働隊として、縁の下の力持ちの活動を続けていくつもりです。
 そして、今後は、潜在ボランティアである主婦たちを引きだし、月一回とか、
週一回という形で、JBCのケアの担当などをまかせていけたらいいなと思った
りしています。 神戸近辺の会員さん、主婦の方々、お友だちをさそって学びに
いらしてください。 どうぞあなたにできる無理のないボランティアのスケジュ
ールをたてて、貴重なボランティアの体験をしに、都賀川の河原のテントに手伝
いにきてください。 池辺までご連絡下さい、よろしくお願いします!!   

/////////////////////////////////

提言3  1995.3. YUKI.I

テーマボランティア
  各区ごとのボランティアセンターとコーデネーターの設置
  親身な訪問ヘルパー制度の再編拡充
  高齢者、障害者に、仮設住宅などへのわかりやすい情報の提供をお願いします
  潜在ボランティアの汲み出しをご案出下さい
   
実際提言を書く時間がありません。

 まだまだ震災後3カ月ではいろいろ書いたり考えたりする気持ちの余裕も時間もありま
せん。

 私も子持ちの専業主婦ですし、こうして2カ月間ボランティアのテントで働いてきました。

 しかし、学生さんたちがどっと少なくなった今、六甲山をのぼりおりしながら、ゆっくり書く
ひまもテントを暖めるひまもありません。

もっと賢そうな学生さんに提言を書くよう薦めてみてもそんなの考えるひまもないやという
のが本音でした。                            

           

 いちど行政が、市民の声を聞く会とか、ボランティアをねぎらう話し合いをかねたバイ

キング!(いつも冷たい弁当それももうすぐ打ちきりとか)でも催してくださったらいいの
にと思います。みんないつも冷たいおにぎりですもの。

 行政って公僕という気持ちよりエリートという意識やお上意識、そして、自己防衛意識
でガチゴチみたいですね。 本当に市民の声を聞く気がおありになるのでしょうか。

    こん回の提言募集もポ−ズだけなんじゃありませんか??!

なまの市民に接してください  
 
 役所が、ボランティアのリーダー会議や全体会にお出になったりすれば、とても役に立
つ情報が満載だとおもいます。

 地震ですべてがひっくり返りました。″お上″もお上意識を捨てて、でんぐりかえって地
べたに寝にきみてください。上下いりまじって融合の時が今きていると思います。

 地震で裏が表に上が下に全てがひっくりかえったのです。

 ですから青島さんもノックさんも浮上してきたんじゃないでしょうか。

 知らないところ見えなかったところをあえてみにきてください。 


市民はまだまだ神戸市を信じています。この大震災で気づいてくださることを切に願ってい
ます。


 2月の寒い日でも若者たちは、テントの中でダンボールをひいて寝袋と毛布1枚で凍え
ていました。 

 4月の新学期が始まった今でも、授業がおわってからものぞきにきてくれます。

 遠くに帰った子も土日にでてきたり、責任あって、気になって電話をくれたりしてくれます。


 4月になってからは、灘ボランティアのテントにも区民センターのお弁当のあまりがなくなり
ました。

 まさに手弁当で、わずかに残った若者たちもどんどん食いぶちでお金も少なくなってきて
います。帰りの旅費のアルバイトをしなくてはならないそうです。

                                 
こころの交流を日常のものに、喜びあえる豊かな街に
  

 行政がおおまかなところにしか目がむかない時、

 わたしたちボランティアのテントでは、一人一人に細かく対応でして、沢山の高齢者や障害
者そして、もちろん多数のお手伝いできた方々に喜んでもらえてよかったなと思います。


 そして、一緒に喜びあえる喜びが又ボランティアの心に暖かい火をともしてくれます。
次の活動のエネルギーになります。                    


 この非日常での助け合い、心の交流が日常のものになってこそ、本当の思いやりのある

町であり心のかよいあう町づくりができると思います。
 
 皆の喜びあえる豊かな町になると思います。

 区ごとのボランティアおかかえ部隊を作ったらいいんですよ。

 そして、ボランティアがおかたい区役所に入るのでなく、区役所がボランティアのテントに出張
すればいいと思います。

                            
 どちらかが先に心をひらけば、相手も開きます。

 ましてや一応上にたっているような、権威のおありになるほうが、自分の殻や枠を壊して、
″お上″から″下僕″″公僕″に転換なされば、市民も心を開き感謝して、ともに喜べる
町づくりへの協力をおしまないでしょう。 
 
 
  神戸市民は皆、神戸が大好きだし、愛しているのですから。

提言(4)    1995.3. YUKI.I

テーマ住宅・環境・土地

エコロジ−の神戸に 

 21世紀の住まいは、地球環境をかんがえたものにならざるをえないでしょう。

 だから、それらの取り組みにはどんどん援助金をつけて、21世紀には省エネ都市
神戸と世界からいってもらえるようなも凡例となってほしいものです。

 省エネの太陽光発電、自家発電。

大地にやさしい合併処理浄化槽や透水性のアスファルトなど。
 
遊びのある生物の喜ぶ川。水は、はるばる淀川からでなく、もっと、考えてみてください。

環境も人が主役でなく、自然を主役にしてこそ、理想の街になると私に
は思われます。

 電力はやはり原発はいやだ! 

 もし、敦賀で地震が起きてたら、神戸のなんのっていってる場合じゃないでしょう、ハワイ
にでも逃げなきゃなりません。

 だから、神戸市として、原発反対にまず取り組んでほしいと思います。

そのためにも是非これを機会に太陽光発電に必要な300万円くらいを設置する家には
全額無利子貸付とかにしてみたらどうだろう。 みんな神戸市をみなおすと思うよ。


水はいのち 

 今回の、地震でも、はやくに水がこなくなったので、消防士さんも、ホ−スをもったまま
歯噛みしていましたね。
 消火活動に関してはまったくの無策でしたね。昔のお江戸の火消しのほうが賢かった
んじゃないでしょうか。

  人が埋まってるのにどんどん火がひろがって・・・生き地獄さながらでした。
 
 さっさと海水でも使えばよかったのにと。消防自動車数台オシャカにしてでも、どんどん
放水したほうがよかったのにと、私は思いましたよ。

 これも、はるばる、日本一汚い川、ガン発生率の高い淀川から、はるばる水をひいてき
ているからこんなことになったんですね。 

 地震の時に西宮や芦屋の南部で、水道管が破損したので、大阪の方で、本管の元栓を
しめてしまったというふうにききましたよ。
 だから、神戸の火災を消せなかったと、もっぱらうわさになっていますよ。

 
 神戸は、宮水をはじめ、船に売る水,パック入りの六甲の水に売る水はいっぱい、あふれ
るほどあるのに、かんじんの市民に飲んでもらう水がないなんて、ほんとおかしいですよ。
 
 そんなケチなことしてるから、あんな火災になってしまったんじゃありませんか。

 ほんとにケチなら、中水道をつくればいいんですよ。この震災を契機に、日本に先がけて、
中水道をためしに試行してみればいいと思いますね。

 又、神戸の水を守る為にも市街地での個別合併浄化槽の設置をすすめてほしいですね。

 下水は雨水管の浸透式でいいだろうから、是非規制を緩和して、市街地でも下水道の未
だのところでも助成金をだしてあげてほしいものです。


  又河川をコンクリートでかためて遊歩道なんてやめてほしい。

川には草はえて虫がいて、魚や小動物がいてあたりまえだから、人間のつごうのようように
自然を刻んで、
コンクリ−ト化するのは、もうやめてほしい。 本当の川を取り戻してほしい。

● いろいろ考えて

 この度の地震でもわかったように、水がないのも大弱りだけど、ビルって電気がなかっ
たらただのでくの棒、足も棒・・・。

 だから、自家発電、太陽発電、風力、水力・・こまめな発電をどんどん奨励金をだして
関西電力をものともとせずにとりくんでほしいものです。



 宙に重いものを動かす事事態、不自然なことです。

ですから、電車は地を走るほうが安全ですね。

非常事態がおきても被害が最小限になることも考えたいものです。

又、阪神高速も湾岸線をのばせば、住宅地の隣接での大型トラック等の幹線道路の公害問題
も少なくなるでしょう。                                

  
 
 世界一の明石大橋だって岩盤に500m以上も何十本も打ちこんでいるのを皆知っています。

 それが、この地震の引きがねではなかったって誰がいえるでしょうか。

 毎年せりあがっている六甲山の裏山を大量にけずって、海を埋め、住宅地を広げてゆく・・・

そんなに自然を破壊していて、常識では、産土の神さまがお怒りになったって誰でもが感じるとこ
ろだと思います。


 すべての生きとし生けるものがよろこびあえる街に生まれ変わって欲しい。

 あの大震災のおかげで、5500人もの尊い犠牲のおかげで、こんな素敵な町に生まれ変わ
ったと、神戸市民が誇りに思える、暖かい血の通った町づくりをしていただきたいと思います。



提言(5) 
 1995.4. YUKI.I

前号では、この震災の意味を問い、復興の理念、及び意識と価値観の転換の必要
のあることを述べました。 今、神戸の復興が、21世紀に向けて新しい意識で
なされることを多くのもの(人・あらゆる生物・地球・宇宙)は願っています。
 人間本来の人と人のふれあえる神戸。 自然への畏敬の念を持って、自然と共
生できる、21世紀に先だって世界の模範となれるような神戸。 そのような″
新生神戸″となれるか否か、世界は今神戸に注目しています。 そして又神戸に
住み地震に出会ったものは、自らのありようを問いなおす責務があると思われま
す。 それには、地震で物質的なものの枠組みが崩壊したように、私たちの意識
の枠も今一度壊してくつがえして原点に戻って、新たに組みたてなおしていく必
要性があると私は思うのです。
復興計画案は市民と十分な話し合いを・・・

復興10年計画をたった5カ月で?!
 
 今、阪神淡路大震災の復興本部は、来年度の国家予算獲得のために急いで、10年にわた

る復興計画を打ち出そうとしています。 

 しかし、まだ地震後の事務的な調整も避難所の方々の問題も解決できていない混乱の中で、
あわてて復興計画を出そうとしていること事体に大変無理がある状況です。  


 
 それもたった3回の復興計画審議会(次回は6月28日)で決定しようとしています。 


 その内容も多くの市民やボランティア、各界で地震に関して様々な声をだしている方々の声を
よく聞き解答するなかで作りだしてゆこうとする姿勢では全くありません。 
 

 そこには、いかに役所側の考えを「聞かそう」という、或は

「一応皆の意見を聞いたというポーズにしておこう」という住民軽視の様子がありありと見て
とれるのです。 



復興計画は住民の気持ちとともに

 
 市の姿勢には、残念ながら本気で市民側の真剣な思いや願いを理解し検討してみようとい
う謙虚
さはみられません。 

 子供みたいに自分のいうことだけを聞いてもらおうということだけに心をくだいているかのよう
にみえます。
 
 そして、役所側の計画の中に皆の言葉を用いて表面だけを粉飾しようかという様子にさえ見え
るのです。 つまり計画案は仏つくって魂いれずになっていると思うのです。 
 
 それは、そもそも作る時に地域の住民が一緒に参加できていないことが、できたものに現れて
いると思うのです。 市民不在の計画って一体何なのでしょうか。 

 行政は市民を自分の持ち駒ぐらいにしか考えていないのでしょうか。



これまでの反省があってこそ
 
 復興計画案がたとえ先にむけて言葉だけ耳ざわりのよいものになっていても、

そこに何故ここまでの大きな災害へとつながったかという厳しい反省の色がないなら、
全く絵にかいた餅にしかすぎません。
 
  実際に現場の体験のない、心から反省の気持ちのないものが、言葉だけで操った頭でっ
かちの計画のように私には思えます。 
 
 それに実際に今、復興の過程でなされている状況は一体なんなのでしょうか。
 
 神戸市のかかげた理念などまるで実践されていないようにみうけられます。 
 本当に市民の立ち場にたった″働き″がされているでしょうか。      

                   
役所は抽選でなく裏工作をしている
 
 仮設入居者の人選も弱者、高齢者を優先だといって、抽選でなく、役所の方々で検討して

いるようですが、そこには、みえみえの作為が感じられるのです。

 例えば、都市計画の地域、復興計画の指定地域となり、火災で多くを焼失した六甲道駅近

辺の避難所では、たくさんのおかしいという声があがっています。 

 何故、年寄りにあたらずに土地持ち、家持ちばかりにあたっているのか、行政が自分のしよ
いように勝手なことをしているという怒りの声をいくつかききました。
 
 又、今避難所では、60才台の人たちがどんどん先に仮設にあたっています。
 
 そして70才台の人が沢山のこっています。又、生活保護や障害者の方々は地域型の共同
住宅に集められています。 

 これでは、さまざまな人たちの助け会う自然なありさまでなく、故意の住みわけがなされてい
くようで、残念に思われます。


大手ゼネコンの独占と横暴をやめさせて

<大手ゼネコンの価格は3割り増し>


 被災者は、明日の希望がもてないままに避難所や仮設住宅で不安な毎日を過ごしています。

 
 又、せっかくローンで買ったマンションが修理にしても何百万単位、たてかえは何千万円とこ
れまでのローンに加え、あらたに二重ローンの負債をおうことになるという、将来への不安は
覆うべくもありません。 それは、一戸建ての方々も同様です。


 しかし、この機会とばかりに、大手建設会社ゼネコンは、まさに独占企業のごとく下受け
にどんどん仕事をやらせています。 
 
  うちでするのでなく、他の業者と比べるのなら査定しませんと、大変に強気です。 
できるだけ安くあげたい庶民もその横暴の前には他に頼るすべもありません。 

一時のバブル時の大手商社と同様です。 対象はアジアの国々でなく、困っている被災者です。

  
 火事場泥棒とも震災太りともとられましょう。なんとかならないものでしょうか。 

 ゼネコンが下請け、孫請けへとまわし手数料をしっかりとるものですから、建築費用がどん
どんけずられて、震災でゼネコンの建てた公舎も沢山倒れたことは多くの知るところです。


 がれきの撤去にしても神戸市は他の市より2倍近く高かったです。 何故でしょうか。


 それらは、全て税金でまかなわれているのです。 

 それが、第2次には、2千円ほど安く設定されました。 するとそれまでの値段は高かったとい
うことでしょう。 するとそれまでの何万件もの差額をもどしていただきたいと思いますね。 
 
 少しずつのことでも、きちんとしてゆかねば、被災者に限らず、庶民はタクシー代ひとつでも、
冷房の電気代も気にかけながら暮らしているのですから。 そのバックだけでも億の金になる
と思われます。    



せめて神戸空港の計画は保留にして下さい!

震災のおかげで神戸は生まれ変わった」 
                    と、 よい意味で喜び合いたいものです


災害緊急用ヘリポートは本土側に
 
 兵庫県は社会経済基盤の復興指針として、空港整備を重点施策として位置づけている。 


 しかし、災害時の空輸の問題についてだけなら、これまでの六甲アイランドやポートアイラ

ンドで十分に可能だと思う。 

 そして、今回の地震で、これらの人工島が孤立したことをよく考えてみなければならないと
思われます。 

 ですから、緊急用のヘリポートなどは、本土側に作った方がよいことは今回のことからも
十分に検討されるべきでしょう。


災害復興を先に 神戸新空港は後で・・・
 
 いわゆる、これを機会に神戸空港の計画を強引に国の補助や援助金を使って押し進めよう

とするなら、ゆゆしき事態だと思う。 

 なぜなら、それは、多くの生活が困窮してきている
被災者たち、これからの生活のメドがたっ
ていない人たちをを忘れている態度にほかならない。と、わたしには思われる。

 もちろん、人だけでなく、自然もものも、全てが、震災から学んだことをふまえて、
二度とおこらぬように対応してゆくのに、まだまだ全精力をついやしていただきたいものと
思われます。 

常時飛行機を利用する、そういう状況を考えるのは,もっともっと、この震災の後遺症を
解決して、多くの人々が

   「震災のおかげで神戸は生まれ変わった」
 
そんなふうにいえるようになってから、 空港のことはもちだしてください。

今でも、堺の関西国際空港に、海を横切って、40分くらいあれば、いけるのではない
ですか?

二重ローンをかかえた人に・・・

 みえる建物だけでなく、もっと、みえにくい、被災者の生活に、目を耳を心をむけてほしいと
思われます。

 今回の地震は、1人1人に、全ての家庭に、大きな負担をおわせました。
ひとり、ほくそえんでいるのは、ゼネコンだけではないでしょうか。

市民は、困っています。 とくに、二重のロ−ンを心ならずもかかえざるをえない状況になる
ような方は、本当に頭をかかえていらっしゃる状況です。

その他にも、どうにも、困ったという方々も多くいらっしゃるでしょう。

市は、その1人1人に取り組むかたちで、多くの義捐金を使っていかれたら、
よいのにと、思われます。

                 ●福祉 教育 経済に関してもしかり・・・・・・

<後記> 

  時間のないままに つらつらと ならべただけとなりました。
 
 巷で、発ガン物質といわれるほこりの中をかけずりまわっている、一主婦のボランティア
 が、いろいろ見、聞きし、感じて、思ったことごとです。

 どうぞ、まとまっていませんが、今後の、神戸市のよりよい気付きと発展のために
 役立てていただけましたらうれしく存じます。

                         灘ボランティアJBC  YUKI.I


政治の貧困  1995.4. YUKI.I

未熟な日本 青島幸夫
 
 政治を一部のものたちのいわば、おもちゃにしているから、今日の東京都の青島幸夫、
大阪府の横山ノック両知事の誕生となったのです。

 今や政治は民意を反映していない、市民、府民、都民の代弁者でなく、雲の上どころか
、黒雲の中の動物園のなかのつかみあい化かしあいの場となり、その中の政治家達は残
念ながらピエロとなり、庶民の敵対者となってしまったのです。                               

 
 青島の意味は″青い島″つまり″未熟な日本″を意味しています。これは、青島さんが

未熟という意味ではなく、今の日本が未熟な島国であることを象徴していると私には、思わ
れるのです。
 
 今ふりあげられた神の手はかつてのものとは″ま反対の方向″に大きく振れているの
です。これはゆさぶりの一過程です。

すべてはくつがえされる 横山ノック・・・

 これまで、裏であり、奥であり、表にでなかったもの、見えていなかったことが全てあら
われてきたのです。 

 地震でみごとにくつがえされたのです。後が前になり、下が上になり、裏が表に、老いが
若きに、若きが老いに全てがひっくりかえされたのです。

                                 

 横山ノックさんもその名のとおり、縦の山が横になり、神の戸はノックされたのです。

 この全てがひっくりかえるときですから、ノックさんのような方でも、知事になれたと
 私には思われます。

 ノックされて、戸が開いて何がでてくるか、正が出るか、邪がでるか?

 それは、この神戸の震災から学んだもの、神戸の復興がどのようなされるかに見られる
だろう、皆の意識の変革であり、高まり如何にかかっていると思われるのです。


 
 地球レベルでの意識、あらゆる生きとし生けるものへの共存、共生の意識のあり方こそ
21世紀にむけての新しい意識レベルであることは周知のことでありましょう。

 
 この震災で、多くの木々は私の知るかぎりでは一本も倒れませんでした。そして、大地

の一揺れで、人間の作ったビルも建物もあっというまに崩されました。

 安心な町・活力ある町・魅力ある町そして、市民・事業者・市が力をあわせて取り組む
協働の町づくりの実現を目指すと、旗だけははためいていますが・・・

 
 町なかにも心のふれあう町、暖かい町づくりというスローガンをみうけます。 しかし、

本当に一人一人が喜びあえるような具体案がなされているのでしょうか。

  自然とともにある町づくりができるとよい。 人以外の生き物たちと共存共生しあって
生きているということを 充分にわかりあえる町になってほしい

 
  植物と土と小動物と鳥たちとともにある町づくり、人だけが住みやすかったり、喜ぶだ

けでない、全ての生き物がよろこびあえる町づくりをしたほうがよい  

           
  
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地震報告第4弾 5月通信
  
    みみずの歌
            
YUKI.I             

 土が  カラカラだ    

 なぜ  なぜ   もう住めないよう
 
 のどもカラカラ   体もヒリヒリ   

 おなかもカラッポ


 出たいよう  出たいよう

 水のあるところへ                    

 行きたい   行きたい   

 湿り気のあるほうへ    


 かたくて   出れないよう

 外は  どこ

 柔らかくて  おいしい

 あの土は  どこへいったの  

      ねえ   なぜなの・・・


 桜の  花の下  

 アスファルトの  地面の上に

 たくさんの   みみずの死体が

 ひからびて  よこたわっていた


    
    みみずの歌に関して           本物を感じる会  YUKI.I


 私が始めて、みみずの死骸に深い印象を受けたのは、今から13年前、東京に住んでいた
頃でした。

 あの時、私は朝早く明治神宮の森の中を散歩していました。競技場の前の広場からわき道

に入ったところのコンクリートの道は、片方は一段上がすぐの芝生で、片方はコンクリートの

深いみぞでした。

ところが、そのみぞに近い方の道の片側に、長くて大きなみみずの死骸がいくつも横たわって
いたのです。

                           

 さくらの花の下、コンクリートの上に横たわっているみみずの死骸をみて、私は絶句しました。 

ああ、なんて人間は傲慢なんだろう・・・と。 

土の中で活躍してくれているみみずにとっては、人間がひとまたぎの溝でさえ、死なねばならな

いほどの大きな障害であることがよ〜く分かったのです。 

みえないみみずの目からみれば、一度降りたみぞの高さは二度と登れない城壁だったのです。 

 
  そして、水の匂いはしていても行き着けない城砦のごとき側溝・・・コンクリートの道の砂漠

にはまってしまったみみずたちは、毎晩何匹もひそやかに息たえていたのです。 

 視点を変え、気持ちをみみずたちのところに置くことでみみずたちの声が聞こえてきます。  

 人間の思いやりのなさの影に、このような犠牲がそれこそ数えきれないほどあるのです。                           

  
                           
 
 人間って本当に、どんなに気をつけてもいても気づけないことが沢山あるだろうに。

 気をつけようとしなかったなら、それこそ もっともっと、こうして知らないうちに多くの生き物を

傷つけ殺してしまっているのに相違ないと、

朝のさわやかな気持ちも一度に重く辛い気持ちになったことが思いだされます。

                                 

 二度目の花の下のみみずたち、これは道のかしこに死んでいるみみずたちでした。 

 神戸にきて3年目の昨年でしたか。 
 
六甲山のあまり人も車も通らないアスファルトの道にみみずの死骸が干からびて散らばってい
ました。

 その無残さに思考は停止しました。 

 なぜ、どうして  ・・・その苦い思いが、このポエムになりました。                               

                              
 
 そして、お気づきかと思いますが、このみみずたちの姿は、今回の大震災で亡くなられた


方々の姿と重なるようです。 

 この5002人もの死者の数、一人一人に沢山の思いがありました。 
 

 そして、この数字には表れていないけれど神戸市だけでもこの2・3月に、後を追うように

震災が原因、あるいは避難所暮らしの寒さが原因の肺炎などで亡くなられたと思われる

千人近い方々がおられます。                         

         

 ミズホの国を支えてきた、水と微生物たちと小動物たち、鳥や虫や獣たち。 

 彼らたちとともに、いや彼らたちのおかげで、私たち人間はこの緑と水の豊かな日本を共

に作り、支えてきたのです。 

 人間でいえば、殿様や武士は刀や権威の脅しで大きな顔をしていたでしょう。 
 
 しかし本当に世の中を支え、周囲を見下している武士や公家たちを支えてきたのは、黙々

と米を育て野菜を育て、土を育て、森を守ってきた、農業や漁業や林業にかかわってこられ

た方々です。

  そして、人間の生命を守り育ててこれたのも、多くの自然の中で共に生きてきた、人間な

んて比じゃないほど多くの生きとし生けるものたちなのです。     

                            
                                 
 私たち人間のエゴの成長もあまりに行き過ぎました。″過度″は″角″となって、地球上

の他の生物をすっかり痛めてきました。

  そして又私たち自身もまた傷つけあっています。

 もうこれだけ好きかってをすれば十分ではないでしょうか。 

 これからは、これまで踏みつけにしてきたものたちに、地面に頭をすりつけて、詫びねばなら

ない時がきたと思うのです。 

 この地震もそれに気づくための大地からのお叱りの揺さぶりではなかったかと私は思うのです。

                             
 

 今まで上にいたものは、今度は下にならねばなりません。 地震で全てはひっくりかえった
のです。 
 
 これまで、下であり影であったものが、エゴを捨てて尽くしてくれていたことに見習わねば
なりません。 

 争いのための角も武器も捨て、自己防衛のための鎧や兜も脱ぎ捨てて、無となって、空となって

地球の全生物とのネットワークの回復のために、人類は今こそ全心全霊で、詫びて尽くす時がき

ていると私は思うのです。 

 これまでの技術と知恵を全て導入して、これからは地球を生かし、全ての生きとし生けるものを

生かすためにこれから人類は、全ての生物の下積みとなって働く時がきたとおもうのです。 

気づきましょう。 目を覚ましましょう。 そして、行動に移す時がきたのです。

////////////////////////////////


 地震報告第5弾     1995.6.1. 6月通信 YUKI.I

 <世状は騒然としています>   
 
 世状は騒然としています。
 その中にまきこまれ、動揺したり心を騒がせるか否かは、
自分の心の持ち方いかんですね。 

 しかし、それは決して目をつむったり、そむけたり、逃げたりすることではないと思い

ます。
 
 今年は乙の亥の年、「乙」は「天干」 天の意をあらわします。そして、「亥」は「十二

支」で地の気をあらわています。

 「乙」はまさに″木の性″。 今年は天から強いメッセージとインスピレーションを受け

取る年でしょう。 ″木″は″気″に通じ、天の意は強くは呼びかけていますが、まだおだ
やかでしょう。 

 しかし、来年、さ来年とつよい″天″の″火性″の年は近づきつつあります。 と、まる

で天気予報みたいですね。これはオウムならずとも易学では、皆の知るところです。



 天の気はめぐる


 
天干は12年を1クールで、60年を還暦とし、又、180年を大きな替わり目としてい

ます。

そして、来年はそれらの大小のクールの重なる、大きな節目であり、激しい性の重な

る時なのです。

 60年単位でみますと昨年の凶作、米騒動も60年ごとにおこってきたものです。米騒動
をはじめ、180年前には、ちょうど天明の大飢饉もおきています。
                                
 
 乙亥の気は、勇猛な猪の意味もあり、正義に富み、他の動物の危急を救い、正直て゜勤勉
で活動的のいみあいがあります。 この分では、まだまだ私のボランティアは続きそうです。
 
 又″地の気″とは、人の世の行いや表れのこと、″亥″は猪突猛進、実直さですが、事故
や障害に出あうことが多いのです。
 
 しかし、しっかりと、おだやかな天の気を受けているなら、めったに危険には遭遇しないかと
は思われます。 しかし、一緒にこの時代に生を受けている身です。 時代の流れの中の大
きな災害や事故にまきこまれてしまうこともあるのです。
 

