切に願っています。 自分の意識が変わるだけで、周囲の人の意識も一瞬にして変わります。
それはみごとなまでに、見える世界も一変し、心持ちも変革され、軽く明るく楽しくなれるので
す。日々新たなり、日々成長してこそ人間です。それも人と人との関わりの中で成長できます。
昨日の私は今日の私ではないのです。本年は相変わりましてこそ、お目出たい年となることを
申しあげておきましょう。
今年は五黄の乙亥です。今年は全ての宮が本来の位置を得て、それぞれの本分にきづか
せていただく年となっています。 それだけに、気づきに応じて、良くも悪くも正しく報われる年
たとえば阪神大震災も、目覚めと気づきのための大きな試練でした。多くの亡くなられた方
々のお陰で、残ったものにとっては、その悲しみと苦しみの中から真実大切なものに気づかせ
ていただけるのです。大きな苦しみこそ、大きな気づきに出会えるともいえるのかもしれません。
又、それなりの役割を持たされている方は、あの惨状の中でも不思議とすばらしいお陰をい
ただき、命の助かる状況へと導びかれたようにも思われる話も多々伺いました。
不思議とも奇跡ともいえることも多かったように思われることです。
一人一人がより高い気づきへと成長してゆく目覚めの時が今きています。今年、五黄が表
今回の大震災も、人間の科学文明へのおごりを諌め、自然への畏敬、人間本来の目的、
宇宙意識への気づき、愛にみたされた心への気づきを促していると思われるのです。
今回の地震、私のいうところの神の戸の岩戸開きは、神戸から始まり日本へ世界へと波及
してゆくのでしょうか。
神戸の復興に関して核芯への気づきのないままに、これまでと同じ次元での経済効果をね
数年後には、又違ったソフトの形での大きな揺さぶりをかけられ、もっと思いしらされることとな
るのではと私には,思われます。
実際、現在神戸市の各所での未来設計図がひかれ、町並や色まできめられてきているそう
待って!と私はいいたいのです。 この不況を活性化できるチャンスとばかりに金時計をはめ
た親方日の丸の議員達が、よだれたらたらで利権をあさろうとしています!
これまでと同じ状況、議員たちのエゴで再建がなされるなら5千人もの死者の魂は浮かばれ
ません。 それらの尊い犠牲の教えてくれたもの、それを受け取った人たちがもっとすりあわせ
て吟味してゆく時間が必要ではないでしょうか。
地震当日の朝一番も支援どころか、株式市場で大林組、青木建設・・・関西の建設関係の
ここにむらがった人たちは、その利益を震災のために少しでも還元しようという気はおありに
なるでしょうか。 たとえ一部でも差し出しましょうとでもいう気になってくださらねば早晩整理される
側となりましょう。
私のところにも、登校拒否のフリースクールの小・中学生たちが、支援を申し出てきています。
そして、うちの子たちも全員早くからボランティアに出て手伝っていました。又子供の同級生
たちもボランティアにいったりしています。
ところが、ティッシュを配ったり、弁当をくばったり、いえば、今では避難者たちが、自分達で
できることにボランティアの手をわずらわしている状況です。
当初生き生きと目を輝かして、人間勉強だといっておもしろがってた?子供たちも、たいくつだし、
あき時間にボヤッとしてるのもいやだからといってボランティイアをやめてしまいました。
ところが、郵便局では、救援物資が山積みで放ったらかしなのです。遠方からの貴重な一人一
人の思いやりを無にして、さらなる救援をテレビでもおことわり申し上げるているという状況なの
です。
今朝は対策本部と連絡をとり救援物資の仕分けや配送のボランティアなどのきめこまかいケア
についてきかねばなりません。
これまでの文明が、後始末や細かいケアを考えないまま、弱者を切り捨てて、思いやりのない
ままにつきすすんできたので、この天災でこの始末だと思われるのです。
強者の論理とおカミ意識が、この震災での救援活動のたちおくれと救援活動内容のピンボケ
をうみだしていると思われます。
宝塚の知人も自治会館を救援用に利用と思って言ったところ、そっくりかえった会長さんは、
に直訴の葉書を書いたそうです。
救援の為の会議も現実のボランティアのスタッフである女性はいれてもらえないとかいう事実
もあります。
やはり男性論理、強者の論理、レッテル意識で救援がすすめられているらしいことは、大変
に残念なことです。救援物資の下着も男性用は沢山あっても、なぜか女性用の下着は私のみ
た時はいつもありませんでした。
に喜んでいただける対応をして頂きたいものです。
困った時には十分力になり、市民一人一人の気持ちを汲み取れるくらいの暖かい思いやりの
対応が、今こそ求められている時と思われます。
今回難を逃れた方々もこの震災から十分に学び気づくことがなかったなら、次はご自分たち
の番だと思っておられてていいんじゃないでしょうか。
●助けあい分かちあう
天変地異や非常時にこそ、本質や実力が分かります。
今回世界からも驚嘆されていることは、日本人の落ち着いた平常心であり、助けあい分かち
あう精神の発露でした。
そのような日本人の根っこともいえる面を、かいま見れたことは、大変重要なことだと思われ
ます。
外国でなら暴動もパニックもおこって不思議でない状況の中で、皆が互いの生命を救いあ
い、助けあって被災者どうしで懸命な救出作業をしました。
水も食料もないところで、一つのおむすびを分けあい、助かった人はボランティアで奉仕し、
互いに不自由も分けあって共に生きるという心の芯のパイプがすぐにつながりました。
これは気づきのひとつだと思われます。
●日本の心をとり戻した 日本人
テレビのインタビューで一人の老人が「日本人のもともと持っていた心をとり戻した」と
感想を述べていました。
まさにこの震災の危機的状況の中で、これまで、浮かれておごっていた日本人が再び暖かい
思いやりの心つながりをとり戻したことにきづかれたのです。
このような、極限状況で、人は、生命の大事さ、そして人間として生きるということは何かと
いう深い所に直面させられたのではないでしょうか。
●形骸化した官僚機構の中の 心を失った人たち
又この震災では、全く悪い意味での「あいまいな日本人」がすっかり露呈されました。
それは、この非常時の国会でもグダグダいわれている行政の対応のまずさの点です。
同じ行政と立法に携わるものが、この非常時に言いあい、責めあい、足のひっぱりあいを
しています。
議員は皆テントに寝て、冷たいおにぎり一つのなかで、震災を体感してそこで、生の声を聞
きながら話し合いをすべきです。
あさっての所でぬくぬくといて、頭と言葉だけのラリーをしてもみのある政治はできないと思
われます。
●緊急時の対応不能
官僚機構という、個人が何もきめられないシステムと何よりそのなかの人の人間としての
判断力のなさがみごとに浮かび上がりました。
なにより人命第一の鉄則がシステムという構造の下に切り捨てられました。
日常、そのシステムの中で自己保身をしている内に、何が大切か、何が大事かをを見失っ
てしまった官僚人間とその機構の形骸化が、対応のまずさや遅れとなって、この緊急時に
致命的な欠陥となってあらわれたのです。
これをみても核芯(確信)を持たない、自信も自覚もない現代の日本人のうろたえる様子が
伺えます。
又人間として日本人としてのアイデンティティーのなさ、自信のなさが、実行力の欠如として、
この大震災での対応のまずさとして暴露されたのです。
システムだけ、ハードだけをかえても同じことです。もっとその奥に潜む人間としての本心の
あり方を問わねばなわないでしょう。
●意識下の心
私は、今回の地震は、日本人のアイデンィティーに再び目覚めさせていただいたと思うの
です。
そして、それを精神的拠り所として自覚と自信を持って行動できるようになるようにと促され
ているように私には思われました。
私の思う日本人のアイデンティティーとはなにかというと、外国人からみた日本人のあいまい
さといえるものが、そうではないかと思われます。
しかし、現代の日本人自身はそれらをほとんど忘れかけており、意識下の領域となってしまい、
自分でも気づいていないようでした。
その私のいう日本人のあいまいさとは、
一言でいうと、森と水とともにある湿潤な自然とともにあるというもののあはれをしる心、
花の声、虫の声、木の声がきけるやさしい穏やかな心です。
又、あるがままを受け入れる、全てを尊び、受容する清濁あわせのむ意識、そして、見えない
宇宙の響きや働きを感じれとれる感性、だと私はおもうのです。
その日本人としての意識のあり様の大切さを、今回の地震から、気付かせていただいたので
はないでしょうか。
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■遺体が地に並ぶ
この阪神大震災で5500人に近い方々が亡くなられました。
各避難所は、緊急の遺体安置所となりました。地震の直後、東灘区では、多くの遺体が
2号線の中央分離帯に次々と並べられていたそうです。
周囲に黒煙があがり、ビルは傾き、家々の倒壊した惨状の中で、ずらっとならべられた死体
は地獄絵ともいうべき悲惨な光景だったそうです。
テレビにはいつもうつってた住吉川の東岸の、4階が潰れた公団のすぐ東隣のコープ神戸
生活文化センターの広場も一時遺体が並び、体育館の避難者たちは移動させられて二百五十
体もの緊急遺体安置所になったそうです。
向かいの灘高の体育館も当初二百数十体の遺体安置所になっていました。
■あの芦屋がゴーストタウン
地震後6日めの1月23日の月曜に、仕事に行く夫を阪急西宮北口まで車で送りました。
ホテル暮らしです)その日は朝の5時半に六甲を出発しました。
東灘から2号線に入り、芦屋市を走る間ずうっとまっ暗のままでした。まだ停電していたので、
信号ひとつないままの2号線、周囲も崩れた建物もまっ暗のままでまさにゴーストタウンそのも
のでした。
その帰りに、私が大学以来お世話になっていた調律師さんが東灘区の魚崎小学校に避難さ
彼の東灘区の家も全壊になりました。奥さんと娘さん二人は二階で助かりました。
しかし、彼は1階がつぶれてしまって生き埋めになったそうです。
しかし、運のいいことに丁度ピアノの側にいた時だったので、ピアノの蔭で生きながらえて
いて、近所の方のお蔭で傷一つなく掘り出されたそうです。
地震の起きるのが5秒でも違っていたらとても助かっていなかったといってました。
ピアノが長年の恩返しをしてくれたのねと喜びあいました。
■人力だけの救助活動
東灘の市場も、軒並つぶれました。
トラックを持っている八百屋のおじさんが言われるのには、2・3人の若い者がきて、梁ではさ
まれている青年を助けたいから、トラックについている少しでも大きいジャッキを貸してくれとい
われて貸したそうですが、とてもあんなもので家の重み、梁の重みなんかあがるものじゃないし、
助からなかったろうなと嘆息しておられました。
その方もご自分の家族が大丈夫だったので、次々に近所の人達を助けに走ったそうです。
声のしていた二階の屋根をのこぎりやかなづちで必死であけて「坊主まっとれよ」と声をかけ
ながら、ようやくタンスにはさまった男の子を助けだして抱き抱えた時には、既に硬直がはじま
っていたそうです。かわいい子だったそうです。
灘区役所の福祉のケースワーカーの人達も、本来の仕事の一人暮らしや体の不自由な方々
ひとつのお棺に百本もの釘を丁寧に打って作る女子職員、たった4本しかうってなくて、
遺体を運びだす時に遺体ごと中に収めた品々も全部ぬけてばらばらになったという、とても
笑えないひどい話も現実にありました。
避難所では、生きてる者と死んだ者がいっしょでした。お棺もないので毛布でくるむのが
そうしているうちにも生き埋めになった方々はもはや重機がこないと、とても人力では掘
り出せない状況で、2日すぎ、3日すぎていきました。
どんなに多くの方々が無念の涙のうちに、暗い中で救出を待ちながら、辛い苦しい痛い思
いの中で、次々と埋まったまま亡くなられていかれたことでしょうか。
マスコミに4日めで無事だったという救出劇などが放映されました。
しかし、そこには″4日もたってやっと大型重機がやってきて、それもごく一部だけで、ようやく
救い出せる態勢がとれた″という事実があるのです。
市はすぐさま三の宮の崩れたビルをこわしていたその重機を一人でも多くの方を救出す
るために真っ先にさしむけるよう、緊急命令を出すぐらいの思いやりはなかったのでしょうか。
どれほと゜多くの方々が、崩れた梁をうごかせないばかりにいのちを落としていかれたこ
とでしょうか。 それを見ていた肉親の涙をなんと心得ておられたのでしょうか。
ここに価値観の相違による判断の違いが出てくるのだと、私には無念に思われたことです。
■判断のにぶさが救出を遅らす
当初からレッカー車を始め、様々の大型機械が市民の生命を救うために各所に沢山入って
重機を用いて上手に救出し、交通規制もきびしく救急車を動きやすくし、
渡る橋がひびだらけで行けないポートアイランドの神戸市民総合病院もはしけを出しての
早急な利用を可能にし、
各病院に多量の水の搬入をし、発電機の設置をし、自衛隊の救命救急諸設備の利用、
医師の配分などが徹底していたなら死者の数はもっと減っただろうにと思われます。
今埋まって助けを求めている人、重症で、助けを必要としている人、そういう方々のために
にどんどんヘリコプタ−を飛ばせるべきでした
何が大切か。何が優先順位なのか! お棺をはこぶより、一人でも多くの方々を、
一刻も早く、どのような方法で救いだすのがよいのか、そこにもっと目と知恵と科学力の総
力の結集ができなかったのでしょうか。
目にみえるハードを使いこなすのは、人手であり、それを動かすのはソフトである判断なの
です。しかし、その判断も価値観によって大きく違ってくるのです。
地震発生後、報道のヘリコプタ−が沢山とびかって風と火をあおり、その爆音は、埋もれてい
る人たちのかすかな助けを求める声さえかき消してしまう暴挙でした。
なんど救出に必死の人たちが、空を飛びかう岡目八目のヘリコブタ−に怒りのこぶしをふり
あげたことでしょうか。
区の福祉の方々がお棺づくりに追われている間も、区のヘルパーの方は孤軍奮闘で、区役
ました。
清拭のお湯をもらおうにも、あんた一人だけにあげるわけにいかないと言われて怒り、大人の
灘区篠原のヘルパ−のAさんは、すぐに仙台の兄弟にたのんで、至急区宛に600枚
大人のおむつに加えて、仙台の老人ホームの方々は、しびんや吸呑み、ウエットティシュ、
老人用のよだれかけ、下を洗うための使い捨て手袋、水のいらないシャンプー等々、ホームの
皆さんが個人でいろいろとご寄付下さったそうです。
その荷物が着いたはずだと聞いてもわからないから自分で捜せといわれて、歯噛みした
そうです。
でも、その荷物のおかげで、どんなに助かって切り抜けれたか仙台の方々に大変感謝なさ
っていました。
老人も多く二千人近くが避難しているその小学校では、焚きだしの申し出がきても皆にいき
わたらないからという理由で、断ってばかりいたそうです。
せめてお年寄りや子供にでも暖かいものをという発想はなかったのでしょうか。
ようやく暖かいものが食べれたのは2週間もたってからで、それも姫路のテキ屋さんの炊きだし
だったそうです。
区が何もしてくれない時に暴力団のY組さんの救援物資のおかげでどれだけ助かったことか、
こんな時こそ本当の人間性があらわれますね。人間差別しちゃいけませんねとそのヘルパーさ
んはおっしゃっていました・・・。
■町かどのあちこちに避難者が
避難所のテレビ中継もいいとこばかり映してると、被災者たちは、マスコミの勝手さを怒
実際、私の隣のマンションの方たちは、壁がひびだらけになり、古い建物で7階だてなので、
余震も多く怖いので、全員がマンションを出て避難されました。
とうとう3日めからは近所の空家に入ってすごしておられました。
私も翌朝一番からずっとすしおけの大きなのにいっぱいあつあつのおにぎりを毎食焚きだ
して、熱いお茶も一緒にお菓子なども持って3日間せっせと運びつづけました。
お米は30k袋で何体もしっかりストックしていましたので、
■マスコミは対外向けのみ
大騒ぎのマスコミの放送は被災地住民のニーズに答えるものではありませんでした。
区だけでないあちこちに聞きたいこと、言いたいことがあっても、104で教えてくれる番号は
安否情報には受け付けの電話番号も出てないし連絡先もわからない。
電話帳はがれきの下の人がほとんどなのに、どうやってどこに連絡しろというのでしょう。
携帯電話を
どこでどんな対応をして
んでした。
テレビにしても、火災や被災地の心配な地域をそれこそ、望遠ででも、ゆっくりじっくり映して
いってくれないものかと、知人の家を捜して画面をくいいるようにみましたが、とてもみつかり
ません。
被災地情報、何市の何区、何町として、その街の様子をじゅんじ、とらえて、つたえてゆく、
そういうきめ細かな情報が求められていたと思います。
それが、さっぱりわからないものですから、被災地の住民を心配する人が大挙しかけて、
救急車も走れない状況になったのです。
それは、一週間たった時点でも同様でしたよ。
誰でもいいから女性をいれてほしかったですね。
だって、女性は男性みたいな建前ばかりでしゃべらないですからね。
体でもって、何より生命を大事に考えれますからね。 それに、そんな時でも、いのちあずかって、
食べる心配、日常のことなどこまごまとしているのですからね。
六甲道では4階建てのコープも潰れ、翌日開いたミニコープにも品物はほとんどなく、
ローソンも当日から後4〜5日は閉めてたり、売ってくれる品物もありません。
下のダイエーも翌日から開けていても買い物をするのにビルをひとめぐりするほど待って
整理券をもらってようやく買い物ができる状況でした。
ただうちは、お米は自然農法産のものを一年分をまとめて買って家に積んでいたし、
乾麺や粉など食糧の備蓄もあるので、焚きだしのお米の心配も食料を買いに並ぶことも
全くいりませんでした。
水も井戸水なのでライフラインは当初からなんの心配もありませんでした。
そして、表六甲では野菜が手に入りにくいので、3日めに六甲山の裏手の北区の淡河町
の知り合いのお百姓さんのところへ野菜をとりに行きました。
すると六甲のトンネルを二つぬけて北側に出るとそこは、全く別世界でした。
表の六甲のすさまじい混乱などどこふく風で、スーパーには物があふれています。
地震前と何のかわりもありません。幸いお金も何時になく十分に持っていたので、買い物も
たっぷりして、野菜も卵も食糧も十分に手に入れて、表六甲にもどってきました。
そして、知り合いや会員さんに野菜や卵やポリタンクの水をわけてまわりました。
ポリタンクも畑用にしていた水のタンクがたくさんあったので、水を不自由している街の会員
さんに、水を持ってったり、ポリタンクを貸してあげたりしました。
そして、4日めには、隣のマンションの方々もそれぞれ行くところをきめて、序々に散っ
そこで、今度は子供の小学校の避難所へ味噌汁や熱いお茶を毎日せっせと運びました。
うちのひまな子たちもクッキーをやいたり、ゆで卵を作って手伝ってくれます。
お百姓さんところでもらった鶏さん用の炭酸せんべいのかけもビニール袋にいれると、す
大きなダンボール箱いっぱいがあっというまにからっぽになっていました。
2週目の終わりの頃には、お好み焼きやぜんざいなど持っていきました。これは、山のすぐ
下の会員さんの井上さんがお譲さんと手伝ってくださいました。
ます。
お年をめされた校長先生も毎日遠くから2時間以上も歩いて通われて学校の近隣の方たち
の水のお世話までしておられました。
学校に電気がくるようになったとテレビでは明るくなった避難所を映して喜んでいます。
でも、じつは被災者の方たちは明かり以外は使えないのです。
皆が使うと容量をオーバーするからと寒いままで、お年寄りもこたつひとつ使えずお湯も
わかせず、カセットコンロも火事になるからと使わせてもらえないのです。
食事も冷たいものばかりなのに、暖める電子レンジひとつ置かせてもらえないのです。
おられます。
大きいところは、それぞれに焚きだしもはいったりしていますが、うちの小学校のような小さ
な避難所の焚きだしは、私以外になかったようです。
その避難者の方々も当初入った体育館も老朽化で崩れそうだからと教室に分散していました。
神戸市の小学校が始まったと報道された2月13日も校庭の石垣のくずれの補修もまだで、
被災者の方々も教室にいらして、落ちかけた渡り廊下もそのままで、とても始まりませんでした。
次男の公立の中学校もはじまったとはいえ、3月に入った今でも弁当なしの昼までの3時
仮設教室の週3日の所もあります。長女の西宮の私学も校舎の半分が潰れ、2月は週2日
の2時間、今でも高等部と中学部の交替の隔日で3時間授業で、来れない人はプリント提出
学校にいくまでに御影まで4・50分歩いて、その上いくつもの電車を乗り継がねばならない
長女は学校はプリントにしています。
そして私と一緒に避難所をまわって、一人暮らしの老人の手助けや中高年の心のケアで、
いろいろ話の聞き役をする区のボランティアをしています。
長男の私学はうちのすぐ下で学舎が大丈夫だったので、日に4時間の授業ができています。
公立の小学校も合同クラスで昼までの3時間と冷たい給食で午後にはすぐ帰ってきているそう
です。
ただうちの小学生の娘は、青森に避難留学しています。 彼女がいないので、私もこころお
きなく、ボランティア
うちの小学生の次女は、実は今青森市に避難留学をしています。
地震の怖さをほとんど気づかなかった娘は、全く怖がりもせず、当初は兄や姉たちと留守番
していました。
上の子たちが時々学校に行きだすとほとんど私について、町のあちこちの知り合いの地震後
のひっこしの手伝いをしたり、がれきの中から少しでも持ち出そうとする手伝い等をいろいろし
しかし、そうそう日々の生活を勉強もせず放っておくわけにはいかないと思い、玄米菜食
のネットワークに訪ねてみました。
すると何人もの方から申し出があり、本人のスキーができるところという希望で、青森市の
佐藤好文さんのお宅にお世話になることにしました。
青森の小学校は、何もいらないよとなんとランドセルから教科書も全て用意してくださってい
ました。
本当に有り難いことと、その暖かさが有り難く身にしみてうれしく、まだお会いしたことの
今では本人もすっかり青森になじんで、スキーも滑れるようになったと、とても喜んでいます。
2月 15日
小学校のまだはじまらない娘を、青森に避難留学へと旅立つ日、関西空港まで送っていった。
六甲から車で出て、勝手知ったる裏道(2号線は交通規制)を走り、30分程で住吉に着いた。
の駐車場に 管理人さんのご好意でとめてさせていただけた。有り難いこと!
