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ご投稿・本田宗一郎さん

                           

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       ・・本田宗一郎・・       

 本田宗一郎・・・ 「世界のホンダ」創始者。戦後創業でオートバイで世界一、
更に四輪車に参入し、ソニーと並ぶ戦後産業史を飾る主人公。
(本田宗一郎略歴) 

 IT革命が進行し、世の中が大きく変わろうとしている今日、その中で志をも
って、 道を切り開こうとしている人にとって大きな夢と勇気を与えられる人物を
挙げると すれば、 本田宗一郎を思い浮かべます。

お好きな本を、参考にあなたのご意見(感想など)をご投稿ください。
勿論何冊参考にしても結構です。

最期に、参考本のおすすめ度マークをつけてください。

★★★★★超おすすめ、絶対必読、超感激。名作。★★★★おすすめ、大変参考になった。等。

●投稿先アドレス mailto:iihon@nifty.com

ブックガイド

<ご参考本>2 2冊(13冊もくじ付)

下記参考本をクリックすると紹介文にジャンプします。

『本田宗一郎の哲学』 人生はもろ手に帆をあげて生きよ 梶原一騎著 

本田宗一郎 夢を力に   本田宗一郎 日経ビジネス人文庫

■ わが友本田宗一郎                       井深 大著          

■本田宗一郎の真実 不況知らずのホンダを創った男   軍司貞則著      

■本田宗一郎の流儀 やってみもせんで答えを出すな   坂崎善之著     

■ 本田宗一郎の教え      元本田家執事        原田一男著          

■    ホンダ伝                     井出耕也著          

■ホンダをつくったもう一人の創業者 受け継がれる藤沢武夫の教え  大河滋著 

■本田宗一郎の経営学  (七つの経営パラダイム)     北岡俊明著         

■本田宗一郎潰れてたまるか!逆鏡こそ、創造へのスタート坂崎善之著       

本田宗一郎   美しき晩年     晩年の秘書       辻 均著               

■人間紀行  本田宗一郎との100時間           城山三郎著       

■ 偉大なる職人経営 本田宗一郎          針木康雄著            

■その他の参考本

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hondatetugaku

  ■『本田宗一郎の哲学』 人生はもろ手に帆をあげて生きよ 梶原一騎著 

                                        PHP研究所

 237page ISBN4569621031  2002/03/27出版  ¥

 

なぜホンダは勝ち続けるのか?同族経営の否定、鮮やかな引退、財テクとは無縁、技術一本で勝負!本田宗一郎研究の第一人者が描くホンダイズムの原点ここにあり。
 

序章 ホンダイズムの原点
第1章 語録・本田宗一郎の哲学
第2章 自由奔放な人生
第3章 人の心をつかむ天才
第4章 パートナー藤沢武夫の哲学
第5章 幸福な男の最期

ホンダの創業者に学ぶ自分らしく生きる知恵 。
企業の目的とは? 技術者の使命とは? 逆境の乗り切り方とは? ホンダの創業者にして戦後を代表する経営者が遺した珠玉の言葉。

従業員12万人、連結売上高7兆円超、経常利益5000億円を超える世界企業「本田技研」が産声を上げたのは昭和23年。創業者・本田宗一郎は、生涯のパートナー藤沢武雄を得ることで技術開発に没頭、二輪車で世界を席巻し、自動車でも国内最後発ながら次々とヒットを飛ばした。そしていまやトヨタと並ぶ「二強」といわれるまでに成長したわけだが、その強さの秘密はどこにあるのか? 本書は、本田宗一郎研究の第一人者である著者が、本田亡きあとも脈々と流れる「ホンダイズム」の原点に迫った書。自分の身内は会社に入れないという同族経営の否定、67歳であっさりと社長を引退した潔さ(若さを重んじる社風)、財テクとは無縁の経営手法、そして技術一本で勝負するこだわり……これらはいずれも本田と藤沢が遺した「遺伝子」といってよい。その「遺伝子」を余すところなく紹介しつつ、天才技術者・本田宗一郎の人生哲学を活写。読むと元気が出る書である。


[著者紹介] 梶原一明[カジワラカズアキ]

1935年、東京生まれ。雑誌『財界』の記者として豊富な人脈とデータを蓄積。1973年に梶原一明マスコミ事務所を設立。経済誌、週刊誌を中心に活躍中

 

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hondaouitirouyume

 『本田宗一郎 夢を力に』     本田宗一郎著  日経ビジネス人文庫

         ISBN453219069 269P 2001年7月1日出版 ¥648E

               I

自動車修理工から身を起こし、「世界のホンダ」を一代で築いた日本のビジネス
ヒーロー、 本田宗一郎。
彼が自らの前半生を回顧した「私の履歴書」を中心に、人間的魅力に満ちたそ
の生涯を たどる。
後半部には、彼が社内報等に寄せた文章をもとにまとめた「本田宗一郎語録」
も収録。

第1部 私の履歴書(浜松在の鍛冶屋に生まれる;自動車修理工場に見習奉公;
           小僧っ子から神様へ ほか)
第2部 履歴書その後(一九六二年‐一九九一年)(疾風怒涛の十年;F1への
           挑戦; 小型自動車に賭ける ほか)
第3部 本田宗一郎語録(三つの喜び;製品の美と芸術;資本とアイデア ほか)

<目次と構成>

はじめに

第一部 私の履歴書
 1 浜松在の鍛冶屋に生まれる
 2 自動車修理工場に見習奉公
 3 小僧っ子から神様へ
 4 若者と二人で「浜松支店」
 5 ピストンリング製造に苦闘
 6 バイクからオートバイづくりへ
 7 東京に進出、初の四サイクル
 8 借り着で藍綬褒章を受ける
 9 不況下、不眠不休で代金回収
 10 国際レースに勝ち世界一へ
 11 米国並みの研究費をつぎこむ
 12 社内にしみわたる理論尊重の気風

第二部 履歴書その後(一九六二年─一九九一年)
 1 疾風怒濤の十年
 2 F1への挑戦
 3 小型自動車に賭ける
 4 さわやかな退任
 5 もうひとりの創業者、藤澤武夫
 6 葬式無用
  
第三部 本田宗一郎語録
三つの喜び/製品の美と芸術/資本とアイデア/技術と個性/工場経営断想/
「悪い子」に期待する/冗句(Joke)のない人生は無味乾燥だ/ひとりよがりを
排そう /退陣のあいさつ/私のものの見方、考え方……他

おわりに
本田宗一郎年譜

 

[著者略歴]  本田宗一郎(ほんだ・そういちろう)

  1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽き
たらず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、
自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)
を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、
二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCC
エンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。73年、社長を
退く。91年8月、肝不全のため84歳で死去。

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  わが友本田宗一郎                       井深 大著          

文芸春秋、ISBN4−16-743702-3 、217ページ 1995年3月10日第1刷 2000年1月25日第三刷¥400E

◎町かどの小さな工場を、世界的企業のホンダとソニーに育て育てあげた本田宗一郎氏と
井深大氏は、心を打ち明け、信頼しあえる

なか仲であった。戦後日本の代表的経営者の二人は、40年間の交わりで何を語り、確かめ
あったか。親友だけが記すことができる

”本田宗一郎の真実”、そこには明日の日本への大切なメッセージがある。解説・秋山ちえ子。

まえがき

1、本田さんと私  2、技術者としての使命感   3、ものをつくることへのこだわり  
 4、見たり、聞いたり、試したり   5、ふたりが、共に目指したもの 対談・1966年 
   6、「日に新たに」   7、論理より直感   8、本田さんの遊び・私の遊び   
9、好奇心に限度なし   10、ソニーもホンダも、たたかれて強くなった 対談・1972年  
   11、競争のないところに発展はない  12、本田さんが大事にした”商売の心”  
 13、さようなら、本田さん    解説  秋山ちえ子

<著者紹介> 井深 大(いぶか・まさる)

