関西大学球界の沿革と変遷
2004.7.2改版

【関西大学球界の沿革】

1.創成期(昭和6年秋以前) 主に以下の連盟が集合離散を繰り返しながら存在した。

★関西学生野球連盟(毎日新聞社主催)
1917年、同大、立命大、関大、関学高商部(1932年からに関学大)、
大阪薬学専門学校(後の大薬大)、大阪高等工業学校(1929年から大阪工業大、後の阪大工学部)、
大阪高等商業学校(1928年から大阪商科大、後の大市大)、大阪歯科医学専門学校(後の大歯大)
の8校により関西学生野球連盟が結成。その後、加盟・脱退が繰り返されいつの間にか消滅した。
一時期は京都帝国大、第三高等学校、大阪医専(大阪高等医学専門学校←後の新制大阪医大)
なども参加。

★関西学生野球連盟(朝日新聞社主催)
1923年、旧制の府立大阪医科大(1931年から阪帝大医学部)、官立神戸高等商業学校
(1929年から神戸商業大、後の神戸大)、大阪高等工業学校により発足した官立三校野球連盟
を始まりとして、以後、大阪外国語学校(後の大外大)、関学高商部、
大阪高等商業学校と順次加盟校を増やし、1928年に神戸高等工業学校(1949年に新制の神戸大工学部)
を加え、これらの7校の旧制高等専門学校と旧制大学によって新たな関西学生野球連盟
(前連盟との繋がりは皆無)を発足。
大阪ゾーンと神戸ゾーンに分かれてリーグ戦を行い最後に優勝決定戦を行なっていた。

★京都五大学野球連盟
1928年、京都大学専門学校野球連盟から旧制大学が独立。大谷大、
京都府立医科大?(京都帝大に統合前の京都医大の説もあり)、
京都帝国大、立命館大、龍谷大で構成。

★三大学対抗戦(1928年頃。※定期戦の集合体)
関大・同大・京都帝国大
↓
★ 関西四大学野球連盟(1930年〜)※立命が京都五大学から三大学対抗戦に移籍
関大・同大・立命大・京都帝国大(現在の京都大)

2.(旧々)関西六大学時代 (昭和6年秋〜昭和36年秋)

 「強いチームを集めて新リーグを組織し、東京(六大学)に対抗しよう。」
の動きの下、1931年に、1928年結成の関西学生野球連盟の有力校であった
関西学院と神戸商業大学が関西四大学野球連盟へ加盟
(神戸商業大は移籍。関学は1933年中までは旧関西学生との重複加盟)し、
同年秋から関西六校野球連盟(以後関六と称す)が発足。
翌年3月の関学の旧制大学昇格を待ち関西六大学野球連盟と改称した。

東京六大学における早慶戦にあたる、同立戦・関関戦と呼ばれる看板カードも確立し、
国立同士の対戦も話題を呼んだ。
(昭和30年代前半には東京でもNHKにより関関戦をみる事が出来た。)
しかし、昭和30年代になる頃には、人気・実力共に東京六大学に水をあけられた
状態が続き、「関関同立」の私学4校と国立2校の実力の差が開きっぱなしになり、
優勝争いがワンパターン化し、リーグ戦が盛り上がらない等の声が上がり始める。
 因みに、残された他の学校は、次第に地域毎のリーグ(京滋・阪神・近畿)に再編され、
大学選手権への出場枠としては、3リーグまとめて近畿地区とし、1代表が出場できる
ようになった。(関西六大学リーグは単独で1代表)

前述の関西学生野球連盟は残った大学に新制大学を加え、近畿六大学連盟から
更に加盟校を増やし近畿大学連盟として変遷していった。

近畿リーグでは、その後、戦後派新興の近大が台頭し無敵を誇る様になり、
近畿地区代表として毎年の様に大学選手権に出場するようになった。
やがて、弱小リーグの小山の大将でいるよりも強豪リーグでもまれ
事を望んだ近大は、やがて関六への加盟を熱望するようになった。(昭和34年頃から)
しかし近大の単独の加盟はかないそうも無いことから、当初は近畿リーグ、やがては
他のリーグとも共闘して近畿地区として、関西の大学球界の大同団結の名の下で
関六との合併を要請し続けることとなる。