 
 せんだっての地震で亡くなられた方々、2・3月もいれての6500人もの方々の身におき

たことです。又サリン事件でなくなられた方もそうだと私には思われます。
 
 オウム教とは何か         
 
 地震報告第三弾に、オウムの背後のあやしい黒雲のみえることをいいました。その雲も大

分解明されてきつつあるようですね。 

 私は以前、麻原教祖の写真をみまして、これは違うなと感じていました。 

 それに、まるで政治家が自分と偉い人を並べてとった写真で迫力をつけようとするみたいに、

ヒマラヤでしたか、山の奥のめったに会えない超一流の行者と一緒に修行したといって、なんと

写真が撮ってあるのですもの。  

 おかしいと思いませんか。 カメラマンが同行して修行していたのでしょうか。 

 チベットの奥深くまで、解脱したステージの高い人としか会わないという行者がやすやすとカメラ
に撮られるものでしょうか。

 セルフタイマーだというなら、肖像権の侵害をしているかもしれませんね。 

 ダライ・ラマも麻原教祖の権威づけに利用されていたようですね。



 恐怖と不安をあおる 
 
 オウムは、ハレー彗星が地球にぶつかって世の破滅だといって、恐怖心をあおり、金を集

め石垣島まで信者をつれていき、待ち構えていたそうですね。 

 全く無邪気なものです。 本当に霊力があるなら、信者のマインドコントロールに麻薬を用い
ることなど必要ないはずです。



 いわゆる見えない世界を感じる者としては、″霊覚者″と″霊能者″がいます。 

″霊能者″は、素質があれば、修行して、集中力と技をしればなれます。 

 それなりの力はつくと思われます。 

 しかし″霊能者″では、真の道のわからぬまま、その能力にひきよせられてきた人たちを食

い物にしたり、あらぬ方へとひっぱっていって信者の命を損ない、害を与えてしまうことが多々

あります。 今回のオウムがそうだと思われます。



 ″霊覚者″は真に神と通じているものです。 ″霊能者″のまわりには色々様々な気や雲


がめぐっていますが、″霊覚者″は明るく清新な光が感じられるものです。 

 それは決して、地獄へおちるぞとか、自己嫌悪や罪悪感におちいらせたりとか、恐怖や不安

をあおったりするようなおどしの宗教ではないでしょう。 

 周囲のものに悲しみや怒りを与えたり、宣伝にこれつとめたり、お布施を強要して金もうけをした

り、ましてやラチ監禁して、その上殺したりなんかとんでもない話です。

 神に近づけば近づくほど明るく清明な喜びの中で、落ち着けて、全てに感謝と受容があると

私には思われるのです。


 オウム教の情報操作  

  当会の地震報告第2弾に″地震兵器の可能性も″とのせていたことから、yukiさんオウム

を知ってたのといわれます。
 地震兵器に関してはオウムが言いだしたのではありません。

 
 オウムが言っているとしたら、麻原教祖の霊力ではなくて、私でも聞いたことのある、それを
言っているのだと思います。 
 
 私はオウムと違う他の方々からききました。 元阪大の工学部教授の方から、ロシアが各大
学に折衝にきていたことをききました。 

 又さる古代日本のことで大変にご高名な先生も各方面での講議にその地震兵器のことをおっ
しゃっています。 

 オウムは大変に情報収拾にたけており、そのU先生の講義などの研究も大変熱心にしており、
その内容をわがもの顔にしているらしいです。 

 又ソビエトの軍事機密風なものにも近いらしいので、そちらからの情報もあったのかもしれません。


 軍事機密とは・・
 
 こと宇宙の衛星にかんしては、ソビエトの方が格段にすすんでいます。
 
 先だってから米国の宇宙飛行士がソビエトの衛星にのせてもらっていました。 又この地震を

はさんで、宇宙滞在最長記録も達成していましたね。 

 
 又、高磁気ドームというのをご存じですか。 これもナサでの軍事機密のひとつですが、この

ドームにはいると放射能汚染もなくなり、ガンもよくなるという評判のものです。
 
が、軍事機密ですから、政府要人は入れても、チェルノブイリの子たちは入れないのです。

 戦争のたびに科学力は急激的に増加しし、原爆もできました。

 そして、いまや、中性子爆弾など古くて、地震兵器のひとつプラズマ兵器までさまざまな軍事機

密は一般の情報では伺い知れるところではありません。


 ついでに、次頁に私が昨年の通信2月号でもいっていたことをそのまま少しご披露してお

きましょう。


 又、これはさる大学の地震の研究者の方がおっしゃっていたことですが、東京では、地震

の研究がいつもされています。 そのひとつとして、地殻の断層を調べる方法として、人工的

に地震を起こす方法でしているそうです。
 
  もっとも大分以前の話なので、今も続けて、そこでなさっているかどうかは確かではありま

せんが。 それは、夢の島に2キロほどパイプを掘りまして、ダイナマイトをつめまして、人工

的に地震をおこすのです。
 
 そして、東京都内の各所の校庭にもうけた地震観測器でその地震の伝わり方を測定する

のだそうです。その伝わり加減でどこに断層があるのかを算定するのだそうです。
 
 電話の時報にあわせてスイッチをいれるのだそうですが、現実に夢の島のすぐ上にいる時

はまさに震度5か6の直下型地震と同様だったそうです。
 
 ですから、このようにたびたび人工地震を起こすことは、ある意味では地殻のエントロピー

を下げる役目をするともいえるかもしれません。

 又人間の体が固いようでいて、体の操法などをしてみるとよくわかるように、水はわずかの

エネルギーもそれは微妙に遠くにまで伝 えてくれます。
   
 まさに水の入った皮袋といえます。 地殻も同様だと私は思います。とくに日本のように湿り気の

多いところでは、地殻もマントルという水に浮いた寒天みたいなものだと私には思われるのです。                    


                         
 
  このように、地震兵器でなくとも、人工地震を起こすことは、実は、これまでにもされていたことなのです。

  そもそも原始仏教とは

  しかし、何が彼らを″無差別殺りく″までさせたのか。
 
 もし彼らの言う教義が真に″原始仏典″からひもとかれたものであるなら、そのようなことは
 するはずがないでしょうに・・・・。

 どうも、その教義も、オウムにドブンした、会員さんの話しを聞いてみると、いろんな宗派のよ
 せあつめのようにも聞こえました。
 又、ポアだとか、なんとかは、多分ジャイナ教からひっぱってきたようにも思われます。

 ジャイナ教は、インドにアーリア人が侵入するBC15世紀以前にインドにあった出家して
 苦行をして、解脱するという宗教です。 天界の神々の上に解脱者が永久に住むという独 
 特の世界観をもっているそうです。


バラモン教と釈迦


 しかしアーリア人によってバラモン教がもたらされ、カースト制がはじまりました。

そして、祭祉による儀式やヴェーダンタなど、人間の真我ともいえるアートマンと大宇宙のブラフ
マンが凡我一如として一体のものであるというマクロ的多神信仰的なバラモン教と、ジャイナ教と
はまた違うもののようです。


 釈迦が最初に苦行をしていたのはこのジャイナ教だと思われます。
 
 しかし、釈迦はこのようなありとあらゆる苦行を6年してみたが、これでは悟れないと分かったそ
うです。


すから、本来釈迦のいう仏教は″苦行″を否定するところから始まっています。

 ジャイナ教とは 
 
 
ジャイナ教とは、正見・正知・正行がその教理です。

 そして、ジャイナ教には、5つの大禁戒があります。

 そして、解脱をするには出家するのが正道で、まず5握りの頭髪を自分の頭からむしりとっ
て懺悔せねばなりません。
 
 それから@無害 A真実言 B不盗 C凡行(セックスをしない) D無所得を守らねば

なりません。
 
  無害とは、徹底していて、無意識的にもいっさいの生物を害することを禁じているので、

道ゆくときも微生物さえ殺さぬように箒のようなもので地をはくそうです。 

 ですが、現在でもインドでは衰退した仏教と違って、厳しい戒律と苦行のジャイナ教の信者
は100万をこえ、在家の有力者も多いそうです。


 オウムの麻原教祖はおおよそこの5戒の全てをおかしていたようですね。 
自ら手づかみでむしりとってて懺悔するためにあのボサボサ髪を残してあるのでしょうか。 

 でも、ある無責任の恥を知らない態度ではむしりとる勇気も出ないでしょうね。 

 最終解脱者に食の選り好みがあるというのものもおかしくって・・・。

 又、死の体験と称するものは、肉体の死についての体験のように私には聞こえました。 

 
 肉体を持ってとびあがるのは、肉体への執着がぬけていない証拠だと思います。  

彼ら流にいわせてもらえば、

 ステージが低いので、意識が肉体のそれも低次元から離れれなくて、魂だけで抜けれない

ので、重い肉体をもってあがいているのがあのピョンピョンジャンプだと私には思われます。 


 肉体の苦行がナンセンスであったと釈迦はいっています。

 山に法なし、ダルマは巷にありとよく聞くところです。

 どうぞ、何かを求める方はボランティアに来てみて、ともに喜びのわかちあいをしてみませんか。


 <オウムは現代の縮図>


●差をつけて競わせる


 
かように、オウム真理教は、羊の皮をかぶった狼のごとき感があります。   

 
 そして、教団内のピラミッド構造も全く現代の縮図です。

 1人1人が自分自身の主役であり、1人一人の生命に差はないと思っているわたしにとっては、
笑止千万です。

 ″悟り
″とは差を取り除く″差取り″に通ずると私は思っています。

  ところが逆に、オウムは現代の競争社会を反映するかのように差をつけて、競わせ、官位!
をえさに悪いことをやらせています。

 まさに逆らえない恐怖の集団です。 

現代の受験競争、出世欲がそのままスライドされ、悟りたいという欲をかきたてています。


●昔の赤軍派を思わせます

 
オウムの自作自演の火炎ビンなど・・・?

 私などは昔々、ひよっこの音大生だった頃、ピアノをこわされないようにと、″逆封鎖″をして

学校を守った覚えはあります。(逆封鎖は赤軍派ではありません。
私は一般ノンポリ学生でした) 

 何事も枠の中だけでいるとだんだん先鋭的に狂気になってきますね。
 
 とくに心の内に不安をもっている人はみたされない代償を求めたり、愛情の足りなかった親へ

の敵意を他に置き換えて敵を作ることである意味で安心するのです。 


 ですからオウムもそれと同様の方法をとっていますね。

 外に仮想敵をたえず作っていくことで、信徒の不安をあおり、敵意を育て、不満の解消へとすり

かえををしていたともいえるでしょう。

 信徒には自分のところだけの教義しか聞かせず、他の情報に一切ふれさせず、自分の枠、

教義以外は全てウソだアクマだと、それらにふれれば業を増やし、無間地獄に落ちるとでもい

って脅迫してきたようですね。 これは、宗教の常套手段のようですね。

 良い大学に入ったといわれる彼らも、結局机の上だけ、頭の中だけでの世界にしか住んで
いなかったのでしょう。

 そして、一般社会、現実になじめなくて、教団に入っていたのではないでょうか。

 だすから、私がいつも言っているように、現代社会においては一般の者への情報操作もかなり
のものがあります。

 ですから、全てにみる目、疑問に思う知恵も感性も十分にやしなわねばなりません。

まさにオウムのごとし
 
 
うちの長女がとある有名塾に遊び遊び2年近く通っていました。 子供は望む学校には入


ったのですが、私は確かに失敗したと思いましたね。 

 うちの子はまだ遊び遊びでした。

 同じ年のいとこが、ヒ−フ−と、テストにかけまわっている日曜も、しょっちゅう私といっしょに

畑で芋掘りなどしてましたから。  後になって、塾にいかず、本屋でたちよみもしょっちゅうだ

ったと後でばらしてました。

 それでも、あれだけ本が読めて、生き生きしていたた子が、解答をオウムがえしに言い、短絡

で考えなしで、アニメ好き・・・・にすっかり洗脳されたようです。

 オウムもビデオをごまんとならべ、テープは呪文ののような言葉のくりかえしのようです。

 しかし、今の受験教育や学校教育もこれと同様ではないでしょうか。

 ゆっくりじっくり考えて自分の言葉で語ることをしているでしょうか。 

子供の成長をゆっくり見守り待つことをしているでしょうか。
 
 実体験を積むことをしているでしょうか。 

 とても
とても、内容の複雑さと覚える量の多さで、くりかえしの記憶でほとんど費やしているの

ではないでしょうか。

 
 ●感受性を豊かに・・・

 
 頭で考えることが、全てかのような、まさに知識欲でいっぱいの人がオウムなど新興宗教に

はまってしまうのかもしれません。 
 
 又、広く物事のみれない、枠の狭いい生真面目な方こそ、その新興宗教の膨大な知識を知

れば賢く悟れるかのような錯覚をもってしまうのかもしれません。

 受験勉強と同じになにしろ物心ついていらいの頭の使用パターンなのですから、

オウム返しに記憶するなかで、自分で考えてみること、感じてみることを忘れてしまっているの

ではないでしょうか。 

 今、あたりまえを感じる体験の積みあげの大切さが、忘れられているように思われます。 

悟れるのは、知識でなく、実体験から学べる感受性だと私は思っています。

知識に囚われるのでなく、広く世界に目と心を開き自分自身の感性を大切に生きていきたい

ものです。


/////////////////////////////////

灘ボランティア JBC 4・5・6月  

    ただしYUKI.I個人の行動記録
          (この記録は、YUKI.I個人の防備録です。リ−ダ−なので、必然的に
          JBCの記録にもなっていますが、他のそれぞれに手分けして、
          担当されてボランティアくださった方々の記録には一切ふれて
          いないことをご了承ください。)

 4月にはいって、学生たちがいなくなりました。 これまでの全壊・半壊の家に住む方々
や避難所の方々の担当を残った、M、m、F、A、f、Ad、yuki の7人で決めました。
 テントはすっかり寂しくなり、区民センターからの弁当やパンのさし入れも、行っても
もらえなくなりました。貧乏なボランティア生にとって、食事代がかかるのは痛いところです。


4月3日月 ・六甲山のせんざん荘の盲人の方々4人のつきそい、ワゴンで送迎

       ・王子公園の福祉事務所の送って、地域型仮設申し込みを手伝う。無料パス 
        券ももらう。 あと灘区役所へ送る

  4日火 ・Mさん(灘南 目の不自由な方)と福祉事務所へ行く
        県の福祉協会で白い杖をもらいに行く

  5日水 ・西宮、Mの家とりこわしの手伝い 

  6日木 ・中村JBC(もう大学院生です 忙しいボランティアの最中に受けられたとか)
        吉田病院(三の宮)へHさんの様子をみにいく

       ・2時 中村と区ボラリーダー会に行く

  7日金 ・地震報告第3弾 ″原点″ (4月号通信) 県女センターで刷る
       ・夕方、主査の人が、テントに来る

  9日日 ・衛星看護士の方々5人がテントに来る
          JBC5人と 六甲小 西郷保育所

  10月 ・盲人福祉協会にM用のグッヅをとりにゆく
      ・建築家の奥村さんを呼んで、西灘・灘南の仮設の棚の配置替えして、とりつ
       けををする、ひさしの検討
      ・大型物干しをつくる(灘南6棟)(奥村・竹内・池邊)

  11火 ・テントにヤマギシ会の鬼木さんがくる 灘南の仮設に食料のトラックをまわ
       すことを依頼する
 
  12水 ・Kさん(区民センターの避難所)のひっこし
        実働隊に荷物積み込みを頼む神鋼センターに鍵をとりにいき、六甲アイラ
        ンドの仮設に池邊のワゴンで荷物を運ぶ
      ・NGOボランティアネットワーク会議(県女センター)

  13木 [六甲:本音を語る会と気質人間学]

  14金 ・末沢とテントで仮設改善報告書のうちあわせ(ひさしの件)       
       [宝塚:本音を語る会]                  

  15土 ・人間工学研究所の中川さんと連絡、足だい・手すりの材料を宅配便で送ってくれ
       るそうだ。
       夜:テントで中村と鈴木助教授と話す

  16日 ・一王山・西灘・篠原南の仮設にアンケートを配る           
      ・西灘仮設の三宅さんのタンスを全壊のマンションから仮設に運ぶ
      ・六甲小体育館に河野みどりを訪ねて、赤帽に連絡をとる

  17月 ・Oさんの件、中村弁護士に相談

  18火 ・O(全盲)さん迎えに行く、区役所まで法律相談に行く、しかし今日は登記
       のみの相談だった。

    
  19水 ・Oさんの法律相談を福智に付き添いにいってもらう

  20木 ・Nさん六甲アイランドの仮設にひっこし 赤帽と三宮の荷物だしをする
       川波と行く
      ・灘南にヤマギシの食料品のトラックがくるので待機、手伝う
      ・皆で、灘南の足台のアンケートをとりにまわる

  21金 ・[宝塚:本音を語る会] 
      ・東灘の松本博行建築士にログハウスのことをきく
      ・市の公聴課に″復興への提言″を出す

  22土 [京都:気質人間学講義] 

  23日 ・アンケート回収、池邊は一王山をする

  24月 ・災害援助資金の件について、稗田小の西田、中山に言う
       早瀬、寿公園の地域型住宅があたったこと伝える

  25火 ・[加古川:気質人間学講義]

  26水 ・Oさんの法律相談を納税協会で、ケースワーカーの加藤さんも呼んで一緒
       に相談する
      ・NGO連絡会議に行く
      ・地震報告第4弾 ″みみずの歌″  5月号通信印刷 県立女性センターで
  
  27木 [六甲:本音を語る会(午前)・気質人間学講義(午後)]    

  
  30日 ・一王山の残りのアンケート回収、一王山の仮設調査

      ・東急ハンズに仮設の裏のひさし用の波板やその他を買いにゆく
      ・大工隊 灘南、川端さんの裏のもの干しのひさしをつける

5月 1月 ・大きな、打ちこみようのハンマーを買う(3600円)
      ・大工隊 一王山越智さんのてすりをつけにいく

   2火 ・稗田小、N綾子さんの家(高齢者1人暮らし)にダンボールを持っていき、
       かたづけを手伝う 

       ・中村、野津(もとJBC 今島根の公務員)と話す

   3水 ・都賀川テントでバザー開催
       ・鷹匠中に話をききにいく、茨木の親子たち他と一緒

   4木 ・軽トラックを淡河町の藤井さんに借りにいく、ワゴンを置いておく
       ・一王山の仮設住宅に冷蔵庫を運ぶ
       ・Oさんの屋根のシートはり(中村、野津、福居、皆元と)
       ・ワゴンをとりにゆく
       ・JBCミーティング 

   5金 ・野津・藤本・服部と吉田病院のHさんの見舞いに行く
       ・野津さんと尾崎さんのところに行く
       ・夕方、朝倉さんと皆で河原でパーティー

   7日 ・鷹匠中のSさんを訪ねる
        Yさん(六甲町1丁目)藤原台仮設の方、ひっこしの件で娘さんに連絡する    

   9火 ・NG0へ大工隊の仮設の改善のレポートを出す

  10水 ・NG0仮設住宅分科会(午前)福祉分科会(午後)出席、県福祉センター 
  
  11木 [六甲:本音を語る会(午前)・気質人間学講義(午後)]  


  12金 [宝塚:本音を語る会(午前)・気質人間学講義(午後)]  

  13土 ・S政子さん(1人高齢) 鷹匠中から西神仮設住宅にひっこし手伝い 川波と
       JBCミーティング

  14・15 ・ワゴン車がパンクで動けず         

  17水 ・NG0仮設分科会出席

5月18木 ・NG0仮設連絡会議出席

  20土 ・市役所でボランティア活動者との懇談会に出席

  21日 ・フェニックス県民フォーラム出席、県の公館で

  22月 ・N綾子宅(1人高齢病気)のシートはりとかたづけを手伝う
       N綾子の国玉通りに預けた荷物をとりにゆく
      ・区役所地域福祉課の横山係長と会う

  23火  昼、テントで福智と会う
       ・ 一緒に市社協の主査に会い、灘ボラJBCの存続したい意向を伝える 
       ・ 福祉事務所でケースワーカーの加藤に会い、灘ボラJBCの存続したい意 
       を伝える
       ・Oさん(全盲)の屋根のシートを大にとりかえる
       ・県社協の馬場さんからフォーラムのことの相談をうける

  24水  ・NGO総会、NGO仮設分科会出席   
        ・県社協の馬場さんにSさん(高齢1人全盲)の件OKの返事をいう

  25木  ・島田自宅とりこわしの日 自宅まで送るがつきそうものがいない
       ・[六甲;気質学講義]             
       ・夕方、建築家の吉元にN綾子の半壊の家の様子をみてもらう

  26金 ・朝、Sを海星病院に送る
       [ 宝塚;気質学講義 ]      
       ・午後、神戸市役所で復興審議会を傍聴

  27土 ・西山会館でガイアシンフォニー
      ・JBCミーティング(今後存続が不可能なこと)
      ・灘ボラ全体ミーティング(今後存続が不可能なこと・・) 

  28日 ・吉元、河原と灘南仮設の車椅子の小屋の件で訪ねる
      ・中村・上野・野津と吉田病院にHを訪ねる
      ・県公館の県民フォーラムに出席
      ・夜、テントで皆と会食

   29月 ・10時 コンテナにいく受け付け   前田(後のスタッフ)に連絡とる

   30火 ・10時稗田小に前田と行く 二人仮設にあたる Fハルさんとお茶を飲む
   
   31水 ・地震報告第5弾 ″母″ 6月通信書く  夕方県女

  
 6月 1木 ・県社協のボランティアフォーラム出席  
        ・Sさん(全盲、発言者)の送迎         

    4日 ・稗田小ふれあい訪問  8・9班
        ・避難所連絡会出席

    5月  「第1回 ボランティアしてみませんか」
            灘ホランティアセンターに頼んであったが、81才(今堀後のスタッフ)の
            方一人しか来ず

              一緒に八幡保育所訪問          
        ・大阪カウンセリングセミナー出席

    6火 ・各新聞社に″ボランティアしてみませんか″のファクスを流す
         神戸新聞と毎日新聞にのる。
      

    7水 「第2回 ボランティアしてみませんか」
           13人集まる  仮設訪問 ふれあい隊灘南と西灘  種まき隊
            かたづけ隊はN宅(高齢病弱1人暮し)
          以後スタッフとなってくれる 伊勢、橋本、田口が来てくれる          

    8木 [六甲 本音を語り合う・気質学講義]

    9金 [宝塚 気質学講義]

   10土 [大阪 本町御堂会館 医療セミナ−で、気質人間学講義]

   11日 大工隊 Sさんの車椅子の小屋を作る  夕方テントに行く

   12月 「第3回 ボランティアしてみませんか」   
          15人くる 種提供者:渡辺さん(自然農法・造園業)もきてくれる  
             畑づくり、 種まき隊と ふれあい隊にわかれて仮設へ行く
             かたづけ隊はN宅
             環境整備隊で角ばったじゃりをならして仮設の道を歩きやすくする

   13火 ・午後 がんばろう神戸へ 徳丸さんと行く。              
        ・ふれあいセンターの件を検討 品田助教授に会う        

   14水 「第4回 ボランティアしてみませんか」 27人    
          第1陣 8人
          第2陣 18人  灘南でたねまき隊 とふれあい隊 
           かたづけ隊はM宅
         私はベセルさんと 稗田小を訪問
         午後 大和公園を訪問  障害者支援の会を訪問 
                      
6月 15木 [六甲;気質学講義]

   16金 ・徳丸と仮設の残りの調査 
        ・市社協の主査と話す   
        ・末沢と神大学生とJBCの連携について話す

   17土 ・N宅の荒ゴミをだしにいく
        ・灘ボラ最終ミーティング(神大と協力して灘ボラは存続) 
        ・JBC最終ミーティング(JBCは解散の方向・池邊が主婦達と独立の方向へ)
 
   18日 ・野津さんと OとF宅を訪問
       ・和歌山のガールスカウトの名手さんくる 仮設訪問を依頼

   19月  「第5回 みんな一緒にボランティア」 15人   
          花のたねまき隊  畑づくり隊  道ならし隊  ふれあい隊
          灘南・西灘仮設

   20火 ・区ボラミーティング

   21水  「第6回 みんな一緒にボランティア」  計 28人
       花のたねまき隊  畑づくり隊  道ならし隊  15人    
       ふれあい隊 13人  灘南・西灘仮設
       午後 NGO仮設分科会出席

   22木 ミーティング (灘JBC ひまわりネットワークに改名)
       仮設の担当のうちあわせ(T.t.M.yuki)

   24土 県社協の馬場さんと神戸外大へ  
          ふれあいセンターの件で 県の担当の係長と話す
       灘ボラ全体ミーティング

   25日 yuki 屋久島に飛ぶ
          娘をとりあげてくれた山縣さんの80才の誕生日のお祝いに
          娘と、Hさん、Eさんと一緒に訪ねる

   (( 26月  「第7回 みんな一緒にボランティア」))
   (( T.t.Im.担当 ふれあい隊 10人くらいで西灘・篠原訪問))

   30金 [気質人間学講義]
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ひまわりネットワ−ク  7.8.9月の記録
     
   ただしYUKI.I個人の行動記録
       (この記録は、YUKI.I個人の防備録です。リ−ダ−なので、必然的に
       ひまわりネットワ−クの記録にもなっていますが、他のそれぞれに手分
       けして、担当されてボランティアくださった方々の記録には一切ふれて
       いないことをご了承ください。)

          

 7月 2(日) テントでうちあわせ

       「第8回 ボランティアしてみませんか」大雨警報、中止の電話流す

          雨にもかかわらず、6人来訪       
          ふれあい隊  8人  大雨の中、避難所・テント村を訪問      

    4火 ・Tと毎日新聞社に生命保険有志(MDRT日本会)からボランティアへ
        の寄付金(5万円)うけとりに行く

       ・区社協の主査と話す リスト提出の件依頼を受ける 電話の件も7月中0K
       ・灘南ふれあいセンターの担当を申し出る

    5水 「第9回 ボランティアしてみませんか」 15人
          荒井さんから ひまわりの種と苗を沢山寄付あり 種蒔き隊
          大工隊 足台づくり 5個
          地震報告第6弾 ″無我″ 通信7月号県女で印刷

    6木 [六甲:気質人間学講義]  
       灘南仮設の ″自治会づくりへのよびかけ″を印刷

    7金 灘区役所 横田係長に 仮設住宅(灘南・西灘・篠原・一王山)の名簿を手渡す
       [宝塚;気質人間学講義]

    8土 灘南仮設にブロック12個運ぶ  
        夜:大分、出会いの村の赤嶺と会う


    9日 灘南仮設にアルジェリアテントを建てる 25人くらい
           自立の村 水田・吉田さん 西神戸ボランティアの人
           大分の赤嶺、三村さんと工業高校の生徒たちで8人
           ひまわり10人位      
      
        第1回 灘南仮設自治会づくりへの集会をアルジェリアテントで開く

                50人くらい集まる

   10月 「第10回 ボランティアしてみませんか」
          畑づくり、たねまき隊
          テントに記者や市社協の主査さんが来る

   11火 仮設の第2回集会のビラと 大分で星を見ようの里親協会のパンフを印刷

   12水 「第11回 ボランティアしてみませんか」
         アルジェリアテントのシートはり  12人
         夕方;種蒔き・水やり

   13木 朝 灘南S(全盲)のところへ  [六甲気質学講義]

   14金 ・灘南S宅で県社協の馬場と会う
       ・ふれあいセンターの敷地の件0K
       ・ブリコに大工隊の価格を見にゆく
       ・午後 朝日文化厚生事業団に大工隊の件FAXを送る

   15土 ・記者に灘南の高齢者・障害者など人数の内わけを伝える

   16日 ・トラックで篠原仮設に冷蔵庫・洗濯機・ベッドを運ぶ(神大生、戸嶋さん)
       ・北海道駒沢大の萩原先生と学生たちとじゃり道ならし(灘南・一王山)
       ・墓越さん 棚の計測(一王山)  あと皆で元気村を訪ねる

   17月 「第12回 ボランティアしてみませんか」  17人
         西灘 6組 ふれあい隊 
         灘南 3人 ベルボックスの件
            2人 道をなおす

   18火 ・ボラセンで仮設のミーティング

   19水 「第13回 ボランティアしてみませんか」 17人
          第5次 最終仮設住宅抽選発表
             稗田小2組・福住小1組・灘小1組・鷹匠中3人で
             避難所の様子を聞いてくる
         ・ 大工隊 4人キャンプ新神戸に材木を買い付け
         ・大和仮設の亡くなられた方の荷物をとりにゆく