そして、駅に行く途中の保育園、ここは以前 Mさんの マンションのかたづけの手伝い
をしていて、炊きだしを頂いたところだ。
保育園を抜ける時「お弁当余ってるからいるだけ持ってって」といわれ、有り難く、弁当2こ
みかん3こ、はっさく一つと飲み物を2ついただいた
そして、JR住吉の駅前にくると、仮設トイレが並び、駅員さんが、戸をあけて順番に消
毒しトイレ掃除をしていた。
駅前のビルは無残に傾き、大型の機械が、駅の高架をくだいている。
電車に乗って、小さい体に大きなリュック、バイオリン片手の娘と、軽いけれど、おおき
なリュックと大きなかばんを持ったジ−パンにジャンバ−の私は、まさに避難民スタイル。
ところが、向かいに座ったおばさま方は、まっかなコートのはではでキラキラ、周囲の人も
あたりまえのコートにスーツのいでたち。私たちの違和感はまさにありありと・・・・・
久しぶりに乗る電車の窓から崩れた家々が次々にみえます。
見ているうちに涙があふれてきてとまりません。「苦しいよう、痛いよう、助けて・・・もっと生き
たかった・・・おかあさん、助けて、助けて・・・」亡くなられた方々のうめきや思いが波となって
ウォーンと体中に響いてくるようです・・・。
ベシャベシャにつぶれた家々をみるうちに、そんな悲しみが、ジンジンと伝わってきて、
私の目からはぬぐってもぬぐっても涙がどんどんあふれるてきます。
たちまち目は真っ赤になって・・・、あっ、避難民してるなと自分でも思っちゃうのだけど、
どうにも涙はとまらず、ボロボロ、ボロボロ・・・。
一見なんともなさそうに見える周囲の中で、まさに異様だし、やめようと思うのだけど、
涙は・・・・とまらない・・・・苦しい、悲しい、くやしい、辛い、寒い、助けに来て!まだ、
死にたくない!・・・ 何千人もの人が、うめいて、泣いて、どんなに辛い思いをして、
亡くなっていかれたことか・・・!
亡くなられた方々の魂は まだ、そこここにあるよう
あっ! でも、やっと、ようやく、こんなに泣けた、こんなにも涙があふれで、こんなに
辛さと悲しさをようやく感じれとれた、そんなほっとした思いがした。
それまでは、現実のあまりの悲惨さに心が凍って
ようやく心を
この一月間、呆然としていたんだなあ。 頭が真っ白で、ただ、日常のできることを必死で
こなしていたんだなあと、つくづく思われたことでした。
//////////////////////////////
地震に思う 1995.3.
●核・芯の大切さ
何事も芯が大切です。
細胞にも核があり、太陽系にも太陽があり、銀河系にも中心があります。
家にも大黒柱がいます。 勿論、一人一人にとっては自分自身が自分の主人公ですし、
体にとっては心臓、心にとっては魂こそ芯になるものではないでしょうか。
芯は表からはみえないものですから、裏といえるでしょう。 裏とは、昔から心のことを指します。
昔の日本家屋は、大黒柱を大きな礎石の上に他の柱よりずっと太くし、家の中心にすえ、
他の柱を周りにバランスよく配置した家づくりをしてきたそうです。
みえないけれど、家の中心にあって全体を支えている柱が大黒柱だったのです。
今回の地震でも、会員のMさんのお父様と伯母様も大黒柱のお陰で助かったそうです。
救援に行く道々、古い家が全て到壊しているのをみながら、ご実家に到着して、二階が無い
のを見たときは、一階に寝ている二人はもうだめだと思われたそうです。
ところが、大黒柱が支えてくれたのか、二階は隣地へとずり落ちて、お二方とも無事だった
そうです。
今回の地震でも高速道路や、ビルの鉄筋がむきだしになり、あめのように曲がっているの
テレビでは横の帯針の間隔が10cm以内でないと危険だと解説をしていました。
しかし私はビルや高速道路を支える柱の断面図なるものをみて、その柱に中心となる鉄骨が
ないのをみて愕然としました。
問題は、帯芯の間隔などより、むしろ中央に芯となる鉄骨がないのが問題ではないかと私
には思われました。
芯に鉄骨があれば、芯と周囲の縦針とが、共にバランスを保って結びあい、間につめたコンク
リートも帯芯も支えあって、そんなに簡単にはまがらないだろうと思われたのです。
そんな生命を守る強度への思いやりが、経済合理化やコスト削減等で軽視されてしまったので
はないでしょうか。
私はかねてより夫を現実的な人だと思っていましたが、この非常時にまさに頼もしさを発揮
してくれ、あらためて夫をみなおしました。
地震のおきた時も冷静に、私たちを守ってくれる力強い声に安心しました。そして危険だからと
暗い中を自ら懐中電灯をさがしにいってくれました。
そして、明るくなって、早速かたづけ始めた私に「すぐに、水を沢山ためろ」と声をかけて
から、一番にローソンに買い物にいってくれました。
その時は、ローソンの中もメチャクチャでしたが、まだ誰もおしかけていない時だったので売っ
てくれたのです。
そして、普段とても食べたことのないカップラーメンや即席食品、お菓子や缶詰等も沢山買って
きてくれました。
又4日目でポンプがなおって水が出だすまで(もともと井戸水)ポリタンク(畑用に水用タン
クが沢山あった)にせっせと子供と一緒に六甲学院の中の山の水を運んできてくれました。
おかげでひっくりかえった家の大掃除もできました。
そこで、地震・雷・火事・親父の復権と思った次第です。
確かに、おこらすと恐い働きを持つ親父は表の主人であり物質的な大黒柱でしょう。
しかしながら私が思うには、本来の大黒柱は奥にいます奥さんではないでしょうか。
女性こそ、目立たないけど日々暖かく家族を支え、人を良くする食と心を司り、いざという
時も家族を固く結びつける求心的な役割を持っている精神的な大黒柱だと私は思っています。
何事にも、中心になるもの、核となるものがいるのではないでしょうか。芯も大黒柱も表から
はみえませんし、その働きも表だってつぶさではないかもしれません。
しかし、表からみえていないところに、大事な中心があり、要の働きを持っているのでは
ないでしょうか。
その中心こそ、求心力で全てをつなぎ結んで、支えているものではないでしょうか。
建物の表面からはみえないけれど、芯になる鉄骨や基礎や地盤こそ建物を支える土台です。
土台なくしては、砂上の楼閣です。それは、全てに通じる真理ではないでしょうか。
●
私は今回の地震で、つくづく、意識がいつも高いレベルにいることの必要性を感じました。
私は普段から体は現実に働かせていても、心はいつも魂のレベルでいる時、なんの心配なく
守られて在ることを感じていました。
又、心(裏)のレベルがふと落ちて、気が迷ったり、いらいらと気のかき乱される時は
「魔がさす」とでもいうふうに事故に出あったり怒りも出やすいと感じていました。
そして、体と心は一体ですから、意識のレベルを高くし、魂に深く近づいて感じたことは、
それなりに成就しますし、すぐ行動にも移せるものだと思ってきました。
今回ボランティアの形も様々あるでしょうが、自分自身をしっかりと持ち、思いやりのある方は、
余裕のでき次第すぐ自ら他の方々のために動いておられるなと思わされました。
よく、思っててもできないという人がいますが、思いがエゴの服を着ているのかもしれません。
又、表面で思っているだけでは、行動の変化にまでつながりませんし、体と切り離された頭だけ
で考えても、考えあぐねるだけで行動には移せないと思われます。
あるいは誰かにたよる思いでは、自主性も真の自由はありません。
全ては、自分の内にあると私は、思うのです。
心の芯にふれる理解や、魂の光に出会う感じ方ができれば、変革は一瞬にしてなされると私は
思っています。
今回の地震でも、関係者の中で、一番情報のわからなかった方は長田区のDさんでした。
昨年の暮れ以来うちの会で、神道の興味深いお話などをしていただいて皆熱心に聞かせて
頂いていた方です。
2月11日の祝日にも本物を感じる会の例会で「神道の話」をしていただこうと予定していました。
Dさんのお家はたいそう古く、母屋は江戸時代以来の二百年以上の日本家屋で、大層心配を
しておりました。
そして、まさに家は全壊しておられたのです。 じつは、地震の当日、うちの会の奥さん方と一緒
にセミナ−のあと、そのDさんのお宅にいく予定をたてていたんです。
その新しい瓦をふいたばかりの、古い大邸宅は、1階がみごとに押しつぶされていました。
◆助けあってこそ
Dさんは5日目にようやく消息がわかり、6日めにうちにある新しい下着や衣服や日用
品、水や米や電気釜と味噌汁まで、いろいろ車につみこんですぐに伺いました。
ところが、まっすぐ行ける道が、大開のところで地下鉄が崩れて道路が陥没し、大きく南に
迂回しており、暗くなって入る道がわからなくなりました。
でも後ろのタクシーの運転手さんに聞くと「よっしゃ、ついといで」とどんどん先導してくれて、
焼け落ちたり、崩れたビルの間をぬって、ちゃんと案内をしていただけました。
天の助けとうれしかったです。
Dさんは、母屋でなく、手前の平屋の長屋におられました。
障子らしいものがあり、体のまわりすぐにも何かあるという事態でこれは大変なことになった
とすぐに思われたそうです。
そしてすぐさまご神名″アマテラスオホミカミ″(彼は神道の方)を唱えておられたそうです。
そして周囲からも「助けて、助けて」という声が沢山聞こえていたので、「あっ、これではと
ても助けてもらえないな」と思い、レスキュー隊がくるまで2、3日楼城せねばならないかと
思い、体力温存のためにと、もう一度布団を被って寝たそうです。
そして、つぎに目がさめると、光がみえて、そろそろと動いてみるとちょうど道がついて
いるかのようにはって進めて、薄い天井を破っただけで、屋根も丁度一人分だけ板が割れて
瓦も落ちていて、平屋の長屋でしたから、全く無傷で屋根の上にでれたそうです。
又、その日に限り、こたつでうたた寝して、服を着たままで寝ておられたそうです。
じつは、いつものように布団をしいて寝ていたら、みごとにつぶされていただろうとおっしゃ
っていました。
かしたり、家具を動かしたりして、ようやく、両隣の方々を助け出されたのですが、人工透析
がいる程の重体や、重傷であっても、皆さん幸いに生命はとりとめられたそうです。
又、古い母屋のご両親もお兄様が、のこぎりをもって二階から助けだされたので、一家そ
ろってご無事だったそうです。
又、不思議なことに、門のすぐ脇のガレージとお兄様の新しい2階建ての家をちょうど避けるよ
うに母屋も長屋もそれぞれが反対方向に倒れたので、すぐ住む家にも困らなかったそうです。
しかし、Dさんのお宅の一画だけでも8人の方がなくなられたそうです。
私の住むマンションの被害はほとんどありませんでした。
地震の揺れ方も、うちでは南北の方向性をもっていたようで、不思議なことに南北に作り付け
の食器ダナには、ガラスコップが並び、引戸もあいたままだったのに、ひとつも落ちて割れて
ませんでした。
又東西においた北向きの食器棚は上部が飛んでおちましたが、幸い乾物ばかりでした。
ただ、食堂や私の部屋のスチール製の組み立ての本棚は全て倒れて本が全部とびだして
足の踏み場もありませんでした。
又東西においた木の本棚は中の楽譜も重かったせいか倒れませんでした。
すぐのグランドピアノも北に15cm動いただけで傷一つなく助かりました。
一番幸いしたのは、家具のガラス戸を全てはずしていたことです。
これは、神戸にひっこしてきて4年近くなりますが、ただはめるのがめんどうではめていなかった
だけなのです。
本当に何が幸いするかわかりませんね。
長男の部屋の家具は倒れなかったのですが数台ものコンピューターのパソコン器具の谷間
で寝ていた長男は、ひとつが落ちてきたのですが、顔のすぐ横だったけど、幸い全然あたらなか
ったそうです。
かるようになにかがおおってくれたので、上の方から、本など落ちてきたのもあたらずにすんだ
そうです。
ふたりとも、まあ、怪我ひとつなくと肝を冷やし、 運良く助かったことを心から感謝した次第
です。
て感謝御礼申しあげます。
又数々の見舞いのお手紙を始め、品々やお金までお送りいただきまして恐縮いたしております。
改めて感謝申しあげます。全て有り難くボランティアの活動に使わせていただきます。
本当に有難うございました。
Sおじさん、2日めにはるばる尼崎から自転車で無事を訪ねにきて下さって有難う。本当にうれ
しかったです。
江川さん3日めに、はるばる尼崎から電気ポットを始めいろいろいっぱい乗せて、危険なデコボコ
道をオートバイで駆けつけて下さって有難う。涙が出るほどうれしかった。
十年ぶりでお会いしたのにゆっくりお話する間もなくて、又ゆっくりコーヒーを飲みにいらしてくだ
さい。
ほんと皆さんの心の暖かさに、沢山沢山触れることができてとても幸せに思っています。
◆避難の方々は今
まだまだ避難された方々にとって、心の春はやってきません。
とにかくほっと落ち着ける場所がいります。仮設住宅にあたるのを心待ちなさっている方も多い
です。
でも、これまで3万円位の家賃で誰にもたよらず、年金暮らしで一人でしっかりと暮らしてこられた
多くのお年寄りが、仮設より他にいく場所もなく将来の不安はおおい隠すべくもありません。
「大浴場、大食堂であとは小さな個室でいいから、この灘に一人住まいの老人用大型
マンションを建ててくれんかなあ」と多くの老人は夢を語っておられます。
「そうよね。それやったら私も入りたいわ」とあいづちをうちながら、老人を大切にし、老人を幸せ
にする行政こそ、働く壮年を安心させ、何のために働くのかを勇気づけて、そこに集まってくる
でしょう。
そして 若者も、安心して、未来の夢へとはばたき邁進できるのではないかと思わされました。
■行政の方々に
今、又市民の声もきかずに行政が独断専行で、区画整理や高層ビルの都市計画構想
を発表しています。
そんなに急がなくても、もっと市民の声と知恵も聞いて下さい。考慮にいれて下さい。
こんな大震災ですから、非常時態の法律や条例もどんどん現場にそくして変えて、急がなくて
いいようにして、ゆっくり皆の声を聞いて反省して下さいませんか。
市民と一緒の新しい町づくりを考えていきませんか。
何がこれまでの人災をひきおこしたのか、新しい町づくりは自然と対話のできる、生命が喜び
あい生かしあえる町になってほしいと思います。
これまでと同じ発想で、再びこのような人災をくりかえすのでなく、21世紀の新たな町づくり
には新しい考えでとりくんでいっていただきたいと私は思っています。
世の中に どんな 策謀や黒雲が
地震のお見舞い申しあげます。
山県 良江 屋久島天然村
人を愛する時、自分も、人も浄化される。
yukiさんのお手紙の文章の流れの中には、慈愛がみちていて、本当に感動されます。しか
救護活動には慈愛だけでは真の幸せには導けないかと思います。
21世紀は精神世界だと言われています。yukiさんのような正しい人を小グループで留め
・・・妹と久しぶりに会った時、姉さん若いねと言われました。誰が若いネ〜、姉さんじゃ
・・太陽が美しく夕日となり輝きながら海に沈んでゆくような人生を終えたい。
中尾 知子 奈良市
通信文届きました。震災以来ずっと気になっていましたが、いったい自分に何ができるの
yuki
佐藤 玄輝 青森市
●青森は現在積雪80cm 小学校ではスキー教室も始まっております。スキーも用意して
西山 知洋 四条畷市
このあいだは、大変おせわになりました。あの時の体験は遊学場の他の子供達にも大きな
っているところをちらっとみて、郵パックで送られてきた救援物資の仕分けと配送への積みだ
しをしている福祉交流センターに行きました。
・・・・次に区役所横のボランティアセンターへ行き・・・・″元気村″に向かいました。
・・・・歩いたほうが震災の状況がよく掴めるという理由から歩きました。
大通りはずいぶんと整備されていましたが、一筋二筋路地に入ると、破壊された家々やがれ
きが、そこここに被災直後をほうふつとさせる状況のまま放置されているのが目に入りました。
おっちゃんが思わず「ハイ」と手をあげました。そして、大学の落語研究会の慰問団の人達を
車で運び、一緒に聞いて楽しみました。・・・・
従来の御履歴、又特異のすぐれさせられた御資質にたぐい希なる敬意を表します。
貴誌3月号には鋭い眼光を放って地球の裏側をも見通される御力は頼もしいです。・・・・・
自信をもってお遊ばし下さい。真素直な清々しい心耳が目が本統の本物を童心の鋭さで見抜
くことができる。
面白い世の中が開顕されて岩戸が開かれている初光りを仰ぎませう。
日本書紀の神功記
れた大神々
桑原 司武 京都市
先日は地震報告お送っていただき、誠に有難うございます。・・・・・私の魂にとっても
yuki様は、ご自分なりの魂の役目を自覚して、活動しておられるように思います。
yuki様をもっと知るためにも通信を読みたいと思いますので、年会費お送り致します。
よろしくお願い申しあげます。・・・
当時はテレビ、ラジオ新聞で見聞する事、おそらくその何十倍の被害だろうとハラハラしな
お体に気をつけて、皆様のいい相談相手になってあげて下さいね。・・・・ボランティア活動の
ガソリン代のたしにしていただけたら幸いです。・・・・・ようやく春の気配が身辺にただよい始
めました。
ここにご紹介できなかった方々にもこころからお礼申し上げます。
みなさまの励ましのお手紙が、義捐金や品物も、暖かい支援のこころとともに、しっかりとつ
たわってまいりました。
そして励ましていただきましたこと、本当にうれしかったです。
ここにご紹介させていただきましたお手紙も、とてもうれしくて、のさせていただきました。
ご了解を得る間のなかった方も一部いらっしゃいますが、どうぞどうぞお許しくださり、
一緒に響きあいを分かちあわせてくださいますようお願い申しあげます。
をなされてはいかがかしらと思われます。
どうぞ又、お手紙を紹介させてください。
せん。
ですから、できるだけ朝はやくに山に登り、少なくとも30分はしっかり歩きます。
そして、このごろはこれまで食べたことのないようなヤマザキパンや避難所用の弁当がほと
んどです。(このごろは平気でいただいてます!でも本当はこわいよね!)、玄米ももっと真
面目に食べなくてはと心しています。
又、自然の中で充電することが私の一番の健康法です。
歩いた後、お日様を拝し、木々のこもれびをみながらポヤーとしているのが一番の幸せ、
朝早いと一日が二日あるみたいに充実します。
ですから、私も夜もけっこう若者達といっしょに過ごすことが出来てとても幸せでした。
若い人達に気質人間学の助言をしてあげてます。
皆もけっこう「えー、なんであたるのー」と不思議がりながらも、皆素敵な良い子たちばかり
ですので、素直に助言にうなずいてくれています。
これからの輝く若者達をみながら、21世紀の日本はこんなボランティアにかけつけてくれる
子たちが、担ってくれるようになればいいなあと切に願った次弟です。
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これは、
残念ながら、参加させていただけませんでしたがね。誰しも苦言を呈する人をいやがるよう
ですからね。 とくに、役所ってそんなものです。
新しい街づくり 県立女性センター提出 1995.3 YUKI.I
●この度の人災部分に対し、謙虚な反省を求める
市民の一人一人も揺さぶられ、みなおしたてなおしをせまられ、自立と自覚が促されまし
めざすことは、自然とともにある復興の基本ともいえ.ると、私には思われます。
●バランスのよい社会づくり、街づくりを
男女共生とは、陰陽相和すことといえましょう。東洋哲学的に言うなら,全て働きは、
す。
今回の地震は、行き過ぎた科学文明なり男性社会に対する自然からの揺さぶりだっ
たのではないかと私には思われたのです。
ですから自然にそった
女性は長年子供を育てきた実体験、心豊かに生命を守り育んできた本性を持っています。
それゆえ、男性とは違う視点や感性を持ちあわせています。
が息づくまちになればと思います。
そのような″男女共生のまちづくり″に私は是非参加したいと願っています。
●ガラスばりの会計を
又、
そして援助資金や義捐金のそれぞれの出どころ、及びつかい道などガラス張りにするべきで
しょうね。
これらがなされる為にもこれまで″お上″であった行政にも税金をおさめる市民の目線、貴重
なお金を義捐金として送ってくださった方々の意識のところまで一旦おりて頂きたいと思います。
以上の点をふまえて、新しい街づくりは、そこに住む市民1人1人が、どのようにすれば、
住みやすい街、住んでいて楽しい町になっていくか考えることに積極的に参加することだと思い
ます。
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供給も担当しながら、もっと被災者の方達の直接の声を聞きながら対応をしてゆこうという
ことになって、分かってもらえない区役所の建物を出たのだそうです。
■今の行政では細かな対応は無理
そして区役所にボランティアの受入窓口がなくなったのですから、たとえテントであろうと、
又、行政の目の行き届かないところで沢山の手伝いが必要とされている状況で、「はい、
さようなら」というわけにはいきません。
行政は自分のできない細かなケアをボランティアの活動におしつけて、こちらに頼ってい
るのにエンピツ一本、荷物の運び出しから、仮設へのひっこしにいるトラック一台、区民の
ためのニールシートをはるためのはしご一つ貸してくれません。
本当にどんな神経をしているのでしょうね。
だけたので、手弁当といわずで、学生さんたちには、大助かりです。
しかし、コピ−
のです。そんな各企業の気持ちを本当に有り難くも思い、又何より健気な若者たちの懸命
な活動には頭がさがるばかりです。
けれど、この若者たちの多くも大学が始まるので、もうすぐ、それぞれの生活へと戻って
いかねばなりません。
そして、疲れた体に鞭うってアルバイトにでむき、遠い自宅への帰りの交通費もかせがね
ばなりません。多くの方々からの義援金で少しでも援助してあげたいくらいの気持ちです。
そして、彼ら達はでもその責任感から、これからも土日にはボランティアに出向いてくれる
そうです。
帰りの交通費にとたとえ5千円もらったとしてもボランティアの若者はその金でひさしをつ
けてあげてというでしょう。行政は自らの施行した所に身をおいて、体験して、その足りない
ところに気づくべきです。
仮設住宅もその地域の公園や空き地でカバーしないで、ほとんどの方々がそれまでのつ
ながりを捨てて、一切を抽選で、バラバラに他の遠い地区への移住をさせられる状況です。
それまでの地域とのつながり、学校や仕事をもつものにとって、山のあなたの空遠くから
通うのにとても時間がかかる状況で、暮らせるわけがありせん。
仮設の建つ場所も本来は子供たちの区民の遊ぶスペースなのですからもっと恒久的な市
営住宅案を早急に打ち出す必要があると思われます。
だのに行政が打ち出すのは、人のいない血の通っていないコンクリートと高層ビルの一見
でしょう
本当に困っている方々の身になり、声をきいて、何が一番妥当であるか、検討せねばなら
これまでの仮設住宅と同じ敷地で一挙に6〜7倍ぐらいの受入人数が可能となります。
それは、一人暮らしや障害をもつ夫婦の受入用になります。
これまで、2階建ては基礎がしっかりとなるので仮設ではないとして認められなかったのです。
しかしこれも4.5畳(一人用)か6畳(障害者と介護者2人用)の一部屋ずつの狭さの共同住
宅で台所、風呂、便所とも共用ですので、体の不自由な高齢者は入居にも二の足をふんでしま
います。
たとえ、仮設住まいの1〜2年でもそれなりのスペースと個々の生活への配慮は必要だと思わ
れます。
うか。
かでてこないように見受けられます。
私が「灘区災害ボランティア」にお手伝いにきた時、ちょうど前日に″JBC″(じっちゃん
ちゃんクラブ)ができたばかりで、まさに私がかかわりたい内容でした。
対象は高齢者や身よりの少ない一人住まいの方、障害を持つ方々、などです。
又、この震災にあわれて、どうにも困ってしまい、けがもなさってうごけない方々のためにも、
いろいろなお世話をしています。又、訪ねるうちに他の様々な方々ともいろいろ話をさせて
いただいております。
手伝いの内容は病院の送り迎え、薬の配達、倒壊家屋からの荷物の運びだしや搬送、ひっ
一人暮らしの方への手助け、ケースワーカーの方に頼まれた体の不自由な方達へのヘル
パーさんだけではケアできない生活のお手伝いもします。
一人暮らしで、手元不如意な方の仮設へのひっこしの手伝い、いろいろな証明をかわりに立
って並んでとってきてあげたり、目の不自由な方を福祉事務所(倒壊して場所が移動)に案内
したりします。
そして、何より話
区からのトラック提供などないので、いつも私のワゴン車も借り出されます。どなたか軽トラ
ックを貸して下さる方はないでしょうか。これから仮設へのひっこしが急増するなかで高齢者の
被災者にとっては引っ越し代もままなりません。
又、他のあちこちの遠い仮設住宅の情報も今急いで収集しているところです。
遠くに移っていただくにしても、そこが本当に安心して住めるところかどうか、バス停は、お店
は、周囲の状況は、ケアの様子は等、ボランティアが調べてあげなくては、移られる方にとっては
全くわからず
今後は、これまでの活動内容と又違ったさまざまな活動が必要とされてくるでしょうし、
行政がそういう細かなところの配慮にも気づかない限り、私たちのテントでの活動はつづく
でしょう。
■市役所での陳情
3月22日に神戸市役所の民生委員会で私たちのテントから大学生2人が陳情をしました。