3.関西大学連合(旧関西六大学)時代 (昭和37年春〜昭和56年秋)

 前述した流れの中で、当初は関六側のかなりの抵抗にあったものの、
 関西出身の高校野球・学生野球の超大物も巻き込み賛同を得ることが功を奏し、
結局は関西の全大学が大同団結して関東に対抗しようという意気の下で、関六は近畿地区
と合併、入替え戦を導入することになった。
つまり関六を頂点に、京滋・阪神・近畿の3連盟を下部組織としたピラミッド構造の
「関西大学連合」を組織するに至ったわけである。
(下部組織である京滋・阪神・近畿の各リーグ1位が決定戦を行い、優勝校が関六の最下位と
入替え戦を行う。)
その結果、入替え戦を導入した19年間(38シーズン)で、結成時の関六の構成校の他
に7校が関六の下に名を残した。
 (近畿大・大阪商業大・京都産業大・竜谷大・大阪学院大・大阪経済大・神戸学院大)
当然ながら、昇格するチームがあれば下部へ落ちるチームもあったわけで、入替え戦
導入後間もなく京都大・神戸大は下部へ転落し、二度と復帰することはなかった。
(それぞれのリーグで優勝後、さらに3代表校間で入れ替え戦出場決定戦をし、
更にその後でやっと入れ替え戦に臨むシステムは、現在の東都リーグの入れ替え戦の
過酷さもさして問題にならないほど関六入りを目指す各校にとっては凄まじく大きな壁
であった。勝ち上がったチームのレベル向上という設立当初の本来の効果より、
悪戯に、そこにたどり着くまでの疲弊感の増大を助長したものであった感が強かった。)

そのシステムの下では伝統私学を自明する「関関同立」の私学4校の一角である
関学や立命も例外ではなく、下部にたびたび転落し、伝統の看板カードがリーグから
消える事で、関係者は頭を悩ませていた。
昭和56年春、関学が大阪経済大を破り関六に復帰、27シーズン振りに「関関同立」
が揃うことで関係者を大いに喜ばせた。がそれも束の間、同年秋には立命が京都産業大に敗れ、
再び下部に転落してしまった。
 この立命館大の下部転落を引き金に関西大学球界を揺るがした再編成問題が持ち上がった。


4.関西六大学(関西連合)の解体 〜 5リーグ並立の時代へ (昭和57年春〜現在)