   20木 [六甲;気質人間学講義]
       ・灘南の自治会のビラ 160枚刷る
       ・大石北町の堀毛さんのところにカセットボンベをとりにゆく(救援物資)

   21金 ・六甲教会ボランティアのMシスター、Oさんに会う T、Mと
        ・教会の方がボランンティアの支援に来てくださることになる
        ・神戸婦人会 リーダー会出席

   22土 ・CCN(市民連絡機構)出席 神戸市福祉交流センターで

   23日 ・吉野から真辺さんが 花の苗と野菜を持ってきてくださる
        駒沢大の萩原先生と鷹匠中の山本さんと畑に苗を植える

7月 24月 「第14回 ボランティアしてみませんか」 10数人
         苗うえ隊 灘南 ・ふれあい隊 篠原仮設

   25火 ・灘南自治会のビラを刷る    

   26水 「第15回 ボランティアしてみませんか」 10人
         篠原・西灘;ふれあい隊とベルボックス      
         大工隊 大型もの干しづくり;灘南

   27木 ・大池の吉田さん 西灘仮設のMキヨノさんの荷物を川西市までとりにいっ
        てくれる

   28金 ・出会いの村大分里親協会のスタッフと被災地の子供たち95人とフェリーで
         大分へ向かう

       [ 大分から、郷里の福山へむかう ]


8月  2水 全体活動日夏休み  
          
           東京の高校生たち来る
             大和町 体の不自由なTさんの家のかたづけ 5名

    3木  高校生と水まき   
         神奈川の高校生と先生に篠原の仮設のベルボックスの調査票をたのむ
         大工隊 大型もの干しづくり 3名

    5土  県のボランティアフォーラム出席 田口、Sと県公館に行く

        被災者井戸端会議出席

    6日  墓越と 一王山棚つけ 2軒

    7月  全体活動日  灘南と篠原 ふれあい訪問  
        灘南自治会に規約の内容設定について話す    

    8火 Nのひっこしだが、車が故障、赤帽を頼む

    9水 全体活動日  篠原・灘南ベルボックス   
       灘ボラミーティング 伊勢さんと出席  夕方NGO幹事会出席

   10木 大分 出あいの村里親協会の子供達がダイヤモンドフェリーで帰ってくる
        港に出迎えに行く  復興の木、150本受け取る     

        ((けやき・かえで等の苗木を150本ほど、都賀川の河原で皆に配る))
        [yukiは信州に行く] 

 14・15・16日 お盆休み
         

   17木 東京の山名さんと篠原にベルボックス訪問
        灘南ベルボックス訪問
        区ボラミーティング出席

   18金  西灘ベルボックス訪問 西灘の天井の落ちそうなのを補強(大工隊)
        午後 元気村でコピー  王子公園のワンコインバザーのビラをはる

   19土  大工隊 篠原仮設 裏のひさしのとりつけ 1軒

   20日  王子公園の″ワンコインバザー″を開催

   21月  全体活動日; テント村 と味泥町仮設住宅のふれあい隊
              大工隊は 篠原の裏のひさしをつける

   22火  山名と娘は六甲庵のバザーの準備のポスターづくりを手伝う

   23水  T宅でミーティング  13名 

   24木  大工隊 ひさしを8個作る
         灘祭りのミーティング

   25金  yuki宅で灘祭りのためのクッキーづくり  六甲庵のバザー 

   26土  県民委員会出席(神戸市は3人)

   27日  灘ボランティア祭り参加 稗田小の校庭で
        吉野から真辺さん、花を持ってきて下さる
        墓越と加藤くん 灘南のもの干しを建てる

   28月  全体活動日休止;                 

   30水  全体活動日;大工隊 王子公園にひさしをつける ふれあい隊も王子公園 
             灘南ふれあいセンターの書類を提出

   31木  神戸ボランティアシンポジウム出席 県民会館ホール


9月 1金  稗田のテント村のテントの補強をする  毎日テレビが取材

   4月  ひまわり全体ミーティング 16人 
       県の復興委員会の青田さんが来る
       NHKの越後さんが取材に来る

   6水  全体活動日 バザーにむけて                    
        味泥町の仮設のかたづけとふれあい訪問  12人
        N綾子と国玉通りに預けた荷物をとりにゆく yukiのワゴンで

   7木  王子公園のMくんのところへふれあい訪問 T.yuki

   8金  福祉事務所に全壊の家に住むYさんの件でケースワーカーに相談する

  10日  灘南 自治会の集会  yuki出席    
        yukiNHKの越後さんと常盤さんと会う
        ひまわりのビラを刷る 

  11月  全体活動日  ふれあい隊  篠原 4人  味泥町 10人
              大工隊 3人は王子公園 資材はyukiのワゴンで運ぶ

  12火  トラックを借りる 伊丹空港に県の救援物資をとりにゆく 
              山本・阪・yuki

  13水 ・トラックを借りる 伊丹空港に県の救援物資のシートをとりにゆく
              yukiと筑波大の人と
      ・全体活動日 ふれあい隊  8人
             篠原と王子公園と味泥町
             大工隊 3人 裏のひさしつけ 資材yukiのワゴンで運ぶ 

  14木  朝王子公園のM君(登校拒否・ひきこもり)をふれあい訪問 T・yuki
       あと福祉事務所で担当のケースワーカーの人とMくんのお父さんと話す

       バザーのビラ作成 味泥町に配る Yとyuki 

  15金  味泥町の仮設に  大阪の武田さんのお世話で、ユニバ−シア−ドの
       使用済み     
        洗濯機と冷蔵庫がそれぞれ30台ずつ到着 橋本 常盤が受け取る

        バザーの材料を買いだし 前田・阪・yuki     

  16土  バザーの物資を運ぶ 橋本とyukiのワゴンで
       夜中 台風の風で灘南のアルジェリアテントが飛ぶ

  17日  味泥町仮設のバザー開催 28人出席 
          姫路からも看護婦さん7人応援

       NHK YUki娘の取材で 地震のことや仮設、バザーなどを取材
       夕方 テントの件で灘の保線区に行く

  18月  灘南の皆さんにタオルを配る 8人
       ハーバーランドのJR西日本におわびに行く
       大阪梅田の西日本貨物におわびに行く 田口・橋本・前田・伊勢・yuki

  19火  ふれあいセンター 開設の件について 
            民生委員の方二人に挨拶に行く yuki

  20水  ひまわり全体ミーティング 13人 
       午後 ふれあいセンター管理運営委員会 田口・前田・yuki

  21木  灘南自治会長と開会式の件うちあわせ 池邊

  22金  テントのあとかたづけ  10人  大型ゴミに出す
       トラックかりる  江阪に不用の家具類をとりにゆく  山本・yuki


  25月  全体活動日  西灘仮設でふれあい訪問  大工隊は篠原
        バザーで予約の扇風機・電気釜をはこぶ yukiのワゴンで

  27水  灘南ふれあいセンター落成式  ひまわり23人出席
          市の地域福祉課長・民生委員・市社協の方々
          住民の方 80人ほど 

  28木  西灘の自治会長と話す  伊勢・山本・yuki

  29金  キャンプ新神戸に木材を買い付け yuki
        トラックを借りる バザーで予約の冷蔵庫・洗濯機(計60台余り)を配る
            各仮設にそれぞれ11台ずつくらい
                   橋本・吉田・伊勢・山本・yuki  



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 仮設住宅に関する取り組み    1995年7月 

 灘地域助けあい ひまわり ネットワーク
 
           代表  YUKI.I    神戸市灘区篠原伯母野山○○○                             
           事務局 HITOMK.T     神戸市灘区○○○

●活動紹介

当ボランティアグループ、灘地域助けあい「ひまわりネットワーク」は、その前身は
「灘ボランティア・JBC(じっちゃんばっちゃんクラブ)」です。 

 7月に入って「JBC」は解散し、それに関わっていた主婦たちで、新たにJBC的活動の
一層の発展を願って灘地域助けあい「ひまわりネットワーク」が結成されました。

  又、これを機会に「灘ボランティア」からも独立しました。    


灘地域助けあい「ひまわりネットワーク」のほとんどは、地元の主婦たちのボランティア
で、現在、総員70人余りで、実働隊員30名余りです。

  そして、灘区の仮設住宅や避難所、テント村などでのさまざまなボランティア活動に取
り組んでいます。



●毎週月・水の午前10時から午後2時までを″全体活動日″としています。

 基本的に灘区民センター横の河原のテント前に集合し、そこから各所に出むきます。

″全体活動日″にはいつも十数人から20人位が集まり、それぞれに分担して活動をして
います。

 又、土日にできる方も、それなりにつごうのつく日にできる活動をお願いしています。 

 他の平日でも、担当をきめてありますので、つごうのつく時に、随意に担当のボランティア
活動をしてまわっていただいています。


私たち主婦は、学生たちがいなくなった5月頃から活動を始め、6月からは、毎週月・水
と活動を続けています。

[活動範囲]
 ただ今、当会のボランティアの活動範囲は灘区の一般仮設住宅(灘南・篠原・西灘・一王
山・王子公園)の全部をうけもって活動をしています。 又、灘区内各所の避難所やテント
にもそれなりにケアにまわっています。       

活動内容: 「ふれあい隊」2人一組で仮設住宅の一人暮らしの高齢者の巡回訪問
                 ほぼ毎週少なくとも2週に一回は高齢者一人暮らしの
                 の気がかりなお宅のふれあい訪問をしています。
                 避難所の方々・テント村の方々の訪問
「たねまき隊」仮設住宅の空き地に花をさかせる(種まき・草ひき)
「大工隊」 仮設住宅に必要な様々の大工仕事
「環境整備隊」仮設住宅の住環境を整える(溝きり・ジャリ道の整備
「かたづけ隊」高齢者の住宅や仮設住宅の荷物の整理ひっこしの手伝
「送り隊」 高齢者・盲人の方々の病院への車での送迎
「おしらせ隊」各所にそれぞれ必要な情報提供など広報活動をする
「たのしみ隊」アルジェリアテントやふれあいセンターを利用しての
          バザーを始め、童謡など歌う会、とかさまざまな企画を催しています

 6月からは「できる範囲で、無理なく、できることから」のモットーで、ボランティア意識を持っ
ている地元の主婦たちに、広く呼びかけました。

 ボランティア活動を日常のものとし、気楽に接していってもらおうと、序々に活動人数をふや
してきています。 

 現在までに来てくださった方々は百名をこえ、スタッフも育ち、地元の主婦たちだけでなく、
男性や仮設住宅の方々も加え、30人余りが常時活動しています。



●前身 「灘ボランティア・JBC」

・代表のyukiは、震災後の2月15日から「灘区災害ボランティア・JBC部門」に参加し、
ずっと高齢者、独居老人を対象としたボランティア活動を続けてきました。

 「JBC」では、当初ケースワーカーや民生委員の方々がほとんど動けない状況の中、
ケースワーカーの方の依頼をうけて、生活保護の方々や障害者や高齢者の方々のケア
から始まったものです。


・しかし、ケースワーカーの方の依頼以外にも、避難所や全壊半壊のお家には、身よりがな
かったり、親戚も遠くて頼る人のいないご高齢の方々が多勢いらっしゃいました。 

 又、全壊・半壊のお家に住んでいらっしゃるご高齢の方で、ご近所の方のみかねての要請
などもあり、そのような方々のケアも引き受けてきました。


・それらの方々は、yukliのファイルだけでも百名以上になりました。

 それらの方々は、これまでは年金暮らしで、お一人で気丈に生きてこられたのですが、
この震災以後、いくあてもなく、今後の生活のみとおしもたたず、いわゆる震災以後に
″社会的弱者″になってしまわれた方々なのです。   

                       
・そのように、不安で心許ない思いをなさっておられる方々への訪問活動を続け、様子を伺
い、いろいろとお話を聞いて、昂ぶったり沈んだりする感情をうけとめる心のケアを行って
きました。 

 又、さまざまに困っておられる問題の解決への手助けもしてきました。   

           
・具体的には、水汲み、病院の送迎・見舞い、種々の証明書をとりにいく、病院への薬とり、
ゴミ出し、荒ゴミ出し、家事手伝い(ごはんづくりの指導、掃除、・・・)、荷物のかたづけ、
福祉事務所(震災で動物園の方に移転)への送迎、盲人福祉協会のグッヅの配達、
盲人の方の手をひいての先導、ヘルパー要請のための保健婦さんケースワーカーさんへの
とりつぎ、遠い近親者への連絡や相談にのったり、入院の手配、法律相談へのつきそい、
土地問題・解体問題へのお世話、ケースワーカーさんへのとりつぎ、仮設へのひっこしの手
伝いなど、その他いろいろ・・・・家具をおこしたり、屋根のシートかけ、ひっこしなども・・・・・
灘ボランティアの実働隊の助けも得ながらしてきました。


・そして、それらの避難所や全壊、半壊住宅にお住まいの方々が、それぞれにあちこちの仮
設住宅にひっこされるにつれて、仮設住宅におけるさまざまな取り組みが必要になってきま
した。 

 そして、仮設への対応は、ふれあい訪問活動だけでなく、大工さん建築士さんを動員して、
学生たちの応援も得ながら、仮設住宅を住みよくするための改善への様々な取り組みもして
きました。



○仮設住宅への取り組みソフト面)

  ・ふれあい隊で、2人一組で、ふれあい訪問をしている。 灘地域の全仮設を受け持ち
   大体週に一度は、気になる高齢者・一人暮らし・病弱者を訪ねれるようなペースで巡
   回訪問をしている。 そこでいろいろと様子をおききしたり、ゆっくり話相手をし 
   いる。 そして、その話の中からさまざまな問題点をくみだす。         
           
  ・ふれあい隊の訪問活動で、でてきたさまざまな問題を当会のそれぞれの部隊にふりわ
   けて、問題の解決をはかっていく。 

  ・問題によっては、行政機関・市の仮設担当部署に連絡したり、区役所の地域福祉課や
   保健婦さんに伝えて対応を要請しています。 又、市の社会福祉協議会に伝えたり、
   区のボランティアセンターに人員の派遣を要請したり、又ボランティアセンターから
   の依頼を受けたりなどもしています 

  ・他のボランティア団体とも提携しあいながら、さまざまに助けあいながら活動を続け
   ています

  ・救援物資のアルジエリアテントを建てて(灘南仮設)集会所にした。そして、各仮設
   住宅の自治会づくりの手だすけもしている。 又できた自治会と提携して、住みよく
   するための活動を支援している

   
○仮設住宅への取り組み(ハード面)

 急ごしらえの仮設住宅なので、すみごこちの悪い点が多々ありました。 

 灘区の全仮設住宅へのアンケートを実施し、住みごこちの悪い点をいろいろとあげてい
ただきました。


  そして、それぞれの要望に応じて、仮設住宅の改善への取り組みをしてきました。   

  又、現在も巡回訪問のなかででてくる、さまざまな改善要求への対応をしています。  
     
   @ フロ・トイレへ入る段差の解消のための足台を作る
                板を箱型につくる。上に貼る布は パンチカーペット 
                もしくは 東洋リノリウムのNSシート(防水)など 
                         
   A 取っ手のとりつけ(フロ・トイレ)
          高齢者、身体障害者の方々が、フロ・トイレを使いやすくするための
          手すり一軒で2・3カ所いる場合が多い
          取っ手にかんしては、一人一人によりつける位置が使い勝手により違
          ってくるので、個々に対応することが必要とされる        
            材料
           ・ビニールコーティングの鋼管(口径3cm長さ60cm)   
           ・継手のイレクター                     
           ・木の板   取っ手を壁面にしっかりと固定させるため    
              シリコンコーキングを裏の全面塗ってステンの木ネジでとめ
              めボードアンカーで固定してしっかりとめる
           ・木ネジ    
             イレクターをとめるステンの木ネジ(4mm 長さ25mm)
             板を壁にとめるステンの木ネジ (4mm 長さ45mm) 
                          
  B  風呂を利用しやすくする腰かけ用のスノコ 
           風呂おけが深いので、体の不自由な方や高齢者の方がすぐ入るに
            は危ない面がある。 お風呂のフタの部分にとりはずしできる形
            で、すのこの腰かけ状のものを作る。 一旦スノコに腰かけてか
            ら入ったり、スノコに全体重をかけるなりすると、安全で安心し
            て出はいりができる。又シャワーなどもスノコにすわったまま浴
            びることができる

  C  風呂に入りやすくするための踏み台
            すのこ製
                               
  D  和室側からの外への降り口への踏み台                   
        仮設の床面がかなり高いので、裏から外にに降りるにしても、とても足台
        なしには無理 
        ・木での階段状のなり、木でしっかりした箱型を作る
        ・ブロックとコンクリートパネルを組み合わせて作る
                                
  E  玄関から道へのスロープ
         車椅子の方が、利用しやすいように・・・

  F  玄関や裏への出入り口の手すり

  G  高い棚を降ろしたり、配置をかえる     
          木ネジでとめてあったので、芯材の位置を確かめて、電動ドライバーで確
          実にとりつけた。
  H  網棚を吊る 

  I  和室内部や台所内部に棚を設置

  11  物干の庇   
          和室側の、窓の外のそなえつけの物干に雨の時でも安心して干してお
          けるように庇をつけた

  12   外の物干 
           住宅の向きの関係で、物干が北側にあるケース
           がある洗濯も のが乾 かないので、空き地に大型物干を作った(丸太と金具)
           ふとんが干せる物干しを作った     
  13   襖が動かない時の調整
  14   天井がひわって電灯が落ちそうな補強
   15   電灯が落ちてきたので、補強してとりつける
  16   電気のスイッチの位置を変える
  17   目の悪い方のために、電話線をひっかからないように配線をした。 
  18   プロパンガスボンベ置場に鍵のかかるカバーの小屋を作る
  19   車椅子の方のための雨よけの小屋づくり


 ・・・・・・これらを、援助資金のあるうちは、全くのボランティアとして、ただでとりつけさせていただ
いています。 作り方の指導もしています。 お知りになりたい方、とりつけたい方は、ご連絡ください


以上の仮設住宅に関するハ−ド面の支援に対し、朝日ボランティア助成金を50万円いただきました。
この資金を、みなさんの、すこしでも気持ちの良く仮設住まいをしていただくためにお役にたてたいと
思っています。
                              
                                                (文責 YUKI.I )
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地震報告第6弾!   1995.7.3.  YUKI.I
   
  何ものにも  動じない  
 
     

 
 今、私はボランティア活動のなかで、何ものにも動じなくなるよう、日々時々刻々修行を

させていただいています。  日々、気質人間学の実践をさまざまに体験させていただいき
大変楽しんでおります。 

 時々失敗もします。 先日も若い、気質の″辰″の子が、私との意志の疎通を欠いた折
り、母の年にあたる私にむかって、「あんたなあ・・・!!」と暴言を吐いてくれました。


 
 目上もかまわず暴言を吐く″辰″の気質そのままで、私も″辰″をおこらせるような事態

になったことを詫びました。 本人も後で詫びてきましたので、腹は白いとみえました。

 しかし、油断は禁物。 感情は、尾をひきます。 ″辰″はすぐ″戌″になり、腹のなかで

悶々とねります。

 ですから情のこわい″辰も戌″も暖かくきめ細やかに、それも怒らせぬよう、必ずアイメッ
セージで接することが肝要でしょう。 いつも、笑顔と言葉かけの潤滑油をさすのを忘れない
ようにせねばなりません。


 又、情とは″心が青い″と書くようにすみきった空の青もあれば、心が未熟であることも又
示しています。 母が青くて″毒″であるように、心も未熟で青いうちは、毒になりますし

、″情″もつかいようで、すばらしい″薬″にもなれるわけです。


  いつも根の魂の光の意識で対応する

 以前のポエムで述べたように心の原点は″魂″です。 無我であり、光でもあります。

 光と化すには、その意識に少しのエゴも我もなくせねばなれません。 全ての根源は光
のエネルギーにあると、私は思っています。 

 人として、輝きを増すには、体から、感覚器官から心にムクムクとわいてくる黒雲をいか
に晴らすか、散らすかにあります。 

 そして、その黒雲の起こし方も各人各様です。 ですから、人間をみるにも、応対をするの
にも、そのさまざまな気質を知り、相手の気質を見抜くことで、その人の癖や考え方の傾向
性もみえてきます。


 人によっては、その癖や個性を本質ととる人もいますが、癖や個性や性格はまだまだ表面
的なものです。 

 癖を個性とみあやまって、好き放題のばして、あとで泣いている親が、昨今多いようにみう
けられます。

 見えない心や潜在意識、そして、その人の魂の拠り所やお役目、又その背景などその奥
底の方にまでせまっていかねば本質はみえてきません。


 そして、何より原点である光にふれるなら、全てがつながりをもつものであり、全てが響き
あい支えあい助けあって生きていることに気づかされるのです。


 気質に煩わされないで味方につけて
 
 気質というのは、その人が本来生まれながらにもっている性質の傾向性をいいます。

易学などみても、いわゆる運勢などに関して、占いでみますと、かなり当たっているるものも
あるでしょう。

 しかし、いずれも運命論的で、決定事項のようで、その人の努力の方向性、運勢をよくする
方法などは,ほとんどなかったように思います。

 うらなってもらってがっくりしても、だからといって 「どのように対応したらいいのか分から
ない」というのが、一般的な占いでしょう。

  天命を知って、人事を尽くす

 しかし、私にいわせるなら、運勢はみずからが、変えれるのです。

運勢は、みずからの日々の対応の蓄積から、つくられていきます。

しかし、その日々どのようなことを心がけながら蓄積してゆくかで、大違いとなってきます。

 その因果を作り出す自分の気質や、なくて七癖に気がついて、それを良い性能の方へと、
向けるように努力すれば、

 運勢は良いほうへと、めぐってくるものだと私には、思われます。

 人事を尽くして天命を知る、ではなくて、 私からいわせれば、

 自分の持ち前、気質や癖、自分を生かす才能というものをよくわかることが、先なのです。
 
天命をしってから人事を尽くすことこそ、人生を生き生きと楽しく過ごすことになれるのです。

  なくて七癖

 癖は、本人は気付かないものです。

まずは、自分の持ち前の癖を客観的にみれるようになることがいります。 

そして、それが、わかれば、どのようにして、それを消していくかがわかってきます。 

 まずは、人のいろいろな気質や傾向性の違いをしって、その癖や性能を知ることから始め
ます。 

 これが、私のセミナ−の気質人間学の始めです。 

ですから、気質学は、占いではありません。 自分を成熟させていく取り組みなのです。

 自分のなかにどんな気質が隠れているか、それをしっても、癖を改め、性能を生かす
ことは一朝一夕にはいきません。

   人格淘冶

  ”人格淘冶”と、昔からいいました。

それが、気質学を知ってその実践をすることです。

そして、親となっては、子の気質やその傾向性を知って,小さい頃からよく観察し、その

癖が伸ばし放題にならないように気をつけねばなりません。

 また、その性能を信じて、暖かくまたきびしくも、それぞれの気質に応じた指導のあり方

を知って育てていかねばなりません。

 また、なにをするにも、自分自身の気質をしらねば、しらぬまに色眼鏡をかけたままで、

他人を子供をみてしまったり、自分に通用する方法だけをもちいて、育てたりすることに
なりかねません。

 何よりまず、自分の気質をコントロ−ルできるようになってこそ、人の道の第一歩といえ

るかと、私は思っています。

 さてはて、わたしも、自分の気質の癖のままにボランティアをさされているのやら、気質

 を生かしてさせていただいているのやら、これも、ほどほどにせねば、
                                  It is the question?です。 


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地震報告  第7弾! 1995.8.15. YUKI.I 

 1月から半年を過ぎた8月になっても、まだまだ避難所にもテントにも被災者が多勢残っ
ています。                              

●テント村の実態
 7月から、テントの中は暑い日には摂氏45〜50度になります。 

クーラーは電気の容量もあって使えないのです。 赤ちゃんのいる家庭はお向かいの喫茶店
に一日中避難しています。 

あるテント村では、14世帯のテントのうち4世帯しか仮設住宅にあたりませんでした。  

 今回の5次の仮設住宅の最終募集は、避難所の解消がねらいだったらしく、テントの方のあ
たる確率は低かったように思われます。

 又、ある避難所では、行政の書類の手落ちで、選考もされなかったという場合もでたと避難
所連絡会の方からききました。

         
●ある初老の足の不自由な方は・・・

 ある公園内の地域福祉センターにいた10人には全員仮設住宅にあたりました。
 しかし、同じ公園内のテント村で、仮設にあたった方は、ごく一部です。


  そのなかで60才代の男の方が一人、むかいのテントには年老いた母親がいます。 

そして、私が訪問したおり、役所にあたった仮設住宅をことわりにいくとおっしゃっていました。

 というのはテントの近くの自分の土地に10月には家を建てるのだと言って、設計図やその他
いろいろとひっぱりだして見せてくれました。

 ところが、足が悪いので、とても家を建てる現場に仮設住宅からは通えないので、ことわろう
と思っている、と土気色の足をさすりながら話されていました・・

 仮設もそんなに遠いところではないのですが、この方の足になってくださる車のボランティア
が確保できないととてもこの状況では、仮設に行くことは無理だろうなと思わされました。

しかし、年老いた母親のためにも何とか仮設住宅には入って頂きたいものです。

●テントをはった公園に仮設を建てて下さい

 何故、やむおえずテントをはっている公園に相応の仮設を建てて、そのテントの人たちを
住まわせてあげれないのでしょうか。 

 ある公園では、テントに住む人たちをたちのかして、そこに仮設住宅を建てるのに、行政は
「公平をきすため、そのテントの人たちが入れる保証は何もない」と、非情にも言っているのです。 

 テントの方々は、その場所を動けない様々な事情があるから、やむおえないテント生活で
がまんをしているのです。 

テントの方々は切実に、自分たちを入れてくれるなら大いに協力する、と言っているのです。 
だのに、行政は特別の配慮はできないというのです。

 一体、行政って市民のための機関ではないのでしょうか。 市民一人一人のための政治で
はないのですか!?