明治41年(1908)年栃木県生まれ。早稲田大学理工学部卒業。昭和21年ソニーの前身で
ある東京通信工業を創立、25年に同社社長、最後はファウンダー(創業者)・最高相談役を
務めた。平成9年(1997)年12月19日逝去。

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 本田宗一郎の真実 不況知らずのホンダを創った男   軍司貞則著 

講談社文庫、ISBN4−06-263711-1 ¥619E、383ページ 
1999年11月15日 第1刷発行(この本は1995年に講談社より刊行された作品。

「超常識」こそ企業再生戦略だ!!  創造する宗一郎、経営の藤沢武夫  
二人の創業者の友情と確執

”ミスターホンダ”と呼ばれた宗一郎も急激な時代の流れについていけなくなった。
功労者だが、”老害”宗一郎は、盟友・藤沢武夫によって”切られる。二人は、じつは仲が
良くなかった・・・・リストラ時代のいま、「超常識」を身上に、功成りとげた二人の身の処し方
、考え方に企業生き残り、再生の途が見えてくる。

目次

まえがき

第一章 「超常識人」本田宗一郎・藤沢武夫

第二章 宗一郎のルーツ

第三章 藤沢武夫のルーツ

第四章 サーキット落成

第五章 研究所分離と世界進出

第六章 水冷・・・空冷論争

第七章 ダブルパンチ・・・宗一郎・藤沢こける

第八章 宗一郎と藤沢の退陣

第九章 動と静

第10章栄光の舞台裏で

第11章 宗一郎の闘病と藤沢の死

第12章 殿堂入りと死

文庫本刊行にあたってのあとがき

<著者紹介>  軍司貞則(ぐんじ・さだのり)

1948年生まれ。’77年に渡欧し、ウイーン大学に学ぶかたわら、ヨーロッパ各地取材。
’79年に帰国、ノンフィクション作家として執筆活動する一方で、テレビやラジオのキャス
ター、コメンテーターとしても活躍中。オリジナルブランドの日本酒を出したり、新しい祭り
の「YOSAKOIソーラン祭り」を応援したりと、多方面に関心をもつ。主な著書に『ジャピーノ』
(講談社文庫)、『魚味絶賛』(小学館)、『踊れ!YOSAKOIソーラン祭りの青春』(文芸春秋)
、テレビ化でギャラクシー賞受賞の『学校再生』(小学館)など多数あり。

<事務局より一言>今までのホンダ神話にとらわれず、 淡々と事実を積み上げていく
著者のスタンスに好感がもてます。特に本田宗一郎さんと藤沢武夫さんの微妙な関係も
はっきりと著者は記しています。又、お二人がホンダを辞めるときの経緯も他の著者よりも
厳しく、宗一郎さんのファンには、逆に胸をうつものがある。晩年の二人の姿も、人生につ
いて考えさせらます。★★★★

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  本田宗一郎の流儀 やってみもせんで答えを出すな   坂崎善之著 

PHP文庫、ISBN4−569-57407-6 ¥438E、189ページ 2000年5月15日 第1版第1刷発行

◎人生を生ききった男の魅力を知れざるエピソードで描く

一代で”世界のホンダ”を築きあげた経営者として、また絵を描くこと趣味とし、あるときは
レースに熱狂する男として、人生を縦横無人に人生を生き抜いた本田宗一郎。世を去って
9年経つ今も、理想の経営者の一人として人気を誇るその魅力はどこにあるのだろうか。
人間・本田宗一郎の魅力を、創業当時から行革に情熱を燃やした晩年までの数々の言葉
で浮き彫りにしたエピソード集。文庫書き下ろし。

当文庫に書き下ろすに当たって『本田宗一郎の流儀』というタイトルをつけた。ここでいう流儀
とは作法のことである。作法とは、その人の立ち居ふるまいのあらわれであり、立ち居ふるまい
はその人の生き方にほかならない。本田さん自身の口癖でもあった「かけがえのない一度だけ
の人生」を懸命に生き、命の源泉を完全燃焼させた人の言動は、そう簡単に古びることはなさ
そうだである。本書「はじめに」より

<目次> はじめに         本田宗一郎略歴

T 一尺の真ん中は五寸ではない・・・行き過ぎをいさめた父の教え

   遠慮こそ「付き合い」の基本です/1尺の真中は五寸ではない/「すばらしき遺産」とは何か
/鞴(フイゴ)の炎の上がり方/社交家の母の血も受けた/逆鏡は人を育てる/なぜかゲンコツは
こなかった/「ヒコーキ野郎」と若き日の熱望/祖母が作った機織り機/子供なりに進路を決める/

なあ、おい弁二郎よ/「弁さんがいたからこそ・・・・・・」/人事の流儀/父が教えた時間の尊さ/
本田流、時間の哲学/僕の言論には「制約」がるのんです/別荘と旅、どちらをとるか/「百ばか
り頼むよ」/ときどき財布を落っことすんだ/金のおちているところ教えてやろうか

U 僕はこの手で真理をつかんできた・・・傷だらけの手に刻まれた物語

   僕はこの手で真理をつかんできた/女房に叱られてばかりですよ/「知っている」ということ
/自分のために働いてくれよ/もっと先にある大きなものを/ポカミスは許さない/機械は時間を
稼ぐ道具だ/「おっとり刀」のスタート/ベンチャービジネス誕生/創造のリーダーシップ/ベンチャ
ーの志/競争は万人の認める戦争だ/若い時代の迷い

V 人が見てやらんものを見てやりたい・・・地味で「けなげなもの」への眼差し(マナザシ)

   やめるときは「二人一緒だよ」/知らん顔してやめるのが心苦しい/人が見てやらん
ものを見てやりたい/生みの親(創業者)の心/「けなげなもの」への眼差し/機械を直すっ
てことは人の心を直すことなんだな/本田流、教え合いネットワーク/遊びもしょせんは夢の
追求だ/幸福を売る男/好物の鱒ずし/鯖の煮付け腹一杯/モダンな社名に惹かれた/終
わりのない昔話/変わらなかった視点/本田宗一郎流の「寄金」/いくら礼を言っても言い
足りない

W やってみもせんで答えを出すな・・・能力はぎりぎりまで使い切れ

  エジソンへの親近感/習うことが細切れ過ぎるよ/やってみもせんで答えをだすな/
鬼気迫る集中力/会社と切り離した家庭が必要だ/これは、なぜこうしたんだ/他人の
時間を奪うな/「質問力」の持ち主/経営の「たていと」/信頼の美学/万物流転の掟を
味方に/夢の掛け橋になれれば本望だ/僕が残っていたら、会社はつぶれていた/間
違いを直す実行力/時代は動いている/世界一をめざそう

X 一輪車を動かすように・・・固定せず自在にありたい

  松下幸之助氏との接点/一輪車を動かすように/銀行は金以上に価値あるものを
貸すところだ/相手を受け入れる笑顔/ユーモアが友情をつくる/いますぐに解決策を
持ってこい/耳から入る古典の言葉/現場を見ていない弱さ/自然のなかから見つけ
た素材/歴史は生きている/指導者は間違いを犯す

Y 「ちまちま」したものは嫌いだ・・・広い世界に開かれた視野

   「ちまちま」したものはきらいだ/外交官との交流/失敗したらきちんと謝れ/とんで
もない思い上がり/軍隊経験のない「アプレ経営者」/120パーセントの安全があっての
「安心」だ。本当の安全を考えた道路にしてくれ/不調和は調和に転化する/本田宗一郎
はデザイナーだった/いいものは競争があって創出される/指図するなら株主になってみろ
/精神の若さに学ぶ/この世はあっても、あの世はない?