そして、私も自宅からワープロをテントに運び込み、みなで陳情書の作成をその日の朝の
3時までかかってしあげました。
その陳情の内容は、今後新年度にともない学生のボンランティア数が大幅に少なくなる
状況を鑑みて
1)早急な訪問ヘルパー制度の再編拡充 2)区レベルでのボランティアセンター及び
コーディネーターの設置 3)仮設住宅への高齢者や障害者への細やかな
対応をという三点に関しての陳情を行いました。
私は学生達と一緒に、始めて神戸市役所にはいりました。
神戸に来て、まる4年になろうかというのにまだ市役所に入ったことがなかったのです。
市長さんの部屋は14階、やはり消防の梯子車の届くぎりぎりのところね、と昼休みに外
の公園で焼き芋をかじりながら、15階以上はパラグライダとパラシュートをドッキングさせた
ような救助用の器具を開発しなくちゃね、
とそんなことをしゃべりながら、JBCも含めて10人ぐらいが26階の委員会室で、先に陳
情を終えた後、能率の悪い委員会につきあいながらまる一日をすごしてしまいました。
まだ、街のほこりもいっぱいの寒い中、暖かな市役所の議員さんの委員会では、これを
と、真面目に発言をなさっているんですよ。わたしは、耳を疑いましたよ。これでは、いわ
んや神戸空港をやでしょうね。 まだまだ市議さんのほとんどはこんなものでしょうか。
そして、とある議員さんのお陰でようやく4・5日前から区の地域福祉課の方もテントにこ
られて話ができ、今日も、区のボランティアの窓口の担当になられるらしい主査の方と話し
あえることになりました。
もうすぐ市議会の選挙ですし、知事選挙もあるでしょうから、丁度いい時期といえばいえ
るのかもしれません。
ですから、行政も自分達ではどうしても行き届かない点や気づけないところがあるというこ
とを謙虚にわかっていただけたら、そして、区民の声と行政をつなぐ役目として、ボランティア
を認めて下さり、その心持ちにも共感をいただけたら、ボランティアたちのこれまでの皆の労
も報われるというものです。
■ボランティアの喜び
私には、思われるのです。それは、心と体と一体になった体験だと思えるのです。
ボランティアをすることで自分の心にも豊かな喜びが与えてもらえるのです。
その喜びのエネルギーが又次の活動への活力になるのです。みなさん月一回でもいいです。
何かあなたにできるボランティアをしてみませんか。お待ちしています。
/////////////////////////////////
設にあたって出ていっている状況でした。 裏で工作がされているのはみえみえだと、わた
したちボランティアに対してまで、多くの方々が、声を荒げておっしゃいます。
るのは、おかどちがいだと思いはじめています。 行政は市民の公僕のはずです。
特権濫用、自分たちが神であるかのように、平気で不公平なことをして知らぬ顔をしている
ように思われます。
都市計画の地域だと、丸焼けになって、家も店もなくしたのに、援助資金で仮設の家も建
てられない。 仮設住宅にはいっているが、遠すぎてとてもとても商売がなりたたない。
行政は、市民に一体どのようにして、
//////////////////////////////////
地震で形あるものが、無惨に崩れ落ちました。
人々はおおくのものを失いました。しかし、多くを失うほど、得るものは多いと西洋の聖人は
いっています。
この地震で得たものは、多大な重大なものだったのかもしれません。そして、それは、
しがれたままでなく、なんとか、亡くなった多くの方々のぶんも、今をしっかり生きていって
いただきたいものと、私には思われるのです。
た方も、沢山あったようにお聞きします。 又、日ごろ見失っていたものに気付かされたとも
聞きます。
物なんて、地震の一揺れで、こわれてしまう。
今回、物より大事なのが″人の命″であり、″人との関係″だったと誰もが感じられた
そして、″人のやさしさ、思いやり、助けあい″がどんなに有り難くうれしかったか、
人はぎりぎりの最低の立場におかれて、それを十二分に感じたことと思います。
それこそが、人間としての原点だと思われます。
人間は人の間にいてこそ、人間。 俗世の中にあってエゴを少なく、心も迷わされず、
皆の心のお掃除に役だってこそ、皆に有り難いと思われてこそ、有り難い得がたい人間
として、
「山に法はない。 だるまは巷にあり」に倣って、高野山を降りた僧侶がいたそうです。
街にあって法を説くことこそ、真に僧のなす仕事であると、その僧侶は言ってたそうです。
わたしも、まさにそう思われます。 このような非常時、寺のなかのお坊様は、みなマザ−
テレサをみならってボランティアのテントに来ていただきたいものです。
地震は人の心のよろい、かぶとを壊しました。 家を壊したように,その極限状況は、人の
心の枠にもひびをいかせ、日ごろ心を覆っていたものを、すっかりりはとりはらってしまった
ようです。
自他の区別なく、いっしょになって、助け合い、悲しみ、喜び合いました。
辛い避難所生活では、覆えないままにエゴがむきだしになったりもしました。
そして、今、ようやく人々は 良識をまとった自分らしさを取り戻しつつあります。
しかし、今回人はいのちの原点に立つという体験をしました。
そして、エゴも何も捨てる状況で、ともに一体となって助け合い、喜び合えました。
その原点を一度知った人は、もう、エゴの着物を脱ぐことを恐がることはないでしょう。
むしろ、そこには、通じ合える暖かいものがあったことを実感として体験できたのです。
げました。
それは、人と人との距離を近づけました。 同じ思いの新しい人と人のネットワ−クが生まれ
ました。
すばらしい新しい世界が開かれたのです。
//////////////////////////
以下の文は、地震後すぐ、神戸市が復興への提言を求めたものに 提出しました。
テ−マは「自然と人と都市の理念について」 でした。 忙しいボランティアの最中でしたので、
とてもだせるとはおもわなかったのですが、ぎりぎりに提出した覚えがあります。
| テーマ自然と人と都市の理念について |
小さな氷山も見えるところはごくわずかですが、水面下のみえない大きな部分が、あるいは
周囲の様々なみえない環境がそれを動かしているのです。
この地震でも、芯の入っているブロック塀はたおれませんでした。
コンクリ−トも中心に芯があってそれをかこむものとしっかりむすびついていれば、ああも簡
単にねじれなかったのではないかと私には思われました。
自信をもって働けるとおもうのです。
それでこそ、多くの人々を説得でき、協調もしてものごとを民主的にすすめてゆけると私は
思っています。 ではこの震災後、神戸市の掲げた理念について、私の思う提言を示してみ
ました。
・バランスのよい発展を
この度の神戸市復興計画のガイドラインが「都市・自然・人を基本理念に21世紀にむけ
しかし、その神戸市のいう都市の在り方と自然と人との三者の関係はどのようであるのか。
その3つの関係性がバランスのとれたものになるためにも自然への重要性を理解してほしい
と思われます。
・木々の大切さ
復興は都市の取り組みではありますが、先ず何よりも自然を念頭においていただきたい
ものと私は思っています。
このたびの震災により、建物はつぎつぎと倒れましたが, 木々
多くのいのちを救ったとおもわれます。
木への感謝と災害時、木々のある空き地の必要性、これらのことから、緑を街の各所に
配置することの重要性を改めて十二分にたいせつにとり組んでいただきたいと思います。
・コミュニティ−
次に考えて頂きたいのは、みえない人々の気持ちであり生活でありコミュニティーだと思います。
これからは既成のハード面優先でなく、まずどんなソフト面を考え、とりくみ対応していくか。
人々の心や生活を生かすソフトのあり方を吟味し、その上でそれを生かすハードづくりへと
つまり、取り組み方を、ソフトのほうから考えていただきたいと思うわけです。
まず自然ですが、これまでの神戸市の自然への対応をみていますと、山をけずって、海を
自然を支配下におき、自然の尊厳をおとしめるような自然観のように見られたのですが、
いかがでしょうか。
自然とは、まさにひとつの壮大なるネットワークであり、地球と一体のものととらえています。
そして人類も、その自然のごくごく一部だと思っています。
見えない多くの生きとし生けるものと共に、自然の中に生かせていただいていると日々有
り難く感謝しています。
このように、私は自然への畏敬の念と一体感にもとづく自然観を持っています。
今日行き過ぎた物質文明を思うとき、私のような自然観を持つ人も今日、多いのではないで
しょうか。
自然と人が、共に生き生きと共存しあえる、そんなふうな都市の在り方を求めていただき
たいと考えています。
へも感謝し喜びあえる共生の世界か。
神戸市はどのような自然観を持って、復興計画をしようと考えているのでしょうか。
この多大の損害と犠牲を顧みた時、これはただの天災でなく、市民の安全と福利を守るべき
行政として、天よりのお叱りの揺さぶりだと思われたのではありませんか。
これまでの神戸市の自然に対するあり方を反省させるための天啓であると、お感じになられ
ませんでしょうか?
●
これまでの都市計画の意識のままで、自然と人と都市が共生できるとお思いでしょうか。
今までどおりの意識では,とても無理だと私には、思われます。
真に自然と共に考える復興計画であるなら、この地震により、行き過ぎた文明のかくもも
ろく崩壊した部分、露呈した砂上の楼閣の部分を、かなりけずりこむ実践になろうかと思われ
ます。
そして、文明に甘え、傲慢になり、感性の鈍ってしまった現代の人間にとっても自然との共生
は、難しい面も出てくるとも思われます。
の場所さえも高層ビルとコンクリ−トの広場にしようとしています。
地域住民に一体どこにいけというのでしょうか
地域のみえないコミュニケーショというものを、そのような場所で、どのように育てようとい
うのでしょうか。 広いコンクリートの広場には人っこ一人いず、高層ビルからの風がふきす
さぶだけではないでしょうか。
警告について、亡くなられた5500人の方たちとともに死んだつもりになって、今一度充分
に文明のあり方、都市のあり方を吟味検討せねばならない時がきていると私は思うのです。
例えば、地震の″時″が違って、新幹線も車も高架を走るラッシュ時であれば、さらに十
リ以上の地球レベル、人類レベル
、遺伝子レベルでの多大な犠牲を未来にわたって被るこ
とになるでしょう。
そして日本人の愚鈍さと無責任ぶりを世界中に示し、地球上の全ての生物からも、糾弾さ
れることになるのは日をみるより明らかなのです。
あのチェルノブイリの折、ソビエトの科学技術庁のトップの責任者である優秀な科学者は
そして、ペレストロイカはおこったのです。 続いてソビエトは解体され、東西の冷戦は終結し、
核への忌避意識は、今や地球市民の一人一人の意識レベルに達しています。
現在地球上で、これ以上原発をふやそうとし、核廃棄物をこの地震国にためこもうとしてい
る文明国が日本より他にどこにあるでしょうか。
日本だけが、目先の利益にしか目のいかない政治屋やエゴイストたちしかり、そして自ら
考えようとしない多くの国民たちが、未だ目の醒めていない状態なのです。
今日の地震による以上の神戸市の崩壊は、原発のあり方と無関係であるとは、思えません。
●
今回この大震災では、神が戸を叩かれるがごとく、まずは神戸が叩かれたわけです。
しかしこれは、まだ第一次段階ではないでしょうか。新生へ向かわせる為の″破壊の始まり″
かもしれません。
て″新生″への道を求めていくことが、人類を地球を救う道ではないでしょうか。
それが、これまでと変わりなく恥の上ぬりをするような、意識の変革のないままの都市造りで
は多くの犠牲者は浮かばれなんんじゃないでしょうか。
● 意識と価値観の転換を
建物も価値観も全てが覆され、一人一人が揺さぶられ、生き方のみなおしたてなおしがせまら
れる、それが地震だと私は思うのです。
例えば高層ビルは火事などの緊急時には13〜14階までしか消防の梯子車は届かないと
ききます。
それ以上の緊急避難用エレベーターもビルが傾いては作動しません。
又、本来中高層住宅のの生体に及ぼす生理的悪影響もおろそかにできません。
この震災時、病院の自家発電も不充分でした。 タンクの水も停電でポンプが作動せず、
水がなくては患者を守ることができません。
人工島ポートアイランドも液状化現象で泥水びたしで車が走れませんでした。
今だに地下の配管はズタズタのままで、垂れ流しだそうです。
人工島に渡る橋もひびだらけになり、島への交通手段のポートライナーや六甲ライナーも夏
まで復旧できそうにありません。
そんなわけで、神戸一の規模と近代設備のポートアイランドの市立病院もこの災害時には、
ほとんど役にたちませんでした。
ポートアイランドに林立する30階近いマンション群も林立する各企業の高層ビル群も大病院
もホテルも全てが地下の岩盤の上に建てられています。
岩盤とはいえ、今回の地震でも証明されたようにもろい断層だらけの阪神淡路の地下の岩盤
は、人工島を作った六甲山の土砂を始め、それらのビル群の膨大な重みを直接に支えるには
荷が重過ぎたのではないでしょうか。
そして、東灘区の沖にも同様の広い六甲アイランドができています。
芦屋浜にも30年前から、又西宮の沖の海もどんどん埋め立てられています。
私はそれらのそびえたつ高層住宅群の谷間に建つと、周囲の空と海との対比のアンバランスに
めまいがしてきそうです。 誰があのてっぺんに住むんだろうなんてつい思ってしまいます。
神戸市はこれら断層上の町として、長年にわたり、あやうい岩盤に与え続けてきた数々の
負担をこれまでに考えたことがあるのでしょうか。
地殻とはいえ流れるマントルの上、そのうえ太平洋からの巨大なプレ−トの動きと大陸のプ
レ−トの接点に位置する日本は古来より″地震・雷・火事・親父″といわれていたのです。
特に六甲山系は海から押されてもりあがった山ですから、平常でも年に10数cm上昇して
いるそうです。
そして、押さえともなる山の裏の土砂はどんどん削られ運ばれて、近年にはいって岩盤に直
接建てていく高層ビルや高層マンションの住宅地が一気にふえました。 そして埋立による人
工島も増え続け海岸線は日に日に様変わりしているのです。
くわえて一年前から世界一の明石大橋(垂水区)のために、その岩盤にはボーリングがなされ、
500mの杭が何本もうちこまれました。
そのボ−リングの地響きは、とおく、川西市野瀬町のほうまで微弱地震となってあらわれたよう
息吐息です。
そして、序々に怒りのエネルギー(地のエネルギー)をためてきたと私には思われるのです。
地震のすぐ前には、明石の海底から、赤茶けた泥が噴出したともききました。
十分に想定される事態ではなかったでしょうか。 幼児の頃の砂場遊びが思い出されます。
規模こそ違え好き勝手に土を触っていることでは同じようなことだと私には思われます。
1カ月前から井戸の水は干上がり(私のいた六甲のマンションも井戸水でした、水位はかなり
低くなっていました。)、地中の生き物もその乱れたエネルギーを感じて逃げ出しました。
うさぎは穴から赤はだかの子をくわえて外に出し、野バトは町から消え、わにも蚕も荒れ狂った
そうです。
前夕には一時帯状になった地震雲も出ました。
この雲は大地の電気エネルギーの強い放射を現わしている層状をとっています。
エントロピーは最大になっていたのでしょう。そして、地震の直前白と紫の閃光がきらめきました。
耐えに耐えた大地のエネルギーはついに堰をきって爆発させられたのです。
しかしながら、このような大地への過酷な状況や自然の予兆、様々な生き物からの発信に学ぶ
どころか、復興計画の中には重ねて神戸沖の新空港計画が依然として続行のままなのです。
その豪顔不遜なその考え方に、とても自然への畏敬の思いや狭い人智への反省など全くない
ように思われます。
かねないでしょう。
この上、人工島をふやし空港も設置してゆき、今回、地震に強そうだったからといって岩盤
に直接建つ高層ビルを増やしつづけていくのでしょうか。
これは原因を省みないまま、
いえいえ、この度の震災でご覧になったように玄人さんや専門家の、いざという場合への考えが
及ばないことは証明ずみです。
それはヘタな知識の枠が想定不可能な場合という発想の邪魔をしていたり、経済優先の社会
に待った!をかけれない御用学者となっているのてはありませんか。
経済優先の神戸市に
行政や官僚主義の方たちのエゴや自己防衛や考えの枠の狭さが、この震災への対応のあり
方、予想外の想定不可能な事態へのあわてぶりに、はっきりとあらわれていると思います。
このうえ、この岩盤に空港計画や震災復興としてますます沢山の高層ビルがたてられた時、
今後再びこのような大地震、不慮の事態がおこらないと誰がいえるのでしょうか。 犠牲になる
のは私たち住民なのです。
● 今、神戸にいることの責務
ち一人一人にも同様の責任があります。
この震災を機に世界に誇る神戸になれたら素晴らしいと皆が思っているのではないでしょうか。
それには、震災に出あった神戸市民だけでなく、日本の人皆が充分に我が心に問いなおして
″新しい21世紀の世界のあり方、自分自身の生き方、そして、自然と人との関係のあり方、
都市のあり方等″を自ら考え創り出してみることが必要ではないでしょうか。
そして又、世界の識者の意見なども充分に検討吟味してみるとよいでしょう。
新しい皮袋には新しい考え方が必要とされます。
聖書にあるとおり、先のものは後になり、後のものが先になるのです。
今こそ新しい感覚で、原点に戻って、未曽有の事態にも対応できる幅広い見方が検討されて
しかるべきでしょう。
そして、自分たちのすんでいる所は自分たちの意識の反映されるところです。
一人一人が震災後の町づくりに参画する意識でいてほしいと思います。
私は、新しい21世紀の世界は、精神文明と物質科学文明の融合された真に実のある輝か
そして、21世紀には、新しい変革した意識で、一人一人が心から喜んで住める町づくりが
なされていければと思うのです。
この神戸の大震災に学んで、意識の転換がなされるか否かが、21世紀に人類が輝けるか
日本が、新しい意識に参加できるか否かの
思われます。
「
その順番の通り、まずサンフランシスコ、次にロスアンゼルス、そして神戸の順番に地震が
おこり、とうとう最後の神の鉄鎚が下ったのです。
意識の転換がせまられているのです。 では新しい意識とは何でしょうか。
新しい意識とは、地球意識、宇宙意識になることだと私は思っています。
それは、心の奥底のところで全ての生命はつながっているという、そのような全てとの一体
感であり、全宇宙との融合した感覚だと思うのです。
人類もあらゆる生物、すべての物質と同様であり、全てが対立ではない、融合と共生共存の
世界観をもつことで、21世紀を明るく幸せな世界へと開いてゆけると思うのです。
心を忘れ、中身がないまま建物だけ大きく、形骸化した物質文明や、科学だけを突出して追
及してきた科学文明の有り様でもなく、これからは、科学文明と精神文明とのみごとな融合を目
指していくことこそ、新しい意識だと思っています。
そして、現在のふりこは精神文明への探究への道のりに向かっています。すべてはバラ
ンスです。 これまでの科学文明へ大きくふってしまったふりこは揺り戻されたのです。
私たちは過去から未来につながっている生命の一通過点を担っているという意識を常にも
この一点から未来へと向かう方向性は、宇宙の摂理・自然の営みに沿った素直な方向性を持
ち、未来の地球に生きる全ての生命に責任ある態度をとってゆきたいと思うのです。
皆との調和とバランス、安定したリサイクル型の経済であり、それぞれの違いを楽しめるもの
となりましょう。
又、エネルギー的にも南北融和の形態をとってゆくようになるでしょう。
全てが対立でなく、互いを尊重し合った協調であり、共存共栄から融和・融合に向かうのです。
このような新しい意識で世界の模範となる町づくりが、この新しく生まれ変わる神戸の私
の住む神戸でなされていくとしたら素晴らしいと思うのです。
ハイカラな神戸には、震災後の意識もまた21世紀の新しい感覚を先取りしたものにして
ほしいと思います。
それは、自然と地球と人が共生できる、人も自然も喜びあえる町づくりです。
そして、これまでの行き過ぎた科学文明のつけを「未来の子供達のお荷物」にさせること
のないよう、今、目覚めたものは、声を集めて、人類のバランスを欠いた発展のコントロー
ルを始めねばならないと思います。
自ら行き過ぎを是正できる広い視野を育てて、固いエゴもうち壊し、弱いもの、小さいもの
に耳が傾けれる、声なき声が聞ける、心と心の通いあう新しい文明のあり方を自分から作り
出していきましょう。
そして自分本来の生き方にめざめた時、自分の住む環境や都市や、街の在り方というもの
にも問いかけ、子供たちの未来にむけても暖かい環境づくりを共に作り出していく時がきてい
ると思うのです。
●
会社は利益がでないと運営ができません。
でも公共の予算は国民の税金ですから、市民への福利還元が第一の仕事でしょう。
らい神戸ということだったのではないでしょうか。
それは、今私が問題にしている新しい意識の上では、おかしい状況ではないでしょうか。
しかし、この震災で結局市が会社としてかせいだお金も吐き出すことになったともいえましょう。
しかし、世界からの義援金の2000億円に近いお金も、使い道がまだきまらぬまま、日に1
千万近い利子がついているそうですね。 その利子の運用もすでに計算のうちとか、聞いて
います。
それなりに素晴らしいと思われます。
しかし、市民不在の行政や一部のものたちのエゴをみたすような使われようでは、この震災
で自立しつつある市民の目をごまかすことはできないでしょう。
行政側は市民の気持ちになってことがあるのでしょうか。市民の声を聞き感じとるのに、自ら街
を歩き、避難所に足を運んだことがおありなのでしょうか。
市は人災ともいわれる震災を前にして、これまで突出して走りすぎていた部分の反省などし
たのて゜しょうか。
作った責任、使った後始末を考えない、経済優先、強者優先、合理化の片面からしか見てこな
かったのではないでしょうか。
しわよせしていた見えない部分に気づいていなかったことが多々あったのではないでしょうか。
株式会社とまでいわれてきたこれまでの在り方のなかに、市民一人一人の代弁者代行者と
そして今、復興への道も又、同じ意識のままに突き進もうとしているのではないでしょうか。
政治は特権ではありません。市民の公僕です。
市民の立場を守るものであって決して、支配したり対立するものではないと思います。
たとえば、この度の震災での一人暮らしの高齢者の方々ですが、一人一人の困っている
問題は違うのです。
勿論、お友達もあり、親戚も身近にいる方はそれなりに助けもありましょう。
しかし、遠くの親戚より近くの他人です。身近ですぐ対応してあげれて、個々それぞれに違う
ニーズに応じてあげれるボランティアの必要性を今回ほど感じたことはありませんでした。
とくに、避難所にバラバラに収容されて、それまで培ってきた近隣のコミュニュケーションが
分断された状況、震災による非日常性での戸惑い、たよるすべも知らない一人暮らしの方々
に様々な方法を示し、手助けしてあげることは大変に必要なことでしたし、本当に大変喜んで
いただけていると思います。
知った顔、地域の方々と一緒に仮設に移るわけにはいかないのでしょうか。
知り合いと離れるのがいやだったり、地元から離れては再び帰ってこれないだろうとかと
思い悩んで、せっかく抽選であたった仮設をことわる方もいらっしゃるのです。
ほとんどの方は長年住み慣れたところを離れたくないし、又遠い仮設の知らない土地に
一人でいくことを大変不安に思っていらっしゃるのです。
行政という大きな組織になりますと、こういう細かな個々に対応することが大変できにく
個々の悩みを聞いて対応してあげることが、まるで公平を欠くとでもいう感覚で1人一人の
悩みなど聞く気もないという役所の方も多いようです。
しかし、それぞれの違う悩みを行政的に十束ひとからげに決めるわけにはいかないことは、
一人一人の話を聞いていると切に思われます。
又、たとえば、死亡時の給付金が直系だけというのも、遠く離れて、親子が疎遠で、音信
一方で、長年たよりそって支えあってきた兄妹でも、片方が亡くなった場合に全く葬式代もで
ないというのでは、どう聞いてもおかしいように思います。
一人一人の心の訴えや悲しみを共感をもってきいてあげれるのは、ボランティアならでこそ
できることでしょう。そして、おかしいと、行政に対し代弁してあげることも必要なこともあります。
●
そしてこの震災の救援も、行政はおおまかなところに対応するだけでせいいっぱいのよう
だのに残念ながらボランティアからの要請や多少の援助にもこれまで耳をかそうとしません
でした。
しかし、現在はこれまで″お上″であった行政もひっくり返って地に額をつけねばならなく
なるような状況だと思われます。
ですから、この震災でのボランティア活動のあり方は、今後の草の根の行政のあり方にとって
力強い味方になれると思います。
そのためには、行政の方がボランティアのテントに入ってみて、一緒に歩いてみて、その
これまでの行政の気づかなかった細かなこと、日のあたらない裏の部分、影の部分も充分
に知ってほしいと思われます。
そのためにも行政が雲の上から市民の立場におりてこられる方策をたてて頂きたいと思います。
課題でもあると、私には思われます。
● 情報を生かして!