●真の公平とは・・・
 
 欲しい人に相応に与えることこそ、真の公平ではないでしょうか。

 一人一人の切実な要望にそってかなえる方向で努力してこそ、本当の公平、本当の平等
ではないでしょうか。

 これは、教育のことで考えるとよく分かるのではないでしょうか。

 現在の画一のおしきせの時間割りの押しつけだけで、一日中を費やしてしまう教育は、
本当の意味での教育ではないと私は思っています。 
 
 その子の才能や求める事柄、その子自身が興味を持つものに応じて、一人一人に相応の
配慮をしてゆけることこそ、その子を真に生かし、又大きく育てる本当の教育といえるものと
思うのです。


 行政においても同様に、えこひいきでなく、求める者にはかなえてあげ、黙っている人に
も、本当はどうしたいのと聞いてあげれる、そんな暖かな政治でこそ、市民一人一人が喜び
生かせる政治だと思います。

 ですから、私は今、ボランティアをしているのです。

今の政治に求められない細やかさを補えるのは、一人一人の心とふれあい、結びあえるボラ
ンティアだと思うのです。 

 裏の声、心のうち、本音をきけるのがボランティアだと私は思っています。 

 ですから、雲の中の行政と地上の住民をつなぐものとして、お役にたち、市民の立場で考
えそれを、行政にもわかってもらえるようつなぐ役目。

 それが、今のボランティアだと思うので、現在も必要な活動を続けているのです。


 何故、遠い仮設住宅に入らないのかの、あさ
ってからの大合唱にたいして・・

仮設は仮設にすぎない    

 
 東京でなら、1時間半〜2時間半の通勤などたいした時間ではない、 入居者はあまえて

いる、とよくいわれるところです。 

 しかし家が倒れ、 所有物もなくなり、家族のものの誰かが亡くなった人もいる家庭の状況で
は生活をたてなおせるかどうかと考えるだけでもせいいっぱいです。


 たとえ、経済的や精神的な無理を推して、ひっこしたとしても仮設住居なのです。 

合板一枚で隔てただけの10軒が一棟の長屋ですから、隣の音はつつぬけですし、6畳と4畳半

の2部屋だけでは家具のおき場所もありません。

家族がゆっくりとくつろぐどころか、手足をのばして寝る余裕もありません。
 とても家族一緒に安心して住める住まいではありません。 


●仮設のストレス     
 
 異常に狭いことや、長時間の通勤通学、将来の生活や住まいの不安を始め、 我慢をかさね
てのストレスからは、心身症、あつれき、争いや病気さえやむなくおきてくるでしょう。 

 
 仮設は仮設です。 これまでの家の常識では考えられない住まいです。 
隣家との壁も合板一枚、屋根も雨が降ってもやかましくて寝られないトタン板です。 

そのトタン屋根との間わずか30cmの間においてある薄っぺらの断熱材も専門家にいわせると
何の用もなさない状況・・・。 床下に水はたまり、天井はひわり、電灯も落ちてきて、雨もりもする、
そんなところさえあります。


 たとえどんなに遠くても、念願のマイホームならば、プライバシーもあって、ゆっくりくつろげる
家でしょうから、遠距離通勤もいやされ、家にいることからのストレスなど、とても考えられないでし
ょう。 


 しかし、仮設はマイホームではないのです。 

仮設住居では、長距離の通勤通学に耐えれるほど人間は強くないだろうなと私には思われるの
です。 

 それまでの地域にあっての仮設でこそ、本当の仮設住居であって、たとえ住まいは仮りの
家でも、まずは、安心して、ご近所の同じ顔を見て安心し、又隣近所と相談もしながら、
今後の対策を練ろうかという気になれると思われます。


●生活のたてなおしが先   
 光熱費食費が自前の仮設にも入れない現実


 最後の5次募集の前では、仮設住宅にあたっていない人がほとんどでした。なにしろ、ま
だ3万人近くの人々が避難所にいたわけですから。

 しかし、地元にいて、これまでの商売をもう一度元どおりの軌道にのせ、経済的に安心で
きるようにならなければ、どこであれ仮設に入ろうかという気にならないと断る方も一部い
らっしゃいました。

 地震以後半年そこそこでは、家族のものを地震で失い、職も失い、商売もできず、生活の
たてなおしのみとおしがまだまだつかない方々が少なくないのです。

 今仮設に入居して、何もかも自前になっては、首くくるしかない。 とても生活がなりたたな
いとして、みとおしのつかない家庭がやむなく避難所に残っている場合もあるのです。 


 これからが、一人一人の生活の実態を本音をききながら、民生委員に連絡もし、ケースワ
ーカーなど生活保護のケアが必要な方々もでてくることでしょう。

 細やかなフォローがなされないと、本当に困っている方は食べるものも十分に食べれず、
弱ってしまい、仮設はおば捨て山になってしまうおそれがあります。



●やむなく避難所に残っている人

 最終の仮設住宅5次募集の前に避難所に残っている方々は、いくあてのない人、あるい
自力で出てゆく力のない人たちです。 

 遠い仮設では、とても自力で出てゆくことのできない人たちです。 自力で出れる人はもう
とっくに出ていますし、遠くの仮設に無理してで

も移っています。 
 
 出てゆくあても金も仕事もある人は、とっくに出ました。 

 仕事もあって、生活のみとおしのある方は、一時狭い社宅に入ったり、一時高い賃貸住宅
にはいっても、会社の補助もあったりして、それなりに我慢のしようも、仕事もあるから将来
への希望ももてるでしょう。


 今避難所に残っている人のほとんどは、甘えてでれないのでなく、やむなく残っている人
たちです。

 実際問題として、近場を希望したのに倍率がたかくて、あたらなかった人たちがほとんどです。
あたったのに行ってないという場合は、特別な場合のごく一部の方です。
                          

 例えば、リューマチの重い方が、せっかくポートアイランドの仮設にあたったのですが、横断
歩道が渡りきれないという広い道を前にして、断らざるをえない場合がありました。

そんな場合、ポーアイに来たい人と入れ替えできるように配慮をしてくれればよいのに、それ

はできませんでした。
                             
 そんな一人一人の方々のさまざまな事情をわかろうとせず、ごくごく一部の不心得ものだけを
クローズアップしているようです。(その不心得ものとかの話を直接聞いたのでしょうか、どうして
不心得なのでしょう。 あるいは行政がきちんと不心得だとその方に伝えたのですか、何も伝え
ずによそにいいあっているのでは、なんのことやら、それこそ行政がはっきりとさせるべきことで
しょう)


 そして、避難所にやむなく残っている他の多くの方々まで悪者よばわりする姿勢は、
弱者の気持ちのわからぬ強者の論理といわれてもしかたないと私には,思われます。

 そういう一部だけにスポットをあてて、行政の思惑にそった世論を高めたり、マスコミもお先
棒をかついだり、扇動するような報道の仕方については、十分に自重していただきたいと思
われます。



●土地の投機はやめよう

 だいたい、あさっての山のむこうの方のあちこちに大量に仮設住宅を建てていったのは、
行政なのです。 

 これで、仮設がなくなった時には、又宅地がうむをいわせず増えるというものです。 


 心の奥底に、土地投機の気持ちがなかった、とはいえないのではないですか。
 どこからか、老人用おば捨て施設の用地確保の心配がなくなったという声が聞こえてきます。


 行政にとっては、山林・田畑より住宅地の方が数倍もうかります。

 又、本来、神戸市は、戦後のばかみたいに安い時に、どんどん山野を買い占めました。 

そして、そのただ同然のところをけずって、又海をうめたてるという安あがりのことばかりをして、
私などからいわせれば、ぼろもうけのあぶく銭で、この近代都市を作ってきたわけです。 

ある意味では、運の良い時流にのった経営をしてきたともいえるでしょう。 


 しかし、山野や海をそのように恐れもなくどんどんと削って、埋め立ててきたこと。

 そこには、何でも人間の思うがままにできるという奢りや、行き過ぎがなかったでしょうか。

 
 人間も自然の一部にすぎないという根本のところの考えにたっていなければ、必ずバラン

スは崩れて、破綻するのです。 

 この大震災こそ、その破綻だと私は思っています。(詳しくは4月号の地震報告をお読みください)



市民どうしの自助努力の方策をいろいろと建
てて、行政からの補助をしっかりしてほしい

●賃貸用住宅建築に特別援助を・・・

 
 被災地区で、集合住宅建設や賃貸用の家屋を建てようとする大家に大変に有利な資金の援

助をして、早急に賃貸用住宅建設を促進していただきたい。 

 例えば、ワンフロアーを賃貸にする3階建て住宅などに大幅な資金の援助や家賃をあてにして
のローンを組むことも援助してほしいこと。 

 たとえ、被災地以外でも、この狭い都会では、賃貸用の住宅を建てる場合の優遇措置は十分
に考えられてしかるべきだと思われる。             

    

 持ち家の一戸建ての方々が家を立て直す際「「3階建てを大いに奨励」」すること。
 基礎のしっかりした3階建ては今回の地震にもほとんど影響を受けませんでした。
 だから、建物としても頑丈ではないでしょうか。 

 そして、ワンフロアーをこの震災で家のない方々に貸すよう協力をする家庭には、かなりの
優遇措置がとられるなどの方策をとる。 


  ただで貸すわけではないので、その家賃をローンの支払いにあてれるようにできるわけ
ですから、建てたほうも助かるわけです。 

 そして、高齢で、ローンの支払い能力がないとみなされる持ち家の方もワンフロアーを賃貸
にすることで、支払いもできるわけです。 

 ですから、そのような方々には行政が指導して、ローンが組めるようにして、ローンの利息
も半分くらいにできたらいいですね。

                          
 そうすれば、今回高齢であって立て直す自力のない持ち家の壊れた方や、立て直す気力も
お金もないご高齢の大家さんたちも安心して、自分の住まいもふくむ、賃貸住宅を建てれる
わけです。
 
 どんどん、町に賃貸用住宅がふえれば、仮設の方々も早く帰ってこれるわけです。

 ですから、賃貸用住居を建てることは、被災者の援助にもなり、行政にも協力していただけたと

いうことで、それにみあう十分な資金援助がなされれば、三方とも喜びあえるわけです。

●家賃の補助をしてください
 
 地震以後家賃は高騰しています。 ボランティアでまわっていますと、震災前までの分の

差額のうちのいくらかでも資金援助をしてほしいとの声が多いです。  

 誰も好んでプライバシーもない、神経症にもなりかねない、人としての尊厳のない避難所
暮らしを好んでしているわけではありません。 

 誰しも我慢に我慢を重ねています。 又、やむなく順応したかのように振る舞っている方
がほとんどです。



 賃貸用住居をみると、震災以前は2DKで3〜6・7万円であったものが、今では、10

万以下がほとんどありません。

 ちょっと家族で住もうとすると10数万から20万円近くまでを覚悟せねばなりません。 

雇用も不安定で、夫の仕事がOKでも奥さんのパートが、できない震災後の状況では、
とても高い家賃の住居に入れません。       


 家賃の補助をしてほしいという声を沢山ききます。 なんとかならないものでしょうか。

 行政は民間の賃貸用マンションの家賃補助をするといいました。

 しかし、それは、一件だけ、長田区の20軒そこそこの物件ひとつだけだったと私は記
憶しています。 ひとつだけでもしておけばしたことになるのでしょうか。 

そういう魂胆にさえ思われるほど全くの無策のように私には思われます。

●あるものを有効利用する知恵をしぼって・

 じつは、住居がないないといいながら、私の知っているだけでも、宝塚や芦屋や六甲の高

級マンションはガラ空きのままなのです。 

不動産屋も長年、空き物件を持ったままもてあましています。 


 そういう″億ション″をこの非常事態とて行政が借り上げて、広い広い室内を共同住宅に
してはいかがでしょうか。 

 もちろん、住む人も相応の家賃も払う形で、皆がそれぞれ折りあって、三方一両損という気
持ちで、しかし、三方とも助かるという、そんな皆で助けあう。


 そういう助けあいの気持ちを過去の日本人はもちあわせていたのではないでしょうか。

 今は、忘れていた大事なものを思い出す時なのです。 心の奥深く思いおこして、心に沢山

着ていたものを全て脱ぎ捨てる時だと私はおもうのです。

●とらわれない新しい意識を持って
 
  遠い場所に一戸につき250万円の仮設長屋をたてるなら、4戸につき、1千万円の予算

が出ているわけですから、頭金300万円、家賃30万円でも2年間をクリアできるわけで
す。 

 又入居者が、3・4万円でも払うなら、2年が4年でも住めるわけですから、それな

りにゆっくりと生活のたてなおしができるわけです。

 北欧のケアハウスの先取りです。「やはり神戸、ハイカラなことするわ」と、世界の皆が思っ
てくれるようなことをどんどんしてほしいものです。


 不動産屋だって、一度貸して中古になれば、元の億ションでなく、大幅に値をさげれるの
で、売りやすくなると思うのです。 

バブルの時期の住宅の高騰をいつまでもひきずっているわけにはいかないでしょうに。


 
地震で、全ては覆され、覆いがとられました。 

億ションにエリートさんだけ住まなくても、もっと上下いり交じって、心を広くして、今あるものを
十分に利用しあうことが必要だと私には思われます。

 今あるものを生かす、そういう気持ちが、物だけでなく、人、一人一人の気持ちを尊重しあう、

心と心で理解しあえるそんな社会になっていけるのではないだろうかと私には思われるのです。 

 
それこそ、本来、人に上下はないのです。 又、違うところから学びあえるのです。

 傲慢で、自分が上だと思っていると、聞こえなくなります。

誰しも謙虚でなくては、自分のたりないところに気づけません。

 ましてや、これまで我がもの顔に来た人は、それこそ、ドーンと下にはいつくばってそこから
全てをみなければならないと私には思われるのです                    


●2千億円の救援金の使い道をガラスばりに・・・

  2000億円の震災援助、救援金の使い道をもっと公開し、ガラスばりにしてほしい。

公共の費用を使っての震災用の特別資金もその使い道が妥当であるか否か、もっと公開してい

ただきたいものです。
 
 たとえば、神戸の中央郵便局がつぶれました。 

そして、三の宮の一等地の広い広い敷地を贅沢に使って、平屋の体育館みたいな仮設をズラっ
と並べて建てています。

 そして、なんと、そこは″神鋼″の土地を月に3千万円近い値でかりているのだとききまし
た!!!そんなべらぼうな!! 
 
 一年に3億5千万円、中央郵便局の改修は一年ではすまないでしょう。

″神鋼″はホクホクかもしれませんが、もっと方策はたたなかったのでしょうか。 


 こんなことだから、行政は一部大手企業やゼネコン側と癒着しているといわれかねないの
です。 

市民の税金を使って、一部のものたちだけに震災太りをさせているといわれるのです。

 一時のことですから神戸大や神戸外大の運動場なりの国有地や官有地にたてる方策、


 あるいは、ポーアイなど震災の影響で、空きテナントだらけでビル関連業者も困っている、

そんな空きビルを借りてあげて利用し、民間の援助をするとか今あるものを有効に使うこと
を考えなかったのでしょうか。 

 どこで、義捐金や税金の全くの無駄使いをされていることか! 

議員さんたちの目もどこをみているのでしょうか?

● 行政もシェイプアップを
 
 もっと節約をモットーにする方策はなかったのでしょうか。

 仮設住宅の人に無理矢理、狭いなかに入っていただいてるのに、公けもこれを機に大いに
シェイプアップしてはいかが

でしょうか。                 
 
 例えば、膨大な資料類はコンピューターにうちこんで、どんどん持ち物を少なくすればよいわ
けです。

 又市民にもコンピューターで行政の内容が検索できるように、分かりやすくデータを分類し、
引き出せるようにすればよいわけです。 
 
 これは、あたりまえの情報公開につながるものです。 

そういうコンピューターにうちこめる人なども、パート雇用ができるわけです。 

今後のこともみて、前むきの方向性でいろいろ市民の知恵やアイデアをきいてほしいものと
思われます。         


●行政は公僕です情報公開があたりまえです
 
 今、情報公開について、どうとか、こうとか文句いってしたがらない人たちは、自分たちが
公明正大に対応していないからじゃないでしょうか。 

 自分のしていることに自信がないのですか。 たとえ、これまでに悪習があったとしても反省
をして、過去の悪慣習は過去のこととして、今後しないよう、できないような方策をたてていき、
行政ドグマのよくないものはどんどん捨てていけばいいのですから。 


 人間、三人よれば文珠の知恵、行政サイドでだけ考えるから、市民のための政治なのに、

市民のためでなくなるのです。 

 又、議員は何をしとんのやといいたくなるのですが、それは、今後、震災後に議員になられた
方々の動向を十分に追っていきたいものと思われます。


 かごの中の行政や官僚がクーラーのきいた中で、デスクワークで考えるものと、市民が地

に足のついた暑いテントや仮設の中で汗出しながらの目線で考えることは自ずとちがってくる
ことでしょう。 


 市民の声を知恵を願いを思いを十分に聴いて、共感して、検討していって頂きたいと思います。



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大分出会いの村    1995.8. YUKI.I
  
  ◆水・瑞・霊出づの豊かな大分◆

大きく分かちあう 出会いの村
 大分は、何故オオイタと読むのでしょうか。 私は大きく痛みを分かちあうという、人としての
あり方の原点が″大分″の字に表されていると思うのです。 

 そして、それは、日本の精神の原点でもあるように私には思えるのです。 
又、分かつとは、分かるということでしょう。大なるものが、分かるそれが大分なのかもしれません。


 
私は7月末に95人の被災地の子供たちのホームステイについて大分へ行きました。  

そして、大分里親協力会の安東静夫さんのなさっている″出会いの村″で一泊しました。 

 安東さんは、まえまえから自宅を改造して、″出会いの村″となづけ、民間の国際交流をな

さっていました。 

安東さんのところにショートステイしたハーバード大の学生の書いた本が、安東さんのお宅の
様子をよく伝えています。


  「日本の高校生たち」 スチーブン・ワーデル著  サイマル出版  1600円

大分里親協力会  
 
 そして、安東さんは、この阪神大震災が起きて、何かできることはないかと、大分里親協

力会を呼びかけられました。 

すぐさま子供たちにこちらに避難しませんかという、パンフレットを沢山持って、工業高校の
赤嶺和樹先生たちが神戸にこられました。 

私もボランティアで高羽小学校に行った時、その夢のあふれる善意あふれるパンフレットを
みて、まあ素晴らしい、有り難いことなさってるわ。
 と、強く印象に残っていたことを思いだします。
 でもうちの子は被災したわけじゃないからと遠慮したことも覚えています。


震災当初の多くの善意はどこに・・・
 
 ところが、当初の被災者にとっては、たとえ避難所は辛くても、今、神戸を離れてしまう

だけの心の余裕も勇気もなかったのです。

 震災当初、全国から多くの善意が各役所に届きました。しかし、役所はとてもそれらに対応
するひまがありませんでした。 

 インターネットにも全国から「来てください、家も食べ物も提供します。 仕事も提供しまし
ょう」と、どんなに多くの救援のメッセージがはいったことか・・・・!  

 ところが、それらの善意の情報はほとんど″タレナガシ″の状況でした。 

私は、灘ボラのテントにきた時、すぐさまそれらを打ち出してもらい、避難所をまわる時にコピ
ーを配ってまわりました。    


 しかし、目の前の壊れた家に、物に、亡くなった肉親のことで心がいっぱいの被災者にとって、
せっかくの善意の情報もそれどころではないということが分かりました。 

つまり、情報のすれちがいであり、上手にコーディネートする人が全くいなかったのです。

 他にも需要と供給がうまくつながらないことは、沢山ありました。 


●温泉招待ツアー
 
 というわけで、大分の皆さんの子供をあずかろうという善意の企画も、応募者が一人もい

ませんでした。 

 その時、大分では、沢山の救援物資が集まり、里親制度も203家族、370人の受け入れが
可能な状況になっていたそうです。


 しかし、何とか皆さんに喜んでいただける企画はないかと、″出会いの村″は次に温泉へ

の招待旅行の企画をしました。


 そして、2月10日には、神戸に来て、物資の支給をしたり、里親制度と温泉ツアーの宣

伝をしたそうです。

 又、安東さんは、母親を亡くした赤ちゃんを引き取られて、しばらくの間養育なさっていたそう
です。 その赤ちゃんは、大分で養子希望の話が沢山あったそうですが、結局父親のもとに帰
っていきました。      


 そして、大分では温泉ツアーの無料招待のためのチャリティーバザーを催しました。
 
 資金、物資、スタッフの協力の申し出も沢山あり、寒いさなかの2月24日〜27日には「第

1回阪神・大分温泉交流会」を実施して、180名の参加がありました。 

 これもじつは、250名参加ということで、いろいろと用意や準備をしていたのに、当日に180
名になってしまったのだそうです。


 それも、何か宗教がらみとか思われたり、不安になられたのか、当日キャンセル(といっ
ても本人には無料ですが)が70人もでたそうです。 

 港まで来て戻られた方もあったそうです。 人さまのお世話もなかなかじゃありませんね。 

 又被災地の皆さんも、地震のショックで心も疲れておられ疑心暗鬼にもなられていたのでしょう。 

それだけにのんびり、ゆっくりと休養し、体を暖めてほしかったのです。   


 ところが、それが、大好評で、3月にも50人に限り「第2回 阪神・大分温泉交流会」
を実施されました。

●遠い大分から被災地の救援に・・
 
 そして、春休みには、子供たちのサファリと苺狩りのホームステイの交流会をしました。

 
 又、大分の各所で、被災地の子供たちの絵画・作文展も開催したり、フォルクローレのバ

ンドMAYAのチャリティーライブも開き、利益の約40万円を神戸母子寮の再建費用の救
援金になさったそうです。 

 又、赤嶺先生、三村さんは私たち″ひまわりネットワーク″が灘南の仮設住宅に大きな
アルジェリアテントを建てる時にも、工業高校の生徒たちと一緒にボランティアに来ておられ
て手伝ってくださいました。 私たちとは、それ以来のおつきあいです。


●子供たちのホームステイ

 
 そして、この度、夏休みにたった5千円で、2週間のホームステイを被災地の子供たちの

為に企画してくださいました。 阪神・大分交流会第4弾「久住高原で星を見よう」です。
 
 これにうちの4番目の娘も、ひまわりネットワークのスタッフの田口さんのお子さん2

人も参加しました。 

 そして、私も皆さんに薦めたてまえ、様子伺いに出発の時についてゆくことにしたわけです。

 子供たちが95名、スタッフが10人ほどで大阪南港を夜出航しました。そして、翌朝6時半
大分につきました。


●大分での滞在
 
 夜中、フェリーで熱をだした子の看病についてて、クタクタの私は、翌日、我が子はステ

イ先にすっかりおまかせして″出会いの村″でぐっすりとお昼寝させていただきました。 

 そして、安東さんとゆっくりお話しました。   

 
 翌日は、船のスタッフで一緒だった安部百合子さんの娘さん、由美子さんの車で出かけました。

 茨城県からのボランティアの小野さんと一緒に、高崎山から別府の温泉を見て、湯布岳を見
ながら温泉につかったり、湯布院をひとめぐりしました。


 大分も素晴らしい土地です。 赤い地獄の温泉の隣には、澄みきったマリンブルーの極楽
のような温泉・・・緑豊かで、水清く、湯けむりのあがる大分は明るい日本の原点、まさに
″日本のふるさと″のような気がしました。

 帰り道、日本の八幡様の総帥があると知ってもっともだと思わされました。


 その日の晩は、安部百合子さん親子と船で一緒だったもう一人の安部邦子さん、マミーの
お宅でホームステイの子たちも一緒にお好みやきパーティーとカラオケ大会をしました。 

 ●日本の田舎

 
 翌日は朝はやくから、大分の田舎をゆっくりと散歩しました。 

神戸に来る前に7年間も畑をしていた私にとって、田舎はなつかしくてうれしいものでした。 

私もいずれは、田舎に落ち着いて、ゆっくり、音楽と畑の「晴耕雨弾?!」の生活をしようと
深く心に刻みました。                                 

 
 白いきょうちくとうが今をさかりと木にいっぱい咲いて、はらはらと雪のように舞い落ち

てきます。 

 つゆ草の朝露はきらきらと、日の光を七色に輝き分けて、生命のみずみずしさを謳歌
しています。
 
 深い竹やぶに入ると、はがれた大きな竹の皮が足元にころころところがり、やぶ蚊がゥ
ワーンと顔のまわりをとびかいます。 

チラチラと竹の葉の間からふりそそぐ柔らかな日の光をうけながら、頬にすずやかな風を
感じながら竹やぶをくだると、パッと視界が開けました。 

 目の前には、緑豊かな水田が森の中にひっそりと広がっています。 
 
 白さぎが驚いて飛びたちました。 白い羽根をひろげ、青空を優雅に舞っています。 


 次に森から山ばとが2羽飛びたちました。 風といっしょにくもの糸が顔にかかります。 


 田の水は澄みきって、溝にはとうとうと豊かな水量が流れています。 

 うちで頂く自然農法のお米も毎年大分の山奥から頂いているので、こんなにも大分がな

つかしく思えるのかしらとも思いました。 

 水と緑と田んぼ、それは日本のふるさとの原点でしょう。



●明るく輝く国東半島
 
 
一足さきの帰り道、
わたしは、大分から日 豊線に乗り広島へと向かいました。 国東半島の空は明るく
輝いています。

宇佐駅のプラットホームのポスターがふと目に入り、フッと飛び降りてしまいました。 

丁度今日から夏祭りなのです。 ふだん神社めぐりなどしたことのない私が不思議でした。 

しかし、はるか大分まで、来てしまった何かがあるように感じたのでした。

 宇佐の八幡宮は全国の八幡様の総帥だそうです。 

応神天皇とウケヒの三姫と神宮皇后が祭られています。 

又、他の神社と違って2礼4拍手だそうです。 ″おみくじ″をひくのは子供の時以来かな
と思いながら一つひくと2つの″おみくじ″と宇佐の地主神、北辰様(天御中主命外)の
″お守り″がはいっていました。


●偶然という名の必然

北辰様御加護(幸運)
       (天御中主命外)
由緒宇佐の地主神で星を支配する神
       人々の星のめぐり合わせに幸運をもたらす神として
       古くから信仰を集めております

 やはり、赤嶺和樹先生と偶然出会い、この大分まで来てしまったのは必然だったのでしょうね。
 この北辰様のお蔭だったのでしょう。 本当に素晴らしい出会いを有難うございました。


●おみくじ!              

