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【演奏会告知】P2演奏会「花鳥風月 〜無常の美に寄せて〜」
2014年12月20日(土)かつしかシンフォニーヒルズにて開催。リャプノフ、フェインベルクを演奏します。入場無料。

ジョン・ケージの普通のピアノ曲

はじめに

ジョン・ケージ(John Cage 1912-1992)のピアノ曲として、最初に思いつくのはどんな作品でしょうか?一般的にはプリペアドピアノのための作品が比較的有名ではないかと推測します。2台のプリペアドピアノのための「3つのダンス」(1944-5)や「ソナタとインターリュード」(1946-8)などの傑作が存在します。

今回は敢えてプリペアド作品を避け、偶然性を取り入れた作曲技法に開眼した1950年台以降のノンプリペアドピアノのソロ作品に絞って、いくつかの作品をご紹介します。プリペアドされていないという意味で普通のピアノ曲とタイトルを付けましたが、一般的な意味で普通なのかどうかは、読者の方のご判断にお任せしたいと思います。では、ケージ中期から晩年までの旅路をお楽しみください。

  1. 易の音楽
  2. 沈黙、作曲法の提示
  3. エチュード・オーストラルズ Etude Australes:南天のエチュード
  4. ASLSP
  5. ONE、ONE5 〜 晩年のナンバーピースシリーズから

易の音楽 Music of Changes

「易の音楽」は、偶然性を積極的に取り入れた初めての作品「心象風景第4番」と同年の1951年に作曲されたピアノソロ作品です。なぜ、ケージは偶然性を取り入れることになったのか?その必然について簡単にまとめてみます。

ケージは初期の頃、音楽の構造化に取り組んでいました。従来の音楽の主流であった和声システムの構造化から離れ、時間の構造化を採用したりしました。例えば、フラクタルのように、部分の時間・リズム構造が全体の構造と同じになっている等。このような構造化は、主観的な決定をなるべく避けるような方向へと進んでいきました。

同じようなことはブーレーズも1952年作曲の「構造第1巻a」で行っています。ある初期値を与えると、音符が作曲者の意志と独立にプロットされる仕組みを作り、自動的に作曲しました。

なぜ彼らが主観を排除しようとしたのか。私の想像ですが、一つは、バッハが極めた作曲技法に起因するのではないかと推測します。対位法、フーガ・カノンの技法など厳格なルールを拵えることにより、崇高な音楽が生まれたという事実があります。そのルールそのものを一人歩きさせたら、音楽的に面白い効果が現れるのではないか…。もう一つの大きな理由として、人間の限界を超えるために、自分の意志を超える作曲をするための技法を用意する必要があった、という捉え方もあるでしょう。

ケージは1951年、無為の境地に立って作曲する方法を見つけます。それがイー・チン=易の占いです。彼は実際には3枚のコインを投げることでイー・チンを代用しました。テンポや音の種類(単独音、和音、複雑な線的事象、騒音、沈黙)、音高、強弱、持続の値(選択、写像)を、それぞれの表に予めプロットしておきます。表の要素数(大きさ)は、それぞれ16〜64個と違いがあります。3枚のコインを数回投げることとで、表のどの要素を利用するかが決まり、それを一つ一つ五線譜に書き込んでいったのです。

コイン投げという、完全な偶然性を利用した作曲なので、理屈上は簡単なように感じますが、この手順を実践すれば分かるように、大変な労力を必要とします。実際「易の音楽」には9ヶ月かかったそうです。

では、譜面を見てみましょう。五線譜ですが、伝統的な記譜法ではありません。四分音符分の長さが2.5cmと定義されています。テンポによる揺らぎはありますが、各箇所において、音符と音符の距離が経過時間に比例しています。旗の数は大体の目安でしかありません。

譜例

上の楽譜4小節目、テンポがあがった瞬間からほとんど音符がないのが面白いですね。偶然の産物です。以下の譜面では、現実的には演奏不可能な箇所です。ケージは次のようにアドバイスしています…「このような場合、演奏者は各自の裁量を用いて対処するべきである」。コイン投げが人間の限界を超えた瞬間とでも言いましょうか。