 このように、せっかく揃った「関関同立」の伝統校カルテットを再び2度とくずしたくない
との関係者の強い思惑から関六再編問題が起こった。
  早い話「今後、関西六大学野球は入替え戦を中止し、昔のように固定の校成校にて
運営する。」という事であった。
この動きの裏には伝統校カルテットの維持という大義名分と共に、まだ下部転落の
経験がない伝統校の将来における危機感と、某有力校が関六再編行動への指示・協力
への見返りに、新リーグへの参加推薦?の採り付けがあったものと思われ、
それが再編行動に拍車をかけることとなった。
再編の表明それ自体はセンセーショナルながらも当初は比較的冷静に受け止められていて、
入替え戦を廃止する事自体は揉め事の矢面にたったわけではなかった。
しかし、話しが新しいリーグの構成校に及ぶにいたって事が大揉めになりだした。
尚、再編問題提唱時の関六所属校は以下の通りであった。
(再編表明時の関六所属校は以下の通りであった。
 関西学院・関西大・同志社大・近畿大・大阪商業大・京都産業大)
 というのも、当時、新興校に属す「近商産」は再編後も関西で一番人気のあるリーグに
是が非でも所属したいという思惑が強く、特に再編で取りこぼされそうな「商産」は、
現行の構成校「関関同近商産」を母体とする案を強く提唱したが、リーグの運営は7校以上
では難しいとの意見から、さらに問題が紛糾した。
又、伝統校グループは、入替えが無くなることから構成校を厳選したいとの理由で、
「関関同立」+「その他の"相応しい"2校」の案を主張し、お互いに一歩も譲らない状況が
続いた。そもそも、入替え戦廃止の大義名分は「関関同立」カルテットの堅持である為、
実際のところ構成校としては「関関同立」+αしかありえない。
が、カルテット以外で再編提唱時に関六に所属していた各校は、どうしても、新しい
リーグに名を連ねたいという思惑が強く、現状関六に所属しているわが校にはその権利
があると主張し、話し合いは泥沼化して行った。
 そうしてるうちに、しびれを切らした強硬派の「関関」及び それを指示する「近」
が関六からの脱退し、その上で新リーグ結成を呼びかけた。
最初は、脱退を強硬した「関関近」に批判的だった「同」がその後の経緯の中で説得され、
後に新リーグ参加を表明。そうなると、下部に転落し、立場上静観していた「立」も
当然ながらその流れの中で同様に新リーグ側に賛同。更に、かつての関六メンバーでもあり、
東京六大学における東大のような存在を期待され「京大」も参加した。
ここに、新リーグの構成メンバー「関関同立京近」が出揃った。
(ここで、「近」が伝統校グループに参加出来たのは一寸奇異に思われるが、
  先ず当時(今も)関六で最も野球の技量が高かった事と、何よりも早くから
  強硬派「関関」の立場を指示して行動を常に共にした事が作戦的に成功した
  と言うところだろうか....一部の噂では、関関同立と片を並べる総合大学としての
  諸々の見えない力が有利に働いたとの見るむきもある。)
 その結果、おおいにおもしろくないのは、残された「商産」の2校である。
とりわけ、関西大学連合における関六のなかで「近」を追い抜き追い越せと技量を
高めてきた「商」の落胆と憤慨は大変なものであった。
 「関関同立」側新リーグへの参加が絶望的となった「商」や「産」は、対抗策として、
とりあえず欠けた関六の4席を埋める為に、かつて同じ関六に籍をおいた実績のある
「竜谷大・大阪学院大・大阪経済大・神戸学院大・神戸大」に呼びかけた。
(4校の選抜方法はべつとして。ただしその後の経緯のなかで、かつて、固定制関六時代
のメンバーでもあった神戸大は、関関同立サイドからも一時、参加を請われたが、
各校の思惑が交錯した火中の栗を拾うのを嫌い、当時の所属リーグである近畿リーグへの
"残留"をあえて表明していた。)
その上で、勝手に脱退していった関関同立とその新リーグへ参加した6校を除く関西の
組織は、これまで通り、連合を堅持することを呼びかけた。
 しかしながら、一端連合解体を宣言した事もあり、下部3リーグには
「関関同立」が去った魅力が少ない新しい関六に従う気持ちもその動機もなく、
『とりあえず春季リーグの準備があるので春は個々に...連合の再開についてはまた後日...』
とし、とりあえず見切り発車することで一端は落ち着いた。
がその後の経緯のなかでうやむやのまま時が過ぎ、いつしか「関西は5リーグ」
という空気が形成されていき、これまで関六の下部組織であった、京滋・阪神・近畿の
3リーグは、連合の解体とともに再び独立という形に落ち着いていった。

因みにリーグ名称については『関六をかってに脱退した「関関近」それに「同」側の新リーグには、
関六の名称継承権はなく、継承権はこちらにある。』とし、「商産」側新リーグが、
『関西六大学野球連盟』(通称、新関六)を名乗ることになった。
 当初、関六を引き続き名乗る事を考えていた「関関同立」側は抵抗したものの
これについては断念せざろうえなく、新リーグの名称は『関西学生野球連盟』とした。
(関西学生リーグ側、断念しながらも、やはり六大学の名称に未練があったらしく、
その優勝旗や、連盟発行のメンバー表等、随所に、『関西学生”六大学野球”リーグ』
などという呼び名を使用しているのが面白い。また、全国の各六大学リーグが英名として
用いるBIG6を堂々と使用している。これはある意味、英名の使用権についてまで
言及することを思いつかなかった新関六側のミスをついたものだろう。)

 さらに、その後の交渉・調整の結果、過去の記録に関しては、共通の財産として継承する
事で合意された。
(近年の関関同側の発行物などの情況を見ると、記録の継承権は共有というより、
関西学生側が継承していて、あたかも新関六が別れていったような印象を与えるような
使用方をしているように感じるのは筆者の思い過ごしだろうか。)