17番(小吉)  軒のはの 嵐の風はさわげども   春を覚ゆる  家の内哉 
   願い事   思いのままです  他人の世話をよくせよ          
                                      
19番(末吉)  はなされし  かごの小鳥のとりどりに           
                   たのしみおおき   春ののべかな   
   願い事   他人を助けよ  人の助けにて 叶います          
    ・                   
 
 と、まさに今の私にぴったりの運勢のように思われます。(おみくじなんて似たようなものかも)

 しかしながら、まだボランティアを続けている私にとって、大変に力づけていただいた
″おみくじ″でした。 まさに不思議に有り難く思われたことでした。


/////////////////////////////////


地震報告  第8弾  10月通信     YUKI.I 
 
「守られて、人の心の暖かさを知る」

アルジェリアテント焼失顛末記
  
テントが飛んだ
 わすれもしない、9月17日の朝でした。
 私は、前夜に行きそこねたワゴンいっぱいのバザーの品物を17日の朝早く5時すぎに海
に近い味泥町の仮設住宅まで運んでいました。 何の心配もなく・・・。  

 ところが、帰ってまもなくの電話が、同じくワゴンをもち、運搬係りもしてくださってい

る橋本さんからの電話でした。 彼も、その責任感からバザーの品物を朝の6時半ごろアル
ジェリアテントにとりにいってたのでした。

 「YUKIさん、アルジェリアテントが飛びました。」
 「エー・・・」    

悪夢が現実に
 事件は、前日9月16日深夜の11時半頃、今までにない大型台風(これも後で知った)
が、大きく東京の方へとそれていった夜におこりました。

 テントのすぐ横の仮設の方は、自治会長さん宅にテントが飛びそうだと伝えました。 
でも会長さんは、台風もそれたし大丈夫だろうと判断されました。

  又、私も前夜のうちあわせの折り、田口さんに「何が心配ってテントがとばないかとそれ
だけが心配ね」といいながらも

これまでの数回の台風にも心配しながらも大丈夫だったという安心感と、雨には弱いが風
には強いアルジェリアテント(アフリカからの救援物資)という先入観でその不安を打ち消し
ました。

私たちも「でも台風もそれたし、大丈夫よね」と話していたのでした。


テントは風にあおられて架線にショート
 
 ところが、皆の予想を裏切って、みごとあの重い鉄パイプのあれだけ頑丈だったテントは

途中のつぎめから北側がすっかり立ちあがってしまったのでした。 

頑丈な基礎はそのままのこして、深いパイプの接続部分がはずれたのでした。 
 
 そして、隣を走る貨物列車の架線にショートして、燃え上がったのです。

 一番に消火にかけつけてくださった4棟の金沢さんは、それこそ花火みたいにきれいだった
と後で話しておられました。

 ショートの時には、下のフェンスに一瞬1500ボルトの電流も走ったのでした。 

フェンスの金網がとけて穴もあいていました。 しかし、幸いなことに誰もさわったりはしていま
せんでした。

                            
必死の消火活動

 そして、燃えるテントのシートを仮設住宅のみなさんが、バケツリレーで消しとめてくだ

さいました。 

 一番にかけつけて下さった4棟の金沢平二さんは、消火器からの泡も風でよそに飛んでしま
うので、足で懸命に踏んで、消してくださったそうです。 

そして、消防車がかけつけた時には、すっかり消えていたそうです。 

 消防と警察の現場検証には、自治会長さんがたちあってくださり、私には夜中に知らせ
ても今さらどうにもならんことだからとご配慮いただいたそうです。 

でも誰もケガもなく、住宅に燃え移ったりせず、本当に大事にいたらなくてすみました。 

仮設住宅の4棟の皆さんのおかげでした。 皆さんが一体となって、消火活動をしてくださった
のです。 

私はうれしくて、有り難くて涙が出ました。


懸命の修復活動

 そして、それからが、保線の係りの方々の出番だったそうです。 

夜中じゅう、修復作業に多勢の方たちが働いてくださり、切れた架線をつなぎ、朝にはすっ
かり復旧したそうです。 
 
 そして、私が朝、仮設住宅にいった時には、最後にNTTの方たちが5・6棟の電話の

復旧をしていらっしゃいました。 

普段見えない方々が、電気にしろ電話にしろ、困った時にはすぐに出て来られて、修復し
てくださる姿を見て、その有り難い働きにあらためて深く感謝しました。 

 あの地震の時の懸命の復旧作業の様子とも重なって、このあたりまえと思っている便利
な文明社会を支えてくださっているのは、こういう普段は表にでない、多くの方々ななんだ
なとつくづくと思いしりました。

 本当に普段見えていないところの大切さと重要性に今さらながら気づかされ、大変に有り
難く感じられました。


仮設住宅のイベントもあり

  とはいえ、その日は味泥町の仮設住宅のバザーでした。

 「ひまわりネットワーク」がいい出しっぺのバザーで、午後一時からですが、皆は10時ごろ
から準備にかかります。  


  共催の「灘中央地区ボランティア」の常盤さんのほうでも風でテントが一つひっくりかえ

り、今日の店はできるんかいなと心配なさっていたそうです。

 とにかく、ひまわりネットは、店は″ぜんざい″だけで、バザーがメインでしたので、会場
設定と品物をならべるのに皆懸命に動いて下さいました。 

 しかし、私はテントが飛んだ朝だというのに、小4の娘がNHKの「天才てれびくん」の
収録があって、朝8時にうちのマンションの屋上から録画どりがはじまるのです。 
 
 そして、六甲の山をすべったり、遊んだりを撮って、灘南の仮設のご老人を訪ねて、そして、
最後にお母さんのいるバザー会場に来るというセッティングです。 
 

 放映は10月26日(木)夕方6時教育テレビ「天才てれびくん」です。

 ですから、祭りがおわって、5時近くになって、ようやくJRを訪ねていけたのでした。
                                 
お詫びの行脚
 
 まずは当日の朝に消化活動をしてくださった灘南仮設の皆さん方に私がお詫びにまわりま

した。 

 そして、夕方に、スタッフの5人でJRの駅に行って、どうしたらよいのかをききました。 

すると保線の方々のビルを教えていただきました。 そこで、事故の詳細を聞かせていただ
きました。 
 
 何より幸いは夜中であったこと。
 それも引き込み線の貨物の架線であって、山陽本線の方には、たいした支障はなかったこと。 

しかし、貨物列車の方は朝の列車が出れずに待機していたらしいとのことでした・・・汗、汗、汗。

 しかし、補修に関しては、丁度夜の11時頃すぐそばの東灘区でも事故がおこり、保線員の
方々が多数出ておられたので、すぐ補修にまわっていただけたそうです。

 私たちの頭はパニックでした。 


 私ももうこれで、ひまわりネットも解散だな、いやはや最後にバザーのお祭りと架線のショ

ートの花火とでなんと華々しい終わり方かしらとみなで笑ってしまいました。

皆さん方の暖かい心にふれる
 
 そして、翌朝、皆とテント跡の現場に行きました。 

すると市社協の吉原さんたちもこられて、これは天災だし、これにめげず頑張って下さいとなぐさ
めてくださいました。

 そして、朝一番にアポイントメントをとって、その日はまず、神戸のハーバーランドのJR西日本
旅客の方にひまわりのスタッフ5人(田口・前田・伊勢・橋本・yuki)で行きました。 

そして、JR旅客の方々は事故の経緯をおっしゃつた後、有り難いことに、うちの方は実害はあり

ません(そんなことはなかったようですのに・・)と言ってくださいました。      
                       
 夜中に現場に飛んでいかれて、車からおりる時、突風であるけない程だったそうです。 

線路に波板なども飛んできており、いやはや伊勢湾台風クラスの大型だったそうですから、これは
天災ですからしかたありません。

 ただ、貨物さんの架線ですから、そちらの方はわかりませんが、と言われました。 

 そして、最後にエレベーターまできてくださって 「皆さんもボランティアで大変でしょうが、頑張っ
てください」と元気づけてくださいました。


 とても素敵な方々でした。 私たちはどんな難題が出てくるのかとひたすら恐縮していったのが、
地獄に仏とはまさにこの心境でしょう。 とてもとてもうれしかったです。

                          
みるみる仏のお顔に・・・
 次に、さっそく車を神戸において、JRで大阪にむかいました。 

梅田にJR貨物の本社があるのです。 いよいよです。 行く前に皆で昼食をとりました。

 こうして、食堂で食べたのってはじめてだね、と話しました。 いつもテントか、戸外でおにぎり弁
当ですもの。
    


 そして、JR貨物さんに行くと、ぎょうぎょうしく、ファイルをもって、もっ体ぶったふうに並んで入って
こられます。 

こちらは誰それ、こちらは弁護士代理・・・となかなかの凄みで、ああこれは困ったな〜と内心思わ
れました。 

 そして、話をいろいろと始められて、大変問題ありといったふうにもったいぶって話されたのです。 


 そこで、私どもは地域の主婦とシルバーの全くのボランティアのグループであること、

そして、テントの責任は全て私たちにあることなど、そして、思ってもみなかった風であったことなど

を逐一丁寧に申し上げました。 


 すると、あれほど険しかった顔つきが、だんだんと柔らかくなり、目にもやさしい光がさして

きて、目の前の方の顔つきがみるみるうちに変わっていく様子がはっきりとわかりました。    

      
 そして、そういうご事情でしたら、うちの方には実害がなかったことですし!! 

 あとは、JR旅客さんの保線の方々が動いてくださった件の請求がこちらへくることだけが、

気がかりなことです、とだけおっしゃってくださいました。 

 本当に人の顔って、気持ち次第ですっかり変われるものなんですね。 

こちらの気持ちもあったのかもしれませんが、皆もその変化をはっきり見たといっていました。 

 本当に人って、鬼にも仏にも心次第で変われるものなんですね。 

こうして皆さんの暖かい気持ちに触れあえたテントの始末記でした。


人間ってすばらしい

  最後に、橋本さんと二人だけでもう一度JR旅客にとってかえし、貨物の経緯を伝えます


と「それはよかったですね」とわがことのように喜んでくださいました。 
 
 そして「あれは地震と同じ天災ですから、うちの方では一切問うつもりはありませんから」

といって下さいました。

 感謝!感謝! 難あり有り難し、難あってこそ人の心の素晴らしさに気づかされました。


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地震報告 第9弾  1955.11.2. YUKI.I

仮設住宅を支援しているボランティアグループのネットワークで″地元NGO仮
設支援連絡会″というのを作っています。 この文はその会の通信にのせたものの
本稿です。

  じゃりみち通信  仮設支援連絡会会報   
< 仮 設 は 今 (1) >                  
                ひまわりネットワーク代表  YUKI,I 

 ◇灘区編◇
 
 灘区の一般仮設住宅は計10箇所で550戸たらず、又2階建て仮設共同住宅は計450戸位で、
合計千戸を切る位の数です。

 特に灘南と西灘の一般仮設住宅は震災後いち早く、2月末に入居できました。
でもわずか200戸余りですから、その頃まだ避難所での20万近い被災者の方々にとっては焼け
石に水でした。当たった方も人目をしのんでひっこしをされたそうです。


 そして当初は特に高齢者障害の方、母子家庭優先でしたので、灘南仮設では一人暮らしが4分
の1強、60才以上の方が半数をこえています。
 高齢で病弱な体で慣れない、不便な場所で買い物ひとつにも困ったり、妻を亡くされた心労から、
炊事も思うにまかせず、ボランティアの手でひっこしのかたづけや炊事の手伝いなども必要でした。 

 じゃり道はいうまでもありません。 車椅子のタイヤはパンクするし、高齢者や足の不自由な方
はとがった石につっかかって転んでしまいます。
 石をけずると今度は水がたまるから困ると言われます。何故まん中だけでもアスファルトで覆っ
てくれないのかしらと思いやりのなさに腹がたちます。


 弱い者の身になって考えることができなくて、行政は一体誰のためのものかということを改めて
考えさせられてしまいます。
 私たちボランティアにとっても種蒔き隊が種や苗を植えても、外に水道栓が設置していないので
重い水のポリタンクを運ぶのも大変で、水やりもままなりせんでした。

 勿論仮設の方は気持ちよくお水を下さいましたが、花にとっては残念な思いも沢山しました。
 仮設を花いっぱいにして、心のうるおいのお手伝いもしたいと思うのです。そんなボランティアの

小さな願いに行政が耳を貸して下さったらと思われます。 

 
 灘南仮設住宅では7月すぐに集会用のテントを建てて自治会結成の集まりをしました。 
私たちのボランティアに仮設のシルバーの方が大工隊で参加して下さっているので自治会の支援
もスムーズにすすみ、9月には灘区で最初のふれあいセンターができました。
 センターには住民の方のお持ちのカラオケセットも置かれ、ピアノエイドで頼んだピアノも無料で
入りました。



 9月末には、灘南ふれあいセンターの落成式をしました。 
その時は、区の地域福祉課長さんや民生委員の方々をはじめ、近隣の仮設の方々もこられて、
住人の方の詩吟や手品や私のピアノ演奏そして、皆で童謡も歌ってほのぼのとした楽しい会に
なりました。 参加者も80人位でふれあいセンターがいっぱいになりました。


 現在はボランティアから呼びかけて、灘南は勿論、隣りの仮設の方々もワゴンで迎えにいき、
お茶の先生に茶をたてていただいて、お茶会をしておしゃべりしたり、私のピアノと一緒に童謡を
うたったりして楽しく活用しています。 
 休日には昔ながらの紙芝居集団の方々にもきていただきました。 あとカラオケ大会も自治会
主催でしました。


 センターには私たちボランティアが週3日、一人がつめています。 
後の曜日は自治会の方々で管理なさっています。 ほとんど毎日あけておくのだと意気さかんです。
 住民の方も編み物をしたり、おしゃべりをしたりとよくセンターに出入りなさっています。


 今後ふれあいセンターで講師を招いて、趣味の講座を開こうと今アンケートをとっているところで
す。又救援物資を近隣の各仮設に配分できる基地にできたらという意向が前回の運営委員会で決
まりました。 

 西灘仮設も自治会ができています。 篠原公園もようやく結成されました。 
又最終募集の1Kの王子公園仮設の住人の方々に要請されて、私たちひまわりネットワークで元気
村さんの応援を得て集会用のテントを建てました。 
 
 次の日曜日には、神戸友の会の主婦の方と一緒にバザーを開催し、ひまわりも救援物資を配り
ました。 そして、その日の午後にはテントで王子仮設ではじめての住民の集会をもちました。       


 そのテントでふれあいお茶会やバザーをしたり、又子供用の本やおもちゃを置いて遊べるスペー
スにも、又ひまわりの大工隊の工作にも使用させていただきたいと考えています。 

 自治会づくりのプログラムも住民の方々と一緒に既にできています。 

このように住民の方々が、一日でもはやく生活と住まいのそして気持ちの立て直しをなさいますよ
う、私たちボランティアもできるだけお役にたちたいと思って活動を続けています。

  

 
仮設支援連絡会会報
                ( じゃりみち通信に出した原稿・・・) 
   < 仮 設 は 今 (2) >  YUKI.I
◇灘区編◇

 
 今回はボランティアするがわについて話してみようかと思います。  

 
灘区の一般仮設住宅で活動している私たち″ひまわりネットワーク″は、ほとんどが
地元の主婦たちです。 あとフリーライターさんや仮設にもお住まいのシルバーさんたち
が有力メンバーです。 皆、ふれあい隊や大工隊、種まき隊、かたづけ隊等で楽しく活動
を続けています。 


 私たちは仮設住民の方々にとって、安心しておしゃべりのできる隣人に又、信頼できる
友人になろうとしています。 そして住まいを亡くすという大変な目にあわれた方たちに
物心両面からの支援をしようと活動を続けています。 そしてこの取り組みが将来の高齢
化社会での地域のボランティアのモデルになればとも考えています。 


 
 又、ボランティアをしに来られる人も色々様々です。 しかし、そのほとんどは、笑顔の
素敵な、自由で抜けてる(素敵という意味で)人たちです。
 とても楽しいおつきあいをさせていただいています。 やはり、ゆとりがないと人への気
づかいができませんから。 
 
 又、当初カチコチだった人も多くの方々に接しふれあっていくうちにだんだんとその交流
を楽しんで丸くなってこられたり、分かちあう喜びに気づいてこられているようです。 


 
 勿論、私も震災当初は、とても楽しいどころではありませんでした。 やむにやまれぬ
義務感悲愴感で動かされていたように思い出します。 物理的に暖かいおにぎり、熱い
味噌汁、熱いお茶が必要な時でした。 

 私も最初の2週間は子供の小学校に持っていっていましたから、これはどうかしらと思っ
て作って持ってゆくと「まあ、ちょうど欲しいねと言ってたところだったのよ」なんていわれる
と、私の方もハッピーになりましたね。                 

 
 続いて避難所で、ほとんどが年金ぐらしの高齢者の方達の話相手をし問題解決のお手
伝いをしていくなかで、ようやく、ボランティアの楽しみが深く感じられてきたように思われ
ました。 

 それは何かというと、「相手の心に喜びの灯がともる時、同時に自分の心にも
暖かい灯がともる」 ことです。 それこそ、ボランティアの醍醐味だと私は感じています。


 
 ですから、お話していても、感謝の気持ちの少ない方へはついつい足が遠のくようです。
ボランティアだってそんなに人間できてませんから、仕事でしたらがまんしてすることも、
ボランティアでしたら、その点、気が楽ですからね。 むつかしい方は、たいていリ−ダ−
の私の担当になってしまいます。 

 いつか「仮設あってのボランティアでしょう」と言われた時はとても悲しかったですね。 
皆は「何てこと言うんでしょう」と怒ってましたが、私はこんな風に言わせた私達の不明

を恥じました。 
 そして私たちが、誠意や奉仕の内容をわかってもらうという努力をおこたっていたから
だと反省しました。 その方はふれあいセンターがボランティアセンターだと思い込んで
おられたのでした。 なかなか黙っていては正しく伝わらない世の中ですね。               

 
 又、私は相手が泣くとき、わたしも、目に涙がしみてきますが、じっとがまんします。
でも、聞いてもらえて、気持ちがわかってもらえ一緒に悲しんでくれる人がいることや、
 辛い思いも、部外者ならでこそ話せるという状況で、少しは気が軽くなっていただける
ように思われ、少しでもお役にたてたかなといろいろと思われたことです。

 又、ボランティアをすることで、沢山の方々の様々な心の機微を教わって、素晴らしい
人生勉強をさせていただいていると思っています。  

 
 不謹慎なようですが、ボランティアは″遊び″の中でするものだと私は思っています。 
行政ではうまく遊べないでしょう。融通がきかないでしょう。 でも何事も″遊び″がないと

心のすきまは埋められません。 
 
 そしてボランティアしていると思っていたのが、じつはしてもらっていたことに気づかされ
るのです。  灘区の場合は戸数が少ないのでいえることかもしれません。
 
 しかし、人と人とが暖かくふれあう楽しみこそ、人間として、ボランティアとしての″原点″
ではないでしょうか。
 そこを忘れずに活動を続けていきたいと私は思っています。  

       
                    (灘地域助けあい″ひまわりネットワーク″代表 YUKI.I)

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地震報告第10弾      1995.12.5. YUKI.I

  ボランティアは続いています
 ″灘地域助けあい・ひまわりネットワーク″のボランティア活動も順調です。 厳しい冬
を目前にして、クリスマスやお正月を一人暮らしのお年寄りはいかが過ごされるのでしょう。 

冷える仮設住宅で、一人でおもちをのどにつめられたらもう大変。 冷える夜にトイレで倒れ
でもされていたらと心配です。 寒い冬は、お年寄りにとって買い物もひと苦労、屋外の洗濯
機での洗濯も大変つらいことです。 

 各所での確実な(全住民合意の)自治会づくりを早めて、あとはトントントンカラリの隣組の
方法で住民の方々に自覚していただいて、皆さんの助けあいの意識に頼るしかないように思
われます。 

 主婦のボランティアでは暮れと正月はとても平日のようにはいきません。 平日以外の時こ
そ、若い方や冬休みのある方、各所の専従ボランティアの方々が活躍される所でしょう。
 まして、公では、休日も夜間もとても手がまわらないでしょう。 皆の助けあいの気持ちが
問われる季節なのです。


      ご不用のものを お送り下さい   

 これを読んでおられる皆様も気のむいた時だけでもけっこうです、 
 一度近所の仮設住宅を支援しているボランティアを尋ねてみてください″ひまわりネットワ
ーク″は喜んで一緒に活動させていただきます。

        
 ご用はそれなりに毎日あります。 十月からは様々な冬物を各仮設に配っています。 仮設
は足元から冷えてきます。 小さな電気ストーブや電気カーペットが重宝します。 仮設にお住
まいの方々はさきゆき不安なためにできるだけお金はつかいたくないので、リサイクルでいい
から是非頂きたいとおっしゃっています。 

 又、冬布団、コタツぶとん、電気あんか、電気コタツ、暖かいセーター、ジャンバー、新品の
下着、じゅうたん・・・冬むきでいろいろご不用なものがありましたら、YUKIあてに送ってください。
 ふれあい隊で、仮設の不自由なさっている方々に配らせていただきます。


        
    様々な目で見、知恵を出し合って   

 私たちボランティア活動は様々な問題解決に皆の力をあわせて手助けしています。 公け
やヘルパーや市社協で足りないところを私たち地元のボランティアがカバーしているともい
えましょう。 それだけに、与えられた仕事というより、人と人とのふれあいができる一番根

っこのところをうけもっているといえましょう。

 例えば、全盲のご夫婦がいらっしゃいます。 少し遠くに出かけるのにも介助がいります。
電車で出かける時はもちろん、駅までの送迎がいります。 ヘルパーさんは週一回で、買い
物をしてきてくれるだけです。 又、市社協のボランティアセンターなども一週間前に申し込
みが必要です。 

 そこで、私どもの地域の随時のボランティアが重宝するわけです。突然でも2・3日前の予
約でも会員の誰かで空いてる人がフォローできる態勢をできるだけとっています。 又、ボラ
ンティアの方が空いている時に「いかがですか」と声をかけて、盲人の方をちょっと遠出の友
達の家に送迎してあげることもできるわけです。 

 このように、まさに地域の助けあいネットワークをごくごく自然に行なえたらと活動を続け
ています。 外国では地域の教会がこういうボランティア活動を自然に率先して行っているよ
うです。 

 以前アメリカの知人宅に寄った時、そこの主婦たちにとっては何らかのボランティアに参加
するのはあたりまえであり、地域の役にたっているという誇りでもあるようにみうけられました。               


 
 又仮設の自治会などの件でもボランティアなど第三者のかかわりも必要とされます。 
何ごともひと所だけにまかせておくとおかしくなります。 法律に独占禁止法があるように、

地域においても様々な目から見、様々な声を聞き、良い知恵も集めて決めていかねばなりま
せん。

 自分達だけでというのは、エゴを増長しかねません。 おかしな暴走や一部役員だけの突出
もおこらないとは限りません。 又仮設という特別な事態ですから、入れ替わりも多く、さきゆき
のも住民の方々の自助努力だけではでき得ないほどの問題が山積みといえましょう。 
さまざまな顔が認めあい、学びあい、許しあいながら、和気あいあいとできることが一番望まし
いものとなれるのではないでしょうか。


      この冬休み、ボランティアにどうぞ

 ふれあい隊、大工隊、かたづけ隊、運び隊、送り隊・・・どれでもけっこうです。まだまだ地震
はおわっていません。 先日もマンションや家のとりこわしの前の荷物の運びだしも主婦達だけ
でしました。 
 トラックの運転は私がします。 壊れた家のかたづけの手伝いやや仮設へ荷物を運ぶ仕事
もまだまだあります。 又、家がなおって泥だらけの荷物が帰ってきてどっと山積みになったお
宅のかたづけもしました。 いつも最低2人組で動いています。 

 今になって、さらに精神的にもっとゆさぶられ、見通しもなく仕事もなく不安に思っている方々
が多勢いらっしゃいます。 用事もまだまだ沢山あります。 今からでも遅くはありません。 
ボランティアにいらして自分の内なる世界、分かちあう喜びの世界と遭遇してみてください。   

        ボランティア受け付け (したい方、又してほしい方お電話ください)     
                        YUKI.I  078−871−○○○○               

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地震報告第11弾  新年号  1996年 
                      本物を感じる会通信1月号  YUKI.I               
                                 

       新しい年に       


     今年こそ  めでたい年になってほしいなあと

      しめなわを掲げるのも  遠慮している仮設住宅の人々    

     激動の一年  悲しみ 苦痛そして喜びを知った者は大きく成長した



     生きてあること  あたりまえに暮らせることへの感謝    

     人と人とのふれあいから  つながりあえる喜びを知る    

      知りあえば  皆  友だち     



     難有り 有り難しが  身にしみたこの一年       

     無償で働くボランティアは  喜びのメッセンジャー

     この一年に出あった多くの方々に  心からの感謝と祝福を送ります



     有難う  素敵な出会いを

   
     有難う  素晴らしい日々を

     おめでとう  新しい年の夜明けよ


   ひまわりと私  
ひまわりネットワ−ク 橋本隆裕

 地震に始まり,大雪に終わると言う、私の一年であった。

 大雪を若干説明すると、ホワイトクリスマスといえば聞こえはいいが、総勢7人家族の
城崎までの一泊旅行、帰りはスリップ事故寸前が三度ほどあった。

 後部席に座るおばあちゃんが、「あんたは前厄やから」 と言われたが、ハンドルを必死で
握る私が、「もう前厄、本厄、後厄、全部いったわ」 と言い返したら車内で笑い声が起こった。

 例の大震災の日は小学校の妻子ともども夜を明かし、翌日車で5時間かけて、田舎に逃げ
延びた。通常なら1時間半で帰れるところである。
それ以後12月まで、妻子は田舎に疎開したままとなった。子供たちは田舎の小学校に転入した。


マンションは半壊で、ライフラインは4月まで断たれた。

私は甲子園の親戚の家に2月から4月いっぱいまでお世話になった。5月のゴールデンウィーク
明けに神戸のマンションに単身帰った。一人暮らしが始まった。

会社に命じられた単身住まいなら、心づもりもできたろうし、あるいはNOと拒否することもできる。しかし地震で余儀なくされた単身は心ずもりもないし、NOと拒否することもできない。
地球を相手にNOといっても活断層は話を聞いてくれそうもない。

当初は大阪まで仕事で出かけるときは、阪神青木駅までバスで行き、電車に乗り梅田駅へ。
帰りはその逆となった。しばらくたって青木駅が御影駅に変わった。戒厳令のように灯りのない町を歩き、人気のないマンションに入り、やるせない夜を過ごす。

絶対という価値観がないことを痛切に感じた。ふと戸棚に収まっている写真をめくっていると、
長男のVサインの横に、家によく遊びに来ていた男の子がVサインをしている。

その子は亡くなった。その子のおにいちゃんもお姉ちゃんも亡くなった。
3人兄弟が全員亡くなり、ご両親は生き残った。

地球をいいようにしていた神戸が天罰を受けたのはわかるとして、その家族に対して神がした
仕打ちの意味は未だにわからない。

大阪の事務所のそばにお寺がある。たまたま通りかかると、次のような掲示の文句が目に
入った。「坂には上り坂と下り坂、そしてまさかと言う道がある。」 地震後でなければ見過ご
していたフレーズだろう。


ひまわりネットワ−クに入ったのは、単身生活をして、1ケ月ほどたったころである。

不景気で仕事がそう多くなかったこともあるが、一人は昼も夜も時間が余る。そして、「金儲け
だけが人生じゃない」とも、かすかに思った。

 心身がなにかをしたいと欲求していた。新聞でボランティア募集を見つけた。地元の灘の
グル−プである。
 心身が、したいことはこれだと訴えていた。 迷わず集合場所に行った。それがひまわり
ネットワ−クだった。


 初日は、暑い日だった。 Tシャツとジ−ンズで灘南の仮設で花壇づくりと溝ほりだった。

 その仮設に住みながら,ボランティア活動に参加している人がいた。その人も私と同様
に初日だった。 伊勢さんといった。ああいう年よりにならなければいけないんだと思った。
そんなこと会社や仕事のうえで思ったことは1度もなかった。

関西弁で、「わやや」という言葉がある。地震直後、どこかのマスコミが被災者のおばちゃんに
マイクをむけた時、「わやや」と答えたそうである。 
インタビュア−はその言葉のたくましさに脱帽したそうである。

「わやや」には悲惨な状況であるのに、どこか、自分を客観視しているところがある。そして、
哀しいけれどもどこかおかしみがある。グロッキ−だが、まだギブアップはしていない。

それから、インタビュア−は立ち去るときに、「おばちゃん、がんばってや」と声をかけると、
「あんたもがんばりや」と反対に激励され、呆気にとられたそうな。

仮設に住みながら,ボランティアをする伊勢さんは、「わやや」とぼやきながら「あんたもがん
ばりや」と言っているのだ。



 私のワゴン車は一年前に買ったものである。後部座席は土足厳禁にしていた。なにしろ、
うちは、小学3年生を頭に男の子が3人いる。靴を履かせて乗せていると,車が泥だらけ
にされる。                                                                           ボランティアで使い出してからもしばらくは土足厳禁をみなさんに強いた。だが乗って
もらう頻度が増え、資材の運搬が増えるにつれ、土足厳禁はやめにした。ひまわりの方が
「きれいな車が汚れるね」と気ずかってくださった。「いえいえ、車も生きがいが見つかって
喜んでいるみたいですよ」と答えたものだ。

 交通事故や排気ガス、石油資源の問題から、車を悪玉視することもある。だが、この車で
バザーの品物を運び、仮設の人たちが安く手に入れ、暮らしがすこしでも楽になる、といった
役目も果たせるのだから、道具は使いようなのである。

 前述した城崎旅行では、久しぶりにきれいなマットを床に敷き、やはり土足厳禁にした。
悪がき3人は相変わらずやんちゃで、おばあちゃんはきれいなおべべを着ていたから、
そのほうが安心だったろう。                                                                
 つまりマット一枚でよそいきにも作業着にもなると気がついた。紙一重ならず、マット
1枚である。 

                                                                           永六輔氏が、「ふまじめに楽しくボランティアをやろう」と提唱していた。また別の人は
「ボランティアをする際に、無力感にとらわれるな、正義感をもつな」とも言っている。            

 無力感にとらわれるというのは、自分がしているボランティアが何の役にも立っていないと 
思う無力感のことを指すが、そうつきつめるなということでもある。正義感をもつなも           
同様のことである。