本田宗一郎とは何者か    あとがきに代えて・・・「人生に師」

<著者紹介> 坂崎善之(さかざき よしゆき)

1936年生まれ。早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)在学中に浅草軽演劇文学部
、放送記者を経験し、66年本田技研に入社、宣伝企画に従事。3年後に編集プロダクシ
ョンを設立、77年より本田宗一郎の著書の出版に協力。83年から3年間、本田氏とソニ
ーの創業者である井深大氏が代表世話人となった「行革推進全国フォーラム」の事務局長
を委嘱された。著書に、本田宗一郎遺談『人生はアマ・カラ・ピン』(講談社文庫)、『詩集 
金色の鳩百羽』(モビリティ文化出版)

(2000年5月20日購入本より)

<事務局より一言>コンパクトな文庫に宝石が一杯入っているようだ。電車の中で何回
も読んだ、他の本を読んだ人はこれを携帯して本田宗一郎に思いをはせたい。「世の中、
時間が全てなんですね。・・・この時間をどう使うかによって、その人の人生決まってくるん
です」時間の尊さ改めて身にしみます。すこし話は変わりますが、新鋭の埼玉工場に松下
幸之助さんを呼んで見てもらったり、幹部の研修をしたりしたのを知って、やはり、創業
経営者達にとって、松下幸之助さんというのは大きな存在だと思いました。又、松下さんも
、ホンダの工場の素晴らしい点をちゃんと、松下電器の工場に取り入れたそうですが。
★★★☆ヤマ>

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   本田宗一郎の教え      元本田家執事        原田一男著      

KKロングセラーズ、ISBN4−8454-0651-9 ¥1200E、217ページ 2000年4月1日 第1刷発行

”心の盟友”井深大氏は語る・・・『生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を、
いまの人たちがもっと学んでほしい』  

◎成功は99%の失敗に支えられた1%だ。 

若きビジネスマンに贈る最高の栄養剤!!

仕事・・・プロは完璧な仕事をするのが当たり前なんだ。 
挑戦・
・・やってできないことはない。 
技術
・・・人が作るから技術なんだ。  
人間
・・・人を喜ばせれば、喜び楽しみとなって自分に帰ってくる。

 <目次>  

[特別寄稿] 本田さんと私・・・井深大

第一章仕事 ●「プロは完璧な仕事をするのが当たりまえなんだ」   

・そう言ってくれることで俺は救われるよ   ・なにごとも基礎つくりがたいせつだから
がんばってくれ   ・その油まみれの手がいいんだ。油の匂いが大好きなんだ   
・君たちはいつもお客さまから文句を言われる立場でつらいことが多いと思う   
・ネアゲセズノ、ニュースヲキイタ。ゴリッパ   ・やあ!君は池沢君だなぁ!がんばっ
てるか  ・なぜ負けたんだ  ・なぜリタイアしたんだ   ・研究所ばかりにいないで、
ホテルの車庫をのぞいて歩け ・いてもいいものは作れないぞ   ・約束とは相手の時
間を拘束していることを忘れるな  ・同じことは二度教えない。一度教えられたら、あと
は自分で考えよ   ・人の顔は一回みたら忘れない。でも名まえはだめだ  ・プロは完璧
な仕事をするのが当たり前なんだ ・夜、仕事のことを考えると眠れなくなってしまう   
・遊ぶときはとことん遊び、仕事をするときはとことん仕事をしろ  ・ことが起こってから
謝っても遅いんだ

第二章挑戦 ●「やってできないことはない」

・科学技術の進歩は、たいせつな自然環境を破壊してしまうことさえある  ・マスキー
法案をクリアすることで、ホンダの技術力を世界に示そう   ・俺は絶対に負けない 
  ・何故なら勝つまでやり通すからだ   ・コミュニケーションがうまくできなければ、
仕事もうまくいかないよ   ・何ごとに大しても興味をもつことが、アイディアを生む第一
歩なんだ  ・成功は99パーセントの失敗に支えられた一パーセントだ   ・命拾いした
から、今夜は盛大にお祝いをやるからね  ・人生、着陸にはじまり、着陸に終わる  
 ・先達の作ったものを負かすいい製品を作って、喜んでもらう   ・飛行機のほうが
交通渋滞もないからよっぽど安全だ

第三章技術 ●「人が作るから技術なんだ」

・俺はほんとうは勇気のない男なんだ   ・やればできるじゃないか、すばらしいな  
 ・どんなに機械が進歩しても、人間の上には君臨させてはいけない   ・人がつくる
から技術なんだ   ・君たち、体に気をつけろよ  ・技術によって、人を喜ばせていきたい
  ・FIをやってよかった。自動車づくりをしてきてほんとうによかった・ゴールのテープを
われわれの手で真っ先に切ろう  ・やってできないことはない  ・技術は人間に奉仕
する手段である  ・失敗、反省、勇気という三つの道具を繰り返して使うことによってのみ
最後の成功に達することができる ・問題を根本から解決しようという意志なしにはなしと
げられない  ・多くの人の心と心の連帯感があってこそ、人間は機械や社会機構を有効
に使える

第四章人間 ●「人をよろこばせれば、喜び、楽しみとなって自分に帰ってくる」

・絵はがきのような庭は嫌いだ。自然のままが一番いい   ・カルキくさい水は性にあわん。
自然の水がのめるようにしてくれんか  ・人を喜ばせ楽しませてやれば、喜び、楽しみと
なって自分に帰ってくる  ・自分の葬儀は絶対にしないでほしい  ・時間はだいぶたって
しまったが、みんなの待っている旭川に向かってくれ  ・わかっていながら、なんの手も
考えずにいるのか   ・アメリカに進出できたのも、地元の人達の協力があったからこ
そなんだ
  ・どうすれば楽しんでもらえるのか  ・自分の目で確かめながら、人が何と言おうが
信用しない  ・政治の力を借りて経営を立て直そうとするのは間違いだ  ・人間の力
とか知恵は、自然からみれば些細なものだ  ・静かなときは、静かに徹するんだ 
 ・好きなことをやるのに昼も夜もないんだ  ・友情を大切にする  ・今は時代が違う、
おまえは日進月歩を忘れてる ・金はきれいに儲けて、きれいに使うことを忘れるな  
・自動車を作る会社の経営者が、交通渋滞を起こしてはならない   ・中学に行かず
、おれは自動車工場に行くことを決めている ・水に逆らっちゃいかんよ  ・家康は真の
英雄じゃない。そんな人物を経営の中に持ち込むのはナンセンスだ  ・今日は俺に
玉代を払えよ  ・いつも厳しい親父がどらなかったんだよ

あとがきにかえて

(立ち読みeyes only)・・・ (まえがきから)・・・本田宗一郎さんは本田技研の創始者
であり、本田技研を世界有数の自動車会社に育てあげた名経営者として知られています。
・・・本田さんを目のあたりにした30年間、私は折にふれて、この偉大な人物から、仕事、
挑戦心、技術、人間について、実に多くのことを学ばせていただきました。もっとも身近
にいた者として、本田さんの素顔を語ってほしいという依頼を受け、『もう一人の本田宗一郎』
という本を著したこともあります。(注:1992年ごま書房より出版)  ・・・本田さんのこと
を読者の皆さんに知っていただくために、本田さんと生前もっとも親しかったソニー元ファ
ンダー井深大さんに、その人となりや、経営観などを語っていただくことにしました。
井深さんのご遺族のご承諾を得て井深さんの名著『わが友本田宗一郎』より一部転載
さしていただきました。

<著者紹介> 原田一男(はらだ かずお)

1918年静岡に生まれる。1935年本田技研工業に入社。庶務的な仕事全般をこな
していたが、1960年埼玉県和光市に本田技術研究所設立に際し、そのスタッフの
一人として活躍し、東奔西走の毎日をおくる。以後「秘書をやれ」と言われたこともなく、
秘書の辞令を受けたわけでもなく、自然発生した秘書的立場として、本田氏の身辺の
すべての雑務をこなす。1973年本田氏社長辞任とともに本田家の執事とともに本田
家の執事となり、半生、本田宗一郎を公私とともに舞台裏から見守ってきた。 

(以上は2000年5月10日購入本から)

[カメさんの一言] なによりも、30年間、本田宗一郎さんのそばにいた人の話しは、他人
の話しや、本から知った話しでは得られない、本田さんの生の姿と心が直接伝わってくる
のが、本書の特長です。本田さんの本は昔読んだ事があるが、本田さんを知りたい、とい
う方には、おすすめしたい。又、ここから、自分なりに本田宗一郎さんを纏めなおすことが
できます。著者は特にこれから飛び立ったんとする若い方に読んで頂きたいとのべている。
★★★☆   

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     ホンダ伝                     井出耕也著          

井出耕也著、ワック株式会社、ISBN4−89831-012-5 ¥1800E、394ページ 1999年5月22日 初版、1999年6月18日 第2刷発行 

◎夢が走る 町工場の設立から「世界一を目指す」と夢を公言・・・いま創立50周年を機に、人間尊重を元に展開してきた、ハード・ソフト技術と勝ち続けるためのマニュアルを凝縮。これが。『ホンダフィロソフィー』50年の軌跡だ!

