当連盟の生い立ちについては、不明の部分が多いが、幾多の変遷を経て今に至っている。
前身は、「北関東甲信越大学連盟」で、その名の示す通り、群馬・埼玉・栃木・茨城の北関東
に属する県と、山梨・長野・新潟の所謂 甲信越に属する広い地域を対象にした連盟として
成り立った。
実際には、関東近隣における、東京・神奈川・千葉にある大学の殆どがそれぞれ構成する、
「東京六大学連盟」「東都大学連盟」「首都大学連盟」「東京新大学連盟」「千葉大学連盟」
「神奈川大学連盟」に所属していないその他の大学群で構成された連盟として成り立った
部分が大きい。
大学野球選手権への道も、長らく東部地区傘下として組み込まれており、
しばしば、その代表が選手権へ駒を進めることはあったが、多くは、同じく東部地区の
所属であった「千葉大学連盟」代表にその座を奪われることが多く、平成2年に
単独代表枠を与えられるまでは、知名度としてはかなり低いものであった。
名称を現在の「関甲新学生野球連盟」に改めたのは、平成3年頃からで、
「新」は、新たな出発の門出としての意味と、新潟・信州の「しん」をかけた
ものという事を、結成当時の連盟事務局関係者から伺っている。
かつて、選手権代表枠が東部地区所属であった頃は、対象地域が広範囲なせいも
あり、代表決定はトーナメント戦にて行なっていた。
そして、単独出場枠を得る年の前後に、全国でも一風変わった、予選・本選リーグ方式を
用い数シーズンの間だ実施した。
しかしながら、予選が4ブロックで本選リーグ進出数が6校であるなど、
運用面でスッキリしない部分があったり、あえて他地域で実施したノウハウが無い方法を
採用したことで現場で不評だったのか、結局、定番の一部〜三部からなる直列部構成での
運用に変更になり、今に至っている。
トーナメント制時代は、国立大が優位にあったが、選手権出場権を与えられる
数シーズン前くらいから、私学の台頭が目立ちはじめ、本格的なリーグ戦開始以後、
現在に至るまで、数校が一部に残留するのがやっとといった状況にある。
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