 私は突然思い立って、年末にハワイへ行ってきた。仮設の人たちが底冷えに苦しみ、
ひまわりの仲間が寒空の中でふれあい隊や大工隊をしている最中にである。

のんきにハワイである。申しわけなく思う。ハワイに私の弟が単身赴任しているから、
もっけのさいわいとお邪魔した。

 理由はある私の父が年末に肺ガンと宣告された。父も医者にそれを聞いて知っている。
すぐ死ぬわけではない。何ヶ月先か、一年先か。

そんなときにハワイは不謹慎かもしれない。だが私は思った。弟と私が仲良くしていることは      
父に対する親孝行ではないかと。反論される方がいるかもしれない。だが、私の直感は         
ハワイを求めた。

 弟と密度の濃い数日を過ごした。その間、弟と私は一度も肺ガンを話題にしなかった。
だが兄弟の中で肺ガンと戦う強い絆はできたと思う。


坂には上り坂と下り坂と、そしてまさかという坂があるらしい。
地震と大雪と、父の病と、そしてひまわりネットワークと。

私は1995年を忘れることはできない。すべてを忌み嫌い、すべてにひざまずき、

すべてに感謝します。

 


   喪失から再生へ    ひまわりネットワーク  田口 ひとみ

 震災以来の一年は、生まれて初めての劇的な一年だった。 PTAしか出たことのなかっ
た、ずうっと家にいた一主婦が、今は、灘地域ボランティアの″ひまわりネットワーク″の
事務局をしている。 フアックスも買ったし、ワープロもうっている私なんて、私自身も周
りのものも思ってもみなかった姿だ。
 
 こんなに動いた一年は生まれて初めてだし、こんなに沢山の人と出会ったのも生まれて初

めてだった。 本当におかしな一年だった。 でも、何ものにも替えがたいすばらしい体験
だった。      

 YUKIさんと出会えたのも必然だったように思う。 まして、YUKIさんところの長男と夫が
パソコン通信でかねてより知り合いだったというのも不思議な縁だ。 彼女は怪物だモンス
ターだと″ひまわり″のみんなは言う。 

 その明るい笑顔とさわやかさと何よりタフさには感心するばかりだ。一体いつ寝てるんだ
ろう。 彼女には″ひまわり″がふさわしい。そのYUKIさんの魅力にひかれてとうとうここ
まできてしまった。



 けれど、私には地震の前年の秋から、予感があった。 その頃、私の中で何かが大きく変
わったことを感じた。 11月の夜中に、夫が私の見ていたテレビを消した。 

 しかしその画面にはまだ何やら景色がみえていた。 「あ、燃えている。 ナトリウムが、マ
グネシウムが、リンが・・・・」と何やら元素の名前を次々に言っていたと夫が言う。

 
 その頃、私の中で何か大きな喪失感を感じた。 もう離婚しようが何しようが、どうなっ

てもこわくないという自覚を初めて感じたように思う。 それは、捨て身とでもいうべきも
のかもしれない。 しかし、これから新たな道が開けていくような期待感があった。 


 地震はもちろんゆさぶられた。 自宅は六甲ケーブル駅すぐ下のマンションで建物事体は
なんともなかった。 しかし水もガスもでなかった。 地震の後すぐに洗濯をしに六甲山の
川へ行った。 インフルエンザで39度の熱があったけど、しないわけにはいかなかった。
 
 幼稚園の次男が「お母さん、桃が流れてきたら持って帰ってきてね」と言っていた。

 もうろうとしながら洗濯をしているとき、上をヘリコプターが爆音をたてながら、飛びかっ

ていた。 あの音と空気と風と、あの雰囲気は身にしみこんで離れない。 

 そして、遠い街の上空をみているとすごい数の魂が空へあがっていくのを感じた。 
それもその人達の思い出も風景も記念写真などが一緒にあがっていくのが見えた。 
こんなのは初めて見た。 そして、この体験が、ボランティアで働く私のエネルギーの元なの
です。        


 それにカラフトの地震の時も空いっぱいにオレンジ色が光ったのが見えた。 この一年辛
い事があった時も、私はボランティアが″生きがい″だと感じていたから決してやめたくな
かったし、皆の励ましがあったからのりこえれたこともありました。 

 今″ひまわりネットワーク″のボランティアは私の三人の子供達と同様に″私の生きがい″
です。

 

   神戸っ子 北海道ステイプログラム

北に呼ぼうよ神戸っ子実行委員会が計画
小学 3・4・5年生11才まで15名
2月2日(金)
       
       
       
       
       
       
       
       
2月3日(土)
       
       
       
       
2月4日(日)
       
       
       
       
       
2月5日(月)
       
       
       
       
       
午前6時45分 
  7時    
午前9時30分 
午前11時35分
午後 1時   
        
午後 6時   
   8時   
   9時   
午前 7時半  
   9時   
午後 1時   
   2時   
   4時   
午前 10時  
        
        
    3時  
    3時半 
    6時 
午前  9時  
        
        
   10時  
   11時半 
午後  3時  
三の宮 リムジンバス停前に集合
リムジンバスに乗車
関西国際空港から飛びたつ
新千歳空港着 岩見沢市教育委員会のバスに乗車
岩見沢に到着 青年の家で歓迎セレモニーと交流会
スキー講習とスキーウェアサイズあわせなど
ホームステイ先の父母さんも来て夕食会
お風呂
青年の家宿泊 消灯
朝食
美園小学校の雪中運動会に参加(スキーあり)
グリーンランドスキー場で昼食
スキー実習
スキー終了 5時 ホームステイ先へ移動
東山公園 ドカ雪まつり会場集合 イベント参加
 (すべり台、ポニー試乗、スノーモービル・・)
昼食 きじ鍋
ドカ雪祭り終了
 康ランド到着 入浴 ホームステイ先へ手紙を書
ホームステイ先へ移動
 青年の家でお別れセレモニー
子供からホームステイ先へ手紙を渡す
子供たちにお土産を渡す
 出発
新千歳空港到着 昼食 出発
関西空港到着  解散
 
 この神戸っ子の無料スキーご招待は、夏にひまわりネットワークに手伝いにきてくれた

北海道の駒沢大学の情報言語学の萩原義雄先生のゼミの学生たちが計画をたててくれ
ました。

 そして、その実現にむけて街頭募金までして、あちこちに働きかけてくれました。
 そして、この企画には、岩見沢市や福祉法人各界の方々が応援してくださっています。
 
 15人の子供たち無料ご招待の人選は私たちにまかされました。大人は三人ついてゆきま

す。″ひまわり″も暮れにまず区社協へ、そして市の教育委員会に挨拶にいきました。  
 
 そして、灘区の仮設住宅から通う子達の多い各小学校へもご案内と挨拶にまわりました。

 小学校の方からは5日頃に返事がきます。 それまでにも私たち灘区の担当の仮設住宅の
小学生にあたっているところです。 又ボランティア仲間に六甲アイランドでもきいてもら
っています。 なおボランティアの関係者で全壊半壊の住宅の小学生の方で行きたい方があ
れば、ご連絡ください。                              YUKI.I   



  年末年始 仮設は今              YUKI.I 

 灘地域助けあい″ひまわりネットワーク″は、灘区の5カ所の一般仮設住宅をうけもって

います。 この秋からは冬物を配るってまわるのがなかなか大変な作業でした。

 「灘南仮設住宅」は7月に自治会もいちはやくできました。 灘南ふれあいセンターで、
私たち″ひまわりネットワーク″は月に一回、近隣の仮設の方々もさそって、童謡とお茶や
のふれあいサロンをしています。 灘南の自治会は大変活発で、このクリスマスも2日にわ
たり、クリスマス会をしました。 ここは、はやくからの仮設ですので隣近所みな顔みしり
ですので安心です。

 「篠原公園仮設住宅」は、最近市社協から頼まれて、ようやく私たちで集会用テントを建
ててクリスマスの日にようやく住民の集会がもてました。 
 そして、私たちで豚汁のたきだしをしたり冬物衣料もわけました。 又、自治会づくりには
それなりの段どりがいります。

 それが、地域の民生委員の方が、勝手に自治会と名付けて区の方にだしていたので、
ほとんどの住民は一体どうなっているんだと感情的にもいきちがいとなってしまい、大変な
状況でした。 その自治会は一人の方だけが、献身的にはたらくだけのものとなっており、
集まることがなかったので、誤解とうわさで、大変感情的にこじれていました。。    


  しかし、始めての集会で50人ぐらいしか出席はなかったのですが、17棟の各棟から2人
ずつの世話人を出して頂いて、三役をはじめいろいろときまりました。 そして、ふれあいセン
ターも9月にはできました。 

 一王応山仮設住宅は、特に大工隊が早くから入っています。 が、自治会がないので、
年末年始の
役所からのサ−ビスも伝わっていないことがありました。 なんとかしたほうが
いいと思われます。

///////////////////

地震報告12弾

  神戸っこ北海道ステイプログラム
      <<報告書>>  YUKI.I
2月2日(金)                   

am7:00 JR三の宮ターミナルビル下、リムジンバス乗り場集合
 
  8:00 ポーアイの埠頭から高速フェリーで関空へ出航
       Sが風邪っぽくぐったり、熱は6度7分連れていくかいかな
       いかと協議行くことにする・Mと、Jが船よい・
       8:30着・バスで関空へ                
             
   9:45 ANA131便で関空出発          
       大分すいている・Aちゃん酔って横になる・mくん着過
       ぎで真っ赤 M下降時吐くスチュワーデスさんが3人がか
       りで世話をやいて下さる

   11:30 千歳空港着
       
        荷物をひきとるのが大さわぎ・Tくん飛行機に忘れ物・

       横断幕とテレビ局、実行委員会の皆総出で出迎えてくださる 
              
 12:40 千歳から岩見沢市教育委員会のバスで
               岩見沢、美流渡の山荘へ出発   
       
       雪が降り出す、30分遅かったら降りれなかったかもって!

       
       昨日まで吹雪で欠航続出だったそうだ。 

       
        北海道でも例年にない史上2番目の積雪    

       
       まんまるきのこの雪の屋根、木にももっこり雪帽子、

         道路の横は雪の壁、子供たちも目がまんまる
       
      バスの中で豪華弁当・休憩の時早速雪合戦 

       バスの窓を懸命にふいて外を見る「そんなのムダだよ」と言わ
       れてキョトン・・・そのうち、ふいてもふいてもまっ白の世界
                    ・・・ア、ソウカ  

 pm2:45 美流渡の″夢民山荘(ムーミン山荘)″に到着
        美しい・・・・コトバナシ・・・
        青い空が出迎えてくれて 皆雪にまみれて大はしゃぎ
        歓迎セレモニー 
    
       山荘の主人斉藤聡さん・実行委員の方々の挨拶、神戸側も

         豊のしゃべくり、つよしのでんぐり返りで大拍手皆が挨拶
      
        スキーウエアあわせ、かまくらづくりで外で遊ぶ

        yukiと橋本は倉増さんの車で雪祭り会場で生テレビ中継へ 
        山荘が夕日に映えて・・ 夢の国 ・・・       
                  
  6:30 地下室でバーベキュー、焼肉・北海道の蟹蟹蟹・殻のままのか
       き・イカ・ほたて、おむすび、野菜・・おしゃべりしながらた
       らふく食べたお兄さん、お姉さんと遊ぶ  お風呂に入る
                  
 10:30 消灯  まだトイレといいながら何度もウロウロする子、おし
       ゃべりする子あり  夜中すぎ 娘が熱を出す 雪で冷やす
     *      *      *               

 3日(土)朝  、山荘のめざめはさわやか。 けど、スタッフの中には 地下のロピーで
     遅く迄談笑していた人も多い。 

     私、スタッフんなのにも娘の頭を冷して、ほとんど寝ず、でも朝には熱も下がってほっ
     とする。

 
     朝食のカレーとサラダが終わって、山荘にさようなら・・・ 

      淡いメルヘン色の雪景色に映える山荘はスウェーデンタイプの素朴な丸太の
      つくりだが、中の設備は超豪華版。 
      いつかまた来れるかしらと名残惜しく別れをつげる。 

     午前中の美園小学校の雪中運動会へと出発。

     午後スキー・ホームステイ 

 4日(日)ドカ雪祭り(雪像作り、キジ鍋)・

      健康ランド(入浴、お礼の手紙書き)ホームステイ

 5日(月)駒沢大でお別れセレモニー・千歳空港へ

                           (詳細エピソード続きは3月号にて)

 

年末年始 ″仮設は今″             YUKI.I
 灘地域助けあい″ひまわりネットワーク″は、灘区の5カ所の一般仮設住宅をうけもって
います。 この秋からは冬物をいろいろと沢山配ってまわるのが、なかなか大変な作業でし
た。でも沢山の方々にいらんお金使わないですんだと喜ばれてよかったなと思っています。

●「灘南仮設住宅」は昨年7月に″ひまわり″でテントもたてて、集会を持ち、自治会もい

ちはやくできています。 灘南ふれあいセンターで、私たち″ひまわりネットワーク″は月
に一回、近隣の仮設の方々もさそって、童謡とお茶やの″ふれあいコンサート″をしていま
す。灘南の自治会は活発に、このクリスマスも2日にわたり、クリスマス会をしました。そ
して、はやくからの仮設ですので隣近所みな顔みしりですので安心しています。
                    
●「西灘仮設住宅」はふれあいセンターも完成し、ひまわりネットワークも参加してお祝い
をしました。 開所式には、吉野の真辺さんが、パンジーを300、大きな葉ボタンを20
もくださいました。 すてきなお祝いになりました。 いつも何かイベントのおりには丁度
よくお花を運んでくださる真辺さんは、2児の母親。 4年生の下の子を連れて夜中に走っ
て遠い奈良の吉野から運んできてくださいます。 かわいい花を育てるやさしい気持ちの彼
女は、いつもほのぼのとした暖かさをかんじさせてくださいます。 有難う!皆の暖かい心
に支えられてホランティアも楽しくできますことを心から感謝申し上げます。
                         
●「篠原公園仮設住宅」は、名前だけの自治会で不満がでていたので、区社協から頼まれて
ひまわりネットワークで集会用テントを建てて、クリスマスの日にようやく始めての住民の
集会がもてました。 私たちも集会内容にむけても、いろいろとバックアップしたり、豚汁
のたきだしをしたり冬物衣料もわけたりしました。 自治会づくりには、住民の総意という
それなりの段どりがいるのに、集会もないままにほとんどの住民が一体どうなっているんだ
と感情的にもいきちがいになっていました。 

 民生委員さん指導の自治会は、ほとんど1人の方だけが献身的に動くだけだったので、
誤解とうわさで、こじれていました。 でも暮れには世話人会も持てて三役もきまり、
″ひまわり″も年こしそば用のめんつゆを配ったりしました。 

1月末には愛媛県の小田町ボランティアからのお餅入りパックも配りました。 
年あけにも自治会への集まりがもてて、めでたく住民総意の自治会の結成式となりました。

                         
●「王子公園仮設住宅」の自治会は始まってまもなく、活発ながら、内部ではなかなか難し
い問題もかかえています。 民主的な運営になるまでは、話しあいのオブザーバーとして私
たちボランティアがまだまだ必要な状況のようです。 しかし、今後とも楽しみな所です。
              
●「一王山仮設住宅」は年あけのふれあい訪問で、住民の方々から自治会を結成したいとい
う希望があるときき、急遽一戸のお宅で集まりをもちました。 そしてテントがないと集会
もできないと、テントをはり救援物資のバスタオルや東城町の瀬尾千代さんたち奥さん方か
らのひえ・あわ・たかきび・よもぎ入りのお餅10個入りを全戸にお配りしました。 

 一王山仮設住宅は、特に早くから大工隊など入っていたのですが、これまで住民の方々が
自治会の必要性を感じていらっしゃいませんでした。 でも年末年始の見舞い金などもあたら
ない事態もあって、今後のことでも忘れられてはと皆さん不安になられたようです。










///////////////////////////////////


地震報告第13弾   1996.3.4.

       ご報告            YUKI.I

 1月18日のふれあいコンサートは、多入り満員でした。 篠原会館中ホールはいっぱい
でボランティアもいれると70人こえたでしょうか。 ″感じる会会員″は遠くからも沢山
かけつけてきてくださいました。 久しぶりの顔あわせもあり、とてもうれしかったです。
 
 近所の篠原公園仮設からも大西会長さんをはじめ10数人の方々がおこし下さいました。

 
 吉新さんのの司会で、黙悼からはじまり、YUKIが「原点」の詩の朗読、ピアノ曲はベート

ーベンの悲愴・月光、モーツアルトのファンタジーでした。 次に熟年ミュージカル「アサ
ミュージカル」の下平朝子さんも来て下さり、作詞の谷口さんご夫婦もいっしょに″みんな
根っから神戸っ子″″神戸、わが夢の街″″ふるさと″などを合唱しました。 後半はトロ
イメライとモーツアルトのトルコマーチつきソナタを弾きました。 
 
 ボランティアの皆さんは家でカレーのしこみをし、当日は早くから調理室で活躍してくだ

さいました。 大なべいっぱいのカレーはとてもおいしかった。 又おおぜいの人といろい
ろおしゃべりしながら食べるのも楽しかった。

 そして、午後は話し合いにはいりました。どんな様子か、その一部だけですがご紹介した
いと思います。導入のピアノ?は、ショパンの遺作のノクターン2曲・・・

yuki)・・・皆様、忌憚なく震災以来この一年で気づかれたことをお話いただきたいと思い
ます。
橋本)・・・半懐のマンションの修復が終わって、ようやく年明けから家族一緒に住めまし
た。離れていたから家族というものを見なおせて、やはりいいもんだなと思っています。
 以前とかわったことは、子供をおこらなくなったことですね。子供は前と同じことをして
るはずなんだけど、その気になる面が、実は裏返してみたらかえって良い面になるかもしれ
ないなと思って許せるようになったということですね。で、今は怒らない状況にありますね

。まだハネムーンの状態だからかもしれませんがね。ワハハハ
yuki)離れてはじめて気づけたというのもありますか? 

橋)・・・・・たえず一緒にいるということは、かえって危機感があるかもしれませんね。
 たとえば、離婚を内在している夫婦が多いのですが、友達にそういうのがいて、転勤にな
ったんで、半年でもタイムラグをおいてみるといいよと忠告したのです。 空白もむだでは
ないと思うんですね。 でも天災や事故で突然余儀なくというのはやはり納得できないもの
でしょうね。

谷口)でも、愛情ある夫婦なら離れていてもよいかもしれませんが、冷たくなった夫婦は別

に暮らすとよけいに醒めていけないんじゃないかと思うんですが。 

)私もこれまでずっと主人と一緒だったんですが、地震で主人は施設で私は家の整理や
なんやでやむなく離れて住むようになってしばらくは飛んででも帰りたいと思っていたんで
す。 ところが、土地の件や義理の子供たちとのことで問題が山と起きてきまして、もう 
「主人なんか死んでしもうたらいいのに」と思ってしまいました。・・・・・・ そして、
12月には離婚の書類を持って主人に判こを押してと出しました。・・・

 でも先日のyukiさんの集まりで、それまでは決して人様にとてもようしゃべらないことま
でもどんどんと話してしまいました。 ・・・・で、いわれるようにお月さんをおがんで主
人のことを思ったりしてましたら、つい16日の夜、一年目ですから一晩中おきてて、朝方
トイレにいってからフトンに入った時、なんと隣にスッと男の人がフトンにはいったんです
。 トイレにいったとき鍵がかかってるのをちゃんとみてたし「え〜、だれかいな」とフッ
とみると主人みたいにみえるんですよ。「え、おとうさん、帰ってるわ、なんでやろ」と思
って、特養やし何かあったら電話があるやろと思って電話をみたけどなんともない。で、横
をさぐってみると空しいんですわ。 え〜、私ぼけたんやろか、と思ったりそんなことがあ
りました。・・・

 そんなんで、いろいろ問題山づみのままですけど、一つずつ片付けていかんとあかんなと
と思ってます。 で、人の気持ちは、もともときれいな川でも、泥やら土やらいろいろ入っ
てしまったのを一つずつ整理していってかたづけていったら、又きれいな川になっていくん
じゃないかと思ってます。 で今日もいろいろ聞かしてもらわんならんと思ってきたんです

yuki)Fさんは王子仮設の副会長さんで、いつもいろいろお世話になっています。 でもそ
うして隣にこられて、もうご主人のこと許してはるんでしょうね。

)そうです。 ですから、離れて暮らすのはあまりようないなと思います。 でも不思
議ですね。 いわんとこと思って、足をひねりよるけど、いろいろと話してしまうんですね
。 でも言ってしまうととっても気持ちがらくになります。

yuki)そんなふうに出せるようになったらどんどん楽になってくるんです。 話しているうち
に自分の中で整理整頓されてきますしね。 たまっているおりも消えていって、明るく楽に
なってくるんですね。 

)本当に不思議ですね〜?

yuki)ボランティアの坂本さんは、いつも熱心に手伝ってくださいます。年末にはしめ飾り
を作って下さいました。・・・坂本さんところも全壊でしたね。


坂本)ええ、うちは家がうしろへこけて、後ろの家にもたれたんで、それで助かったんです

ね。前にこけてたら死んでました。で、それで助かった命ですから、みなさんのお役にたち
たいと思って、ボランティアにこさしてもらってます。      

 家内が一番いうことには、僕は大変怒りっぽかったんですわ。 何か言うたら、もう腹パ
ーっと腹がたって、腹がたってしょうなかったんですわ。 それが、地震の後、一ぺんに止
んだと家内がいうんですわ。 こうして命をいただいたんで、こりゃ家内も大事にしてやら
んとあかんなと思いましたね。 で、去年の4月から定年になって家におるんですわ。 家
内がパートから帰ってくる時分には食事をこしらえて、今主夫やってます。エー!エライ

 こんだけ自分の短気がなくなったんで自分でも不思議でしょうないですわ。 外ではにっ
こりしとんやけど家に帰ると、家内がものを言うたらパーッと腹がたってたんですわ。 そ
れは田舎の母親も言うてましたわ。 なんで外ではそないにいいのに家へ帰って腹たてるん
やといつも言うてました。

小林)え〜!、そんなにすっかり変われるんですか。
yuki)そうね。外よし内悪しの癖があったのね。 でも今は家でも0Kになったん
ですね。 地震で生命の原点にふれて、意識の枠がとっぱらわれたんですね。 気質の癖の
よなげは死ぬ気でやれといいますからね。

坂本)ほんとに不思議ですね。 今までがねバカバカしいくらいですね。ホ〜!!
ま、外ではいいんで損はしてないですけどね。ハハハハ
ここで、小林さんがお姉さんのことを話す。 坂本さんが、すっかり変わられた
のが不思議でならない様子・・・

坂本)なぐったり、そんなことはしないんですが、口がきついんですわ。家内に「車にはね
られて死んでしまえ」と平気で言ったり、長年使ってた茶碗を割った時には、半月くらい毎
日、会社から帰ったら責めてましたからね。エー! ソンナ〜・・
何やら縁起わるうて「食わせんのか」言うたりして毎日責めてましたね。エー!
yuki)でも、奥さまもよく耐えておられましたね。 今は夫婦なかよくルンルンですか。

阪)そうです。今まで家内のコーヒーの残したのなんか全然飲めなかったけど、今は平気で
飲んでます。 
小林さんのお話し

坂本)僕も腹たったら食べてましたね。
yuki) では、太ってらした?
阪)いや、今の方が7Kも太りましたわハハハハ
yuki)おだやかになって、太られたんですね。 昔は怒るのにエネルギー使ってたのね。  

阪)家内も10K太りましたわ。

yuki)奥様は、うれしくて安心なさっから、太られたのかしらね。
阪)ほんまに、どないしてこうなったんか。 自分でもこわいぐらい!ハハハハ
声) も一度揺れたら・・・
阪)こんど揺れたら又もとどおりになるかもしれん。ハハハハハ
声 )ゆりもどしやね。ワハハハハハ

谷口)うちの伯父の家のふすまが破れたままになってましてね、どうして、元どおりになお
さないのかと聞きましたら「あれは、昔の自分やから、とってある」と言うんです。 私は
仏になった伯父しかみたことがないんですが、腹のたった時、ふすまを見て、一、二、三、
四でしょうか数えて、しばらく心をおちつけるそうなんですね。 一時すごく修行もしたよ
うですね。・・・ 

yuki)今でも腹がたって、つらい方いらっしゃいますか。

谷口)私の友人で肝臓の悪い方が、何みても腹がたつんだそうです。 それで、腹がたった

ら、一時間でも話を聞いてあげるんです。するとホッとして、もとどおりの彼女に戻られる
んです。ただ聞くだけなんですけどね。

yuki)それが、大変お役にたっているんですね。 いかがですか、腹のたつ時の解消法をお持
ちの方。 どうですか、田口さん、この間腹がたちすぎて、言葉を失っておられましたが?
 