●創立50周年を迎えたホンダの歴史は単なる成功物語として綴るだけ綴るわけにいかない。絶望と希望、落胆と歓喜、両者の間に懸け渡された夢の強さと大きさが引き寄せた奇跡であり必然の結果でもある。

●本田宗一郎が猛然と突進し、藤沢武夫が冷静に支えた。この2人の創始者が残した企業哲学をホンダグループはどのように実践し、今後どのように展開しようとしているのか。自由闊達な企業風土の中で働くということは・・・・・・ビジネスマンや学生必読の書。

目次    はじめに   

第一章・・・技術が市場を創る・・・2700万台のスーパーカブ  「50ccバイクをつくってくれないか」/市場が求めるバイク/頭の中でエンジンがまわり出す/最高の目標をめざす/4サイクルへのこだわり/蕎麦屋の出前をイメージしろ/二人の大博打/「小さな猛獣」の大インパクト/二輪世界のT型フォード/2700万台の「一所懸命マシン」

第二章・・・破天荒な二人・・・本田宗一郎と藤澤武夫の邂逅   山盛りのうどん/精米機とエアーショー/「走る機械がやってきた/わんぱく坊主と趣味人/「早く自動車を出せ!」/優雅なルンペン/アート商会浜松支店/藤澤の独立/凡人の頭では理解できない男/型破りな会社の夢

第三章・・・夢のはじまり・・・他人の真似より自分の理想     一年間の休養宣言/タイム・マネー・プライド/「ばたばた」誕生/人真似はしない/HONDA・MOTOR/ドリーム号完成と藤澤の登場/「4サイクルを出そう」/箱根を登りきった/宗一郎の無理難題/藤澤のDM作戦

第四章・・・挑戦こそ宿運・・・マン島レースでの世界一宣言   「世界一じゃなけりゃ日本一じゃねんだ!」/教祖にでもなるか/マン島TTレース出場宣言/レース好きだった宗一郎/「やりたいヤツ手を上げろ!」/「負けたものは仕方がない」/いざ、お先真っ暗のマン島へ/「井の中の蛙」で終わりたくない/急速なレベルアップ/腕時計のように精密なレーサー

第五章・・・加速する展開・・・かってない四輪者の創造     30馬力の軽トラック/四輪者の車をつくりたい/最初の車はスポーツカー/ガキ大将と優等生の大喧嘩/通産省との競争/「お客さんのことを考えればいい」マックイ−ンの愛車/藤澤の全国SF構想/もう一つの奇跡

第六章・・・果敢に堅実に・・・F1への参戦とN360の誕生    「ホンダがF1に出てくる」/巨大なバイクエンジン/「オヤジヨロコブ」/F1初勝利/ルーアンの悲劇/N360大ヒット/空冷地獄/常識への挑戦

第七章・・・目標は社会主義・・・人が幸福になる技術を開発しろ  愛弟子の進言/握りつぶされた辞表/水冷に徹するべきだ/もう技術者ではない、社長なのだ/無数の本田宗一郎を育てたい/欠陥車問題/排気ガス規制の実施/「マスキー法」世界初クリアー

第八章・・・地球的な評価を・・・世界一になってこそ本来の日本一   世界一への第一段階/「それは何という乗り物?」/素晴らしき人々、ホンダに乗る/世界市場での実験/売れ行きが止まった/アメリカでの現地生産/「オハイオ工場は神様の意志」/もう一つのホンダ/「三つの喜び」

第九章・・・常識はつね可変・・・シビック開発で得た教訓と後続車   楽に静かに移動する車/大部屋の役員室/本田に頼らぬ新車開発/「自動車らしい車」をつくりたい/「三枚目のドアはどちら側?」/成功、そして本田・藤澤の退任/「ヨクヤッタ ホンダ」/「ムカデダンス」のシティ/「ホンダを次に世代に渡す」

第十章・・・ホンダ・フィロソフィ・・・創業者を越えたホンダ精神の行方   F1カーに迫るスポーツカー/ホンダ・ターボの連戦・連勝/「俺は浜松んい帰る/「決めたからそのつもりしろよな」/役割はカーブを切ることは/「ホンダらしさ」という幻影/大ヒットしたオデッセイ/驚異のエンジンVTEC/規制値を超えて更に遠くへ/ホンダはどこに向かおうとしているのか/世界1000万人のホンダユーザーに向けて

(立ち読みeyes only)・・・・その結果、すべての開発が終わると、それまでにない大きなパワーを発揮し、燃費もよくて、音も静かなエンジンができあがってしまうのである。馬力が欲しかったら、まずひたすら馬力を求める。燃費が気になれば、燃費だけのことを考える。静かなエンジンにしたかったら、またそれだけを考える。・・・とにかく一番ほしいものを実現するには、どうしたらいいか。それだけを追い求め、達成されたら次の課題にかかる。宗一郎にとっては、全体のバランスは後から考えればいいことであった。・・・・

<著者紹介>  井出耕也 (いで こうや)

1945年11月生まれ。成蹊大学政治経済学部(現法学部)卆。68年4月サンケイ新聞入社、支局勤務の後、夕刊フジ報道部を経て77年8月退社、フリージャーナリストに。立花隆氏の『農協』『田中新金脈研究』に取材スタッフとして参加。ここ数年の仕事としては、アジア華僑華人のルポ『龍の翼』(『週間朝日』連載)、インターネットの周辺についてのレポート『デジタル企業の興隆』(朝日新聞出版局発行・月刊誌『ドアーズ』連載)、レーシングドライバー列伝をてがけている。著書に『ゲーム』(大和書房)、『疾走する超伝導リニア五五〇キロの軌跡』(ワック)がる。

<カメさんの一言> ホンダの創業時から、全体をバランス良く知って、勉強したいという方に最適だと思います。又、なんでもない事のようですが、写真も適当に入っていて、理解を深め安くなっています。例えば、修業を終えて、22歳の時、開店した「アート商会浜松支店」の写真を見ると看板が英語で大きく書かれてていて、ずいぶんハイカラなんだなと、本田宗一郎さんの人柄が分かります。又発売されたバイク等の写真も載っています。★★★★<ヤマ>(2000年4月15日購入本から) 

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    ホンダをつくったもう一人の創業者 受け継がれる藤沢武夫の教え        

大河滋著、マネジメント社、ISBN4−8378-0395-4 ¥1600E、241ページ 1998年12月10日 初版発行、2000年2月5日 第5刷発行 

◎藤沢武夫の経営哲学の全貌  ホンダの実質の経営者は、副社長として経営手腕を発揮していた藤沢武夫だった。たった24年間で今日のホンダの基礎を築き上げ、しかも50年先を見据え、常に先手、先手と手を打ってきた男の経営哲学の全貌がここに明らかになる。

混迷の時代を生き抜く知恵がここにある・・・・・・[主な内容]脈々と受け継がれる藤沢流経営/半世紀先を見続けていた藤沢武夫/実態は藤沢商会だった/「本業に徹せよ」の唯一の例外/心あるマスプロダクト・マスセールス/藤沢思想が凝縮された社長/スーパーカブの生みの親/藤沢流コンセンサスの極意/素人論で大胆な人材起用/創業者魂こそ混迷の時代を生き抜く知恵 など

<目次> 

[プロローグ 正当な後継者達]  