又、震災当初、全国から多くの善意の申し出が各役所に届きました。
しかし、役所はとてもそれらに対応するひまがありませんでした。
ですから、せっかくの情報もほったらかしでした。
それだけでなく、例えば インターネットに全国から「来てください、家も食べ物も提供しま
す。仕事も提供しましょう」と、どんなに多くの救援のメッセージがはいったことか・・・・!!!
ところが、それらの善意の情報はほとんど″タレナガシ″の状況でした。 私は、灘ボラの
テントにきた時、すぐさまそれらを打ち出してもらい、避難所をまわる時にコピーを配ってまわ
りました。
しかし、実際問題としては、目の前の壊れた家に、物に、亡くなった肉親のことで心がいっ
ぱいの被災者にとって、せっかくの善意の情報も今は、それどころではないということも分かり
ました。
つまり、送り手と受け手の情報のすれちがいであり、上手にコーディネートする人が全くいな
かったのです。 他にも需要と供給がうまくつながらないことは、沢山ありました。
私のしりあいが、壊れた家から、一時家具などを避難できるよう、大きな倉庫に話しをつけ
て、役所に連絡したそうですが、返事がこないままに、結局それを被災者たちに伝えることが
できないままに、せっかくの話も生かされなかったということを、後で!!きかされました。
「ボランティアに連絡くれたらよかったのに・・・」と、つい言ってしまいましたよ。
その時にうまく連絡がとれていたら、どんなに助かった方がいたことかと、後になって大変残念
に思わされたことです。
そんなふうに、今や情報の時代ですから、情報室というものを設定する必要があるでしょう。
そして、よこされた情報を逐一、重要視していかしあえるよう、コ−ディネ−トすることが、
こういう非常時には特に大切な仕事となるでしょう。
「 いかに上手に、必要な時に、必要なところに、伝えるか。」
これも、これからの災害時には、大変に重要な課題となるだろうと、私には強く思われました。
////////////////////////////////
提言2 1995.3. YUKI.I
| ■テーマ働の市の目標である協同の町づくり |
| なお、5月の連休あけから、ボランティアセンターが区役所にできることにな りました。 学生たちの陳情のたまものです! でもどれだけのコーディネータ ー役ができるかなんともわかりませんが、できるだけのフォローはしたいと思っ ています。 私自身は依然、河原のテントで″灘ボランティアJBC″の窓口を 受け持ちながら実働隊として、縁の下の力持ちの活動を続けていくつもりです。 そして、今後は、潜在ボランティアである主婦たちを引きだし、月一回とか、 週一回という形で、JBCのケアの担当などをまかせていけたらいいなと思った りしています。 神戸近辺の会員さん、主婦の方々、お友だちをさそって学びに いらしてください。 どうぞあなたにできる無理のないボランティアのスケジュ ールをたてて、貴重なボランティアの体験をしに、都賀川の河原のテントに手伝 いにきてください。 池辺までご連絡下さい、よろしくお願いします!! |
提言3 1995.3. YUKI.I
| ■テーマボランティア |
●なまの市民に接してください
役所が、ボランティアのリーダー会議や全体会にお出になったりすれば、とても役に立
つ情報が満載だとおもいます。
地震ですべてがひっくり返りました。″お上″もお上意識を捨てて、でんぐりかえって地
べたに寝にきみてください。上下いりまじって融合の時が今きていると思います。
地震で裏が表に上が下に全てがひっくりかえったのです。
ですから青島さんもノックさんも浮上してきたんじゃないでしょうか。
知らないところ見えなかったところをあえてみにきてください。
市民はまだまだ神戸市を信じています。この大震災で気づいてくださることを切に願ってい
ます。
ていました。
4月の新学期が始まった今でも、授業がおわってからものぞきにきてくれます。
遠くに帰った子も土日にでてきたり、責任あって、気になって電話をくれたりしてくれます。
ました。
まさに手弁当で、わずかに残った若者たちもどんどん食いぶちでお金も少なくなってきて
います。帰りの旅費のアルバイトをしなくてはならないそうです。
●こころの交流を日常のものに、喜びあえる豊かな街に
行政がおおまかなところにしか目がむかない時、
わたしたちボランティアのテントでは、一人一人に細かく対応でして、沢山の高齢者や障害
者そして、もちろん多数のお手伝いできた方々に喜んでもらえてよかったなと思います。
そして、一緒に喜びあえる喜びが又ボランティアの心に暖かい火をともしてくれます。
次の活動のエネルギーになります。
この非日常での助け合い、心の交流が日常のものになってこそ、本当の思いやりのある
皆の喜びあえる豊かな町になると思います。
区ごとのボランティアおかかえ部隊を作ったらいいんですよ。
そして、ボランティアがおかたい区役所に入るのでなく、区役所がボランティアのテントに出張
すればいいと思います。
ましてや一応上にたっているような、権威のおありになるほうが、自分の殻や枠を壊して、
″お上″から″下僕″″公僕″に転換なされば、市民も心を開き感謝して、ともに喜べる
町づくりへの協力をおしまないでしょう。
神戸市民は皆、神戸が大好きだし、愛しているのですから。
提言(4) 1995.3. YUKI.I
| テーマ住宅・環境・土地 |
だから、それらの取り組みにはどんどん援助金をつけて、21世紀には省エネ都市
神戸と世界からいってもらえるようなも凡例となってほしいものです。
省エネの太陽光発電、自家発電。
大地にやさしい合併処理浄化槽や透水性のアスファルトなど。
遊びのある生物の喜ぶ川。水は、はるばる淀川からでなく、もっと、考えてみてください。
環境も人が主役でなく、自然を主役にしてこそ、理想の街になると私に
もし、敦賀で地震が起きてたら、神戸のなんのっていってる場合じゃないでしょう、ハワイ
にでも逃げなきゃなりません。
だから、神戸市として、原発反対にまず取り組んでほしいと思います。
そのためにも是非これを機会に太陽光発電に必要な300万円くらいを設置する家には
全額無利子貸付とかにしてみたらどうだろう。 みんな神戸市をみなおすと思うよ。
●水はいのち
今回の、地震でも、はやくに水がこなくなったので、消防士さんも、ホ−スをもったまま
歯噛みしていましたね。
消火活動に関してはまったくの無策でしたね。昔のお江戸の火消しのほうが賢かった
んじゃないでしょうか。
人が埋まってるのにどんどん火がひろがって・・・生き地獄さながらでした。
さっさと海水でも使えばよかったのにと。消防自動車数台オシャカにしてでも、どんどん
放水したほうがよかったのにと、私は思いましたよ。
これも、はるばる、日本一汚い川、ガン発生率の高い淀川から、はるばる水をひいてき
ているからこんなことになったんですね。
地震の時に西宮や芦屋の南部で、水道管が破損したので、大阪の方で、本管の元栓を
しめてしまったというふうにききましたよ。
だから、神戸の火災を消せなかったと、もっぱらうわさになっていますよ。
神戸は、宮水をはじめ、船に売る水,パック入りの六甲の水に売る水はいっぱい、あふれ
るほどあるのに、かんじんの市民に飲んでもらう水がないなんて、ほんとおかしいですよ。
そんなケチなことしてるから、あんな火災になってしまったんじゃありませんか。
ほんとにケチなら、中水道をつくればいいんですよ。この震災を契機に、日本に先がけて、
中水道をためしに試行してみればいいと思いますね。
下水は雨水管の浸透式でいいだろうから、是非規制を緩和して、市街地でも下水道の未
だのところでも助成金をだしてあげてほしいものです。
川には草はえて虫がいて、魚や小動物がいてあたりまえだから、人間のつごうのようように
自然を刻んで、
● いろいろ考えて
だから、自家発電、太陽発電、風力、水力・・こまめな発電をどんどん奨励金をだして
関西電力をものともとせずにとりくんでほしいものです。
宙に重いものを動かす事事態、不自然なことです。
ですから、電車は地を走るほうが安全ですね。
非常事態がおきても被害が最小限になることも考えたいものです。
又、阪神高速も湾岸線をのばせば、住宅地の隣接での大型トラック等の幹線道路の公害問題
も少なくなるでしょう。
世界一の明石大橋だって岩盤に500m以上も何十本も打ちこんでいるのを皆知っています。
それが、この地震の引きがねではなかったって誰がいえるでしょうか。
毎年せりあがっている六甲山の裏山を大量にけずって、海を埋め、住宅地を広げてゆく・・・
そんなに自然を破壊していて、常識では、産土の神さまがお怒りになったって誰でもが感じるとこ
ろだと思います。
あの大震災のおかげで、5500人もの尊い犠牲のおかげで、こんな素敵な町に生まれ変わ
ったと、神戸市民が誇りに思える、暖かい血の通った町づくりをしていただきたいと思います。
提言(5) 1995.4. YUKI.I
前号では、この震災の意味を問い、復興の理念、及び意識と価値観の転換の必要
のあることを述べました。 今、神戸の復興が、21世紀に向けて新しい意識で
なされることを多くのもの(人・あらゆる生物・地球・宇宙)は願っています。
人間本来の人と人のふれあえる神戸。 自然への畏敬の念を持って、自然と共
生できる、21世紀に先だって世界の模範となれるような神戸。 そのような″
新生神戸″となれるか否か、世界は今神戸に注目しています。 そして又神戸に
住み地震に出会ったものは、自らのありようを問いなおす責務があると思われま
す。 それには、地震で物質的なものの枠組みが崩壊したように、私たちの意識
の枠も今一度壊してくつがえして原点に戻って、新たに組みたてなおしていく必
要性があると私は思うのです。
「震災のおかげで神戸は生まれ変わった」
と、 よい意味で喜び合いたいものです
兵庫県は社会経済基盤の復興指針として、空港整備を重点施策として位置づけている。
しかし、災害時の空輸の問題についてだけなら、これまでの六甲アイランドやポートアイラ
そして、今回の地震で、これらの人工島が孤立したことをよく考えてみなければならないと
思われます。
ですから、緊急用のヘリポートなどは、本土側に作った方がよいことは今回のことからも
十分に検討されるべきでしょう。
いわゆる、これを機会に神戸空港の計画を強引に国の補助や援助金を使って押し進めよう
なぜなら、それは、多くの生活が困窮してきている
ていない人たちをを忘れている態度にほかならない。と、わたしには思われる。
もちろん、人だけでなく、自然もものも、全てが、震災から学んだことをふまえて、
二度とおこらぬように対応してゆくのに、まだまだ全精力をついやしていただきたいものと
思われます。
常時飛行機を利用する、そういう状況を考えるのは,もっともっと、この震災の後遺症を
解決して、多くの人々が
「震災のおかげで神戸は生まれ変わった」
そんなふうにいえるようになってから、 空港のことはもちだしてください。
今でも、堺の関西国際空港に、海を横切って、40分くらいあれば、いけるのではない
ですか?
みえる建物だけでなく、もっと、みえにくい、被災者の生活に、目を耳を心をむけてほしいと
思われます。
今回の地震は、1人1人に、全ての家庭に、大きな負担をおわせました。
ひとり、ほくそえんでいるのは、ゼネコンだけではないでしょうか。
市民は、困っています。 とくに、二重のロ−ンを心ならずもかかえざるをえない状況になる
ような方は、本当に頭をかかえていらっしゃる状況です。
その他にも、どうにも、困ったという方々も多くいらっしゃるでしょう。
市は、その1人1人に取り組むかたちで、多くの義捐金を使っていかれたら、
よいのにと、思われます。
<後記>
時間のないままに つらつらと ならべただけとなりました。
巷で、発ガン物質といわれるほこりの中をかけずりまわっている、一主婦のボランティア
が、いろいろ見、聞きし、感じて、思ったことごとです。
どうぞ、まとまっていませんが、今後の、神戸市のよりよい気付きと発展のために
役立てていただけましたらうれしく存じます。
灘ボランティアJBC YUKI.I
政治を一部のものたちのいわば、おもちゃにしているから、今日の東京都の青島幸夫、
大阪府の横山ノック両知事の誕生となったのです。
今や政治は民意を反映していない、市民、府民、都民の代弁者でなく、雲の上どころか
、黒雲の中の動物園のなかのつかみあい化かしあいの場となり、その中の政治家達は残
念ながらピエロとなり、庶民の敵対者となってしまったのです。
青島の意味は″青い島″つまり″未熟な日本″を意味しています。これは、青島さんが
れるのです。
今ふりあげられた神の手はかつてのものとは″ま反対の方向″に大きく振れているの
です。これはゆさぶりの一過程です。
●すべてはくつがえされる 横山ノック・・・
われてきたのです。
地震でみごとにくつがえされたのです。後が前になり、下が上になり、裏が表に、老いが
若きに、若きが老いに全てがひっくりかえされたのです。
横山ノックさんもその名のとおり、縦の山が横になり、神の戸はノックされたのです。
この全てがひっくりかえるときですから、ノックさんのような方でも、知事になれたと
私には思われます。
ノックされて、戸が開いて何がでてくるか、正が出るか、邪がでるか?