田口)ええ、私もどっちかというと、人の何倍も怒りっぽいんです。 で、まだ自分の中で
処理できていないんです。 が、心がけていることは「待つ」です。 「腹たつけど、とり
あえず、ちょっと待ってみよう」 何時間かしたら忘れる時もあります。 何日たっても覚
えててムカムカしている時もありますけど。 どうしたらよいか分からない時は、とりあえ
ず「待つ」です。
谷口)忍耐強いんですね。
田口)いいえ、忍耐強くないから、心がけているんですね。

yuki)「待つ」これもひとつの手ですね。 すぐ出し、すぐ動くというのは、癖が出やすいん
ですね。 「ちょいと待つ」それから動く、これが気質の癖に左右されず本心で動けるよう
になることの第一歩でしょうね。

 私なんか、陽性だから、子供相手だとつい言い放ってから「あっ、ごめんね」なんて失敗
してます。 で、言いそうになった時、ぐっと待つんですね。
 すると子供のほうからホッコリと話しだしてくれて「ああ、言わんでよかった」と胸をなで
おろすことがまだまだありますね。 すぐワーっ言っちゃうとケンカになりますから。                          


谷口)お風呂も最高にいい気分ですね。 寝るのもいいと思いますね。 それでもだめな時

は書くんです。 いろんな人間関係でもポストに入れないけど、書くことで自分の気持ちを
客観的に見ることができますね。・・・・
 昔しゅうとめに腹のたつことがいろいろあった時、川柳を一日で30首作ったこともあり
ました。「老婆、けろりとウソをつき」とかワハハハハ   そして、いっぱい作っ
てそれを破ることで精算しています。 たとえば同じ一日笑って過ごすのと、怒っているの
とどちらが得か損かなどと考えたりもします。・・・

yuki)いかがですか。 ご主人の方は弁護士をなさっていますが、地震からのことで何かござ
いますか。

谷口、夫)仕事の方は、借地や建て直しの件がほとんどですので、心の問題まではなかな立

ち入ることはありません。 しかし、心の問題は大きいでしょうね。 地震によって、今ま
で大事だと思っていた物質的なものとか、既成の価値、お金とか、家とか、社会的地位とか
。 昔から偉い人が、そんなもの価値がないと言ってるにもかかわらず、ついそういうもの
を持ってる人が偉いとか、なりたいと思ってあくせくしている。

 あの地震の直後は、本当に皆、平等になって、おにぎり一つを文句をいわずに分けあって
食べてたんです。 それが、今になって又もとに戻っている。 昔どおりの不平等、私はあ
の人よりましな境遇にいるとか・・・進歩より、退歩しているんじゃないかと思うんです。
 せっかく、地震が教えてくれた教訓というものをもう一度ゆっくりと考えなおしてみない
といけないんじゃないかと思いますね。 

・・・もう70才が目の前になりますと、死にそこなったことはいくらでもあります。たま
たま助かって、助けていただいてここまで生きてこれたのが有り難いと思うと、たとえ、誰
かがわがままを言っておっても、いいたい放題言える、幸せな環境におれることを祝福する
というか、わがままをいわせてあげたいって、心の余裕がもてますね。・・・私は助かった
んだから、できるだけ余った時間を人を助けることに使いたい、皆に喜んでもらえるボラン
ティアなんかに使いたいと思うんです。 

そんな殊勝な気持ちになる時は自分が一番幸せだと思う時ですね。・・・たとえて言えば
人類はオリンピックの本番での水泳の予選のところまで来ていると思うんです。 
せっかく選ばれて来ているのに、プールの中で、隣の人とケンカして、せっかく優勝できる
ところを失格やといわれて退場させられてしまう。・・・


 せっかくの人生ですから、楽しんで、人とも和合して、皆でよりよい環境を、地球を、宇
宙を世界を作っていきたいと思うんです。・・・・そう考えるともう怒ることなんてことは
できないんじゃないかと思いますね。 しかし、怒りますよ。でもその時にやはり自分はま
ちがっていんだなと思うんです。

 私が腹がたつのは、自分が責められる時とか、自分の自尊心とか、権利というものが他か
ら不当に傷つけられた時ですね。・・・・・しかし、そんな時私は「二二三、三二三、カミ
サマ」とくりかえして、腹だちをおさえます。 すると本当におさまってしまいます。

というふうに、あと茨木市の佐藤真生さんはカナダや北海道で熊と遭遇した話。
熊と出あった時の死んだふりは本当に死ぬ思いだったそうです。 皆さん決してまねはしな
いように。 

 河内からおこしの土持さんは、カタカムナの話や指笛で″月の砂漠″など披露してくださ
いました。 

 吹田からおこしの花房さんも長田区ですっかり焼け出された話など、

 元気村の若い二人もいろいろと現在の心境を吐露してくださいました。

 その他、京都からの建築家の奥村さんも今回のビデオをとってくださいましたし、
 ボランティアをしてこられた感想をのべてくださいました。

 又、何より小林さんの娘さんが、お八つにおいしいレモンケーキを沢山沢山作ってください
 ました。 お店屋さんのよりおいしいと大好評でした。 そして、全員がいろいろと心のうちを
 話してくださいました。

いやあ、話あうって、出会いですね〜、きづきですね〜、 楽しいものですね
 


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まわり通信  地震報告第14弾!  YUKI.I  
                      
            
     
   しあわせ運べるように

             
           
  地震にも 負けない    強い心を 持って       
 
  亡くなった方々のぶんも   毎日を大切に 生きてゆこう 
    
  傷ついた神戸を    もとの姿にもどそう        
          
  ささえあう心と  あしたへの   希望を胸に      
    
    
      響きわたれ ぼくたちの歌   生まれかわる神戸の町に
        
      届けたい 私たちの歌   しあわせ運べるように
            
            
           
  地震にも 負けない   強いきづなをつくり       
           
  亡くなった方々のぶんも  毎日を大切に 生きてゆこう  
         
  傷ついた神戸を   もとの姿にもどそう         
                  
  やさしい春の光のような   未来を夢み        
                  
                 
      響きわたれ ぼくたちの歌   生まれかわる神戸の町に
                 
      届けたい  私たちの歌    しあわせ運べるように
               


 表紙の歌は今、ひそやかに被災地で歌われています。 ひまわりネッ
トワークの″ふれあいコンサート″のテーマ曲です。 作詞・作曲は誰
かまだわかっていませんが、とてもよい響きをもった美しい曲です。 
まさにレクイエムです。 あなたの″心の歌″は何ですか。 月1回仮
設住宅でおこなう″ふれあいコンサート″で共に歌ってみませんか。
(ps.作者は臼井 真先生です。自身当時、神戸の小学校の音楽の先生でした)

<仮設は 灘地域助けあい・ひまわりネットワーク YUKI.I 
                        

 灘地域助けあい・ひまわりネットワークは、この冬はふれあい隊で各戸訪問をし、
又各仮設の自治会づくりやふれあいセンターづくりに協力をしてきました。


心のアルバムづくりを

 寒い折りには、集会の折々に炊きだしも5〜6回しました。 惜しむらくは、写真好
きなものがいないのでその記録はほとんど撮れていません。

しかし、皆の心にその楽しい印象はやきついています。 ひとつひとつのコマが人生
の積みあげなんですね。 皆すてきなアルバムを心に作っています。


皆が喜んで手伝って・・
 
 一番忙しかったのは、3月10日でした。 輝く太陽と暖かい気候にめぐまれて、
一王山仮設のテントでの自治会発足式が10時半に始まりました。 

その準備にひまわりの皆は近くから遠くから(といっても同じ灘区ですが)駆けつけてく
れました。 

ここは、4棟37戸だけの小さな仮設住宅です。六甲山の中腹に近い不便なところにあります。 

先日もご夫婦とも入院という事態になられた方がいて、″ひまわり″でいろいろお世話させて
いただいたりしたところです。


小さいところは忘れられて

 規模の小さい仮設住宅なので、年末年始の見舞い金もあたらず、ほとんどお年寄りなの
に他の仮設にはある日向でくつろぐベンチもありません。 

道路も舗装しないまま・・。 年あけに″ひまわりネット″が建てたテントが仮の集会所です。
 私は毎度トラックを運転し、坂の下の高羽の仮設のベンチを3つ借りにいきます。

 後はとりこわしの鷹匠中からもらってきたテーブルやイスを外にならべます。 
お日様の下はポカポカとして、光がサンサンとふる美しい青空でした。       

              
 
有り難い気持ちに支えられて
 そして、ひまわりの和田登美子さんが、ご主人の入院中と小さいお子さんがいらっしゃるに
もかかわらず、沢山炊いて下さったぜんざいに救援物資の最後のあんを全部くわえ、仮設2
カ所分の甘いぜんざいが大ナベ2つ分たっぷりとできました。              

                        
皆で乾杯!   
 
 皆で一王山自治会の発足を祝って乾杯! 
とゆっくりいる間もなく、次は王子公園仮設住宅のふれあいセンター開所式が11時からです。 


 田口さんと抜け出し、途中仮設の酒屋さんでお祝いのお酒を買って、ちょうど乾杯にセーフ。

 王子公園も自治会婦人部が大活躍。テーブルには手づくりのごちそうが山とならんでいます。 
 日曜なので、役所の関係者が一人も来られなくて残念でしたが、皆和気あいあいと飲み会

へと移行します。 

午後も前日にコープ神戸で借りてあげたカラオケセットでカラオケ大会がはじまりました。

                    

けん玉連盟の子供たちの訪問

 でも私は前日王子のふれあいセンターに来ていただいた″日本けん玉連盟″の方々と
彼らを呼んだ″ほほえみボランティア″の方たちとの昼の会食です。

 ″日本けん玉連盟″会長の石川学さんは静岡県からけん玉少年たちを10数人ひきいて、
仮設の子供たちにけん玉を教えに来て下さいました。 

おもしろくて子供たちだけでなく、大人も熱中してしまいました。

             
体験してみんとわからへん?!
 
 静岡県は東海地震対策のためにさまざまな対応をしているそうです。

 けん玉大会が終わってから、ふれあいの話になって是非地震の時の話をききたいとのこ
とでした。 

 すると一年たった今だから話せると地震の際の凄い話がいろいろと飛び出してきました。
 実際の目にあってみなければわからへん、あんたらにはわからへんと語気のきつい方も
なかにはありました。     

                         
話して楽になろう

 ふれあいセンターの副委員長の宮内さんもご自身の被災の様子や実際に助け出せなか
った人の話など、顔は笑って心で泣いてというふうなつらい様子で話され、聞くほうも目が
曇ってしまいました。

 まだまだ地震の話をするのはしんどいものがあるようです。 

 でもこうして話して出せるようになったらだんだんと癒されていくのでしょうね。
 話すことは放すことにつながります。

 心にためていないで、少しずつでも出せるようになると楽になってくるのでしょうね。          

         
 静岡から来ていた子供たちも特に大きい高校生が真剣に聞いていたのが印象にのこって
います。   

           
地獄はどこに?

  田口さんも、すぐにお風呂に水をためてとか、厳寒の中ガレージ暮らしをする老夫婦の
ところへおにぎりを持っていくと、避難所の人間の醜さを見て「二度も地獄を味わいたくない
から出てきた」と言って避難所からまた避難してきた。 

とか、庭で火をたいて暖をとっている人たちの話、そして夜中に救急車が来ていたと思ったら、
寒さゆえかご老人が一人亡くなられた事などを話されました。               

 
サバイバルとボランティア 
 
 ふれあいセンター運営委員長の木村さんは、地震の後のどん底の生活の様子を話し、
君たちも普段からサバイバルに生きることを心がけたらいいんじゃないか。

と、もうひとつ日々何かひとつでも生活の中でボランティアすること、人のために働いて喜び
を分かちあうことを心がけていって欲しいなどと話されました。                 

             
いざという時に備えて
 
 私も大型ジャッキ・バール・のこぎり・かなづち・・・それらを戸外の手にとれる所に備えておく
ことも必要だと話しました。 崩れた家からはとても持ち出せないからです。

 又、米がいつも玄米で積んでいたこと。普段から貯えてあれば炊きだしにも心配のないこと。

六甲山の裏のお百姓さんと仲良くしていて野菜や卵に困らなかったことなど。 

普段から自然食のネットワークがあって、子供を避難留学させるにも、救援物資にしても
助かり大変ありがたかったこと・・など、日頃の人と人とのつながりの大切さを言いました。


次は母親の目で
 
 他にもいろいろと話はでてきました。 なかなか聞きごたえがあったかと思います。
 石川さんとは今後の交流を含めて、又、私ども被災地の母親の目からの様々なことなども
お聞きになってはと申しあげました。 

 すると今度は母親同士の交流を図ろうかという話もでてきました。

 
 ふれあいセンターや仮設での人と人とのふれあいの数々は、皆が互いに多くを学びあい、
自らを磨く勉強になるのです。 謙虚になればまわり全てが教師だとわかります。
 難あり、ありがたしの楽しい世の中だと私には思われます。

                      
                  
 <大工隊が大活躍>
★うちの大工隊の隊長さんは、はや還暦も過ぎたスマートな熟年の伊勢清二さんといいます。
″ひまわりネットワーク″にとっては伊勢大明神様々です。

 大工隊は大体シルバーさんと学生さんがほとんどです。 長期の休みになると必ず東京か
ら単身赴任のお父さんのところへきてずっと手伝ってくれる北川英輔くんという感心な高校生
もいます。
                
★月1〜2回休日の日曜にボランティアに来て、棚つくりをして下さる墓越さんは勤労好青年。 
2月のスキーツアーも若い彼が来てくれて大助かりでした。

 大工隊もはじめの頃は手すりや足台をはじめ、いろいろと作ってましたが、いまは屋内の棚
と窓の外のひさしの2種類ぐらいになりました。 それがまた好評で次から次へと注文があるのです。 
 
 大工仕事のお好きな方どうぞボランティアにいらしてください。 大歓迎です。
 多少の交通費や昼食代も出ますから。
                 
★棚やひさしづくりも昨年まではボランティア値段で極安でしていたのですが、今年からは実費を
いただくようになりました。 かれこれひさしもこれまで130枚くらいとりつけたでしょうか、そのほ
とんどが伊勢さん一人で作られたようなものです。 作り方の講習会もしました。

 他の仮設の方もみにこられました。 裏の窓や掃き出しにひさしがあると大助かりなのです。
 とりつけは金物用のドリルなどもいりますし、皆で手伝います。
                        
仮設に仕事を下さい よい知恵も・> 

 大工仕事を仮設の職のない方のおかず代にという構想を只今検討中です。 
たとえひさし作り一枚につき500円でも支払えれば、体調もまだまだで外に働きに出れない方や、
でもタバコ銭なりおかず代にもなるかもしれません。 木の枠に波板をはるだけの簡単なひさし
ですから女性にもできます。
 
 仮設では地震で職場を失った方も多くおられます。 何か内職はないかなという声をよく聞きます。                  
 
 仮設で何か仕事になるもの、お金になる工夫でもありましたら、ぜひお寄せください。
 皆様の知恵を貸してください。

<種蒔き隊に来てみませんか>


 
そろそろ桜の花もほころび、仮設では来週が花見頃です。 
″ひまわり″もそろそろ種まき隊の出番です。 土嚢の袋に六甲山の土を入れてこようっと。
 種はプランターで育てるつもりです。 花に関する資金などは朝日文化厚生事業団からいただ
ける予定です。 有り難いことです。 

南光町のひまわりを神戸中に・・・>
 
 今、ひまわりの種は沢山あります。 ほしい方にはどんどんさしあげます。 
 これは須磨区の荒井さんという、通称ひまわりおじさんが兵庫県の奥の南光町で育てさせた
ものです。

 彼も震災の時、ひまわり温泉やひまわりサロンで大活躍した方です。 

 昨年末にはかねてよりのエッセイを集め「笑いのセールスマン」という本を出されました。

 ひまわりは小さな花一つ一つがしっかりより集まって大きな一つの花を咲かせています。

 私たちも一つ一つの小さな花をせいいっぱいさかせ、また素敵な種になれたらと思うのです。

 一粒万倍です。 今年こそ、今のうち灘区のあちこちにひまさえあれば、スコップ片手にひま
わりの種をまいていこうと考えています。 

 だれかこのタクラミに賛同の方ひまわりの種と小さなスコップをプレゼントします。 連絡下さい。

普段からそなえありで>
 
王子仮設の木村さんの言われたように、普段からボランティアをしているものにっては、いざ
という事態こそ実力発揮できる時なのです。 

  私なぞ、震災でますます元気な池邊さんと言われて、日頃を知らない人からは急に元気にな
った怪物のように思われて、元気ですみませんってあやまらなくちゃだめみたいな言われ方で
苦笑することもありましたね。

 普段の私をよく知ってる人はさもありなんと分かってくださるのですが。 何事も急にはできない
ってことですね。 備えあれば憂いなしで・・。  
 
 皆様、花の種や苗、余っているのがあったら″ひまわりネット″あてにお送りください。
 活用させていただきます。

<大分から苗木が2000本>
 
 3月23日の早朝、6時前に六甲アイランド埠頭に大分からのフェーが着きました。 

私も朝一番に迎えにいきました。 
じつは、大分の″出会いの村″の方々が、3000本の復興の木と一緒に総勢53名乗って来ら
れたのです。       
 
  <出会いの村>
 出会いの村、それは大分市の安東静夫さんが、数年前から自宅の上のアパートを開放し、

 様々な取り組みをしてこられていたものです。 

 この方も阪神大震災以来、八面六臂の大活躍です。 震災後はやくから200名近い被災者
のご老人を大分の温泉旅行に招待されました。 

それを2回と、昨春には苺狩りに子供たちを十数人、昨夏には、大分ホームステイとして、
被災地の子ら100人を10日間招待してくださいました。 

  <復興の木>
 そして″復興の木″として、九州各地の人たちに苗木を一本千円で買っていただき、
メッセージをそえてもらい、焼け野原になり、崩壊し神戸の地に緑の木々をという遠大な構想で、
今回で第三弾です。

 この木には、″出会いの村″事務局の糸永先生という工業高校の先生と多の生徒のボランテ
ィアさんたちのご苦労も沢山こめられています。 

 今回の地震でも、どれだけ木に助けられたことか。 崩れる家を木が支てくれました。 

昔から人と木と土、そして水と日は友であったのです。 それをどうして平気で引き抜き、コンクリー
でおおい心ないことを山としているのでしょうか。 又、いつの日か人はこの復興の木に助け
られる時がくるでしょう。

 今回はこぶしとけやきの2種類だけです。 ″ひまわり合計350本もいただきましたが、
けやきは、まだ多少残っています。

 欲しい方はおっしゃって下さい。 今度の休みに″ひまわり″でピクニックに行って、20年後
のけやき並木を今のうちにこそっと植えてみようかと皆で密かに画策しているところです・・・。        
  
 <北海道・神戸・大分>
        
 今回丁度、北海道岩見沢市の駒沢大の萩原義雄教授が用事できておられました。 
そして、23日には、北海道より寒いという神戸の風のなかで立ちっぱなしで一日中、
一緒に苗木くばりのボランテイアをしました。
                
 萩原先生は、この2月に灘区の仮設の子たちを北海道に招待してくれた仕掛け人です。 
萩原先生は″志士リリトリア″として、震災後はいちはやく来られ、鷹匠中でずっとボランティア
をなさっていた方です。
 
  彼も震災のために急遽カンボジア行きのボランティアを神戸に変更したそうです。 
そして、萩原先生のゼミの学生たちも北海道から神戸へボランティアに来て、大きな学びをした
そうです。 そして、その学生さんたちが2月に仮設のこどもたちを北海道に呼んでくれたのでした。
             
  <鎮魂の子供神楽>            
 長田区の大国公園では、苗木くばりとあと大分から″子供神楽″17人のこどもたちが、
はなやかな衣装と鈴の音でお神楽を舞いました。
。 
 周囲のほとんどがまだ焼け野原の中での神楽は、まさに鎮魂の舞でした。 この地を浄化する
かのような清新な踊りに、亡くなった方々への祈りと新たなる復興への誓いを強く思わされたこと
でした。
 又、仮設の舞台では、地元の太鼓集団「輪田鼓」や「MAYA」のフォルクローレ、兵庫朝鮮歌舞
伎団の踊りなどが披露されました。   
                 
  <ちいおばさんのがらくた座>  
 
 翌日24日は王子公園仮設住宅のふれあいセンターで長野から、たった一人の人形劇団の座長
の木島知草さんが、お子さんと一緒に、又被災して以来長野に住んでいる絵描きの能勢伸子さん
もいらしてくださいました。 
 
ちいおばさんも昨年の7月から3、4回神戸に慰問にきてくださっています。 
たくみな話術で、かわいいボロから作った人形たちが生き生きと生命をふきこまれて動く様子に
子供たちは大喜びしていました。 当日は朝からバザーで午後が人形劇でした。 ここのところ
毎日曜日にいろいろ予定がはいって、主婦にとっては大変なところです。
。               
  <黒田の庄の川下り>          
 北海道の萩原先生の今回の予定のひとつに加古川のいかだ下りのお祭りの調査がありました。 
今回の調査を夏の  石狩川サミットに役立てようとなさっているのです。      

 この夏に又神戸の子らを北海道に呼んでくださるのでその時のイベントにもできそうなので、先生
をご案内す  ることにしました。 
 
  加古川は下流の方はよく知っているのですが、上流へと逆のぼり、どんどん奥へと向かうとい
つのまにか日本のへその西脇市も過ぎてしまいました。 さらに奥まってようやく
黒田の庄に着きました。 風光明眉な土地柄です。 古く由緒ありそなお寺が沢山あります。 

ここで、年に1回いかだ下りが催されている
のです。 今年も7月の最終日曜になりそうだとのことでした。 
               
  <なつかしい風景>
 町役場の方にいかだ下りのことをいろいろと聞き、上流でも豊れを持つ一級河川加古川のすば
らしい姿を見ることができました。

 自然のままの土手には、つくしも出てきそうです。 かわらには笹もしげり土手の上はうつくしい
桜並木、背景のみどりなす山々・・・昔ながらの典型的な、日本の美しい川の風景がそこにはありました。   
 なつかしい郷愁にひたりながら、夕日を映す美しい川面をみながら街に戻ってきました。 

まだまだ日本は健在でした・・・。
                
   <地球学校>
 帰りに海に近い高砂市の地球学校によりました。 ここは、学校に疲れた子供たちの憩いの学校です。

 もう創立以来10年になります。 現在は素晴らしい尾鼻先生の下に中高生が数人滞在しています。

 創立者の児島一裕さんも十数年来のつきあいで、毎年一回アメリカのフリースクールツアーをしておら
れて、日本でのフリースクールの草分けの人です。 

  地球学校には、丁度畑さんという写真家の方の震災の写真のパネルが50枚ほど着いたところでした。

 北海道の萩原先生は地球学校に泊まられたので、そのパネルも今度は北海道まで行くことになるか
もしれません。

 春休み、うちの小学生のmは後半を″元気村″に泊まりこんで元気にボランティアしています。

 ひまわりも毎日のようにボランティアの用事が入ります。

 仮設も一年を経て、落ち着いてきたかにみえますが、見えないところでは、ますます問題は深くなって
きているように思われます。

 一人暮らしのご老人の方々の問題をふれあい隊で聞いてきて、そのフォローをどらようにしたらよいか、
スタッフは頭をひねり、知恵を出しあいます。 

まさに21世紀の高齢者社会の先どりの問題が山積みです。

 これまで放っていた問題も地震を契機にふきだしています。 又地震で職も失い、或はたっしゃだ
と思っていた体もガタガタになり生活が総くずれで、福祉の関係へと話をすすめる方も多くいらっしゃいます。
 又、知り合いの弁護士のボランティアさんにもお出ましを願っています。 なかなか一人暮らしのご老人
にたいしては、公ではとてもには尽くせません。 みじかな手助けは是非とも必要なところです。

 年をとるということがどういうことか、ボランティアをしていると山のことを教わります。
そんなこんなをコーディネートしながら、細かな用事をひとつひとつ当事者の心は十分にケアしながら、
自立を助けるべく対応をしていく。

 不思議と子供と一緒で、わがままだと感じても一度受け入れて、してあげるとつぎからはスッとご自分
でなさったりできるのです。 気持ちがわかってもらえた、それだけでもうれしくて、
次からはしてみようと気力がわいてくるのではないでしょうか。

 どんな方でもまずはその気持ちがわかってあげれる、それが、皆と共に生き、歩めるボランティア
愚骨頂ではないかと″ひまわりネットワーク″は毎日楽しく、苦労も楽しみながら、皆で人生勉強させて
いただいているのです。


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  地震報告第15弾   1996.5. YUKI.I

                
                   
     花         作詩 
                     作曲 喜納 昌吉
  
    河は流れて どこどこ行くの          
    人も流れて どこどこ行くの 
    そんな流れが つく頃には
    花として 花として 咲かせてあげたい
 
      泣きなさい  笑いなさい
      いつの日か  いつの日か
      花を咲かそうよ
 
 
    涙 流れて どこどこ行くの
    愛も流れて どこどこ行くの 
    そんな流れを この胸に
    花として 花として むかえてあげたい
   
      泣きなさい  笑いなさい
      いつの日か  いつの日か
      花を咲かそうよ
    
    花は花として 笑いもできる

    人は人として 涙も流す 
    それが自然の唄なのさ 
    心の中に 心の中に
    花を咲かそうよ
  
      泣きなさい  笑いなさい
      いついつまでも  いついつまでも
      花を咲かそうよ
  
●先日、西宮市の視覚障害者の工藤正登(くどうまさのり)さんに誘わ
れて、喜納昌吉(きな しょうきち)さんの大阪南港でのライブコンサ
ートにいってきました。
  
 喜納さんは、私と同世代のナイスガイ。 近くではひげもじゃのナイ
ーブなおじさん、でもコンサートの遠目では若くてかわいいキリスト様
ともみまちがえそうな、そんなカリスマ性をもった素晴らしい方でした
。  瀬戸内に沈む夕日をみながらコンサートは盛りあがりました。 
老若男女も立ち上がって踊り、黒い背広を着たサラリーマンまで踊って
いる様子はとてもおかしかったです。私もスピーカーの音量が大きいの
で後の方へいってたのですが、いつのまにか前へとひきよせられてつい
つい踊っていました。       
                     
あなたはどんな花を咲かせるの
 今、喜納さんの花は大きく咲いています。 だれでも自分自身の花を
咲かせれるのです。 それぞれが、自分の花をせいいっぱい花開かせる
ためにこの世に生きているのですから。 花開いてこそ実も成ります。
 60年にたった一度だけ咲く花だってあるんです。 色も形もさまざ
まです。 泣いて笑って、多くを体験し、涙も多いほど、味わいのある
すてきな花が咲くのかもしれません。 どんな花でもそれぞれに美しい
のです生命を輝かせているのです。 どんなに小さな花だって、ひとつ
ひとつがせいいっぱい咲いて輝いているのです。          
 以下、事前に工藤さんからの聞いた喜納さんのいろいろな話を聞
き覚えのものだけですがお伝えしましょう。

         
●喜納昌吉さんは、父親が沖縄の民謡の第一人者という喜納しょうえい
さんです。 しかし息子の昌吉さんは沖縄ではしりのロックミュージシ
ャンになりました。 21才でプロになってライブハウスを持ち高級外
車も乗り回していたそうです。 そして当時のダチの罪をかぶって麻薬
所持法違反等で刑務所に入ったそうです。 しかし、出所してもその友
は有難うの言葉もなく、何ら変りもない様子をみて愕然とし、俺の行動
はいったい何だったんだろうとドン底につきおとされたそうです。  
     
 そして、これからは、人を生かす音楽だけを歌おうと心に誓ったので
す。                   
        
 そのドン底で作った唄が、占領され、仕事をとられ、娘を亡くし、
奥さんも狂ってしまってアル中になったおじさん″ハイサイおじさん″
の唄なのだそうです。

        
 それからというもの喜納さんは、心の勉強をいろいろ
して、弱いものの友となり、一緒に声を出し歌ってきておられます。 
インディアン、アイヌの人、在日韓国人、そして勿論本土にしいたげら
れてきた沖縄の人々の心の″声なき声″を唄にして、歌ってこられてい
ます。 この大震災にもいちはやく駆けつけてこられました。
        
●コンサート前に皆と一緒に喜納昌吉さんを囲んでゆっくり話をしまし
た。 ボランティアの若い女の子が、沖縄って素敵ですね、私も元気に
なりたいから、気をいっぱい貰いに行きたいなと言った時、喜納さんは

 「そうだね、貰いにいってもいいだろう。 でもね、あなたが、あな

た自身でいっぱい気を出せるんだよ。 人のために尽くしたり、いろい
ろとあなたにできることを喜んでせいいっぱいやっていると自然に元気
もでてくるんだよ。 貰おう、貰おうという気持ちでなく、自分から元
気は出てくるんだよ。」 と答えておられました。

 他にも、いつも私が言っているのと同じようなことをいろいろと話して

おられました。 私は、同魂の友といった感じで楽しく聞きながらも
話の間中、先日タクシーの衝突で、ムチうちみたいで、指が痛いという
喜納さんの指や手や腕をさすったり、首のつけねや肩に手をおいて

気を送ってあげながら話を聞いていました。 そして、これまでの 
″本物を感じる会通信″の地震報告を15冊手渡してきました。
         
●喜納昌吉さんは、この夏アトランタオリンピックのスタジアムで、こ
の″花″の唄を歌います。 日本人の代表として、歌うのです。   
            
 そして、帰られて8月30日には大阪で、そして9月1日(日)に関
西学院でライブコンサートをされます。 私も9月1日の方の仕掛け人
の工藤正登さんの″震災地から良き未来を提唱実現させる会(仮称)″
に協力して、その防災の日に、あの阪神・淡路大震災の認識をあらたに
するためにもボランティアとして参加しようと思っています。
       
 
 
                    作詞        
                      作曲  高石 ともや
                    
        
一 下駄の音  路地裏通り   
  雨あがりの屋根       
  窓ごしのてまりうた     
  おさげ髪の思い出      
                
   この街が好きさ      
     君がいるから     
   この街が好きさ      
     君のほほえみあるから 
二 街の角  喫茶店
  古い美術館
  山かげの細い道
  初恋の涙

   この街が好きさ
     君がいるから
   この街が好きさ
     君のほほえみあるから
                
三 大学通り  流れる川    この街が好きさ         
  走る路面電車          君がいるから        
  背の低い山をみて      この街が好きさ         
  君と僕のあした         君のほほえみあるから    
       
 高石ともやさんは、誰もしらない人がないほど皆様ご存じの歌手でし
ょう。 高石さんも震災ではいちはやくかけつけて下さり、ずっと中学
校の避難所で、救援活動とはげましのボランティアコンサートをつづけ
ておられました。 

 被災者とともにいて、ともやさんがギターをもって歌いはじめると、
その歌声は人の心にひびきわたり、いつのまにかともやさんの周りに
人が集まり、皆は涙をためて聞き入ったそうです。 ともやさんは、
避難所のテントの被災者たち皆の心に明るい灯をつけてまわって
くださいました。 ともやさんは歌は祈りだとおっしゃっています。 
それは今回紹介する三人の歌手と映画にみな通じているものです。     

 

<<わが故郷・山と川・心の歌>>

    岩見沢/夕張80kmランニング(給水ボランティア募集)
            
この6月28日(金)から、7月2日(火)までともやさんの故郷で、
ともやさんと一緒に北海道を走るマラソンがあります。   
28日  増毛(マシュケ)札幌の北、
        
 29日 暑寒別(ショカンベツ)岳を登っておりる  35.2km
     雨竜沼の湿原  山小屋に泊まる・自然環境のビデオなども

 30日 砂川北公園   野外ステージで3時からコンサート
      美唄の焼き物・渡り鳥の繁殖値観察・鶴の先生の話

  1日  岩見沢東山公園
  2日  石狩町     一緒に北海道に歩きに?いきませんか。
    
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地震報告16弾   1996.6
 

  自由の鐘  
    作詞・作曲 こもれび 由奈

  
   響け自由の鐘よ  すべての山々から    
   響け自由の鐘よ  高らかに鳴り響け
  
 一 それは あまりにもむごくて   思わず目をそむけた
   皮膚の色が違うだけで   虐げられてきた人たち
   むち打たれ ののしられ 辱められ 耐えて耐えぬいてきた
   同じ人として生まれてきたのに なぜ なぜ なんのために
    
   ある日 彼等はあるきはじめる  自由の地をめざして
   武器を持つ者はひとりもなく  彼らは歌を歌った
    マーティンルーサーキング 彼がいたから 一つになれた
    マーティンルーサーキング 彼がいたから 歩き始めた  
   
 ・・・・・・・・・・・・・
   先月号に″阪神ホットグリーンの会″の助っとをしている
   とお伝えしましたが、はやくいえば雑用係りの裏方です。 ワゴンで人を沢山のせて、いざ
   となればトラックも使えて、よく働き、顔も広くて寄付金もとってくると重宝されているのです。
    そして、ワンマンでおしゃべり好きな男たちは長演説をとくとくとし、健常者はご

   奉仕あたりまえという感覚や、音楽を楽しむでなく魂胆ありで関わっているような方も
   いらっしゃるようなので、今後とも関わっていくかどうか・・・?