 ・大胆な人事改革の真意  今こそすべての経営者に要求される協力なリ−ダ−シップ   ・消費構造の様変わりに対応した80万台販売戦略  ・F1参戦はホンダの伝統的苦難克服法   ・なぜ四代目社長に川本さんが選ばれたか   ・脈々と受け継がれる藤沢流経営

[第一章  以心伝心]

・実態は藤沢商会だった  ・運命の出会い   ・もうひとりの自分が   ・本田宗一郎一世一代の予行演習  ・生涯の信頼関係を深めた「入れ歯事件」  ・半世紀を見続けていた藤沢さん  

[第二章 人間尊重企業]

ホンダはドライな企業という誤解   ・最新科学の粋を集めても人の心はつかめない  ・主役はあくまでも人間  ・三つの喜び、三つの自由  ・われわれは工場を建てさせているんだ  ・「本業に徹せよの」の唯一の例外  ・足長おじさんスタイルの奨学金制度の創設   ・社会貢献は宣伝するものではない

[第三章  心あるマスプロダクト・マスセール]

・ヒット商品がつくり出した強みと弱み   ・業販システムを創った藤沢さんの手紙作戦  ・藤沢思想が凝縮された社是   ・製造コストの高さを大量生産大量販売で補う  ・ホンダの元本  ・F1は走る実験室  ・モーターゲレンデ構想が生んだ鈴鹿サーキット  ・ポリシーを守るためにあえて売らない   ・規制緩和、グローバルスタンダードの先駆者  ・よその物まねでない本物をつくれ  ・一時の損にこだわらづ広い視野で  

[第四章   藤沢流経営の真髄]

・松明は自分の手で持て  ・「経」は縦糸、「営」は横糸   ・差別に憤った少年期  ・誠意と実直の人  ・経営者としての第一歩  ・戦後の需要を見込み製材業に転身  ・夢中になれるものをつくりたい  

[第五章   自由闊達な社風と人間教育]

・失敗も財産  ・権限を委譲される若手社員  ・上司も部下も同じく人間  ・社長も部長も誰それさん  ・神様の求心力  ・スーパーカブの生みの親   ・藤沢流コンセンサスの極意  ・自主的に理念を実施していた従業員たち   ・社員教育とは躾である  ・ゴジラの情報収集術  ・常に教育効果を意識  ・常盤津独演会の悩み

[第六章  信頼の経営と組織]

・信頼を失った時ホンダはつぶれる   ・涙の越年闘争   ・若さを信頼できない企業は死ぬ   ・素人論で大胆な人材起用   ・徹底した公私のけじめ   ・ヒューマニズムという風土  ・美しきエキスパート集団を目指して  ・技術研究所の分離独立   ・仕事の記録書「私の記録」にこめられた思い  ・資格制度と自己主張表の導入   ・リーダーシップは「言い出しぺ」

[第七章   藤沢武夫の遺産]

・万物流転の掟   ・役員大部屋制度の狙い   ・河島喜好の三つの鏡  ・すべては過去の泥の中にある  ・就任期から「厳しい」と言い続けた川本さん  ・激変したホンダの体質  ・縦糸は通り続けている   ・吉野新社長に託された課題   ・創業者魂こそ混迷の時代を生き抜く最大のヒント

<立ち読みeyes only>・・・藤澤さんがしばしば口にした経営哲学に「松明は自分でもて」がる。・・藤澤さんが終始一貫して守り続けた経営思想だ。「ホンダは、松明を自分の手で掲げていく企業である。日本の自動車企業には前いくものの灯り、その明るいところにくっついていくいき方をするものが多い。だが、先頭の者が火を消してしまったら、その灯りをちょりんに進んでいった後継者の者、行き先さえわからなくなってしまう。たとえ、どんなに小さくても、松明を自分達の手で持ち、他のメーかーとは違った方向に・・・

<著者紹介>  大河 滋 (おおかわ・しげる)

昭和16年、秋田県生まれ。 本田技研工業株式会社に入社。営業部勤務。同社研修センター専任講師。同社退社後、ホンダクリオ店常務取締役、ホンダベルノ店代表取締役社長、ホンダウイング店専務取締役を歴任。コンサルタント会社

(2000年4月20日購入本より)

<カメさんの一言> 本田宗一郎さんに憧れてホンダに入社した著者が、入社後、藤澤副社長に出会い尊敬の念を強くもつようになった。著者は退社後、経営コンサルタントとして活躍し、世間でホンダの評価が高いのに、名経営者である藤澤副社長が知られていことから筆をとり、正しい評価を得ることが義務であると考えた。本田宗一郎さんは、代表印も預けたままで、実態は藤澤商会だった面もあり、ホンダを知るためには、藤澤研究は欠かせない。★★★(福)

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   本田宗一郎の経営学  (七つの経営パラダイム)    北岡俊明著         

北岡俊明著、産能大学出版部、ISBN4−382-05120-7 ¥1500E、231ページ 1992年2月25日 初版発行、1998年6月30日 12版発行  

◎本書について・・・・・本田宗一郎は多くの日本人経営者とは異質の存在であった。その行動は日本人ばなれしており、その経営哲学は日本社会にひそむ特殊性・閉鎖性の枠を越え普遍性と国際性をもっていた。日本的経営の桎梏が叫ばれている今、本田宗一郎の経営の真髄に迫った本書は、潔い生き方、考え方こそ真に世界に通用するものであることを教えてくれよう。

”本書を故・本田宗一郎に捧げる。私はわずかの期間であるが、かってのホンダにいたことがある。本田宗一郎は、一社員として遠くからながめただけであるが、私のその後の人生に決定的な影響を与えた。”

<もくじ>    はじめに、(プロローグ)本田宗一郎の経営学とはなにか、

 第一章☆パラダイムシフトの時代 □パラダイムとはなにか□歴史はパラダイムシフト(パラダイム転換)の繰り返しである□本田宗一郎はパラダイムシフトの時である□損失補償問題は、パラダイムの転換問題である。 第二章☆本田宗一郎の七つの経営パラダイム 

 第二章☆本田宗一郎の七つの経営パラダイム  <パラダイムT>ものづくりのパラダイム:バブル経営へのアンチテーゼ □300万人の死をもって学んだモノづくりの大切さ □本田宗一郎のモノづくりは筋金いりである□モノづくりを忘れた虚業の横行  <パラダイムU>学歴無用のパラダイム:学歴と肩書へのアンチテーゼ □なぜ、本田宗一郎は学歴無用をいったのか □本田宗一郎と吉田松陰・・・人間に対する限りない愛情と教育 □学歴無用と教育・・・人事部は人の欠点をみつけることを考え、教育部は人の欠点をみつけることを考え、教育部は人の長所を伸ばすことを考える □学歴無用論は、理論無視と知的人間軽視を生む危険性がある □学歴とは学門を勉強してきた歴史のことであって、学校卒をいうのではない。 <パラダイムV>縁故・情実否定のパラダイム:公私混同へのアンチテーゼ □会社は個人のものにあらず   □福沢諭吉と本田宗一郎 □本田宗一郎は日本人にはめずらしい論理的な人間であった。 <パラダイムW>派閥否定のパラダイム:会社主義へのア 落した日本人 □ウチ志向を排した本田宗一郎 □南方熊楠と本田宗一郎・・・最大級の普遍人、国際人地球人 □会社主義の否定・・・会社人間が日本を滅ぼす  <パラダイムX>独創と創造のパラダイム:管理社会へのアンチテーゼ □独創とは独立自尊の精神から生まれる □「権威主義」は独創性と創造性の敵である   <パラダイムY>自由と責任のパラダイム:管理社会へのアンチテーゼ □ドラッカーと本田宗一郎 □企業の目的は「顧客の創造」(ドラッカー)であり「需要の創造」(本田宗一郎)である    [ケーススタディ]ホンダにおけるビューロークラシーの例     <パラダイムZ>トップ交代のパラダイム:権力支配へのアンチテーゼ □企業の目的は何か □息子を後継者にするには大義名分がいる  □公平無私のパラダイム・・・会社運営の大原則  

