◆関西地区大学野球 FAQ(良くある質問と回答集)
●質問1.この地域を纏めている組織・団体は?
◇解答1.『関西地区大学野球連盟』です。
昭和×年に『関西大学野球連合』が解体された事で、
この地域を取りまとめる組織が必要になった事から編成されました。
現在は、秋季の明治神宮野球大会への代表決定戦と、春季と秋季の間に行われる
5大学リーグ対抗戦(各連盟センバツチームでのトーナメント)を
主催しています。
(かつては、選手権の代表決定戦も主催していました。)
●質問2.(旧)『関西六大学連盟』が 『関西大学連合』に移行した理由はどういう事だったのか?
◇解答2.当初、『近畿大学連盟』に所属していた近畿大が、何とか (旧)『関西六大学連盟』の
仲間に加わりたいと熱望したが、単独で加盟することはほぼ不可能だったことから、
『近畿大学連盟』として合併するとこでその望みを果たそうと画策。それも難しそうになり、
当時、近畿地区として持っていた大学選手権の出場枠1枠を失ってまでも、関西大学球界を
大同団結して関東に対抗しようという大義名分の下に、近畿大が中心となり永年の交渉の末、
その願いが結実した結果、近畿地区傘下の近畿・阪神・京滋の3連盟が関西六大学リーグ
の下部組織となり、下部3連盟の優勝校間で、先ず入れ替え戦出場校決定戦を行い、
その優勝校が、関六リーグの最下位校と入れ替え戦を行うシステムを採用した。
★関西大学球界の沿革★も参照下さい。
●質問3.その後『関西大学連合』が解体し、再び関西の各連盟が独立した理由はどういう事だったのか?
◇解答3.関西大学連合を結成した大義名分には、関西地域を1つのシステムにすることで、
人気でも実力でも、関東(特に東京六大学を意識したもの)を凌駕しようとする
もくろみがあったが、結果的には、期待した程の効果がでず、旧関六から加盟する
伝統校の下部転落により伝統の対戦カードが無くなったり、連盟の運営面で
野球に対する取り組み方の違いによる不満といったものが、伝統校を中心に
高まっていった。
昭和56年春の入れ替え戦の結果、数年振りに伝統校グループの関関同立が揃い踏み
となり関係者が大いに喜んだのもつかの間、次のシーズンの入れ替え戦で立命館大が
まさかの下部転落となった。この結果が起爆剤となり、関大、関学大が中心になり
再びかつてのように、関関同立を中心にした入れ替え戦無しの固定したリーグを
作る事を提唱した。この結果、伝統校と一緒になりたいというその他の各校の思惑が
入り乱れ、揉めに揉めた結果、連合時代の4リーグが現在まで続く5リーグに再編成
される形になった。
当初の再編案は、かつてのリーグを再現する関関同立に京都大、神戸大の6校とする
ものであったが、その打診の段階で、騒動に巻き込まれる事を避けた神戸大の辞退
に加えて、解体の提唱の初期段階から、新リーグ参入の確約を取り付けて、関大・関学大
の行動を支持していた近畿大がすんなりと新リーグのメンバーに選ばれた。
因みに、連合の解体当初は、関西地域としては1代表のみしか認められなかったが、
徐々に、2代表→3代表と拡大していき、昭和×年の全国の出場枠再編を機会に
関西の5連盟全てに大表枠が与えられた。
この関西大学連合の解体劇は、昭和×年の全国再編の遠因でもあったと思われる。
★関西大学球界の沿革★も参照下さい。
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