譜例

次の譜例では、3本のペダル指示が、それぞれ実線(サスティン)、破線(ソフト)、一点鎖線(ソステヌート)で同一箇所で細かく指定されています。二本の足では実現不可能ですね。音符の強弱指定も強烈です。

譜例

以上の譜例は全て第1巻から引用しました(Peters)。第1巻は内部奏法もなく4分程度で終わる小品なので演奏会で取り上げるにもお勧めです。残りの第2巻から第4巻は10〜20分かかり、内部奏法やキーカバーの打撃等が加わります。全体で45〜50分程度かかります。偶然性から成り立った作品、という割には、ピアニストに最高度の技巧を要求し、人間を厳格に制御することになりました。

この作品は、器用になんでも演奏するDavid Tudorに捧げられ、初演されました。現在も彼の演奏はCDで聴くことが出来ます。チュードアのヴィルトゥオージティがあったからこそ生まれた作品であるとも言われています。その他、ヘンクによる全曲、高橋悠治による第1番がCDに録音されております。

連載第1回 2004/3/3

沈黙、作曲法の提示

score 次にご紹介するのは普通のピアノでも演奏可能な作品2曲です。一つ目は「4分33秒」(右図)です。

1952年チュードアにより初演されました。演奏者はいっさい音を出すことなく、ある一定時間を経過するのを待つだけの沈黙の音楽です。ピアノによる演奏(?)でしたが、実際は楽器の指定はありません。フルオーケストラでも可能です。

ケージはこの作品により、完全に作曲家の個性を消し去りました。無為の境地に達したわけです。しかし、この作品は真の沈黙を目指したわけではありません。ケージ自身、生きている人間にとって完全な無音が存在しないことを知っていました。無響室でも、心臓の鼓動や神経系統の音が聞こえてくるそうです。人間が耳を澄ましたとき、自然に聞こえるもの全てが、音楽になりうる、という哲学を具現した作品といえます。

例えば、皆様も帰宅途中に何が聞こえるか指折り数えてみると、その種類の多さに驚くと思います。R.マリー・シェーファーの「サウンド・エデュケーション」等を参照。

score

「沈黙」に達したケージは、次は多彩な作曲法を提示することを始めます。例えば、Variations第1番(左図)では、5本の線が書かれた透明シート5枚と、ランダムに点が書かれた透明シート1枚が楽譜として提供されます。各点から各線へ引いた垂線の長さが(5つの線それぞれについて)、周波数、倍音構造、音量、持続、音の位置となるわけです。従って、線の役割を決定し、線が書かれたシートを点が書かれたシートに重ねた瞬間に、演奏すべき音が全て決定することになります。これもそれなりに手間はかかりますが、「易の音楽」に比べれば、譜面作成まで遙かに省力化できます。

「何人の演奏家が参加してもかまわない。また使用する楽器は何種類でもよく、何個の楽器を使用してもよい」と指示されています。従って、普通のピアノでも演奏できますね。

この時期、ケージは五線譜から離れ、数多くの図形楽譜を送り出します。見た目にも楽しい楽譜群ですが、他の作曲家が提供するものとは意図が違います。図形のイメージから受ける印象を音楽にすることや、即興性は求められていません。図形は自由に変化し、人間の意図とは離れた偶然性・ランダムによる音楽を製造するために存在します。従って、どんな作品でも、指示された通りに、演奏者(or編曲者)が記譜し、じっくり練習しなければなりません。

連載第2回 2004/3/12

エチュード・オーストラルズ Etude Australes:南天のエチュード

次にご紹介するのはEtude Australes(1974-75)です。これは南天球の星座図を元に作曲された全32曲からなる練習曲です。全曲の共通項は以下の通りです:

  1. 左右それぞれの手に大譜表(2段分)が与えられています
  2. 左右の手は、それぞれ与えられた2段の譜表以外の音を弾いてはならない(片手がもう一方の手を手伝ってはいけない)
  3. 各曲の最初に、菱形白抜き音符で書かれた単音または和音は、音を出さずに鍵盤をおろされ、ソステヌートペダルによって最後まで持続されます
  4. 各音間の水平距離は時間経過の相対値を示します
  5. テンポは演奏者にゆだねられます
  6. 各音の音量は演奏者にゆだねられます
  7. 黒音符:短いアタック、白音符:出来るだけ持続させる