第三章☆本田宗一郎のリーダーシップと組織論・マネジメント論  1、本田宗一郎のリーダーシップ論 □信長を好んだ本田宗一郎 □両雄並び立つリーダーシップ  2、本田宗一郎の組織論 □薩長閥、軍閥、財閥、陸軍閥、海軍閥・・・派閥が日本をダメにする □ヤクザの跡目争いのほうがスッキリと男らしい □論理的風土を育てよう・・・過剰介入とお節介の文化をやめるべし 3、本田宗一郎の論理的マネージメント論 □どうして日本人は非論理的な行動をするのか □論理的マネージメントの時代と本田宗一郎 □論理的マネージメントの方法 □論理型セールスの時代における企画案型のセールスのすすめ  

第四章☆本田宗一郎のマーケティング論1、あきないとマーケティグと本田宗一郎 □勤勉と質素と奉仕  2、本田宗一郎の市場調査無用論 □市場調査から製品開発はできない  3、ホンダはなぜホンダらしさがないといわれるのか □ニッチマーケティングなど机上の空論だ □ホンダにかけているものはアイデンティティである □ホンダ語に酔うなかれ□需要は創造するものである、しかし・・・・□一つの提言・・・ホンダの製品フルライン戦略への疑問 

第五章☆本田宗一郎と日本人の戦略能力  1、本田宗一郎の戦略能力 □バブル経済の崩壊と本田宗一郎の残したもの □本田宗一郎は日本的経営へのアンチテーゼであった □本田宗一郎は戦略能力の天才であった □時代を見る目  2、戦略能力の時代 □日本人の戦略能力の欠落を証明した湾岸戦争 □戦略・戦術・戦闘を定義する □湾岸戦争は戦後最大の企業経営のケーススタディである  3世界一の戦術能力 □日本の戦術能力は世界一である。だから摩擦が絶えない □戦術能力とモノづくりの思想 □中内功、塚本幸一、鬼塚喜八郎の場合 □青春は戦場であった

第六章☆本田宗一郎の珠玉の言葉に学ぶ  1、『得てに帆をあげて』(わせだ書房新社)より  2、『私の手が語る』(講談社より) 3、『私の履歴書』(日本経済新聞社)より  4、『経営のこころ』(日刊工業新聞社)より

(エピローグ)遠くからながめた本田宗一郎:本田宗一郎とホンダ営研への鎮魂歌 □ホンダ営研・・・ある組織の栄光と消滅 

(立ち読みeyes only)・・・本田宗一郎を長年研究し、得た結論は、彼の思想と哲学こそが日本企業がどうしたら国際性、世界性、普遍性をもつことが出来るか、その解答を与えてくれているということである。さらに、どうすれば、社員がやる気と生きがいをもつことができるかを教えてくれる。特に、彼は若者の心をつかむことにかけては天才的な人間であったからだ。 さて、私は思う。本田宗一郎ほど、普遍性と国際性をもった経営者は少ない。 本田宗一郎ほど、思想と哲学と技術を調和してもった経営者は少ない。 本田宗一郎ほど、モノづくりに徹底した経営者はすくない。 本田宗一郎ほど、公平無私を実践した経営者はすくない。 本田宗一郎ほど、自由と平等を愛した経営者はすくない。 本田宗一郎ほど、底抜けに明るい経営者はすくない。 本田宗一郎ほど、歳をとればとるほどいい顔になった経営者はすくない。・・・・・・・

<著者紹介> 北岡俊明(きたおか としあき)  

経営評論家。1943年徳島市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。(財)流通経済研究所主任研究員、亜細亜大学経営学部非常勤講師などを歴任。専門は経営戦略論。数多くの企業経営のプロジェクトの企画、立案に参画。また、企業の戦略能力と意思決定能力の開発にディベート方式の導入を提唱している。ディベートは単なる議論ではなく日本的甘えの風土を改革する文化であると説く。本田宗一郎にとって技術と製品がすべてであったように、研究員にとっては本の執筆がすべてであると考えている。日本記号学会会員。

(執筆実績)

1982年『マーケティングの哲学』亜紀書房。1985年『卸売業・販社のTQC』中央経済。1986年『企画能力』こう書房。1986年『ディベート発想のすすめ』こう書房。1987年『管理能力』産能大学出版部。1988年『マーケティング企画学』産能大学出版部。1989年『マーケティング戦略学』産能大学出版部。1990年『ディべ−ト能力の時代』産能大学出版部。1991年『戦略能力の時代』展転社。

研究所 東京都港区高輪3−25−35−702 電話03−3441−8120

(平成12年5月9日購入本より掲載)

[カメさんの一言]  いわゆる作家や記者が書いた伝記、身近に本田宗一郎さんに仕えた人の思い出とはちがいます。筆者はマーケティングの専門家で誰ににも負けないほど本田宗一郎を尊敬してる。その熱意が伝わってくる。もし、普通の本田宗一郎物語を読むなら他にたくさん出ています。著者がいろいろとはっきり意見を述べているので、その意見に賛成か反対かは別にして、読みながら考えさせられました。例えば、著者が、この本を書くにあたり数字確認の為、一般の個人としてホンダに電話をかけたところ,筆者の夢みるホンダは、どこにいったのかと感じさせる社員の応対部分など。たまたまホンダの中では珍しい社員にあたったのかもしれませんが。読んで面白い本★★★☆<福>

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  本田宗一郎潰れてたまるか!逆鏡こそ、創造へのスタート坂崎善之著        

坂崎善之著、大和出版、ISBN4−8047-1482-0 、203ページ 1998年2月20日 初版発行 、¥1400E

(表紙から)  

やってみもしないで答えを出すな。人は困りぬくと知恵と力がわいてくる。・・・「ホンダの創業者」からのベンチャー・メ セージ

成功とは99%の失敗に支えれれらた1%だ。同じ失敗でも、やっていい失敗と、やってはいかん失敗がある。仕事を前に進めようとして、新しいことに取り組んでいる時の失敗はいい。なぜなら、やってみなければわからんことがたくさんありますから。本田宗一郎

[なぜ、その男に人がついていくのか!?]

(目次)  

はじめに・・・くじけずに生き抜くために・・・懸命に生きた本田さんが、くじけそうになるたびに自分を奮い立たせ、周囲を励ました「潰れてたまるか」「潰されてたまるか」という強い意志の叫びが大切になるのではなかろうか。

第一章  とことこん遊べば何かを悟る

第二章  潰れてたまるか、潰されてたまるか

第三章  人生そのものが博打だ

第四章  過去に興味はない、知りたいのは未来だ

第五章  ときには矛盾があってもいいじゃないか

あとがきにかえて・・・天から授かった笑顔

<著者紹介>  坂崎善之(さかざき・よしきゅき)

1936年、旧満州(中国東北部)新京生まれ。早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)在学中に浅草軽演劇文学部、放送記者を経験し、66年本田技研に入社、宣伝企画に従事。3年後に編集プロダクションを設立、77年より本田宗一郎の著書の出版に協力。83年から3年間、本田氏とソニーの創業者である井深大氏が代表世話人となった「行革推進全国フォーラム」の事務局長を委嘱された。著書に、本田宗一郎遺談『人生はアマ・カラ・ピン』(講談社文庫)、『詩集 金色の鳩百羽』(モビリティ文化出版)等

<カメさんの一言>この本は、筆者が本田宗一郎から直接聞いた話の中でベンチャーを志す人に役立ちそうなところを書き出している。

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    本田宗一郎 美しき晩年         晩年の秘書 辻 均著                

辻 均著、産能大学出版部刊、ISBN4−382-05370-6 ¥1600E、203ページ 1996年10月20日 初版発行 

☆本書について・・・・「人生着地が一番大事だ」。として晩年をすごした本田宗一郎の人生の幕引きはどのようなものであったか。「さわやかな引退」を副社長・藤沢武夫とともに果たした後の本田宗一郎真実の姿を晩年の秘書として側近く仕えた著者が綴る珠玉の書!

