結 成:昭和27年
解 散:平成11年〜12年
構 成:中国地区大学野球連盟・四国地区大学野球連盟(最終構成)
公式戦:大学野球選手権大会 西部地区代表決定戦(平成2年まで)
明治神宮野球大会・大学の部 広島六大学・西部地区代表決定戦(広島六大学連盟との共同開催)
沿 革:大学野球選手権大会における中四国地域を統括する目的で設立。
創設当初は、近畿圏も含まれていたが早期に分離。かつては広島六大学連盟も含まれていた。
まず、昭和28年に早くも近畿地域が分離され、その後、広島六大学連盟が昭和43年に独立し、
以後は中国地区・四国地区の構成で続けられた。連盟事務局は代々、傘下の四国地区連盟に所属
する松山大に置かれていたようで、従って、四国地区連盟の事務局・理事が兼務していたと
思われる。因みに、中国・四国で現在のような全体での総当りのリーグ戦が行われる前は、
全国への代表決定に際しては中国・四国双方でまずトーナメント大会を実施して
それぞれの代表校同士が西部地区としての代表校を決定していた。
内部的には総当りのリーグを編成したいたところもあった模様だが、代表決定のシステム上には
組み込まれていなかった様である。
その後、平成3年の選手権大会において、傘下の「中国地区」・「四国地区」の両連盟にも別々に
出場権が与えられ、当初この措置は向こう3年間の試験的な処置という事だったので西部地区大学連盟
自体は一応存続し続けた。但し実質的な機能は、平成3年以降は無くなったようだ。(関係者から伝聞)
その後、4年目以降も引き続き「中国地区」・「四国地区」の両連盟に対しての出場枠が与えられる
事になったので、選手権大会における役割は終了したが、秋の明治神宮大会の出場枠に西部地区として
の枠が残っていた為、数年は存続していたと思われる。
平成×年以降、広島六大学連盟も含めた3リーグ間での代表決定戦になり、
(但し以前として代表枠は広島六大学・西部地区)、さらに平成12年の第31回明治神宮野球大会から、
代表枠の名称から西部地区の名が消え、代わって『中四国3連盟』と表現された。このことから、
同年、又は前年(前年の大会は代表権なし)に、名実ともに西部地区連盟という組織は解消に至ったと
思われる。
因みに全日本連盟からも、これらの統括連盟の解散に関して、正式な通達などは特別無かったという
事である。(関係者伝聞)
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