それは、この神戸の震災から学んだもの、神戸の復興がどのようなされるかに見られる
だろう、皆の意識の変革であり、高まり如何にかかっていると思われるのです。
地球レベルでの意識、あらゆる生きとし生けるものへの共存、共生の意識のあり方こそ
21世紀にむけての新しい意識レベルであることは周知のことでありましょう。
この震災で、多くの木々は私の知るかぎりでは一本も倒れませんでした。そして、大地
町なかにも心のふれあう町、暖かい町づくりというスローガンをみうけます。 しかし、
本当に
自然とともにある町づくりができるとよい。 人以外の生き物たちと共存共生しあって
生きているということを 充分にわかりあえる町になってほしい
植物と土と小動物と鳥たちとともにある町づくり、人だけが住みやすかったり、喜ぶだ
///////////////////////////////
世状は騒然としています。
自分の心の持ち方いかんですね。
しかし、それは決して目をつむったり、そむけたり、逃げたりすることではないと思い
今年は乙の亥の年、「乙」は「天干」 天の意をあらわします。そして、「亥」は「十二
「乙」はまさに″木の性″。 今年は天から強いメッセージとインスピレーションを受け
しかし、来年、さ来年とつよい″天″の″火性″の年は近づきつつあります。 と、まる
で天気予報みたいですね。これはオウムならずとも易学では、皆の知るところです。
●天の気はめぐる
天干は12年を1クールで、60年を還暦とし、又、180年を大きな替わり目としてい
そして、来年はそれらの大小のクールの重なる、大きな節目であり、激しい性の重な
で活動的のいみあいがあります。 この分では、まだまだ私のボランティアは続きそうです。
又″地の気″とは、人の世の行いや表れのこと、″亥″は猪突猛進、実直さですが、事故
しかし、
は思われます。 しかし、一緒にこの時代に生を受けている身です。 時代の流れの中の大
きな災害や事故にまきこまれてしまうこともあるのです。
せんだっての地震で亡くなられた方々、2・3月もいれての6500人もの方々の身におき
地震報告第三弾に、オウムの背後のあやしい黒雲のみえることをいいました。その雲も大
それに、まるで政治家が自分と偉い人を並べてとった写真で迫力をつけようとするみたいに、
ヒマラヤでしたか、山の奥のめったに会えない超一流の行者と一緒に修行したといって、なんと
写真が撮ってあるのですもの。
おかしいと思いませんか。 カメラマンが同行して修行していたのでしょうか。
チベットの奥深くまで、解脱したステージの高い人としか会わないという行者がやすやすとカメラ
に撮られるものでしょうか。
セルフタイマーだというなら、肖像権の侵害をしているかもしれませんね。
ダライ・ラマも麻原教祖の権威づけに利用されていたようですね。
オウムは、ハレー彗星が地球にぶつかって世の破滅だといって、恐怖心をあおり、金を集
全く無邪気なものです。 本当に霊力があるなら、信者のマインドコントロールに麻薬を用い
ることなど必要ないはずです。
いわゆる見えない世界を感じる者としては、″霊覚者″と″霊能者″がいます。
″霊能者″は、素質があれば、修行して、集中力と技をしればなれます。
それなりの力はつくと思われます。
しかし″霊能者″では、真の道のわからぬまま、その能力にひきよせられてきた人たちを食
い物にしたり、あらぬ方へとひっぱっていって信者の命を損ない、害を与えてしまうことが多々
あります。 今回のオウムがそうだと思われます。
″霊覚者″は真に神と通じているものです。 ″霊能者″のまわりには色々様々な気や雲
がめぐっていますが、″霊覚者″は明るく清新な光が感じられるものです。
それは決して、地獄へおちるぞとか、自己嫌悪や罪悪感におちいらせたりとか、恐怖や不安
をあおったりするようなおどしの宗教ではないでしょう。
周囲のものに悲しみや怒りを与えたり、宣伝にこれつとめたり、お布施を強要して金もうけをした
り、ましてやラチ監禁して、その上殺したりなんかとんでもない話です。
神に近づけば近づくほど明るく清明な喜びの中で、落ち着けて、全てに感謝と受容があると
私には思われるのです。
当会の地震報告第2弾に″地震兵器の可能性も″とのせていたことから、yukiさんオウム
地震兵器に関してはオウムが言いだしたのではありません。
オウムが言っているとしたら、麻原教祖の霊力ではなくて、私でも聞いたことのある、それを
言っているのだと思います。
私はオウムと違う他の方々からききました。 元阪大の工学部教授の方から、ロシアが各大
学に折衝にきていたことをききました。
又さる古代日本のことで大変にご高名な先生も各方面での講議にその地震兵器のことをおっ
しゃっています。
オウムは大変に情報収拾にたけており、そのU先生の講義などの研究も大変熱心にしており、
その内容をわがもの顔にしているらしいです。
又ソビエトの軍事機密風なものにも近いらしいので、そちらからの情報もあったのかもしれません。
こと宇宙の衛星にかんしては、ソビエトの方が格段にすすんでいます。
先だってから米国の宇宙飛行士がソビエトの衛星にのせてもらっていました。 又この地震を
はさんで、宇宙滞在最長記録も達成していましたね。
又、高磁気ドームというのをご存じですか。 これもナサでの軍事機密のひとつですが、この
ドームにはいると放射能汚染もなくなり、ガンもよくなるという評判のものです。
が、軍事機密ですから、政府要人は入れても、チェルノブイリの子たちは入れないのです。
戦争のたびに科学力は急激的に増加しし、原爆もできました。
そして、いまや、中性子爆弾など古くて、地震兵器のひとつプラズマ兵器までさまざまな軍事機
密は一般の情報では伺い知れるところではありません。
ついでに、次頁に私が昨年の通信2月号でもいっていたことをそのまま少しご披露してお
又、これはさる大学の地震の研究者の方がおっしゃっていたことですが、東京では、地震
の研究がいつもされています。 そのひとつとして、地殻の断層を調べる方法として、人工的
に地震を起こす方法でしているそうです。
もっとも大分以前の話なので、今も続けて、そこでなさっているかどうかは確かではありま
せんが。 それは、夢の島に2キロほどパイプを掘りまして、ダイナマイトをつめまして、人工
的に地震をおこすのです。
そして、東京都内の各所の校庭にもうけた地震観測器でその地震の伝わり方を測定する
のだそうです。その伝わり加減でどこに断層があるのかを算定するのだそうです。
電話の時報にあわせてスイッチをいれるのだそうですが、現実に夢の島のすぐ上にいる時
はまさに震度5か6の直下型地震と同様だったそうです。
ですから、このようにたびたび人工地震を起こすことは、ある意味では地殻のエントロピー
を下げる役目をするともいえるかもしれません。
又人間の体が固いようでいて、体の操法などをしてみるとよくわかるように、水はわずかの
エネルギーもそれは微妙に遠くにまで伝
もし彼らの言う教義が真に″原始仏典″からひもとかれたものであるなら、そのようなことは
するはずがないでしょうに・・・・。
どうも、その教義も、オウムにドブンした、会員さんの話しを聞いてみると、いろんな宗派のよ
せあつめのようにも聞こえました。
又、ポアだとか、なんとかは、多分ジャイナ教からひっぱってきたようにも思われます。
特の世界観をもっているそうです。
●バラモン教と釈迦
しかしアーリア人によってバラモン教がもたらされ、カースト制がはじまりました。
そして、祭祉による儀式やヴェーダンタなど、人間の真我ともいえるアートマンと大宇宙のブラフ
マンが凡我一如として一体のものであるというマクロ的多神信仰的なバラモン教と、ジャイナ教と
はまた違うもののようです。
しかし、釈迦はこのようなありとあらゆる苦行を6年してみたが、これでは悟れないと分かったそ
うです。
で
ジャイナ教とは、正見・正知・正行がその教理です。
そして、ジャイナ教には、5つの大禁戒があります。
それから@無害 A真実言 B不盗 C凡行(セックスをしない) D無所得を守らねば
無害とは、徹底していて、無意識的にもいっさいの生物を害することを禁じているので、
ですが、現在でもインドでは衰退した仏教と違って、厳しい戒律と苦行のジャイナ教の信者
は100万をこえ、在家の有力者も多いそうです。
自ら手づかみでむしりとってて懺悔するためにあのボサボサ髪を残してあるのでしょうか。
でも、ある無責任の恥を知らない態度ではむしりとる勇気も出ないでしょうね。
最終解脱者に食の選り好みがあるというのものもおかしくって・・・。
又、死の体験と称するものは、肉体の死についての体験のように私には聞こえました。
肉体を持ってとびあがるのは、肉体への執着がぬけていない証拠だと思います。
彼ら流にいわせてもらえば、
ステージが低いので、意識が肉体のそれも低次元から離れれなくて、魂だけで抜けれない
肉体の苦行がナンセンスであったと釈迦はいっています。
山に法なし、ダルマは巷にありとよく聞くところです。
どうぞ、何かを求める方はボランティアに来てみて、ともに喜びのわかちあいをしてみませんか。
<オウムは現代の縮図>
●差をつけて競わせる
かように、オウム真理教は、羊の皮をかぶった狼のごとき感があります。
そして、教団内のピラミッド構造も全く現代の縮図です。
1人1人が自分自身の主役であり、1人一人の生命に差はないと思っているわたしにとっては、
笑止千万です。
″悟り″とは差を取り除く″差取り″に通ずると私は思っています。
ところが逆に、オウムは現代の競争社会を反映するかのように差をつけて、競わせ、官位!
をえさに悪いことをやらせています。
まさに逆らえない恐怖の集団です。
現代の受験競争、出世欲がそのままスライドされ、悟りたいという欲をかきたてています。
オウムの自作自演の火炎ビンなど・・・?
私などは昔々、ひよっこの音大生だった頃、ピアノをこわされないようにと、″逆封鎖″をして
学校を守った覚えはあります。(逆封鎖は赤軍派ではありません。
何事も枠の中だけでいるとだんだん先鋭的に狂気になってきますね。
とくに心の内に不安をもっている人はみたされない代償を求めたり、愛情の足りなかった親へ
の敵意を他に置き換えて敵を作ることである意味で安心するのです。
ですからオウムもそれと同様の方法をとっていますね。
かえををしていたともいえるでしょう。
信徒には自分のところだけの教義しか聞かせず、他の情報に一切ふれさせず、自分の枠、
って脅迫してきたようですね。 これは、宗教の常套手段のようですね。
そして、一
だすから、私がいつも言っているように、現代社会においては一般の者への情報操作もかなり
のものがあります。
うちの長女がとある有名塾に遊び遊び2年近く通っていました。 子供は望む学校には入
ったのですが、私は確かに失敗したと思いましたね。
うちの子はまだ遊び遊びでした。
同じ年のいとこが、ヒ−フ−と、テストにかけまわっている日曜も、しょっちゅう私といっしょに
畑で芋掘りなどしてましたから。 後になって、塾にいかず、本屋でたちよみもしょっちゅうだ
ったと後でばらしてました。
で考えなしで、アニメ好き・・・・にすっかり洗脳されたようです。
しかし、今の受験教育や学校教育もこれと同様ではないでしょうか。
ゆっくりじっくり考えて自分の言葉で語ることをしているでしょうか。
子供の成長をゆっくり見守り待つことをしているでしょうか。
実体験を積むことをしているでしょうか。
とても
ではないでしょうか。
●感受性を豊かに・・・
頭で考えることが、全てかのような、まさに知識欲でいっぱいの人がオウムなど新興宗教に
はまってしまうのかもしれません。
又、広く物事のみれない、枠の狭いい生真面目な方こそ、その新興宗教の膨大な知識を知
れば賢く悟れるかのような錯覚をもってしまうのかもしれません。
オウム返しに記憶
ではないでしょうか。
今、あたりまえを感じる体験の積みあげの大切さが、忘れられているように思われます。
悟れるのは、知識でなく、実体験から学べる感受性だと私は思っています。
知識に囚われるのでなく、広く世界に目と心を開き自分自身の感性を大切に生きていきたい
ものです。
/////////////////////////////////
JBCの記録にもなっていますが、他のそれぞれに手分けして、
担当されてボランティアくださった方々の記録には一切ふれて
いないことをご了承ください。)
4月3日月 ・六甲山のせんざん荘の盲人の方々4人のつきそい、ワゴンで送迎
吉田病院(三の宮)へHさんの様子をみにいく
・夕方、主査の人が、テントに来る
方一人しか来ず
以後スタッフとなってくれる 伊勢、橋本、田口が来てくれる
娘をとりあげてくれた山縣さんの80才の誕生日のお祝いに
娘と、Hさん、Eさんと一緒に訪ねる
(( 26月 「第7回 みんな一緒にボランティア」))
(( T.t.Im.担当 ふれあい隊 10人くらいで西灘・篠原訪問))
///////////////////////////////
ただしYUKI.I
ひまわりネットワ−クの記録にもなっていますが、他のそれぞれに手分
けして、担当されてボランティアくださった方々の記録には一切ふれて
いないことをご了承ください。)
7月 2(日) テントでうちあわせ
[ 大分から、郷里の福山へむかう ]
あと福祉事務所で担当のケースワーカーの人とMくんのお父さんと話す
洗濯機と冷蔵庫がそれぞれ30台ずつ到着 橋本 常盤が受け取る
姫路からも看護婦さん7人応援
/////////////////////////////////
●
「灘ボランティア・JBC(じっちゃんばっちゃんクラブ)」です。
7月に入って「JBC」は解散し、それに関わっていた主婦たちで、新たにJBC的活動の
一層の発展を願って灘地域助けあい「ひまわりネットワーク」が結成されました。
又、これを機会に「灘ボランティア」からも独立しました。
●
そして、灘区の仮設住宅や避難所、テント村などでのさまざまなボランティア活動に取
り組んでいます。
●毎週月・水の午前10時から午後2時までを″全体活動日″としています。
基本的に灘区民センター横の河原のテント前に集合し、そこから各所に出むきます。
″全体活動日″にはいつも十数人から20人位が集まり、それぞれに分担して活動をして
います。
又、土日にできる方も、それなりにつごうのつく日にできる活動をお願いしています。
他の平日でも、担当をきめてありますので、つごうのつく時に、随意に担当のボランティア
活動をしてまわっていただいています。
●
●
| 活動内容: 「ふれあい隊」2人一組で仮設住宅の一人暮らしの高齢者の巡回訪問 |
| 「たねまき隊」仮設住宅の空き地に花をさかせる(種まき・草ひき) |
| 「大工隊」 仮設住宅に必要な様々の大工仕事 |
| 「環境整備隊」仮設住宅の住環境を整える(溝きり・ジャリ道の整備 |
| 「かたづけ隊」高齢者の住宅や仮設住宅の荷物の整理ひっこしの手伝 |
| 「送り隊」 高齢者・盲人の方々の病院への車での送迎 |
| 「おしらせ隊」各所にそれぞれ必要な情報提供など広報活動をする |
| 「たのしみ隊」アルジェリアテントやふれあいセンターを利用しての |
地震報告第6弾! 1995.7.3. YUKI.I
何ものにも 動じない
今、私はボランティア活動のなかで、何ものにも動じなくなるよう、日々時々刻々修行を
時々失敗もします。 先日も若い、気質の″辰″の子が、私との意志の疎通を欠いた折
り、母の年にあたる私にむかって、「あんたなあ・・・!!」と暴言を吐いてくれました。
目上もかまわず暴言を吐く″辰″の気質そのままで、私も″辰″をおこらせるような事態
しかし、油断は禁物。 感情は、尾をひきます。 ″辰″はすぐ″戌″になり、腹のなかで
ですから情のこわい″辰も戌″も暖かくきめ細やかに、それも怒らせぬよう、必ずアイメッ
セージで接することが肝要でしょう。 いつも、笑顔と言葉かけの潤滑油をさすのを忘れない
ようにせねばなりません。
、″情″もつかいようで、すばらしい″薬″にもなれるわけです。
光と化すには、その意識に少しのエゴも我もなくせねばなれません。 全ての根源は光
のエネルギーにあると、私は思っています。
人として、輝きを増すには、体から、感覚器官から心にムクムクとわいてくる黒雲をいか
に晴らすか、散らすかにあります。
そして、その黒雲の起こし方も各人各様です。 ですから、人間をみるにも、応対をするの
にも、そのさまざまな気質を知り、相手の気質を見抜くことで、その人の癖や考え方の傾向
性もみえてきます。
癖を個性とみあやまって、好き放題のばして、あとで泣いている親が、昨今多いようにみう
けられます。
底の方にまでせまっていかねば本質はみえてきません。
そして、何より原点である光にふれるなら、全てがつながりをもつものであり、全てが響き
あい支えあい助けあって生きていることに気づかされるのです。
気質というのは、その人が本来生まれながらにもっている性質の傾向性をいいます。
あるでしょう。
しかし、いずれも運命論的で、決定事項のようで、その人の努力の方向性、運勢をよくする
方法などは,ほとんどなかったように思います。
うらなってもらってがっくりしても、だからといって 「どのように対応したらいいのか分から
ない」というのが、一般的な占いでしょう。
天命を知って、人事を尽くす
しかし、私にいわせるなら、運勢はみずからが、変えれるのです。
運勢は、みずからの日々の対応の蓄積から、つくられていきます。
しかし、その日々どのようなことを心がけながら蓄積してゆくかで、大違いとなってきます。
その因果を作り出す自分の気質や、なくて七癖に気がついて、それを良い性能の方へと、
向けるように努力すれば、
運勢は良いほうへと、めぐってくるものだと私には、思われます。
人事を尽くして天命を知る、ではなくて、 私からいわせれば、
自分の持ち前、気質や癖、自分を生かす才能というものをよくわかることが、先なのです。
天命をしってから人事を尽くすことこそ、人生を生き生きと楽しく過ごすことになれるのです。
なくて七癖
癖は、本人は気付かないものです。
まずは、自分の持ち前の癖を客観的にみれるようになることがいります。
そして、それが、わかれば、どのようにして、それを消していくかがわかってきます。
まずは、人のいろいろな気質や傾向性の違いをしって、その癖や性能を知ることから始め
ます。
これが、私のセミナ−の気質人間学の始めです。
ですから、気質学は、占いではありません。 自分を成熟させていく取り組みなのです。
自分のなかにどんな気質が隠れているか、それをしっても、癖を改め、性能を生かす
ことは一朝一夕にはいきません。
人格淘冶
”人格淘冶”と、昔からいいました。
それが、気質学を知ってその実践をすることです。
そして、親となっては、子の気質やその傾向性を知って,小さい頃からよく観察し、その
癖が伸ばし放題にならないように気をつけねばなりません。
また、その性能を信じて、暖かくまたきびしくも、それぞれの気質に応じた指導のあり方
を知って育てていかねばなりません。
また、なにをするにも、自分自身の気質をしらねば、しらぬまに色眼鏡をかけたままで、
他人を子供をみてしまったり、自分に通用する方法だけをもちいて、育てたりすることに
なりかねません。
何よりまず、自分の気質をコントロ−ルできるようになってこそ、人の道の第一歩といえ
るかと、私は思っています。
さてはて、わたしも、自分の気質の癖のままにボランティアをさされているのやら、気質
を生かしてさせていただいているのやら、これも、ほどほどにせねば、
It is the question?です。
クーラーは電気の容量もあって使えないのです。 赤ちゃんのいる家庭はお向かいの喫茶店
に一日中避難しています。
あるテント村では、14世帯のテントのうち4世帯しか仮設住宅にあたりませんでした。
今回の5次の仮設住宅の最終募集は、避難所の解消がねらいだったらしく、テントの方のあ
たる確率は低かったように思われます。
又、ある避難所では、行政の書類の手落ちで、選考もされなかったという場合もでたと避難
所連絡会の方からききました。
ある公園内の地域福祉センターにいた10人には全員仮設住宅にあたりました。
しかし、同じ公園内のテント村で、仮設にあたった方は、ごく一部です。
そして、私が訪問したおり、役所にあたった仮設住宅をことわりにいくとおっしゃっていました。
というのはテントの近くの自分の土地に10月には家を建てるのだと言って、設計図やその他
いろいろとひっぱりだして見せてくれました。
ところが、足が悪いので、とても家を建てる現場に仮設住宅からは通えないので、ことわろう
と思っている、と土気色の足をさすりながら話されていました・・
仮設もそんなに遠いところではないのですが、この方の足になってくださる車のボランティア
が確保できないととてもこの状況では、仮設に行くことは無理だろうなと思わされました。
しかし、年老いた母親のためにも何とか仮設住宅には入って頂きたいものです。
●テントをはった公園に仮設を建てて下さい
何故、やむおえずテントをはっている公園に相応の仮設を建てて、そのテントの人たちを
住まわせてあげれないのでしょうか。
ある公園では、テントに住む人たちをたちのかして、そこに仮設住宅を建てるのに、行政は
「公平をきすため、そのテントの人たちが入れる保証は何もない」と、非情にも言っているのです。
テントの方々は、その場所を動けない様々な事情があるから、やむおえないテント生活で
がまんをしているのです。
テントの方々は切実に、自分たちを入れてくれるなら大いに協力する、と言っているのです。
だのに、行政は特別の配慮はできないというのです。
一体、行政って市民のための機関ではないのでしょうか。 市民一人一人のための政治で
はないのですか!?
●真の公平とは・・・
欲しい人に相応に与えることこそ、真の公平ではないでしょうか。
一人一人の切実な要望にそってかなえる方向で努力してこそ、本当の公平、本当の平等
ではないでしょうか。
現在の画一のおしきせの時間割りの押しつけだけで、一日中を費やしてしまう教育は、
本当の意味での教育ではないと私は思っています。
その子の才能や求める事柄、その子自身が興味を持つものに応じて、一人一人に相応の
配慮をしてゆけることこそ、その子を真に生かし、又大きく育てる本当の教育といえるものと
思うのです。
今の政治に求められない細やかさを補えるのは、一人一人の心とふれあい、結びあえるボラ
ンティアだと思うのです。
裏の声、心のうち、本音をきけるのがボランティアだと私は思っています。
ですから、雲の中の行政と地上の住民をつなぐものとして、お役にたち、市民の立場で考
えそれを、行政にもわかってもらえるようつなぐ役目。
それが、今のボランティアだと思うので、現在も必要な活動を続けているのです。
東京でなら、1時間半〜2時間半の通勤などたいした時間ではない、
入居者はあまえて
しかし家が倒れ、
所有物もなくなり、家族のものの誰かが亡くなった人もいる家庭の状況で
は生活をたてなおせるかどうかと考えるだけでもせいいっぱいです。
合板一枚で隔てただけの10軒が一棟の長屋ですから、隣の音はつつぬけですし、6畳と4畳半
家族がゆっくりとくつろぐどころか、手足をのばして寝る余裕もありません。
とても家族一緒に安心して住める住まいではありません。
異常に狭いことや、長時間の通勤通学、将来の生活や住まいの不安を始め、
我慢をかさね
てのストレスからは、心身症、あつれき、争いや病気さえやむなくおきてくるでしょう。
仮設は仮設です。 これまでの家の常識では考えられない住まいです。
隣家との壁も合板一枚、屋根も雨が降ってもやかましくて寝られないトタン板です。
そのトタン屋根との間わずか30cmの間においてある薄っぺらの断熱材も専門家にいわせると
何の用もなさない状況・・・。 床下に水はたまり、天井はひわり、電灯も落ちてきて、雨もりもする、
そんなところさえあります。
家でしょうから、遠距離通勤もいやされ、家にいることからのストレスなど、とても考えられないでし
ょう。
仮設住居では、長距離の通勤通学に耐えれるほど人間は強くないだろうなと私には思われるの
です。
それまでの地域にあっての仮設でこそ、本当の仮設住居であって、たとえ住まいは仮りの
家でも、まずは、安心して、ご近所の同じ顔を見て安心し、又隣近所と相談もしながら、
今後の対策を練ろうかという気になれると思われます。
今仮設に入居して、何もかも自前になっては、首くくるしかない。 とても生活がなりたたな
いとして、みとおしのつかない家庭がやむなく避難所に残っている場合もあるのです。
細やかなフォローがなされないと、本当に困っている方は食べるものも十分に食べれず、
弱ってしまい、仮設はおば捨て山になってしまうおそれがあります。
は
遠い仮設では、とても自力で出てゆくことのできない人たちです。 自力で出れる人はもう
とっくに出ていますし、遠くの仮設に無理してで
出てゆくあても金も仕事もある人は、とっくに出ました。
仕事もあって、生活のみとおしのある方は、一時狭い社宅に入ったり、一時高い賃貸住宅
にはいっても、会社の補助もあったりして、それなりに我慢のしようも、仕事もあるから将来
への希望ももてるでしょう。
実際問題として、近場を希望したのに倍率がたかくて、あたらなかった人たちがほとんどです。
あたったのに行ってないという場合は、特別な場合のごく一部の方です。
歩道が渡りきれないという広い道を前にして、断らざるをえない場合がありました。
そんな場合、ポーアイに来たい人と入れ替えできるように配慮をしてくれればよいのに、それ
クローズアップしているようです。(その不心得ものとかの話を直接聞いたのでしょうか、どうして
不心得なのでしょう。 あるいは行政がきちんと不心得だとその方に伝えたのですか、何も伝え
ずによそにいいあっているのでは、なんのことやら、それこそ行政がはっきりとさせるべきことで
しょう)
そして、避難所にやむなく残っている他の多くの方々まで悪者よばわりする姿勢は、
弱者の気持ちのわからぬ強者の論理といわれてもしかたないと私には,思われます。
そういう一部だけにスポットをあてて、行政の思惑にそった世論を高めたり、マスコミもお先
棒をかついだり、扇動するような報道の仕方については、十分に自重していただきたいと思
われます。
だいたい、あさっての山のむこうの方のあちこちに大量に仮設住宅を建てていったのは、
行政なのです。
これで、仮設がなくなった時には、又宅地がうむをいわせず増えるというものです。
心の奥底に、土地投機の気持ちがなかった、とはいえないのではないですか。
どこからか、老人用おば捨て施設の用地確保の心配がなくなったという声が聞こえてきます。
又、本来、神戸市は、戦後のばかみたいに安い時に、どんどん山野を買い占めました。
そして、そのただ同然のところをけずって、又海をうめたてるという安あがりのことばかりをして、
私などからいわせれば、ぼろもうけのあぶく銭で、この近代都市を作ってきたわけです。
ある意味では、運の良い時流にのった経営をしてきたともいえるでしょう。
そこには、何でも人間の思うがままにできるという奢りや、行き過ぎがなかったでしょうか。
人間も自然の一部にすぎないという根本のところの考えにたっていなければ、必ずバラン
この大震災こそ、その破綻だと私は思っています。(詳しくは4月号の地震報告をお読みください)
被災地区で、集合住宅建設や賃貸用の家屋を建てようとする大家に大変に有利な資金の援
例えば、ワンフロアーを賃貸にする3階建て住宅などに大幅な資金の援助や家賃をあてにして
のローンを組むことも援助してほしいこと。
たとえ、被災地以外でも、この狭い都会では、賃貸用の住宅を建てる場合の優遇措置は十分
に考えられてしかるべきだと思われる。
持ち家の一戸建ての方々が家を立て直す際「「3階建てを大いに奨励」」すること。
基礎のしっかりした3階建ては今回の地震にもほとんど影響を受けませんでした。
だから、建物としても頑丈ではないでしょうか。
そして、ワンフロアーをこの震災で家のない方々に貸すよう協力をする家庭には、かなりの
優遇措置がとられるなどの方策をとる。
ただで貸すわけではないので、その家賃をローンの支払いにあてれるようにできるわけ
ですから、建てたほうも助かるわけです。
そして、高齢で、ローンの支払い能力がないとみなされる持ち家の方もワンフロアーを賃貸
にすることで、支払いもできるわけです。
ですから、そのような方々には行政が指導して、ローンが組めるようにして、ローンの利息
も半分くらいにできたらいいですね。
どんどん、町に賃貸用住宅がふえれば、仮設の方々も早く帰ってこれるわけです。
ですから、賃貸用住居を建てることは、被災者の援助にもなり、行政にも協力していただけたと
地震以後家賃は高騰しています。 ボランティアでまわっていますと、震災前までの分の
誰しも我慢に我慢を重ねています。 又、やむなく順応したかのように振る舞っている方
がほとんどです。
賃貸用住居をみると、震災以前は2DKで3〜6・7万円であったものが、今では、10
ちょっと家族で住もうとすると10数万から20万円近くまでを覚悟せねばなりません。
雇用も不安定で、夫の仕事がOKでも奥さんのパートが、できない震災後の状況では、
とても高い家賃の住居に入れません。
行政は民間の賃貸用マンションの家賃補助をするといいました。
しかし、それは、一件だけ、長田区の20軒そこそこの物件ひとつだけだったと私は記
憶しています。 ひとつだけでもしておけばしたことになるのでしょうか。
そういう魂胆にさえ思われるほど全くの無策のように私には思われます。
じつは、住居がないないといいながら、私の知っているだけでも、宝塚や芦屋や六甲の高
不動産屋も長年、空き物件を持ったままもてあましています。
もちろん、住む人も相応の家賃も払う形で、皆がそれぞれ折りあって、三方一両損という気
持ちで、しかし、三方とも助かるという、そんな皆で助けあう。
今は、忘れていた大事なものを思い出す時なのです。 心の奥深く思いおこして、心に沢山
遠い場所に一戸につき250万円の仮設長屋をたてるなら、4戸につき、1千万円の予算
又入居者が、3・4万円でも払うなら、2年が4年でも住めるわけですから、それな
北欧のケアハウスの先取りです。「やはり神戸、ハイカラなことするわ」と、世界の皆が思っ
てくれるようなことをどんどんしてほしいものです。
バブルの時期の住宅の高騰をいつまでもひきずっているわけにはいかないでしょうに。
地震で、全ては覆され、覆いがとられました。
億ションにエリートさんだけ住まなくても、もっと上下いり交じって、心を広くして、今あるものを
十分に利用しあうことが必要だと私には思われます。
今あるものを生かす、そういう気持ちが、物だけでなく、人、一人一人の気持ちを尊重しあう、
心と心で理解しあえるそんな社会になっていけるのではないだろうかと私には思われるのです。
それこそ、本来、人に上下はないのです。 又、違うところから学びあえるのです。
傲慢で、自分が上だと思っていると、聞こえなくなります。
誰しも謙虚でなくては、自分のたりないところに気づけません。
ましてや、これまで我がもの顔に来た人は、それこそ、ドーンと下にはいつくばってそこから
全てをみなければならないと私には思われるのです。
2000億円の震災援助、救援金の使い道をもっと公開し、ガラスばりにしてほしい。
公共の費用を使っての震災用の特別資金もその使い道が妥当であるか否か、もっと公開してい
たとえば、神戸の中央郵便局がつぶれました。
そして、三の宮の一等地の広い広い敷地を贅沢に使って、平屋の体育館みたいな仮設をズラっ
と並べて建てています。
そして、なんと、そこは″神鋼″の土地を月に3千万円近い値でかりているのだとききまし
た!!!そんなべらぼうな!!