以下は第8番の冒頭です。4段ありますが、これで一人分の譜面です。最初の左手の和音は、1曲を通じて打弦はされず、共鳴によって響きます。この練習曲集の最大の特徴であり、これによって生まれる響きが、宇宙的な雰囲気を醸し出しています。CDではなかなか分かりませんが。

score

白音符の下部から実線が右にのびている場合はそこまで指を押さえることで音を持続させなければなりません。これを実行させようとすると、左右の手を交換することが難しいことが分かります。

この練習曲集は、グレート・サルタンに捧げられました。小柄なサルタン女史が、内部奏法がある「易の音楽」を懸命に弾いている姿に感化され、ケージが彼女用にカスタマイズした内部奏法がない普通のピアノ曲を作曲しプレゼントしたのです。

サルタン女史の片手で演奏可能な、546の5和音、520の4和音、81の3和音、28の音程を音素材とし、星座図と易を元に音素材と配置を決定していくことで作曲しました。従って、各和音は常に9度以内で書かれており、「易の音楽」と比べれば演奏可能なように思えます。しかし、、、(第29番の譜例をご覧ください)

score

、、、この通り、超絶的技巧を要する作品となっています。実際ケージは、この作品を演奏する際、各箇所においてテンポを変えることを許可しています。全ての曲はA3 2ページで終わりますが、演奏時間は一般にまちまちです。譜面上、アルファベットのS〜Xが書かれているところに櫛状の音符のない線束があります。これらは、線の数だけ和音を奏する必要がありますが、譜面上に収まりきらないため、別のページに弾き方が載っています。定量記譜法の限界といえます。

ケージは他に「エチュード・ボレアリス」(Vc+P)、「フリーマン・エチュード」(Vn)を作曲しています。これらに関して、次のようなコメントを残しております:「私は『エチュード』のようなそれまでとは全く違った音楽を書くことに興味を持つようになっていましたが、そう考えるようになったきっかけは、大多数の人々が世界の秩序に対して希望を失っているという現実でした。私は音楽家がステージ上で不可能な要求に立ち向かうようにし向けることで、人々が振る舞うやり方の範例を提供できるのではないかと考えたわけです。私は、この作品から影響されて、世界を変革しようと行動し始める人々が現れてくれたらうれしく思います。」

一度「沈黙」に達し、ありのままの音を楽しむことを提供していた作曲家は、五線譜に戻ると共に、作品に彼の思いを託すことを開始したのです。

録音としては、初演者であり被献呈者であるGrete Sultanによる演奏(3枚組)が聴けます。その他、Schleiermacher(3枚組)、Crismani(2枚組)の録音があります。Crismaniはテンポは速いものの、楽譜からかなり逸脱しており、お勧めできません。高橋アキによる第8番も、楽譜にない和音が所々に挿入されていて不可解です。

連載第3回 2004/3/14

ASLSP

ASLSP(1985)はEtude Australesから10年後に作曲されました。ピアノソロまたはオルガンソロのために書かれており、全8曲からなります。記譜法と演奏法はEtudeとほぼ同じです:

  1. 左右の手は、それぞれ与えられた譜表外の音を弾いてはならない(片手がもう一方の手を手伝ってはいけない)
  2. 各音間の水平距離は時間経過の相対値を示します
  3. 各音の音量は演奏者にゆだねられます
  4. 黒音符:短いアタック、白音符:出来るだけ持続させる

異なるところは、2段譜であること、菱形音符がないこと、そして、テンポです。

score

譜例は、第1番全曲です。ASLSPAs SLow aS Possibleを略したタイトル。つまり、出来る限りゆっくり演奏しなさい、という訳です。Etudeが部分的にテンポを落とすことを許していた…つまり、可能な限り速いテンポで弾くことを暗に要求しているのと、逆になります。

ありそうでなかったこの指示。あなたならどのように解釈しますでしょうか。演奏会に配分される最大限の時間を考慮するか、一日に起きていられる最大時間を考慮するか、あるいは、人生の長さを考慮するか…最後のは予見が難しいところでもありますが。ちなみに、Schleiermacherによる演奏は全8曲で17分弱です。