 このような経緯において関西大学球界は昭和57年春から現在に至る5リーグの並立
の時代をむかえた。
選手権大会への出場枠は、当初は連合の枠としてあった1枠を、5リーグで争う形とされ、
その後、次第に枠数が増やされていた。
通常、新しいリーグが出来たからといって、直ぐに代表枠が与えられることはないが、
当時、仲裁指導的な権限を持たない全日本大学野球連盟としては、精一杯の救済措置
であったと思われる。下部3連盟や伝統校に置いてけぼりを食ったチームにとっては、
せめてもの救いであったのかもしれない。

5.その後

 昭和57年初頭、殆どケンカ別れで袂を分かった新制『関西六大学リーグ』と
『関西学生リーグ』であるが、近況はどの様になっているのだろうか。

分裂当初、新関六のみならず各方面から「伝統校のエゴ」との非難轟々の中、
「関西球界の大系を見据えての事、10年後を見ていて欲しい....」と語った
『関西学生リーグ』サイド。残念ながら、時代の流れや、設立当初の近大の独断場的
な強さも相まって人気回復の面では当初期待したような程の効果があったとは思えな
かったが、近年はその近大の独裁時代からは脱却、京大以外ならどこも優勝を狙える状況
を迎え、時折り関西方面でも話題に登ることも多くなった。 又、大学選手権での成績も
かんばしく、徐々にではあるが、「関関同立」関係者の当時の思惑が実りつつある。
 一方、連合解体当時、「理はこちらにあり」、「きっと将来、関関同立は後悔する時が
やって来る...」と新制『関西六大学リーグ』を表明した側は、その後、一応、
大学主要5リーグの中に、加えてもらってはいるものの、人気・実績共に大苦戦の
年月であったように思える。構成校が、もともと、ネームバリューがあまり高くない
学校群の為に一般の関心の低さに加えて、学生や学校側の関心も高くなく、又,野球部
関係者のOBの層の薄さによる審判員の不足、全国大会での成績不振。かつての旗頭・盟主
であった「商」の地盤沈下には目を覆いたくなるものがある。
こうして見ると、関西大学球界の誕生から連合解体までを通して最も戦略的な勝利者で
あったのが「近」であり、連合結成による恩恵は受けたもののその解体で、いちばん
貧乏記事を引かされて踏み台となってしまったのが「商」といえるのかもしれない。

 近況であるが、「商」などは、その後しばらくの間、関西学生リーグの面々とは
練習試合を殆ど組まないといった事があった一方で、少しづつ雪解けムードも生まれて
きている。
 '94年秋から、関西地区としては勿論、大学球界としても画期的である関西地区
5リーグでのオールスターチームによるトーナメント大会が開催された事である。
かつて大喧嘩して物別れ劇を演じた同じ会議室で、今度は5リーグが一致団結して、
他では行っていない新しい試みを起こそうとテーブルに着いた瞬間でもあった。
(ただし、この開催呼びかけに対して、当初、関西学生リーグだけは難色を示した。
その他4リーグと同格扱いを受けることを極度に嫌っているという意識の一つの表れ
であったろうが、この大会を主催・後援を有力マスコミが行なっていることで
渋々参加同意をしたらしい。)

 果して、分裂当時の双方の言い分、どちらが正しかったのか...
それはまだ結論を出すには早いのかもしれないが、どうやら、「雨降って地固まるの」
方向にながれつつあるようにも思える。今にして思うと、平成3年から選手権への
出場枠が実質的に当時存在した全連盟に与えられていったのは、この関西の再編問題に
表面的にも内情的にも、早くけりをつけさせる意味での全日本大学野球連盟側の見えない
救済措置であったのかもしれない。