一年に3億5千万円、中央郵便局の改修は一年ではすまないでしょう。
″神鋼″はホクホクかもしれませんが、もっと方策はたたなかったのでしょうか。
市民の税金を使って、一部のものたちだけに震災太りをさせているといわれるのです。
一時のことですから神戸大や神戸外大の運動場なりの国有地や官有地にたてる方策、
あるいは、ポーアイなど震災の影響で、空きテナントだらけでビル関連業者も困っている、
どこで、義捐金や税金の全くの無駄使いをされていることか!
もっと節約をモットーにする方策はなかったのでしょうか。
仮設住宅の人に無理矢理、狭いなかに入っていただいてるのに、公けもこれを機に大いに
シェイプアップしてはいかが
例えば、膨大な資料類はコンピューターにうちこんで、どんどん持ち物を少なくすればよいわ
けです。
又市民にもコンピューターで行政の内容が検索できるように、分かりやすくデータを分類し、
引き出せるようにすればよいわけです。
これは、あたりまえの情報公開につながるものです。
そういうコンピューターにうちこめる人なども、パート雇用ができるわけです。
今後のこともみて、前むきの方向性でいろいろ市民の知恵やアイデアをきいてほしいものと
思われます。
今、情報公開について、どうとか、こうとか文句いってしたがらない人たちは、自分たちが
公明正大に対応していないからじゃないでしょうか。
自分のしていることに自信がないのですか。 たとえ、これまでに悪習があったとしても反省
をして、過去の悪慣習は過去のこととして、今後しないよう、できないような方策をたてていき、
行政ドグマのよくないものはどんどん捨てていけばいいのですから。
人間、三人よれば文珠の知恵、行政サイドでだけ考えるから、市民のための政治なのに、
又、議員は何をしとんのやといいたくなるのですが、それは、今後、震災後に議員になられた
方々の動向を十分に追っていきたいものと思われます。
かごの中の行政や官僚がクーラーのきいた中で、デスクワークで考えるものと、市民が地
ことでしょう。
市民の声を知恵を願いを思いを十分に聴いて、共感して、検討していって頂きたいと思います。
//////////////////////////////
大分出会いの村 1995.8. YUKI.I
あり方の原点が″大分″の字に表されていると思うのです。
そして、それは、日本の精神の原点でもあるように私には思えるのです。
又、分かつとは、分かるということでしょう。大なるものが、分かるそれが大分なのかもしれません。
私は7月末に95人の被災地の子供たちのホームステイについて大分へ行きました。
安東さんは、まえまえから自宅を改造して、″出会いの村″となづけ、民間の国際交流をな
安東さんのところにショートステイしたハーバード大の学生の書いた本が、安東さんのお宅の
様子をよく伝えています。
そして、安東さんは、この阪神大震災が起きて、何かできることはないかと、大分里親協
すぐさま子供たちにこちらに避難しませんかという、パンフレットを沢山持って、工業高校の
赤嶺和樹先生たちが神戸にこられました。
私もボランティアで高羽小学校に行った時、その夢のあふれる善意あふれるパンフレットを
みて、まあ素晴らしい、有り難いことなさってるわ。
と、強く印象に残っていたことを思いだします。
でもうちの子は被災したわけじゃないからと遠慮したことも覚えています。
ところが、当初の被災者にとっては、たとえ避難所は辛くても、今、神戸を離れてしまう
震災当初、全国から多くの善意が各役所に届きました。しかし、役所はとてもそれらに対応
するひまがありませんでした。
インターネットにも全国から「来てください、家も食べ物も提供します。 仕事も提供しまし
ょう」と、どんなに多くの救援のメッセージがはいったことか・・・・!
ところが、それらの善意の情報はほとんど″タレナガシ″の状況でした。
私は、灘ボラのテントにきた時、すぐさまそれらを打ち出してもらい、避難所をまわる時にコピ
ーを配ってまわりました。
しかし、目の前の壊れた家に、物に、亡くなった肉親のことで心がいっぱいの被災者にとって、
せっかくの善意の情報もそれどころではないということが分かりました。
つまり、情報のすれちがいであり、上手にコーディネートする人が全くいなかったのです。
他にも需要と供給がうまくつながらないことは、沢山ありました。
というわけで、大分の皆さんの子供をあずかろうという善意の企画も、応募者が一人もい
その時、大分では、沢山の救援物資が集まり、里親制度も203家族、370人の受け入れが
可能な状況になっていたそうです。
しかし、何とか皆さんに喜んでいただける企画はないかと、″出会いの村″は次に温泉へ
そして、2月10日には、神戸に来て、物資の支給をしたり、里親制度と温泉ツアーの宣
又、安東さんは、母親を亡くした赤ちゃんを引き取られて、しばらくの間養育なさっていたそう
です。 その赤ちゃんは、大分で養子希望の話が沢山あったそうですが、結局父親のもとに帰
っていきました。
資金、物資、スタッフの協力の申し出も沢山あり、寒いさなかの2月24日〜27日には「第
これもじつは、250名参加ということで、いろいろと用意や準備をしていたのに、当日に180
名になってしまったのだそうです。
港まで来て戻られた方もあったそうです。 人さまのお世話もなかなかじゃありませんね。
又被災地の皆さんも、地震のショックで心も疲れておられ疑心暗鬼にもなられていたのでしょう。
それだけにのんびり、ゆっくりと休養し、体を暖めてほしかったのです。
そして、春休みには、子供たちのサファリと苺狩りのホームステイの交流会をしました。
又、大分の各所で、被災地の子供たちの絵画・作文展も開催したり、フォルクローレのバ
又、赤嶺先生、三村さんは私たち″ひまわりネットワーク″が灘南の仮設住宅に大きな
アルジェリアテントを建てる時にも、工業高校の生徒たちと一緒にボランティアに来ておられ
て手伝ってくださいました。 私たちとは、それ以来のおつきあいです。
そして、この度、夏休みにたった5千円で、2週間のホームステイを被災地の子供たちの
これにうちの4番目の娘も、ひまわりネットワークのスタッフの田口さんのお子さん2
そして、私も皆さんに薦めたてまえ、様子伺いに出発の時についてゆくことにしたわけです。
子供たちが95名、スタッフが10人ほどで大阪南港を夜出航しました。そして、翌朝6時半
大分につきました。
夜中、フェリーで熱をだした子の看病についてて、クタクタの私は、翌日、我が子はステ
そして、安東さんとゆっくりお話しました。
翌日は、船のスタッフで一緒だった安部百合子さんの娘さん、由美子さんの車で出かけました。
ながら温泉につかったり、湯布院をひとめぐりしました。
帰り道、日本の八幡様の総帥があると知ってもっともだと思わされました。
●日本の田舎
翌日は朝はやくから、大分の田舎をゆっくりと散歩しました。
神戸に来る前に7年間も畑をしていた私にとって、田舎はなつかしくてうれしいものでした。
私もいずれは、田舎に落ち着いて、ゆっくり、音楽と畑の「晴耕雨弾?!」の生活をしようと
深く心に刻みました。
白いきょうちくとうが今をさかりと木にいっぱい咲いて、はらはらと雪のように舞い落ち
つゆ草の朝露はきらきらと、日の光を七色に輝き分けて、生命のみずみずしさを謳歌
しています。
深い竹やぶに入ると、はがれた大きな竹の皮が足元にころころところがり、やぶ蚊がゥ
ワーンと顔のまわりをとびかいます。
チラチラと竹の葉の間からふりそそぐ柔らかな日の光をうけながら、頬にすずやかな風を
感じながら竹やぶをくだると、パッと視界が開けました。
目の前には、緑豊かな水田が森の中にひっそりと広がっています。
白さぎが驚いて飛びたちました。 白い羽根をひろげ、青空を優雅に舞っています。
次に森から山ばとが2羽飛びたちました。 風といっしょにくもの糸が顔にかかります。
田の水は澄みきって、溝にはとうとうと豊かな水量が流れています。
うちで頂く自然農法のお米も毎年大分の山奥から頂いているので、こんなにも大分がな
つかしく思えるのかしらとも思いました。
水と緑と田んぼ、それは日本のふるさとの原点でしょう。
わたしは、大分から日
輝いています。
宇佐駅のプラットホームのポスターがふと目に入り、フッと飛び降りてしまいました。
丁度今日から夏祭りなのです。 ふだん神社めぐりなどしたことのない私が不思議でした。
応神天皇とウケヒの三姫と神宮皇后が祭られています。
又、他の神社と違って2礼4拍手だそうです。 ″おみくじ″をひくのは子供の時以来かな
と思いながら一つひくと2つの″おみくじ″と宇佐の地主神、北辰様(天御中主命外)の
″お守り″がはいっていました。
| 北辰様御加護(幸運) |
| 由緒宇佐の地主神で星を支配する神 |
| 17番(小吉) 軒のはの 嵐の風はさわげども 春を覚ゆる 家の内哉 願い事 思いのままです 他人の世話をよくせよ 19番(末吉) はなされし かごの小鳥のとりどりに たのしみおおき 春ののべかな 願い事 他人を助けよ 人の助けにて 叶います ・ |
″おみくじ″でした。 まさに不思議に有り難く思われたことでした。
/////////////////////////////////
| アルジェリアテント焼失顛末記 |
だけが心配ね」といいながらも
これまでの数回の台風にも心配しながらも大丈夫だったという安心感と、雨には弱いが風
には強いアルジェリアテント(アフリカからの救援物資)という先入観でその不安を打ち消し
ました。
私たちも「でも台風もそれたし、大丈夫よね」と話していたのでした。
ところが、皆の予想を裏切って、みごとあの重い鉄パイプのあれだけ頑丈だったテントは
頑丈な基礎はそのままのこして、深いパイプの接続部分がはずれたのでした。
そして、隣を走る貨物列車の架線にショートして、燃え上がったのです。
一番に消火にかけつけてくださった4棟の金沢さんは、それこそ花火みたいにきれいだった
と後で話しておられました。
ショートの時には、下のフェンスに一瞬1500ボルトの電流も走ったのでした。
フェンスの金網がとけて穴もあいていました。 しかし、幸いなことに誰もさわったりはしていま
せんでした。
そして、燃えるテントのシートを仮設住宅のみなさんが、バケツリレーで消しとめてくだ
一番にかけつけて下さった4棟の金沢平二さんは、消火器からの泡も風でよそに飛んでしま
うので、足で懸命に踏んで、消してくださったそうです。
そして、消防車がかけつけた時には、すっかり消えていたそうです。
消防と警察の現場検証には、自治会長さんがたちあってくださり、私には夜中に知らせ
ても今さらどうにもならんことだからとご配慮いただいたそうです。
でも誰もケガもなく、住宅に燃え移ったりせず、本当に大事にいたらなくてすみました。
仮設住宅の4棟の皆さんのおかげでした。 皆さんが一体となって、消火活動をしてくださった
のです。
私はうれしくて、有り難くて涙が出ました。
そして、それからが、保線の係りの方々の出番だったそうです。
夜中じゅう、修復作業に多勢の方たちが働いてくださり、切れた架線をつなぎ、朝にはすっ
かり復旧したそうです。
そして、私が朝、仮設住宅にいった時には、最後にNTTの方たちが5・6棟の電話の
普段見えない方々が、電気にしろ電話にしろ、困った時にはすぐに出て来られて、修復し
てくださる姿を見て、その有り難い働きにあらためて深く感謝しました。
あの地震の時の懸命の復旧作業の様子とも重なって、このあたりまえと思っている便利
な文明社会を支えてくださっているのは、こういう普段は表にでない、多くの方々ななんだ
なとつくづくと思いしりました。
本当に普段見えていないところの大切さと重要性に今さらながら気づかされ、大変に有り
難く感じられました。
とはいえ、その日は味泥町の仮設住宅のバザーでした。
「ひまわりネットワーク」がいい出しっぺのバザーで、午後一時からですが、皆は10時ごろ
から準備にかかります。
共催の「灘中央地区ボランティア」の常盤さんのほうでも風でテントが一つひっくりかえ
とにかく、ひまわりネットは、店は″ぜんざい″だけで、バザーがメインでしたので、会場
設定と品物をならべるのに皆懸命に動いて下さいました。
しかし、私はテントが飛んだ朝だというのに、小4の娘がNHKの「天才てれびくん」の
収録があって、朝8時にうちのマンションの屋上から録画どりがはじまるのです。
そして、六甲の山をすべったり、遊んだりを撮って、灘南の仮設のご老人を訪ねて、そして、
最後にお母さんのいるバザー会場に来るというセッティングです。
放映は10月26日(木)夕方6時教育テレビ「天才てれびくん」です。
まずは当日の朝に消化活動をしてくださった灘南仮設の皆さん方に私がお詫びにまわりま
そして、夕方に、スタッフの5人でJRの駅に行って、どうしたらよいのかをききました。
すると保線の方々のビルを教えていただきました。 そこで、事故の詳細を聞かせていただ
きました。
何より幸いは夜中であったこと。
それも引き込み線の貨物の架線であって、山陽本線の方には、たいした支障はなかったこと。
しかし、貨物列車の方は朝の列車が出れずに待機していたらしいとのことでした・・・汗、汗、汗。
しかし、補修に関しては、丁度夜の11時頃すぐそばの東灘区でも事故がおこり、保線員の
方々が多数出ておられたので、すぐ補修にまわっていただけたそうです。
私たちの頭はパニックでした。
私ももうこれで、ひまわりネットも解散だな、いやはや最後にバザーのお祭りと架線のショ
そして、翌朝、皆とテント跡の現場に行きました。
すると市社協の吉原さんたちもこられて、これは天災だし、これにめげず頑張って下さいとなぐさ
めてくださいました。
そして、朝一番にアポイントメントをとって、その日はまず、神戸のハーバーランドのJR西日本
旅客の方にひまわりのスタッフ5人(田口・前田・伊勢・橋本・yuki)で行きました。
そして、JR旅客の方々は事故の経緯をおっしゃつた後、有り難いことに、うちの方は実害はあり
線路に波板なども飛んできており、いやはや伊勢湾台風クラスの大型だったそうですから、これは
天災ですからしかたありません。
ただ、貨物さんの架線ですから、そちらの方はわかりませんが、と言われました。
そして、最後にエレベーターまできてくださって 「皆さんもボランティアで大変でしょうが、頑張っ
てください」と元気づけてくださいました。
とても素敵な方々でした。 私たちはどんな難題が出てくるのかとひたすら恐縮していったのが、
地獄に仏とはまさにこの心境でしょう。 とてもとてもうれしかったです。
梅田にJR貨物の本社があるのです。 いよいよです。 行く前に皆で昼食をとりました。
こうして、食堂で食べたのってはじめてだね、と話しました。 いつもテントか、戸外でおにぎり弁
当ですもの。
そして、JR貨物さんに行くと、ぎょうぎょうしく、ファイルをもって、もっ体ぶったふうに並んで入って
こられます。
こちらは誰それ、こちらは弁護士代理・・・となかなかの凄みで、ああこれは困ったな〜と内心思わ
れました。
そして、話をいろいろと始められて、大変問題ありといったふうにもったいぶって話されたのです。
そこで、私どもは地域の主婦とシルバーの全くのボランティアのグループであること、
そして、テントの責任は全て私たちにあることなど、そして、思ってもみなかった風であったことなど
を逐一丁寧に申し上げました。
すると、あれほど険しかった顔つきが、だんだんと柔らかくなり、目にもやさしい光がさして
きて、目の前の方の顔つきがみるみるうちに変わっていく様子がはっきりとわかりました。
あとは、JR旅客さんの保線の方々が動いてくださった件の請求がこちらへくることだけが、
気がかりなことです、とだけおっしゃってくださいました。
本当に人の顔って、気持ち次第ですっかり変われるものなんですね。
こちらの気持ちもあったのかもしれませんが、皆もその変化をはっきり見たといっていました。
本当に人って、鬼にも仏にも心次第で変われるものなんですね。
こうして皆さんの暖かい気持ちに触れあえたテントの始末記でした。
最後に、橋本さんと二人だけでもう一度JR旅客にとってかえし、貨物の経緯を伝えます
と「それはよかったですね」とわがことのように喜んでくださいました。
そして「あれは地震と同じ天災ですから、うちの方では一切問うつもりはありませんから」
といって下さいました。
感謝!感謝! 難あり有り難し、難あってこそ人の心の素晴らしさに気づかされました。
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地震報告 第9弾 1955.11.2. YUKI.I
灘区の一般仮設住宅は計10箇所で550戸たらず、又2階建て仮設共同住宅は計450戸位で、
合計千戸を切る位の数です。
特に灘南と西灘の一般仮設住宅は震災後いち早く、2月末に入居できました。
でもわずか200戸余りですから、その頃まだ避難所での20万近い被災者の方々にとっては焼け
石に水でした。当たった方も人目をしのんでひっこしをされたそうです。
の1強、60才以上の方が半数をこえています。
高齢で病弱な体で慣れない、不便な場所で買い物ひとつにも困ったり、妻を亡くされた心労から、
炊事も思うにまかせず、ボランティアの手でひっこしのかたづけや炊事の手伝いなども必要でした。
はとがった石につっかかって転んでしまいます。
石をけずると今度は水がたまるから困ると言われます。何故まん中だけでもアスファルトで覆っ
てくれないのかしらと思いやりのなさに腹がたちます。
考えさせられてしまいます。
私たちボランティアにとっても種蒔き隊が種や苗を植えても、外に水道栓が設置していないので
重い水のポリタンクを運ぶのも大変で、水やりもままなりせんでした。
勿論仮設の方は気持ちよくお水を下さいましたが、花にとっては残念な思いも沢山しました。
仮設を花いっぱいにして、心のうるおいのお手伝いもしたいと思うのです。そんなボランティアの
灘南仮設住宅では7月すぐに集会用のテントを建てて自治会結成の集まりをしました。
私たちのボランティアに仮設のシルバーの方が大工隊で参加して下さっているので自治会の支援
もスムーズにすすみ、9月には灘区で最初のふれあいセンターができました。
センターには住民の方のお持ちのカラオケセットも置かれ、ピアノエイドで頼んだピアノも無料で
入りました。
9月末には、灘南ふれあいセンターの落成式をしました。
その時は、区の地域福祉課長さんや民生委員の方々をはじめ、近隣の仮設の方々もこられて、
住人の方の詩吟や手品や私のピアノ演奏そして、皆で童謡も歌ってほのぼのとした楽しい会に
なりました。 参加者も80人位でふれあいセンターがいっぱいになりました。
現在はボランティアから呼びかけて、灘南は勿論、隣りの仮設の方々もワゴンで迎えにいき、
お茶の先生に茶をたてていただいて、お茶会をしておしゃべりしたり、私のピアノと一緒に童謡を
うたったりして楽しく活用しています。
休日には昔ながらの紙芝居集団の方々にもきていただきました。 あとカラオケ大会も自治会
主催でしました。
センターには私たちボランティアが週3日、一人がつめています。
後の曜日は自治会の方々で管理なさっています。 ほとんど毎日あけておくのだと意気さかんです。
住民の方も編み物をしたり、おしゃべりをしたりとよくセンターに出入りなさっています。
す。又救援物資を近隣の各仮設に配分できる基地にできたらという意向が前回の運営委員会で決
まりました。
西灘仮設も自治会ができています。 篠原公園もようやく結成されました。
又最終募集の1Kの王子公園仮設の住人の方々に要請されて、私たちひまわりネットワークで元気
村さんの応援を得て集会用のテントを建てました。
次の日曜日には、神戸友の会の主婦の方と一緒にバザーを開催し、ひまわりも救援物資を配り
ました。 そして、その日の午後にはテントで王子仮設ではじめての住民の集会をもちました。
スにも、又ひまわりの大工隊の工作にも使用させていただきたいと考えています。
自治会づくりのプログラムも住民の方々と一緒に既にできています。