このように、を意識した作曲は、最晩年の作品群ナンバーピースに受け継がれていきます。

連載第4回 2004/3/28

ASLSP ■2006/5/8追記:ORGAN2/ASLSP(1987)[右図]が現在演奏中です。639年かかるそうです。上記ASLSP(1985)とは異なる作品で、1987年の作品はオルガン専用となります。詳しくは公式HP参照:ASLSP - John-Cage-Orgel-Kunst-Projekt Halberstadt

2006/5/8追記、 2012/7/8 URL差し替え

ONE、ONE5 〜 晩年のナンバーピースシリーズから

ONE for piano(1987)は、ASLSPと同年12月にピアノソロのために書かれた作品です。そして、これはまた晩年のナンバーピーシリーズのスタートとなった重要な作品ともいえます。

ナンバーピースとは、タイトルが数字だけで成り立っている作品のことを指します。「ONE5」は、ソロのための「ONE」という作品群の5番目の曲、という意味です。ONEはONE13(for one live cello and three recorded cellos, 1992)まであり、弦楽四重奏曲はもちろんFour(1989)ですし、最大の編成の作品は108(for orchestra, 1991)です。煩悩の数でしょうか。また、記譜上の共通点もあります。それはタイムブラケットの存在です。

では早速、ONEの楽譜を見てみましょう。

score

ケージによる演奏指示は以下の通りです:

  1. 10のタイムブラケットがあり、そのうち9つは開始と終了に自由度があり、1つは固定しています
  2. ブラケット内では、一つの音が繰り返されることはありません
  3. 一つの譜表内にある各音は与えられた順序通りに演奏されますが、他の譜表の音とは相容れます
  4. いくつかの音符はある和音から次の和音へ持続されます
  5. 括弧付きの音は、既にその音が響いている状態であれば、省略されます
  6. 一方の手が、他方の手を補助してもかまいません

最初の音は、開始から0〜45秒の間に弾かれます。つまり、いきなり45秒の無音で開始されることもあり得ます。1ブラケット目の最後の音は30〜1分15秒の間に弾かれます。しかし、2ブラケット目の最初の音は1分後に弾かれる可能性があるので、これら二つの音の順序は前後することがあります。9番目のブラケットだけ8'15"開始、8'45"終了と固定されています。また、最後のブラケットの終了時刻は9'15"←→10'00"と指定されており、作品が10分弱で演奏されることが規定されています。

各和音は9度以内で書かれていますが、ASLSPやEtude Australesと違って、片手では演奏不可能なものもあります。従って、6.の指示は助かります。Australesでは、あるピアニストに演奏可能な和音に限定されていたのに対し、(同じ9度以内とはいえ)こちらは更に多彩な和音が利用されていることが分かります。 また、それぞれの音符に強弱が指定されているところも前曲と異なるところです。

最後にご紹介するのは、更に3年後の1990年に作曲されたONE5 for pianoです。 ピアノソロのために書かれた最後の作品になります。

score

ケージによる演奏指示は以下の通りです:

  1. 持続時間と音量は自由です
  2. もし、サスティンペダルを使うのであれば、終始保持したままにします
  3. もし、サスティンペダルを使わないのであれば、必要に応じてソステヌートペダルを使い、出来る限りたくさん音の重なりを作ります

全部で45個のブラケットがありますが、各タイムブラケットには一つの和音しか入っておりません。そのうち21個は左手で、24個は右手で演奏されます。単音のものもあります。

最初の二つのブラケットは、指定した時間を見ると、どちらが先に演奏されても良いことになります。最後の2つのブラケットについても、終了時刻が19'25"←→20'40"19'40"←→20'40"となっており、どちらが最後に弾かれるかは奏者に任されています。

全体で演奏時間20分を要する、堂々たる大作です。しかし、その中で45回しか音は奏でられません。を強く意識した作品であり、極度の緊張感が味わえます。途中、あるブラケットではEの最低音と最高音Cが同時に響くところもあり、広大な空間を感じさせます。最小限の音で構築された巨大な抽象空間…ケージが最晩年に到達した究極の世界がここにあります。

連載第5回(最終回) 2004/4/11