<目次>

プロローグ 本田宗一郎、最晩年の秘書として語り継ぐべきこと

第一部☆生涯潔い生き方を貫いた本田宗一郎

  1、さわやかな引き際が晩年を美しくする  人生は着地が一番大切だ/社長退任の即断/幕引きは自分の手で/”老害”は公害以上に問題だ/全国お御礼行脚の旅/苦境の克服を先人から学んでいた藤沢顧問/退任後のシステムづくり/”自他一如”の経営

  2、人に迷惑かけるな   父に教えられた三つの原則/時間は生命そのものだ/約束をまもることは信頼関係の故本/嘘が言えない人

  3、人間を大事にしない経営者は必ず失脚する  傲慢が身を滅ぼした経営者/公私混同は経営者失格の兆候/取引先の経営者もチェックせよ/宗一郎の英雄観/信長に魅かれつつも/人間の魅力/経営者の大原則は”愛”/企業が繁栄する秘訣は高い給料を払うことだ

  4、終生貫通した奉仕の精神  客よりウチを優先するな/入り口と出口が一番大切だ/責任者の責任を問う/俺の名前をつかって更送しろ/役職者になったら/「担当外だから知りません」は許されない/自分の仕事は人任せにするな/経営は常に未来を見据えて財産づくりをしておくことだ/リーダーに一番大切なことは”明るさ”だ/経営の目的をはっきりさせよ/幸福を呼ぶ石

  5、ホンダイズムの原点    自分のために働け/失敗をおそれるな/無理を通すところに成長がある/努力する人間には必ず報いる/三十歳のオッサン学生/「見学」ではなく「観学」せよ/技術は人間に奉仕する一手段にしかすぎない/良品に国境なし/アメリカで最後発だったホンダがトップになった理由/会社に垣根をつくらない/面接官を面接せよ

第二部☆本田宗一郎、美しき晩年

1、晩年の公職活動での活躍   行革フォーラムへの参加/改革はバランス感覚をもってする/円高をどう乗り切りるか

2、生き方が刻まれた顔   お客さまが見えなくなるまで見送る/一週間以内のお礼状/世界中の人をとりこにした繊細な心づかい/贈りものは可能な限り最高のものを/生き方が刻まれた顔/人情の機微は花柳界で学んだ/自ら道化を演じる/お小夜の里/自然体の生き方が教えてくれたこと

3、晩年の校友   終生の友・井深大/異質だったからこそ魅からあった五島昇/竹馬の友・山崎夘一

4、六十過ぎの手習い  幼いころからのあくなき好奇心/先端技術への憧れ/六十過ぎの手習い/はじめての弟子/ほんものを見抜く目/老いた虎/六十過ぎからのゴルフ/デビッド・イシイ誕生秘話/プロとしての厳しさを忘れるな!/ズボンのファスナーを長くしてくれ1・馬さし三味

5、悪い子に期待する・・・宗一郎の教育論   ホンダ学園の志/悪い子に期待する/時代に即応した教育を

6、病いとの闘いの日々   毎朝の注射/病気に効くものは何でも試す/美しい”着地”へのセッティング/もの忘れにつける薬はないか/半身の死/実行されなかった遺言/葬式は無用/安らかな最後/墓碑銘は名前だけでいい

<立ち読みeyes only>

幸福とは棚からぼた餅のように簡単に手に入るものではない。自分の力で勝ち取らなくては本当の幸福とはいえないのです。仕事をしていく過程でいろんな苦労にぶつかるはずだが、それを乗り越えてこそ、本当の喜びも遣り甲斐も生まれる。

新入社員に・・・この会社に新しい思想、新しい風を入れるのが君達の役目なんだ。君達が入っても会社が同じであったら、君達に能力がないことになってしまう。

<著者紹介>  辻 均 (つじ ひとし)

1941年山梨県生まれ。1964年本田技研工業(株)入社後、本田宗一郎出資のハワイ・パールカントリクラブの総支配人および、晩年の本田宗一郎専属秘書として側近くに仕え、その謦咳にせっする。現在、(株)アルプス技研取締役

<事務局より一言> この本の特長は、晩年の秘書であった著者の目を通して本田宗一郎さんを語っているところにある。全体に本田宗一郎の人がら、逸話を、過去の参考本を利用して纏めている。ホンダの開発の歴史や苦闘は中心ではない。晩年の本田さんを側いいた著者から知ることが出来る。しかし、最晩年は、やはり、悲しい。物忘れが進行し始めるところ、身体の痛いたしい衰えなど。良く纏めてあるので本田宗一郎さんを始めて知りたいかたには良い。★★★☆<やま>

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  人間紀行  本田宗一郎との100時間           城山三郎著        

城山三郎著、講談社、ISBN4−06-201289-8 ¥1600E、331ページ 1984年9月21日 第1刷発行、1992年4月10日 第4刷発行 

"世界のホンダ”を創りあげた人間・本田宗一郎の魅力の全て  戦後日本を驚異的なエネルギーで突っ走った創業的経営者・本田宗一郎。その独特な発想力と人間哲学を本田宗一郎との100時間を通して探る画期的人間紀行。

・・・昔はずいぶん楯ついた感じじゃないですか。「ええ、楯つきましたよ。楯つかないヤツはおかしいですね」(中略)   「みんな楯つく。楯つくということは、まず第一に人のいうことでは仕事をしないよという自分の個性をもっているということ。 第二としては、論理が違うということ。もうひとつは世代が違う。そういういろいろな違いがある」本文より

<目次>      

[第一章] 土曜日 、第二章 土曜日の夜、[第三章] 日曜日、  [第四章] 月曜日、 [第五章] 火曜日、 [第六章] アユ釣りパーティ・・ゲストハウス・・アリとトンボ・・忘れる名人、 [第七章]  あれこれ前半生・・銀座の事務所・・故郷・・父母・・少年時代・・デッチ奉公時代・・翌年が関東大震災・・修理屋時代・・さちとの結婚・・工事主時代・・空白期    [第八章] ひたむき後半生・・39歳(昭和21年)、41歳(昭和23年)、43歳(昭和25年)、45歳(昭和27年)、47歳(昭和29年)、52歳(昭和34年)、53歳(昭和35年)、54歳((昭和36年)、56歳(昭和38年)、57歳(昭和39年)、61歳(昭和46年)、66歳(昭和48年)   [第九章]  こよなきパートナー・・新婚三日目から・・男泣きする夫・・妻だけの野菜づくり・・夫婦でバタバタ・・希望は大きく・・妻のパイロット免許  [第十章]  あるライバル・・目標は本田・・さまざまなつまずき・・ライラックの墓・・興亡のあと [第十一章] もう一人のパートナー・・堂々の常盤津・・読書家そして理論家・・仲良しの秘密・・藤沢式経営術・・首くくりの松・・こわいのは頭のストライキ・・フォードになるな・・空冷か水冷か・・「使う身になって」・・「振り向かない」・・めったにない人    [第十二章]  さわやかなご隠居・・握手旅行・・お礼奉公・・父親としての本田・・野武士から仙人へ・・かわいい悪だくみ・・反乱の筆おろし・・にぎやかなゴルフ・・工場かけ抜け・・夫への注文・・三代目への礼儀・・息子と一緒に・・理不尽がいえる・・人生に悔いなし

(立ち読みeyes only)・・・・本田は凝り性で改良に改良を加えるため、発表の日に新車が間に合いそうになくなった。このため、本田を中心に、30人ほどが徹夜につぐ徹夜。 深夜になると、本田夫人が夜食にうどんをつくって出す。腹の減った若者達が殺到して、列をつくる。50歳近い本田は、最後尾である。 「社長、前にどうぞ」といっても、本田はかぶりを振るばかり。砂岡はその姿を見て、「こういう人の下で、生涯働きたい」と心に決めた。・・・