このように住民の方々が、一日でもはやく生活と住まいのそして気持ちの立て直しをなさいますよ
う、私たちボランティアもできるだけお役にたちたいと思って活動を続けています。
| 仮設支援連絡会会報 |
皆は「何てこと言うんでしょう」と怒ってましたが、私はこんな風に言わせた私達の不明
そして私たちが、誠意や奉仕の内容をわかってもらうという努力をおこたっていたから
だと反省しました。 その方はふれあいセンターがボランティアセンターだと思い込んで
おられたのでした。 なかなか黙っていては正しく伝わらない世の中ですね。
でも、聞いてもらえて、気持ちがわかってもらえ
辛い思いも、部外者ならでこそ話せるという状況で、少しは気が軽くなっていただける
ように思われ、少しでもお役にたてたかなといろいろと思われたことです。
又、ボランティアをすることで、沢山の方々の様々な心の機微を教わって、素晴らしい
人生勉強をさせていただいていると思っています。
不謹慎なようですが、ボランティアは″遊び″の中でするものだと私は思っています。
行政ではうまく遊べないでしょう。融通がきかないでしょう。 でも何事も″遊び″がないと
心のすきまは埋められません。
そしてボランティアしていると思っていたのが、じつはしてもらっていたことに気づかされ
るのです。 灘区の場合は戸数が少ないのでいえることかもしれません。
しかし、人と人とが暖かくふれあう楽しみこそ、人間として、ボランティアとしての″原点″
ではないでしょうか。
そこを忘れずに活動を続けていきたいと私は思っています。
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地震報告第10弾 1995.12.5. YUKI.I
冷える仮設住宅で、一人でおもちをのどにつめられたらもう大変。 冷える夜にトイレで倒れ
でもされていたらと心配です。 寒い冬は、お年寄りにとって買い物もひと苦労、屋外の洗濯
機での洗濯も大変つらいことです。
各所での確実な(全住民合意の)自治会づくりを早めて、あとはトントントンカラリの隣組の
方法で住民の方々に自覚していただいて、皆さんの助けあいの意識に頼るしかないように思
われます。
主婦のボランティアでは暮れと正月はとても平日のようにはいきません。 平日以外の時こ
そ、若い方や冬休みのある方、各所の専従ボランティアの方々が活躍される所でしょう。
まして、公では、休日も夜間もとても手がまわらないでしょう。 皆の助けあいの気持ちが
問われる季節なのです。
一度近所の仮設住宅を支援しているボランティアを尋ねてみてください″ひまわりネットワ
ーク″は喜んで一緒に活動させていただきます。
ご用はそれなりに毎日あります。 十月からは様々な冬物を各仮設に配っています。 仮設
は足元から冷えてきます。 小さな電気ストーブや電気カーペットが重宝します。 仮設にお住
まいの方々はさきゆき不安なためにできるだけお金はつかいたくないので、リサイクルでいい
から是非頂きたいとおっしゃっています。
又、冬布団、コタツぶとん、電気あんか、電気コタツ、暖かいセーター、ジャンバー、新品の
下着、じゅうたん・・・冬むきでいろいろご不用なものがありましたら、YUKIあてに送ってください。
ふれあい隊で、仮設の不自由なさっている方々に配らせていただきます。
様々な目で見、知恵を出し合って
やヘルパーや市社協で足りないところを私たち地元のボランティアがカバーしているともい
えましょう。 それだけに、与えられた仕事というより、人と人とのふれあいができる一番根
物をしてきてくれるだけです。 又、市社協のボランティアセンターなども一週間前に申し込
みが必要です。
そこで、私どもの地域の随時のボランティアが重宝するわけです。突然でも2・3日前の予
約でも会員の誰かで空いてる人がフォローできる態勢をできるだけとっています。 又、ボラ
ンティアの方が空いている時に「いかがですか」と声をかけて、盲人の方をちょっと遠出の友
達の家に送迎してあげることもできるわけです。
このように、まさに地域の助けあいネットワークをごくごく自然に行なえたらと活動を続け
ています。 外国では地域の教会がこういうボランティア活動を自然に率先して行っているよ
うです。
以前アメリカの知人宅に寄った時、そこの主婦たちにとっては何らかのボランティアに参加
するのはあたりまえであり、地域の役にたっているという誇りでもあるようにみうけられました。
又仮設の自治会などの件でもボランティアなど第三者のかかわりも必要とされます。
何ごともひと所だけにまかせておくとおかしくなります。 法律に独占禁止法があるように、
自分達だけでというのは、エゴを増長しかねません。 おかしな暴走や一部役員だけの突出
もおこらないとは限りません。 又仮設という特別な事態ですから、入れ替わりも多く、さきゆき
のも住民の方々の自助努力だけではでき得ないほどの問題が山積みといえましょう。
さまざまな顔が認めあい、学びあい、許しあいながら、和気あいあいとできることが一番望まし
いものとなれるのではないでしょうか。
ふれあい隊、大工隊、かたづけ隊、運び隊、送り隊・・・どれでもけっこうです。まだまだ地震
はおわっていません。 先日もマンションや家のとりこわしの前の荷物の運びだしも主婦達だけ
でしました。
トラックの運転は私がします。 壊れた家のかたづけの手伝いやや仮設へ荷物を運ぶ仕事
もまだまだあります。 又、家がなおって泥だらけの荷物が帰ってきてどっと山積みになったお
宅のかたづけもしました。 いつも最低2人組で動いています。
今になって、さらに精神的にもっとゆさぶられ、見通しもなく仕事もなく不安に思っている方々
が多勢いらっしゃいます。 用事もまだまだ沢山あります。 今からでも遅くはありません。
ボランティアにいらして自分の内なる世界、分かちあう喜びの世界と遭遇してみてください。
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地震報告第11弾! 新年号 1996年
本物を感じる会通信1月号 YUKI.I
有難う 素敵な出会いを
ひまわりと私 ひまわりネットワ−ク 橋本隆裕
地震に始まり,大雪に終わると言う、私の一年であった。
大雪を若干説明すると、ホワイトクリスマスといえば聞こえはいいが、総勢7人家族の
城崎までの一泊旅行、帰りはスリップ事故寸前が三度ほどあった。
後部席に座るおばあちゃんが、「あんたは前厄やから」 と言われたが、ハンドルを必死で
握る私が、「もう前厄、本厄、後厄、全部いったわ」 と言い返したら車内で笑い声が起こった。
例の大震災の日は小学校の妻子ともども夜を明かし、翌日車で5時間かけて、田舎に逃げ
延びた。通常なら1時間半で帰れるところである。
それ以後12月まで、妻子は田舎に疎開したままとなった。子供たちは田舎の小学校に転入した。
マンションは半壊で、ライフラインは4月まで断たれた。
私は甲子園の親戚の家に2月から4月いっぱいまでお世話になった。5月のゴールデンウィーク
明けに神戸のマンションに単身帰った。一人暮らしが始まった。
会社に命じられた単身住まいなら、心づもりもできたろうし、あるいはNOと拒否することもできる。しかし地震で余儀なくされた単身は心ずもりもないし、NOと拒否することもできない。
地球を相手にNOといっても活断層は話を聞いてくれそうもない。
当初は大阪まで仕事で出かけるときは、阪神青木駅までバスで行き、電車に乗り梅田駅へ。
帰りはその逆となった。しばらくたって青木駅が御影駅に変わった。戒厳令のように灯りのない町を歩き、人気のないマンションに入り、やるせない夜を過ごす。
絶対という価値観がないことを痛切に感じた。ふと戸棚に収まっている写真をめくっていると、
長男のVサインの横に、家によく遊びに来ていた男の子がVサインをしている。
その子は亡くなった。その子のおにいちゃんもお姉ちゃんも亡くなった。
3人兄弟が全員亡くなり、ご両親は生き残った。
地球をいいようにしていた神戸が天罰を受けたのはわかるとして、その家族に対して神がした
仕打ちの意味は未だにわからない。
大阪の事務所のそばにお寺がある。たまたま通りかかると、次のような掲示の文句が目に
入った。「坂には上り坂と下り坂、そしてまさかと言う道がある。」 地震後でなければ見過ご
していたフレーズだろう。
ひまわりネットワ−クに入ったのは、単身生活をして、1ケ月ほどたったころである。
不景気で仕事がそう多くなかったこともあるが、一人は昼も夜も時間が余る。そして、「金儲け
だけが人生じゃない」とも、かすかに思った。
心身がなにかをしたいと欲求していた。新聞でボランティア募集を見つけた。地元の灘の
グル−プである。
心身が、したいことはこれだと訴えていた。 迷わず集合場所に行った。それがひまわり
ネットワ−クだった。
初日は、暑い日だった。 Tシャツとジ−ンズで灘南の仮設で花壇づくりと溝ほりだった。
その仮設に住みながら,ボランティア活動に参加している人がいた。その人も私と同様
に初日だった。 伊勢さんといった。ああいう年よりにならなければいけないんだと思った。
そんなこと会社や仕事のうえで思ったことは1度もなかった。
関西弁で、「わやや」という言葉がある。地震直後、どこかのマスコミが被災者のおばちゃんに
マイクをむけた時、「わやや」と答えたそうである。
インタビュア−はその言葉のたくましさに脱帽したそうである。
「わやや」には悲惨な状況であるのに、どこか、自分を客観視しているところがある。そして、
哀しいけれどもどこかおかしみがある。グロッキ−だが、まだギブアップはしていない。
それから、インタビュア−は立ち去るときに、「おばちゃん、がんばってや」と声をかけると、
「あんたもがんばりや」と反対に激励され、呆気にとられたそうな。
仮設に住みながら,ボランティアをする伊勢さんは、「わやや」とぼやきながら「あんたもがん
ばりや」と言っているのだ。
私のワゴン車は一年前に買ったものである。後部座席は土足厳禁にしていた。なにしろ、
うちは、小学3年生を頭に男の子が3人いる。靴を履かせて乗せていると,車が泥だらけ
にされる。 ボランティアで使い出してからもしばらくは土足厳禁をみなさんに強いた。だが乗って
もらう頻度が増え、資材の運搬が増えるにつれ、土足厳禁はやめにした。ひまわりの方が
「きれいな車が汚れるね」と気ずかってくださった。「いえいえ、車も生きがいが見つかって
喜んでいるみたいですよ」と答えたものだ。
交通事故や排気ガス、石油資源の問題から、車を悪玉視することもある。だが、この車で
バザーの品物を運び、仮設の人たちが安く手に入れ、暮らしがすこしでも楽になる、といった
役目も果たせるのだから、道具は使いようなのである。
前述した城崎旅行では、久しぶりにきれいなマットを床に敷き、やはり土足厳禁にした。
悪がき3人は相変わらずやんちゃで、おばあちゃんはきれいなおべべを着ていたから、
そのほうが安心だったろう。
つまりマット一枚でよそいきにも作業着にもなると気がついた。紙一重ならず、マット
1枚である。
永六輔氏が、「ふまじめに楽しくボランティアをやろう」と提唱していた。また別の人は
「ボランティアをする際に、無力感にとらわれるな、正義感をもつな」とも言っている。
無力感にとらわれるというのは、自分がしているボランティアが何の役にも立っていないと
思う無力感のことを指すが、そうつきつめるなということでもある。正義感をもつなも
同様のことである。
私は突然思い立って、年末にハワイへ行ってきた。仮設の人たちが底冷えに苦しみ、
ひまわりの仲間が寒空の中でふれあい隊や大工隊をしている最中にである。
のんきにハワイである。申しわけなく思う。ハワイに私の弟が単身赴任しているから、
もっけのさいわいとお邪魔した。
理由はある私の父が年末に肺ガンと宣告された。父も医者にそれを聞いて知っている。
すぐ死ぬわけではない。何ヶ月先か、一年先か。
そんなときにハワイは不謹慎かもしれない。だが私は思った。弟と私が仲良くしていることは
父に対する親孝行ではないかと。反論される方がいるかもしれない。だが、私の直感は
ハワイを求めた。
弟と密度の濃い数日を過ごした。その間、弟と私は一度も肺ガンを話題にしなかった。
だが兄弟の中で肺ガンと戦う強い絆はできたと思う。
坂には上り坂と下り坂と、そしてまさかという坂があるらしい。
地震と大雪と、父の病と、そしてひまわりネットワークと。
私は1995年を忘れることはできない。すべてを忌み嫌い、すべてにひざまずき、
すべてに感謝します。
こんなに動いた一年は生まれて初めてだし、こんなに沢山の人と出会ったのも生まれて初
その明るい笑顔とさわやかさと何よりタフさには感心するばかりだ。一体いつ寝てるんだ
ろう。 彼女には″ひまわり″がふさわしい。そのYUKIさんの魅力にひかれてとうとうここ
まできてしまった。
しかしその画面にはまだ何やら景色がみえていた。 「あ、燃えている。 ナトリウムが、マ
グネシウムが、リンが・・・・」と何やら元素の名前を次々に言っていたと夫が言う。
その頃、私の中で何か大きな喪失感を感じた。 もう離婚しようが何しようが、どうなっ
もうろうとしながら洗濯をしているとき、上をヘリコプターが爆音をたてながら、飛びかっ
そして、遠い街の上空をみているとすごい数の魂が空へあがっていくのを感じた。
それもその人達の思い出も風景も記念写真などが一緒にあがっていくのが見えた。
こんなのは初めて見た。 そして、この体験が、ボランティアで働く私のエネルギーの元なの
です。
今″ひまわりネットワーク″のボランティアは私の三人の子供達と同様に″私の生きがい″
です。
| 北に呼ぼうよ神戸っ子実行委員会が計画 |
| 2月2日(金) 2月3日(土) 2月4日(日) 2月5日(月) |
午前6時45分 7時 午前9時30分 午前11時35分 午後 1時 午後 6時 8時 9時 午前 7時半 9時 午後 1時 2時 4時 午前 10時 3時 3時半 6時 午前 9時 10時 11時半 午後 3時 |
三の宮 リムジンバス停前に集合 リムジンバスに乗車 関西国際空港から飛びたつ 新千歳空港着 岩見沢市教育委員会のバスに乗車 岩見沢に到着 青年の家で歓迎セレモニーと交流会 スキー講習とスキーウェアサイズあわせなど ホームステイ先の父母さんも来て夕食会 お風呂 青年の家宿泊 消灯 朝食 美園小学校の雪中運動会に参加(スキーあり) グリーンランドスキー場で昼食 スキー実習 スキー終了 5時 ホームステイ先へ移動 東山公園 ドカ雪まつり会場集合 イベント参加 (すべり台、ポニー試乗、スノーモービル・・) 昼食 きじ鍋 ドカ雪祭り終了 康ランド到着 入浴 ホームステイ先へ手紙を書 ホームステイ先へ移動 青年の家でお別れセレモニー 子供からホームステイ先へ手紙を渡す 子供たちにお土産を渡す 出発 新千歳空港到着 昼食 出発 関西空港到着 解散 |
年末年始の
いいと思われます。
///////////////////
荷物をひきとるのが大さわぎ・Tくん飛行機に忘れ物・
雪が降り出す、30分遅かったら降りれなかったかもって!
昨日まで吹雪で欠航続出だったそうだ。
北海道でも例年にない史上2番目の積雪!
まんまるきのこの雪の屋根、木にももっこり雪帽子、
バスの中で豪華弁当・休憩の時早速雪合戦
山荘の主人斉藤聡さん・実行委員の方々の挨拶、神戸側も
スキーウエアあわせ、かまくらづくりで外で遊ぶ
3日(土)朝 、山荘のめざめはさわやか。 けど、スタッフの中には 地下のロピーで
遅く迄談笑していた人も多い。
とする。
朝食のカレーとサラダが終わって、山荘にさようなら・・・
淡いメルヘン色の雪景色に映える山荘はスウェーデンタイプの素朴な丸太の
午前中の美園小学校の雪中運動会へと出発。
5日(月)駒沢大でお別れセレモニー・千歳空港へ
(詳細エピソード続きは3月号にて)
●「灘南仮設住宅」は昨年7月に″ひまわり″でテントもたてて、集会を持ち、自治会もい
民生委員さん指導の自治会は、ほとんど1人の方だけが献身的に動くだけだったので、
誤解とうわさで、こじれていました。 でも暮れには世話人会も持てて三役もきまり、
″ひまわり″も年こしそば用のめんつゆを配ったりしました。
1月末には愛媛県の小田町ボランティアからのお餅入りパックも配りました。
年あけにも自治会への集まりがもてて、めでたく住民総意の自治会の結成式となりました。
一王山仮設住宅は、特に早くから大工隊など入っていたのですが、これまで住民の方々が
自治会の必要性を感じていらっしゃいませんでした。 でも年末年始の見舞い金などもあたら
ない事態もあって、今後のことでも忘れられてはと皆さん不安になられたようです。
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地震報告第13弾 1996.3.4.
近所の篠原公園仮設からも大西会長さんをはじめ10数人の方々がおこし下さいました。
吉新さんのの司会で、黙悼からはじまり、YUKIが「原点」の詩の朗読、ピアノ曲はベート
ボランティアの皆さんは家でカレーのしこみをし、当日は早くから調理室で活躍してくだ
yuki
| 。まだハネムーンの状態だからかもしれませんがね。ワハハハ |
| 内がパートから帰ってくる時分には食事をこしらえて、今主夫やってます。エー!エライ |
| 坂本)ほんとに不思議ですね。 今までがねバカバカしいくらいですね。ホ〜!! |
| ま、外ではいいんで損はしてないですけどね。ハハハハ |
| ここで、小林さんがお姉さんのことを話す。 坂本さんが、すっかり変わられた |
| のが不思議でならない様子・・・ |
| 日、会社から帰ったら責めてましたからね。エー! ソンナ〜・・ |
| 何やら縁起わるうて「食わせんのか」言うたりして毎日責めてましたね。エー! |
| 小林さんのお話し |
| 阪)いや、今の方が7Kも太りましたわハハハハ |
| 阪)ほんまに、どないしてこうなったんか。 自分でもこわいぐらい!ハハハハ |
| 声) も一度揺れたら・・・ |
| 阪)こんど揺れたら又もとどおりになるかもしれん。ハハハハハ |
| 声 )ゆりもどしやね。ワハハハハハ |
| ました。「老婆、けろりとウソをつき」とかワハハハハ そして、いっぱい作っ |
| というふうに、あと茨木市の佐藤真生さんはカナダや北海道で熊と遭遇した話。 |
| いやあ、話あうって、出会いですね〜、きづきですね〜、 楽しいものですね |
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しあわせ運べるように
(ps.作者は臼井 真先生です。自身当時、神戸の小学校の音楽の先生でした)
又各仮設の自治会づくりやふれあいセンターづくりに協力をしてきました。
寒い折りには、集会の折々に炊きだしも5〜6回しました。 惜しむらくは、写真好
きなものがいないのでその記録はほとんど撮れていません。
の積みあげなんですね。 皆すてきなアルバムを心に作っています。
一番忙しかったのは、3月10日でした。 輝く太陽と暖かい気候にめぐまれて、
一王山仮設のテントでの自治会発足式が10時半に始まりました。
その準備にひまわりの皆は近くから遠くから(といっても同じ灘区ですが)駆けつけてく
れました。
ここは、4棟37戸だけの小さな仮設住宅です。六甲山の中腹に近い不便なところにあります。
先日もご夫婦とも入院という事態になられた方がいて、″ひまわり″でいろいろお世話させて
いただいたりしたところです。
小さいところは忘れられて
に他の仮設にはある日向でくつろぐベンチもありません。
道路も舗装しないまま・・。 年あけに″ひまわりネット″が建てたテントが仮の集会所です。
私は毎度トラックを運転し、坂の下の高羽の仮設のベンチを3つ借りにいきます。
後はとりこわしの鷹匠中からもらってきたテーブルやイスを外にならべます。
お日様の下はポカポカとして、光がサンサンとふる美しい青空でした。
もかかわらず、沢山炊いて下さったぜんざいに救援物資の最後のあんを全部くわえ、仮設2
カ所分の甘いぜんざいが大ナベ2つ分たっぷりとできました。
皆で一王山自治会の発足を祝って乾杯!
