■現場の声


 

「我が愛しの建築家」への手紙

川口通正建築研究所 川口 通正

  突然のお手紙で恐縮ですが、僕が長い間、建築家・宮脇檀の熱狂的なファンであることを告白しようと積年の思いを手紙に書くことをお許しください。

20代初めにあなたの作品を目にして以来、これまでのあなたの著作の全てを読破し、作品も東京近郊の住宅については建築雑誌に発表したものはほとんど実作を見るほど熱狂的なファンでしたが、つい最近まで僕自身、もう心の底では宮脇ファンを卒業したと思っていました。そのあなたが1998年の10月に62歳で亡くなったことを機に、告別式やお別れ会への出席、そしてその後の二次会で仕事場を訪れてあなたの机に座り、40代後半になった現在でも僕のあなたに対する思いは変わっていないことを再認識させられ、やはり本心は相当なファンであった自分を僕自身で発見してしまったという次第です。少し病的かもしれません。ですからこれは、あなたへの熱烈なラブレターなのです。でも僕が一方的にそう告白しても、天国のあなたは「お前が勝手に熱を上げた自分の話など聞きたくもない」と言われるかも知れません。

 あなたは社会では有名な建築家の宮脇檀(みやわき・まゆみ 1936年名古屋生まれ)として広く知られています。著作やエッセイを読んだことのある人もたくさんいることでしょう。とても分かりやすい文章で家づくりのこと、生活のこと、旅のこと、料理のこと、僕たち建築家の世界のことなどいろいろな話をその中に書いています。僕が30年もの長きにわたって、熱狂的に愛し続けてきた宮脇檀は死ぬまで建築への情熱を捨てませんでした。そしてあなたの文章や住宅作品は、家づくりの会の設計者のように住宅設計が大好きでたまらない建築家の多くに影響を与え続けてきました。僕が25年近く前に、あなたの話しっぷりと著作と建築作品に強烈な影響を受けて20代を駆け抜けてしまったのもその現れです。あなたを知ってからの長い時間の経過の中であなたの考えは僕たちの精神に宿って、今日僕たちがそれぞれ持っている石のように固い家づくりへの思想になっているのです。

 あなたがいなくなった後の住宅設計の世界では、住宅設計の難しさを大きな声で叫び続けている人間は個人ではなかなか見当たりません。住宅のことはやはりあなたのように良く仕事を理解している建築家の分かりやすい文章がいちばん社会的に説得力を持っていると思います。そういう点では住宅を語れる文筆家としてのあなたを亡くしてしまったことは僕たちにとって大変大きな損失です。もうあなたの新しい作品や文章に出会うことはできませんが、これまでのあなたの著作を再読することや多くの建築雑誌や単行本に載っている作品写真をもう一度見直すことによって、今僕たちが直面している問題を解決する糸口を見つけられるのではないかと思っています。

 少し話は変わりますが、あなたはたくさんの建築家や文化人に慕われていました。その人たちへのメッセージの中で、美しいことが一番で、その次に機能性が大切だと良く言っていましたが、実際の作品では必ずしもそうではなく、居間や台所などを中心に人間が快適に暮らすための空間を様々な宮脇アイデアによって成立させています。ですから、美しければ使いにくくても良いというようなことは実際には性格的にできなかったようですね。

 あなたが私淑していた建築家に吉村順三という芸大の先生がいますが、あなたがその吉村流の仕事にぞっこん参っていたことは今では大変有名な話になっています。吉村先生の住宅は美しくて使いやすくて、人に優しい住宅です。普通の技術と生活に根づいたアイデアで考え尽くされた気持ちの良い住宅です。あなたがその仕事と吉村先生の人間性に強く惹かれていたことを今ではみんなが知っています。その吉村先生の住宅の良さをより一層社会に知らしめて住宅設計の大切さを大きな声で伝えたこともあなたの忘れてはならない功績です。今僕たちが悪条件の敷地に住宅を設計するとき、それを逆手にとって楽しく快適に暮らせる家を何とか作ろうとし情熱を掛けることも、元はと言えばあなたがやってきたことの二番煎じです。あなたは、街が今みたいに密集する以前の1960年代終わりからそれをもう予測していたのですね。

 またあなたが文章にも書いていますが、世界も含めてあらゆる有名な建築物を見狂って(宮脇流の言い回し)いたこともつとに有名です。そのくらい建築大好き人間だったことは羨ましい限りです。

 そしてあなたは教えることがぴったり似合うすばらしい先生でもあって、常に学生たちに人気があったそうですね。僕たちの会の泉幸甫さんの話によれば日大の講義の時、誰よりも先に来て学生一人一人の机の上を丁寧に拭き掃除をしていたということを聞きました。そんな先生が今時どこにいるでしょうか。その学生さんたちが聞いたら涙を流しそうな話です。

(写真:宮脇檀設計「松川ボックス#2」
1970年代の落ち着いた中庭を持つ代表作品)