・・・・・・・後にトヨタ中興の祖とまで言われた石田退三は、次のような感慨をもらしたという。「わしはこの年までに”恐ろしい男を”二人見た。無茶苦茶といおうか、われわれ凡人の頭では測りようのない発明研究家だ」 その二人の恐ろしい男とは、一人が豊田佐吉、一人が本田宗一郎である。・・・・

<著者紹介>城山三郎  (しろやま さぶろう)

1927年愛知県名古屋市生まれ。作家。東京商大に学ぶ。『総会屋錦城』で第40回直木賞受章。以後経済小説、歴史小説と幅広く活躍。 著書に『勇気堂々』『落日燃ゆ』『外食王の飢え』、訳書に『頭にガツンと一撃』などが多数ある。

(2000年4月28日購入本より)

<カメさんのコメント> 城山さんの本は良く読みました。今、年頭の小渕首相との対談も見ました。書籍が読まれなくなった話しがでました。さて、この本は、さすがに、すーと本田宗一郎の世界に入っていくような感じがします、文筆力は、今回、読んだ本の中で抜きん出ているように思います。これは仕方がないですよね。 内容的にも、どの本に書かれている本田宗一郎の逸話としされている事も、直接本人に聞いたりして真実に迫ろうとしてる。したがって、本田宗一郎について、どういう人なのか概要を知りたいという人にとっておすすめできます。★★★★(2000年4月2日購入本より)                              

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  偉大なる職人経営 本田宗一郎          針木康雄著            

針木康雄著、講談社、ISBN4−06-190922-3 、241ページ 1987年6月24日 第1刷発行、¥1200 

(まえがき) 

・・・この本を書き下ろすことで、あらためて本田の一生を振り返ってみると、”偉大なる不良少年”というサブタイトルが、非常にふさわしい気がした。・・・派手な赤のシャツであらわれた本田は「このあいだ、アメリカに行ってね。白人に気圧されちゃいけないと思い、サンフランシスコで、まず、女を買ったんだよ。そうしたらさ・・」といきなり、ワイ談からはじめた。 初対面である。しかも、すでに、「カミナリ族元祖」などと言われた、人気社長である。私はドギモを抜かれたというか、あまりの型破りなのに、あっけに取られた。・・・・

 (第一章)  現場第一、若さ優先の企業哲学

 (第二章)  技術革新への執念

 (第三章)   天才型職人の先見力

 (第四章)  コンビ経営による一気呵成の経営

 (第五章)  危機が成長へのバネ

 (第六章)  もう一人の本田、もう一人の藤沢

(経営者の真髄・年表)  松下幸之助、本田宗一郎、豊田英二、盛田昭夫、中内功、稲盛和夫、堤義明                                  

<著者略歴>  針木康雄 (はりき・やすお)

昭和6年に小樽市に生まれる。昭和26年に早稲田大学文学部に入学、大学時代から経済記者として活躍。昭和32年に財界研究所に入社。昭和50年に雑誌「財界」の編集長となり、昭和56年に代表取締役・主管となる。昭和58年に経済評論家として独立、針木事務所を設立する。「財界」時代に培った人脈は幅広く、現代の一流経営者に最も信頼されている経済評論家である。著書に『一流社長は人づかい上手』『生存力』『侠気のすすめ』など多数がある。

<事務局から一言>元気な時の本田さんの姿が、眼前に浮かんできて、思わず吹き出してくる。愉快、爽快です。読みややすく、誰にでもお薦めできる。★★★☆

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その他の参考本・・・・・・・・・ネット書店、大型書店、出版元、図書館、古本屋などで探してください。

1,「大変な時代に克つ会社 本田宗一郎のメッセージ」 日本製造業復活のために  白岩礼三著  光文社カッパブックス ISBN4-334-00613-2  198ページ 1998年2月発行 819円 

2、「本田宗一郎語録 昭和の天才独創家」 本田精神継承研究会編  ソニー・マガジンズ ISBN4-7897-1006-8 229ページ  1995年9月発行

3、「F1おやじ 本田宗一郎の生涯 :エンジンにいのちをかけた男」  高橋透   汐文社(東京)  ISBN4-8113-0266-4  1994年9月発行

4、「世界が俺を待っている  本田宗一郎伝」  中部博著  集英社(東京)  ISBN4-08-780128-4   415ページ1994年4月発行

5、「ひとりぼっちの風雲児 私の敬愛した本田宗一郎との35年」 中村良夫著 山海堂(東京)  ISBN4-381-97685-0  235ページ   1994年1月発行

6、「本田宗一郎F1伝説 死の直前に語ったレースへの夢と哲学 海老沢泰久解説 イブ・デリスブール著(福田素子訳) 徳間書店(東京)  ISBN4-19-355168-7   266ページ   1993年4月発行

7、「技術と格闘した男 本田宗一郎」  NHK取材班著  日本放送出版協会 ISBN4-14-080049-6 222ページ  1992年7月発行

8,「本田宗一郎思うままに生きろ」  梶原一明著  講談社 ISBN4-06-205724-7  301ページ 1992年3月発行

9、「もう一人の本田宗一郎 本気で怒り、本気で泣いた男」  原田一男著 ごま書房 ISBN4-341-01522-2  216ページ  1992年9月発行

●まだまだ参考になる、おもしろい本があったら教えて下さい。本田宗一郎さん、藤澤武夫さんを慕う皆さんの為に追記します。

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hondaryku

<本田宗一郎さん略歴>

明治39(1906)年11月17日、静岡県磐田郡光明村(現天竜市)に生まれる。 大正11年高等小学校を卒業し、東京本郷の自動車修理業アート商会へ奉公。 自動車との出会いは小学校4年の時、村に初めて自動車が通り、以来自転車で必死に自動車を追いかけガソリンの匂いをかいで喜んだ。  昭和3年のれん分けでアート商会浜松支社を開いたが、閉鎖。昭和9年東海精機を設立しピストリング製造に乗り出したが鋳造技術の未熟を知り、浜松商工に2年通う。太平洋戦争中、トヨタの資本が入り軍需工場となり従業員数千人の大企業になったが、戦後トヨタに全株を売却。

昭和21(1946)年10月浜松市に本田技術研究所を設立、ゼロからスタート。食塩製造機、スリガラス機械など次々とつくり「日本のエジソン」の異名をとる。やがて旧軍隊の通信機用小型エンジンを改造、自転車に取り付け売り出し、大ヒット。エンジン製造へと進む。

昭和23(1948)年9月本田技研工業を設立して、オートバイの生産を開始。24年2サイクルエんジンのドリーム号、27年自転車につけるカブ、29年スクーターと矢つぎばやに新製品を投入、40数社でしのぎを削ったオートバイ業界で急速にシエアーを高め寡占化に進む。

29年英マン島のオートバイレースに挑戦宣言、36年完全優勝を成し遂げた。このころから、欧米、東南アジアで「ホンダ」の名が知られるようになり、輸出が急増、世界一のオートバイメーカーの名声を確立した。37年四輪車へ参入。まず小型スポーツカーのS500.39年四輪車本格的量産工場を完成。 「やるなら一番乗り」がモットーで、オートバイ輸出、のちの米国工場進出などを始めなにかが一番乗りでないと納得しない。そのためアイディアコンテストを盛大に開いているがCVCCエンジンも一番乗り。四輪車開発が効率より公害対策にうつることを見越して、クリーンな燃焼ができるCVCCエンジンに着目、48年世界に先駆けてマスキー法(米国の大気汚染防止法)をクリア、同年12月搭載車を発売。「需要は創り出すものだ」「思想なき技術に進歩なし」など独特の経営哲学と、経営者としての限界を知り、パートナーとして藤沢武夫に経理など一切を任せたことが、今日のホンダを築いた。

昭和48(1973)年10月藤沢副社長とともにさらりと後継者達に譲って退任。現役引退後は幅広い社会文化活動に貢献し敬愛をあつめた。1989年日本人として始めてアメリカ自動車殿堂入りした。1991年8月5日、肝不全の為、東京順天堂病院で逝去。享年84歳。81年勲一等瑞宝章。91年同旭日大綬章叙勲。

 

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  最終更新日 : 2003/03/22