とゆっくりいる間もなく、次は王子公園仮設住宅のふれあいセンター開所式が11時からです。
田口さんと抜け出し、途中仮設の酒屋さんでお祝いのお酒を買って、ちょうど乾杯にセーフ。
王子公園も自治会婦人部が大活躍。テーブルには手づくりのごちそうが山とならんでいます。
日曜なので、役所の関係者が一人も来られなくて残念でしたが、皆和気あいあいと飲み会
午後も前日にコープ神戸で借りてあげたカラオケセットでカラオケ大会がはじまりました。
けん玉連盟の子供たちの訪問
彼らを呼んだ″ほほえみボランティア″の方たちとの昼の会食です。
″日本けん玉連盟″会長の石川学さんは静岡県からけん玉少年たちを10数人ひきいて、
仮設の子供たちにけん玉を教えに来て下さいました。
おもしろくて子供たちだけでなく、大人も熱中してしまいました。
静岡県は東海地震対策のためにさまざまな対応をしているそうです。
とでした。
すると一年たった今だから話せると地震の際の凄い話がいろいろと飛び出してきました。
実際の目にあってみなければわからへん、あんたらにはわからへんと語気のきつい方も
なかにはありました。
ふれあいセンターの副委員長の宮内さんもご自身の被災の様子や実際に助け出せなか
った人の話など、顔は笑って心で泣いてというふうなつらい様子で話され、聞くほうも目が
曇ってしまいました。
まだまだ地震の話をするのはしんどいものがあるようです。
でもこうして話して出せるようになったらだんだんと癒されていくのでしょうね。
話すことは放すことにつながります。
心にためていないで、少しずつでも出せるようになると楽になってくるのでしょうね。
います。
田口さんも、すぐにお風呂に水をためてとか、厳寒の中ガレージ暮らしをする老夫婦の
ところへおにぎりを持っていくと、避難所の人間の醜さを見て「二度も地獄を味わいたくない
から出てきた」と言って避難所からまた避難してきた。
とか、庭で火をたいて暖をとっている人たちの話、そして夜中に救急車が来ていたと思ったら、
寒さゆえかご老人が一人亡くなられた事などを話されました。
ふれあいセンター運営委員長の木村さんは、地震の後のどん底の生活の様子を話し、
君たちも普段からサバイバルに生きることを心がけたらいいんじゃないか。
と、もうひとつ日々何かひとつでも生活の中でボランティアすること、人のために働いて喜び
を分かちあうことを心がけていって欲しいなどと話されました。
私も大型ジャッキ・バール・のこぎり・かなづち・・・それらを戸外の手にとれる所に備えておく
ことも必要だと話しました。 崩れた家からはとても持ち出せないからです。
六甲山の裏のお百姓さんと仲良くしていて野菜や卵に困らなかったことなど。
普段から自然食のネットワークがあって、子供を避難留学させるにも、救援物資にしても
助かり大変ありがたかったこと・・など、日頃の人と人とのつながりの大切さを言いました。
他にもいろいろと話はでてきました。 なかなか聞きごたえがあったかと思います。
石川さんとは今後の交流を含めて、又、私ども被災地の母親の目からの様々なことなども
お聞きになってはと申しあげました。
すると今度は母親同士の交流を図ろうかという話もでてきました。
ふれあいセンターや仮設での人と人とのふれあいの数々は、皆が互いに多くを学びあい、
自らを磨く勉強になるのです。 謙虚になればまわり全てが教師だとわかります。
難あり、ありがたしの楽しい世の中だと私には思われます。
★うちの大工隊の隊長さんは、はや還暦も過ぎたスマートな熟年の伊勢清二さんといいます。
″ひまわりネットワーク″にとっては伊勢大明神様々です。
大工隊は大体シルバーさんと学生さんがほとんどです。 長期の休みになると必ず東京か
ら単身赴任のお父さんのところへきてずっと手伝ってくれる北川英輔くんという感心な高校生
もいます。
★月1〜2回休日の日曜にボランティアに来て、棚つくりをして下さる墓越さんは勤労好青年。
2月のスキーツアーも若い彼が来てくれて大助かりでした。
大工隊もはじめの頃は手すりや足台をはじめ、いろいろと作ってましたが、いまは屋内の棚
と窓の外のひさしの2種類ぐらいになりました。 それがまた好評で次から次へと注文があるのです。
大工仕事のお好きな方どうぞボランティアにいらしてください。 大歓迎です。
多少の交通費や昼食代も出ますから。
★棚やひさしづくりも昨年まではボランティア値段で極安でしていたのですが、今年からは実費を
いただくようになりました。 かれこれひさしもこれまで130枚くらいとりつけたでしょうか、そのほ
とんどが伊勢さん一人で作られたようなものです。 作り方の講習会もしました。
他の仮設の方もみにこられました。 裏の窓や掃き出しにひさしがあると大助かりなのです。
とりつけは金物用のドリルなどもいりますし、皆で手伝います。
<仮設に仕事を下さい よい知恵も・>
大工仕事を仮設の職のない方のおかず代にという構想を只今検討中です。
たとえひさし作り一枚につき500円でも支払えれば、体調もまだまだで外に働きに出れない方や、
でもタバコ銭なりおかず代にもなるかもしれません。 木の枠に波板をはるだけの簡単なひさし
ですから女性にもできます。
仮設では地震で職場を失った方も多くおられます。 何か内職はないかなという声をよく聞きます。
仮設で何か仕事になるもの、お金になる工夫でもありましたら、ぜひお寄せください。
皆様の知恵を貸してください。
<種蒔き隊に来てみませんか>
そろそろ桜の花もほころび、仮設では来週が花見頃です。
″ひまわり″もそろそろ種まき隊の出番です。 土嚢の袋に六甲山の土を入れてこようっと。
種はプランターで育てるつもりです。 花に関する資金などは朝日文化厚生事業団からいただ
ける予定です。 有り難いことです。
<南光町のひまわりを神戸中に・・・>
今、ひまわりの種は沢山あります。 ほしい方にはどんどんさしあげます。
これは須磨区の荒井さんという、通称ひまわりおじさんが兵庫県の奥の南光町で育てさせた
ものです。
彼も震災の時、ひまわり温泉やひまわりサロンで大活躍した方です。
昨年末にはかねてよりのエッセイを集め「笑いのセールスマン」という本を出されました。
ひまわりは小さな花一つ一つがしっかりより集まって大きな一つの花を咲かせています。
私たちも一つ一つの小さな花をせいいっぱいさかせ、また素敵な種になれたらと思うのです。
一粒万倍です。 今年こそ、今のうち灘区のあちこちにひまさえあれば、スコップ片手にひま
わりの種をまいていこうと考えています。
だれかこのタクラミに賛同の方ひまわりの種と小さなスコップをプレゼントします。 連絡下さい。
<普段からそなえありで>
王子仮設の木村さんの言われたように、普段からボランティアをしているものにっては、いざ
という事態こそ実力発揮できる時なのです。
私なぞ、震災でますます元気な池邊さんと言われて、日頃を知らない人からは急に元気にな
った怪物のように思われて、元気ですみませんってあやまらなくちゃだめみたいな言われ方で
苦笑することもありましたね。
普段の私をよく知ってる人はさもありなんと分かってくださるのですが。 何事も急にはできない
ってことですね。 備えあれば憂いなしで・・。
皆様、花の種や苗、余っているのがあったら″ひまわりネット″あてにお送りください。
活用させていただきます。
<大分から苗木が2000本>
3月23日の早朝、6時前に六甲アイランド埠頭に大分からのフェーが着きました。
私も朝一番に迎えにいきました。
じつは、大分の″出会いの村″の方々が、3000本の復興の木と一緒に総勢53名乗って来ら
れたのです。
<出会いの村>
出会いの村、それは大分市の安東静夫さんが、数年前から自宅の上のアパートを開放し、
様々な取り組みをしてこられていたものです。
この方も阪神大震災以来、八面六臂の大活躍です。 震災後はやくから200名近い被災者
のご老人を大分の温泉旅行に招待されました。
それを2回と、昨春には苺狩りに子供たちを十数人、昨夏には、大分ホームステイとして、
被災地の子ら100人を10日間招待してくださいました。
<復興の木>
そして″復興の木″として、九州各地の人たちに苗木を一本千円で買っていただき、
メッセージをそえてもらい、焼け野原になり、崩壊し神戸の地に緑の木々をという遠大な構想で、
今回で第三弾です。
この木には、″出会いの村″事務局の糸永先生という工業高校の先生と多の生徒のボランテ
ィアさんたちのご苦労も沢山こめられています。
今回の地震でも、どれだけ木に助けられたことか。 崩れる家を木が支てくれました。
昔から人と木と土、そして水と日は友であったのです。 それをどうして平気で引き抜き、コンクリー
でおおい心ないことを山としているのでしょうか。 又、いつの日か人はこの復興の木に助け
られる時がくるでしょう。
今回はこぶしとけやきの2種類だけです。 ″ひまわり合計350本もいただきましたが、
けやきは、まだ多少残っています。
欲しい方はおっしゃって下さい。 今度の休みに″ひまわり″でピクニックに行って、20年後
のけやき並木を今のうちにこそっと植えてみようかと皆で密かに画策しているところです・・・。
<北海道・神戸・大分>
今回丁度、北海道岩見沢市の駒沢大の萩原義雄教授が用事できておられました。
そして、23日には、北海道より寒いという神戸の風のなかで立ちっぱなしで一日中、
一緒に苗木くばりのボランテイアをしました。
萩原先生は、この2月に灘区の仮設の子たちを北海道に招待してくれた仕掛け人です。
萩原先生は″志士リリトリア″として、震災後はいちはやく来られ、鷹匠中でずっとボランティア
をなさっていた方です。
彼も震災のために急遽カンボジア行きのボランティアを神戸に変更したそうです。
そして、萩原先生のゼミの学生たちも北海道から神戸へボランティアに来て、大きな学びをした
そうです。 そして、その学生さんたちが2月に仮設のこどもたちを北海道に呼んでくれたのでした。
<鎮魂の子供神楽>
長田区の大国公園では、苗木くばりとあと大分から″子供神楽″17人のこどもたちが、
はなやかな衣装と鈴の音でお神楽を舞いました。
。
周囲のほとんどがまだ焼け野原の中での神楽は、まさに鎮魂の舞でした。 この地を浄化する
かのような清新な踊りに、亡くなった方々への祈りと新たなる復興への誓いを強く思わされたこと
でした。
又、仮設の舞台では、地元の太鼓集団「輪田鼓」や「MAYA」のフォルクローレ、兵庫朝鮮歌舞
伎団の踊りなどが披露されました。
<ちいおばさんのがらくた座>
翌日24日は王子公園仮設住宅のふれあいセンターで長野から、たった一人の人形劇団の座長
の木島知草さんが、お子さんと一緒に、又被災して以来長野に住んでいる絵描きの能勢伸子さん
もいらしてくださいました。
ちいおばさんも昨年の7月から3、4回神戸に慰問にきてくださっています。
たくみな話術で、かわいいボロから作った人形たちが生き生きと生命をふきこまれて動く様子に
子供たちは大喜びしていました。 当日は朝からバザーで午後が人形劇でした。 ここのところ
毎日曜日にいろいろ予定がはいって、主婦にとっては大変なところです。
。
<黒田の庄の川下り>
北海道の萩原先生の今回の予定のひとつに加古川のいかだ下りのお祭りの調査がありました。
今回の調査を夏の 石狩川サミットに役立てようとなさっているのです。
この夏に又神戸の子らを北海道に呼んでくださるのでその時のイベントにもできそうなので、先生
をご案内す ることにしました。
つのまにか日本のへその西脇市も過ぎてしまいました。 さらに奥まってようやく
黒田の庄に着きました。 風光明眉な土地柄です。 古く由緒ありそなお寺が沢山あります。
ここで、年に1回いかだ下りが催されている
のです。 今年も7月の最終日曜になりそうだとのことでした。
<なつかしい風景>
町役場の方にいかだ下りのことをいろいろと聞き、上流でも豊れを持つ一級河川加古川のすば
らしい姿を見ることができました。
自然のままの土手には、つくしも出てきそうです。 かわらには笹もしげり土手の上はうつくしい
桜並木、背景のみどりなす山々・・・昔ながらの典型的な、日本の美しい川の風景がそこにはありました。
なつかしい郷愁にひたりながら、夕日を映す美しい川面をみながら街に戻ってきました。
まだまだ日本は健在でした・・・。
<地球学校>
帰りに海に近い高砂市の地球学校によりました。 ここは、学校に疲れた子供たちの憩いの学校です。
もう創立以来10年になります。 現在は素晴らしい尾鼻先生の下に中高生が数人滞在しています。
創立者の児島一裕さんも十数年来のつきあいで、毎年一回アメリカのフリースクールツアーをしておら
れて、日本でのフリースクールの草分けの人です。
地球学校には、丁度畑さんという写真家の方の震災の写真のパネルが50枚ほど着いたところでした。
北海道の萩原先生は地球学校に泊まられたので、そのパネルも今度は北海道まで行くことになるか
もしれません。
春休み、うちの小学生のmは後半を″元気村″に泊まりこんで元気にボランティアしています。
ひまわりも毎日のようにボランティアの用事が入ります。
仮設も一年を経て、落ち着いてきたかにみえますが、見えないところでは、ますます問題は深くなって
きているように思われます。
一人暮らしのご老人の方々の問題をふれあい隊で聞いてきて、そのフォローをどらようにしたらよいか、
スタッフは頭をひねり、知恵を出しあいます。
まさに21世紀の高齢者社会の先どりの問題が山積みです。
これまで放っていた問題も地震を契機にふきだしています。 又地震で職も失い、或はたっしゃだ
と思っていた体もガタガタになり生活が総くずれで、福祉の関係へと話をすすめる方も多くいらっしゃいます。
又、知り合いの弁護士のボランティアさんにもお出ましを願っています。 なかなか一人暮らしのご老人
にたいしては、公ではとてもには尽くせません。 みじかな手助けは是非とも必要なところです。
年をとるということがどういうことか、ボランティアをしていると山のことを教わります。
そんなこんなをコーディネートしながら、細かな用事をひとつひとつ当事者の心は十分にケアしながら、
自立を助けるべく対応をしていく。
不思議と子供と一緒で、わがままだと感じても一度受け入れて、してあげるとつぎからはスッとご自分
でなさったりできるのです。 気持ちがわかってもらえた、それだけでもうれしくて、
次からはしてみようと気力がわいてくるのではないでしょうか。
どんな方でもまずはその気持ちがわかってあげれる、それが、皆と共に生き、歩めるボランティア
愚骨頂ではないかと″ひまわりネットワーク″は毎日楽しく、苦労も楽しみながら、皆で人生勉強させて
いただいているのです。
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| 一 下駄の音 路地裏通り 雨あがりの屋根 窓ごしのてまりうた おさげ髪の思い出 この街が好きさ 君がいるから この街が好きさ 君のほほえみあるから |
二 街の角 喫茶店 古い美術館 山かげの細い道 初恋の涙 この街が好きさ 君がいるから この街が好きさ 君のほほえみあるから |
| 28日 増毛(マシュケ)札幌の北、 | |
美唄の焼き物・渡り鳥の繁殖値観察・鶴の先生の話
自由の鐘 作詞・作曲 こもれび 由奈
そして、ワンマンでおしゃべり好きな男たちは長演説をとくとくとし、健常者はご
いらっしゃるようなので、今後とも関わっていくかどうか・・・?
とりあえず、これまでの7回にわたる″こもれび由奈″さんのコンサートは、なんとか無事
に終わりました。
ふれあいセンターはどこも満員で由奈さんの澄んだ響きと心の祈りの歌声を多くの方々
に楽しんでいただけました。
由奈さんは、全盲です。 今回スピーカーやアンプの調整をなさっていたご主人も舞台では、
ギターを弾かれる全盲の方です。 三重県の津市から機材一式つんでこられ、運転手は舞台
で手品もする鈴木さんという若いクリスチャンの方でした。
なられて、とうとうやめて、独学でピアノも弾き、シンガーソングライターとして生きる決心をなさ
ったのもここ数年のことだそうです。
流れのなかにうずもれて、みえなくなっている。
そして若者達の間には悪いものが増長蔓延し、音楽もひどいものがとりまいている環境だけど、
その子らに少しでも本物の歌を耳にとめてもらえるよう伝えていかねばと真剣に思い歌ってお
られるのです。
1500円で、こもれび・塔世橋・THE 0NLY 0NE・藤の花のように・自由の鐘 など入っています。
れるかな」
高石ともや ワイルドラン , 96
まいったまいった、こんな楽しくてさわやかで歌と汗と感動と喜びい
なかには、いろいろあったけど、そのいろいろがしっかりと体験と勉
神戸からはるばるボランティアにきたものの、ボランティアの大先達
| このワイルドランは高石さんが毎年していて |
| 北海道新聞社による野生生物基金の主催です |
海とせまる山々をみながら海岸線をひたすら走る。 トンネ
ルを通りながらネットをはった段涯にヒヤヒヤ。 でもとも
やさんが小さい頃増毛への交通は船位しかなく、陸の孤島だ
ったそうだ。
ランプとまきストーブの神秘的な夜 話もお酒もはずんで
3階建ての山荘のあちこちでおやすみ・・・外は冬、内は初
夏、蚊に悩まされる人もいたが、虫がよけてくれる私にとっ
てはまさに天国。 フトンもあるし、いいなあ、これで楽器
もあればいうことなし!
(高石、中、萩原、阿部他 増毛山岳協会の方々)
全盲のランナー中さんを連れてのトレイルラン、線の細い
やさしい中さんの足のたくましさに脱帽、そして、ともやさ
んの誘導の声と肩を貸す萩原先生たちへの強い信頼に美しい
友情を感じた。
サポート隊は車で南暑寒荘に先まわり、そこから逆コース
で雨竜沼湿原へと登山。 雪渓がのこる谷の流れや滝をみな
がら、花と緑の険しい山道を行く。 一転して100コ以上
の沼の水面が青空を映してまるで極楽の池のよう、雨竜沼湿
原だ。 みずばしょうの花は、まるで白い妖精たち。 凍る
ように冷たく澄みきったあちらこちらの流れにそって、語ら
うように踊るように、一面に咲きこぼれている。
真衣と「夏の思い出」を歌いながら、もう一息湿原を見お
ろす展望台まで。 私や金子夫妻はそこまで、真衣や中村君
は南暑寒別岳頂上まで頑張って登った。
・雨竜町の「高石ともやと楽しく遊ぼう会」の方々によるバ
ーベキューパーティー
・「高石ともやさんのフォークとトークの夕べ」
・写真家岡本洋典氏の「雨竜沼賛歌〜スライド」と写真説明
雨竜沼湿原は今年は6月1日まで雪に埋まっていた。しか
し、一気に春がきて、もうしばらくすれば、色とりどりの花
にあふれ、目もさめる緑色になるという。 湿原すむ生物や
植物も多い。 湿原も年ごとに遷移し、変化してきている。
そして美しい湿原も9月の声をきくと冬支度。 年の半分
以上は人の訪れることもなくひっそりとたたずんでいる・・
話あいは高石ともやさんの同窓会と飲み会になり、夜中1
じ半頃まで騒いでいたらしい。 これだけ故郷の人たちに暖
かく迎えてもらってともやさんは小さい頃から人気も人徳も
あったんだなとよくわかった。 小さい頃一緒に遊びまわっ
た幼ななじみはいいもんだね。 この雄大な大自然は素晴ら
しい人間と友情も育ててくれるんだなあ・・っと、途中まで
聞いてた私も、お酒と久しぶりに体力使った疲れとで、真衣
と一緒にはやくにドブン。
高石ともやと走ろうと子供たちが小雨の降るなかを待ちうけ
ている。 一部分一緒に、ヨーイドン。
「ゆっくり走ろう14キロ」親子・市民ランニングスタート
「歩いて走って6キロ」では娘も一緒に走ったが、昼食を
たべだちなのでお腹が痛くなってビリでゴール
| |
野外ステージで「フォークとトークの夕べ」 ともやさんの和気あいあいの楽しいトークとギターやバイ オリン、バンジョーを駆使しての楽しい歌や、遠い青い山々 を見ながらのしんみりした自然を歌う歌の数々にみな聞きほ |
| れている。 野生生物基金の説明を金子さんが話し、私も神戸から のボランティアということで毎度一言、感謝の言葉を述べる。 |
|
| 懇親会:またまたホテルの社長が同窓生で飲み会開始。 エーッ! |
| ・奈井江小学校校門で全校生徒の出迎え、そのまま歌とお話 ・西美唄中学校で歌とお話 ともやさん生徒達と給食を一緒に ・北村東小学校でも野外で歌とお話 子供たちと楽しく交流しているともやさんは、ついつい長引いて 時間が押せ押せになってサポート隊はハラハラドキドキ ・岩見沢市民会館横 萩園公園野外ステージ 駒澤看護福祉専門学校の学生たちが出迎えてフォークとトーク |
| 栗沢小島サンシャインヒルクリニックイギリス館と宮村荘に宿泊 | |
| |
イギリス館はイギリスからの移築の由緒あるしかしモダンにもみ える魅力的な館、いくつもの池や散歩コースのある丘など全て″薬 はいらない″の信念の小島クリニックのもの。 野外のバーベキューもとれとれの毛ガニや牛のホルモン、ビール に堪能してから移動したクリニックの診療所は、自動演奏つきグラ ンドピアノもある豪華リビングルーム仕様。 うれしくなってつい つい奏でる私のピアノに皆うっとり酔いしれて?!(実際酔ってた から)PCの松野さんは小雨のなか音響セットを運び入れ弾き歌い のマイクまでセット。 皆のマイク片手の喉自慢が始まると、ウト ウトしてたともやさんも俄然本領発揮で起き出して皆で大合唱。 私もともやさんのギター伴奏で″ムーンリバー″を歌えて感激! 音楽に共鳴しあう心は喜びにあふれる。 素直な響きは素直な心を よびさます。 ただただ音の楽しみがあるのみ、幸せな夜だった。 |
| ・新篠津小学校で野外交流会 子供たちが太鼓や笛の合奏と歌で出迎えてくれる。 ともやさん の息子さんのホノルルマラソンでの頑張る様子等おもしろく話をす る。 毎度ロック調の「輝けラモス!」の歌に子供たちは手をたた いて大喜び。 ・ゴール地点は石狩町役場前 役場の方々が、セレモニーを組んで くださってて、最後の「フオークとトーク」完走の感激や達成感は エイドの私たちも同様。 あっという間の5日間だった。 ともやさんはまもなく千歳空港へ出発空港の上だけ青空なのをみ て、ああやっぱり・・・END |
キャンプファイヤ−
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