 またこれは僕が勤めていた設計事務所のN先輩の話なのですが、1960年代末の法政大学での講義の折、あなたが話しだしたらまわりにいた何人もの女子学生が黄色い声を張り上げ、驚いたN先輩がまわりを見渡すと大勢の他の大学の宮脇ファンに取り囲まれていたそうですね。その時の壇上のあなたのファッションは真っ赤なタートルネックにブルージーンズ、ヘアースタイルは今で言えば田村正和風?で車はジャガーに乗ってきたとか。何とカッコ良いことでしょう。会場はさながら音楽の人気グループのコンサートのようになったとか。設計事務所の貧しい所員の僕にとってはこの話はしばらくの間、羨望の的でした。

 話を再びあなたの住宅のことに戻しましょう。あなたは住宅における混構造の作品をたくさん設計しました。(混構造とは、1階を鉄筋コンクリート壁式造に、2階を木造にしてそれぞれの工法の利点を混ぜ合わせてコストダウンを図り、木の良さとコンクリートの良さを引き出す構法で、2階に居間、食堂、台所等の主空間を取って全体の生活を2階中心にするプランニング)

 陽の当たる2階をリビングやダイニングにするのは当たり前のことですが、当時なかなかそれを実現した住宅はありませんでした。そのあなたの代表作が、千駄木の「船橋ボックス」(1975年完成)や早稲田の「松川ボックス#2」(1978年完成)、そして1階にリビングを配した「あかりのや」(1967年完成)のプランをそのまま逆転させたような「三宅ボックス」(1974年完成)でしょう。おそらく都市の過密化を考えて、1960年代から2階に主空間を持っていくことを提案していたのはあなただけだったのではないでしょうか。

 また行動範囲の広かったあなたは古建築や集落のデザインサーベイから始まって建築物のディテールに至るまで飽くなき興味と研鑽を示しました。また多くの一般向けエッセイで、家づくりの楽しさと苦しさを社会に向けて分かりやすく叫び続けていました。すばらしいことでした。

 ここで30年近く前に僕があなたという建築家をぞっこん愛するはめになってしまった話をしたいと思います。それは1970年初頭のことです。神田駿河台下の南洋堂という建築書の専門店の、崩れそうに汚く積み上がった雑誌の山の中から「新建築」という建築雑誌のバックナンバーを引っ張り出してしまった時に始まります。今にして思えば運が良かったのか悪かったのか、その表紙の作品に「秋田相互銀行・盛岡支店」という真っ黄色な箱建築が載っていました。当時の日本ではこのような黄色の建物などどこにもなく、みんなこのドハデさに驚き、そのセンスの良さにも納得したのでした。この作品に出会ってあなたのことを僕は調べ始めることになってしまいました。そして1966年完成の処女作である「もうびいでいっく」の載っている「1967年1月号・新建築」を手にしてからというもの、あなたの作品の掲載書物は全て揃えるようになるのです。

 そして1976年頃だと思いますが、当時新宿御苑前の地下ホールで行われていたキボークロスという企業主催の「キサデコールセミナー」という講演会にあなたが出るたびに通い続けることになりました。既に僕は熱狂的な宮脇ファンでした。そのセミナーであなたと西澤文隆先生(元坂倉建築研究所主宰・品川駅前のホテルパシフィックの設計者)のお二人にお会いする機会に恵まれ、更に神戸の「渦ガ森の家」(木村ボックス)の図面展を見ることができました。図面展ではA2版の実施設計図がたくさん展示されていました。その図面の多さに若かった僕はずいぶん驚かされたものです。その時のあなた曰く「“図面をたくさん描くな”と言っても担当の山崎健一が描いてしまうのだ」と言って「そんなに描くから事務所が赤字になる」とも笑いながらこぼしていたのを覚えています。その言葉は今でも忘れずにいるくらい強い印象を僕に残しました。そして僕の事務所の所員が図面を描き過ぎた時、その言葉を思い出してニコニコしています。今にして思えば大変有り難いことに、僕の事務所が日常的に図面をたくさん描いて、それによって住宅の質を全体的に高めようとする行為も、この「渦ガ森の家」のあなたの図面展に多大な影響を受けていると思います。

 あなたが僕たちに残してくれた遺産は、僕たちが日々の設計活動を通して一軒一軒の家に生かしていかなければならないのだと改めて思う次第です。できることならば、あなたのように死ぬまで建築が好きで住宅のことを考え続けたいと思っています。もしそれができたなら、僕は建築家として本当に幸せに死ぬことができると思っています。
 本当に、宮脇檀さん、あなたは素晴らしい建築家でした。

★ 宮脇檀さんの書いたお薦めの本(著作の一部)
 「日本の住宅設計」(1976年彰国社刊)
 「新・3LDKの家族学」(1982年グロビュー社刊)
 「日曜日の住居学」(1983年丸善刊」
 「住まいとほどよくつきあう」(1987年新潮社刊)
 「それでも建てたい家」(1991年新潮社刊」
 「父たちよ家へ帰れ」(1996年新潮社刊)
 「都市の快適住居学」(1996年PHP文庫刊)
 「最後の昼餐」(1997年新潮社刊)
 「男の生活の愉しみ」(1998年PHP研究社刊)
 「“いい家”の本」(1998年PHP研究社刊)

 

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