 
 とりあえず、これまでの7回にわたる″こもれび由奈″さんのコンサートは、なんとか無事
に終わりました。 
 ふれあいセンターはどこも満員で由奈さんの澄んだ響きと心の祈りの歌声を多くの方々
に楽しんでいただけました。 

 
 由奈さんは、全盲です。 今回スピーカーやアンプの調整をなさっていたご主人も舞台では、
ギターを弾かれる全盲の方です。 三重県の津市から機材一式つんでこられ、運転手は舞台
で手品もする鈴木さんという若いクリスチャンの方でした。

                     
 こもれび由奈さんは、盲学校の理科の教師をなさっていたのですが、目の状態がひどく悪く
なられて、とうとうやめて、独学でピアノも弾き、シンガーソングライターとして生きる決心をなさ
ったのもここ数年のことだそうです。

       
 由奈さんは、今子供たちの心は渇いており、真実を求めている子たちはいるのだが、大きな
流れのなかにうずもれて、みえなくなっている。


 そして若者達の間には悪いものが増長蔓延し、音楽もひどいものがとりまいている環境だけど、
その子らに少しでも本物の歌を耳にとめてもらえるよう伝えていかねばと真剣に思い歌ってお
られるのです。   

     
 そして、この5月27日には、この「自由の鐘」をタイトルにしたCDを発売なさいます。 
1500円で、こもれび・塔世橋・THE 0NLY 0NE・藤の花のように・自由の鐘 など入っています。



   5月12日(日) 灘南ふれあいセンター       
        トゥ・ヌーマ楽団  琉球の歌と三線・太鼓・ギター
        
    20日(月) コープ生活文化センター        
        しあわせの村混声合唱団  コーラスと和洋楽器
           
    23日(木) フレンテホール  午後7時
        アンデスの風″プカソンコ″ フォルクローレ
          
    26日(日) 六甲アイランド第三ふれあいセンター    
        ときめきライフ″歌の旅人″
        
  6月 1日(土) 夙川公民館 松下ホール
        島うたの会「ユイ・ゆい」 奄美・沖縄の歌と踊り
           
     9日(日) 精道小学校
        芦屋交響楽団・歌の旅人・ハンドベル
          
    15日(土) うはらホール
        こもれび由奈ラブリィライフコンサート
          
    23日(日) フレンテホール
        フリーダム・しあわせの村合唱団

    23日(日) 六甲アイランド第5ふれあいセンター   
        ときめきライフ″歌の旅人″  
       
 

  踊りと島うた         弥島 玲子

 喜界島の敬老会に出演した。私は、太鼓をたたいたり、キーボードを
弾いたり、牛の足になったり大忙しだ。初めてなったこの牛、唄をまち
がえて出るという大失敗をしたのだか、大人気で、一緒に牛になった後
藤さん(後足)と牛引きをした仲尾次さんとまたやろうね。とルンルン
気分。 
 さて、そこでその時、8月踊りをみた。大塩さんが、「変な踊りだね
」という。日本舞踊とももちろんヨーロッパのダンスとも全然違う。ど
ちらかといえば、東南アジアの原住民の踊りの雰囲気かな?
 だけど、不思議な魅力がある。素朴というか、原始的というか・・。
きっと暗黒舞踏(縄文人の心を表現するとかいう)の人たちがみたら、
喜ぶだろうな。 
 そこで、私は、一昨年の夏、テレビのドキュメント番組で特集されて
いたハワイのある少女のこと思いだした。
              
 彼女は大学生だ。確か祖母がハワイの原住民で、4分の1原住民の血
が流れている。あさ黒くたくましい感じは原住民の雰囲気だ。それを彼
女は誇りに思っている。
 それで彼女は、ハワイの原住民のお祭りで、、滅びかけているハワイ
のある部族の踊りを再現するのだ。そして、それが、彼女の卒業制作で
もある。彼女はそのために、一年以上かけて、勉強する。原住民を訪ね
歩き、長老やおばあちゃんたちから話を聞き、踊りを再現してゆく。
その踊りにこめられた、伝説や歴史が明らかになってくる。そして、彼
女はだんだんわかってきた踊りを、その原住民の前で練習する。単純な
動作なのだが、その微妙な雰囲気をだすのに、苦労し、練習を重ねる。
 いったいフェスティバルにしあがるのだろうか・・・・。
                 
 フェスティバル当日、5分間の彼女の踊り。凄い拍手。その踊りには
、人々を感動させる不思議な血からがあった。神秘的で原始的で、力強
く、艶めかしい・・・。
 踊りに興味など持ったことのない私でさえ、見惚れてしまった。
 そして、私にとって、彼女の姿はまた違った意味で、ショックだった
。22〜23才のこと、私は父(島人)への反発と、当時のボーイフレ
ンドの影響から、妙にヨーロッパにあこがれて、太い眉を抜いて細くし
、いつも日焼け止めクリームをベタベタ塗り、肌を白くするために必死
、筋肉質の体をかくすためにダイエットして、貧血ぎみという、情けな
い状態だった。この誇りにみちたハワイの少女とは、まるでちがう。
      
 ヨーロッバは豊かで、明るくて、軽くて、かっこ良く、奄美の父の世
界は、貧しくて、暗くて、かっこわるいとしか、22才の私にはうつら
なかったのだ。そして、勉強といえば、奔の活字の世界をうろうろして
論文を書くことにしか思っていなかった。 
 だから「踊り」を自分の卒論にしたという、彼女の姿勢にも驚いた。
彼女は文字ではなく、自分の肉体の動きで表現する。5分間の踊りの中
で過去の伝説は、現在に蘇り、未来へとつながる。民族の精神は、音と
リズムと彼女の肉体の動きによって感性と形を獲得する。

 ちょうど、その頃、父が死んで、いつも父に反抗していたのに、なぜ
か、心にぽっかり穴があいた。孤独と失意のまま死んでいった父を思っ
て、ただメソメソしていた。
 「彼女のように、伝説のリズムにのって踊ってみたいな・・・」
そう思った。 そうしたら、このメソメソした状態から抜け出せるよう
な気がした。
 それで、さっそく「ザ・淀川」を発行している南野さんに電話した。
 「ねぇ、奄美の唄とか踊りとか教えてくれる人いたら探しておいてく
 れるかな」

    
   南の島の踊りは魅惑的・・・阪急六甲の駅の教室でもフラダンス
   を教えている先生を知ってる。踊りだすととたんに至福の顔だち
   になられる。目線がいつも上にあるのも瞑想のひとつ、踊る周り
   に風を肌で感じ、波の音がし、星のかがやきさえ聞こえてくるよ
   うだ。屋内での踊りとちがい自然の中での全てを慈しみたたえる
   踊りだからだろうか。魂が喜び洗われる踊りだ・・・(yuki)



「五等になりたい。」
          
    障害といじめを考えるアニメ


 小児麻痺の律子は懸命のリハビリでようやく歩けるようになった
                 
  学校にいけば友達が沢山できる と喜び勇んででかけたが、待って
いたのは級友のいじめ。落ち込む律子をマッサージ師の石橋先生が励ます。
  「人は皆どこかにハンデを持っている。人とちがっていていいんだ
         よ。いじめをする子は心のハンデを持っているんだ」・・・               
       日時  1996年 6月 16日(日)

         10:30    1:30

      場所  神戸文化ホール 中ホール
        
        大・子供同額 前売り700円(当日千円) 
    
 先日、西宮の工藤正登さんの″走ろう歌おう大運動会″主催のこのア
ニメの無料上映会にいってきました。 すてきな歌もありましたが、何
よりこのアニメでボロボロと泣いてしまいました。 

 こんな魂にふれるような良い映画を各小中学校で上映したら、いじめ
や障害を持つ子への理解もふえて、自分たちの友達への態度の反省にも
つながり、子供たちの心を大きく育ててくれるだろうなと思いました。
                 
 子供たちに良いものに触れさせるのは大人たちの義務であり、責任だ
と私は思っています。 
 現在は荒々しいアニメや毒気のあるセックス吹聴の欲の世界を書いた
ものなどの奔流に押し流されて、本当に清らかで美しく輝くもの、微細
で繊細なものは踏みつけられたり隠されている時代です。
                
 しかし、本物を求める心さえあれば、かならず見えてきます。 隠さ
れているもの見えないものが見えてくる。 このような本物の映画が各
学校や地域センターなどで、どんどん上映されるようになれば、もっと
明るく楽しい社会や学校へと切り変わっていくのではないかと強く思わ
されました。 
  学校の先生、お母さんたち子供達をつれて見に来て下さい!!
                   
 大阪市や府はこの映画を特別推薦作にしています。 しかし、残念な
ことに実際の上映に関しては何もしてくれません。 上映するのに前回
のようなボランティアでも少なくとも20〜30万円はかかるそうです。
 勿論、制作費も莫大だからです。  
           
 学校も隔週休2日になったことで、授業時間のしわよせがきて、道徳
などの授業も実際は学科に化けています。 そして行事として、このよ
うな映画会をあえて催す学校はほとんどなくなってきている状況だそう
です。 本当に文化というものの大切さが、行政や何より教育委員会に
分かっているのでしょうか。 官僚は良いものが分かる感性まで亡くし
ているのですか。 子供たちとともに大人も育つ必要がありそうですね。

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  地震報告第17弾   1996.7.

高石ともや
 ワイルドラン  96

  
 いやあ全く、予想外に楽しいボランティアでした。

 まいったまいった、こんな楽しくてさわやかで歌と汗と感動と喜びい

っぱいの体験ができたなんて、ほんと夢みたいな5日間(行き帰りのフ
ェリーもいれて一週間)だった。 それにマラソンマンって体力も精神
力もいるんだね。 あれだけ夜中騒いで飲んで、昼は40キロ平気で走
るなんてもうスーパーマン、始めて出会った人種に目からウロコ。

 これも北海道の萩原先生や高石ともやさんのおかげ。 勿論ともやさ
んもボランティア。 そして素敵な盲目のランナーの中 済さん、サポ
ートとエイドの金子さん夫妻、大西さん、加藤さん、高橋さん、PCの
松野夫妻、ビデオ係りの中村君をはじめ、ランナーの方々、木部さん桧
山さん阿部さん・・・各地での大勢のボランティアの方々・・・本当に
お世話になりました。 有難うございました。  

 なかには、いろいろあったけど、そのいろいろがしっかりと体験と勉

強になっていくてごたえをひしひしと感じながらの一瞬一瞬が輝きの毎
日でした。 いやはや″百聞は一見にしかず″ですね。

 私も″晴れ女″だけど、高石ともやさんは、私以上の″晴れ男″みた
い。 彼が行くところ歌いはじめるとお日さまが顔を出し、歌いおわる
とがまんしてたかのように雨がふり出す、不思議なことが多かったね。
龍神様に守られていたのかもしれないね。

 神戸からはるばるボランティアにきたものの、ボランティアの大先達

にしっかりボランティアしていただいたという感謝と喜びでいっぱいで
す。 こんなに楽しく、人々との交流と、自然との交歓ができて、池邊
母子、もう幸せでいっぱいです!!  ありがとう、みんな!!
     
  
このワイルドランは高石さんが毎年していて
北海道新聞社による野生生物基金の主催です

 6/28(金) 29(土) 30(日)  7/1(月) 2(火)
  増毛〜暑寒別〜雨竜沼湿原〜雨竜町〜滝川〜岩見沢〜石狩    
  走行距離 約150km

6/28(金) 
  札幌NHKに集合  増毛まで車4台で移動

海とせまる山々をみながら海岸線をひたすら走る。 トンネ
ルを通りながらネットをはった段涯にヒヤヒヤ。 でもとも
やさんが小さい頃増毛への交通は船位しかなく、陸の孤島だ
ったそうだ。
  高石ともや「フォークとトークの夕べ」 増毛文化センター
  暑寒別岳の入口、暑寒山荘に一泊
 ランプとまきストーブの神秘的な夜 話もお酒もはずんで
3階建ての山荘のあちこちでおやすみ・・・外は冬、内は初
夏、蚊に悩まされる人もいたが、虫がよけてくれる私にとっ
てはまさに天国。 フトンもあるし、いいなあ、これで楽器
もあればいうことなし
        
29(土)
  暑寒別岳トレイルラン 
  (高石、中、萩原、阿部他 増毛山岳協会の方々)
  暑寒別岳頂上 (1491m)
  南暑寒別岳頂上 (1296m)(雨竜山岳協会の方々と合流)
 全盲のランナー中さんを連れてのトレイルラン、線の細い
やさしい中さんの足のたくましさに脱帽、そして、ともやさ
んの誘導の声と肩を貸す萩原先生たちへの強い信頼に美しい
友情を感じた。
  雨竜沼湿原でサポート隊と合流
 サポート隊は車で南暑寒荘に先まわり、そこから逆コース
で雨竜沼湿原へと登山。 雪渓がのこる谷の流れや滝をみな
がら、花と緑の険しい山道を行く。 一転して100コ以上
の沼の水面が青空を映してまるで極楽の池のよう、雨竜沼湿
原だ。 みずばしょうの花は、まるで白い妖精たち。 凍る
ように冷たく澄みきったあちらこちらの流れにそって、語ら
うように踊るように、一面に咲きこぼれている。
 真衣と「夏の思い出」を歌いながら、もう一息湿原を見お
ろす展望台まで。 私や金子夫妻はそこまで、真衣や中村君
は南暑寒別岳頂上まで頑張って登った。
  山開き前夜祭                       
・雨竜町の「高石ともやと楽しく遊ぼう会」の方々によるバ
ーベキューパーティー
・「高石ともやさんのフォークとトークの夕べ」
・写真家岡本洋典氏の「雨竜沼賛歌〜スライド」と写真説明
 雨竜沼湿原は今年は6月1日まで雪に埋まっていた。しか
し、一気に春がきて、もうしばらくすれば、色とりどりの花
にあふれ、目もさめる緑色になるという。 湿原すむ生物や
植物も多い。 湿原も年ごとに遷移し、変化してきている。
 そして美しい湿原も9月の声をきくと冬支度。 年の半分
以上は人の訪れることもなくひっそりとたたずんでいる・・
  南暑寒荘にて一泊 
 話あいは高石ともやさんの同窓会と飲み会になり、夜中1
じ半頃まで騒いでいたらしい。 これだけ故郷の人たちに暖
かく迎えてもらってともやさんは小さい頃から人気も人徳も
あったんだなとよくわかった。 小さい頃一緒に遊びまわっ
た幼ななじみはいいもんだね。 この雄大な大自然は素晴ら
しい人間と友情も育ててくれるんだなあ・・っと、途中まで
聞いてた私も、お酒と久しぶりに体力使った疲れとで、真衣
と一緒にはやくにドブン。

 30(日) 暑寒ダム〜雨竜〜砂川北光公園へ  41km
   暑寒ダムからランニング開始
   雨竜市郊外から市街にむけてパトカーの先導
高石ともやと走ろうと子供たちが小雨の降るなかを待ちうけ
ている。 一部分一緒に、ヨーイドン。
   滝川・川の科学館から
「ゆっくり走ろう14キロ」親子・市民ランニングスタート
「歩いて走って6キロ」では娘も一緒に走ったが、昼食を
たべだちなのでお腹が痛くなってビリでゴール
   砂川北光公園ゴール
  
  
  
  
野外ステージで「フォークとトークの夕べ」
 ともやさんの和気あいあいの楽しいトークとギターやバイ
オリン、バンジョーを駆使しての楽しい歌や、遠い青い山々
を見ながらのしんみりした自然を歌う歌の数々にみな聞きほ
れている。 野生生物基金の説明を金子さんが話し、私も神戸から
のボランティアということで毎度一言、感謝の言葉を述べる。
滝川・ホテル三浦華園一泊
懇親会:またまたホテルの社長が同窓生で飲み会開始。 エーッ!
              
7/1(月) 砂川〜岩見沢  49km
砂川北光公園スタート
・奈井江小学校校門で全校生徒の出迎え、そのまま歌とお話
・西美唄中学校で歌とお話 ともやさん生徒達と給食を一緒に
・北村東小学校でも野外で歌とお話
 子供たちと楽しく交流しているともやさんは、ついつい長引いて
 時間が押せ押せになってサポート隊はハラハラドキドキ
・岩見沢市民会館横 萩園公園野外ステージ
  駒澤看護福祉専門学校の学生たちが出迎えてフォークとトーク
岩見沢健康ランドにて、ともやさんとランナー達テレビ出演  入浴
栗沢小島サンシャインヒルクリニックイギリス館と宮村荘に宿泊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 イギリス館はイギリスからの移築の由緒あるしかしモダンにもみ
える魅力的な館、いくつもの池や散歩コースのある丘など全て″薬
はいらない″の信念の小島クリニックのもの。
 野外のバーベキューもとれとれの毛ガニや牛のホルモン、ビール
に堪能してから移動したクリニックの診療所は、自動演奏つきグラ
ンドピアノもある豪華リビングルーム仕様。 うれしくなってつい
つい奏でる私のピアノに皆うっとり酔いしれて?!(実際酔ってた
から)PCの松野さんは小雨のなか音響セットを運び入れ弾き歌い
のマイクまでセット。 皆のマイク片手の喉自慢が始まると、ウト
ウトしてたともやさんも俄然本領発揮で起き出して皆で大合唱。
 私もともやさんのギター伴奏で″ムーンリバー″を歌えて感激!
音楽に共鳴しあう心は喜びにあふれる。 素直な響きは素直な心を
よびさます。 ただただ音の楽しみがあるのみ、幸せな夜だった。

2(火)最終日  岩見沢健康ランド〜石狩町役場   42km
・新篠津小学校で野外交流会
 子供たちが太鼓や笛の合奏と歌で出迎えてくれる。 ともやさん
の息子さんのホノルルマラソンでの頑張る様子等おもしろく話をす
る。 毎度ロック調の「輝けラモス!」の歌に子供たちは手をたた
いて大喜び。
・ゴール地点は石狩町役場前 役場の方々が、セレモニーを組んで
くださってて、最後の「フオークとトーク」完走の感激や達成感は
エイドの私たちも同様。 あっという間の5日間だった。
 ともやさんはまもなく千歳空港へ出発空港の上だけ青空なのをみ
て、ああやっぱり・・・END
  
  
/////////////////////




    北 海 道 ツ ァ ー の し お り
        自然にふれ心をいやす

        
        北に呼ぼう神戸っ子 ’96夏


 
     平成8年8月15日〜8月22日 
     於 北 海 道 岩 見 沢 市




 企画案内      北海道岩見沢市 駒沢大スタッフ
 灘地域助けあい  ひまわりネットワーク
 

 後  援 車輛競技公益資金記念財団
     北海道共同募金会
     石狩川振興財団
     岩見沢市教育委員会
     岩見沢市社会福祉協議会
     神戸市教育委員会
     神戸市社会福祉協議会
     南空知市町村圏組合      

 学校施設協力 朝日小学校
 校長 菊 池 支 郎
 教頭 赤 間 由 美
 生徒 19名

 個人施設協力 小 島 良 友(岩見沢小島内科病院院長)
 斎 藤   聡(岩見沢公益社常務取締役)
 佐 々 木 農 園
 六甲八幡神社

 協  力 駒澤大学苫小牧短期大学ひまわりの会
 岩見沢市各界の市民の方々
 神戸市のボランティアの方々


 参加者: 被災した、仮設の子供達  計28名



<行程図>

乗り物(@〜Cに分乗します)
@マイクロバス(26人乗り)
Aワ ゴ ン (9人乗り)
Bワ ゴ ン (8人乗り)
Cト ラ ッ ク (3人乗り)

自分たちでも,地図を見て道を調べてみましょう。


8月15日(木)

時 間 プ ロ グ ラ ム 内 容 ・ 摘 要

14:30 (スタッフ集合) 車は動物園の駐車場にとめておく

15:00 阪急王子公園駅 西口集合 受け付け(江崎さん,岡田さん)
     集金,名前の確認→名札渡し
     朝日小の子たちへのプレゼント,
     ホームステイの方へのプレゼントをまとめて箱に入れる。

受付がすんだら,伊勢さん,墓越さんの指示で並んで待つ

駐車場に移動し乗車

16:00 王子公園駅出発 マイクロバスとワゴンとトラックで舞鶴道
                     (必要に応じてトイレ休憩)
20:00 着いてから、弁当(時間を見て判断する)

22:30 フェリー乗船 2等船室(それぞれ毛布を確保)

23:30 フェリー出航

      就寝 落ち着いたら,できるだけ早く寝るように。


8月16日(金)

終 日 フェリー内自由行動 ・朝食・夕食あり・・・船内食堂に予約済み
・昼食は各自で取る。
・班編成(4〜5班に分ける)
フェリー内での催し計画中
21:00 風呂・就寝 ・翌日の朝が早いので,できるだけ早めに
就寝しましょう。


8月17日(土)

4:00 起床 忘れ物がないようよく荷物を確かめましょう。
4:30 北海道小樽港到着 案内役の大西さんが迎えにきてくれる
4:30 小樽出発 石狩経由で岩見沢市にむかう
6:00 佐々木農園到着 朝食
    休憩
8:00 出発

9:30 岩見沢市到着 栗沢サンシャインヒルクリニック,宮村荘に荷物を置く。  

10:00 挨拶 ◆挨拶・感謝の言葉
         ◆オリエンテーション、日程説明
10:30 体調のチェック 小島先生のメディカルチェックを受ける。
11:30 自由行動 休憩 昼寝
12:30 昼 食 みそ汁 ごはん

13:00 散策自然観察 各自の体調に合せて参加しよう。
      「中さんとマラソンをしよう」

15:00 テント準備

16:00 入浴 「五衛門風呂」 水をくんで自分たちで炊く。
     子どもたちは交代に入浴する。

17:00 夕食準備 ジンギスカン,焼き肉パーティの準備

18:30 歓迎の夕べ ホームステイ先の皆さんと交流

19:30 音 楽 会  皆で歌いましょう、楽しみましょう
      (yukiさんのピアノ・タグさんのギター・子供たちの歌・・・)

21:30 消 灯 宮村荘とキャンプ泊


  ・中さん(全盲)はメルボルンでの次期パラリンピック候補のマラソンランナー。
  ・ホームステイ先へ行く子もあります。

 
8月18日(日)

6:00 起床・散歩
7:00 朝食 みそ汁・ごはん

8:40 栗山町出発 案内 大西さん。
    水筒にお茶を入れるのを忘れないよう。

9:10 利根別自然休養林 ネイチャーウォーク
     自然にふれ、自然に親しむ

13:00 昼 食 たきこみごはん(岩見沢公園キャンプ場入り口)

     山登り〜植物園

17:00 栗沢町 到 着 遊民山荘付近でテント張り 2つ(16人)

     入 浴

18:00 夕 食 会 於遊民山荘(バーベキュー)
      ◆挨拶・御礼
       キャンプファイヤ−

20:30 後かたづけ

21:30 就 寝 キャンプか「遊民山荘」に宿泊

      ステイ先ホストの方々も一緒に夕食会に参加してもらいます。


8月19日(月)

6:00 起床・散歩

7:00 朝食,ミーティング みそ汁・ごはん

9:00 自然工作 キャンプの用意
     空き缶でランタンづくり(5コ作る)

     いかだづくり(かざりつけも)

11:45 昼食 山荘でおむすびを食べて出発

12:00 朝日小学校へ出発
13:00 朝日小学生と交流 朝日小学校児童との交流(19人)
     ◆挨拶(田村くん)
      記念品渡し

      グラウンドで遊ぶ・・ 
14:00  川 遊 び 森の中の川で遊ぶ・・
      筏遊び
      魚取りなど

16:00 朝日小学校出発

16:15 岩見沢公園到着 岩見沢市教育長ご挨拶
      テントはり・はんごう炊さん・空き缶で炊く

19:00 夕 食 カレー・サラダ

     花火

21:30 就 寝 テント(24人・6人・4人・2人計36人)


     岩見沢公園 オートサイト No1〜5(予約済み)


 
8月20日(火)


6:00 起床・散歩

7:00 朝食,ミーティング みそ汁・ごはん

9:00 岩見沢公園出発
9:30 新篠津に到着 お茶・着替え
    川遊び ・篠津湖でカヌー体験
    (新篠津村B&G海洋センター挺庫)
    ・魚釣り

12:00 昼 食 レストラン「ななかまど」
     雨天時は「湖畔の家」利用

14:00 農事体験 とうきび狩り

17:00 岩見沢健康ランド到着 入浴・休憩

18:00 夕食・お別れ会

21:30 就 寝 健康ランドに宿泊



 岩見沢公園 オートサイト No1〜7(予約済


8月21日(水)


6;00 起床

7:00 岩見沢市出発

9:00 小樽港到着

    朝食,ミーティング

10:00 小樽港出航

     船内自由行動

21:00 風呂・就寝   夕食あり



8月22日(木)


8:00 起 床 朝 食

     フェリー内自由行動 昼食は各自で取る。
     思い出を書き留めよう。

15:00 舞鶴港到着

     〜舞鶴道〜神戸

18:00 王子公園到着 解散


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北に呼ぼうよ神戸っ子

震災ボランティア北海道ツアー報告書