今後も関西地区の動きに注目していきたい。

((( 各リーグの変遷概略図 )))  ※前述内容をまとめたもの

大正6年─────●関西学生連盟(毎日主催:8校で結成)
         ┃(関関同立、大薬、阪大工、大歯、大市のそれぞれ前身校)
         ・
         ・※京都帝大、三高、大阪医大の前身校なども加盟
         ・
      (自然消滅)
         ・
         ・
         ・
大正12年───────────●官立三校連盟(阪大医学部、神戸大、阪大工学部の前身校)
               ┃
               ┃
昭和元年───────────●官立四校連盟(大外の前身校が加盟)
               ┃
昭和2年───────────●関西六校連盟(関学高商部、大市の前身校が加盟)
               ┃
昭和3年───────────●関西学生連盟(神戸大工学部の前身校が加盟。朝日主催)
               ┃    ●京都五大学連盟が発足(同3年。※高専と分離)
               ┃    ┃大谷、京府医大、京帝、立命、龍谷
      ●三大学対抗戦 ←京大重複→ ┃
      ┃京帝・関大、同大┃    ┃
      ┃        ┃    ┃
昭和5年  ●関西四大学連盟が発足←──╂(立命、京大の脱退)
      ┃        ┃    ・
      ┃        ┃    ・
      ┃        ┃    ・
            ┃←───────╂神戸が移動、関学重複加盟
昭和6年秋→●関西六校連盟発足┃    ・
昭和7年春→●関西六大学連盟に改称   ・
昭和8年  ╂────────┃関学が完全脱退
      ┃        ┃    ・
      ┃        ┃    ・
昭和22年 ╂────────●大阪三大学連盟(阪大、大市、近大の前身校)
      ┃        ┃    ・※同年、全国大学野球連盟/全国新制大学野球連盟がそれぞれ発足
      ┃        ┃    ・
昭和23年春╂──────→ ●近畿五大学連盟に改組(奈良県医大、大歯が加盟)
昭和23年秋╂──────→ ●近畿六大学連盟に(神戸商大、現兵庫県大が加盟)
      ┃        ┃    ・
      ┃        ┃    ・
      ┃        ┃    ・
昭和25年秋╂────────╂──→ ●京都六大学連盟が発足
      ┃        ┃    ┃
昭和26年 ┃        ●近畿大学連盟に改組(1部2部制)
      ┃        ┃    ┃
昭和27年 ╂────────╂────╂──全日本大学野球連盟が発足(旧制連盟と新制連盟の合併)
      ┃        ┃    ┃
      ┃        ┃    ┃
昭和29年春╂────────╂────╂────────→●阪神大学連盟が発足
      ┃        ┃    ┃         ┃
      ┃        ┃    ┃         ┃
昭和31年─╂────────╂──→ ●京滋大学連盟に改称┃
      ┃        ┃    ┃(滋賀大加盟の為)┃
      ┃        ┃    ┃         ┃
      ┃        ┃    ┃         ┃
      ┃        ┃    ┃         ┃
昭和37年春★関西大学連合結成┗━━━━╋━━━━━━━━━┛
    ┌─╂─< 関西大学連合の構成 >─╂─────────┐
    │ ●関西六大学─┐      (☆下部組織)    │
    │ ┃      │      ┌─ ○京滋大学連盟 │
    │ ┃      └─→×←──┼─ ○近畿大学連盟 │
    │ ┃      (入替え戦) └─ ○阪神大学連盟 │
    │ ┃             ┃         │
    └─╂─────────────╂─────────┘
      ┃             ┃
昭和56年冬★関西大学連合解体     ┃
      ┃←━━━━━━━━━━━━┛
      ┃ ※解体直後の所属状況(但し、関西六大学に所属経験校のみ記載)
      ┃
      ┃  関西六大学(関学大・関大・同志社大・近大・大商大・京産大)
      ┃  京滋大学(立命館大・京都大・龍谷大 etc...)
      ┃  近畿大学(神戸大・大経大 etc...)
      ┃  阪神大学(大院大・神院大 etc...)
      ┃
     ┏┻┳━┳━┳━┓(5リーグ並列制開始)
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
     ●関西学生連盟(関学大・関大・同志社大・立命館大・近大・京大)を新編成
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
     ┃ ●関西六大学連盟を新編成
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃(大商大・京産大・龍谷大・大院大・神院大・大経大)
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
     ┃ ┃ ●京滋大学連盟(2部制)
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
     ┃ ┃ ┃ ●近畿大学連盟 (3部制:神戸大残留)
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
     ┃ ┃ ┃ ┃ ●阪神大学連盟(2部制)
     ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
平成6年春╂─╂─╂→●近畿学生連盟(改称)
     ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
       (現在へ至る)

[サイトTOP]
このPageの編集担当者への連絡先についてはこちら
※お願い:メールで問い合わせをする場合には、このPageのURLか、又は、どのページについて
     の問い合わせ内容なのかが、判別できる程度の情報も、メール本文中にお書き添え下さい。
     ご協力お願いします。